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五月になって






五月は暑くもなく寒くもない一年の内で一番過ごし易い季節である。五月五日は節句の日で子供の頃住んでいた

氏神である藤森神社の祭りの日でもある。参道には出店が多く並んでいて.店の出始める五月一日から五日までの間

毎日のように通ったものである。

藤森神社の神さんは戦時中は戦いの神さんであり、戦後は学問の神さん,現在は勝負の競馬に勝てるように祈願する神さんになっている。

宝物殿には神社の行事である駆け馬にちなんで,,世界中から集められた沢山な馬の玩具の収集が印象的である。

だが主たるものは沢山な神社に代々伝わる宝物が収蔵され,陳列されていることである。

子供の頃は,旧暦の五月である六月五日が祭りだった。

藤森神社の歴史は古い。草創のころは現在の稲荷神社の敷地に在った。稲荷神社が麓に下りてくると共に現在地に移る。

稲荷神社の近辺 参道内に在る店も藤森神社が氏神さんのようである

現在の神主職にある藤森氏も天智天皇の系譜のようである。天智天皇の後裔である春原氏の系図に藤森氏 寺内氏が記載されている。

寺内氏には我が家の三代前の曾祖父の代の姉妹が嫁入りしている。

だが現在は火事と疎開で同じ住所にはおられないようである。

歴史が好きなものだから昔のことを調べていて判ったことである。

祭りの日は武者行列 神輿 駆け馬などの行事があり,家で鯖寿司を作り親戚に廻って届けた記憶があるが,現在は止めている。

昔の古い家だけが残り,祖父達が集めた収集物は放置したままである。

なんとか元のように回復したいものとの思いは強いが大変な事業でもある。

正月と並んで,子どもにとって藤森祭りの頃は楽しい季節であった。

今回新インフルエンザが連日のように報道され,叉ファクスで送られてくるインフルエンザ情報も読みきれないほどに

多く送られて来ている。

この月は新インフルエンザの月だといっても過言ではない位であった。

現在,インフルエンザは日本全国に次第に広がって来ているが,幸いにも死者はまだ出ていないようだ。

ワクチンも9月頃には製造出来るようなことが報道されているが。

北半球のオ−ストラリアは冬に向かっており,急速にインフルエンザが広がりWHOのサイトを日本語自動翻訳すると

次のようなページが出た。世界的なインフルエンザ流行としても5段階から6段階に引きあげられた。

現在最高位のレベルの世界的な大流行になっている。

なんとか早く沈静化してほしいものだが,日本でもこの秋から冬にかけ再流行するといわれているので心配だ。

日本の政局で特に目立つのが麻生首相の盟友であり,同士でもあった鳩山総務相が

郵政民営化に伴う郵政会社のカンポの宿問題でもって西川善幸社長が辞めさせようとしたが,麻生首相が同意されず本人が辞めてしまっている。

普通問題を起した西川善幸社長を辞めさすべきなのに,首相が何故に辞めさせられないのか納得がいかない。裏に黒い影を感ずる。

逆に鳩山邦夫総務相が正義の為に辞めるとしている。

自民党の鳩山邦夫前総務相は15日午前、日本郵政の西川善文社長の続投に反対の考えを重ねて示した上で、

「(日本郵政には)不透明さの中に巨悪が潜んでいるにおいはある。

郵政の汚れた部分の追及は当分、国民のためにはしなければいけない仕事だ」と述べ、

「かんぽの宿」の一括売却などの問題を引き続き徹底追及する考えを強調した。

我々庶民側としては鳩山邦夫前総務相の言うことの方がはるかに納得ができる。

自民党政治の悪い所を露呈した利権がらみの話のような気配である。

これでは郵政民営化しても,何のための民営化だったのかも判らなくなってきている。

自民党の改革とやら自体が間違っており,改革よりも政治を透明化し,公明正大にすることの方は放置されたままになっている。

幾ら改革など言っていたとしても,本質的に公明正大さが放置されたままならば,全く何をしていても変りがない。

次回総選挙を如何に自民党の都合の良い時期を選んで解散するだけの態度こそが, 「国民を放置したままの政治」が

行われていることの証拠でもある。

国民から信頼を得ていない政党による政治では唯むなしいだけである。多分自民党支持率が落ちっぱなしの状態が続くだけで

衆議院任期満期まで政権が続くように思えてくる。

任期が満期になれば如何に日本の経済がどん底にあろうとも,どんな状態iになっていようとも解散しなければならない。

麻生首相は言い逃れをしている,景気回復の為に解散はできないという論理は全くの嘘で

,利権維持のために国民を欺き,如何にして利権維持できるかの腐心の為の方便にしか見えてこない。

世界的には北朝鮮の金王朝の交代劇の報道があり,天皇制の顕著だった古代 或いは明治維新後を想起される状態である。 

イランの大統領選挙の不正に対して?デモが激しく報道されている。

世界経済の悪化の改善の兆しがあるのか,オバマ政権の公的資金の大量出動が報じられているが不透明である。 










『負けに不思議の負けなし』
プロ野球楽天の野村克也監督が、
かつて書いたものに加筆してまとめた








平成21年5月1日の天声人語よりの引用


いささか手前味噌(みそ)めくが、朝日新聞出版が先ごろ出した文庫本のタイトルは味がある。

『負けに不思議の負けなし』。プロ野球楽天の野村克也監督が、かつて書いたものに加筆してまとめた。

負けるときは負ける理由があって負ける、というのが名だたる知将の信条である

▼反対に、勝ちには「不思議の勝ち」があるのだという。


完敗だとあきらめているのに、たとえば敵が大ポカをして星が転がり込む。

だから「勝ち」よりも「負け」の方が信じるに足る。

十八番(おはこ)のぼやきの奥には、冷静な勝負の哲学が鎮座している

▼その野村さんが監督通算1500勝にたどり着いた。

史上5人目の快挙だが、負け数の方はひと足先に大台に届いていた。

きのうまでに1506敗を喫し、こちらは前人未到というのがこの人らしい

▼花形ぞろいの常勝チームを率いたわけではない。

金に飽かせた補強とも縁がない。

よそを解雇された選手をよみがえらせる手腕と情は「再生工場」と評されてきた。

最短距離ではない勝ち方を見せてくれるのが、野村野球の大きな魅力だ

▼そして、理想があるからこそぼやく。

「ぼやかなくなったらお迎えが来るころや」。


おかしく言うのではなく、言うことがおかしい。

その一言を多くの人が夜のニュースの楽しみにする

▼2年前に3千勝を達成した競馬の武豊騎手が言っていた。

「勝てなかった馬にもたくさんのことを教えられました。

すべての馬に感謝しています」。


すべての「負け」に感謝しながら、ノムさんはさらに勝ち星を積み上げていくのだろう。







負けるもまた良しのしんきょうなのか。負けるのも理由があってのことで次回の勝ちへの糧になる

とでもいうことなのだろうか。










人込みの中でも通勤ラッシュの密度は群を抜く
安全な「人間(じんかん)距離」など取りようもなく、
感染の危険が最も高いとされている。








平成21年5月2日の天声人語よりの引用


いつか本で読み、面白くて書き抜いておいた短歌一首を、ここ数日思い出している。

〈もし豚をかくの如(ごと)くに詰め込みて電車走らば非難起こるべし〉奥村晃作。

都会の通勤地獄をユーモラスに呪った作である

▼新型の豚インフルエンザ問題に刺激されて、記憶の底から浮いてきた。

人込みの中でも通勤ラッシュの密度は群を抜く。

安全な「人間(じんかん)距離」など取りようもなく、感染の危険が最も高いとされている。

発覚以来、一抹の不安とともに身を押し込む人は少なくないだろう

▼世界保健機関(WHO)の警戒レベルは「フェーズ5」に上がっている。

世界的大流行の一歩手前だ。

グローバル化の時代に、日本ひとり万里の長城を築くのは難しい。

国内から感染者が出れば、通勤や通学の不安はいっそう募ることになろう

▼かつてインフルエンザの流行は、天体の運行や有害な気体のせいと恐れられた。

あのスペイン風邪の時も、ウイルスを実際に見た者はまだいなかった。

いまや感染の広がりは同時進行で耳目に入る。

そのぶん人類に有利な戦いになった、はずである

▼物理学者の寺田寅彦を思い出す。

あるとき浅間山の噴火に遭遇した。

人々の様子を見て、〈ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、

正当にこわがることはなかなかむつかしい〉と書き残している

▼狭い国土である。

通勤電車ならずとも、人は鼻突き合わせ、袖すり合わせて暮らしている。

お互いのために高をくくらず、恐慌をきたさず、正しくこわがりたい。

楽しい旅先も例外でなく。






新型インフルエンザには免疫がないので感染し易いようだ。でも高齢者には感染しがたいらしいのは

一度以前に感染しているからなのか。謎が多いインフルエンザの季節はずれの流行である。








地球にはテロ集団や独裁者が次々と現れ、
争いの種は尽きない
宇宙怪獣のように、敵も味方もなくなるほどの
「共通の脅威」がないせいもあろう。








平成21年5月3日の天声人語よりの引用


1964(昭和39)年暮れ、東宝映画「三大怪獣 地球最大の決戦」が公開された。

戦いに明け暮れるゴジラとラドンが、モスラに説得され、宇宙から襲来したキングギドラに「オール地球トリオ」で挑む筋立てだ。

東京五輪をやり遂げた年の、世界は一つという熱が残る作品だった

▼同列に論じては怪獣に怒られるが、地球にはテロ集団や独裁者が次々と現れ、争いの種は尽きない。

宇宙怪獣のように、敵も味方もなくなるほどの「共通の脅威」がないせいもあろう。


温暖化や資源の枯渇は深刻ながら、きょうあすの危機ではない

▼「今こそ国際社会が一致団結する機会です」の言葉にひざを打った。

新型インフルエンザを迎え撃つ世界保健機関、マーガレット・チャン事務局長の声明だ。

禍(わざわい)を転じて福となす。

前向きな姿勢に拍手を送りたい

▼事務局長は「すべての国の、すべての人のために対策を講じるべきだ。

全世界の人々が等しく脅威にさらされるのだから」と説いた。

この病は、人類の賢さを試してもいる


▼21世紀の10年足らずで、私たちは多くを学んだ。

狂信の組織、核をもてあそぶ愚者、海賊、市場の暴走、未知のウイルス。

矢継ぎ早の「教材」はどれも一国では手に負えない。

飢餓や紛争を抱えた地域は、感染対策どころではなかろう

▼憲法前文を読み返す。〈

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、

平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉。

古さはない。








人間は全人類への敵が出現しない限り地球内での和解ができないのか。

浅ましいことが有史以来続いていることは嘆かわしいことである。

いずれ必ず地球も滅亡することは間違いないことは事実だ。

唯の夢を互いに見ているだけのことと知ればなんとか方法があるように思うのだが。

情けない話である。









東京の高尾山に登った。






平成21年5月4日の天声人語よりの引用


東京の高尾山に登った。

標高599メートルながら、都心から1時間圏にこれほどの自然はなく、仏ミシュラン社の旅行ガイドは富士山や京都と同じ三つ星をつけた。

山腹へのケーブルカーが車内放送で星に触れていた

▼頭上を覆うイロハモミジやイヌブナの若葉に、柔らかな陽光が透ける。

なま乾きの絵のように、山全体が緑にぬれ、木もれ日までが色づいて見えた。

俳人、星野椿(つばき)さんが詠んだ〈新緑が新緑を染め人を染め〉の絶景である

▼ストレス社会では、都会に近い里山の価値はひとしおだ。


ミシュランの評価も、たとえばパリから約1時間のフォンテンブローの森を愛(め)でる感覚らしい。

緑という色は誕生や永遠のイメージと結びつき、心身を癒やす効果があるそうだ

▼小社刊『森と人間』(田嶋謙三、神田リエ著)の記述が興味深い。

作家の宮沢賢治は、森や樹木を描くのに、緑より青や黒を好んで使ったという。

その賢治も「銀河鉄道の夜」では、主人公ジョバンニの切符を緑、友人カムパネルラのそれをネズミ色とし、生死の別を暗示した

▼木々の息吹が体に悪いはずがない。

この時期、森にみなぎる「生」の色や香りを浴びれば、日ごろの不養生をいくらか埋め合わせた気にもなる。

自然に寄り添う時間が命を温め、抵抗力を養ってくれる

▼せきやくしゃみを気にしての大型連休も、みどりの日まできた。

高尾山頂を含め、人込みを避けるのは難しいが、感染をくよくよと案じるばかりでは体に障ろう。

せいぜい大樹たちの陰に寄り、「緑の切符」を買いだめしておきたい。





仏ミシュラン社は調子の良い商売している会社で,,世の中には利口な人もいるものかと感心する。

価値観は万人共通だとは思えない。特に料理の世界では食する人により大いに異なる。








きょうは端午の節句






平成21年5月5日の天声人語よりの引用


近所の公園の鉄棒にぶら下がって、久しぶりに逆上がりをしてみた。

ゆっくり回ると、5月の空と木々の緑が目の中を流れていく。

世界がぐるりと回転して体は高みに上がる。

爽快(そうかい)感に子ども心が呼びさまされる

▼今年で100歳になる現役詩人、まど・みちおさんに「てつぼう」という作がある。

〈くるりんと/あしかけあがりを した/一しゅんにだ/うちゅうが/ぼくに ほおずりしたのは/まっさおの/その ほっぺたで……〉。

だが、宇宙のほおずりが苦手な子もいる

▼しばらく前の小紙ひととき欄に、あるお母さんが「きらいな鉄棒ができた」と寄せていた。

公園で何カ月も練習をして、幼い娘さんはやっと前回りができたそうだ。

初めて受けた「宇宙の祝福」は、小さい胸にどう刻まれただろう

▼やっとできた前回りから開けていく世界もあろう。

そんな子どもの可能性に、まどさんは希望を重ねてきた。

「ぞうさん」も「一ねんせいになったら」も優しい根から咲いた花。

東京の銀座教文館で開かれている「100歳展」(6日まで)をのぞくと、その眼差(まなざ)しはいよいよ深く温かい

▼そして、子どもたちの目が輝いているかどうかは、いまの時代を占う水晶玉だろう。

社会がささくれ立てば子どもは生きづらい。


瞳という小さな池が大人の世界を映し出す

▼きょうは端午の節句。

立夏というのに、子どもを巡るニュースは近ごろ、寒い言葉が飛び交っている。

虐待、育休切り、携帯漬け……。

菖蒲湯(しょうぶゆ)につかって邪気を払う習わしに、世の中全体であやかれないものか。

むしろ時代を先取りしていたこの「地球主義」に、皆で魂を込める時だ。





端午の節句の始まりは京都市伏見区深草にある藤森神社というのは本当なのだろうか。

でもこの記事では藤森神社は出てこない。

俗説か記者が知らないだけなのだろうか。








世界の漁獲のうち、4割を目的外の魚が占めているという調査と推計の結果を、
先ごろ世界自然保護基金(WWF)が公表した









平成21年5月6日の天声人語よりの引用


 俳人の楠本憲吉は、江戸時代から続く大阪の高級料亭に生まれた。

子どものころ、魚を食べ残すと、「そんな食べ方するとお魚は成仏しまへんで」と祖母にしかられたそうだ。

「私の船場物語」という随筆に書いている

▼きれいに食べるだけではない。

骨に熱湯をかけてスープのようにすすった。

さらに骨をしゃぶって髄を味わい、最後に猫にやったというから徹底している。

魚も成仏したに違いない。

今こそ見習うべき「もったいない精神」だろう

▼だが、せっかく心がけても、水揚げの現場で無駄があるならむなしい。

世界の漁獲のうち、4割を目的外の魚が占めているという調査と推計の結果を、先ごろ世界自然保護基金(WWF)が公表した。

いわゆる外道として日々多くが捨てられる。

膨大な資源の浪費である

▼最悪の例はフカヒレ狙いのサメ漁で、一網打尽にした魚の9割以上が投棄されるそうだ。

飴(あめ)色の姿煮やスープは人気がある。

だが湯気の向こうに、おびただしい「魚の無念」があると思えば、天下の美味もさめていく

▼人は古来、青く広い海を、無限、豊饒(ほうじょう)、母なる、といった言葉で飾ってきた。

だが今や、生み出す命は人間の貪欲(どんよく)に追いつかない。

いつか海が空っぽになる不安が現実味を帯びて語られている

▼寺のお坊さんには、殺生を少しでも避けるために下駄(げた)を履いて歩く人がいる。

接地面の広い草履(ぞうり)だと、虫を踏みつける可能性が大きいからだという。

そうした配慮が海にもほしい。

漁法や漁具を工夫して、せめて無駄な殺生を減らすことはできないか。




日本人は古くから動物性蛋白質として魚類を珍重してきた。宗教の関係からか四足は嫌ってあまり食べていない。

戦後に欧米食が普及して肉類を多く食べるようになり,多くのメタボ疾患が蔓延して国民を苦しめている。

日本古来の同時に取り入れて理想の食形態を完成してほしいものだ。無駄なも殺生もやめてほしい。






オバマ米大統領の核軍縮演説を評価していた。
原爆を落としたのは誰かという主語をはっきり語っているからだという








平成21年5月8日の天声人語よりの引用


作家の井上ひさしさんが週刊朝日で、オバマ米大統領の核軍縮演説を評価していた。

原爆を落としたのは誰かという主語をはっきり語っているからだという。

「核を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある」と述べたくだりについてである

▼日本語は主語があいまいだ。

広島の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を巡っても、かつて論争があった。

悔いと誓いの主語は日本なのか、米国なのか。

物議をへて、いまは「人類」ということで多くに受け入れられている


▼そんな経緯もふまえての、井上さんの評価と思われる。

大統領の言葉は、米国が「主語」に歩み寄ろうとする変化だと読める。

あの米国がである。

今こそ日本も世界も、核廃絶の主語を担う決意を強くする時だろう

▼おととい国連本部で演説した2人の市長も、その思いを語った。

長崎の田上市長はオバマ演説に触れて「被爆地は感動に包まれた」と説明した。

そして「核なき世界への流れを力強い潮流にしていこう」と呼びかけた

▼広島の秋葉市長は、原爆症で亡くなった少女、佐々木禎子(さだこ)さんが回復を祈って折った鶴をかざした。

「サダコ」の悲劇は欧米でも知る人が多い。

世界は悲しい鶴を、もう誰にも折らせてはなるまい

▼オバマ流核軍縮は、米の国益に沿った現実的な戦略だという。

投下への自責だけがその背景なのではない。だが「繰り返さない」ことへの意志には信を置きたい。

そして意志をより確かにするためにぜひ被爆地を訪れるようお勧めしたい。






戦勝国の行為は全て良いことになってしまう。原爆投下は誰が見ても不必要であり人間としては残忍な行為だと思う。

広島長崎以後に地球上には原爆は使用されていない。

だが次に使用されるときは人類滅亡のの時である。誰が落としたよりも,将来を見つめ世界から核廃絶をして欲しいものである









きのう亡くなった囲碁の藤沢秀行さんは
「棋士」より「碁打ち」という言葉の方が好きだった







平成21年5月9日の天声人語よりの引用


きのう亡くなった囲碁の藤沢秀行さんは「棋士」より「碁打ち」という言葉の方が好きだった。

そして勝負よりも「芸」を重んじた。むろん人一倍勝ちたい。

だが勝てばいいわけではない。

碁とは盤上に描かれる「芸の表現」だという思いを抱き続けた

▼囲碁にうといわが耳にも、その天才と、破天荒な人となりは聞こえていた。

石も置けぬほど酔っぱらって対局したこともある。

「飲む以上は、わけが分からなくなるまで飲む」。

好きな漢詩の“教え”を守ったまでと、自著『勝負と芸』(岩波新書)に書いている

▼囲碁への精進も一通りではなかった。

歩きながら考えに考え、塀や電柱にぶつかるのは毎度のこと。

ホームの端に気づかず線路に落ちたこともあると、これは親交のあった作家の故・中野孝次さんが書き残している

▼そんな藤沢さんを、中野さんは、自分の人生そのものを落語にしてしまった昭和の名人、古今亭志ん生に重ねていた。

八方破れな生き方と芸の溶けあった「宇宙」が、どちらにもあった。

一時代が去ったと感慨深い向きが、囲碁好きには多いことだろう

▼碁と将棋の違いの一つは、石と駒にある。

駒は一枚ずつ性格がはっきりしているが、石はどれも無性格だ。

囲碁好きによれば、それゆえの深さと、果てしなさが盤上にあるのだという

▼がんを乗り越えて66歳で輝いた「王座」のタイトルを翌年防衛し、最高齢記録を残した。

「棋士は死す迄(まで)遠く果てしない曠野(こうや)をさ迷える者」。

好んだ詩文どおりに歩み、いままた雲上で碁敵(ごがたき)を探しているだろうか。





囲碁をすこししているが,囲碁はやりだすと面白い。藤沢秀行さんの名前は囲碁をしている人ならば知らない人はいないだろう。

将棋の坂田三吉のように逸話は多く語られている。








森光子さんの舞台「放浪記」が上演2千回を達成した








平成21年5月10日の天声人語よりの引用


絵に描いたような美形ではないにしても、独り磨いた演技には自信があった。

下積み時代、森光子さんは自嘲(じ・ちょう)気味に詠む。

〈あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ〉。

遅く咲かせた償いだろうか、芸の神様は果てしない開花を用意していた

▼森さんの舞台「放浪記」が上演2千回を達成した。

単独主演の記録を更新中だ。

初演はケネディ大統領が就任した1961(昭和36)年。

先の大戦の前線を歌手として慰問した女性が、89歳の誕生日を仕事場で迎えたことにも驚く

▼大阪の舞台に出ていた森さんを、出張中の劇作家、菊田一夫が見つけたのは偶然だった。

劇場での打ち合わせを終え、客席の後ろで空港へのハイヤーを待つ「伝説」の3分間。

女優の技を知るには十分だろう

▼ところが、東京に呼んでおいて「君は面白いが、やっぱりワキだな」である。

脇役で行けとの助言に森さんは奮起し、菊田脚本・演出による放浪記の主人公、林芙美子役をつかむ。

時に41歳、東京では駆け出し。

17歳下のひばり、15歳下の裕次郎ともすでに国民的スターだった


▼2千回に同じものはない。

共演の違いだけでなく、せりふ回しからたばこの吸い方まで、主役も舞台も進化してきた。

長いファンは、新しい芙美子と元気な森さんの二人に会いに来る。

その期待が花を終わらせない

▼生来の役者というのだろう。

お酒は苦手なのに粋に酔い、京女ながら東京下町の香りをまとい、子どもを持たぬまま「日本のお母さん」になった。

いま「老い」さえもたぶらかし、新たな顔で記録を重ねていく。




森光子さんが80歳余で現役で舞台を演じられることは大変なことだ。

国民栄誉賞も当然と思うが,時期的に麻生首相の人気取りと思われるのは情けないし叉悲しいことだ。

凄い人には違いないのだが。








さすがにこの同時不況、欧州の観光地も厳しそうだが、
広い意味で「遊び」にかかわる産業は逆境に強いとされる。








平成21年5月11日の天声人語よりの引用



日米欧の三すくみで貿易交渉が行き詰まった90年代初め、フランスの担当者がやけくそ気味に言ったものだ。

「米国は農産物の、日本は工業品の輸出大国でいて下さい。

ヨーロッパは皆さんの遊び場になります」

▼さすがにこの同時不況、欧州の観光地も厳しそうだが、広い意味で「遊び」にかかわる産業は逆境に強いとされる。

憂さ晴らしの需要があろうし、金欠で外出を控えれば室内の暇つぶしも貴い

▼どうやら、そんな巣ごもり層を世界中でつかんだらしい。

ゲーム機最大手、任天堂の売上高と利益が過去最高を更新した。

稼いだのは、体を動かして遊べる家庭用の「Wii(ウィー)」と携帯型の「DS」。

今や9割弱を海外で売り、携帯型は「一家に」ではなく「一人一台」の普及を目指すという


▼花札に始まる同社は、平安末期の流行(はやり)歌にある〈遊びをせんとや生まれけむ

/戯(たはぶ)れせんとや生まれけん……〉の精神を上手に商いにしてきた。

景気の波に強いのも、深いところで人の欲求につながっているからだろう

▼さて、ゲーム大国の民は十分遊べているか。

経済協力開発機構(OECD)が、1日のうち余暇に割く時間を18カ国で調べたところ、日本は21%でメキシコの16%に次ぐ少なさだった。

米国は24%、「遊び場」たらんとする欧州勢は多くが25%を超えた

▼自由時間は大切だが、働けずに暇を持て余すのは困る。

同様に、巣ごもりを誘発するとはいえ、新型インフルエンザの「上陸」を室内ゲームへの追い風とは呼べまい。

選んでこその遊び、ゆとりあってのこと。








必ずしも遊びの企業が景気が良いとは感じない。任天堂の売り上げは例外だと思う。

底冷えの中で各家庭は生きる以外のものに対して節約が一番にするのではないでしょうか。








民主党の小沢代表の場合、
「売り時はまだ」と思っているうちに「小沢株」が
暴落してしまった印象がある







平成21年5月12日の天声人語よりの引用


相場を張る人がよく口にする格言に「『もう』は『まだ』なり。

『まだ』は『もう』なり」がある。

売りどき、買いどきの難しさを突いたものだ。

民主党の小沢代表の場合、「売り時はまだ」と思っているうちに「小沢株」が暴落してしまった印象がある

▼違法献金の事件以来、総選挙前の辞任はありうると見られていた。

辞任して、新しい代表のもとで民主党が勢いをつける。

その流れに乗って選挙を戦う。

いわゆる「辞任カード」を、最も高値で切れる時期を見定めているとの分析である

▼だが、「まだ」と思っていた時期は、「もう」過ぎていたようだ。

世論は厳しさを増し、党内の批判も出始めた。

下げの局面では早めに手放すべし。

明日になれば値はまた下がるという「見切り千両」の格言が胸中をよぎったかもしれない

▼「挙党一致をより強固にするために、あえて身をなげうち」と、昨日の表明会見の冒頭に述べた。

その後も「身を捨てて」「身を引くことで」を連発した。

己を虚(むな)しくして勝負する相手を「腐りきった政権」と切り捨てた

▼だが、3月以降、敵に塩を送るばかりだった事態への説明はない。

送られた麻生首相も、人気はやや持ち直したが低空飛行が続く。

「小沢辞任」に国民から高値がつくか、買いたたかれるかは、大きな関心事に違いない

▼相場では「夜明け前が一番暗い」の格言もよく口にされるそうだ。

自民と民主。きたる選挙で、暗さの中からどちらが夜明けを仰ぐのか。

凪(なぎ)から一転動き出す気配の政局に、わがポケットの一票を研ぎ澄ます。







現在では鳩山党首に代わってからは民主党の人気はあがりぱなしのようだ。

戦後ずーと政権交代していないことは日本の民主主義が未熟の証拠でアメリカ型に変化してゆくべきである。

議員の世襲制は悪いと同時に支持する層も世代がかわりで代々に渡り同じ人たちを支持することは

政官癒着をさらに堅固にしている。

全てが変らない限り世の中は良くなってはいかない。現在は腐りきった社会構造が形成されてしまっている。








宣教師として明治の初めに来日した
英国人医師ヘンリー・フォールズの居宅の跡だ
指紋から人を特定できるのではないか







平成21年5月13日の天声人語よりの引用



東京の築地にある小社の近くに「指紋研究発祥の地」という石碑がある。

宣教師として明治の初めに来日した英国人医師ヘンリー・フォールズの居宅の跡だ。

彼はあるとき、土器についていた縄文人の指の跡を見て、ひらめきを得る

▼指紋から人を特定できるのではないか――。


研究を進め、母国の科学誌「ネイチャー」に論文を送った。

それがのちに、犯罪捜査に欠かせない指紋鑑定の源流になったとされる。

フォールズ自身も探偵はだしに、病院の器具の指紋から盗人を探し出したことがあったそうだ

▼指紋が20世紀の捜査の主役なら、いまはDNA型鑑定だろうか。

その精度は折り紙つきの印象がある。

だが栃木県で90年に起きた女児殺害事件で、無期懲役刑になった受刑者をめぐり、鑑定に重大な疑問が生じている

▼逮捕の決め手になったDNA型を改めて鑑定すると、遺留物とは不一致という結果が出た。

有罪の大きな根拠が崩れ、別の犯人の可能性が強まったことになる。

再審の扉が開く公算が大きいそうだ

▼事件の頃は、まだ千人に1.2人を識別できる精度だった。

今は4兆7千億人に1人という。世界の人口は67億人だから決定的ともいえる。


罪が濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)なら、DNAで奈落に落とされDNAに救われるという、むごい皮肉になる

▼フォールズの論文から来年で130年がたつ。

科学捜査は悪を逃さぬ「天の網」として進歩してきたが、結果をもとに裁くのは昔も今も人である。

裁判員制度への秒読みを聞きながら、「取り返しのつかぬもの」の重みを思ってみる。






指紋どころかDNA鑑定が高い精度で確立してきている。ただ不当に利用されないことである。

制度が高い故に確実なる証拠となる。司法の世界も決して正義の人たちだけの世界だとは決して思われない。

裁判員制度を取り入れても、司法の世界をばただ複雑化される可能性がある。

現在は政治家に支配されていて三権分立は夢の叉夢の状態である。

司法は政権党の道具化になっていろんなことが起きている。此れを止めさせることが先決だ。









民主党の小沢代表は、
一夜にして党の「あるじ」から「ぬし」に
豹変(ひょうへん)したようだ。








平成21年5月14日の天声人語よりの引用


「主」と書いて「あるじ」とも「ぬし」とも読む。

この二つは似て非なるものだと、以前どこかで読んだ覚えがある。

「あるじ」は「一国一城の主(あるじ)」のように表立った存在だ。

ところが「ぬし」とくれば、「古池の主(ぬし)」などと言われるように、隠然としておどろおどろしい

▼民主党の小沢代表は、一夜にして党の「あるじ」から「ぬし」に豹変(ひょうへん)したようだ。

二役だったのが、代表辞任を表明して「あるじ」の仮面がとれたということか。

「院政」を思わせるような君臨ぶりが報じられている

▼党の会合も剛腕で仕切ったそうだ。

異論の者をにらみつけ、自ら「異議なし!」と大声を上げたりしたと伝わる。

「本当に怖い」「猛獣が野に放たれた」。

党内から漏れる声を聞けば、辞任会見で言っていた「民主主義」とは何かと思う

▼そんな「ぬし」の潜む池で、土曜には後任の代表選がある。

「ぬし」に近い鳩山幹事長と、距離を置く岡田副代表が争う見通しだ。

いっとき政権交代への光に満ちた池も、いまや霧に煙る。覆う雲は厚くなるばかりだ

▼下馬評では優勢な鳩山氏は、自民党にも「待望論」があるそうだ。

小沢氏を支えてきたうえ、政策も似ているから攻めやすい。鳩ならぬカモということか。

名家の4代目議員というネギも背負っている

▼民主主義は文字どおり、民が「あるじ」となる政治である。

投票とは、自分たちの政府をつくり出す営みにほかならない。

その可能性を国民に見せた勢いは民主党に戻るのか。

うっちゃり相撲の回しを与党の両手がぐいとつかんでいる。





小沢さんという人は自民党的体質をもった人が民主党にいるようなものだ。







セイロンは37年前、スリランカと国名を変えた
20年以上も内戦が続いてきた







平成21年5月15日の天声人語よりの引用


おねしょすることを、布団に地図を描くという。

詩人の阪田寛夫に「世界地図」という作があって、その一節。

〈セイロンの地図の時は 紅茶のお代りをした ぼくはセイロンは知らないのに

 おしっこの方がちゃんと 生まれた島を知っていた〉。

坊やは紅茶を飲んだ夜、「島の形」に粗相をしたのである

▼セイロンは37年前、スリランカと国名を変えた。

坊やでなくても、インド洋に浮かぶ島国をよく知る人は多くあるまい。

報道も限られていた。

忘れられたようなその島でいま、多くの命が危機にさらされている

▼20年以上も内戦が続いてきた。


分離独立を求めるタミル人武装組織と政府軍の戦いである。

ついに敗北寸前に追い込まれた武装組織が、許されぬ暴挙に出た。

推定5万人という一般住民を「人間の盾」にして立てこもっている

▼いわば「弾(たま)よけ」である。

籠城(ろうじょう)している地域はごく狭い。

戦闘が起きればおびただしい犠牲は避けられない。

幼い子らもいるだろう。

冒頭の詩が書かれたころの、「インド洋の真珠」のイメージから遠い惨状に胸が痛む

▼同時に無力感も募る。


自分に何ができるのか。

先ごろの小紙声欄に、30代の女性が「遠い地の虐殺1面で伝えて」と寄せていたのを思い出す。

「私たち一人ひとりの心が世界の良心の一部であるなら、まず知ることから始めないと」とあった

▼惨事を止めうる国際世論も、つきつめれば一人ひとりの良心となろう。

そして無関心こそが大きな理不尽を許してしまう。

何億分の1を担う気構えは、ささやかだけれど重い。






大東亜戦争でアジアの国々の名前を子供の頃によくおぼえたものだ。当時の日本は欧米の植民地から

日本軍がアジアの人たちを救うのだと教えられていたが,今もその国々が混迷していて

セイロンもその例外でないようだ。そのような国々は東南アジアには多い。南北に裂かれた朝鮮が大変だ。

早く同一民族が一つの国家になり世界の平和の為に貢献して欲しいものである。日本の天皇制を模した金王朝が続いている。









激しい略語が続々と生み出されている。








平成21年5月16日の天声人語よりの引用


国文学や民俗学の大家だった折口信夫は略語を好まなかったそうだ。

地下鉄と言わず「地下鉄道」、企業の名も「鐘紡」ではなく「鐘淵(かねがふち)紡績」とわざわざ言っていた。

教えを受けた作家の戸板康二が回想している

▼折り目正しい大学者が、今の世をのぞき見たら驚くだろう。

激しい略語が続々と生み出されている。

たとえば「きよぶた」は、どこかの豚ではない。

「清水の舞台から飛び降りる」を大胆不敵に寸詰めた。

思い切ることを「えーい、きよぶた」と言うらしい

▼時と場合は「ときとば」。

「ときとばでコロコロ態度を変える」などと使う。

被害妄想は「ヒガモ」で、モンスターペアレントは「モンペ」と端折(はしょ)る。


略語ばかりではない。

近刊の『あふれる新語』(大修館書店)をめくると、暗号さながらの若者言葉に目がくらむ

▼センスには一目置きつつ、心配もある。

総体として排他的、冷笑的、攻撃的なかげりがほの見えることだ。

「ヒガモ」など、使われ方次第ではけっこう危うい。

「モンペ」も、どこか人を見下した揶揄(やゆ)のニュアンスを宿らせている

▼折口に話を戻せば、古代の言霊(ことだま)を巡る研究にいそしんだ人でもあった。

万葉人は言葉に霊力が宿ると信じた。

言葉が心を刺すことも知っていたのだろう、「言痛(こちた)し」という表現を使っていた。

言葉が痛い――誹謗(ひぼう)横行の今に復活させたい古語である

▼新語の中には、メールから芽生える「指恋」といったほほえましいものも多い。

「言霊の幸(さきわ)う国」という万葉の一節を思い出させてくれる、そんな若者語に会いたい。








新しい略語には何がなんだか判らずについてゆくことが出来ない







万事ほんわかした鳩山氏が、
小沢一郎氏を支えた3年間で「ひと皮むけた」そうだ。






平成21年5月17日の天声人語よりの引用


新型インフルエンザがいよいよ国内で流行し始めた。

親から与えられた糖衣錠をいつまでもなめていて、ひどい目に遭った記憶がある。

良薬は口に苦し。

甘い層でくるむのは、中身がそれだけ強烈だからだろう。

さて、この人は良薬か、ただのあめ玉か

▼民主党の新代表に選ばれた鳩山由紀夫氏は、顔も目も丸薬のごとき、柔らかいご面相だ。

似顔絵を描くのに定規が欲しい岡田克也氏とはだいぶ違う。

10年前だが、性格についても「もともと柳みたいな人間ですからね。

風にそよそよと」と自己分析していた

▼「愛のあふれた、凜(りん)とした国家」などと、照れもせず口にできる政治家はそういない。

かつて、中曽根元首相は「愛とか友情とか、ソフトクリームみたいに甘っちょろい」と皮肉ったものだ

▼その愛は一面で筋金入りらしい。

女性誌で「私の場合、人の嫁さんに恋をして、その人と結婚しちゃったといういきさつもあって」と語っている。

留学先の米国で知り合った、宝塚出身の幸(みゆき)夫人のことだ。

この出会いで生き様を反省し、政治家を志したという

▼万事ほんわかした鳩山氏が、小沢一郎氏を支えた3年間で「ひと皮むけた」そうだ。

夫人でひと皮、剛腕の下でふた皮。


糖衣は脱ぎ捨てた、甘く見るなよ、なめるなよとばかり、就任会見では「党首討論でどちらがたくましいか見てほしい」と胸を張った

▼政治決戦の年。

いきなり組まれた「準決勝」も悪くはなかったが、何よりのお楽しみは最後の一戦に観衆が参加できることだろう。

「なんだ孫同士の戦いか」と白けることなかれ。

日本の政治の皮をむくチャンスである。






民主党の党首交代で,自民党の支持率が下がり民主党の支持率が世論調査でわかった。









新型インフルエンザがいよいよ国内で流行し始めた







平成21年5月18日の天声人語よりの引用


昔の官製標語は直球だった。

1919(大正8)年の豪速球〈マスクをかけぬ命知らず!〉は、スペイン風邪への用心を呼びかけたポスターだ。

〈テバナシにセキをされては堪(たま)らない〉〈予防注射で宿のなくなる風乃神(かぜのかみ)〉というのもある

▼前年秋からの流行を受け、当時の内務省は「予防心得」を出した。

〈時節柄芝居、寄席、活動写真などには行かぬがよい〉〈急用(いそぎ)ならざる限りは電車などに乗らずに歩く方が安全〉。

素朴ながら、持てる知恵を絞り、国を挙げて病魔に向かう姿が浮かぶ

▼新型インフルエンザがいよいよ国内で流行し始めた。

渡航歴のない高校生の集団感染が神戸市や大阪府茨木市で確認され、「行かぬがよい」と休校や催事の中止が相次いでいる。

検疫をすり抜けた感染者からウイルスが広がったようだ

▼ここからの展開は早い。

なぜか関西の若者が先駆けとなったが、各地でまとまった数の患者が続出しそうだ。

風乃神は長逗留(ながとうりゅう)だから、有名人の入院もあろうし、とうとう小欄もと告白する日が来るかもしれない

▼されど「いざ本土決戦」などと高ぶるまい。

重い持病がなければ軽症のまま快復すると聞く。

個人も組織も隠すことなく、かかったらさっさと治すに限る。

せめて頭と心は平熱を保ちたい

▼「上陸」が伝えられた週末、銀座の歩行者天国、原宿、六本木とも、旧内務省言うところの「命知らず」ばかりだった。

もちろん、慌てふためくよりいい。

病はいずれ広く薄く、日常に居座る。

長い闘いになるが、一つの命も与えず、手ぶらで退散させたい。






こんな時期にインフルエンザが流行るとは常識から離れた現象が起きてきている。

発熱相談センターが忙しく仰々しい防護服装も気になる。

新インフルエンザだから万全の体制で臨んでいることは理解できる。








新型インフルの患者が急増し、日本はたちまち世界4位の感染国である
兵庫県と大阪府では一斉休校、旅行の取りやめもその一環だ







平成21年5月19日の天声人語よりの引用


学生も勤め人も、次の休みが遠い月曜の朝は浮かない風だ。

それにしても、これほどむごい「朝礼」はない。

大阪市立高倉中の3年生が昨日、集合場所のJR新大阪駅で修学旅行の中止を告げられた。

新型インフルエンザの仕業である

▼午前7時すぎに市教委から指示された校長先生もつらい。

「残念ですが、このまま引き返します」と絞り出すと、「うそや」「ありえへん」と涙ぐむ生徒がいたという。

級友と東京ディズニーランドで遊ぶ至福の時は、お預けとなった

▼新型インフルの患者が急増し、日本はたちまち世界4位の感染国である。

兵庫県と大阪府では一斉休校、旅行の取りやめもその一環だ。

くお母さんは保育所休業で途方に暮れ、企業は出張を見合わせる。

ウイルスは社会と経済の根に宿り始めた


▼政府が備えてきたのは鳥から始まる強毒性インフルだが、流行中の豚由来は弱毒型らしい。

大は小を兼ねるとはいえ、大仰な策を不用意に繰り出せば、四方に要らぬとばっちりが及ぶ。

牛刀で鶏を割き、傍らの卵まで粉砕する愚は避けたい

▼新大阪駅で卵を割られた生徒の中には、マスクを何枚も携えた子がいたそうだ。

中学生ならば、夢に見た日のため、うつらない、うつさないの自己責任は負える。

遠からずマスクが旅先で役立つことを祈ろう

▼沖縄・奄美地方が梅雨入りした。

世事混乱の中、きっちりと巡る季節がいとおしい。

そして、万事が予定を裏切らない平らかな日々のありがたさ。

ウイルスがそれに気づかせてくれるなら、小さな功といえなくもない




新型インフルエンザで休校したり休園のところが続出して修学旅行などの行事も中止している所が多い。

大きくマスコミで取り上げられて騒動は続いている。

でも死者はでへていない。季節インフルエンザと同等ぐらいと言われている。 










昆布だしの「うま味(み)」の正体をグルタミン酸と突き止める
1909(明治42)年5月20日に売り出した。
「味の素」である 本日はある「大革新」から100周年にあたる







平成21年5月20日の天声人語よりの引用


味にうるさい陶芸家の北大路魯山人は、うしお汁などの魚料理は昆布だしに限ると説いた。

かつお節では魚の味が重なり、くどくなるという。

昭和初期、割烹(かっぽう)も家庭もまだ昆布を使いこなせずにいた東京の、料理講習会での言だ

京都生まれの食通は、湯の底をさっとくぐらせる引き出し昆布の技も紹介した。

それで十分なのだと。

昆布とかつお節が織りなす、こまやかだが強い日本の味。

本日はある「大革新」から100周年にあたる


▼20世紀初め、同じ京都出身の東京帝大教授池田菊苗(きくなえ)は、昆布だしの「うま味(み)」の正体をグルタミン酸と突き止める。

海藻から薬を作っていた鈴木三郎助が商品化を引き受け、1909(明治42)年5月20日に売り出した。

「味の素」である


▼東京朝日新聞に出した初の広告は「食料界の大革新」と気張った。

これで財をなした会社は、世界的な食品メーカーに成長した。

グルタミン酸は調味料や加工食品の多くに含まれ、味の素といえば今や商品より会社名の印象が強い

▼食べ物のおいしさは、欠かせぬアミノ酸を受け取った体からの「感謝のサイン」らしい。

甘、酸、塩、苦と並ぶ五つ目の味「umami」は日本で見つかったため、「judo」「manga」のような国際語になった

▼ちなみに、魯山人は味の素を好まなかった。

量産が始まった頃、「料理人の傍らに置けば、不精からどうしても過度に使い、その味に災いされる」と嘆いた。

不精を「簡便」に替えて読み直す。

今日の食生活への浸透を見通した、ほめ言葉に聞こえてくる。




甘、酸、塩、苦と並ぶ五つ目の味「umami」は日本で見つかったために味の素は日本人にとって

旨味を出す重宝なものとなっている。日本の特許で世界にumami」が普及された。

子供の頃からの味の素である。







1〜3月期の国内総生産が、
年率換算で15.2%減と戦後最悪の後退となった。






平成21年5月21日の天声人語よりの引用


診断で酒飲みがまず案じるのは肝臓の傷み具合だろう。

血圧や腹回りと違い、肝機能は家で測れない。

血を抜かれつつ脇腹の戦友に酷使をわびても遅く、診断結果で猛省することになる。

数字に向き合い、事の重さを改めて知るのは体調に限らない

▼1〜3月期の国内総生産が、年率換算で15.2%減と戦後最悪の後退となった。

入院させたいほどの衰弱だ。

企業の3月期決算も、日立、トヨタ、パナソニック、3大銀行グループなどが軒並み数千億円の純損失を出した

▼未曽有のマイナス成長と、名だたる会社の大赤字。


100年に一度という不況が、こうして経済史に刻まれていく。

ただこれらの数字は、実感を裏づけはしても、現実の一端を伝えるだけだ

▼「派遣村」を運営した湯浅誠さんが、貧困層の選択肢は五つあると講演で語っている。

実家に頼る、「NO」と言えない労働者になる、ホームレス化、自殺、そして犯罪。

このうち統計数字が拾えるのは自殺と犯罪くらいか


▼あふれる困窮者は生活保護などで社会が支えることになる。

湯浅さんは「ほったらかされた人も生き続けるから、お金も手間も余計にかかる社会になる」と言う。

効率を求める自由放任の経済は、格差を広げたばかりか実は効率的ですらない、との指摘だ

衝撃的な数字の陰で深まる、矛盾や危機に目を凝らしたい。

見えにくいゆえに深刻である。

きょうの生活にも困る層が静かに厚みを増すこの社会、どこか病める肝臓に重なる。

「沈黙の臓器」は我慢強い分、手当ての遅れが命取りになる。







政権担当者は政治の負の部分を出来るだけ知らしたくないことで,政治家や官僚が良い目をしてきたことは

国民は知り政府を信用しなくなってきている。










06年に英国で生まれた「蚊音」発信器を据え、
ベンチやトイレが壊される被害を防ぐ試みという
音は40メートル届く








平成21年5月22日の天声人語よりの引用


首都圏に及んだ新型インフルエンザには、後年「学園かぜ」の名がつくかもしれない。

関西の感染者の8割が10代、東京都と川崎市の患者もまずは高校生だった。

活動的な分、ウイルスに接する確率も高いのだろう。

軽く抜けるよう祈りたい

▼ところで、音の世界にも「青春限定」があるらしい。

個人差もあるが、うんと高周波の音は、聴覚が衰える前の若者にしか聞こえないという。

音の分際で人を選ぶなと気色ばむ中高年も、これがひどく耳障りだと知れば安心しよう。

「モスキート(蚊)音」と呼ぶそうだ

▼その性質を利用し、真夜中の公園にたむろする若者を追い払う実験が、きのう東京都足立区で始まった。

06年に英国で生まれた「蚊音」発信器を据え、ベンチやトイレが壊される被害を防ぐ試みという

▼音は40メートル届く。

千葉のコンビニ店主が試したところ、店先の少年たちが数分で退散したと聞く。

ただ、広い公園を高周波音で満たすには、一台20万円の発信器がいくつも要る。

それより騒ぐ元気をほかで発散できないものか

▼キーンという金属音と言われても、優に30年は手遅れの当方、不快のほどは想像するしかない。

枕元の羽音を思い出すのがせいぜいだ。

聞きたくもあり、聞きたくもなし

▼年を重ねると、不快な音ばかりか不快な話は耳が拒み、うっかり聞いても右から左へ抜けるようになる。

老化、いや心穏やかに過ごす知恵だろう。

かたや何にでも鋭く反応するのが若さである。

40度に近い高熱は困るが、透明な音に追われる青い感度が、いくらか妬(ねた)ましい。






色んな器具が世の中にあるものだ。若者の特権は大事にしてあげたいがベンチやトイレを壊されては

たまらないことだ。








千葉県知事の森田健作さん(59)は
竹刀を振り続けた10代半ば、
親類の道場主から「わかった
2段を許す」と言われただけらしい。









平成21年5月23日の天声人語よりの引用


剣道の最高段位は8段、優れた指導者には「範士」の称号が加わる。

審査する全日本剣道連盟は各段の目安を定めていて、例えば2段は「剣道の基本を修得し、技倆(ぎりょう)良好なる者」である

▼千葉県知事の森田健作さん(59)はスーツより剣道着が似合う。

俳優としての出世作「おれは男だ!」で演じた剣道部の小林主将の残像は、40年近くたっても鮮烈だ。

公式の自己紹介でも「剣道2段」としてきた

▼ところが、全剣連の免状は受けていないことが先ごろ露見した。
[
竹刀を振り続けた10代半ば、親類の道場主から「わかった。

2段を許す」と言われただけらしい。

範士の目に狂いはなかろうが、武道は型も大切だ。

その後の人生を後押しした段位が「自称」ではつらい

▼森田さんの自称といえば、自民党支部長なのに選挙で「完全無所属」を名乗った問題がある。

青春の巨匠が100万票集めるのに掲げた看板は、学園ドラマの掛け合いのように、熱いが軽い

▼タレントから転じた知事の中には、知名度と世論の支持をてこに、特産品の売り込みや財政立て直しで実績を重ねる人がいる。

森田さんの場合はまだ、おでこに「明るく熱演中」のランプが灯(とも)っているかに見える。

それだけに、釈明会見での渋面が痛々しい


▼公約の目玉、東京湾アクアラインの値下げが固まったように、首長としての「技倆」を案じるのは早すぎる。

とはいえ、ご本人の看板に偽りがあっては「千葉の広告塔」は務まるまい。

一切の虚飾を捨て、知事道に精進してもらいたい。

小林くん、浜辺を走り直す時だ。






千葉県知事の森田健作さん(59)の知事当選のためのインチキは許されない。

そんな人にまともな知事が務まるだろうか。







韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が思いがけない死をとげた







平成21年5月24日の天声人語よりの引用


韓国のことわざに「往(い)く言葉が美しければ、来る言葉も美しい」とある。

日本の「売り言葉に買い言葉」の裏返しだが、前向きなのがいい。

言葉にせよ行為にせよ、身から出たものは自分に返る。

そんな因果応報の教えを、ことわざの背景に見るのはうがちすぎだろうか

▼韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が思いがけない死をとげた。

登山中に転落したというが、遺書もあって自殺と伝えられている。

その「因」は何なのか。何ゆえの「果」なのか。

分からないことがまだ多い。

何にせよ、貧家から上りつめた苦労人の痛ましい最期である

▼このところ苦境に立たされていた。

妻ら身内が巨額の不正資金を受けていた疑惑が、退任して明るみに出た。

自身も収賄の疑いで事情聴取され、近く最高検が最終判断をする見通しになっていた

▼政権末期の人気は散々だった。

舵(かじ)取りの失敗で貧富の差が広がった。

何か問題が起きると「盧武鉉のせいだ」と茶化(ちゃか)す冗談がはやった。

それでも「清廉さ」には信を置く国民が多かったそうだ。

イメージが崩れゆく中で落日の思いを募らせたのだろうか

▼韓国の大統領には無残な末路が目につく。

全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)の両氏が囚人服を着たのは記憶に新しい。

そして今回である。

死をもっての清算より、生きて真実を語るのが、最高権力にあった人の責任ではなかったか

▼6年前、就任直後に日本で出した本に氏は書いている。

「国民は真実を語る者には寛大だが、うそをつく者には冷淡だ」。

うそはつけない、されど語れぬ真実が、何かあったのかも知れない。





韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の大統領になった頃の彼には韓国の為に何かをしてくれると感じたが

結局は国民に見放されて自殺に追い込まれているようだが,事実は不可解である。

前大統領の自殺はショッキングなことだ。








絶滅した鳥の、最後の一羽の愛称である。
キンは日本産トキ、マーサはリョコウバト(旅行鳩)







平成21年5月25日の天声人語よりの引用


 日本では「キン」がよく知られ、アメリカでは「マーサ」が名高い。

と書けば、鳥に関心のある方はおわかりだろう。

絶滅した鳥の、最後の一羽の愛称である。

キンは日本産トキ、マーサはリョコウバト(旅行鳩)。

ともに珍しくもない鳥だった


▼とりわけリョコウバトは、何十億もの数が北米の空を覆っていた。

だが食用に、羽毛採取に、趣味の狩猟にと乱獲されて激減した。

ついに1914年、マーサの死で滅ぶ。

自然に対する人間の「愚の記念碑」として語り継がれている

▼数が多く、身近にいて絶滅など想像できない。

かつてのリョコウバトのような鳥が日本ではスズメだろうか。

そのスズメが危ないという、気になるニュースを最近よく聞く。

60年代の1割ほどに減ったという研究者の推計もあって、心配がつのる

▼環境省の統計にも驚く。

80年代初めは300万を超えていたスズメ類の捕獲数が、近年は10万台に減っている。

農業の姿が変わって単純に比較できないが、何かがスズメに起きているのは確かなようだ

▼街の変化で巣が作りにくくなり、田畑が減ってエサが足りないともいう。

作物を荒らすと嫌われつつ、人と生きてきた鳥である。

追いつめられても、深山幽谷へ引っ越すわけにはいかない

▼チイチイパッパのスズメだけではない。

童謡では学校仲間のメダカは絶滅危惧(きぐ)種になっている。

もう川の中をのぞいても、お遊戯はなかなか見られない


▼命盛んな季節である。

ありふれたものが、ありふれて在る尊さを、小さきものからのメッセージとして胸に刻む。




動物界も叉無常の世界の域を超えることができないのだろうか。自然に人間は順応して生きていく以外

仕方ない動物でもある。自然界せいふくなんて夢の叉夢の話である。

諦めだけでなく努力が必要だ。それも大きな自然の流れの一つである。







北朝鮮が発する情報は常に怪しい。
しかし昨日の公式声明「2回目の地下核実験を成功裏に実施した」は、
あいにく芝居や強がりではないらしい。







平成21年5月26日の天声人語よりの引用


8年前、欧州の記者たちと平壌を訪れた。

監視役のすきをみて街に出ると、百貨店の陰で恋仲らしい二人が口論中である。

女性は泣いていた。

国営の「演劇都市」と聞いていたので意外な人間味にほっとしたが、一瞬、これがうわさの熱演かと身構えたものだ

北朝鮮が発する情報は常に怪しい。

しかし昨日の公式声明「2回目の地下核実験を成功裏に実施した」は、あいにく芝居や強がりではないらしい。

06年以来の暴挙である


▼期待したほど構ってくれない米国を振り向かせるため、先月の長距離弾道ミサイルに続いて一発かましたようだ。

同時不況や新型インフルエンザで世界の結束が試されている時に、この国らしい無分別というほかない

▼衰えが見える金正日総書記は、歴史に名を刻むすべを思案中と思われる。

やけのやんぱちの暴君ほど危ないものはなく、実際、禁断のカードを繰り出すペースが不気味に早まってきた。

引っ越せない周辺国も、拉致被害者も、空腹で祝賀に付き合わされる民衆もたまらない

▼やはり平壌でのこと、金日成主席の巨像を見学中に、引率された少年少女の隊列がやってきた。

像に一礼して花束を供え、足早に去っていく。

私たちのカメラにおびえる目、栄養不足が透ける土色の顔、薄汚れたブラウスのどれにも、うそは見えなかった

▼「今回の成功はわが軍隊と人民を大きく鼓舞する」との声明に、あの子たちの今を思った。

年頃を迎えても、恋愛どころではなかろう。

国営の「火祭り」は金王朝を鼓舞するだけで、残り全員を不幸にする。




生き残りの為にあらゆる手段を行じている。現在の自民党の姿に似ている。

国民にとって其処から希望が湧いてくるものである。

倒れない限り世界の迷惑だ。






目標へとひた走る者には、しばしば「運命の出会い」が訪れる







平成21年5月27日の天声人語よりの引用


「オール1の落ちこぼれ」を経験した高校教諭、宮本延春(まさはる)さん(40)は、九九を言えぬまま中学を出た。

人生を変えたのは、23歳で女友達に借りたアインシュタインのビデオだと自著にある。

物理にあこがれ一念発起、定時制高校で猛勉強し、名古屋大に進んだ

▼「どん底にいても、夢を捨てなければ幸せになるチャンスが来る」が持論だ。

小3の算数ドリルからのやり直しを励ました恋人や、親身の補習で受験勉強を支えた定時制の先生たち。

目標へとひた走る者には、しばしば「運命の出会い」が訪れる

▼中央大教授を刺殺したとして逮捕された山本竜太容疑者(28)は、はるかに順調な青春である。

夢もあった。

しかし、熱心な指導教官との出会いは生きず、同じ23歳が「負の回路」への入り口となった

▼社会に出れば、思い通りにならないことが多い。

「一身上の都合」による転職もあろう。

そうした壁に容疑者は背を向けたかに見える。

らせん階段の暗がりを引き返し、入り口にいた恩師を恨みで突いた。

これでは幸せもノックのしようがない

▼「オール1先生」は、若者に「つらいと思ったら成長の途中と前向きにとらえ、壁を乗り越えて」と訴える。

宮本さんの強さは本物だが、山本容疑者が並外れて弱いかといえば、どうだろう

▼事件が法廷に移れば、審理に裁判員が加わる。

容疑者が「今は話したくない」という動機が、情状や量刑を左右しよう。

やり直せる20代で暴発した「自己都合」とは何なのか。

選ばれた都民は、誰もが秘める弱さをプロと共に裁くことになる。





なんでも地道な努力が大切で,要領だけでは人生は送れない。地道な努力の積み重ねが人生だ。







昨日の鳩山氏は少し力んでいた






平成21年5月28日の天声人語よりの引用

「最後の段階がやっぱり難しいんだよねえ」。

87年、自民党の総裁選びで竹下登氏に先んじられた安倍晋太郎氏の述懐だ。

民主党の鳩山代表もこれから、「詰めの苦しみ」を嫌というほど味わうだろう

▼10年前、初の党首討論で口火を切ったのも鳩山氏だった。

時の小渕首相に「総理は朝、何を召し上がったか。

私は温かいピザをおいしく……」と切り出す。

米紙に「冷めたピザ」と評された小渕氏へのジャブだ。

政権が遠い気楽さゆえか、話の枕を仕込むために朝からピザを食す余裕があった

▼昨日の鳩山氏は少し力んでいた。

目の前の男を倒せばいよいよ頂上ということで、胸には代表選の日と同じ金じまの「勝負タイ」が垂れる。

必勝のこだわりが首を絞め、官僚叩(たた)きの言葉がやや滑った

▼一方の麻生首相、小沢前代表の献金疑惑という攻め手を頼りにチクチクと小さく刺した。

鳩山氏が一蓮托生(いちれんたくしょう)をにおわせていたことを持ち出し、「言葉は大事にしなくちゃいかん」。

この人が言うと妙に説得力がある

▼昨日の鳩山氏は少し力んでいた。

一騎打ちともなれば、「何を言うか」以上に「どう言うか」が重い。

初顔合わせはその点で、答弁慣れした首相が引き分けに持ち込んだかに見える

▼何週間後になるか、投票日へと続く戦いが始まった。

両者のやりとりは事実上の第一声である。

あまりに短く、中身は浅く、

ヤジも醜悪ながら、党首が言葉で切り結ぶ常道が戻ってきたのは喜ばしい。

政党政治にはもう一つ、政権交代という常道があるのだが、さて。






国民的人気の麻生のキャッチフレーズは色あせてぼろぼろである。政権交代こそが唯一の国民にとり希望である。

政権交代があれば自民党を去るか鞍替えする人たちがいる。党首により世の中の政治が変るシステムも大いに変である。

国民の中には何処の政権になろうとも利益は獲得できるよううまく政治を利用してとしている輩が多くいる。








日本人の米国観がひっくり返る終戦後
大洋の風物をちりばめ、たたえる常夏の島ハワイ









平成21年5月29日の天声人語よりの引用


85歳で逝った作詞家、石本美由起さんの出世作「憧(あこが)れのハワイ航路」は、少年期に眺めた瀬戸内の船から浮かんだという。

日本人の米国観がひっくり返る終戦後、鼻に抜ける岡晴夫の歌声で時代と響き合った

▼11歳で聴いたのは、先立った同業の後輩阿久悠さんだ。

「籠(かご)の鳥が思い描く青空のように、あくまでも楽天的なハワイの空と海に酔っていた。

不思議なことに、唯一のハワイの知識であるパールハーバー、真珠湾攻撃を連想したことは一度もなかった」と本紙に記している

▼出航風景を描く1番がよく知られるが、波間に旅情漂う2番もいい。

〈一人デッキでウクレレ弾けば/歌もなつかしあのアロハオエ〉。

大洋の風物をちりばめ、たたえる常夏の島。

憧れに寄り添うように、長い移民の歴史があった

▼旅路を逆にたどった外国人力士の草分け、東関(あずまぜき)親方が65歳の定年を迎える。


小錦、あけぼの(「あけぼの」は曙の点つき)、武蔵丸が続いて大相撲は国際化したが、「高見山、ハワイ・マウイ島出身」の場内放送は今も耳に残る。

退職会見では、辛抱、努力といった言葉が口をついた

▼どの分野にも、異文化を我がものにせんと頑張る外国人がいる。

例えば、禅寺で励む「青い目の修行僧」の話を聞けば、誰も悪い気はしない。

海外には逆に、現地の好意に包まれる邦人がいよう

▼憧れに誘われ、あるいは必要に迫られ、人は海を渡る。

耐える開拓者がいて、勇気をもらう後進が続き、二つの文化の間に定期船が通い始める。

ひとたび結ばれた航路は、戦火にも消えることなく、時に外交をしのぐ果実を運ぶ。




ハワイは日本人にとって親しみ易いところである。日本の移住者も多いし。日本に移住してくる人も多い。

知事も日系から出たりもしている。暑いわりにさっぱりした気候だったことが印象的である。







麻生首相が検討を命じた厚労省の分割再編が、
自民党や閣内の異論で腰砕けとなった







成21年5月30日の天声人語よりの引用


言葉にも目方がある。

例えば「学校に行きたくないよう」という駄々の重みは学年と共に増し、先生がこねたら大ごとだ。

言葉の重さは出口で決まり、地位のある人が発したものはヘビー級となる

▼ちょっくら言ってみましたということらしい。

麻生首相が検討を命じた厚労省の分割再編が、自民党や閣内の異論で腰砕けとなった。

具体化はお預けだ。

唐突な指示から10日の空騒ぎ。


ぶれたというより、ぶれる間もない幕切れである

▼首相は記者団にあっさり「最初からこだわってないと思います。

話を作られると困るんで」と、またぞろ報道が先走ったかのごとき言い回しだ。

迷走して転び、下手な強弁でまたこける。

さて何度目だろう


▼族議員や官僚が抵抗する改革は、首相が腹をくくるしかない。

ところが分割話にリーダーシップはない。

かねての持論や信念ではなく、何かと不評の役所をお白州に引き出し、喝采を浴びたかっただけではないか

▼そもそも、先に分割を唱えたのは、本日83歳を迎えた読売新聞主筆の渡辺恒雄氏だ。

同紙も「再編で国民の信頼を取り戻せ」と促した。


大連立騒動の黒衣役といい今回といい、衰えぬ政治への情熱、生涯現役の記者魂には恐れ入る。

仕えるご同輩も心強かろう

▼暮らしに縁の深い官庁が「総身に知恵が回りかね」では困る。

肥大を案じるのは渡辺氏だけではあるまい。

それに飛びつくのはいいが、首相が口にするからには、風雪に耐えて旗を掲げ通す覚悟がいる。

夕立の祭り提灯(ちょうちん)ではあるまいし、出したり引っ込めたりはいけない。





言葉は重い。相手を殺すこと 傷つけること勇気づけることもある。麻生首相の記者会見を見ていて愛想が悪くて

真剣に国民のことを考え政治やる人には思えない。

ボンボン育ちで麻生財閥のトップとなり,,ただ人を欺く術を磨いてきた人のようにしか見えてこない








5月の言葉から







成21年5月31日の天声人語よりの引用


新緑をゆすって渡る青嵐の季節、インフルエンザという大風に列島はゆすられた。

不況風もやまぬ中、様々な風に向かってゆるがぬ5月の言葉から

▼第五福竜丸が死の灰を浴びて55年がたつ。

ささげるピアノ五重奏曲を作曲家の林光さん(77)が完成させた。

「核廃絶の希望は何度も裏切られる。

しかし、らせんを描くように、現実がすこしずつ希望に近づいていく」

▼広島市の小学6年で被爆3世の富永幸葵(ゆうき)さん(11)が国連本部でスピーチした。

「広島の子どもは原爆の恐ろしさを世界に伝える義務があります。

広島を見に来てください」。


小さき声がオバマ米大統領にも届いてほしい

▼『人間回復の瞬間(とき)』と題する本を鹿児島県の上野正子さん(82)が書いた。

ハンセン病のために長く隔離され、それを違憲とした裁判の原告になって、8年前に勝訴した。

「あの日を境に私は新しく生まれ変わった。

人間の尊厳をかみしめ残された命を生き抜きたい」

▼名古屋の繁華街にほぼ毎日、フランス人の尼僧が托鉢(たくはつ)に立つ。

マルティン・ハックヘーゲルさん(60)は10年前に来日して修行を積んだ。

「今の人たち、求めすぎ。

日本だけじゃない。

世界の問題」

▼「寅さん」の物まねで売る原一平さん(71)が、東京演芸協会の副会長になった。

夫を36年支え続け、病で声を失った幸子さん(66)は人工発声器で「こ、れ、か、ら、は、ま、わ、り、の、ひ、と、と、け、ん、か、し、な、い、で」。

一平さんには唯一の、そして無二の「マドンナ」である。

〈六月を奇麗(きれい)な風の吹くことよ〉子規。









観光客が多く訪れる寺院や神社仏閣





京都には寺院 神社が多くて未だに訪れていない所も有る。大体に有名な所は訪れているつもりだが,

何時でも訪れることが出来るとの気の緩みで訪れていないところもあるかもしれない。

奈良 滋賀県などを加えると多くなってくる。それに大阪を含め昔の首都に当たる場所は大体含まれることとなる。

明治維新後に天皇は初めて東京に遷都されている。江戸後期ごろから勤皇思想が盛り上がってきて

文久の御陵修復でかなりの天皇陵が捏造し改修されている


以下は-インタ−ネットよりの引用-

一般に天皇陵といえば、宮内庁法によってさだめられた、昭和天皇まで124代の天皇を埋葬した墳墓をいう。

ただし、考古学
天皇陵古墳というときは、天皇、皇后、皇子など皇族や外戚の墳墓や、被葬者を確定していない陵墓参考地とよばれる

皇族関係者の墳墓などのうちで、古墳とみとめられるものをいう。

天皇陵の形は8世紀以前のものは巨大古墳をふくめて、前方後円墳、円墳、方墳などの高塚が多く、

江戸中期以降は石塔、明治期以降は円丘や上円下方丘などに主流がうつった。


II

宮内庁が管理する陵墓

天皇や皇族の墳墓は陵墓とよばれ、現在は宮内庁書陵部が管理している。

本来は即位した天皇の墓だけを陵といい、そのほかの皇族たちをほうむった場所はすべて墓といったようだが、

現在の「皇室典範」では天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墳墓を陵とし、その他の皇族の墳墓を墓としている。


これらの陵墓は、近畿地方を中心に北は山形県から南は鹿児島県まで広範囲におよでいる。

現在、歴代天皇陵などの陵が合計188基あり皇族などの墓が552基ほかに埋葬地でない天皇の分骨所や火葬塚など110も陵墓にふくまれる。

また、
陵墓参考地とよばれる墓が50基近くある


III

天皇陵の矛盾

初代とされる神武天皇陵は奈良県橿原市のミサンザイ古墳とされているが、「日本書紀」などに陵についての記載があるものの、

その後わすれられ、江戸末期にようやくミサンザイ古墳にさだめられた。

8代とされる孝元天皇陵も橿原市の中山塚古墳といわれているが、

江戸時代の絵図をみると明らかに時代のくだる古墳時代中〜後期の横穴式石室(石室)が数基ある。

奈良市西北部にある11代とされる垂仁天皇陵は大型前方後円墳で周濠(しゅうごう)の一部が大きく拡張、

その中の島は垂仁天皇の忠臣だった田島間守(たじまもり)の墓といわれているが、

1879年(明治12年)以前の絵図にこれはみえないから、その後の外堤工事でできたものなのだろう。

26代とされる継体天皇陵を宮内庁は大阪府茨木市の太田茶臼山古墳(おおたちゃうすやまこふん)としているが、

ここから出土した埴輪の年代は継体天皇の在位時期より古い。

しかも、陵の記事がのる「延喜式」は継体天皇陵を島上郡(しまのかみぐん)とするのに、この古墳の場所は島下郡にあたる。

考古学者間では島上郡の今城塚古墳(大阪府高槻市)をあてる説が有力である。

天皇陵名と被葬者に、こうした多くの矛盾がみられることから、近年は、たとえば仁徳天皇陵を大山古墳、応神天皇陵を誉田山古墳とよぶように、

天皇陵名をさけて地名のついた古墳名をつかうことが多くなった。

宮内庁のさだめる陵に、このような疑問が出るのは、「古事記」や「日本書紀」「延喜式」にのる陵の場所を、

江戸後期の国学の隆盛におされた幕府が、政治的にきめたものが多いという背景がある。

さらに、
幕府は文久年間(1861〜64年)にこうした作業とともに大規模な天皇陵改修工事をおこなった。

古市古墳群中にある、大阪府羽曳野市の雄略天皇陵は、幕末期の改修で円墳と方墳が濠(ほり)をへだてて無理に前方後円墳に改造されている。

現在でも主軸が大きくブレていることは有名である。

大阪府堺市にあって世界最大級の面積をもつ仁徳天皇陵(大山古墳)は、3重にめぐる濠が特徴的である。

しかし、江戸時代の絵図などでは濠は2重で、現在でも後円部の3重目の濠は不自然な形で、

隣接してつくられた陪塚(ばいちょう)といわれる複数の小型古墳をとりこんでいることがわかる。

3重目は、江戸時代の工事で新設されたものである。


IV

すすまない陵墓の学術調査

古墳時代までの42代の天皇陵のうち、天皇名と天皇陵名が確実にあうのは天智天皇陵、天武・持統天皇合葬陵の2カ所ぐらいといわれる。

しかし陵墓は、宮内庁が皇室の墓所として保管・管理しているため、一般の立ち入りは原則として禁止され、

文化財指定もなされていない。

そのため、発掘調査などで古墳の年代を分析することができず、古代史研究の大きな障害となってきた。

1991年(平成3年)、橿原市の見瀬丸山古墳の石室内写真が、たまたま一般市民に撮影され公開された。

石室入り口が開いていて、子供の遊び場になっていたのである。

同古墳は明治初期まで天武・持統合葬陵とされていたが、

同陵が明日香村でみつかったため陵墓参考地として後円部上部だけが宮内庁管理となっていた。

写真には石室内に時期のことなる2つの石棺がうつっていたため、あらためて被葬者が問題となった。

欽明天皇と妃の堅塩媛(きたしひめ)合葬陵とみる考古学者が多いが、
このあとすぐに宮内庁は石室入り口をふさいでしまった。

陵墓は皇室神事の対象で、たんなる文化財とはちがう、というのが宮内庁の見解で、

御霊(みたま)の安寧(あんねい)と静謐(せいひつ)をまもるために学術調査をみとめないとしてきた。

宮内庁は陵墓保全整備事業などにともなって事前発掘調査、測量調査をおこない、

保全整備の際に研究者に見学をみとめてきたが、きわめて限定的なものだった。


しかし近年は、学術団体の求めに応じて立ち入り調査をみとめる方向へと方針を転換、

2008年1月に奈良市の神功皇后陵(五社神古墳:ごさしこふん)の立ち入り調査を日本考古学協会など16の学会代表にはじめて許可した。

宮内庁はひきつづき要望があれば、審査して許可を出すとしているが、
全面立ち入りや発掘調査はみとめられていない。


京都のど真ん中にある御所 現在天皇の住所でもある宮城の存在に対して違和感を持つ国民が多くいると思う。

平安時代までの皇室関係の施設の学術調査を許可すべきで 皇室関係は政治と関係ない存在で,現内閣とも関係なく埒外になるのかどうかも

わからないのが現在の宮内庁の存在である。


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