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7月になって




7月になると一段と暑い日が多くなり,京都の暑さは毎年のことだか゛どうしょうもなく暑くてたまらない。

祇園祭の頃が一番暑いと言われていたか,゛ だが今年はそう,思ったよりも暑い日が少なかったようだった。

梅雨が何処へ行ったかと思うほど,雨の降る日も少ない毎日が続いていた。

今年は日本の北海道洞爺湖畔に於いて世界サミットが行われるので,その関連で京都で外相会議が催されている。,

京都もおびただしい:警察官によって厳格な警戒体制がなされた。

しかし北海道洞爺湖サミットに於いて,始め言われていたほど成果らしい成果は上がらなかったようだった。

内閣支持率はほんの微増したに過ぎない。

内閣支持率が低迷する中で,何時内閣改造乃至は解散総選挙があってもおかしくない状況が続いている。

石油高騰に伴っての諸物価の値上りに対し,国民にとって我慢ならない状態がもたらされている。

世界的な傾向とはいうものの,大変な状態が続いている。

打開策はないのだろうか。

国民の間には政治への不信感・閉塞感が漂っている。

メタボ対策(特定検診)が施行されているような状態だから,餓死者が出るような事態にはいたらないとしても,

諦めの生活をする以外に仕方がない。

この時期,国民各自が自身で倹約しつつ,なんとかしのいでゆく以外に,殆んど選択肢は残されていない。

何故こんなに景気が悪くなってきたのだろうか。?

日本の政治の舵取りが間違っているのか?,どうも変な世の中になってきている。

一方で政官業による癒着で潤っている政界のニュースが常に流れてきている。

大臣達による豪華な夏休みで゛の世界視察の慣例は変っていないようだ。

特に大分県では教師採用試験で合格点にある人の点数を下げ.合格点に達しない人の点数を揚げさせて

教師に採用していたことが判明した。

今までの体験・見聞からしても,このことは大分県だけの問題とは決して思えない事件だ。

全国的に常時行われていた現象であろうと想像する。

その一部がたまたま大分県で露見したに過ぎないと考える。

政官業,そして民間を含くるめての汚職や構造的癒着が行き着く所まできているとしか思えない。

このようなことで自民党が,やっと政権党をば維持することが出来ているとしか考えられない。

いつも誰もが権力を維持し,持ち続ける党にただ投票するとは考えられない。何かの見返りを期待してのことだと思う。

異常な形でもって,戦後60,年間余りず-と同じ党が政権維持できていたと考える。

昔から,口利きを餌にし,支持を訴える候補者がよくアチコチでみかける現象である。

誰もがそのような人物に対し,一目置き,変だとは感じながらも,それに従い過ごす事が大人の知恵と心得ている人たちが多い。

そのような人たちが威張るような社会は碌なことがない。社会は真っ暗闇である。

なんとかして普通の社会になるよう努力する必要がある。

口利きや,賄賂が横行しだすと,正直者が大変な損害をして馬鹿を見る世の中になってしまう。

大分県の例のように当然採用されるはずの人物が無理に落とされて,口利きがあった人が採用されるようなこととなる。

当選するためには,そのようなことをしないといけないような人に,絶対に投票しないことが常識となる社会であってほしい。

大体世の中,俺ほど偉いと自認するような人ほど,そのようなことに対する才能に長けていて,誇示し,社会に害をもたらす人たちである。

司法もそのような人たちの,完全な影響下に陥ってしまっている。これではどうしょうもない。

国民裁判員制度よりも,このことを解決することの方が正しい司法が行われる為の先決的な問題である。

大物と自認する人たちにとり,司法界も自分の勢力下にあり怖いものなしの世の中になってしまっている。

だが,歴史的に見ても,このようなことは,いつの時代でもあり,起こって来た事柄である。

虐げれた庶民は何時の世の中にもいた。そしてそれに対し反発する庶民もいた。

同じような現象が昔から繰り返し行われている。

それこそ歴史は繰り返えされるの話である。

これだけ進んできた社会,多くの情報量が飛び交う世の中において,そのようなことをする人たちも

又少しずつは少なくなってきているとは思うが,まだまだ絶えるところまでにはいたっていない

人間の性としてそのような人は少なくなるものの,まずこの世から絶えることはないだろう

アメリカの合理主義・効率主義が如何に世界に害毒をばら撒いているかを人々が気ずき始めている。

昔,互いの国同士が交易せずに,そのなかで国民は幸せに暮らせていた時代もあった。

人間の一生は誰にとっても限られたものである。

そしてただ一回の大切な一生であることは,世界中どの人をとっても同等であるはずだ。

この世に生まれ,多くの人たちが平等に等しく幸せに暮らせる世の中になるよう目指すのが本筋である。

格差社会を作り出して,それが進行しているのは,何かに欠陥があり原因していると考える

政治に携わる人たちが真剣にかんがえ,全力を尽くして改善してもらいたいことである。

誰が考えても,戦争だけは人間にとり無益なことである。

だが戦争しないと成り立たないような国が有るならば,大変不幸な世界である。

その国によって他の世界の多くの人たちを,さらに,不幸に陥れるだけのことである。

まず世界中に展開している米軍は世界各国から撤退すべきである。

海外に駐留しているアメリカ軍がその国を守っているのか,侵略しているのか判らないような状態でもって

世界中いたるところにアメリカ軍を見かける。 まずはそれを無くすことである。


一位イラク18万5500人 二位ドイツ6万4319人 三位日本3万3453人 四位韓国2万9086人 五位アフガニスタン2万1500人

六位イタリア1万499人 七位イギリス1万331人 八位グアム島2867人 九位トルコ1810人 十位セルビア1721人   スペイン1521人

ベルギー1361人 ジプチ1375人 バ−レン1357人 キュ−バ963人  ポルトガル922人 オランダ559人 クエイト2万5250人(2004年のデーター)

ギリシャ395人   アイスランド133人 エジプト360人 オーストラリア347人 カタール446人 など世界36:ヶ国に及ぶ

アメリカ国防省資料より(世界地図2008年度版より引用)


日本も又その例外ではない。

でも戦後ずーと米国追従の政治姿勢は変っていない。

日本はアメリカの半植民地下に置かれているようなものである。

だが現在の国連は完全に機能不全に陥っているように思える。

独立性を持つた強力な事務総長と,国際協力でもって,国連を変えてこそ,世界は変ってゆくものと信ずる。

だが日本は国連において常任理事国になれていない。同様にドイツも常任理事国ではない。

一方八ヶ国のサミットでは両国はメンバーの一員である。

そのサミットにおいてはロシア 中国 インドなどがメンバ-に入っていない。

国連が第二次大戦の影響をば受けており, 一方のサミットでは,米ソの冷戦時代の影響が残ったままである。

一番健全なのは,国連を中心に大いに活動し地球上の全ての国々が一致協力,世界の矛盾に立ち向かう体制を作ることである。

世界の各国の国境をなくし,世界連邦が形成され地球が一つになり,一部だけが富むような国を無くし,

又貧して困っている国を助けるために全力を投入できる体制をば作るることにある。

戦争をするような事態に対して,その代わりに,国際的な公平な司法裁判ができるようなシステムを作ることだ。

何処の国も,その判決に対し必ずに従わなければならない制度を確立することである。

日本の裁判を見ている限り,公正な裁判がされているのか,大変に疑問を感ずる。

政権党の自民党よりの判断が多いように感ずる

人類が平和に生きてゆく為には完全なる独立を保った公正な裁判制度が確立する以外にない。

全ての争いは,戦争する代わり公平な裁判で争うことにする。大国の影響を回避するために、無作為の各国からの司法専門家による

裁判員制度を導入しても良いことだ。

問題となる大方は領土問題でる。次に国の独裁者によって一部の人たちを抑圧・弾圧していることに対し解決する方法になる。

このような状態が現在も世界的にいたるところで蔓延している。

世界に展開しているアメリカ軍の問題についても国連に於いて大いに議論すべき事柄である。

沢山,国連の司法裁判所で解決すべき事が多くあるにもかかわらず,そのような完全な制度を作ろうとする気配がない。

あっても機能不全で効力がみられていないのか。

不思議なくらいに,そのような動きがみられない。

世界ではどう見ても「弱肉強食の世界」が大手を振ってまかり通っている

金持ちの国は益々に金持ちとなり,貧しく虐げられた国はそのままに放置され貧しくなっている。

例えばビルマのような国内問題でも,国際裁判所に訴えれば公平にな裁判を受けることが出来るシステムをまず作らければいけない。

少なくとも軍政が゜名ずけたようなミャンマーのような国名ば国際的に何処の国も使わないようにすべきだ。

ビルマには親日家も多くいて,我々も又よく知り親しい国と感じていたが,ミャンマーと名前が変ってからは,

どんな未知の国なのかと感じている。

今の社会は誰が見ても,常識的に見ても正常な状態でない国々が有りすぎる。

その解決のためにも国連が精力的に積極的に動くべきである。

実情は世界が大国の影響下に翻弄されているのが現実である。

根本的に国の有り方を変えない限り,対症的な方法だけではすまない国々が沢山ある。

だが世界はその解決に向いて動いているとは思えない。

難民を助けるだけでは駄目である。

如何に難民がで゜るのかに対して正しいメスをば入れ難民を作らないことが第一である。

それを解決することが出来るのは強力なる国連しかないと考える。その出現を待つ以外ない。

サミットでも少数の反対する人々が,そのことを訴えたかったのではないかと感ずる。

「テロの横行」自体も,又問題が存在することを,国際社会に訴え,世界の目を注がす為に起きている可能性はあると感ずる。

国際的に,弱いものの弾圧に対し,国連が救いの手を伸ばすシステム作りをする努力が必要である。

そうすればテロのような過激な活動も緩和されるのではないかと考える。

アメリカのブッシュの言う「テロとの戦い」 だけでは絶対的な根本的な解決方法にはならない。

これは,テロの増幅につながるだけである。人々の互いの憎悪を増すだけに終わってしまう。

国連での第二次大戦の戦後を終わらせることと,米ソ対立時代のサミット体制を失くして,本当の強力な国際的な協力指導体制でもって

国際司法裁判所を中心に戦争をなくす制度を確立することを急がねばならない。


戦争は無駄な人類のエネルギーの損失・世界に不幸もたらすだけである。

そのことに気ずいていても止めることが出来ないのが人間の限界なのか。

軍需産業を推し進め,利益を上げる人たちにとって,,ただ自己の利益損得しか見えてこないものと考える。

彼らにとっては大変な生活問題、死活問題でもある。

戦争があって,初めて生計が成り立つような人々を失くすことである。

戦争は人類にとり,]昔から何時の世の中でも人間にとって天敵のような存在である。

今の日本の政界ではそこまで世界のことを考える余裕が全くない。

内閣改造しても支持率が上がらないような日本はやはり政権交代すべきである。

解散総選挙をして民意に従って政治を大きく変えなければならない。

政権交代を何度か繰り返すことによって,初めて政官業の癒着が改善されてくると感ずる。

どう考えても政治家の子供達が必ずしも政治家に向いた人が出るとは思えない。

代々の議員と共に,地元との深い間違った濃厚な政官民の強力な癒着があるため,起きてきている現象と考える。

電子投票やインターネット投票でもつてそのようなことは解消されてゆくと思われる。

現在の世界の矛盾解決には,世界が如何に大国米ソからの影響下から早く脱却することに大きな問題がある。



毎日JPからの引用リンク

どうして、何故に第二次大戦がもう半年早く終わらなかったのか。膨大な犠牲者が出て 残念







コンビニエンスストアの普及と生活の深夜化も、
いまや、単なる小売店を超えた存在である









平成20年7月1日の天声人語よりの引用


「タマゴが先か、ニワトリが先か」は、因果関係をめぐる水掛け論のたとえである。

コンビニエンスストアの普及と生活の深夜化も、どちらがタマゴでニワトリなのか、

白黒つけにくいものの一つだろう

▼お目見えした頃のうたい文句は、「開(あ)いててよかった」だった。

夜中に何かが必要になって、その通りに感謝した人は多かったはずだ。

それがいつしか、24時間開いているのを前提に、人は暮らしを組み立てるようになった

▼いまや、単なる小売店を超えた存在である。

公共料金の支払いや、宅配便など多彩な横顔をあわせ持つ。

さらに、ストーカーに追われるなどした女性の駆け込みが、年に1万3千件を超す。

うち半数近くは深夜に起きている


▼その深夜営業の規制などを検討する自治体が、相次いでいるという。

省エネや、二酸化炭素の排出を減らすのが主な狙いだ。

不夜城の明かりを消すことで、エネルギー消費の多い深夜型の生活を見直す。

そんな理念も携えてのことらしい

▼コンビニが煌々(こう・こう)と輝くのは、夜にさまよう人たちを明るさで引き寄せるためか。

とはいえ、早じまいをしたところで冷蔵庫は止められない。

それやこれやで、不夜城の派手さに比べれば、実際の効果はごく薄いという

▼明かりを消させても、それだけでは「ねらい撃ち」に終わってしまう。

コンビニに限らず、少しずつでも便利さを捨てていく決意が誰にも必要だろう。

素朴な時代に戻れるかどうかは心もとないけれど、今の暮らしにどっぷりでは地球が守れないのは、

もう明らかなのだから。





コンビに ストアが24時間営業している生活形態が常習化している現在夜間休業したとしてもエネルギーの節約以上の

役割を果たしているように思える。明るく人が常駐していることは治安上も良いことである。

電柱が゛なくなり街灯が消える以上の治安上の改善に貢献していると考える。

忙しい人たちにとっては夜間開けておいて欲しいものである。

政府が強制的に関与する理由はみつからない。省エネ以上の役割がある。







7月の声を聞いて、物価の高騰はいよいよ厳しい







平成20年7月2日の天声人語よりの引用


けちん坊の出てくる落語は数多いが、きわめつきは『しわい屋』だろう。

登場人物のけちっぷりは、すさまじい。

なにせ梅干し1個で、何杯でもご飯を食べてしまう

▼梅干しを目の前に置いて、食べずにじっとにらむ。

そうして、わき上がる「酸っぱい感じ」をおかずにご飯をかきこむ。

にんまり呆(あき)れるような「倹約談」が、次から次へと繰り出される

▼その倹約をいま、切実なものに考える人は多いだろう。

7月の声を聞いて、物価の高騰はいよいよ厳しい。

電気とガスは昨日上がった。

ガソリンは1リットルあたり180円を超える店が出た。

命の綱の食べ物も、油にマヨネーズ、チーズに生めんなど、続々と値上げを控えている

▼歴史は繰り返すらしい。

1973年の第1次石油危機で、物価は跳ね上がった。

次の年に「狂乱物価」という言葉を生んだのは、福田首相の父親の赳夫蔵相(当時)である。

ちなみにガソリンは1リットル約100円。

石油危機をきっかけにサミットも始まった

▼いま、洞爺湖サミットを前に「第3次石油危機」の言葉が飛び交う。

原油と食糧の暴騰が世界を脅かす。

うごめく投機マネー、中国やインドの経済大国化など、世界の姿は前よりずっと複雑だ

▼赳夫氏は当時、日本経済の混乱を「全治3年!」と言って手を打った。

片や康夫首相が、物価高を「しょうがない」といなしたのは忘れがたい。

今は『しわい屋』ならずとも生活防衛に励むしかない。

暑ければ窓を開けて、米の飯に舌鼓。

倹約の向こうにスローな暮らしが見えてきたら、もうけものである







このところガソリンを始め生活必需品の高騰は著しいものがある。ある程度ただ自由経済に任せずに政府が

コントロールすべき所である.。

目に見えて理解できたことはガソリンの税金を課税を慎めばこんなにもガソリンの値段はあがらない。

油と食糧の暴騰が世界を脅かしているのは投機マネ-が悪作用を起していると考える。

やはり資本主義の弱点を政治で抑えるのが経済であって世界の政治化にはその深刻さが理解できていない。







秋葉原の事件のあと、刃物をめぐる議論が盛んだ







平成20年7月3日の天声人語よりの引用


「カッパ先生」という人の思い出を、心理学者の故・河合隼雄さんが書いている。

新卒で赴任した学校で数学の先輩教師だった。

ある日カッパ先生は、生徒が小刀で、机に彫り込みの落書きをするのを見つける

▼だが怒るどころか、「お前の刀の切れ味は相当なものや」。

いっしょに木版彫りをやらないかと勧める。

彫刻刀を2組そろえ、放課後になると木版彫りに励んだそうだ

▼この話を、東京本社版の声欄に載った中里真理絵さんの投書で思い出した。

中学校で美術を教える方だ。

「刃物を使う授業は手や心を育てる」と書いていた。

「ありがたさや怖さ、物づくりの喜びを味わえば、刃物による罪を犯せない」と説いている

▼秋葉原の事件のあと、刃物をめぐる議論が盛んだ。

声欄にも「刃物の使い方を学校で教えて」と意見が載った。

現場の先生からは「何でも学校に求めないで」と反論が届いた。

それらを受けた中里さんの投書である

▼刃物をいつも持たせる学校が、長野県にある。

池田町の会染(あいそめ)小では、入学すると折り畳みナイフの「肥後(ひごの)守(かみ)」をみんながもらう。

筆箱に入れて鉛筆を削り、工作に使う。手入れも怠らない。

「ナイフに親しむ週間」を設け、6年生が1年生に教えるのを伝統にしてきた

▼集中力や器用さを養うねらいだが、「正しい使い方も身につく。

教えることは教えて、あとは子どもを信頼します」と校長は言う。

ところで、冒頭のカッパ先生と木彫に励んだ生徒は素行が改まったそうだ。

「今の先生方のヒントになれば」と河合さんはつづっている。





銃剣類は統制が厳しいが,それに変るような刃物が簡単にスーパーで誰もが手に入れることが出来る。

「気ちがいに刃物」で,簡単に手に入ることが出来ない工夫があってもよいものである。

小刀類は凶器になる率が低いので工作などに大いに利用して情緒を高めることはよいことだ。








日本人はウナギに目がない
きのう、中国産を国産と偽って売っていた業者に
強制捜査の手が入った








平成20年7月4日の天声人語よりの引用


炎暑の街に、かば焼きの香の漂う土用が、今年も近い。

万葉の昔から、日本人はウナギに目がない。

だが生態には謎が多かった。

どこで生まれるのかも分からない。

形とぬめりの連想から「山芋変じてウナギになる」と言われたりした

▼古代ギリシャの哲人アリストテレスも首をひねった。

悩んだ末に、泥の中の「大地のはらわた」から生まれると書き残している。

はるか後世を騒がせるウナギの「素性問題」に、天上で驚いていることだろう

▼きのう、中国産を国産と偽って売っていた業者に強制捜査の手が入った。

「偽」の字ずくめの当節だが、今回の「偽」は目にあまる。

手口は大胆、巧妙。

隠蔽(いんぺい)は細心。

さらには「口止め料」とかいう1千万円。

「つい出来心」の悪事とはだいぶ違う


▼国産のかば焼きは中国産より2〜3倍高い。

表示を変えれば、在庫をさばけるばかりか、ぼろい利ざやが転がり込む。

「国産」の安心感で財布のひもを緩めさせ、裏で舌を出していたか。

詐欺と言っても言い過ぎではない

▼〈蒲焼(かばやき)は隣りだと知る靴を脱ぎ〉と川柳にある。

帰宅したお父さんの鼻を、香ばしい匂(にお)いがくすぐる。

勢いづいて玄関を開けると、匂いは残念、わが家ではなかった。

そんな図を詠んだのだろう。

かつてウナギは特別なごちそうだった

▼いつしか、ありがたみは薄れ、世界で食べる約7割が日本人の胃袋に収まる。

そのまた7割が中国産だが、産地をごまかされたら、一般人の舌に違いはわかるまい。

ほかは信用していいのか。

暗雲は、梅雨が明けても晴れそうにない。






ウナギは美味しいがコレステロールのことを考え控えている。多分コレステロールが気にならなければ

たくさんたべているだろう。

日本人の味覚に大変あった食事である。

肉類のハンバーグを食べるのならば「うな丼」をたべることをすすめる。

はるかに健康食だと思う。

肉類よりも魚類の方を動物性蛋白質源としてすすめる。








ホタルの光はどこか艶(なま)めかしい








平成20年7月5日の天声人語よりの引用


はかなげではあるが、ホタルの光はどこか艶(なま)めかしい。

水のほとりで、ひそやかに明滅して揺らぐ。

せせらぎを包み込むように夏の闇は深く、人の姿はシルエットに沈む。

〈ゆるやかに着てひとと逢(あ)ふ蛍の夜〉桂信子

▼ホタル前線、と近年は呼ぶそうだ。

夏の深まるなか、ホタルの初見が列島を北上していく。

4月の沖縄に始まり、5月末に京都を過ぎて、今は本州の最北あたりか。

岩手・宮城内陸地震の被災地でも、淡い光が飛び交っていることだろう

▼高度成長の時代には、開発や農薬に追いつめられた。

夏になっても光は飛ばず、「ホタル狩り」は死語になった。

やがて、反省をこめて保護活動の灯がともる。

かいあって各地で、里山の原風景がよみがえっている

▼ホタルの里をつくろうと交流する「サミット」もある。

毎年開かれ、今年は山口県下関市に6市町が集まった。

幻想的なゆえだろう。

古人はホタルを人の魂になぞらえてきた。

参加した自治体も「人のひかり」と「ホタルのひかり」の共存をめざすそうだ

▼「蛍」と題する巻が『源氏物語』にある。

光源氏がホタルをたくさん捕らえてきて、姫君のいる暗がりへ放つ。

その明かりで姫の横顔を浮かび上がらせる――。


ホタルの光で読書に励んだ中国の故事に比べ、わが平安貴人は雅(みやび)そのものである

▼ホタルの語源には、「星」と「垂る」が合わさったという説もあると聞く。

夜の川面に乱舞する図は、なるほど天の川を想像させる。

はかない星々は、私たちに、地球のはかなさを語りかけているようにも思われる。







蛍は身近で見ることが出来なくなってきている。蚊帳の中に蛍を放って眺めた

昔の風物詩が懐かしく思い出す。

近代化によって失われてゆく損失が一方ではある。

昔の暮らしと現在の暮らしと比較してどちらが良いのかわからないことがある。

人間の一生についても同じことが言える。









ネクタイが昔ながらの存在感を保つのが政治の世界である







平成20年7月6日の天声人語よりの引用


その長い布は「ちゃんとした勤め」の目印だった。

業界団体が監修した『日本ネクタイ史』(1956年)に、時の通産相が辞を寄せている。

〈今日(こんにち)ネクタイは吾々(われわれ)男の社会には無くてはならない存在であり……〉。

首相になる前の石橋湛山だ

▼以来半世紀、「男の社会」も職業観も変わった。

スポーツ選手や菓子職人など、首まわりの緩い仕事にあこがれる男性は多い。

中で、ネクタイが昔ながらの存在感を保つのが政治の世界である

▼福田首相はそれをめったに外さない。


閣僚全員が沖縄のかりゆし姿になった時、首相の一着は高級そうだがやや涼味を欠く黒系で、ボタンも一番上までとめていた。

閣議後に早速スーツに着替え、夕刻にはネクタイが復活した。

省エネのクールビズは「案外肩こる」のだという

▼もともと、世間の目を意識した振る舞いはお嫌いと聞く。

それも一つの見識だ。

ネクタイを外すと肩がこる珍現象は、周囲に迎合した自分への拒絶反応なのだろう。

ご同業と地球環境を話し合う洞爺湖畔では、建前と信条の間でどんな姿になるのやら

▼かつて「日本の政治家ほど、服装に保守的な種族はない」と評したのは、

政治記者が長かった読売新聞の渡辺恒雄会長だ(『随筆集ネクタイ』菱屋)。

身なりの保守性は主義の左右を問わないらしい

▼当世、服装だけで仕事や地位を言い当てるのは難しくなった。

同じように、肩書が人の値打ちを示さないことも自明である。

「ちゃんとした勤め」の頂点に政治家がいた時代は遠く、わずかに痕跡のみが胸元で揺れる。




ネクタイと言うものを始めたのは誰でいつごろなのか。紳士のたしなみとして習慣ずいたのはいつごろなのだろう。

何のしるしなのか歴史がよくわかっていない。

無駄なことのように思うのだが,野蛮な人間のかんがえることなのか。

ネクタイの歴史とはつまらん歴史のように思うのだが。










洞爺湖サミットにのしかかるのは「3F」だという。
フューエル(燃料)、フード(食糧)、ファイナンス(金融)。







平成20年7月7日の天声人語よりの引用


 食後を楽しむ「4C」の話をフランスで聞いた。

カフェ、ショコラ、コニャック、残る一つはシガール(葉巻)だったかコンベルサシオン(おしゃべり)だったか、自信はない

▼洞爺湖サミットにのしかかるのは「3F」だという。

フューエル(燃料)、フード(食糧)、ファイナンス(金融)。


首脳が囲む円卓の上には、食後の4Cとは似ても似つかぬ、重苦しい頭文字が並んでいる

▼米国発の金融不安は収まらず、投機マネーが流れ込む原油や穀物の相場は天井を知らない。

値上げのドミノ倒しが世界の暮らしを直撃し、各地で貧困層の暴動が続く。


温暖化やアフリカの荒廃など、地球規模の病も待ったなしだ

▼会議場では国宝、風神雷神図屏風(びょうぶ)の複製がにらみを利かすという。

国旗の列を挟んで、右に風神、左に雷神。嵐が吹き荒れ、雷鳴とどろく首脳協議はそうそうないが、

今度ばかりは、ただ集まりましたでは済まない。

危機は戸口どころか、卓上で処方箋(せん)を待つ

▼各自の主張を携え、内外のNGOが北海道に集結した。

サミット反対のデモもあった。

世界人口の6割超を占める約20カ国の首脳が寄り合い、実りもなく別れるのなら、

「権力の集い」に背を向ける人の列は延びてゆく

▼風神雷神図を描いた俵屋宗達(たわらや・そうたつ)は、武士でも御用絵師でもない京の扇屋。

それゆえ、町衆の活力を背に大胆な構図を発想できた。

片や大衆の声は届かず、形式にとらわれやすいサミットながら、はなから「傑作」をあきらめる余裕はない

成否を握る四つ目のF、議長の福田さんに託したい。






サミットは何の成果も得られずに終わっている。その後の内閣支持率も殆んど上昇していない。

それが証拠ではなかったのかと考える。








太陽の光、吹く風、寄せる波。
これまでの地中だのみから、
地表の「恵み」をとらえていく時代へ







平成20年7月8日の天声人語よりの引用


「絶対に120日間は心配せんといて。騒いだら、あかんで」。

母親に言い残して、堀江謙一さんがヨットで太平洋に船出したのは46年前のことだ。

あとは風だのみ。

94日目に米国に着くと、23歳の青年は「太平洋ひとりぼっち」として時の人になった

▼今度の航海は、風ならぬ「波だのみ」だった。

ハワイから日本までの7千キロを110日で渡りきった。

波が上下する力を、水泳のバタ足のような動きに変えて進む。意表をつく「波浪推進船」による世界初の航海である

▼波で進む船は、19世紀末の英国でも研究されたらしい。


実験船がゆっくり進んだ記録が残っているそうだ。

だが、地中の化石燃料を湯水のように使う20世紀の幕が開き、もはや無用と忘れられていった

▼その石油の世紀をくぐり抜けた、忘却の海からの再浮上である。

太陽の光、吹く風、寄せる波。

これまでの地中だのみから、地表の「恵み」をとらえていく時代へ。

「今度の航海で関心が高まれば」とゴールした堀江さんは言う

▼サミットも始まって、国内のエコ熱は最高潮だ。

昨夜は全国の各地で8時から照明が消えた。

家庭で試みた人もいただろう。

過剰な明かりを消して闇に親しめば、功徳を積むような心地がする

▼ある試算によれば、世界中が日本人と同じ水準で生活すると地球2.4個分の資源が必要になるそうだ。

ダイエットが必要だが、便利さの贅肉(ぜいにく)を落とすのは簡単ではない。

ブームに終わらない継続がカギだろう。

ゆっくりだが着実だった堀江さんの航海を、ここは見習わせてもらって。





石油にとらわれる世界から脱却しない限り,人為的な石油高騰でもって振り回される生活がつづくことだろう。







中尊寺などの文化的景観の、世界遺産への仲間入りで
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で、
先日、見送りが決まった







平成20年7月9日の天声人語よりの引用


 『おくのほそ道』の旅に出た松尾芭蕉が平泉(岩手県)に着いたのは300余年前の、梅雨時のことだ。

奥州藤原氏がつかのまの栄華を誇り、源義経が最期をとげた地である。

〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉。

一炊の夢のようなはかなさを名句に刻んでいる

▼その平泉の人々が追ってきた「現代の夢」が、遠のいてしまった。

中尊寺などの文化的景観の、世界遺産への仲間入りである。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の委員会で、先日、見送りが決まった

▼日本の候補地はこれまで連勝を続けてきた。

93年の「法隆寺」から去年の「石見銀山」まで、登録は14を数える。

それに初めて黒星がついた。

「涙が出そう」と嘆く人もいて、地元の落胆は小さくない

▼「お墨付きなんて」と斜に構えても、多くの人はそれに弱い。

たとえば重要文化財よりも、国宝にまみえるときの方が背筋は伸びる。

世界遺産は、ありがたがられる筆頭格だろう。

海外でも幅を利かせる「葵(あおい)の印籠(いんろう)」である

▼とはいえ、お墨付きの有無で、人や物の本質は変わるまい。

国からの博士号授与を断った漱石を思い出す。

そのときの言葉がいい。

「今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい」

▼平泉を世界遺産の「夢の跡」にはすまいと、文化庁は3年後に再挑戦を試みるそうだ。

夢のかなうことを祈りつつ、かつて中尊寺や毛越(もうつう)寺を訪ねた経験から思う。

ユネスコのお墨付きなどなくても、「ただの平泉」は十分味わい深く、魅力的である。




世界遺産に入ることがその地区の大いなる名誉でもある。平泉がその選にもれた。

もっと世界遺産になってよいものがあるのではなかろうか。

現在の日本の世界遺産世界の世界遺産の中でも多いようだ








曖昧は曖昧のままに、と教える話である
サミットの議長を務めた福田首相も
きりりと目鼻をつけたかっただろう









平成20年7月10日の天声人語よりの引用


ものごとが判然とせず曖昧(あいまい)なさまを混沌(こんとん)と言う。

もとは中国の古典『荘子』に出てくる、のっぺらぼうの帝王のことだ。

あるとき混沌は、よその帝王2人を招いてもてなした。

2人は返礼を相談する

▼「人の顔には七つの穴があって、見聞きし、食べ、息をする。

混沌にはそれがないから、お礼に開けてやろう」。

そして目、鼻、口……と穴をあけると混沌は死んでしまった。

曖昧は曖昧のままに、と教える話である

▼サミットの議長を務めた福田首相も、きりりと目鼻をつけたかっただろう。

焦点だった温室効果ガス削減のことだ。

2050年までの半減を、世界の目標にしようと呼びかけた。

だが、主要8カ国の負う責任は曖昧さに包んだ


▼中国やインドを加えた宣言では「50年までに半減」の文言も消えた。

とはいえ無理に目鼻を描こうとすれば、会議そのものを『荘子』の混沌のように葬りかねない。

曖昧さを残すことで米国をなだめすかし、新興諸国を引き込もうと努めたのだろう

▼かくして3日間の会合は終わり、サミットというカンバスに、「温暖化対策」の絵は描かれた。

傑作なのか、凡作か、それとも駄作なのかは分かりにくい。

いずれにしても抽象画である。

首相は自画自賛の様子だが、さて42年の後にどう評価されるだろう

▼ところで冒頭の、のっぺらぼうの混沌は「ありのままの自然」の象徴とも解釈される。

つるりと丸い地球を私たちに想像させもする。

その自然を、人間の営みが死に追いやる。

悲劇を防ぐ取り組みは、いつまでも曖昧ではすまされない







福田首相の指導力の少ないことは以前から指摘されていた。今までの小沢さんのような強引な指導力は

大変困ることである。方向は福田さんのやり方は間違ってはいないと思う。

小沢さんのような強引さがもう少しあればと感ずる。

小沢さんの強引さで間違った方向では小泉元首相よりもさらに日本は困難な状態に陥る








大分県の「教員採用汚職」に抱いた元受験者もいるだろう
まじめに努力して試験を受ける者を、
あざ笑うような腐敗ぶりである







平成20年7月11日の天声人語よりの引用


〈長安に男児有り、二十(はたち)にして心已(すで)に朽ちたり〉。

若い憂いを湛(たた)えた詩句を、胸にとどめている方もおられよう。

中国唐代の夭折(ようせつ)詩人、李賀が残した。

年少のころから文才を知られた人だ

▼20歳のとき、科挙の試験を受けるために都へ上る。

科挙は官吏を登用する試験で、難関で鳴る一方、栄達への道とされた。

だが、才をねたむ政官界からの横やりで受験さえできなかった。

深い失意を、青年は詩に込めた

▼似たような失望を、大分県の「教員採用汚職」に抱いた元受験者もいるだろう。

まじめに努力して試験を受ける者を、あざ笑うような腐敗ぶりである。

本当なら合格していた受験者の得点を下げて、教壇への夢をつぶしていた

▼校長らがカネでわが子の採用を頼む。

お任せあれ、の県教委幹部。

採用ばかりか、管理職への登用にも「袖の下」がものを言った。

逮捕などで今、数校の校長や教頭が不在になっている。

児童には「先生はルールを破った疑いで警察の調べを受けています」と説明したそうだ。

悲しすぎる反面教師である

▼人はだれしも公平を尊び、不公平を忌む。

しかし「自分に有利な不公平」には誘惑されがちだ。

わけても人の一生を左右する試験では、昔から不正や不公平が絶えなかった

▼中国の科挙も、カンニングや替え玉など、あの手この手が横行した。


採点者への賄賂(わいろ)も多く、清の時代には、発覚すれば数年の流刑になったという。

教師は聖職、などと今さら言うまい。





この大分県の事件はひどいものである。京都でも有った様な事なので,日本中で政治家により行われてきたと

考えてもよかろうと思う。ただ表面に出ていないだけのことである。

公務員を逸脱するような行為は日本中で蔓延しているように思う。

金儲けのため政治家になるような世の中だから仕方ないことなのかもしれない。

少しずつでもいいから世の中良くなっていくことを,願うものである。








日、田の草取りをした
足を入れて腰をかがめると、
伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く
地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている







平成20年7月12日の天声人語よりの引用


山あいの田を借りて、今年も米を作っている。

梅雨の晴れ間をぬって、先日、田の草取りをした。

足を入れて腰をかがめると、伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く

▼オタマジャクシがゆらゆらと逃げていく。

ゲンゴロウも大あわてだ。

アメンボはすいすいと、われ関せずの風情である。

ヤゴもいる。

遠からずトンボになって、夏の里山を飛び交うことだろう

▼米作りには様々な言い習わしがある。

生き物に関するものも多い。

たとえば「ヘビのいる田は良い田んぼ」と言う。

そうした田にはヘビの食べるカエルが多い。

カエルは害虫を食べてくれる。

生命の「つながり」の中で稲もすくすく育つというわけだ

▼「生物多様性」と聞けば難しいが、つまりは「生命のにぎわい」である。

畦(あぜ)にはミミズが這(は)っていた。

目立たないが「自然の鍬(くわ)」だ。

食べた土は糞(ふん)になって、肥えた土に生まれ変わる。

多い所では、1平方メートルあたり年に25キロにもなるという

▼吉野弘さんの詩の一節が思い浮かぶ。

〈生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい……

しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士〉。


地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている

▼青田の稲は、梅雨が明ければ穂を出すだろう。

長命だった江戸の文人、大田南畝が狂歌を残している。

〈人生七十古来稀(まれ) 食いつぶす七十年の米粒の 数かぎりなきあめつちの恩〉。

命のにぎわいに育まれて、青田は秋には黄金色の波になる。

とはいえ若い世代の心を朽ちさせるような愚を犯し、その罪の軽かろうはずはない。





自然に親しむ機会が少なくなってきている。子供達が外で遊ぶ姿は殆んどみられないようだ。

自然の中での人間が忘れかけられている。








東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た
美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ








平成20年7月13日の天声人語よりの引用


信長と秀吉に仕えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華を決定づけた。

最晩年、狩野家が独占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。

激怒した永徳、公家筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。

長谷川等伯(とうはく)だ

▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創元社)に

「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。

好敵手現る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。


過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから

▼東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月17日まで)。

美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。

国宝・重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される

▼永徳の「檜図屏風(ひのきずびょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。

濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。

片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息を続けて亡くした時期の作という

▼二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。

作者は互いに目を合わさず、正面に群がる私たちに評価をゆだねる趣だ。

居心地は、まあ悪かろう。

どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている

▼この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創刊120年にちなむ。

宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に写楽。

通し見て、文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念だと知った。

花を見て、花となり、やがて華になる。



京都は文化に接する機会に大変恵まれている。国立京都博物館 国立近代美術館 京都市立美術館には

よく訪れているが当たり前のように思い,その良さが判らないでいるの事が,

地方の展示館を訪れて初めて気がつくことがある。







国語学者の大野晋さん が
きのう、88歳で亡くなった








平成20年7月15日の天声人語よりの引用


旧制一高の入試に挑んだ国語学者の大野晋さんは、落ちたらパン屋になろうと思っていたそうだ。

合格発表には父親が行ってくれた。

首尾よく合格していた。

何番で合格だったかと聞くと、父親は一息おいて「お前の後には誰もいないよ」(『日本語と私』)

▼28人中28番。日本は腕の良いパン職人を失ったかもしれないが、優れた国語学者を得た。

日本語の源流を追って時を超え、海を渡り、旅を続けてきた。

その大野さんがきのう、88歳で亡くなった

▼東京の下町の砂糖問屋に生まれた。

中学時代、山の手の級友宅へ遊びに行き、シチューやピアノに驚いた。

同じ東京なのに言葉づかいも食べ物も違う。

ショックを受けて下町へ帰ると、慣れ親しんだ「日本」があった

▼そうした体験をへて、「日本とは何か」が終生をかけた問いになる。

還暦を過ぎて、南インドのタミル語に日本語の起源があるなどと発表して論争を呼んだ。

大胆さゆえに批判もわいたが、信念はゆるがなかったようだ

▼硬軟織りまぜて日本語の知恵袋であり、ご意見番でもあった。

小紙の記事も、疑問には大野さん頼みが目立つ。

たとえば、開店祝いなどで「〇〇さん江」となぜ書くか。

大野さんいわく、「へ」だと「屁(へ)」を連想するからでは?

▼最近の文芸春秋誌の鼎談(ていだん)では、日本人が日本語を放棄しているようなカタカナ語の氾濫(はんらん)を嘆いていた(6月号)。

交友のあった作家の丸谷才一さんは「本居宣長よりも偉い最高の日本語学者だった」と悼む。

宣長と雲の上で、日本語談議を始めるころだろうか。





どうして此れだけの言語が世界中に発生したのかが謎である。他国からの移民もあるだろうと考える。

方言でも理解できないことがあるので言語の違いの発生は判る。







往古には素朴に燃えていた石油だが、20世紀に豹変(ひょうへん)する
争奪や投機の対象となって人間の欲望を燃え立たせた








平成20年7月16日の天声人語よりの引用


石油といえば近代の象徴のようだが、人間とのかかわりは古い。

古代ローマの共同浴場では湯を沸かす燃料に使われていたらしい。

日本書紀にも記録がある。

7世紀、越の国(新潟)から朝廷に、「燃ゆる土、燃ゆる水」なるものが献上されたという

往古には素朴に燃えていた石油だが、20世紀に豹変(ひょうへん)する。

争奪や投機の対象となって人間の欲望を燃え立たせた。

経済を支配して戦争を引き起こし、「世界をゆさぶる戦略的財宝」などと言われて久しい

▼その石油にゆさぶられて、いま、日本の漁業は大シケだ。

燃料代が高騰し、漁に出るほど赤字がかさむ。

たまりかねた漁業者らが昨日、一斉に漁を休み窮状を訴えた。

錨(いかり)を下ろしたままの船は全国で20万隻にのぼった

▼魚に限らず、日々の食卓は「石油漬け」である。

ハウス栽培も石油に頼る。

たとえばキュウリ1本育てるのに約60ミリリットル、メロンなら1個で4リットルも必要だ。

あれやこれやで成人男性は、毎日、ビールのロング缶に半分ほどの石油を「食べている」換算になる

▼「産業の血液」と言われる石油は、いまや人の血肉の素(もと)にもなったようだ。

代わりにと言うべきか、人の食べていた穀物がバイオ燃料に化け、車の腹に収まっていく。

これが穀物の高騰を呼び、食品の値上げを誘発している

▼石油をめぐる最古の記述の一つに、旧約聖書の「ノアの方舟(はこぶね)」がある。

ただし燃やすのではなく、アスファルト状のもので舟をしっかり塗装したらしい。

気がつけば方舟よりも頼りなげな、わが石油だのみの日々かとも思う。




現在の石油高騰が投機家の対象になり値上がりしているのであれば.極めて人為的である。

石油 食料さらに兵器なと゜゛は投機の対象にすべきでなくて国際的に規制すべきだ。

馬鹿な戦争好きが兵器産業の隆盛を願い戦争を始めるとすれば人類の敵である。

ブッシュには「テロとの戦い」の後ろには汚い魂胆が目に付く。戦争犯罪者である。

アル中が突然立派な人物になるとは思えない。

突然の異常行動をば英雄的行動に取り違える場合も起こりうる。








作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、
のどから手が出るほど欲しがった。






平成20年7月17日の天声人語よりの引用


作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、のどから手が出るほど欲しがった。

名誉というより、賞金500円が魅力だったらしい。

だが、第1回の受賞は石川達三の『蒼氓(そうぼう)』に決まる

▼あきらめきれず、選考委員だった佐藤春夫に手紙を送った。

「お笑いにならずに、私を助けて下さい」。

だが2回目も3回目も選にもれた。

太宰は佐藤の家でさめざめと泣いたそうだ(『芥川賞の研究』)

▼ついにこの賞に縁のなかった太宰は、時の移り変わりに驚いているだろう。

73年の歴史で初めて、日本語が母語ではない外国人が賞を射止めた。

中国人女性の楊逸(ヤン・イー)さん(44)は、22歳で来日して日本語を学び始めた

▼受賞作『時が滲(にじ)む朝』は3作目だ。


民主化運動で挫折した青年が天安門事件後に日本に移住し、悩みつつ生きる姿を描く。

「国境を越えて来なければ見えないものが書かれている」と選考委員に買われた。

新しい眼(め)を持つ日本語作家の誕生である

▼言葉は生き物だ。

国や民族の文化、精神性に深く根ざし、さまざまな陰影をまとっている。

よそから来た者が操るのは楽ではない。

まして小説を書くなど難行苦行に近かろう。

それを楊さんは、「泳げないのに泳ごうとして、体が浮くように感じる楽しみがある」と軽やかに話す

▼〈文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ〉と、賞に名を残す芥川龍之介は言っている。

時を超えた励ましだろう。

さらに言葉をみがいて、外国人による「日本語文学」を引っ張る活躍を楽しみにしたい。





外国人が芥川賞をもらうとは意外である。政治的な臭いもしないではない。








大分県の「教員採用汚職」は、
不信の波紋を全国に広げつつある






平成20年7月18日の天声人語よりの引用


「マーフィーの法則」なるものが、かつて流行した。

身の回りのことを、ユーモアと皮肉まじりに法則化したものだ。

「別の列に移動すると、元の列の方が早く動き出す」といった「真理」に、大いに肯(うなず)いた覚えがある

▼さて今、「教員の子は教員になっていることが多い」と聞けば、肯く向きもあるだろう。

そうした声が実際、父母たちの間で取り交わされている。

大分県の「教員採用汚職」は、不信の波紋を全国に広げつつある

▼多くの県で、受験者本人が合否を知る前に、照会してきた首長や県議に教えていた。

「長年の慣習。口利きはない」と言うが、そうだとしても「李下(りか)の冠」である。

疑心は暗鬼を生み、「教員の子は教員……」に肯く人を増やしていく


▼大分県は、不正に採用された教員を解雇すると決めた。

あおりで落ちた人には救済の道を開くそうだ。

当然とは思うが、やりきれない。

去る先生も、残される児童も、心は傷つくだろう。

敗者復活する人も素直に喜べまい

▼大分出身の福沢諭吉は〈門閥制度は親の敵(かたき)〉と言い残した。

今ふうに言えば「機会の平等」だろうか。

努力の報われる社会を願う、強い思いがこもる。

その大先達のお膝元(ひざもと)から、情実の腐臭があふれ出したのは皮肉である

▼ところでマーフィーの法則には「一度認めた例外は、次からは当然の権利になる」というのもある。

大きな不正も、こんな事から始まるのだろう。

夏休みには、新規の採用試験が各地でピークを迎える。

努力を積んだ「裸一貫」の受験者を、不公平で泣かせてはならない。






大分県の教員だけの問題とは思えない。全国のあらゆる公務員の場で起きている現象だと思う。

それも全国の県議 市会議員 国会議員それにそれに連携した人たちでもってされているように思う。

地方の司法もその下にあるから,腐敗は爛熟しきって救いようがないのが今の政界地図だといえる。

内容は表面化してこない。体験と噂だけあるが間違いないと確信する。








古き良き面影を残すアメリカ野球が、
野茂英雄投手のスケールには合っていたように思う







平成20年7月19日の天声人語よりの引用


米国にいたころ、何度か大リーグを観戦した。

だが送りバントを見た記憶がない。

たとえば僅差(きんさ)を追う終盤。

ここはバントと思う場面でも、打者は当然のようにバットを振り回していた

▼球を遠くへかっ飛ばし、相手が拾っている間にベースを回ってくる。

素朴なおおらかさが、野球の大もとの姿なのだろう。

古き良き面影を残すアメリカ野球が、野茂英雄投手のスケールには合っていたように思う

▼投手が投げる。

その球がストライクゾーンを通過するのを許さないのが、打者の仕事だ。

腕っぷし自慢の仕事師を相手に、野茂は渡米1年目から三振の山を築く。

力勝負の醍醐味(だいごみ)に日本人は興奮した。

アメリカ人も喝采を送った

▼「背後の橋を焼くな」と英語のことわざに言う。

退路は断つなという戒めだ。

だが野茂は日本の野球と決別し、橋を焼いて渡米した。

そして新しい橋を太平洋に架けた。

その橋を今、多くの後輩が渡っていく

▼「僕の一球一球を楽しむために球場が静まりかえる」。

そんな場面を作り出せたら幸せだと、かつて自著で語っていた。

「悔いが残る」という引退の言葉には、会心の場面をなお作り足りない心残りもあろうか

▼奇(く)しくも「野茂引退」と同じ日の新聞に、「北京五輪の野球代表決まる」が掲載された。

思えば20年前、ソウル五輪の銀メダルをもたらしたのは野茂の力投だった。

そして地域面に目をやれば、野茂も挑んだ甲子園の地方大会がたけなわだ。

〈夏草やベースボールの人遠し〉子規。

白球の上に時は流れ、ひとつの時代の終わりを思う。





日本の野球ブームは大変なものだ。世界が同じ方いうとそうではない。

戦後にアメリカの影響を強烈に受けてきた日本であることとの証拠でもなかろうか。








旬の食材は、その季節を健やかに送るための滋養分を備えるようだ







平成20年7月20日の天声人語よりの引用


東京南部の等々力(とどろき)渓谷を訪れた。

せせらぎを樹木が覆い、気温はちまたより5度ほど低い。

遊歩道を行くと、修験者のための細い滝が涼やかな放物線を描いていた。

修行の足らぬ身、これに打たれたら脳天から生き返ると雑念がよぎる

▼各地で梅雨が明け、本物の夏が来た。

暑さ対策の手始めに「冷や汁」を試してみた。

みそ仕立ての汁をご飯にぶっかける宮崎県の郷土料理だ。

なるほど、しばらくは氷のかけらを含んだように、腹がひんやりする。

冷たい汁とともに、シャリシャリと口で砕けたキュウリやミョウガも効いたらしい

▼「夏野菜には体の熱を取り除く力があるの」。

薬膳(やくぜん)に通じたジュディ・オングさんから、そう聞いたことを思い出す。

旬の食材は、その季節を健やかに送るための滋養分を備えるようだ

▼作家の池波正太郎は、食欲のうせた朝をナスの漬物でしのいだ。

「小ぶりの茄子(なす)に芥子(からし)をつけて、

ぷっつりと噛(か)み切るときの醍醐味(だいごみ)は筆にも口にもつくせない」と、随筆「東京の夏」にある

▼みずみずしい野菜の助けを借りて体を内から冷ます。

冷たい、辛い、酸っぱいなど、舌やのどを驚かすことで、なえた食欲を抱き起こす。


こうした先人の知恵を盗まぬ手はない。

冷房の中、そうめんを流し込むばかりでは猛暑に負けてしまう

▼食通で知られた俳人、草間時彦に〈滝壺(たきつぼ)や冷やしトマトの一つ逃げ〉がある。

岩陰の網袋からこぼれ出たのか。

清流に消え去る赤い実を思うだけで、なにがしかの涼が脳裏をすり抜ける。

炎天下で蓄えた野菜の冷却力、侮りがたい。





田舎は素晴らしい。都会に人が集まり便利さに酔っている。もう一度地方の良さを見直す必要がある。

変らない人間の営みが悠然として過ぎ田舎暮らしを見直す必要がある。

都会になくなった昔の日本の良さが残っている。








海はほどよく、望郷の思いと異郷への夢を満たしてくれる
きょうの海の日くらいは、病める惑星に思いをはせたい






平成20年7月21日の天声人語よりの引用


大地ほどガンコではなく、空ほど浮気でもない。

海はほどよく、望郷の思いと異郷への夢を満たしてくれる。

東京湾に満ちるのは「日本の水」だが、それはアマゾン河口やマルセイユの港にもつながっている

▼作家の向田邦子さんは「凄(すご)みはないがやさしくていい」祖国の海を好んだ。

「外国の海は、波ひとつにしても外国語で打ち寄せるのである」と、多くの日本人の心情を巧みに代弁した(随筆「細長い海」)

▼向田さんが知らない21世紀の海には、世界共通の音を響かせて、環境と生態系をむしばむ波が寄せる。

米英豪などの研究チームによると、サンゴ礁をつくるサンゴの種類の3分の1が絶滅の危機にあるという。

水温の上昇、酸性化、汚水流入などのしわざらしい

▼海をたたえる歌に、加山雄三さんの「海 その愛」がある。

〈海よ俺(おれ)の海よ/大きなその愛よ/男の想(おも)いをその胸に抱きとめて/あしたの希望(のぞみ)を俺たちにくれるのだ〉。

岩谷時子さんによる詞は、紺碧(こんぺき)の包容力に勇気をもらい、前向きに生きてゆく姿を描いてやさしい

▼そう、海はおおらかだ。

「だった」と言うべきか。

核実験を重ねようが、タンカーの油が漏れようが、いつも自然の回復力が帳尻を合わせてくれた。

しかし、抱きとめられる愚行や過ちにも限りがあろう。

その深い懐に甘えられた日々も、どうやら終わりが見えてきた

▼夏休みに埋没しがちな祝日ではあるが、きょうの海の日くらいは、病める惑星に思いをはせたい。

なにしろ、海や空はどこまでもつながっている。

世界にも、未来にも。



日本は青々とした海と緑の山に囲まれて暮らしている。田舎にはスーパーとかコンビには見ないが

昔からの温かみが残っているように感ずる。

過疎化した村にも便利さが導入されても良い。急病になれば都会からヘリが飛んで患者を救うようなシステムが

導入されても良いのではないのか。これはあくまで政治判断でもって赤字は覚悟の事業である。

医師の過疎化は解消されることとなる。人命をば効率化とか実利ではかる次元の問題ではないはずだ。








その漱石も一目置くような博士が先日、小紙「ひと」欄に載った







平成20年7月22日の天声人語よりの引用


しばらく前の小欄で、夏目漱石が国からの博士号の授与を断った話を書いた。

生前の漱石が博士の称号をどう思っていたのかは、夫人の回想録『漱石の思い出』にくわしい

いわく「博士なんていうものは、やってることはいくらか知ってるでもあろうが、

そのほかのことは一切知りませんという甚だ不名誉千万な肩書だ」。

漱石一流の皮肉だろうが、昔はそんな人が多かったのかも知れない

▼その漱石も一目置くような博士が先日、小紙「ひと」欄に載った。

亀高素吉さんは、82歳で薬学の博士号を受けた。

神戸製鋼所の元社長で、文系出身の素人ながら、引退後に10年かけて学んだというから驚く

▼石油危機や鉄冷えをくぐり抜けた企業人は、「そのほか」の広い知識もお持ちだろう。

前妻を病気で亡くした。

今の奥さんも病に倒れ、薬の副作用に悩まされた。

もっと良い薬はつくれないかという思いが、志の根っこになったそうだ

▼博士とまではいかなくても「生涯学習」に意欲を持つ人が増えている。

内閣府の先ごろの調べでは、特に60代に目立っている。

退職期を迎えた「団塊の世代」が熱心なためらしい。

学ぶのは楽しいし、知識や教養のもたらす滋味は、人生を深めてもくれるだろう

▼「わが人生という無二の書物を、どこまでも読み続けていこう」と言ったのは誰だったか。

「読む」とは味わうという意味らしい。

つまり人生という物語を自らつづって、自ら味わう。

一線を退いた「高齢学徒」が、漱石先生も一目置くような物語を、続々とつづる世になれば面白い。





博士制度は何の為に作られたのかと疑問は湧く。

一生勉強の姿勢こそが一番尊いのではなかろうか。








彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた
だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという








平成20年7月23日の天声人語よりの引用


きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米国で会った民俗学者を思い出した。

黒人の多い南部の州の大学教授だった人で、奴隷時代からの生活や文化を調べていた。「

老人が一人亡くなるのは、分厚い本を一冊失うようなもの」と話していたのが印象に残っている

▼彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。

だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという。

「最高の書物」は「無筆のおばあさん」だと言っていた。

この評価は世界中に通じるものがあろう

▼「生きている図書館」という活動がいま、欧州で広まっている。

こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機会の少ない人たちを図書館が招く。

そして「本」として貸し出す試みだという

▼来館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。

社会の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。

一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ

▼人にとどまらず、森羅万象を「読もう」と詩人の長田弘さんが書いている。

〈書かれた文字だけが本ではない。

/日の光り、星の瞬き、鳥の声、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊の本」

)▼人にせよ、風物にせよ、いつもとは違った「書物」に出会える夏休みである。

心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。

思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。





歴史を調べていて判らないことが沢山あり疑問が次から次へと出てくる

人間にとって何が一番大切かは戦争をしないことである。

世界始めての被爆国日本の憲法9条戦争放棄をば,世界無形遺産登録して,各国が真似するような世界にすべきである。

体験を通じて得たこれこそ人類の宝である。







ょうの「土用の丑(うし)の日」である
ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。








平成20年7月24日の天声人語よりの引用


江戸の昔から食通を堪能させてきたからか、ウナギの出てくる小咄(こばなし)は多い。

たとえば、ウナギとタコが鞘(さや)袋を拾う。

鞘におさめた刀をすっぽり包む細長い革袋だ。

それを股引(ももひき)にするから欲しいと、タコが言う

▼ウナギは「8本足の1本だけ股引をはいても仕方なかろう」と自分のものにしようとする。

タコが「では、おぬしは何にする」と尋ねると、ウナギいわく「かば焼きの時の火事羽織」

▼その迷案もむなしい、きょうの「土用の丑(うし)の日」である。

ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。

炎暑の店先にのぼりが立ち、香ばしい匂(にお)いが流れれば、つい行列をしてまで食べたくなる。

恒例の「国民行事」に、しかし今年は影が差している

昨年来、中国産への不信が募っている。あおりで国産は値上がりを続けてきた。

そこへ水温を保つ重油代などが高騰し、夏場を前に値は跳ねた。

国産にこだわれば、店で食べても自宅で食べても、懐はかなり痛む

▼「国籍偽装」の後遺症も残る。

〈土用前ウナギの沙汰(さた)に食傷し〉と小紙の川柳欄にあった。

だまされた後、「国産」と言われて素直に信じられるかどうか。

高値に疑心があいまって、ウナギ離れが起きるのではないか。

そんな暗雲が土用の日差しを曇らせる

▼小咄の一つに、ウナギを焼く匂いで飯を食う男が出てくる。

店の主がお代を求めると、銭の音をチャリンと鳴らし、「匂いのお代は音で払う」。

かば焼きが高根の花だったころの笑い話だろう


。財布の中身をはかりつつ、国産か否かで心が揺れる夏の一日になりそうだ。





ウナギはコレステロールが多く含まれていて食べる機会は少ないが少しならば良いとして食べる。

日本人の味覚には大変会っていて美味しいものである。

土用のウナギは昔の人が考えた知恵である。









東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、
アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった







平成20年7月25日の天声人語よりの引用


ビルに囲まれた空に入道雲がわいていた

献花台に夏の日が照る。

花に埋もれるようにメッセージがあった。

「ほんやのおねえちゃん いつもたくさんのえがおをありがとう きっとわすれないよ」。

やりきれぬ、突然の終止符である

▼東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった。

人柄を知る人は「明るく、まじめな人でした」と評している。

だが、一昨日までなら、尋ねられれば「明るく、まじめな人です」と答えていたはずだ

▼憎んでも余りある凶行が、「です」を「でした」に変えさせた。

かけがえのない命を過去のものにした。

愛する肉親を、親しい友を、いまや過去形で語らなくてはならぬ人たちの無念は、いかばかりかと思う

▼献花台に手を合わせながら、三好達治の詩の一節を思った。

〈いいえ昨日(きのう)はありません/今日を打つのは今日の時計……昨日はどこにもありません/

そこにあなたの立っていた/そこにあなたの笑っていた/昨日はどこにもありません〉。


誰よりも本人が、一番悔しいに違いない

▼昨日と今日を断ち切った男は、またも「誰でもよかった」とうそぶく。

「親が話を聞いてくれず、事件でも起こせば名前が出ると思った」。

33歳とは思えぬ幼稚さと、凶暴性の混在に背筋が冷える

▼「ほんやのおねえちゃん」は、だれからも好かれたそうだ。

就職を決め、卒論に励み、前向きな意欲に満ちていたと聞く。

不平不満を社会や他人のせいだと決め込む愚か者からは、最も遠い人だったのに違いない。






今の世の中はテレビゲーム パソコンなどで無機的な考えが若い人たちを毒している。

このような事件はアナログ的な時代にはあまり起こらないことである。

殺伐としたゲームの虜になると疎外感で現実との境がわからなくなってきているようだ。

人の命の尊さの教育が廃れてきているのは確実である。

政治そのものが人の命をば効率とか実用性で計る世のなかにしてしまっている。









文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、
7割以上が意味を取り違えていたそうだ







平成20年7月26日の天声人語よりの引用


「鬼籍に入(い)る」という言葉がある。

その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答える者が多かったそうだ。

中国文学者の一海知義さんが、人づての話として『漢語四方山(よもやま)話』(岩波書店)に書いている

▼この珍解答には腹を抱える人も、さて「憮然(ぶぜん)」や「檄(げき)を飛ばす」の意味をご存じだろうか。

文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、7割以上が意味を取り違えていたそうだ

▼「憮然」は、失望してぼんやりする様子。

「檄を…」は、自らの主張を広く知らせて同意を得る。


それが元の意味だ。

だが多くが、前者を「腹を立てている様子」、後者を「元気のない者を叱咤(しっ・た)激励する」と誤って使っていた

▼「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。

だが、これらはもはや「誤」が「正」になった感がある。

「憮然」から想像するのは仏頂面であって、失望の顔ではあるまい。

歩く人が多くなれば、それが道になっていく

▼とはいっても、気になるのはカタカナ語である。

多いと感じる人が8割を超す。

開化期の文化人たちは、なだれ込む外国語と格闘し、「社会」「個人」「哲学」…と片っ端から新しい日本語の服を着せた。

いまは裸のまま、ネットに雑誌にカタカナが躍る。

席巻ぶりを、4割の人が「好ましくない」と見ている

▼ところで冒頭の「鬼籍に入る」は、人が亡くなることを言う。

鬼の字にはもともと、「人が帰る所」という意味があるそうだ。

カタカナ語に虫食いにされて、美しい日本語がいつか鬼籍に入ることにはならないか。

心配である。





電車の中で若い人の話している言葉を聴いていると理解できないことがある。

日本文化の退廃と感ずる。









大手の水産会社が2年前から、ちくわを短く、
穴を大きくしているという記事があった







平成20年7月27日の天声人語よりの引用


始まりは、火の通りをよくするためだったらしい。

ドーナツの穴である。

昨今の店先には丸い菓子パン風も並ぶが、やはり最初の一口で穴が壊れ、二つの断面から粉がこぼれるのが「らしく」ていい

▼その愛すべき穴は、しかし、ただの空気で満ちている。

ドーナツもマカロニも、穴が大きくなるほど腹に収まる部分は減っていく。

価格が同じなら、大きい穴は生産者の利益につながる定めだ

▼大手の水産会社が2年前から、ちくわを短く、穴を大きくしているという記事があった。

原料のすり身が世界的に高騰したため、1本を30グラムから25グラムに減らしたそうだ。

それでも追いつかず、結局は値上げを強いられたという

▼外地での話だが、身が両端にしか入っていない冷凍エビフライに出くわしたことがある。

そんなキセルもどきや、相次ぐ食品偽装の厚かましさを思えば、穴の拡張にはどこか哀感が漂う。

万人がちくわと認める形を保ちながらの減量は、苦肉の策には違いない

とはいえ、ちくわ1本の重さを確かめて買う人は少ないから、体のよい値上げともいえる。

こうした妙な企業努力が、食品や日用品に広まっているらしい。

バターをマーガリンに、小麦粉を米粉に代えた、これまた哀感あふれる新商品も登場している

▼酷暑の列島は値上げづくし。

消費者は生活防衛に追われる毎日だ。

なるべく買わない、使わない、遊ばない。

そうはさせまいと、メーカーや小売店も手段を選ばない。

切ない知恵比べである。広がったちくわの穴から、くらしの非常事態が見えてくる。





利益至上主義が極まった為と考える。詐欺と紙一重のことである。

効率の行き過ぎである。何でも儲ければ良いでは駄目で商道徳があるはずだ。

政治の無力化の結果である。








あこがれの宝塚音楽学校が、
来春から入試を一変させる







平成20年7月28の天声人語よりの引用


女優の黒木瞳さんが初めて飛行機に乗ったのは、郷里の福岡から大阪への一人旅だった。

親が「高校最後の思い出に」と許した、宝塚音楽学校の受験である。

別世界の人を見れば夢もさめようと、ご本人も思っていたという。

離陸時、座席のイヤホンには「運命」が流れていた(自著『わたしが泣くとき』幻冬舎)

▼ここまで格好いい話は例外だろう。

宝塚専門の予備校で歌や踊りを鍛えても、約20倍の競争に涙をのみ続け、

受験資格の15〜18歳を通過していく少女がほとんどだ


▼あこがれのその学校が、来春から入試を一変させる。

全受験者に課していた声楽とバレエの実技をやめ、1次試験は容姿や華やかさを見る面接のみに、

2次の歌や踊りも基礎能力を重視する


▼より多くの人に受けてもらうための見直しだという。

受験技術の予習を重ねた子はうまいが、髪形まで似る。

そこで、芸事の素人さんにも挑んでもらい、型破りの逸材を見つけたいと

▼都内の受験スクールにお邪魔した。

黒いレオタードの一群が夏休み返上で特訓中だった。

元タカラジェンヌの代表者は「原石を探すといっても、初心者からトップ級は出にくい。

受験者を増やすなら、修学旅行生にもっと舞台を見てもらうのが近道です」

▼宝塚での2年の学校生活は、校訓「清く正しく美しく」の前に、まず厳しい。

芸能界への道筋は増えたのに、毎年約千人の娘たちがその厚い門をたたく。

外からは、伝説は十分生きているかに見えるのだが、中には中の考えがあろう。

守るべき夢が大きいと手入れも大変だ。





昔も今も宝塚学校の変らないところであるが,現在の世の中で美人でないと認められないとなると

一種の差別に通ずる話である。

芸事は努力で克服できるが,美人であることは先天的な要素もある。








きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという







平成20年7月29の天声人語よりの引用


らちの明かない議論を「水掛け論」と言うが、水争いから生まれた言葉ともされる。

農家にとって水は命である。

かんがい施設の整う以前は、日照りが続くと、水をめぐるいさかいが頻発した

▼争いは、他人同士ばかりではなかったようだ。

狂言に「水掛聟(むこ)」というのがあって、婿と義父が田へ引く水を奪い合う。

顔に泥を塗り合ってけんかを始める。

ときには身内の仲も裂くほどに水は貴重だった

▼きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという。

食糧需要の高まりや、工業用水の急増が背景にある。


インドでは、借金をして井戸を掘ったものの、水が出ずに自殺する農民が後を絶たない。

くみ上げすぎで、地下水の層が年々深くなっているためらしい

▼タイでも、穀倉地帯の水不足が深刻だという。

農業と工業で、取り合いをしている。


「限られた水資源の中で生産は目いっぱい」と憂える現地の声を、本紙記事が伝えていた。

豊かな大河の流れるかの国でも、いまや安泰とはいかないようだ

▼宇宙から見れば地球は青い。

色のとおりの水の惑星である。

とはいえ、ほとんどは海水で、淡水は2.5%にすぎない。

東京大の沖大幹教授の試算によれば、水を安定的に得るのが困難な人たちは、いま世界で約25億人にのぼっている

▼それが、今世紀半ばには約40億人に増えるそうだ。

私たちとは無関係、と思うなかれ。

食糧輸入の多い日本は、農畜産物を育てるための膨大な水を、実は外国に頼っている。

わが食卓が世界の水につながっていることを、忘れまいと思う。






水は命の源である。植物は水がないと成長しない。水に囲まれた陸地で水不足とは

なんとか科学で克服できないものだろうか。








高い山から海へと急ぐ姿に、
欧州の平野をゆったり流れる川とは違う
厳しさを見たのだろう






平成20年7月30日の天声人語よりの引用


明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。

滝だ」と驚いたそうだ。

高い山から海へと急ぐ姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう

▼そうした河川が、山がちな日本には多い。

神戸市の都賀(とが)川も、デレーケが見たら滝と思ったかもしれない。

六甲山系から坂の街を流れ下る。

おととい、急な雨で増水し、子どもら4人の命をのみ込んだ

コンクリートに固められた「せせらぎ」は、市民の憩いの場だった。

それが瞬く間に濁流と化した。


手なずけていたつもりの動物が、いきなり野性に目覚め、牙をむいた印象である。

都市河川といえども、自然の一部に他ならないとあらためて思う

▼アウトドアが人気の昨今、人が手を加えた「疑似的な自然」を楽しむ場所が増えている。

整備されたキャンプ場や親水公園などだが、油断は禁物だ。

ふだんはやさしげに見えたとしても、

人間の管理で「自然の牙」が抜けたわけではない

▼大正から昭和初期の名登山家、大島亮吉を思い出す。

名著『山――随想』を書き、「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」という警句を残した。

のちに多くの登山家の胸に刻まれていった言葉である

▼大島の言う「山」は、川とも、海とも、そして自然とも置き換えることができよう。

自然に親しむ機会の多い夏休みである。

大いに楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう。

亡くなった4人の冥福を祈りつつ、肝に銘じたい。



日本の地形上 川は急な流れのところが多くなるのも当然である。

瀧とか急流は良く見かける日本の風景である。






7月の言葉から





平成20年7月31日の天声人語よりの引用


北京の街を、夏の熱気と靄(もや)が包む。

高揚と期待、不穏やナショナリズムが、大気汚染の靄に溶けるように入りまじる。

五輪の開催が秒読みに入った7月の言葉から

▼実力通りの記録がなかなか出せなかった走り幅跳びの池田久美子さん(27)は、最後の競技会で代表に滑り込んだ。

初の五輪だ。

「久々に味わう浮遊感でした。

逃げなかった自分をほめてあげたい」と目を赤くした

▼お母さん選手、クレー射撃の中山由起枝さん(29)は、シドニー五輪では予選落ちした。

一度は引退したが、「将来、娘に五輪の話をしても、負けたことしか話せない」と復帰した。

娘に捧(ささ)げるメダルをめざす

▼祖国ブラジルの選手として男子400メートル障害に出る杉町マハウさん(23)は、日本で暮らす。

「心は日本人、向こうの監督に握手でなくお辞儀をしそうになってしまう」。

移民100周年の節目に、「両国の懸け橋になりたい」とさわやかだ

▼片や、北京からは厳重警備の報道が続く。

大枚をはたいて観戦券を買った女性の大学教授(46)は、「どこで爆発が起きるか分からない」と不安がりつつ、

「自分の国で五輪なんて一生に一度見られるかどうか。

もう少し悩んで決めます」

▼反日的な行動への心配もある。

昨秋、女子サッカー日本代表は中国観衆の罵声(ばせい)を浴びた。

だが試合後、「謝謝」の横断幕を観衆に掲げた。

大学生の汪翠霞さん(22)は回想して言う。

「日本は試合に負けたけど観客の尊敬を集めた。

精神的には勝ったんだと思う。日本に学びたい」。

開幕まで、あと8日となった。




聖徳太子と法隆寺





先日国立奈良博物館において「国宝金堂と法隆寺」展が開催されていて観にいった。

前宣伝ほどに期待が大きく膨らんでいたので,内容はこんなものかと思う程度であった。

多勢の観覧者で一杯で,薄暗い展示部屋には中心に仏像と一緒に火災に会う前の模写された壁画が展示されていた。

当時のそうそうたる日本画の大家達によって,班毎に別れ模写されていたようだ。

戦後の貧しい時代のこと、電器コンロが持ち込まれ暖をとりながらの作業のようであった。

それが原因してのことかどうか金堂が火災にあっている。

逆に言うならば模写事業が行われていなければ現在も金堂壁画が現存していたかも知れない。

だが模写されていたが為に金堂の壁画が現在我々が見られるとも言える。

それと同時に法隆寺関連の展示物が展示されていて,一通り見た後に,いつか又ゆっくりと法隆寺を拝観したく訪れた。

法隆寺は斑鳩の里にある。『斑鳩(いかるが)』という名の由来は、この地にイカルという鳥が群をなしていたためだと言われている。

法隆寺で初めて入った茶店の法隆寺職員の女性の方に尋ねて初めて知ったことである。

女性も確かなことを覚えていなかったようで,本を見せてもらいながら教えてもらった。

どうして聖徳太子が斑鳩に寺院を建築し明日香まで通っていたのかが大変不思議に思った。

日本書紀によると603年推古11)、豊浦宮(とゆらのみや)で即位した推古女帝は新宮として小墾田宮を造営しここに居を移したという。

その後女帝崩御までの間に、蘇我氏聖徳太子らを中心として、冠位十二階の制定、十七条憲法の制定、遣隋使派遣などの

重要施策がこの宮で行われた。

日本書紀の記述からこの宮の構造は、南に「南門」を構えその北に諸大夫の勤する「庁」が並ぶ「朝庭」が広がり、

そのさらに北の大門を入ると女帝の住まう「大殿」が営まれていたことが推定される。

小墾田宮の所在地については奈良県高市郡明日香村豊浦(とようら)に「古宮」という小字名があることから、

以前から有力地とされていた。

601年推古9年に聖徳太子は新羅を攻めて任那を奪回しようと新羅征討を進めた。

あくまで新羅征討を主張する蘇我氏に対して,聖徳太子は方向転換して友好関係を結ぶことも大切と考えていたため二人が対立した。

そのため,太子は明日香を出て斑鳩に宮を造営したとされる。

斑鳩の地から難波への道が整備されたため,斑鳩は外交の玄関難波と都の間にあって,二点を結ぶ要所でもあった。

聖徳太子は,593年推古1年に難波に四天王寺が建立され,推古天皇の摂政となっている。

607年推古15年に法隆寺の建設が完成している。

594年推古4年に法興寺が完成している。603年推古11年に冠位12階を制定し604年推古12年に十七条憲法の発布しているが

日本書紀製作された時の創作とも言われている。さらには色んな人たちにより聖徳太子は実在せず創造説まで出てきている。

四天王寺 法興寺(飛鳥寺) 法隆寺は現在も存在している。

法隆寺の塔の高さは日本で5番目だとボランテイァの方に教えられた。高さは33メートルで基壇を入れると34メートルになる。

一番高い塔は京都の東寺の五重塔で55メートル 次に高いのは薬師寺の三重塔34.1メートルである。

「飛鳥時代」という時代は聖徳太子の時代から始まりであると言われている。

伊勢神宮がどうして飛鳥地域にないのかが大変不思議でいた所 丹後の籠神社元伊勢と言われていることを知った。

これは大和政権が確立するまで,外部(対立)勢力との争い続けた結果生じたものではないかと想像する。   
                                                             -インターネットより引用-



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