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10月になって





十月に入ると涼しい日が多くなる。 日によって少し暑くなったりすることもあるが、それもたいした暑さではない。

暮らすには一番良い季節である。

学会のシーズンで,今年はよく学会に出席した方だ。

いつもは台風の季節だが今年は不思議と台風が来ない。この時期は大体毎年台風に苦しむ季節である。

日本列島に高気圧が張り出して来ているからだと言われているも,不思議な現象も起きるものだと思う。

でも被害を及ぼす台風に見舞われなくて幸である。

地球温暖化と関連しての変化だったならば大変なことである。

10月22日は京都の時代祭りである。休日でないからテレビ中継を見るだけとなる。

例年通り今年も多くの人たちが京都の時代祭りを見物されている。

アメリカのサブプライムローンに端を発した株安が世界中に吹き荒れ,世界の経済は混乱に陥っている。

株安 ドル安で世界中に影響を与え続け,日本のみが円高で輸出産業は打撃をこうむっている。

雇用情勢の悪化やサブプライムローン問題に端を発した金融機関の貸し渋りなどで、

米景気は後退局面に入ったとの見方が世界中に広がっている。

アメリカがくしゃみすれば,世界中が風邪をひくのごとき世界の仕組みは,なんとしても改善しなければならない大きな課題である。

現在,世界中がアメリカによって振り回されているような感を受ける。

資本主義制度のみが本当に良い制度かどうか,再考する良い機会でもある。

投資家達といっても純粋な投資家かどうかも,疑えばきりがなくなってくる。

政府が関与したりして,裏側でもって投資家連中が結束し集団となって行動すれば,単なる企業や個人の投資家はたまったものではない。

どんな災難に見舞われても仕方ないことである。

ブッシュのイラクへの強引な単独的な介入と同じで,全く世界の経済が混乱のルツボに陥っているようだ。

株や証券などを右から左に動かすことにより,膨大な利益を生み出す仕組みは,素人目から見てあまり良くない制度のような気して仕方ない。

共産主義社会でも資本主義的な手法が導入され,これが共産主義社会かと思うほど極端な貧富の格差と同時に独裁体制が作り出されている。

サブムライローンなど素人が見ていても,必ず破綻する仕組みなのに,世界中に証券化されて売り出されて

何故に世界中の金融機関によって買われたのかが大変不思議でならない。

全てを民営化し,競争させようとする制度自体が明らかに間違っているように思う。

基本的な所はしっかり国家が管理しなければならない。それを国家自身が怠っているのではないかと考える。

メタポリックシンドロームも同じで,戦後になってから欧米食の脂肪分の多い食事を多く摂取することにより発生してきている。

昭和30年代前後頃の粗食しか食べられなかった時代の食事になれば起きないといわれている。

日本の良さを全て捨て去り,現在は欧米一辺倒化して欧米文化が日本を巻き込んで日本国民を苦しめているように思えて仕方ない。

日本古来からの良さが判る精神を持って,良いものは受け入れ,悪いものは排除するような,本来の日本人に立ち返るべきである。

明治維新時代の廃仏毀釈ではないが,なにもかも捨て去るのことが良いとする考えは,改めて考えなおすべきである。

廃仏毀釈は主として神道の高揚に利用され,天皇の神格化への道につながって,さらに国粋主義へと発展してきたように思える。

近代的な考えからして矛盾だらけのものを,捨てなければならないのをアメリカの統治の都合だけでもって,大事に維持し続けている部分がある。

現在の日本はまだまだアメリカの半植民地国家である。

宮内省は戦後宮内庁に変ったが,国民にとり全く関係ない必要としない部署である。皇室の方達を大変に苦しめている源にもなっている。

宮内庁は文化庁所属下にあってよいのではないかと考えたりしている。

「チェンジ」を掲げてアメリカ大統領選挙を戦っているオバマ氏に大いに期待したいものである。

現在世界の大統領を決めるような,アメリカ大統領選挙が行わている最中である。

日本では解散総選挙は経済が第一だとして,低迷している自民党支持率の回復を麻生総理大臣は待っているようだが

人心が既に離れてしまっているように感ずる。

現在,国家予算ぐらいのお金のばら撒きを国民にしても駄目であろう。

でもそれに近いようなばら撒き政治を行おうとしているが,はたして人心がどれだけ戻るかどうかは大変疑問である。

現在,長年続いた腐敗した自民党政治が社会の隅々まで浸透しているように思える。

それはほんの一部の人たちの利益のためだけの為である。

参議院国会での委員会での国会討論を見ていて,外国語を必要とする自衛隊がはたして必要なのだろうかと感じた。

専守防衛する自衛隊には海外に派兵する必要はないはずである。

死者の出るような自衛隊海外派兵を全国民,自衛隊員そしてその家族は望んではいないと信ずる。

海外派兵するような自衛隊を国民が望んでいるかどうかを総選挙でもつて国民に対しイエスかノ−かで,

郵政民営化の時と同じように,国民に直接聞いてみては如何なものだろうかか。?

自衛隊員も国民も海外派兵は望んではいないと信ずる。

「強い国日本」を作るとする勇ましい若い世代の政治家達が出現し考えることに,戦前・戦後の苦労を体験したものは誰一人賛成するものはいないと思う。

徹底的な戦前の皇国民教育を受けた世代が徐々に減少してきているので、天皇家に対しての世論の考え方も変ってきていると思う。

天皇の為に命を捧げて死んでいった人たちが大戦中大部分であった。

人間を人間と見ない特攻攻撃 沖縄本土決戦 日本中の都会への無差別爆撃 広島・長崎への原爆投下 などがつづいた。

天皇を利用した人たちによって尚も戦争は続行されていった。鬼畜米英の仕業だけですむ話ではない。

あまりにも遅すぎた聖断でもって○○万人の命が奪われている。

聖断が何故に早く下だらなかったのだろうか。?もう半年或いは一年前に聖断が下されなかったのか。

戦中教育により徹底的に洗脳され思考力が停まり,特高などによる取り締まり強化,徹底した愛国心・非国民教育の現実と恐怖感 

「アメとムチ」の両方から国民を縛り付けていた事実があった。

現在の世の中はこのような矛盾に対する反省が薄らいできているように思える。

この「飴とムチ」は現在も尚色んな形で政治の世界で利用され続けているのが今の社会の姿である。

ブッシュの為だけにアメリカの若い生命軍人が亡くなったのが4000人 爆撃で死んでいったイラクの人達が何十万人といわれている。

それだけのことだったとして,済んでしまう出来事がイラク戦争だったのだろうか。現在ブッシュのアメリカでの支持率は極めて低い。

同じようなことが何度も世界中で現在も起きている。

国連事務総長は存在しているのかと思うほどに存在感が薄い。

アメリカに国連本部が存在する限りにおいて国連はアメリカの傀儡にならざるをえない。

なんとか戦争のない平和な世界になるようにと思うが,世界中で戦争は尽きることはないようだ。

その中に巻き込まれ短い生涯を終えた人たちにとり大変不幸な出来事であった。

再び同じような不幸が訪れないことを願うばかりである。

選挙中のアメリカ次期大統領に期待する以外に今の所ないように思われる。

ブッシュのような時代は早く終わって欲しいものである。だがブッシュの大の盟友である小泉元首相は政治活動を議員を辞めてからもするとしているが

どのように政治に関与するのか不思議なことである。











史上最大というNYの下げ幅は777ドル。






平成20年10月1日の天声人語よりの引用


一説によると、きのうはある野球用語が米国で生まれた日とされる。

1885年9月30日、シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)の優勝を左右する試合。

7回に打ち上げた平凡なフライが風に乗り、決勝ホームランになった。

「ラッキーセブン」の始まりだ

▼昨日の東京株式市場は前日のニューヨークでの暴落を受け、ラッキーどころか3年ぶりの安値に沈んだ。

史上最大というNYの下げ幅は777ドル。


スロットマシンなら「トリプルセブン」の大当たりだ。

お金の神様も皮肉がきつい

▼火元は金融安定化法案を否決した米下院。

政府と議会幹部の合意もむなしく、有権者の怒りを恐れた議員が造反した。

特に共和党は「7」割近くが反対に回り、ブッシュ大統領の面目はない。


逆転ホームランになるはずの一打が、世論の風に戻されて凡飛球である

▼危ないもうけ話の果てに米金融機関が抱えた巨万の不良資産。

それを最大「7」千億ドルの公的資金で買い取る策に、国民の反発は強い。

あとは自伝を書くだけの大統領と違い、選挙を控えた議員は風が気になる

▼「下院議長は女性。

ちょっと男性とはひと味違うような気がする、リードが。

それで破裂した」(笹川尭・自民党総務会長)の言はいただけない。

危機は世界に飛び火しており、男とか女とか気楽に論評している時ではない

▼米国の対策が動くまでは神頼み。

それもこれも、楽してもうけようとしたツケだろう。

元来「7」は神々しい数とみえ、戒めにも使われる。

例えば「七つの大罪」に強欲というのがある。






社会生活は経済活動により成り立つ。景気が悪くなれば生活は苦しくなる。

株価の下落は株をもっていないものには関係ないが,物価の上昇 収入の下落はたまらない。

強みは戦中戦後の苦しい時代を生き抜いてきたことにある。

飽食の時代に,食べるものに苦労することもあるまいと思っている。

後期高齢者医療制度はそのような人たちに直撃している。病気になれば医療を受けたいし,身体活動の障害がくれば

介護も受けなければならない。戦前は長男が面倒見ていたがそのような考えは戦後薄らいできて自活する年寄りが

増えてきている。それらは現在,戦中戦後の苦しい時代を生き抜いてきた人たちが二度目の受難を受けることとなる。

高齢を後期高齢などと差別したりするような言葉や後期高齢者制度は是非廃止すべきである。

人間をば機械的に分類する蔑視用語である。










大阪の個室ビデオ店の火事で、
男性客15人が亡くなり、
放火や殺人の疑いで客の男が捕まった。







平成20年10月2日の天声人語よりの引用


〈路上で寝るときは段ボールから顔を出しておくべし〉。

本紙生活面に、男性ホームレスの「助言」が載った。

その箱の中に生身の人間がいると知らせないと、通行人に蹴(け)られるのだという。

いつの世も野宿はつらい

▼夜更けから明け方の大都市は、ささやかな屋根と寝床を求める人であふれる。

終電を逃した勤め人、歓楽街にたむろする少年少女、帰るべき場所のない日雇い労働者もいよう。

きのう煙に包まれたのも、そんな「宿」の一つだった

▼大阪の個室ビデオ店の火事で、男性客15人が亡くなり、放火や殺人の疑いで客の男が捕まった。

1畳余りの個室が32。

8割ほどが埋まっていたという。

共用のシャワーがあり、1500円で一夜を明かせるとなれば、ホテル代わりの利用も多くなる

▼漂泊の俳人、種田山頭火は〈泊(とま)るところがないどかりと暮れた〉と詠じた。

こうした境地に、誰もがたどり着くわけではない。

かくして「雨露をしのぐ+α」のサービスが繁盛する。

より安く、より気持ちよく朝を迎えたいという需要が、眠らないネットカフェやマンガ喫茶を新手の宿に変えてきた

▼惨事のたびに防火や避難の規制は厳しくなるが、

都市は生き物。色んな「屋根と寝床」が料金や快適さを競い、新しい夜を提案し続ける。

「悪意」まで封じる防火策を店に求めるのは酷だろうか

▼「段ボールから顔を出す」ような用心が要るのでは、お金を払う意味がない。

とはいえ、利用者もせめて、逃げ道を確かめるなどの自衛策を講じたい。

すでに「どかりと暮れる」季節である。





ビジネスホテルはよく利用するが,寝る分には普通のホテルと変わりなく

朝食もバイキングで用意してくれている所もある。

それをさらに節約して個室ビデオ店を利用しなければならない時代になってきている。

このことを見ても現在の政治の貧困 格差社会を痛感する。

なんとか惨事が起こらないような監督をば徹底的に政府の方で義務付けして欲しい

ここには深刻な政治の貧困・不公平さを見る。

少なくとも誰もビジネスホテルが利用できるような体制になって欲しい。

毎晩のように高級ホテルの高級バーで毎日利用している人にとっては

想像も理解できない世界であろうが。









日本のプロ野球は、大リーグへの人材流出で危機にある。







平成20年10月3日の天声人語よりの引用


長渕剛さんの名曲「とんぼ」は都会への憧(あこが)れと挫折を歌う。

〈死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローが/知らん顔して黙ったまま突っ立ってる〉。

花の都に寄せる片思いは多くが裏切られ、意のままにならぬことばかり。

でも無様に、武骨に生きてゆく

▼長渕さんと、スタンドを埋めた3万人の大合唱に送られ、オリックスの清原和博選手が引退した。

華あり、涙あり。

23年の現役生活を、「東京のバカヤロー」ではなく故郷大阪で終えた

▼最終戦の相手、ソフトバンクの王監督がかけた言葉は「生まれ変わったら、同じチームでホームラン競争をしよう」。

85年のドラフト。

王さんが指揮する巨人軍の指名を信じて裏切られた男を、言葉で抱きしめた。

同じシーズンにユニホームを脱ぐのも何かの縁だろう

▼525本の本塁打を重ねながら「無冠」に終わった。

最後の打席は、自身の歴代最多を更新する1955個目の三振。

直球を投げ続けた杉内投手に頭を下げた。

タイトルより大切なものがあると教える、美しい空振りだった

▼「憧れの球団」に移ってからは故障に泣いた。

投手がしつこく内角をえぐると、仁王立ちでにらみ返した。

だが、そうした人間味や男気にひかれるファンもまた多かった。

インタビューの受け答えにも、飾らない人柄がにじんでいた

▼日本のプロ野球は、大リーグへの人材流出で危機にある。

清原選手のヒーロー伝説、あるいは反骨の物語を、ここで終わらせるのは惜しい気がする。

どうにもならない不運を力にする生き方の、続きを見てみたい。




野球の国際化もよいが,日本の一流選手のアメリカへの流出は残念なことである。スポーツからでも世界が一つになる

傾向は平和な世界になる一助となってよいことだ。

スポーツの国際から世界が一つであることを実感してゆきたい。








83歳で亡くなったポール・ニューマンさんの作品に、
若き日を重ねた方も多かろう








平成20年10月4日の天声人語よりの引用


 西部開拓の末期。

列車強盗を重ね、鉄道会社の刺客に追われる二人組が、逃走先の南米で軍隊に囲まれた。

敵が数百人とも知らず、弾を込め直す。

「次はオーストラリアに行くぞ。

英語が通じる」。

二丁拳銃で飛び出す姿が静止し、一斉射撃の音。

画面はセピア色に転じる

▼「明日に向って撃て!」が公開されたのは中学生の時だった。

映画史に残るラストにぐっときて、「作りごと」で初めて泣いた。

83歳で亡くなったポール・ニューマンさんの作品に、若き日を重ねた方も多かろう

▼「明日に――」は売れる前のロバート・レッドフォードさんとの共演だった。

後に、監督と脚本をたたえて語った。

「別の俳優たちが演じても、やはり素晴らしい作品になっただろう」

▼お定まりの西部劇には不満があったようだ。

白人が善玉で、先住民が悪玉、正義のヒーローは無敵といった陳腐さである。

だから、無法者の主人公が逃げ回る異色の脚本に飛びついた。


銀幕外でもリベラルな立場を貫き、ベトナム反戦や反核の運動に参加した

▼ハリウッド流の華美な生活とは一線を画した。

私生活を大切にし、サインにはめったに応じなかったという。

後半生は趣味の自動車レースや家庭を優先しながら、会社経営と慈善活動に力を注いだ

▼エレナ・ウーマノ氏による評伝(近代映画社刊)は、「私は実に普通の男です」の言葉で始まる。

公私で優に二人分を生きた「偉大なる普通人」(同)。


舞台デビューの地、ブロードウェーの劇場は日本時間のきょう、電飾の看板を一斉に消灯して悼む。







ポール・ニューマンの名前は知っていても直ぐにその作品が出てこない。洋画は若い頃から沢山見ていると自負しているが

残念ながら思い出せない。映画の中で見るアメリカ国家は正義の塊のような考えでいたが

大統領ブッシュが出てからはアメリカの矛盾を嫌というほどに知った。正義に満ちたアメリカになって欲しいものだ。








香の代表がモクセイなら、見た目は菊だろうか







平成20年10月5日の天声人語よりの引用


駅までの道すがら、キンモクセイの甘い香りがどこからともなく漂ってきた。

わが鼻には今年の「初もの」である。

野菜や果物は時期を問わずに口に入る昨今だが、あの芳香は季節の記憶をよびさます。

残暑は去って、空は高く、秋が定まったのを実感する

▼花そのものは見ばえがしない。

金紙を細かく刻んで枝につけたような様を、詩人の薄田(すすきだ)泣菫(きゅうきん)は〈ぢぢむさく、古めかしい〉と哀れんだ。

一方で〈高い香気をくゆらせるための、質素な香炉〉と見立てているのは、ロマン派文人の感性だろう

▼江戸時代の俳人、服部嵐雪(らんせつ)は〈木犀(もくせい)の昼は醒(さ)めたる香炉かな〉と詠んでいる。

昼間と夜とでは、さて、どちらがかぐわしいだろう。

いずれにせよ、街の行きずりにふと鼻先を流れるのが、この花の香にふさわしい

▼香の代表がモクセイなら、見た目は菊だろうか。

モクセイと同じく中国が原産で、奈良時代に不老長寿の薬草として渡来したという。

その咲き姿が宮廷で愛され、もっぱら観賞用に育てられるようになった

▼旧暦9月9日の重陽の節句には「着せ綿」という行事もあった。

前の日に、菊の花に真綿をかぶせて一晩置く。

朝になって、夜露に濡(ぬ)れて香りをふくんだ綿で顔や体をなでた。

老いをぬぐい去り、若返ると信じられていたらしい

▼〈綿きせて十程若し菊の花〉一茶。

年は、あさってが旧暦の9月9日にあたる。

菊があれば、王朝時代の美顔術をまねてみるのも一興だろう。


そしてその翌日は、はや二十四節気の寒露。

澄みわたる静けさの中で、秋が姿を整えていく。





キンモクセイの香りは直ぐに思い出す。木のそばにゆくとキンモクセイの香りがしてくる。

自然に親しむ機会が少なくなっているので,できるだけ植物園に足を運ぶことにしている。

菊は秋の華である。どうして聞くの紋章になったのだろうか。桜と菊は日本を代表表現する花のようだ。








命は姿を変えて生き続け
大自然の設計図が
寸分の狂いもなく司(つかさど)っている






平成20年10月6日の天声人語よりの引用


本紙の声欄を読んで、ときおり切り抜いている。

先ごろの東京本社版に「虫たちの最期 気をもむ晩夏」という投書があった。

横浜の高校生石井杏奈さんは、アスファルトの上で動かない昆虫などを見つけると、拾って土の上に移すのだという

▼「せめて彼らが最期に横たわる場所が自然物の上であってほしい」と書いていた。

命を終えるものを土に戻してやる。

そうすれば死骸(しがい)は他の命を育む。

やさしい人柄とともに、「命の循環」が分かる人なのだろうと推察した

▼秋が深まれば、今度は枯れ葉がアスファルトに散る。

集められ、焼却されるものも多い。

野山なら散り敷いて生物のすみかになり、分解されて土に溶けていくのに、都会の落ち葉はそれもかなわない

▼『葉っぱのフレディ』という絵本を覚えておられるだろうか。

生と死や転生が、木の葉の一生を通して語られる。

枯れて散っても、土に還(かえ)って木を育てる力になる。

大人の共感を呼び、これまでに110万冊も売れた

▼刊行から10年になるのを機に、版元の童話屋(東京)がささやかな試みを始めるそうだ。

22日からの絵本の売り上げから、1冊につき200円を、南米アマゾンの森の再生に寄付する。

1冊あたり5本の苗木が、危機に瀕(ひん)した森に植えられるという

▼命は姿を変えて生き続ける。

それを大自然の設計図が寸分の狂いもなく司(つかさど)っている――と絵本は説く。


ひょっとして石井さんも読んだのかな、と想像してみた。

虫も葉っぱも侮るなかれ、である。

それぞれの命をつないで地球の生態系を担っている。






「葉っぱのフレディ」は子供の本のようだが良く人生を凝縮して表しているように思える。

発売された当時に随想で色々と感想を書いた記憶がある。

仏教の思想にも通ずるお話でもある。









振り込め詐欺を100件ほど試み、
ことごとく失敗したグループが摘発された





平成20年10月7日の天声人語よりの引用


「まだるっこい」という言葉は「間怠(まだる)い」から生まれたという。

広辞苑は「手間どっておそい。

手ぬるい。

のろくさい」と散々だ。

じれったい話は、金もうけでは時に命取りになる

▼振り込め詐欺を100件ほど試み、ことごとく失敗したグループが摘発された。

ニセ息子が電話で、株を買うのに会社の金を使い込んだのがバレた、と助けを請う手口。

押収された手書きの台本を見て、こりゃだめだと思った

▼〈で、先週のコトなんだけど、新規上々株の抽選に当って、どーしてもその株がほしくなっちゃって……〉

〈最初はすごく怒られたんだけど、全部話したコトもあって、お前もこんな時に処分されても困まるだろって言ってくれて……〉

▼上場株の誤字や、妙な送り仮名には目をつむるとして、切迫感がまるでない。

大金が必要になった経緯がぐだぐだと続き、用件の「お金貸して」は最後の最後だ。

長広舌を聞くうちに、「親」も我に返って通報したのだろう

▼捕まった4人の男は20〜24歳。

振り込ませる裏口座を用意する金もなく、だませたと思って友人役が集金に赴いたところを御用となった。

何億円もせしめた集団に比べれば素人だが、このレベルの連中がうごめくほど「だまされ市場」は大きい

▼今年の振り込め詐欺被害はもう200億円を超え、去年の4割増しのペースだ。

プロは台本などに頼らない。

相手の慌てぶりを測りつつ、ああ言えばこう言うで、間が怠くなることもない。

親心や、ささやかな欲につけ入るべく、彼らは何枚もある舌の先を研いでいる。





電話が悪用されて振り込め詐欺が起きている。特に一人住まいのお年寄りがターゲットになっているようだ。

不況になれば何とか儲けようとして色んな手口の詐欺行為が多発してきているようだ。

相手の顔がわかる様な電話になればこのような事件も少なくなると思うのだが。








米国発の金融危機が、雇う、作る、売る、
買うといった実体経済のサイクルを冷やし始めた。






平成20年10月8日の天声人語よりの引用


 相場の格言に「見切り千両」がある。

下げの局面では早めに手放すべし、それで大損を避けられるなら目先の損は値千金、といった意味だ。

昨日の朝方、東証株価が約5年ぶりに1万円を割った。

泣く泣く格言を唱えた向きが多かったとみえる。

終値は戻すも、しばらくは見切る勇気を問われよう

▼米国発の金融危機が、雇う、作る、売る、買うといった実体経済のサイクルを冷やし始めた。

経済の血流が滞り、症状が全身に及びかねない事態に、産業界や投資家、消費者は弱気を持て余す


▼国会審議も、株価を横目で見ながらとなった。

麻生首相に対する野党は、党首級を立てた。

急を告げる経済情勢を受けて、質(ただ)す方、答える側とも「暮らし」を軸に、有権者を意識した物言いだ。

ここは危機感ほとばしる論戦を期待したい

▼長らく「下げ局面」にある政治とはいえ、日本に住み続ける限り「見切り千両」とはいかない。

世界の大乱から暮らしを守れるのは誰なのか、いま少し我慢し、与野党の攻防を見極めよう

▼ところが、解散・総選挙の日程は逃げ水のごとし。

来るべき選挙を草野球に例えれば、調子の上がらぬホームチームが試合開始に二の足を踏んでいるところに、

金融不安の雨粒が落ち始めた図である。

いつまで待たされるのか、とんと見通しが立たない

▼国際経済と、次の総選挙。あすの日本を左右する二つであろう。

前者に私たちの意思は届かない。

後者については、時期はともかく、結果は国民の手中にある。

経済の空模様を気にかけつつ、その日を待つとする。





株とか証券だけで会社が活動したり国家が動いたりするのも変な話のように感ずる。

世界が一つになって外国の資本がどっと入り込む制度はなんとか制限できないものか。

特に食品とか石油などの生きてゆくのには必ず必要とする品物に対しては厳重な制限と監視が必要である。








ノーベル物理学賞が、素粒子の権威、
南部陽一郎さん(87)と、
小林誠さん(64)、益川敏英さん(68)の
名大同窓コンビに贈られる








平成20年10月9日の天声人語よりの引用


おめでたい話題は筆も軽い。

ノーベル物理学賞が、素粒子の権威、南部陽一郎さん(87)と、

小林誠さん(64)、益川敏英さん(68)の名大同窓コンビに贈られる。

さらに下村脩さん(80)の化学賞も決まった。


日本の研究水準が改めて世界に認められたと喜びたい

▼物理学賞の授賞理由は「対称性の破れ」の仕組みや起源を発見した業績という。

ここで筆は重くなる。

破れといえば当方、脱いだズボンの股に発見するのが関の山。

お三方と重なるのは、見つけてハッとすることくらいだ

▼なんでも、73年発表の小林・益川理論は「クォークは6種類」との予言とか。

物質を形づくるこの最小粒子は当時、三つしか確認されていなかった。

さらに三つが見事に見つかった

▼熱血漢、益川さんの発想を小林さんが冷静に固めたと聞いた。

浴室で「6」がひらめいた益川さん。


風呂は夜9時36分、出勤は朝8時2分が習いと細かい。

「他と違うこと」が偉業の糧らしい。

この人が「しゃぶり尽くした」という論文の主、南部さんもしかり。

米国籍を得てシカゴに住まう

▼やはり米国が拠点の下村さんは、生物を発光させるたんぱく質をクラゲから突き止めた。

今では、細胞内を動く分子を追跡するための目印として、世界中の研究室で使われている

▼宇宙の謎を解くカギが素粒子に宿り、生命の仕組みを明かす道具がクラゲに眠る。

暮らしから遠い題材を生涯の友とした無類の頭脳のお陰で、こうして知的ロマンにしばし浸れる。

優れた師匠がそこにいるのに昨今の理科離れ。

もったいなさすぎる。





ノーベル賞受賞は日本にとって大きな朗報である。何で゛もなく研究されていたことが後に大きな役割を担うような応用に使われている。

日本では物理学賞の受賞が多いことに驚く。医学賞でも受賞者が出たり平和賞に貢献する人が出てくることを期待したいものである。

日本では京都の京セラの稲森財団が日本賞を授与されていることはあまり世界には知られていないようだ。










歌舞伎役者のように虚空をにらんで、
緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。







平成20年10月10日の天声人語よりの引用


歌舞伎役者のように虚空をにらんで、緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。

臨終に立ち会った津川雅彦さんは、その時を「おれもあんな死に方をしたいと思うほど格好いい最期だった」とまとめた

▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。

ひとしきり仕事の話をし、「治ったらウナギ食いに行こうな。

白焼きをな」。この誘い、津川さんの激励ではなく、緒形さんの言葉というから驚く。

淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である

▼照れ、愁い、狂気。

どれも一流だったが、影をまとうほど輝きは増した。

「楢山節考」で背負われ、山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。

心では今も親子のままです」と語る


▼肝臓がんのことは、家族限りとしていた。

遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、玄米食で半年の長丁場を耐えた。

倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。

訪問医役の緒形さんには死を語る台詞(せりふ)も多い。

万感を込めたであろう仕事を結び、制作発表の5日後に逝った

▼あったかい味の書をたしなんだ。

絵手紙を交わした東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。

別の一葉には「牛はのろのろとあるく」


▼そんな墨跡の通り、武骨に、ゆっくりと大きく、役者道を全うした。

坂本さんの感慨に寄り添えば、演じた役のすべてが本物の緒形拳である。

最後はあの白髪で、優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった。






どうも虚空をにらんで死んだ緒形拳さんの話は臨終に立ち会うものとして,よく出来た話のように思う。

覚悟の死だったのだろうか。死ぬこととは人生の中での大変な出来事である。

癌の場合は苦しんでなくなってゆくのが多かったように思う。でも現在はターミナルケアが行き届いてきているので

このような死に方も有るのかなと思っている。







内外の株価は下げ続け、
日経平均は今週だけで24%落ち込んだ








平成20年10月11日の天声人語よりの引用


頭上にはきのうと同じ秋空が広がるのに、心は沈み、人知れず涙が伝う。

挫折をそんな風に引きずると、立て直す努力が遅れて逆境が強まりかねない。

経済を覆う空気にも似たところがあって、どこかで切り替えが要る

▼株をお持ちであれば、気の重い連休だろう。

内外の株価は下げ続け、日経平均は今週だけで24%落ち込んだ。

売りが売りを呼ぶ、弱気のらせん階段。

3日前に相場格言の「見切り千両」に触れたが、こうなってみれば、あそこで見切る勇気は「万両」に値した

▼ニューヨーク発の、冷たい鉄砲水が地球をひと回りするたび、世界経済の体温が下がる。

いやはや、グローバル時代の金融パニックは足が速い。

市場の動揺が厄介なのは、株や投資に縁のない者まで巻き込むことだ

▼トヨタ自動車の利益が円高で何千億円も飛ぶと聞けば、雇用や消費など、経済の本丸への波及を思わざるを得ない。

株安のあおりで大和生命が破綻(はたん)した。

上場している不動産投信が初めて行き詰まるなど、土地や建物絡みの不振も深刻だ

▼市場は、火元米国の政府に「切り替えの材料」を催促している。

ぬれ手で粟(あわ)の金もうけと、借金による消費ざんまい。

そのツケが海を越えて暮らしを脅かす。なんとも受け入れがたい現実ながら、米経済の危機は突き放すには重すぎる

▼古来、投資家たちは「朝の来ない夜はなし」「夜明け前が一番暗い」と己を励ましてきた。

この夜、どれほど続くか分からない。

連休の予報はおおむね高い空。

それなのに、家計のあすも解散の日程も霧の中である。






株が下がり円高になり昨日と何も職場では変化なくとも何千億円の損失は考えられない世界の出来事である。

株の値が上がったり下がったりして損得が出るのも変な世界である。

汗を流して働いて稼ぐのが労働と考えている者としてギャンブル 賭博のように思えて仕方がない出来事だ。








ひろしま美術館が所蔵する
ゴッホの「ドービニーの庭」を拝見した






平成20年10月12日の天声人語よりの引用


芸術の秋に、ひろしま美術館が所蔵するゴッホの「ドービニーの庭」を拝見した。

自殺する直前の作品だが暗さはない。

横長のカンバスに夏の庭が美しく広がっている。

だが、この絵には長く「謎」があった

▼まず、同じ題の付いた、ほぼ同じ絵が2枚ある。

その片方、スイスの美術館にある絵には庭を歩く黒猫が描かれている。

ところが広島の絵には猫がいない。

もともといなかったのか。

塗りつぶされたのか。

だとしたらなぜ――。

黒猫のゆえか、自殺の真相などとも絡んで論争になってきた

▼その猫が、絵の具の下から見つかったと、先ごろ報じられた。

X線で解析すると、スイスの絵と同じ位置に描かれた猫に、上塗りがされていたそうだ。

黒猫を不吉に思ったのか、ゴッホの死後に第三者が手を加えていたらしい

▼米国の作家ポーの小説「黒猫」を思い出す。

こちらは残酷にも、飼い主に、絵の具ならぬ壁の中に塗り込められてしまう。

そういえばポーもゴッホも、破滅型の人生を送った点で相通じている

▼ひろしま美術館は3年をかけて絵を調べ上げたそうだ。

ナチの時代に「退廃芸術」の烙印(らくいん)を押されたが、米国に逃れてきわどく助かったという。

そして、絵の具の下ながら黒猫も生き延びてきた

▼本物の横に、元の絵を再現したCGも展示されていた。

1世紀ぶりに姿を見せた黒猫は、長い尻尾(しっぽ)を引いて、澄ました足取りで芝生を横切っている。

1枚の絵に誕生と来し方がある

静かな秋の日、耳を傾ければ、どの絵もとっておきの物語を聞かせてくれることだろう。





芸術の秋で静かに絵画の前で時間を忘れることも悪くはない。思索するのも面白いことである。










異国の独房で、三浦和義氏の魂は
何を叫んだのか、いまは知るすべもない。







平成20年10月13日の天声人語よりの引用


本社のデータベースによれば米国の刑務所にいる郷隼人(ごう・はやと)氏の名が朝日歌壇に初めて出たのは12年前になる。

〈囚人のひとり飛び降り自殺せし夜に「Free as a Bird」ビートルズは唱(うた)う〉の一首が載った。

「Free……」は「鳥のように自由に」という意味だ

▼以来、氏は獄中で歌を詠み続けてきた。

悔恨や望郷とともに、異郷の房内の孤独が、その作品ににじむ。

魂の叫びとでも言うべき歌の数々を、歌壇の読者はご存じだろう

置かれた立場は違うのだが、やはり異国の独房で、三浦和義氏の魂は何を叫んだのか、いまは知るすべもない。

「闘い続ける」と周りに語りながら、長い拘束で追いつめられていたのか。

意外で、後味の悪すぎる結末である

▼「ロス疑惑」のうち、知人に妻を殴打させた殺人未遂事件では有罪になった。

あれやこれやで5千日以上、拘置所や刑務所にいたという。

過去の経験もあってか、映像では、2月の逮捕以降も落ち着いて見えた

▼そんな印象に、ロス市警は油断したのだろうか。

Tシャツで首をつったというが、監視がしっかりしていれば防げたはずだ。

精神状態の把握はどうだったのか。

米側の精査はむろんだが、日本政府も経緯の解明をうやむやに終わらせてはなるまい

▼「自殺は殺人の最悪の形」という箴言(しんげん)がある。

なぜなら「後悔の念を起こす機会を少しも残さないから」だという。

自らを消した後悔とは無縁に、主役は法廷を待たずに退場していった。

そして、悔やみきれない失態への責任が、ロス市警に重く残された。






不思議な出来事である。「ロス疑惑」でハワイで検挙されロス市警に移った途端に三浦和義氏が首吊り自殺して死んでいる。

密室の中での出来事で真相はわからない。大物弁護士が就いたと騒がれていたが弁護士のコメントは聞かない。

邪魔者は殺せということで自殺に見せかけた可能性は非常に考えられる。弁護士にとってアメリカにとってもお荷物だったのかもしれない。

そもそもあれだけ疑惑があったにも拘わらず日本の裁判で無罪が言い渡されていること自体が不可解である。

司法界も汚れた中で動いているように思える。日本で民間人の陪審員裁判制度は何故に導入されるようになったのはわからない。

司法を公正にするためだとしても,まずドロドロした中での司法界の改革が徹底的に浄化される必要である。

この一連の事件の経過を見ていても不思議なことばかりの出来事の連続である。








きのうの鳥取県議会で、
鳥取砂丘での落書きを
禁じる条例が成立した







平成20年10月15日の天声人語よりの引用


〈愛の言葉を波が奪い去るたび、僕は叫び、君は大笑い〉。

パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」が流行(はや)ったのは半世紀前だ。

甘い歌声に間奏の口笛。

耳の奥に旋律がよみがえる人もおられよう

▼愛の誓いも戯れも、砂に刻んだ文字は波がさらい、風が消し、二人だけの秘め事になる。

ところが、場所によってはそうそう甘いことも言っていられない。

「時が消す落書き」に、初の罰則である

▼きのうの鳥取県議会で、鳥取砂丘での落書きを禁じる条例が成立した。

「馬の背」と呼ばれる丘を足で削り、斜面に大きな字や絵を残す観光客が後を絶たないためだ。

来年4月から、囲んだ面積が10平方メートルを超える落書きに限り、「作者」に最高5万円の過料と原状回復を命じる

▼条例が砂丘観光に水を差す、という懸念もあった。

しかし6月以降、数メートル規模の落書きだけで200以上が見つかった。

「抑止力」(知事)を求めたくもなろう。

プールほどの広さにえぐった「LOVE」やハートマーク。

同じ愛でも、私信の「ラブレター」とは逆さまの目立ちたがりに見える

▼家族や団体の思い出づくりかもしれない。

観光用のラクダまでいる砂丘のこと、あるがままにと、きれい事も言うまい。

それでも景色を愛(め)でたい旅人にすれば、その日、その時を目に焼きつけるしかない。

砂丘だって一番いい「顔」を見せたいはずだ

▼自然が創(つく)り出す曲線の妙に比べ、大書された私信、いや私心の、いかに無粋なことか。

思い出を砂に刻むなら、足ではなく、せいぜい人さし指にとどめたい。





公のものは大切に扱うべきである。外国でも日本人が名前を記念の為に書き国際的な手配がされ犯人が見つかっている。

次に訪れる人のあることを考えればそんな馬鹿なことは出来ないはずだが。

寺院を訪れると氏名が書かれた古びた紙が柱や天井に貼られているのをよく見かける。

巡礼者の信仰の強さの証にも見えることがある。








海上自衛隊の特殊部隊で、
日頃の訓練がきつくて隊を離れる男性(25)が、
15人を次々と相手にする「格闘訓練」で亡くなった。







平成20年10月16日の天声人語よりの引用


上方落語の人間国宝、桂米朝さんが、デパートの食堂に通い詰める昔の芸人衆を『米朝よもやま噺(ばなし)』で描いている。

注文はといえば、お子様ランチ二つと酒5本。

この取り合わせ、なにやら据わりが悪く、並べて聞かされると説明が欲しくなる

▼「いろんなおかずがちょっとずつあるんで、飲みながら食べるのにまことに都合がいい。

仕上げのチキンライスまであるしね」と師匠の種明かしが続き、合点がいく仕掛けだ

▼どう説明されても、落ち着かない取り合わせに出くわした。

はなむけと死、である。

海上自衛隊の特殊部隊で、日頃の訓練がきつくて隊を離れる男性(25)が、15人を次々と相手にする「格闘訓練」で亡くなった。

海自側は「はなむけのつもりだった」と遺族に語ったそうだ


▼倒れても引き起こされ、ふらふらで殴られ続けたという。7月には、別の離隊者が16人と闘わされ、歯を折っていた。

異動前の集団暴行を訓練と呼び、見せしめを「はなむけ」と称しているかにみえる。

外部では通じない言葉遣いだ

▼日本海での不審船事件を教訓とした精鋭部隊である。

無法国家まで相手にするからには、一対一を含め、厳しい鍛錬は当然であろう。

その上で問いたい。

味方を死なせてどうする

▼はなむけの語源は、旅立つ者の安全を願い、馬の鼻を目的地に向ける所作とされる。

国防を担わんとする若者を仲間が冥土に送っては、この言葉が許してくれまい。

自殺の多さといい、組織が病んでいるのなら危うい。

軍と閉鎖体質。

こちらは古今東西、なじみの取り合わせだ。





最近相撲界でもみかけた私的なリンチ行為にしか思えない。一人が十五人を続けて相手するのは正気の沙汰ではない。

昔の軍隊で起こっていたリンチと全く同じことが現在の自衛隊で起きているのを知ると恐ろしいことだ。

昔の軍隊では当然のことのようだったが,:現在の自衛隊で行われているのは驚きである。

自衛隊も軍隊も同じような組織かと嘆きたくなる出来事である。

軍隊では内部の出来事は外に漏れないが自衛隊では外に漏れてくるのはまだ一つの救いなのかも知れない。








ハンセン病ほど、でたらめな偏見に
さらされてきた病気はない。






平成20年10月17日の天声人語よりの引用


ハンセン病ほど、でたらめな偏見にさらされてきた病気はない。

仏罰、血筋の汚れ、うつりやすい、不治……。

恥ずべき差別史は、社会や個々人の「成熟度」を問うてもいる。

国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の企画展「ちぎられた心を抱いて」を見て、胸に手をあてた

▼この病ゆえに、各地の療養所に強制収容された子どもたちの記録である(11月末まで)。

家族から引き離された心細さ、恐ろしげな白い予防着の職員。

震える心が、作文などに滲(にじ)んでいる

▼昭和初期、患者の強制隔離が国策となる。

各県は「根絶」を競い、少年少女も「すぐに親元に帰れるから」と連れてこられた。

所内の学校に通ううち、塀の中で一生を終える定めと知る。

いわれなき隔離は戦後も続いた

▼絶望の中の至福は面会だった。

少女の短文がある。

〈お母さんは、私を見ると「千砂」と言ったまま、お泣きになった。

私も声を出してわっと泣いた。

思って居た事を、言おうとするけれど泣きじゃくって、声が出なかった〉

▼離れていても愛されている、と確かめる術(すべ)が郵便だった。

千代子さんの、これは詩だろうか。

〈てすりにもたれている友/目かくししようと思って/そっと後(うしろ)にまわったら/手紙をもって泣いていた〉

▼かるた、ひな人形、運動会の写真。

閉ざされた四季が並んでいる。


宝物は、肉親と暮らした遠い記憶だったのだろう。

康子さんの詩の冒頭を記す。

〈思い出は/私の胸の小さな銀の箱にある/そんなものがあるってことも/中に何が入っているかも/誰も知らないの〉




ハンセン病で苦しめられた患者がいた。ハンセン病に尽くした人たちもいた。映画化された「小島の春」の小川正子女医で患者に献身的に

奉仕した人だったようである。医師になりたての時にその話を聞かされた亡き老医を思い出す。

熱っぽく聞かされたものである。昔の映画で見ていないが。本は読んだ。








麻生首相の口癖に触れていた







平成20年10月18日の天声人語よりの引用


本紙政治面で、麻生首相の口癖に触れていた。

〈きちんと〉〈基本的に〉で明快さを狙うも〈なんとなく〉〈なんてえの〉が水を差し、照れ隠しや逃げの印象が残る。

そんな見立てだった。

無くて七癖という。

「残り」を探してみた

▼まずは、例を一つ二つ挙げた後の〈等々〉だ。

本当は挙げた例がすべてかもしれないのに、あと三つぐらいある感じになる。

説得力の水増し、と勘ぐるのは意地が悪いか

▼お次は〈いかがなものか〉。

「よくない」を遠回しに言う表現だ。

〈等々〉と同じく、長い政治生活の中で官僚の口調が伝染したと見る。

役人言葉といえば、国会答弁で〈○○先生よくご存じのように〉も使う。

今時、これで矛先が鈍るセンセイは珍しいだろう

▼そして、弁舌の端々にのぞく「記憶自慢」である。

「決議は確か、現地時間の14日13時46分に出たと記憶しますが」などと、さりげなく挟む。

とっさに思い出した風ではあるが、直前に仕込んだ「自信満々の豆知識」にも思える

▼麻生節をクサイと感じる人もいよう。

それでも、言い回しに心根が透けるのは人間的で、悪くない。

時に能面のごとき福田、安倍両氏より、耳を傾ける気は起こる。

小泉氏の、ぶつ切り激情型とも違う味わいだ

▼その口がいずれ解散を宣言する。

総選挙は〈基本的には〉〈なんとなく〉11月後半の雲行きだが、その前に党首討論を聞いておきたい。

口癖全開で相まみえてほしい。

いやこの注文、出すべき相手は気がありそうな首相ではなく、小沢氏かもしれない。

〈政治ちゅうものは〉の。

麻生首相が解散の時期は私が決めるといっているが,常識的には解散総選挙して国民から付託さけた内閣でないと難局を乗り切ることが

出来ないと考えるのが普通の人の考える考え方だ。

支持率をなんとか上げようとしてもばら撒き政策をしても選挙の事前運動を公費で行っているようにしか思えない

高級ホテルの毎晩高級バーで政策を考えても庶民の気持ちを理解する気持ちにはなれないと思う。

誰と議論しているのか酔っ払っていて碌な考えは浮かばない。公邸にはまだ引越ししていないようだ。

総選挙後というが,その時には首相でない可能性は大いにあることだ。









ノーベル受賞にわいた秋に思う
好奇心はあらゆる可能性の卵







平成20年10月19日の天声人語よりの引用


日米開戦時の大統領だったルーズベルトの妻エレノアは、いまも敬意をもって語られるファーストレディーだ。

その彼女が生前「好奇心を擁護する」と題する一文を書いていたと、先頃のニューズウィーク誌(日本版)で知った

▼こんな一節があるそうだ。

「母親が妖精に『わが子に最も役に立つものを授けて』と願うとしたら、授けられるのは好奇心であるべきだと思う」。

天の贈り物を周囲がつぶしてはならない、というメッセージだろう

▼相通じる思いを、ノーベル化学賞を受ける下村脩(おさむ)さんが語っている。

「子どもたちにはどんどん興味をもったことをやらせてあげて。

やめさせたらだめです」。

大人の価値観の干渉を、クラゲの光を追い続けた学究は戒める

▼だが当節、好奇心は生息しづらくなっているようだ。

「本来みんな持っている好奇心が選択式テストの受験体制ですさんでいる」と、こちらはノーベル物理学賞の益川敏英さん。

「いまの親は教育熱心と言うより教育結果熱心」の指摘はなかなか厳しい

▼子どもの周囲に、かつてなく「べし」と「べからず」があふれている。

少なからぬ人の、それが実感ではないだろうか。

たとえば、勝ち組めざしてひた走る勉強は「べし」の象徴だろう。

そして、外で遊ぶ姿のあまりの少なさには「べからず」の極みを見る思いがする


▼一握りの天才のために教育があるわけではない。

とはいえ好奇心はあらゆる可能性の卵。

二つの言葉のはざまで窒息させてはもったいないと、わが平凡を棚に上げつつ、受賞にわいた秋に思う。





好奇心た゛けではノーベル賞はもらえない。ヒラメキと努力と運もそれに加わると思う。








葬儀などの際、
包んだお布施に釈然としなかった人は
1人や2人ではあるまい。







平成20年10月20日の天声人語よりの引用


去年の春に城山三郎さんが亡くなったとき、五木寛之さんが本紙に寄せた追悼文に、こんなくだりがあった。

〈(先に亡くなった)奥さんの葬式にきてくれた浄土真宗の僧侶が、リーズナブルな金額を申しでたうえに

、ちゃんと領収書をくれたことを感心して話されていた〉

▼そのときの城山さんの表情が五木さんは印象深かったそうだ。

ささやかな一コマだが、筋の通らぬことを嫌った故人らしい話だと思って読んだ

▼葬儀などの際、包んだお布施に釈然としなかった人は1人や2人ではあるまい。

数十万円、ときにはそれ以上が領収書もなく渡される。

いまどき政治の世界でもない話だ。


「相場」と言われる額の当否も外部には分かりづらい

▼不透明さが仏教界への不信を招いているのではないか。

憂える青年僧ら約20人が、東京で「寺ネット・サンガ」なる団体を旗揚げした。

お布施について、施主に十分説明し、使途も明示するなどして、信頼を得る道を探るそうだ

▼代表の中下大樹さん(33)によれば、近年、葬祭業者から仕事を回してもらった僧が、

謝礼にお布施の何割かを渡す「キックバック」も見られる。

そして戒名は金次第。

すべての寺ではないにせよ、あれやこれやの算盤(そろばん)が「葬式仏教」などと批判されて久しい

▼「宗教は死者を弔うばかりではなく、生者の心を救うもの」。

そう語る中下さんは、これまでにホスピスで多くの人を看取(みと)ってもきた。

青年僧たちは、受け取ったお布施を様々な社会貢献にも充てるという。

旧弊をゆさぶって吹く、新しい風になれ





僧侶の仕事だけでは生活が成り立たないので,教師などされている。中学時代の社会の先生はそのような方だった。

葬儀代を安くして欲しいという人は少ないのではなかろうか。遺族は悲しみに沈んでいる時だから金銭感覚か鈍化してしまっている。

お寺は地域の心の拠りどころで在ることが多い。








会計検査院が12道府県の経理を調べたら、
もれなく不正が見つかった
隠語の目的は「集団内部の秘密保持」だ








平成20年10月21日の天声人語よりの引用


昔の盗人たちは、お宝が眠る土蔵を娘にたとえた。

しっくいの白壁を白粉(おしろい)に見立てた発想である。

これを起点に、悪党の仲間内で色んな言い回しが生まれる。

楽に運び出せた蔵は安産、逆は難産で、戸締まり厳重だと「母親が厳しい」とぼやいた(渡辺友左『隠語の世界』)

▼同著によれば、隠語の目的は「集団内部の秘密保持」だ。

こそこそと語り継がれてきた言葉が、悪事と一緒にひょいと暴かれたりする。

それもたび重なると、隠語が隠語でなくなる時が訪れる

▼会計検査院が12道府県の経理を調べたら、もれなく不正が見つかった。

使い切れない何億円もの補助金を国に返納せず、文具の大量発注などを装って次年度に持ち越す手口が目立つ。

お金は架空発注先の業者にたまるので「預け」と呼ばれるそうだ


▼「預け」の言葉は、岐阜県や長崎県で裏金づくりが発覚した06年に紙面をにぎわせた。

この広がり、もはや隠語の域を脱し、役所の会計用語として定着した風でもある。

ほかに、県費で賄うべき出費に補助金を回す「はり付け」や、関係のない臨時職員の給料に充てた例もあった

▼自治体の台所は苦しいが、使い残し、すなわち余分である。

少なくとも、その事業のその年度には要らなかった。

不明朗な処理は横領や癒着を生むだけだ

▼話を土蔵破りに戻せば、公金の管理は「難産」を旨としたい。

苦労して引き出した財源なればこそ、立派な事業に育てる気にもなろう。

国も自治体も、蔵に収めた大枚はほかでもない、納税者の「預け」だと肝に銘じ直してほしい。




官庁などの公的機関は明朗な会計でありたい。政官業民の癒着が次から次に摘発されている時代こそ

会計はなおさらに明朗であるべきである。








有名人の持ち物と「名も無き名品」の類だ







平成20年10月22日の天声人語よりの引用


テレビの前で、お宝の値踏みに付き合うことがある。

名高い芸術家の作とされる品は、まだ分かりやすい。

本物なら目玉が飛び出し、偽物は二束三文で笑いを誘う。

ずっと難しいのが、有名人の持ち物と「名も無き名品」の類だ

▼前者は下着に至るまで侮れない。

この夏、英ビクトリア女王のブルマーが競売にかけられ、予想の9倍の4500ポンド(約80万円)で落札された。

大英帝国の栄華が薫る紋章入りで、胴回りも堂々の127センチ。

19世紀末、70代で着用した物らしい

▼怪しげな品も紛れる後者は、目利きの領分だ。

静岡県で今年、お寺などの仏像計30体が次々と消えた。

島田市で盗まれた千手観音像は室町後期の作。


近くの競売会で、素性を知らない京都の古物商が49万円で競り落とした

▼出品した男が捕まり、余罪を追及されている。

狙われたのは住職がいない寺というから、地域で守ってきたご本尊だろう。

めったに開帳されず、実物を知らないために通報が遅れた例もあった

▼今年、仏像の売買といえば、運慶作と伝わる「大日如来像」である。

個人蔵が米国で競売されたのは3月。

重文級の海外流出かと文化庁を慌てさせたが、結局、日本の宗教団体が1280万ドル(約13億円)で落とした


▼静岡の被害は、博物館よりお堂が似合う仏様だ。

檀家(だんか)衆はともかく、文化庁が「流失」に慌てることもない。

だが、信仰の対象には市場で決まらぬ値打ちがあろう。

毎朝、近所のおばあさんが手を合わせていたかもしれない。

「ブルマー」や「運慶作」とは違う、生きたお宝だ。




博物館へ良く出かける。パソコンが置かれており東京 奈良 京都博物館の三国立博物館の中で彫刻で国宝を検索してみると

京都の若王神社にあった薬師如来が検出される。大きくしたりして細部まで見ることが出来るようになっている。

奈良博物館の所蔵で,常時は展示されていないようだ。表紙画面を飾る仏像がそれである。

かなりの部分が欠けているものの何故国宝に指定されたのかはわからない。

最近九州博物館が出来たようだ。









きょうは節気の「霜降(そうこう)」にあたる







平成20年10月23日の天声人語よりの引用


赤組の先駆けがハナミズキなら、黄組はユリノキだろうか。

街路樹の色づきである。

住まい近くの「ユリの木公園」でも、金茶の葉を宿した木々が増えてきた。

ユリの木と書いてみて、カタカナ、ひらがな、漢字が並ぶ珍名に気づく

▼名前より不思議なのが、シャツのような葉の形だ。

半纏木(はんてんぼく)という別名の通り、職人さんが着るはんてんを思い浮かべてもらえばいい。

やっこ凧(だこ)や軍配にも似るオンリーワンの愉快な姿に、自然の妙技を見る

▼「葉(よう)画家」の群馬直美さんは、著書『街路樹・葉っぱの詩(うた)』で、秋風と遊ぶ迎賓館前のユリノキ並木をこう活写した。

〈ざざざー。シャララー。ぞぞぞー。

葉っぱたちが高い梢(こずえ)で手を振り、拍手しながら、いろんな陽(ひ)だまりの人たちを一所懸命に歓迎している〉

▼ユリノキは北米原産で、日本には明治初期に渡来した。

新宿御苑では樹齢130年を超す第一世代が、元気に葉を茂らせている。

どれも、幹回り3メートルはあろうか。


御苑のシンボルでもある巨木たちは、日本中のユリノキの母樹だという

▼中でも芝生の広場に寄せ植えされた3本は、根や枝が絡み合い、異形の生命体を思わせる。

どの入園者より長生きの三つ子。

見上げれば、迷彩柄の「シャツ」はまだちらほらだ。

突き抜ける空の下で、緑の大群が「慌てなさんな。

ざざざー」と手を振っていた

▼きょうは節気の「霜降(そうこう)」にあたる。

虫が黙り、北国からは初霜の便りが続く時期。

ひと雨、ひと風ごとに秋色は深みを増す。

赤組と黄組が抜きつ抜かれつ、山から里へと転げ落ちてくる。





ユリの木とはどんな樹なのか調べてみた。ユリノキはあまりなじみがない。街路樹にもなっているようだ。








大東京の真ん中でも
脳内出血の妊婦(36)が
八つの病院に受け入れを拒まれ、亡くなった。






平成20年10月24の天声人語よりの引用


まとめて産婦人科というが、産科と婦人科の空気はかなり違うらしい。

祝福と闘病、病院によっては二つが同居する。

禅僧から医師になった対本宗訓(つしもと・そうくん)さんが、臨床実習での体感を近著に記している。

「まさに生老病死が混在して、双方とまどいもあるのではないかと傍目(はため)に思うことがある」(『僧医として生きる』春秋社)

▼同じ苦しみでも、お産は「生」の営みだ。

ころが産科医不足のために、痛くもうれしいその瞬間が昔とは別の意味で「命がけ」になりつつある。

大東京の真ん中でも、と嘆息する

▼脳内出血の妊婦(36)が八つの病院に受け入れを拒まれ、亡くなった。

最初に断った都立病院は、妊婦に緊急対応できる施設に指定されている。

なのに産科医は定員に満たず、週末の当直は1人態勢だった

▼満床などを理由に拒否した他院も有名どころだ。

首都の夜、女性を守るべき駆け込み寺が、豪壮な門を閉ざして並ぶ図が浮かぶ。

寺の担い手が足りなくては話にならない。

医学生が産科を敬遠するのは、きつい勤務と訴訟リスクゆえと聞く。

ストレスの中では祝福も色あせよう

▼僧医の対本さんは「僧侶は広く『いのち』を説き、医師は個々の『命』を扱う。

どの生命も大きないのち、つまり縦横無尽のネットワークの中で生かされているのです」と語る。

「いのち」が表す支え合いの輪が、いま危ない

▼無事だという赤ちゃんは後年、生を賭した母に何を思うのか。

小さな命を送り出し、一つの命が消えた。

どちらの命も、救急医療体制の存在理由、いのちを問うている。






医の世界が診療費きりつめと,医療訴訟の増加で正常な医療が出来ないような時代になっている証拠である。

医者の人数が足りないといった物理的なことだけでは改善されないだろう。

根本的な問題がある。東京のど真ん中でこのようなことが起きるようだったならば

地方では当然出て当たり前である。実利や効率だけ求めすぎるのは医療の世界にはなじまない。

良質な医療を行うには国公立の病院やそれに準ずる病院は赤字は補填することと

安心して医療が行われるような環境をば作るべきである。

不採算部門の医療 危険な医療は避けるような情勢はこれから常時起きることだろう。

国民のためには良くないことで,政府としては小手先だけで解決しようとするのは無駄な話である。








麻生首相は料亭より高級ホテルを好み、
料理店からバーへのはしごが常と聞いた








平成20年10月25の天声人語よりの引用


「社交の酒」は薄味になる。

ふくよかなブルゴーニュも上物のスコッチも、会話を弾ませる小道具に退くからだ。

朝から飲み助のたわごとで恐縮だが、同じ金を払うなら、ボトルを抱えて家路を急ぎたい席も多い

▼作家の開高健が、「ひとりで部屋にたれこめて黄昏(たそがれ)に飲む酒」の悦楽を残している。

酒場通いをやめた頃だ。

「ツベコベいうやつもいず、チヤホヤいうやつもいず、壁にゆらめく自分の影と回想だけを相手にしてたわむれていると、

これくらい愉(たの)しいことはない」

▼政財界の酒はまず社交である。

夜ごと「ツベコベ」や「チヤホヤ」に囲まれる。

麻生首相は料亭より高級ホテルを好み、料理店からバーへのはしごが常と聞いた。

その日の疲れを高い酒で洗い、紫煙にこもる

▼それをもって庶民感覚をどうこう言う気はない。

吉田茂の孫にして、資産家の長男に生まれたことは責任の外だ。

有能なら、庶民派を気取るぼんくらより余程いい。


ただ「首相の夜」ともなれば、備えるべきことは多かろう

▼米国大統領が〈北朝鮮をテロ支援国から外す〉と電話してきた深夜、首相は出張先のホテルで酒席の中心にいた。

社交より外交の失態だろうが、常在戦場の戒めもある。

スーパー視察の一日をいつもの帝国ホテルで締めては、頭隠して尻隠さず。

番記者に金銭感覚を問われ、真顔で逆襲したのも軽かった

▼池田首相は在任中、大衆には縁遠かった芸者遊びとゴルフを断(た)った。

スタイルをお持ちの68歳に野暮(やぼ)は承知だが、たまには独り酒のグラスにご自分を映してみませんか





タカ派の坊ちゃん首相には何も望まない。無駄なことである。








この秋は、果物がなかなかの豊作と聞いた






平成20年10月26の天声人語よりの引用


負け惜しみに類するのだろうか、川柳だか俗言だかに〈賞味するほど初物に味はなし〉とある。

走りの食べ物は値段は張るけれど、まだ本当の味には遠いという意味だ。

とはいえ、やはり初ものはありがたく「食べれば75日寿命がのびる」などと尊ばれた

▼〈ご隠居の初物ごとにいとま乞(ごい)〉と、これは江戸の川柳にある。

折々の初ものを食べるたびに、「ああ、これでもう思い残すことはない」と、この世に「いとまごい」をする。

拝むような姿が浮かんで、おかしみが湧(わ)く

▼そんな季節感が食卓から薄れて久しいが、秋の実りは別格だ。

出始めの「走り」から、たけなわの「旬」、終わりが近づけば「名残」へと、順次繰り出す多彩な恵みに舌も胃袋も忙しい。

この秋は、果物がなかなかの豊作と聞いた

▼〈秋になると/果物はなにもかも忘れてしまつて/うつとりと実のつてゆくらしい〉。

これで全文の「果物」という詩は、今日が命日の八木重吉が残した。

秋という季節を美しくうたい上げた夭折(ようせつ)の詩人である

▼うっとり夢見つつ熟れていく果物を、もいで食べる。

清らかな詩を知ったあとは、当たり前の営みさえ何か罪の匂(にお)いがする。

ありがたさを忘れたら罰(ばち)が当たりそうだ。

詩句に導かれて、人は生かされているという思いに突き当たる

▼重吉の秋の名詩をもうひとつ。


〈この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美くしさに耐えかね/琴はしずかに鳴りいだすだろう〉(「素朴な琴」)。

季節をめぐらす天地自然への深い畏敬(いけい)が、澄んだ言葉にこもっている。





果物が豊富な秋である。店頭には色々な果実が並んでいる。

昔は全て日本産だが外国産のものに何か混入しているのかと不安感は取り除けない









当世、健康情報をめぐる関心はとみに高い







平成20年10月27の天声人語よりの引用


東京の古書街で手にした古い本に、ヘルマン・ブールハーフェの短い逸話があった。

300年ほど前、欧州に名をとどろかせたオランダの医学者だ。

没後に遺品の中から、しっかりと封印された一冊の私家本が出てきたそうだ

▼『医学の最も奥深い秘密』という題から、生命を保つ秘法が書いてあると思われた。

競売にかけられると、内容も分からないまま値がつり上がったという。

健康や寿命への、古来変わらぬ関心を物語る話だろう

▼当世、健康情報をめぐる関心はとみに高い。

あやしげな「秘法」は論外だが、「緑茶が糖尿病を阻止」といった専門家の調査や研究結果が紙面をにぎわす。

読まれる割合はかなり高いようだ

▼齢(よわい)五十を過ぎたわが目も、右のような記事には引き寄せられる。

緑茶は「1日7杯ほど」で効果が出るという。

だが最近は「肝臓がんにかかりにくくなる」と聞いてコーヒーを愛飲してきた。

ティータイムに二兎(にと)を追えば、腹の中はガボガボになる

▼先日は、高齢男性に限れば「少し太め」が長生きにはお勧め、と報じられた。

気を大きくした向きもあろうが、脂肪が多く筋肉が少なければリスクは高まる。

人の体は多面的だ。

自戒をこめて、一喜一憂、右往左往は疲れるばかりと心得たい

▼オランダ医師の話に戻れば、高値で落札された本は何と白紙だった。

ただ冒頭に「頭を冷やし、足を温かくして、体を窮屈にするな。

そうすればすべての医者をあざ笑える」と書いてあったそうだ。

嫌みな医者と見るか人間通と見るかは、人それぞれの判断である。






大新聞でもテレビ゛でもいんちきな民間療法が大きく宣伝されている。

血圧降下剤より下がる健康食品のデーターを見ていてこれなんとかならないものかと

それに類するようなことで一応電話で忠告していた時もあったがもうあきらめました。

健康を商売として儲けようとする根性がどうも気に入らない。

医者はなんのために存在しているのか。

肝臓がんにならないためにはお酒はほどほど一合程度 ビール一本 水割り一杯

食べ過ぎて絶対に肥満にならず,,よく散歩して何か運動は必ずすること,タバコは一切やめることである。

タバコは肺癌のもとなどあらゆる癌の原因に挙げられている。動脈硬化の心臓疾患 脳卒中の原因

誘因ともいわれているので絶対にやめることである。

昔書かれた「養生訓}の方が科学的である。








食を巡る不正や不始末にも、
土手の商いよしず張りの古着屋に
通じる気味悪さを覚える







平成20年10月28の天声人語よりの引用


夏を共にした半袖をしまいながら、古着の良さを思った。

安いだけではない。

前の持ち主の体温を洗い残したように、生地がこなれて柔らかい。

生産地や色柄から、ポケットに隠れた思い出を探るのも楽しい

▼お古が当たり前だった江戸の昔。

柳原、いまの秋葉原から浅草橋にかけての神田川土手には、よしず張りの古着屋が並んだ。

何を仕立て直したのやら分からぬ、怪しげな品もあったらしい。


〈ふんどしが頭巾(ずきん)に化ける柳原〉と古川柳にある。

温(ぬく)もりはあろうが、下帯のなれの果てと知ればかぶる人はいまい

▼食を巡る不正や不始末にも、土手の商いに通じる気味悪さを覚える。

強制捜査が進む汚染米。

その安さゆえ、ひどい古米が混じっていると身構えた取引先もあったという。

食用に化けたのは農薬やカビ入りで、お古どころかとんだ「ふんどし」だった

▼有害物質メラミンを加えた中国の乳製品は、ふんどしの切れ端を世界中にばらまいたも同じだ。

冷凍インゲンに忍び込んだ殺虫剤には、よくある「パンに針」と同種の悪意を見る

▼ここ数日も、ニュースの主役はピザ、カップめん、ウインナーと、頼みもしない日替わりメニュー。

メーカーや外食店の社長が頭を下げるたび、食欲の秋は遠のいてゆく

▼古着に染みた思い出にも似て、加工食品の来し方は見えにくい。

カゴに収める前に一拍おいて、袋の小穴や異臭を点検する人もいよう。

表示が信じられなければ、同じ品ばかりを買わず、万一の被害を最小にとどめるしかない。

「崩食」の世の、腹の立つ習いである。




戦時中の物のない時代に夜なべしながら母がほころんだ箇所を直して着ていたものである。

現在は何でも使い捨ての時代になってきている。

当然なことなのか贅沢なことかと思案する。








投資家は、金融危機という米国発のスリ団に
万札をやられた思いだろう






平成20年10月29の天声人語よりの引用


パリの地下鉄で少女のスリ団に囲まれたことがある。

動きに気づいて眼前の腕をねじ上げたら、100ユーロと50ユーロの札がはらり。

財布には10ユーロも何枚かあったのに、人の懐中で札を選んでいた。

その指技に絶句しながら、走り去る3人組を見送ったものだ

▼26年ぶりの安値に沈んだ日経平均が昨日、一瞬だが7千円を割った。

1年前、株価の6千円台、7千円台といえば「1万」を省いた言い方だった。

それが省く前から消えている。

投資家は、金融危機という米国発のスリ団に万札をやられた思いだろう。

連中、1日で世界を一周する足を持つからタチが悪い


▼地獄のふちをのぞいた株価は、首をすくめて上昇に転じた。

上げ幅はしかし、ここ4営業日の落ち込みに対して2割。

円高もあって相場の先は見えない。

連日の神経質な動きは、市場の震えか痙攣(けいれん)か

▼東証1部の時価総額から1年で約300兆円が飛んだ。

生産、雇用、消費。生の経済活動が被る傷も浅くは済むまい。


内外の自動車産業の苦境がすべてを物語る

▼株価が同じ水準にあった82年春、500円硬貨が発行された。

思えばこの年を挟む70〜80年代、株価は500円玉を毎年積み上げるように1万円を目ざした。

緩やかだが堅実な、そして懐かしい右肩上がりの時代である

▼ドイツの詩人シラーは「時の歩み」をこう詠じた。

〈未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている〉。

時は金なりと言うが、飛び去った金はいずれ、ためらいながら戻って来る……のだろうか。



投資家は金持ちだから損をしても食べるのには苦労しないのではないか。

何かおかしな世のなかになっているように思う。







米大統領が何をし、何をしないかで、
多くの人の生死までが左右される。
間違えると世界が迷惑する





平成20年10月30の天声人語よりの引用


物の本によると、米国の大統領には「正しい敬礼」がある。

〈右腕の肩からひじを体の45度前で地面に平行に保ち、人さし指の先を右の眉につける〉。

軍の最高司令官たる者、敬礼は常に返す立場にあり、間違っても先にしてはならない

軍隊経験がない民主党のオバマ候補は、今ごろ練習中だろうか。

なにしろ、審判まで1週間を切った大統領選で優位を固めた、と報じられている。

眼下の経済危機さえ追い風らしい。


有権者の関心が足元の暮らしに注がれ、共和党のマケイン候補は得意の外交論議を仕掛ける間がないとか

▼そして何より、現大統領の負の遺産だ。

9・11テロに始まる8年は、アフガンとイラクでの戦争、格差拡大を挟んで、歴史的な金融危機と大不況の予兆の中で終わる

▼巨額の戦費を投じたイラクでは、住民を含む数十万人が死んだ。

中に、米国の若者4千人がいる。

北朝鮮への対応も硬から軟へとぶれた。

米大統領が何をし、何をしないかで、多くの人の生死までが左右される。

それを思えば、選ぶ側の責任は重い。

間違えると世界が迷惑する

▼歴史学者らが投票する「偉大な米大統領」の常連は、リンカーン、ワシントン、F・ルーズベルトだという。

重荷を引き継ぎ、混迷の時に登場する第44代には、世界史的にも3人に割り込むほどの仕事が求められる

▼残念ながら、そこまでの自覚を持って投じられる票は少なかろう。

せめて選ばれる側は、時代と世界に責任を感じる人であれと願う。

敬礼の指の向こうに、星条旗だけでなく地球を見据えてほしい。





アメリカに世界が振り回されているのが現在の世界である。国連がもっとしっかりしないと駄目だ。

多くの世界中の人たちが大変な迷惑をこうむってる。

アメリカの人たちももちろんのことである。








お金の話に明け暮れた10月の言葉から






平成20年10月31の天声人語よりの引用


26年ぶりの株安と、いきなりの円高にきしむ秋。

景気に遠慮して解散は遠のき、お国の「埋蔵金」から総額2兆円があまねく配られるという。

巨富を持たない平穏と心細さを、天秤(てんびん)にかける。

お金の話に明け暮れた10月の言葉から

▼米国などの金融支援を一喝したのはブラジルのルラ大統領。

「アメリカの確実な経済とやらはどこへ行った。

利益を独り占めしていた国々が、金持ちの損失を社会主義的に分かち合おうなんて」

▼京大院に留学中のマコネン・アレマイヨさん(31)。

母国エチオピアからのドル建て送金が円高で目減りした。

「急に物価が高くなったように感じてしまう。


コーヒーを飲む回数を減らしたりして、ちょっと憂うつ」

▼参院審議でカップめんの値段を問われた麻生首相。

「最初に日清が出した時、えらい安いなあと思ったが、あの時何十円か。

いま400円くらいします?」。


そんなもの知らなくても首相は務まれど、格差対策に魂がこもるまい

▼福島市であった就職合同面接会。

「接客業に就きたいが、求人は前年の半分と聞いた。

本当に運が悪くて、泣きそう」と高3男子。

内定取り消しの大学生は怒りのやり場もなかろう

▼ノーベル経済学賞に決まった米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(55)。

「生きている間に、世界恐慌に類似する事態に直面するとは思ってもみなかった」

▼兆の字が躍る紙面を見るにつけ、身の丈に合った幸せを考える。

暗算で加減できる程度の身銭と、旬の味覚があればよし。〈算盤(そろばん)の玉のごとくに吊(つる)し柿〉高島征夫


証券会社の損失を税金でまかなうことに納得行かない。格差社会はなくなることはない。

大きくなれば世界恐慌になるとして税金で助けるのになっとくしない。

そのような全て競争原理で政策をすすめている政治こそが悪いのだから。倒れてもよいのではなかろうか。








聖武天皇に光明皇后と正倉院






現在では奈良国立博物館において正倉院展が行われている。

聖武天皇の遺愛の品々をその夫人の光明皇后により正倉院に収められた品々などである。

昭和20年より毎年 正倉院展が開催され,世界に一つしかない品物も展示されている。

正倉院は756年(天平勝宝8年)、光明皇后は、夫聖武天皇の七七忌に、天皇遺愛の品約650点と、約60種の薬物を

東大寺の廬舎那仏(大仏)に奉献した。

その後も光明皇后は3度にわたって、自身や聖武天皇ゆかりの品を大仏に奉献している。

これらの献納品については、現存する5種類の「献物帳」と呼ばれる文書に目録が記されている。

これらの宝物は正倉院に収められた。

正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)の3つに区分されている。

北倉にはおもに聖武天皇・光明皇后ゆかりの品が収められ、

中倉には東大寺の儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品などが収められている。

また、950年(天暦4年)、東大寺内にあった羂索院(けんさくいん)の双倉(ならびくら)が破損した際、

そこに収められていた物品が正倉院南倉に移されている。

南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用された物品なども納められていた。

ただし、1185年の後白河法皇による大仏再興時の開眼会に宝物の仏具類が用いられた。

そのほか、長い年月の間には、修理などのために宝物が倉から取り出されることがたびたびあり、返納の際に違う倉に戻されたものなどがあって、

宝物の所在場所はかなり移動している。

品物の区分は明治時代以降、近代的な文化財調査が行われるようになってから再整理されている。

次に聖武天皇は文武天皇の第一皇子として生まれ、7歳の時に父とは死別している。

母の宮子も心的障害に陥りその後は長く皇子に会う事はなかった

物心がついた天皇が病気が平癒した宮子と対面したのは天皇が37歳のときのことであった。

このため、文武天皇の母親である元明天皇(天智天皇皇女)が中継ぎの天皇として即位している。

和銅7年(714年)には首皇子の元服が行われて正式に立太子されるも

病弱であったことと皇親勢力と外戚である藤原氏との対立もあり、即位は先延ばしにされ文武天皇の妹である元正天皇が

「中継ぎの中継ぎ」として皇位を継ぐことになった。

24歳の時に元正天皇より皇位を譲られて即位することになる。

聖武天皇の治世の初期は皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当していた。

この当時、藤原氏は自家出身の光明子の立后を願っていた。

しかしながら皇后は夫の天皇亡き後に中継ぎの天皇として即位する可能性があるため

皇族しか立后されないのが当時の慣習であったことから、長屋王は光明子の立后に反対していた。

ところが天平元年(729年)に長屋王の変が起き長屋王は自殺、反対勢力がなくなったため光明子は非皇族として初めて立后された。

長屋王の変は長屋王を取り除き光明子を皇后にするために不比等の息子で光明子の兄弟である藤原四兄弟が仕組んだものといわれている。

しかし天平9年(737年)に疫病が流行して藤原四兄弟をはじめとして政府高官がつぎづと死亡するという惨事に見舞われ、

急遽長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整える。

更に天平12年(740年)には藤原広嗣の乱が起こっている。

藤原広嗣の乱の後、天平12年(740年)12月15日聖武天皇によって、平城京から恭仁宮に遷都された。

相楽が選ばれた理由として太政大臣・橘諸兄の本拠地であったことが指摘されている。

741年の9月に左京右京が定められ、宮殿が造られた。都としては完成しないまま743年の末にはこの京の造営は中止され

聖武天皇は紫香楽宮に移り、744年に難波京に遷都、さらに745年、都は再び平城京に戻された。

天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したため聖武天皇は仏教に深く帰依し、天平13年(741年)には国分寺建立の詔を、

天平16年(743年)には東大寺大仏の建立の詔を出している。

災いから脱却しようとしたものの官民の反発が強く、最終的に745年平城京に復帰された。

また藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は橘諸兄(光明皇后とは異父兄弟にあたる)が取り仕切っていた。

天平17年閏1月13日(744年3月7日)には安積親王が脚気のため急死した。

これには藤原仲麻呂による毒殺だという説がある。

天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)、娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲位(一説には自らを「三宝の奴」と称した天皇が独断で出家してしまい、

それを受けた朝廷が慌てて退位の手続を取ったともいわれる)。初の男性の太上天皇となる。

天平勝宝4年4月9日(752年5月30日)に東大寺大仏開眼供養を行う。

天平勝宝6年(754年)、唐僧鑑真来日し皇后や天皇と共に会ったが、同時期に長く病気を患っていた母の宮子と死別する。

天平勝宝8年(756年)に天武天皇の2世王・道祖王を皇太子にする遺言を残して崩御する。

光明皇后は聖武天皇の皇太子時代に結婚し、718年(養老2年)阿倍内親王を出産。

724年(神亀元年)夫の即位とともに後宮の位階である夫人号を得る。

727年(神亀4年)基王(もといおう)を生んだ。

728年(神亀5年)皇太子に立てられた基王が夭折したため後継を争って長屋王の変が起こるなど紛糾した。

長屋王の変後、729年(天平元年)皇后にするとの詔が発せられた。

これは王族以外から立后された初例である。

以後、藤原氏の子女が皇后になる先例となった。

娘である阿倍内親王の立太子、およびその後の孝謙天皇としての即位(749年(天平勝宝元年))後、

皇后宮職を紫微中台(しびちゅうだい)と改称し、甥の藤原仲麻呂を長官に任じてさまざまな施策を行った。

756年(天平勝宝8歳)夫の聖武太上天皇が亡くなる。

その2年後には皇太后号が贈られた。760年(天平宝字4年)逝去、佐保山東陵に葬られた。

光明皇后は仏教に篤く帰依し、東大寺、国分寺の設立を夫に進言したと伝えられる。

また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。

夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、その宝物を収めるために正倉院が創設された。

さらに、興福寺法華寺新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わった。

また、書をよくし、奈良時代の能書家として聖武天皇とともに有名であり、

作品には『楽毅論』(がっきろん)や『杜家立成雑書要略』(とけりっせいざっしょようりゃく)などがある。

光明皇后の和歌は「萬葉集」に4首とられている。      ヤマト王権は天皇家の先祖の大和朝廷の成立に関して書かれている。  

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