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「五月闇(さつきやみ)」とは、梅雨どきの暗闇を言う。
昼なお暗いときにも使うが、歳時記によれば、月も星も雲に隠れた夜をさすことが多いそうだ。
そうした深い闇は、蛍の鑑賞には格好の背景になる
▼「蛍合戦」の言い伝えを、小泉八雲が書いている。
源氏と平家の名をいただく蛍が年に一度、京都の宇治川で熾烈(しれつ)な一戦をまじえる。
この晩には、籠(かご)の蛍は全部放して、戦いに加われるようにしてやらねばならないのだという
▼文豪の描く戦いのさまは美しい。
参集した大群は光る雲のように見える。
ぶつかり合って雲は崩れ、水面に散り、落ちた蛍は光りつつ流れ去る。
〈川は、漂い流れる蛍のなおきらきらと輝くむくろにおおわれて、さながら銀河のように見える〉。
むろん幻想の世界の出来事である
▼昔なつかしい蛍が、日本各地でよみがえりつつある。
喜ばしいことと昨夏の小欄に書いたら、案じる手紙をもらった。
遠隔地の個体を安易に放流すると遺伝子が交雑する恐れがあるのだという。
似た指摘が先日の小紙にも載っていた
▼個体を弱めたり、生態系を壊したり、様々な心配があるそうだ。
思えば蛍にかぎらない。
自然を一度損なえば、元に戻すのは不可能に近い。
葉っぱ一枚自力では作り出せぬことを、人間は謙虚に自覚すべきなのだろう
▼人の営みは多くの生き物を追いつめてきた。
各地によみがえった蛍は、人間の近代への猛省を訴えているようでもある。
〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉池田澄子。
五月闇にゆれる光に、人に生まれたわが責務を問い直してみる。
蛍は見かけることが少なくなってきている。農薬のせいなのか。何処でも昔は見かけて蚊帳の中に放ち
遊んだものである。
茨城県つくば市の花(か)き研究所が、
ユリの香りを抑える技術を編み出した
平成21年7月5日の天声人語よりの引用
つぼみがほころぶ様を、少し気取って花笑みと言う。
笑う、の形容がぴったりなのは今が盛りのユリとされる。
そり返って開く大ぶりの花からは、ドレスを翻して微笑(ほほえ)む女性が浮かぶ。
〈百合(ゆり)ひらく匂(におい)袋を解くやうに〉南千恵子
▼揺れる衣装から、甘い霧が広がる。
清楚(せいそ)に、はたまた妖艶(ようえん)に、むせるような芳香はこの植物の本性であろう。
だからこそ、お見舞いの花束から外され、飲食の席にも飾りにくい
▼それではと、茨城県つくば市の花(か)き研究所が、ユリの香りを抑える技術を編み出した。
においの生成を妨げる薬剤を水に溶かし、つぼみ段階の切り花に吸わせる。
こうして咲かせた花のにおい成分は、通常の8分の1、人がほぼ感じない程度に収まったという
▼満面の笑みを「香水抜き」で楽しみたい向きには朗報である。
におい消しの費用は切り花1本につき1円以下というから、十分商売になりそうだ。
贈り物や冠婚葬祭での人気を見込んでか、すでに産地から問い合わせがあると聞く
▼野生の香りは鮮烈で、これからが花時のヤマユリあたりは、目より鼻で気づくことがある。
本来の自己主張をうまく丸め込む工夫は、何ごとも控えめをよしとするこの国らしい。
「好かれる花」を創(つく)るための技と執念には感服する
▼一方で微香のユリには、ノンアルコールの「ビール」にも似て、あるべきものを欠いた哀感が漂う。
例えれば、真ん中に穴が開いたような寂しさである。
つい、体臭や脂気に縁のない、すべすべの男性を思い浮かべては「草食系」の皆さんに怒られようか。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
87年、24歳の高校教諭だった俵万智さんの第一歌集『サラダ記念日』は
社会現象になった
平成21年7月6日の天声人語よりの引用
家に近い小学校の渡り廊下に「創立120周年おめでとう」とある。
正面の100円ショップには「おかげさまで10周年」の張り紙。
この商店街の放送によると、買い物スタンプが15周年を迎えたそうだ
▼思えばいつも何かの年、何かの日である。
祝日や時候の節目のほか、誰かの誕生日や命日、過去の出来事が365日を埋め尽くす。
今日も何かを懐かしみ、思いを新たにする人がいるだろう
▼〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉。
87年、24歳の高校教諭だった俵万智さんの第一歌集『サラダ記念日』は社会現象になった。
ありふれた日常、平凡な言葉が文芸になると知り、超私的な祝日があると教わった
▼俵さんが実際にほめられたのは、サラダではなくから揚げだという。
後年、高校生たちに明かしている。
「ごちそうでなくてもおいしく感じさせるのが恋の力。
短歌では、心の本当を伝えるための、言葉のうそが許されます」
▼彼女の〈恋という遊びをせんとや生まれけん〉は、〈かくれんぼして鬼ごっこして〉と結ぶ。
見つかるほどに身をかがめ、つかまる速さで逃げてみる。
そんな戯れの中からも、忘れ得ぬ日が一つ二つと残っていく。
「心の本当」を忘れぬよう、人は月日という目次をつけて記憶に刻み込むらしい
▼思い出だけで生きられはしないけれど、人生の目次から再生した感動が、己を励ますことはある。
それが大切な出会いでも、から揚げでもサラダでもいい。
ぬかるむ日々になぜか巡り来る、記念日という飛び石に救われる。
俳句も短歌も作りたい思いはあるが,まず一歩が出ない。俵満万智さんの短歌には違和感がある。
万葉集なみの短歌は大変だ。昔の人たちの方が心豊かに生活されていたのかどうか。
いまの永田町には「ツラで飯を食いたい」面々が目立つようだ
自らの顔ではなく「党の顔」で、である
平成21年7月7日の天声人語よりの引用
のちに大スターになる三船敏郎は、当初は俳優ではなく撮影部の志望だった。
曲折があってニューフェースに回されたという。
「男のくせにツラで飯を食うのは好きじゃない」と、本人はふてくされていたそうだ。
豪胆で売った役者らしい逸話である
▼ひるがえって、いまの永田町には「ツラで飯を食いたい」面々が目立つようだ。
自らの顔ではなく「党の顔」で、である。
選挙を前に、少しでも有利な「顔」を欲してうごめく。
そんな「麻生降ろし」を国民は冷ややかに見ていることが、小紙の世論調査でわかった
▼小選挙区制になって「党の顔」の重みは増した。
器量の良し悪(あ)しは気になろう。
だが去年の秋、麻生氏を選んだのは他ならぬ自分たちだ。
なのに損得ばかりを天秤(てんびん)にかけ、右往左往するさまは、情けなく映っているに違いない
▼だが首相の苦境も覆いがたい。
人事権と解散権という「二本差し」のうち、前者は、抜いてはみたが錆(さ)びて満足に切れなかった。
後者は、もはや飾りの竹光のようにも思われる。
静岡県知事選を落とし、東京都議選いかんでは立ち往生が待っている
▼一方で、民主党の顔、鳩山代表も不可解な「故人献金」で化粧がはげた。
「国民は民度に応じた政府しか持てない」という箴言(しんげん)に、ため息をつくしかないなら、国民はやりきれない
▼「党首力」は軽くはなかろう。
だがツラに話を戻せば、「他人の顔で相撲は取らぬ」ぐらいの気概が若手議員にはほしい。
目先のことに汲々(きゅうきゅう)とする政治屋か、否か。
有権者の目は、そんな所にも敏感である。
解散権は行使されたがお終いのようで,竹光で政権交代は確実のようだ。
まだ日本は捨てたものでない。
政治家達は国民に向かい大いに競い合ってもらいたいものだ。健全な姿である。
歴史はときに人を選び
悔恨の深い役割を担わせることがある
米国の国防長官としてベトナム戦争を指導した
ロバート・マクナマラ氏も、そんな1人だったのではないか
平成21年7月8日の天声人語よりの引用
歴史はときに人を選び、悔恨の深い役割を担わせることがある。
米国の国防長官としてベトナム戦争を指導したロバート・マクナマラ氏も、そんな1人だったのではないか。
93歳の訃報(ふほう)が首都ワシントンから届いた
▼1960年代の国際ニュースに、最も登場した1人だろう。
40代で自動車大手フォード社の社長に上りつめ、ケネディ大統領に請われて国防長官に就いた。
統計にもとづく冷徹な合理主義者で、自信家でもあった
▼逸話が残る。長官時代、
自分への説明は文書で提出せよと命じた。
わけを聞く側近に、こう答えたそうだ。
「彼らが話すより自分で読む方が早い」(『ベスト&ブライテスト』)。
その俊秀が、生身の戦争を前に、誤りと過ちを繰り返すのは周知の通りだ
▼本格介入から泥沼化へ。
「マクナマラの戦争」とも呼ばれたこの戦争で、おびただしいベトナム人が殺された。
米側も約5万8千人が命を落とす。
その傷はアメリカという国の心身を深々とえぐった。
後遺症は今なお癒えない
▼贖罪(しょくざい)の意味もこめてだろう。
晩年は沈黙を破り、回顧録やドキュメンタリー映画で「ひどい過ちを犯した」と率直に語っていた。
人生で得た教訓の一つが「人は善をなさんとして悪をなす」だったという
▼5年前、かつてベトナム反戦の中心だった母校カリフォルニア大バークリー校に招かれた。
そして「人類は20世紀に1億6千万人を殺した。
21世紀に同じ事が起きていいのか。
そうは思わない」と力を込めた。
深い悔恨をへてたどり着いた、重い確信だったに違いない。
ベトナム戦争は何のための戦争だったのか。多くの人命が失われたことと悲惨な生活を強いられた人々が多くいたことは
戦争に対する反省材料にならずに,懲りもせずに次から次に戦争が続いて現在に至っている。
ただ兵器産業従事者と戦争請負業者を富ませているだけで,何の益にもならずに戦争は繰り返されている。
もう20年も前、中国の新疆ウイグル自治区を訪ねたとき、
ウイグル族に対する漢族の蔑(さげす)みをしばしば感じた
平成21年7月9日の天声人語よりの引用
もう20年も前、中国の新疆ウイグル自治区を訪ねたとき、ウイグル族に対する漢族の蔑(さげす)みをしばしば感じた。
たとえば取材車の運転手は、「連中を乗せると車が羊くさくなる」と同乗させるのを拒み続けた。
ウイグル人は羊の肉を常食するからだ
▼あるいは自治区政府の役人は、「仕事で彼らと組むのはごめんだ。
結局、自分の仕事が2倍に増えるだけ」と渋面を作った。
ウイグル人は怠惰で、責任感も乏しいという悪口である。
支配者然とした優越意識が鼻についたものだ
▼抑圧された民族感情の渦巻くこの地は「シルクロードの火薬庫」とも呼ばれる。
そこがまた火を噴いた。炎は大きい。
胡錦濤(フー・チンタオ)主席はサミットへの出席を取りやめ、急きょ帰国した。
去年のチベットといい、封じるほどに噴き出す中国の少数民族問題である
▼死者は少なくとも150人、負傷者も合わせれば千人を超すという。
自警団さながらに、こん棒やパイプを持ってデモをする漢族の写真が紙面にあった。
憎悪の充満した一触即発の危うさが、遠い地から伝わってくる
▼古くから漢族は、西域にエキゾチックな宝物を求めてきた。
現代の宝は豊かな地下資源だという。
政治を仕切り、富を求めて増え続ける漢族に向くウイグル人の反感は膨らんでいる
▼この自治区には『西遊記』にも登場する、「炎の燃えさかる火焔山(かえんざん)」がある。
孫悟空が芭蕉扇(ばしょうせん)であおいで炎を消す場面は名高い。
ひるがえって今回の騒乱である。
民族の声たる炎を、中国政府が力ずくの弾圧という「扇」で消すことがあってはなるまい。
ウイグル人の独立がどうしてできないのか。ソ連邦が解体してロシアとしてまとまって政治がなされている
先例があるのに どうしてなのだろうか。
中国は大変広い国家で維持が大変だと思う。
東西冷戦まっただ中の、軍拡競争の時代である
平成21年7月10日の天声人語よりの引用
送っていただいた詩集をめくっていたら、「地球の最後」と題する一作に目が止まった。
1960年代に、長崎県の小学校5年生が書いたという短い詩である。
〈地球の、最後は、きちがい地球。
万の星が、ばか地球と、よんだ〉
▼東西冷戦まっただ中の、軍拡競争の時代である。
子どもの想像力で核軍拡の愚かしさを表現したのだろう。
全人類を何回も殺せるほど核兵器を作り、互いの国民を人質に取り合って、ボタン戦争の恐怖に地球はおびえていた
▼そんな狂気を過去の逸話にする、大きな一歩になるだろうか。
イタリアで開催中のサミットで「核なき世界に向けた状況をつくることを約束する」とした首脳声明がまとまった。
オバマ米大統領の唱える核廃絶に、また一つ弾みがついた格好だ
▼前途は容易ではない。だがオバマ氏の存在感に、やはり政治は言葉だと思う。
「核を使用した唯一の国として行動する道義的責任がある」という演説を源に、軍縮の川は流れ出した。
その川幅は広がり、水量は増えつつある。涸(か)らすことがあってはなるまい
▼サミットに集う首脳に、スウェーデンの首相だった故パルメ氏を思い出す。
80年代に広島を訪ねて大きな衝撃を受け、言葉を残した。
「国際的に責任を負う国の政治家は、政権を担当したら、すべからくヒロシマを訪れるべきである」と
▼核兵器を使われた国の代表として、麻生首相は首脳たちに被爆地訪問を求めてくれただろうか。
「キノコ雲の下」を知ることで、遠い目標をめざす足の運びは、より確かになるに違いない。
子供には真実を見るまっさらな目がある。
老いと道づれ、あるがままにという、
人生の達人らしい肩の力の抜けようがいい
平成21年7月11日の天声人語よりの引用
鍋にせよ万年筆にせよ、使い込んだ道具には、体の一部になったような安定がある。
愛着もわく。
同じことが「人生」にも言えるようだ。
作家の田辺聖子さんが老いの日々を、「人生そのものが、ようく使い込んで身に合ってきた」と書いている(『楽老抄』)
▼六十路の後半の一文である。
その年の夏には、もらったうちわに「老いぬれば メッキもはげて 生きやすし」としたためたそうだ。
老いと道づれ、あるがままにという、人生の達人らしい肩の力の抜けようがいい
▼それに一脈通じよう、「ウイズ・エイジング」という考え方を先ごろの小紙で知った。
加齢に抗する「アンチ・エイジング」の逆で、訳せば「老いとともに」となる。
高齢医学が専門の杏林大教授、鳥羽研二さんが提唱している
▼若さは素晴らしい。
だが年を取るのも悪くない。
顔のしわは年輪の証し。
記憶力は衰えても、季節や身辺への感性はむしろ豊かになる。
鳥羽さんによれば、70歳の語彙(ごい)は20代の2倍以上もあるのだという
▼〈厚顔可憐(かれん)の老境は はじめてきたが おもしろい……〉。
90歳になった漫画家やなせたかしさんは、近著の『たそがれ詩集』(かまくら春秋社)につづる。
老化をむやみに嫌ったり落胆したりせず、かといって背も向けない。
鳥羽さんの理念に通じるものがあろう
▼一つの言葉から膨らむイメージがある。
「アンチ」と尖(とが)らぬ「ウイズ・エイジング」の穏やかさは、深まりゆく人生への敬意も呼びさます。
高齢社会のきびしい現実の中でこそ、広まってほしい言葉である。
高齢になっての社会は厳しい。体力の弱りと同時に子供達から厄介者扱いされるている家族が増えている。
此れまでのお年よりは大切にしようとの風潮がガラリと戦後変わり実用社会になってきている。
有用でないものは捨て去るアメリカの実用主義が主流になった結果,日本の伝統的考えは捨て去られてきている。
麻生首相の笑顔はバネ仕掛けを思わせる
かの国には〈敵なら自分で守れるが、
友の裏切りは神に防いでもらうしかない〉
という意味の格言があるそうだ
平成21年7月12日の天声人語よりの引用
麻生首相の笑顔はバネ仕掛けを思わせる。
まさに破顔一笑、記者に囲まれた渋面とは主が違うかのようだ。
周囲の状況がこれだけ悪くなっても、その笑顔は形状記憶合金のごとく緩みがない。
先のイタリアでも内憂そっちのけで弾(はじ)けた
▼かの国には〈敵なら自分で守れるが、友の裏切りは神に防いでもらうしかない〉という意味の格言があるそうだ。
政界には神も仏もいないのか。
つい10カ月前、その笑顔を買って選挙の顔に据えた自民党内で、本人の留守に「麻生おろし」の大合唱である
▼この党の関心は今、衆院選の負けをいかに小さくするかにある。
きょう投開票の東京都議選で負ければ、麻生首相による解散・総選挙だけは阻もうという勢力が一気に動き出す気配だ
▼とはいえ、無理やり看板を掛け替えては世論がさらに離れかねない。
都議選を受けて自発的に退いてくれないかと、虫のいい期待が膨らむゆえんである。
だが首相は、結果にかかわらず政権にとどまる意向を示した
▼悪い友と交わるより孤独がまし、という。
首相が意地を通すなら、野党が喜ぶ早期の「やけくそ解散」だろうか。
ここは思案のしどころ、好きなだけブレたらいい。
トップの覚悟のほどを試しながら、夏の政局は佳境に入る
▼昭和前期の哲学者、三木清の『人生論ノート』にこんな一節がある。
〈孤独は山になく、街にある。
一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にある〉。
サミット外遊という山にしばし逃れて、風雲急の東京に戻った麻生さん。
笑顔の下の孤独も正念場を迎える。
麻生首相は漫画が好きだけに基礎学力に欠けている。世渡り術は遺伝と家庭的環境でもって抜群だが
人間性に欠落する所が見かける。テレビ 新聞などを見ての感想的判断である。
日本国の代表としてはふさわしくない人物のように思う。
都議選は民主党の圧勝、自民党の大敗で終わった。
平成21年7月13日の天声人語よりの引用
太田道灌(どうかん)が築き、徳川幕府が本拠とした江戸城は、長らく権威と安定のシンボルだった。
大政奉還の後、西郷隆盛と勝海舟らの交渉で無血開城となる。
皇居に転じたこの城の名からまず浮かぶのは、徳川の平穏や沈滞より、維新の転変と活力である
▼昨日の朝日川柳に〈江戸城に火の手上がるか十二日〉の一句があった。
東京都議選で民主党への期待が燃えさかれば、衆院選でいよいよ「大政」が動くとの見立てだろうか。
なるほど、本丸を焦がす炎は高い
▼都議選は民主党の圧勝、自民党の大敗で終わった。
世論の揺れを柔らかく示す中選挙区が中心でこれだから、
小選挙区主体の衆院選では、それぞれの勝ち負けに一層のメリハリがつきそうだ
▼江戸城ゆかりの千代田区。
1議席を争い、6月に手を挙げた26歳の民主新人が、7期目を目ざす自民の古参に競り勝った。
無党派層が厚い首都の有権者は、政治の曲がり角では鋭く反応するらしい。
都議選は何度か国政選挙の「予告編」を演じてきた
▼「本編」の結末を変えたい自民党。
早速、民意のマグマの何割かを生成した麻生首相への風当たりがきつい。
しかし看板を改めるエネルギーが残っているのなら、さっさと政権公約をまとめ、政策で迎え撃つ準備を急いではどうか
▼道灌は、主君が放った刺客に倒れた。
歌道に通じた武将の辞世として知られるのは〈かかる時さこそ命の惜しからめ/かねてなき身と思い知らずば〉。
あまりの沈着ぶりから創作説もあるが、この潔さが武士道のかがみとされる。
政権党の覚悟やいかに。
麻生首相が自民党陣営に廻った結果も加わっている。
離島では他の自民党候補が何十年続いた候補が敗れたにも拘わらずに当選できたのは
麻生首相が応援に来なかった賜物かもしれない。
総選挙で麻生首相に来援を頼む陣営があるかどうか。?
都議選のあまりの負けっぷりに、麻生首相が先送りをのんだらしい
さて、この「解散宣言」で麻生おろしは収まるだろうか
平成21年7月14日の天声人語よりの引用
先日の小欄で、毎日が何かの記念日だと書いた。
フランス革命が始まった7月14日、仏語の〈キャトールズ・ジュイエ〉は月日が一つの固有名詞になっていて、きょうが220周年になる
▼革命というほどの激変はなくても、次の衆院選の投票日は長く語り継がれる日になろう。
ようやく8月30日に定まったという。
都議選のあまりの負けっぷりに、麻生首相が先送りをのんだらしい。
さて、この「解散宣言」で麻生おろしは収まるだろうか
▼ともあれ、総選挙の日程が固まり、政治家もそうでない人も予定を立てやすくなる。
在京のフランス人外交官が「8月上旬の投票だと夏休みがつぶれる」と、気をもんでいたのを思い出した
▼何の日取りにしても、定まるまでが落ち着かない。
例えば、伝えられるキリンとサントリーの経営統合である。
日本産業史に太字で記されるべき業界再編も、実現までにいくつもの交渉が待っていよう。
とりあえず乾杯、とはいかない
▼あまたの出来事のひと握りが、共通の時代体験として歴史に刻まれる。
新聞のコラムに務めらしきものがあるとすれば、年表には縁のない喜怒哀楽をすくい上げることかもしれない。
大ニュースを論じるだけでなく、ささやかでも「値するもの」を書き留めていきたい
▼すでにお気付きの方もあろうが、本日から小欄の左下に日付が添えられている。
切り抜く時に便利なようにと、前々からご要望が多かったものだ。
ではこれが切り抜くに値する内容だったかと、いつもの通りおしまいの行に来て反省しきりである。
自民党的な悪い部分をもつ小沢氏が民主党にいることを危惧する。
本人は変るといっているから変ってもらわないと国民は民主党を選んでも大変だ。
麻生さんは自分でさっさと解散を決め負けっぷりを自慢するようになっている。
我が侭な独裁的人間がトップにいると国民は大変迷惑する。
きょうの早暁、福岡市は博多祇園山笠のクライマックス「追い山」にわく
平成21年7月15日の天声人語よりの引用
干からびたアジサイが、けだるく陽光の下にある。東京の梅雨明けを昼ニュースで知った。
明けたから暑いのか、暑いから明けるのか。
いずれにしても、停滞前線の弧はちぎれ、真夏のカレンダーが動き出す
▼きょうの早暁、福岡市は博多祇園山笠のクライマックス「追い山」にわく。
豪壮な山車(だし)を担ぎ、5キロの街路を駆け抜けるチームプレー。
沿道からの勢(きお)い水がアスファルトを黒くぬらし、夏も本番である。
〈山笠(やま)舁(か)けば男の匂(にお)ひ少年に〉石田哲朗
▼博多に住んだのはもう二十数年前だが、大太鼓の連打の中、櫛田(くしだ)神社を走り出る山笠の迫力は耳目を離れない。
水法被(みずはっぴ)に締め込みの「のぼせもん」たちは、同性の目からもぞくっとする色気を放っていた。
夏の祭りは体で感じるものらしい
▼まったくの私見だが、この時期の思い出は冬のそれより鮮明に、べったりと残る気がする。
独断を重ねれば、夏の出来事はそのまま五感にやきつけ、冬のは日記にとどめるのがふさわしい
▼振り返ると、気力充実の年は「行動の夏」が待ち遠しく、逆の年は「思索の冬」が恋しかったようにも思う。
同様に、浮かれた日は青空がうれしく、沈んだ日は優しい雨に癒やされたい。
時候と心持ちの関係はなんとも奥深い
▼気象庁によると、しばらくは曇りや雨の日もあるが、8月にかけて晴れの日が増えるという。
局地予報では、東京の永田町かいわいが暑苦しくなりそうだ。
行動の人も思索の人も、国民すべての明日にかかわる「祭り」を終幕に据えて、五感どころか歴史に残る夏が始まった。
祇園祭は京都にもあるが博多の祇園祭は叉違った趣のもののようで日本中で多くの祇園祭のあることを知った。
日本の鉄道は概して口数が多い。
平成21年7月16日の天声人語よりの引用
国鉄がJRになった頃だと思う。
「長らくのご乗車、ご退屈さまでした」という車内放送にずっこけたことがある。
そこまでへりくだるかと、妙な同情を覚えたものだ
▼日本の鉄道は概して口数が多い。
「駆け込み乗車は危険です」「白線から離れてお歩き下さい」「より多くの方が座れますよう」と絶え間なし。
客に小言を垂れながらのサービス業も珍しい。
低学年を受け持つ先生の声が大きくなるように、それだけ「聞き分けのない子」が多いのだろう
▼悪いのは聞き分けのみならず。
大手私鉄やJRなど23社によると、08年度、客から鉄道係員への暴力行為が過去最悪の752件あった。
私鉄は前年度比29%増である。
深夜が多く、加害者の58%が酒を飲んでいた
▼忘れ物を早く見つけろと殴り、乗り遅れたぞと打ちのめす。
さしたる理由もなく、いきなり手足が出る例が多い。
駅員の制服は「公共」の象徴にして、ただいま勤務中の目印だ。
その前では、おれは客だという優越感が不当に膨らみやすい
▼精神科医の香山リカさんが『キレる大人はなぜ増えた』(朝日新書)で書いた通り、カチンときたら容赦なく注意に及ぶ人が増えた。
それも「わかり合うためにではなく、あくまで自分の怒りを伝えるため、謝罪を導き出すため」に。
その先に暴力がある
▼夜の通勤電車は、体面や建前を脱ぎ捨てる「心の更衣室」でもある。
だらしなくボタンを外したストレスが、何かの拍子で手頃な標的に暴発する。
対話不能の酔眼を思えば、駅員の「多弁」ぐらい喜んで聞き流したい。
確かに車掌のアナウスは多いが人により少ない人もいる。親切なことともとれるのではないだろうか。
広島出身の三宅さんは、ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で
自らの原爆体験に触れ、
オバマ米大統領に平和記念式への出席を呼びかけた。
平成21年7月17日の天声人語よりの引用
世界を舞台に活躍する日本人は多いが、広く名の知れた人となると限られる。
そのうえ地位に安住せず、発信力を次代のために使おうと発起する人は少ない。
デザイナーの三宅一生さん(71)は、その道を選んだ
▼広島出身の三宅さんは、ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で自らの原爆体験に触れ、オバマ米大統領に平和記念式への出席を呼びかけた。
〈未来の核戦争の芽を摘むことが大統領の目標であると世界中に伝えるには、それが最上の方策と思うからです〉
▼あの日、三宅さんは7歳だった。
〈炸裂(さくれつ)した真っ赤な光、直後にわき上がった黒い雲、逃げまどう人々。
すべてを覚えています〉。放射線を浴びた母親は3年後に亡くなった
▼ヒロシマの残像は〈心の奥深くに埋もれさせていた〉という。
「原爆を知るデザイナー」と安易にくくられたくなかった。
そんな三宅さんを、「核兵器を使った唯一の国として、核なき世界を目ざす」というオバマ演説が動かす。
自分も発言すべきだと
▼破壊を憎んでのことだろう。
三宅さんは服づくりに美と喜びを追い求め、「一枚の布」の考えで東西の違いを超えてみせた。
芸術性に富み、産業のためではなく人が生きるためのデザインは、世界から支持された
▼投下目標が少し違えば、服飾の革命家は七つで消えていたはずだ。
同じ朝、それぞれの夢を抱えて大きく育つべきいくつもの命が、一瞬にして失われた。
生かされ名を遂げ、「通る声」を持つに至った者の訴えはひときわ重い。
「イッセイ・ミヤケ」だけができる仕事である。
原爆投下はアメリカの恥だと思える世の中にならない限りに地球が破滅するくらいの核戦争が必ず勃発することになる。
原爆投下は人間として許すことが出来ない残虐な行為で且つ恥しい行為であった。
戦争は何でもありの世界で゜勝者が敗者を罰する行為は有史以来行われ続けられている。
21世紀で最長、約6分半の皆既食が4日後、南西諸島などで起きる
平成21年7月18日の天声人語よりの引用
平安期の歴史書に皆既日食の記述がある。
〈墨の色のように光なく、鳥の群れが乱れ飛び、多くの星が現れる〉。
都人を驚かせた朝の異変は975年8月10日、太陽は午前7時45分8秒から完全に隠れたと、今の科学が突き止めている
▼そんな話題を『完全ガイド皆既日食』(朝日新聞出版)で紹介した武部俊一さんは、皆既の愉悦を「天と地と人の一体感」とする。
「宇宙の中にいる自分をこれほど実感させてくれるものはない」
▼21世紀で最長、約6分半の皆既食が4日後、南西諸島などで起きる。
日本の陸地から拝めるのは46年ぶり、次は26年先とあって、島々に渡る「観測客」は2万人を超すとみられる。
この週末から天気図が気になろう
▼99年夏の皆既食をフランスで見た
。「日食渋滞」の中、トイレを我慢して車で皆既帯に滑り込んだ。
草原を貫く道に停車してほどなく、ゴーと音がするように暗くなった。
鳥が飛び立ち、雲間から黒い太陽がのぞく。
神々しい天の消灯。
闇に甘えて用を足した
▼月の400倍の直径を持つ太陽が、約400倍のかなたにある。
この奇跡が二つの球体の見かけの大きさをそろえ、月が日にぴたりと重なる時が巡り来る。
創造主からの贈り物と言われるゆえんだ
▼こざかしい性善説、性悪説の及ばない大宇宙の営みである。
一方に、ちっぽけな人間がいる。
この生き物、自由にならぬものはないと勘違いし、理性を忘れて破壊に浪費、やりたい放題。
主はたまに昼の光を奪い、小さな星の支配者を戒めるのだろう。
効き目のほどは知らない。
日食の日は生憎の曇りの日で見ることができなかった。昔の人たちにとっては神秘的な現象だったと想像する。
現在では曇りでも雲の上の飛行機の中から観察できる。テレビでは見た人たちは沢山おられることだろう。
臆病者と言われる勇気を持て」という格言が
航空界に広まっていった
平成21年7月19日の天声人語よりの引用
悪天下に河原でキャンプをしていた十数人が増水した川に流される惨事が、10年前の夏休みにあった。
そのとき小紙夕刊のコラム「窓」に、航空界で語り継がれてきた「臆病者(おくびょうもの)」の話を書いたのを、
北海道・大雪山系での遭難を聞いて思い出した
▼1966年、日本の空は大事故が相次いだ。
3月にはカナダの旅客機が濃霧の羽田への着陸に失敗して炎上し、64人が犠牲になった。
その事故の直前に、羽田への着陸を断念して福岡に向かった日航機があった
▼ハワイから飛んできた瀬戸号である。
降りるにはぎりぎりの気象だった。
2度着陸を試みたが滑走路がよく見えない。
安全に自信の持てなかった機長は行き先を変更する。
東京を目の前にしての事態に、乗客からは落胆の声が上がったそうだ
▼福岡での入国手続きが手間取ったために不満は募った。
だが、機内で待たされてロビーに出た乗客はそこで、炎上するカナダ機のテレビ映像を目にする。
不満は一転して機長への感謝に変わっていったという
▼そして、「臆病者と言われる勇気を持て」という格言が航空界に広まっていった。
人間や、人間の造った文明をひねりつぶすことなど、自然には造作もない。
空に限らず海でも山でも、謙虚な勇気が必要な時は少なくないはずだ
▼あすの「海の日」へ続く連休で、今年も夏休みシーズンの幕が開いた。
北海道の遭難は悪天をついての強行が大きな原因と聞く。
今年だめでも山は逃げず、海も逃げない。
臆病なほど相手の機嫌をうかがう構えが、自然との遊びには肝要である。
飛行機のの操縦者は大勢の人の命を預かっていることで,慎重に慎重に行動して欲しい。
92歳で亡くなったW・クロンカイト氏
米テレビの黄金時代を代表するキャスターで、
世論調査では大統領をさしおいて
「米国で最も信頼される男」にしばしば選ばれた人物だ
平成21年7月20日の天声人語よりの引用
92歳で亡くなったW・クロンカイト氏の名を知る日本人は多くないかもしれない。
米テレビの黄金時代を代表するキャスターで、世論調査では大統領をさしおいて
「米国で最も信頼される男」にしばしば選ばれた人物だ
▼ケネディ大統領の暗殺を伝える姿が記憶に残る。
「言葉にならない」と眼鏡を外して涙をぬぐった。
感情をあらわにしたことに批判も出た。
だが、氏は後に「恥じてはいない。
次の瞬間には感情をのみ込んで平常に戻った。
むしろそれを誇りに思う」と語っていた
▼1960年代がまた一つ遠ざかったように思う米国民は、少なくないだろう。
ケネディの「遺産」でもあった69年の月到達を、27時間におよぶ実況放送で伝えたのも氏だった。
きょう(米時間)の着陸40周年を前にしての死去は、どこか感慨が深い
▼思えば米国は有人飛行でソ連に後れをとった。
「月をめざす」とケネディが語ったとき、まだ地球を回る軌道にも人を送っていなかった。
絵空事として聞いた人もいたことだろう
▼アポロ計画の映像を見ると、軌道の修正にまだ計算尺を使っている。
にもかかわらず人類は、ガガーリン少佐の初の宇宙飛行からわずか8年で月に立った。
それは、冷戦という軍拡競争のはざまに咲いた花でもあった
▼クロンカイト氏に話を戻せば、月着陸は生中継による世界注視の冒険だった。
氏の声を聞きながら愛国心を高め、月面の荒涼に地球の豊かさを再認識した米国人も多かったに違いない。
時代への郷愁とともに胸に刻まれるであろう、稀有(けう)な放送人だった。
クロンカイト氏は知らない。日本にも有名なアナウサーはいるが外国人には知られることは少ないに違いない
月面着陸のテレビ中継放送はみている。
勝たねば存在が揺らぐのは、国会議員も同じである
麻生首相がようやく衆院を解散し、
とりあえず全議員が「ただの人」になった
平成21年7月22日の天声人語よりの引用
テニスの大御所、マルチナ・ナブラチロワさんの至言とされるものがある。
〈勝ち負けは重要でないと言うのは、たいてい負けた方ね〉。
プロなら優勝や賞金の多さを誇るべきで、真剣勝負の修養やら何やらは二の次というわけだ
▼身もふたもないが、四大大会の女子シングルスを18回制した人の意地だろう。
勝たねば存在が揺らぐのは、国会議員も同じである。
麻生首相がようやく衆院を解散し、とりあえず全議員が「ただの人」になった
▼敗れるのも人生修行というおめでたい政治家はいない。
では、麻生おろしで「あんたじゃ大負け」と息巻いた議員らは、いかなる感情と勘定の下に沈黙したのやら。
赤じゅうたんに戻るという個々の執念は、巨大政党を内から崩しもすれば、折れかけた柱にしがみつかせもするらしい
▼無理やり「ガンバロー」で収めたような議員懇談会に、傾きかけた企業の株主総会を思った。
はたして立て直すエネルギーは残っていようか。
結党54年。
人気知事が連発する「自民党さん」が「自民倒産」に聞こえるこのごろだ
▼とはいえ今の自民党は、民主党が繰り出す「心地よい政策」を問いただす役回りを期待されている。
野党になる練習とは言わない。
政策を競わず、磨き合わずして二大政党の意味はなかろう
▼7月解散、8月選挙は戦後初めてとなる。
政権を選べる未体験イベントには、受け身の観衆ではなく、無名でも有権者というプレーヤーで参加したい。
待ちくたびれ解散を、夏だれ選挙にはしまい。
約4年ぶりに手にしたサーブ権である。
一番最悪の時期に解散している。仕方ないことで自民党員が選んでのことで゛いまさら誰に代わっても良いくらいに
長年にわたり自民党は政権を維持し続けてきた。
政治家として麻生さんは立派だ。国民の為には良いことをしている。
国内で46年ぶりの皆既日食が南海の島々を駆け抜けた
平成21年7月23日の天声人語よりの引用
東京駅での目撃証言が推理の鍵になるのは、松本清張の代表作「点と線」だ。
多くの列車が出入りするため、13番線ホームから15番線を見通せるのは一日で夕刻の4分間のみ。
名高い時刻表のトリックである
▼4分とは言わない、雲よ1分だけでも切れてくれ。
そんな叫びを引き連れて、国内で46年ぶりの皆既日食が南海の島々を駆け抜けた。
真昼に忍び込んだ「短い夜」を大勢が体感し、はしゃぐ子どもらの目撃談は何代も語り継がれることだろう
▼しかし、最長6分半の闇が待たれたトカラ列島悪石島(あくせきじま)は無情の土砂降り、434年ぶりの上海も雨。
真っ暗にはなったが、ダイヤモンドリングやコロナの見せ場は厚い雲に阻まれ、見物ではなく観測に赴いた通たちを泣かせた
▼その日その時、太陽と月と地球の「点と線」は確かに奇跡を演じてみせた。
他方、雲は時刻表のない列車のごとし。
雲なりの理屈で広がり、天体ショーや人の都合にお構いなく空を覆った
▼気まぐれな停滞前線は、落胆どころか悲劇も呼ぶ。
山口県の豪雨は死者・不明17人の惨事となった。
7時間に1カ月分が降った防府市では、土石流が老人施設を襲った。
ひとつながりの天気図が、ある所で歓声を、別の地で嗚咽(おえつ)をもたらす
▼きょうは大暑。
満ちる夏を、芥川龍之介は〈兎(うさぎ)も片耳垂るる大暑かな〉と詠んだ。
すべてがだらりとする酷暑の候に、不意の大雨が見舞う。
一部で早々に明けた梅雨も、全国的には長っ尻らしい。
ほとんど何ごともなく終わった東京の曇天を仰ぎつつ、自然の御しがたさを思う。
皆既日食は見られることは人間として生まれてきて見る事が少ない出来事で,生憎に雨乃至曇りで残念だった。
キリンとサントリーの経営統合は、双方が縁談の存在を認め、
いわば衆目の中で煮詰める運びとなった
平成21年7月24日の天声人語よりの引用
酒と酒、酒と果汁などを混ぜ合わせるカクテル。
専門書にこうある。
「その組み合わせによって、ストレートにはない微妙な味、美しい色が誕生する……味を楽しむだけでなく、
作る楽しみもある」(花崎一夫『ザ・ベスト・カクテル』)
▼キリンとサントリーの経営統合は、双方が縁談の存在を認め、いわば衆目の中で煮詰める運びとなった。
未成年に例えてはなんだが、大柄な優等生と、クラスの人気者というところか。
「ストレート」でも十分いける、ぜいたくな組み合わせから、どんな味と色が現れるのだろう
▼キリンの加藤壹康(かずやす)社長が本紙の取材に、「両方ともいい企業文化がある」「統合すれば双方の強みがより強くなる」と語っている。
それぞれの持ち味を殺さずに強くなって、国際競争を勝ち抜く狙いらしい
▼20年前の担当記者としては不覚ながら、食品業界の1位と2位とは知らなかった。
穀物、総菜、調味料、菓子などをさしおいて、である。
お酒と飲料の市場は意外に大きい。
それだけ、生活に潤いを求める人が多いのかもしれない
▼〈肉体の疲労のときは、酒より甘いものが欲しくなる。
オツムとかココロとかがくたびれてくると、酒が欲しくなる〉。
しんみり吐露したのは、サントリー宣伝部から頭角を現した作家の開高健だった
▼世の中、せちがらいほど「水商売」の役割は大きくなる。
異質が溶け合い、楽しい会社と商品が生まれるのなら、飲んべえの一人として異存はない。
乾き物でもつまみながら、名も知らぬ一杯をカウンターの隅で待つとする。
世界で競争するための合併なのか,日本の中では大型同志の合併に思われる。
高齢運転者の「もみじマーク」が見直されるらしい。
平成21年7月25日の天声人語よりの引用
飲み屋あたりで、襟の社章を裏返している人がたまにいる。
有名どころに勤めている印も、夜は脱力を妨げる虫ピンだ。
わが酔態で企業イメージを損ねまいという、戦士なりの戒めもあろう
▼何であれマークには、二つの働きがある。
「知らせる」と「見分ける」。
前者の代表は、地位を表す議員や弁護士のバッジだろう。
周りの都合でつける後者には、多数の負傷者が出た現場で、治療の優先順位を4色で示す札などがある
▼高齢運転者の「もみじマーク」が見直されるらしい。
75歳以上に義務づけたものの、差別だと反発されて努力義務に戻したあれだ。
このドタバタで、「見分ける」ために社会に強いられている、という嫌悪がこびりついてしまった。
「私はけが人じゃないぞ」と
▼警察庁の聞き取りでも、枯れ葉のようで物悲しいとの意見が多かった。
そこで、高齢より運転歴の長さを強調したデザイン、ベテランドライバーが誇れて、知らせたくなるようなマークを秋にも公募する。
その上で今のと優劣を比べるという
▼しばらく前、横断歩道を渡ろうとして「もみじ」にひかれかけた。
他方、じれったいほど慎重な走りもあれば、渋いマナーに敬服することも多い。
個人差は大きいが、高齢者の安全運転は「衰え」を自覚することから始まる。
ここが肝要だ
▼新マークの印象は、色や形より、つけた車の走りっぷりで決まる。
事故が多発すれば、どれほど落ち着いたデザインも「危険車」の標識と化すだろう。
ろくでもない議員や弁護士がいるように、印は印でしかない。
年齢で一律に差別する政策は如何なものだろうか。常時乗っていないような人たちの方がはるかに危ない。
年齢でも個人差があり年だけで区別するのはやはり辞めておいた方が良い。
モミジのマ−クは何か寂しい気持ちにさせるところがある。初心者と同じマークではどうしていけないなのだろうか。
夏の暦は進んで、土のあるところ、様々な雑草の威勢がいい
平成21年7月26日の天声人語よりの引用
ドクダミは名前の響きで損をしている、と梅雨入り前の小欄に書いたら、名の由来などについていくつかの便りをいただいた。
拝読すると、あの小さな白十字の花は意外にファンが多いようである
▼思えば「雑草」とひとくくりにされる草の花には、素朴で可憐(かれん)なものが結構ある。
そして「雑草という草はない」と言われるように、どの一本も名前を持つ。
ドクダミなど序の口の酷な名もある。夏に茂るヘクソカズラはその筆頭だろう
▼漢字で書けば「屁糞蔓」。
葉をむしると悪臭がするからだが、白くて内側が赤い花は愛らしい。
オオイヌノフグリもかわいそうだ。
青い花は楚々(そそ)と澄まし顔なのに、実の形から「犬の股間の袋」と相なった。
花の精がいるなら、人の無粋にご立腹かもしれない
▼夏の暦は進んで、土のあるところ、様々な雑草の威勢がいい。
借りているわが畑では、抜いてもすぐに伸びて作物を脅かす。
かつて農家は「草に攻められる」と夏を呪ったそうだ。
汗だくの苦労に多少なりとも思いがおよぶ
▼だが、嫌われ者の雑草に温かい目を向けた人も多い。
草々を「地に潜んでいる生命の眼」と呼んだのは明治生まれの文人、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)だった。
草に現れた命ほど、謙虚で、素朴で、辛抱強いものはないと親しみを寄せた
▼〈つかの間に夏草胸を没しけり〉横光利一。
繁茂することのみに徹し、伸び放題に丈をなした様がまぶたに浮かぶ。
人が手塩にかけた花は美しい。
されど夏。
勝手に青い草々もまた、自然の生命力に満ちあふれた、美しい光景であるのに違いない。
夏になれば寒い時期が恋しくなり冬には暑い頃を懐かしむ。人間とは勝手なものなのか,自然の理なのか。
今を大切に生きる心に乏しい。
日本学校保健会が調べると、
今よりやせたいと思う女子高生は
9割近くにのぼっていた
平成21年7月27の天声人語よりの引用
身体の露出が増えるからだろう、夏の前にはダイエットをうたうサプリ類の売れ行きが伸びると聞いたことがある。
〈体重が増えしか水着が縮みしか〉前田千恵子。
万人の心にひそむ飽食時代の「恐怖」が、ユーモラスに透けている
▼だが、笑えない恐怖が昨今、若い女性の間に募っているらしい。
「やせ願望」が「食べることへの罪悪感」に近づいている深刻な実態を、先ごろの小紙が報告していた。
当たり前の成長なのに「太った」と悩み、食が細る10代もいるらしい
▼日本学校保健会が調べると、今よりやせたいと思う女子高生は9割近くにのぼっていた。
思いが高じたあげく摂食障害に悩む人もいる。
気づかぬまま陥っていることもあるというから要注意である
▼日本だけではない。
イタリアでは摂食障害が、若い女性に多い死因の一つになっているそうだ。
スペインでは、やせ願望をあおる細身の衣服を陳列せぬように、百貨店が申し合わせたと聞く。
ソフィア・ローレンのような豊満は、今は昔の美学になったのだろうか
▼「楚(そ)の荘王、細腰(さいよう)を好み、故に朝(ちょう)に餓人あり」と中国の『荀子』にある。
ほっそりした女性を好む王の寵愛(ちょうあい)を得ようと、娘たちは競って痩身(そうしん)術に励んだ。
そして餓死者が相次いだという故事である
▼現代の娘さんたちは、誰(た)がために身を細らせるのだろう。
関連する業界やメディアが作り流す「美」のイメージは、人工的で、生身の人間からは遠いように思われる。
「水着が縮んだのよ」と笑い飛ばすおおらかさが、周囲にも、彼女たちにもほしい。
肥満は健康の敵である。やせすぎも良くない。美容の為にやせ願望はいかがなものだろうか。
西日本につめ跡を残した大雨も、
入れ代わり立ち代わり、
この雲が現れたせいらしい
平成21年7月28の天声人語よりの引用
昼下がり、職場から南の空を望んだ。
かなたの入道雲を背景に、ジャンボ機がゆっくり羽田に降りてゆく。
青空に盛り上がる雲は真夏を語る景色である。
〈脱ぐシャツの中で笑ふ子雲の峰〉冨田正吉
▼「週刊・日本の歳時記」(小学館)で、入道雲を「上昇気流が生み出す夏の白い砦(とりで)」と記した俳人は長谷川櫂(かい)さんだ。
雲の峰の異称は、中国の古い文人画家が「夏雲(かうん) 奇峰多し」と詩に詠んだことから生まれたという
▼むくむくと光り輝く奇峰の群れは、しかし離れてこその絶景であって、「砦」の中は大荒れになっていることが多い。
積乱雲と言い直せば、なにやら耳奥で遠雷が鳴り出す。
西日本につめ跡を残した大雨も、入れ代わり立ち代わり、この雲が現れたせいらしい
▼地元の気象台によると、湿った空気が太平洋高気圧を回り込むように、九州北部の梅雨前線へと流れ込んだという。
いわゆる「湿舌(しつぜつ)」だ。
湿った空気を乗せた風が、対馬海峡あたりで東よりの風とぶつかり、活発な積乱雲が次々にわいた
▼空の水源を決壊させた雲の連なりは、気象衛星からは先細りの扇状に見える。
「にんじん雲」というかわいらしい名とは裏腹に、豪雨、突風と災いの巣である。
「舌の上のにんじん」には用心したほうがいい
▼窓外の連峰は夕立の中に消えたが、後で虹が出た。
この時期の空は千変万化。雨域は東へ北へと広がり、群馬では竜巻らしき突風が暴れた。
沖縄と北海道を除き、月内はすっきりしそうにない。
弱いとされる太平洋高気圧が前線を押しやるまで、ひと辛抱要る。
大雨による被害がアチコチから寄せられている。道路もとおれなくなり復旧には時間がかかりそうで
雨も適当に降ってくれればと願うが,自然には勝つことが出来ない。
雨が少ない時期の降雨は慈雨で昔から現在に至るまで雨を操作できない。
昔祈祷でもって雨を降らした話はどうして出来たのだろうか。
世界遺産の上にあぐらをかいたか、
良き伝統の陰であこぎな商売がはびこったとみえる
平成21年7月29日の天声人語よりの引用
野地(のじ)秩嘉(つねよし)さんの近著『ヨーロッパ食堂旅行』に、パリの料理店主の回想がある。
これがちょっといい。
その昔、店で一番安い定食を頼んだ米国人カップルが、書き置きを残したそうだ。
〈新婚旅行の食事のうち、ここのが最高でした〉
▼約30年の後、4人家族が高級ステーキを注文し、シャンパンを何本も空けた。
勘定でハネムーンの思い出に触れたので、もしやと店主、かねて保存の紙片を見せる。
夫婦は涙ぐんだという。
店と客の交わり、こうありたい
▼逆がローマの一件だ。
6月、さる有名店で昼食をとった日本人の男女が、約9万4千円も払わされ、警察に駆け込んだ。
パスタが2万8千円、勝手に上乗せされたチップが1万6千円ときては、旅情も何もない
▼その後の展開はさらに劇的だった。
150年の歴史を誇る店には営業停止の沙汰(さた)が下り、
観光大臣が「おわびに被害者をローマに招きたい」と発表した。
なにしろ日本の旅行者は90年代のピーク時からほぼ半減、政府も座視できないらしい
▼野地さんの本には、ローマの同業者の話もある。
「世界都市だったから、どんな人でも文化でも、受け入れたんだ」「店にくる客はみんな家族だ」。
世界遺産の上にあぐらをかいたか、良き伝統の陰であこぎな商売がはびこったとみえる
▼特別な日に外食するのは、単にプロの味を求めてのことではない。
親しい人や店員との語らい、厨房(ちゅうぼう)からのにおい、心地よいざわめきなどを、
私たちは思い出というお土産つきで買う。
かけがえのない空気と時間に、払い戻しは利かない。
日本の暴力バ-の如きが国際観光都市ロ−マで起きていることは嘆かわしいことだ。
日本も他山の石として観光の人たちには親切で 優しくあってほしい。
ロ−マ−はイタリアの首都である。キリスト教バチカンのある都市でも有る。
『貧乏物語』が世に出たのは大正の前期である
戦後の「教育機会の平等」を見通したような、明快な定義だろう
その大切な「平等」が、いま揺らいでいる
平成21年7月30日の天声人語よりの引用
『貧乏物語』が世に出たのは大正の前期である。
執筆した経済学者、河上肇の生誕から今年で130年と聞いて、手にとってみた。
時をへた古典だが、教えられることは多い
▼初めに「貧乏とは何か」について書かれている。
かいつまむと、「体や知能など、生まれ持った天分を伸ばしていくのに必要な環境を得ていない者は、すべて貧乏人と称すべきだ」とある。
戦後の「教育機会の平等」を見通したような、明快な定義だろう
▼その大切な「平等」が、いま揺らいでいる。
教育費が高騰し、親の所得格差も広がったためだ。
そこへ不況が追い打ちをかけている。
家計が許さずに学ぶ道を閉ざされる子が増えているという
▼深刻さは、きたる選挙の公約にも表れている。
民主党は高校教育の無償化を目玉の一つにすえた。
自民は就学援助制度の充実などを盛り込むそうだ。
寒さに凍れば、種は芽が出ない。
光と水の足りた環境を公的に支える決意は大切である
▼先ごろの小紙で、千葉大教授の広井良典さんが「人生前半の社会保障」という考え方を語っていた。
平等な教育機会や希望を、若い世代が奪われないための仕組みだという。
これまでの社会保障は人生後半に集中してきた。
それを年少者にも、という発想だ
▼『貧乏物語』で河上は、石川啄木の「働けど働けど……」の歌を引き、貧乏を「社会の大病」と言った。
その啄木は、教育を「時代がその一切の所有を提供して次の時代のためにする犠牲」だと書き残している。
故(ふる)きを温(たず)ねて、その先に見えてくるものがある。
確かに親の収入によって教育受けられるようになってきている。貧乏人は苦学して勉強していた時代もあった。
国公立大学は授業料が安くて奨学資金でアルバイトしながら卒業していったものである。
現在は国公立大学に入学できるのは親の収入が多い家庭のものしか入れなくなってきている。
7月の言葉から
平成21年7月31日の天声人語よりの引用
天体ショーの雲を恨み、暴れ梅雨に泣く。
北の夏山には魔物が潜むと知った。
どうにもならぬことに唇をかみながら、希望の糸をまさぐる7月の言葉から
▼風雨に邪魔された悪石島の皆既日食。
でも、島民70人は来島者と交流を深めた。
自治会長の有川和則さん(57)は、日食で名が売れた島に観光客が万来する日を待つ。
「今回見た顔をまた見られたら、こんなうれしいことはないね」
▼95年、東京都八王子市のスーパーで起きた女性3人射殺事件が、時効まで1年を切った。
高校生の娘を失った両親が談話。
「時効という言葉を聞くたびに心を締め付けられます……私たち家族にとっては、何年たとうとも、あの日から時間は止まったままです」
▼「命のほうは延長16回くらいまで来ているのかなあ」。
和歌山県の箕島高校を春夏4度の優勝に導いた名将、尾藤公(ただし)さん(66)は、04年からがんと闘う。
「命の延長戦に終わりはない。
この夏も高校野球から元気をもらいたい」
▼ゴルフ全英オープンに挑み、予選落ちした石川遼選手(17)。
「風にボールが負けたというより、僕の基本的な姿勢というのがこの風にはかなわなかった」。
かたや、米ツアーでの初優勝を飾った宮里藍選手(24)は「緊張している自分を含めて、うまくコントロールできました」
▼アポロ11号で人が月に到達して40年たった。
12号で続いたアラン・ビーンさん(77)は、画家として月の世界を描き続ける。
「月に行った者にしか描けないスピリットを描いて、人類は素晴らしいことができるんだと後世に伝えたい」
軍令部と戦争 国体護持
NHKスペ-シャルで3夜にわたって軍令部での幹部達によ反省会の記録が放送され,始めて軍令部の存在を知り
このような組織が戦時中にあって戦争を:計画・指導し遂行していったようだ。
この組織は政府を介さずに直接天皇の統帥権のもと天皇に直結した組織としてあったことである。
明治時代の頃は参謀本部と関係していたのが海軍に移っている。「海軍反省会」が催され
録音テ−プに収めて後世のための資料として残していたことがわかって来た。
NHKの放送では天皇のことには一切ふれていないが,「海軍反省会」ではあったのではないかと推測する。
なぜならば天皇直属の組織「軍令部」が天皇について言及していないのは不自然てあり不思議なことでもある
以下はインターネットのNHK番組よりの引用
太平洋戦争の開戦の鍵を握った大日本帝国海軍・軍令部である。
全ての基本作戦の立案・指導にあたり、絶大な権力を持った『軍令部』の実態は、
資料が殆どなくこれまで闇に包まれていた。
「海軍反省会」は戦後35年が経過した昭和55年から11年間、
海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合である。
70〜80代になっていた彼らは、生存中は絶対非公開を条件に、
開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなどを400時間にわたって仲間内で語っていた。
戦争を避けるべきだと考えながら、組織に生きる人間として「戦争回避」とは言いだせなくなっていく空気までも生々しく伝えている。
太平洋戦争で亡くなった日本人はおよそ300万人。
アジアでは更に多くの人命が失われた。
当時の日本のエリートたちはなぜ開戦を決意したのか。
彼らが残した教訓とは何か。
シリーズ第一回は太平洋戦争に突入していく経緯を
当事者の証言から浮かび上がらせている。
第二回は人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”。
これまで現場将兵の熱意から始まったとだけが伝えられてきた。
しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に
、組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語る。
さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたことを証言する。
海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は5千人以上でそのほとんどは20代の若者たちだった。
何故に過ちと分かりながらなぜ当事者は「特攻」を推し進めていったのか。
反省会の議論から「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りにしている。
第三回は戦後行われた極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判である。
戦争指導者として文官一人、陸軍関係者6人が絞首刑となったが、海軍関係者の被告は終身刑一人でその後釈放された。
「海軍反省会」では、海軍という組織を守るため、水面下で海軍トップの裁判対策を組織的に行っていた事実を詳細に語っている。
勝者の裁きに対抗するため彼らが行った活動とはどのようなものだったのか。
海軍が解体された直後に出来た組織、第二復員省。
海軍の頭脳と言われた軍令部の参謀の多くが戦後ここで裁判対策を担った。
戦争の責任に海軍の中枢にいたエリートたちはどのように向き合ったのか。
反省会で交わされた当事者たちの議論を通して、「戦争責任」とは何か、「歴史」とどう向き合うかを考える。
太平洋戦争映像記録史 前編 1941年-1943年 見ごたえのある長編 太平洋戦争の全貌が判る