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五月になって




五月は季節的に一年のうちで一番良い時期にあたる。暑くもなく寒くもない大変良い時期で,特に若葉や新緑が目立つ頃でもある。

サツキの花が美しく,それに色とりどりの花が咲き乱れて,空気もなんとなく美味しく感ずるような季節である。

五月五日は男子の節句の日となっているが,昔から菖蒲の日といわれ,菖蒲は尚武に相通ずる発音がなされており,

家庭などで武者人形が飾られる慣しが昔から続いている。

武者は「侍」即ち武士である。この人たちが戦争に参加し敵を倒す,即ち敵を殺す事を職業としていた人達である。

三月三日には女の子の雛祭りとして,お内裏さんが飾らていれる。子供の節句として五月五日の菖蒲の節句と,お雛祭りが一緒になって

昔から子供達の春の節句として親しまれ続けて来ている

春の季節に女子と男子の子供のお祭りだが,今まであまり気にしていなかったことだが,

昔からお雛祭りでもって子供の頃から,内裏さん即ち天皇・皇后に親しみを持たせ, 武に励んで(尚武)主君を守るような男子に育てる

仕組をば子供達の祭りの中に組込まれているのではないかと思うようになった。

国歌もそうであるが,儒教精神にもとずいた昔の人の知恵で,自然に一つの流れを存続させようとしているのではないのかと。

儒教は仁徳天皇時代(4世紀後半-5世紀前半)以前から日本に浸透していたようである。

こだわりをもつているのは,自分一人だけの深読みかもしれない。

日本の歴史を振り返ると,何らかの形でもって,古代から現代に至るまで,日本の天皇が大いに戦争とかかわってきたのは事実だ。

天皇による戦争の為に,それと関係ない庶民階級の人たち,即ち国民が動員されてきたような所がある。

それでもって武家社会時代を含め,為政者により国民は大変な被害を被ってきている。

戦争は人間の本能だから,天皇と関係なく,他の世界の国々でも見かけ:る現象で,戦争は繰り返されて来ている。

戦争そのものが人間の歴史そのものともいえる。

だが第二次大戦後,この約65年間,直接日本には戦争と縁遠い世の中即ち「平和」が続いて来た。大変貴重な奇跡的な事柄である。

現実に世界の大国が核兵器を所有している時代に,世界で大戦争が起これば,地球破滅につながってゆくことは誰もが想像はつく。

世界大戦争が起きた時に,世界で唯一日本だけが,日本の国のみが助かるとは思えない。

だから,これからも「戦争放棄」の原則をば貫き,世界の模範となるような存在になって世界で唯一の核被爆国

日本から平和の大切さを世界に訴え広める義務がある。

戦争は無用なお金と,国民に多大な被害・苦しみを与えるだけのものである。

核シェルターを作り,核から助かろうとする何処かの国家元首の話をテレビで放送されているのを見た。

だが核シェルタ-内の外の地球表面全体が核によって汚染されてしまっていて,どうして食べ物などを自給しようとするのか。?

不思議なおとぎ話である。

その時こそ,地球が全滅することに気がつかないでいるのだろうか。

:原子爆弾を含めて戦争の苦しみは第二次大戦でもって日本国民が痛いほどその経験をばしてきた。

その経験を生かし,いつまでも忘れず後の世まで伝え日本が永遠に戦争をしない国を目指すべきである。

又憲法にはそのことを謳っている。これは世界に誇るべきことである。

世界遺産にも指定されてもよいような,無形の財産・文化財と考える。

現在の福田首相には戦争を目指すような雰囲気は全く感じられない人柄のように思う。

前安部首相 元小泉首相にはそれが大いにあった。

特に元小泉首相は靖国神社参拝でもってマスコミを大いに賑わし,誇示して,その為に近隣諸国など中国などとは全く国交ができていなかった。

一方ではアメリカに対し大変な低姿勢で,仕えるような政治が行われていたようだ。

特にブッシュ大統領と大変仲の良いともだちであった。

そのような小泉首相が進めた改革と称するものに対して大変な疑問を感ずる。

その為に,国民は今苦しんでいるのではなかろうか。

「米百表の話」をば懐かしく,にがにがしく思い出す。「勝つまでは欲しがりません」の精神に徹底した第二次大戦時の頃を思い出す。

テレビ新聞報道などでブッシュの前で,曲芸師のお猿さんのような真似までしていたのを国民は見て覚えている。

大変に情けない情景であった。

戦争の本当の恐ろしさを体験していない世代たちである。

福田首相には一応戦時体験はしている。

これからは戦争を知らない世代が日本を,そして世界をば背負って行くことになるが,戦争だけは勝っても負けても

碌なことがなくただ破滅だけが残るだけである。

これからの核の時代の戦争においては地球破滅にもつながる危険性をはらんでいる。

同じことが繰り返えされるのが歴史だから,原爆体験のある世界唯一の日本国がしっかりしと不戦国家の代表になり

世界に対して平和の大切さを説き広める必要がある。

日本が戦争で得たただ一つ,唯一の宝は「不戦」即ち「戦争放棄」の精神である。

だが戦勝国アメリカは第二次大戦後も続いて戦争に関係してきている。

朝鮮戦争 ベトナム戦争 カンボジァ内戦 第一次イラク戦争 アフガニスタン戦争 第二次イラク戦争と,

今もイラクては多くのアメリカ兵士たちが死に,そしてイラクの国民がその巻き添えで死んでいっている。

それに世界の抱える災いには,戦争だけではなくて,他に天災がある。

ミャンマ(ビルマ)でのサイクロンによる被害者が続出していても軍事独裁政権は世界からの援助を拒んでいる。

中国ではチベット騒動の他,四川省での大地震が起き多勢の被害者が出ている。

日本の自衛隊が援助にでかけるようた゜が,大変に良いことである。中国国民はもちろんのこと,日本国民にとっても喜ばしいことだ。

日本の自衛隊は災害の援助が主務であった方がよい。だが結局は援助に民間機がつかわれるらしい。

中国は共産主義独裁政治で運営されているが,経済面では資本主義を凌駕するような活発な経済活動が行われ

発展している。

ロシアについても同じことが言える。

共産主義とはもともと皆が平等な生活を目指すものと理解しているが,資本主義顔負けの経済活動が行われ

ひどい格差社会が広がり続けている。

人間は長い歴史の視点からして,同じことしか出来ない動物であることを証明しているようなものである。

少なくともお互いの国同士が仲良くして戦争放棄を基本のもと,に生活するようになれば,軍事費がいらなくなればもっと格差の少ない社会が

実現すると思うのだが。

資本主義・共産主義を越えるような,平和・平等主義的な勢力として伸ばすリーダーに,これからの日本はそうなって欲しいものである。

一人ひとりの考えが違うものだから,なかなかに実現は困難が伴うことだろう。,

今日本にとってはまず第一にすることは戦後からの脱却,即ち,アメリカに利用されないような完全な独立国家になることである。

そのためにも近隣諸国とは仲良くしてゆく必要がある。まず大東亜共栄圏でのリ-ダ-即ち盟主になるよう

平和的に且つ皆から尊敬される日本を目指す努力が必要である。

それにアメリカの基地の多い日本が,完全にアメリカからの独立するためにも,近隣諸国とは友好関係が一番必要で大切だ。

そうすれは゛日本の中のアメリカ基地の必要性がなくなってくる。

アメリカ軍が日本に駐留する意味が消えてしまう。

何のための駐留になるのかわからなくなってくる。

世界に軍隊を展開しているアメリカでの大統領選挙結果が気になる。





亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、
「生かされている」という思いが息づいていた







平成20年5月1日の天声人語よりの引用

 幼いころから病弱だったゆえでもあろう。

亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。

感謝と表裏をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざしがあった

▼大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。

女学校は結核で退学した。

世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。

母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。

岡部さんは笑って、泣いた

▼長じると、婚約者を激戦の沖縄で亡くした。

その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。

「この戦争は間違っている。

天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った

▼非戦の理想と言葉は、軍国乙女の理解を超えていた。

激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。

自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。

疼(うず)きとともに深めた思索を、130冊もの著書に刻んできた

▼京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。

「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃだった。

「でも弱いから、折れないのよ」。

弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう

▼昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。

「(残してくれた)だいじなだいじな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。

85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。






戦争真っ只中を生きた人の言葉には迫力がある。我々の世代は少し戦争体験をしただけのことで

戦後の民主主義教育とのギャップのはざ間で生きてきた。

丸ごと戦争体験した人たちが少なくなって,その痛みで支えられてきた戦後の平和が崩れ行くことがないことを

永遠に続くことを願うものである。

人間だから仕方ないものと諦めたくはない。











メーデーのきのう、各地で労働組合の集会があった
「プロレタリアート(労働者階級)」ならぬ
「プレカリアート」と言うそうだ。







平成20年5月2日の天声人語よりの引用


市井の片隅に生きる町人を描く、作家藤沢周平の筆はやさしい。

同じ視線なのだろう。

若いころ、〈メーデーは過ぎて貧しきもの貧し〉と詠んでいる。

結核で長く療養中の自らを写した句だったかも知れない

▼資本の論理が牛耳る世の中への、ささやかな異議申し立てのようでもある。

同じころ〈桐咲くや田を賣(う)る話多き村〉とも詠んだ。

郷里の山形のことか。

どちらも、戦後復興の日陰に生きる人々を見つめて切ない

▼メーデーのきのう、各地で労働組合の集会があった。

近年は地域や団体で開催日がばらつき、様変わりぎみだ。

既成の労組だけでなく、低収入で厳しい生活を強いられている人たちの連携も、じわり広がっている

▼「プロレタリアート(労働者階級)」ならぬ「プレカリアート」と言うそうだ。


イタリア語の「不安定」に由来し、非正規の労働者などを総称する。働けど食えない人もいる。

「生存を貶(おとし)めるな」と訴える集会がいま、全国で順次開かれている

▼はるか昔、聖徳太子は十七条憲法で「富者の訴えは石を水に投げるようだが、貧者の訴えは水を石に投げるようだ」と戒めた。

富む者は聞き入れられ、貧者ははね返される。

いまに通じるものもあろう

▼そうした、政治に届きにくかった労働現場の声が、様々な形でまとまり、噴き出し始めた。

政財界は、はじき返すことなく、ていねいに聞く必要がある。

メーデーは過ぎて――あすは憲法記念日。

格差は広がり、貧困ははびこる。

「健康で文化的な」と生存権をうたった25条を立ち枯れさせてはなるまい。






本能的に人間はうかがうのは,強い人へ,富んだ人へと眼差しと心は行きがちなのだが,

なんとか逆の人間になれたらと願うばかりである。








29年前、ランランが死んだときの話だ
先月末のリンリンの死も








平成20年5月3の天声人語よりの引用


芸能に詳しい評論家の矢野誠一さんが、落語の三遊亭円生が亡くなった夜のことを回想している。

なじみの飲み屋にいたところへ、新聞社が探して電話をかけてきた。

電話口で「昭和の名人」の訃報(ふほう)を知らされた

▼翌朝、頼まれた追悼文を書くのに早起きして、眠気ざましに新聞を広げて驚く。

パンダの死が大きく報じられていた。

「円生の訃報よりもはるかに大きな扱いが、芸人円生のために、ひどく悲しかった」(「酒場の芸人たち」文春文庫)

▼29年前、ランランが死んだときの話だ。

日中国交正常化の記念に、カンカンとともに日本に贈られ、大ブームを巻き起こした。

やむをえないとはいえ、落語好きには胸のつかえる日だったようだ

▼先月末のリンリンの死も、動物の「おくやみ」としては破格の報道だった。

東京・上野動物園には哀悼する人が絶えない。

36年ぶりのパンダ不在に、上野の森は大型連休も色あせがちだ

▼その人気者の故郷中国から、来週、胡錦濤(フー・チンタオ)主席が訪日する。

日本政府は早々と、新たなパンダのレンタルを頼んだそうだ。

本紙の世論調査によれば、福田内閣の支持率は20%に落ちた。

後期高齢者、年金、ガソリン……。

不信と不満の山を積み、「背水の陣内閣」は後がない

▼おぼれる首相はパンダをつかむ、の図か。

中国側には、応じることで好印象を残す計算もあろう。

きのう上野を訪ねると、幼い記帳がたくさんあった。

「笑顔にさせてくれてありがとう」「天国でしあわせに」。

子らの純真に政治の思惑が相乗りするのでは、気分はさえない。






パンダはかわいらしく注目の対象である。多ければこんなにも騒がない。

希少だからである。子供達に一番の人気がある。

だが他にも同じようなものはいないだろうか。?








野菜や果物の花をどれほど知っているだろう








平成20年5月4の天声人語よりの引用


そういえば、野菜や果物の花をどれほど知っているだろう。

『キャベツにだって花が咲く』(光文社新書)を読んで指を折った。

静岡県農林技術研究所の専門家、稲垣栄洋(ひでひろ)さんが野菜の不思議を説いた近刊だ

▼花になじみがないのには訳がある。

ホウレンソウやキャベツは開花前の柔らかい葉を収穫する。

ナスやスイカは花が終わった後の実で、花を食すブロッコリーにしても、大仏様の頭のようなあれはつぼみだ。

されど野菜とて植物。

花は繁茂のための工夫に満ちている

▼マメ科の花は複雑な形の最奥に蜜を隠し、働き者のミツバチを誘う。

アブや甲虫があきらめても、賢いミツバチは潜り込み、花粉まみれになって同種の花を飛び回る。

忠実な授粉係だ

▼熟れた果実が赤や黄に染まり、甘い香りを放つのは鳥獣に食べてもらうためという。

未消化のタネは「反対側の口」からこぼれ落ち、別の地に根づく。

鳥だけに食べさせ、より遠くにタネを届ける曲者はトウガラシだ。

鳥が辛さを感じぬことをどこで覚えたのか

▼人の都合で地球の隅々にまで運ばれ、「改良」されてきた野菜たち。

哀れにも思えるが、稲垣さんの見方は別だ。

「生息分布を広げるという点では、植物としてこれ以上ない成功を収めています。

最良のパートナーに気に入られるよう、自ら進化してきたのかもしれない」と笑う

▼安全志向もあって、貸農園や家庭菜園が盛んだと聞いた。

ベランダに鉢植えという手もあろう。

連休の一日、夏の豊作を期して「野菜の陰謀」(稲垣さん)に付き合うのも悪くない。







ハウス栽培の野菜 果物 花などが多くなってきて,季節の価値観が薄れてきている。

でも季節に普通にとれる野菜 果物の味が一番美味しいものである。

人間の季節感の衰えてゆくのは悲しい現象でもある。冬に食べるスイカの味は美味しいだろうか。?









きょうの立夏から、暦は夏に入る









平成20年5月5日の天声人語よりの引用


 東京・表参道のケヤキ並木が勢いを増してきた。

通り雨に洗われ、あり余る緑色をショーウインドーや水たまりに滴らせている。

少し前まで頼りなげな若芽だったのにと、樹幹が宿す力に驚く。

四季を回す力である

▼きょうの立夏から、暦は夏に入る。

街路樹ばかりか、生あるものすべてが躍る候。

伸び盛りにある命は、新陳代謝を重ねて弾む。

〈子の髪に少女の匂(にお)ひ夏来たる〉三村純也

▼新緑まぶしい季節に置かれた「こどもの日」が60回目を迎えた。

子どもの人格を重んじ、幸福を図り、母に感謝すると定められたのは1948(昭和23)年夏。

第1回を祝った翌49年、世の歓呼にこたえるように270万人の産声が響いた。

戦後ベビーブームの頂点だ

▼昨今の出生数は100万人強、往時の4割にとどまる。

人類が経験したことのないペースで高齢化する日本。

生まれ来る子どもたちは、社会全体の授かりものになるだろう。

もちろん、望む人が産みやすい世にするのが先である

▼全国200の児童相談所には、虐待に絡んだ相談が日々寄せられている。

06年度は3万7千件で、10年前の約10倍だ。

近所や学校など、周りの目がそれだけ厳しくなったと思いたい。

もっぱら親から子へと、縦に細く継がれてきた子育ての知恵を、地域や同世代で分かち合えないものか

生まれより育ち、という。

あるべき論だけでなく、そう願う親心がにじむ。

だからこそ、保護者には責任が、子どもには可能性が生じる。

育てる力と、育つ力。

ここが崩れた社会に、まぶしい季節は巡り来ない。







生まれと育ちを現代語に判り易く言うならば遺伝子と環境とでもいうものか。

どちらも大切で両者とも相補い両立させてゆく世の中にしなければならない。

現実に子供達は毎日塾に通いかわいそうな気もする。遊ぶ時間が殆んどないくらいに

忙しい毎日を暮らしているように思える。

大人たちの責任は重い。







「暗黙の信頼」が、ここでも揺れた








平成20年5月7日の天声人語よりの引用


朝日歌壇でよくお見受けする大阪の長尾幹也さんに先日、次の作があった。

〈おのずから足踏んばって電車待つ突如背中を押す奴のため〉。

人は押されれば、簡単にホームから落ちるに違いない。

だが私たちは普段、そんな理不尽はないと信頼して、無防備な背を他人に見せて電車を待つ

▼世の中をつかさどる「暗黙の信頼」である。

それを、岡山で3月にあった事件は揺るがした。

疑心暗鬼を生ずれば、おちおち電車にも乗れない。

歌の心境が他人事(ひとごと)ではない向きも多かっただろう

▼ことの度合いは違うけれど、高級料亭「船場吉兆」で、また醜聞が噴き出した。

客の食べ残しを別の客に出していたという。

思えば料理屋の厨房(ちゅうぼう)は、客の目を隔てた「密室」だ。

吉兆に限らず、やろうとすれば難しいことではあるまい

▼だが私たちは普段、そんな不実など思いもよらず、料理を口に運ぶ。

念を押すまでもなかった「暗黙の信頼」が、ここでも揺れた。

まっとうな店への疑心も植え付けたとしたら、船場吉兆の罪は重い

▼「もったいない」と前社長が指示したそうだ

。だが、それを言い訳にしては「もったいない」に申し訳ない。

食べ物を大事にする思いと、商売のそろばんは、顔つきは似ていても心根が違う

▼いま「信」は細り、不信をこえて「崩信」の時代という。

最近の本紙世論調査では「世の中は信用できない人が多い」は64%、

「人は自分のことだけ考えている」は67%にのぼっている。


悲観したくはない。

だが、そんなものさと受け流せる数字では、もうないように思う。







暗黙の信頼を逆手にとって商売としている。吉兆だけの問題ではない。

何処で何をされるかと疑心暗鬼に生活しているとノイローゼとなる。

でも信頼がなければ生きてゆけない。性善説にたち暮らす以外にない。

巨悪は表面にはでてこない。出てくるような人たちは

まだまだ信頼は取り戻せる人たちである。








ミャンマー(ビルマ)を襲ったサイクロンも、高潮の被害が大きい







平成20年5月8日の天声人語よりの引用


「くつ塚慰霊碑」と呼ばれる碑が名古屋市にある。

1959(昭和34)年の伊勢湾台風で亡くなった人を悼んでいる。

遺品となった靴の山から、名がついた。

一人息子を失った父親の詩が建立のきっかけになったそうだ

▼〈ここは冷たい海でした/胸までつかる水の中/……嵐の中に手をとって/頑張りつづけたところです〉。

父は子の腕をきつく握りしめていた。だが何度目かの大波で、すーっと離れていったという。

あの台風で落命した人は5千を超えた

▼伊勢湾台風に似て、ミャンマー(ビルマ)を襲ったサイクロンも、高潮の被害が大きい。

死者、行方不明者は数万といい、膨らみ続けている。

まるごと消えた集落もあるようだ

▼さかまく水の中、多くの手が、愛する命をつなぎとめようとしたことだろう。

力尽き、沈んでいった人々を思えば胸が痛む。

助かった者にも自責と断腸の念が残る。自然の容赦のなさである

▼だが、「人災」の要素も強いようだ。

気象情報は不十分だったと聞く。

被災後も軍事政権は、人的支援の受け入れに腰が重い。

自由や人権が縮んだ国である。外国人が入れば国情が表立つ。

断りたいのが本音、とも漏れ伝わる


▼かの地では今頃からが雨期。

「王宮の太鼓が鳴り、真っ黒の顔も泣き出し……隠れていた人も出てきた」と、この時期を言うそうだ(『季節の366日話題事典』)。

太鼓は雷、黒いのは雨雲、出てきたのは土中の小動物だという。

慈雨が万物を潤す季節に、大きな災いに見舞われた。

悲嘆をこえ、一日も早い立ち直りを祈る。







ブッシュさんはどうして民主化の為にイラクに攻撃して戦争にいたったがミャンマ-(ビルマ)では

長年にわたり独裁政治が行われていても一向に何も行動を起そうとはしていない。

スーチンさんは監禁のままで放置されている。

サイクロンの被害に対し国際社会の反応は鈍い。国連は何をしているのか

さっぱり判らない。事務総長は何年つづくのだろうか。

皆目わからんような事務総長は早く交代するような制度があっても良い。

何かものたりないことだ。









その中国から胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が来日し、
首脳会談が開かれた









平成20年5月9日の天声人語よりの引用


よその国の文物や産品が自分の国にあふれる。

そんな様を快く思わない向きが、昔からいたらしい。

『徒然草』の兼好法師は鎌倉時代に、「唐(から)(中国)から来るものは、

薬のほかは、なにもなくても事欠かない」と息巻いている

▼「用もない物を所狭しと積んで、唐からの危ない海路を渡ってくる。

愚かもいいところだ」と手厳しい。

兼好法師がいまの世に立ち現れたら、暮らしにあふれる中国製品の多さに、腰を抜かすかもしれない

その中国から胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が来日し、首脳会談が開かれた。

「チベット」「ガス田」、それに「ギョーザ」が3点セットである。

日ごろは他人事(ひとごと)節の目立つ福田首相も、ギョーザには「断じてうやむやにできない」と強い言葉を繰り出した


▼日本人の「もっと安く」「もっと便利に」を、中国からの産品が支えている。

会談の結果は、だが「安心」からは遠かった。

上野動物園のパンダの貸与では、打てば響く返事があった。

ありがたいが、おいしい前菜で、主菜の苦みがうやむやになった印象は残る

▼胡主席は、この訪日を「暖かい春の旅」と呼んだ。

去年4月の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は「氷を溶かす旅」だったから、季節は深まった。

だが日中は、歯車が狂えばたちまち寒の戻る不安定さを抱える。

未来志向のつぼみを、しぼませてはなるまい

▼ところで兼好法師の憎まれ口は、渡来品ばかりありがたがる風潮への皮肉でもあった。

なのに文末で、「遠き物を宝とせず」と、中国の古典から引いて、戒めている。

切っても切れない彼我の歴史が垣間見える。






小泉首相 安部首相の時代にはなかったことで近隣外交は一番に大切である。

相手のいやがるような靖国神社参拝にこだわるようでは近隣とは

仲良くは出来ないことだ。戦争の時代は終わり,先進国の間では戦争は前世紀の遺物である。

国際間の友好の時代である








47ある都道府県の名は小学校で習う








平成20年5月10日の天声人語よりの引用


大学入試の珍問について、30年ほど前の小欄が書いている。

「三重、東京、静岡、青森、富山、福岡」の中から、共通点のないものを二つ選べ、というのがあったそうだ

▼太平洋側と日本海側?――などと頭をひねっても、正解には遠い。

答えは「静岡と福岡」。

ほかの四つは、名前の字をタテに割ると左右が対称になる。

それが「共通点」なのだそうだ。

頓知(とんち)まがいは受験生がかわいそうだと、筆者は嘆いている

▼47ある都道府県の名は小学校で習う。

それぞれどこにあるのか。

その認知度が相当にばらつくことが、文部科学省の所管団体の調査でわかった。

高学年に地図で位置を聞くと、9割が正答した県もあり、半分以下の県もあった

▼最下位には宮崎が沈んだ。

高校、大学生への別の調査でも、やはり一番低かった。

かつての新婚旅行のメッカも、若い世代には遠いらしい。

こちらは名高い東国原知事は、位置を刷った法被(はっぴ)を着てPRに走り出した

▼地名の話に、「鉄道唱歌」を思い出すご高齢もおられよう。

汽笛一声新橋を……で始まり、延々と計334番まで。

沿線の地名や風物を織り込み、そらんじれば知識もついてくる。

もともと小学生の地理教育用に作られたそうだ

▼都道府県の名は、様々なイメージを人の胸に呼び起こす。

訪ねた景色、出身の友、食べ物、人情……。

人生とともに積む経験が、47の名を、さまざまに肉付けしていく。

多くの児童には、まだまだ暗記した知識だろう。

いまの正答率は低くても、長じてからの親しみが深まるなら、悪くはない。







都道府県の名の所在地は正確にはおぼえられていない。旅行すれば覚えるのだが旅行していないから

うろ覚えである。だが京都の神社仏閣だけでも知ろうとして訪れているが有名な場所でも廻っていない。

京都や奈良は古都だったので大変に多くて歴史を勉強しながら廻っている。健康のためにも。

大体に観音霊場は山の頂上にあることが多い。

運動が身体に良いのと,山に登れないような状態ならば観音の霊験が得られないとするのは科学的である。








きょうの母の日、色んな人生を背負った母親たちが
持てる力を振り絞っているだろう








平成20年5月11日の天声人語よりの引用


『わたしの母さん』という児童小説がある。

小学4年の主人公、高子は算数が得意で、学級委員をしている。

気がかりが一つ。

明るいけれど、少し変わった母親のことだ

▼月初め、母さんは日めくり暦の一枚一枚に封筒をはりつけ、千円札を2枚ずつ入れていく。

毎日、その2千円を財布に移して生活に充てるのだ。

高子は「ひと月分を同じ袋に入れておけばいいのに」と思うが、母さんは大きな数の計算が嫌いらしい

▼さらに、連絡のプリントにはフリガナをつけてと学校に頼んだりもする。

あきれる娘はある日、母が生後間もない熱病で知的障害を負ったことを知る。

父さんとは養護学校高等部の同級生だった


▼作者の菊地澄子さん(73)は養護学校などで教えてきた。

この作品も体験が元だ。

突然の真実に立ちすくみながらも、母を理解し、優しく伸びてゆく少女。

20年前の初版は児童福祉文化賞を受けたが、出版元の廃業で絶版になっていた。

06年、東京の出版社、北水(ほくすい)が新装版で復活させた。

高子のモデルはすでに母になっているという

▼作中に「人間の賢さっていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とある。

母さんがずっと頼りにしてきた元担任が訪れ、親の「学力」を疑う高子を諭す場だ。

母は泣いて告白する

▼本の帯には〈お母さん、生んでくれてありがとう!〉。

この瞬間にも、色んな人生を背負った母親たちが持てる力を振り絞っているだろう。

きょうの母の日、その人が目の前にいてもいなくても、同じことばを贈りたい。






母の日はどうして作られたのか経緯は知らない。母に感謝する日であるのは間違いはない。

誰にも必ず母がある。母には大変感謝しよう。








瞬時の表情を切り取る肖像写真の魅力を







平成20年5月12日の天声人語よりの引用


札幌を訪れた。

市の木、ライラックが平年より半月ほど早い盛りを迎えていた。

房をなす紫のつぼみと淡紫の花。

リラと仏語で呼びたくなるような、すました芳香が、日だまりにたたずむ。

街で最古の株は北大植物園にある。

明治期に米国渡来の苗を分けたもので、大きさも一番という

▼一夜明け、寒が戻った。

これも「リラ冷え」というのか、大小にかかわらず、ライラックは寂しげに小雨の中だ。

包まれる空気によって、植物は風情を変える。

これが、感情を備える生物ともなれば、その面持ちは一刻として同じではない

▼瞬時の表情を切り取る肖像写真の魅力を、東京駅前で堪能した。


創刊20周年を迎えたアエラが、表紙を飾った著名人のパネルを丸の内一帯に展示している(無料、6月8日まで)

▼坂田栄一郎さんが撮り下ろしてきた作品群は約830点。

拡大され、雑誌とは別物の迫力だ。

通常、坂田さんは100枚は撮るが、これだというのは「本当に1枚か2枚」だと聞く

▼「本田宗一郎っていえば、顔は一つだと思ってたけど、こうやってみると、色々あるね」。

19年前、ホンダ創業者が撮影中にもらした感嘆だ。

2カ月後に登場した老優、笠智衆は「随分ね、年はとってはいるけれど、いざ写すとなると上がっちゃうの。

僕はね、映画を撮る時でも上がっちゃうの」と照れた


▼各人の所作や口ぶりを、リラの香気のように、ふんわり漂わせた写真がある。

とりわけ故人である。

自負に満たされた顔つき、いわば「旬の瞬」が、その前後に連なる生までを呼び寄せる。








写真には肖像画としての面と記録としての面がある。絵画も同じだが趣が変わっている。

肖像画での祖母の顔には気品があり,変った経歴の持ち主である。

母と母の祖母とが同じ名前の人であることを知った。どんな人だったのかを調べだしたのだがまだ判らない。

俳優笠智衆の若い青年の姿の写真は見ない。いつも温和な老人の役柄しか知らない。

女性にも同じ役柄の人がいたようだ。








石油に主役を奪われ、衰退したのは周知の歴史である
その国内炭が、時ならぬ光を浴びている。






平成20年5月13日の天声人語よりの引用


戦後すぐに庶民が詠んだ「平和百人一首」を収めた新刊『百のうた 

千の想(おも)い』を、東京の大竹桂子さんにいただいた。

公募され、2万数千首から選ばれたという。

平和や、働く喜びをうたって、どれも美しい

▼炭鉱の歌が目立つのは、基幹産業だったからか。

〈新(あらた)なる国興さむと二千尺坑底ふかく鶴嘴(つるはし)ふるふ〉

〈出坑をまちてゐたりと妻の呼ぶ声は明るし麦田のなかに〉。

「黒いダイヤ」ともてはやされ復興を支えた。

だが石油に主役を奪われ、衰退したのは周知の歴史である

▼その国内炭が、時ならぬ光を浴びている。

原油の高騰につられて、海外炭の値上がりが止まらないからだ。


日々の生活からは消えたが、工業用になくてはならない。

国内で年に1億7千万トンが煙になっている

▼炭鉱が残る北海道では、新たな鉱区が久々に開発されるそうだ。

地元は活況に沸いている。

原油価格をはね上げる投機マネーの嵐が、追い風をもたらした形といえる

▼「平和百人一首」には、農耕の歌も多い。

〈刈入れも事なく終へて爐(ろ)を囲む秋の長夜は楽しかりけり〉。

米は「銀シャリ」と尊ばれた。

だが、こちらも近年は冷遇されてきた。

その風向きが、輸入小麦の高騰で少し変わりつつある

▼米粉の増産支援に、政府が乗り出すそうだ。

小麦の代わりに、パンやめんの原材料に使うのだという。

米も石炭も、国の「ピンチ」で光が当たるのは、思えば皮肉である。

食糧の自給率39%、エネルギーはわずか4%。

心細く肥満したニッポンが、60年前の歌に照らされるように浮かび上がる。






石油の高騰には驚くばかりである。投機のマネーで高騰しているようだ。

金儲けの対象となっている。同じことが食料品に及べば大変なことになる。

世界の政治家は自然に放置していることが不思議でたまらない。

国際的な決まりでもって生活必需品は投機の対象にしてはいけない国際的な法律が

出来ても良いようだが放置したままである。

国際的な機関である国連はどういったことをしているのだろうか。

日本の自給率は日ごろから高めておくべきである。

競争社会,効率が優先社会では不可能である。









道路整備財源特例法改正案が、
自民党などが賛成して衆院で再可決された。








平成20年5月14日の天声人語よりの引用


緑の草原に、一筋の道がきっぱりと延び、起伏の向こうに消えていく。

今年、誕生から100年になる日本画家、東山魁夷の代表作『道』は多くの人を引きつけてやまない

▼東京で開催中の記念展で見ると、絵はぎりぎりまで単純化され、ゆえに力強い。

「過去への郷愁に牽(ひ)かれながらも、未来へと歩み出そうとした心の状態」。

それを、白く光る道に託したと、画家はのちに回想している

▼一方こちらは、道をめぐって「過去への郷愁」を捨てられないのか。

路整備財源特例法改正案が、自民党などが賛成して衆院で再可決された。

ガソリン税収などを、今後10年、道造りに充てることを定めている


▼可決に先だって福田内閣は、来年度からは税収を一般財源化すると閣議で決めた。

教育にも福祉にも使います。

そう言いつつ、国会で相反する法律を通す。

不可思議さは、上半身が人間で下半身は獣の姿をした、西洋神話の牧羊神を見る思いだ

▼ここ4カ月、与野党は道路でせめぎ合ってきた。

「一般財源化する」と約束した福田首相の言葉は、唯一の果実だろう。

頼りない丸裸だったのが、何とか閣議決定という鎧(よろい)をつけた。

だが道路族議員も「特例法」という槍(やり)を手にした。

攻められれば防ぎきれまい、と案じる人は少なくない

▼東山魁夷の『道』は、実在の景色というより心象風景だという。

首相の心中にも、きっぱりした道が延びていると信じたい。

一般財源化の試みはかねて、抵抗によるご破算が繰り返されてきた。

いつか来た道へ迷い込む腰砕けは、もう許されない。





議員の三分の二を使い衆議院で再可決した法案は幾つになるのだろうか。これはどう見ても異常な事態である。

総理大臣だけにしか衆議院の解散権のないのも不思議である。現状は解散して民意を問うのが一番だ。

権力を失くすことを恐れて出来ない。

権力に伴う利権でやっと保持されているのが現在の自民党の姿のように思われる。

そんな政府にどうして国民が納得できる政治ができるだろうか。







中国・四川省の地震被災地から、
生々しい、悲しみに満ちた報道が







平成20年5月15日の天声人語よりの引用


中国・四川省の地震被災地から、生々しい、悲しみに満ちた報道が届く。

きのう本紙に載った一枚の写真に、とりわけ心が痛んだ。

2人の手が大写しにされて、「学校倒壊で亡くなった犠牲者の手を握りしめる家族」と説明があった

▼泥のついた幼げな手は、なお体温をとどめているかのようだ。

母親なのだろうか。

いとおしむように指をからめている。

だが、小さな手が握り返すことは、もうない。

慟哭(どうこく)を聞くような手の表情が、胸に突き刺さる

▼学校がずいぶん倒れたという。

あの地方を取材した13年前を思い出す。

経済開放が進み、教師らが「投資効果がすぐ出ない教育は肩身が狭い」と嘆くのを、どこでも聞いた。

校舎の老朽化や、安普請が林立した理由の一つだろう

▼経済はその後加速し、貧富の格差はさらに開いた。

現地に入った本紙記者は、貧しい地域や人への被害が大きいと伝えている。

土壁や、日干しれんがを積み上げた粗末な建物は、激しい揺れにひとたまりもなかった

▼自然に厚薄(こうはく)なし、と中国で言うそうだ。

自然は人を分け隔てしない、と。

地震の揺れもしかりだろう。だが、自然は公平でも、人間の側に様々な不公平がある。

そのひずみを、天災はあぶり出す

▼人に過酷な自然の営みが相次ぐ。

ミャンマーで起きた水害の死者、行方不明者は6万人にのぼっている。

死者の4割は子どもだという報告もある。

軍事政権はいまも各国の人的援助を拒み、被災者の苦難に追い打ちをかけている。

こちらは天災があぶり出したひずみの、最も愚かな一つであろう。





四川省の地震の災害も人災である面が報道されている。手抜き工事が被災の状況をさらに悪くしている。

一党独裁の政治の歪みが一挙に噴出した感じだ。

中国旅行したときに中国の方から偉い方が視察があると一挙に工事が進むような話を聞いたことがある








明治の俳人正岡子規は毎年
1902(明治35)年5月から、
随筆『病牀(びょうしょう)六尺』の新聞連載を始める。







平成20年5月16日の天声人語よりの引用


風薫る5月だが、明治の俳人正岡子規は毎年、この月がめぐると不安にかられた。

脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ

▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『病牀(びょうしょう)六尺』の新聞連載を始める。

苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。

悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と子規は言う。

逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている

▼寝たきりの子規は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。

現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう

▼だが、子規の心境で過ごすのは難しい時代になっている。

在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。

介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる

▼2年前に介護報酬が引き下げられた。

経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。

使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。

だれもがいつかは老いるし、病む。

そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない

▼手厚い支えもあってだろう、子規は明るさとユーモアを失わなかった。

〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。

平気で生きられる――。

その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。







若かった子規に教えられるようなことでは年齢を重ねるとはどういったことかと考えなおさせられる。

苦しい財政事情で自分に一番利益が上がることを最優先しているのが

現在の効率 実用社会ではなかろうか。議員のせめぎあいとなっている。

東京都知事が不良債権化している会社に莫大な公費を投ずること自体が公費で選挙運動しているといわれても

仕方ないことである。

何処にどれだけ投ずるのが一番必要かを考え公費わば使っていって欲しいものである。







ミャンマー(ビルマ)の水害被災者を思いながら
国際社会の働きかけに聞く耳を持たない軍事政権が








平成20年5月17日の天声人語よりの引用


ミャンマー(ビルマ)の水害被災者を思いながら、あの国の短編小説の翻訳集を読んだ。

物語はどれも、イラワジ川のデルタ地帯が舞台である。

豊かな水が漁労や農耕を支える。

その一帯に今回のサイクロンは牙をむいた

▼小説には、迷信にとらわれた人々も登場する。

諭しても聞き入れない。

その頑迷を「水牛のそばで竪琴を奏でる」ようだと嘆く場面があった。

日本なら「馬の耳に念仏」だろう。

国際社会の働きかけに聞く耳を持たない軍事政権が、現地のことわざに重なる

▼「モノはほしい。

人はいらない」という頑迷を、軍事政権は崩さない。

その救援物資も横流しがはびこっているという。

飢え、脱水、さらに伝染病。天災から逃れた命が、人災に脅かされる。

いたたまれない様が、閉ざされがちな現地から伝わってくる

▼大地震の中国からも痛ましい報道が続く。

救援ははかどらない。

「妹を救いたい」と泣きながら、震源の町へ歩く男性を、本紙の記者が伝えていた。

妻に止められたが、遺書を置いて出てきたという。

被災地を覆う悲しみと絶望に、言葉もない

▼その地へきのう、日本の国際緊急援助隊が入った。

9年前のトルコ地震での活動を思い出す。

がれきの中から老いた女性を救い出した。

固唾(かたず)をのんでいた住民から、歓声と拍手がわき起こったという。

たとえひとりでも、死地から救い出された命は、多くの人に希望と勇気を分け与える

▼「命の竪琴」の奏でる調べを、ミャンマーの為政者にも聞いてほしい。

水牛ではないのだから、聞く耳はあるはずだ。





軍事政権ができるのは可能性として何処の国でも起こりえることである。

軍隊ほどその国で一番恐ろしいそんざいなのだから。

そのような軍事政権を放置している国際社会が歪んでいる。

国連がもっと実行力を示すべきである。

天災で苦しんでいる国民をいくら放置していても政権は内部からは転覆しないだろう。

テロとかゲリラのするような役割をば公正なな立場で国連が圧力をかけるべきである。

戦争体験がないか,少ない世代になれば日本でも軍事政権は起こりえることである。








今年、種のないビワが初めて店頭に並んだ
千葉県の農林総合研究センターが10年をかけて生んだ
新品種「希房(きぼう
)」









平成20年5月18日の天声人語よりの引用


久しぶりにビワを食べた。

球体とも卵形ともつかぬ外見に、枇杷(びわ)色と呼ぶしかない果肉。

ほのかな甘みと酸味が懐かしい。

中国原産というが、この実が醸す曖昧(あいまい)さは和のものだ。

フルーツより水菓子の名が似合う

▼今年、種のないビワが初めて店頭に並んだ。

千葉県の農林総合研究センターが10年をかけて生んだ新品種「希房(きぼう)」。

あるべきものがない珍しさに、1個5千円の値もついた

▼〈枇杷すすりすぐに大きな種と会ふ〉小内春邑子。

その種は、なるほど、実に比して不当に立派である。

種や皮を除くと、食べられる部分は重さで7割弱。

種が消え、これが9割になったそうだ。

もともと微妙な味に大差はなく、出荷が増えれば相場も落ち着くだろう

▼こうした「破格」の最たるものは夕張メロンだ。

過日の初競りにて、2個250万円の史上最高値が出た。

今年も夕張再建への激励だという。


ひとたびブランドになれば話題づくりも思うがままだ

▼星新一の短編「リオン」では、動物学者がリスとライオンをかけ合わせた新生物をつくる。

かわいいが、不審者には勇猛に立ち向かう夢の動物。

それを見た友人の植物学者は、

ブドウとメロンを交配し、大きな実が房をなす夢の果物に挑む。

苗は育ち、ブドウ大の実をメロンのように少しだけつけた

▼「ブロン」ほどでなくとも、見込み違いは品種改良につき物だ。

それでも、より甘く、もっと大きく、さらに食べやすくをめざして、探究心と商魂の並走は続く。

自給ままならぬ日本の食料事情は、かくして頂ばかりが伸びてゆく。






品種のかけあわせでどんな新しい品種の果物がでてくるか夢の話である。

畜産物でも同じようなことがいえる。

遺伝子工学がすすめばとんでもないものも可能となる。







スピード社の「魔法の水着」が世界新記録を連発している時に、
英社製を試した日本選手は「全く違う」と驚いたそうだ








 
平成20年5月19日の天声人語よりの引用


舞踏会に行かせてやろうと、魔法使いはカボチャを馬車にした。

薄幸の娘が恥ずかしげに聞く。

「でも、こんなきたないふくをきていくのですか」(世界名作童話全集『シンデレラ姫』講談社)

▼誰にも、最高の衣装に包まれたい時がある。

それが「踊り」の出来まで決めるとあれば、なおさらだ。

五輪を控え、日本の競泳陣は落ち着かないことだろう。

英スピード社の「魔法の水着」が世界新記録を連発している時に、

北京に臨む日本代表は国内3社のものをつける契約になっている

▼英社製を試した日本選手は「全く違う」と驚いたそうだ。


着飾った自分に「よその人みたい」と叫んだ娘の姿が重なる。

契約ゆえにメダルを逃しては本末転倒だから、日本水泳連盟は3社に改良を求めた。

新作を試した上で、英社製の扱いを決めるという

▼技術大国の3社が、満を持した作である。

「きたないふく」であろうはずがない。

居並ぶスピード軍団を相手に勝てば、五輪伝説に一章が加わろう。

逆の目が出た時のいさかいも目に浮かぶ。

悪いのは踊り手か、衣装か

▼五輪まで81日。

地をけり、水を分けて記録を争う者は、鍛錬を仕上げる時期に入った。

肉体と「戦場」を結ぶシューズやウエアもまた、日々、国際競争のジムで鍛えられてきた。

昨今は、水着と共に戦う感覚らしい

▼真新しい水着は、しかし、それなりに泳ぎ込まないと味方にならない。

どの一着と踊るにせよ、舞踏会のシンデレラのように、選手に残された時間は限られている。

遠からず、鐘は「よなかの12時」を打つ。






やはり人間が競う競技では同じような条件がまず前提である。

一方が最新の水泳着を着ていて,一方が裸体のまま争うならば不公平である。

先進技術を持った国の人々だけが勝つこととなる。ドーピングと同じことになるのではないか。







茨城県下妻市で、ヒナゲシなどのつもりでまいた種から、
法律で栽培が禁じられているケシが咲いた。








平成20年5月20日の天声人語よりの引用


物理学者といえばいかめしいが、ノーベル賞を受けた朝永振一郎は身近な自然を楽しむ人だった。

庭にえさ台を作って野鳥を寄せ、ふんの中から色々な種子を拾い集めたと随筆に書いている

▼それを春先に鉢にまく。

すると入梅のころから様々な芽が出てくる。

双葉のうちは何の芽だか分からないが、そのうち見当がついてくる。

ヒマラヤにしかない植物が生えてきたら面白いのに、と周囲から言われたそうだ

▼意外な花が咲けば面白いが、あまり妙なのは困りものだ。

茨城県下妻市で、ヒナゲシなどのつもりでまいた種から、法律で栽培が禁じられているケシが咲いた。

恒例のフラワーフェスティバルの花畑のうち、1ヘクタールが「悪の花園」だと警察が気づき、先週あわてて刈る騒ぎになった


▼アツミゲシという花で、麻薬の成分を含む。

数十万本もあって1日では焼却しきれず、寝ずの番をしたそうだ。

北アフリカの原産という。

鳥が運んだはずもないが、紛れ込んだ経緯ははっきりしない。

百花競う季節のミステリーである

▼咎(とが)あるゆえか、ケシはどこかはかなげだ。

マリー・ローランサンの絵を思わせる、と詩人の三好達治は言った。

しかし、秘めた毒針は容赦がない。

実からとれるアヘンなどは、陶酔感と引きかえに人を廃人にする

▼朝永博士が鳥のふんから集めた種子は、育ってみると、近所にありふれた植物ばかりだったという。

法律上ありふれた花ではないはずのアツミゲシが、なぜ盛大に咲いたのか

狐(きつね)につままれたような不思議を残したままでは、来年が気にかかる。





大量のケシが混じっているヒナゲシノの栽培 刈り取る風景をテレビで見ている。

これだけの大量なケシの混入は偶然とは思えない。

ミステリ-でなく誰かの作為によるものと考える。







日本の家族はしばしば、最年少者から見た続柄で互いを呼び合う







平成20年5月21日の天声人語よりの引用


気づいてみると、日本の家族はしばしば、最年少者から見た続柄で互いを呼び合う。

子どものいる夫婦は、互いを「パパ」「ママ」などと呼ぶ。

夫婦の両親も、「おじいさん」「おばあさん」などと呼び合う人が少なくないようだ

▼仏文学者の河盛好蔵が、初孫を抱いた妻に「おじいちゃん」と呼ばれたときの戸惑いを書いている。

「瞬間、おじいさんて誰のことだろうと思い、すぐ自分のことだと思い直すときの気持ちは、

あまり愉快なものではない」(『おじいちゃま誕生』)

▼ときに家族でも微妙な呼び方を、ほかの人がするのはいかがなものか。

本紙東京本社版の声欄で、「外で他人に『お婆(ばあ)ちゃん』と呼ばれたくない」という趣旨の投書が相次いだ

▼「おじいちゃん」も同じだろう。

親密さの裏に、軽んじる響きを聞く人もいる。

80代の女性は、「日本人は繊細さを大いに持ちながら、社会的には無神経が折にふれて出る」と書く。

最たるものが後期高齢者の呼び名、と続けていた

▼それにしても、今年の流行語大賞は堅いような「後期高齢者」の不評である。

〈老人と言われた頃の温かさ〉と本紙の川柳欄にあった。

75歳の線引きにも問題はあろう。

それにも増して、呼び名を甘く見た鈍感が救いがたい

▼逆風を和らげようと、政府は「高齢者元気プラン(仮称)」を取りまとめるそうだ。

お年寄りの活躍の場などを聞かれ、首相は「お孫さんの面倒を見るとかね。

そしたら保育ジジ、保育ババですか」と答えていた。


言われて気分を損ねた人がいなければ、いいのだが。





誰もは生 老 病 死は避けて越えることは出来ない。誰もに平等に訪れることである。

元気で長生き死ぬときはコロリと死にたいは誰ものねがいであるが長い人生の体験(環境)と遺伝子でもって変る。

厚労省の中に診療経験のある人たちがいるのか疑問視することがある。

外国の真似だけでなくて実体験した医療経験のある人たちが提言すべきである。

あまりにもお粗末な後期医療制度である。タバコ 競馬 バー代などは家庭を崩壊する可能性のあるところには

大なる消費税を課しても良いのではなかろうか。いずれ応分の消費税の値上げが考えられる。

生活必需品である食 衣料品などはそのままに据え置きすることである。








派遣されていた日本の国際緊急援助隊が
きのう帰国した
懸命の作業にもかかわらず、
生存者を救い出すことはできなかった







平成20年5月22日の天声人語よりの引用


想像するのもつらいが、中国の地震被災地では、まだ多くの人ががれきに埋まっている。

いまも細く命の灯をともしているかもしれない。

時間はしかし、待ってはくれない。

刻一刻と過ぎて灯を吹き消していく

▼現地では時間と競争して、秒針の音を聞くような思いだったろう。

派遣されていた日本の国際緊急援助隊が、きのう帰国した。

懸命の作業にもかかわらず、生存者を救い出すことはできなかった

▼〈一寸の光陰軽んずべからず〉と中国宋代の詩の一節にある。

軽んじたわけではあるまいが、中国政府からの要請は遅れた。

発生から72時間で、がれきの下の生存率はぐっと落ちる。

時間との「真剣勝負」では、初動の遅れを取り戻すのは難しい

▼救えなかった無念は残るが、忘れがたい印象も残した。

最初の現場でのこと、収容した母子の遺体に整列して黙祷(もくとう)をささげた。

その姿が報じられると、中国人の心を揺さぶって、賛辞がわいた。

この母子ほど敬意を払われた犠牲者はない。

そんな声も伝わっている

▼援助隊が戻った成田空港には、出迎える中国人留学生らの姿があった。

日中の国民は、しばしば感情をぶつけ合ってきた。

わだかまりを和らげたいと双方が願うとき、立ち返るべき一つの記憶に、この「黙祷」はなるかもしれない

▼「禍(わざわい)がないことより大きな幸せはない」と中国の古典に言う。

格言の崩れ去った惨状の地に、入れ替わりに日本の医療チームが入った。

救える命を一人でも多く救ってほしい。


禍の土地から芽ぶき花咲く、信頼や友情があると信じたい。





あまりにも遅く出かけて早く帰国している。何のための国際援助対か判らない。

何か中国とトラブルがあったのではないかと憶測する。






飛び上がるのが下手な鳥に、
絶滅危惧(きぐ)種のアホウドリもいる






平成20年5月23日の天声人語よりの引用


人類初の動力飛行に成功したライト兄弟の兄は、なかなか機知に富んでいた。

成功後にスピーチを求められると、立ち上がって「みなさん、おしゃべりな鳥オウムは、上手に飛ぶことができません」。

そう言って話を短く切り上げたそうだ

▼その兄も、「おしゃべりな鳥」の雄弁に脱帽かもしれない。

千葉県流山市で、オウムの仲間のヨウムが迷子になった。

警察に保護されると、自分の名前や住所をしゃべり、無事に飼い主のもとへ戻った74

▼名前は「ナカムラヨウスケ」、住所は「ナガレヤマシ……」と地番まで正確に話したそうだ。

あいさつばかりか、「はとぽっぽ」と童謡も歌う達者ぶり。

ヨウスケくんは上手に飛ぶ必要もなく、車で悠々と帰って行った

▼飛び上がるのが下手な鳥に、絶滅危惧(きぐ)種のアホウドリもいる。

よたよたと不細工である。

そのヒナ4羽が、小笠原諸島の聟島(むこじま)から巣立ったと知らせが届いた。

火山活動が心配な鳥島で生まれ、2月に人の手で移住したヒナたちだ

▼こちらは、迷子にならぬよう、人工衛星に手厚く追跡されている。

成長すると広げた翼は2メートルを超す。

いったん飛び上がれば、舞い姿は雄大だ。

数年後には聟島に戻り、子孫を増やす期待をになう

▼アホウドリはかつて乱獲で激減した。

時代は変わったが鳥たちの受難は続く。

国際自然保護連合は先ごろ、世界の約1万種のうち1226種に絶滅の恐れがあると公表した。

生息環境を失い、温暖化に追われ、多くの鳥があえいでいる。

心なごむニュースに微笑しつつ、わが日常の責任を省みる。






鳥達もそうだが温暖化に人間達も危険を感じ出しているようだが,大国のエゴで国際的な温暖化対策はできていない。







同じ警戒感が、サマータイム(夏時間)の導入論議にある
時計の針を1時間進めるから、
日没は1時間遅くなる

その夏時間を導入する法案を、
超党派の議員連が今国会に提出するそうだ。







平成20年5月24日の天声人語よりの引用


明けやすい夜を詠んで、昔の歌人は風流だった。

〈夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ〉と百人一首にある。

「まだ宵と思っていたら明けた」とは大げさだが、時計のない時代である。

実際にそう感じたのかもしれない

▼夜が短ければ、そのぶん昼間は長い。

貴族は知らず、庶民はこの季節、よく働いただろう。

「五月には心無しに雇われるな」と言うそうだ。

日没が遅くなれば長く働かされる。


あこぎにこき使われてはかなわない。

雇われる側の用心が、短い言葉にこもる

▼同じ警戒感が、サマータイム(夏時間)の導入論議にある。

時計の針を1時間進めるから、日没は1時間遅くなる。

そうなれば「あこぎ」が増幅しかねない


日が高いのに「お先に」とはいかない空気が、残業を強いる心配もある

▼その夏時間を導入する法案を、超党派の議員連が今国会に提出するそうだ。

2年後から導入の可能性もある、と聞けば無関心ではいられない。

省エネ、夕刻の余暇利用といった利点が見込まれる半面、時間変更による混乱や労働強化などの不安も多い

▼とはいえ今の季節、朝の5時には十分に明るい。

なのに世の中は、まだ眠りから覚めていない。

浪費するには惜しい「天然の照明」ではあろう。

真夏ならこれに「天然の冷房」も付く

▼3年前の本社の世論調査では、導入への賛否はきれいに二分されていた。

あれこれ味を想像するだけでなく、一度食べてみて判断する手はないかと思う。

「心無しに雇われない」準備を、整えたうえのことではあろうが。




サマータイムは昔一度行われたように思うが,何故に止めになったかを検討する必要がある。






熊本市の慈恵病院が、新生児を匿名で預かる
「こうのとりのゆりかご」を開設して1年が過ぎた






平成20年5月25日の天声人語よりの引用


思わぬ所で、思わぬものに出会う。

数日前、箱根湯本で大雨をやり過ごした時のことだ。

小さな滝のそばの木に、サワガニがいた。

苔(こけ)むした樹皮の目の高さあたりで、細い足をぐいと踏ん張っていた

▼カニの居場所は海か川と決めつけていたが、水辺の木にいても不思議はない。

えさ場なのか、休息中なのか。

横ばいの愛敬者にすれば、どこにいるのも生きるための必然だろう

▼カニが水から離れぬように、たいていの赤ん坊は寝床か母親の腕の中にいる。

赤ちゃんポストの言葉に覚えた違和感は、思えば「樹上のカニ」の比ではなかった。

素肌のぬくみと冷たい金属。

両者の間には、偶然にも出会わせてはならない落差がある

▼熊本市の慈恵病院が、新生児を匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」を開設して1年が過ぎた。

3月末までに男児13人、女児4人が託されたという。置き手紙などから身元が分かった子が9人。

思い直して引き取りに来た親もいたそうだ


▼捨てたんじゃない、つながっていたい。

そんな親心の「迷い」に、かすかな救いを見る。

露と消えかけた命を「ゆりかご」が救ったと信じたい。

ただ、障害を持つ子もいたらしいと聞けば、気はめいる

▼授かった命は、身を挺(てい)して守るのが生き物の習いだ。

子の側も無意識に守られようとする。

闇へと走り去る親の背に、生まれて間もない本能はどんな叫びを発したのか。

ちなみにサワガニのメスは、50粒ほどの卵を抱き、子ガニが生まれてもしばらくは腹に抱えて過ごす。

身勝手も生活苦もない、清流の話である。






このようなものは個人がするものでなく公が率先的に始めべきことである。

慈善団体に任すべきたちのものではない。







いまや競争と成果主義が職場を支配し、空気はとげとげしい
仕事上のストレスから心を病む人が絶えない








平成20年5月26日の天声人語よりの引用


働けないのなら去れ、というのが上司の考えです」。

うつを発症した大企業の社員(38)の言葉だ。

自身もこの病と闘う上野玲さんが『日本人だからうつになる』(中公新書ラクレ)で触れている。

うつ多発の陰には日本的な「頑張れ精神」と、個を重んじない「村社会」があると上野さんは見る

▼仕事上のストレスから心を病む人が絶えない。


07年度、精神を患って労災と認められた人は、30代を中心に268人。

うち、未遂を含む過労自殺が81人を数えた。ともに過去最多だ

▼成長期には、社員の頑張りが会社を大きくし、皆を幸せにした。

いまや競争と成果主義が職場を支配し、空気はとげとげしい。

派遣やパートが増やされ、正社員の負担は重くなるばかりだ。


時に頑張りという名のサービスだった残業は、過労と非効率のシンボルになった

▼トヨタ自動車は、現場の知恵を吸い上げるQC(品質管理)サークル活動に対し、6月から残業代を丸々出すという。

会社側は社員の自主活動としていたが、過労死訴訟で「業務」とする判決が確定、見直しを決めた

▼日本マクドナルドも8月から、直営店の店長らに残業代を払い始める。

残業代なしで遅くまで働く「名ばかり管理職」への批判に応えた形だ。

同時に、店長手当をなくすなどして人件費を増やさぬ策も講じた

▼タダ働きが減れば、会社は次の手を迫られる。

残業代を抑えるには、新採用で人手不足を埋めるか、商いを身の丈に戻すしかない。

何もせず、「残業代を減らせ」と号令をかけるばかりでは、病の巣は残る。





元小泉首相のなしたことに対してどうしてあれだけの投票があったのか不思議。

あれは確か郵政事業を民営化イエスかノーかでの選挙で国民は化かされていた。

なにもかも民営化で合理化し経費を削減することにあったようだった。

その為に国民が病み,格差社会が進行して作り出されている。

副産物として多くのものが出てきているアメリカ型の訴訟社会と,日本型の癒着社会の

変な形の社会が作り出されて来ている。






川風なら五月場所が一番いい、と書いている
朝青龍の所作は、「だめ押し」という代物ではないだろう










平成20年5月27日の天声人語よりの引用


銀座生まれの国文学者、池田弥三郎は相撲が好きだった。

大相撲を見ての帰りは、隅田川の川風に吹かれて家路についたそうだ。

一月場所の冬の風は冷たい。

九月場所は残暑の湿気をはらんでいる。

川風なら五月場所が一番いい、と書いている

▼この季節の国技館は〈桟敷では、そら豆のさみどりが懐かしい。

そして、打ち出して出て来ると、上気した頬(ほお)に、川風がこころよい〉(『行くも夢 止まるも夢』)。

そんな心地よさを台無しにする、両横綱の醜態だった

▼それも千秋楽、結びの一番である。

勝負がついた後、四つんばいの白鵬を、朝青龍がさらに押しつけた。

怒った白鵬が立ち上がりざまに肩をぶつけて応じ、土俵上でにらみ合いになった

朝青龍の所作は、「だめ押し」という代物ではないだろう。

「勝利が確実になった後で、さらに点を加え(念を入れて)、勝利を決定的にする」のを、だめ押しと言う。

敗れた者をさらに地に這(は)わせるのは、幼い自己顕示にすぎない

▼白鵬にも問題はあろう。

荒ぶる心を鎮める冷静さを欠いていた。

モンゴルの草原から吹く風は、今や大相撲を支えている。

とはいえ、伝統の川風を蹴散(けち)らして吹き荒れるなら、ファンも心穏やかではいられない

▼大相撲放送半世紀の元アナウンサー杉山邦博さんが、近著『土俵の真実』で、

大相撲の魅力を「抑制の美を大事にしている」ことと述べている。

勝ちっぷりも負けっぷりも、抑えが利いてこそ見事、ということだろう。

反面教師ぶりに、角界はまた「どこ吹く風」を決め込むのだろうか。







相撲もプロである。何が何でも強ければよいものではない。青清龍も白鵬もモンゴル人である。

相撲取りとして顔立ち品格も少ないように見受ける。やはり双葉山のようなスマートな力士が

育っていって欲しいものである。日本の若者が見放すからには相撲界にも問題があるのではないのか







三浦雄一郎さんはエベレストに惚(ほ)れ
75歳7カ月での2度目の登頂である








平成20年5月28日の天声人語よりの引用


それまではピーク15、つまり「15番の峰」と素っ気なく仮称されていた山が、世界最高峰とわかったのは1852年のことだ。

101年ののち、英国隊のヒラリー卿らが、究極の高みに初の足跡をしるすことになる

▼そのヒラリー卿の家に飾られた写真を見て、若きプロスキーヤー三浦雄一郎さんはエベレストに惚(ほ)れたそうだ。

70年に、8千メートル地点から滑降した。

03年には、当時の世界最高齢の70歳で頂上に立った

▼異彩を放つエベレスト歴に、おととい、新たなページを書き加えた。

75歳7カ月での2度目の登頂である。

8千メートルを超す山は、酸素を吸っても足はなかなか前へ出ない。

アタックの日、そこを15時間かけて、登って下りた

▼今回のために、心臓を手術した。


いつも左右に5キロの鉛を入れた靴をはき、重いリュックを背負って街を歩いた。

電車に乗れば、つり輪で懸垂をする。

低酸素室での鍛錬も重ねた。

老いと競うように「75の夢」を追う姿を、以前に取材したことがある

▼「涙が出るほど厳しくて、つらくて、うれしい」と、頂上から言葉が届いた。

それまでの膨大な「厳しくて、つらい」を、「うれしい」が太陽のように包み込む。

その一瞬こそが、冒険家に与えられる報酬に違いない

▼世界最高峰ゆえにエベレストは大衆化し、登頂者はすでに3千人を超えている。

最高齢の記録も、前の日に登った76歳のネパール人に譲った。

とはいえ、それで75歳の達成感がかき曇ることはあるまい。

自らの夢をかなえて、なお人を勇気づける。

思えば幸せな冒険家である。






プロスキーヤー三浦雄一郎さんが75歳までプロ冒険家として人生を過ごせたことは幸せな人生だったと思う。

努力なくしては出来ないが,心臓手術してまでも其処までという気持ちもある。

76歳のネパール人に記録は破られているが,75歳とは偉大なことである。凡人では出来ないことだ。








英世の功績を記念した「野口英世アフリカ賞」を、政府が創設した







平成20年5月29日の天声人語よりの引用


昭和の初め、黄熱病の研究のためにアフリカに赴いた野口英世は、自らが黄熱病にかかって51歳の生涯を終えた。

自分の作ったワクチンが効かなかったからだという。

「私には分からない」と、最期につぶやいたそうだ。

時代は流れたが、その言葉に、感染症の怖さを見る思いがする

▼英世の功績を記念した「野口英世アフリカ賞」を、政府が創設した。

アフリカに関する医学や医療を対象にする賞だ。

その第1回が、きのう、横浜でのアフリカ開発会議に合わせて贈られた

▼受賞者のひとり、ブライアン・グリーンウッド博士は、英国のマラリア研究者である。

長くアフリカに住んで、現地での人材の育成にも力を注いできた。

きびしい地域で地道な成果を上げているそうだ

▼しかし、道は遠い。

蚊が媒介するこの病気で、アフリカでは毎日3千人の子が命を落とすという。

サハラ砂漠より南では、子どもは6人に1人が5歳を迎えられない。

その大きな原因にもなっている

▼「貧困の病」とも言われる。

予防や治療に、なけなしの収入が消える。

病が貧困を招き、貧困が病をはびこらせる。

マラリアだけではない。

英世の死から80年をへて、エイズなど様々な感染症が今もアフリカを脅かす

▼アフリカに渡った英世を、当時の米紙は「宿敵である黄熱病との戦いを開始した」と報じている。

そこまでの貢献はできなくても、今は、ささやかな協力でアフリカを支援する手だてが結構ある。

鳴り物入りの会議を機に、「遠くて遠い」と言われる国々に一歩でも近づけないだろうか。






野口英世博士は偉大な努力家である。子供の頃伝記はよく読んでいる。

アフリカの為に医学医療の分野で貢献した人に賞を与えることは良いことである。

シュバァイツァ-賞はあるのかどうか。アフリカで実地に貢献した偉大な人であった。

晩年は世界の核廃絶に努力されている。







英語の渦は、グローバル化でますます巨大化している








平成20年5月30日の天声人語よりの引用


 数年前、米国で18歳から24歳の地理知識を調べた人たちは驚いた。

3人に1人が、約2億9千万人(当時)の自国の人口を「10億人から20億人」と答えたからだ。

「米国が世界の中心だという思いこみが錯覚を与えているのでは」と調査の責任者は憂えていた

▼思いこみの背景には、世界一の軍隊や経済があろう。

もう一つ、英語の影響も大きいようだ。

何しろ、自分たちの言葉を世界中が学んで、話している。

その席巻ぶりに「勘違い」をする者がいても、不思議はない

▼英語の渦は、グローバル化でますます巨大化している。

その奔流に、日本の小学生も乗ることになった。

学習指導要領が改められ、5、6年生への授業が始まる。

それでもまだ遅いと、政府の教育再生懇談会が先日、3年生からの必修を提言した

▼いざ海外で、日本人は英語の不如意に悩まされがちだ。

中国も韓国も他のアジア諸国も、英語教育に力を入れている。

立ち遅れれば、経済などの国際競争で敗れかねない。

そうした不安が提言の裏にはあるようだ

▼懇談会メンバーの英語力は知らない。

だが「もっと早くから接していれば」という自らの悔いを、背景に見るのはうがちすぎか。

もっとも専門家によれば、「それで自然に話せるようになる」と思うなら、甘い幻想らしい

▼いまや、英語を話す人はざっと15億という。

世界の公用語になった感も強い。


とはいえ貴重な授業を英語に割くか、国語を重視すべきかは、意見が割れていると聞く。

二兎(にと)を追って双方とも逃がすことのないよう、お願いしたい。






英語は中学生の時より学んでいるが不完全である。話すとなると駄目だ。世界の公用語として広まっている。

だとすると毎日英語を使って生活している人たちは大変有利である。

もともとどうして此れだけの言語が作り出されたのが不思議である。少なくとも世界が一つの言語を使っていれば

此れだけばらばらな国々にならなかったと思う。世界共通語としてエスペラン語があるが英語ほどに世界共通語には

なってはいない。子供の頃より英語に親しむことは良いことである。




5月の言葉から





平成20年5月31日の天声人語よりの引用


波が逆巻き、大地が揺れ、大きな災害がアジアを襲った。

苦難の中から立ち上がろうとする人々がいる。

復興への願いをこめて、悲しみをくぐり抜けて輝く5月の言葉から

▼兵庫県の長岡照子さん(82)は阪神大震災で弟を亡くした。

体験と防災の「語り部」を続けている。

「話すのは、今だってつらいんよ。

でも同じ思いをしてほしくないから話すんよ。

経験者が伝えて被害を小さくできるなら、それでええやないの」

▼北京で秋にパラリンピックがある。

車いすバスケットの選手、福島県の増子恵美さん(37)は交通事故で19〜21歳を病院で送った。

「運命に逆らわず、ぼちぼち歩み、進化していきたい。

失った青春時代を今、埋められている気がします」。


日本女子チームの司令塔を務める

▼アフリカ・ウガンダの孤児らの「聖歌隊」が名古屋市などで公演した。

空腹に泣き、一日中土を掘って食べ物を探したような子どもたち。

「希望のないところから希望を見いだしてきた物語が一人ひとりにある」と実行委の清家弘久さん(48)。

澄んだ歌声に拍手がわいた

▼ひきこもりの人の共同作業所が和歌山市にある。

事務局長の永井契嗣さん(36)は、自身、7年のひきこもりから立ち直った。

「人はたくさん失敗し、たくさん成功もする。

どっちにしても大したことはない、自分は自分だと思えるようになる」

▼「きっと誰かが助けてくれると思った」と中国の被災地から、200時間ぶりに救出された98歳の女性の声が届く。

誰かを信じることは、かくも強い命のささえかと思う。





何処にでも珠玉の言葉がある。






宇治市五ヶ庄にある二つの許波多神社




宇治市内五ヶ庄内に二つの許波多神社が鎮座している。

宇治京阪線の木幡駅の近く西の方向に行ったところに一つで,木幡神社ともいわれることがあるものの

許波多神社と刻んだ石柱が参道正面に建っている。現在は京都府宇治市木幡東中に存在している。

もう一つの許波多神社は隠元橋から宇治方面に進んだ古道の左側に在る。

宇治市五ヶ庄古川iになる。許波多神社は宇治市五ヶ庄の二か所に鎮座していることになる。

この五ヶ庄古川にある許波多神社は明治のはじめ明治九年に、宇治の柳山から旧御旅所であった現在地に

政府の方針でもって強制的に遷座させられている。

宇治の火薬庫を作るための計画地にかかるため,明治九年に強制的に移動させられれたのである。

同じ頃には京都市伏見区深草の地に十六師団司令部が出来ている。

それには騎兵隊 野砲隊 歩兵隊 輜重隊隊 練兵場なども出来てきて伏見区深草は軍隊の町になっていっている。

当時地元深草で反対運動もあったようだが強制的に土地収用され軍隊が建設されてしまっている。

その一環として宇治火薬庫が創設されたものと思う。

軍隊の創設するが為に,平安時代よりもっと以前から続いていた神社までもが強制的に移動させられている。,

これは神をも恐れない軍隊の行動であるとしか思えない。

歩兵隊が創設されるのに,近くの深草藤森神社が東方面の境内が削られているようだし,師団司令部の西側にあたる常安寺の敷地の一部が

収用されているようで,常安寺にあった自分の先祖の墓地が真宗院の北隣の山に移転されているようだ。

当時の軍隊の力は絶大で,大変に強いものであったことが判る。

子供の頃は師団司令部の在った同じ町内に住んでいて,現在は師団司令部であった場所が戦後聖母女学院に変っている。

いつもは外部からしか眺めていなかったが,レンガ造りの立派な建物が正面に見える。

今回初めて敷地内に入り,内部を案内してもらい見学した。五月五日の藤森神社の祭りの日のことであ.る。

外見同様に内部も極めて重厚な感じで,明治に建てられたものかと思うかとほどに,内部もピカピカで,かなり丁重に使われていたことが判る。

多分司令長官がおられたと想像する部屋にも案内され,其処にはこの聖母女学院での初代院長であろうと思われる外人女性の写真が飾ってあった。

柔和な女性でシスターが着る衣装をまとわれていて,その部屋は重厚さのなかにも華麗さ荘厳さをも感じた。

子供の頃,戦後にはシスター達が多数,家の前の街道をば往き来しているのをよく見かけたものである。

戦時中で大変印象深かったのは,憲兵に捕まった兵隊がカキー色の短いマントに頭からスッポリ覆われ,マントの後ろから紐が出て

憲兵に連行されてゆく姿が印象深かった。

戦後のしばらく,司令部が管理が充分でない頃,子供のいたずらでもって司令部の中へ忍び込み,監獄がいくつもあったのを見かけている。

捕まった兵隊達は多分其処に収容されたものと想像する。

脱走兵だったのだろう。当時の非国民である。当時の地図を見ていると別個の場所に独立して監獄が存在している。

司令部の監獄は一時的に収容する場所だったようである。

脱走というと,子供の頃に集団疎開した寺院である,粟生野光明寺から脱走した者が何人かいた。

罰として連れ帰えされた子は長時間に立たされていた。

自分自身は空腹にたえながら,脱走せず見事「栄養失調」になるまで我慢していた。

手足はやせ細り胸の肋骨(あらばぼね)が見え,お腹が少し膨れ,

自覚症状として大変お腹がすいていた以外に何も感じなかった。

殆んど子供達は子どものなのに遊ぶことをしなくなっている。大体全員が大なり小なり同じ状態だった。

戦時中と戦後暫くは,:現在のように肥満でさわぐような人は一切みかけていなかった。

食糧不足でもって,近所におられた,かなり太っていた男性の方が普通の人の体格になってゆかれている。

現在はメタボりックシンドロームとして肥満が病気の大敵であるが,当時は一切肥満の人を見かけることはない。

全て戦争中は軍隊の権威・威力が絶大であり,将来は自分も立派な軍人になることを祖父から期待されていた様子だった。


許波多神社にもどるが,祭神は、前者即ち木幡駅近くの許波多神社には天忍穂耳尊{あめのおしほのみみのみこと}が鎮座され,

明治41年(1908)になり田中神社が遷座され現在は相澱に祀られている。

近年になって、東大寺東南院の古文書の検討から,九世紀ごろまでに既に現在地の南東方(南山の南西部)に

一旦分祀されていそれから現在に移ったと考えられるようになった。

だが木幡の社の社伝によれば、いかなる理由からか応保年間(一一六一〜六三)に現在地の木幡東中に分祀されたと伝えられている。

現在は神主はおられず社務所があるだけで,:境内の一隅には木幡墓が囲いされていた。

木幡小学区が氏子になっていると教えてもらった。

五ヶ庄古川の許波多神社は岡屋小学区が氏子になっているとのことだった。

宇治市五ヶ庄古川の許波多神社には天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊{ににぎのみこと}・

磐余彦尊{いわれひこのみこと}(神武天皇)の三座で、ともに旧郷社である。

もともとは両者は同一の神社であって、五ヶ庄東部の柳山に鎮座されていた。

社伝によると、壬申の乱の際に大海人皇子(天武天皇)が戦勝を祈願して柳の鞭をば社頭に挿していたところ、

この柳が芽を吹いたので社地をば柳山で、社は柳大明神と称したといわれている。

『山城国風土記』逸文には既にこの社名が見られて、貞観元年(八五九)には神階従五位上が授けられている。

また式内大社に列して、四度の官幣にあずかったている。

何故に分祀されたかについては判っていない。故に現在は同じ名前の許波多神社が宇治五ヶ庄に二つ存在することになっている。

宇治市五ヶ庄古川の許波多神社には神主さんがおられ会ってお話する機会があった。

新聞を年二回発行され,古い家宝や神輿もお祭りには出ているようである。

木村重成の末裔にあたると話しておられ,座敷には近衛家の家族と一緒に撮られた写真が飾られていた。,

聞いてみると五ヶ庄は近衛家が領地していた土地で神社にも近衛氏が家族と一緒に訪問されているようだった。

どうして近衛家の領地の神社の神主になられた経緯までは聞いていない。

木村重成の末裔だから,自分なりに調べたことは木村重成は近江の佐々木六角関係の筋で

豊臣秀頼の小姓や家臣となり,豊臣秀頼に仕え大阪の陣で戦い重成が亡くなったのは23歳の若さで死んでいる。

結婚後5ヶ月で青柳という妻がいた。木村重成が戦死した後に子供が生まれ ,その子供を馬渕家に養子にやっている。

それが馬渕源左衛門である。

馬渕家は佐々木六角氏の重臣の家系である。

又近衛家には進藤長之という諸大夫を務めた青侍(皇族や公家に仕えた武士)がいた。

進藤家は近衛家の家臣の家柄であった。又進藤家も佐々木六角氏の重臣の家系であって

そのような関係から木村家が宇治市五ヶ庄氏神である許波多神社の神主になられたように想像する。

進藤長之の一族に赤穂藩士の進藤源四郎がいて山科在留中の大石内蔵助と関係を持ったといわれている。

山科も又近衛家の領地であった。その関係で進藤源四郎は山科に移り住んでいる。

今も子孫は続いている。昭和に創建された大石神社の神主には進藤家がなっている。お隣の家は進藤家と親戚である。

目賀田氏は佐々木六角の家臣で以前にこの辺りのことをかなり調べたことがある。

戦国時代に明智光秀側に加担して佐々木六角氏は滅びている。その家臣達はその後も国内の各所に存続し活躍している。

進藤家もその一つのようである。昔につながりか゛あったのかもしれない。

進藤長之は近衛基熙(1648-1722) 家熙(1667-1736) 家久(1687-11737)に仕えたとされている。

万福寺は1661年に山城国宇治郡大和田に開創している。となると近衛基熙の前の尚嗣(1622-1663)になるのかどうか判らない。

万福寺が立てられる前には宇治市五ヶ庄は近衛家から幕府の領地に一旦なっている。

幕府が五ヶ庄の許波多神社を監視する為に万福寺を建てたとした話をしておられるが,木村重成の末裔だとすればありえる話かもしれない。

近衛基熙は元禄15年(1702)の赤穂浪士の討ち入りの時の当主であることは間違いない。

基熙の日記には赤穂浪士の討ち入りを近衛も当時の天皇である東山天皇も喜んでいることが日記に記されている。

許波多神社は 近世以降は、隣接して開創された万福寺との間で境界相論が生じ、ひいては村落間の紛争の一因となったこともあった。

本殿は永禄五年(一五六二)の建造で三間社流作・檜皮葺で正面蛙股には社名にちなん柳や馬の彫刻があり重要文化財である。

又鎌倉初期の作とされている一本造作彩色男女神像 馬頭男神像など 像高50センチ弱の神像数体が残り中世には神宮寺で

管理されていたと伝えられている。

五ヶ庄柳山の許波多神社が明治に現在の宇治市五ヶ庄古川の御旅所に遷るまでの場所は万福寺近くの現在の黄檗公園辺りだとされている。





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