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随想
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「戦後教育による『侵略国家』の呪縛が、自衛隊の士気を低下させた」(3日の会見で前空幕長)
少し前まで、大東亜戦争の苦い経験から、戦後は「軍人は政治に関与せず」ということが国の鉄則だった。
軍人が政治にかかわり、戦争の惨禍を招いた反省に基づくものだ。
ところが、田母神氏は今や堂々と侵略を正当化し、「自分の国をいい国と言って何が悪い」と開き直る。
軍部が暴走し、実質的に統治権を握った戦前の日本の行為を正しいと言っている。
彼が言う「いい国」とは「軍国主義時代の日本」のことだ。
一言も反論できないようでは、北朝鮮と同じ」(3日の会見で前空幕長)
言論の自由も曲解している。
一般の公務員と同様に、自衛官は政治的行為を制限され、日本国憲法の順守義務を厳しく課せられている。
彼も入隊時、大きな声で宣誓したはずだ。
憲法改正を唱えるというのは誓約違反だ。
海上自衛隊での暴力事件も、田母神氏の事件と根は同じだ。
元々自衛隊の中では暴力は厳しく禁じられていたが、旧軍のあしき伝統がよみがえり、はびこり始めた」。 ー朝日新聞のインタネットよりの引用ー
田母神氏が自分が論文募集を隊員にすすめるならば1000人位の自衛隊員の論文が集まると発言されていることに大変驚いた。
密室内の自衛隊の内部をば垣間見る思いである。
自衛隊は国民を防衛するための自衛隊であってほしいものである。戦争には懲り懲りである。
懲りた人たちが少なくなってきており 若い勇ましい言論 行動が目立つようになってきている。
体験した戦争の悲惨さは何時までも後世に伝えたい。読むのと実体験とは違うようであるのか。
アメリカでのサブムライロ−ンに端を発した不景気が世界中に蔓延している。日本もその例外ではない。
次期アメリカ大統領オバマ氏が確定して閣僚が発表されだしているが経済回復のための布陣になるのかどうか。
現在の世界では景気回復が最大最優先の課題である。
年金テロと称される事件が発生している。被害者は前厚生行政に立ちあった幹部職員達の方及びその家族である。
犯人は事件発生後間もなくして自首し逮捕されている。背後関係があるのかどうかまだ判っていない。
個人的には子供の頃に飼い犬が殺され保健所が憎くて殺したとの話だが,これではあまりにも飛躍している。
戦争と同様に殺人は誰が考えても良くない事だ。死刑囚が殺されることに対しても,それはやはり殺人である。
人の命は大変尊いものである。どんな理由があろうとも人を殺すことは有ってはならない。
戦争はその極にあるもので,大量の殺人が;歴史上繰り返されている。世界的不況のためか中近東の戦争のニュースは少なくなってきている。
イラク アフガニスタン パキスタン イスラエル パレスチナでのニュースはあまり見なくなってきている。
だが突然にインド西部ムンバイのホテルで同時テロが起きている。
パキスタンのイスラム過激派が関与したと指摘されていることについて、パキスタンのクレシ外相は2日、国営テレビで演説し、
インド政府に対して事件の合同調査を提案、し担当者を派遣する準備があることを明らかにしている。
ムンバイは昔ポンペイと言われていよく知られていて我々はその方が親しみがある。ムンバイと言われてもわかり難い。
ポンペイのことである。
パキスタン政府はテロへの関与を繰り返し否定してクレシ外相はテロ行為をあらためて強く非難し、「両国は緊張緩和と建設的な関係構築に向けて努力すべきだ」と主張し
「情報交換のためにできるだけ早期に会合を開くことをインドに提案した」と述べている。
テロはイスラム過激派による外人特に米英人を対象に行われている。どうして米英人は何故憎まれるのであろうか。改め考える必要がある。
東南アジアではタイでも首相辞任を求め大規模な空港での座り込みデモが発生している。裁判所の判決で勝訴となりデモは解散された。
タイは大変熱心な仏教徒の国で穏かさを感ずる。
独善的なブッシュの時代は大変な波乱の時代であった。
これから世界の舵取りをどのようにして行くのか期待する所が多い。格調高い名演説を幾つか残しているオバマ氏に期待する所が大いにある。
「巨匠ピカソ」展が国立新美術館と
サントリー美術館で開かれている
平成20年11月1日の天声人語よりの引用
上半身裸のピカソの写真を見て、太く長いその生涯を重ねたことがある。
骨太の老体は多くの女性を愛し、平和を叫び通した。
90過ぎまで絵筆を離さず、今なお熱い数万の作品を残した
▼「私は自伝を書くように絵を描いている。
私の絵は、完成されていようがいまいが、日記のページのようなものだ」。
述懐の通り、自他の肖像やアトリエ風景は、一つ残らず人生の断面だろう。
それらに再会するため、成田空港ではなく、六本木に向かう
▼改修が進むパリの国立ピカソ美術館から230点を持ち込み、
「巨匠ピカソ」展が国立新美術館とサントリー美術館で開かれている(12月14日まで)。
分厚い日記を繰るように、作品は年代順に並んでいた
▼「青の時代」を代表する20歳の《自画像》。
以後70年をかけて弾(はじ)ける情念が、暗い目と膨れたマントに潜む。
《ドラ・マールの肖像》は肌が黄、髪は青、目は右が赤で左は緑。
50代半ばで知り合った若い女性写真家への好意は、陳腐な色では語れない
▼73年に「日記」を閉じた時、画家は膨大な作品群を手元に残していた。
相続税の代わりとして、フランス政府は「よりどりみどり」の権利を得る。
こうして生まれた美術館の、珠玉がいま東京にある
▼ピカソは、自身の創作遍歴を大河に重ねてもいる。
「根こそぎにされた木々や、死んだ犬、あらゆる種類のゴミ、それらが放つ邪気のすべてを引き連れて、私は流れ続ける」。
鑑賞後の疲れは、二つの会場を隔てる「徒歩5分」のせいではない。
どうやら、深い河と邪気の仕業らしい。
ピカソは偉大な天災画家だからか,さっぱり理解出来ない。曲がった目鼻の絵画がどうしてよいのか判らない。
作品の価格は大変な額で売買されているようだ。青の時代の作品は理解できる。長生きの人である。
航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が
「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」と
主張する論文を書いて更迭された
平成20年11月2日の天声人語よりの引用
「珍しく」と言うべきか、時代小説の藤沢周平に政治がらみのキナ臭い問題に触れた随筆がある。
先の戦争をめぐる教科書問題で騒然となったとき、
〈(蹂(じゅう)躙(りん)された)相手の立場に立ってみることを自虐的などというのは軽率な言い方である〉と、その歴史観の一端を述べている
▼そうした相手の立場はおろか、自らの立場も、日本政府の立場もおかまいなしの「突撃」には驚いた。
航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」と主張する論文を書いて更迭された
▼その名前に記憶のない方も、思い出すことがあろう。
4月に名古屋高裁が「空自のイラクでの活動は違憲」と判断したとき、記者会見で「そんなの関係ねえ」とやった人だ。
周囲から「猛将」と評されているらしい▼あれは失言だったのかも知れない。
だが今度は「思っていることを国民や国家のために書いた」そうだ。
民間の懸賞に応募し、最優秀に選ばれて公表された。
個人としての応募というが、肩書は衣服と違う。
都合良く脱いだり着たりできるはずもない
▼内容はアジア諸国への侵略などを謝罪した政府見解を否定するものだ。
この手の認識は国内では留飲を下げる者がいても、国境まで行けば力を失う。
その先へは広がらぬ独善にほかなるまい
▼加害の意識を欠き、事実に目をつむる内向きの論理は危険なものになりかねない。
冒頭の藤沢周平は、いつもの穏やかな筆致ながら、そう案じていた。
不祥事続きの自衛隊である。
後任は猛将より、知将が望ましい。
空軍のトップにそして自衛隊員の教育機関の校長していたとは驚きである。どんな隊員が育成されていたのか不安である。
まるで旧軍隊の精神が受け継がれてる。恐ろしいことである。よく発覚してよかった。
元安部首相の時に任命された人のようである。
18歳のドナルド・キーンさんは源氏物語に出会った
そのキーンさんに文化勲章が贈られる
平成20年11月3日の天声人語よりの引用
タイムズスクエアといえばニューヨークのど真ん中、隠れもない繁華街である。
騒々しい街の安売りの本屋で、18歳のドナルド・キーンさんは源氏物語に出会った。
日米開戦の前の年のことだ
▼日本人の書いたものを買っていいのか、迷ったそうだ。
だが、分厚い英訳本はめっぽう安かった。
釣られて買うと、宝がつまっていた。
引き込まれるように読むうちに、日本への目が開いていく。
そして戦後を、日本文学の研究一筋に歩んできた
▼そのキーンさんに文化勲章が贈られる。
86歳を迎えた今年は、折しも源氏物語の千年紀にあたる。
舞台の京都をこよなく愛した人でもある。
功績を讃(たた)えるのに、これほどふさわしい年はない
▼先駆者ゆえの幸運も、苦労もあったと聞く。
外国人の研究者は珍しく、有名な作家にほとんど会えた。
半面、いつまでも外国人扱いされた。
30年ほど前の小欄は「いつになったら私の仕事を、日本文学の“紹介”ではなく“研究”と言ってくれるのでしょう」という嘆きを載せている
▼反省をこめてだが、日本の文物に取り組む西洋人に、我々は「青い目の」などと枕詞(まくらことば)をつけがちだ。
キーンさんは10年ほど前にも、「日本語で講演しているのに、名刺をくれる人は必ず裏のローマ字表記の方を示す」とやんわり異議を申し立てている
▼大学時代に学んだ肝心なことは「読み、考え、なぜそれらが古典とされているかを自分で発見すること」だったと近著に書いた。
励まされる思いで「あの源氏物語」に挑む決意をするのもいい、きょう文化の日である。
どうも源氏物語は苦手である。人間関係の系図が複雑で全体像がわからない。雅の時代は戦いに明け暮れた時代よりもはるかに良い。
今年は何処へ行ったも源氏物語で盛り上がっているようだ。
健康悪化が伝えられる北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が
また「サッカーの試合を観戦した」らしい
平成20年11月4日の天声人語よりの引用
「ところでワトスン君」と名探偵シャーロック・ホームズならパイプをくゆらせるのだろうか。
「この写真から何が分かるかね?」。
些細(ささい)なことから真実を見通す、快刀乱麻を断つ推理に世界はあやかりたいところだ
▼健康悪化が伝えられる北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記がまた「サッカーの試合を観戦した」らしい。
公開された写真の真偽などをめぐって、韓国政府が分析を始めたそうだ。
例によって撮影の日時は不明だが、周りの景色は秋が深い
▼ホームズよろしく目をこらしてみたが、気づくことはない。
ただ、病気にしては以前より恰幅(かっぷく)が良いように思われる。
近影だとしても人は本物か? 韓国側も今のところ「事実の可能性がある」と見るにとどまる。
健康悪化説以来、真偽の定まらぬ写真の公開は2度目になる
▼諸国をめぐる巡行中に死んだ、秦の始皇帝の故事を思い出す。
変乱をおそれた随行の高官たちは、さも皇帝が生きているかのように振る舞い、旅を続けたそうだ
▼通過する町々では、ふだん通りに皇帝の車に食事が運ばれた。
遺体から臭気が漂いだすと、大量の魚を車に積んでまぎらわしたと、司馬遷の『史記』は伝える。
死を秘したのは、後継問題もからんでのことだった
▼現代の「皇帝」はベールの向こうで、憶測の乱舞を楽しんででもいるのだろうか。
いま一度写真を見れば、木々は末枯(うらが)れて、すでに晩秋を告げている。
食糧も燃料もとぼしく飢えにおびえる民衆に、間もなく凍(い)てつくような冬が訪れる。
独裁国家のこの過酷さは、憶測ではなく、現実である。
北朝鮮の金正日がこれた゜け話題性に富む人物になったのは,日本の植民地支配につづく戦後の米ソの対立にり出来たものである。
金正日の独裁体制が悪いだけでは済ますことが出来ない部分がある。
朝鮮は一つの民族が戦争の為に二つに分断されている。なんとか一つの国になるように国際的に協力しつつ努力することが大切である。
日本の戦前の天皇を手本としているのが金正日である。日本の大日本帝国の時は完全なる独裁国家である。
そのことを忘れていないのかと問い返してみたい。天皇制は形は変わっても現在も続いている。
患者と医師の会話は多くの場合、不安の中ではじまる
平成20年11月5日の天声人語よりの引用
がん闘病を体験したエッセイスト岸本葉子さんによれば、医師の説明を聞くときはペンと紙が大切らしい。
聞きながらメモをとっていく。
難しい専門用語が分からないときは、ペンを持つ手が止まる
▼止まることで、言葉が理解できていないと自分で分かる。
医師も気づく。
だから聞き直せるし、医師の方から丁寧にかみ砕いてくれることもあるそうだ。
先ごろ東京であった「あたたかい医療と言葉の力」というシンポジウムでお聞きした
▼患者と医師の会話は多くの場合、不安の中ではじまる。
緊張もある。「白衣高血圧」と言って、白衣を見るだけで血圧の上がる人もいる。
そのうえ弱る気持ちを抱えていれば、メモを心がけたにしても、難語の理解は楽ではない
▼そうした言葉の壁を低くできないかと、平易に言い換える取り組みが進んでいる。
国立国語研究所の委員会が、まず57語についてまとめた。
「浸潤」は「がんがまわりに広がること」、「寛解」は「症状が落ち着いて安定した状態」など例が並ぶ
▼カタカナ語も多い。
それらを読んで、わが無知と誤解もずいぶん正された。
そして「願わくば」と思った。
分かりやすくなった言葉が、医師の心の温かみを乗せていてほしいものだ
▼亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんは「病に対する最大の処方は希望である」という言葉が好きだった。
医療現場の多忙は知りつつ、胸にたたんでほしい至言と思う。
温かみに裏打ちされたとき、医師の言葉は「わかりやすさ」を超えて、患者をささえる「力」となるのに違いない。
普段に医師が使う言葉で患者には理解が出来ない部分もあるとと思う。
対する医師は重たい存在でなかなかに問いただすことが出来ない部分もある。
重症になるほどに患者の不安はつのるばかりで,質問もあまり執拗に出来ないこともあることだろう。
わかりやすく丁寧に説明するのが医師の一番の義務であることは当然である。
でも普段常識と考えている言葉が,患者にとって理解できないこともあるだろう。
最近は逆にインタ-ネットなどで調べたり,健康関係のテレビで見て質問される場合は
専門的なことになると調べなおさないと正確な解答が出来ない部分がでてくる。
セカンドオピニオン制度が普及しているので疑問と考えられることは
大いに他の医師に専門的なことを質問されて判断されることが大切だ。
医師は絶対的でオールマイティの存在ではないことは言えるのではなかろうか。
かの地の選挙が「民主主義の祭り」と呼ばれるゆえんでもある
その祭りに勝ち、オバマ氏は大統領になる
平成20年11月6日の天声人語よりの引用
それは、きょうの日を予言した熱狂だったように、いまになれば思われる。
無名だったオバマ氏が4年前、一躍全米に名を広めた演説のことだ。
民主党全国大会での鮮やかな雄弁を、取材で会場にいて聞いた
▼クリントン夫妻や、その年の大統領候補ケリー上院議員……。
きら星が光る会場の空気は「オバマって誰?」だった。
だが登壇し、話を始めると、大聴衆は私語をやめ、たちまち吸い込まれた。
きら星もかすむ歓声と拍手が、「祖国アメリカ」を語る言葉に湧(わ)いた
▼米国の民衆は政治家に言葉を求め、言葉を楽しむ。
心に響く言葉によって連帯感を強め、将来を確かめ合う光景は、日本の政治風景とだいぶ違う。
かの地の選挙が「民主主義の祭り」と呼ばれるゆえんでもある
▼その祭りに勝ち、オバマ氏は大統領になる。
4年を経た勝利演説でも聴衆を魅了していた。
「民主主義を疑っている人がいるなら、今夜がその答えだ」。
初の黒人大統領になる自らを、建国以来の理念に重ねた
▼無名かつ無銘から登りつめた勝利の言葉は、それゆえに重い。
人を勇気づけもする。
ひるがえって、世襲議員の首相が続く日本とは、残念ながらだいぶ違う。
選挙は将来への賭けだという。
米国民は「変革」のサイを投げた。
こちらは賭ける機会も見通せぬまま閉塞(へいそく)感が募るばかりだ
▼「真に偉大な大統領になりたい。
情けない大統領ならいくらでもいるから」と、氏はかつて語っていた。
きょうの興奮がさめていけば、後には厳しい現実が控えている。
言葉の真価は、これから問われる。
ブケッシュの時代は暗黒の世界で多分にその影響は次期大統領にも尾を引いてゆくと思う。
アメリカの世界に対する影響は絶大である。
現在の世界的不況もアメリカ発である。深刻な不況は長くつづくようだ。
どのようにオバマ氏が解決されるかは期待する所が代である。
手仕事とは心の仕事にほかならないと、名高い目利きは唱えている
平成20年11月7日の天声人語よりの引用
東京にある日本民藝(みんげい)館をつくった柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、
身の回りで使われている陶器や木工品など、日常の道具に美しさを見いだした人だ。
それら民衆工芸の美しさは、人の手で作られるからこそだと『手仕事の日本』(岩波文庫)に書いている
▼手が機械と違うのは、心とつながっているからだと柳は言う。
〈手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて……働きに悦(よろこ)びを与えたり、また道徳を守らせたりする〉。
手仕事とは心の仕事にほかならないと、名高い目利きは唱えている
▼その「手と心」の関係について、米国から愉快なニュースが届いた。
手が温まっている人は、冷えている人に比べて、他人に対して優しくなるそうだ。
大学の研究グループが実験結果を発表した
▼たとえばホットコーヒーのカップを持った人は、アイスの人より他人を好意的に評価する傾向が見られたという。
温湿布と冷湿布でも似た傾向が現れた。
やはり手の奥には心が控えているのか。
手のぬくもりは無意識のうちに心に結びつくらしい
▼北からは雪の便りが届いて、きょうは立冬。
季節の巡りは順調らしく、近所の雑木林は緑がだいぶ色あせた。
通り雨がぱらぱらと枯れ葉を鳴らすような日には、温かいカップを両手でそっと包むのが「心」にはいいようである
▼〈「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ〉という歌が俵万智さんにあった。
白い息に手をこすり合わせる2人が浮かぶ。
「寒いね」の会話もいま、北から南へと、急ぎ足で列島を下っているのに違いない。
手のぬくもりは心のぬくもりでもある。自省することは沢山ある。こちらが良いと考えることが相手にとっては迷惑なこともある。
なかなか心と手とはつながらない。心のゆとりがなければなかなかに出来ないことと,,
「手が温まっている人は、冷えている人に比べて、他人に対して優しくなるそうだ」これは手がいつも冷たい人間にとって重大なことだ。
交感神経が緊張傾向の人は冷たい手をするといわれているので科学的には当てはまらないと考える。
手とは心のぬくもりだと思う。冷たい手でもつて人を困らせる人の手も暖かい手をしていることがある。
極めて冷たい手(手段)をつかう要領の良い人間が多い世のなかでそのような人には
できるだけ用心した方が良い。
そのブッシュ氏が、オバマ氏勝利の
立役者との見方がもっぱらだ。
平成20年11月8日の天声人語よりの引用
就職を望む人が、履歴書を書いて先方に送るのは日本もアメリカも変わらない。
だが違うこともある。
米国ではふつう、顔写真を張る必要はない。
肌の色などによる書類審査の差別を防ぐためだ
▼それで差別はなくなったのかと、シカゴ大学の教授らが数年前に「実験」をした。
求人広告を出したいくつかの企業に、目的を伏せて3700通の架空の履歴書を送った。
返事が戻ると、案じた通りだった
▼白人に多いとされる名前(たとえばエミリー)で送った履歴書には面接の通知が多かった。
黒人につけられがちな名前(たとえばラトーヤ)には少なかった。
1.5倍の差がついたそうだ。
平等をうたう奥に、なお根強い差別がひそむ一例だろう
▼自ら勝ち取った法や制度の平等は、皮肉なことに黒人を追いつめてもきた。
「それでも貧しいのは努力が足りないからだ」。
責任を個々の黒人に帰する風潮を米社会は強めてきた。
そして、貧富の格差はブッシュ政権で極まる
▼そのブッシュ氏が、オバマ氏勝利の立役者との見方がもっぱらだ。
これまでは低かった黒人の投票率が、今回は跳ね上がったそうだ。
「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」。
そんな警句をきっと、多くの人に思い起こさせたに違いない
▼歴史的な勝利にどれだけの涙が流れただろうと、本紙記者は黒人の喜びを伝えていた。
号泣した人もいる。
これを機に本当の平等が加速していくなら、不人気きわまるブッシュ氏の、数少ない功績の一つとして歴史に残るかもしれない。
よくもこのような戦争好きのブッシュがアメリカ大統領がよく勤められたものかとおもう。
ブッシュは真珠湾攻撃から67年目に真珠湾の五箇所 アラカスカ州アリュウシャン列島のアツッ島キスカ島
カリフォルニア州の計3箇所を国定史跡にしようとしているようである。
第二次大戦があったのはブッシュが生まれる以前の話である。
日本には国定史跡する場所は山ほどあることとなる。
世界中の都市では数え切れない位にあるのではないだろうか。
杉原千畝(ちうね)が彼らに大量の日本通過ビザを発給し、
6千人の命を救った話はよく知られる
平成20年11月9日の天声人語よりの引用
「黄金の三角」といえば、インドシナ半島の麻薬密造地帯をさす。
ことほど左様に、美しい言葉が美しい事物を表すとは限らない。
字句の美しさゆえに、現実の醜さが際立つこともある
▼1938年の晩秋、ドイツ全土でユダヤ人街が襲われ、多くの死傷者が出た。
路上に砕け積もったガラスのきらめきから「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」の名で現代史に刻まれる。
ナチスが扇動した事件から、今夜で丸70年になる
▼以後、ユダヤ人迫害は強制収容へと加速していく。
ドイツが侵攻したポーランドのユダヤ人350万人の一部は北に逃れ、40年の夏、リトアニアに達した。
赴任中の外交官、杉原千畝(ちうね)が彼らに大量の日本通過ビザを発給し、6千人の命を救った話はよく知られる
▼妻の幸子(ゆきこ)さんは、領事館に押し寄せた難民に驚く長男とのやりとりを、自著に残した。
「あの人たち何しにきたの?」「悪い人に捕まって殺されるので助けてくださいって言ってきたのよ」「パパが助けてあげるの?」。
一瞬、言葉に詰まり「そうですよ」
▼リトアニアはソ連に併合され、領事館は閉鎖を迫られていた。
千畝は撤収までのひと月、東京の命に背いて手書きのビザを出し続ける。
痛くて動かない腕を幸子さんがもんでいるうち、眠りこける日々だったという
▼86年に他界した千畝。
愛妻家としては、天国での単身もそろそろ限界だったに違いない。
先月、幸子さんが94歳で召された。
お別れの会がきょう、東京の青山葬儀所である。
その勇気と、あの狂気に、思いを致す一日としたい。
杉原千畝はあの時代によく実行されたと思う。
当時の状況を考えると良心の他に大変な勇気が必要な行為であったに違いない。
親を世話する子による虐待の悲劇が後を絶たない
きょうは「介護の日」だそうだ
平成20年11月11日の天声人語よりの引用
芭蕉門下の俳人だった越智越人(おち・えつじん)に〈行年(ゆくとし)や親にしらがをかくしけり〉がある。
わが子の髪に白いものが交じってきたと気づいたら、親は心細さに駆られよう。
だから隠す。
篤実な親思いの句と見たが、違っているだろうか
▼誰が言ったか、「父母存するうちは老いを称せず」という教えも記憶する。
親が生きているうちは、自分が老いたとは口にしない。
古風な孝行の心構えだろう。
だが昨今は、親を世話する子による虐待の悲劇が後を絶たない
▼厚生労働省によれば、昨年度に家庭内で起きた高齢者の虐待は1万3千件を超えていた。
被害者の7割は介護の必要な人だった。
加害者の4割強は息子で、今回も一番多い。
衣食住の心得が乏しいからか、どうしても男はストレスをためやすいようだ
▼親の寿命が延びれば、子も老いの坂にかかりだす。
白髪を隠し、弱気を封じての親孝行は、長持ちはすまい。
同居する独身の子による「シングル介護」も増えていると聞く。
身内の「頑張り」に多くを担わせる介護は、もろくて壊れやすい
▼きょうは「介護の日」だそうだ。
日付の11の重なりを、厚労省が「いい日、いい日」と語呂合わせした。
センスはともかく、大臣は母親の介護を体験した舛添氏だ。
支え合いを進める力になる、実のある一日に期待したい
▼60歳代の半ばから母と夫を同時に介護した歌人の斎藤史(ふみ)は、ぎりぎりの思いを数々の歌に託した。
〈起き出(い)でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の恥を流せよ〉。
介護に疲れた人を、孤立感という荒野に迷わせてはならない。
昔は舅や姑に子供も嫁も仕えたものであった。年配者が敬われた時代が,戦後に逆になった。
だから舅や姑に仕えていた世代の人たちが戦後は息子 嫁にに遠慮し虐待まで受けるようになってきている。
欧米文化の典型的な輸入と高齢化によって起きている。此処にも昔からの良い習慣が廃れていっている一つでもある。
介護制度も医療福祉政策の切り詰めによりゆとりある医療福祉が出来なくなってきている。
安心のある社会福祉制度を確立すべきである。他の切り詰めることの出きる所は昔のまま放置されている。
軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、
民主国家の原則とされる
平成20年11月12日の天声人語よりの引用
雷が落ちたかのように驚いたと、去年亡くなった宮沢喜一元首相は回想している。
日本の占領時代、帝王のように君臨していたマッカーサー元帥が、トルーマン大統領に解任されたときの話だ
▼朝鮮戦争をめぐっての、米政府の政策を顧みない言動が、解任の理由だった。
帝王より偉い人物がいることに日本人は驚く。
「シビリアン・コントロール(文民統制)とはこういうものか」と若き宮沢は目を開かれる思いだったらしい
▼軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、民主国家の原則とされる。
それを軽んじる、横着な空気が自衛隊にあるのではないか。
航空自衛隊トップの「論文問題」に、封印したはずの「戦前の臭(にお)い」を嗅(か)いだ人は少なくなかっただろう
▼その前航空幕僚長への参考人質疑が国会であった。
先の戦争についての、政府見解に反する論文への反省は聞かれなかった。
「武器を堂々と使用したいのが本音か」の問いには、「そうすべきだと思う」。
あれこれ答弁を聞けば、5万の隊員を束ねる人として、不適切と見るほかない
▼昭和の旧軍は、「政治に拘(かかわ)らず」の軍人勅諭に背いて横車を押しまくった。
ついには政治をほしいままにして戦争に突き進んだ。
時代が戻るとは思わないが、武装集団に妙な政治色が透けるようでは国民は不安になる
▼ところで今日は、戦争犯罪を裁いた東京裁判の刑の宣告から60年になる。
文官では元首相の広田弘毅ひとりが極刑になった。
軍に抗しきれなかったとされる宰相の悲運は、文民統制なき時代の暗部を伝えてもいる。
大変な事が密室内で行われて来ている。国民の為の自衛隊であるべきだ。
お金がほしいのはやまやまだが、
目先のバラマキより本当の安心がほしい
選挙目当ても見え透いている
平成20年11月13日の天声人語よりの引用
政治が思い描く人間像は、古くから、あまり美しいものではないと相場が決まっているそうだ。
だから近代の政治学はおおむね「人間性悪説」の上に築かれてきたのだという
▼たとえばイタリアの政治思想家マキャベリは民衆について、
「利益を与えれば味方をするが、いざ犠牲を捧(ささ)げる段になると、
たちまち尻をまくって逃げ出す」と辛辣(しんらつ)に述べている。
そうしたことを昔、政治学者丸山真男の著書に教わった
▼だが、本紙世論調査の結果は、マキャベリ先生の人間観と少々違ったようだ。
定額給付金を「不要な政策」と思う人は63%に上っていた。
逆に、消費税引き上げの考えを表明した首相を評価する人は、しない人をわずかだが上回った
▼お金がほしいのはやまやまだが、目先のバラマキより本当の安心がほしい。
そんな民意を数字に見るのは早計だろうか。
選挙目当ても見え透いている。
〈全員に配れば買収にはならぬ〉と朝日川柳にあった。
「座布団一枚!」の声が掛かりそうである
▼それにしても政府の迷走ぶりには目を覆う。
難題だった所得制限は結局、窓口になる市町村の判断に丸投げをした。
カネは出すから「良きに計らえ」とは、責任逃れもはなはだしい。
政治の貧困、ここに極まった光景だ
▼英国の哲学者で、政治家でもあったベーコンは〈金銭は肥料のようなもので、
ばらまかなければ役に立たない〉と国を治める勘所を語った。
だが今回、その肥料から何が育つのだろう。
2兆円もの巨額である。
何も生えない愚策では、ベーコン先生に顔向けできない。
定額給付金は明らかな選挙前の自民党の為にと考えられたバラマキ政策である。
国民から負託された公権力の運用に、厳しい目が注がれ、
批判が起きるのは健全なことだ。
平成20年11月14日の天声人語よりの引用
米国の独立宣言を起草した第3代大統領ジェファーソンは「言論の自由」の何たるかを知っていた。
「私は新聞なき政府より、政府なき新聞を選ぶ」と述べていて、わが業界はよくこの言葉を援用する
▼だが、のちに新聞嫌いになったらしい。
こちらはあまり引用されないが、「新聞を読まない人は、読む人よりも真実に近い」などと言っている。
在職中に色々書かれて腹を立てたのかもしれない
▼トヨタ自動車相談役の奥田碩(ひろし)氏も、腹を立てたそうだ。
自分のことでではない。
「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、「厚労省たたきは異常」「マスコミに報復でもしてやろうか」などと発言した。
報復とはスポンサーから降りることらしい
▼国民から負託された公権力の運用に、厳しい目が注がれ、批判が起きるのは健全なことだ。
メディアはそれを担っている。
役目を知らぬ奥田氏ではあるまいに、一体どうしたことか
▼ことにテレビにご立腹だ。
率直な物言いで知られるにしても、「2、3人のやつが出てきて、わんわん毎日やっている」とは荒っぽい。
年金不祥事を受けて発足した懇談会の座長でもある。
政財界への影響力の大きい人が、自由な批判を牽制(けんせい)するような発言は、いただけない
▼ジェファーソンに話を戻せば、メディアが大統領に嫌われたのは、役目を果たした証しかもしれない。
ただし事実に裏付けられた報道なら、という前提がつく。
批判には責任が伴う。
報じる側にも反省点はあるだろうが、それでも自由な言論は、社会にとってかけがえがない。
自由な言論は社会の健全化にとって必要なものである。ネットでの言論も叉同様に社会的に自由が保障されて良いものだ。
言論の封殺は独裁への道で昔の民主化されない時代の日本を想像する。
無謀な権力の行使に対しては大いに言論で抗議するとともにデモも出来るのが民主主義社会である。
ただ言葉の壁が国ごとの壁となって残念なことである。
ネットの世界は世界中の人々が平等に見ることが出来るが言葉が壁になって何が書いてあるのかわからないことがある。
翻訳ソフトが出来るか自動的に読みたい言葉で読めるようになれば素晴らしいことである。
動画は見るだけだから世界に通ずる手段でもある。
世界の哺乳類(ほにゅうるい)の4分の1が、
主に人間活動の影響で絶滅の危機にあるのだという。
平成20年11月15日の天声人語よりの引用
まど・みちおさんの紡ぐ詩は穏やかに、読む者の胸に広がっていく。
明日99歳の白寿を迎えるその詩人に、「虹」という一作がある。
地球に君臨する人間への、平易だが、きびしい言葉が連なっている
▼〈ほんとうは/こんな 汚れた空に/出て下さるはずなど ないのだった/
もしも ここに/汚した ちょうほんにんの/人間だけしか住んでいないのだったら〉。
そして続く
▼〈でも ここには/何も知らない ほかの生き物たちが/なんちょう なんおく 暮している/
どうして こんなに汚れたのだろうと/いぶかしげに/自分たちの空を 見あげながら〉。
無辜(むこ)の生き物を慰めるために、虹は空にかかる――詩を思い出しながら、国際自然保護連合の新しい報告を読んだ
▼世界の哺乳類(ほにゅうるい)の4分の1が、主に人間活動の影響で絶滅の危機にあるのだという。
危機は1141種に忍び寄り、うち188種は絶滅寸前、29種はもう手遅れの状態らしい。
環境は悪化し、生息地は消えて、動物たちを追いつめている
▼そうした中で、哺乳類の一種、人間は増え続けている。
国連人口基金の新しい報告では67億人。
2050年には91億人を超えるという。
地面も空気も、水も緑も、1人分の「地球」は少なくなる一方だ。
無論それらは、他の生き物との共有財産である
▼まどさんが思いを託した虹は、空の片方が晴れて、もう片方で雨が降るとき現れる。
夏の風物詩だが、晩秋から初冬にも「時雨(しぐれ)虹」が時折かかる。
淡い日差しゆえに消えやすい様が、滅びゆくものの姿に重なり合う。
人間が地球上に現れてからは他の地球上の生物に迷惑をかけていることは間違いない。誰にでも同じ権利が有って良いのだが。
少なくとも人間同士で他を侵害しないようにすべきだ。
ミッキーマウスがあさって、80歳になる
平成20年11月16日の天声人語よりの引用
「すべては一匹のネズミから始まった。それを忘れてはいけない」。
スタジオの成功を振り返る時、ウォルト・ディズニーは語っていたそうだ。
ミッキーマウスがあさって、80歳になる
▼1928年11月18日の日曜日、音声つきアニメの先駆け『蒸気船ウィリー』がニューヨークで公開された。
主人公のミッキーが大衆の前に最初に登場した作品だ。
映画は大当たりし、希代のキャラクタービジネスが動き出す
▼ミッキーは程なく、この動物の「世界標準」に上り詰めた。
本物のネズミを初めて見た子は、意外に小さな耳、短い手足に戸惑うことだろう。
もっぱら闇の中で終わるネズミの一生は3年ほど。
片やディズニーの人気者は脚光の中に80年。
親近感には大きな差がついた
▼だが、己の姿を次代に伝える力は「本物」の方も侮れない。
日本の研究チームが、16年凍結していたマウスの死体から、同じ遺伝情報を持つクローンマウスを作った。
凍って壊れた細胞から核を無傷で取り出し、生きたマウスの卵子に移したという
▼ネズミ死すとも細胞の記憶は死せず。
これを手がかりにマンモスなどの絶滅動物を復活させる夢が膨らむ。
「複製」に厳しいキャラクター商売と違い、試験管が並ぶスタジオからは、まだまだ何が飛び出すか分からない
▼ディズニーの独創性をもしのぐ勢いで、架空と現実の境界がぼやけていく。
神の領域に迫る生命工学の歩幅に、軽い胸騒ぎを覚えぬでもない。
子年(ねどし)が次に巡り来る頃、21世紀の「一匹から始まる物語」はどんな場面を迎えているだろう
子供の頃ミッキーマウスはアイドルだった。アメリカのアイドルだけでなく世界のアイドルだった。
もう80年にもなろうとしているが,ミッキーマウスは年をとらず世界中で今も愛されている。
ワシントンの金融サミット
外の資金を誘い続けるには、
自由放任の市場とドルの威信は譲れない
平成20年11月17日の天声人語よりの引用
異国船が出没し、大地震や大火が続いた幕末の江戸。
世情騒然とする中、盛んに「鯰絵(なまずえ)」が描かれた。
地を揺らす大鯰を民が懲らしめる定番のほか、大暴れを反省した鯰が復興を手伝うのもある
▼好き放題の果てに、毒を吐きながら衰えていく大鯰。
今の米国にそんな絵を重ねてみる。
こりゃたまらんと、小魚中魚が20匹ほど泳ぎ寄り、池を救う策を思案した。
ワシントンの金融サミットである
▼宣言は「いくつかの先進国」が対応を誤ったと認め、各国の連携を強めて危機に臨むという。
「鯰語」に訳せば〈ひとつながりの水で生きていくなら知らん顔はできまい。
小には小の、中には中の役目があるぞ〉だろうか
▼米国の懐は、戦費その他でからっぽ。
外の資金を誘い続けるには、自由放任の市場とドルの威信は譲れない。
こうした鯰の都合が「池の平穏」に先んじるあたりに病巣がのぞく。
火元の、しかも去る人が発した宣言に効ありや
▼鯰絵の鯰はやがて、天災で世の中が一変するかもという庶民の期待を受けて「世直しの神」に姿を変えてい
く(原信田(はらしだ)実『謎解き広重「江戸百」』集英社新書)。
時に度し難い米国鯰も、いざという時の変わり身の早さは侮れない。
現に「次」が変革を訴え、民は「やればできる」と熱く唱和している
▼翻って、わが政治のぬるさよ。
バイト2日分の配り金で票を釣ろうにも、選挙を怖がり、とんちんかんな話になった。
かくして変革は遠のく。
池の主について行くなら行くで、主以上の身軽さが要るのに、その泳力、漂う浮草のごとしだ。
大きくなり過ぎた企業は国が援助して倒産することがない。社会的影響が大きすぎるため潰すことが出来ない。
小さな会社はドンドンと倒産していっている。何かしら矛盾をば感じる思いだ。
大企業に対しては大変手厚い社会が作られている。
ナックルボールを操る16歳の女子高生投手が、
プロ野球に行くとの報道には驚いた
平成20年11月18日の天声人語よりの引用
早世したスポーツライター山際淳司に『ナックルボールを風に』と題する一冊がある。
ナックルボールとは野球の投手が投げる球種の一つ。
ふつうは、拳(こぶし)を握った状態で親指と小指だけを伸ばし、球を挟んで投げる
▼山際の著書によれば、「指先で球に回転を与えないように押し出すのだ。
あとは空気の流れと湿度が球を運んでゆく過程で、思わぬ方向に回転を与え、球が意外な変化を見せる」となる。
つまり、投げた本人にもどんな変化をするのか分からない、不思議な球なのである
▼その球を操る16歳の女子高生投手が、プロ野球に行くとの報道には驚いた。
来年春に開幕する関西独立リーグのドラフト会議で、横浜市の吉田えりさんが神戸のチームに指名された。
入団には前向きだそうだ
▼右下手投げから繰り出すナックルは、捕手が後逸するほどに、揺れて落ちるらしい。
球速は最高101キロというが、ひらりとかわす球に速さはいらない。
「柔よく剛を制す」投球がどれほど通用するものか、興味がわく
▼思えばいまは、彼女自身がナックルボールのようなものだろう。
契約すれば、男とプレーする日本初の女性プロ選手になる。
話題に終わらず活躍するよう、球のゆくえに期待をしたい
▼投手が投げ、捕手が返すボールを、劇作家の寺山修司は2人の会話にたとえた。
会話に嫉妬(しっと)した男が、2人の間に立ってボールをはじき飛ばそうとした。
それが野球の始まりだと、ユニークな想像力で見立てている。
「嫉妬のバット」が空を切る巧投をいつか見られたら楽しいと思う。
凄い女子高校生がいるものかと驚く。カーブ ドロップ ナックルボールを投げるコツは子供の頃に習得したが
実用化せず常時思い通りに投げるのは大変に難しいことである。出来るのは天才である。
現在のゴルフでのドロー フェ-ド ロブショットなどを自由自在に打ち分けることが出来るようなものだ。
大学生の大麻事件が相次いで表沙汰(おもてざた)になっている
平成20年11月19日の天声人語よりの引用
小説「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」で知られる織田作之助は、ヒロポン注射が巧みだったそうだ。
戦後すぐのこと、酒の席などで、やおら腕をまくり上げては自分で打っていた。
「当時の流行の先端だから、一つの見栄(みえ)だったろう」と、こちらも無頼派の作家、坂口安吾が随筆に残している
▼そんな無頼気取りなのか、それともファッションなのか。
大学生の大麻事件が相次いで表沙汰(おもてざた)になっている。
汚染のすそ野は広いと見られる。
ウチは大丈夫かと、大学の関係者は戦々恐々の日々らしい
▼逮捕の様子がテレビで流れていた。
自室を捜索する取締官に、学生が何度も「マジですか」と聞く。
「これは現実だ」の返答が学生を打ちのめす。
罪の意識の薄いまま大麻を栽培していたのだろうが、代償は大きい
▼深刻なことに検挙の7割近くは10代と20代に集中している。
好奇心は若い胸の宝だが、これは褒められない。
より危険な薬物への客引き役でもある。
引かれて敷居を跨(また)ごうものなら、そこには破滅への舗装道路がまっすぐ延びている
▼「ファッションというのは、始めるやつは英雄で、最後まで従わないやつは豪傑で、真ん中にいるやつはみんな馬鹿」。
劇作家の山崎正和さんが、昔のドラマでそんなセリフを書いたと月刊誌で語っていた
▼いま大麻が一部の若者の流行だとするなら、「つられて手を染めるやつはみんな馬鹿」となろう。
始める者が英雄でもあるまいが、ここは流されずに「豪傑」でいたい。
若いながらに積み上げたものを、煙とともに棒に振るのは、あまりにもったいない。
戦後間もなくヒロポン注射をうつことが流行った時代もあった。麻薬の恐ろしさを知らずして使われている。
痛み止めとして麻薬は劇的な効果があるが普通の医院ではあまり使われていない。
麻薬でないが匹敵するような薬があるからである。
不況の暗雲が列島を覆う
消費は縮み、雇用はゆらぎ、中小企業は資金繰りに苦しむ
2人の元厚生事務次官宅を狙った殺傷事件である
平成20年11月20日の天声人語よりの引用
北の地方は雪化粧し、暖地でも冷え込みがきびしい。
大陸からの寒気とともに冬将軍の足音が聞こえてきた。
〈国安く冬ぬくかれと願ふのみ〉。
高浜虚子の一句を思い出す。
暖冬を願うというより、「ひもじさ、心細さ」のない「温(ぬく)さ」の意味だろう
▼この冬はどうか。
不況の暗雲が列島を覆う。
消費は縮み、雇用はゆらぎ、中小企業は資金繰りに苦しむ。
政治は迷走する。
そんな灰色の空に、今度は、不気味な黒雲がわき上がった。
2人の元厚生事務次官宅を狙った殺傷事件である
▼2人とも年金畑が長く、今の制度の骨格をつくった高級官僚だ。
どちらも、犯人は玄関で問答無用に刺したらしい。
東京と埼玉の現場は10キロと近い。
共通点は、「連続」が偶然でないことを指し示している
▼だが、それから先は分からない。
年金問題をめぐるテロなのか、それとも違う目的なのか。
同一犯か、別人か。
「たら」と「れば」の推理でつなぐ事件像は、核心部が見通せない。
無論いかなる理由にせよ、断じて許されぬ蛮行に変わりはない
▼いまの世に吹く不況の風は、世界恐慌の始まった1929(昭和4)年を思わせるとも聞く。
その年、いまブームの「蟹工船」が出版され、「大学は出たけれど」の嘆きが流行した。
閉塞(へいそく)感の中でテロが横行するようにもなる
▼冒頭の句を、虚子は戦前に詠んだ。
暗い時代だが、どんな時でも人は幸福を求め、「冬ぬくかれ」を願う。
人の権利でもあり、生きる営みそのものでもあろう。
それを断ち切った犯行の反社会性と、そして卑劣を強く憎む。
執拗に元厚生次官の住所を図書館で調べ計画的な犯行である。年金の問題は大変だが,だから責任者を殺しても良いことにはならない。
子供の頃の飼っていた犬が保健所で殺されたのを根にあるようだが,飛躍していて理解に苦しむ話だ。
元厚生事務次官宅が襲われた事件での麻生首相は、どうも鈍い。
平成20年11月21日の天声人語よりの引用
今は昔の感もあるが、ブッシュ米大統領が瞬時に国民の心をつかんだことがある。
9・11テロの後、がれきの上でハンドマイクを握り、国民と犠牲者に語りかけた
▼「君たちの声が私に聞こえる。
世界が君たちの声を聞く。
ビルを倒した連中も間もなく我々の声を聞く」。
のちの政策の是非は置いて、動揺する国民に強い言葉を送ったのは、国を率いる者の大切な役目だったのに違いない
▼ひるがえって、元厚生事務次官宅が襲われた事件での麻生首相は、どうも鈍い。
丸1日たってようやく「二つの関係が明確になった段階では、テロと見なし断固たる処置をとる」。
だが続けて「今の段階では単なる傷害か何とかって、まだ決まってないんだろ。よく知らねえけど」
▼暴力を憎むこと、首相が人後に落ちるとは思わない。
空き樽は音が高いともいう。
声高に叫べばいいものでもないが、「よく知らねえけど」は首相の言葉ではあるまい。
日本で一番情報の集まるはずの人なのに、である
▼人間観察の達人だったフランスのラ・ロシュフコーは〈沈黙は自分自身を警戒する人にとって最良の安全策である〉と言い残した。
だが、いくら自分の舌が心配でも、政治家に沈黙を選ぶすべはない。
語らねば催促され、語れば吟味される。世の採点は甘くはない
▼さても、と言うべきか。
首相はまた「(医師は)社会的常識が欠落している人が多い」とやった。
後で謝罪したが「現場の勇気をくじく」と厚労相も苦り顔だ。
ぶれたり、困らせたりの迷言が、とみに目立つのはどうしたことか。
よくも非常識な人をよくも自民党は総裁に選んだものである。内閣の支持率は極端に下落している。
それにもかかわらず自民党の提案した法案が衆議院三分の二の多数決で再議決され通過していっている。
国民の思いとは相反して政治が動いているように思える。早期解散総選挙する以外には解決方法はない。
変な政治が行われるよりも早く解散総選挙して民意を聞いてから
正しい政策を実行すべきことである。自民党の支持率が上がるのを待ってから解散総選挙は本末転倒している。
きょう「いい夫婦の日」である
11月22日の語呂合わせから始まって、
今年で20年になる。
平成20年11月22日の天声人語よりの引用
面目ないと嘆く男性もおられようが、お年寄りの場合、夫を亡くした妻は寿命が延びて、妻を亡くした夫は寿命が縮む傾向があるらしい。
夫とは、妻に頼りきる重荷でしかないのだろうか。
そっと胸に手を当ててみる、きょう「いい夫婦の日」である
▼11月22日の語呂合わせから始まって、今年で20年になる。
だが、この時期に公表される各種の「夫婦調査」は、しばしば夫を意気消沈へ誘う。
互いの気持ちはすれ違って、夫から妻への「片思い」が多くなっているようだ
▼たとえば「夫婦一緒の時間を充実させたい」と思う夫は増えている。
ところが妻の方は減り続けている。
熟年の夫婦では15%の妻が、夫に「嫌悪・不愉快」を感じていると聞けば、小春日和も少し曇る
▼そうした理由の一端を、田辺聖子さんの随筆に教わった。
定年やらで人生戦線を縮小し始めた男と、これから戦線拡大をもくろむ女の違いのためらしい。
自分の砦(とりで)に立てこもる夫と、残りの人生を楽しもうとする妻の、軋(きし)みあいのようである
▼夫は別荘がほしいと夢見るが、妻は別荘まで行って家事などまっぴら。
心安い友達とリゾートホテルの方がずっといい。
「オジサンは司馬遼太郎を読み、オバサンは渡辺淳一を読むようになる」などと、人間通らしく田辺さんは観察する
▼心のすれ違いに特効薬はなさそうだ。
「亭主元気で留守がいい」と言う。
「女房元気で……」ぐらいの生活技術と独立心を、まずは夫も備えたい。
すきま風には早めの目張りを。
暖かい冬を迎えるには「片思い」では心もとない。
長い人生には夫婦にも色んな出来事がある。
横田めぐみさんの写真展が有楽町マリオンで開かれている
隣国の母に血の言葉を吐かせ、独裁者はまだそこにいる
平成20年11月23日の天声人語よりの引用
出会うたび、別れるごとに人生は彩りを増し、一期一会の重なる先に次の幸せが待つ。
そうした「平凡」を断ち切る凶悪犯罪の中でも、理不尽さ、もどかしさの極みは北朝鮮による拉致事件だろう
▼横田めぐみさんの写真展が有楽町マリオンで開かれている(無料、26日まで)。
3年前にこの地で開かれて以来、国内やニューヨーク、ジュネーブを巡回し、計23万人の来場者が国家犯罪への怒りを新たにした
▼ご両親の講演を聴いた中学1年生の感想文も展示されている。
「平凡がどれだけ幸せなことか考えながら、生きていこうと思いました」という一文があった。
拉致時のめぐみさんと同じ13歳の多くが、「普通の日々」のありがたさに触れている
▼そしてもう一つ、娘を救うため31年闘ってきた老夫婦への敬意である。
わが子を案じる心の強さ、激しさに驚き、親に感謝し直した生徒も多い。
横田ご夫妻の活動は、現実の「世直し」でもあると知った
▼卒業でも転居でも、親しい人との別れに心は震える。
無理にも「元気でね」と笑えるのは、また会えると信じているからだ。
だからこそ死別の悲しみは深いが、よくしたもので時が癒やすこともある。
一番つらいのは生き別れではないか
▼鹿児島の拉致被害者、市川修一さんの母上が先ごろ91歳で亡くなった。
息子のスーツを虫干しして待ち続けたという。
横田早紀江さんは「親としてこれ以上はできなかったというところまでやり、悔いのないように生きる」と語る。
隣国の母に血の言葉を吐かせ、独裁者はまだそこにいる。
朝鮮民族の悲願は早く南北を統一することにある。
早くそうなって欲しいものである。そうすれば自ずから拉致問題も解決する。
悲しい出来事である。
元厚生事務次官宅が続けて襲われた事件が、
連休の平穏を突いて急展開した
平成20年11月24日の天声人語よりの引用
厚生事務次官宅が続けて襲われた事件が、連休の平穏を突いて急展開した。
「元次官を殺した」という男(46)が警視庁に乗りつけたのは、かわいらしいピンク系の軽自動車である。
同様の違和感がまだ随所に残る
▼男は「保健所にペットを処分され、腹が立った」と動機を語っている。
出頭前にも、ネットを通じて〈今回の決起は年金テロではない〉〈34年前、保健所に家族を殺された仇討(あだ・う)ちである〉という、
本人らしき告知が報道機関にあった
▼保健行政の連想から厚労省を狙ったのかもしれないが、これでは駐車違反の恨みを警察庁長官に向けるも同じだ。
年金改革の立役者2人が狙われたのは偶然だったのか。
愛犬の悲運を思い続ける「優しさ」と、3人殺傷の残酷さはどうにも結びつかない
▼近所では、やたらに怒鳴る「怖い人」だったらしい。
出頭に先立ち、山口県の実家に「手紙を送ったから読んでくれ」と電話してきたそうだ。
ここでは、かすかに息子の顔がのぞく。
10年ぶりという音信は明るい声で、老父は「嫁さんでも、もろたんかな」と思ったという
▼片や「決起」の言葉には、ゆがんだ英雄主義と自己満足がにじむ。
「誰でもよかった」の亜流で、「旧厚生省の大物なら誰でもよかった」というのだろうか。
肉親を含め多くの人を泣かせることへのためらいは見えない
▼個人的な感傷や不満のはけ口を求めて暴力が横行し、匿名の賛辞がネット空間を舞う。
なんともイヤな感じである。
「怖い人の突飛(とっぴ)な行動」で片づけられない、流れのようなものを感じる。
犯人は正常と異常の間をウロウロしているように見える。
年金問題は国民の誰もは怒りが爆発している。でもそれと人殺しとは全く関係がない。
事件は異常者の犯行のようだ。ヒットラーの如きは当時英雄だったが,異常者の行動である。
街路に散って、吹き寄せられる朽ち葉には、
うらぶれた感傷が重ねられがちだ。
だが、山に降る落ち葉には生命の輝きがある
平成20年11月25日の天声人語よりの引用
葉っぱの写真をあしらった図鑑を片手に、東京の北西にある奥武蔵の低い山を訪ねた。
季節の進み具合は平地より早く、コナラやクヌギの木々からは落葉がしきりだ。
風が吹くと、カサカサとさざめきながら頭上に降る。
「木の葉雨」という美しい日本語が脳裏をよぎっていく
▼燃えるようなモミジは、手裏剣(しゅりけん)のように宙を舞い落ちる。
ゆらりと枝を離れるのは、うちわを思わせる朴(ほお)の葉だ。
所々に、雪だまりならぬ「葉だまり」がある。
くるぶしほどに積もった葉をかき分けながら、山道を歩いた
▼シャンソンの名曲に「枯葉」があり、秋の日の/ヴィオロンの……に始まる名訳「落葉」がある。
街路に散って、吹き寄せられる朽ち葉には、うらぶれた感傷が重ねられがちだ。
だが、山に降る落ち葉には生命の輝きがある
▼〈それは凋落(ちょうらく)であろうか 百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落すあのさかんな行為……〉。
石垣りんさんの詩「用意」の一節を思い出す。
落葉は、一切を捨てて裸の骨格を空に突き上げる、木々の意志を見るようでもある
▼葉という衣装を脱いで、樹林は明るさを広げていく。
光は地表まで差し込むようになる。
落ち葉はミミズやバクテリアなどの力を借りて分解され、土に還(かえ)り、また木々を育てる
▼山を歩きながら、手近な枝を引き寄せてみた。
来年開く冬芽がもう、固く閉じた姿で枝についている。
そんな生命力に自らを託すように、石垣さんは詩を結んでいる。
〈私は身内ふかく、遠い春を抱く そして私の表情は静かに、冬に向かってひき緊(しま)る〉
「葉っぱのフレディ」を思い出すような季節になってきている。自然の営みには一言の言葉の余地もない。
自然の歴史は人間の歴史よりも遥かに長く営まれてきている。
春の訪れが待ち遠しい。
堪忍袋の緒が細った社会は、子どもにも大人にも生きづらい
平成20年11月26日の天声人語よりの引用
〈堪忍のなる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍〉は、人生訓をうたう道歌(どうか)の中でもよく知られている。
その教えが昨今はあやうい。
誰もするはずの堪忍さえできず、ささいなことで堪忍袋の緒を切らす人が、世代を問わずに増えている
▼当節は「キレる」と表記される。
本紙の記事には17年前に初登場し、10年前から急に増えた。
キレる人が増えたから言葉が広まるのか。
言葉が広まってキレる人を誘発するのか。
いらだつ空気は世を覆って、募るばかりに感じられる
▼そんな社会から、学び舎(や)だけが例外とはいかないらしい。
「子どもの暴力」に手を焼く学校の実情が、文部科学省の調べで浮かび上がった。
感情を抑えられずに暴発する子が、こちらも増えている
▼机を投げる(小学校)、はさみで同級生の背中を刺す(同)、すれ違いざまに肩がぶつかってけんかになる(中学校)……。
いらだちというガスに、他人への非寛容が導火線になって火がつくことが多いようだ
▼先日の本紙で、歌人の俵万智さんが、電車内で耳にした会話を語っていた。
誰かとメールのやり取りでトラブルがあったらしく、「そのときばかりは頭に来て、面と向かって電話したよ」と言っていたそうだ
▼電話では「面と向かった」ことにはなるまい。
なのにそう思うほど、メールや仮想空間の浸透で、友達同士が話さずに付き合う世界が広がりつつあるのだろう。
そうした中で自意識ばかり肥大すれば、寛容はますます失われないか。
堪忍袋の緒が細った社会は、子どもにも大人にも生きづらい。
現代は世の中に閉塞感がみなぎっている。少しのことでもって爆発しかねない面がある。
確かに自民党は解散すれば確実に議席を減らすことは万人の認める所である。
内閣支持率からすれば政権交代は確実だ。だから自民党は政権にしがみついているようにしか見えない。
誰の為の政治をやっているかどうか疑われても仕方がないことだ。
出来ない堪忍,するが堪忍で国民は苦しみに耐えていく以外に仕方がないのか。
クロマグロ(本マグロ)の大西洋などで漁獲量を減らすことが決まった。
平成20年11月27日の天声人語よりの引用
釣り好きが自慢話をはじめたら両手を縛っておけ、などと冗談に言う。
釣った魚の寸法がどんどん大きくなるからだ。
だが俳優の松方弘樹さんが釣り上げた獲物は、両手をいっぱい広げてもまだ足りなかった
▼300キロを超えるクロマグロ(本マグロ)は山口県沖の日本海で、釣り好きで知られる松方さんの針にかかった。
東京の築地市場に運ばれ、おととい競り落とされた。
大トロの小売値が、普通は100グラムで5千円を超すと聞けば目が回る
▼「海のダイヤ」と呼ばれるこの魚は、世界的な乱獲で数が減っている。
このままでは危ういと、大西洋などで漁獲量を減らすことが決まった。
日本に来る6割はそこでとれる。
3年で3割強減らすとの報道に、すし好きの顔は曇ったかもしれない
▼国内には在庫がまだあり、急な品薄にはならないそうだ。
しかし先はわからない。
魚食熱は世界で高まっている。
需要が増えればマグロに限らず乱獲に拍車がかかる。
「命の湧(わ)く海」と言うけれど、その豊饒(ほうじょう)は無限に約束されたものではない
▼すでに人間は、海をかなり追い詰めているという説がある。
米国とカナダの大学が、今のままでは2048年には海から魚がいなくなると警告する論文を発表した。
過激な内容だが、ありえない話ではないらしい
▼古くはマグロをシビと呼んだ。
その名が「死日」に通じるとして不吉がられた時代もあったという。
時は移り、いまや「国民魚」さながらの人気を誇る。
末長く舌鼓を打つためには、少し痛くても歓迎すべき資源保護ではないだろうか。
マグロの刺身は美味い。日本人に好んで食べられている。寿司バーが世界中に普及して健康食として日本食が世界で
好まれるようになってきている。養殖ウナギが普及しているように養殖マグロが盛んになってよいものだ。
世界での本マグロの乱獲は慎むべきである。養殖マクロは始まっているのだろうかどうか。
ムンバイで起きた無差別テロを思った
100人以上が犠牲になり、日本人も2人死傷した
平成20年11月28日の天声人語よりの引用
古代インドに『鸚鵡(おうむ)七十話』という説話集がある。
仕事で長旅に出る商人が、家に残す愛妻のことを賢いオウムに託していく。
だが彼女はある王子に誘惑される
▼するとオウムは、謎めいた物語を連夜巧みに語って彼女を引き留める。
かくして七十夜が過ぎ、妻は何事もなく夫の帰宅を迎える。
そんな本を繰りながら、ことは違うがムンバイで起きた無差別テロを思った。
テロリストを止める賢いオウムはいなかったのか
▼爆発や乱射は、ホテルや駅などの各所で起きた。
市街戦を思わせる映像が現地から届く。
100人以上が犠牲になり、日本人も2人死傷した。
出張中に亡くなった津田尚志さん(38)はロビーで胸や腹を銃撃されたという。
痛ましさに胸がふさぐ
▼犯行声明を出した組織の実態はよく分かっていない。
テロの目立つインドだが、外国人の多い高級ホテルを狙い、英米人を人質に取ろうとしたのは異例らしい。
「欧米支配への聖戦」を唱える国際テロ組織、あのアルカイダと関係があるのだろうか
▼インドといえば、非暴力をつらぬいた独立の父ガンジーが思い浮かぶ。
綿を紡ぐ糸車を回して支配や搾取に抗する姿を、写真でご記憶の方もおられよう。
運動の象徴になった糸車の操り方をガンジーが覚えたのは、ムンバイだったと言われている
▼今や経済発展のめざましいインドだが、その陰にテロを生む温床が息づいているようだ。
背景は宗教か、それとも貧困なのか。
テロを許さぬ固い決意とともに、国際社会が「賢いオウム」になるしかないとの思いが募る。
イスラム教徒は過激なのか,叉インドでテロが起きている。テロにもその原因があるに違いない。
何が原因しているのかその解明と根源を撲滅することこそが本当の「テロとの戦い」ではないだろうか。
イラクでのアメリカの撤退がすすめばイラクでのテロは止むと思われる。
叉はイラク人同士の戦争があり以前のようなフセインのような強権者が出てくる可能性はある。
日本でも明治維新までの戦乱は日本人同士の政権交代のための戦争が続いていた。
麻生首相は、苦しい政権運営が続く
これでもかの放言や朝令暮改には身内もたまらないのだろう
平成20年11月29日の天声人語よりの引用
「鍍金」と漢字で書くと首をひねる方もおられようが、メッキと読む。
古来の技術で、奈良の大仏を造ったときにも用いられた。
だが、いつしか、お粗末な中身を隠して外面を繕うという、芳しくない例えに使われるようになった
▼「沈黙は金。
メッキがはがれないように」。
自民党内からも「メッキ呼ばわり」の麻生首相は、苦しい政権運営が続く。
名言なら「一日一言」もありがたいが、これでもかの放言や朝令暮改には身内もたまらないのだろう
▼経済危機に向けた第2次補正予算案の国会提出は先送りする。
解散・総選挙もずるずる延ばす。
政府と与党は「政権」という城に立てこもった印象だ。
ならばと、民主党は籠城(ろうじょう)する堀を埋め、門をこじ開けにかかる
▼麻生首相と小沢代表がきのう、初の党首討論に臨んだ。
「この人の話は危ねえ」「そのへんのチンピラ」と互いをけなし合う仲だ。
野天の真剣勝負を期待したが、道場の申し合いだった。
質疑は堂々巡りして、与野党応援団のヤジばかりが大きい
▼民主主義の基礎は「他の人が自分より賢いかもしれないと考える心の用意」だと、
戦後すぐの英国首相だったアトリーは言った(『政治の品位』内田満)。
言い負かそうと力むばかりでなく、他の言葉をしっかり受け止める資質が政治家には欠かせない
▼条件反射のように湧(わ)いた盛大なヤジに、日本の政治が心配になる。
言論の府でも「聞く耳持たず」がまかり通るのか。
いまや政治全体がメッキ仕立てになっているのなら、深刻さは首相の放言どころの話ではない。
就任二ヶ月での支持率の下落は森首相の時以来だといわれている。
戦後長く続いた自民党政権こそが異常現象で政権交代を続けることこそが民主主義の発展に
とっても大切なことである。政治家の定年制度があってもよいように思う。
「政治的解決する」には嫌なマイナスのイメージが付きまとうぐらいに謀略の暗い世界のイメージが
つきまとうのが現在の政治の世界からは早く脱却して欲しいものである。。
11月の言葉から
平成20年11月30日の天声人語よりの引用
「人生を振り返るチャンスを作ってもらった」。
詐欺で起訴された音楽プロデューサーは、自分を告訴した被害者への感謝を口にしたそうだ。
米国は黒人大統領で出直し、バドミントンの「オグシオ」はそれぞれの道へ。
心機一転、11月の言葉から
▼オバマ氏当選。
「アメリカ史の発展の早さに驚いた」と米国出身で鳥取に住む秋山キャサリンまゆみさん(34)。
元広島平和記念資料館館長の高橋昭博さん(77)は「次は核廃絶という、ありえなかったことが現実になってほしい」
▼昇進を機に、しこ名を安馬から改めた日馬富士(はるまふじ)公平さん(24)は「大関の名を汚すことのないよう、いい生き方をしたい」。
生き方と大きく出たところに大器の予感。
反面教師には不自由しない
▼30回で終了した東京国際女子マラソン。
優勝した尾崎好美さん(27)を指導した第一生命監督、山下佐知子さん(44)は「歴史ある大会の最後をこういうふうに飾れて、
この世界で頑張りたいという思いがまた強くなった」。
来年から舞台を横浜に移す
▼流産や死産を癒やす絵本『ごめんね、ありがとう。』(サンクチュアリ出版)を出したイラストレーター326(ミツル)さん(30)。
「悲しみを無理に忘れようと苦しんでいる人たちに届けたい。
今の社会は悲しみから目を背け、楽しい側面ばかりを見せようとしている気がするから」
▼10月、通算千回の「勧進帳」を奈良・東大寺で達成した松本幸四郎さん(66)。
その夜の満月にしみじみ思ったという。
「回数よりも、最高の舞台を何回できたか、今後何回できるかだ」と。
長屋王と橘諸兄
長屋王は平城京資料館を見学しに行ったときに平城宮の一角に長屋王邸があつて謀反の罪により殺されたとボランティアの解説の方より教えられことがある。
橘諸兄は聖武天皇が恭仁京を選んだのは太政大臣だった橘諸兄の本拠地の近くであったことを指摘されており,その遺跡のある井出町に出かけ
玉川などを見学したことがある。
その時に恭仁京を遠方から見学に見えた方から,玉川は六玉川で六つの玉川が日本にありその一つだと教わった。
その方とは海住山寺でも出会っている。
遠方からわざわざ泊りがけで山城地域を見学に来ておられるのに近くに住んでいながらもったいない気持ちで遺跡巡りをしている。
京都 奈良 滋賀は遺跡の宝庫でもある。閑を見つけては廻っている。
長屋王(ながやのおおきみ)、は天武天皇13年(684年)? - 神亀6年2月12日(729年3月20日))、奈良時代の皇族であり公卿であって
正二位左大臣で皇親勢力の政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。
長屋王は慶雲元年(704年)正四位上に叙され、和銅2年(709年)従三位宮内卿、同3年式部卿、霊亀2年(716年)には正三位に叙せられている。
平城京遷都後、右大臣藤原不比等が政界の中心となり、舎人親王や長屋王ら皇親勢力がこれに対する形であった。
ただし、長屋王が不比等の娘を妻としていた関係で、不比等の生存中はむしろ王の立場は親藤原氏的存在であったとみる説もある。
霊亀3年(717年)左大臣石上麻呂が死去すると、翌年長屋王は非参議から一挙に大納言に任ぜられ、太政官で右大臣藤原不比等に次ぐ地位を占める。
さらに、藤原不比等が養老4年(720年)に没すると、その子である藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)はまだ若く、議政官になっていなかったため、
長屋王は皇親の代表として政界の主導者となった。
その後長屋王は養老5年(721年)に従二位右大臣、さらに神亀元年(724年)聖武天皇の即位と同日、正二位左大臣に進み、
また、元正天皇も自分の妹である吉備内親王とその夫の長屋王に厚い信任を寄せていたといわれている。
また養老3年(719年)には新羅からの使者を長屋王邸に迎えて盛大な宴会が催され、長屋王自身の作になる詩や、時の文人らが作った詩が『懐風藻』に収録されている。
なお『懐風藻』にはこのときの詩を含め、長屋王の漢詩が計3首収められている。
このような長屋王の権勢は藤原四兄弟にとっては面白くないものであった。
不比等の生前こそ、舅と娘婿の関係であって関係も決して悪くはなかったが、不比等の死後に不比等の娘で聖武天皇の生母藤原宮子の称号を巡って
長屋王と四兄弟が対立するようにになってきた。
神亀6年(729年)2月、漆部造君足(ぬりべのみやつこきみたり)と中臣宮処連東人(なかとみのみやこのむらじあずまひと)が「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」
と密告があり、それをうけて藤原宇合(ふじわらのうまかい)らの率いる六衛府の軍勢が長屋王の邸宅を包囲し、舎人親王などによる糾問の結果で、
長屋王はその妃吉備内親王と子の膳夫王らを縊り殺させ服毒自殺した。
これが長屋王の変である。煉言であったとする説が強い。
聖武天皇は病弱で事件当時には非藤原氏系の安積親王しか男子がいなかった。
政治的な対立もさることながら、天皇と安積親王に何かがあった場合には
天皇の叔母・吉備内親王の生んだ男子(当然、長屋王の息子でもある)である膳夫王ら三王が男系皇族での皇位継承の最有力者となる筈であったことも
「長屋王排除」の理由として注目すべき点である。
長屋王の没後、藤原四兄弟は妹で聖武天皇の夫人であった光明子を皇后に立て、藤原四子政権を樹立する。
しかし、天然痘により天平9年(737年)4人とも死没してしまった。
これは王を自殺に追い込んだ祟りではないかと噂されたらしい。
同書が成立した平安時代初期の朝廷内では、長屋王が無実の罪を着せられたことが公然の事実となっていたと想定されている
橘諸兄(たちばな の もろえ、天武天皇13年(684年)- 天平勝宝9年1月6日(757年1月30日))は、奈良時代の政治家・元皇族。父は美努王、
母は県犬養橘三千代。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)と言う。子に奈良麻呂がいる。初代の橘氏長者でもある。
敏達天皇の5世(もしくは4世)子孫で諸王であったが、天平8年(736年)、弟(佐為王)と共に母・橘三千代の姓氏、橘宿禰を継ぐことを願い許可される。
これ以後、橘諸兄と名乗る。
この王の位を捨て、わざわざ朝臣より下の宿禰の姓(かばね)を授かると言う一見不可思議な行為は、
藤原氏に対する処世術では無いかと推測される。
天平9年(737年)、疫病の流行によって藤原四兄弟が相次いで亡くなり、続いて舎人親王を初めとして多くの政府高官が死亡して議政官がほぼ全滅し、
出仕出来る公卿は従三位左大弁諸兄と同大蔵卿鈴鹿王のみとなってしまった。
そこで急遽この年の8月24日に諸兄を次期大臣の資格を有する大納言に、
4日後に鈴鹿王を知太政官事(太政大臣と同格で皇族であることのみが任用条件)に任命して応急的な体制を整えた。
翌10年(738年)1月13日に、諸兄は正三位右大臣に任命されて一躍朝廷の中心的地位に出世する事になった。
これ以降の国政は、事実上橘諸兄が担当し、聖武天皇を補佐する事になる。
天平15年(743年)5月5日には従一位左大臣になっている。
天平感宝元年(749年)には正一位に陞階。
生前に正一位に叙された人物は日本史上でも数少ない。
孝謙天皇の時代にはいると藤原仲麻呂(恵美押勝)の発言力が増し、天平勝宝7年(755)聖武上皇の病気に際して酒の席で不敬の言があったと讒言され、
同8年(756年)2月2日辞職を申し出て、以後隠居し、同9年(757年)1月6日に亡くなった。
橘諸兄の死後、同年に息子・奈良麻呂は謀反(橘奈良麻呂の乱)を起こし獄死している。
大伴家持と親好があり、『万葉集』の撰者の一人といわれている。
これは、『栄華物語』月の宴の巻に、「むかし高野の女帝の御代、天平勝宝5年には左大臣橘卿諸兄諸卿大夫等集りて万葉集をえらび給」とあり、
これが元暦校本の裏書に、またある種の古写本の奥書にもはいったことが、一定の信憑性をもつものである。
のちに、仙覚は橘、大伴家持の2人共撰説を唱えるにいたった。
『万葉集』には7首の歌を残している。 -インターネットよりの引用-
長屋王と橘諸兄はほぼ同時代のひとであることを知った。長屋王は直系の皇族であり公卿の正二位左大臣であったにもかかわらず暗殺され,
一方の橘諸兄は王の位を捨て、わざわざ朝臣より下の宿禰の姓(かばね)を授かる。
そして最後には生前に正一位にjまで登りつめて天寿を全うしている。
この時代の人は皇族と言えども藤原氏にはかなわず謀略によりころされてしまっているようだ。
天皇よりも藤原氏が権力が強かったことを示している。
その後の鎌倉時代の武士である源氏が出るまで藤原氏の世の中のようだった。平安時代貞観年代の清和天皇などはその典型である。
天皇家は時代の権力者により利用され続け,現在にいたっている。その間にあって一般庶民は全く戦争の犠牲者の立場であったことは昔も
近代にも現在に至っても変っていないように思われる。
現在の権力を目指す人たちの闘争も同じく変ってきていないように感じられる。