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四月になって




四月ともなると寒い日は見られず,比較的暖な毎日が続く。三月の終わり頃から,桜便りが聞かれ始めた。

四月に入ると同時,いたるところが桜で一杯になってくる。

このような所にも桜の木があったのかときずく事もある。春には必ずいつも咲く並木道には今年も桜で満開だった。

桜の名所と言われていないような所,いつも気がつかなないでいる所での桜も大変美しい。

日本の春はやっは゜り桜である。

大体に桜の見ごろは約一週間ぐらいで,直ぐに散ってゆく。

又四月には入園式 入学式 入社式などが行われ,新しい人生の門出が始まる月でもある。

政界は古いままで一新されずに変らないままだ。

後期高齢者に対する年金から保健料が天引きされるようになった。

後期高齢者制度では聞こえが良くないので,長寿医療制度に名前を変えたとしても,中身は極めて非常に冷たい制度である。

怒りの声が全国から聞かれるようになり,

診療に訪れる老人達の患者さんからもその声を聞くようになって来ている。

珍しいことだ。

高齢者の唯一の僅かな収入源である年金から,保健料を何故に天引きしなれればならないのか。?

高齢者にも応分の負担というが,今,そしてこれからの老人達は

既に充分な戦後の苦しい中,日本国家の復興の為に貢献し役割をば充分果たしてきた人たちである。

戦後の苦しい時代を背負い頑張りどうしてきた世代の人たちがやっとほっとして,余生をゆっくりしょうとする時に,

そのわずかな年金から,ただ国の都合だけでもって強制的に天引することは大変けしからん話である。

不遇の世代と言うだけで済むのかどうか,大変気の毒な話だ。

経費を削るところや税金を徴収するところは幾らでも他にあるはずである。

政府は一番弱い所,取りやすい所から自動的に取ろうとしている。

これは元小泉首相の時に決まった制度のようだ。

福祉医療制度も滅茶苦茶にしている。これも元小泉首相により全てを効率主義一本にしてしまってのことである。

ゆとりある暖かい医療とか介護などは,誰が考えても効率主義とは相反することことがらである。

せめて国立病院並びにそれに準ずる病院には,国が面倒みるべきだが,全て独立法人化して効率主義を押しつけようとしている。

先日の日本の医学会で,成功した病院の話を聞いていたが,その地域で公立病院がつぶれた結果,その病院が成り立っているような話であった。

その内容は診療をぎりぎりに医療経費をば節減し尽くす話である。

そこまでして,これまでと同じ品質の医療が担保し提供出来るかが非常に疑問に思う。

温かみがある医療が出来るかどうかは疑問だ。

せめて病気した時ぐらいは温かみのあるお世話を受けたいとするのが普通の人の考えである。

人々はその為に保険をかけてきているのである。

切り詰めた診療を強制される中で温かみある診療は不可能なことを強いることになる。

病院が不採算のところは切り捨て,採算の合うところだけするようになれば,本来の医師の使命は完全に果たせてはいないことになるだろう。

それが医療界でもって成功例として話される時代になってきているようだ。

良心的な医療をし続けている病院の場合は,必ずつぶれるだろうということだ。

過疎化した自治体で,援助のない地方の病院が,まずつぶれゆく運命にあるということなのか。

医者が不足しているという程度のことではない。

医療関係者は毎年のように変る医療内容に疲れはててしまっている。

よくこれだけ細かいことをいじくりまわす人が厚労省にいるのかと,あきれ返るばかりである。

これも元小泉首相が目指し決めた制度である。低所得者・弱いものへの負担増は確実にやってきている。

充分な機能する病院の絶対数が足りなくなり,患者さんのたらい回しが続くことになることになるだろう。

全て弱いところへ弱いところへと患者さんに皺寄せがきている。

改善すべき所は放置したままで,政治家とそれに社会とが結託し全て弱いものへその皺寄せが続いている。

問題になったミサイルが発射できるイージス艦が何故に日本に必要なのかどうか,政治家からの説明を聞かない。

イージス艦の建造費に1500億円もかかるようだ。維持する経費なども入れると莫大な金額である。

どれだけの無駄使いがなされているのか計りしれない。

起こらないだろうが万一の為の戦争為に,毎日必要とするものが犠牲になっていることである。

それらの費用を必要とする箇所や低所得者への補助にまわせば,老人達が負担せずに済むはずだ。

高齢者の年金から天引きする必要もなくなってくるはずである。

弱い人,取りやすい所から強制的に税金をとって,潤沢な所からは取らないのではないかと。

ガソリンが高価だから高速道路は利用する人は少ななくして高速道路を使うのをシマツしている。

その道路を作るために,高い税金をばガソリンにかけなおしている。 これでは益々に利用者は少なくなる。

誰のために道路をつくることになるのだろうか。?

自民党は元小泉首相の郵政民営化イエスかノーかの時の衆議院員の三分の二を使って,道路暫定法案を復活させた。

何処に無駄使しているのか政治家は真剣に取り組んでいただきたいものである。

自民党政治は腐敗し,行き着くところまで来ているようにも感ずる。

極端に言うならば防衛省や宮内庁などは国民の日常生活に,なくなっても生活に支障がきたさない省庁である。

そして,そこらあたりには,再び戦争への復活の芽が潜んでいる。

これからの日本には軍隊は必要ない。

戦後一時自衛隊を警察予備隊と言われていた時期があった。

現在の自衛隊と称している軍隊も,今警察予備隊と変えても良いのではないのか。

日本には戦力は治安維持する以上ものは必要としない。

軍事費は出来るだけ削減すべきである。

使いもしない軍事に対し膨大な費用を投入する意味が理解できない。

昔のように戦争で軍事費を使うようになれば国民には甚大な被害を受けることを大東亜戦争での歴史が証明している。

日本の軍備はどう見てもアメリカの軍需産業をば喜ばせるだけのためのものにしか思えない。

いたるところで,贅沢な費用が濫費されているから,必要とすべき所に費用が回ってきていない。

長年続いた自民党政治が腐敗がしきって,どうしようもなくなってきているように思える。

やはり政権交代は何度か繰り返し,繰り返し行われるべきものである。戦後ずーと続いた自民党政治は異状である。

今、春まっ盛りである。

草花が生い茂り,草原のなかの草花にある蜜を次々と求め,求めして飛び交う蝶々達を眺めていると非常に綺麗で優雅に感ずる。

世界情勢は中東地域 イラクやイランでは戦争が絶えない。

イラクではイラク人同士の内戦の様相を呈してきている。

ブッシュが世界中で沸き起こった戦争開始反対を押し切っての「テロとの戦い・民主化への戦い」がフセインの強硬な政治体制で

やっと平和が維持されて来たイラクが,イラク人同士の戦争・内戦状態に変りつつある。

毎日のようにイラクの人たちアメリカの若い兵隊たちが死んでいっている。

アメリカ国内ではながながとアメリカでの大統領選出のための選挙が依然として続いている。

これではアメリカの大統領選挙制度そのものが時代にそぐわないのではなかろうかと思う。

どうして時間をかけるのだろうかそ,わけが判らない。

アメリカを真似をして日本にも国民による裁判官制度が始まろうとしている。

もっと司法界そのものに対しての浄化が先決問題ではなかろうか。

三権分立はどう見ていても日本でいまだ不完全であって,なされてはいない。

司法界は,政界即ち立法・行政の下にあって,その人達によって司法界が左右されていることは間違いない。

まず国民裁判官制度を施行する以前に,はまず其処のところが厳重に改善・実行されてから,施行されるべきことである。

これでは,三権分立は絵に描いた餅の状態である。

国民裁判官制度よりも,まず最初に三権分立が厳重に,徹底的に改善させることがまず第一であろう。

全て欧米の真似が,決して良いものだ゜けではない。

形だけでなくその中身が大切であって,まず正直に実行される必要がある。

それに日本の良さを残し,日本独自のものを作り出す工夫・努力をすべきである。

日本にはもっともっと改善すべきことが沢山ある筈だ。そして誇るべき所もあった。

元小泉首相によって,根本的に効率優先国家へと変えられてしまった。

古くはイギリスにおいてサッチャー首相がやってきていて失敗した過去がある。

日本の昔からあった「徳」による行動様式が合理化と合わないとして失われつつある。

東洋人の美徳が合理化・効率化の前に屈してしまった感を受けている。

そして第二次大戦の敗戦後の日本国の永遠の「戦争放棄」の信念は第二次大戦の日本人が体験した

戦争での尊い犠牲がもとに成り立ったものである。

世界に誇るべき事柄だ。

この「戦争放棄」の信念をば,戦争で生き残った日本人,その子孫達でもって世界に普及させるべき義務がある。

いつまでもアメリカの言うままにあるのは決してよくない筈である。

戦後どれだけ日時が経っているのだろうか。?

て゜もアメリカ基地の多い日本は,未だに半独立国家であり,半植民地国家でしか思えてこない。







値上げづくしの春、ガソリン値下げはありがたく、
干天の「慈油」には違いない








平成20年4月1日の天声人語よりの引用


5年前のきょう、東京新聞が〈東京湾で大油田発見〉と報じた。

同紙恒例の冗談記事の中でも「傑作の誉れが高い」と『世界のエイプリルフール・ジョーク集』

(鈴木拓也、中公新書ラクレ)が紹介している。

大油田が本物なら、そろそろ安い国産ガソリンが出回る時分だろうか

▼暫定税率の期限切れで、ガソリンの税金が本日から1リットル25円下がる。

ただし、5月には元に戻るかもしれないという。


例年ならそのまま四月馬鹿で通用するほどの、へんてこな話である

▼今この話題で「馬鹿」をやろうと思えば、〈政府は財政の穴を埋めるため、

飲食店に1品25円の揚げ物税を課す方針を固めた。

メタボ対策も期待する〉ぐらいのでたらめが必要だ。

お粗末な政治が冗談を実話にし、ホラ話の作り手を泣かす

▼江戸の昔、灯火に使う菜種油は必需品で、油に絡む混乱は官民が恐れた。

かの大岡越前も油価の安定に気を使い、油問屋たちの価格つり上げを罰したと伝えられる

▼日常生活に深くかかわる品の値段が乱高下しては、世情は定まらない。

値上げづくしの春、ガソリン値下げはありがたく、干天の「慈油」には違いない。

とはいえ、ひと月限りの慈雨では客も店も、自治体も混乱するばかりだ。

ぬか喜びはすまい

▼江戸の髪油売りは、客のご婦人たちと雑談しながら商いをした。

転じて、仕事の時間を浪費することを「油を売る」と言う。

永田町で油を売り合った
「政治のツケ」(福田首相)が「さまよえる25円」だ。

油田でも見つからない限り、この国の誰かが被(かぶ)ることになる。






現在石油は世界的に高騰している。税金がなくなってリッタ-120円台は高騰する物価高のなかでほっとする事柄である。

でも再び暫定税率を元に戻そうとしている。ガソリン代が高い間だけでもこのままにしておくのが政治家としての常識である。

自民党政治家にその常識かあるかどうか試されるときでもある。だが再びそれ以上にガソリンは値上がりしてしまった。








中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国」を
上映するはずだった五つの映画館が、中止を決めた






平成20年4月2日の天声人語よりの引用


米国で封切られたチャプリンの「殺人狂時代」(47年)は散々だった。

宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけたためだ。

ほどなく赤狩りの嵐に覆われるこの国は、彼を「追放」する

▼20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。

アカデミー特別名誉賞の授賞式である。

それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない

▼中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国」を上映するはずだった五つの映画館が、中止を決めた。

不測の事態を警戒しての結論だという。


終戦記念日の参拝風景などを撮った作品は素材提供に近いが、国会議員向けの試写会が開かれ、政治色を帯びた

▼右翼の抗議を怖がり、日教組の集会を拒んだホテルと同様、あるいはそれ以上に、

メディアの一翼を担う映画館の萎縮(いしゅく)は深刻だ。

あらゆる表現や言論、批判が出会うべき場が、近所迷惑になるからと自ら幕を下ろしては議論さえ始まらない

▼面倒はいやだと縮こまる。


ネットで匿名の中傷を浴びせる。そんな風潮を含めて、時代の空気は少しずつ危うくなっている。

一人、また一人と嫌がらせに譲れば、筋を通す者に街宣車が群がるだろう。

勇気ある者をどう支えるか。

メディアの端くれとして、ここは踏ん張りどころと肝に銘じたい

▼靖国の桜はきのうも満開だった。

北風に花びらが舞うが、多くは揺れる枝にしがみついている。

花見の名所の木々らしく、週末までは散るまいという意地なのか。

風に負けてはならない時がある。





中国人が見た靖国神社とは興味深いことである。若い頃に参拝したことがあったが閑散としてただの神社と変わりない感じだった。

戦後の「爪あと」が日本人の心に残っていた時期で今は一種の聖地の様相を呈し,元小泉首相が参拝して話題をまいている。

やはり靖国神社が盛大になることには戦争への危機感を強める気分になる。







「晩翠わかば賞」である
昨秋の第48回で佳作となった作品に
「おかあさん」がある

何度も抱きしめてくれた「もちもちのうで」が、
この朝は凶器だった









平成20年4月3日の天声人語よりの引用


『荒城の月』の詩人、土井晩翠が生まれた仙台市は毎年、東北を中心に小学生の詩を募る。

「晩翠わかば賞」である。

昨秋の第48回で佳作となった作品に「おかあさん」がある

▼〈おかあさんは/どこでもふわふわ/ほっぺはぷにょぷにょ/ふくらはぎはぽよぽよ/

ふとももはぼよん/うではもちもち/おなかは小人さんが/トランポリンをしたら/とおくへとんでいくくらい/

はずんでいる/おかあさんは/とってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい気もちいい/ベッドになってくれる〉

▼きっとふくよかであろう、優しい母の笑顔が浮かんでくる。

作者の西山拓海(たく・み)君はおととい、青森県八戸市の家で9年の生を閉じた。

電気コードで首を絞めたと認めた母親(30)が逮捕された

▼何度も抱きしめてくれた「もちもちのうで」が、この朝は凶器だった。

パジャマ姿で息絶えた子に、「おかあさん、なぜ?」と問う間はあるまい。

詩にあふれる濃密なスキンシップとの落差に、言葉を失う

▼先月の修了式の日、楽しく語らい下校する親子の姿があったという。

母は何を思い、わが子を手にかけたのか。

最後の最後に、幼い言葉が刻む「肌の記憶」を呼び戻せなかったものか。

あれこれ考えてはみても、胸が詰まるばかりだ

▼ふわふわの感触とは相いれぬ、むごい現実にさらされる子は拓海君だけではない。

早すぎる旅立ちに携える残像が、最愛の人の恐ろしい形相では悲しすぎる。

おかあさん、おとうさん、ころさないで。

そう念じて、いま一度、ひらがなの連なりをたどる。






戦後のの子供への道徳教育が疎かになり,昔の子供のような「しつけ」が足りない。

日本の欧米化と共にその思想教育の影響でもって安易に人殺しするようになってきている。

その母は何を思い、わが子を手にかけたのか。








70年代に青春が重なる方なら、
耳目にキャンディーズを呼び出せるかもしれない








平成20年4月4日の天声人語よりの引用


時代と切り離せない音や像がある。

その端っこに、若くて熱かった自分がいる。

落ち込んだ日など、私たちは時の引き出しから熱い記憶を取り出し、少しだけ元気になる

70年代に青春が重なる方なら、耳目にキャンディーズを呼び出せるかもしれない。

私事になるが、上京の春は「年下の男の子」、下宿を移った2年後には「やさしい悪魔」。

どちらの旋律も、引っ越しのホコリの中で流れていた。

彼女たちの解散から、きょうで30年になる

▼旧後楽園球場での解散公演は5万人を集めた。

紙テープで埋まったステージ。

3人は最後の曲の中で「本当に、私たちは、幸せでした」と叫び、高く手を振り、抱き合って泣き、

肩を組んだまま奈落に消えた

▼ほぼ同じ場所で今夜、当時のファン組織、全国キャンディーズ連盟の有志らが企画した「大同窓会」が開かれる。

約1万円の参加費には紙テープ10本が含まれ、2千人の働き盛りがあの日の映像に放つはずだ

▼発起人に名を連ねる大手電機メーカー社員(52)が言う。

「皆でアイドルを超えた存在にしようと燃えた4年間は、人生のベースになりました。

それぞれ成長した全キャン連の仲間と集い、次のステップへの手がかりにしたい」

▼解散宣言の「普通の女の子に戻りたい」は流行語になった。

伊藤蘭(53)、田中好子(51)のお二人は今も芸能界に、藤村美樹さん(52)は家庭にいる。

いずれも参加の予定はない。

されどこよい、普通のおじさんたちが同時代の引き出しを合鍵で開け、少し元気になる。

そしてたぶん、明日の日本も。






一世を風靡した伊藤蘭(53)、田中好子(51)のお二人のキャンディーズも中年のおばさんになっている。

短いスカートで足のままで,その姿で踊りながら歌っていたのが記憶にある。

青春の一部と重なり合う。ピ-ナツという双子の歌手もいたか。









英文科を出た石井桃子さん
101歳で亡くなった児童文学者と
「クマのプーさん」の出会いである







平成20年4月5日の天声人語よりの引用


英文科を出た石井桃子さんは菊池寛の紹介で、犬養毅首相邸に司書として通い始める。

犬養が五・一五事件で落命する少し前だ。

事件翌年のクリスマス、首相の孫らにせがまれ、ツリーの下にあった英書を即興の和訳で聞かせた。

101歳で亡くなった児童文学者と「クマのプーさん」の出会いである

▼読み進むうち、不満げな子をよそに黙読になった。

26歳に起きた「ふしぎなこと」を後にこう記す。

「体温とおなじか、それよりちょっとあたたかいもやをかきわけるような、

やわらかいとばりをおしひらくような気もちであった」(『石井桃子集7』岩波書店)

▼出会いから7年、石井さんが訳した「プーさん」が岩波から出た。

以来、子どもの本ひと筋。


翻訳や創作は200点を超す。

日本の児童文学の至宝だった

▼75年前のイブ、石井さんの即興に笑い転げた12歳は、評論家の犬養道子さんだ。

石井さんのお陰で、戦後は日本中の子が同じ喜びを味わえるようになった。

数え切れない童心が「あたたかいもや」をくぐり、不思議の世界にしばし遊んだ

▼お見かけしたのは1月、朝日賞の贈呈式だ。

体調に配慮し、あいさつなしの段取りだったが、車いすの石井さんはマイクをとった。

静まる会場に「やはりこれは、私の声と名前で」と、短い謝辞が続いた

▼児童書の研究にも足跡を残した石井さんだが、「プー」だけはあえて分析を控えた。

「魔法は魔法でとっておきたいから」。

最後の章まで現役、残り一行まで「子どもの喜び」にこだわり、ノンちゃんが待つ雲に乗った。





児童文学に貢献した石井桃子さんの恩恵に浴した大人たちが大勢いる。

これからも同じ感動を共有し続けて欲しいものである。







淡い色がこの国を染め上げる季節、
「桜男」と呼ばれた人の生涯を追う展示が、
兵庫県西宮市の白鹿記念酒造博物館で開かれている。








平成20年4月6日の天声人語よりの引用


きのうはまだ、ほんの少し早すぎた。

あしたになれば、わずかだけれど、もう遅い。

まさに今日。

そんな盛りの一日が、桜にはあるようだ。

この週末、街に野に、絶頂の一日を迎えた桜木も多いことだろう

▼淡い色がこの国を染め上げる季節、「桜男」と呼ばれた人の生涯を追う展示が、

兵庫県西宮市の白鹿記念酒造博物館で開かれている。

水上勉の小説『櫻守(さくらもり)』のモデルにもなった笹部新太郎である。

私財をなげうって桜の演習林をつくり、何十万本も育てては各地に植えた

▼明治半ばに大阪の地主の家に生まれた。


東大法学部を出たが、思い切りよくエリートコースを捨てる。

組織に属さず、桜を知りつくした園丁として一生を終えた。

現場主義に徹し、名高い植物学者に「暗闇で土を握っただけで良否がわかるか」と啖呵(たんか)を切った逸話を残した

▼その「桜男」の嘆いたのが、人の移り気である。

花の盛りは愛(め)でてやまないのに、散れば忘れてしまう。

じゃまになれば切ってしまう。

「受け身一方の植物は、かえす怨(うら)みの言葉も持ち合わせない」と哀れんだ

▼暖地ではもう、盛りをすぎて落花しきりの木もあろう。

〈桜の花びらが あんなに/思いきって散れるのは/思いもよらないほど/遠い時間にまで/

根が届いているからにちがいない……〉(「さくら」笠間由紀子)

▼遠くから降るような落花は、物言わぬ木々から人への、ひそやかな言葉のようでもある。

耳を澄ませて、春の一期一会を楽しもうか。

「桜男」にしかられぬよう、麗姿をしっかり、記憶に焼きつけながら。





桜も大勢の人たちの努力で残るものである。京都の桜の植木職人の名人とも言われる佐野藤右衛門さんの講演を聞く機会があって

その京都弁で話す語り口がと桜にかける情熱が印象的であった。

それら多くの人たちの情熱でもって桜は守られて来ている。








今年の新人は、買い手あまたの中、
氷の上を滑るように就職できたという
それゆえか、氷上競技になぞらえて
「カーリング型」と呼ぶそうだ







平成20年4月7日の天声人語よりの引用


土日に深呼吸をして、きょうから出社2週目の新入社員もいるだろう。

少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。

周りで先輩風を吹かせている面々も、みんな1年目があった。

仕事は人に、それとはなしの風格を与える

▼今年の新人は、買い手あまたの中、氷の上を滑るように就職できたという。

それゆえか、氷上競技になぞらえて「カーリング型」と呼ぶそうだ。

名付けた社会経済生産性本部によれば、ブラシでこする(励ます)のをやめると、減速したり止まったりしかねない、らしい

▼その年々の新入社員を、特徴的な「型」で言い表すようになって久しい。

過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。

「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった

▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。

気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。

有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い

▼「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」、という。

「後生」は後から生まれた者、若い世代のことである。

可能性に満ち、どれだけ伸びるかわからない。


若者こそ畏敬(いけい)すべきだと、古人は説いた

▼逆を行くような笑い話もある。

ふた言目には昔をほめ、今にケチをつけるご高齢がいた。

ついに「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」――。

「若者けなし」にも通じる戒めに違いない。

他山の石としながら、「カーリング型」にエールを送る。






今年は景気が悪い年だと言うのに就職戦線は楽のように感ずる。企業は儲けているのか。

格差は広まるばかりなのかどうか。

ふた言目には昔をほめ、今にケチをつけるご高齢がいたという部類に入るのか

年金生活者にとっては大変な時代になってきているように思えるのだが。









今月から始まったメタボリック症候群の健診制度も、
やせる努力をという旨を狙っているふしがある






平成20年4月8日の天声人語よりの引用


1年で50キロ減量した評論家の岡田斗司夫さんは『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)で、

太ければ太っている分だけ損をすると言い切る。

見た目で不当に評価されたくなければ、やせる努力をという旨だ。

周りの視線を力に転じ、己を変えよと

▼今月から始まったメタボリック症候群の健診制度も、そこを狙っているふしがある。

わが身に測られたくない場所は多々あるが、その一つ、腹回りの測定が40歳以上に義務づけられた。

顔を赤らめ、巻き尺を引き絞ってもらったところで、男のメタボ基準とされる85センチは遠い

▼さらに血圧などが一定値を超せばメタボと判定され、専門家の指導を仰ぐ。

内臓脂肪が引き起こす病の怖さは知りながら、健診の苦手科目がまた増えたと浮かぬ顔も多いのではないか


▼新制度いわく。

膨れた医療費を削るには膨れた腹を削るべし。

だが、着衣のままや、自分で測ってもいいらしいと聞けば、そもそも腹が本当に決め手なのか疑いたくもなる。

国公認の「準病人」を増やし、医療ビジネスが肥えるだけ、との見方もあるようだ

▼「腹回り絶対主義」に異を唱える医師、鎌田實さんは、肥満と正常の境目の「ちょい太」がよろしいと、うれしいことを言う。

170センチなら75キロあたりが「ちょい」だとか

▼メタボの響きは情けなく、肥満の森で途方に暮れる様は「迷太暮」とでも当てたくなる。

あげくに国策で腹をさらし、恥をさらす。

それを減量の糧にしようがしまいが、体は自ら律するしかない。

まずは「ちょい」に向かってぼちぼちいくか。





メタボリック症候群を意識している人たちがはたして検診に参加するだろうか。

メタボの「言葉」の普及にはやくだっているが,検診そのものには「基本検診」の方が有意義だ。

むしろタバコの害に対して禁煙運動を推進するこのの方が膨大な成人病を防ぐことに役立つ。

方法はいたって簡単だ。タバコを政府が売らないことである。

長年の喫煙習慣でニコチン中毒にかかり苦しんでいる人たちが多い。

そしてタバコを止められないでいる。

タバコの害の方がメタボよりも深刻で膨大な数で奥深いものがある。

何故に簡単なことが実行できないのか,衆参両議院内での禁煙運動の差にも出てきているようにも思う。

これは国民の健康への関心度, 医療制度の改悪に見るように政府・自民党の取り組み方の違いよるものである。









北京五輪の聖火リレーが散々な目に遭っている






平成20年4月8日の天声人語よりの引用


光と熱の母として、原始の野で大勢が囲んだ名残だろうか。

炎には、群衆の視線を束ねて一つところに向ける力が宿るようだ。

五輪を宣伝しようとする者は火を世界に走らせ、異議を唱える者もまた、その行く手に集まる

北京五輪の聖火リレーが散々な目に遭っている。

ロンドンとパリで、中国のチベット政策に抗議する人たちが実力行使に出た。

聖火がゆくのは、表現の自由が根づく街だ。

その火は、祝意と敵意を等しく引き寄せる。

沿道に待ち構えるメディアは、火に群がるすべてを伝える

▼見せるための火が二重三重の人の壁に守られ、結局バスに収容されては意味がない。

単なる「種火の運搬」である。


これほどの逆宣伝はなく、中国政府は頭を抱えているだろう

▼いまトーチの先で赤く燃え、国から国へと運び継がれているのは国家の威信だ。

だから、反体制派は体を張って吹き消そうとする。

消えればバスの種火からまた点火し、炎の奪い合いは北京へとなだれ込む。

開会式や各競技の表彰式も安心できない

▼聖火リレーの映像は「編集」の上、中国国内でも流された。

チベット問題を巡る欧米の厳しい空気を知らねば、スポーツの祭典への抗議や妨害は理解を超えよう。

それが起こりうる社会は、さらに不思議に見えるかもしれない

▼五輪本番へ、中国大衆はなじみの薄いものにまだまだ接するはずだ。

それで民主化が少しでも進むなら、祝祭に水を差す騒ぎも無駄ではない。

そんな救いを求めてしまう。

聖火は「人権のフランス」から「自由のアメリカ」へと渡る。





聖火リレーはどうしてあるのか。さらにはオリンピックは何故あるのか根本的に考え直すべきで

争いの種になっている。中国人の人たちの愛国心はよく理解できるが。

誰もは「愛国心」の恐ろしさの一端を世界のメディアが報道してくれてる。

「愛国心」が争いのもととなり 戦争の原因になることが理解できた聖火リレーである。

愛国心が第二次大戦でも日本政府でも利用され, イラク戦争でもアメリカおいて利用されてきている。

愛国心のない人間は非国民と決め付てられてゆくことの恐ろしさを客観的に観察でき,犯罪者となる事の恐ろしさがわかる。








日銀総裁のイスがようやく埋まった
これまで「総裁を補佐する適任者」とされてきた白川氏は、
己が何者か自問していよう








平成20年4月10日の天声人語よりの引用


駅のトイレで「清掃中」の札に青くなった経験はどなたにもあろう。

金融関係者が足踏みして列をなす中、「政争中」の札がかかった日銀総裁のイスがようやく埋まった。

白川方明副総裁の、異例のずり上がりだ

▼現代史において最も劇的に「副」が外れたのは、今年が生誕100年のジョンソン米大統領だろう。

ケネディ大統領がダラスで暗殺された約2時間後、遺体を収容したエアフォース・ワン機内で、第36代への就任を宣誓した

▼片や日銀人事。

政府が第30代に推した武藤敏郎、田波耕治の両氏も衆目の中で、民主党にけられて散った。

これまで「総裁を補佐する適任者」とされてきた白川氏は、己が何者か自問していよう。

玄人評は悪くないようだが、つくづく妙な人繰りだった

福田首相は財務省OBの登用にこだわり、民主党の小沢代表が端からつぶしていく。

功成り名を遂げた人たちに不適任の断が下った。

「大連立の友」とは思えぬ意地の張り合いだ

▼昨日、両人が党首討論に臨んだ。

日銀人事がよほど腹に据えかねたのだろう。

首相は「権力の乱用」「ほんろうされた」と、いつにない糾弾調で民主党を責めた。


下げ止まらぬ支持率に怖いものがなくなったか、吹っ切れたように、頭も口もよく回る

▼「おかゆしか食べていない」小沢氏も、官僚支配への批判で筋を通した。

互いの口の端には戦う覚悟もにじみ、前回よりずっと面白い。

「誰とお話をすれば信用できるのか」と首相。

話ができない時の選択肢は少ない。

国民が足踏みして待つ政治決戦が近いのか。






政党同士の争いは大いにやっていただきたいことである。

大連立とか大政翼賛会のようにすべで挙国一致になる時代が一番恐ろしいことを

我々日本人は体験してきている。貴重な体験はいつまでも忘れずにおこう。

政党同士が言論でもって大いに戦って欲しい。








06年2月10日、トリノ冬季五輪の開会式
ルチアーノ・パバロッティの熱唱「高音の王様」は
4カ月後に膵臓(すいぞう)がんと診断され、
07年9月に71歳で逝った








平成20年4月11日の天声人語よりの引用


「私は勝つ。

勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった――。

06年2月10日、トリノ冬季五輪の開会式。

ルチアーノ・パバロッティの熱唱を伝える小欄である。

ただし〈テレビで見る限り〉として

▼寒空の下に流れたアリア「誰も寝てはならぬ」は、13日後、荒川静香さんに金メダルの滑りをさせた曲でもある。

あの夜の名テノールが「口パク」だったと聞いて、しばらく本当に寝られないファンもいよう

▼当時のオーケストラの指揮者が、近著で「歌も演奏も録音だった」と打ち明けた。

映像を確かめてみた。

歌い手は左手に白いハンカチを握りしめ、太い眉を八の字にし、口を大きく丸く開けている。

ただならぬ存在感だ。

弦楽の奏者たちもしっかり弓を動かしていた

▼「高音の王様」は4カ月後に膵臓(すいぞう)がんと診断され、07年9月に71歳で逝った。

トリノの頃はすでに痛みを覚えていたらしい。

]
当日は体調を考え、数日前に別々に吹き込んだ歌と演奏を会場に流したという

▼これが最後の大舞台となった。

拍手と歓声に向かって右手で投げたキスは、母国での大役を「無事」に務めた喜びか。

いや、歌の神様への感謝、謝罪、そして別れだろうか

▼かつて、一度の野外公演で何十万人もを酔わせた声楽家にすれば、歌うふりは恥ずべきことかもしれぬ。

だが、これで彼の「勝利」が消えるはずもない。

大声で弁護はしないが、現にあの夜も、世界中の何億人かが酔った。

「それも芸じゃないか」と、口だけ動かしてみる。




病は何時・何処で誰に襲うかはわからない。でも一次予防として癌にならないような生活習慣を身につけ注意することである。

二次予防としては早期発見早期治療にある。癌になり易い体質があるが,でも環境で変えることにより予防が出来る。

食べ物 運動 ストレス 煤煙とか喫煙者の横には行かないとかの日ごろの注意が必要である。

癌は身から錆びとも言える所もあるが。お互いに注意には怠らないことである。

男性は二人に一人 女性は三人に一人が癌になるとも言われている。








米国で出回り始めた白い光は約70年、
蛍光灯は高度成長期に広まり、
今では日本の照明器具の65%。
白熱灯が7割に近い欧州とは逆だ。







平成20年4月12日の天声人語よりの引用


日本で初めて、まとまった数の蛍光灯がついたのは1940(昭和15)年、法隆寺の金堂だったとされる。

壁画の模写を国に頼まれた大画家たちは、何より明るさを求めた。

当時、米国で出回り始めた白い光は、堂内の暗がりに「昼の戸外」を連れてきた

▼それから約70年、蛍光灯は高度成長期に広まり、今では日本の照明器具の65%。白熱灯が7割に近い欧州とは逆だ。

白熱灯より高価だが、消費電力は5分の1で、6倍長持ちする


▼甘利経産相が、家庭の白熱灯を12年までに蛍光灯に入れ替えたいと表明した。

強制はせず、メーカーにコスト減や新製品の開発を求め、販売店にも協力してもらうという。

白熱灯を減らす動きは欧米にもある

▼だが、照明デザイナーの石井幹子(もとこ)さんは疑問を投げかける。

「白熱灯でなければ出せない輝きや陰影がある。

『適光適所』で使い分けるのが豊かな暮らしだ。


日本の電球型蛍光灯は素晴らしいが、白熱灯でも効率の良いものがあるので、選択肢は残してほしい」

▼割安で、あまねく光が及ぶ蛍光灯は、公共施設やオフィスに向く。

初の用途も作業灯だった。

片や、光に温かみのある白熱灯は、明暗の調節がしやすく、生活の場面を自在に演出できる。

「赤ワインの色味(いろみ)もグラスの輝きも違う」(石井さん)そうだ

▼節電もせず大きなことは言えないが、環境対策で「適光」の一つが消えるのは寂しい。

照明は家庭の消費電力の2割に満たない。

あふれる自販機、明るすぎる店や事務所、だらだらと続く残業。

先に「消灯」すべきものは多い。





火による光は文明への証である。アンドンから電灯へ そして蛍光灯に変ってきている。

さらに光の不夜城はなってゆくのがよいものかどうか。夜は休み寝るのが一番である。

不夜城は人間の営みに相反しているような気がする。蛍の光窓の雪で学んでいた昔が奥ゆかしくて良かろう。






そういえば漢字の狸(たぬき)は、「けもの偏」に「里」と書く






平成20年4月13日の天声人語よりの引用

 キツネにくらべると、タヌキはどこかとぼけている。

ともに「化ける」ようだが、キツネの七変化に対し、タヌキはもっぱら縞柄(しまがら)の着物である。

ときおり化けそこなって、しっぽを出しているそうだ

▼そのタヌキが、せんだって、東京西郊の狭いわが庭にデンと座っていた。

目が合っても逃げず、悠々たる風体だ。

そういえば漢字の狸(たぬき)は、「けもの偏」に「里」と書く。

もともと人里近くで生きる身近な動物だったのだと、太めの腹を眺めつつ合点した

▼人と建物のひしめく東京23区だが、都市動物研究会によれば千頭ほどいるそうだ。

すみにくいだろうと不憫(ふびん)がるのは、よけいなお世話らしい。

近づかず、騒がず、食べ物を与えず。

何事もなかったようにしているのが、タヌキには一番という

▼人のもたらす「ありがた迷惑」が、動物界には少なくない。

これからの季節は、巣から落ちたヒナを拾うのもその一つだ。

ヒナが落ちても、親鳥は世話を続けていることが多い

▼良かれと動物病院へ持ち込んでも、それは「誘拐」。

そっとしておいてと、日本野鳥の会などがキャンペーンを始めた。

弱って死んでも、それが食べ物になって別の命を育む。

「自然界の命の原則は、他の生き物の食物になること」と安易な感傷を戒める


▼利口なゆえでもあるまいが、キツネは「東京砂漠」からは早めに姿を消したそうだ。

その点、タヌキは人付き合いが良い。

〈山里は狸もまじる踊哉(かな)〉花弄。

ご近所でいられる愉快とともに、さまざまな命あふれる盛んな季節を、おせっかいなしで見守ろう。







狸も狐も実物は見たことがない。動物園に行けば見ることができるが大人になってからは行った事がないので見ない。

でも人間の狸らしい人,狐らしい人にはでくわすことはあるが始めは狸なのか狐なのかは判らないことが多い。

正直な人と思いつきあっていて狸だなときずくことがあるが,それも不確かなことである。

狸や狐は都会では滅多にでくわすことがない。

お稲荷さんでは狐が神さんのお使いだとして信仰されている。








静岡県牧之原市の東名高速で、
大型トラックの左後輪の一つが外れた








平成20年4月14日の天声人語よりの引用


高速道路を走っていると、思いがけない事象に出合う。

窓の雨粒は風にあおられ、時に下から上へと流れる。

前の車がはね上げた小さな異物が、フロントガラスにバチッと当たる時の緊張も忘れがたい

▼大きな穴が開いた運転席の写真を見て、うろ覚えの物理の公式が浮かんだ。

動く物体に宿る運動エネルギーは、その質量と、速さの2乗に比例する。

まさに「高速の魔界」を物語る事故といえる

静岡県牧之原市の東名高速で、大型トラックの左後輪の一つが外れた。

重さ約100キロのタイヤは中央分離帯で弾み、対向車線を走って来た観光バスに飛び込む。

その日が誕生日という運転手の関谷定男さん(57)が亡くなり、乗客7人が軽いけがをした

▼41人乗りのバスが横転でもすれば大惨事になるところだったが、スーッと止まったそうだ。

確かな技量と人柄で、客の指名も多かったという関谷さん。

人生の最後にかけたブレーキが、多くの命を救った。

プロの仕事である

▼タイヤをトラックに固定するボルト8本のうち、2本はもともと折れていたらしい。

整備不良と、荷の積み過ぎが疑われている。


黒い塊となって宙に舞った怠慢や不運の一切を、関谷さんが一身に引き受けた

▼大型車のタイヤ脱落事故は昨年だけで41件あったという。

これからの観光シーズン、巨体とすれ違うたびに首をすくめる人がいるかもしれない。

強大なエネルギーが行き交う道路では、過失や違反の結果も増幅される。

過当競争でゆとりが乏しい運輸業界だが、プロの技量と心構えに積み過ぎはない。






自動車のタイヤが外れるなんて思いもよらないことである。大事故につながる可能性は充分ある。

整備の喧しい日本でも大型車では起こる確率がたかいようだ。

過当競争でゆとりが乏しい運輸業界とは悲しい政治の現実である。







後期高齢者、改め通称「長寿」医療制度で、
最初の保険料が832万人の年金から天引きされた




平成20年4月16日の天声人語よりの引用


職人の手間賃を差っ引いて親方いわく。

若さに任せて遊びにつぎ込んじゃいけねえ、ためといてやろう。

それは美談だが、抜いた金で親方が遊んでは、ただのピンハネだ

▼後期高齢者、改め通称「長寿」医療制度で、最初の保険料が832万人の年金から天引きされた。

バタバタと動き出した新制度は、保険料の誤徴収、保険証の未着と混乱の中だ。

説明不足を「まずかったなと反省」(首相)しても遅い

▼病気になりやすいお年寄りに、広く薄く、地域ごとに自己負担の網をかけ、医療費の膨張ペースを抑える仕組みだ。

とはいえ、老後の真ん中に「後期」という線を引いた冷たさと鈍感。

余生を楽しむ「75歳からの夢」には程遠い、長生き損の社会を予感させる

▼都市部の低所得層には負担が急増する人も多い。

支出の痛みを和らげる措置はいずれ終わる。

そこで、東京都などは独自に、保険料の一部を公費で肩代わりしたという。

支出と負担を地域で連動させる理念が、早くも揺らいでいる

▼あいにく、日の丸印の「親方」には無駄遣いの癖がある。

社会保険庁や国土交通省は、自前の財源を好きに使っていた。

でたらめな支出を許し、お粗末な年金行政の始末もつかないうちに天引きかい。

値上げ満開の列島に不満が募る

▼「天引かれ」の日に、衆院山口2区の補選が告示された。

自民が担ぐのは国交省OB、民主の候補は旧大蔵省出身で国税庁にもいた。

同じ元官僚でも、税金の「出」と「入」に携わった者の争いだ。

道路にせよ医療にせよ、使い道を論じる絶好機だろう。






「天引かれ」の日が来るとは夢にも思っていないことが法律として元小泉首相のもとで成立されていたようだ。

高齢者の年金から天引きするか否か「イエスかノ-」て゜選挙で戦っていれば反対の人たちが多かったと思う。

高齢者が増えてゆくために応分の責務をその人たちにも負担してもらうのが理由のようだが,

そのようなことは初めて知ったことである。

今の高齢者は戦後の貧しい時代を歯をくいしばり生きぬいてきた世代である。

一生が政治の犠牲者として終わるのかと思うと悲しいことである。

何をするにも自民党は衆議院で三分の二の大多数の議員を占めているからなんて゜も出来る。

その権利をば大切に行使するために解散は出来るだけしないでおこうとの考えのようである。

国民不在の民意はどうでもよいことであるようだ。

,ただ自民党の思うように権力行使できるならばなんでもやりますよというのが自民党の理念のようだ。

そして応援してくれる人だけは個人的に便宜を図ってやりますとの政治姿勢のようにしか見えてこない。

日本は社会保険庁や国土交通省は、自前の財源を好きに使っての役人天国でもある。













新型ウイルスへの備えが、いよいよ動き出す






平成20年4月17日の天声人語よりの引用


劇作家の島村抱月が「スペインかぜ」で急逝するのは1918(大正7)年の秋だ。

相愛の女優、松井須磨子は2カ月後に自ら後を追い、劇中歌「ゴンドラの唄」の詞〈いのち短し恋せよ少女(おとめ)〉を地でいく。

大正ロマンに影をさすこの病は、日本だけで40万人の命を奪った

▼90年前と同様、鳥インフルエンザが人から人にもうつり始め、免疫のない人類に大流行――。

これが今語られる新型インフルの恐怖だ。

国内で数十万人が亡くなると心配される新型ウイルスへの備えが、いよいよ動き出す

▼感染の危険に身をさらす医師や検疫官ら6千人へのワクチン接種が、

世界に先駆け年内にも始まるという。


副作用がないと確認されれば、他の医師、看護師、警察官や国会議員ら「社会機能の維持にかかわる」1千万人への接種も考える

▼国が備蓄する2千万人分のワクチンは、鳥インフルのウイルスから作った「大流行前ワクチン」で、未知の新型に効く保証はない。

新型が出現したら、それをもとに全国民分を大急ぎでそろえるしかない

▼感染症でも地震でも、今見えぬ敵に備えるのは難しい。

恐ろしげな数字が独り歩きし、逃げ場のない人々は焦るか、思考停止に陥りかねない。

右にパニックの谷、左に絶望の淵(ふち)。

間の細道で「国家の総合力」が試される

▼政府の意識調査によると、国を愛する気持ちが他より強いと答えた人が57%もいた。

77年にこの質問を始めて以来の記録という。

そういう民であればこそ、国は人事を尽くして守らねばならない。

「愛される者」の務めである。







これでは世界に先駆け,医師や検疫菅の6千人が強制的にモルモットのようなことがなされることになる。

日本単独で新型インフルエンザを防止しようとする考え自体が間違っている。

これこそ世界と緊密な連携して進めなければならないことである。

何故にそんなに急ぐことなのだろうか。

ワクチンの製薬メーカーとの密約でもあるのかと思うような奇想天外のことが突然に発表されている。








東京都が夏から、低所得世帯向けに、
受験生の塾代を無利子で貸し出すそうだ







平成20年4月18日の天声人語よりの引用


携帯の画面を見て、高校3年の麻未さんは心で手を合わせたに違いない。

〈受験費用心配しなくて良いからと父のメールに涙こらえる〉。

1月の小欄でご紹介した現代学生百人一首(東洋大学主催)の入選作である

▼縮む家計に、教育費はずっしり重い。

台所を気遣う娘がいれば、余計なことは考えるなと励ます父がいる。

事情が許さず、望まぬ選択を迫られる親子もあろう

東京都が夏から、低所得世帯向けに、受験生の塾代を無利子で貸し出すそうだ。

中学3年なら平均的な通塾費の6割にあたる年15万円まで、高校3年の上限は20万円で、受験料も貸す。


合格したら返済の免除も考えるという。

全国初の試みで、希望者は中高合わせて3千人弱とみる

▼教室でやるべきことを外に放り出した、という批判はあろう。

確かに、学力の底上げは公教育の仕事だが、入学試験の多くは基礎学力「プラスα」の部分で争われる。

そこで負けまいと、東京の中学生は7〜8割が学習塾に通う

▼だから、学校の勉強だけでは学力や受験技術に差がつく。

家が富めるほど進学や就職に有利で、豊かでない家庭の子は人生の出発点でハンディを負う冷たい現実。

公費による支援で、これをどこまで突き崩せるか注目したい

▼日本学生支援機構によると、06年度の大学生の生活費は年72万円だった。

ピークの00年度から21万円の減だ。

親の収入や仕送りが細り、娯楽や食費を切り詰める姿が浮かぶ。

合格に金がかかり、入学でまた金が去る。

涙をこらえた麻未さん、アルバイトを始めた頃だろうか。






塾で余分な勉強しなければ良い大学に進めないこと自体がおかしい話である。

欧米のように多勢を大学に入れてどんどんと勉強しない人は落としてゆ制度の方がましである。

勉強熱心な人に奨学資金をそこで貸し与えればよいことである。

入学しても後は勉強しなくてもトコロテンのように卒業できる制度はいかがなものであろうか。?

格差社会の歪が入学試験までも影を落としているとは。

それもこれではさらに住んでいる町の格差を増長するようなことにはならないのか。







そんな平日の正午、
激しい直下型地震が東京を襲い、
交通がまひしたらどうなるか







平成20年4月19日の天声人語よりの引用


 腹回りをどうにかしようと、たまに家から職場まで歩く。

最短コースは早足で2時間半。

昼時がオフィス街にぶつかると、ペースは鈍る。

ランチ族が歩道にあふれるためだ。

人の波は侮りがたい

▼そんな平日の正午、激しい直下型地震が東京を襲い、交通がまひしたらどうなるか。

中央防災会議がまとめた「帰宅行動」の予測は空恐ろしい。

働く人、学生、買い物客ら1250万人が徒歩で自宅をめざし、うち200万人が満員電車なみの混雑に3時間以上も巻き込まれる

▼満員電車とは、1メートル四方に6人以上が立つ状態だという。

これで牛歩を強いられては、想像するだに息苦しい。

しかも、障害物の間をぬい、愛する人を案じながらの道中である

▼あらかじめ、連絡手段や集合場所を決めているご家族もあろう。

落ち合う先は「ハチ公前」とかではなく、自宅かその近くという選択が多いはずだ。

みんな無事か、家は大丈夫か。

つかめぬ情報に不安は募り、「満員」にもまれる背中を押す

▼そう考えると、天変地異には、独り身で財を持たぬ暮らしが強い。

例えば俳聖芭蕉である。

〈ものひとつ瓢(ひさご)はかろき我が世かな〉。

瓢は米などを入れる瓢箪(ひょうたん)。

庵(いおり)にあるのは中身も軽い瓢のみだと、貧しくも気楽な境遇を詠んだ。

大地震に遭えば、旅に出ただろう

▼だが、現代人に「世捨て」は難しい。

せめて非常時の連絡法を学び、牛歩に加わらない手はずを整えたい。

家族の安否を確かめ、自宅までたどりつけるルートを見極める。

帰宅を半日でも待てる心のゆとりが、きっと自他を救う。






台風は予知できるが地震は予知が出来ない。人間である限界を知る天災でもある。

地震国日本ではそれに耐えるような建物は建築できるはずである。

立っている地面がゆれるのだから恐ろしいことである。

過密化する都会を過疎化した地方に分散できる社会を作ることは人間として出来る可能なことである。

地方にいては働き口がないような社会をなくすことが過密を防ぐ一番のことである。

昔の街道筋の町が廃れていっているのを良く見かけている。









「月夜の詩人」と呼ばれた吉川行雄の作品の一節である
天気しだいでは「おぼろの満月」が浮かぶかもしれない







平成20年4月20日の天声人語よりの引用


冬の夜の「冴(さ)え」に対し、春の宵は「おぼろ」である。

湿気を含んで潤んだ大気が、ものうい気分をかもし出す。

歳時記によれば昼間は霞(かすみ)と言い、日が落ちてからを「おぼろ」と呼ぶそうだ

▼こよいは東の空に満月が昇る。

月の出と日の入りは、ほぼ同じになる。

蕪村が〈菜の花や月は東に日は西に〉と詠んだのは、いまごろのことか。

天気しだいでは「おぼろの満月」が浮かぶかもしれない

▼〈うすいおぼろに、/いぶされて、/月は魚になりまする。

/ほそい木にゐる、/丹頂(たん・ちょう)も、/とろり、とぼけて飛びまする……〉。

ご存じない方がほとんどだろうが、「月夜の詩人」と呼ばれた吉川行雄の作品の一節である。

小さな朗読会がきのう、東京であった

▼吉川は明治の末に山梨で生まれた。

少年時代の病で体が不自由になり、窓から月を眺めて暮らした。

6畳の部屋から詩心を羽ばたかせ、30歳の早世までに、月夜を美しく詠んだ童謡詩を多く残した


▼いつしか忘れられたが、3年前、金子みすゞを再発見した童謡詩人、矢崎節夫さんの目に留まる。

評伝が刊行され、ふたたび静かな光を放ちはじめた。

しゃれた作品もある。〈月のランプに/うつすらと、/雲のカーテン/ひかれます。

/いちごばたけの/いちごには、/霧のミルクを/そえましよか……〉

▼人は子どもであることを捨てて大人になるのではない。

そんな、「童心」をいつくしむ思いが詩文ににじむと矢崎さんは言う。

こよい春の満月を仰ぎ、手を伸ばして取ろうとした幼い日を懐かしむのも、悪くなさそうだ。






空を仰ぐことが少ないような生活をしている。

昔の人と現在人とどちらが幸せでゆったりした時間を生活しているのかはわからない







茎のない花、花のない茎が、この春、
各地で痛ましい姿をさらしている






平成20年4月21日の天声人語よりの引用


フランスの詩人ネルヴァルに「蝶(ちょう)」という長い詩があって、故・井上究一郎が訳をつけている。

〈蝶、ひらひらとぶ、茎のない花、網に摘む花……〉。

緑の草の上を、愛の思いのように飛び過ぎていく。

だが美しさゆえに不幸がくる、と詩は続く

▼詩人の想像に相通じる、茎のない花、花のない茎が、この春、各地で痛ましい姿をさらしている。

美への嫉(ねた)みでもあるまいが、切ったり、踏み荒らしたりする犯罪が後を絶たない

▼前橋では今月上旬、目抜き通りのチューリップ約千本が切られた。

警戒を強めたものの、再びやられた。

2度目の事件では、根の近くまでえぐったものもあった。

「憎悪を感じる」と言う緑化担当者の印象が恐ろしい

▼福岡、静岡県でもチューリップが荒らされた。

静岡の花は、落命した女性サーファーを偲(しの)んで仲間が植えたものだ。

「花に嵐」のたとえもある。

風雨に散るならやむを得ないが、蛮行の果てでは、故人も仲間も悔しいだろう

▼他人を信じにくい世の中になりつつあるのか。

きのうは長野の善光寺で、本堂にスプレーの落書きが見つかった。

寺は、五輪聖火リレーの出発地を辞退したばかりである。

境内は24時間、善男善女が自由に入れるそうだ。

だが「善」ばかりでないなら、見直しの声も出かねない


▼かくて、おおらかさの灯(ひ)は一つ、二つと消え、人を見たら泥棒と思えとばかりに、世は息苦しさを増していく。

疑心暗鬼の影さす中に、皮肉な金言だけがてらてら光っている。

やりきれない流れに、花荒らしも落書きも一役を買っている。





公共のものは大切にする心が失われれてきているのか。人々の努力に対して感謝の念があれば荒らすような

心は湧いてこないものである。人々のオカゲで自分があることを忘れがちになってきている。

ほんの僅かな人たちのことだけだろうとは思うが。









回答した約千人の83%が、
物価高で生活が苦しくなったと訴えた
31%が健康を損ねているが、
仕事は休めない








平成20年4月22日の天声人語よりの引用


夫は51歳で自ら死を選んだ。

その女性(41)は3人の子を抱えて、不整脈を薬でだましながら介護ヘルパーを続ける。

「稼ごうとすれば、子どもたちといる時間がなくなる。

なんともならない不安でいっぱいです」と書いてきた

▼必需品が値上げされる中、立場の弱い母子家庭は大丈夫だろうか。

子どもたちを支える「あしなが育英会」がこの春、高1か中3の子を持つ母親に調査票を送り、暮らし向きを聞いた

▼ある女性(48)は、専門学校をあきらめて就職する子に「胸を締めつけられる」という。

保険の営業とスナックで昼夜働き、過労のため体調は優れない。

「子どもの気遣いは手に取るように分かるけれど、笑顔でいられない日も多く、情けない」

▼回答した約千人の83%が、物価高で生活が苦しくなったと訴えた。

31%が健康を損ねているが、仕事は休めない。

苦しい家計ゆえに学習塾や参考書、修学旅行を我慢させた、部活をやめてもらったと、自分を責める言葉が並ぶ

▼育英会に高校の奨学金を申し込んだ母親の平均年収は、98年の200万円から06年には137万円にまで下がった。

自立支援の名の下に、遺族年金や児童扶養手当も削られつつある。

「一つつまずくと、どんどん落ち込んでいく」。つらい独白だ

▼悲運を乗り越えようと、母さんが懸命に働き、子が耐え忍び、それでも幸せの手掛かりをつかみきれぬ家族がいる。

この現実を、哀れという言葉で片づけたくはない。

週末の駅頭、遺児らが抱える募金箱に駆け寄りながら思った。

政治は何をしているのか。






平和な世の中で大変なことになっている。政治家は己のことだけを考えずに国民のことを考え仕事するのが

本業である。つい己のことが優先しがちになるのは人間の心理として理解はできるが

立派な政治家が多勢輩出して欲しいものである。物価が上昇して給料が上がらないとなると今の景気は深刻である。








9年前に起きた母子殺害事件で
差し戻し控訴審判決で、裁判長は一、二審の無期懲役を覆し、
犯行時に18歳だった被告に死刑を言い渡した





平成20年4月23日の天声人語よりの引用


ひと日着て残る体温いとしみつ青さ薄れし囚衣たたみぬ〉島秋人。

24歳で殺人を犯し、33歳で刑死した男性が詠んだ。

一日の終わりにかみしめる、命あることの喜び。

深い悔いと、生への感謝が鮮烈だ

▼自分が裁判員だったらと、天を仰ぐ。

山口県光市で9年前に起きた母子殺害事件である。

きのうの差し戻し控訴審判決で、裁判長は一、二審の無期懲役を覆し、犯行時に18歳だった被告に死刑を言い渡した

▼心にくっきりと結ぶ像がある。

まず幼子を抱く本村弥生さん(当時23)。

写真の母子に体温は戻らない。

そして死刑を求める夫の洋さん(32)


煮えたぎるものを、これほど静かに、強く語れる人を知らない。

事件のむごさを思えば、極刑も一つの判断だろう。

もちろん、迷いもある


▼NHKと民放の放送倫理・番組向上機構(BPO)は、判決に先立ち、

情報番組の扱い方について「〈奇異な被告・弁護団〉対〈遺族〉の図式を作り、その映像を見て感情的な言葉を口にする」と指摘した

▼影響されていない、と言い切る自信はない。

いつの間にか、洋さんと一つになっている自分がいる。

片や被告の印象は、法廷スケッチの後ろ姿だ。

少年時の表情や息づかいに接していれば、別の思いに至ったかもしれない

▼1年ほどで裁判員制度が始まる。


一審のみとはいえ、恐らくは証拠と感情が折り重なった部屋で、他人の人生や、時には生命までを処断することになる。

「くじ運」次第で、あなたも私も。

36度の温(ぬく)みを持つ体を、茶の間ではなく目前で裁く用意はあるだろうか。






被害に合われた家族の死刑にしたい気持ちは痛いほどに理解できる。

世界的に死刑が少なくなっている情勢で死刑で又他の人が死んでゆくのはどうだろうか。

死刑になれば亡くなった方が生き返るのであれば話は別だが。

又一人死ぬことになる。

今の法務大臣は死刑を軽く見ておられるようで大臣にふさわしい人だろうかと疑問に思うことがある。

誰の人の命も命は非常に大切である。








野村証券に勤めていた中国人が、
在日の同胞2人とともに
インサイダー取引の疑いで逮捕された








平成20年4月24日の天声人語よりの引用


 日露戦争後の大相場と、その後の暴落を通じて財をなしたのが、大阪の株式現物問屋、野村徳七商店だ。

店主の徳七は、大枚をはたいて世界一周の旅に参加したのを境に、猛然と組織の近代化に乗り出す

▼まず、丁稚(でっち)からの店員ばかりではだめだと「学校出」を採り始めた。

次いで店員の自己売買を厳しく禁じた。

「証券業者の品位を高め、その地位の向上を図るというところに、その真意があった」(野村証券50年史、76年刊)

▼創業者も泣いていよう。

野村証券に勤めていた中国人(30)が、在日の同胞2人とともにインサイダー取引の疑いで逮捕された。

内部情報を悪用し、不正な売買で4千万円もの利益を得ていたという

▼元社員は、買収などの戦略を一般企業に指南する部門にいた。

飛び交う極秘情報は、ゆめゆめ「株価の材料」などではなく、顧客とを結ぶ商いの糧だ。

売り物に手をつける社員がいては、おちおち相談もできやしない。

会社は「個人的な行為」というが、これが情報管理のほころびでなくて何だろう

▼世界の成長市場をにらみ、野村は優秀な外国人の採用に力を入れていた。

元社員も京大で学んだ「学校出」である。

選ばれし才覚を、何を間違えたか私腹のために使ってしまった。

エリートにも色々あるから油断ならない

▼国際企業なら、多国籍の社員がデスクを並べる光景は日常だ。

持ち寄る文化や習慣は会社の財産ともなろう。

だが時に、社史に刻まれた苦楽や功罪に無頓着で、ついでに職業倫理もお構いなしという馬鹿者が、品位と地位をけ落とす。





不正でもってお金を稼いでいる人で,正直者は馬鹿をみることになる。

取締りを強化して欲しいものである。会社の責任も極めて重いものがあるはずだ。






有毒ガスの硫化水素を使った自殺が続いている







平成20年4月25日の天声人語よりの引用


水木しげるさんが青森の地蔵堂を訪ねた時のことだ。

堂内には、軍帽や学生服を着けた異様な地蔵たちが並んでいた。

漫画界の妖怪博士は、生者でも死者でもない、そこはかとない物悲しさを感じ取る。

「一種の霊気」のようなものだった(『妖怪画談』岩波新書)

▼水木さんが世に出した鬼太郎は、髪を妖気のアンテナとし、忍び寄る不吉な事物を察知できる。

その怪しい「気」は、漂う時と場を選んでこそ物語の起点となる。

ところ構わず噴き出しては、趣もへったくれもなかろう

▼有毒ガスの硫化水素を使った自殺が続いている。

なにぶん姿もなく小穴を抜ける気体のこと、巻き添え被害が後を絶たない。

おととい少女が亡くなった高知県香南市の市営住宅では、80人が病院に赴く騒ぎになった

▼硫化水素による自殺はこの春、一気に増えた。


日用品からガスを生む手法がネット上に出回り、そうした願望に捕らわれた若者らに広まったらしい。

ネットの教え通り、戸口などに「毒ガス発生中」の張り紙をして事に及ぶ者も多い

▼ネットでまず浸透したのは、練炭で一酸化炭素を発生させる手だった。

「気」をかえ品をかえ、死への執着は模倣の輪となり、新しい地蔵様が増えていく。

知識を得んとキーを打ち、注意を促す紙を出す。

「つながりたい」思いと手間を、なんとか生きる力に転じられないものか

▼逝く者とこの世を最後に結ぶのが毒の気とあっては切なすぎる。

張り紙で駆けつける善意の人を筆頭に、近隣にこれ以上の仕打ちはない。

肉親の悲嘆が倍加するだけだ。





有毒ガス「硫化水素」は極めて危険で一呼吸二呼吸数だけで死んでしまうらしい。自殺者に利用されている。

自殺はある種の病気の状態で生きたいとする気持ちが人間の本能なものである。

まず精神科に罹るように社会がもっと啓発運動すべきである。ここにも政治の閉塞感が忍び寄った結果ともいえるのか。?








いま思えば、新社会人に「どうでもいいやつ」がいるはずもない。
戦力と見込まれて飛び込んだ職場である








平成20年4月26日の天声人語よりの引用


48年前、明治大学の山岳部が白馬(はくば)で入部歓迎の合宿をした。

数十名の新入りで最初にバテたのは、小柄な農学部生だった。

よく転がるのでドングリのあだ名がつく。

後に、世界で初めて五大陸の最高峰すべてに登頂する植村直己である

▼偉人といえども、宵から輝いた星ばかりではない。

卒業後、山登りの資金を作りに渡米した植村は心で叫ぶ。

「仕事を見つけるまではキュウリでも食べて金を節約するぞ!」(『青春を山に賭けて』文春文庫)。

巻き返しの力は、楽観と負けず嫌いらしい

▼社会に出て間もなくひと月、しかられ続きの新人もいよう。

落ち込むことはない。

東北楽天の野村克也監督が、毎日新聞で「どうでもいいやつはしからない」と語っている。

これは主力選手との接し方だが、若手へのぼやきも期待の表れだろう

▼駆け出し記者の頃、公衆電話でひとしきり怒鳴られたことがある。

理由は忘れた。

受話器を離して聞き流していたら、背で「なに怒られとるん」と声がする。

下校の小学生が心配そうに見上げていた

▼いま思えば、新社会人に「どうでもいいやつ」がいるはずもない。

戦力と見込まれて飛び込んだ職場である。

失敗が許されるうちに遥(はる)か千里の道を描き、遠慮なく大股の一歩を踏み出せばいい

▼さて、みじめな白馬合宿から戻ったドングリ植村。

一念発起し、毎朝6時起床で9キロの山道を走り始める。

道は世界的な冒険家へと続いていた。

黄金週間に休める人ばかりではなかろうが、キュウリなどかじりつつ、五大陸を制する順番でも練ってほしい。





失敗を失敗と感じない人,ひどく失敗で落ち込む人がある。新人の間は失敗する率も高い。

そのような失敗を重ねて一人前になってゆくのが誰でもだと思う。








「白眼視する」といえば冷たい目で見ることだが
青眼派は中国の国旗「五星紅旗」を
白眼派は、「雪山獅子旗」と呼ばれるチベットの旗を
掲げるなどした







平成20年4月27日の天声人語よりの引用


「白眼視する」といえば冷たい目で見ることだが、もとは中国の故事に由来する。

「竹林の七賢」のひとり阮籍(げんせき)は、好感の持てる人が訪ねると普通の目つきで迎えた。

歓迎のまなざしの「青眼」である。

だが、気に入らない者には白目をむいた。

それが、いまに伝わったという

▼チベット問題をめぐってきのう、長野の街に、青白の眼が入り乱れた。

青眼派は中国の国旗「五星紅旗」を打ち振った。

片や白眼派は、「雪山獅子旗」と呼ばれるチベットの旗を掲げるなどした

▼はざまを聖火が行く。


「笑顔で走ると決めていた。

だんだん笑顔がなくなっていく自分があって、おいどうしたんだと思っているうち終わった」。

沿道から何かを投げ込まれた萩本欽一さんの感想だ。

祝福気分からは遠い硬さが、走者や市民の表情に透けていた

▼行く先々で、これほど混乱を呼ぶ五輪聖火もめずらしい。

受け入れる国は、注射の順番を待つ子どものように緊張して待つ。

そして聖火は、終わったあとの安堵(あんど)を置きみやげに、次なる国へと旅を続ける

▼その旅路のハイライトが、来月のチョモランマ(エベレスト)登頂という。

ネパール側の登山コースにも、中国の要請で武装部隊が配置された。

必要と見れば発砲するといい、活劇映画さながらだ

▼中国は先ごろ、五輪のために人権侵害を強めている懸念を、国際的な人権団体から指摘された。

大会本番は日々に近い。

広く国際社会の「青眼」を集めるために、どうしたらいいか。

名高い「七賢」の末裔(まつえい)なら、中国政府に分からないはずはない。






チベット問題がクローズアップして世界の話題になってきたのは中国でオリンピックが開始しようとするから起きてきたのか

偶然なのかはわからない。オリンピックを成功させようとしている中国にとってはまずいことである。

一方チベットにとっては世界の人々に知られて改善を望んでいるだろう。

解決方法は両国の首脳同士が話し合いして円満な解決方法を見出すことである。

中国の国内問題でもあるがこれだけ話題になれば世界は目を放さないのではないかと思う。








「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ






平成20年4月28日の天声人語よりの引用


食事に出かけて、席に案内される。

そのとき周りに目をやる癖がついて久しい。

「たばこ状況」を見定めるためだ。

隣卓から煙が上っていれば、違う席に座らせてもらう。

この自衛策を誤ると、食事はときに台無しになる

▼だが、あとから隣に座った人にスパスパやられることがある。

これには打つ手がない。


吸いながらも同席者には気をつかうのか、顔をこちらに向けてケムリを吐く御仁もいる

▼「嫌煙権」の運動が始まって今年で30年になるそうだ。

当時は、地下鉄のホームにも規制はなかった。

煙がいやならご勝手に、とばかりに新幹線の禁煙車は自由席の1両だけ。

いつでもどこでも吸っていい。それが当たり前だった

▼いまや立場は逆転した。

だが飲食店は多くが例外だ。

受動喫煙は、がんやぜんそくなどのリスクを高める。

先日は厚生労働省の調査で、糖尿病にもなりやすいことが分かった。

客はいやなら席を立てるが、従業員はいや応なしだ。

つらい人も多いだろう

▼たばこ好きだった芥川龍之介に、その伝来をめぐる『煙草(たばこ)と悪魔』という短編がある。

宣教団にまぎれた悪魔が、タバコの種を耳の穴に隠して日本に持ち込み、栽培する。

だが、そのうち正体がばれて追放される

▼かくて悪魔は、日本人の肉体と魂を奪うのには失敗する。

その代わり、たばこを広めるのに成功した。

そんな、たばこの誘惑と害を隠しテーマにした話である。

くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。

天使と悪魔は、同じ場所で穏やかには暮らせない。









「くゆる紫煙は、好きな者には天使の香りでも、嫌いな人には悪魔さながらだ。」は医学知識の乏しい人の考え方である。

タバコは人間の身体にとって「毒」であることは30-40数年前からは医学界では常識になってきており

アメリカでタバコの害が周知されるにいたってやっと日本でも騒ぎ出している。タバコを吸うことは毒ガスを吸うようなものである。

必ずに長年タバコを吸うていれば肺がんはもとよりあらゆる臓器の癌になり促進因子であると共に心臓 脳の病気にもなり易い。

何一つ良いことはないので政府はタバコの発売を禁止すべきである。

メタボの比ではないはずだ。即刻に政府は禁煙運動をば先頭に立つべきである。

愛好している人はニコチン中毒者である。タバコクリニックに受診すべきである。

被害は家族や周辺にも病気を引き起こす例は沢山聞いている。とぼけた嫌煙運動なんていっている時代ではないはずだ。







道路特定のはずの財源は、
国交省職員を癒やすマッサージいすやタクシー券に流れ
政府・与党は明日、ガソリン税を元に戻す法案を
衆院の3分の2で再議決するという。








平成20年4月29日の天声人語よりの引用


国政不信に背を向けて、地域おこしなど説くものではない。

衆院山口2区の補選で、民主の前職が自民の新顔を下した。

これが国論だと力むつもりはないが、そろそろ学ばないと与党は本当に見放される

▼道路特定のはずの財源は、国交省職員を癒やすマッサージいすやタクシー券に流れていた。

負けた候補の出身官庁でもある。


消えたり浮いたりしたままの年金からは、お役所が「後期」と呼ぶ層の保険料が天引きされ始めた。

理解不足とは失礼な話で、これで怒るなというのがおかしい

▼政府・与党は明日、ガソリン税を元に戻す法案を衆院の3分の2で再議決するという。

懐かしの郵政選挙で示された、3年前の民意の流用だ。

いや盗用か。

マイカーが走り回る大型連休のさなかに、家計の重しがまた増える

▼「気弱になった集団の多数意見は、往々にして誤る」。

この鋭い洞察は、南極観測隊を何度か率いた村山雅美(まさよし)さんだ(小学館『千年語録』)。

追い詰められてからの「数の論理」は危険で、極地では全滅を招くことさえある

▼税の無駄遣い、必需品の値上がり、福祉の後退は、格差社会の底であえぐ人たちに重い。

弱者に冷たい政治は、万人に平等な一票によって反撃されるだろう。


数の論理の、麗しい一面である

▼攻める野党は参院の多数、つまり1年前の民意が頼りだ。

「難局」を舞台に民意の消費期限を競うのもいいが、すっきり解散し、取れ立てに交換するのが分かりやすい。

支持率の最果てに近づいた福田隊長の決断やいかに。

貧乏クジついでにどうですか。







ガソリン税の特定財源が国交省職員などの娯楽に使われているというならば年金同様に呆れて怒り心頭に来ることだ。

政界の腐敗は戦後自民党一党支配が継続してきたがためであって,やはり政権交代であらゆる癒着をば清算されない限り

あちこちから同じようなことが行われていることは間違いない。税金を食い物にしている人たちが大勢いることは間違いない。

馬鹿を見るのは唯の庶民である。







4月の言葉から






平成20年4月30日の天声人語よりの引用


桜前線の下で、ピカピカの初舞台があれば、渋い再出発もあった。

それぞれのスタートラインに響く4月の言葉から

▼埼玉県長瀞(ながとろ)町立長瀞中の教壇に、中途失明の国語教師、新井淑則さん(46)が立った。

念願の普通学級復帰に「見えないからこそできることもある。

優しさや思いやりを伝えること。

障害者と健常者がともに生きてこそ社会なんだと」

▼「できないことはたくさんあるけれど、できることを見ていきたい。

もっと輝いてくれると思うから」と、宮崎県延岡市の堀之内タミさん(34)。

新入学のダウン症の長女、天音(あまね)さん(6)が図画コンクールで入選した

▼JR宝塚線事故で妻を亡くした山田冨士雄さん(58)が、学生時代の落語仲間と出前寄席。

病気などで家族を失った人たちを笑わせた。

「今度は僕が癒やす番。

心の中で生きている妻は、自分が好きなことをして光ることで光る」

▼昨秋、咽頭(いんとう)がんで声を失った大阪芸術大教授の牧泉さん(59)。

手術前の肉声をパソコンで再現する仕組みを使い講義に臨んだ。

感想もキーをたたいて「授業中はイケてると思い、グッときました」と懐かしい声で

▼カンボジアで選挙監視員をしていた息子を凶弾に奪われた中田武仁さん(70)。

15年間の国連ボランティア名誉大使を辞して「多くの息子を持てたのが大きな誇り。

生きている限り活動を続けます」

▼「算数を勉強して千まで数えられるようになりたい」と、札幌市の三角山小に入学した檀上怜乃(れの)君(6)。

この向上心、千まで数えたことのない身には、まぶしく、うらやましい。





脳卒中で片麻痺の方がリハビリで訓練することは,麻痺に陥った側を回復するためよりも健康な側での利用に訓練すべきである。

病気にもならないような毎日の努力が,治すための努力よりも一層に大切である。






室生寺と長谷寺





長谷寺はボタンで有名であり,室生寺は石楠花(しゃくなげ)が有名で丁度四月下旬ころから五月始めごろが花がきれいに咲く時期である。

まずは近鉄線の長谷寺駅で降り階段の多い道をば歩いてゆくと徐々に長谷寺に近ずくことになる。

,この頃が一番,両寺とも拝観する人が多く長谷寺から室生寺に通うバスが通っていた。

バスの係りである奈良交通の人に尋ねてみると,この時期しか運転されていないことのようだった。

途中の両側の古い町並みには参拝客の為の店が立ち並んでいる。、

一軒の店に丁度昼時なので食事のために入る。

三輪そうめんが有名なので注文する。

待っている間,庭に綺麗な今が盛りのボタンとチュウリップが咲き乱れており,見ながら食べることにした。

本場の三輪そうめんなるほどひんやりとして大変に美味しい。

長谷寺は昨年来ているので,まず始めに其処からのバスで室生寺に行く。バスに乗り合わせた隣りあわせた人と話していて,

結構昔のことをよく知った,定年退職後で寺院を廻っている人のようである。

飛鳥地域にも詳しく一番古い神社は大神神社だとか色々と教えてもらった。

桓武天皇の母親が渡来人で高野新笠で問題になり,新聞に載っていて外国人 即ち新羅人で話題になっていたとを話されていた。

このことは既に本では読んでいて知識としては持っていたが,スラスラと名前は出てこない状態である。

室生寺の地域は想像していたほどに山奥にはなくバス停から少し歩くことになる。

長谷寺からはバスに乗っていた時間は30分から40分ぐらいであった。

室生の片側が川で反対側に少しお店が途中にある。

一軒の店に入り葛を頼んで食べる。店の人に前の川について聞いた所室生川とか教えてもらう。

同じように長谷寺の近辺にも川が流れており近くの人に聞いた所初瀬川と教えていただいた。

長谷寺のある場所の名はは初瀬である。

初瀬から長谷に変わり長谷寺になったと想像している。初瀬は万葉集に良く見かける言葉である。

室生寺は大和国宇陀郡、現在の奈良県宇陀市室生区に所在している。

もと真言宗豊山派で、現在は真言宗室生寺派大本山となっていて昭和40年ごろまでは長谷寺に属していて独立したとかを

僧侶に教えてもらう。普段常駐しているのは三人ぐらいで行事などの多い時で4-5人のようである

その寺の大きさに比較して少ないのに驚く。山号は宀一{べんいつ}山で、俗に女人高野と称されている。

創建に関するほとんど唯一の根本史料は『宀一山年分度者奏状(承平七年四月二十三日付『大和国解案』)』で、宝亀八〜九年(七七七〜七八)ごろ、

山部皇太子(のちの桓武天皇)の重病に際して興福寺学僧賢mら浄行僧五人が延寿法を修して、

その後まもなくしてから賢mが「蒙二仰旨一、奉二‐為国家一、創二‐建件山寺一」したという。

そして実際の創建事業は賢mの高弟修円(七七一〜八三五)が主に担当したものとみられている。

興福寺僧の山林修行の拠点としての性格も重視されていた。

しかし、当寺の付近に祈雨の神として名高い竜穴神社が存し、また寺中最も先に建立されたのが五重塔であって、

且つ相輪に他に類例を見ない独特の意匠を持っていることなどから、竜穴社の神宮寺としての性格も否定できないとする説もある。

修円在世時には、続いて空海の高弟真泰が入住、また他方で最澄亡き後の延暦寺座主をめぐる紛争で、

難を避けて円修や堅恵らが入寺してきた。

堅恵は晩年の九世紀半ばごろには山内に新たに仏隆寺を営んだが、もともと修円その人も、法相の学僧でありながら

最澄の受法弟子の一人になっており、彼らの入寺によって当寺の宗教的内容は多彩さを加えることになった。

一方、同じ修円時代の弘仁八年(八一七)六月に祈雨が行われて以来、竜穴社と室生寺を含む室生山での雨乞いの史実が

平安時代全般を通じて諸書に散見し、単に大和一国のみならず国家的にも相当重要視されていたこと、

またその祈修が密教によるものではなく『大般若経』や『仁王経』によるものであったことも知られる。

その後、天承元年(一一三一)ごろにはかなり大きな修理があったらしいが詳細は不明である。

また平安後期の仏舎利信仰の隆盛に伴って、かつて空海が埋めたという当寺の仏舎利が注目されるようになり、

建久二年(一一九一)には盗掘事件が起こり、後白河院の裁決で落着するということもあった。

今も寺内には五重塔や金堂、また多数の仏像など平安初期以来の貴重な文化財を遺し、

創建以来の多彩複雑な性格が、これら文化財に反映していることも注目されようだ。

五重塔は有名で,写真でよく見かける。10年ほど前に台風で一部は破損した写真を新聞で見たことがある。

 寺の創建をあまり下らないころに建立されたとみられている。

境内の奥の、奥の院の方へ下る高所に立つ。

基壇を除く総高一六・一メートルという比格的に小さい五重塔である。基壇の石の台は一メートルで全部いれても

十七・一メ-トルである。ちなみに日本で一番大きい五重塔は東寺で五十四・八メートルである。

初重は二・四三メートル四方であるから、その比は六・六倍と極めて大きく、上方への逓減も少ない。

屋根は檜皮葺で小塔ながら、柱や垂木などの構造材は太くされているので、一般の材の太さの比例と隔絶している。

相輪には水煙を用いず、宝珠の上に蓋を上げた特殊の形をとる。

構造形式は古式で、奈良時代のものに通じることから創建年代も相応に古いものと考えられている。

五重塔は小さいながらも美しいたたずまいで石楠花の花とよく調和して美しい。

五重塔のある箇所よりは奥の院まで急な坂の階段を上り息切れがする。石段も昔の状態で歩きにくい。

距離はそうないが急な勾配がこたえる。奥の院もさして大きくなくこじんまりとしている。

鎌倉時代の再建とかで階段を上りきった両側に灯篭があるのも珍しい。これも鎌倉時代とかである。

伏見稲荷神社にも鎌倉時代の灯篭が大切にしてあるが,それよりはかなり小さい。

室生寺は想像していたほどに山奥にある存在ではなくて明るい感じだった。

バスで大勢の観光客が訪れにぎわっていた。

本堂は改築中で全体の姿はみられず拝観させてもらう。本尊は如意輪観音で石山寺を思い出す。

室生寺の奥の院も,石山寺の本堂・清水寺の本堂も崖からはみ出して下に柱が複雑に組み合わせられたよく似た構造で

何故に地面から直接立てないのかと不思議である。清水寺が一番顕著で立派次に石山寺 そして奥の院である。

何か意味があるのだろうと想像している。

長谷寺の印象は本堂の十一面観音が丈六で大変に大きくて変わった所が,錫杖を持ち足元が直ぐにでも衆生を助ける為に

今にも歩けだせるように足を互い違いにしておられることにある。




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