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9月になって






8月が過ぎ,9月になると暑さは和らぐ。暑い日もあるが,その暑さも真夏に比べてしのぎ易くなってきている。

台風の影響で時々雨が降り,次第に秋らしさがましてきている。

彼岸が過ぎる頃から涼しさも加わりさらに秋めいてくる。

裏に咲く萩も涼しさを誘うようである。涼しさから次第に冷たさ,寒さへと次第に移り変ってゆきそうだ。

雑草も刈り取られ,すっきりとした秋の気配が漂う。

自民党総裁選挙がもう一つ盛り上がりなく,仲良しクラブの選挙ごっこのようにしか見えてこない。

多分自民党としては総裁選挙を小泉劇場のように国民的な関心に結び付け,国民をひきつけ,その勢いでもって

解散総選挙になだれ込む思惑があるように見えてくるが,国民の関心は自民党から離れてしまっているようだ。,

次から次へと此れだけの多くの諸問題が発覚してくると,自民党としてもどうしょうもない感を受ける。

特に三笠フーズの問題は単年度だけで終わっていたのかどうか,大変疑惑を感じる。

発覚したのは今年だが,それ以前にさかのぼりきっちりした捜査が行われずすんでしまうように思う。

今では捜査経過は全く発表されず、国民は半分忘れたような状態にある。

再び自民党が政権をとれば此れまでと同じこととなるに違いない。

事故米を食用にしないとの条件で,政府より買い取られた米が何百倍にも値が上がりして売られるような事件である。

農水省の監査でも見抜けなかったとのことだが,これから監査しますと通告してからの監査では

見抜けないのも当然のことであろう。

三笠フーズと農水省が一体となってしまっているのかと思いたくなるほどである。

三笠フーズでは、カビ毒や基準値以上の農薬が検出された計約1407・5トンのうち2%分(29トン)を除き流通先として

26都府県390業者を特定し米菓や焼酎などとして消費者向けに出荷されたのは約572・8トン分が判明している。

これがどれだけの量になるのか素人では想像がつかない。

同じような現象を身近な所で見聞していたことがある。

道路での違法駐車の取締りする際に,長年の間  「これから取締りするので,不法している車はどけるよう」 とのマイクで広報してから

取締りをしているのを見ていたが,監視員取締り制度がはじまってから,今ではなくなっている。

当時は驚くほど多く,不思議なほどの不法駐車がはびこっていた。

取り締まるする気が本当に有ったのかどうかは大変疑問に感じている。

政官業の癒着があったと思われても仕方ないことである。

司法が動きだしているが,どれだけ独立性を保ちながら真相に迫りえて,解明ができるか大変疑問に感じている。

長年の間に癒着が当たり前のような世の中になってしまっている。

福田内閣の総辞職は9月24日ただが,その前に農林水産省の大臣と次官の「ダブル辞任」している、

なぜ辞任を決断したのかの理由には事故米の流通先がおおむね判明したことや、

再発防止策の骨子もまとまったので、一つの節目ではないかと考えの辞任すると大田農水相と白須次官とが

やめている。長年に行われていたかどうかについては言及がなかった。

今回だけのことであるとか,何時ごろからこのようなことが始まりだした事に関しての発表はなされていないようだ。

末端業者はそのことを知らずして,大変に気の毒な立場に置かれているような感じをする。

業者の中で自殺者が一人出ている。

次から次へと色んな不祥事件が発表され,国民は疑心暗鬼になり信用するものがなくなって来そうである。

自民党政権下での政官業民の癒着は行き着くところまで来ているように思える。

麻生政権下で中山成彬国土交通相は27日午後、一連の問題発言をめぐり、自らの辞任を求める声が

与党内でも出ていることについて

「国会審議に影響があれば、(ポストに)きゅうきゅうとしているわけではない。

大臣にしがみつくつもりはないが、(今後の)推移を見守りたい」としながら中山成彬国土交通相は辞任している。

麻生内閣の組閣してから間もない出来ごとである。

やはりアメリカの政党間でのように政権が交代しない限り,このような不祥事件は防ぐことは出来ないと思える。

戦後ずーと自民党政治が続いてきたのが,以前は派閥間での政権交代のような機能をして来たことである。

現在の総裁選挙に見られるように自民党派閥での厳しい競り合いがなくなった現在,そのことを求めるのは酷な状況である。

でも自民党政権下で日本でこの60余年間,戦争に直接拘わってこなかったことは大変に素晴らしい出来事であった。

だが世界を見渡しても政党の政権交代していないのは日本くらいではなかろうか。

それだけ切迫した時代に遭遇してこなかったことによるものなのか。

小泉政治が作った格差社会は,根本的に日本という国が変り,「自民党をぶっ壊す」の言葉どうりになってきている。

アメリカに端を発した世界一斉の株下落による経済恐慌で政府の財政出動に対し,アメリカでは富者への優遇処置として

反対デモが小規模ながら起きている。小泉改革による財政出動も富者を救ったことだけのことで,

後に窮屈な生活を国民に強いて,格差社会を作っただけのことである。

アメリカの後追いしていた日本が,まず先に破綻しその解決方法をばアメリカに教えるような

ことになってきている。

アメリカの破綻は全世界にその影響が波及し甚大である。

政治の世界だけは,世襲制度はやめるような制度にすべきである。

,政治が毎日の国民の暮らしと直結している話だからである。

悪い慣習である「地盤・看板・かばん」が綿々と受け継がれている。これにより潤う人がいるから止まらない。

政治家には立候補する前か議員になってからもなんとかして厳しく倫理観を学んでいただく機会を多くあたえなければならない。

何処の社会にもあることが,ただ政治の世界にだけないとするならば全く変な世界である。

世の中即ち社会は政治で動いていることだけは間違いない真実である。

世のなかを良くするのには政治がまず良くなければならない。

その政治の世界で議員の倫理観が欠如した状態を多く見かけられる。

突如小泉元首相は代々続いた地盤を突然子供に譲り衆議院に立候補しない宣言をしていて,

一方では自分の政治活動は止めないとしている。

どのような形でもって政治活動をばするのだろうか。?大変不思議なことである。

世界的にアメリカのサブプムライローンに端を発し,大手証券会社が破綻して世界的な株安になってきている。

現在一向に世界の金融不安は治まろうとしていない。

世界にはいろんな国があるが過渡期にあるように思える。

アメリカは共和党政権は多分民主党政権に変るであろう。

朝鮮も多分ドイツのようにいずれ南北が統一されることになろう。

同じ民族が対立しているのは大変気の毒なことであり悲劇でもある。

尚も第二次大戦の影響を現在にひきずっていると考えられる。

南北統一がなれば,拉致事件も自然に解決される。東南アジアの平和安泰にも貢献する。

アメリカは日本に通告なく北朝鮮のテロ支援国家の解除を宣言している。

日本は全くに置き去りになっている。これがアメリカの半植民地国家の悲哀の一つなのか。

これからは日本にも韓国にもアメリカの基地は必要性がなくなる可能性がある。

でも基地はアメリカは手離す事はしないであろう。

麻生政権になってから集団的自衛権の話が出始めている。

アメリカが戦争する所へ日本も自衛隊を派遣して一緒に戦争に参加することである。

憲法に反することだから,まず憲法改正しないとできないはずだ゛,自民党のことだから拡大解釈で閣議決定で

決行してしまうかもしれない。

戦争に参加すればアメリカの手先になり自衛隊員が死ぬ可能性が出てくる。

長い間戦争しなかったのが,戦争に参加する事態になれば,いずれ徴兵制度をしかないと自衛隊員は集まらない。

叉はアメリカのように貧困家庭の子弟が学費稼ぎにやむを得ず応募することになるような世の中になる。

これだけはどうしても止めるべきである。

でもフリーターをしているよりも軍隊に入りたいという若者が出てくるかもしれない。

朝鮮の南北統一は拉致事件を大いに利用してきた政治家達が困るだけのことで,

拉致家族にとって幸せが早く訪れることになるだろう。

戦争はタカ派政治家にとって,日本を強い国にすると戦後派の若い政治家が叫んでいる。

だがまず自分が率先して軍隊に入って苦労してから言ってほしいと第二次大戦で散々苦労した世代として叫びたい。

ネットによって色んな知識が判るようになり増えてきているようだ。

世界中がネット上では一つになりつつある。

世界中の人々が大いにネットで色んな発言すればよい。戦争を体験した世代として戦争がない「平和」が

世のなかで一番大切なことであることを言いたい。

ネットによって理想の社会になってゆくのではではないだろうかと考えたりもする。

世界には国境があっても,ネット上では国境が無い世界が実現されつつあるように思える。









きょうは「防災の日」である






平成20年9月1日の天声人語よりの引用


東京の下町、谷中(やなか)には広い墓地がある。

昨年亡くなった日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーさんはその散策を好んだ。

散策するうち、あることに気づく。

〈大正十二年九月一日と昭和二十年三月十日に死んだ人々の墓がいかに多いか〉と、

随筆集『谷中、花と墓地』(みすず書房)に書き残している

▼前者が関東大震災、後者が東京大空襲なのは言うまでもない。

片や天災、片や戦災の違いはあるが、どちらも東京を炎で包み、壊滅的な被害をもたらした。

その天災から85年経(た)ち、きょうは「防災の日」である

▼天災は忘れたころにやって来る、と戒めに言う。

だが、このところの列島は、忘れる暇もないほどに、地震、竜巻、水害――と見舞われ通しの感がある。

数日前も東海や関東が記録的な豪雨に襲われた

▼「何十年も住んでいるが、こんなのは初めて」と、被災した人はしばしば口にする。

きのうまでの無事も、きょうの安全を保証してはくれない。


自然はときに、想像を超える無慈悲な牙を我々にむく

▼世界でも、中国四川省の大地震、ミャンマーのサイクロンと大災害が相次いだ。

そのせいもあってか、本紙の読者アンケートでは、いつになく防災意識が高まっている。

「他人事(ひとごと)ではない」が、昨今のキーワードらしい

▼関東大震災の後には、「この際だから」が流行語になったという。

諸事を見直したり、改めたりする枕詞(まくらことば)のように語られたそうだ。

夏が過ぎ、台風の季節はもって本番。

この際だから、身近な防災策を見直して、万が一に備えるとする。





どんな形で何時に災害がやってくるかはわからない。戦争 飢餓 動乱などはなんとか防げる。

これらの原因は自然的なことでなく権力闘争が加わっているようにも思える。

台風地震などの自然災害は仕方ない部分もある。温暖化のように人間が長年に作り続けた結果の

災害もある。同じ地球船に乗り合わせたもの同士互いに仲良く連絡取りあいながら助け合い

誰もが安心して過ごせるように努めてゆきたいものであてる。








大分県の学校の話だ
この春から教壇に立っている21人が、
不正に合格したとして採用を取り消される







平成20年9月2日の天声人語よりの引用


〈谷川の岸に小さな学校がありました……さわやかな九月一日の朝でした〉と、

宮沢賢治は書き出す。

夏休みが終わって子どもたちが登校してくる。

そして教室の机に、赤い髪の転校生がぽつんと座っているのを見つける

▼山の子らは、突然やってきた都会風の転校生に驚いて泣き出してしまう――ご存じ『風の又三郎』の冒頭である。

名作を思い出しながら、きのうの夏休み明け、突然いなくなる先生に泣く子はいなかったかと心配した。

こちらは大分県の学校の話だ


▼この春から教壇に立っている21人が、不正に合格したとして採用を取り消される。

うち1人はすでに、夏休み中に辞職した。

ショックを受けた子もいるだろう。

さわやかさとは程遠い2学期の始まりである

▼去った担任に、ある児童が「またこの学校に帰ってくるもんね」と手紙を書いたと聞いて、胸が痛む。

自主退職は明日が期限だが、だれも自分では口利きを知らなかったという。

周囲と教委の罪は小さくはない


▼9月1日の教室には、夏と秋がゆきあうような、不思議な空気がある。

子ども心にも夏の終わりは寂しい。

そんな感傷を先生の姿と声が断ち切って、新しい学期への意欲がさざめき出す。

子どもの季節を回すのに、先生はなくてはならない存在だろう

▼『風の又三郎』の先生も、〈むかしから秋は一番からだもこころもひきしまって、勉強のできる時〉だと話して、季節を回した。

不正のウミを出し切りつつ、子どもたちへの影響を最小限にとどめる。

県教委に課せられた前代未聞の宿題である。







大分県だけの問題かどうか大変に疑問だ。一年度だけのことと思えない。

広く深く社会では同じようなことが行われているように思う。

塾の先生でアノ大学の先生として知り合いがあるからと焦燥している保護者から大金を取り 

大学にすべったからとして,裁判でもってそのお金を返却したニュースがあった。

これがもしその子供がその大学に受かっていれば返却せず取り込んでしまっていることとなる。

そういった詐欺まがいの中間者が世のなか沢山いるのではないだろうか。

当事者が直接大学に,そして先生にお金が渡っているかどうかを

問いただし聞きただすことが出来ないことである。

同じことで,良い所に紹介するからとして,何も知らん顔してお金だけ取り込んでいる人もいることを良く知っておくべきだと思う。

仲介者を商売として大金を稼いでいる人たちである。

何人もの仲介者を介すれば何処でお金が取りこまれているかがわからない。

もともと悪いことを頼んでいるのだから,その根源をたどることが出来ず大方の人たちは泣き寝入りするだけのことである。











福田首相の辞任に
「国民の目線」から見れば、
辞任は無責任と呼ぶほかはない








平成20年9月3日の天声人語よりの引用


運動会の季節、福田首相の辞任に「棒倒し」が浮かぶ。

小沢民主党が揺さぶるのは当たり前だ。

だが気がつけば、味方のはずの与党は、棒を守る手を休めている。

休めるばかりか、揺さぶりをかける者までいる

▼〈みづすまし味方といふは散り易(やす)き〉鷹羽狩行。

だれを味方として頼みうるか。

深い孤立感と閉塞(へいそく)感があったのだろう。

民意にもそっぽを向かれたきりだ。


むざむざ倒される前に、というのが父親に続く「二代目宰相」の美学だったかもしれない

▼執拗(しつよう)を嫌う淡泊さを、哲学者の和辻哲郎は名著『風土』で日本人の美質と見た。だが潔いあきらめは、

時と場合によっては無責任の別名になる。

自身が好んで口にした「国民の目線」から見れば、辞任は無責任と呼ぶほかはない

▼安倍前首相の辞任のとき、小欄は「平沼騏一郎を思い浮かべる」と書いた。

戦前、「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して8カ月で政権を投げ出した人だ。

今度は歴史をひもとく必要もない。

1年に2度もの騒動は、世襲議員の多い政治のひ弱さを示して余りあろう

▼佳境の米大統領選を思う。

徹底的に吟味され、食うか食われるかの長丁場を経て権力の座につく。

タフでなければ勝ち上がれない。

そして、国民の投票で選ばれたという正統性に、4年の任期は支えられる

▼海の向こうの民主主義の光景に、わが政界をかえりみる。

もうこれ以上、与党が民意を問わずに権力の座にしがみつくことはできまい。

敵も味方もガラガラポンの解散・総選挙で、立てるべき「棒」を決めるのは国民である。






しぶとく辞めないような首相よりも高く評価する。

なんにも出来ない人がずるずると政権担当するの方が大変に困り者で゜ある。

首相にしか解散権がない。金持ちの贅沢な環境で育った麻生さんには期待は持てない

タカ派とくればなおさらのことである。








麻生太郎自民党幹事長のこと
そのときすでに「福田後」のやりとりがあったそうだ







平成20年9月4日の天声人語よりの引用


「鉄の女」でさえ、と言うべきか。

英国のサッチャー元首相が認知症との報道に、時の流れを感じる方もおられよう。

国を率いた現役時代、彼女は政治について、「予期しないことが起こると、いつも予期していなければいけない」と言っていた

(『政治の品位』内田満)

▼日本で言う「一寸先は闇」だろう。

ところで今回、福田首相の政権投げ出しが、かの人にもその寸言どおりだったかどうか、気にかかっている。

麻生太郎自民党幹事長のことだ

▼ひと月前、福田氏に熱望されて幹事長役を受けた。

そのときすでに「福田後」のやりとりがあったそうだ。


2人が「あうん」の間柄になっていたと聞けば、やはり国民より党利党略、何が安心実現内閣か、と不信感はいや増す

▼総裁選の日程は、まるで計ったようだ。

告示から選出まで、先に決まっていた民主党の代表選に、皆既日食のように重なる。

女性候補も出馬をめざす「自民劇場」に対し、「民主座」は地味な一人芝居になるらしい。

前者の影に後者はかすむ。そんな見方がもっぱらだ

▼政治を巡る寸言は古今に多く、「政治とは妥協の芸術」というのもある。

妥協と言えば聞こえは悪いが、折り合える最善の解決を見いだしていく営み、ということだろう。

首相ともなれば、強靱(きょうじん)なリアリストにしか務まるまい

▼「再選されることばかり考えていると、再選に値するのが難しくなる」も味わい深い。

毎度の「政策より政局」では期待もしぼんでしまう。

「再選」を「政権維持」に置き換えれば、与党の標語にもなるだろう。





政権を持たない自民党とはどんなせいとうになるのだろうか。

政権維持だ゜けがとりえだったように思える政党であった。

今まで自民党のための自民党による政治が官僚といっしょになり行われてきている。










現代の失格は、主にドーピングで起きる。
スポーツと薬物の関(かか)わりは、かくも古くて新しい








平成20年9月5日の天声人語よりの引用


1904年に米国のセントルイスで第3回のオリンピックが開かれた。

そのマラソンは「キセル事件」で歴史に残る。

へばった選手が通りがかりの車に乗って先へ行き、再び走り出して先頭でゴールした

▼さすがにバレて失格になった。

本人は冗談のつもりだったらしいが、「メダルを盗もうとした」と非難され、競技から追放されてしまったそうだ。

フェア精神には背くが、どこか憎めない失格でもある

▼現代の失格は、主にドーピングで起きる。

北京五輪のハンマー投げで2位と3位の選手が失格する可能性がある。

その場合は、5位の室伏広治選手が銅メダルになるという。

昨日からメディアが伝えるニュースは、しかし、朗報とばかりは言えない

▼前回アテネでも、室伏選手は1位の失格で金メダルに繰り上がった。

再び、となれば選手個人にとどまらず、「メダル泥棒」の横行する「治安の悪い」競技という印象を与えかねない。

フェアに戦う選手たちにはつらいことだろう

▼検査と新薬物のいたちごっこ。

ついには遺伝子まで操作する「遺伝子ドーピング」など、不正は人間の身体深くへ潜行しつつある。

「薬」の字源は呪術師の振る鈴ともいう。

北京の感動をくれた選手すべてが、鈴の音の誘惑に打ち勝っていたと信じたい

▼ところで冒頭のマラソンは、キセル男に次いで「2位」に入った選手が優勝した。

この選手は、いまで言う「ドーピング常習者」だったらしい。

このときも、酒と興奮剤を飲んで走ったそうだ。

スポーツと薬物の関(かか)わりは、かくも古くて新しい。





オリンピックは参加するためにあるという格言もうなずける。

勝つだけが競争ではないはずだがとおもう。スポーツは健康に大変良い。

運動するとさわやかだ。ドーピングで一時的に思わぬ力が発揮するのだろうか。

身体には悪い結果が出ると思う。健康のための運動に対して反することである









映画の故・黒澤明監督が
ベネチア国際映画祭で「羅生門」が
最高賞を取ったと知らされる
ベネチアの賞はあす発表される






平成20年9月6日の天声人語よりの引用


映画の故・黒澤明監督が「羅生門」のあとに作った映画の評判は、散々だった。

「当分は冷や飯を食わされる」と覚悟を決め、憂さ晴らしに川へ釣りに出かけた。

ところが、何かに引っかけて糸がぷつりと切れる

▼仕掛けの予備はない。

ついていない時はこんなものかと帰宅すると、奥さんが飛び出して来た。

ベネチア国際映画祭で「羅生門」が最高賞を取ったと知らされる。

自作が参加していることさえ知らなかったと、自伝につづっている

▼歳月は流れて、今年のベネチアにも「日本の風」が吹く。

最高賞を競う部門に3作品が招かれた。

北野武監督「アキレスと亀」、宮崎駿監督「崖(がけ)の上のポニョ」、押井守監督「スカイ・クロラ」である

▼宮崎、押井作品はいまや日本のお家芸のアニメ映画だ。

わびしく釣り糸を垂れた黒澤と違い、3人とも現地入りして、自作のお披露目に会見にと忙しい。

前評判は良いと伝わっている

▼3本はどれも、監督の哲学や技量に裏打ちされた深い世界がある。

しかし国内を見渡せば、そうした作品ばかりではない。

いま作られる多くは、ベストセラー本や人気テレビドラマの映画化なのだという。

海外での評価の一方、邦画全体の底は案外浅いのが実情らしい

▼生前の黒澤も、邦画の商業主義に辛口の意見をしていた。

そして晩年まで、「まだ映画が何かよく分かっていない」と口にした。

映画人にとっては永遠の問いに違いない。きょうは没して10年の命日。

そしてベネチアの賞はあす発表される。

金獅子のゆくえを見守っていることだろう。



最近の映画はあまり見ない。昔の名画の方がなんとなくしっくりくる。

あまりにも見てない映画が多く、最近で出した格安のDVD映画を眺めて

ため息が出る思いである、テレビでも映画は常時放送されている。








露鵬と白露山の兄弟力士に、
大麻吸引の陽性反応が再び出た
白露山の師匠は理事長その人








平成20年9月7日の天声人語よりの引用


大相撲初のテレビ中継は、NHKの本放送開始から3カ月後の1953(昭和28)年5月16日だった。

その日、北海道の洞爺湖畔で、農協職員に男の子が生まれた。

後の大横綱にして日本相撲協会の理事長、北の湖である

▼テレビ史に刻まれた夏場所の優勝は平幕の時津山がさらうが、「栃若」時代が始まろうとしていた。

「柏鵬」から「輪湖」「若貴」へ、北の湖の半生は大相撲の隆盛と重なる。

大衆化を担ったそのテレビが昨今、「土俵の外」ばかりを映している。

画面の真ん中に、理事長の渋面がある

▼露鵬と白露山の兄弟力士に、大麻吸引の陽性反応が再び出た。


先に解雇された若ノ鵬に続き、ロシア出身の関取ばかりが同じ「決まり手」で転がるのか。

秋場所を1週間後に控え、相撲協会は土俵際だ

▼あろうことか、白露山の師匠は理事長その人。

不祥事のたびに口をついた「師匠の責任」が、今度は自らの首をしめる。

こういう時の無口や仏頂面は、公益法人のトップに似合わない

▼辛口で知られる横綱審議委員、内館牧子さんは5年前、理事長と対談した後で「とても頭のいい方です」と書いた。

「出るべきところと引くべきところ」を熟知していると

▼現役時代は大きいのに速く、憎らしいほど強かった。

自ら「引退が近い」と察したのは、最後に優勝した84年の夏場所、場内に「頑張れ」の声援が飛んだ時だという。

13歳で入門し、土俵一筋。

慣れない説明責任を求める声の中、小さくなってサウナに通う姿は哀れさえ誘う。

間違いなく「引くべきところ」である。




最近相撲界で不祥事件が次から次に起きている。日本の国技としてふさわしいのだろうか。

外国の方があまりにも多くなってきている。

スポーツの多様化によるものなのか。








きょう告示の民主党代表選は、小沢一郎氏の独演らしい
「自民劇場」は、複数も複数、
麻生太郎氏を軸に老若男女が絡む
「群舞」の様相だ








平成20年9月8日の天声人語よりの引用


学生運動がしぼみ、田中角栄内閣ができた1972年、テレビ界はフジ系「木枯(こがら)し紋次郎」の人気にわいた。

主人公はニヒルな渡世人、レギュラーは紋次郎役の中村敦夫さんだけという異色の作品だ

▼大阪の朝日放送は、同じ「反体制」時代劇でも、主役級を複数にしてこれに挑む。

〈晴らせぬ恨みを晴らし、許せぬ人でなしを消す〉の語りで始まる「必殺仕掛人(しかけにん)」である。

商売として悪を葬る話は批判もされたが、視聴率は紋次郎を抜き、後のシリーズ化につながった。

多くの役者の絡みがツボにはまると、「1+1」が3にも4にもなる

▼政局の算術も同じだろう。

きょう告示の民主党代表選は、しかし、足し算のしようがない小沢一郎氏の独演らしい。

この現職、剛腕で鳴らすが、紋次郎ほどの新味はない

▼かたや幕が開きかけている「自民劇場」は、複数も複数、麻生太郎氏を軸に老若男女が絡む「群舞」の様相だ。

腕より華を見せ、「計画倒産」の声まである政権投げ出しをちゃらにする魂胆とみえる。

この党の、瀬戸際の生命力には恐れ入る

▼政治ショーはもういい。

せめて、新総裁をめざす諸氏は政策論を戦わせ、勝ったら必ず小沢代表との党首討論をお願いしたい。

この秋の騒動を、「次の次の首相」を品定めする機会と考えよう

▼まごうことなき政治の節目である。

「晴らせぬ恨みを……」と思い詰めることもないが、ここで「あっしには関(かか)わりのねえこって」と、紋次郎を気取ってはいけない。

すぐそこに総選挙という、国民の「ワンマンショー」が控えている。





自民党の総裁選挙は結果のわかった総裁選挙ごっこにしかみえてこない。人数は大変多くてよいのだが。

変り映えのしない劇場劇だ。








日本の風土の特徴として「湿気」を重く見た






平成20年9月9日の天声人語よりの引用


先ごろ小欄で触れた哲学者の和辻哲郎は、日本の風土の特徴として「湿気」を重く見た。

朝霧や夕靄(もや)、たなびく霞(かすみ)など、湿潤な大気の濃淡は、

日本人の情緒に深く結びついてきたと考察している

▼霧の中から現れる川舟。

おぼろに潤む月――。

ものの輪郭をぼかす湿潤は、季節季節に日本人の琴線をかき鳴らしてきた。

とはいえ、暑い季節の湿気は風雅とはいかない。

このところ列島には湿った空気が流れ込み、関東以西は蒸し暑さが居座っていた

▼しっとりなら風情だが、じっとりは不快である。

その天候が昨日から変わった。

大陸の高気圧が乾いた空気を連れてきた。

まだ真夏日の所もあるが、物陰は涼しく、心なしか空も高い

▼〈夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ〉と古今和歌集にある。

二つの季節が行き交う空を「ゆきあいの空」と呼ぶ。

体ひとつで暑さに耐えるしかなかった古人は、秋が夏を追いやる日を待ち焦がれたことだろう

▼『徒然草』の兼好法師は、季節の推移に万物の流れる姿を見た。

〈春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。

春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通い……〉。

同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる

▼さて人の世に目を転じれば、政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。

夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろう。

そして角界には、秋風どころか嵐が吹きすさぶ。

事が事である。

霞よろしく責任をぼかす逃げ技は今度ばかりは使いようもなかった。






自然の流れには逆らうことは出来ない。夏の後には秋がきて過ごし易くなれば一番だが

四季は移り変わるものである。暑さも秋になれば涼しくなるのは自然の理である。

日本の長命は医学の進歩と同時にクーラーの普及も関係しているように思える。







あなたとは違う」と辞任会見で見えを切った
福田さんは、だから能役者向きかもしれない








平成20年9月10日の天声人語よりの引用


福田首相は能が好きかどうか知らないが、

世阿弥の書いた能楽の秘伝書『花鏡(かきょう)』に「離見(りけん)の見(けん)」という言葉がある。

舞台で舞う自分を見物人として冷静に眺める、もう一つの目が必要という意味だ

▼「自分自身を客観的に見ることができる。

あなたとは違う」と辞任会見で見えを切った福田さんは、だから能役者向きかもしれない。

ならば辞任表明後、記者団の「ぶらさがり取材」に1週間も応じなかった沈黙は、自身の目にどう映っていたのだろう

▼国民に意思を伝える機会を、自らつぶしてきたことになる。

おととい久々に姿を見せ、だんまりの理由を「(自分の発言で)政治の情勢が影響されてはいけない」からと述べた。

この「政治の情勢」は、翻訳すれば「政局」にほかなるまい

▼つまり「党利によろしい環境」であって、国民のための政治ではない。

思惑含みの辞任を質(ただ)されたくないのだろうが、「首相」のバトンはまだその手にある。

あとは野となれと、国政への責任を忘れてもらっては困る

▼福田さんが総裁に選ばれた時、小欄はやはり世阿弥の『風姿花伝』から一節を引いた。

「たとえ跡取りでも、不器量の者には奥義を伝えるべからず」。そして増えつつある世襲政治家の志や責任感を案じた。

1年たって、不安は当たったようである

▼「一寸先は闇」は何も政界の専売ではない。

災害あり、経済不安あり、国際問題あり。

国民生活のいたる所で、あす何が起きるやも知れない。

総裁選の祭りに浮かれず、最後まで褌(ふんどし)を締めてかかるのが、せめてもの奉公だろう。





福田首相の記者との会見を見ていてやはり上流階級の育ちで苦労をしていない人のように見えた。

自分を客観的に見つめることは悟りを求める僧侶でも大変なことである。

あれはよくなかった。








本質の見きわめは、鬼才にも容易ではなかったらしい
自民党の総裁選がきのう告示された5人5色









平成20年9月11日の天声人語よりの引用


駆け出し時代の取材で白黒写真を撮っていたころ、自信はあったのに焼き付けてみるとさほどでもなく、落胆することがあった。

プロの写真家も同じだったと見え、土門拳も苦い経験を繰り返したそうだ

▼その原因を語って土門は明快だ。

ものの形や動きでなく、色ばかりを見て「良い」と思ったときに起きる錯覚だと言っている。

色を抜き去っても被写体に十分な価値があるか。

本質の見きわめは、鬼才にも容易ではなかったらしい

▼自民党の総裁選がきのう告示された。

5人5色。

個性派ぞろいが目を引く。

去年は敗れた麻生幹事長が今年は本命のようだ。

後を追う4人と、くんずほぐれつを演じれば、色合いは一層派手になろう


▼異例ともいえる乱立は、党に残る活力の証しか、危機感の表れか、それとも賑(にぎ)やかさの演出か。

政策論議はどこまで真剣なのか。

政策は二の次で、選挙の「顔」の品評会にすぎないのか。

色を抜き去った「正体」に目をこらさないと、後で落胆しかねない

▼小沢民主党も色では負けない。

バラ色ならぬ「ばらまき色」で装いをこらす。

農家の所得補償や子ども手当など、色とりどりだ。

財源が心配になるが、しっかり実現できるのだろうか

▼何年か前に英誌が、日本人の「失望する能力」の欠如について書いていた。

その能力を持つかどうかが閉塞(へいそく)状況を破るかぎ、とあったと記憶する。

2度の政権投げ出しを経験して、政治への「失望力」は磨かれたようにも思う。

失望をへて、来るべき総選挙で希望をだれに託すか。

色に惑わされず吟味したい。





総裁選挙はただの自民党の茶番劇である。









国の憲法によれば、
大統領に万一のことがあれば
副大統領がすぐに職を継ぐ









平成20年9月12日の天声人語よりの引用


クイズをひとつ

。米国の歴代大統領で最も若く就任したのは誰でしょう? ケネディと答えた人は残念ながらバツです。

正解は第26代セオドア・ルーズベルト。

日露戦争の仲裁でノーベル平和賞を受けた、日本にも縁浅からぬ人だ

▼副大統領だった1901年に大統領が暗殺され、42歳で昇格した。

米国の憲法によれば、大統領に万一のことがあれば副大統領がすぐに職を継ぐ。

代わりに大統領が務まるかどうかは、「副」に問われる第一の資質とされる

▼その候補に、共和党は女性のペイリン・アラスカ州知事を抜擢(ばってき)した。

大統領候補のマケイン上院議員と組んで、民主党のオバマ上院議員ら、正副の大統領候補と政権を競う。

保守的な共和党が女性を立てるのは初めてだ

▼出る杭(くい)は打たれるようで、17歳の娘の妊娠など「身辺」を次々に報じられた。

それも跳ね返し、人気は上々らしい。

オバマ氏が「口紅をつけても豚は豚」と口にする騒動も起き、かえって存在感を増している

▼11月には、初の黒人大統領か、初の女性副大統領のどちらかが誕生する。

敵とはいえ、国政を牛耳ってきた白人男性ではない「マイノリティー」どうし。

どちらにとっても米国史をかけた挑戦である

▼冒頭のクイズに戻れば、ケネディは「選挙で選ばれた最年少大統領」。

その彼も暗殺され、昇格したジョンソンはベトナム戦争を泥沼化させていった。

ほかに、辞任や病死で昇格した例もある。

世界の運命を左右する国ゆえに、大統領候補はむろん、

副大統領候補からも目が離せないと歴史は教える。





ただアメリカという国は何が起こってもおかしくない国である。

大統領が亡くなり副大統領が大統領になった例が多くある。

暗殺だけはあってはならないことだ゛。









カビや農薬に汚染された
事故米の広がりが、
深刻さを増している









平成20年9月13日の天声人語よりの引用


たしか落語の、先代の林家正蔵だったと記憶する。

「カビってどうして生えてくるんでしょう」と聞かれて、「早く食わねえからだ」と答えたそうだ。

単純にして愉快。

だが、はなからカビたものや、農薬の残ったものを知らずに食わされては、消費者は身の守りようがない

▼カビや農薬に汚染された事故米の広がりが、深刻さを増している。

焼酎や日本酒にとどまらない。

病院や老人施設の給食にも使われていたと明らかになった。


学校給食は大丈夫か、社員食堂はどうかと、不安はいや増す

▼なにしろ「瑞穂(みずほ)の国」である。

米を中心にした食の文化を古来育んできた。

主食としてはむろん、餅や菓子から発酵食品まで、多彩に暮らしに入り込んでいる。

被害のおよぶ下地は相当に広い

▼事故米は、工業用糊(のり)の原料などにしか使えない。

だから安く仕入れられる。

食用と偽って販売した業者は、罪を承知で利ざやを狙っていた。

経営が苦しかったというが、糊口(ここう)をしのぐために、消費者が「糊」を食わされてはたまらない

▼業者には、農水省が米を売った。

だが工業用の米を食品会社に売ること自体、そもそもおかしくはないか。

そして用途の検査は馴(な)れ合いだった。

この役所の、消費者ではなく業界を向いている正体が、垣間見える

▼舞台やドラマ撮影で、食べ物を「消え物」と呼ぶ。

なるほど、腹に収まれば消えてなくなる。

後を絶たない食品不祥事は、「しょせん消え物」だと業者が高をくくっているためか。

やせ細った食への信頼はさらに細って、食欲の秋が色あせていく。




今年だけに起きた事件かどうかについてはあまり触れていない。

今までに沢山な事故米を食べさせられていた可能性はある。

捜査は其処までするのか捜査開始後の報道は全く聞かない。




高校生の「手話によるスピーチコンテスト」で、
慣れぬ審査員を務めた








平成20年9月14日の天声人語よりの引用


新人のころ、自分の記事が初めて載った朝の感激を、1月の小欄で「文章に羽が生え、

読者のもとに飛んでいく気分」と書いた。

世の中は広い。

羽どころか「エンジン付きの言葉」があった

▼高校生の「手話によるスピーチコンテスト」で、慣れぬ審査員を務めた。

最終選考に残った女子10人は、多くが健聴者である。

事前に目を通した原稿の出来にかかわらず、

ご本人が音声と手話の二刀流で発する内容はどれも、別物の勢いで迫ってきた

▼伝えたいという思いが声に乗り、手に移るのだろう。

豊かな表情も加わり、言葉は飛ぶ力を増す。

耳と目に届く情報は濃密だ。

車いすマラソンの描写では走者の汗が光り、難聴少女の物語では4歳の「紗良(さら)ちゃん」がそこにいた

▼さて審査である。

一人芝居さながらの、情感と抑揚たっぷりの熱演に高めの点をつけた。

ところが、ろう者の審査員たちはそういう子に辛い。

「自分の手ぶりに酔ってはだめ。

正確に伝わってこその手話です」。

なるほど、耳をふさげば情報はがぜん心細くなる。

手の動きに目を凝らすしかない

▼身ぶりは会話を弾ませるが、それで話の筋が変わるものではない。

手話の真価は、筋を外さず漏らさず、相手に届けるところにある。

「心は熱く、手は涼しく」が勘所らしい

▼手段が何であれ、思いが伝わる喜びは大きい。

こうして書き連ねる文章は、悲しいかなエンジンの無い紙飛行機。

メディアの風に乗って目元までは飛ぶが、はて、読者の心に無事降りているのやら。

せめて羽だけはぴんと伸ばして手放したい。




話コンテストでは外国人の日本語のスピーチを聞くことがテレビで見ることはあるが

大変に上手である。








満月は今夜である







平成20年9月15日の天声人語よりの引用


花札から一枚を選ぶとすれば「芒(すすき)に月」である。

黒い弧を描く芒の原と、赤い空いっぱいの白い満月。

月は左に寄り、移ろう時までが見えてくる。

省略の果てに日本の秋が薫る、見事な意匠だと思う

▼ゆうべ、仕事場から東空を望むと、薄雲の中に中秋の名月が浮かんだ。

十五夜は満月とは限らない

。そのくせ、必ず仏滅になるそうだ。

だからとは言わないが、拝み損ねても気を落とすことはない。

満月は今夜である

▼世界で活躍する照明デザイナー、石井幹子(もとこ)さんが、

近著『新・陰翳礼讃(いんえいらいさん)』(祥伝社)で月夜の値打ちに触れている。

「陰翳の美しさを際立たせるのは、何と言っても月光であろう。

『日本で理想の光の状態は何か』と問われれば、私は、迷わず満月の夜と答えたい」

▼光か闇かという欧米流の二元論ではなく、石井さんは「光から闇に至る中間領域」をいとおしむ。

都市なら「優しい夜景」、家では「ほのかなあかり」だという。

今どき、月あかりを楽しめる暗さは希少だが、時を選べば「光と闇の間」に出会える

▼先日、久しぶりにオリオン座を見た。

均整のとれた姿はこちらの生き方を問うかのようだ。

世事の転変に追われているせいか、自然や天文の「変わらぬもの」にひかれる。

〈名月の美しすぎる世の乱れ〉南千枝子

▼まやかしだらけの世にも似て、明るいだけの夜は人を惑わす。

たまには心静かに空を仰ぎ、内省の時を持ちたい。

独りでもよし、年の功を頼って人生の先輩と話すのもいい。

敬老の日の宵、雲が切れればまん丸の、それも大安の月が出る。





月に対する神秘さ夢は薄らいでいるが十五夜の満月は美しい。








リーマン・ブラザーズの負債総額は
実に60兆円を超え、過去最大の破綻になった






平成20年9月17日の天声人語よりの引用


「驕(おご)れる者は久しからず」は古来不変のことわりだが、

豊臣秀吉は「驕らずとても久しからず」と、皮肉めかして世の常を言い表したと伝えられる。

米国の金融業界がどちらだったかは知らない。

いずれにせよ、複雑な「錬金術」にかまけた果ての、大証券会社の破綻(はたん)である

▼リーマン・ブラザーズの負債総額は実に60兆円を超え、過去最大の破綻になった。

他の金融大手への連鎖も心配されている。


「フー イズ ネクスト(次はどこだ)?」と、ニューヨークの金融街などは戦々恐々らしい

▼業界は90年代から、グローバル化に乗って新たな金融商品を次々に作った。

そこへ、世界中で余っているカネが流れ込んだ。

巨万の富を生み「わが世の春」を謳(うた)っていたが、商品の一つのサブプライムローンでつまずいた

▼先行きへの不安から、米国内には「暗黒の木曜日」になぞらえる声も起きているという。

1929年のその日、大恐慌の引き金になった株暴落が始まった。

このときも「金ぴか時代」と言われた空前の繁栄から、坂道を転がっていった

▼東洋的な無常観とは無縁だったか、当時のフーバー大統領は永遠の繁栄を国民に約束していた。

「どの家にも2台の車を」を標語に選挙に勝った。

だが失業者があふれ、期待は恨みに取って代わられた

▼今、米国に引きずられるように世界経済は変調を来している。

専門家によれば、このうえドルが暴落するのが最悪のシナリオらしい。


株や投資に熱心な向きはなおのこと、対岸の火事を決め込める状況では、もうないようである。





リーマンブラザーズは倒産した。アメリカが許した低所得者へのサブプライムローンは日本では

考えられない話で,民営化によることが如何に恐ろしい結果を導くかを示している。

世界的な影響が出ている。始めから公的資金を導入し家屋を建てるに当り援助してあげるのが

低所得者に対しての普通の常識である。

それを民営にまかせ証券化してローンを返済できないことを判りながら販売している。

これがアメリカだけに限っての話だけならば良いが世界中に証券をば売却している。

イラク戦争と同じでブッシュ大統領の考えようとしていることは世界の常識と並外れている。

アメリカの大統領一人の為に世界中が振り回されている感じがある。

此れで引退後悠々自適な生活すれば,世界中から元ブッシュ大統領の所に

化けて出てくる人が多く訪れることになるだろう。









里帰りよろしく「商標漁(あさ)り」をされてはかなわない









平成20年9月18日の天声人語よりの引用


もう十数年も前になる。

北京のCD店に、「日本からの輸入盤」を並べた一角があり、そこで「南ニラせつ」なるジャケットが目についた。

はて?と手に取ると、フォーク歌手の南こうせつさんのアルバムである

▼どうやら海賊版のジャケットを作るとき、「こうせつ」の「こう」を、よく似たカタカナの「ニラ」と取り違えたらしい。

憎めぬ馬脚の現しように、苦笑させられたのを思い出す

▼カナは苦手でも、こちらは「さすがは漢字の国」と言うべきか。

青森に似た「青ビョウ(品の口がそれぞれ水)」なる商標が中国で申請されたと、先日の紙面にあった

間違えたのではなく、承知の上である。

中国では青森リンゴの人気が高いと聞けば、意図はおおむね察しがつく

▼岩手県の南部鉄器も、「南部鐵器」と旧字を使って登録申請されていた。

松阪牛も「松坂牛」とやられた。

「九谷焼」など本名そのままも含め、日本の地域ブランドや地名が次々に申請されている

▼漢字は2千年ほど前に日本に伝えられた。

恩に思うが、里帰りよろしく「商標漁(あさ)り」をされてはかなわない。

登録されると、中国で同じ商標を使うのは難しい。


その名で粗悪品が出回れば本家の信用にもかかわる。

関係する日本の自治体などは、異議を申し立てて防戦に追われている

▼知的財産の保護をめぐって、中国はとかく国際社会の評判がよろしくない。

紙に火薬、活字から羅針盤まで、多くの発明品を広めてきた国である。

大いなる「知的財産」の恩恵には感謝しつつ、今は今

ブランドただ乗りのあこぎな商魂は、いただけない。




これでは商標の意味がなくなる。吉兆といえば料理界でのプリンスのような代名詞だが,出鱈目なことをしている。

でも中国における日本からの商標はまともな源であるから可笑しい。

日本人の間では陶磁器界の「景徳鎮」に騙されている









「あの人は政治的だ」と言う場合、
それはまず、ほめ言葉ではない








平成20年9月19日の天声人語よりの引用


会社の中や仲間内で「あの人は政治的だ」と言う場合、それはまず、ほめ言葉ではない。

駆け引きがうまく、色々と立ち回り、損得をてんびんに掛けて……。

うっかり信用できないイメージが言葉にこもる

▼その言葉の元だけあって、政治はやはり政治的である。

自民・公明の両党が、来月3日に衆院を解散し、26日に総選挙を行う日程で合意したそうだ。

新政権の支持率が「ご祝儀相場」で浮上するのを頼んで、勝負に出る腹づもりという

▼おりしも米国発の金融危機で、日本の経済には暗雲が垂れ込める。

せめて補正予算を通してから、という声は巷(ちまた)に多い。

早期解散に異存はなくても、新首相の賞味期限ばかり心配されると、「国民はしょせん票か」と情けなくなる

▼軍事について、ナポレオンの言ったことを思い出す。

〈あらゆるチャンスをよく計算し、次に、偶然というものを、ほとんど数学的に、正確に考慮に入れる〉。

それが肝要だと『ナポレオン言行録』(岩波文庫)にある。

選挙にも当てはまる言葉だろう

▼福田首相は「チャンスを計算」し、きわめて政治的に、政権を投げ出した。

だがその後、政権維持のシナリオは「偶然」の波に洗われている。

汚染米、金融ショック、さらに昨日は、年金問題が新たな火を噴いた

▼いずれも深刻だが、政府・与党内で「正確に考慮」されているのだろうか。

国民は冷め、首相のもくろんだ「わくわくするような総裁選」では、もはやない。

シナリオを書き直すぐらいの余裕がないと、皮算用の「ご祝儀相場」も怪しくなろう。





いたるところに政治的な人たちが見かける。医学の世界でも例外ではない。

政治を利用している人を見かけることもある。

政治と医学は全く別個のものであって.患者に対し医学的治療法はあっても,政治的治療法というものはない。

ただ個人的に政治を利用している人を見ることがある。

だがしかし医療界全体も叉政治の良し悪しによって大いに左右されることは他の世界と全く同じである










あの汚染米の流通経路は
仲介業者が入り乱れる複雑さには
驚くばかりだ









平成20年9月20日の天声人語よりの引用


朝日俳壇にあった久世幸子さんの〈煮て焼いて漬けてまだまだ茄子(なす)の花〉に、思わず微笑した。

筆者もこの夏、畑を借りて耕し、とれたナスを日々堪能した。

実に丈夫に、次から次へと実が太る

▼ほかにもトマトやインゲンなど7種類を植えた。

収穫したらそのまま食卓へ。

流通経路は単純素朴だ。

「生産者の顔」が見たければ、鏡をのぞけばいい。

農薬を使っていないのは承知だから安心できる。

究極の地産地消だろう

▼そうした素朴さから、あの汚染米の流通経路は程遠かった。

仲介業者が入り乱れる複雑さには驚くばかりだ。

だました側なのか、だまされた側なのかも分かりにくい。


あげくに、まじめな商いをしていた「被害者」が実名公表で泣かされた

▼そのさまを、農業を営む民俗研究家の結城登美雄さんが、

「食べ物を生み出す場所から見ていると、ずいぶん遠いところで起きた事件」に思えると本紙で述べていた。

生産者と消費者を隔てる経済の仕組みへの、一つの警鐘と感じつつ拝読した

▼外米ならずとも、農家と食卓の間では多くの人と伝票が動く。

消費者はいつしか、生産の場から遠いところで「食べる人」を決め込んでいたのではないか。

ささやかな野菜作りの体験をへて、ちくりと反省が胸を刺す

▼汚染米問題はきのう、太田農水相の辞任へと展開した。

反省ゆえか、投げ出しか、それとも選挙前の厄介払いなのか。


ナスの花はよく実を結び「千に一つも仇(あだ)はない」と言う。

それに比べてこの役所の「あだ花大臣」の続出には、怒りを通り越して情けない。





政府が事故米を私立業者に販売していたことが一番の間違いである。

外米で汚染されていれば直ぐに返却するのが常識である。

悪く考えればBSE牛肉事件と同じく始めから判っていて買っていたとも考えられる。

保管で事故米 カビなどが生えてくるようならばもっと管理体制をしっかりすべきだった。

政府の監督が不充分でなかったことは明らかだ。

税金の無駄使いである。

国民はそれをただ眺めているしかないのか。?政府は真面目にやっているのだろうか。

そのために物価が上がり,税金が上がり保健料が上がりしてはたまらない。










北朝鮮の金正日総書記に健康不安説が流れている








平成20年9月21日の天声人語よりの引用


『ユダヤ・ジョーク集』(講談社)に、ヒトラーが占星術師に死期を問う話がある。

ユダヤ人の祭りの日だと聞いた総統、該当する日の護衛を100倍にせよと命じる。

「安心はできません」と占師。

「いつお亡くなりになっても、それが祭日になります」

▼スターリンは暗殺を恐れ、そっくりの影武者を用意していたという。

独裁者の孤独は底なしだ。

勝手を重ねるたびに敵が増え、疑心に暗鬼が群がる。

側近や身内も信じられず、やがて占師のご託宣を仰ぐ日が訪れる

▼この人は今、誰とどんな話をしているのだろう。

北朝鮮の金正日総書記に健康不安説が流れている。

脳卒中で倒れたとの見方がもっぱらだが、かの国のこと、突然にこやかに現れるかもしれない。

他方、「本物」は数年前から公の場に出ていないといった憶測もにぎやかだ

▼情報鎖国の小穴から漏れ伝わってくる「金王朝」の後継問題。

権力の移行があるのなら、混乱はどれほどで収まり、核や拉致の懸案はどう転ぶのか。

「たら」と「れば」でつなぐ見通しは堂々巡りとなる

▼早大教授の重村智計氏は近著『金正日の正体』で、総書記は思想家マキャベリの「君主論」に従ってきたと説く。

例えば〈愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である〉の教えだ

▼遅かれ早かれ、恐怖支配の悪運は尽きる。

気がかりは、世界の実相も知らされず、飢えと密告におびえる民衆のことである。

独裁者たちは、己の運命に民を巻き込むのが常。

一朝ことあれば生身の2千万人が嵐に放り込まれると、心にとめておく。






金正日があのようなメタボ体質なので沢山な病気を抱えていることは想像がつく。

金王朝が北朝鮮で何代も続くようなことになれば大変な悲劇である。

日本ははるかに古い王朝が綿々と続いている。各時代ごとで天皇家を利用していた人たちが異なる。

幕末ごろからは次第に天皇家は神聖化されていった。京都でも三条大橋の東の端に高山彦九郎の御所を遥拝する

姿の銅像が建っている。色んな考え方の市民がいる中で銅像建立は京都の恥ではないかと思う人もいるだろう。

尊皇思想をば増長するだけのことにはならないものかと。人間平等の精神の時代において時代錯誤もよい所である。

東海道四十三次の終点のいわれの像の方がましである

そして再び第二誌大戦での狂気じみた時代への助けにならないのか,ただ心配するだけである。

天皇家の陵墓調査に対して,10余りの考古学 歴史研究の学会など゛の発掘調査希望をば宮内庁は許していない。

もしも天皇家と関係していない人が埋葬されているようなことが科学的に判れば,天皇家の神聖化に支障が起きるから

嫌なのではないかと推測したりする。

天皇家だけでなく国の宝として是非発掘調査すべきことである。

仁徳天皇陵が世界遺産に登録申請しても発掘調査されていないから許可されていないからだと聞く。

戦時下では我々国民は天皇家は神の末裔と信じ込まされ教育されてきた。

それに疑問を持ちつつも,神であることを疑わなかった。日本は神国だから必ず戦争には勝利すると学校では教育されてきた。

結局に最後まで神風は吹かずに敗戦にいたり,国民は戦中・戦後の苦しさの中に放り出され歯をくいしばり頑張り現在に至っている。

戦後に天皇は人間宣言をされて全国を巡回されている。

宮内庁を始めとして,それでもって生計を立てている人たちにとり天皇家の存否は

重大な生活問題につながるものと考えられることだ。天皇家の問題は複雑怪奇である。

同じ王朝でも北朝鮮と事情は大変に異なる。歴史の複雑な関係が絡まっている。

天皇家に嫁がれてきた美智子さま雅子さま,ともに環境,即ち皇室の複雑さに精神の病をば患われているからには

今の生活が大変な御苦労や負担を感じられておられるに違いない。まず宮内庁などの改革が必要だ。

天皇家の神聖性の保持する為に,陵墓発掘調査を宮内庁が許可しないことはあまりにも勝手すぎる話である

古い陵墓はきちんと科学的調査研究し真の日本の歴史の解明に努力して欲しいものである。

平安時代以前までの陵墓は充分な調査研究しても霊に対して,なんら障りがないと考える。

むしろそれより歴史的な未知なことがもっと解明されることの方が,人類の科学進歩に貢献することと思う。

我々の先祖は軍隊が出来る際に,軍隊によって寺院の境内が削りとられ,墓の移転が強制されている。

もう50年以上も経た先祖達は一つにまとめて供養している。先祖達は一緒に五輪塔の中にに合葬されている。

全て人間は同じく最後は土に帰るかるとされている。

天皇家だけが特別だとは考えられない。

歴史を見ると天皇家は古代から藤原時代等々色んな勢力によって利用され現代にいたっている。

明治以降はその利用度が顕著・極端になってきた時代と言える。

明治維新から第二次大戦までが最悪の時代であった。

天皇陛下万歳を叫んで死んでいった人たち.現在の国歌の「君が代」 東京都内に存在する皇居 明治天皇が祭られている明治神宮 

京都の御所 桂離宮 修学院離宮 各地の陵墓地の存在などは人間皆平等の考えからするならば,あまりにも不公平な象徴である。

天皇家の祖先を神と祀る氏神神社が日本中至る所に存在している。

少なくとも平安時代以前の各地の陵墓の発掘調査は許可されるべきものである。

医学もタブ−だった解剖ができるようになってから,医学が飛躍的に革新的な進歩をなしとげている。

日本の国民の財産として世界遺産登録にも出来ない状態では困るので学会による是非陵墓調査は宮内庁は許可すべきである。

宮内庁が判断に困るならば直接に子孫である天皇家に問いただしてほしいものです。

終戦の聖断をくだされたのが天皇であるならば当然そうすべきことのように思う。









人前でしゃべるのが嫌いという小沢氏は、
党大会の演説で「変わろうと努力を続けている」と照れた







平成20年9月22日の天声人語よりの引用


 小沢一郎氏の名は「一」になるはずだった。

東京府会議員をしていた父佐重喜(さえき)さんが、正しく読ませる苦労は親限りにしたいと考えた。

ところが、母親が一だけではあんまりだと、役所に届ける道で「郎」をつけたという(大下英治『一を以(も)って貫く』)

▼民主党の臨時党大会で、小沢代表の続投が決まった。

きょう自民党が選ぶ、おそらくは同じ「長男の名前」を持つ新総裁と、総選挙に向けて「党首力」を競うことになる

▼指導者の必須は、説いて聞かせる力だろう。

とりわけ難局では、打開のための「苦」と、先に待つ「楽」を、情と理を総動員して語り尽くさねばならない。

人前でしゃべるのが嫌いという小沢氏は、党大会の演説で「変わろうと努力を続けている」と照れた。

さて間に合うか

▼その演説には、情も理もそこそこあった。


ただ声はかれ、原稿に目を落とす時間が長い。

「努力」も道半ばの印象だ。

むしろ、記者会見で見せた正直なこわもてぶりに味があった

▼小沢氏は、田中角栄、金丸信、竹下登といった自民党の本丸に仕えた。

「だから、僕はいわば『日本的コンセンサス』の免許皆伝です」と語ったことがある。

その免許をぬるま湯に捨て、自民党の外側から政治改革に挑んで早15年が過ぎた

▼66歳。

心臓に治療歴がある。

「最後の闘い」を目前に控え、政治家としての型は変わるまい。

道すがら「郎」が加わるような変身が望めないなら、ごつい素をさらし、政権交代を望む世論に訴えるほかない。

ちなみに一郎も太郎も、歴代の首相に一人ずつである。





毎度の政権交代にこそに意義がある。政党同士が争って欲しい。








麻生氏が
新しい自民党総裁は明日、
戦後29人目の首相に選出される〉








平成20年9月23日の天声人語よりの引用


〈勝負ごとの予想屋なら、商売にならないと投げ出したのではないか。

消化試合と目された通りの戦いに勝って、福田康夫氏が「天下餅」を食うことになった。

新しい自民党総裁は明日、戦後29人目の首相に選出される〉。

1年前の明日、24日付の小欄の書き出しである

▼「手抜き」とお叱(しか)りを受けそうだが、名を麻生太郎氏に、数を30人目に置き換えれば、そのまま使い回しができる。

安倍晋三氏から数えれば3年続けてとなり、秋の彼岸の恒例行事さながらだ

▼だが、今年は違うことがある。

同じ天下餅でも、とりあえず「三日天下」でしかない。

遠からず総選挙の火ぶたが切って落とされる。

麻生氏は敵将小沢一郎氏を呼び捨てに攻撃して、敵愾心(てきがいしん)を大いに燃やす

▼べらんめえが売りだけに、弁舌は小気味良い。

時折の勇み足は人間味の裏返しか、ただの軽率か。

せんだっての朝日川柳、〈「バカヤロウ」までは言うなと茂祖父〉は笑わせた。

危なっかしさが、この人の色気なのかもしれない

▼奇(く)しくも昨日は、その祖父、吉田茂元首相の生誕130年だったそうだ。

選出後の壇上で麻生氏自らが披露した。

「民主党に勝って初めて天命を果たせる」と語る声は、党とともに祖父への誓いにも聞こえた

▼かくて両党の「選挙の顔」は出そろい、政治の季節の幕は開いた。

「いい顔が推薦状なら、いい心は信用状」と格言に言う。

党の心ともいえる「マニフェスト(政権公約)」にそれぞれ何を盛るのか。

「いい顔」も大事だが「いい心」を欠いては、有権者の心はつかめない。




麻生氏に期待は全く持てない。苦労知らずの二世三世議員などの政治家が首相となる。

これでは国民の苦労は全く理解できないで゛あろう。








折しも動物愛護週間
多くの猫や犬がガス室に送られるのを思えば、
人間の身勝手さは同類として恥ずかしい。







平成20年9月24日の天声人語よりの引用


あまり話題にはならなかったようだが、去る13日は、とある猫が死んで100年の命日だった。

ははん、とひらめく方もおられよう。

あの有名な、名前のない、漱石の猫である

▼『吾輩(わがはい)は猫である』はむろん小説だが、モデルになった猫は実際にいた。

朝、物置のかまどの上で冷たくなっていたそうだ。

漱石は骸(むくろ)を庭に埋め、白木の墓標に〈此(こ)の下に稲妻起る宵あらん〉と、追悼の一句をしたためている

▼明治の末のころ、猫や犬がどれだけ飼われていたかは知らない。

いまや空前のブームで、全国で実に2千万匹以上ともいう。

ペットの売買やフードなど関連市場は1兆円を超すそうだから、堂々たる産業である

▼命多ければ死も多く、ペット葬祭業も増えているらしい。


漱石は出入りの車屋に始末を頼んだ。

1世紀の後、葬儀、納骨から喪失感のケアまで手がける所も登場した。

人がペットを擬人化し、パートナーの関係を深めている証しでもある

▼その擬人化の、漱石は元祖である。

猫好きに思われるが、そうでもなかったようだ。

猫の吾輩は作中、「いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る」とぼやく。

本物の猫も一生を名無しで終えた。

付かず離れずが漱石流だったのだろう

▼当節はブームの一方で、腕時計を外すようにペットを捨てる人もいる。

多くの猫や犬がガス室に送られるのを思えば、人間の身勝手さは同類として恥ずかしい。

折しも動物愛護週間。

名無しの猫が起こす稲妻と、怒りの声を、土の下から聞くようにも思う。





ペット店が至る所に見かける。全国で2千万匹以上いるとは。たしかにペットには癒しの効果はあることは確実だが。








そして発足した麻生新政権には、
失礼ながら落語の「桜鯛(さくらだい)」が
思い浮かぶ






平成20年9月25日の天声人語よりの引用


今季限りで勇退するプロ野球の王貞治監督は、選手時代にホームランの「世界記録」を打ち立てて国民栄誉賞の第1号に輝いた。

その賞をつくって贈ったのは当時の福田赳夫首相である

▼「支持率最低内閣の人気取り」と皮肉も聞かれたが、ふさわしい人が第1号になったと思ったものだ。

だが支持率の大勢は動かなかった。

赳夫氏は翌年、「天の声にも変な声がある」と言い残して辞任する

▼月日は流れて、同じく不人気にあえいだ息子の康夫氏が昨日、「あなたと違うんです」を置きみやげに首相を辞めた。

捨てぜりふのうまい役者が良い役者、と言ったのは歌舞伎の名優六代目菊五郎だった。

康夫氏はむしろ役者の素質に恵まれていたのかもしれない

▼そして発足した麻生新政権には、失礼ながら落語の「桜鯛(さくらだい)」が思い浮かぶ。

鯛の塩焼きに一箸(はし)つけた殿様が、「かわりの鯛を持て」と所望する。

困った家来は殿様の目を満開の桜に向けさせ、そのすきに鯛を裏返し、箸の跡を隠して新しい鯛に見せかける

▼新閣僚の顔ぶれは、昨日までの鯛が、ただ裏返しにされて膳(ぜん)にのった印象だ。

3年前の選挙で選ばれた与党だから古さも隠せない。


もう一度民意の海を泳いで釣られなくては、少なくとも新鮮な鯛には変われまい

▼麻生氏は昨日、いまを「平時じゃなくて乱世みたい」と表現した。

与党の手にも野党の手にも、夢の即効薬などないことぐらい、いまや誰もが感じている。

飾り立てた巧言ではなく、どちらがより率直な言葉を投げてくるか。

民意の海はそれを注視している。




麻生氏もその閣僚にしても仲良し組みの感で意気込みは全く感じられない。

漫画が愛読書という首相をもつとは,自民党政府による日本も来る所まで来たとの感はぬぐえない








日本のトキは5年前に絶滅した
その佐渡の空へ、きのうトキが放たれた







平成20年9月26日の天声人語よりの引用

 トキについて見聞きするたびに、朱鷺(とき)とつづる字の美しさと、ニッポニア・ニッポンと呼ぶ学名のおおらかさを思う。

最後の生息地で知られた佐渡の風物も相まって、その立ち姿、飛ぶ姿の残像は、そこはかとない郷愁を胸に誘う

▼古くは日本書紀に「桃花鳥」の名で登場する。

だが、その薄桃色の美しい羽が災いした。

乱獲されて明治以降みるみる減った。


開発にも追われた。

保護の声が高まったときはすでに遅く、日本のトキは5年前に絶滅した

▼その佐渡の空へ、きのうトキが放たれた。

中国生まれの親から人工繁殖で増やされたうちの10羽である。

日本のトキは81年、保護のためにすべて捕獲されたから、飛翔(ひしょう)する姿は27年ぶりになる

▼〈今日からは日本の雁(かり)ぞ楽に寝よ〉。

一茶の句の雁をトキに置き換えてやりたいが、生きる環境は前より厳しいと聞く。

田は減り、山間部にも道路が延びた。

雪深い冬も来る。

無事に生き延びられるかどうか専門家にも分からないそうだ

▼日本のトキは1960年、世界で13種目の国際保護鳥に指定された。

尽力した一人が、「日本野鳥の会」をつくった僧侶で作家の中西悟堂だった。

鳥を守ることは日本の山河を守ることだと説き、「野の鳥は野に」の自然観を唱えた人だ

▼だが悲運にも国産は死に絶え、放たれた籠(かご)育ちは「野の鳥」に戻れるかどうか案じられている。

人間が山河を守ってこなかったツケなのかもしれない。

唯一の武器は「臆病(おくびょう)なこと」という優しい鳥だという。

佐渡の四季の風物に再びなる日が、いつか来ればいい。



絶滅したとするトキが再び放たれても上手く自然に馴染むのかが心配だ。








わが政界にも「口のために忙」な面々が目立っている






平成20年9月27日の天声人語よりの引用


中国の宋代の大詩人、蘇軾(そしょく)は政治家でもあった。

直言の癖が災いしてか、たびたび遠方へ流されたりした。

詩の一節に「自ら笑う、平生(へいぜい)、口の為(ため)に忙(ぼう)なるを」と記している。

「口がもとで数々の面倒を起こしたのが自分でもおかしい」という意味だと、中国文学の井波律子さんの著書に教わった

▼わが政界にも「口のために忙」な面々が目立っている。

直言ならまだしも、失言だから情けない。

一昨日は、就任したばかりの中山国交相が記者会見で「3連発」を放った

▼成田空港の整備の遅れには「ごね得というか戦後教育が悪かった」。

観光について「日本は内向きな単一民族」。

さらには「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。

だから大分県の学力は低い」。言いたい放題の感がある


▼人生いろいろだが、失言にもいろいろある。

リップサービスが過ぎた程度から、不適切な例え、軽率、勉強不足。

だが今回のは日ごろの考えが噴き出してきたものだろう。

根は深い

▼それにしてもと思う。

国会論戦などの肝心なメッセージはさっぱり胸に届かず、失言や放言、漫談まがいばかり記憶に残る。

これは政治家の劣化か。

それとも政治に娯楽を見いだした我々が、まじめな言葉には打てども響かなくなっているのか

▼おりしも、その「政治劇場」の支配人だった小泉元首相が政界引退を表明した。

こちらも「自民党をぶっ壊す」に始まり、良くも悪くも「口のために忙」な人だった。

小泉流には毀誉褒貶(きよほうへん)が入り交じるが、資質さえ疑われる中山流は「誉」と「褒」から程遠い。





大体国民は政党の言葉は信じなくなってきている。

むしろ身近な口利きなどの直接的な利益に引かれるようになってきている。

元の政党の言葉が信じられるような政治をやって欲しいものである。








朝食をバナナだけにすると楽にやせられるという
「朝バナナ」ダイエットが、本やテレビで紹介されたためだ






平成20年9月28日の天声人語よりの引用


脚本家の山田太一さんに「車中のバナナ」という短い随筆がある。

列車に乗り合わせた気のいい中年男が、カバンからバナナを取り出し、近くの乗客に配る話だ。

断る山田さんに、男は「食べなさいって」としつこい

▼やがて一本を食べ終えた老人が「せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と責めてきた。

山田さんは胸中を振り返りつつ、こう結ぶ。

「貰(もら)って食べた人を非難する気はないが、忽(たちま)ち『なごやかになれる』人々がなんだか怖いのである」

▼輸入が始まって1世紀。バナナは「あいさつ代わり」に差し出せる食べ物になった。

60年代から、原産地を変えながら日本の食生活にとけ込み、リンゴやミカンをさしおいて「よく食べる果物」の首位にある

▼その黄色い房が品薄だと報じられた。

朝食をバナナだけにすると楽にやせられるという「朝バナナ」ダイエットが、本やテレビで紹介されたためだ。

飛ぶ売れ行きのスーパーでは入荷が追いつかぬという

▼バナナに限らず異国の果物は、豊かになるにつれ、舶来のぜいたく品から日常食に変わる。

日本では間食や「あいさつ代わり」を通り過ぎ、減量の具になったらしい。

やせるために先を争って食べる姿は、途上国の理解を超えよう

▼メタボ体形から「ちょい太(ふと)」に脱した立場で言わせてもらえば、やせるなら「食べ過ぎず、動く」に尽きる。

およそブームと呼ばれるもの、新聞のコラムが取り上げたら終わりが近いとか。

果物売り場はきょうあたり、品薄どころか黄一色に染まっているかもしれない。





いくらメタボの人たちにメタボの恐ろしさ害を話しても改善されない。

男性にはメタボの人は出世できないような社会的な効力を考えても良いのではなかろうか。








中山成彬氏は熱く叫び、
目にもとまらぬ早さで国土交通相を辞任した。






平成20年9月29日の天声人語よりの引用


 「○○で愛を叫ぶ」といったイベントがある。

キャベツ畑だったり、日比谷公園だったり。

その一言を大声で発するためだけに、遠路はるばる同好の士がやって来る。

心で温め、何度も唱えてきた思いは、観衆を得て腹の底から響き渡る

▼「それ」を言わんとして、大臣に就いたとしか思えない。

「日教組をぶっ壊すために火の玉になる」。

中山成彬氏は熱く叫び、目にもとまらぬ早さで国土交通相を辞任した。

この内閣のあすを暗示するかのような、在任約90時間の幻影だった

▼日教組が余程お嫌いとみえる。


「日本の教育のがん」だという。

だが、憲法21条は結社や集会の自由を保障している。

気にくわない組織でも、合法なら認めるのが民主主義のイロハ。

東大法学部を出て知らないはずはない


▼どんな日教組観を持とうが結構だが、外から「解体」できると考えるのは危ない思想だ。

それも畑で愛を叫ぶがごとく、思いの丈をぶちまけた。

浅慮とか、正論だが立場をわきまえずのたぐいではない。

暴論ところ構わずである

▼中山氏は勢い余り「小沢民主党も解体しなければ」と言い放った。

一連の発言はしかし、どう見ても与党の足を引っ張り、民主党を利するだけだろう。

国会議員の見識ばかりか政治家としての大局観を欠いている。

任せた首相の眼力を問いたい

▼地位に似合わぬ面々が色んなお粗末をやらかし、失笑に送られ退場していく。

面白うてやがて悲しき自民劇場。

こんなものを長々と見るために納税してるんじゃないぞ。

永田町の中心で、そう叫びたくなった。



よくこんな人が議員 大臣になれたのかと驚く。何か悪いことに長けているのではないかとかんぐりたい。








「やめた」ですむなら楽なものと、
多くの人が首相のご身分をうらやんだ。







平成20年9月30日の天声人語よりの引用


突然の政権投げ出しが、あたかも政治の季節を開いたかのようだった。

解散風が強まり、政界も目まぐるしく動いた9月の言葉から

▼「やめた」ですむなら楽なものと、多くの人が首相のご身分をうらやんだ。

青森県のリンゴ農家、三浦通さん(60)は「6月の雹(ひょう)害でほぼ100%の実に穴やへこみができた。

それでも作業をやめられないし、畑を投げ出せない」。

傷ものは安くたたかれる。

肥料などの借金を返せるかどうかを心配する

▼後任の自民党総裁選には5人が立った。

ところが、党の思惑と裏腹に国民は冷めていた。

芸能リポーターの梨元勝さんは「役者不足。

論争してみせて盛り上げようとしているけど、結論の見えているレコード大賞」

▼はたして麻生氏が大勝して新総裁に。


党員による都道府県の予備選挙では、「小沢一郎」や「オバマ」のほか、

「自民党はもうダメだ」(栃木)、「どうせすぐやめるんだろう」(東京)などと書かれた投票用紙もあった

▼その麻生内閣は3分の2を世襲の面々が占め、「坊ちゃん内閣」とも揶揄(やゆ)される。

長野県の山里で妻と暮らす吉沢健さん(75)は「頑張って生きてきたんだもん。

国の政治を担う人にも優しさを感じたい」。

素朴な願いは2世3世に通じるだろうか

▼愛知県の加藤淳さん(68)は本紙声欄に、政治家になってほしい人と、なりたい人の差が目に余ると寄せた。

「もっと正直な人、もっと誠実な人。

重厚な人、聡明(そうめい)な人……思索する人、もっと私利に疎い人」。

無いものねだりでしょうか。

麻生さん、小沢さん。



どんな政治になるのかやってもらわないと困るような人にはやってもらわないことである。

大体見当はつくような気がする。








藤原良房と清和天皇




藤原良房は冬嗣の二男として生まれ選ばれて嵯峨天皇の皇女源潔姫を降嫁される。

淳和天皇の天長年間(824年-834年)蔵人に補せられ、従五位下を授けられる。

良房の妹順子は東宮(皇太子)正良親王(後の仁明天皇)の妃である。

道康親王後の文徳天皇を生んでいる。

また、良房は父冬嗣に引き続いて嵯峨上皇と皇太后橘嘉智子に深く信任されていた。

仁明天皇の承和年間(834年-848年)に正三位に叙せられ、

蔵人頭に補せられ、参議を経て権中納言に遷り、

陸奥出羽按察使、右近衛大将を兼ねる。

仁明天皇の東宮には淳和上皇の皇子恒貞親王が立てられていたが、

承和9年(842年)の嵯峨上皇の崩御直後に起きた承和の変で恒貞親王が廃され、

道康親王が立太子される。

事件後に大納言に転じて、民部卿、左近衛大将を兼ねた。

承和11年(844年)に道康親王が即位する(文徳天皇)。

良房は潔姫が生んだ明子(あきらけいこ)を女御に入れた。

承和15年(848年)に右大臣を拝す。

嘉祥3年(850年)明子は第四皇子惟仁親王を生み、

僅か生後8カ月で直ちに立太子させた。

これが清和天皇で先例のないことだった。

外祖父藤原良房の後見の元、惟喬親王を退けて皇太子となる。

清和天皇は文徳天皇の崩御に伴い、わずか9歳で即位したため、良房が外戚として政治の実権を握った。

嘉祥4年(851年)正二位に昇り、翌年、左近衛大将を兼ね、国史(続日本後紀)を監修する。

斉衡4年(857年)太政大臣を拝命した。

次いで従一位へ進む。

貞観3年(865)摂政藤原良房は嘉祥寺に西院を建立し、さらにそれを独立させて貞観寺と改められた

良房は9歳の惟仁親王を即位させた(清和天皇)。

貞観8年(866年)には伴善男らによるものとされる応天門炎上事件が発生した。

良房には嗣子がいなかったため、兄の藤原長良の三男、藤原基経を養子とした。

また、同じく長良の娘の高子を惟仁親王に嫁がせ、次代への布石も打った。

高子は在原業平との恋愛で有名で、惟仁親王より9歳も年上だった。

『公卿補任』ではこの時に摂政に就任して貞観6年(864年)清和天皇の元服とともに、摂政を退いたとするが、

正史である『日本三代実録』の清和天皇即位の記事には摂政に関する記述がないことから、

良房は太政大臣として天皇を後見したと考えられている(当時、太政大臣の職掌には摂政と同様に天皇の後見する役目が含まれており、

両者の職掌が明確に分離されたのは基経の時代である)。

清和天皇は幼少期に良房の邸宅で育てられたので、良房を終始深く信任していた。

貞観8年(866年)に起きた応天門の変では、大納言伴善男を失脚、事件に連座した大伴氏紀氏の勢力を宮中から駆逐する。

清和天皇は伴善男を信頼していた為、事件を解決した良房に遠慮する形で既に貞観6年(864年)に元服していたにも関わらず、

正式に良房を摂政に任命している。

この年の8月19日、清和天皇は良房に「摂行天下之政(天下の政(まつりごと=政治)を摂行しむる)」とする摂政宣下の詔を与えた。

これが人臣最初の摂政である

法制の整備に力を入れて、「貞観格式」を完成させた(格は貞観11年(869年)、式は貞観13年(871年)に公布)。

貞観13年(871年)、准三宮を宣下されるが、それから数ヵ月後の貞観14年(872年)に死去した。

正一位を追贈され、忠仁公と諡された。

人臣としてはじめて摂政の座に就き、位人臣を極め、権力は良房の家に集まり、その子孫は相次いで摂関となる。

清和天皇は退位後の元慶3年(879年)、禅林寺三代目座主 東寺第五代長者宗叡に帰依して突然出家し、

天皇は出家する際宗叡が戒師も務めた。  無理な断食修行を行った末に病死したとされている。

藤原氏で始めて天皇の権力を奪って摂関政治を始めた人物が藤原良房である。

清和天皇は晩年仏門に入り30年の短い人生で終わっている。


この後が鎌倉時代 南北朝時代 足利時代 戦国時代 江戸時代と武家時代が続いて明治維新から現代まで

誰が実際の権力を握り政治をば動かしていたのは誰だったのか。明治維新後は宮内省(今の宮内庁)と軍部だったと推察する。

天皇は時代に応じ,当時の権力者によって大いに利用され続けていたと考えられる。

現在にもつながる話でもある。

京都市伏見区深草にある十二帝陵はそれを如実に示しているように思う。

藤原冬嗣の墓は深草山にあるとしているが全く不明である。

良房の子の昭宣公(基経)の墓は伏見区深草の宝塔寺内にこじんまりとして存在する。

藤原冬継の墓は何処にあるのだろうか。多分深草の近くに有ったのか判らない。

一方天皇家は大きな陵墓が参考地を含め沢山ある。清和天皇の御陵は右京区嵯峨の水尾の山の中腹に清和天皇陵がある。

天皇が生前に好んだ場所で静かな人家の少ない山里にある。

清和天皇

     嘉祥3年(850年) 生誕。同年、立太子。
     天安2年(858年) 即位(9歳)。
     貞観8年(866年) 応天門炎上事件。
     貞観18年(876年) 27歳で突然譲位し、仏門に帰依。
     元慶4年(880年) 崩御

     女御 13名 更衣 9名 宮人2名

     この天皇の子孫の多くが臣籍降下して清和源氏となった。
                                                    インタ−ネットよりの引用




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