ホーム | 医療 | 高齢者福祉 | 芸術,哲学 | 京都伏見・宇治 |
随想 | シュワィツァ−・緒方洪庵 | ギャラリ | 検索リンク集 |
随想
平成10年9月分 10月分 11月分 12月分
平成11年1月分 2月分 3月分 4月分
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成12年1月分
2月分 3月分
4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分
8月分 9月分10月分11月分 12月分
平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分
6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
7月分 8月分 9月分 10月分11月分12月分
平成17年1月分 2月分 3月分 4月分
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成19年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成20年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分
世界遺産に入ることがその地区の大いなる名誉でもある。平泉がその選にもれた。
もっと世界遺産になってよいものがあるのではなかろうか。
現在の日本の世界遺産は世界の世界遺産の中でも多いようだ
曖昧は曖昧のままに、と教える話である
サミットの議長を務めた福田首相も
きりりと目鼻をつけたかっただろう
平成20年7月10日の天声人語よりの引用
ものごとが判然とせず曖昧(あいまい)なさまを混沌(こんとん)と言う。
もとは中国の古典『荘子』に出てくる、のっぺらぼうの帝王のことだ。
あるとき混沌は、よその帝王2人を招いてもてなした。
2人は返礼を相談する
▼「人の顔には七つの穴があって、見聞きし、食べ、息をする。
混沌にはそれがないから、お礼に開けてやろう」。
そして目、鼻、口……と穴をあけると混沌は死んでしまった。
曖昧は曖昧のままに、と教える話である
▼サミットの議長を務めた福田首相も、きりりと目鼻をつけたかっただろう。
焦点だった温室効果ガス削減のことだ。
2050年までの半減を、世界の目標にしようと呼びかけた。
だが、主要8カ国の負う責任は曖昧さに包んだ
▼中国やインドを加えた宣言では「50年までに半減」の文言も消えた。
とはいえ無理に目鼻を描こうとすれば、会議そのものを『荘子』の混沌のように葬りかねない。
曖昧さを残すことで米国をなだめすかし、新興諸国を引き込もうと努めたのだろう
▼かくして3日間の会合は終わり、サミットというカンバスに、「温暖化対策」の絵は描かれた。
傑作なのか、凡作か、それとも駄作なのかは分かりにくい。
いずれにしても抽象画である。
首相は自画自賛の様子だが、さて42年の後にどう評価されるだろう
▼ところで冒頭の、のっぺらぼうの混沌は「ありのままの自然」の象徴とも解釈される。
つるりと丸い地球を私たちに想像させもする。
その自然を、人間の営みが死に追いやる。
悲劇を防ぐ取り組みは、いつまでも曖昧ではすまされない
福田首相の指導力の少ないことは以前から指摘されていた。今までの小沢さんのような強引な指導力は
大変困ることである。方向は福田さんのやり方は間違ってはいないと思う。
小沢さんのような強引さがもう少しあればと感ずる。
小沢さんの強引さで間違った方向では小泉元首相よりもさらに日本は困難な状態に陥る
大分県の「教員採用汚職」に抱いた元受験者もいるだろう
まじめに努力して試験を受ける者を、
あざ笑うような腐敗ぶりである
平成20年7月11日の天声人語よりの引用
〈長安に男児有り、二十(はたち)にして心已(すで)に朽ちたり〉。
若い憂いを湛(たた)えた詩句を、胸にとどめている方もおられよう。
中国唐代の夭折(ようせつ)詩人、李賀が残した。
年少のころから文才を知られた人だ
▼20歳のとき、科挙の試験を受けるために都へ上る。
科挙は官吏を登用する試験で、難関で鳴る一方、栄達への道とされた。
だが、才をねたむ政官界からの横やりで受験さえできなかった。
深い失意を、青年は詩に込めた
▼似たような失望を、大分県の「教員採用汚職」に抱いた元受験者もいるだろう。
まじめに努力して試験を受ける者を、あざ笑うような腐敗ぶりである。
本当なら合格していた受験者の得点を下げて、教壇への夢をつぶしていた
▼校長らがカネでわが子の採用を頼む。
お任せあれ、の県教委幹部。
採用ばかりか、管理職への登用にも「袖の下」がものを言った。
逮捕などで今、数校の校長や教頭が不在になっている。
児童には「先生はルールを破った疑いで警察の調べを受けています」と説明したそうだ。
悲しすぎる反面教師である
▼人はだれしも公平を尊び、不公平を忌む。
しかし「自分に有利な不公平」には誘惑されがちだ。
わけても人の一生を左右する試験では、昔から不正や不公平が絶えなかった
▼中国の科挙も、カンニングや替え玉など、あの手この手が横行した。
採点者への賄賂(わいろ)も多く、清の時代には、発覚すれば数年の流刑になったという。
教師は聖職、などと今さら言うまい。
この大分県の事件はひどいものである。京都でも有った様な事なので,日本中で政治家により行われてきたと
考えてもよかろうと思う。ただ表面に出ていないだけのことである。
公務員を逸脱するような行為は日本中で蔓延しているように思う。
金儲けのため政治家になるような世の中だから仕方ないことなのかもしれない。
少しずつでもいいから世の中良くなっていくことを,願うものである。
先日、田の草取りをした
足を入れて腰をかがめると、
伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く
地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている
平成20年7月12日の天声人語よりの引用
山あいの田を借りて、今年も米を作っている。
梅雨の晴れ間をぬって、先日、田の草取りをした。
足を入れて腰をかがめると、伸び始めた稲のあいだで生き物がさかんに動く
▼オタマジャクシがゆらゆらと逃げていく。
ゲンゴロウも大あわてだ。
アメンボはすいすいと、われ関せずの風情である。
ヤゴもいる。
遠からずトンボになって、夏の里山を飛び交うことだろう
▼米作りには様々な言い習わしがある。
生き物に関するものも多い。
たとえば「ヘビのいる田は良い田んぼ」と言う。
そうした田にはヘビの食べるカエルが多い。
カエルは害虫を食べてくれる。
生命の「つながり」の中で稲もすくすく育つというわけだ
▼「生物多様性」と聞けば難しいが、つまりは「生命のにぎわい」である。
畦(あぜ)にはミミズが這(は)っていた。
目立たないが「自然の鍬(くわ)」だ。
食べた土は糞(ふん)になって、肥えた土に生まれ変わる。
多い所では、1平方メートルあたり年に25キロにもなるという
▼吉野弘さんの詩の一節が思い浮かぶ。
〈生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい……
しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士〉。
地球上の生物は、分かっているだけで175万種に上っている
▼青田の稲は、梅雨が明ければ穂を出すだろう。
長命だった江戸の文人、大田南畝が狂歌を残している。
〈人生七十古来稀(まれ) 食いつぶす七十年の米粒の 数かぎりなきあめつちの恩〉。
命のにぎわいに育まれて、青田は秋には黄金色の波になる。
とはいえ若い世代の心を朽ちさせるような愚を犯し、その罪の軽かろうはずはない。
自然に親しむ機会が少なくなってきている。子供達が外で遊ぶ姿は殆んどみられないようだ。
自然の中での人間が忘れかけられている。
東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た
美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ
平成20年7月13日の天声人語よりの引用
信長と秀吉に仕えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華を決定づけた。
最晩年、狩野家が独占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。
激怒した永徳、公家筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。
長谷川等伯(とうはく)だ
▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創元社)に
「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。
好敵手現る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。
過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから
▼東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月17日まで)。
美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。
国宝・重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される
▼永徳の「檜図屏風(ひのきずびょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。
濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。
片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息を続けて亡くした時期の作という
▼二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。
作者は互いに目を合わさず、正面に群がる私たちに評価をゆだねる趣だ。
居心地は、まあ悪かろう。
どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている
▼この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創刊120年にちなむ。
宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に写楽。
通し見て、文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念だと知った。
花を見て、花となり、やがて華になる。
京都は文化に接する機会に大変恵まれている。国立京都博物館 国立近代美術館 京都市立美術館には
よく訪れているが当たり前のように思い,その良さが判らないでいるの事が,
地方の展示館を訪れて初めて気がつくことがある。
国語学者の大野晋さん が
きのう、88歳で亡くなった
平成20年7月15日の天声人語よりの引用
旧制一高の入試に挑んだ国語学者の大野晋さんは、落ちたらパン屋になろうと思っていたそうだ。
合格発表には父親が行ってくれた。
首尾よく合格していた。
何番で合格だったかと聞くと、父親は一息おいて「お前の後には誰もいないよ」(『日本語と私』)
▼28人中28番。日本は腕の良いパン職人を失ったかもしれないが、優れた国語学者を得た。
日本語の源流を追って時を超え、海を渡り、旅を続けてきた。
その大野さんがきのう、88歳で亡くなった
▼東京の下町の砂糖問屋に生まれた。
中学時代、山の手の級友宅へ遊びに行き、シチューやピアノに驚いた。
同じ東京なのに言葉づかいも食べ物も違う。
ショックを受けて下町へ帰ると、慣れ親しんだ「日本」があった
▼そうした体験をへて、「日本とは何か」が終生をかけた問いになる。
還暦を過ぎて、南インドのタミル語に日本語の起源があるなどと発表して論争を呼んだ。
大胆さゆえに批判もわいたが、信念はゆるがなかったようだ
▼硬軟織りまぜて日本語の知恵袋であり、ご意見番でもあった。
小紙の記事も、疑問には大野さん頼みが目立つ。
たとえば、開店祝いなどで「〇〇さん江」となぜ書くか。
大野さんいわく、「へ」だと「屁(へ)」を連想するからでは?
▼最近の文芸春秋誌の鼎談(ていだん)では、日本人が日本語を放棄しているようなカタカナ語の氾濫(はんらん)を嘆いていた(6月号)。
交友のあった作家の丸谷才一さんは「本居宣長よりも偉い最高の日本語学者だった」と悼む。
宣長と雲の上で、日本語談議を始めるころだろうか。
どうして此れだけの言語が世界中に発生したのかが謎である。他国からの移民もあるだろうと考える。
方言でも理解できないことがあるので言語の違いの発生は判る。
往古には素朴に燃えていた石油だが、20世紀に豹変(ひょうへん)する
争奪や投機の対象となって人間の欲望を燃え立たせた
平成20年7月16日の天声人語よりの引用
石油といえば近代の象徴のようだが、人間とのかかわりは古い。
古代ローマの共同浴場では湯を沸かす燃料に使われていたらしい。
日本書紀にも記録がある。
7世紀、越の国(新潟)から朝廷に、「燃ゆる土、燃ゆる水」なるものが献上されたという
▼往古には素朴に燃えていた石油だが、20世紀に豹変(ひょうへん)する。
争奪や投機の対象となって人間の欲望を燃え立たせた。
経済を支配して戦争を引き起こし、「世界をゆさぶる戦略的財宝」などと言われて久しい
▼その石油にゆさぶられて、いま、日本の漁業は大シケだ。
燃料代が高騰し、漁に出るほど赤字がかさむ。
たまりかねた漁業者らが昨日、一斉に漁を休み窮状を訴えた。
錨(いかり)を下ろしたままの船は全国で20万隻にのぼった
▼魚に限らず、日々の食卓は「石油漬け」である。
ハウス栽培も石油に頼る。
たとえばキュウリ1本育てるのに約60ミリリットル、メロンなら1個で4リットルも必要だ。
あれやこれやで成人男性は、毎日、ビールのロング缶に半分ほどの石油を「食べている」換算になる
▼「産業の血液」と言われる石油は、いまや人の血肉の素(もと)にもなったようだ。
代わりにと言うべきか、人の食べていた穀物がバイオ燃料に化け、車の腹に収まっていく。
これが穀物の高騰を呼び、食品の値上げを誘発している
▼石油をめぐる最古の記述の一つに、旧約聖書の「ノアの方舟(はこぶね)」がある。
ただし燃やすのではなく、アスファルト状のもので舟をしっかり塗装したらしい。
気がつけば方舟よりも頼りなげな、わが石油だのみの日々かとも思う。
現在の石油高騰が投機家の対象になり値上がりしているのであれば.極めて人為的である。
石油 食料さらに兵器なと゜゛は投機の対象にすべきでなくて国際的に規制すべきだ。
馬鹿な戦争好きが兵器産業の隆盛を願い戦争を始めるとすれば人類の敵である。
ブッシュには「テロとの戦い」の後ろには汚い魂胆が目に付く。戦争犯罪者である。
アル中が突然立派な人物になるとは思えない。
突然の異常行動をば英雄的行動に取り違える場合も起こりうる。
作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、
のどから手が出るほど欲しがった。
平成20年7月17日の天声人語よりの引用
作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、のどから手が出るほど欲しがった。
作
名誉というより、賞金500円が魅力だったらしい。
だが、第1回の受賞は石川達三の『蒼氓(そうぼう)』に決まる
▼あきらめきれず、選考委員だった佐藤春夫に手紙を送った。
「お笑いにならずに、私を助けて下さい」。
だが2回目も3回目も選にもれた。
太宰は佐藤の家でさめざめと泣いたそうだ(『芥川賞の研究』)
▼ついにこの賞に縁のなかった太宰は、時の移り変わりに驚いているだろう。
73年の歴史で初めて、日本語が母語ではない外国人が賞を射止めた。
中国人女性の楊逸(ヤン・イー)さん(44)は、22歳で来日して日本語を学び始めた
▼受賞作『時が滲(にじ)む朝』は3作目だ。
民主化運動で挫折した青年が天安門事件後に日本に移住し、悩みつつ生きる姿を描く。
「国境を越えて来なければ見えないものが書かれている」と選考委員に買われた。
新しい眼(め)を持つ日本語作家の誕生である
▼言葉は生き物だ。
国や民族の文化、精神性に深く根ざし、さまざまな陰影をまとっている。
よそから来た者が操るのは楽ではない。
まして小説を書くなど難行苦行に近かろう。
それを楊さんは、「泳げないのに泳ごうとして、体が浮くように感じる楽しみがある」と軽やかに話す
▼〈文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ〉と、賞に名を残す芥川龍之介は言っている。
時を超えた励ましだろう。
さらに言葉をみがいて、外国人による「日本語文学」を引っ張る活躍を楽しみにしたい。
外国人が芥川賞をもらうとは意外である。政治的な臭いもしないではない。
大分県の「教員採用汚職」は、
不信の波紋を全国に広げつつある
平成20年7月18日の天声人語よりの引用
「マーフィーの法則」なるものが、かつて流行した。
身の回りのことを、ユーモアと皮肉まじりに法則化したものだ。
「別の列に移動すると、元の列の方が早く動き出す」といった「真理」に、大いに肯(うなず)いた覚えがある
▼さて今、「教員の子は教員になっていることが多い」と聞けば、肯く向きもあるだろう。
そうした声が実際、父母たちの間で取り交わされている。
大分県の「教員採用汚職」は、不信の波紋を全国に広げつつある
▼多くの県で、受験者本人が合否を知る前に、照会してきた首長や県議に教えていた。
「長年の慣習。口利きはない」と言うが、そうだとしても「李下(りか)の冠」である。
疑心は暗鬼を生み、「教員の子は教員……」に肯く人を増やしていく
▼大分県は、不正に採用された教員を解雇すると決めた。
あおりで落ちた人には救済の道を開くそうだ。
当然とは思うが、やりきれない。
去る先生も、残される児童も、心は傷つくだろう。
敗者復活する人も素直に喜べまい
▼大分出身の福沢諭吉は〈門閥制度は親の敵(かたき)〉と言い残した。
今ふうに言えば「機会の平等」だろうか。
努力の報われる社会を願う、強い思いがこもる。
その大先達のお膝元(ひざもと)から、情実の腐臭があふれ出したのは皮肉である
▼ところでマーフィーの法則には「一度認めた例外は、次からは当然の権利になる」というのもある。
大きな不正も、こんな事から始まるのだろう。
夏休みには、新規の採用試験が各地でピークを迎える。
努力を積んだ「裸一貫」の受験者を、不公平で泣かせてはならない。
大分県の教員だけの問題とは思えない。全国のあらゆる公務員の場で起きている現象だと思う。
それも全国の県議 市会議員 国会議員それにそれに連携した人たちでもってされているように思う。
地方の司法もその下にあるから,腐敗は爛熟しきって救いようがないのが今の政界地図だといえる。
内容は表面化してこない。体験と噂だけあるが間違いないと確信する。
古き良き面影を残すアメリカ野球が、
野茂英雄投手のスケールには合っていたように思う
平成20年7月19日の天声人語よりの引用
米国にいたころ、何度か大リーグを観戦した。
だが送りバントを見た記憶がない。
たとえば僅差(きんさ)を追う終盤。
ここはバントと思う場面でも、打者は当然のようにバットを振り回していた
▼球を遠くへかっ飛ばし、相手が拾っている間にベースを回ってくる。
素朴なおおらかさが、野球の大もとの姿なのだろう。
古き良き面影を残すアメリカ野球が、野茂英雄投手のスケールには合っていたように思う
▼投手が投げる。
その球がストライクゾーンを通過するのを許さないのが、打者の仕事だ。
腕っぷし自慢の仕事師を相手に、野茂は渡米1年目から三振の山を築く。
力勝負の醍醐味(だいごみ)に日本人は興奮した。
アメリカ人も喝采を送った
▼「背後の橋を焼くな」と英語のことわざに言う。
退路は断つなという戒めだ。
だが野茂は日本の野球と決別し、橋を焼いて渡米した。
そして新しい橋を太平洋に架けた。
その橋を今、多くの後輩が渡っていく
▼「僕の一球一球を楽しむために球場が静まりかえる」。
そんな場面を作り出せたら幸せだと、かつて自著で語っていた。
「悔いが残る」という引退の言葉には、会心の場面をなお作り足りない心残りもあろうか
▼奇(く)しくも「野茂引退」と同じ日の新聞に、「北京五輪の野球代表決まる」が掲載された。
思えば20年前、ソウル五輪の銀メダルをもたらしたのは野茂の力投だった。
そして地域面に目をやれば、野茂も挑んだ甲子園の地方大会がたけなわだ。
〈夏草やベースボールの人遠し〉子規。
白球の上に時は流れ、ひとつの時代の終わりを思う。
日本の野球ブームは大変なものだ。世界が同じ方いうとそうではない。
戦後にアメリカの影響を強烈に受けてきた日本であることとの証拠でもなかろうか。
旬の食材は、その季節を健やかに送るための滋養分を備えるようだ
平成20年7月20日の天声人語よりの引用
東京南部の等々力(とどろき)渓谷を訪れた。
せせらぎを樹木が覆い、気温はちまたより5度ほど低い。
遊歩道を行くと、修験者のための細い滝が涼やかな放物線を描いていた。
修行の足らぬ身、これに打たれたら脳天から生き返ると雑念がよぎる
▼各地で梅雨が明け、本物の夏が来た。
暑さ対策の手始めに「冷や汁」を試してみた。
みそ仕立ての汁をご飯にぶっかける宮崎県の郷土料理だ。
なるほど、しばらくは氷のかけらを含んだように、腹がひんやりする。
冷たい汁とともに、シャリシャリと口で砕けたキュウリやミョウガも効いたらしい
▼「夏野菜には体の熱を取り除く力があるの」。
薬膳(やくぜん)に通じたジュディ・オングさんから、そう聞いたことを思い出す。
旬の食材は、その季節を健やかに送るための滋養分を備えるようだ
▼作家の池波正太郎は、食欲のうせた朝をナスの漬物でしのいだ。
「小ぶりの茄子(なす)に芥子(からし)をつけて、
ぷっつりと噛(か)み切るときの醍醐味(だいごみ)は筆にも口にもつくせない」と、随筆「東京の夏」にある
▼みずみずしい野菜の助けを借りて体を内から冷ます。
冷たい、辛い、酸っぱいなど、舌やのどを驚かすことで、なえた食欲を抱き起こす。
こうした先人の知恵を盗まぬ手はない。
冷房の中、そうめんを流し込むばかりでは猛暑に負けてしまう
▼食通で知られた俳人、草間時彦に〈滝壺(たきつぼ)や冷やしトマトの一つ逃げ〉がある。
岩陰の網袋からこぼれ出たのか。
清流に消え去る赤い実を思うだけで、なにがしかの涼が脳裏をすり抜ける。
炎天下で蓄えた野菜の冷却力、侮りがたい。
田舎は素晴らしい。都会に人が集まり便利さに酔っている。もう一度地方の良さを見直す必要がある。
変らない人間の営みが悠然として過ぎ田舎暮らしを見直す必要がある。
都会になくなった昔の日本の良さが残っている。
海はほどよく、望郷の思いと異郷への夢を満たしてくれる
きょうの海の日くらいは、病める惑星に思いをはせたい
平成20年7月21日の天声人語よりの引用
大地ほどガンコではなく、空ほど浮気でもない。
海はほどよく、望郷の思いと異郷への夢を満たしてくれる。
東京湾に満ちるのは「日本の水」だが、それはアマゾン河口やマルセイユの港にもつながっている
▼作家の向田邦子さんは「凄(すご)みはないがやさしくていい」祖国の海を好んだ。
「外国の海は、波ひとつにしても外国語で打ち寄せるのである」と、多くの日本人の心情を巧みに代弁した(随筆「細長い海」)
▼向田さんが知らない21世紀の海には、世界共通の音を響かせて、環境と生態系をむしばむ波が寄せる。
米英豪などの研究チームによると、サンゴ礁をつくるサンゴの種類の3分の1が絶滅の危機にあるという。
水温の上昇、酸性化、汚水流入などのしわざらしい
▼海をたたえる歌に、加山雄三さんの「海 その愛」がある。
〈海よ俺(おれ)の海よ/大きなその愛よ/男の想(おも)いをその胸に抱きとめて/あしたの希望(のぞみ)を俺たちにくれるのだ〉。
岩谷時子さんによる詞は、紺碧(こんぺき)の包容力に勇気をもらい、前向きに生きてゆく姿を描いてやさしい
▼そう、海はおおらかだ。
「だった」と言うべきか。
核実験を重ねようが、タンカーの油が漏れようが、いつも自然の回復力が帳尻を合わせてくれた。
しかし、抱きとめられる愚行や過ちにも限りがあろう。
その深い懐に甘えられた日々も、どうやら終わりが見えてきた
▼夏休みに埋没しがちな祝日ではあるが、きょうの海の日くらいは、病める惑星に思いをはせたい。
なにしろ、海や空はどこまでもつながっている。
世界にも、未来にも。
日本は青々とした海と緑の山に囲まれて暮らしている。田舎にはスーパーとかコンビには見ないが
昔からの温かみが残っているように感ずる。
過疎化した村にも便利さが導入されても良い。急病になれば都会からヘリが飛んで患者を救うようなシステムが
導入されても良いのではないのか。これはあくまで政治判断でもって赤字は覚悟の事業である。
医師の過疎化は解消されることとなる。人命をば効率化とか実利ではかる次元の問題ではないはずだ。
その漱石も一目置くような博士が先日、小紙「ひと」欄に載った
平成20年7月22日の天声人語よりの引用
しばらく前の小欄で、夏目漱石が国からの博士号の授与を断った話を書いた。
生前の漱石が博士の称号をどう思っていたのかは、夫人の回想録『漱石の思い出』にくわしい
▼いわく「博士なんていうものは、やってることはいくらか知ってるでもあろうが、
そのほかのことは一切知りませんという甚だ不名誉千万な肩書だ」。
漱石一流の皮肉だろうが、昔はそんな人が多かったのかも知れない
▼その漱石も一目置くような博士が先日、小紙「ひと」欄に載った。
亀高素吉さんは、82歳で薬学の博士号を受けた。
神戸製鋼所の元社長で、文系出身の素人ながら、引退後に10年かけて学んだというから驚く
▼石油危機や鉄冷えをくぐり抜けた企業人は、「そのほか」の広い知識もお持ちだろう。
前妻を病気で亡くした。
今の奥さんも病に倒れ、薬の副作用に悩まされた。
もっと良い薬はつくれないかという思いが、志の根っこになったそうだ
▼博士とまではいかなくても「生涯学習」に意欲を持つ人が増えている。
内閣府の先ごろの調べでは、特に60代に目立っている。
退職期を迎えた「団塊の世代」が熱心なためらしい。
学ぶのは楽しいし、知識や教養のもたらす滋味は、人生を深めてもくれるだろう
▼「わが人生という無二の書物を、どこまでも読み続けていこう」と言ったのは誰だったか。
「読む」とは味わうという意味らしい。
つまり人生という物語を自らつづって、自ら味わう。
一線を退いた「高齢学徒」が、漱石先生も一目置くような物語を、続々とつづる世になれば面白い。
博士制度は何の為に作られたのかと疑問は湧く。
一生勉強の姿勢こそが一番尊いのではなかろうか。
彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた
だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという
平成20年7月23日の天声人語よりの引用
きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米国で会った民俗学者を思い出した。
黒人の多い南部の州の大学教授だった人で、奴隷時代からの生活や文化を調べていた。「
老人が一人亡くなるのは、分厚い本を一冊失うようなもの」と話していたのが印象に残っている
▼彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。
だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという。
「最高の書物」は「無筆のおばあさん」だと言っていた。
この評価は世界中に通じるものがあろう
▼「生きている図書館」という活動がいま、欧州で広まっている。
こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機会の少ない人たちを図書館が招く。
そして「本」として貸し出す試みだという
▼来館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。
社会の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。
一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ
▼人にとどまらず、森羅万象を「読もう」と詩人の長田弘さんが書いている。
〈書かれた文字だけが本ではない。
/日の光り、星の瞬き、鳥の声、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊の本」
)▼人にせよ、風物にせよ、いつもとは違った「書物」に出会える夏休みである。
心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。
思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。
歴史を調べていて判らないことが沢山あり疑問が次から次へと出てくる
人間にとって何が一番大切かは戦争をしないことである。
世界始めての被爆国日本の憲法9条戦争放棄をば,世界無形遺産登録して,各国が真似するような世界にすべきである。
体験を通じて得たこれこそ人類の宝である。
きょうの「土用の丑(うし)の日」である
ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。
平成20年7月24日の天声人語よりの引用
江戸の昔から食通を堪能させてきたからか、ウナギの出てくる小咄(こばなし)は多い。
たとえば、ウナギとタコが鞘(さや)袋を拾う。
鞘におさめた刀をすっぽり包む細長い革袋だ。
それを股引(ももひき)にするから欲しいと、タコが言う
▼ウナギは「8本足の1本だけ股引をはいても仕方なかろう」と自分のものにしようとする。
タコが「では、おぬしは何にする」と尋ねると、ウナギいわく「かば焼きの時の火事羽織」
▼その迷案もむなしい、きょうの「土用の丑(うし)の日」である。
ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。
炎暑の店先にのぼりが立ち、香ばしい匂(にお)いが流れれば、つい行列をしてまで食べたくなる。
恒例の「国民行事」に、しかし今年は影が差している
▼昨年来、中国産への不信が募っている。あおりで国産は値上がりを続けてきた。
そこへ水温を保つ重油代などが高騰し、夏場を前に値は跳ねた。
国産にこだわれば、店で食べても自宅で食べても、懐はかなり痛む
▼「国籍偽装」の後遺症も残る。
〈土用前ウナギの沙汰(さた)に食傷し〉と小紙の川柳欄にあった。
だまされた後、「国産」と言われて素直に信じられるかどうか。
高値に疑心があいまって、ウナギ離れが起きるのではないか。
そんな暗雲が土用の日差しを曇らせる
▼小咄の一つに、ウナギを焼く匂いで飯を食う男が出てくる。
店の主がお代を求めると、銭の音をチャリンと鳴らし、「匂いのお代は音で払う」。
かば焼きが高根の花だったころの笑い話だろう
。財布の中身をはかりつつ、国産か否かで心が揺れる夏の一日になりそうだ。
ウナギはコレステロールが多く含まれていて食べる機会は少ないが少しならば良いとして食べる。
日本人の味覚には大変会っていて美味しいものである。
土用のウナギは昔の人が考えた知恵である。
東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、
アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった
。
平成20年7月25日の天声人語よりの引用
ビルに囲まれた空に入道雲がわいていた
献花台に夏の日が照る。
花に埋もれるようにメッセージがあった。
「ほんやのおねえちゃん いつもたくさんのえがおをありがとう きっとわすれないよ」。
やりきれぬ、突然の終止符である
▼東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった。
人柄を知る人は「明るく、まじめな人でした」と評している。
だが、一昨日までなら、尋ねられれば「明るく、まじめな人です」と答えていたはずだ
▼憎んでも余りある凶行が、「です」を「でした」に変えさせた。
かけがえのない命を過去のものにした。
愛する肉親を、親しい友を、いまや過去形で語らなくてはならぬ人たちの無念は、いかばかりかと思う
▼献花台に手を合わせながら、三好達治の詩の一節を思った。
〈いいえ昨日(きのう)はありません/今日を打つのは今日の時計……昨日はどこにもありません/
そこにあなたの立っていた/そこにあなたの笑っていた/昨日はどこにもありません〉。
誰よりも本人が、一番悔しいに違いない
▼昨日と今日を断ち切った男は、またも「誰でもよかった」とうそぶく。
「親が話を聞いてくれず、事件でも起こせば名前が出ると思った」。
33歳とは思えぬ幼稚さと、凶暴性の混在に背筋が冷える
▼「ほんやのおねえちゃん」は、だれからも好かれたそうだ。
就職を決め、卒論に励み、前向きな意欲に満ちていたと聞く。
不平不満を社会や他人のせいだと決め込む愚か者からは、最も遠い人だったのに違いない。
今の世の中はテレビゲーム パソコンなどで無機的な考えが若い人たちを毒している。
このような事件はアナログ的な時代にはあまり起こらないことである。
殺伐としたゲームの虜になると疎外感で現実との境がわからなくなってきているようだ。
人の命の尊さの教育が廃れてきているのは確実である。
政治そのものが人の命をば効率とか実用性で計る世のなかにしてしまっている。
文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、
7割以上が意味を取り違えていたそうだ
平成20年7月26日の天声人語よりの引用
「鬼籍に入(い)る」という言葉がある。
その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答える者が多かったそうだ。
中国文学者の一海知義さんが、人づての話として『漢語四方山(よもやま)話』(岩波書店)に書いている
▼この珍解答には腹を抱える人も、さて「憮然(ぶぜん)」や「檄(げき)を飛ばす」の意味をご存じだろうか。
文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、7割以上が意味を取り違えていたそうだ
▼「憮然」は、失望してぼんやりする様子。
「檄を…」は、自らの主張を広く知らせて同意を得る。
それが元の意味だ。
だが多くが、前者を「腹を立てている様子」、後者を「元気のない者を叱咤(しっ・た)激励する」と誤って使っていた
▼「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。
だが、これらはもはや「誤」が「正」になった感がある。
「憮然」から想像するのは仏頂面であって、失望の顔ではあるまい。
歩く人が多くなれば、それが道になっていく
▼とはいっても、気になるのはカタカナ語である。
多いと感じる人が8割を超す。
開化期の文化人たちは、なだれ込む外国語と格闘し、「社会」「個人」「哲学」…と片っ端から新しい日本語の服を着せた。
いまは裸のまま、ネットに雑誌にカタカナが躍る。
席巻ぶりを、4割の人が「好ましくない」と見ている
▼ところで冒頭の「鬼籍に入る」は、人が亡くなることを言う。
鬼の字にはもともと、「人が帰る所」という意味があるそうだ。
カタカナ語に虫食いにされて、美しい日本語がいつか鬼籍に入ることにはならないか。
心配である。
電車の中で若い人の話している言葉を聴いていると理解できないことがある。
日本文化の退廃と感ずる。
大手の水産会社が2年前から、ちくわを短く、
穴を大きくしているという記事があった
平成20年7月27日の天声人語よりの引用
始まりは、火の通りをよくするためだったらしい。
ドーナツの穴である。
昨今の店先には丸い菓子パン風も並ぶが、やはり最初の一口で穴が壊れ、二つの断面から粉がこぼれるのが「らしく」ていい
▼その愛すべき穴は、しかし、ただの空気で満ちている。
ドーナツもマカロニも、穴が大きくなるほど腹に収まる部分は減っていく。
価格が同じなら、大きい穴は生産者の利益につながる定めだ
▼大手の水産会社が2年前から、ちくわを短く、穴を大きくしているという記事があった。
原料のすり身が世界的に高騰したため、1本を30グラムから25グラムに減らしたそうだ。
それでも追いつかず、結局は値上げを強いられたという
▼外地での話だが、身が両端にしか入っていない冷凍エビフライに出くわしたことがある。
そんなキセルもどきや、相次ぐ食品偽装の厚かましさを思えば、穴の拡張にはどこか哀感が漂う。
万人がちくわと認める形を保ちながらの減量は、苦肉の策には違いない
▼とはいえ、ちくわ1本の重さを確かめて買う人は少ないから、体のよい値上げともいえる。
こうした、妙な企業努力が、食品や日用品に広まっているらしい。
バターをマーガリンに、小麦粉を米粉に代えた、これまた哀感あふれる新商品も登場している
▼酷暑の列島は値上げづくし。
消費者は生活防衛に追われる毎日だ。
なるべく買わない、使わない、遊ばない。
そうはさせまいと、メーカーや小売店も手段を選ばない。
切ない知恵比べである。広がったちくわの穴から、くらしの非常事態が見えてくる。
利益至上主義が極まった為と考える。詐欺と紙一重のことである。
効率の行き過ぎである。何でも儲ければ良いでは駄目で商道徳があるはずだ。
政治の無力化の結果である。
あこがれの宝塚音楽学校が、
来春から入試を一変させる
平成20年7月28の天声人語よりの引用
女優の黒木瞳さんが初めて飛行機に乗ったのは、郷里の福岡から大阪への一人旅だった。
親が「高校最後の思い出に」と許した、宝塚音楽学校の受験である。
別世界の人を見れば夢もさめようと、ご本人も思っていたという。
離陸時、座席のイヤホンには「運命」が流れていた(自著『わたしが泣くとき』幻冬舎)
▼ここまで格好いい話は例外だろう。
宝塚専門の予備校で歌や踊りを鍛えても、約20倍の競争に涙をのみ続け、
受験資格の15〜18歳を通過していく少女がほとんどだ
▼あこがれのその学校が、来春から入試を一変させる。
全受験者に課していた声楽とバレエの実技をやめ、1次試験は容姿や華やかさを見る面接のみに、
2次の歌や踊りも基礎能力を重視する
▼より多くの人に受けてもらうための見直しだという。
受験技術の予習を重ねた子はうまいが、髪形まで似る。
そこで、芸事の素人さんにも挑んでもらい、型破りの逸材を見つけたいと
▼都内の受験スクールにお邪魔した。
黒いレオタードの一群が夏休み返上で特訓中だった。
元タカラジェンヌの代表者は「原石を探すといっても、初心者からトップ級は出にくい。
受験者を増やすなら、修学旅行生にもっと舞台を見てもらうのが近道です」
▼宝塚での2年の学校生活は、校訓「清く正しく美しく」の前に、まず厳しい。
芸能界への道筋は増えたのに、毎年約千人の娘たちがその厚い門をたたく。
外からは、伝説は十分生きているかに見えるのだが、中には中の考えがあろう。
守るべき夢が大きいと手入れも大変だ。
昔も今も宝塚学校の変らないところであるが,現在の世の中で美人でないと認められないとなると
一種の差別に通ずる話である。
芸事は努力で克服できるが,美人であることは先天的な要素もある。
きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという
平成20年7月29の天声人語よりの引用
らちの明かない議論を「水掛け論」と言うが、水争いから生まれた言葉ともされる。
農家にとって水は命である。
かんがい施設の整う以前は、日照りが続くと、水をめぐるいさかいが頻発した
▼争いは、他人同士ばかりではなかったようだ。
狂言に「水掛聟(むこ)」というのがあって、婿と義父が田へ引く水を奪い合う。
顔に泥を塗り合ってけんかを始める。
ときには身内の仲も裂くほどに水は貴重だった
▼きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという。
食糧需要の高まりや、工業用水の急増が背景にある。
インドでは、借金をして井戸を掘ったものの、水が出ずに自殺する農民が後を絶たない。
くみ上げすぎで、地下水の層が年々深くなっているためらしい
▼タイでも、穀倉地帯の水不足が深刻だという。
農業と工業で、取り合いをしている。
「限られた水資源の中で生産は目いっぱい」と憂える現地の声を、本紙記事が伝えていた。
豊かな大河の流れるかの国でも、いまや安泰とはいかないようだ
▼宇宙から見れば地球は青い。
色のとおりの水の惑星である。
とはいえ、ほとんどは海水で、淡水は2.5%にすぎない。
東京大の沖大幹教授の試算によれば、水を安定的に得るのが困難な人たちは、いま世界で約25億人にのぼっている
▼それが、今世紀半ばには約40億人に増えるそうだ。
私たちとは無関係、と思うなかれ。
食糧輸入の多い日本は、農畜産物を育てるための膨大な水を、実は外国に頼っている。
わが食卓が世界の水につながっていることを、忘れまいと思う。
水は命の源である。植物は水がないと成長しない。水に囲まれた陸地で水不足とは
なんとか科学で克服できないものだろうか。
高い山から海へと急ぐ姿に、
欧州の平野をゆったり流れる川とは違う
厳しさを見たのだろう
平成20年7月30日の天声人語よりの引用
明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。
滝だ」と驚いたそうだ。
高い山から海へと急ぐ姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう
▼そうした河川が、山がちな日本には多い。
神戸市の都賀(とが)川も、デレーケが見たら滝と思ったかもしれない。
六甲山系から坂の街を流れ下る。
おととい、急な雨で増水し、子どもら4人の命をのみ込んだ
▼コンクリートに固められた「せせらぎ」は、市民の憩いの場だった。
それが瞬く間に濁流と化した。
手なずけていたつもりの動物が、いきなり野性に目覚め、牙をむいた印象である。
都市河川といえども、自然の一部に他ならないとあらためて思う
▼アウトドアが人気の昨今、人が手を加えた「疑似的な自然」を楽しむ場所が増えている。
整備されたキャンプ場や親水公園などだが、油断は禁物だ。
ふだんはやさしげに見えたとしても、
人間の管理で「自然の牙」が抜けたわけではない
▼大正から昭和初期の名登山家、大島亮吉を思い出す。
名著『山――随想』を書き、「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」という警句を残した。
のちに多くの登山家の胸に刻まれていった言葉である
▼大島の言う「山」は、川とも、海とも、そして自然とも置き換えることができよう。
自然に親しむ機会の多い夏休みである。
大いに楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう。
亡くなった4人の冥福を祈りつつ、肝に銘じたい。
日本の地形上 川は急な流れのところが多くなるのも当然である。
瀧とか急流は良く見かける日本の風景である。
7月の言葉から
平成20年7月31日の天声人語よりの引用
北京の街を、夏の熱気と靄(もや)が包む。
高揚と期待、不穏やナショナリズムが、大気汚染の靄に溶けるように入りまじる。
五輪の開催が秒読みに入った7月の言葉から
▼実力通りの記録がなかなか出せなかった走り幅跳びの池田久美子さん(27)は、最後の競技会で代表に滑り込んだ。
初の五輪だ。
「久々に味わう浮遊感でした。
逃げなかった自分をほめてあげたい」と目を赤くした
▼お母さん選手、クレー射撃の中山由起枝さん(29)は、シドニー五輪では予選落ちした。
一度は引退したが、「将来、娘に五輪の話をしても、負けたことしか話せない」と復帰した。
娘に捧(ささ)げるメダルをめざす
▼祖国ブラジルの選手として男子400メートル障害に出る杉町マハウさん(23)は、日本で暮らす。
「心は日本人、向こうの監督に握手でなくお辞儀をしそうになってしまう」。
移民100周年の節目に、「両国の懸け橋になりたい」とさわやかだ
▼片や、北京からは厳重警備の報道が続く。
大枚をはたいて観戦券を買った女性の大学教授(46)は、「どこで爆発が起きるか分からない」と不安がりつつ、
「自分の国で五輪なんて一生に一度見られるかどうか。
もう少し悩んで決めます」
▼反日的な行動への心配もある。
昨秋、女子サッカー日本代表は中国観衆の罵声(ばせい)を浴びた。
だが試合後、「謝謝」の横断幕を観衆に掲げた。
大学生の汪翠霞さん(22)は回想して言う。
「日本は試合に負けたけど観客の尊敬を集めた。
精神的には勝ったんだと思う。日本に学びたい」。
開幕まで、あと8日となった。
聖徳太子と法隆寺
先日国立奈良博物館において「国宝金堂と法隆寺」展が開催されていて観にいった。
前宣伝ほどに期待が大きく膨らんでいたので,内容はこんなものかと思う程度であった。
多勢の観覧者で一杯で,薄暗い展示部屋には中心に仏像と一緒に火災に会う前の模写された壁画が展示されていた。
当時のそうそうたる日本画の大家達によって,班毎に別れ模写されていたようだ。
戦後の貧しい時代のこと、電器コンロが持ち込まれ暖をとりながらの作業のようであった。
それが原因してのことかどうか金堂が火災にあっている。
逆に言うならば模写事業が行われていなければ現在も金堂壁画が現存していたかも知れない。
だが模写されていたが為に金堂の壁画が現在我々が見られるとも言える。
それと同時に法隆寺関連の展示物が展示されていて,一通り見た後に,いつか又ゆっくりと法隆寺を拝観したく訪れた。
法隆寺は斑鳩の里にある。『斑鳩(いかるが)』という名の由来は、この地にイカルという鳥が群をなしていたためだと言われている。
法隆寺で初めて入った茶店の法隆寺職員の女性の方に尋ねて初めて知ったことである。
女性も確かなことを覚えていなかったようで,本を見せてもらいながら教えてもらった。
どうして聖徳太子が斑鳩に寺院を建築し明日香まで通っていたのかが大変不思議に思った。
日本書紀によると603年(推古11)、豊浦宮(とゆらのみや)で即位した推古女帝は新宮として小墾田宮を造営しここに居を移したという。
その後女帝崩御までの間に、蘇我氏、聖徳太子らを中心として、冠位十二階の制定、十七条憲法の制定、遣隋使派遣などの
重要施策がこの宮で行われた。
日本書紀の記述からこの宮の構造は、南に「南門」を構えその北に諸大夫の勤する「庁」が並ぶ「朝庭」が広がり、
そのさらに北の大門を入ると女帝の住まう「大殿」が営まれていたことが推定される。
小墾田宮の所在地については奈良県高市郡明日香村豊浦(とようら)に「古宮」という小字名があることから、
以前から有力地とされていた。
601年推古9年に聖徳太子は新羅を攻めて任那を奪回しようと新羅征討を進めた。
あくまで新羅征討を主張する蘇我氏に対して,聖徳太子は方向転換して友好関係を結ぶことも大切と考えていたため二人が対立した。
そのため,太子は明日香を出て斑鳩に宮を造営したとされる。
斑鳩の地から難波への道が整備されたため,斑鳩は外交の玄関難波と都の間にあって,二点を結ぶ要所でもあった。
聖徳太子は,593年推古1年に難波に四天王寺が建立され,推古天皇の摂政となっている。
607年推古15年に法隆寺の建設が完成している。
594年推古4年に法興寺が完成している。603年推古11年に冠位12階を制定し604年推古12年に十七条憲法の発布しているが
日本書紀製作された時の創作とも言われている。さらには色んな人たちにより聖徳太子は実在せず創造説まで出てきている。
四天王寺 法興寺(飛鳥寺) 法隆寺は現在も存在している。
法隆寺の塔の高さは日本で5番目だとボランテイァの方に教えられた。高さは33メートルで基壇を入れると34メートルになる。
一番高い塔は京都の東寺の五重塔で55メートル 次に高いのは薬師寺の三重塔34.1メートルである。
「飛鳥時代」という時代は聖徳太子の時代から始まりであると言われている。
伊勢神宮がどうして飛鳥地域にないのかが大変不思議でいた所 丹後の籠神社が元伊勢と言われていることを知った。
これは大和政権が確立するまで,外部(対立)勢力との争い続けた結果生じたものではないかと想像する。
-インターネットより引用-
戻る 6月分 7月分 8月分