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四月になって




四月初め頃は桜の季節である。三月の終わりから,次第にあたり一面が桜で一杯となってくる。

桜前線は南の方から北上し,世間に広く知れ渡っている桜の名所では人波で叉一杯となる。

京都の桜の名所も遠方から大勢の人たちが訪れ近寄り難くなってくる。

だが現在住んでいる近くにも,桜並木があって,名所ではないが,ひっそりと豪華な桜の花が咲き誇っている。

この様な名所でもない場所が,京都市内のあちこちに見かけられる。

春になって花が咲き,此処に桜の樹があったのかと気ずくことが多い。

雨が降った後の桜は無残で,花は散りまともには見られなくなる。桜の見ごろは約一週間位なものである。

京都の桜の名所で検索してみると沢山な場所がある。桜の花は四月の中旬頃まで見られるようだ。

太閤秀吉の醍醐での桜の花見は歴史上有名な話である。

醍醐寺資料館(霊宝館)には花見の際に歌った短冊が展示してあつたのを見かけたことがある。

それは桜の花の季節でない時期に展示されていた。

ネットで調べると,醍醐寺の霊宝館に醍醐の花見の短冊131枚など、展示して、見ごたえがあったと記されている。 

内容については正確に覚えてはいないが,男性は極めて少なく,殆んどが女性で侍女並びに妻君ばかりの短冊だったように記憶する。

桜が終わると,次第に樹々の緑が多い新緑の季節へと移り変わってゆく。

一方日本の政局の移り変わりの方は判り難い,突如,天から降ってわいたかごとく世界中が「豚インフルエンザ」で大騒動になってきている。

メキシコが最初で,次第にアメリカなどの周辺諸国へ及んで,ヨ−ロッパへも広がってきている。

アジア地方は韓国のみだったのが,初めて日本にも発生するにいたっている。現在は神戸・大阪を中心に蔓延している

大体春三月ごろになると毎年流行る季節性インフルエンザは自然に終わるのものだが,今回のインフルエンザの流行は変った形て゛季節性インフルエンザが

終わった暖かい時期に始まっている。奇妙である。

アメリカでの発生では下痢 嘔吐などが半分位見られるようだ。

いつも思うことは,昔日本が中国との戦争で石井部隊という表面上は細菌を防疫する部隊が,中国内で細菌をバラマき日本軍に有利な

状況を作っていた。

その部隊が戦後になって全て,その資料を米軍に提供し石井部隊員達は戦犯から免れた話は広く世間にゆきわたり伝わっている。

そうなるとアメリカ軍内には同様の組織が存在し,現在もアメリカ軍内に存続していることだろう。

石井部隊は戦中は隠れた存在で,そんな悪いことをしているとは当時誰一人として知らなかった。

憶測だが,石井部隊の資料を欲するような部隊が,現在もアメリカ軍内にあったとしても,一般に知られることはない。

此れだけ医学が進歩し,遺伝子を改組することが容易となった時代になってきているのて,そのような部隊が存在するとすれば

遺伝子を改変することは容易なことであろう。軍事医学が進歩すれば一般医学が進歩すると聞く。

他の分野の軍事領域でも,軍事研究が科学全体を引っ張っているような感じがある。

突然変異のあったとされるインフルエンザウイルスも,軍隊内で作られいたとしても真実は判らない。

石井部隊のような軍隊が現在アメリカ軍内に存在していて,何もせずに存続しているとは到底考えがたい。

何かやはり仕事をしているのではなかろうか。

戦争は恐ろしい。それを担う軍隊も人類にとり叉大変恐ろしい存在である。

アフガニスタン内でアメリカ軍の誤爆で100人ものアフガン国民が死んでいる。誤爆したアメリカ兵が大勢の住民を殺したことになる。

だが誤爆なので,誤爆した兵士には多勢殺していても,なんの罪にもならない。これは変な話である。

普通人一人殺せば殺人罪でもって刑に服さなければならない。軍人だけが人を殺しても誤爆しただけで済んでしまうのは

戦争を任務とする人たち即ち軍人だけに犯罪から免除されることが出来ているとすれば,不思議な世界である。

そういった意味においても戦争そのものが人類にとり不必要なものでありであることを示唆している。

人類は始まって以来深い業を担っているのが人間,だから仕方ない事だけですまされない深い問題だ。

罪が愛国心の発露だとの発想の転換で,犯罪が帳消しにされ,消え去るものならば殺された住民はたまらない話だ。

国連内に強力な軍隊を創設し,全ての国から早く軍隊を駆逐すことである。

何らかの形で人類が叡智を発揮し,このような変った常識を変えなければならない。

国内では民主党の党首小沢氏が突然に辞任し 鳩山氏と岡田氏との間で党首選が短期間の間で゜行われ

鳩山氏が民主等党首に決まった。インフルエンザ流行で国内ニュ−スとしては小さくなっている。

夏になり高温になれば自然にインフルエンザも終息してゆくことだろう。

インフルエンザは国民に何を残したのだろうか。マスコミの成果か罪なのかを再考してほしい。






記憶




@人間には過去の記憶がある。常識的には考えられないような変な事が起こり体験して来ている。だが記憶には残っている。

A冠婚葬祭などには,いたってうるさく礼儀をば強調するが,一方影で不道徳なこと犯罪的なことを平気で私生活でしている人を見かける。

B子供の頃危険な所に近寄らないよう注意されたが,場所だけでなく対人にもいえることではないだろうか。

C人生は一回限りである。同じ時間は二度繰り返すことは出来ない。時間は待ってくれない。

D真にきく耳があるならば全ての話が教訓に変化するものである。

E立派な話も心がなければ馬の念仏である。

F生かされてきたならば社会にどんな形でも貢献したい。

G進んだ情報社会の功罪はついて回るものである。

H昔のものは大切にしたい。一度壊されたものは二度と元には戻らない。

I人々の価値観を尊重しあい認め合うことである。

J体力と共に知力は反比例するような気がする。

K知らないでいることならばそれでも良いことである。馬に念仏の時でも良いことがある。

L足るを知るとはよくいったものだ。

M花の見ごろは過ぎ去るのが早い。苦労は買ってでもせよと教えられたが。

N趣味は多いほど良い。いつの時でもその気になればやれることである。








上野の東京国立博物館で始まった「阿修羅(あしゅら)展」だ






平成21年4月1日の天声人語よりの引用


江戸時代、ありがたい仏像を遠方で披露する出開帳(でがいちょう)が盛んに催された。

浄財を募るため、地方の名刹(めいさつ)が江戸に持ち込む例が多かったという。

時候が上向く頃の風物らしく、開帳は春の季語である

▼桜の下を抜け、平成の出開帳を拝んできた。

上野の東京国立博物館で始まった「阿修羅(あしゅら)展」だ。

奈良・興福寺の創建1300年を記念し、寺宝の数々が並ぶ(6月7日まで)。

国宝阿修羅像の「上京」は57年ぶり2度目という

▼三つの赤い顔に腕が6本。

異形の守護神阿修羅は、インドの神々でも暴れん坊で知られ、仏教に取り込まれる前は布教を妨げる外道だった。

それが説法を聞くうちに、他の悪神から釈迦(しゃか)を守る役回りとなる

▼阿修羅像は博物館の暗がりに浮かんでいた。

怒りや荒々しさはなく、きゃしゃな美少年か女性のよう。


かつて彫刻家の籔内佐斗司(さとし)さんが、早世の女優夏目雅子さんに重ねた顔だ。

善神に転じても過去を悔いているのか、寄せた眉根は戦いの憂いを湛(たた)えてりりしい

▼作家の堀辰雄も戦前、その「切なさ」に魅入られた。

「何処(どこ)か遥(はる)かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている……こういう目(まな)ざしをして、

何を見つめよとわれわれに示しているのだろう」(随筆集『大和路』)

▼涙をためたかに見えるまなざしに、間近で射られる幸せ。

出開帳ならではの特典だろう。

展示ケースはなく八方から拝観できる。

阿修羅との間にあるのは、天平の時がほのかに薫る空気だけだ。


幾多の戦火を生き延びてくれた奇跡に、手を合わせた。






奈良の興福寺に往くと阿修羅像が常に見られる。それと同時に明日香地域にあった廃山田寺から持ち込まれたとの云われがある

仏頭がある。阿修羅像は少女の憂いを含んだ顔に見えてくる。少ししかめたような眉毛と目の辺りがとっても引かれる。

山田寺の仏頭は端正な顔立ちで同様の仏像は他に見ることができない。かなり大きい大仏だったように想像できる。

奈良に近い京都に住んでいて,しみじみと恵まれた環境に感謝している。

奈良 京都では古い仏像を鑑賞するのにまだまだ訪れていない神社 仏閣が多い。時期によって同じものを見ても叉違った思いを抱く。










国内でも2メートル超の記録が残る最大級の淡水魚は、
自然破壊と保護の遅れから絶滅の危機にある。







平成21年4月2日の天声人語よりの引用


作家の開高健は60年代、ドイツの釣り具屋でセピア色の写真に血をたぎらせた。

ドナウ川で釣り上げた魚を大男が後ろ向きに担いでいる。

担がれてなお、尾を地面に引きずる巨体である

▼「ワシの脳のヒダに強烈に焼きついて離れない」というそれは、日本でいうイトウの仲間だった。

この魚への憧(あこが)れは断ちがたい。

釧路湿原で竿(さお)にかけた70センチ級を「このクラスは中学生や。

いや幼稚園か」と自嘲(じちょう)した作家は後年、モンゴルで1.18メートルを仕留め、宿願を遂げた

▼国内でも2メートル超の記録が残る最大級の淡水魚は、自然破壊と保護の遅れから絶滅の危機にある。

座視できないということだろう。


有数の繁殖地を抱える北海道南富良野町できのう、イトウを守る条例が施行された

▼釣ったら放し、春の産卵期は捕らぬよう促す内容だ。

イトウ保護連絡協議会の江戸謙顕(かねあき)さんは「一魚種のための条例は全国初でしょう。

強制力がないのが残念だが、行政の姿勢を明確にしたのは前進」と話す

▼56年前、北の巨魚はすでに伝説だった。

西園寺(さいおんじ)公一(きんかず)の随筆「西別川のイトウ」から引く。

「はっと思って立ち上(あが)ると、置き竿はいまにも水中へ引っ張り込まれそうに頭を振り、

腰を曲げ、リールが悲鳴をあげて、ナイロンの糸を吐き出しはじめる」。

激闘47分。

震える手で三尺八寸五分(1.17メートル)を抱いた

▼開高や西園寺を魅了した「メーター超え」の夢を、どうにかして次代につなぎたい。

数千の卵を抱えたメス、紅の婚姻色に染まったオスが雪解けの川を上るこれから、釣り人の我慢が試される。




大自然の中で゛の違った醍醐味があろうことだ。








経済がこの惨状だからこそ、
個人も会社も、そして国も、知恵の絞り時、
工夫のしどころだ






平成21年4月3日の天声人語よりの引用


入社式のあいさつの中で、荻田伍(ひとし)アサヒビール社長の言葉が印象に残った。

「大変な時期に入社したと考えるか、変革期こそチャンスと考えるかで、皆さんの行動や成長は違ってくる。

前向きに考えれば、知恵と工夫が生まれる」

▼門出の景気づけにしても、元気を分けてもらった。

経済がこの惨状だからこそ、個人も会社も、そして国も、知恵の絞り時、工夫のしどころだ。

ロンドンのG20サミットに集った首脳は、エゴを抑え、一緒に知恵と金を絞り出そうと話し合った

▼それにしても、次から次に浮かない数字が出てくる。

先の日銀短観では、大手製造業の景況感が過去最悪になった。

輸出が振るわないうえ、内需は賃下げや失業で湿るこれからが冬本番との見方さえある

▼過日の小紙で、同志社大学教授の浜矩子(のりこ)さんが「海外で跳びはねているジャパンマネーを呼び戻せ」と説いていた。

この辛口エコノミストによると、戻すべきものがもう一つある。

ふるい落とされた人を、政策の力で経済活動の輪に戻すことだ

▼浜さんは、怪しげな金融工学が経済の営みから人間を消したと嘆く。

「グローバル化の時代、仕組みだけ整えても運営はできない。

精神論ですが、心意気、魂、人間らしさが出てこないと輝きは増しません」

▼幸い、米ロの間に再び雪解けの兆しが見える。

同時不況の渦の中、どの国も好き勝手をする余裕はない。

中国とて大国の責任を感じていよう。

浜さんの言う「地球村」的な発想を促すなら、この危機は結構なチャンスかもしれない。

要は心意気である。






かなりの不況が続いている。まず最初に不況は弱者に及んでくる。切捨てリストラが当たり前の世界になってきている。

中小企業はあえんでいる。でも公務員の天下り何度かの退職金の支払いは止まない。

米ロも不況で対立している所ではない。考えれば元はプライムローンのアメリカの政策が始まりである。

アメリカの失政によって世界中が大変な迷惑している。始めに貧困層に住宅提供するのに政府が援助しておけば何も起こらなかった。

ブッシュはアメリカ大統領の中でも100年に一人の人物でイラク戦争で大勢の人たちを殺したことになる。










東京・上野動物園の08年度の入園者が、
前年度より60万人少ない290万人にとどまった。
300万人を下回るのは60年ぶり。







平成21年4月4日の天声人語よりの引用


札幌市の円山(まるやま)動物園で、昨年12月に生まれたシロクマの双子が大層な人気という。

性別の取り違いで有名になったツヨシ、ピリカ姉妹(元兄弟)の弟か妹だ。

こうして人気者を授かることもあれば、ままならぬことも多い。

命をつないでのやり繰りは大変だ

▼東京・上野動物園の08年度の入園者が、前年度より60万人少ない290万人にとどまった。

300万人を下回るのは60年ぶり。

不況に加え、昨春の「リンリン大往生」でパンダ不在となったのが響いた

▼パンダの賃借料は2頭で年1億円ともいい、石原都知事は「世界も狭くなったんだから、

いるところに行って見てきたら」と冷ややかだった。


しかし園内の提案箱は「パンダが見たい」との声であふれた。

子どもと数字は正直だ

▼客数の日本一は守ったものの、北海道旭川市の旭山動物園が13万人差まで迫っている。

ペンギンの散歩などで知られる旭山は、廃園の瀬戸際からユニークな見せ方で巻き返し、映画にまでなった

▼名物園長だった小菅正夫さんは3月末に定年を迎え、最後に自らガイドに立った。

「動物園の役割は命をバトンタッチさせること、動物のすごさを見てもらい、絶滅させてはいけないと思ってもらうことです」

▼すごいのはおりの外にもいる。

東京ディズニーランドとディズニーシーの08年度の入園者は過去最高の2722万人。

レジャーの「安近短」傾向が、ほどよい追い風になったらしい。

繁殖や飼育にやきもきする動物園をよそに、こちら、天寿も定年もない「80歳のネズミ」が出ずっぱりだ。





不況の波は動物園の入場にまでおよんでいるのだろうか。60年ぶりのことである。









「人殺し技術」の進歩で、いつしか弾頭を積んで飛ばす兵器を言うようになった
北朝鮮が飛ばそうとするのが人工衛星にせよ、ミサイルにせよ、
米国に脅威を突きつけるという狙いに変わりはない







平成21年4月5日の天声人語よりの引用


人類が核戦争のボタンに指をかけた、とされるキューバ危機は1962年に起きた。

米ソ間に生じた一触即発の緊張は、ソ連が、米国に近いキューバにミサイルの基地を造ったのが原因だった

▼かくもミサイルは恐怖を増幅させ、神経を逆なでする。

その語源はラテン語の「投げる」に由来するそうだ。

石でも矢でも、古くは飛び道具全般を指していた。

人殺し技術」の進歩で、いつしか弾頭を積んで飛ばす兵器を言うようになった

▼北朝鮮が飛ばそうとするのが人工衛星にせよ、ミサイルにせよ、米国に脅威を突きつけるという狙いに変わりはない。

成功すれば米本土の一部を射程にとらえる。

脅威を様々な交渉の道具とし、カードにも使うのは、あの国の得意技である

▼きのうの朝、北朝鮮は打ち上げを「間もなく」と発表した。

だが動きはなかった。
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それがまた憶測を生む。

国際世論を受けて自制したわけではあるまい。

頭上を飛び越されるわが国は緊張が続く。

愚挙を憤りつつ、万一に備えるしかない

▼戦争体験世代には空襲警報を思い出す向きもおられよう。

そこへオオカミ少年でもあるまいが、「発射」の誤報を政府が流して混乱が起きた。

時と場合によってはパニックを招きかねず、原因を明らかにする必要がある


▼日本に落下の可能性はほぼないとはいえ、北朝鮮の技術のほどは分からない。

下手なサーカスに頭上で空中ブランコをされるような不安は消せない。

その背景に、民衆を飢えさせながら兵器開発に入れ揚げる独裁国家の、寒々とした現実が透けている。




核競争になれば誰が見ても それは人類破滅への弟一歩である。










独裁国家、北朝鮮は、きのう飛ばしたものを人工衛星だと主張する
朝鮮中央放送のアナウンサーは力強く成功を伝えた。








平成21年4月6日の天声人語よりの引用


朝鮮の金正日総書記の健康不安説が、去年流れた。

姿が消え、真偽のわからぬ近況写真が何枚も公開されたとき、小欄は秦の始皇帝の死をめぐる故事を引いた。

変乱を恐れた側近たちは、皇帝がさも生きているかのように振る舞ったという

▼その故事には続きがある

。始皇帝の死後、趙高という宦官(かんがん)が権勢を振るった。

あるとき、馬だと称して二世皇帝に鹿を贈った。

二世は「これは鹿ではないか」と周りに聞いた。

正直に「鹿です」と答えた者を、趙高はみな殺しにしたという。

異論を言う者は許さない。

「鹿を指して馬と為(な)す」のもとになった話である

▼さて現代の独裁国家、北朝鮮は、きのう飛ばしたものを人工衛星だと主張する。

朝鮮中央放送のアナウンサーは力強く成功を伝えた。

異論は許さないと言わんばかりの、おなじみの自画自賛である

▼衛星打ち上げなら「銀河2号」、ミサイルなら「テポドン2」。

呼び名は変わるが同じものだ。

ミサイルは非難されるが、衛星なら国際社会の足並みは乱れる。

中国やロシアが引けば国連安保理は割れる

。したたかな計算が背後にあるようだ

▼言うとおりに衛星だったとしても、脅威は少しも減らない。

発射を受けた声明で、オバマ米大統領は「テポドン2」と呼んだ。

平和な宇宙開発など信じられないのは、むろん大統領ひとりではない


▼北朝鮮によれば、人工衛星は「金正日将軍の歌」などを地球に送りながら回っているそうだ。

後継問題に恐怖支配。

「金王朝」の現実は、古代の絶対王制の国家に否応(いやおう)なく重なっていく。







金王朝を作り出したのは何処の国と何処の国が関与しているのか。

日本の植民地支配から戦後米ソの冷戦で朝鮮戦争が勃発して多くの朝鮮の人たちが被害を被っている。

米ソ冷戦が続いてそれが現在に至っているのか現在の朝鮮の悲劇である。

金王朝は戦前戦中の日本の天皇制を上手く利用し真似ているように思えてくる。

日本の責任は重い。なんとか平和的な解決方法はないものだろうか。









誰もが鮮やかに旅立てるわけではないが、
終わりの日々をどう満たすかは万人の関心事だ
禅宗の高僧から発起し、
医師免許を取った対本宗訓(つしもと・そうくん)さん(54)








平成21年4月7日の天声人語よりの引用



東京で読んだ投稿欄「ひととき」に「あっぱれな旅立ち」という話があった。

103歳の母親を妹と看取(みと)った女性(78)からだ。

母は最後に、弱く手を握り返してきたという。

何かの合図だったかと、あとで母の日記を開いてみたら一枚の紙が出てきた

▼感謝の言葉に続き、こうあった。

「あの世で長いこと私を待っている、大事な人に電報を打ってあります。

待ちかねて迎えに出ていることでしょう。

喜びも半分、不慣れで心細さもありますが、待つ人に会える楽しみもあります」

▼たくさんの別れ、老いに病。

風雪を抜けてたどり着いた透明な境地であろう。

うらやましい去り際である。

誰もが鮮やかに旅立てるわけではないが、終わりの日々をどう満たすかは万人の関心事だ

▼禅宗の高僧から発起し、医師免許を取った対本宗訓(つしもと・そうくん)さん(54)が、このほど東京下町の内科クリニックで働き始めた。

一線で腕を磨いて、いずれは終末期の在宅患者を見舞うような役割を描いている


▼研修中、死期を控えた80代の女性患者に接した。

面会もなく、テレビも見ず、終日ベッドにいた。

「若い時のことを一つひとつ思い出して、なにも退屈じゃありません」。

それを聞き、対本さんは察したという。

次の世界に移る大切な心の作業なんだと

▼「医者の目を持つ宗教者として、心を乱さず吹き抜ける風のように、患者さんに接したい」。

それぞれの人生を背負った終末に模範解答はない。

心と体を併せ診る「僧医」の腕の見せどころである。

温かく見送る人たちに囲まれて、旅人の荷は軽くなる。




昔はガン末期は気の毒な状態だったが,緩和ケアが徹底してくるにつれて死ぬほどの苦しさの苦しみは少なくなってきている。

誰もが必ず死んでゆくものである。無から出てきて無へと移り変わってゆくものである。










全日本ろうあ連盟が、創立60周年の記念映画「ゆずり葉」を作った。








平成21年4月8日の天声人語よりの引用


ユズリハという木をご存じだろうか。

若葉が出そろったのを見届けて古い葉が落ちることから、この名がついた。

生命力を譲る、勢いを絶やさない縁起物として、祝い飾りにも使われる

▼全日本ろうあ連盟が、創立60周年の記念映画「ゆずり葉」を作った。

世代を超えて引き継がれる、ろう者差別との闘いを、切ない恋や親子の愛を通して描いている。

6月から各地で上映会がある


▼主演の庄崎(崎は山へんに竒)隆志さんらろう者と、今井絵理子さんら健聴者の役者が、手話のセリフを使って演じた。

聞こえず、話せない世界がどんなものか、健聴者の一見をお勧めしたい。

早瀬憲太郎監督は「聞こえても聞こえなくても楽しめる、新しい映像文化の可能性を探った」という。

自身もろう者だ

▼海外のテレビで「刑事コロンボ」を見た人が、言葉を解せぬもどかしさをぼやいていた。

「犯人は分かるのに動機がちんぷんかんぷんだ」と。

字幕のない日本映画やテレビ番組も、ろう者には味気ないものだろう

▼外見で分かりにくい聴覚障害は、不便も実感しづらい。

救急車を呼ぶのもメールかファクス、それも知人を介してと聞き、ようやく深刻のほどに思いが至る。

ろう者の権利や福祉を広げる運動は、文字通り命がけだった

▼今では、聞こえなくても車を運転でき、資格の壁も崩れてきた。

薬剤師の先駆けとなったのは早瀬監督の妻久美さんだ。

聴覚に限らず、ハンディを負う人が生きやすい社会は高齢者にも優しい。

日本語の字幕を追いながら、ユズリハの営みを一人でも多くに伝えたいと思った。







聾唖者は気の毒である。健康は一番だ。だが不自由な人たちがおられ,何時に突然に自分自身がなるかも判らない。

ハンディをもつ人達にとっても優しい社会であってほしい。








歳月が引っかいたモノクロの鬼女を見て、
この絵の10年後に生まれた淀川長治(よどがわ・ながはる)さんを思った








平成21年4月9日の天声人語よりの引用


信州戸隠山(とがくしやま)を訪れた平維茂(たいらのこれもち)の一行は、紅葉を楽しむ更科姫らと出会い、酒を酌み交わす。

美しい姫はそのうち鬼の正体をあらわし、酔いつぶれた維茂に襲いかかる。

歌舞伎「紅葉狩(もみじがり)」だ

▼この演目を収めた6分の映像が、現存最古の日本映画とされる。

1899(明治32)年晩秋の撮影で、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵する。

その一巻が、映画フィルムとしては初めて、国の重要文化財に指定されるという

▼歳月が引っかいたモノクロの鬼女を見て、この絵の10年後に生まれた淀川長治(よどがわ・ながはる)さんを思った。

〈女は怖い〉。

神戸の芸者置屋の坊(ぼん)だった淀川さんは、幼心にそう刻んだらしい。

映画を生涯の伴侶とした理由の一つといわれる。


作品が重文なら、評論の人間国宝だろう。

お元気であれば明日で100歳だった

▼98年に亡くなるまでの11年間は、都心のホテルの34階に居を構えた。

親しかった岡田喜一郎さんの『淀川長治の映画人生』(中公新書ラクレ)によると、部屋代は10日ごと、現金で払っていたようだ

その部屋から出かけての講演で、よく「私、明日死にますからね」と笑わせた。

そう思って今日に全力を注ぐ。

精いっぱい生き抜くための「おまじない」だったと、岡田さんはみる

▼試写会でお見かけしたが、淀川先生がいるというだけで、暗やみの空気が張り詰めた。

過去を振り返らず、いつも「今が一番楽しいなあ」と語っていたそうだ。

「おくりびと」のアカデミー賞受賞など、日本映画の昨今のがんばりを、あの名調子で語り尽くしてほしかった。






映画は好きで良く見に行った。現在は安価でDVDではつばいされて,昔の名作が簡単に見ることができてきている。

テレビ インタネットなどと情報を得るのに容易になってきていて助かる。

何時の時代も人間の心は変らない。










民間出身の初のお妃(きさき)として、
言葉に余るご苦労もあったろう。
静かな笑みの下の悲しみは殻に納め、
あるいは陛下と分かち合って歩んでこられた









平成21年4月10日の天声人語よりの引用


新美南吉(にいみ・なんきち)の童話に「でんでんむしのかなしみ」がある。

背中の殻に悲しみが詰まっているのに気づいた一匹が、もう生きていられぬと友達に相談する。

ところが、みんなの殻も悲しみでいっぱいだった

▼98年、インドであった国際児童図書評議会でのビデオ講演で、皇后さまがこの本に触れた。

「自分だけではないのだ。

私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。

この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています」

▼民間出身の初のお妃(きさき)として、言葉に余るご苦労もあったろう。

静かな笑みの下の悲しみは殻に納め、あるいは陛下と分かち合って歩んでこられた。

「よく耐えてくれたと思います」という夫君の感慨が、50年の起伏を物語る

▼あの日、馬車パレードを取材した渡辺みどりさん(74)は、間近の美智子さまに打たれた。

「お顔がむき身のゆで卵のようにピカピカで、胸のあたりはピンク色をして、はじけんばかりの美しさでした」。

その花嫁は何より、戦後日本の新時代を告げていた

▼一番の旧家にも新風が吹き込んだ。

浩宮さまをご自分の母乳で育てたのも一例だ。

〈含(ふふ)む乳(ち)の真白きにごり溢(あふ)れいづ子の紅の唇生きて〉の歌が残る。

平和憲法の下で皇室と大衆を近づけた、ご夫妻の功は大きい

▼ピカピカ、ピンク色の日本は戻らなくても、半世紀の平和が残したものは数知れない。

皇室の姿をめぐる自由な論議もその一つだろう。

祈ること、継ぐこと。

悠久の時が紡いだ遺産を託され、思案を重ねる家族を思う。生身の男女を思う。





歴史を古代から現在までを振り返れば,天皇を利用する人たちによって,常に社会がゆがめらてきている。

世界の中で王政ある国が少なくなってきている現在 再考する必要がある。

天皇一族の公務というものは国民といかなる関係が,つながりががあるのだろうか。

全国にある御陵を開放し,歴史学の役にたててほしい。国民の共有財産であるはずだ。

天皇は人間宣言されており,特別な存在でないことを天皇一族自身が明言されている。神の子孫では決してない。

不自由されている天皇家, 不自由してきた国民のためにも大いなる改革が必要だ。










「新潮ジャーナリズム」という言葉がある
怖いものなし、容赦なし
土台を築いたのは「新潮社の天皇」と呼ばれた剛腕編集者、
斎藤十一(じゅういち)氏である








平成21年4月11日の天声人語よりの引用


「新潮ジャーナリズム」という言葉がある。

怖いものなし、容赦なし。


興味にまかせて何にでも切り込む姿勢は、権力者や権威にとっては煙たい。

土台を築いたのは「新潮社の天皇」と呼ばれた剛腕編集者、斎藤十一(じゅういち)氏である

▼氏は「僕は俗物だ。

俗物が興味を持つのは金と女と事件」と説いた。

事件の裏でうごめく欲や人間模様を、しつこい取材で天下にさらしてみせる。

大衆週刊誌の範となったその手法は、きちんとした裏づけが命だ。

作り話でそそられるほど「俗物」は甘くない

▼一連の朝日新聞襲撃事件の実行犯として、週刊新潮が「実名告白手記」を載せた男性が、

「私は実行犯ではない」と手記の根幹を覆した。

どうやら、あの世の斎藤氏もびっくりの虚報らしい

▼新潮社は男性に90万円払っていた。

取材の謝礼ではなく原稿料だという。

フィクションの大型新人を発掘しようということか。

男性はなおも「手下がやった」と語っているが、飛びつく雑誌はあるまい

▼しっかり調べもせず、この人物の話を4週続けて字にした責任は重い。

いい加減に語られたのは許し難い言論テロだ。

仲間の悲運を稼ぎの種にされた者として、悲しい怒りを覚える。

ご遺族はなおさらだろう

▼本紙の記事を検索したところ、週刊新潮は08年以降、名誉棄損訴訟で少なくとも10回負け、計3千万円近い損害賠償を命じられた。

次号で手記掲載のてんまつを説明するそうだが、最近の筆の甘さを鋭くえぐる力作を期待したい。

やられました、というだけの「告白手記」なら、紙のムダである。





マスコミの責任は非常に大きい。商売だけではマスコミとして不的確であり,不適正である。

社会的役目が到って重大である。

嘘の記事をばセンセ-ショナルに報道することはけしからん話だ。










陽気に誘われて、せんだって山梨県の神代(じんだい)桜を訪ねた









平成21年4月12日の天声人語よりの引用


染め上げると言うにはあまりに淡い色を連ねて、桜前線の北上はきょうはどのあたりか。

陽気に誘われて、せんだって山梨県の神代(じんだい)桜を訪ねた。

日本三大桜と呼ばれる一本だ。

樹齢2千年ともいうエドヒガンの古木は、ちょうど満開の枝を空に広げていた

▼周囲が12メートルもある幹は黒い巨岩を思わせる。


瘤(こぶ)だらけで洞(うろ)をなし、節くれだっている。

その貫禄(かんろく)は、残雪の南アルプスに向かって一歩も引かない。

異形の塊から清楚(せいそ)な花が乱れ咲く様は、どこか妖(あや)しげな空気さえ漂わせていた

▼桜の花は万人に愛(め)でられるが、幹もまた捨てがたい。

桜の画家」で知られる中島千波さんに、「花を描くというより幹を描く」とうかがったことがある。

桜の表情は、花よりも幹に真骨頂があるのだという


▼やはり三大桜の一つに樹齢1500年という岐阜の淡墨(うすずみ)桜がある。

中島さんは初めて見て幹に圧倒された。

「古代人がそこにいるような畏敬(いけい)の念を感じた」そうだ。

以来、歳月を重ねた一本桜の肖像画を描く気構えで桜と向き合ってきた

▼〈さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり〉。

小紙歌壇の選者馬場あき子さんの一首を思い出す。

水流とは老樹のひそやかな鼓動だろうか。

それとも、遠い過去から吸い上げる悠久の時の流れなのだろうか。

いずれ、聞こうと心する耳にだけ響く音なのに違いない

▼群生の桜は「見に行く」だが、有名でも無名でも一本桜には「会いに行く」と言うのがふさわしい。

人、桜に会う。

仲を取り持って、二度とはめぐらぬ今年の春がたけていく。







樹齢2000年は巨樹である。近くの神社に在るような樹木は大きいがその比ではない。でも神木とされる樹を見つめていて

自然頭が垂れる気になる。しめ縄が巻かれるとなおさらのことである。

人間は自然には従わざるえないことを永遠に続くことであろう。










春のあけぼのに米国から届く祭典「マスターズ」の映像はまぶしかった







平成21年4月14日の天声人語よりの引用


週末ごとにゴルフ練習場に通った一時期、春のあけぼのに米国から届く祭典「マスターズ」の映像はまぶしかった。

咲き乱れるツツジやモクレン、白砂のバンカーに鏡のような池とグリーン。

人工美を極めたコースで世界のマスター(達人)たちが競う

▼今年は久しぶりに、4日続けて早起きした。

注目の石川遼選手(17)は予選で姿を消したが、片山晋呉(しんご)選手(36)は優勝者と2打差の単独4位に食い込んだ。

日本勢では過去最高の成績だ。

▼片山選手は171センチの体ながら、手堅いプレーで国内では無敵に近い。

最終日には、いつものカウボーイハットとシャツに小さな日の丸をつけた。

野球の「世界一」に刺激された、という分かりやすさがいい

▼「自分の言葉」を持っているのも魅力の一つだ。

試合後のインタビュー。

16番ホールでピンに絡んだ一打を「生涯最高の7番アイアン」と言い切った。


最終18番のバーディーパットは「迷わず、これを入れるためにやってたんだなあと思って打ちました」。

本音がにじんで、味わい深い

▼報道陣との受け答えといえば、大会史上2番目の若さで出場した遼君も、高校生とは思えぬこなれようだ。

どうすればこんないい子に育つのかと、見とれ、聞きほれる親御さんも多いだろう。

絵になり字にもなって、年1億円の賞金を稼ぐのだから

▼大きな大会が底力を引き出すことも、夢の舞台にねじ伏せられることもある。

どんな結果もプロらしさに磨きをかけ、見せるばかりか「聞かせる」選手が育つ。

一流の言葉が歴史に刻まれる。





ゴルフには熱中している方だが,朝早く起きる努力までして「マスターズ」を観覧しようとは思わない。

あくまでもプロのゲームだと冷めた所もある。

だが華麗なプレーにはあこがれる。年間一億円ものお金が10台の少年が稼げる世界でもある。











黄シャツの一群が空港に立てこもったかと思えば、
今度は赤シャツの一団が暴れ、国の威信と経済が転げ落ちていく。
今のタイである








平成21年4月15日の天声人語よりの引用


〈赤組と黄組が抜きつ抜かれつ、山から里へと転げ落ちてくる〉。

昨秋の小欄で、紅葉を前にそう書いたのを思い出した。

黄シャツの一群が空港に立てこもったかと思えば、今度は赤シャツの一団が暴れ、国の威信と経済が転げ落ちていく。

今のタイである


▼赤シャツは、現政権と対立するタクシン元首相派の勢力だ。

行楽地パタヤで東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の首脳会議を中止に追い込み、首都バンコクで治安部隊と衝突した

▼昨年11月には反タクシンの黄シャツが蜂起し、親タクシンの政権をつぶしている。

この実力行使に、当局は強く出なかった。

ではこちらも、というのが赤シャツの思いらしい。

スポーツの攻防を思わせる無法比べも、イエロー、レッドとくればもう「退場」だ

▼外国企業は投資をためらい、観光産業は痛手を負うだろう。

赤黄がぶつかるたび、緑の軍服が街にあふれ、旅行者は青くなる。

日本政府は「情勢が落ち着くまでタイへの渡航を控え、滞在者は赤や黄を着ないように」と呼びかけた

▼目下の混乱が収まっても、赤と黄の反目は続く。

国情の安定には投票による「色選び」が一番だが、そこはタイ式民主主義。

最後はプミポン国王のお出ましとなるのだろうか

▼仏教に根ざした微笑(ほほえ)みの国は、13世紀から独立と王制をほぼ保ってきた。

だから「西洋式」で万事うまくいくとは言わない。

それでも、ここは赤と黄が合意のうえで民意を問うべきだ。

そしてどちらが政権を担うにせよ、取りうる道は両派が折り合える、オレンジ色しかない。





タイは仏教徒で穏健な民族といわれてきたが暴力とか王様とかによる裁定でなく民主主義による

選挙が好ましい。

軍隊によるクーデーターが発端ならばなおさらに民衆の意見を聞くべき選挙すべきだ。










痴漢事件では過去10年、30件以上の無罪判決が出たが、
さすがに最高裁は初めてという








平成21年4月16日の天声人語よりの引用


ひとくくりに「痛勤電車」と恨まれても、イタさは各様だ。

すし詰めともなれば、つり革や握り棒にすがるまでもない。

青年の背が支えになり、おじさんの腹がクッションと化し、乗客はひとかたまりで揺れる。

身を任せながら、昨今、手の位置だけは気をつけている

▼痴漢の疑いで捕まり、一、二審で懲役1年10カ月の実刑判決を受けた防衛医大教授(63)に、最高裁が逆転無罪を言い渡した。

痴漢事件では過去10年、30件以上の無罪判決が出たが、さすがに最高裁は初めてという


▼教授は3年前の朝、通勤の満員電車で女子高校生に突然ネクタイをつかまれる。

悲劇の始まりだ。下着に手を入れた容疑だった。

しかし最高裁判決は、彼女がしつこい被害から逃れようとしていないなどと、不審の目を向けた

▼狂言とは思いたくない。

女子高校生の思い違いとすれば、冤罪により真犯人が笑い、善人の人生が暗転したことになる。

卑劣な犯罪に泣いた被害者は無罪判決をどう消化するのだろう

▼物証なし、目撃者なし、あるのは被害者の供述と容疑者の全面否認だけ。

こんな「藪(やぶ)の中」で裁けるものかと思うが、検察の幹部は「泣いている人がいるのに、やらないわけにはいかない」と語る。

慎重の上にも慎重に吟味するほかない

▼「痴漢したでしょう」とにらまれ、一番うろたえるのは身に覚えのない場合だろう。

涙声でとがめる少女を前にして、冷静に「両手のアリバイ」を立証する自信はない。

女性の尊厳を踏みにじり、時に男性まで泣かせる鬼畜の病に、つける薬を知らない。




冤罪は気の毒なはなしである。痴漢が最高裁までゆくなんて驚く話だ。










16年五輪の開催地選びで、国際オリンピック委員会の東京視察が始まった









平成21年4月17日の天声人語よりの引用

 国を挙げての祝祭にふさわしく、「東京五輪音頭」は大手レコード会社の競作となった。

三橋美智也、坂本九、橋幸夫らいずれ劣らぬ顔の中、抜け出たのが三波春夫である。

公募の詞に古賀政男が曲をつけたこの一作で、三波は国民的歌手の地歩を固めた

▼〈あの日ローマでながめた月が/今日は都の空照らす/四年たったらまた会いましょと/かたい約束夢じゃない……〉。

一等国の仲間入り、との高ぶりは2番で弾(はじ)ける。

〈待ちに待ってた世界の祭り/西の国から東から/北の空から南の海も/こえて日本へどんときた……〉

▼16年五輪の開催地選びで、国際オリンピック委員会の東京視察が始まった。

10月の投票で成就の満月を見上げるには、評価委にうまいこと報告してもらわないと困る。

本日は大事な会場チェックだ

▼この日のために掲げた歓迎の旗は5万枚と聞く。


かつての水泳の舞台、国立代々木競技場の体育館。

ここを訪れるのかどうか、周辺ではホームレスの青テント群が消え、招致を願う横断幕が揺れていた

▼こうした旧施設も使い、こぢんまり、環境に優しくとうたう東京の評判は悪くない。

泣きどころは、住民の支持が候補4都市で一番低いことだ。

街の印象や資力に加え、秋までの盛り上げが鍵となる

▼先の五輪は、首都の景色を変える大公共事業でもあった。

巨費を投じるからには、なぜまた開くのという大衆を「?」から「!」にする知恵が要る。

五輪賛歌が列島にこだました半世紀前を思い、居住まいを正して待つ再びの祭り。

さて、どんとくるか。







東京オリンピックで無駄な税金を国が出すならば,是非次回の総選挙の争点にしてほしいものだ。

何故に国民全員の税金を無駄なことに費やすのか国民は怒るべきだ。

何のため都民の大方が反対しているような東京都の自民党の石原知事のご乱心に何故国民までが巻き添えされるのか。!









時は止まらず、戻らず、秒針が刻む「今」があるだけだ。
過去は振り返り、未来は夢想するしかない









平成21年4月18日の天声人語よりの引用


10歳の女の子の独白である。

〈私は不思議に思う/悲しい時くるしい時、時間は長い/楽しい時うれしい時、時間は短い/

どうして時間はとまらないのかな/タイムマシンがあれば楽しいと思う/赤ちゃんの時や未来へ行ってみたり/

いろんなことをしてみたい/今私がすることは/あしたに向かって歩くこと〉

▼宇宙で人が暮らす時世というのに、時間旅行はままならない。

時は止まらず、戻らず、秒針が刻む「今」があるだけだ。

過去は振り返り、未来は夢想するしかない

▼小紙別刷り「be」が、読者8500人にタイムマシンで行きたい時代を聞いたところ、過去が59%、未来が41%と割れた。

過去は70年代、50〜60年代、80年代に続き江戸時代が人気だった。

未来は100年後、10年後、30年後の順だ

▼理由をざっと見ると、過去派は現在の自分につながる何かを変えたいらしい。

未来派は、自分や社会の行く末に案ずるところがあるようだ。

江戸の世や千年後の世界は、好奇心に誘われての旅先と思われる

▼悔いも憂いも加齢とともに増すけれど、お構いなく歳月は飛んでいく。

365日が短くなるのは、何をするにも「時の残量」がよぎるせいか。

夢のない話で恐縮だが、タイムマシンに乗るなら、行き先はともかく足腰が立つうちにと願う

▼冒頭の詩「時計」は93年、小紙群馬版に載った。

作者は「あした」へと歩き続け、20代も半ばのはずだ。

この詩に宿る、夢は夢として今をしっかり生きる心根は、充実した人生の支えになろう。

正子さん、まだお持ちだろうか。



生きている間だけが人生があり時間がある。

確かに楽しい時間は短く感じ苦しいときは時間は長い。

死んだ後のあの世の時間はどうなるのだろうか。?










イチロー選手のホームランを見ていると、まさに真打ちというか、
押しも押されもせぬ千両役者の趣がある








平成21年4月19日の天声人語よりの引用


 昔、ある放送局の入社試験で「真打ち」の意味を「ホームラン」と書いた珍答があったそうだ。

だがイチロー選手のホームランを見ていると、まさに真打ちというか、押しも押されもせぬ千両役者の趣がある。

最多安打の日本記録に満塁弾で並び、翌日も安打を放って抜き去った

▼高校時代の恩師の中村豪さんは「神がかり」と感嘆していた。

今回だけではない。

一昨年のオールスター戦での史上初のランニングホームランあり、先月のWBC決勝戦では勝ち越し打あり。

つくづくと、野球の神に愛された選手だと思う

▼神になぞらえられた往年の大選手テッド・ウィリアムズを思い出す。

引退を表明した年、本拠地最後の試合の、最後の打席で本塁打を放った。

いつものように淡々とホームを踏み、鳴りやまぬ拍手にもかかわらず、再びベンチから姿を現すことはなかった

▼その孤高を作家のアップダイクは「神様は手紙に返事をくれないものだ」と評した。

「手紙」とは観衆の称賛のこと。

感情を抑えたイチローの姿は、伝説の選手に重なりあう

▼そしてウィリアムズといえば「最後の4割打者」として記憶される。

はるか遠く、日米が開戦する1941年のシーズンに成しとげた。

今や4割は、それこそ神の領域の数字としてそそり立っている

▼数多いイチロー語録の中で「小さなことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただ一つの道と思う」はひときわ印象深い。

次なる「とんでもないところ」を楽しみにしつつ、旅路の険しさと孤独を、素人ながらに思ってみる。






イチロ-の野球は業にふさわしい修行者のイメ−ジを感じさせる。人一倍の努力を重ねた結果の賜物だろう。

禅僧の修行にも通ずるものを感ずる。

人間であることに違いないのは一般の人たちと変らない。












果物や野菜が実を結ぶのに、ミツバチは不可欠の月下氷人なのだという
今年は深刻なハチ不足が農家を困らせている








平成21年4月20日の天声人語よりの引用


いまや死語に近いが、「月下氷人」といえば男女の間を取り持つ仲人役をさす。

中国の故事に由来している。

幻想的なその言葉を借りれば、果物や野菜が実を結ぶのに、ミツバチは不可欠の月下氷人なのだという

▼花粉にまみれて受粉の仲立ちをしてくれる。

他の昆虫も媒介をするが、ミツバチの組織力は群を抜く。

巣箱一つに数万匹もいるそうだ。


サクランボにイチゴ、メロン……スイカもお世話になる。

だが、活躍の季節なのに、今年は深刻なハチ不足が農家を困らせている

▼近年、ミツバチの大量死が増えていた。

加えてセイヨウミツバチの輸入が、伝染病の影響などで止まっているためらしい。

やむなく毛ばたきなどを使い、人工授粉でしのぐ農家も多いと聞く。

収穫への影響が早くも心配されている


▼ミツバチの世界で、何かが起きているようだ。

北米では大挙して巣箱から失踪(しっそう)する異変が広がった。

原因を探った『ハチはなぜ大量死したのか』(文芸春秋)を読むと、人為でゆがんだ自然の歯車が、きしむ様子が見てとれる

▼『実りなき秋』が、本の英語の原題だ。

人は思っているよりずっと、ミツバチをはじめ授粉昆虫の恩恵を受けているという。

自然界の月下氷人が消えていけば、花は咲いても実を結ばず、むなしく萎(しお)れるばかりである

▼〈蜂の屍のかろく乾ける浄(きよ)らにて落花のほども媚(こ)びることなし〉斎藤史。

だが北米の大失踪は、そのハチたちの死骸(しがい)も見つからぬ不可解に包まれているそうだ。

小さきものの異変が、大きなほころびの兆しでなければいいのだが。




ミツバチの働きにより花が咲き実がなる。人工授粉でそれも大きな要素でなくなってきている。

自然界も人工的な要素で変りつつある。人間の都合の良い自然界にするならば

必ずに天罰がやってくる。












スターを発掘するテレビ番組に出た無名の女性が、
インターネットの動画サイトで一躍、時の人になった







平成21年4月21日の天声人語よりの引用


「情熱の詩人」で知られる英国のバイロンは1812年、24歳のときに『貴公子ハロルドの巡礼』を出版した。

ギリシャなどを巡って書いた長編詩はたちまち大評判となり、あの名ぜりふが吐かれることになる。

「ある朝目覚めたら、有名になっていた」

▼その詩人の国から、せりふを地でいく話題が届いた。

スターを発掘するテレビ番組に出た無名の女性が、インターネットの動画サイトで一躍、時の人になった。

少々太めの「おばさん」の見事な美声がいま、世界を駆け巡っている

▼スーザン・ボイルさん(47)で、教会のボランティアだという。

動画を見ると、彼女は最初、野暮(やぼ)ったい姿で登場して会場の失笑を買う。

だがミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の曲を歌い出すや、審査員は感嘆し、観衆は熱狂に包まれていく

小紙の記事によれば、動画はこれまでに、世界で5千万回近く視聴されたそうだ。

あの「ブッシュ大統領が靴を投げられた場面」の約3300万回を軽く抜いて、まだまだ増える勢いらしい

▼バイロンの名声を決定づけた本の売れ行きは、出版3日で500部、3週間で5千部だったという。

洛陽ならぬ「ロンドンの紙価を高めた」時代から、国境のないネット時代へ。

詩人と歌姫をめぐる数字のはざまに、200年の時の流れを見る

▼張りめぐらされた網の中でいま、人はたやすく名声も得れば、たやすく忘れられ、時折たやすく汚名を着せられもする。

「ある朝目覚めたら……」の驚きは、幸であれ不幸であれバイロンの時代よりずっと身近である。






この動画を見た。インターネットが普及した結果のことで素晴らしい声で歌っている。

ラジオだけの時代ならば立派な歌手になれる。

天はニ物を与えないことである。












今の漢字ブームに驚いていることだろう
そのブームの主翼を「漢字検定」は担ってきた










平成21年4月22日の天声人語よりの引用


戦前のことだが、「ふりがな廃止論」というのが評判になった。

言い出した作家の山本有三は、ふりがなを、「むづかしい漢字をやたら使ったために、そこからわき出たボーフラ」だとこき下ろしている

(『戦争とふたりの婦人』岩波新書)

▼ふりがなをやめれば難しい漢字は使えず、難語はおのずと制限される。

そうした一理ある主張ではあった。

戦争に負けると漢字はさらに冷遇され、一時は撤廃論やローマ字化論も勢いづいた。

山本は泉下で、今の漢字ブームに驚いていることだろう

▼そのブームの主翼を「漢字検定」は担ってきた。

昨年度の挑戦者286万人は大阪市の人口をしのぐ。

だが6月に予定されている次の実施が危ぶまれている。


日本漢字能力検定協会の「にごり水」が、清まる見通しが立たないからだ

▼すでに明るみに出た問題に加え、不可解な高額退職金や、協会名義のカードの私的利用など、色々とわき出している。

文科省は検定への後援と大臣賞の交付を取りやめた

▼漢字といえば、研究に生涯をささげた白川静さんの面影が浮かぶ。

その清廉から、協会の有り様はずいぶんと遠い。

白川さんは漢字は一種の映像だと言っていた。

カタカナでは素っ気ない人の名も、漢字で書けばたちまち姿がよみがえる。

サクラより「桜」の方が、さまざまな事を思い出す

▼協会の新理事長はきのうの会見で「100日での再生」を強調していた。

言葉どおりの立て直しを信じたい。

でないと「漢字」とつづる文字に欲と金のイメージがつきまとうことになりかねない。





元を正せば漢字の普及で゛なく金儲けの為の手段にされている。

同じようなことが他にもないものだろうか。

漢字には東洋人である我々も魅了されることがある。漢字で書かれたものに大変に魅かれる。







土門が健在なら、七光りを浴びて国政につく議員をどう見るだろう
自民党衆院議員の3人に1人が世襲である







平成21年4月23日の天声人語よりの引用


今年が生誕100年の写真家土門拳は山形県の没落士族の家に生まれた。

時おり「ペンネーム」と間違われたその名は本名で、父親が「徒手空拳をもって立つべし」と激励の思いを込めてつけたという

▼「その通り辛(つら)い人生を生きなければならなくなった」と振り返る時代をへて、

揺るがぬ名声を築いた成功はよく知られている。

「リアリズムの鬼」と評された風貌(ふうぼう)はいかつい。

素手でたたき上げた者の凄(すご)みと気迫は、作品にも乗り移っている

▼土門が健在なら、七光りを浴びて国政につく議員をどう見るだろう。

自民党衆院議員の3人に1人が世襲である。

閣僚は実に3分の2を占めている。

さすがに党内からも「世襲制限を公約に」と唱える声が出た。

と、尻尾(しっぽ)を踏まれた虎さながらに、たちまち反発の声が起きた

▼高い枝に果実がぶら下がっている。

普通の身の丈では手が届かない。

そこへ親譲りの竹馬に乗った者が現れて悠々と実をもいでいく――。

それが世襲の印象だ。

竹馬どころかクレーンのように盤石な七光りも多い。

ここ3代の首相など、そのくちだろう

▼その前の首相は、きたる次の選挙で次男に地盤を譲る。

当選すれば4代目というから、なかなかの老舗(しにせ)である。

改革を叫び続けた元首相の「寝返り」は、はからずも世襲問題を表舞台に連れ出したようだ


▼土門は自らを、写真家ではなく「写真屋」と称したという。

仕事への愛着と、徒手空拳の自負の溶けあった、深い心の内が伝わってくる。

蝶(ちょう)よ花よの政治家より、そんな「政治屋」はどこかにいないものか。






小泉首相は勝手な改革をして国民を翻弄させ,まだ若いのに辞め子供に継がせる。

叫んできた「改革」の正体を見る思いである。

敵前逃亡せずに堂々と自分の改革が正しかったと一貫性をもって政治家としてd生涯を貫き行動すべきだ。

人生色々で,変人が首相になり国民を化かして社会を混乱させ,後はどうともなれで終いである。

盟友のブッシュは汚名を立派に残し,辞めていっている。死んでいった人々を残して優雅な余生を送っている。

ブッシュの為にアメリカ国民 世界中の人たちが大変迷惑した。










尼崎の小山ひとみさん」という人の作品が、
朝日歌壇によく選ばれる
いつも、戦死したひとり息子の歌をうたう。








平成21年4月24日の天声人語よりの引用


名古屋に住む年配の男性から「小山ひとみさん」について手紙をいただいた。

遠い星を見るようになつかしく、その名を思い出す方もおられよう

▼36年前の、終戦記念日の小欄の書き出しを引いてみる。

〈「尼崎の小山ひとみさん」という人の作品が、朝日歌壇によく選ばれる。

いつも、戦死したひとり息子の歌をうたう。


その痛哭(つうこく)のあまりのはげしさに、この人の名を記憶されている読者もいるだろう〉

▼行商で独りの暮らしを立てていた人という。

〈わが生のあらむ限りの幻や送りし旗の前を征(ゆ)きし子〉。

〈貧しさの中に育てて成人せり戦死せし子よ今日の食足る〉。

いまや戦後生まれは4分の3を超す。


だが当時、悲嘆を共にする老いた父母は全国に多かったに違いない

▼手紙を寄せた方はもっと若い世代だが、「忘れがたい」と書いていた。

新聞短歌は時代を刻む。

小山さんの歌は、選者のひとり故近藤芳美氏がよく選んでいた。

その氏が朝日歌壇から抄出した『無名者の歌』(74年)は庶民の戦後史さながらである

▼〈ボロまとい訪(と)いくる母に看護婦の中の一人が優しかりけり〉は結核療養所で詠まれた。

〈生涯のしあわせいのり嫁ぎ来て夫(つま)の鉱衣をはじめて洗う〉は、炭鉱のその後を思えば切ない。

〈薪(まき)割りの響きさみしき昼さがり離農のことを口にせぬ妻〉。

遠ざかる昭和が三十一文字(みそひともじ)の中にある

▼そしていま平成21年が、自称ホームレス歌人の公田耕一さんらによって小紙歌壇に刻まれつつある。

歴史からこぼれる、ゆえに忘れがたい、名もなき我らの鼓動である。





戦死した家族にとっては忘れることの出来ない大きな出来事である。

不思議とカラオケで歌う歌の自動的に採点する点数では「軍歌」が一番良い。

それほどに子供の頃の軍歌が頭の中にしみこんでいるようだ。愛国行進曲である。








子どもたちの胸に、母を慕い、
父を思う詩心がふくらんでいく幸せを、
社会として守らねばなるまい








平成21年4月25日の天声人語よりの引用


福島県で刊行されている児童詩誌『青い窓』を、いつも送っていただく。

主宰していた佐藤浩さんから聞き、ずいぶん前の小欄が紹介した一編を、逸話とともに思い出した

▼〈お母さんが 車に はねられた/お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた/

お母さんを かそうばへ つれていった/お母さんが ほねに なってしまった……お母さんを 

ほとけさまに おいた/お母さんを まいにち おがんでいる〉

▼書いた小学4年生に、担任は「お母さん」は1回だけでいいと指導したそうだ。

だが、児童は直そうとしない。

迷った先生から相談を受けて、佐藤さんは言った。

「何回でも、何万遍でも書かせてあげてください。


その子の悲しみをわかちもって……」

▼大阪で行方不明になり、遺体で見つかった女児も小学4年生だった。

虐待の末に死亡した疑いが強いという。

何度声に出し、心の中で、「お母さん」と叫んだかと思うと胸がつぶれる。

恐怖から救ってほしい一心で、である

▼母娘は内縁の夫と暮らしていた。

母親は救えなかったのか、救わなかったのか。

わが子が埋められた後で捜索願を出していた。

保育園の写真に母娘は満面の笑みで寄り添っている。

「お母さん」と何万遍も慕ったことだろう。

悲劇との落差に声もない

▼〈迷い子の親はしゃがれて礼を言い〉と古川柳にある。

声をからして捜し回り、やっと見つかったと親も周りも安堵(あんど)する。


子どもたちの胸に、母を慕い、父を思う詩心がふくらんでいく幸せを、社会として守らねばなるまい。






老人の世界では父母の「棄老」が問題になってきている。お母さんを思うのは純真な子供の時だけのことなのだろうか。

老人を尊ぶ社会は欧米化の波でもってふっ飛んでいってしまっている。そこまで欧米に真似る必要はないはずだ。

なにもかも欧米化が正しいとの考えから早く脱却すべきである。










欧州の水族館が共同研究で研究チームは
タコの様子を何カ月もビデオに収め、数千回の動きを分析し








平成21年4月26日の天声人語よりの引用


世相がざらつくと、古川柳の脱力感が恋しい。

〈幽霊の留守は冥土に足ばかり〉。

夏場の下界、下半身がはっきりしないのが一斉に「うらめしや〜」とやっている。

あの世じゃ足だけが主の帰りを待っているという、なるほどの一句だ

タコにも冥土があれば、もう足だらけだろう。

ただ、あの8本は足ではなく、腕か触手と呼ぶそうだ。

しかもうち6本は役目も手に近いらしい。


欧州の水族館が共同研究で突き止めたと、外電が伝えていた

▼「手をあげておくれ」とは言えず、研究チームはタコの様子を何カ月もビデオに収め、数千回の動きを分析した。

腕は前寄りにあるものほど物をつかむのに使われ、後ろ2本は専ら移動用だったという

▼もっとも、手足の別は人間サマの理屈。

器用に進化した前脚をテと称し、歩行を任された後脚をアシと呼ぶにすぎない。

タコ的には、今を生きるのに最適な腕を操っているだけだろう。

頭に胴体が乗っかり、足のつけ根に口がある「非常識」な生き物に、私たちの尺度は意味をなさない

タコについては、軟体動物では異例の知恵が実証されている。

米国の海洋学者、ユージン・カプラン博士は「イヌ並みに賢いという説に喜んで賛成する」と書いた。

とりわけ「やわらかい生き方」は示唆に富む


▼骨がないから小穴も抜け、いざとなれば腕を切って姿を消す。

保護色、墨の煙幕、水を噴き出しての瞬間移動など、柔肌を守る技は忍者も顔負けだ。

危うさに満ちた時代に、タコの闘争……ならぬ逃走力は、世渡りの参考になるかもしれない。





タコの動きを正確にはわからないでいる。何故か研究する人たちの理由が直ぐに理解に苦しむ。

「タコのような人」とは良い印象はもたれていないが,:賢明な生き方だと賞賛される日がくるのだろうか。

情けない気持ちもする。











一切の無駄をそぎ落とし、機能を追い求めた姿は美しい
これほど美しく、スパルタンな島はなかろう
35年ぶりに上陸が許された長崎市沖の端島(はしま)だ









平成21年4月27日の天声人語よりの引用


英語にスパルタン(古代スパルタ風の)という言葉がある。

質実剛健、飾り気がないといった意味で、スポーツカーの試乗記などで目にする。

何であれ、一切の無駄をそぎ落とし、機能を追い求めた姿は美しい

▼その意味で、これほど美しく、スパルタンな島はなかろう。

35年ぶりに上陸が許された長崎市沖の端島(はしま)だ。

海底の石炭を休みなく掘るためだけに、小さな岩礁の周りを埋め立て、高層アパートがひしめく「軍艦島(ぐんかんじま)」の異形となった


▼陸上競技場を二つ並べたほどの島に、昭和30年代には5千人以上が暮らし、集合住宅の実験場といわれた。

小中学校、病院、映画館、寺社も一つずつ。

無人となる74年まで、すべてのものに存在理由があった

▼80年代、ほど近い池島の海底炭鉱にもぐったことがある。

「まず600メートル降ります」の言葉にこわばったものだ。

地の底を進んだ穴の先で、重機がうなりを上げていた。

過酷な仕事は鉱員や家族を一つにする。

端島の生活にも濃密な連帯感が満ちていたと聞く

▼閉山前から島を見てきた写真家、雜賀(さいが)雄二さん(57)が語る。

「残すべき場所だから、もっと早く手を打つべきでした。

それでも、あの姿を前にすれば誰しも何かを感じ取る。

近現代史や人間の未来を考えるきっかけにもなる」

かつては強制連行の外国人も働いた。

高度成長の初期を支え、島民もろともエネルギー革命の波にのまれた不夜城に、今度は観光資源の期待が寄せられる。

人工地盤の下に折り重なるいくつもの記憶をたどれば、廃虚はおのずと語り始めるだろう。





軍艦島は聞いたことはあるが、端島はしらない。同じもののようだ。閑があれば゜一度訪ねてみたいが

わざわざに往く所でもないようだ。大東亜戦争の遺産なのか。










最悪の事態に、メキシコや米国の豚インフルエンザは至るのか








平成21年4月28日の天声人語よりの引用


大正の中期、スペイン風邪が世界で猛威をふるった。

文学者島村抱月の急逝はよく知られるが、歌人の与謝野晶子も一家で感染した。

子どもが小学校でうつされて家族に広まったようだ

▼晶子は「感冒の床から」という一文を新聞に寄せる。

学校や興行など人の集まる場所の閉鎖で後手に回った政府の対応を突いた。

年をまたいで暴れた新型インフルエンザは、国内だけで48万人ともいう命を奪った

▼当時の内務省の記録には「パンデミック(世界的大流行)」の言葉がすでにある。

その最悪の事態に、メキシコや米国の豚インフルエンザは至るのか。

世界が神経をとがらす中で死者は増えつつある

▼分かれ目は、毒性の強さと、人から人に感染するかだという

そうなれば怖い。

去年の「リーマン・ショック」を思い出す。

グローバル時代、対岸の火事にも見えた炎は、たちまち同時不況となって世界を包んだ。

スペイン風邪の昔に比べて地球はぐっと狭くなっている

▼世界保健機関(WHO)は引き続き警戒レベルを検討しているそうだ。

上げれば往来や物流に支障が出て、経済などを損ないかねない。

とはいえ後手に回れば恐ろしいダメージを世界に与えてしまう。

左右の崖(がけ)を覗(のぞ)きながらの厳しい判断なのだろう

▼今のところ我々には「冷静に」が呪文となろう。

情報公開を求めながら情報にあわて、パンデミックより先にパニックに絡め取られてはつまらない。

今回逃れても、いずれ来る未知との闘いである。

試されるのは、個々の対応を含めた国の総合力だと胸に留めたい。





新型インフルエンザは世界的なインフルエンザと騒いでいるが季節性インフルエンザも同じく恐ろしい。

O157騒動を思い起こす。全くの自然現象なのだろうか。経済戦争の一環として発生しているとも感じられる。

梅毒 天然痘などは現在は殆んど見られなくなってきている。当時にはウイルスによる病気はなかったのだろうか。

考えられないことだ。










その先達を嘆かせるように、この国の借金は膨れるばかりだ
自治体を合わせた債務の残高は800兆円にのぼる









平成21年4月29日の天声人語よりの引用


開化期の国づくりに貢献した福沢諭吉は、味わい深い言葉を多く残した。

「およそ世の中に何が怖いと言っても、暗殺は別にして借金ぐらい怖いものはない」と自伝で述べている。

1万円札に刷られた人の遺訓と思えば説得力がある

▼その先達を嘆かせるように、この国の借金は膨れるばかりだ。

自治体を合わせた債務の残高は800兆円にのぼる。

企業や家庭なら、とうの昔に身動きならない雪だるま状態だろう

▼政府は補正予算案を国会に提出した。

その15兆円を合わせると、今年度の国の予算は史上初めて100兆円を超える。

不況下に浮揚策は必要だが、新規の国債も最高になる。

その額44兆円は税収の総額にほぼ並ぶそうだ。

家庭でいえば、実入りと同額の借金でしのぐ危うい暮らしである

▼それにしても「100年に一度」の言葉は、いつしか政府与党の護符になった感がある。

「だから解散している場合ではない」「だから思い切った刺激策を」――。


何でも弁護してくれる。

高速道路の「千円」も、補正の大盤振る舞いも、護符をぺたぺた張った選挙対策に見えてくる

▼諭吉が借金を恐れたのは「必ず返済せねばならぬ」かららしい。

国の借金も変わらない。

ツケは必ず将来に回る。

増税の靴音はもうそこに聞こえている

▼思えば諭吉だけでなく、5千円札の一葉も千円札の英世も、金には縁遠い家に生まれた。

だが、知っての通りの賢人ぞろいだ。

政府の言う景気対策のための「賢い使い方」なるものを、国会論戦を眺めつつ雲上で吟味し合っているに違いない。







100年に一回の大不況である。そこに総選挙が絡んできて不況対策なのか、バラマキなのか不鮮明での補正予算がある。

麻生首相の大好きな漫画アニメの殿堂建設には大反対である

もっと直接生活に関与する緊急を要するところに真面目に投資してほしいものだ。

政権交代して,権力を失えば何も出来なくなるので,すき放題ののことを三分の二の衆議院数ておこなわれようとしている。

政治は国民の方向に目が向いていない。確かな政治をするにはまず国民に信頼されているかどうが一番大切だ。

確認せずしてまともな政治は出来るはずがない。






4月の言葉から







平成21年4月30日の天声人語よりの引用

万物萌(も)え出(い)ずる季節に新しい年度が始まる。

命の力をもらうような、人の暦の妙である。

百花新緑のもとで様々なスタートが切られた4月の言葉から

▼伝統の博多包丁の職人、宮崎春生さん(23)が故郷の長崎県・五島で独り立ちした。

福岡の親方に弟子入りして丸5年、技を研いできた。

「道具を作るだけでなく、お年寄りの家には包丁研ぎに回ります。

人の役に立てる職人になる」と思いを語る

▼東京の高野雅夫さん(69)は大学院の特任教授に就任した。

少年期の曲折をへて、17歳のころ初めて文字を覚えた。


「初めて『たかのまさお』って書けたとき、頭のてっぺんからつま先まで電流が走ったようだった。

人間になったんだと感じた」。

自らを教材に貧困や尊厳を学生と考えたいそうだ

▼厳しい門出もある。

献金疑惑に揺れる西松建設の入社式で、石橋直社長(69)は「凪(な)いだ海での出航を用意できなかったことを本当に申し訳なく思う」。

それでなくても不況の日本で、艱難(かんなん)はフレッシュマンを玉にするか

▼日本中央競馬会の競馬学校には8年ぶりに女子合格者が入った。

埼玉出身の小沢桃子さん(16)は「騎手になることをゴールにするのではなく、勝てる騎手になりたい」。

牝馬(ひんば)ながらダービーを制したウオッカに自身を重ねる

▼東大の入学式に、昨年ノーベル物理学賞を受けた米国の南部陽一郎さん(88)が祝辞を寄せた。

「学校の成績と社会に出てからの成功度とは別物。

人はボルトやナットのような規格品であってはつまらない」。

全国の新入生へのはなむけでもあろう。









池田輝政と姫路城 その継妻の督姫と本教寺




池田 輝政(いけだ てるまさ)は戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将・大名である。     -以下インタネットよりの引用-

美濃国池尻城主、同国大垣城主、同岐阜城主、三河国吉田城主を経て播磨国姫路藩主となる。

姫路城
を現在残る姿に大規模に修築したことで知られる。

岡山藩池田家宗家初代。

永禄7年(1564年)12月29日、織田信長の重臣・池田恒興の次男として尾張国清洲(現・愛知県清須市)に生まれた。

のちに、信長に仕え、天正8年(1580年)の花隈城攻略の際(花熊城の戦い)には、その軍功により信長から感状を授けられた。

天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が明智光秀に弑されると、父兄と共に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に仕え、

同年10月15日、秀吉が京都大徳寺で信長の葬儀を催すと、輝政は羽柴秀勝とともに棺を担いだ。

天正11年(1583年)、父が美濃国大垣城主となると、輝政は池尻城主となった。

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、父の恒興と兄の池田元助が討死したため家督を相続し、

美濃国大垣城主13万石、ついで岐阜城主13万石を領する。

その後も紀州征伐や越中征伐、九州征伐など秀吉の主要な合戦の大半に従軍した。

小田原征伐後の天正18年(1590年)には、三河国の内、宝飯・八名・渥美・設楽4郡(東三河)において15万2000石に加増され、

吉田(現・愛知県豊橋市)城主となった。

また、在京の粮米として伊勢国小栗栖の庄を与えられた。

文禄の役に際しては吉田城に留まり東国警衛の任にあたった。

豊臣時代、輝政は豊臣一族に準じて遇され、従四位下侍従、および豊臣姓を許される。

また、関白・豊臣秀次の失脚時、秀次の妻妾の多くが殺害されたものの、輝政の妹・若御前(秀次の正室)は特に助命されるなど、

特別丁重に扱われている。

文禄3年(1594年)、秀吉の仲介によって、徳川家康の娘・督姫を娶る。

慶長3年(1598年)8月、秀吉が没すると家康に接近。

また、武断派の諸将らと共に行動し、文治派の石田三成らと対立し、翌慶長4年(1599年)閏3月3日、武断派と文治派の仲裁をしていた前田利家が死去すると、

七将の一人として福島正則や加藤清正らと共に石田三成襲撃事件を起こした。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川方に与し、本戦のみならず、前哨戦となった岐阜城攻略にも参加し、

福島正則とともに功を挙げた(岐阜城の戦い)。

戦後、播磨姫路52万石に加増移封され、名を輝政と改めた。

慶長6年(1601年)から慶長14年(1609年)にかけて姫路城を大規模に改修する

また、諸大名らと共に、慶長11年(1606年)の江戸城普請、同14年(1609年)の篠山城普請、翌15年(1610年)の名古屋城普請など、天下普請にも従事し

篠山城普請では総普請奉行を務めた。

翌16年(1611年)3月には、二条城における家康と秀頼との会見に同席した。

慶長17年(1612年)、正三位参議、および松平姓を許され「播磨宰相」「姫路宰相」などと称された。

家康の娘・督姫を娶った際、伏見の徳川屋敷を訪れた輝政は「長久手の戦いでわが父を討った永井伝八郎なる者はこの席におりますや否や?」と聞いた。

家康が「末座に控えています」と答え永井を輝政の前に進ませると、輝政は「父の最期を聞かせてほしい」と頼んだ。

永井が物語りした後、輝政は「この者の身上はいかほどにござりまするや?」と聞き、「5000石にござる」と答えると、輝政はみるみる不機嫌な顔つきになった。

一同は輝政が仇討ちするのではと肝を冷やしたが、輝政は「父の首はたったの5000石ですか…」と嘆息したという。

この件が直接の原因かは定かではないが、永井家はその後7万2000石を拝領する事になった。

督姫(とくひめ、1565年12月3日(永禄8年11月11日)- 1615年3月3日(慶長20年2月4日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性である。

徳川家康の次女。母は側室の西郡局。徳川秀忠の異母姉。於普宇、富子、播磨御前、良正院。

三河の生まれ。1582年(天正10年)、本能寺の変により織田信長が死去したため、甲斐や信濃が無主状態となると、

家康と北条氏直による甲信をめぐっての領土争いが始まる。

しかし、当時の徳川氏と北条氏は戦力がほぼ互角であったため、まともに戦えば手痛い打撃を受けると考えた両者は、和睦することで矛を収めることとした。

このときの和睦の条件として、19歳で氏直の正室として嫁いだ。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は滅亡する。

このとき、氏直は義父の家康の助命嘆願で秀吉から助命されて高野山に流された。

のち、赦免された氏直のもとに赴くも、その翌年に氏直が死去したため、家康のもとへ戻った。

1594年(文禄3年)、秀吉の計らい(仲人)で池田輝政に再嫁した。

輝政とは仲が良く、忠継、忠雄、輝澄、政綱、輝興、振姫など5男2女に恵まれた。

外様ながら松平姓を許されるなど、池田氏繁栄の元を開いた。輝政の死後、姫路城で死去。享年51。

姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城である。

日本における近世城郭の代表的な遺構である。

この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まる(異説もある)。


戦国時代
後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏

のち本多氏酒井氏などの譜代大名が入城した。

明治時代には陸軍の兵営地となり、歩兵第十連隊が駐屯していた。この際に多くの建物が取り壊されたが、大小天守群、櫓群が

当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ、太平洋戦争においては空襲に見舞われたものの焼失を免れた。

現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝

74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されている。

また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

現存天守は、江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる「国宝四城」(通例として、

国宝指定の天守を持つ城のことを指し、姫路城・松本城彦根城犬山城をいう)の一つでもある。

本教寺は京都市伏見区大手町の大手筋にある日蓮宗の寺院である。池田輝政に継妻として再婚した徳川家康の次女督姫日受上人に帰依し,

始め西浜町あたりに小庵を建て督姫が十六歳で(29歳か)1594年(文禄3年)に池田輝政公の姫路城に迎えられる時に姫が邸と敷地を日受上人に寄進され

当山が移転し広い寺域をもつことになった。慶長19年(1614}のことである。

督姫は幼少時代から太閤秀吉にに寵愛されて 当時伏見城内にあった牡丹を太閤から賜って現在も寺内に連綿として咲いている。「慶長の牡丹の寺」として

地域の人たちによってしたしまれている。幻の名城とうたわれた伏見城ゆかりの数少ない遺品である。

本堂は享保年中(1716年)近衛関白家の「元 堀川御殿」であり公の寄進で移築され,その千鳥波風に加え唐風のの庇をもつた豪壮華麗の建築美は

寺院の寺観をたかめている。

境内には妙見宮があり池田家伝来の北辰系妙見本尊が祭祀されている。「大手筋の妙見さま」として親しまれている。

古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。

これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。

「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。

寺院には1600年頃の督姫自画像が保存されている。




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