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六月になって(昨年の六月の随想)



六月に入ると一段と暑い日が多くなってくる。今年は梅雨時だが,雨はあまり降らずに過ぎてゆきそうである。

これも地球温暖化が関係しているようである。

子供の頃に下げた「テルテル坊主」はあまり必要としない年になりそうだ。

例年の六月は雨がよく降り,じとじととした季節だが,今年は夏を思わせる日がつづいてくる。

ゴルフするのに,雨の少ないのは大変ありがたいことである。

ゴルフは大体雨と関係なしに,開催されるものだが,でも雨の中のゴルフはあまり面白くない。

最始から雨のときはやめることにしている。

近くの宇治の三室戸寺のアジサイを見に行ったが,多勢の参拝客が訪れていた。

アジサイを鑑賞しに来ているのか,お参りしに来ておられるのかは判らない。

普段の時と比べ人出の数が多く ,アジサイ為に訪れているの人たちが増えていることに間違いない。

アジサイの規模は,近くで他の場所では見ることができないくらいに沢山植えられている。

このように,三室戸寺にアジサイが植えられたのは,こ゜く最近のことである。
,
京都深草の藤森神社も同じように此の頃の季節にアジサイ祭りが催されている。

だが境内は小さいので,その規模も当然小さくなってくる。

此処も同じようにアジサイが植えられたのは最近のことである。

神社仏閣は何処ともに最近益々,よく整備され出してきれいになって来ている。

国内に於いては内閣の指導の下に国会が延長され諸法案をば参議院選挙まて゜に通そうとして会期延長がなされた。

参議院選挙で自民党が敗北すれば諸法案が全て廃案になるからとの考えによるものらしい。

そんなに大切な法案なのだろうかどうか。?  もし大切な法案ならばもっとより慎重にとり扱うべきである。

自民党にだけ大切であって,国民を度外視しての法案なのかもしれない。

国民に信を問うてからにするのが本筋である。

国民にとって極めて大切な法案となれば,自民党は続けて大量の支持票が集まるから,それからでも遅くないと思うのだが。

憲法改正 教育基本法 年金問題 公務員の天下り禁止法などなど歴史的観点からでも,大切な法案が何の審議することなく

国会を素通りしてゆくようなことでは,国民の怒りは自民党に向けられても仕方ない事である。

何故にそんなに急ぐのか阿部さん。

参議院選挙では法案を通した事を阿部さん自分自身の実績としてあげられているようだがこれは大きな汚点である。

汚点か実績かが正確に判断がで゜きないような人に日本の政治をまかしてよいものなのか。

若さのいたりによるものか,それとも憲政史上,少しでも何らかの名を留めたいがためなのか。

自民党がなんとか支持を挽回したいため,夏休みになれば学生達か帰郷して投票率が少しでもさがることを期待しての会期延長だとか。

色々な参議院選挙のためだけの思惑が交差しているようだ。

沖縄では沖縄戦での集団自決が日本軍の指令で行われたとの

教科書改定を「軍の命令だとすることを削除」に対して反対運動が沖縄で起きている。

これは戦争体験したものとして実際に政府とか 軍の命令があったのかどうかは判らないが,

国全体が総動員体制に導かれていたのは,当時の為政者・政府にあったことには間違いない。

それは戦争時下に生活していたものとして断言できる。

当時,敵の捕虜になることは「恥だ」「虜囚の辱めに遭うぐらいならば死んだほうが良い」゛との教育が国民全体に徹底的に教育され浸透し,

それが当時の日本全体の世間一般の常識だったから

日本軍が直接間接的に集団自決を強いた可能性は大いに考えられる。

教科書からはこの記事を絶対にはずすべき事ではない

ただ軍隊が悪いのではなく,
戦争そのものが悪いのである

このことの一番大切なことは,これを教訓にし同じ過ち,戦争をば二度と繰り返し,過去の過ちを再び犯してはならないことである。


軍隊があるだけでは戦争にはならない。為政者の命令で軍隊は動くものである。

戦争だけは永遠にすべきものではない。

現在の政府が教科書からはずすことにこだわるのは,再び同じようなことがしたいが為の障害になるからと,かんぐりたくなる。

日本政府が「鬼畜米英」としての教育していたのが,戦後アメリカ軍が日本を占領し,GHQがマッカーサーを司令官として来日し

占領軍が政治を携わってからは「,アメリカという国は大変に立派な国で,模範とする国だ」との考えに180度変貌してしまっていった。

当時アメリカ占領軍ではなくて,体のよい進駐軍と言う名前に変わっていた。

そのようにして日本国家はアメリカ軍の占領統治下におかれていた。

戦時中日本軍は「敗退」をば「転進」として大本営が発表していたのと同じ手法である。

当時マッカーサーの言うことは絶対的なものであった。労働者の大規模なストライキが計画され施行されようとした前日に

マッカーサーの命令でもって,ストライキが中止されたのを覚えている。

ラジオ放送によって,当時の労働者である大人たちが,くやし涙声でもって語るラジオ放送は今も耳の底に残っている。

テレビがなく,ラジオしかなかった時代の頃のことである。

それからはずーとその後のそのような戦後教育が続き,日本の優秀な人たちがアメリカへフルブライト給付生として留学し,

アメリカで学んで帰ってからは,アメリカで学んだことが国民に伝えられ,益々アメリカが立派な国であり,憧れの国へと変貌していった。

教育によって人間はなんとでも考えが変わることを証明している。

このことは,現在の北朝鮮を見ればわかることだ。

今の金日正をば昔の天皇に変えれば,丁度戦時下の日本の社会状態が想像できる筈だ。

鬼畜米英が本当はそんなに立派で合理的なアメリカ国家であるならば,どうして日本の国が早く戦争に降伏しなかったのかと。

第二次大戦の終わりの頃には特攻隊.・人間魚雷までが繰り出され,死闘を繰り返し,サイパンの玉砕・硫黄島玉砕そして沖縄本土決戦へと

それに日本国中の大都市へは無差別空襲が繰りかえされて,最後は広島・長崎の原子爆弾投下と続いていった。

立派な国であるアメリカに何故そんなにまで日本は抵抗していたのだろうか。?

何のために戦争を続けていたのだろうか。?

何故どうしてそんな立派な国に対し,早く降伏し,その占領下においてもえれば,どれだけか多くの国民が無駄死にすることなく

多くの優秀な人たちの人生が全うできたことかと考える。

今できることは,そのような戦時中の尊い体験をば現在に大いに生かすべきことだけである。

当時の日本の国は「一億一心」「撃ちてし止まん」「贅沢は敵だ」「勝つまでは辛抱」「一人になるまで戦おう」などの

スローガンのもとに生活していた。それらのスローガンは小学校内に大きく講堂の壁に貼られていたのを覚えている。

小学校への登校時・下校時には必ず校門の近くに建てられた御宸殿の前で,必ず最敬礼をして通学していた。

少なくともお辞儀をすることを強制されていた。

御宸殿とは天皇・皇后両陛下の写真が収まっており,又各家庭の床の間の上にも天皇・皇后両陛下の写真が飾られていた。

何時から飾られ出したのか,記憶し自覚するようになった時には既に床の間の上に飾られている。

それだからそのような写真に対し,何の違和感も感ぜず子供の頃生活していた。全く今の北朝鮮を連想されるような風景である。

空襲がはげしくなって学童集団疎開し敗戦でもって,戦後のどん底生活に落とされ辛抱・苦労の生活が続いている。

:最近マスコミ報道で,自衛隊の幕僚長が現在,仮想敵国が日本を占領しようとしたとき日本国土の水際でもって敵をば撃退するため

(愛国心のためによるものか)現在日本の自衛隊ではクラスター爆弾を保持しているとの答弁しているのを聞いていて,

第二次大戦を体験したものとして,そんなこと言わず早くに敵に降伏すれば(さらに国民が幸せになるかどうかは不明だが,)

それに続くであろう数多くの悲惨な体験だけは国民はしないですむものと考える。

少なくとも多くの国民の多くがが無駄死にするにはならないと思う。

馬鹿な「愛国心」を持たされたが為に,苦労した過去の戦争体験を,今の日本では,その体験が生かされようとされていない。

それに戦後生まれの苦労知らずの首相のもとによって再び国民が支持しないような諸法案が

衆議院の議員の数だけでもって,此のときばかりに国会で次から次へと大量生産されている。

審議が十分ではない。議員数も小泉首相の「郵政民営化イエスかノー」だけの衆議院解散総選挙で,国民はそのトリックに騙された。

審議していて対立が鋭くなってくれば,「郵政民営化イエスかノか」と同様に即座に国民にその判断を任せばよいことである。

北朝鮮の核問題はかなりのスピードで進展してきている。

アメリカはイラクなどの中東問題を抱えていて,北朝鮮問題は何とか早くかたずけて中東問題に専念したいためともいわれている。

それに対して日本は完全に置き去りになっている。そして拉致問題も軽視されている。

それでも良いのではないか,早く日朝の国交が回復しお互いに仲良くなれば拉致問題も早く解決できる筈だ。

阿部首相は北朝鮮拉致問題を頭角を現すための手段として使い,政権獲得のために,内閣の支持率上昇の為の道具として使われてきている。

これは阿部首相が総理になる前から大いに利用されていることでよく判っていることである。

イラクに続いてアフガニスタンでもアルカイダの活動が活発化して,

ブッシュのイラク戦争開始の過ちは明らかになった。

今「国連の活動」は何も伝わってきていない。

韓国人の潘基文国連事務総長は何をしているのだろうか。名前も出ないくらいに何も報道もされてこない。

前任のアナン国連事務総長の方が存在感があって,色々と活躍されていた。

国連の存在意義が大切な時期,に国連事務総長は何をしているのだろうか。ブッシュのポチになり下がったのかどうか。

全く何もみえてこない。まことに残念なことである。!




昨年の記事を偶然に読み,こんなこと書いたのかと思い出しながら再掲した。以下が今年の記事になります。




六月になって



6月の前半は晴れたり曇ったりの日が続き,後半から梅雨に入る。時期的には雨の日もあるが過ごし易い季節である。

一帯の緑の景色が一段と強く増してくる。田植えが行われ,雨の降る日も多くなってくる。

九州地方には台風が上陸の報道があり,東北地方の岩手県,宮城県で大地震が発生し,山間部での被害か報道されている。

だが地震による中国四川省のような大規模な被害は出ていないようだが,死傷者は出ている。

これだけ,科学が発達した世の中でありながら,天災を克服できても良いようなものだが,人類は今だ克服できていない。

地震発生を止めることは出来なない。だが被害を少なくする手段は発達してきてよいはずだ。

ずさんな建築 道路工事 冶水工事などが,厳重に施行されているならば被害はもっと少なく出来るはずだ。

それが実施されていないので,被害が拡大している。

中国四川省地震では特にひどかったが,国民の不満が出て来ても,政府が強い力でもって弾圧しているようだ。

ミャンマー(ビルマ)のサイクロンの被害もも同じことである。全て天災として済まされない部分が大いにある。

戦争は100パ-セント全てが人為的で,何時の時代にも多くの犠牲者が出ている。

これは人間の力で完全に克服できるはずなのだが。

天災は忘れた頃に来て,未だ大きな被害をもたらしている。これもまだまだである。

内政面で後期高齢者問題で民主党などの野党が参議院で首相問責決議案が可決されても,

一方衆議院では首相信任案が自民党の提案で多数でもつて可決された。

国民には政党同士の茶番劇にしか見えてこない。

小泉首相による郵政民営化イエスかノ-かの総選挙以後総選挙はおこなわれていない。

当時の自民党は衆議院の大勝によって,その後は大多数の衆議院議員数でもって,参議院で法案が否決されても,

再び三分の二の多数決で再可決され,どの法案も通過して行っている。

このようなことを避けるためにも,新しい内閣になれば必ず国民の信を問わねばならない制度があって良いようなものだ。・

現在,議会内ではボタンを押すと一斉に票が表示できるシステムになっている。

これだけ電子化が進んできている時代だから,各家庭に投票ボタンの機器を配布し.家庭でボタンを押せば

票が投じ゜られるシステムは作る気になれば,政治家が本気でやる気になれば,簡単に出来る時代になってきている。

議員達はテレビやインターネットを通じて各自が国民に宣伝し主張を周知させることが出来るはずである

そうすれば率直な国民の意思がいか様なのかが,どの法案に対しても判るはずだ。

選挙のための日数とかそのための巨費はいらなくなる。

既に国民の戸籍の管理,即ち住基ネットは既にインタ-ネットで往来している。

インターネットは不完全で不十分だから使えないとするならば,住基ネットにも利用するべきではない。

銀行などでもかなりかなり以前から送金などで利用されている。

公共的なインターネット配線を特別に全国に張り巡らせ,それを利用できるようになればさらに良い。

県単位或いは市町村単位でも,充分出来るはずである。

それをしないことは今の自民党が解散しないのと同じようなものではないだろうか。

政界でそのような声が出てこないのが不思議でならない。

出ているが知らないだけのことなのかもしれないが。

そうすれば投票率は100パーセントに近い民衆の意見が聞くことができるであろう。

議員達が何をするのか判らないのだが,「日常のこまめな地域での活動をする」ことからも議員たちが開放され,

国政に対して全力を投球できるはずだ


その姿を見ていて議員に対し国民が一票,一票を投票するのが本来の正しい選挙の姿である。

一方では日本にそして,世界中で矛盾だらけのことが今も存続し発展してきている。

電子化によりマネ-ゲ-ムのようなことがドンドンと先行し変な世の中になってきている。

こちらの方面だけが,大いに進歩??していることは大変可笑しなことである。

韓国では大統領選直後の55パーセントの支持率が韓国政府のアメリカからの牛肉への対応でもって15パ-セントに突然下落している。

大規模反対デモも起きている。最近,日本ではもう見かけない光景である。

アメリカのブッシュも同様にイラク戦争開戦当時と現在とでは非常な支持率の違いがある。

閉塞感の強い世の中に対し,早く何とかして欲しいと人々の気持ちが支持率に現れているが,

だが直接政治には直ぐにそれが反映されてこない。

衆議院の小泉首相当時の政治の弊害が今も続いている。

そうではなく以前の政治の結果が今になって出てきているといえる。

現在民意が誰が見ても,自民党の意見に三分の二が賛成しているような状況ではない。

この状態が首相による解散総選挙か゛なければ,,議員の任期満了まで現状が続くことになる。

変な政治制度である。

ねじれ国会を解消するには解散総選挙か,大連合とやらしかないらしい。

でも大連合は民意を全て無視されるだけである

だから大連合は絶対にあってはならないことである。

昔社会党と自民党が連合を組んで社会党が消滅している過去がある。

国民のための政治ではなくて,あれは議員のための政治が行われていた。

現在は何時解散してもおかしくない政治状況である。

選挙のための空白を失くすにはネットによる自宅からの投票制度゛を早く確立する必要性があるが,だが一向にその気配がない。

明日からでも電子投票ができるが,それもしょうともしない。

余程ネット投票が政治家は嫌いなように思える。

一方では住基ネットが安全性が確立されていないにもかかわらずに国民の反対があっても押し進めてしまっている。

政治家は100パ-セント近い投票率の選挙が出来ることに対し,あまり乗り気のない人たちが多いよに思えてくる。

「地盤 看板 かばん 」の効力が薄れることを恐れている人たちが多いことによる為なのだろうか。?

訳のわからん世界である。

政治が良くなければ,必ず世の中が良くならないのは不変の真理だと思う。

世の中を良くするには,良い政治がなされることにある。

その為に多くの人たちの意見を取り入れようとする政治家達の努力があっても良いように思う。

早くネットによる投票をば実現してほしいものです。

まず出来る所からして,昔からの投票所へ行く方法と併用されても良い。

その方が遥かに現実的である。

今の内閣を見ていて

少なくとも.過激な言動するような人物は大臣を早く辞めて欲しいと考えている。

13人もの人たちに死刑執行するのは過激すぎる話である。

死刑執行とは人を殺すことになるのです。

世界の体勢は死刑中止方向へと向かっている流れの中にあって,やりすぎののよう法務大臣は大変非常識な大臣に思える。

他にも変った過激な大臣かいるようである。

,医師の定員を増やそうとしている。

数年前からは定員を減らす方向にあった。どうして増やそうとする方向になったのだろうか?

もっとそれよりも先になすべきことが沢山ある筈だ。

小泉改革でもって国立 公立 財団法人の病院をなくし,効率第一主義の病院を全国に作ろうとした結果ではないのだろうか。?

医とは元来は効率とか利益とかとは無縁の世界で,あるべきで゜ある。

そこに効率優先の思想を取り入れた結果によって医の世界も変な世の中に変ったと考える。

政治家の責任は非常に重い。

過激で軽い政治家達によって世の中が悪化してきている。

一番女医が多いとされている産婦人科,小児科が特に一番の問題になって来ている。

医師数の全体での中で女性の人数が徐々に増加してきた結果でもある。

女性には充分な産休 育児の時間を手当てする必要がある。

此の辺りのことをよく認識して頂き政治家はどうすべきかをよく考えるべきである。

短絡的に見当違いのことに力を注いで,却ってさらに結果的に将来的に益々悪くすることもありえることである。

その為にも今の政治が良いのかどうかを,早く民意を聞くため解散総選挙をば実施すべきである。

世の中を良くするも悪くするのも全て政治の結果である。

その政治家が官僚達とあまりにも長く癒着してきた結果が現在にいたっていると思う。

それを改良する方法として政権交代がある。どんどん政権交代があってよいことだ。

外国では常時見られることが戦後日本で起きていないことこそが異常で不思議である。

アメリカでのブッシュ大統領の時代は終わろうとしている。

次期大統領とは対等の日米関係を築くことと東南アジア諸国とはもっともっと友好関係深めてゆくべきである。

対等の日米関係を築くためにも平和友好関係を近隣諸国と築くようにすべきである。

対等で平和な日米関係を持続してゆくことも勿論のことである。

:現在の国連事務総長は前のアナン事務総長に比べあまりにも目立たない存在である。

早く日本も国連の常任理事国になって大いに活躍して欲しいものである。

国連がアメリカからの脱却がまず第一のことである。

誰が見てもアメリカ国家の中からの正当な活発な国連の活躍は不可能と言える。

次期アメリカ大統領になるであろうオバナ氏に期待する以外にない。









どこの鬼畜部隊もかなわない、クラスター爆弾の残酷さだ






平成20年6月1日の天声人語よりの引用


群れをなして舞い降り、自爆によって敵を葬る。

生き残った仲間は草むらなどに潜み、戦いが終わった後も子どもらを殺し続ける。

どこの鬼畜部隊もかなわない、クラスター爆弾の残酷さだ

▼人殺しの道具に善も悪もないが、この兵器はとりわけタチが悪い。

親爆弾が空ではじけ、数百もの子爆弾を雨と降らす。


いくつも残る不発弾はわずかな衝撃で爆発し、何年にもわたり民間人を死傷させる。

地雷をばらまいたように、平和が戻った後の生活、土地、時間を奪う

▼人道上の批判がようやく実を結び、この週末、クラスター爆弾のほとんどを禁止する条約が国際会議で採択された。

不発になりにくい最新型を除いて、参加国は発効8年以内に全廃する。

慎重だった日本も同調し、手持ち分はすべて廃棄するという

▼情けないことに、米国、ロシア、中国などは条約づくりにさえ参加していない。

それでも、対人地雷のように国際世論で包囲し、軍事大国が「使いづらい」状況を作ることはできる。

条約を一歩にしたい

▼自衛隊は「人道的」な最新型の調達を検討するらしい。

長い海岸線の防衛に欠かせないという。

だが、敵軍の本土上陸という「机上の危機」に備える前に、やるべきことは多い。

首相の決断で同意した条約だ。

廃棄の実績をもって、同盟国や周辺に平和国家の範を示してはどうか

▼現実論に百歩譲っても、およそ人道的な爆弾などない。

兵器は人間の弱さ、未熟さの証しだ。

作っては壊す無駄のきわみ。


不幸の根はいつも、武器ではなく、武器を手放せぬ者にある。







どうして日本がクラスター爆弾をもとうとしたのか判らない。海岸線で敵を撃破する為としているが

第二次大戦でも沖縄を除いて本土への上陸はなかった。

それなのに政府が何のために購入したのかがはっきりと判断できない。

クラスター爆弾を買うが為そのことが目的でなかったのかと疑う。

大国は持ち続けようとしている。

地雷もクラスター爆弾もアメリカが戦争起したベトナム カンボジア アフガン そしてイスラエルの隣国レバノンでも起きている。

これはどう見ても大国のエゴしか思えない。そして今も残された地雷 不発クラスター爆弾の被害が何の罪もない

国民をば今も苦しめている。








日本のビールは百花繚乱(りょうらん)だ。






平成20年6月2日の天声人語よりの引用


幕末、将軍の使節として渡米した仙台藩士、玉虫左太夫(さだゆう)が、船で知った「ビールト云フ酒」の味を『航米日録』に記している。

米船の食事や楽隊に顔をしかめた玉虫も、祝宴で「一喫」したそれについては「苦味(にがみ)ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と評した

飲める口であれば「湿スニ足ル」季節を迎えた。

玉虫の寸評から150年、日本のビールは百花繚乱(りょうらん)だ。


昨今の新製品に驚きはなしと思っていたら、のどがちょいと鳴る話が届いた。

「宇宙ビール」である

▼06年、岡山大の杉本学准教授がロシア科学アカデミーの研究に参加し、国際宇宙ステーションで大麦の種を5カ月寝かせた。

一部は発芽もしたそうだ。

これをサッポロビールが殖やし、先週末、群馬の試験農場で大麦45キロを収穫した。

秋にビールと麦茶にするという

▼原料は、無重力と強い宇宙線に長くさらされた遺伝子を継ぐ。

正常な一品ができれば、宇宙基地で自給自足する夢が膨らもう。

味の確認には体を張って協力したいけれど、今回は大瓶100本分ほどで札止めらしい

▼宇宙での栽培に猛進するのもいいが、宇宙ビールの量産という脇道もある。

とびきりの非日常と、ありきたりの飲料の出合い。

グラスを満たす別世界に、地上の憂さは光速で晴れるかもしれない

▼南極の氷でオンザロックを作ると、零下に封じられた太古の空気が弾(はじ)けるそうだ。

「宇宙の泡」に口先を埋めれば、天の川で遊泳する気分に浸れようか。

シャトルで精勤中の星出さんには申し訳ないが、飲んべえの欲と夢は天井というものを知らない。





ビールも暑い夏にぐ-と飲むのも良いが,飲み過ぎないように。色々なメーカーで味が違っている。

宇宙ビールの味は如何か一度は試してみたい。

アルコールも飲みすぎないことで,勿論食べすぎも良くないことだ。メタボの原因である。








服飾デザイナーのイブ・サンローランさんが71歳で亡くなった






平成20年6月3日の天声人語よりの引用


服飾デザイナーのイブ・サンローランさんが71歳で亡くなった。

早咲きの天才にして、モードの帝王。

商いはハンカチや靴下のライセンス生産にも広がった。

どのご家庭にも、頭文字をあしらった「YSL」の引き出物が一つ二つあるかもしれない

▼大御所クリスチャン・ディオールに見込まれた時は、まだデザインの学生だった。

ディオールが急死すると、21歳で同社の主任デザイナーとなり、総帥を欠くブランドを支えた

▼因習を破り続けた人でもあった。

パリはセーヌ川の右岸が商業、左岸は学生と文化の街と色分けされてきた。

高級注文服の店は右岸に集まっていた。

66年、反対側に既製服の店、その名もリヴ・ゴーシュ(左岸)を出す

▼初日、親しい女優カトリーヌ・ドヌーブが訪れ、男物仕立てのパンツスーツを買っていった。

このスタイルが広まり、「二流の市民として男たちに従う意志などないことを示す、

新しい世代の女性たちのユニフォームとなった」(アリス・ローソーン『イヴ・サンローラン』)

▼男性用香水の広告写真で自らヌードになったのは35歳の時。

「スキャンダルを起こしたい」と、いつもの黒縁めがね一つで、ほっそりした体をさらした。

「要約や分析が難しい人」と評される

▼創意と財力がせめぎ合うファッション業界。

転変は目まぐるしく、古巣のディオールはルイ・ヴィトンの巨大グループで、YSLはグッチ傘下で美を競う


繊細、虚飾、女性解放。

様々なイメージを縫い込んだその頭文字は、主なき後も「要約」を拒んで生き続ける。






服飾デザイナーのイブ・サンローランさんの名前は知っているがどんな作品があるのか知らない。

クリスチャン・ディオールも同様である。名前を聞いただけで作品が立派に見えてくるのでは

ないかと思ったりもする。







今月から、自動車の後部座席でもベルト着用が義務づけられた






平成20年6月4日の天声人語よりの引用


永田町の議員会館に車で乗りつける国会議員に、共同通信が「直撃取材」を試みたそうだ。

35人のうち11人がシートベルトをしていなかった。

法律をつくる者の3割がルールを無視、などと力むまい。

始まりは、まあそんなものだろう

今月から、自動車の後部座席でもベルト着用が義務づけられた。

「安全を強いる」というのも妙な話だが、後ろに座る人のほぼ9割が、万一の備えより束(つか)の間の自由を選んでいる現実があった

▼なるほど、交通事故はないと決めてかかれば、ベルトをたぐる小さな面倒は大きく、上半身を包むささやかな窮屈は耐え難くもなる。

重労働に拷問である。

これが、事故を前提に考えるとあっさり逆転、それで済むなら喜んでとなろう。

望遠鏡をどちらからのぞくかで、物は大きくも小さくもなる

▼タクシーの運転手さんは夜が心配だという。

お酒が入った客とのやりとりがこじれ、「お前の指図は受けん」などと逆上されないか。

なにしろ、後方のわがままでとがめられるのは運転席なのだ


▼75歳以上のドライバーには「もみじマーク」の表示も義務化された。

もみじ付きのタクシーは、これまた後席の反応が気にかかる。

プロの運転者でなくても、年齢を示して走るのに抵抗がある人はいる

▼もみじの区切りは、不評の「後期高齢者」と重なる。

あれもこれも、議員と高級官僚が永田町で決めたこと。

ふだん黒塗りの後席でふんぞり返っている人ほど、足元が見えにくい。

人生ままならぬ者の痛みにも鈍くなる。

慣れないベルトはこたえるに違いない。




後部座席の義務ずけは衝突事故での被害者を少なくするための義務で他には被害は及ばない。

だが銃器不法所持違犯は被害者が他人に及ぶものである。

こちらの方は徹底的に取り締まって欲しい。だが警察は及び腰のように見える。

暴力団撲滅といっても何時までも同じような事故が起きているように思える。

被害は他の人に及ぶものであることから厳しくお願いしたいものです。








米大統領選の民主党候補者選びで、
バラク・オバマ氏(46)が指名を確定し、
ヒラリー氏は届かなかった






平成20年6月5日の天声人語よりの引用


〈宇宙飛行士の訓練に応募したい〉。

そんな手紙を米航空宇宙局(NASA)に出したのは14歳の時だ。

「女はだめ」という返信を、ヒラリー・クリントン氏(60)はこう振り返る。

「生まれて初めて、勤勉と決意をもってしても克服できない障害があるとわかった」(自伝『リビング・ヒストリー』)

▼勤勉と決意が足りなかったか、しょせん克服できない壁なのか。

米大統領選の民主党候補者選びで、バラク・オバマ氏(46)が指名を確定し、ヒラリー氏は届かなかった

▼指名争いが長く白熱した分、党内の亀裂は深い。


11月に共和党のジョン・マケイン氏(71)に勝つには、ヒラリー支持層をつなぎとめるしかない。

オバマ氏の副大統領候補になるのかどうか、彼女の「降り方」に関心が集まる

▼「女はだめ」の返事から半世紀、米国からは何人もの女性が宇宙に飛んだ。

だが、政治の頂を踏んだ者はいない。

手をかけた者もなし。

ヒラリー氏は空前の健闘ながら、さしあたり「準決勝敗退」が歴史に刻まれる

▼仏ジャーナリスト、C・オックラン氏は、彼女は男なら求められないことを求められていると書いた。

「知的であると同時にセクシーに、母親であると同時に自立して、美しく、安心でき、モラルがあって、現代的で、つねに若くと」(『ヒラリーという生き方』)

▼こうした要求をそこそこ満たし、かつ、能力と野心を備えた人物はそうは出ない。

たぐいまれな一人からの「求職」の手紙に、米社会の返事は甘くなかった。

さて4年後、もう一通したためる決意はありや。






民主党の大統領候補がオバマ氏に決定したが,共和党のマケイン氏との闘いがある。

多分オバマ氏になるだろうが,アメリカでも気にくわぬ人物は暗殺しようとする伝統的な風潮がある。
 
銃所持が一般に認められている。学校での乱射事件も起きている。

オバマ氏暗殺の噂も聞くが本当にならないことを願うものである。

まさかヒラリ-クリントン氏が副大統領になり大統領暗殺でヒラリ-クリントン氏大統領昇格といったことが

起きないことを願う。世界に恐ろしいアメリカを印象ずけるだけである









財務省などの官僚がタクシーで帰る際、
運転手からビールやつまみなどを供されていたそうだ








平成20年6月6日の天声人語よりの引用


飲酒運転の連想からだろう。

「車と酒」の組み合わせには背徳がにおう。

映画では、リムジンの冷蔵庫から白昼堂々、シャンパンとキャビアが現れることもある。

出てくるモノはがくんと落ちるが、似た図が報じられた

▼財務省などの官僚がタクシーで帰る際、運転手からビールやつまみなどを供されていたそうだ。

「晩酌サービス」にあずかったのは、きのう公表の財務省分だけで383人。

うち19人は現金や金券までもらっていた。

長妻昭衆院議員(民主)が全省庁に調査を求め、発覚した


▼深夜の霞が関では、客待ちの車が列をなす。

残業が習いの役人は大切なお客さんだ。

自腹ならどんなサービスを受けようと勝手だが、支払いは役所のタクシー券だから話は別。

税金のおこぼれで一杯や小遣いということになる

▼5年にわたり年150回程度もおごられ、お金や金券を渡された人がいるという。

こうなると行きつけの店どころではない。

小遣いは論外として、いらぬ心配ながら毎度ピーナツやスルメでは飽きないか

▼億単位の国費に慣れすぎると、ビール一本の節約に努める家計が見えなくなる。

折しも後期高齢者医療制度では、低所得層ほど負担増になりやすい傾向が分かった。

これまでの説明とは正反対、もう「設計ミス」である

▼「実施前に調べるべきだった」という間の抜けた発言には、耳を疑うどころかふさいだ人もいよう。

タクシー晩酌について厚労省はまだ調査中らしい。

しばらくは残業が多いはずだ。

高齢者の怒りを「車内バー」に置き忘れることなかれ。








お役人の忙しいことはわかるが,つまらないことを考え法律化するために時間を費やして税金の無駄遣いしている。

そして帰りのタクシーは役所払いで税金がドンドンと無駄使いされタクシーのなかで接待うけ

お金や商品券をもらうようでは残業は止められない。

尚もつまらん法律を作ったりすることになり,自分で残業を作っている所がある。

後期高齢者となずけること自体が貴方は死に近ずいて世の中の厄介者になるのだというような印象をば

与える可能性もあるので 若い役人がつけて,区別すること自体iについても,その是非を選挙で国民に問うて欲しいものである。

自民党が政治を行っており,そのもとで政策が作られている。

名称自体に対しても反対の立場である人もいるだろう。長生きすれば誰もが必ずに通る道である。

自民党小泉政権時代につくられているようだ。









アイヌを列島北部の先住民族と認める国会決議が
きのう全会一致で採択された






平成20年6月7日の天声人語よりの引用


その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました〉。

85年前に初版が出た『アイヌ神謡集』の序は、そう始まる。

編訳者の知里(ちり)幸恵(ゆきえ)は自分たちを「亡(ほろ)びゆくもの」と呼び、文化の一端でも残そうと病身にむち打った

▼彼女は母語と和語を自在に操る天才少女だった。

見いだし、導いたのは言語学者の金田一京助だ。

南の文明に脅かされる同胞(ウタリ)が「進みゆく世と歩をならべる日」を夢に見て、幸恵は19歳で逝く。

本は間に合わなかった

▼アイヌを列島北部の先住民族と認める国会決議が、きのう全会一致で採択された。

〈多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされた〉。


その権利を守る政策をさらに進めるよう、政府に求めている

▼つい11年前まで、アイヌを旧土人と呼ぶ法律があった。

土着の史実を認めていたも同じだ。

先住民族の権利を尊ぶ国際的な流れにならえば、「歩をならべる」べきは世の中の方で、決議もその一歩となる

▼異なる文化や習慣が出会うことで、社会は厚みを増す。

反対に「単一民族」の虚構は、妙な思い上がりに化けかねない。

すべては多様性を認め合うことから始まる

▼〈銀の滴(しずく)降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに〉。

フクロウの神(カムイ)は、そう歌いながら飛ぶ。

「神謡集」冒頭の一編だ。

神は金持ちの子らが放つ金の矢をよけ、貧しい子の木の矢にわざと射られる。

大自然と折り合い、漁猟や耕作にいそしむ心優しき民。

幸恵が伝えようとした、先住民族の生活や精神に学びたい。





先住民族の権利を尊ぶ国際的な流れにならえば、「歩をならべる」べきは世の中の方で、決議もその一歩となり

世界中にありえる話である。

特にアメリカ オーストラリア メキシコ アフリカなどである。侵入者との間で激しい戦いが起こり侵略者だったとも言える。









日本列島は、ほぼ半身が梅雨入りした






平成20年6月8日の天声人語よりの引用


今年が生誕から130年の日本画家、鏑木(かぶらき)清方は繊細な美人画で知られる。

忘れがたい文章も数多く残した。

そのひとつに『雨声』という随筆がある

▼糸のような春の雨には茅(かや)ぶきの屋根が似合う、と画家はいう。

そして、急な雨なら瓦屋根がいい、と。

〈夏の夕立など茅屋根では折角(せっかく)の力がぬけて面白くない〉。

たしかに夏のにわか雨は、瓦の家並みに、白く降りしぶいてこそ風情がある

▼〈急がるる仕事もなく、訪(おと)ないくる人もなき閑日の昼下り、

真昼の雨のこまやかなるもよし〉と言いながら、夜雨の趣もこよなく愛した。

いまごろの季節なら、日がな一日降りこめられても、心静かに雨声を楽しめた人のようだ

▼日本列島は、ほぼ半身が梅雨入りした。

遠からず、ほかの地域も、青く煙ることだろう。

厭(いと)われがちだが、名脇役のような季節である。

梅雨が近いと思えばこそ、初夏の風は、よりさわやかに肌に吹く。

そして梅雨明けゆえに、真夏の開放感はより爆発的だ

▼だが近年は、梅雨明けがはっきりしないことが多いそうだ。

降り方も強くなっている。

たちまち冠水をもたらす「暴れ雨」が目立つ。

専門家によれば、水蒸気量の変化など、地球規模の変動が関係しているらしい

▼今年の梅雨も少々つむじ曲がりだ。

沖縄の梅雨入りは異例に遅かった。

さらに、南からという常識を覆して、九州北部や中国は、関東甲信に先を越されている。

〈かたつむり甲斐も信濃も雨のなか〉飯田龍太。どうか騒がず暴れず。

田畑を潤し、夏場の水を蓄える、恵みの雨期であってほしい。






今年の梅雨はあまり雨が降らないようだ。でも暑い日 涼しい日との寒暖の差が激しい。

季節の流れと同様に水の流れも違うがその内容は違っている。

新しいものは古くなるものの温故知新の知恵は変らない。









日曜日の昼、東京・秋葉原を襲った殺傷事件
のんびりと始まった電気街の歩行者天国で、
7人が亡くなり、10人が重軽傷を負った。






平成20年6月10日の天声人語よりの引用


男が取り押さえられ、横たわる道端の看板に「激安商品大量展示」とあった。

近くのビルの劇場では、女性アイドルグループが公演中だった。

日本の消費経済とオタク文化を象徴する街「AKIBA」での惨劇である

▼日曜日の昼、東京・秋葉原を襲った殺傷事件。

のんびりと始まった電気街の歩行者天国で、7人が亡くなり、10人が重軽傷を負った。

逮捕された男(25)は「人を殺すために秋葉原に来た」と語ったそうだ。

魔が差した、のではないらしい

▼まじめで無口という派遣工員の中で、何が爆発したのか。

静岡県内でトラックを借り、ナイフを携えて東名高速に乗る。

「無差別計画殺人」の暴走に、停車やUターンはなかった

▼男は3日前から、携帯サイトで犯行をにおわせていた。

当日には秋葉原と予告し、行動や心境を約30回も書き込んでいる。

「人がたくさんいる」と選ばれた街の、その日その刻。

南北にゆったり流れる人波を、西から東へと殺意が切り裂いた。

両者が交わる四つ角に、犠牲者は居合わせた

▼男は「世の中が嫌になった」「生活に疲れた」と漏らしたという。

このご時世、仕事の悩みや日々の暮らしに押しつぶされそうな人は、いくらもいる。

目をこらしても、そこから17人殺傷に至る線が見えない

▼「誰でもよかった」とうそぶく者は、どの「誰」にも懸命な人生があり、大切な人がいることに思いが及ばない。

それでいて、身勝手な「計画」を冷めた文字列で誇示し、実行に移す。

他者への鈍感と、自己愛との途方もない落差に、ただ慄然(りつぜん)とする。







昔の会社を例にとっても会社での教育があったし現在も続いている。

だが派遣会社の社員だとすれば会社の効率だけに雇用されているような人たちである。

成人になってからの教育機会が奪われてただ効率社会での便利な存在であるだけに

なってきている。

勿論個人の資質にもよるが小泉改革の負の遺産が暴露しているように思える。

それ以前の教育の問題にもつながることになる話である。








世界記録を連発している英スピード社製が、日本代表の多数派になる勢いだ








平成20年6月11日の天声人語よりの引用


服装をしばらない学校なら、夏はTシャツ姿があふれるだろう。

軽快で洗いやすい一着が好まれるのは自然なことだ。

日本水泳連盟が、北京五輪の水着は選手が好きに選べると決めた。

いわば制服廃止である。

世界記録を連発している英スピード社製が、日本代表の多数派になる勢いだ

▼先日の国内大会で飛び出した17の日本記録のうち、16が話題の新型水着で生まれた。

競泳ニッポンの顔、北島康介選手の200メートル平泳ぎは世界新だ。

水着は国内3社に限る、との「校則」はもはや捨てるしかない

▼良薬は口に苦しで、速い水着は慣れるまでが大変だ。

生地は透けるほど薄いのに、体を極限まで締めつける。

着用に20〜30分もかかり、女子選手の一人は「3人がかりで着せてもらった」と苦笑した。

ちなみに、十二ひとえの着付けも2人がかりで30分を要するそうだ

▼水着の収縮力は体が一回り小さくなるほどだという。

つけるのに手間取るからといって、早めに着替えておくのはつらい。

レース直前に体をねじ込み、終わればさっさと脱ぐ。

まさに戦うためだけの道具。

鎧(よろい)兜(かぶと)を思わせる

▼北島選手は〈泳ぐのは僕だ〉とプリントしたTシャツで訴えた。

水着ばかりが注目される風潮への不満と見た。

条件が同じなら負けないという自信、そして覚悟にも読める

▼水着の制約が外れ、どれで泳ぐも自己責任となった。

選手は選んだ一着で調整を急ぎ、力と技の勝負に集中することになる。

道具に寄り道していた大方の関心も、肉体の争いに戻ってくるだろう。

やっと五輪らしくなる。





水着だけの話で゜なくて,ゴルフでもいえる。確かに有名メーカーのクラブは良く飛ぶことは実感する。

高価だからただ買わないだけで,試打で思うだけの話である。

プロの良く飛ぶのはその辺りにも原因があるのではないかと。

趣味と職業としている人たちでは勿論そのこだわりがつよいことは判る。









総辞職や解散はないと、数で確認する儀式だろう






平成20年6月12日の天声人語よりの引用


野党が制する参院で、福田首相への問責決議が可決された。

国政トップの責が問われるのは初めてだ。

ただし法的拘束力はなく、民主党のいう「伝家の宝刀」も迫力に欠ける。

ひな壇に控えた首相の口元は「へ」の字からすぐ元に戻った

▼かたや与党が押さえる衆院は、本日にも内閣信任案を通すらしい。

総辞職や解散はないと、数で確認する儀式だろう。

攻守ともに真剣の金臭さはなく、なにやら退屈な殺陣を見るようだ。

野党が振り下ろした竹刀を、与党が軍手で受ける図か

▼今国会はほぼ開店休業で幕となる。

二院の対立で政治に緊張が戻り、道路からタクシー券まで、国の浪費が次々と明らかになった。

ねじれも悪いことばかりではない、と分かったのは収穫だ

▼閉会中も、内外の情勢は深刻の度を増そう。

例えば財政。

処方箋(せん)は福祉の切り下げか、消費税の引き上げか。

どちらでも、格差社会は底から水に没する。

原油や穀物相場は天井知らず。

必需品の値上がりはほんの序曲で、お金を積んでも食糧が手に入らない悪夢が、自給率4割の日本を襲いかねない

年金管理や高齢者医療のあり様を見るにつけ、政治への悲観が頭をもたげる。

それでも、ねじれのエネルギーと時の流れに希望を託したい。

過渡期は、混沌(こんとん)にも刷新にも進みうる

▼政界再編をガラガラポンという。

小さな出入りや数合わせで、永田町はのべつガラガラ音を立てているが、ついぞ肝心のポンがない。

体制が一新しない。

本物のリーダーが出ない。

そろそろ特大のポンで、内憂と外患を迎え撃ちたい。






本物のリーダは今の政界にいるのだろうか。?

少なくとも戦争志向の人だけには強いアレルギーがある。

でも戦争経験者も少なくなり伝える人たちが減ることに不安を増幅される。








四川地震は7万近い命を奪い、なお1万7千人余が行方不明だ





平成20年6月13日の天声人語よりの引用


大きなニュースが飛び込むたびに、一つ前の大ニュースは後景に退く。

「アキバ発」の衝撃が収まらぬ中、中国・四川大地震から1カ月が過ぎた。

もっと昔の話にも思える。

ミャンマーを襲った大水害はさらにかなただが、どちらも忘れるわけにはいかない

▼四川地震は7万近い命を奪い、なお1万7千人余が行方不明だ。

四川省だけで800万人が避難生活を送る。


ちなみに阪神大震災の1カ月後、避難住民は約21万、不明は数人だった

▼けた違いの天災が消し去ったのは、犠牲者の未来だけではない。

地震前の中国が抱えていた問題も、記憶の下層へと押しやられた。

チベットの暴動と弾圧、外国で荒れた聖火リレー、それを見た「愛国者」の反発……

▼逆に、揺れる大地が浮かび上がらせた現実がある。

各地で安づくりの校舎が倒壊し、大勢の子どもが亡くなった。

国策に従った一人っ子も多く、親の怒りは手抜き工事や役人の腐敗に向かった。

沿海部の発展の陰で、内陸には十分な資金が回らなかったらしい

▼強権国家の地金ものぞく。

2年前に建てた家を、地震ではなくブルドーザーに壊された農民がいる。

仮設住宅を造るための立ち退きだ。

現地で取材できる外国記者は1社2人に限られ、自国ボランティアの活動にも当局が介入し始めた

▼スポーツの祭典まで8週間となった。

追悼から祝賀へ。

7月の声とともに、中国メディアは五輪一色になるとみられている。

権力が後景や下層に押しやろうとするものにこそ、時代を動かす鍵が潜む。

自戒を込めて目をこらしたい。






中国は人口が多いだけに日本の宮城岩手地震に比べても大変な被害である。強権政治の中国で援助復興が

できるのかが疑問に誰もが感ずる。

比べて日本はそれなりに順調な援助がなされているようだ。

オリンピックの華やかさが薄れることになることを意識して中国政府は復興に全力投球してほしいものだ。

オリンピックは二の次のことである。世界が大いに注目している。








秋葉原で17人を殺傷した容疑者(25)は、
高校卒業後を「負けっぱなしの人生」とくくった






平成20年6月14日の天声人語よりの引用


ギャンブラーでもあった作家の色川武大が「人生レース」について書いている。

「八勝七敗なら上々。

九勝六敗なら理想。

一生が終わってみると、五分五分というところが、多いんじゃないかな」(『うらおもて人生録』毎日新聞社)

▼人は、大小の勝ち負けを連ねて生きてゆく。

勝ち続けも、負け通しもない。

だが、秋葉原で17人を殺傷した容疑者(25)は、高校卒業後を「負けっぱなしの人生」とくくった

▼男が携帯サイトに刻々と投げた独白は、彼女がいない焦り、カップルへの敵意、親や職場への不満にあふれていた。

負け組を名乗りながら、その実、まともな勝負を避けてきたようにも見える。

世をすね、勝手に孤立し、すべてを悲観し、許されぬ形で退場した

▼仕事はつらくても、家庭や趣味に楽しく生きる人は多い。

男が重ねた転職は無断欠勤が一因だった。

ネットに逃げたが、対話は成立しなかった。

「誰かに止めてほしかった」という甘えこそが、事件の核心に思えてならない

▼派遣工の弱い立場も背景の一つだが、凶行を格差社会のみで語るのはどうか。

あまり一般化すると、私的で特異な要素がかすんでしまう。

「戦後教育のなれの果て」といった言説もしかり

▼もちろん、働く貧困層は見過ごせない。

絶望を暴発させないためにも、再挑戦の努力に報いる社会、やり直せる社会でありたい。

五分五分なら成功者の部類とする色川は、敗者の中で「堅く勝ち上がっていく」生き方も紹介している。

惨劇をせめて世直しにつなげないと、七つもの命が浮かばれない。





閉塞感のある若者の気持ちは判るが常軌を逸して精神がおかしいのかとも思われる。

人の命の大切さの教育が疎かになっているのではなかろうか。

即物的なアメリカ型犯罪が起きているようにも思える。








東北地方できのう起きた地震のそれは、7.2と推定される








平成20年6月15日の天声人語よりの引用


6月は『方丈記』を書いた鴨長明(かものちょうめい)が没した月だ。

長明の生きた鎌倉前期のころは、天災や疫病が立て続けに起き、世に不安がたちこめた。

無常観にとらわれていく長明が、一番恐ろしかったと書いているのが地震である

▼その地震は1185年に京都を襲った。

地は裂け、家は倒れ、山が崩れ落ちる。

「人は羽がないので飛ぶこともできない。

竜なら雲に乗って逃げるのに」と恐怖を述べている。

近年の調査で、このときのマグニチュードは7.4程度だったと分かっている

▼東北地方できのう起きた地震のそれは、7.2と推定される。

国内内陸部の直下地震で7以上は、阪神大震災など、この半世紀で3度目という。

緑の山をえぐり、道路を壊して、鋭い爪跡(つめあと)を残した。

なお連絡の取れない人もいるようだ

▼被災は、山深い地域に広がっている。

道は寸断され、被害の状況をつかむのもままならない。

規模は違うが、中国の四川大地震を思い起こさせる。

4年前の新潟県中越地震もそうだった。

都市型とは異なる、山間部の災害の手ごわさだろう

▼日本列島はプレートがぶつかり合う位置にある。


その危うさを、「国土全体が一つのつり橋にかかっているようなもの」と例えたのは寺田寅彦だ。

地震はいかんともしがたい。

だが被害は、減らすも増やすも人間次第だと寅彦は言っている

▼鴨長明の言うように、いざ大地が揺れれば、雲に乗って逃げたりはできない。

何とか自分で身を守るしかない。

犠牲になった方々の冥福を祈りつつ、身近な地震への備えを、見直すことにする。




地震での死傷者の少ないのが一つの救いである。いつも災害は忘れた頃に地震がおきている。







きのうの父の日、小社刊の『娘と息子がつづる 
おやじのせなか』を読み始めたら、止まらなくなった







平成20年6月16日の天声人語よりの引用


〈子のきらう黒き作業衣にしみたるは汗の匂ひとも油の匂ひとも〉。

亡くなった父親が昔詠んだ歌を、当時の父親と同じ年代になった娘は読み返した。

そして、一番安いたばこだけを楽しみに黙々と働いていた姿に、あらためて深い感謝を抱く

▼きのうの父の日、小社刊の『娘と息子がつづる おやじのせなか』を読み始めたら、止まらなくなった。

様々な年代のつづる「父親」が94編収められている。


1720編の応募から選ばれたものだ

▼ある息子は、父親の遺品の財布からキチッと畳まれた千円札を見つけた。

初任給をもらった時に渡した札だった。

「迷ったらトウチャンを真似(ま・ね)ろ。

出世はできねえが人の道に外れる心配はねえ」

左官職人だった父親の言葉を胸に畳んで生きてきたそうだ

▼「父の背中」は、その来し方の縮図である。

だが自分の背中は自分には見えない。

化粧でごまかしもできない。

掛け値なしの背中を見て子は育つ。

父にはなれても、父たることは、たやすくはない

▼白樺派の作家有島武郎が、子に寄せた『小さき者へ』で言っている。

「お前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或(ある)いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだ」。

『おやじのせなか』の読後にも似た思いが残る

▼父親を亡くした20代の娘は、父が37年働いた町工場を訪ねて初めて気づく。

「小さなネジをたくさんたくさん作り、私の頭のてっぺんから爪(つめ)の先まで育ててくれた」

お父さんはきっと、気づかれぬようにそっと、あなたを愛していたのでしょう。




お父さんの愛をしらない子もいるのかもしれない。







宮城県北部を東西に走った「くりでん」もそんな鉄道だった






平成20年6月17日の天声人語よりの引用


青い空、緑の田んぼ。

のびる線路に、1両だけの赤い気動車がゆく。

日本の農村の原風景だろう。

宮城県北部を東西に走った「くりでん」もそんな鉄道だった。

くりはら田園鉄道は昨年春、惜しまれながら約90年の歴史を閉じた

▼地元栗原市の依頼で廃線後の地域おこしを探っていた専門家が、

岩手・宮城内陸地震で亡くなった。

観光コンサルタントの麦屋弥生さん(48)と、鉄道博物館学芸員の岸由一郎さん(35)だ。

当日は近くの湿原を見る予定で、温泉宿で市職員を待っていた

▼麦屋さんは今年初めの市広報誌で市長と対談し、観光の役割を熱く語った。

「自分たちの古里を再評価して、そこで生きていく自信をつけていく事業だと思います」。

方言までも「この地の人と会って話さないと聞けない、究極の観光資源」とみていた

▼岸さんは鉄道ファンの間では知られた人物だった。

消えゆくローカル線の資料を残そうと奔走し、この人に救われた車両も多いという。

くりでんの史的価値にも早くから注目していた

▼週末の朝にもかかわらず、この地震では仕事中の受難が多かった。

落石防止の工事現場では、まさに作業が始まったばかり。

温泉宿の働き手は、朝ごはんの慌ただしさに包まれていただろう。

そして、知恵を求められたプロ2人

▼日本の観光資源の多くは、自然と歳月の産物だ。

大地の営みは美しい景観や温泉の恵みをもたらすが、時に山ごと崩すほどの牙もむく。

人の営みが瞬時にして土砂に消える。

ここから地域をどうおこすか。

今こそ聞いてみたい人がいない。






地方の過疎化は何時の時代にも起きる可能性はある。交通網とかが大いに影響している。

のんびりとした田舎の生活も見直されても良いのではなかろうか。

スローライフでギスギスした都会の生活を離れてスローライフを楽しむのもよいのではなかろうか。







太宰治が60年前の6月、桜桃忌も明日で60回目となる






平成20年6月18日の天声人語よりの引用


ドクダミの花が土手を埋めていた。

その人が「深くゆるゆると流れて」と書いた水面が、ヤツデやシュロの葉陰にのぞく。

JR三鷹駅に近づくと、玉川上水の両岸は小ぎれいな遊歩道になり、武蔵野の面影は薄い

▼太宰治が60年前の6月、いつ落ちてもおかしくない線香花火のような生を終えた場所だ。

愛人との入水は13日深夜。


ひもで結ばれた両人が下流で見つかったのは19日の朝、くしくも太宰39回目の誕生日だった。

桜桃忌も明日で60回目となる

▼来年は生誕100年でもあり、ちょっとしたブームらしい。

読者は増え続け、人物論もにぎやかだ。

三鷹市は、太宰行きつけの酒屋跡に文学サロンを開いた。

人気漫画家が表紙を手がけた『人間失格』(集英社文庫)は1年で21万部売れたという

▼4回の自殺未遂と薬物中毒。

この「弱さ」をどう見るかで、太宰像は変わる。

三島由紀夫は「治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない」(『小説家の休暇』)と嫌った

▼青春期の弱さを死ぬまで持続するには強さが要ると、評論家の奥野健男は文学全集の解説で弁護した。

「感じやすく、傷つきやすい、けれど真実を鋭く感じとれる裸の皮膚を、恥部を守り通した」と

▼社会としっくりいかない不安を、太宰はごまかさず、人生と作品に刻んだ。

人間の内面をさらす「強い作品」は熱く読み継がれる。

自他の弱さを知り尽くした者だけが語れることもあろう。

弱さと向き合えない若者、明日が見えない時代など、あの世でほおづえをつく太宰に、問うてみたいことは多い。





「走れメロス」以外の太宰治の作品にはあまり接していない。大ファンがいると同じように関心のない人がいるのは

当然のことか。敗戦後の臭いがして仕方のない生き方である。







「宿命の」という枕詞(まくらことば)がふさわしい好敵手
森内俊之名人と、挑戦者の羽生善治二冠である









平成20年6月19日の天声人語よりの引用


勝負の世界の例にもれず、将棋にもライバル物語は多い。

たとえば、流行歌「王将」で知られる大阪の阪田三吉と、東京の関根金次郎。

「静」の大山康晴と「動」の升田幸三は、同じ師匠のもとで育ちながら、たもとを分かって打倒に心血を注いだ

▼どちらも「宿命の」という枕詞(まくらことば)がふさわしい好敵手だろう。

そして今年、物語に新たな一頁(ページ)を加えつつある2人が名人戦を争った。

森内俊之名人と、挑戦者の羽生善治二冠である

▼ともに37歳。

小学生のころから競い合った。

羽生さんが20代で七冠に輝けば、遅咲きの森内さんは昨年、羽生さんを追い抜いて永世名人の資格を得た。

去年までの名人戦で4度まみえ、2勝2敗とくれば、「因縁の対決」の名に恥じない

▼山形県天童市で、素人ながらに第6局を間近に見た。

名人の手は大きく、挑戦者の指は細い。

扇子を鳴らし、額をぬぐい、細かく動く。

視線を合わせることはない。

相手とではなく、将棋そのものと戦っている印象が深い


▼序盤は、刀を構えた剣豪同士が、互いに動けないのに似ていたようだ。

だが次第に優劣がついて、17時間が過ぎて勝負があった。

勝った羽生さんは目をしばたかせ、森内さんは目を赤くしていた。

精根つきた表情に将棋のきびしさを思う

▼羽生さんは名人位を取り返し、永世名人の資格も手にした。

いくら1人だけ強くても、名勝負は演じられない。

ライバルあっての賜(たまもの)である。

将棋界では、若手の追い上げが急と聞く。

いまが旬の永世名人2人が受けて立つ姿も、将棋好きには楽しみだろう。







将棋にはあまり関心が薄い。人間がパソコンに勝てない時代がくるのではないかと思う。

子供の頃自称強かったが,パソコンとしてもう勝てない。

パソコンの棋力は益々に強くなってきている。







07年の自殺者は3万3093人で、
3万人台が10年連続となった
30代の自殺は過去最多だという








平成20年6月20日の天声人語よりの引用


人の女性が生涯に産む子の平均数が、07年は1.34とわずかながら上向いたそうだ。

先祖代々、何組もの男女が出会った先に、新たな産声が上がる。

延々と続く命のリレーを思えば、どの一つもいとおしい

▼命にまつわり、心がふさぐ数字もある。

07年の自殺者は3万3093人で、3万人台が10年連続となった。

30代の自殺は過去最多だという。


毎日100人近くが、奇跡と愛情の塊のような命を見限る。

その異常がもはや日常になった

▼過労や仕事の悩みからうつを患い、死を選ぶ人が絶えない。

大阪のNPO法人「働く者のメンタルヘルス相談室」は、惨状を訴えようと、遺書や家族の手記の展示会を6回開いた。

伊福達彦理事長は「過剰な労働を規制しないと状況は変わらない」と語る

▼展示資料に「ぼくの夢」という詩がある。

市役所に勤める46歳の父を失った男の子の作だ。

〈ぼくはタイムマシンにのって/お父さんの死んでしまうまえの日に行く/そして「仕事に行ったらあかん」ていうんや〉

▼昨春、病院職員の夫を43歳で亡くした山梨県の小松優子さんは、労災の認定を求めている。

調理師なのに介護の仕事に回され、早朝から深夜まで日々働きづめだった。

「無口になったのは疲れのせいだと思っていた。

そこまで夫が追い詰められた理由を知りたい」

▼悩みの一部でも背負えていたらと、どの遺族も悔やむ。

せめて当事者の悲しみに耳を傾け、働き盛りを死に追いやる病巣に切り込みたい。

生きにくい世は、産みにくい世でもある。

自殺と少子化の根は近い。





確かに住みがたい世の中になってきていてドライな風潮が次第に増えてきている。

ドライな小泉前首相が出る世の中では仕方ないだけ言っていてよいのだろうか。?。

なんとかしないといけない。







旅行者のマナーや気前の良さなど10項目について
日本人の評判は2位の英国とドイツを引き離した







平成20年6月21日の天声人語よりの引用


外国の観光地では〈日本語メニューあります〉の掲示が珍しくない。

すし屋の直訳か、パリにはスシハウスを名乗る店があった。

カタカナの看板は「ヌシハウス」「スンハウス」と微妙に間違えていた。

日本人客を呼ぼうと、店主が無理をしたのだろう

▼団体、個人を問わず、日本人旅行者はどの国でもだいたい歓迎される。

米国の大手オンライン旅行予約会社、エクスペディアの調査「ベスト・ツーリスト2008」でも、

日本人が「最良の旅人」に選ばれたという

▼同社は今春、欧米などのホテルに質問メールを送り、旅行者のマナーや気前の良さなど10項目について、

それぞれ最良と最悪の国を尋ねた。

約4千軒の回答を集計した結果、日本人の評判は2位の英国とドイツを引き離した

▼わが同胞は行儀、静かさ、苦情の少なさなどの項目で点を稼いだ。

米国人は金ばなれの良さで首位ながら、騒がしさや服装の評価が集計対象31カ国のビリ。

総合の「ワースト」は中国、インド、フランスの順だった。

「かき捨て」たはずの恥まで、まんまと拾われたか

ただ、ホテルの評判がいいとは、要するに扱いやすいということらしい。

きちんと現れ、きれいに泊まり、黙して去る。


お金だけ落としていく風。

加えて、日本語メニューの誤りを正してくれる優しさを持ち合わす

▼旅に出てまで気を使い、評判だけいいのは悔しくもある。

それで割引があるわけじゃなし、苦情や不満はしまい込まず、サービスのプロ集団にひと仕事させるくらいがいい。

わがままな上客というのもある。





世界から日本の旅行者の評価の高いことはありがたいことである。

日本の旅行する人たちのマナ-が世界の人たちより良いことは誇ってよいことである。

世界から好かれる平和な国民であってほしいものである。







「梅雨イワシ」と呼ばれて今が食べごろだが、
イワシも、近年は高根の花だ。








平成20年6月22日の天声人語よりの引用


『源氏物語』を書いた紫式部といえば平安朝の才女だが、愉快な逸話を残している。

作り話のようでもあるけれど、イワシが好物だったらしい

▼しかしイワシは卑しい魚で、高貴な者が大っぴらには食べられない。

内緒にしていたが、ある日、焼いた匂(にお)いが消えないうちに夫が戻って来てバレてしまう。

だいぶ叱(しか)られたようだと、江戸期の文献をもとに、魚博士で知られた末広恭雄が書いている

▼そのイワシも、近年は高根の花だ。

焼いてよし、刺し身でよしのマイワシは、80年代、多い年は400万トンも水揚げされた。

それが数万トンに減っている。

「梅雨イワシ」と呼ばれて今が食べごろだが、値段は安くはない

▼減った原因はよく分からないようだ。

イワシは人間以外にも敵が多い。

クジラやマグロなどが「海の牧草」よろしく餌にする。

乱獲か、食物連鎖の不均衡か、それとも海水温が上がったためか。

周期的に増減するという説もある


▼イワシばかりではない。

日本の漁業生産量は最盛期の半分を割った。

国産の魚に代わって、輸入もののマグロやエビ、サケなどが食卓をにぎわせている。

その結果、食用魚介類の自給率は50%台に落ち込んで久しい

▼政府は先ごろの水産白書で、旬の近海魚を毎月「もう一皿」多く食べようと呼びかけた。

たとえば、夏にはイカの姿焼き、冬はブリの照り焼き……。

そうすれば自給率が4%ほど上がるそうだ。

焼こうが煮ようが、幸い庶民に紫式部の窮屈さはない。

身近な魚の消費が増えれば、漁業や食文化を守ることにもつながるだろう。







イワシは庶民の味だが食べることは少なくなってきている。海に囲まれた日本が魚を輸入しないといけないのは

悲しい現象である。魚は動物性蛋白源として健康的であって日本食を大いに推進すべきである。

食の欧米化で色んな病気が欧米並みに増えている。日本食を見直すべきである。








東京で開かれている世界報道写真展(8月10日まで)を見ると、
「世界は不幸に満ちている」という思いに胸が痛む






平成20年6月23日の天声人語よりの引用


この地球上で、幸福の量と不幸の量は、いったいどちらが多いのだろう。

東京で開かれている世界報道写真展(8月10日まで)を見ると、「世界は不幸に満ちている」という思いに胸が痛む

▼約8万点から選ばれた一瞬一瞬が現代を切り取っている。

戦火、飢え、暗殺、逃げまどう人々……。

どれも昨年起きたことだ。

パキスタンのブット元首相の暗殺現場を写した連作などは、そのむごさに、見つめ続けるのも難しい

▼「不幸」にレンズを向けるカメラマンは、深く葛藤(かっとう)するという。

「ハイエナみたいなもの」と自嘲(じちょう)したのは、戦場写真のロバート・キャパだった。

日本のある若手はカンボジアで、負傷兵に「おれの写真をいくらで売るんだ」と怒鳴られた

▼写真家の長倉洋海さんから以前、こんな話を聞いた。

飢餓のアフリカで、衰弱した少年にカメラを向けたそうだ。

少年は、あばら骨の浮き出た胸を見せまいと、何度も体をよじった。

長倉さんはどうしてもシャッターを押すことができなかったという

▼今年の大賞に選ばれたのは、アフガニスタンでの一枚だ。

壕(ごう)で休む1人の若い米兵をとらえた。

土にまみれ、憔悴(しょうすい)しきった目がうつろにレンズを見つめている。

左手薬指の指輪のような光が、この若者の家族や故郷を、見る者に想像させる


▼大義や名分が何であれ「殺し合うこと」の不毛を、この一枚は訴えてやまない。

その思いをカメラマンに託すような、若い兵の表情も胸に迫る。

写すという行為の奥深さと、伝えることの意味を語りかけるような、展示の空間である。





外国では思わぬ出来事が次から次に起きている。その点では日本は治安が良いほうである。

外国旅行して日本に帰ると整然としていることが実感としてある。

不毛の戦争が世界のどこかで起こり続けている。

国連がもっとしっかりとしなければならないが,何の存在価値もないような状態である。

事務総長によりこんなにも国連が変るものかと驚くだけである。








先週末、振り込め詐欺の被害者救済法が施行された







平成20年6月24日の天声人語よりの引用


電話口で「心がピシピシッと音を立てて氷結していくのがわかった」という。

05年、06年と続けて架空請求の詐欺に遭った日向野(ひがの)利治さんだ。

体験が『実録詐欺電話 私はこうしてだまされた』(すばる舎)にある

▼妻に先立たれた寂しさから、ある種のサイトをのぞいたことがあった。

だから、どすの利いた声に脈拍は上がり、全身から汗が噴き出したそうだ。

ご本人は経済評論家。

「不名誉」は人知れず片づけたいとも考えた

▼先週末、振り込め詐欺の被害者救済法が施行された。

裁判をしなくても、金融機関が凍結した口座からお金が戻ってくる道が開かれた。

とはいえ、まずは電話への備えを巡らせたい。

なにしろ、70歳に近い日向野さんにして「人生でいちばん怖くて長い時間」なのだ

▼息子や孫になりすますオレオレ詐欺では、警察官や弁護士役が入れ替わり出てくる劇団型も多い。

警視庁の調査では、被害者の約3割が銀行員らの警告を振り切って送金していた。

それほどの演技なのだろう

▼増えているのは還付金詐欺。

役所を名乗る人物から税金や保険料を返すと言われれば、誰しも前のめりになる。

去年の年金、今年の高齢者医療。

社会不安を巧みにとらえた話術が、善人を無人ATMにいざなう

▼虚栄、親心、お金、異性、健康。

どこを突かれても大丈夫な人はそういない。

不意の電話に「氷結」した心は、だまされやすくもなる。

これだけの被害情報を前に、呼び出し音にすら身構える人が多いのではないか。

なのに、毎日約1億円が冷たい穴へと消えている。





人の弱みをついて振り込め詐欺が止まない。詐欺者が賢いのか国民が愚かなのか

全てが政治がうまくいっていない証拠ではなかろうか。

犯罪者には厳罰を施行するようにすべきだ。

懲役を重くして詐欺した倍の額をば被害者に支払うようにしてはどうか。

振り込め詐欺に会えば被害額の倍の金額が入るようにすることである。









福島県の巻き網漁船、第58寿和(すわ)丸が千葉県沖で沈んだ。






平成20年6月25日の天声人語よりの引用


人知だけではどうにもならない領域ゆえに、豊作や大漁の喜びは大きい。

歓喜はしかし、人事を尽くしても避けられない悲しみと背中合わせだ。

日照りに風水害、しけや遭難。

それらは時に、天命と受け入れるにはつらすぎる

▼福島県の巻き網漁船、第58寿和(すわ)丸が千葉県沖で沈んだ。

乗り組んでいた20人のうち、港に無事戻られた方はまだ3人という。

転覆時、船は漁を休んで停泊していた。


大波を横から受け、傾いたところを二つ目が襲ったらしい

▼乗組員は平均48歳。

40代と50代が多い。

海で手を組む男たちは、陸ではそれぞれ大黒柱として家を支えてきたのだろう。

留守の多い危険な仕事は、夫婦や親子のきずなを強めもする。

その分、涙の粒も大きい。ご家族の心痛、いかばかりか

▼船は、黒潮に乗って北上するカツオをとっていたそうだ。

青い魚群は夏に三陸沖に至り、また南下する。

春からの上りガツオと、秋の戻りガツオ。

食卓に季節が巡るのも、海中から旬を持ち帰る人たちがいてこそだ

▼漁師はしばしば、味方であるはずの海とも戦わねばならない。

そして、毎年約200人が仕事場で命を落としている。


漁船海難遺児育英会が編んだ母と子の文集(06年刊)に、徳島県の女性が遠洋に散った夫に語りかけた詩がある

▼〈父さん/結婚式、孫の顔見たかったね/思い出いっぱい、

インド洋の波に乗せて私も行くから/写メール、貴方(あなた)の所へきっと届く〉。

片道だけの、報告と約束だ。

波間へと打ち込むメールをこれ以上増やさぬよう、懸命の捜索に望みを託したい。





海は魔物である。なんとか現在の科学で良い解決方法がないものか。








必要になったら「出荷」されるだけ。
おれたち、まるでレンタル商品みたいだ。
日雇いの派遣労働で食いつなぐ男性









平成20年6月26日の天声人語よりの引用


必要になったら「出荷」されるだけ。

おれたち、まるでレンタル商品みたいだ。

日雇いの派遣労働で食いつなぐ男性(39)の心境が、本紙生活面に載っていた。

働き盛りをそこまで卑屈にさせる商売とは何なのか

▼この業界大手のグッドウィルが廃業するという。

派遣した先からまた別の会社に回す二重派遣を助けた罪で、略式起訴された。

妙な天引きでも集団提訴されている。

「善意」は社名だけらしい

▼日雇い派遣に登録すれば、携帯への連絡ひとつで、日々雑多な職場に送られる。

いわば労働力の小口売りだ。

二重派遣はその転売にあたる。

「無職」の弱みにつけ込み、自在に増減できる労力として使い回す。

知識もないまま危険な現場に送りもする

▼休日の小遣い稼ぎという人もいようが、使い捨て同然とあっては、日雇い派遣そのものの禁止論が出るのは当然だ。

弱者の無理で成り立つ経済が、長続きするはずもない

▼〈姉(あね)さんかむりで泥にまみれて/日に灼(や)けながら汗を流して/男にまじって綱を引き/天にむかって声あげて……〉。

美輪明宏さんの名曲「ヨイトマケの唄」には、この国を底で支えた風景が描かれる。

肉体労働の厳しさ、親への感謝、職業差別への怒り。

詞中の〈僕〉は、母ちゃんの働く姿に多くを学ぶ

▼国や経済界も学習し、戦後、汗を安売りさせない仕組みが徐々に整った。

ところが、規制緩和と自己責任の名の下、ひどい逆流である。

働きがいが〈もひとつおまけにエンヤコラ〉の頑張りを生む。

明日をも知れぬ身では、綱を引く手に力が入らない。






労働力の切り売りのような立場の人は大変気の毒である。

人間扱いされているのた゛ろうか。?

前首相小泉改革の結果その後顕著に現れてきている。

弊害が改革によりいたるところでほころびが見えてきている

格差社会を作り上げたのも小泉さんである。







職場の健康診断で回ってきた
初の腹囲測定である







平成20年6月27日の天声人語よりの引用


中国の四川大地震で、がれきの下から36日ぶりに豚が助け出された。

雨水で命をつないだらしく、150キロの巨体は50キロにしぼんでいたという。

生き抜かんとする本能に打たれつつ、なんだ、目方の3分の2が消えても命は残るのかと、わが脂身に視線を落とす

▼豚には申し訳ないが、ハムカツなどを食べ続けたツケが、職場の健康診断で回ってきた。

初の腹囲測定である。

係の女性が巻き尺を回したところで腹を引っ込めたが、むなしく「メタボ予備軍」と判定された

▼さる病院の看護師さんが、腹回りの正しい測り方を明かしてくれた。

大半の男性は、巻き尺が回ると反射的に腹をすぼめるそうだ。

「はい結構です」の声で男たちは呼吸を再開し、腹がぼよんと戻る。

そこにすかさず、緩めると見せた巻き尺をあてるのだという

▼いやはや、1秒の時間差攻撃。


当然、あとの「正しい腹」が記録される。

思えば健診での格好つけは無益である。

肥満でも肝機能でも、この体、あるがままを抜き差しならぬ数値で残し、明日への反省材料としたい

▼大阪大などの研究チームが最近、おなかの脂肪にある細胞を肝臓や心臓の治療にいかす動物実験に成功したという。

節制して生き永らえれば、ぜい肉が命を救う時代が来るかもしれない

▼奇跡の豚も脂肪の蓄えがあってこそだろう。

ハムカツ何枚分か、体重は早くも20キロ戻したそうだ。

幸せそうに草をはむ姿を見て、ただ蓄えることを期待された身がうらやましくもある。

「生き証人」として博物館で余生を送ると聞けば、なおさらだ。







メタボ健診 即ち特定健診は実際の医療世界に携わることが少ない人たちにより作られたものと感ずる。

実際に肥満の患者が長年診療を受けていても,いくら体重を減らすように説いてもしたがってもらえないことが多い。

まず健診をうける方で自分が肥満だとわかっている人がうけるだろうか。?疑問だ。

それよりも税金の収入がいくら減収しても1000円にタバコを値上げして喫煙者を少なくする方が理にかなっている。

遥かに成人病の予防になって健康な老後を過ごすのに大変に役立つ。

メタボ健診はメタボが悪いことであることを世間に流布することに役立っている。








国内の大産地をかたって中国産ウナギを出荷した業者。
売れぬなら値を引くのが商いの常道なのに、生産者をでっち上げる、









平成20年6月28日の天声人語よりの引用


イタリアで落書きした学生が相次ぎ「告発」された。

横文字の中の漢字は目立つし、お国の恥と憤る人もいよう。

常識ばかりか、この程度の想像力を欠いては子どもと呼ばれても仕方ない。

ただし、大人にはもっとひどいのがいる

▼国内の大産地をかたって中国産ウナギを出荷した業者。

売れぬなら値を引くのが商いの常道なのに、生産者をでっち上げ、

取引先に口止め料まで払い、高く売りさばいた。

発覚時の赤恥には思い至らなかったか

▼飛騨牛の等級をごまかした業者にはこれほどの悪知恵もない。

ワンマン社長に牛の像、お粗末会見と、ミートホープ事件の焼き直しだ。

ブランドを裏切った点は船場吉兆にも通じる。

所と品を替えて続く食の不始末。

まさに食傷である


▼官僚御用達「居酒屋タクシー」の客は約1400人。

盛り場で「これで帰って」とタクシー券を渡された女性もいるやに聞く。

夜遊びの費用を国庫から出したのなら横領でなくて何か

▼さて、懲りないといえばこの人だ。

北朝鮮をテロ支援国家から外すというブッシュ米大統領。

ありもせぬ大量破壊兵器を根拠にイラクで戦争を始め、


多数を死なせた指導者が、核保有を誇示する北には甘い。

末期の政権は、国益どころか内輪の事情で動くらしい

▼そういう米国の外交に、今度も日本はついていく。

「それ以外、ないじゃないですか」と福田首相。

「拉致は人間の命の問題。

それなのに、どうにもしようがなく動いていく」と横田早紀江さん。

同じ状況を語った言葉二つの、共鳴力のあまりの差に天を仰ぐ。






中国産を日本産に改ざんして巨利をむさぶることが,効率主義 利益優先主義の行き着く果ての出来事である。

情けない世の中になってきたものかと嘆く。

真面目な日本人の気質が段々と欧米のやり方に汚染してきている。

昔からもあったことだがそれが顕著に現れてきている。









「徐々に、次第に夜が明けてゆくように始まる拍手は感動的」だと






平成20年6月29日の天声人語よりの引用


久しぶりにピアノコンサートを聴き、その演奏家の持ち味の淡々とゆらぐような音の流れを楽しんだ。

演奏のあとの拍手も心地よかった。

最後の音が消えるのを待って静かに起こり、次第に大きくなっていった

▼演奏後の拍手はときに、クラシックコンサートの味わいを左右する。

まだ音が残っているのに手を打ったり、掛け声を飛ばしたり。

これをされると余韻は消し飛ぶ。

以前から言われているのに、この手の「フライング拍手」は相変わらず多いようだ

▼せんだって「拍手競技会と化した演奏会」という投書が他紙に載った。

ある交響曲のライブ録音のCDを聴いたそうだ。

名演奏だったのに、終わるが早いか競わんばかりの拍手喝采で興ざめしたと、憤っていた

▼最後の音が消えたあとの静寂は演奏の一部なのだろう。

「徐々に、次第に夜が明けてゆくように始まる拍手は感動的」だと、オーボエ奏者の茂木大輔さんは近著の『拍手のルール』で言う。

そして、静寂を壊すフライングには「傍若無人」と手きびしい

▼フランスの食通で知られたブリア・サバランの言葉を思い出す。

「(晩餐(ばんさん)の)会食者はいずれも、いっしょに同一の目的地に着くべき旅人同士の心持でなければならぬ」(『美味礼讃』)

▼コンサートに会する人も同じだろう。

ところが近年は、マナー全般に問題が多いと聞く。

私語や飲食、いびき……。


それゆえのトラブルも増えているそうだ。

縁あって、感動という目的地をめざす旅人同士である。

楽しい旅路を険路にしあわないよう、心がけたいものだ。





拍手と演奏の間合いが大切で,同じことが歌舞伎での掛け声でも言えるのではなかろうか。







6月の言葉から





平成20年6月30日の天声人語よりの引用


北海道洞爺湖サミットを前に環境論議が盛んだ。

その間にも食糧と原油は値を上げ、世界の暮らしを締め上げる。

梅雨空の下で地球が語られた6月の言葉から

▼福田首相の地球温暖化対策包括提案に、経済界の評価は割れた。

「サミットまでは協力するけど、サミット後はどうなるか分からない。


反発が噴出するかもしれない」と日本経団連幹部

▼蛍保護条例を昨年つくった滋賀県米原市が初のシーズンを迎えた。

ホタルの保護に取り組む田中萬祐(かずすけ)さん(68)は「スローで鈍くさい生き物だが、力強く生きている。

ホタルがいなくなれば人間もくたばってしまうぞ、というメッセージを発したい」

▼「本当に貴重なものは、いつも失ってから気がつく。

トキの二の舞いにならないよう、今のうちに保全の手を打つべきだ」。

絶滅の危機にあるライチョウ。

生態調査を続ける信州大の中村浩志教授は、すでに2千羽を切ったと見る

▼スペースシャトルで飛んだ星出彰彦さんが、自ら取り付けた有人宇宙施設「きぼう」の船内実験室で会見。

宇宙から見た地球について「美しくてはかなく、大地からは力強さも感じた」。

それは微笑(ほほえ)みもすれば、牙もむく

▼岩手・宮城内陸地震で被災した佐藤陸三郎さん(77)は、

養殖していたイワナ2万匹を「このままいけすで殺してしまうよりも」と沢に放した。

妻の恵美子さん(72)が言う。

「地震が起きた日、おとうさんと午前3時まで魚の様子を見回りながら、またやり直すべって約束したんです」。

66億人の悲喜こもごもを乗せて、青い惑星は回る。






足利義満と相国寺



室町幕府の三代将軍は足利義満である。彼によって室町幕府が軌道に乗ったとも言える。

足利義満は全国の守護の力を弱め,自分自身の思い通りの政治をするために色んな策を全国の守護

並びに守護代に圧力をかけて変革を強要している。

日本中いたる所の諸国で変革があった。近江国を例にとると,近江守護に自分の弟にあたる六角満高に変え,

守護代を従来の目賀田氏と違った系譜の佐々木六角氏の支流から登用している。

目賀田次郎左衛門遠江守源兼遠であって,山城守護代にも登用されている。

同じく佐々木六角氏の有力家臣多賀氏 三井氏などにも同じような動きがあったようだ。

これらについては異論は多々あると思うが,足利義満の時代は,室町時代の中でもかなり激動の時代であった。

足利義満は日本国王だったといったタイトルの本が広告として新聞紙上でよくみかけることがある。

それほど権力が強かった人物のようである。

以下はインターネットから引用している。

足利義満は1358年(正平13年/延文3年)に生まれる。

義満が幼少の頃の室町幕府は南朝との抗争が続き、さらに足利家の内紛である観応の擾乱以来、幕政をめぐる争いが深刻さを増していた。

やがて政争で失脚した細川清氏などの有力武将が南朝勢力に加担し、1361年(正平16年即ち康安元年)には

清氏や南朝の楠木正儀らに京都を占領され、義満は赤松則祐の居城播磨国白旗城へ避難を余儀なくされた。

翌年には幕府・北朝側が京都を奪還したため帰京している。

1367年(正平22年即ち貞治6年)に父・義詮が病により死去すると、義満は11歳で3代将軍となった。

1369年(正平24年/応安2年)には正式に将軍に就任した。

幕政は管領の細川頼之をはじめ、足利一門の守護大名が主導することにより帝王学を学ぶ。

細川頼之は土地支配を強固なものにし、京都や鎌倉の五山制度を整えて宗教統制を強化した。

また南朝最大の勢力圏であった九州に今川貞世(了俊)・大内義弘を派遣して、

南朝勢力を弱体化させ幕府権力を固める。

1374年(文中3年/応安7年)には日野業子を室に迎える。

さらに京都の支配を強化するために、1370年(応安3年)に朝廷より

山門(延暦寺及びその支配下の諸勢力及びその構成員)に対する取締権を与えられた。

1378年(天授4年/永和4年)には幕府を三条坊門より北小路室町に移した。

移転後の幕府は後に花の御所と呼ばれた。、

現在の京都市上京区の烏丸通・今出川通・上立売通・室町通に囲まれた東西一町南北ニ町の足利将軍家の邸宅の通称である。

現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある同志社大学・寒梅館以南に位置する。

その所在地によって室町幕府と呼ばれるようになった。

朝廷と幕府に二分化されていた京都の行政権や課税権なども幕府に一元化するとともに、

守護大名の軍事力に対抗しうる将軍直属の常備軍である奉公衆奉行衆と呼ばれる実務官僚を整備する。

1379年(天授5年/康暦元年)、義満は反細川頼之派の守護大名である斯波義将や土岐頼康らに邸を包囲させ

室町幕府の管領・細川頼之の罷免を求め、頼之は罷免される。

後任の管領には斯波義将が任命され、幕政の人事も斯波派に改められる。

頼之に対しては追討令が下されるが翌年には赦免されて宿老として幕政に復帰している。

また政変後に義満の将軍権力が確立している事から,斯波・細川両派の抗争を利用して相互に牽制させていたと考えられている。

土岐頼康の死後、分裂して争う土岐氏の内紛につけ込んで土岐氏を討伐した。

1391年(元中8年/明徳2年)には山名氏の内紛に介入し、11か国の守護を兼ねて「六分一殿」と称された

有力守護大名・山名氏清を挑発して挙兵させ、同年12月に討伐する。

義満は祖父・尊氏や父を越える内大臣、左大臣へ就任し官位の昇進を続けた。

1383年(弘和3年/永徳3年)には公武両勢力の頂点に上り詰めた。

1392年(元中9年/明徳3年)には南朝勢力が全国的に衰微したため義満は大内義弘を仲介に南朝方と交渉を進め

持明院統大覚寺統が交互に即位する事(両統迭立)や諸国の国衙領を全て大覚寺統の所有とする事などの和平案を

南朝の後亀山天皇に提示し、後亀山が保持していた三種の神器を北朝の後小松天皇に接収させて

南朝が解消されるかたちでの南北朝合一を実現し58年にわたる朝廷の分裂を終結させる。

自己の権力を確固たるものにした義満は1394年(応永元年)には将軍職を嫡男の足利義持に譲って隠居したが、

政治上の実権は握り続けた。同年、従一位太政大臣にまで昇進する。

翌年には出家して道義と号した。

義満の出家は、征夷大将軍として武家の太政大臣・准三后として公家のそれぞれの頂点に達した義満が、

残る寺社勢力を支配する地位をも得ようとしたためであると考えられている。

義満の出家に際して、斯波義将をはじめ多くの武家や公家が追従して出家している。

1395年(応永2年)には九州探題として独自の権力を持っていた今川貞世を罷免する。

1399年(応永6年)には西国の有力大名・大内義弘を挑発し義弘が堺で挙兵したのを機に討伐し、

西日本で義満に対抗できる勢力は排除された

相国寺は室町幕府3代将軍足利義満は、いわゆる「花の御所」の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを永徳2年(1382年)に発願。

竣工したのは10年後の明徳3年(1392年)であった。この年に相国寺供養を全国の家臣を引き連れ盛大に施行されている。

相国寺供養記には参列した全国の武士達の名前が詳しく列記されている。

義満は、禅の師であった天龍寺の春屋妙葩(しゅんおくみょうは、1311−1388)に相国寺の開山(初代住職)となることを要請したが、

春屋はこれを固辞した。

春屋の伯父であり師である高僧・夢窓疎石(1275−1351)を開山とするなら、

自分は喜んで第2世住職になる、という条件でようやく引き受けた。

足利義満が伽藍建立を発願する30年以上前に死去している夢窓疎石が開山とされているのは、

このような事情による。

春屋妙葩も相国寺伽藍の完成を見ずに嘉慶2年(1388年)没している。

相国寺は京都最大の禅宗寺院のひとつとして、また五山文学の中心地として栄えたが、

たびたび火災に見舞われた。

伽藍完成から2年後の応永元年(1394年)に全焼。

義満による七重大塔も数年で焼失したが七重大塔は高さ106mを誇り、

足利義満没後の応永32年(1425年)に再度全焼している。

応仁元年(1467年)には相国寺が応仁の乱の細川方の陣地となったあおりで焼失。

天文20年(1551年)にも管領細川家と三好家の争いに巻き込まれて焼失。

ここまでで都合4回焼失している。

天正12年(1584年)、相国寺の中興の祖とされる西笑承兌(せいしょうじょうたい)が住職となり、

復興を進めた。現存する法堂(はっとう)はこの時期に建立されたものである。

その後も元和6年(1620年)に火災があり、天明8年(1788年)の「天明の大火」で法堂以外のほとんどの堂宇を焼失した。

現存の伽藍の大部分は19世紀はじめの文化年間の再建である。

義満は若年の頃から明への憧憬が深く早くから日明通交を望んでいたが、

明側では南朝の懐良親王を「日本国王良懐」として日本における唯一の正規な通交相手として認めていたため、かなわなかった。

南北朝合一後、「日本国征夷将軍源義満」名義で交渉を始めようと試みるが、

明側は陪臣との通交は認めないため天皇の臣下と名乗る者からの使者は受け入れられなかった。

そこで義満は出家し、太政大臣も辞した「日本国准三后源道義」の名義で1401年(応永8年)に

博多の商人を使節として明に派遣する。

ようやく明の建文帝によりそれまでの懐良親王に代わって日本国王に冊封され、

明の大統暦が授与され国交が正式に樹立した。

遣唐使の廃止以来、独自の小中華思想に基づく孤立政策を採っていた公家社会では

明皇帝の臣下となる朝貢貿易に対して不満や批判が多くあったが、

義満の権勢の前では公な発言ができず日記などに記すのみであった。

明の文化に心酔していた義満は明の太祖・洪武帝にあやかって日本の年号にも「洪」の字を使うよう朝廷へ圧力をかけたが、

上記の理由もあり朝廷側が拒否したため実現しなかった。

機嫌を損ねた義満は以後、逆に自分の生きている間には年号を変えさせなかったため応永年号は明治以前では最も長い年号となった。

1397年(応永4年)には藤原公経から京都北山の「北山弟」(ほくさんてい)を譲り受け、

舎利殿(金閣)を中心とする山荘(「北山第」(きたやまてい)または「北山殿」(きたやまどの)、

後の鹿苑寺)を造営した。この時代の文化を、武家様・公家様・唐様(禅宗様)が融合した北山文化と呼ぶことも多い。



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