随想 平成10年9月分 10月分 11月分 12月分 平成11年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成12年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分10月分11月分 12月分 平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分11月分12月分 平成17年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成19年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成20年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分 平成21年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 六月になって 六月は梅雨の季節である。雨が降り続いて, たまに雷が鳴り驚くようなひと゜い雨の日も有る。 晴れの日は比較的少なく欝っとしい曇りの日や雨の日が多い時期である。 雑草もよく伸び、,うれしくない日が多いが,田植えするにはなくてはならない大切な季節でもある。 新インフルエンザも終息してきて,一般の診療所でも条件付で診られる方針に転換されてきたが あまりに初めての新インフルエンザに対しマスコミが大騒動していたことはゆがめられないが仕方ないことでもあろう。 観光地では風評被害でもって客足が急速に減り、商売が成り立たなくなってきている業種も有る。 全体としては死者がでることなく経過して良かったとは思っている。 寒くなる秋からの再燃が心配されているが,暑い現在でもなお根強く流行し続けているようで 常識的に診て来たインフルエンザとは変った流行の仕方をしているようである。 政局は民主党鳩山党首の個人献金偽装疑惑が有って 一方の麻生首相は支持率の低下で何とかしてでも 敵失でもって、再び政権浮揚をと自民党は狙っているが一向に上昇の気配は見えてきていない。 充分な内閣改造も出来ない位に,麻生内閣は疲弊してしまっているようだ。 自民党は静岡知事選で敗北し,地方選挙で四連敗したことになる。都議選でも惨敗している。 唯一鳩山党首の個人献金偽装疑惑を追求し、なんとか自民党の支持率を上昇の突破口にしようとしているが 小沢党首の時とは違い成功してはいない。 何故に企業献金や個人献金など政治家に金銭の話が付きまとうことが多いのか,今までそれによって失脚していった政治家は後を絶たない。 どうしてこんなに政治に何故金が必要なのか大変不思議である。政治活動に必要な秘書や選挙活動などには税金から支払いされているのに 何故さらに必要なのかがわからない。 票を集めるため必要だとすれば民主主義を根本的に否定することとなる。 必要な金は票の買収とか 官僚などへの買収など一般的には考えられるが,政治家に金が付きまとうことに対してナントカシテ欲しい気がする。 何のための政党政治なのかが判らなくなっている。 政界の浄化は,まず金銭問題 地位を利用しての他の人への利得斡旋など不正な政治活動をする人物が 普通能力の有る政治家という今までの常識を打破しない限り,まともな政治はありえない。 政治以外でもって異常能力を発揮できる人物より,清廉潔白な政治家の方が遥かに国民にとって良いことだ。 社会の為に身を投げ出してでも,国民の為,社会の為に懸命に働いてくれる政治家こそが本当の立派な政治家である。 個人の利益の為に働き票を集めるような政治家は最低で,そんな政治家はいらない。だか必要とする人がいるから,それが病根だ。 社会の為に身を捨てても,ナントかして社会や国民の生活を良くしたいとまい進してくれる政治家こそが誰もが切望するものである。 金銭にまつわるような政治家には碌な政治家はいない。 そんな人たちがボスになり活躍しているのが現在みかける政治の世界のように思えて仕方がない。 京都新聞に載っていた、哲学者の梅原猛さんが書かれたコラムに「魔術師」と題し書かれていたのが大変印象が深かった。 小泉さんが総理のときのことを書かれていて、小泉総理は、本当は日本には財政危機とか、世界飢餓とか、地球温暖化など、 取り組まなければならない問題が山積していたのに、大して重要課題でもない郵政民営化という、 テーマをわざと出してきて、国民に二者択一を迫るような選挙をやって、大勝した。 これは、小泉さんが魔術師のようで、大事なことから目をそらし、 さして大事でないことに注目させるような魔術師のようなテクニックに長けた人だったとと評しておられる。 東国原宮崎県知事も同じような類の人物とも評されている。 選挙大勝後はその衆議院数がいろんなことに利用されてきた。そして今もそれが生きている。 さすがに哲学者だけあり鋭い視点で持って世の中を観察しておられるものかと感じながら読んだものである。 これは京都新聞に載っていたので京滋地方の人たちに読まれ,るが全国紙でないので読む対象の方がすくなく大変残念なことである。 政治家の魔術には騙されないような識見を持ち政治を観察できるようにしたいものである。 何度かの繰り返す政権交代をしながら,日本も徐々にアメリカから真の独立を,、此れまでのアメリカ一辺倒のような属国のような政治から脱却し 並みの独立国家でありたいものである。 敗戦後かなりの月日が経過している筈なのだが,まだ立ち直っていないように思える。 長い間の自民党政権下のもとでは.秘密条約があったことが次第に公にされ明るみになってきている。 長年の自民党政治下では聖域化されている部分が多くあって,国民に伝えていない判らない部分が多く有るのではないだろうか。 国民には見えない部分をもっと考え直さなければならないことがまだまだ多くあるように思えてならない。 アメリカのオバマ政権になり核の制限条約がソ連との間で成立し,世界共存の世の中に移り変わってゆく気配を感じ出してきた。 トップ交代により社会はがらりと変っていくことが実感されてくる。 極端な格差社会のアメリカ内のことは計り知れない。だが一挙には変らないことだけは理解できる。 政権交代が如何に良い結果を示してくれているかを,アメリカの出来事が教えてくれている。 気象記念日でもある 1875(明治8)年の きょう東京気象台ができた 平成21年6月1日の天声人語よりの引用 名前の響きで損をしているが、ドクダミはかれんな花である。 毒々しい「ドク」から、だみ声の「ダミ」と続く。 だが花(実際は苞(ほう))は白い十字形をし、木(こ)の下闇(したやみ)などに星を散らしたように咲く ▼その星々も鮮やかに、6月が始まる。 けさ、いつものようにネクタイに手を伸ばしかけて、ふと止めた方もおられよう。 クールビズも早いもので5年目になる。 夏服の通学姿も目立つ朝だ。 〈衣更へて肘(ひじ)のさびしき二三日〉福永耕二。 いまの勤め人は、肘よりも首に実感があるかも知れない ▼気象記念日でもある。 1875(明治8)年のきょう東京気象台ができた。 9年後のこの日には初の天気予報も出されている。 もっとも「全国一般風の向きは定まりなし、天気は変わり易(やす)し、但(ただ)し雨天がち」だったというから、神のお告げを聞くようでもある ▼そして、またぞろ雨の暴れる季節がめぐってくる。 梅雨や台風などの古顔に、近年はゲリラ豪雨も加わって手ごわい。 台風について気象庁は、これまで3日先までだった進路予報を、5日先まで延ばして発表することにした ▼早めの備えに役立つし、行楽予定などを判断するにもありがたい。 5日先に台風の中心が予報円に入る確率は、70%を目指すそうだ。 「お告げ」の時代から積み上げた予報技術の粋だろう ▼〈どくだみに降る雨のみを近く見る〉秋元不死男。 ひそやかな白い花には雨が似合う。 雨が上がって日が差せば、緑と土の匂(にお)いが命の揺りかごのように立ちのぼる。 夏への序曲を聴くような、「水の月」の始まりである。 天気予報はかなり当たるようになってきている。現代人は天候が神の仕業で雨乞いするようなことは ナンセンスだと誰もは思っている。だが平安時代ごろは雨乞いの儀式が盛んに行われていた。 京都伏見の隋心院の創立者である仁海僧正はかなり効率的に雨を降らす祈祷に成功しているので雨僧正とも言われていた。不思議。 和歌山県田辺市の入り江に迷い込んだ マッコウクジラが、自力で湾外に泳ぎ出た 平成21年6月2日の天声人語よりの引用 和歌山県田辺市の入り江に迷い込んだマッコウクジラが、自力で湾外に泳ぎ出た。 気をもませること18日。 陸から遠ざけようと手を尽くした人たちの心が通じたか、やつれた巨体はきのう、ゆっくり沖へと向かった。 なんとか外洋に出て生き延びてほしい ▼腹をこするほどの浅瀬は死ぬ苦しみだったに違いない。 なにしろ、1千〜3千メートルの深海と海面を行き来している種である。 まだ深く潜れぬ子のため、親はイカを捕りに潜り、潜水の教育もするらしい ▼迷いクジラの餌場とみられる紀伊半島沖を含め、海の面積の9割近くは深さ千メートルを超すという。 もはや光は届かず。 水温は5度を切る。100気圧の水がのしかかる闇の世界だ ▼クジラが通う海を知るため、近刊『深海魚・暗黒街のモンスターたち』(尼岡邦夫著、ブックマン社)を開いてみた。 8千メートルの底に泳ぐ命まで、店先や水族館では見ない魚が写真と絵で並んでいる。 大口に鋭い歯、光や音を出すものなど、どの異形も適応と進化の果てにある ▼名前も負けていない。 アクマオニアンコウ、イレズミコンニャクアジ、スベスベカスベ、ハゲイワシ。 命名者の遊び心もあろうが、発見が新しいせいか、見たまんまに、どこか残り物をあてがった風でもある ▼さて珍妙な仲間たち、「あのクジラ、ここんとこ見ないね」と案じている頃ではないか。 浅深を問わず、水中に長く伝わる戒めは「上ほど危ない」だろう。 懸命に逃がそうとしてくれた人間の話など、ひょっこり戻ったクジラが力説しても、信じてもらえそうにない。 テレビで見る入り江に迷い込んだマッコウクジラをみたが身体を傷つけて痛々しい感じで なんとかして人間の手で逃がしてやれないものかと思った。 現在は食べることはなくなったが,魚類が不足した終戦後間もなくはクジラを食し人間の命を助けてもらったものである。 破綻(はたん)したゼネラル・モーターズは20世紀のある時期、 間違いなく「世界で最も倒産しそうにない会社」だった 平成21年6月3日の天声人語よりの引用 びょいーんと琵琶が鳴って、平家物語の一節が胸をよぎる。 〈奢(おご)れる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし〉。 16兆円を超す負債を残し、アメリカンドリームの一つが終わった ▼破綻(はたん)したゼネラル・モーターズは20世紀のある時期、間違いなく「世界で最も倒産しそうにない会社」だった。 アメリカという国家と、自動車という消費財。 二つの隆起が重なる高みに、資本主義の一丁目一番地に、その巨塔はそびえていた ▼倒れぬはずの塔は、しかし倒れるべくして倒れた。 ひと続きの世界市場で、ガソリンがぶ飲みの車は通じない。 日本車との競争、環境上の制約が厳しくなるのに、研究開発を怠り、身内への厚遇、身の丈を越す工場群や販売網を切れなかった。 〈盛者必衰のことわり〉である ▼旧GMの良い部分を継ぐ新生GMは、米政府が6割の株を持つ国有企業となる。 つぎ込まれる公費は都合5兆円近い。 救う側、救われる側とも、自由経済の権化としてこれ以上の堕落と恥はあるまい ▼株主代表となるオバマ大統領は、「投資」を強いられた納税者に「GMは再び米国の成功シンボルになる」と訴えた。 新たな失職者には「次世代が車を作り続けるための犠牲です」。 だが、税金が生きる保証はない ▼クライスラーに続く出直しだ。 身軽に生まれ変わる米業界は、時代と消費者が求める車を再び世に問えるのか。 例えば、キャデラックやシボレーを名乗るエコカー。 盛者必衰のことわりではないが,アメリカの代表的な企業が倒産する運命にあるとは誰も予想はしなかった。 自動車産業はアメリカでの象徴的な富と繁栄の象徴的な存在だった。 人が載るだけでは大変効率の悪い自動車だが,さすがアメリカだとの思いの存在でもあったが。 天安門事件から20年になる。 平成21年6月4日の天声人語よりの引用 天安門事件から20年になる。 もしや歴史が動くのかと、世界が広場の闇に目を凝らしたあの夜は、中国を進めたのか遅らせたのか。 それさえ論じられないのでは、志半ばで倒れた学生らが浮かばれまい ▼当局発表の死者は治安側を含め319人。 丸腰の市民を圧殺した中国政府は事件を反革命暴乱と呼び、政治風波(騒ぎ)と片づける。 ほどなく風はやみ、波は収まったではないかと。若者の多くは事件をちゃんと教わっていない ▼当時の学生リーダーは40代になった。 刑務所を出ても監視の目がつきまとい、ある人は「小さな檻(おり)から大きな檻に放り込まれたようなもの」と本紙に語っている。 海外に逃れた者は帰国もままならない ▼この間、一人当たりの国内総生産は10倍になった。 学生の関心は政治より就職に向き、「上流」への近道として党員になる者が増えたという。 香港では先日、事件の再評価を求めて8千人が行進したが、一時の勢いはない ▼成長の陰で格差や腐敗は広がった。 しかし人権、自由、少数民族といった問題は豊かさに塗り込められたかに見える。 民主化を叫んだ口はパンでふさがれ、うかつに開けば大小の檻が牙をむく。 主要国や経済界はそこに目をつむって関係を深めてきた ▼国にはそれぞれ発展の仕方があろう。 自由な選挙と言論を欠いたまま、中国はどこまで豊かになれるか。 面白い課題ながら、13億の民を実験台にしてはいけない。 基礎工事を忘れ、野放図に階を重ねるビルを思う。 夜陰に封じた危機が再浮上する時、影響は20年前の比ではない。 天安門事件があったことは記憶している。二度有った様で64天安門事件が一般に言われているようだ。 64がついているのが6月4日にあったからのようである。中国政府が学生への民主化への叫びに対して 弾圧し死者も出たり逮捕されたり海外に逃亡した学生もいたようだ。当時の主席が学生と対話している情景を覚えている。 主席以上の人たちによって弾圧されたようだ。経済発展しているが共産党一党独裁が続いている。 共産党員になることがエリ−ト層になることのようだ。色んな考えのあるのを一党だけで支配するのはいかがなものか。 中国人の人口は多くて,多民族国家では多くの主張があるはずだ。 徳川家に学んだわけでもあるまいが、 北朝鮮の「将軍様」金正日(キム・ジョンイル)総書記が、 三男正雲(ジョンウン)氏を後継に指名したとの情報がある 平成21年6月5日の天声人語よりの引用 継ぐのは長男だけではない。 江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職をわずか2年で三男秀忠に譲った。 長男は早世、次男は結城家の養子という事情はあったが、律義で温厚、ぼんくらと呼ばれた秀忠は扱いやすい。 自ら後見役になり、徳川の世襲を固めるには適材だった ▼家康は没するまでの約10年、大御所として実権を握る。 秀忠もよく応え、15代続く体制の礎を築いた。 ちなみに、家康の子で初代水戸藩主の頼房(よりふさ)も、三男光圀(みつくに)に継いでいる。 隠居後も親しまれたあの黄門様だ ▼徳川家に学んだわけでもあるまいが、北朝鮮の「将軍様」金正日(キム・ジョンイル)総書記が、 三男正雲(ジョンウン)氏を後継に指名したとの情報がある。 往時の秀忠と同じ20代半ば。 すでに朝鮮労働党の要職に就き、在外公館が忠誠を求められたとも伝わる ▼メディア露出が多い小太りの長男正男(ジョンナム)氏と違い、次男正哲(ジョンチョル)氏と正雲氏は近影もない。 病み上がりの父親は早めの継承を策しているのか、三男を「若大将」と呼び、たたえる歌もできたという。 話半分に聞いておく ▼世襲のリスクはリーダーが資質に欠ける場合だ。 社会や組織は息苦しくなり、やる気のなえた被支配層は下流を漂うことになる(荒和雄『よい世襲、悪い世襲』朝日新書)。 民を飢えさせ、核をもてあそぶ独裁国家に「よい世襲」はあり得ない ▼そもそも革命の血統なるものを根拠に、人民の共和国を「金王朝」が治める虚構は早晩崩れよう。 今さら名将軍の誉れは無理でも、2代限りで観念し、開国するのが世のためだ。 そのあと諸国を漫遊されても困るけれど。 金王朝の始まりなのかどうか1000年以上経たないとわからない。多分倭政権が天皇制に変わった頃も同じような 状況だったのではないかと考える。歴史が箔をつけ高貴で優雅な王朝へと変貌していったのかとも 想像するが 権力は絶大である。取り巻く人たちの交代があり続いている。隣国の「臣民我ら皆共に」がいつまで続くのかどうか。 賛否両論を20年かけて折り込み、静岡空港が開港した。 平成21年6月6日の天声人語よりの引用 映画「猿の惑星」に忘れられない場面がある。 猿に捕まった宇宙飛行士が、ほかの星から来たことを説明しようと紙飛行機を飛ばすところだ。 折るだけで一枚の紙が滑空するのを見て、猿たちは腰を抜かす。 人間の知恵の、ささやかな一矢がうれしかった ▼紙飛行機は人も仰天させる。 この春、広島県福山市の戸田拓夫(たくお)さん(52)が放ったそれは、27秒9の滞空時間を記録した。 米国人が持つ記録を0秒3上回り、ギネスブックが世界一に認定したそうだ ▼映像を見ると、全身を使って真上に投げた手のひらほどの機体が、らせんを描いて降りてくる。 最初に稼ぐ高度が勘所らしい。 空気を切り裂く鋭い機首と、重力をだます広い翼。 二つを折り合わすべく、記録会では30分かけて作るという ▼さて、賛否両論を20年かけて折り込み、静岡空港が開港した。 新幹線の駅が六つある静岡県の真ん中に、である。 客が見込める路線は限られ、赤字承知の離陸だ。 低い位置から、ふらふらと宙を漂う紙飛行機を思う ▼総事業費の約1900億円に、税金をつぎ込みながらの滞空となる。 無駄な公共事業の例に挙げられるたび、地元出身者として小さくなってきたが、できた以上は集客に努め、公費への迷惑を抑えてもらうしかない ▼日本折り紙ヒコーキ協会を主宰する戸田さんは「白い紙飛行機ほど青空に似合うものはない」と語る。 紙一枚で遊べ、なくしても惜しくない。 この「存在の軽さ」がいいという。 茶畑に現れた滑走路の方は、鉛色の空のごとく、妙に重たい存在になりそうで怖い。 地元の人たちの反対を圧しての事業は失敗に終わることが多い。 静岡空港は立地条件として静岡のお茶の産地の土地を壊し開発されたようだ。霧の発生が多くて 欠航する日が出て失敗におわっているようだ。個人飛行機時代になれば話は別だが。 反骨の川柳作家、鶴彬(つる・あきら)の生涯を たどる映画が、このほど完成した 今年は生誕から100年にあたる その句は、軍や資本家の非人間性を突いてやまない 平成21年6月7日の天声人語よりの引用 去年の夏にこの欄で紹介した反骨の川柳作家、鶴彬(つる・あきら)の生涯をたどる映画が、このほど完成した。 今年は生誕から100年にあたる。 軍国の時代に反戦を貫きながら、知られることの少なかった姿が、志ある人々の熱意で今によみがえった ▼その句は、軍や資本家の非人間性を突いてやまない。 〈胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき〉は、夫が戦死した身重の妻を詠んだ。 〈ざん壕(ごう)で読む妹を売る手紙〉は、兄を兵隊に取られ、妹は身売りという農村の窮乏である。 特高ににらまれながら、怒りに燃えるように作り続けた ▼映画は、特高に捕まって29歳で落命するまでを、いとおしむように追う。 有志の寄付などの「超低額予算」で取り組んだ神山征二郎監督の思いがにじむ。 そして鶴を最後まで見守り、支える井上信子を、女優の樫山文枝さんが好演している ▼信子も、もっと知られてほしい人だ。 川柳家の井上剣花坊(けんかぼう)の妻で、自身も句作した。 没した夫を継いで川柳誌の発行人になった。 鶴の〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉など多くの反戦句を動じずに載せ、何度も弾圧に遭っている ▼日中戦争が泥沼化し、日米が開戦する前年には、70代で〈国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ〉と詠んだ。 あの時代にジョン・レノンの名曲「イマジン」を先取りしたような、しなやかで、きっぱりした平和への意志があった ▼揺るがぬ者への敬意が、つつましい映画「鶴彬 こころの軌跡」を流れている。 東京では来月に上映が始まる。忘れられていた人が再び、静かな光を放ち始めたようである。 こんな人物が戦時中いたとは不思議である。 マインドコントロールされていた我々には想像がつかない存在である。 反逆罪に適応する人物で,明らかな当時では罪人であった。 そんな、向田ドラマの「基本構造」でもあった一日3食が崩れつつあるという。 平成21年6月8日の天声人語よりの引用 「めし食いドラマ」と揶揄(やゆ)されようが、向田邦子の脚本はメシの場面が面白かった。 「その家族が朝に何を食べて、夜に何を食べるかの献立が作れるときは、 そのドラマはうまくいきます」と本人も語っていた(『向田邦子全対談』文春文庫) ▼漬物は家で漬けるのか、それともスーパーで買うのか。 そこまで思い浮かべば、セリフもどんどん出てきたそうだ。 言われてみれば実生活でも、朝食がパンにコーヒーのときと、ご飯にみそ汁の日では、食卓の話題も違う気がする ▼そんな、向田ドラマの「基本構造」でもあった一日3食が崩れつつあるという。 朝食をまともにとらない人は20代女性の25%、30代男性では30%にのぼる。 腹が減るつど菓子でも何でも食べて、食事と間食の区別がない人たちも結構いるらしい ▼食の乱れを案じ、学生に朝食を習慣づけようとする大学の取り組みを、先ごろの小紙で読んだ。 朝の講座に朝食を取り込んだ学校もある。 過保護だと笑えない危機感が現場にはあるようだ ▼人類の歴史で一日3食は新しい。 本当に健康的なのか、はっきりしていないという。 とはいえ朝食は一日のリズムを整えるためにも侮れない。 体と頭のスイッチを入れる「目覚まし」の役割も、よく知られている ▼冒頭の本によれば、ある時、カップめんが好きな西城秀樹さんを、小林亜星さんが「もっとしっかりものを食え!」と叱(しか)ったそうだ。 ドラマではなく実生活の逸話である。 あの「寺内貫太郎」の懐かしい声が、「崩食」の時代を叱っているように耳に響いてくる。 食事一日三食は何時ごろからの習慣なのだろう。朝は食べない人が増えてきているようだが 食料のない時代も内容は別として三食はとっていた。健康に良いのかどうか 食べないと次回反動で多く食べ過ぎ三食をとるようにすすめられている。欧米食は良くない。 戦後の病気は欧米に似た病気が増加してきているのが食事が原因だ。 所管の日本郵政社長人事で、 鳩山総務相が名前に負けない「執念」を見せている 平成21年6月9日の天声人語よりの引用 平和のシンボルながら、鳩(はと)の闘争心は侮れないらしい。 伝書鳩が一目散に巣へ帰ろうとするように、ねぐらや縄張りへの執着が強く、これを侵そうとする者とは戦う。 しかも、なかなかあきらめないという ▼縄張り、いや所管の日本郵政社長人事で、鳩山総務相が名前に負けない「執念」を見せている。 かんぽの宿を売り飛ばそうとした西川社長の続投は許さん、だって正義のためだもんと、すごい力みようだ。 盟友に大見えを切られた麻生首相は、またもや指導力をうんぬんされかねない ▼この状況、兄の鳩山民主党代表は「2羽の鳩が総理を襲っている。 1羽は正面からつつき、もう1羽は中からえぐりとる戦い」と評した。 野鳥観察者のごとき物言いはさておいて、政権を内外からついばむ兄弟鳩の例えはえぐい ▼政変に加担するつもりはあるまいが、弟がその「正義」を貫こうとすればするほど、兄を利することになる。 血は水よりも濃いという。 そのうち友愛兄弟党でもつくる気かいと、永田町の雀(すずめ)は騒がしい ▼年子で、学年でいえば二つ違い。 40年前、東大在学中の鳩山兄弟は、学生と機動隊が激突した安田講堂事件を体験した。 保守政治家の息子たちらしく、兄の記憶によれば、近くの料理店の2階で一緒に攻防戦を眺めていたそうだ ▼国会議事堂をめぐる攻防が佳境に入る。 二人は敵味方に分かれて戦火のただ中にあり、今度は高みの見物とはいかない。 兄鳩らが目を丸くして見守る中、伝書をつかさどる会社にポッポと湯気を上げる弟鳩。 どこへ飛んでいくのやら。 郵政民営化が最終目的ではないはずだが,民営化されても公明正大さや健全さなどがなければ民営化には意味がない。 なにか不健全さが伴い不公正で不透明さがあって社長を交代させることの出来ないことは 汚い政治的な配慮を感ずる。麻生財閥の方が盟友よりも大切なのだろうか。 郵便局へ行っても何も以前と変わら,ずカンポの宿の他の会社への安価な譲渡の方が問題だ。 政治家の都合の良いように政治が行われているようにしか見えてこない 米国の高名なピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)だ 快挙は〈全盲の日本人が優勝〉と伝えられた。 平成21年6月10日の天声人語よりの引用 〈円周率10万けた暗唱〉などの報に触れるたび、人間の底知れぬ能力に圧倒される。 今回も驚くばかりだが、審査員には音の差がしっかり届いたらしい。 米国の高名なピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)だ ▼快挙は〈全盲の日本人が優勝〉と伝えられた。 ニュース価値はそこにあっても、競演の結果に「全盲の」は要らない。 それは奏者の重い個性だけれど、審査上は有利でも不利でもない。 勝者が「たまたま」見えない人だったのだ ▼録音を何度も聴いて曲を覚えるという。 耳で吸収した音は熟成され、天から降ると称される響きで指先に躍り出る。 「目が見えた場合」と比べるすべはないが、音色だけ見えているかのような集中は、不利を有利に転じる鍛錬をしのばせる ▼師は「驚き以上の感動を伝えるため、彼は勉強を重ねてきた」と言う。 全盲ゆえの賛辞は、実力を曇らす「二つ目のハンディ」だったかもしれない。 体ではなく、音の個性が正当に評価された喜びは大きい ▼20年前、ご両親は「生まれてよかったと思ってくれようか」と悩んだ。 やがて、母が台所で口ずさむ歌をおもちゃの鍵盤で再現し、同じ曲でも演奏家を聴き分けてみせた。 その才をいち早く見抜いたのは親の愛だ ▼かつて息子は「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」と口にしたそうだ。 母は今、「私に生まれてきてくれてありがとう」と涙する。 「できない」ではなく、「できる」ことを見つめ続けたご褒美。 世界が「生まれてよかった」と祝す才能は、どれもそうして開花する。 大変な努力の賜物と思う。他の人よりもさらなる努力が必要だっただろう。両親も偉い人だ。 子どもの無垢(むく)な発言を集めた本紙投稿欄「あのね」の朝日文庫版だ。 オトナに疲れた時の軽い栄養剤として、いくつか紹介したい 平成21年6月11日の天声人語よりの引用 ページを繰りながら、上前淳一郎さんが週刊文春に連載したコラムの題〈読むクスリ〉を思い出した。 子どもの無垢(むく)な発言を集めた本紙投稿欄「あのね」の朝日文庫版だ。 オトナに疲れた時の軽い栄養剤として、いくつか紹介したい ▼そろいの服の双子に、大抵の大人は微笑を返すだろう。 子どもは違う。 「どっちが本物なの?」(彩音4歳)。 世は謎だらけである。 ぬかみそにナスを漬け込む祖母には「どうして隠すの?」(恵理4歳) ▼みんな残酷なまでに正直だ。 犠牲者は母親が多い。 久々に緊張してハンドルを握れば「怪獣の目で運転してる」(友大4歳)。 化粧中に「まゆげの修理?」(裕貴3歳)。 体重計の上で「やばーい」(祥2歳)もママのまねらしい ▼何を思うのか、妙なつぶやきもある。 一人洗髪しながら「妹は、いつまでたっても妹……」(香子6歳)。 風呂上がりのミニアイスをほおばって「おれの一日はこれで終わった」(朗央5歳)。 晩酌みたいなものか ▼友だちの風船が空へ。 母は「かわいそうねえ」と常識に従うが、子は「でも雲は喜ぶね」(京佳4歳)。 逆さまの発想は金子みすゞの詩に通じる。 認可保育園に入れられず、母の目に涙。 すると「仲間に入れてほしい時は、大きな声で言えば入れてくれるよ」(八重4歳)と、また泣かせる ▼大きく膨らんだカーテンにしがみついて「風つかまえた!」(絵里4歳)、サイダーのコップに耳を近づけ「夏の音がするよ」(道郎5歳)。 みずみずしい感性、はじけ合う季節が、梅雨空の向こうに待つ。 話題がおもいつかなかったのかどうか。天下泰平 水田からどう舞い上がったか、 石川県七尾市で「カエルの子」が 100匹ほど降ったという きのう、日本の月探査機かぐやが月面に落下し、役目を終えた。 平成21年6月12日の天声人語よりの引用 停滞前線が列島に絡み、田んぼとカエルが喜ぶ季節が来る。 週間予報に傘印は少ないが、思案顔で空を見上げる朝が多くなろう。 引力の導くまま、不意に落ちてくるのは雨粒に限らない ▼水田からどう舞い上がったか、石川県七尾市で「カエルの子」が100匹ほど降ったという。 ボタボタという鈍い音に駐車場の男性が振り返ると、オタマジャクシがたくさん落ちていた。 80キロ離れた白山(はくさん)市でも約30匹、別の町では小ブナ約10匹が見つかった ▼00年、英国東部でやはり小魚が降り、民家の庭を埋め尽くしたことがある。 海から魚群を吸い上げたのは竜巻だった。 竜巻はカエルやカメも降らせるが、石川県の例では考えにくいそうだ。 鳥が獲物を吐き出したのかもしれない ▼ところ構わず降る物があれば、折り目正しく落ちる物あり。 きのう、日本の月探査機かぐやが月面に落下し、役目を終えた。 打ち上げて21カ月。 高精度の月面図や、「満地球」が「月平線」を出入りする映像など、精勤のあれこれを浮かべてご苦労様とつぶやく ▼運用チームの最後の仕事は、地球から見える側に落としてやることで、予定通り信号が途絶えると拍手がわいた。 月に願いをと募った約41万人のメッセージも、うさぎの傍らに届いたはずだ ▼昔人は、想像するしかないものを雨夜(あまよ)の月に重ねた。 世には想像を絶する未知もまだ多いが、最たるものだった月世界は科学の力でぐんと身近になった。 煙る夜のはざまに月がのぞいたら、宝の山のデータを残し、音もなく消えた「働き者」を思い出したい。 月面に衝突し消えて行きながらの映像を送ってきた月探査機「かぐや」はかぐや姫のようだ。見事だ。 冬への備えを促すように、 世界保健機関が新型インフルエンザの警戒レベルを 最高の6に引き上げた。世界的大流行である。 平成21年6月13日の天声人語よりの引用 夏は音楽ざんまいだったセミが冬に飢え、せっせと食料を蓄えてきたアリに助けを求める。 イソップ寓話(ぐうわ)の「アリとセミ」だ。 セミは夏に鳴く虫の代表としてサボリ役を務めるが、セミが少ない北国ではキリギリスが代役を引き受け、そちらも広まった ▼この話、本により結末も違う。 ギリシャ語の原典ではアリが冷たく拒むのに、説教しながら施しを与える「温情編」もある。 改変前の教訓は、自助努力を怠るな、余裕のあるうちに備えよというものだ ▼冬への備えを促すように、世界保健機関が新型インフルエンザの警戒レベルを最高の6に引き上げた。 世界的大流行である。 冬に向かう南半球で感染が広がっているためだ。 100万人が死亡した「香港風邪」以来、大流行は41年ぶりとなる ▼日本では感染者の多くが軽症で治り、一時の騒ぎも落ち着いた。 慌て買いのマスクを持て余す人もいよう。 だが、ウイルスは人体を渡り歩くうちに凶暴化しかねない。 われらが北半球では、南でひと暴れした後の第2波が怖い ▼年内に日本が用意できる新型ワクチンは、国民の2割にあたる2500万人分という。 秋から冬、流行と予防接種がもつれて走るような状況が見込まれる。 どんな優先順位で打つのか、大量の患者をどうさばくのか。 考えておくべきことは多い ▼「夏に歌ったのなら、冬には踊るがいい」。 無慈悲なイソップ原典で、腹ぺこのセミにアリが放つ言葉だ。 このせりふ、温情を知らないウイルスに盗まれないよう、セミが鳴きやむ前にあれこれの冬支度を整えたい 世界的な新インフルエンザに以前から話題になっている鳥インフルエンザ流行の練習訓練で 弱毒性でよかった。年配者に罹らないのは知らない間に感染していた可能性があるのか。 季節性インフルエンザのように夏でも流行するのは不思議だ。 日本郵政の社長人事をめぐる世論をみると、 現代の「道理之介」は西川社長ではなく、 大臣を辞めた鳩山さんのようだ 平成21年6月14日の天声人語よりの引用 群雄が相争った戦国時代、わが名を早く世に広めようと、奇抜な名を名乗って戦場を駆けめぐった武士もいたらしい。 抱腹絶倒の珍名が色々あって、当時の武士たちのユーモア感覚には舌を巻く ▼たとえば滝沢馬琴の『燕石雑志』によれば、尤道理之介(もっとも・どうりのすけ)という武士がいて、 戦場で名乗りを上げると敵も味方も大笑いしたそうだ。 そのことを井上ひさしさんの随筆に教わったが、どんな喧嘩(けんか)も「理のあるなし」は大切だ。 いくさの前に叫ぶには、悪くない名前だったろう ▼さて、日本郵政の社長人事をめぐる世論をみると、現代の「道理之介」は西川社長ではなく、大臣を辞めた鳩山さんのようだ。 「世の中、正しいことが通らない時がある」「潔く去る」。 鳩山氏の言葉は、義憤を込めて意気軒高だ ▼英雄気取りと陰口もきかれるようだが、ロマン主義者なのだろう。 自らの言動への美意識も強いとお見受けする。 負けを承知で「正義」を曲げず、ついに詰め腹という「滅びの美学」は、判官びいきの国民性に訴えたかも知れない ▼反対に麻生首相は、また指導力に落第点がつき、敵(かたき)役にもなった。 鳩山流美学に対し、現実的に処するしかなかった。 もとは盟友である。 泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)ったのか、それとも怒り心頭か。 ともあれ国民そっちのけの内紛劇である ▼もう早く選挙をするにかぎる。 民意の賞味期限をごまかす防腐剤は限度をこえた。 政策をぶつけ合い、どの党や候補者が「尤道理之介」かを国民に決めさせてほしい。 どこが勝つにしても、政治の梅雨明けは早いほうがいい。 国民を無視し忍耐強く政治を行うのは何のためなのだろうか。 裸の王様になっているのか漫画ばかり読んで新聞読まずテレビも見ずの 生活を送っていられるのかどうか。 障害者向けの郵便割引制度が悪用された事件は、 厚生労働省の局長の逮捕に発展した 平成21年6月15日の天声人語よりの引用 明治の初めに東京や横浜に設けられた郵便箱(ポスト)は黒塗りだった。 「郵便」という言葉が珍しく、「たれべん」と読み違えた人が立ち小便を放ったというのは本当のことか。 138年前に郵便制度が始まったころの話である ▼制度をつくった前島密(ひそか)は無私な人だったらしい。 事業を軌道に乗せて官界を去るとき、知人らは「もう少しで恩給をもらう資格ができる」と止めた。 しかし前島は笑って身を引いた。 淡々とした人柄が、古い遺稿集『郵便創業談』からうかがえる ▼その清廉の人が、さぞや嘆いているだろう。 障害者向けの郵便割引制度が悪用された事件は、厚生労働省の局長の逮捕に発展した。 障害者団体の実態がない組織に、偽造の「お墨付き」を与えていた疑いだという ▼看板に偽りありを「羊頭狗肉(ようとうくにく)」と言う。 不正は、いかがわしい団体に中身をごまかす羊の頭を与えたようなものだ。 局長は否認しているそうだが、ならば誰の意思と行為が不正を生んだのか ▼「政治案件」という言葉が、またぞろ聞こえてくる。 官界の用語で、政治家の口添えのある頼まれ事の意味だ。 最も憂うべきは、誰にも犯意のないまま偽造証明書が作られた場合だろう。 それは政と官のなれ合いから、役所という組織そのものが産み落とした不正にほかならない ▼局長は文字通りのキャリアウーマンで、舛添厚労相は「働く女性にとって希望の星だった」と言う。 残念ながら、すでに過去形である。 このまま事が進むなら、前島と違って後味の悪い、志半ばでの挫折ということになる。 政治家関係の不正な行為の発生は自民党政権の長い慣習のために続出しているのか。 政権交代の緊張感のなさから起きているように思える 「議会の華」といわれるヤジである 特に党首討論は晴れ舞台とみえ、 轟々(ごうごう)とわき起こる 平成21年6月17日の天声人語よりの引用 井原西鶴の浮世草子「世間胸算用」に、大勢が左右に分かれて言いたい放題、ののしり合う場面がある。 「お前は餅がのどに詰まっておだぶつだ」「お前なんぞ、鬼に漬物にされろ」……。 辛辣(しんらつ)だが、けんかではなく神社の祭事の描写である ▼参詣する人が故意に悪口を言い合う「悪口祭(あっこまつり)」や「悪態祭」などと呼ばれる祭りは、いまも各地に残っている。 日ごろ積もったものを発散しつつ、言い勝った者が福運を得るという習わしが多いそうだ ▼さて国会に目をやれば、与野党共催の「悪口祭」が、このところ随分かしましい。 「議会の華」といわれるヤジである。 特に党首討論は晴れ舞台とみえ、轟々(ごうごう)とわき起こる。 あまりの聞き苦しさに国民から批判がわき、双方が自制を申し合わせた ▼品格ばやりの昨今だが、ヤジは騒々しいばかりで品がない。 寸鉄人を刺す機知もない。 それらが備わってこその「華」だろう。 でなければ、デシベルの単位で計測される物理的な騒音と変わらない ▼〈菅直人の鼻の向こうにいる議員野次(やじ)に飽きたか二度も欠伸(あくび)す〉と今月の朝日歌壇にあった。 子どもっぽい、締まらぬ姿を、テレビを通して国民は見ている。 〈議事堂で歳費を食ってるやじの群れ〉と、こちらは小紙川柳欄 ▼党首討論の元祖、英国のチャーチル元首相は「議会の目的は殴り合いを議論に代えること」だと言っていた。 裏を返せば、議会は言葉の格闘技場にほかならない。 正々堂々の切り結びと、華の名に恥じない「ヤジ道」を、きょう午後からの麻生・鳩山討論で見たいものだ。 党首討論でのヤジがひどく,常識を逸しているように感じた。ヤジする人たちにもカメラを向けて次回の選挙時の さんこうとしたいものだ、議会は全てが常識の府でありたいものです。 一国の民主主義のバロメーターは、 「投票」もさることながら「開票」にあると言えよう。 選挙をしても、開票が不正なら民意はただの紙くずである 平成21年6月18日の天声人語よりの引用 発展途上国からリーダーを招いて日本の選挙制度を説明するとき、よく出る質問があるそうだ。 投票所から開票所に箱を集めて数えると言うと、「途中で襲われることはないのか?」と聞かれるのだという。 早大教授だった故内田満さんが書いている ▼日本も100年前は不穏だった。 対立する党派が投票箱を奪い合い「即死1名重傷2名」といった記事が小紙にも残る。 一国の民主主義のバロメーターは、「投票」もさることながら「開票」にあると言えよう。 選挙をしても、開票が不正なら民意はただの紙くずである ▼中東のイランが大統領選の開票をめぐって混乱している。 現職圧勝という結果に、対抗する勢力は「不正」を叫ぶ。 衝突による犠牲者も出ている。 30年前のイスラム革命以来、最大の危機にあるという ▼中東には珍しく一定の民主主義のある国と見られてきた。 その「一定」も揺らいでいるようだ。 核やミサイルの開発に血道を上げる今の政権である。 独裁化していくなら、世界はさらなる脅威を背負うことになる ▼女優の岸恵子さんの紀行文を思い出す。 80年代にイランを訪れた。 旅に駆り立てられた理由を、「わけの分からなさ、不気味さ、もしかしたら世界中に誤解されているかも知れないこの国の、 孤立無援の一徹さ」への興味と記している。 多くの日本人が今も抱く印象だろう ▼古くはペルシャの名で知られた誇り高き国に、民主主義はありやなしや。 当局は数え直しても再選挙はしないという。 孤立の影がいっそう深まる気配をうかがわせている。 民主的な投票により決められるものが,その票が買収により投票されたものでは民主的ではない。 さらに開票時に不正があれば民意を反映されない。イランでの大統領選挙では後者が行われ 票の買収的行為は先進国では常識のように横行している。真の民意が反映されないのはイランと全く同じだ。 その太宰の、きょうは生誕100年の桜桃忌である。 平成21年6月19日の天声人語よりの引用 借りて耕している畑で、今年初めてのキュウリがとれた。 緑を濃くした葉の間から、よく育ったのが5本ほどぶら下がっていた。 毎年、初もののキュウリを味わうたびに、太宰治を思い起こす ▼〈キウリの青さから、夏が来る。 五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある〉。 小説「女生徒」の一節だ。 なぜか心に刻まれる、不思議な文章の魔術が、衰えぬ人気の理由の一つだろう ▼その太宰の、きょうは生誕100年の桜桃忌である。 玉川上水に入水(じゅすい)して、遺体が見つかったのが奇(く)しくも39歳の誕生日だった。 東京・三鷹の禅林寺の墓前には、毎年ファンの列ができる。 記念の今年、列は長くなるでしょうと、お寺の人が予想する ▼100年の話題はにぎやかだ。 関連する本の出版や、作品の映画化が相次いでいる。 東京などで「太宰治検定」も開かれる。 故郷の青森県議会はきょうを休会にするそうだ。 あれこれと、いまや時代を超えた国民的作家として揺るぎない ▼人としての弱さと、それを隠さない強さが小説を作り上げているという。 「こんなに自分のことばかり書いて――この人は自分で自分を啄(ついば)んでいるようだ」と、妻の津島美知子は書き残した。 弱いだけの者に自らを啄むことはできまい ▼〈蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう〉。 忌日の名になった短編「桜桃」の、これも印象深い一節だ。 弱さを刻んだ作品に、人は自分の横顔を、ふと見るのかも知れない。 太宰治の小説はあまり読むことは少ない。「走れメロス」位か。 おとといの衆院で、「脳死は人の死」を前提にする法案が通った 平成21年6月20日の天声人語よりの引用 脳死は人間の死なのか、どうか。 臓器移植法の改正をめぐるニュースを読みながら、塔和子さんを思い出した。 ハンセン病の療養所から、「生きていること」の意味と輝きを、紡ぎ続けてきた詩人である ▼その「領土」という詩は、〈生と同時に 死を産みおとしたことに気付かないで からになった母体は 満足げに離別を見る〉と始まる。 人が生まれるとき、死という手形も振り出される。 人は、生とともに死にも領有されているのだと、自らになぞらえて詩は続く ▼おとといの衆院で、「脳死は人の死」を前提にする法案が通った。 成立すれば、海外に頼るしかなかった子どもの移植への道も開く。 「人の死」には同意しないが、助かる子の笑顔を思えば……などと悩む人も少なくないだろう ▼人の体という「領土」をめぐって、生と死がせめぎ合う。 脳死とは、生が最後の陣地を辛うじて守っている状態なのか。 それとも、すでに死に占領されてしまったのか。 国会議員が多数決で決めることに違和感のある方もおられよう ▼法改正の背後には、難病のために生の領土が脅かされている人たちがいる。 移植しか手のない人たちだ。 死にゆく人があって、救われる命がある。 幸と不幸をセットでとらえて判断する難しさを、医学の進歩が突きつけている ▼「死とは?」と問われて「モーツァルトが聴けなくなること」と答えたのはアインシュタインだった。 人の数だけ死生観がある。 束ねるのに十分な議論は尽くされたのだろうか。 このあとに続く参院での審議を見守るとする。 脳死については以前から色々な論議がされたが,i日本人の死生観からして色んな意見が続出していたが 今回の議会での審議は殆んどなく機械的に決められた感じをうける。政局にも利用されている。 国民的な論議があっても良かったと考えている。欧米人での死生観と日本人の死生観では明らかに異なっている。 もっと慎重であるべきだった。IPS細胞が研究され進歩している時代だから余計にそのように感じる。 医療での殺人を起す可能性を孕んでいるのは脳死問題である。 きょうは一年で昼が最も長い夏至。 平成21年6月21日の天声人語よりの引用 仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。 この時期、東京だと4時ごろから空が白んで鳥が鳴き始める。 散歩もせずにパソコンに向かう当方を含め、日本に暮らす人の多くが早朝の明るさを無駄にする ▼きょうは一年で昼が最も長い夏至。 日の出から日の入りまで、東京で14時間35分、北海道ではさらに50分ほど長く、朝日の無駄も極まる。 日没はまだ少し延びるが、それ以上に夜明けが遅くなっていく ▼高い緯度の国々は、夏が短い代わりに日照時間が長い。 夏至祭の頃の解放感はひとしおらしい。 「夜の空は薄紫のヴェールを下ろしたように広がり、太陽は樅(もみ)の森の彼方(かなた)に隠れて、その残光で金色に染まっている。 白夜である」。 外交官として北欧が長かった武田龍夫さんの描写だ ▼夏至には火を囲み、短夜を踊り明かす風習が欧州各地にあった。 太陽の威勢を借りて、万物に精気を満たす営みであろう。 はじける喜びは長くて暗い冬の反動で、人々は当然の権利のように、暮れぬ夕べを無駄なく楽しむ。 〈路面チェス数人かこむ白夜かな〉森田峠 ▼前後に春秋という優しい季節がたっぷりあるためか、日本では夏を待ちこがれ、いとおしむ心情がピンとこない。 省エネを言いながら、みすみす朝の光を捨てる我らである ▼夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。 いや、働き蜂は暗くなるまで帰らないから残業を増やすだけ、との見方もある。 ああ、勤労観の壁。 夏至と同居の父の日、「お天道様が高いうちは……」の呪縛をふと思う。 夏至などの自然の季節の移り変わりには現代人は無頓着になってきている。夜でも煌煌と明るい世界では 自然の変化には関心がなくなってくるのも当然かもしれない。 でも俳句には季語が有る。 その化学反応の妙を、陶芸教室の体験コースで知った 土器を生み出した縄文人たちも、 手びねりに精魂を込め、 化学変化に後を託したことだろう。 平成21年6月22日の天声人語よりの引用 人が発明した最初の機械は何だろう。 前世紀の高名な考古学者ゴードン・チャイルドによれば、弓である。 この権威が「人が初めて、化学変化を自覚して利用した」とする営みがある。 土器づくりだ ▼その化学反応の妙を、陶芸教室の体験コースで知った。 信楽の土を練り、とりあえずの形にする。 日を置いてヘラで削り、素焼き、上薬、本焼きへ。 4回の実習と相応の出費は、初心者なりの黄色い鉢に化けた ▼まずは手料理でと勇んだものの、気がせいて出来合いのサラダを盛った。 それでも、作って楽しく、使ってうれしいという先達の言葉にうそはない。 翌日、牛すじを煮込み、下手ながら「内外手作り」が実現した。 これで酒器がそろえばと、欲も出る ▼土の塊が器の用をなすまで、思えばさほどの手間はかけていない。 先生の手ほどきの下、使ったのは素朴な道具類と両手のみ。 一心不乱の仕事には火も味方するらしい ▼土器を生み出した縄文人たちも、手びねりに精魂を込め、化学変化に後を託したことだろう。 生を支える煮炊きの道具である。 なんとか形にするぞという情念が、手から土へと染み通るのかもしれない。 「一心」を土に届ける手の働きは、趣味の域でも、素人でも変わるまい ▼民芸を再評価した思想家柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、日本を「手の国」と呼び、手仕事の値打ちをこう説いた。 「そこには自由と責任とが保たれます。 そのため仕事に悦(よろこ)びが伴ったり、また新しいものを創(つく)る力が現れたりします」。 ぐい飲みに挑みたくなるのは、お酒のせいだけではないようだ。 科学という言葉が言い出される以前から自然科学はあった。化学が体系化されない前より人類は化学的変化するものを 作っていたことになる。手仕事については昔から行われていて,ごく最近に器械化で゛ものを大量に作る技術が 飛躍的に進歩してきている。 戦争の終り、サイパン島の崖(がけ)の上から 次々に身を投げた女たち そして1年後、さらなる惨禍が沖縄を襲う 平成21年6月23日の天声人語よりの引用 戦争の終り、サイパン島の崖(がけ)の上から 次々に身を投げた女たち。 /美徳やら義理やら体裁やら 何やら。火だの男だのに追いつめられて……〉。 詩人石垣りんさんが「崖」と題してつづったサイパン島の悲劇は、終戦の前の年に起きた ▼島には多くの日本人が移住していた。 激しい戦いで日本軍は壊滅する。 巻き込まれた民間人の多くは沖縄からの移住者だった。 犠牲者は6千人にのぼるとされる ▼そして1年後、さらなる惨禍が沖縄を襲う。 米軍報告書が「あらゆる地獄を集めた」と形容した沖縄戦である。 64年前のきょう、日本軍の組織的な抵抗が終わり、ようやく戦火が静まった。 民と軍、合わせて20万人以上が命を落とした ▼どれも重い歴史だが、歳月は容赦ない。 沖縄からサイパンへの墓参団は高齢化で先月が最後になった。 当時を語れる人は減っている。 逃避行、累々たる死者、集団自決……沖縄戦の語り部も細りつつある。 世代から世代へ、戦争体験をどう手渡すか。 試みが様々に続けられている ▼きょうが開館20年の「ひめゆり平和祈念資料館」は、元ひめゆり学徒隊の証言員に代わる「説明員」の養成に取り組んでいる。 太平洋戦争のむごい実話として、あったことを、あったままに。 「体験」をつなぐ大役を若い世代が担う姿は頼もしい ▼戦禍の島から基地の島へ、沖縄に刻まれた「戦争」の密度は濃い。 歴史は姿を変え、衣装を変えて繰り返すことがあるという。 沖縄の「慰霊の日」を沖縄だけのものとせず、悲劇の奥から聞こえる教訓に耳をすましたい。 敗色濃くて勝ち目のないような戦争を何故に戦っていたのかが理解できない。始めから勝ち目がないことを知っていて 何故に大東亜戦争に突入していったのか。一億一心にて国民を統一できたのは何だったのか。 勿論戦争中でも反戦を唱えていた人たちが多くいることはしられている。そのような人は国賊であった。 それにしても、諸国に頼って命をつなぐ食料を、 これほど粗末にする国があるだろうか 平成21年6月24日の天声人語よりの引用 日本の憲法は書きかえた方がいいと三十数年前の小欄が書いている。 憲法前文は、われらの生存は「諸国民の公正と信義」によると言うが、それでは足りない。 「諸国民の公正、信義および食料」にすべきだと。 つまり、海外に頼る食料の多さを、冗談まじりに憂えたのである ▼当時の自給率はまだ55%あった。 いまや40%である。 筆者が存命なら何を思うだろう。 それにしても、諸国に頼って命をつなぐ食料を、これほど粗末にする国があるだろうか。 コンビニ弁当の値段をめぐる公取委の命令で見えるのは、われらの日常の異様さだ ▼主要10社のコンビニで捨てられる食べ物は、年に弁当4億2千万食分になるそうだ。 大量廃棄は織り込み済みで、捨てることより品切れを嫌う。 悩む加盟店に「人間の心は捨ててくれ」と言う本部の者もいたと聞く ▼だが、これも氷山の一角にすぎない。 食べられるのに捨てられる国内の総量は、30〜50倍はあるらしい。 世界の飢餓人口が10億人を超えそうな時、これでは諸国に顔向けしづらい ▼18世紀の英国にポープという知恵者がいて、託宣めいた言葉を残した。 「我らにふさわしい幸福は、我らが非難するものに依存している」と。 思いを巡らせば、いまの便利で快適な生活も、大量のCO2や、食べ物の無駄などに依存するところ大である ▼「幸福」の色を薄めるのは難しい。 だが、もろもろに待ったなしである。 便利さの着ぶくれを、少しずつでも脱いでいくほかはない。 憲法に言う「国際社会での名誉ある地位」を手にするためにも。 日本の農業政策に誤りがないのか。安価で効率が良いから外国に頼るだけでは大変に危険である。 世界政府が出来てからの話である。貿易のない時代は全部自給していた。 自民党の歴代総裁を眺めてみる。 元気な東国原知事も、 昔なら「私を総裁候補に」とは言いにくかっただろう 平成21年6月25日の天声人語よりの引用 中国の古代に、「昔のことを論じて今を批判する者は一族皆殺し」という定めがあったそうだ。 昔を持ち出して今をあれこれ言ってみたり、人物がいないと嘆いたりするのは、千古変わらぬ人の性(さが)らしい ▼承知しつつ、自民党の歴代総裁を眺めてみる。 初代は鳩山一郎、2代石橋湛山、3代岸信介、さらに池田勇人、佐藤栄作、田中角栄……。 好悪はおいてヘビー級が並ぶ。 元気な東国原知事も、昔なら「私を総裁候補に」とは言いにくかっただろう ▼近づく総選挙への出馬要請を受け、条件に「総裁のイス」を求めた氏の言動が波紋を広げている。 裏も奥もあるらしいが、自民党も落ちぶれたというのが、少なからぬ国民の抱いた印象のようである ▼「夏芝居」という俳句の季語を思い出す。 昔、客の入りの悪くなる夏に、怪談や早変わりなどの奇抜な出し物を演じた。 立役者は夏休みを取るので、新顔の売り出しどきでもあったそうだ ▼花形不在に悩む「自民一座の古賀座長」は、近づく夏舞台が心配でならない。 受けを狙って人気者に出演を頼んだら、思わぬギャラをふっかけられた。 「なめられたものだ」と、座付きの役者が憤りの声をあげる――たとえれば、そんな図だろうか ▼俳人の小澤實さんに〈夏芝居監物某(けんもつ・なにがし)出てすぐ死〉の愉快な句がある。 端役なのだろう、監物某という者が、出てきたとたんに切られてしまった。 さて、きたる選挙で東国原氏は主役を張るのか、端役なのか、それとも舞台に載らないのか。 茶番に堕す危うさをはらんでの、軽き自民のカケである。 自民党も宮崎県の東国原知事に頼るようなら末期状態である。政権浮揚には地道な国民のための政治が 達成できてからのことである。長期の政権は腐敗が漂ってくるもので政権交代 こそが理想の政治可能な状態に保てる目的であり手段であ。いずれにしても長期政権は必ず腐敗が伴ってくる。 電話もうるさがった 平成21年6月26日の天声人語よりの引用 独特のおかしみが今も人気の作家、内田百けん(「けん」は門構えの中に月=ひゃっけん)は不意の来客を嫌ったそうだ。 古い狂歌のパロディーを作って玄関に張り出していた。 〈世の中に人の来るこそうれしけれ とは云(い)うもののお前ではなし〉。 訪問者は面食らったに違いない ▼電話もうるさがった。 ひとたび電話をひいたら、いくら戸締まりをして寝ても、なんにもならない。 家に引き込まれた一条の線が、門扉や雨戸をあってなきものにする、などと書き残している ▼百けん先生がいたら呆(あき)れる、いまのケータイ事情だろう。 民間の研究所が自宅での様子を調べたら、枕元に置いて寝る人は9割を超えた。 トイレに持って入る人は54%、食事どきに手元に置く人が45%、風呂に持ち込む人も18%いて、肌身離せぬ様が浮かび上がる ▼24時間の「臨戦態勢」が重荷な人も多いはずだ。 だが仕事も、付き合いもある。 すぐ連絡がつくことを前提に世の中が動けば、自分ひとり逃げられない。 かくて電波で結ばれ合った、万人の万人に対する「支配」が世を席巻することになる ▼先日の小紙には、1日に9時間ケータイを使う中学生の記事があった。 今どきの機種はゲームも音楽も楽しめるが、それにしても長すぎないか。 全国津々浦々で、魔法の機械が舌なめずりをして、若い時間を吸い込んでいる。 いやな図をつい想像してしまう ▼百けん先生に話を戻せば、夜はとりわけかなわないと、門前に「日没閉門」と書いた札も掲げていたそうだ。 そんな札を心に掲げて、ケータイをほっぽり投げておく時が、たまにはあって悪くない。 ケイタイ電話は大変に便利な世の中になってきている。若者達には身近な存在だか年配の者達には 抵抗感 器用さがなくて使い難い面もある。老化防止にもよいかも知れない。 指を動かいして、頭も使うから大変に健康に良い道具である。 米ポップス界の「帝王」と呼ばれた歌手マイケル・ジャクソンさんは、 そうしたスーパースターの一人だった。 平成21年6月27日の天声人語よりの引用 その世界に縁遠い人でも顔と名前は知っている。 米ポップス界の「帝王」と呼ばれた歌手マイケル・ジャクソンさんは、そうしたスーパースターの一人だった。 突然の訃報(ふほう)がきのう、世界を駆け巡った ▼自らを語ることは少なく、ゆえに伝説とゴシップに彩られていた。 整形を重ねたとされる顔も、本人いわく、わずかな手術だけらしい。 とはいえ、いかにも人工的には見えた。 黒人なのだが、年齢も人種も、性別さえも、見る人次第でいかようにもとれた ▼音楽の才能は早くから花開いた。 4人の兄とグループを組んで、大人顔負けの歌と踊りで全米の人気者になる。 独り立ちして82年に出した「スリラー」は、世界で推定1億枚を売り、レコード史上のあらゆる記録を塗り替えたとされる ▼80年代には2度来日し、ビートルズ以来という熱狂で迎えられた。 後楽園など各地のプロ野球場を会場にしたのは、並はずれた集客力を見こんでのことだ。 足をすって機械のように歩くムーンウオークを思い出して、当時の熱気を懐かしむ方もおられよう ▼だが、華やかさの半面、私生活は乱調ぎみで奇行も多かった。 とりわけ近年は、負債や、虐待事件といった醜聞にまみれていた。 復活をかけたロンドンでのツアーを来月に控えての、急逝だったという ▼かつてこう語っていた。 「僕はステージの上が一番安心できる。 出来ることならステージで眠りたいぐらいさ。 本当に、まじめにだよ」。 享年は50。 実際の人生より、舞台という虚構に住まって夢を見ていたい人だったかもしれない。 マイケルジャクソンは天才的な歌手であまりにも若くして死んでいっている。異様な姿にははなはだ抵抗感を感ずる。 どうして黒人のままでおることができなかったか判らない。 アメリカ大統領がオバマ氏が既にいたならば黒人のままで存在していたかも知れないと推量する。 クレオパトラは声も「絶世」だったらしい その力の源をエジプトの女王だったからと説く 平成21年6月28日の天声人語よりの引用 天は二物、三物を与えることがままあり、クレオパトラは声も「絶世」だったらしい。 心地よい響きにくるみ、機知に富む言葉をいくつもの言語で繰り出したという。 後の歴史家は「聞いてすばらしく、見てすばらしかった」と記した ▼だが才色だけでは、カエサル(シーザー)らローマの武人たちと結んで歴史を動かすことはできない。 考古学者の吉村作治さんは、その力の源をエジプトの女王だったからと説く。 肥沃(ひよく)で軍備に優れた王国は、ローマの東方征服に欠かせない要衝だった ▼きのう横浜市で始まった「海のエジプト展」で、豊かな文明を垣間見ることができる。 フランスの研究者フランク・ゴディオ氏が90年代から引き揚げた、本邦初公開の遺物が並ぶ(9月23日まで) ▼女王が愛した古都アレクサンドリアなどの史跡は、王朝が滅んだ後に何度か津波にのまれ、水の底で破壊と盗掘を免れた。 塩を抜き、修復された巨像たちは、2千年の時を感じさせない。装身具や硬貨も昔日の輝きを保つ ▼欧州5都市での巡回展は計200万人を集めた。 06年、パリで拝んだ時に比べて、展示品はどこかよそ行きの風情でオーラを放つ。 はるか東方の異郷、若い港町の空気にまだ戸惑いがあるのだろうか ▼遠征してきたカエサルにいち早く支援を請うため、クレオパトラは荷物に化けて近づいたとされる。 ただの野心家ではない「偶然や幸運に頼らない女」(吉村さん)だった。 彼女がまとった香りを会場で体験できる。 強すぎず甘すぎず、地中海の涼風がふわりと鼻孔を抜けた。 クレオパトラは身近な存在である。名前は知っていてもどのような人物だったかはしらない。映画で若いころ観た記憶がある そのイメージだけで実際には知らないが有名である。 この頃の日本では卑弥呼からはるか遠い縄文時代だったのか。 約3万5千年前の楽器が ドイツの洞窟(どうくつ)で見つかった という記事があった 平成21年6月29日の天声人語よりの引用 東京紙面の声欄で「母の音色した53年前の木琴」を読んだ。 投稿者の男性(60)が小学2年の時、母親が木琴を買って教室に届けてくれた。 過日の物置整理でそれに再会した、という話である ▼その母は若くして病で亡くなり、お下がりを使った弟も早世した。 男性は木琴を雑巾(ぞうきん)でふき、「どれみふぁそらしど」の文字が現れた鍵盤で「荒城の月」の冒頭を奏でる。 連なる音は、忘れ得ぬ面影と遠い記憶を連れ戻したに違いない ▼同じ日の新聞に、約3万5千年前の楽器がドイツの洞窟(どうくつ)で見つかったという記事があった。 ハゲワシの骨に五つの指穴を開けた、22センチほどの笛である。かすかに曲がった細い管を抜ける音には、 誰のどんな記憶が宿るのか、興味は尽きない ▼破片をつないだ笛はあいにく、息を吹き込むにはもろすぎよう。 最古の楽器は意外に広い音階を持つらしいと、想像するしかない。 洞窟の住人は、肉を食べ骨をしゃぶりながら、音を操る技をわがものにしたようだ ▼どんな音色にせよ、節をつけて鳴らすことにある種の快感が伴ったと思われる。 旧石器時代、生活の傍らにすでに音楽があったことになる。 同じ場所では先に、マンモスの牙でこしらえた最古の裸婦像が出た。 骨笛もまた、芸術の起源か、信仰や呪術の道具だったのだろう ▼戯れから娯楽が生まれ、やがて美意識や祈りに昇華する。 そんな「音の出世」は確かにあるけれど、記憶の入れ物、運び手としての役割も心にとめておきたい。 ほこりまみれの木琴に、大切な人を過去から招く力が潜むのだから。 音楽は心を豊かにして癒してくれる。有史以来は楽器が盛んに使われていたことは知られているが 旧石器時代にも使われていたとは驚きの事実である。 これからも人類が生存する限りに音楽は人の心を癒し続けてくれることだろう。 「人間」を語って重い今月の言葉から 平成21年6月30日の天声人語よりの引用 「六月三十日(みそか)は年の臍(へそ)」と言う。 一年もちょうど半ばの今日を、体の真ん中にあるヘソにたとえた。 人の世が雨に煙る季節に、「人間」を語って重い今月の言葉から ▼沖縄は23日に「慰霊の日」を迎えた。 浦添市のトーマ・ヒロコさん(26)は、この日をめぐる沖縄と本土の意識の差を詩にした。 その一節に〈祖母が生き延びてくれたからこそ/自分がいるということ/噛(か)みしめながら顔を洗う〉。 島では4人に1人が戦火に消えた ▼元イスラエル将校のノアム・ハユットさん(30)が大阪で講演した。 パレスチナ人を「荷物」と隠語で呼んでいたという。 「人間としての感覚がマヒし、殺人機械になっていた」。 祖国から「裏切り者」という批判も受けながらの良心の発露である ▼ホームレスの人たちをモデルに、おしゃれに撮った写真集を作ったのは写真家の高松英昭さん(38)。 ポーズや表情も細かく指図したといい、「ホームレスという言葉が持つイメージへの挑戦です」。 路上での先行販売をへて、7月からは書店にも並ぶ ▼水俣病をめぐって不知火海の漁師、緒方正人さん(55)が小紙に語った。 「患者には三つの誇れることがある。 病に苦しみながらも魚や海を恨まなかったこと。 胎児性患者が生まれようとも、子どもを選ばず産み続けたこと。 そしてチッソの社員や公務員を傷つけなかったことだ」 ▼「刑務所の空と全然違う」と、17年半ぶりに帰郷した菅家利和さん(62)は笑った。 足利事件で失われた日々は帰らない。 取り戻せぬものを、少しでも取り戻してほしいと願う。 菅家さんの足利事件て゜冤罪では大変気の毒なことであった。人間は過ちの動物ではすまされない気がする。 裁判員制度は国民に負担を強いて益々に司法世界を複雑にするだけである。 もっと簡単なことで改善すべきことか゜多くあるにもかかわらずに放置されたままになっている。基本的な司法の三権分立がなされていない。 綜芸種智院と実恵 現在住居している所より歩いて15分から20分くらいの所に種智院大学が存在している。 弘法大師が日本に初めて創立された私立大学校とされている。沿革を見てみると ー以下インタ-ネットよりの引用ー 828年(天長5年) - 空海が綜藝種智院を創設。 838年(天長15年) - 綜藝種智院を閉校。 1881年(明治14年) - 雲照が総黌を開設。 1886年(明治19年) - 真言宗事相講伝所に改組。 1896年(明治29年) - 私立古義真言宗聯合高等中学林予備校を置く。 1902年(明治35年) - 私立古義真言宗聯合高等学校に改称。 1906年(明治39年) - 真言宗聯合京都大学に改称。 1917年(大正6年) - 真言宗京都大学に改称。 1929年(昭和4年) - 京都専門学校に改称。 1949年(昭和24年) - 新制種智院大学を設立。仏教学部仏教学科に仏教学専攻、密教学専攻を設置。 1978年(昭和53年) - 仏教福祉学コースを設置。 1994年(平成6年) - 密教文化コースを設置。 1999年(平成11年) - キャンパスを洛南高等学校・附属中学校の北隣から伏見区向島に移転。仏教福祉学コースをもとに仏教福祉学科を設置。 2005年(平成17年) - 仏教福祉学科を社会福祉学科に改称。 2008年(平成20年) - 仏教学部を人文学部に改称。 昭和24年に種智院大学が創設されている。 綜藝種智院は空海により始められて空海の没後は実恵に経営がまかされているが 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、天長5年12月15日(829年1月23日)、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、 藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれている。 本来は綜藝種智院だが、新字体による表記の綜芸種智院が、現在は一般的。綜芸とは、各種の学芸を綜合するという意味。 この時代、原則的には中央の教育機関であった大学は主に貴族の、地方の教育機関であった国学は郡司の子弟を対象とするなど身分制限があり、 運用面において庶民にも全く開放されていなかったわけではなかったが、極めて狭き門であった。 また、大学・国学では主に儒教を専門に教育しており、仏教・道教などは扱っていなかったし、寺院では仏教を専門に教育しており、 儒教などの世俗の学問は基本的に扱っていなかった。 空海は、こうした現状を打破しようとして、天長5年に「綜芸種智院式并序」(『性霊集』巻十)を著して、 全学生・教員への給食制を完備した身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、俗人も僧侶も儒教・仏教・道教などあらゆる思想・学芸を 総合的に学ぶことのできる教育施設の設立を提唱し、その恒久的な運営を実現するため、天皇、大臣諸侯、仏教諸宗の高僧らをはじめ、 広く世間に支持・協力を呼びかけたのである。 ただ、実際に空海の構想がどこまで実現されたかは明らかでない部分が多く、綜芸種智院の設立自体を疑問視する見解も一部にある。 綜芸種智院は、空海の死後10年ほど経た承和12年(845年)、所期の成果を挙げることが困難になったとして、 弟子たち主として空海の一番弟子であった実恵によって協議の末売却された。 その売却益は東寺の真言僧育成財源確保のための寺田(所在地丹波国多紀郡、のちの大山荘)購入にあてられている。 売却まで運営されていたのか、それ以前からすでに運営されなくなっていたのか定かでないが、 一般的には、天長5年末から承和12年までの20年弱が、綜芸種智院の存続期間と考えられている。 廃絶理由として、財源不足、後継者難、真言教団維持優先への路線転換、構想自体の非現実性、 実際は朝廷による民衆懐柔のための一時的施設であったとする見方など、様々な理由があげられているが、 いまだ定説を得るに至っていない。 実恵(じちえ/じつえ・実慧は、延暦5年(786年)- 承和14年11月13日(847年12月24日))は、平安時代前期の真言宗の僧。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。 奈良大安寺の泰基に法相・唯識を学び、807年(大同2年)に受戒、檜尾寺で810年(弘仁元年)には空海から灌頂を受けた。 812年(弘仁3年)高雄山寺三綱に任じられ、816年(弘仁7年)からは空海の高野山開創に真済と一緒に尽力した。 827年(天長4年)には観心寺(大阪府河内長野市)を創建しているが名目上で実際は実恵の弟子の真紹があたっている。 真紹は後に東山山麓に禅林寺(後の永観堂)を創設している。 836年(承和3年)東寺長者となり、その後東寺二長者を創設した。 一方で東寺に灌頂院を建立して真言宗の伝法・結縁灌頂の道場とした。 828年(天長5年)空海が開設した学校である綜芸種智院を845年(承和12年)に売却し、 それで得た丹波国大山荘の収入をもとに東寺伝法会を始めている。実恵のもう一人の弟子に恵運がいて 恵運(えうん、延暦17年(798年)- 貞観11年9月23日(869年10月31日))は、平安時代前期の真言宗の僧。 俗姓は安曇氏。山城国の出身。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。 初め東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学んだが、受戒後の824年(天長元年)真言宗の実恵(じちえ)の門下に入った。 関東での一切経書写の検校や筑紫観世音寺講師などを歴任した後、842年(承和9年)唐の商人李処人の船で唐に渡った。 長安青龍寺で義真に灌頂を受け、五台山・天台山を巡拝した。 847年(承和14年)に帰国し、八家請来目録を呈上している。翌848年(承和15年)女御藤原順子の発願により京都安祥寺を開創した。 その後僧都に任じられ、安祥寺僧都と称された。 安祥寺の資材帳には恵運が記した実恵が住居していた檜尾寺のことが記されていて,一般に広く言われている観心寺でなくて 京都深草の檜尾寺でそれにより実恵は檜尾僧都と呼ばれるにいたっている。 檜尾寺は行基が創建した49院の一つである法禅院の後に改名した寺院である。 空海が始めて唱えた真言宗は実恵によってより基礎が築かれてより世間に広まり発展していったとものと考えられる。 戻る 5月分 6月分 7月分
和歌山県田辺市の入り江に迷い込んだマッコウクジラが、自力で湾外に泳ぎ出た。 気をもませること18日。 陸から遠ざけようと手を尽くした人たちの心が通じたか、やつれた巨体はきのう、ゆっくり沖へと向かった。 なんとか外洋に出て生き延びてほしい ▼腹をこするほどの浅瀬は死ぬ苦しみだったに違いない。 なにしろ、1千〜3千メートルの深海と海面を行き来している種である。 まだ深く潜れぬ子のため、親はイカを捕りに潜り、潜水の教育もするらしい ▼迷いクジラの餌場とみられる紀伊半島沖を含め、海の面積の9割近くは深さ千メートルを超すという。 もはや光は届かず。 水温は5度を切る。100気圧の水がのしかかる闇の世界だ ▼クジラが通う海を知るため、近刊『深海魚・暗黒街のモンスターたち』(尼岡邦夫著、ブックマン社)を開いてみた。 8千メートルの底に泳ぐ命まで、店先や水族館では見ない魚が写真と絵で並んでいる。 大口に鋭い歯、光や音を出すものなど、どの異形も適応と進化の果てにある ▼名前も負けていない。 アクマオニアンコウ、イレズミコンニャクアジ、スベスベカスベ、ハゲイワシ。 命名者の遊び心もあろうが、発見が新しいせいか、見たまんまに、どこか残り物をあてがった風でもある ▼さて珍妙な仲間たち、「あのクジラ、ここんとこ見ないね」と案じている頃ではないか。 浅深を問わず、水中に長く伝わる戒めは「上ほど危ない」だろう。 懸命に逃がそうとしてくれた人間の話など、ひょっこり戻ったクジラが力説しても、信じてもらえそうにない。
テレビで見る入り江に迷い込んだマッコウクジラをみたが身体を傷つけて痛々しい感じで なんとかして人間の手で逃がしてやれないものかと思った。 現在は食べることはなくなったが,魚類が不足した終戦後間もなくはクジラを食し人間の命を助けてもらったものである。 破綻(はたん)したゼネラル・モーターズは20世紀のある時期、 間違いなく「世界で最も倒産しそうにない会社」だった 平成21年6月3日の天声人語よりの引用 びょいーんと琵琶が鳴って、平家物語の一節が胸をよぎる。 〈奢(おご)れる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし〉。 16兆円を超す負債を残し、アメリカンドリームの一つが終わった ▼破綻(はたん)したゼネラル・モーターズは20世紀のある時期、間違いなく「世界で最も倒産しそうにない会社」だった。 アメリカという国家と、自動車という消費財。 二つの隆起が重なる高みに、資本主義の一丁目一番地に、その巨塔はそびえていた ▼倒れぬはずの塔は、しかし倒れるべくして倒れた。 ひと続きの世界市場で、ガソリンがぶ飲みの車は通じない。 日本車との競争、環境上の制約が厳しくなるのに、研究開発を怠り、身内への厚遇、身の丈を越す工場群や販売網を切れなかった。 〈盛者必衰のことわり〉である ▼旧GMの良い部分を継ぐ新生GMは、米政府が6割の株を持つ国有企業となる。 つぎ込まれる公費は都合5兆円近い。 救う側、救われる側とも、自由経済の権化としてこれ以上の堕落と恥はあるまい ▼株主代表となるオバマ大統領は、「投資」を強いられた納税者に「GMは再び米国の成功シンボルになる」と訴えた。 新たな失職者には「次世代が車を作り続けるための犠牲です」。 だが、税金が生きる保証はない ▼クライスラーに続く出直しだ。 身軽に生まれ変わる米業界は、時代と消費者が求める車を再び世に問えるのか。 例えば、キャデラックやシボレーを名乗るエコカー。 盛者必衰のことわりではないが,アメリカの代表的な企業が倒産する運命にあるとは誰も予想はしなかった。 自動車産業はアメリカでの象徴的な富と繁栄の象徴的な存在だった。 人が載るだけでは大変効率の悪い自動車だが,さすがアメリカだとの思いの存在でもあったが。 天安門事件から20年になる。 平成21年6月4日の天声人語よりの引用 天安門事件から20年になる。 もしや歴史が動くのかと、世界が広場の闇に目を凝らしたあの夜は、中国を進めたのか遅らせたのか。 それさえ論じられないのでは、志半ばで倒れた学生らが浮かばれまい ▼当局発表の死者は治安側を含め319人。 丸腰の市民を圧殺した中国政府は事件を反革命暴乱と呼び、政治風波(騒ぎ)と片づける。 ほどなく風はやみ、波は収まったではないかと。若者の多くは事件をちゃんと教わっていない ▼当時の学生リーダーは40代になった。 刑務所を出ても監視の目がつきまとい、ある人は「小さな檻(おり)から大きな檻に放り込まれたようなもの」と本紙に語っている。 海外に逃れた者は帰国もままならない ▼この間、一人当たりの国内総生産は10倍になった。 学生の関心は政治より就職に向き、「上流」への近道として党員になる者が増えたという。 香港では先日、事件の再評価を求めて8千人が行進したが、一時の勢いはない ▼成長の陰で格差や腐敗は広がった。 しかし人権、自由、少数民族といった問題は豊かさに塗り込められたかに見える。 民主化を叫んだ口はパンでふさがれ、うかつに開けば大小の檻が牙をむく。 主要国や経済界はそこに目をつむって関係を深めてきた ▼国にはそれぞれ発展の仕方があろう。 自由な選挙と言論を欠いたまま、中国はどこまで豊かになれるか。 面白い課題ながら、13億の民を実験台にしてはいけない。 基礎工事を忘れ、野放図に階を重ねるビルを思う。 夜陰に封じた危機が再浮上する時、影響は20年前の比ではない。 天安門事件があったことは記憶している。二度有った様で64天安門事件が一般に言われているようだ。 64がついているのが6月4日にあったからのようである。中国政府が学生への民主化への叫びに対して 弾圧し死者も出たり逮捕されたり海外に逃亡した学生もいたようだ。当時の主席が学生と対話している情景を覚えている。 主席以上の人たちによって弾圧されたようだ。経済発展しているが共産党一党独裁が続いている。 共産党員になることがエリ−ト層になることのようだ。色んな考えのあるのを一党だけで支配するのはいかがなものか。 中国人の人口は多くて,多民族国家では多くの主張があるはずだ。 徳川家に学んだわけでもあるまいが、 北朝鮮の「将軍様」金正日(キム・ジョンイル)総書記が、 三男正雲(ジョンウン)氏を後継に指名したとの情報がある 平成21年6月5日の天声人語よりの引用 継ぐのは長男だけではない。 江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職をわずか2年で三男秀忠に譲った。 長男は早世、次男は結城家の養子という事情はあったが、律義で温厚、ぼんくらと呼ばれた秀忠は扱いやすい。 自ら後見役になり、徳川の世襲を固めるには適材だった ▼家康は没するまでの約10年、大御所として実権を握る。 秀忠もよく応え、15代続く体制の礎を築いた。 ちなみに、家康の子で初代水戸藩主の頼房(よりふさ)も、三男光圀(みつくに)に継いでいる。 隠居後も親しまれたあの黄門様だ ▼徳川家に学んだわけでもあるまいが、北朝鮮の「将軍様」金正日(キム・ジョンイル)総書記が、 三男正雲(ジョンウン)氏を後継に指名したとの情報がある。 往時の秀忠と同じ20代半ば。 すでに朝鮮労働党の要職に就き、在外公館が忠誠を求められたとも伝わる ▼メディア露出が多い小太りの長男正男(ジョンナム)氏と違い、次男正哲(ジョンチョル)氏と正雲氏は近影もない。 病み上がりの父親は早めの継承を策しているのか、三男を「若大将」と呼び、たたえる歌もできたという。 話半分に聞いておく ▼世襲のリスクはリーダーが資質に欠ける場合だ。 社会や組織は息苦しくなり、やる気のなえた被支配層は下流を漂うことになる(荒和雄『よい世襲、悪い世襲』朝日新書)。 民を飢えさせ、核をもてあそぶ独裁国家に「よい世襲」はあり得ない ▼そもそも革命の血統なるものを根拠に、人民の共和国を「金王朝」が治める虚構は早晩崩れよう。 今さら名将軍の誉れは無理でも、2代限りで観念し、開国するのが世のためだ。 そのあと諸国を漫遊されても困るけれど。
金王朝の始まりなのかどうか1000年以上経たないとわからない。多分倭政権が天皇制に変わった頃も同じような 状況だったのではないかと考える。歴史が箔をつけ高貴で優雅な王朝へと変貌していったのかとも 想像するが 権力は絶大である。取り巻く人たちの交代があり続いている。隣国の「臣民我ら皆共に」がいつまで続くのかどうか。 賛否両論を20年かけて折り込み、静岡空港が開港した。
平成21年6月6日の天声人語よりの引用
映画「猿の惑星」に忘れられない場面がある。 猿に捕まった宇宙飛行士が、ほかの星から来たことを説明しようと紙飛行機を飛ばすところだ。 折るだけで一枚の紙が滑空するのを見て、猿たちは腰を抜かす。 人間の知恵の、ささやかな一矢がうれしかった ▼紙飛行機は人も仰天させる。 この春、広島県福山市の戸田拓夫(たくお)さん(52)が放ったそれは、27秒9の滞空時間を記録した。 米国人が持つ記録を0秒3上回り、ギネスブックが世界一に認定したそうだ ▼映像を見ると、全身を使って真上に投げた手のひらほどの機体が、らせんを描いて降りてくる。 最初に稼ぐ高度が勘所らしい。 空気を切り裂く鋭い機首と、重力をだます広い翼。 二つを折り合わすべく、記録会では30分かけて作るという ▼さて、賛否両論を20年かけて折り込み、静岡空港が開港した。 新幹線の駅が六つある静岡県の真ん中に、である。 客が見込める路線は限られ、赤字承知の離陸だ。 低い位置から、ふらふらと宙を漂う紙飛行機を思う ▼総事業費の約1900億円に、税金をつぎ込みながらの滞空となる。 無駄な公共事業の例に挙げられるたび、地元出身者として小さくなってきたが、できた以上は集客に努め、公費への迷惑を抑えてもらうしかない ▼日本折り紙ヒコーキ協会を主宰する戸田さんは「白い紙飛行機ほど青空に似合うものはない」と語る。 紙一枚で遊べ、なくしても惜しくない。 この「存在の軽さ」がいいという。 茶畑に現れた滑走路の方は、鉛色の空のごとく、妙に重たい存在になりそうで怖い。
地元の人たちの反対を圧しての事業は失敗に終わることが多い。 静岡空港は立地条件として静岡のお茶の産地の土地を壊し開発されたようだ。霧の発生が多くて 欠航する日が出て失敗におわっているようだ。個人飛行機時代になれば話は別だが。 反骨の川柳作家、鶴彬(つる・あきら)の生涯を たどる映画が、このほど完成した 今年は生誕から100年にあたる その句は、軍や資本家の非人間性を突いてやまない 平成21年6月7日の天声人語よりの引用 去年の夏にこの欄で紹介した反骨の川柳作家、鶴彬(つる・あきら)の生涯をたどる映画が、このほど完成した。 今年は生誕から100年にあたる。 軍国の時代に反戦を貫きながら、知られることの少なかった姿が、志ある人々の熱意で今によみがえった ▼その句は、軍や資本家の非人間性を突いてやまない。 〈胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき〉は、夫が戦死した身重の妻を詠んだ。 〈ざん壕(ごう)で読む妹を売る手紙〉は、兄を兵隊に取られ、妹は身売りという農村の窮乏である。 特高ににらまれながら、怒りに燃えるように作り続けた ▼映画は、特高に捕まって29歳で落命するまでを、いとおしむように追う。 有志の寄付などの「超低額予算」で取り組んだ神山征二郎監督の思いがにじむ。 そして鶴を最後まで見守り、支える井上信子を、女優の樫山文枝さんが好演している ▼信子も、もっと知られてほしい人だ。 川柳家の井上剣花坊(けんかぼう)の妻で、自身も句作した。 没した夫を継いで川柳誌の発行人になった。 鶴の〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉など多くの反戦句を動じずに載せ、何度も弾圧に遭っている ▼日中戦争が泥沼化し、日米が開戦する前年には、70代で〈国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ〉と詠んだ。 あの時代にジョン・レノンの名曲「イマジン」を先取りしたような、しなやかで、きっぱりした平和への意志があった ▼揺るがぬ者への敬意が、つつましい映画「鶴彬 こころの軌跡」を流れている。 東京では来月に上映が始まる。忘れられていた人が再び、静かな光を放ち始めたようである。 こんな人物が戦時中いたとは不思議である。 マインドコントロールされていた我々には想像がつかない存在である。 反逆罪に適応する人物で,明らかな当時では罪人であった。 そんな、向田ドラマの「基本構造」でもあった一日3食が崩れつつあるという。 平成21年6月8日の天声人語よりの引用 「めし食いドラマ」と揶揄(やゆ)されようが、向田邦子の脚本はメシの場面が面白かった。 「その家族が朝に何を食べて、夜に何を食べるかの献立が作れるときは、 そのドラマはうまくいきます」と本人も語っていた(『向田邦子全対談』文春文庫) ▼漬物は家で漬けるのか、それともスーパーで買うのか。 そこまで思い浮かべば、セリフもどんどん出てきたそうだ。 言われてみれば実生活でも、朝食がパンにコーヒーのときと、ご飯にみそ汁の日では、食卓の話題も違う気がする ▼そんな、向田ドラマの「基本構造」でもあった一日3食が崩れつつあるという。 朝食をまともにとらない人は20代女性の25%、30代男性では30%にのぼる。 腹が減るつど菓子でも何でも食べて、食事と間食の区別がない人たちも結構いるらしい ▼食の乱れを案じ、学生に朝食を習慣づけようとする大学の取り組みを、先ごろの小紙で読んだ。 朝の講座に朝食を取り込んだ学校もある。 過保護だと笑えない危機感が現場にはあるようだ ▼人類の歴史で一日3食は新しい。 本当に健康的なのか、はっきりしていないという。 とはいえ朝食は一日のリズムを整えるためにも侮れない。 体と頭のスイッチを入れる「目覚まし」の役割も、よく知られている ▼冒頭の本によれば、ある時、カップめんが好きな西城秀樹さんを、小林亜星さんが「もっとしっかりものを食え!」と叱(しか)ったそうだ。 ドラマではなく実生活の逸話である。 あの「寺内貫太郎」の懐かしい声が、「崩食」の時代を叱っているように耳に響いてくる。 食事一日三食は何時ごろからの習慣なのだろう。朝は食べない人が増えてきているようだが 食料のない時代も内容は別として三食はとっていた。健康に良いのかどうか 食べないと次回反動で多く食べ過ぎ三食をとるようにすすめられている。欧米食は良くない。 戦後の病気は欧米に似た病気が増加してきているのが食事が原因だ。 所管の日本郵政社長人事で、 鳩山総務相が名前に負けない「執念」を見せている 平成21年6月9日の天声人語よりの引用 平和のシンボルながら、鳩(はと)の闘争心は侮れないらしい。 伝書鳩が一目散に巣へ帰ろうとするように、ねぐらや縄張りへの執着が強く、これを侵そうとする者とは戦う。 しかも、なかなかあきらめないという ▼縄張り、いや所管の日本郵政社長人事で、鳩山総務相が名前に負けない「執念」を見せている。 かんぽの宿を売り飛ばそうとした西川社長の続投は許さん、だって正義のためだもんと、すごい力みようだ。 盟友に大見えを切られた麻生首相は、またもや指導力をうんぬんされかねない ▼この状況、兄の鳩山民主党代表は「2羽の鳩が総理を襲っている。 1羽は正面からつつき、もう1羽は中からえぐりとる戦い」と評した。 野鳥観察者のごとき物言いはさておいて、政権を内外からついばむ兄弟鳩の例えはえぐい ▼政変に加担するつもりはあるまいが、弟がその「正義」を貫こうとすればするほど、兄を利することになる。 血は水よりも濃いという。 そのうち友愛兄弟党でもつくる気かいと、永田町の雀(すずめ)は騒がしい ▼年子で、学年でいえば二つ違い。 40年前、東大在学中の鳩山兄弟は、学生と機動隊が激突した安田講堂事件を体験した。 保守政治家の息子たちらしく、兄の記憶によれば、近くの料理店の2階で一緒に攻防戦を眺めていたそうだ ▼国会議事堂をめぐる攻防が佳境に入る。 二人は敵味方に分かれて戦火のただ中にあり、今度は高みの見物とはいかない。 兄鳩らが目を丸くして見守る中、伝書をつかさどる会社にポッポと湯気を上げる弟鳩。 どこへ飛んでいくのやら。 郵政民営化が最終目的ではないはずだが,民営化されても公明正大さや健全さなどがなければ民営化には意味がない。 なにか不健全さが伴い不公正で不透明さがあって社長を交代させることの出来ないことは 汚い政治的な配慮を感ずる。麻生財閥の方が盟友よりも大切なのだろうか。 郵便局へ行っても何も以前と変わら,ずカンポの宿の他の会社への安価な譲渡の方が問題だ。 政治家の都合の良いように政治が行われているようにしか見えてこない 米国の高名なピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)だ 快挙は〈全盲の日本人が優勝〉と伝えられた。 平成21年6月10日の天声人語よりの引用 〈円周率10万けた暗唱〉などの報に触れるたび、人間の底知れぬ能力に圧倒される。 今回も驚くばかりだが、審査員には音の差がしっかり届いたらしい。 米国の高名なピアノコンクールで優勝した辻井伸行さん(20)だ ▼快挙は〈全盲の日本人が優勝〉と伝えられた。 ニュース価値はそこにあっても、競演の結果に「全盲の」は要らない。 それは奏者の重い個性だけれど、審査上は有利でも不利でもない。 勝者が「たまたま」見えない人だったのだ ▼録音を何度も聴いて曲を覚えるという。 耳で吸収した音は熟成され、天から降ると称される響きで指先に躍り出る。 「目が見えた場合」と比べるすべはないが、音色だけ見えているかのような集中は、不利を有利に転じる鍛錬をしのばせる ▼師は「驚き以上の感動を伝えるため、彼は勉強を重ねてきた」と言う。 全盲ゆえの賛辞は、実力を曇らす「二つ目のハンディ」だったかもしれない。 体ではなく、音の個性が正当に評価された喜びは大きい ▼20年前、ご両親は「生まれてよかったと思ってくれようか」と悩んだ。 やがて、母が台所で口ずさむ歌をおもちゃの鍵盤で再現し、同じ曲でも演奏家を聴き分けてみせた。 その才をいち早く見抜いたのは親の愛だ ▼かつて息子は「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」と口にしたそうだ。 母は今、「私に生まれてきてくれてありがとう」と涙する。 「できない」ではなく、「できる」ことを見つめ続けたご褒美。 世界が「生まれてよかった」と祝す才能は、どれもそうして開花する。 大変な努力の賜物と思う。他の人よりもさらなる努力が必要だっただろう。両親も偉い人だ。 子どもの無垢(むく)な発言を集めた本紙投稿欄「あのね」の朝日文庫版だ。 オトナに疲れた時の軽い栄養剤として、いくつか紹介したい 平成21年6月11日の天声人語よりの引用 ページを繰りながら、上前淳一郎さんが週刊文春に連載したコラムの題〈読むクスリ〉を思い出した。 子どもの無垢(むく)な発言を集めた本紙投稿欄「あのね」の朝日文庫版だ。 オトナに疲れた時の軽い栄養剤として、いくつか紹介したい ▼そろいの服の双子に、大抵の大人は微笑を返すだろう。 子どもは違う。 「どっちが本物なの?」(彩音4歳)。 世は謎だらけである。 ぬかみそにナスを漬け込む祖母には「どうして隠すの?」(恵理4歳) ▼みんな残酷なまでに正直だ。 犠牲者は母親が多い。 久々に緊張してハンドルを握れば「怪獣の目で運転してる」(友大4歳)。 化粧中に「まゆげの修理?」(裕貴3歳)。 体重計の上で「やばーい」(祥2歳)もママのまねらしい ▼何を思うのか、妙なつぶやきもある。 一人洗髪しながら「妹は、いつまでたっても妹……」(香子6歳)。 風呂上がりのミニアイスをほおばって「おれの一日はこれで終わった」(朗央5歳)。 晩酌みたいなものか ▼友だちの風船が空へ。 母は「かわいそうねえ」と常識に従うが、子は「でも雲は喜ぶね」(京佳4歳)。 逆さまの発想は金子みすゞの詩に通じる。 認可保育園に入れられず、母の目に涙。 すると「仲間に入れてほしい時は、大きな声で言えば入れてくれるよ」(八重4歳)と、また泣かせる ▼大きく膨らんだカーテンにしがみついて「風つかまえた!」(絵里4歳)、サイダーのコップに耳を近づけ「夏の音がするよ」(道郎5歳)。 みずみずしい感性、はじけ合う季節が、梅雨空の向こうに待つ。 話題がおもいつかなかったのかどうか。天下泰平 水田からどう舞い上がったか、 石川県七尾市で「カエルの子」が 100匹ほど降ったという きのう、日本の月探査機かぐやが月面に落下し、役目を終えた。 平成21年6月12日の天声人語よりの引用 停滞前線が列島に絡み、田んぼとカエルが喜ぶ季節が来る。 週間予報に傘印は少ないが、思案顔で空を見上げる朝が多くなろう。 引力の導くまま、不意に落ちてくるのは雨粒に限らない ▼水田からどう舞い上がったか、石川県七尾市で「カエルの子」が100匹ほど降ったという。 ボタボタという鈍い音に駐車場の男性が振り返ると、オタマジャクシがたくさん落ちていた。 80キロ離れた白山(はくさん)市でも約30匹、別の町では小ブナ約10匹が見つかった ▼00年、英国東部でやはり小魚が降り、民家の庭を埋め尽くしたことがある。 海から魚群を吸い上げたのは竜巻だった。 竜巻はカエルやカメも降らせるが、石川県の例では考えにくいそうだ。 鳥が獲物を吐き出したのかもしれない ▼ところ構わず降る物があれば、折り目正しく落ちる物あり。 きのう、日本の月探査機かぐやが月面に落下し、役目を終えた。 打ち上げて21カ月。 高精度の月面図や、「満地球」が「月平線」を出入りする映像など、精勤のあれこれを浮かべてご苦労様とつぶやく ▼運用チームの最後の仕事は、地球から見える側に落としてやることで、予定通り信号が途絶えると拍手がわいた。 月に願いをと募った約41万人のメッセージも、うさぎの傍らに届いたはずだ ▼昔人は、想像するしかないものを雨夜(あまよ)の月に重ねた。 世には想像を絶する未知もまだ多いが、最たるものだった月世界は科学の力でぐんと身近になった。 煙る夜のはざまに月がのぞいたら、宝の山のデータを残し、音もなく消えた「働き者」を思い出したい。 月面に衝突し消えて行きながらの映像を送ってきた月探査機「かぐや」はかぐや姫のようだ。見事だ。 冬への備えを促すように、 世界保健機関が新型インフルエンザの警戒レベルを 最高の6に引き上げた。世界的大流行である。
平成21年6月13日の天声人語よりの引用
夏は音楽ざんまいだったセミが冬に飢え、せっせと食料を蓄えてきたアリに助けを求める。 イソップ寓話(ぐうわ)の「アリとセミ」だ。 セミは夏に鳴く虫の代表としてサボリ役を務めるが、セミが少ない北国ではキリギリスが代役を引き受け、そちらも広まった ▼この話、本により結末も違う。 ギリシャ語の原典ではアリが冷たく拒むのに、説教しながら施しを与える「温情編」もある。 改変前の教訓は、自助努力を怠るな、余裕のあるうちに備えよというものだ ▼冬への備えを促すように、世界保健機関が新型インフルエンザの警戒レベルを最高の6に引き上げた。 世界的大流行である。 冬に向かう南半球で感染が広がっているためだ。 100万人が死亡した「香港風邪」以来、大流行は41年ぶりとなる ▼日本では感染者の多くが軽症で治り、一時の騒ぎも落ち着いた。 慌て買いのマスクを持て余す人もいよう。 だが、ウイルスは人体を渡り歩くうちに凶暴化しかねない。 われらが北半球では、南でひと暴れした後の第2波が怖い ▼年内に日本が用意できる新型ワクチンは、国民の2割にあたる2500万人分という。 秋から冬、流行と予防接種がもつれて走るような状況が見込まれる。 どんな優先順位で打つのか、大量の患者をどうさばくのか。 考えておくべきことは多い ▼「夏に歌ったのなら、冬には踊るがいい」。 無慈悲なイソップ原典で、腹ぺこのセミにアリが放つ言葉だ。 このせりふ、温情を知らないウイルスに盗まれないよう、セミが鳴きやむ前にあれこれの冬支度を整えたい 世界的な新インフルエンザに以前から話題になっている鳥インフルエンザ流行の練習訓練で 弱毒性でよかった。年配者に罹らないのは知らない間に感染していた可能性があるのか。 季節性インフルエンザのように夏でも流行するのは不思議だ。 日本郵政の社長人事をめぐる世論をみると、 現代の「道理之介」は西川社長ではなく、 大臣を辞めた鳩山さんのようだ 平成21年6月14日の天声人語よりの引用 群雄が相争った戦国時代、わが名を早く世に広めようと、奇抜な名を名乗って戦場を駆けめぐった武士もいたらしい。 抱腹絶倒の珍名が色々あって、当時の武士たちのユーモア感覚には舌を巻く ▼たとえば滝沢馬琴の『燕石雑志』によれば、尤道理之介(もっとも・どうりのすけ)という武士がいて、 戦場で名乗りを上げると敵も味方も大笑いしたそうだ。 そのことを井上ひさしさんの随筆に教わったが、どんな喧嘩(けんか)も「理のあるなし」は大切だ。 いくさの前に叫ぶには、悪くない名前だったろう ▼さて、日本郵政の社長人事をめぐる世論をみると、現代の「道理之介」は西川社長ではなく、大臣を辞めた鳩山さんのようだ。 「世の中、正しいことが通らない時がある」「潔く去る」。 鳩山氏の言葉は、義憤を込めて意気軒高だ ▼英雄気取りと陰口もきかれるようだが、ロマン主義者なのだろう。 自らの言動への美意識も強いとお見受けする。 負けを承知で「正義」を曲げず、ついに詰め腹という「滅びの美学」は、判官びいきの国民性に訴えたかも知れない ▼反対に麻生首相は、また指導力に落第点がつき、敵(かたき)役にもなった。 鳩山流美学に対し、現実的に処するしかなかった。 もとは盟友である。 泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)ったのか、それとも怒り心頭か。 ともあれ国民そっちのけの内紛劇である ▼もう早く選挙をするにかぎる。 民意の賞味期限をごまかす防腐剤は限度をこえた。 政策をぶつけ合い、どの党や候補者が「尤道理之介」かを国民に決めさせてほしい。 どこが勝つにしても、政治の梅雨明けは早いほうがいい。 国民を無視し忍耐強く政治を行うのは何のためなのだろうか。 裸の王様になっているのか漫画ばかり読んで新聞読まずテレビも見ずの 生活を送っていられるのかどうか。 障害者向けの郵便割引制度が悪用された事件は、 厚生労働省の局長の逮捕に発展した 平成21年6月15日の天声人語よりの引用 明治の初めに東京や横浜に設けられた郵便箱(ポスト)は黒塗りだった。 「郵便」という言葉が珍しく、「たれべん」と読み違えた人が立ち小便を放ったというのは本当のことか。 138年前に郵便制度が始まったころの話である ▼制度をつくった前島密(ひそか)は無私な人だったらしい。 事業を軌道に乗せて官界を去るとき、知人らは「もう少しで恩給をもらう資格ができる」と止めた。 しかし前島は笑って身を引いた。 淡々とした人柄が、古い遺稿集『郵便創業談』からうかがえる ▼その清廉の人が、さぞや嘆いているだろう。 障害者向けの郵便割引制度が悪用された事件は、厚生労働省の局長の逮捕に発展した。 障害者団体の実態がない組織に、偽造の「お墨付き」を与えていた疑いだという ▼看板に偽りありを「羊頭狗肉(ようとうくにく)」と言う。 不正は、いかがわしい団体に中身をごまかす羊の頭を与えたようなものだ。 局長は否認しているそうだが、ならば誰の意思と行為が不正を生んだのか ▼「政治案件」という言葉が、またぞろ聞こえてくる。 官界の用語で、政治家の口添えのある頼まれ事の意味だ。 最も憂うべきは、誰にも犯意のないまま偽造証明書が作られた場合だろう。 それは政と官のなれ合いから、役所という組織そのものが産み落とした不正にほかならない ▼局長は文字通りのキャリアウーマンで、舛添厚労相は「働く女性にとって希望の星だった」と言う。 残念ながら、すでに過去形である。 このまま事が進むなら、前島と違って後味の悪い、志半ばでの挫折ということになる。 政治家関係の不正な行為の発生は自民党政権の長い慣習のために続出しているのか。 政権交代の緊張感のなさから起きているように思える 「議会の華」といわれるヤジである 特に党首討論は晴れ舞台とみえ、 轟々(ごうごう)とわき起こる 平成21年6月17日の天声人語よりの引用 井原西鶴の浮世草子「世間胸算用」に、大勢が左右に分かれて言いたい放題、ののしり合う場面がある。 「お前は餅がのどに詰まっておだぶつだ」「お前なんぞ、鬼に漬物にされろ」……。 辛辣(しんらつ)だが、けんかではなく神社の祭事の描写である ▼参詣する人が故意に悪口を言い合う「悪口祭(あっこまつり)」や「悪態祭」などと呼ばれる祭りは、いまも各地に残っている。 日ごろ積もったものを発散しつつ、言い勝った者が福運を得るという習わしが多いそうだ ▼さて国会に目をやれば、与野党共催の「悪口祭」が、このところ随分かしましい。 「議会の華」といわれるヤジである。 特に党首討論は晴れ舞台とみえ、轟々(ごうごう)とわき起こる。 あまりの聞き苦しさに国民から批判がわき、双方が自制を申し合わせた ▼品格ばやりの昨今だが、ヤジは騒々しいばかりで品がない。 寸鉄人を刺す機知もない。 それらが備わってこその「華」だろう。 でなければ、デシベルの単位で計測される物理的な騒音と変わらない ▼〈菅直人の鼻の向こうにいる議員野次(やじ)に飽きたか二度も欠伸(あくび)す〉と今月の朝日歌壇にあった。 子どもっぽい、締まらぬ姿を、テレビを通して国民は見ている。 〈議事堂で歳費を食ってるやじの群れ〉と、こちらは小紙川柳欄 ▼党首討論の元祖、英国のチャーチル元首相は「議会の目的は殴り合いを議論に代えること」だと言っていた。 裏を返せば、議会は言葉の格闘技場にほかならない。 正々堂々の切り結びと、華の名に恥じない「ヤジ道」を、きょう午後からの麻生・鳩山討論で見たいものだ。 党首討論でのヤジがひどく,常識を逸しているように感じた。ヤジする人たちにもカメラを向けて次回の選挙時の さんこうとしたいものだ、議会は全てが常識の府でありたいものです。 一国の民主主義のバロメーターは、 「投票」もさることながら「開票」にあると言えよう。 選挙をしても、開票が不正なら民意はただの紙くずである 平成21年6月18日の天声人語よりの引用 発展途上国からリーダーを招いて日本の選挙制度を説明するとき、よく出る質問があるそうだ。 投票所から開票所に箱を集めて数えると言うと、「途中で襲われることはないのか?」と聞かれるのだという。 早大教授だった故内田満さんが書いている ▼日本も100年前は不穏だった。 対立する党派が投票箱を奪い合い「即死1名重傷2名」といった記事が小紙にも残る。 一国の民主主義のバロメーターは、「投票」もさることながら「開票」にあると言えよう。 選挙をしても、開票が不正なら民意はただの紙くずである ▼中東のイランが大統領選の開票をめぐって混乱している。 現職圧勝という結果に、対抗する勢力は「不正」を叫ぶ。 衝突による犠牲者も出ている。 30年前のイスラム革命以来、最大の危機にあるという ▼中東には珍しく一定の民主主義のある国と見られてきた。 その「一定」も揺らいでいるようだ。 核やミサイルの開発に血道を上げる今の政権である。 独裁化していくなら、世界はさらなる脅威を背負うことになる ▼女優の岸恵子さんの紀行文を思い出す。 80年代にイランを訪れた。 旅に駆り立てられた理由を、「わけの分からなさ、不気味さ、もしかしたら世界中に誤解されているかも知れないこの国の、 孤立無援の一徹さ」への興味と記している。 多くの日本人が今も抱く印象だろう ▼古くはペルシャの名で知られた誇り高き国に、民主主義はありやなしや。 当局は数え直しても再選挙はしないという。 孤立の影がいっそう深まる気配をうかがわせている。
民主的な投票により決められるものが,その票が買収により投票されたものでは民主的ではない。 さらに開票時に不正があれば民意を反映されない。イランでの大統領選挙では後者が行われ 票の買収的行為は先進国では常識のように横行している。真の民意が反映されないのはイランと全く同じだ。 その太宰の、きょうは生誕100年の桜桃忌である。 平成21年6月19日の天声人語よりの引用 借りて耕している畑で、今年初めてのキュウリがとれた。 緑を濃くした葉の間から、よく育ったのが5本ほどぶら下がっていた。 毎年、初もののキュウリを味わうたびに、太宰治を思い起こす ▼〈キウリの青さから、夏が来る。 五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある〉。 小説「女生徒」の一節だ。 なぜか心に刻まれる、不思議な文章の魔術が、衰えぬ人気の理由の一つだろう ▼その太宰の、きょうは生誕100年の桜桃忌である。 玉川上水に入水(じゅすい)して、遺体が見つかったのが奇(く)しくも39歳の誕生日だった。 東京・三鷹の禅林寺の墓前には、毎年ファンの列ができる。 記念の今年、列は長くなるでしょうと、お寺の人が予想する ▼100年の話題はにぎやかだ。 関連する本の出版や、作品の映画化が相次いでいる。 東京などで「太宰治検定」も開かれる。 故郷の青森県議会はきょうを休会にするそうだ。 あれこれと、いまや時代を超えた国民的作家として揺るぎない ▼人としての弱さと、それを隠さない強さが小説を作り上げているという。 「こんなに自分のことばかり書いて――この人は自分で自分を啄(ついば)んでいるようだ」と、妻の津島美知子は書き残した。 弱いだけの者に自らを啄むことはできまい ▼〈蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう〉。 忌日の名になった短編「桜桃」の、これも印象深い一節だ。 弱さを刻んだ作品に、人は自分の横顔を、ふと見るのかも知れない。 太宰治の小説はあまり読むことは少ない。「走れメロス」位か。 おとといの衆院で、「脳死は人の死」を前提にする法案が通った 平成21年6月20日の天声人語よりの引用 脳死は人間の死なのか、どうか。 臓器移植法の改正をめぐるニュースを読みながら、塔和子さんを思い出した。 ハンセン病の療養所から、「生きていること」の意味と輝きを、紡ぎ続けてきた詩人である ▼その「領土」という詩は、〈生と同時に 死を産みおとしたことに気付かないで からになった母体は 満足げに離別を見る〉と始まる。 人が生まれるとき、死という手形も振り出される。 人は、生とともに死にも領有されているのだと、自らになぞらえて詩は続く ▼おとといの衆院で、「脳死は人の死」を前提にする法案が通った。 成立すれば、海外に頼るしかなかった子どもの移植への道も開く。 「人の死」には同意しないが、助かる子の笑顔を思えば……などと悩む人も少なくないだろう ▼人の体という「領土」をめぐって、生と死がせめぎ合う。 脳死とは、生が最後の陣地を辛うじて守っている状態なのか。 それとも、すでに死に占領されてしまったのか。 国会議員が多数決で決めることに違和感のある方もおられよう ▼法改正の背後には、難病のために生の領土が脅かされている人たちがいる。 移植しか手のない人たちだ。 死にゆく人があって、救われる命がある。 幸と不幸をセットでとらえて判断する難しさを、医学の進歩が突きつけている ▼「死とは?」と問われて「モーツァルトが聴けなくなること」と答えたのはアインシュタインだった。 人の数だけ死生観がある。 束ねるのに十分な議論は尽くされたのだろうか。 このあとに続く参院での審議を見守るとする。
脳死については以前から色々な論議がされたが,i日本人の死生観からして色んな意見が続出していたが 今回の議会での審議は殆んどなく機械的に決められた感じをうける。政局にも利用されている。 国民的な論議があっても良かったと考えている。欧米人での死生観と日本人の死生観では明らかに異なっている。 もっと慎重であるべきだった。IPS細胞が研究され進歩している時代だから余計にそのように感じる。 医療での殺人を起す可能性を孕んでいるのは脳死問題である。 きょうは一年で昼が最も長い夏至。 平成21年6月21日の天声人語よりの引用 仕事柄か、年のせいか、早起きの癖がついた。 この時期、東京だと4時ごろから空が白んで鳥が鳴き始める。 散歩もせずにパソコンに向かう当方を含め、日本に暮らす人の多くが早朝の明るさを無駄にする ▼きょうは一年で昼が最も長い夏至。 日の出から日の入りまで、東京で14時間35分、北海道ではさらに50分ほど長く、朝日の無駄も極まる。 日没はまだ少し延びるが、それ以上に夜明けが遅くなっていく ▼高い緯度の国々は、夏が短い代わりに日照時間が長い。 夏至祭の頃の解放感はひとしおらしい。 「夜の空は薄紫のヴェールを下ろしたように広がり、太陽は樅(もみ)の森の彼方(かなた)に隠れて、その残光で金色に染まっている。 白夜である」。 外交官として北欧が長かった武田龍夫さんの描写だ ▼夏至には火を囲み、短夜を踊り明かす風習が欧州各地にあった。 太陽の威勢を借りて、万物に精気を満たす営みであろう。 はじける喜びは長くて暗い冬の反動で、人々は当然の権利のように、暮れぬ夕べを無駄なく楽しむ。 〈路面チェス数人かこむ白夜かな〉森田峠 ▼前後に春秋という優しい季節がたっぷりあるためか、日本では夏を待ちこがれ、いとおしむ心情がピンとこない。 省エネを言いながら、みすみす朝の光を捨てる我らである ▼夏時間を採り入れても、戸外での余暇に慣れぬ身は帰宅後の斜陽を持て余そう。 いや、働き蜂は暗くなるまで帰らないから残業を増やすだけ、との見方もある。 ああ、勤労観の壁。 夏至と同居の父の日、「お天道様が高いうちは……」の呪縛をふと思う。 夏至などの自然の季節の移り変わりには現代人は無頓着になってきている。夜でも煌煌と明るい世界では 自然の変化には関心がなくなってくるのも当然かもしれない。 でも俳句には季語が有る。 その化学反応の妙を、陶芸教室の体験コースで知った 土器を生み出した縄文人たちも、 手びねりに精魂を込め、 化学変化に後を託したことだろう。 平成21年6月22日の天声人語よりの引用 人が発明した最初の機械は何だろう。 前世紀の高名な考古学者ゴードン・チャイルドによれば、弓である。 この権威が「人が初めて、化学変化を自覚して利用した」とする営みがある。 土器づくりだ ▼その化学反応の妙を、陶芸教室の体験コースで知った。 信楽の土を練り、とりあえずの形にする。 日を置いてヘラで削り、素焼き、上薬、本焼きへ。 4回の実習と相応の出費は、初心者なりの黄色い鉢に化けた ▼まずは手料理でと勇んだものの、気がせいて出来合いのサラダを盛った。 それでも、作って楽しく、使ってうれしいという先達の言葉にうそはない。 翌日、牛すじを煮込み、下手ながら「内外手作り」が実現した。 これで酒器がそろえばと、欲も出る ▼土の塊が器の用をなすまで、思えばさほどの手間はかけていない。 先生の手ほどきの下、使ったのは素朴な道具類と両手のみ。 一心不乱の仕事には火も味方するらしい ▼土器を生み出した縄文人たちも、手びねりに精魂を込め、化学変化に後を託したことだろう。 生を支える煮炊きの道具である。 なんとか形にするぞという情念が、手から土へと染み通るのかもしれない。 「一心」を土に届ける手の働きは、趣味の域でも、素人でも変わるまい ▼民芸を再評価した思想家柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、日本を「手の国」と呼び、手仕事の値打ちをこう説いた。 「そこには自由と責任とが保たれます。 そのため仕事に悦(よろこ)びが伴ったり、また新しいものを創(つく)る力が現れたりします」。 ぐい飲みに挑みたくなるのは、お酒のせいだけではないようだ。 科学という言葉が言い出される以前から自然科学はあった。化学が体系化されない前より人類は化学的変化するものを 作っていたことになる。手仕事については昔から行われていて,ごく最近に器械化で゛ものを大量に作る技術が 飛躍的に進歩してきている。 戦争の終り、サイパン島の崖(がけ)の上から 次々に身を投げた女たち そして1年後、さらなる惨禍が沖縄を襲う 平成21年6月23日の天声人語よりの引用 戦争の終り、サイパン島の崖(がけ)の上から 次々に身を投げた女たち。 /美徳やら義理やら体裁やら 何やら。火だの男だのに追いつめられて……〉。 詩人石垣りんさんが「崖」と題してつづったサイパン島の悲劇は、終戦の前の年に起きた ▼島には多くの日本人が移住していた。 激しい戦いで日本軍は壊滅する。 巻き込まれた民間人の多くは沖縄からの移住者だった。 犠牲者は6千人にのぼるとされる ▼そして1年後、さらなる惨禍が沖縄を襲う。 米軍報告書が「あらゆる地獄を集めた」と形容した沖縄戦である。 64年前のきょう、日本軍の組織的な抵抗が終わり、ようやく戦火が静まった。 民と軍、合わせて20万人以上が命を落とした ▼どれも重い歴史だが、歳月は容赦ない。 沖縄からサイパンへの墓参団は高齢化で先月が最後になった。 当時を語れる人は減っている。 逃避行、累々たる死者、集団自決……沖縄戦の語り部も細りつつある。 世代から世代へ、戦争体験をどう手渡すか。 試みが様々に続けられている ▼きょうが開館20年の「ひめゆり平和祈念資料館」は、元ひめゆり学徒隊の証言員に代わる「説明員」の養成に取り組んでいる。 太平洋戦争のむごい実話として、あったことを、あったままに。 「体験」をつなぐ大役を若い世代が担う姿は頼もしい ▼戦禍の島から基地の島へ、沖縄に刻まれた「戦争」の密度は濃い。 歴史は姿を変え、衣装を変えて繰り返すことがあるという。 沖縄の「慰霊の日」を沖縄だけのものとせず、悲劇の奥から聞こえる教訓に耳をすましたい。 敗色濃くて勝ち目のないような戦争を何故に戦っていたのかが理解できない。始めから勝ち目がないことを知っていて 何故に大東亜戦争に突入していったのか。一億一心にて国民を統一できたのは何だったのか。 勿論戦争中でも反戦を唱えていた人たちが多くいることはしられている。そのような人は国賊であった。 それにしても、諸国に頼って命をつなぐ食料を、 これほど粗末にする国があるだろうか 平成21年6月24日の天声人語よりの引用 日本の憲法は書きかえた方がいいと三十数年前の小欄が書いている。 憲法前文は、われらの生存は「諸国民の公正と信義」によると言うが、それでは足りない。 「諸国民の公正、信義および食料」にすべきだと。 つまり、海外に頼る食料の多さを、冗談まじりに憂えたのである ▼当時の自給率はまだ55%あった。 いまや40%である。 筆者が存命なら何を思うだろう。 それにしても、諸国に頼って命をつなぐ食料を、これほど粗末にする国があるだろうか。 コンビニ弁当の値段をめぐる公取委の命令で見えるのは、われらの日常の異様さだ ▼主要10社のコンビニで捨てられる食べ物は、年に弁当4億2千万食分になるそうだ。 大量廃棄は織り込み済みで、捨てることより品切れを嫌う。 悩む加盟店に「人間の心は捨ててくれ」と言う本部の者もいたと聞く ▼だが、これも氷山の一角にすぎない。 食べられるのに捨てられる国内の総量は、30〜50倍はあるらしい。 世界の飢餓人口が10億人を超えそうな時、これでは諸国に顔向けしづらい ▼18世紀の英国にポープという知恵者がいて、託宣めいた言葉を残した。 「我らにふさわしい幸福は、我らが非難するものに依存している」と。 思いを巡らせば、いまの便利で快適な生活も、大量のCO2や、食べ物の無駄などに依存するところ大である ▼「幸福」の色を薄めるのは難しい。 だが、もろもろに待ったなしである。 便利さの着ぶくれを、少しずつでも脱いでいくほかはない。 憲法に言う「国際社会での名誉ある地位」を手にするためにも。 日本の農業政策に誤りがないのか。安価で効率が良いから外国に頼るだけでは大変に危険である。 世界政府が出来てからの話である。貿易のない時代は全部自給していた。 自民党の歴代総裁を眺めてみる。 元気な東国原知事も、 昔なら「私を総裁候補に」とは言いにくかっただろう 平成21年6月25日の天声人語よりの引用
中国の古代に、「昔のことを論じて今を批判する者は一族皆殺し」という定めがあったそうだ。 昔を持ち出して今をあれこれ言ってみたり、人物がいないと嘆いたりするのは、千古変わらぬ人の性(さが)らしい ▼承知しつつ、自民党の歴代総裁を眺めてみる。 初代は鳩山一郎、2代石橋湛山、3代岸信介、さらに池田勇人、佐藤栄作、田中角栄……。 好悪はおいてヘビー級が並ぶ。 元気な東国原知事も、昔なら「私を総裁候補に」とは言いにくかっただろう ▼近づく総選挙への出馬要請を受け、条件に「総裁のイス」を求めた氏の言動が波紋を広げている。 裏も奥もあるらしいが、自民党も落ちぶれたというのが、少なからぬ国民の抱いた印象のようである ▼「夏芝居」という俳句の季語を思い出す。 昔、客の入りの悪くなる夏に、怪談や早変わりなどの奇抜な出し物を演じた。 立役者は夏休みを取るので、新顔の売り出しどきでもあったそうだ ▼花形不在に悩む「自民一座の古賀座長」は、近づく夏舞台が心配でならない。 受けを狙って人気者に出演を頼んだら、思わぬギャラをふっかけられた。 「なめられたものだ」と、座付きの役者が憤りの声をあげる――たとえれば、そんな図だろうか ▼俳人の小澤實さんに〈夏芝居監物某(けんもつ・なにがし)出てすぐ死〉の愉快な句がある。 端役なのだろう、監物某という者が、出てきたとたんに切られてしまった。 さて、きたる選挙で東国原氏は主役を張るのか、端役なのか、それとも舞台に載らないのか。 茶番に堕す危うさをはらんでの、軽き自民のカケである。 自民党も宮崎県の東国原知事に頼るようなら末期状態である。政権浮揚には地道な国民のための政治が 達成できてからのことである。長期の政権は腐敗が漂ってくるもので政権交代 こそが理想の政治可能な状態に保てる目的であり手段であ。いずれにしても長期政権は必ず腐敗が伴ってくる。 電話もうるさがった 平成21年6月26日の天声人語よりの引用 独特のおかしみが今も人気の作家、内田百けん(「けん」は門構えの中に月=ひゃっけん)は不意の来客を嫌ったそうだ。 古い狂歌のパロディーを作って玄関に張り出していた。 〈世の中に人の来るこそうれしけれ とは云(い)うもののお前ではなし〉。 訪問者は面食らったに違いない ▼電話もうるさがった。 ひとたび電話をひいたら、いくら戸締まりをして寝ても、なんにもならない。 家に引き込まれた一条の線が、門扉や雨戸をあってなきものにする、などと書き残している ▼百けん先生がいたら呆(あき)れる、いまのケータイ事情だろう。 民間の研究所が自宅での様子を調べたら、枕元に置いて寝る人は9割を超えた。 トイレに持って入る人は54%、食事どきに手元に置く人が45%、風呂に持ち込む人も18%いて、肌身離せぬ様が浮かび上がる ▼24時間の「臨戦態勢」が重荷な人も多いはずだ。 だが仕事も、付き合いもある。 すぐ連絡がつくことを前提に世の中が動けば、自分ひとり逃げられない。 かくて電波で結ばれ合った、万人の万人に対する「支配」が世を席巻することになる ▼先日の小紙には、1日に9時間ケータイを使う中学生の記事があった。 今どきの機種はゲームも音楽も楽しめるが、それにしても長すぎないか。 全国津々浦々で、魔法の機械が舌なめずりをして、若い時間を吸い込んでいる。 いやな図をつい想像してしまう ▼百けん先生に話を戻せば、夜はとりわけかなわないと、門前に「日没閉門」と書いた札も掲げていたそうだ。 そんな札を心に掲げて、ケータイをほっぽり投げておく時が、たまにはあって悪くない。 ケイタイ電話は大変に便利な世の中になってきている。若者達には身近な存在だか年配の者達には 抵抗感 器用さがなくて使い難い面もある。老化防止にもよいかも知れない。 指を動かいして、頭も使うから大変に健康に良い道具である。 米ポップス界の「帝王」と呼ばれた歌手マイケル・ジャクソンさんは、 そうしたスーパースターの一人だった。 平成21年6月27日の天声人語よりの引用 その世界に縁遠い人でも顔と名前は知っている。 米ポップス界の「帝王」と呼ばれた歌手マイケル・ジャクソンさんは、そうしたスーパースターの一人だった。 突然の訃報(ふほう)がきのう、世界を駆け巡った ▼自らを語ることは少なく、ゆえに伝説とゴシップに彩られていた。 整形を重ねたとされる顔も、本人いわく、わずかな手術だけらしい。 とはいえ、いかにも人工的には見えた。 黒人なのだが、年齢も人種も、性別さえも、見る人次第でいかようにもとれた ▼音楽の才能は早くから花開いた。 4人の兄とグループを組んで、大人顔負けの歌と踊りで全米の人気者になる。 独り立ちして82年に出した「スリラー」は、世界で推定1億枚を売り、レコード史上のあらゆる記録を塗り替えたとされる ▼80年代には2度来日し、ビートルズ以来という熱狂で迎えられた。 後楽園など各地のプロ野球場を会場にしたのは、並はずれた集客力を見こんでのことだ。 足をすって機械のように歩くムーンウオークを思い出して、当時の熱気を懐かしむ方もおられよう ▼だが、華やかさの半面、私生活は乱調ぎみで奇行も多かった。 とりわけ近年は、負債や、虐待事件といった醜聞にまみれていた。 復活をかけたロンドンでのツアーを来月に控えての、急逝だったという ▼かつてこう語っていた。 「僕はステージの上が一番安心できる。 出来ることならステージで眠りたいぐらいさ。 本当に、まじめにだよ」。 享年は50。 実際の人生より、舞台という虚構に住まって夢を見ていたい人だったかもしれない。 マイケルジャクソンは天才的な歌手であまりにも若くして死んでいっている。異様な姿にははなはだ抵抗感を感ずる。 どうして黒人のままでおることができなかったか判らない。 アメリカ大統領がオバマ氏が既にいたならば黒人のままで存在していたかも知れないと推量する。 クレオパトラは声も「絶世」だったらしい その力の源をエジプトの女王だったからと説く 平成21年6月28日の天声人語よりの引用 天は二物、三物を与えることがままあり、クレオパトラは声も「絶世」だったらしい。 心地よい響きにくるみ、機知に富む言葉をいくつもの言語で繰り出したという。 後の歴史家は「聞いてすばらしく、見てすばらしかった」と記した ▼だが才色だけでは、カエサル(シーザー)らローマの武人たちと結んで歴史を動かすことはできない。 考古学者の吉村作治さんは、その力の源をエジプトの女王だったからと説く。 肥沃(ひよく)で軍備に優れた王国は、ローマの東方征服に欠かせない要衝だった ▼きのう横浜市で始まった「海のエジプト展」で、豊かな文明を垣間見ることができる。 フランスの研究者フランク・ゴディオ氏が90年代から引き揚げた、本邦初公開の遺物が並ぶ(9月23日まで) ▼女王が愛した古都アレクサンドリアなどの史跡は、王朝が滅んだ後に何度か津波にのまれ、水の底で破壊と盗掘を免れた。 塩を抜き、修復された巨像たちは、2千年の時を感じさせない。装身具や硬貨も昔日の輝きを保つ ▼欧州5都市での巡回展は計200万人を集めた。 06年、パリで拝んだ時に比べて、展示品はどこかよそ行きの風情でオーラを放つ。 はるか東方の異郷、若い港町の空気にまだ戸惑いがあるのだろうか ▼遠征してきたカエサルにいち早く支援を請うため、クレオパトラは荷物に化けて近づいたとされる。 ただの野心家ではない「偶然や幸運に頼らない女」(吉村さん)だった。 彼女がまとった香りを会場で体験できる。 強すぎず甘すぎず、地中海の涼風がふわりと鼻孔を抜けた。 クレオパトラは身近な存在である。名前は知っていてもどのような人物だったかはしらない。映画で若いころ観た記憶がある そのイメージだけで実際には知らないが有名である。 この頃の日本では卑弥呼からはるか遠い縄文時代だったのか。 約3万5千年前の楽器が ドイツの洞窟(どうくつ)で見つかった という記事があった 平成21年6月29日の天声人語よりの引用 東京紙面の声欄で「母の音色した53年前の木琴」を読んだ。 投稿者の男性(60)が小学2年の時、母親が木琴を買って教室に届けてくれた。 過日の物置整理でそれに再会した、という話である ▼その母は若くして病で亡くなり、お下がりを使った弟も早世した。 男性は木琴を雑巾(ぞうきん)でふき、「どれみふぁそらしど」の文字が現れた鍵盤で「荒城の月」の冒頭を奏でる。 連なる音は、忘れ得ぬ面影と遠い記憶を連れ戻したに違いない ▼同じ日の新聞に、約3万5千年前の楽器がドイツの洞窟(どうくつ)で見つかったという記事があった。 ハゲワシの骨に五つの指穴を開けた、22センチほどの笛である。かすかに曲がった細い管を抜ける音には、 誰のどんな記憶が宿るのか、興味は尽きない ▼破片をつないだ笛はあいにく、息を吹き込むにはもろすぎよう。 最古の楽器は意外に広い音階を持つらしいと、想像するしかない。 洞窟の住人は、肉を食べ骨をしゃぶりながら、音を操る技をわがものにしたようだ ▼どんな音色にせよ、節をつけて鳴らすことにある種の快感が伴ったと思われる。 旧石器時代、生活の傍らにすでに音楽があったことになる。 同じ場所では先に、マンモスの牙でこしらえた最古の裸婦像が出た。 骨笛もまた、芸術の起源か、信仰や呪術の道具だったのだろう ▼戯れから娯楽が生まれ、やがて美意識や祈りに昇華する。 そんな「音の出世」は確かにあるけれど、記憶の入れ物、運び手としての役割も心にとめておきたい。 ほこりまみれの木琴に、大切な人を過去から招く力が潜むのだから。 音楽は心を豊かにして癒してくれる。有史以来は楽器が盛んに使われていたことは知られているが 旧石器時代にも使われていたとは驚きの事実である。 これからも人類が生存する限りに音楽は人の心を癒し続けてくれることだろう。 「人間」を語って重い今月の言葉から 平成21年6月30日の天声人語よりの引用 「六月三十日(みそか)は年の臍(へそ)」と言う。 一年もちょうど半ばの今日を、体の真ん中にあるヘソにたとえた。 人の世が雨に煙る季節に、「人間」を語って重い今月の言葉から ▼沖縄は23日に「慰霊の日」を迎えた。 浦添市のトーマ・ヒロコさん(26)は、この日をめぐる沖縄と本土の意識の差を詩にした。 その一節に〈祖母が生き延びてくれたからこそ/自分がいるということ/噛(か)みしめながら顔を洗う〉。 島では4人に1人が戦火に消えた ▼元イスラエル将校のノアム・ハユットさん(30)が大阪で講演した。 パレスチナ人を「荷物」と隠語で呼んでいたという。 「人間としての感覚がマヒし、殺人機械になっていた」。 祖国から「裏切り者」という批判も受けながらの良心の発露である ▼ホームレスの人たちをモデルに、おしゃれに撮った写真集を作ったのは写真家の高松英昭さん(38)。 ポーズや表情も細かく指図したといい、「ホームレスという言葉が持つイメージへの挑戦です」。 路上での先行販売をへて、7月からは書店にも並ぶ ▼水俣病をめぐって不知火海の漁師、緒方正人さん(55)が小紙に語った。 「患者には三つの誇れることがある。 病に苦しみながらも魚や海を恨まなかったこと。 胎児性患者が生まれようとも、子どもを選ばず産み続けたこと。 そしてチッソの社員や公務員を傷つけなかったことだ」 ▼「刑務所の空と全然違う」と、17年半ぶりに帰郷した菅家利和さん(62)は笑った。 足利事件で失われた日々は帰らない。 取り戻せぬものを、少しでも取り戻してほしいと願う。 菅家さんの足利事件て゜冤罪では大変気の毒なことであった。人間は過ちの動物ではすまされない気がする。 裁判員制度は国民に負担を強いて益々に司法世界を複雑にするだけである。 もっと簡単なことで改善すべきことか゜多くあるにもかかわらずに放置されたままになっている。基本的な司法の三権分立がなされていない。 綜芸種智院と実恵 現在住居している所より歩いて15分から20分くらいの所に種智院大学が存在している。 弘法大師が日本に初めて創立された私立大学校とされている。沿革を見てみると ー以下インタ-ネットよりの引用ー 828年(天長5年) - 空海が綜藝種智院を創設。
昭和24年に種智院大学が創設されている。 綜藝種智院は空海により始められて空海の没後は実恵に経営がまかされているが 綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、天長5年12月15日(829年1月23日)、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、 藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれている。 本来は綜藝種智院だが、新字体による表記の綜芸種智院が、現在は一般的。綜芸とは、各種の学芸を綜合するという意味。
この時代、原則的には中央の教育機関であった大学は主に貴族の、地方の教育機関であった国学は郡司の子弟を対象とするなど身分制限があり、 運用面において庶民にも全く開放されていなかったわけではなかったが、極めて狭き門であった。 また、大学・国学では主に儒教を専門に教育しており、仏教・道教などは扱っていなかったし、寺院では仏教を専門に教育しており、 儒教などの世俗の学問は基本的に扱っていなかった。 空海は、こうした現状を打破しようとして、天長5年に「綜芸種智院式并序」(『性霊集』巻十)を著して、 全学生・教員への給食制を完備した身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、俗人も僧侶も儒教・仏教・道教などあらゆる思想・学芸を 総合的に学ぶことのできる教育施設の設立を提唱し、その恒久的な運営を実現するため、天皇、大臣諸侯、仏教諸宗の高僧らをはじめ、 広く世間に支持・協力を呼びかけたのである。
ただ、実際に空海の構想がどこまで実現されたかは明らかでない部分が多く、綜芸種智院の設立自体を疑問視する見解も一部にある。 綜芸種智院は、空海の死後10年ほど経た承和12年(845年)、所期の成果を挙げることが困難になったとして、 弟子たち主として空海の一番弟子であった実恵によって協議の末売却された。 その売却益は東寺の真言僧育成財源確保のための寺田(所在地丹波国多紀郡、のちの大山荘)購入にあてられている。 売却まで運営されていたのか、それ以前からすでに運営されなくなっていたのか定かでないが、 一般的には、天長5年末から承和12年までの20年弱が、綜芸種智院の存続期間と考えられている。 廃絶理由として、財源不足、後継者難、真言教団維持優先への路線転換、構想自体の非現実性、 実際は朝廷による民衆懐柔のための一時的施設であったとする見方など、様々な理由があげられているが、 いまだ定説を得るに至っていない。
実恵(じちえ/じつえ・実慧は、延暦5年(786年)- 承和14年11月13日(847年12月24日))は、平安時代前期の真言宗の僧。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。
奈良大安寺の泰基に法相・唯識を学び、807年(大同2年)に受戒、檜尾寺で810年(弘仁元年)には空海から灌頂を受けた。 812年(弘仁3年)高雄山寺三綱に任じられ、816年(弘仁7年)からは空海の高野山開創に真済と一緒に尽力した。 827年(天長4年)には観心寺(大阪府河内長野市)を創建しているが名目上で実際は実恵の弟子の真紹があたっている。 真紹は後に東山山麓に禅林寺(後の永観堂)を創設している。 836年(承和3年)東寺長者となり、その後東寺二長者を創設した。 一方で東寺に灌頂院を建立して真言宗の伝法・結縁灌頂の道場とした。 828年(天長5年)空海が開設した学校である綜芸種智院を845年(承和12年)に売却し、 それで得た丹波国大山荘の収入をもとに東寺伝法会を始めている。実恵のもう一人の弟子に恵運がいて 恵運(えうん、延暦17年(798年)- 貞観11年9月23日(869年10月31日))は、平安時代前期の真言宗の僧。 俗姓は安曇氏。山城国の出身。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。
初め東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学んだが、受戒後の824年(天長元年)真言宗の実恵(じちえ)の門下に入った。 関東での一切経書写の検校や筑紫観世音寺講師などを歴任した後、842年(承和9年)唐の商人李処人の船で唐に渡った。 長安青龍寺で義真に灌頂を受け、五台山・天台山を巡拝した。 847年(承和14年)に帰国し、八家請来目録を呈上している。翌848年(承和15年)女御藤原順子の発願により京都安祥寺を開創した。 その後僧都に任じられ、安祥寺僧都と称された。 安祥寺の資材帳には恵運が記した実恵が住居していた檜尾寺のことが記されていて,一般に広く言われている観心寺でなくて 京都深草の檜尾寺でそれにより実恵は檜尾僧都と呼ばれるにいたっている。 檜尾寺は行基が創建した49院の一つである法禅院の後に改名した寺院である。 空海が始めて唱えた真言宗は実恵によってより基礎が築かれてより世間に広まり発展していったとものと考えられる。
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