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八月になって
今年の夏は特別に長い八月となった。自然の暑さは例年通りだが,久方ぶりの衆議院総選挙があって
なんとなく世の中が喧しく,それによってか暑さが例年に比べ倍加された感じである。
お盆の行事は例年通り催され,先祖への墓参り 花火大会 大文字焼き 夏祭りなどもいつもと同じにように催されたが
,だが,なんとなく落ち着きのない長い八月となった。
衆議院の任期満了が9月初旬で,自公政党にとって一番都合の良いスケジュールを選んで組まれた選挙日程だが,
その為かいつもと違う月になってしまった。
これまでは八月中の総選挙は大変に少いようで憲政史上でも稀で 1-2回があったぐらいのことのようである。
暑さのせいなのか,候補者の訴えに来る回数もいつもの選挙の時とは違い,回数が少なかったように感じた。
もっと国民中心に考えての総選挙をばやってほしかった。
ただ自公だけの都合だけでもって,こんな時期に衆議院解散其れに続く総選挙戦となると,暑さと同時に長い選挙戦となって
誰もが参ってしまうような気になってくる。
総選挙の日程は自公が自分達の一番の有利を考えての選択だった。
だが投票率は極めて高く,国民の怒りが爆発したかのような結果になっている。
政治は国民の為にあるもので,この初歩的なことが自公政党の長期政権で忘れ去られているような政治が続いていた。
こんな暑い時に何故長々と長期間をかけてするのかと,却って国民の反感を買い自公政権は結果的に大敗している。
野党民主党が大勝し,歴史上初めての本格的な政権交代が行われたこととなる。
新しい政治に国民の期待に膨らんでいて約75%近い支持率が民主党に集まっている。
一方の自民党支持率は約15%で長期政権維持してきた政党として考えられないようなくらい国民の目は大変に厳しい観察をしている。
議員が国民の声を聞いて議会に反映させるということだけでは,その議員の周りの人たちに限られ来て大変に危ない。
それがむしろ議員と個人的癒着が増長して.歪んだ政治の根源となってきてしまっていた。
それらの長年の鬱積してきた不満が爆発したかのように国民は投票したと考える。
新聞や テレビなどのマスコミからの受けとめ方は個々によって議員により異なってくる。
マスコミは民主党に風が吹いたといわれているがそのような非科学的な風は理論上は有り得ない。
衆議院員数国民の意思を無視しただ三分の二の権利を再々使い,官僚に任せきりの自分達の都合の良いような
ボスの影響を受けた政治が行われてきた。
政権を担うことは国民の負託を受けるのだから大変責任が重い仕事を,それを利権として認識し
全て自分達の都合のよいように動かしてきた結果で政権党のおごりがあったように思う。
国民から権限を負託されているという責任感がなく,てむしろ権限を利権として大いに利用し
国民に君臨し好き放題に出来るものとの思いがあったようだ。
その結果が民主党側に風が吹いた内容である。
議員達自身が信念を持ち国民の声を真摯になって受け止めるような努力が大切だ。
戦後長い自民党政治が続いて以来の,始めての本格的政権交代で,自民党政治による政権は敗戦後60余も経過してきた。
これではあまりにも長すぎた。
これまでの自民党内での健全な派閥交代による政権交代機能がなくなってきた結果にもある原因がある。
現実は未だに日本は真の独立国家にはいたっていない。現在の日本はどう見てもアメリカの半植民地国家である。
今回の政変でもって真の独立国家になってほしいと願う。
アメリカは先進的な民主国家であるはずだ。
相手の立場を考えずに,すき放題にする国家は国家とは思わない。相手国の主権を確かに認めて,一方的になってはいけない。
前政権の約束だとしても国民がその政権を否定したのだから,現在の日本国民の声を正しく受け止めるべきである。
アメリカ国内においても前政権が決めたことだからとして続けてやらないといけないことはない筈だ。
いつも政権が正しく国民の声を反映していれば,政権交代はないはずであるが。
国民の声はブッシュのような行動に対してアメリカ国民はノ−を言っての政権交代だから前政権からの約束だからとして縛られてはいない。
新しい政権同士の互いの交渉があってよいことだ。
日本はマッカ−サ-司令長官のもと占領下に置かれアメリカの言うままになって来た。
それから独立して60余年も経過し尚も現在もその傷跡をひきずっているのはおかしい話である。
特に沖縄の状態は完全に武力制圧され占領された経緯があるので,それが顕著で,現在も占領下のような状態が続いている。
全てこれからのことで,色々な難題があろうとも,何時かは進めなければならない事柄である。
一朝一夕にはならないことは国民もよく理解している筈だ。
交代した政権に頑張って頂き,おおいに日本のため,世界の為に貢献して欲しい。
国政では今までにない革新的な事柄が各省の新大臣によって次々断行されるような気配で国民の期待も自然にふくらんできている。
選挙戦中気になったことは酒井法子という女性の麻薬使用が大きく取り上げられていたのが気になった。
何故に,そんなことに選挙期間中関心を向けるのか,そんな時間があれば政界の話題をもっと深く広く報道してほしかった。
個人の麻薬使用など,常時あるような些細なことを,選挙報道と同列位に放送され,報道されていたのはわからない。
現在も話題が続いており芸能界への復帰の手段としているような気配で,今まで名前を知ることもなかった者まで知るようになっている。
まだまだ日本は幼稚な国だが,大変に自由な国なのだと,そのように納得する以外に仕方がない。
これまでいつも指摘されている点で一致していることは,民主党の幹事長になった小沢氏の動向である。
民主党に籍を移した時に,小沢自身は今までの自分とは変わる,変わらなければならないと明言されていた。
このことは是非実行して欲しい。
自民党時代の小沢氏の行動に対して人によるが嫌悪感を抱いていた人たちが多かった。
小沢氏は是非生まれ変わってもらいたい,本人も既に年齢も重ね立派な政治家となって日本のために大いに尽力される事を願う。
自民党政権時代に大いに活躍していて,現在も個人的に講演会で活躍されて来ている田母神氏の言動が気になることである。
安部内閣時代には航空幕僚長任命され その前には統合幕僚学校長 をしていたと聞くが戦争を賛美されているように思える。
長年の間与党に慣れてしまった自民党が健全な野党として変わることが出来るかはこれからが出発である。
政党同士お互い切磋琢磨し,競い合い,より良い日本を目指し変えていくことを大いに期待されてくる。
自民党の長期政権時代,国民が知らされななかったことが報道されるようになってきている。
郵政選挙後と違った気配を感じ,大いに期待が持たれる時代に日本も入ってきた感じだ。
今回は初めての野党としての自民党が試される事にもなっている。
政党としては,野党としても立派に勤まらなければ政党として半人前で 立派な政党とは言えない。
良い政治 国民のための政治を目指すならば再び政権を目指し自民党が政権を担うことにもなる。
その時には今までと違った自民党に生まれ変わっているかもしれない
残念ながら大半の地方政治では腐敗堕落したような政治が現在も行われているようにしか見えてこない。
このことに気ずき自民党を含め全ての政党が改革に取り組んでいってほしいものである。
「政治家は国民のためにあるもの」との原点を見失なわないで頑張ってほしいものだ。
人間は欲の塊ともいわれているが,目先の欲だけにとらわれずに全体のことを考え行動してもらいたいものです。
政権交代があるということを味わうことによって,国民は初めて変化「チェンジ}の体験をすることになった。
政治家が官僚任せにしておくのが良くないことは地方政治においても同じようにいえることでである。
中央から次第に地方にも良いことが普及していってほしいものである。
世界はアメリカのブッシュからオバマ氏に代わってからは何か一つの光, 明かりが見えてきたような気がする。
現在まで世界の政治で行われていることには根本的な所に目が向いていないような気がする。
世界の中の貧困の民に対して注がれることが少なかった。テロの一番の原因が其処にあると考えられる筈だ。
そのことは誰もがきずき知っているはずである。
それを放置したまま,テロ撲滅だけではいつまで経ってもテロは撲滅することはないと考える。
その根本に対して世界が協力しながら立ち向かわないと本当のテロ対策の改善にはならない。
戦争を商売として利用したりすることは決してあってはならないことである。
世界の軍事産業のための戦争があってはならない。
今までのアメリカが行ってきた朝鮮 ベトナムやカンボジア イラク イラン アフガニスタンなどは
戦争ビジネスの為の戦争だったようにしか思えない。兵器の在庫が増えた頃に順次起こっている。
日本も多くの武器を買わされ,日本の軍需産業もかなり戦前のように元気をとりもどしてきているようだ。
これは大変危険なことである。
昔から現在まで,平和の為とか,戦争をなくすための正義の戦争がずっと行われ続:けられてきている。
そして戦争による沢山な被害を国民は経験してきている。
これからの時代に大戦争が勃発した時はそれこそ人類破滅の時である。
地球自滅だけは是非避けて欲しいものである。
だが人間はやりかねないような気がするのだが。?
世界では過去からのアフガン問題が次第に変容して世界的に注目が集中してきているが好戦国アメリカがどこまで続くのかが心配だ。
でもオバマ氏の姿勢を見ていればそのような気配はあまり感じられないのだが。
大国の保有している核は全てを放棄して欲しい。
「核の抑止力」は一歩間違えると人類破滅につながる危険な考え方だ。
いつか大人も子どもも、
自分はどこで何をしていたかと
振り返る夏になろう
いつもと違う8月が始まった
平成21年8月1日の天声人語よりの引用
冷夏の兆しに勢いづいたか、新型インフルエンザが収まらない。
小さな救いは、感染の中心にいる10代が一つ所に固まっていないことだろう。
学校という苗床をしばし離れ、若い木はそれぞれの枝を広げる
▼過日、近所の桜並木で「親子さくら博士教室」があった。
春の開花と秋の紅葉の幕あい、休んでいるように見える桜木を観察し、自然の営みに親しむ試みだ。
小学生たちは古木に浮かんだヤニやコケを触り、セミの抜け殻や黄金虫に大騒ぎだった
▼ざっくり割れた木肌を黒アリがはい、木漏れ日が道に揺れる。
役目を終え、早々と黄に染まった葉もあった。
説明役の樹木医によると、この時期の桜は太るのを中断し、次の春へと芽をつけ始める
▼子どもたちにとっても、来るべき開花に備えて多くの芽をつけるのが夏休みである。
遠い日を思えば、親や先生が教えてくれないことは山ほどあった。
8月の過ごし方ひとつで世界は広がり、人生序盤の選択が豊かになる
▼大人への入り口は近づくかもしれない。
法制審議会の部会が、成人とする年齢を20歳から18歳に引き下げるのが適当、と結論づけたためだ。
酒やたばこと違い、早くから社会に関心を持つのは悪くない。
法改正の首尾にかかわらず、どうか賢く大人びてほしい
▼背伸びして政治を「観察」するのに、今ほどの好機はない。
各党は国民との約束を競い、政権を争う。
選挙権の使い道を問われる歴史の節目。
いつか大人も子どもも、自分はどこで何をしていたかと振り返る夏になろう。
いつもと違う8月が始まった。
成熟した独立国家 民主主義国家に成長していって欲しい。
新政権や野党自民党の成果はまだわからない。
137日と15時間の精勤を終え、
地上の人に戻った若田光一さん
平成21年8月2日の天声人語よりの引用
留守中、故郷は早春から盛夏になった。
137日と15時間の精勤を終え、地上の人に戻った若田光一さん。
日本の実験棟を完成させたほか、宇宙に長逗留(ながとうりゅう)する影響を調べ、結果を体というカプセルで持ち帰った
▼たわしのように伸びていた髪を整え、飛行士は「ハッチが開いて草の香りが入ってきた時、地球に優しく迎えられた気がした」と語った。
この惑星から長く離れた人だけにわかる「命の匂(にお)い」である。
足取りは確かでも、45日間のリハビリが待つ
▼泳ぎ疲れて水から上がり、わが身を持て余した記憶がよみがえる。
「立つ」とは重い頭や胴を支えること、「歩く」とはそれらを支えたまま運ぶことだと知った。
久々の重力は想像を絶する
▼連続での宇宙滞在記録は、ロシアのワレリー・ポリャコフ氏が95年に達成した438日。
火星行きを想定した実験だった。
生涯で2年近く付き合った無重量の状態を、氏は「自然が作った最も柔らかいベッド」と表現した。
離れて身にしむ寝心地に違いない
▼医師だけに、宙に抱かれていると、血流や心臓弁の開閉までを探りとれたという。
やはり自著によると、長期滞在を通じてより人間的になり、なぜか宇宙に関する夢をパタリと見なくなったそうだ。
夢が現実になった証しだろう
▼「宇宙から国境は見えない」。
92年に飛んだ毛利衛さんの至言だ。
若田さんがカメラの前で実証した通り、無重量の下では水と油も仲良く混ざる。
優しい星の上で人類がそうなる日をふと思う。
世界平和の夢、だれも見なくなる時代を引き寄せたい。
広大な宇宙から地球をみるならば,国境も判らず争いも見えてこない。唯一つの小さな地球を見るに過ぎないと思う。
宇宙から地球を見て人類が仲良く住み分ける世界にしたいものである。
宇宙人鳩山氏が政権担当者となり宇宙的な発想でもって政治をすすめてほしいものだ。
待っていた坊やが今年もやってきた
わが家の鉢植えミカンに姿を現した
柚子坊(ゆずぼう)のことだ
平成21年8月3日の天声人語よりの引用
待っていた坊やが今年もやってきた。
とは言っても人間ではない。
わが家の鉢植えミカンに姿を現した柚子坊(ゆずぼう)のことだ。
葉っぱと見まがう保護色も鮮やかな、アゲハチョウの幼虫をそう呼ぶ
▼芋虫、と聞いただけで総毛立つ人もいる。
蝶(ちょう)よ花よの成虫にくらべ、幼虫の人気は散々だ。
その芋虫も、柚子坊と呼べば愛らしい赤子のように思われてくる。
わが柚子坊は、すでに葉を何枚もむさぼり、健康優良児よろしく丸々と肥えている
▼柚子坊が1匹育つのに、何十枚も葉を食べるそうだ。
何年か前に、1本だけだったミカンが派手にやられた。
そこでユズやハッサクを増やした。
今なら5、6匹は養える。
それでも果実は育つから、収穫の楽しみもある
▼〈二つ折りの恋文が、花の番地を捜している〉と蝶をなぞらえたのは、『博物誌』のルナールだった。
のどかな春の蝶のイメージだろう。
片や炎天に影を落として舞う夏のアゲハは、身を焼くかのように情熱的で美しい
▼わけても日盛りの黒アゲハは神秘的だ。
その姿を、宙を舞う喪章にたとえた人もあった。
幽明の境をひらひら飛ぶ。そんな想像だろうか。
精霊の戻り来るお盆の頃にふさわしい、飛翔の姿かもしれない
▼さて、わが柚子坊である。
羽化まで今しばらく、鳥たちから逃れなくてはならない。
あの大きな目玉の模様は敵を威嚇するためにあるらしい。
それを見て徳川夢声は「団十郎のような立派な目」と驚いたそうだ。
武運つたなく餌食(えじき)にならぬよう、名優の威にあやからせたい。
案じつつ願いつつ、夏の日がゆく。
柚子坊(ゆずぼう)は気にしていないから知らない。そういうとパソコンの画面はよく見るが
自然を観察する機会がすくなくなってきている。
敗戦で打ちひしがれ、飢える国民はスポーツどころではない
だからこそ皆、古橋さんの快挙に歓喜し、勇気づけられた
平成21年8月4日の天声人語よりの引用
ふんどしの上に水泳パンツを重ねて世界記録を連発した人である。
古橋広之進さんは「水着争い」に冷ややかだった。
客死の地となったローマの世界選手権を境に、高速水着に歯止めがかかるかもしれない。
トビウオ80歳の遺言にも思える
▼食べるのが精いっぱいの戦後、日大水泳部の主食はスイトン、マメカス、トウモロコシで、コメは1升を30人分のおかゆにした。
交代で農家を回り、買い出したイモの半分を闇市でさばいてやりくりしたという
▼戦中、防火用水に使われたプールの水は濁り、藻がわいていた。
敗戦で打ちひしがれ、飢える国民はスポーツどころではない。
だからこそ皆、古橋さんの快挙に歓喜し、勇気づけられた
▼1949(昭和24)年に招かれた全米選手権。占
領軍を率いるマッカーサー元帥は「徹底的にやっつけろ。
それがアメリカ人への礼儀だ」と励ました。
圧巻は初日の1500メートル自由形予選だった。
A組で僚友の橋爪四郎さんが世界新を出す。
30分後、B組の古橋さんはそれを17秒近く縮めてみせた
▼「日本のプールは短い」「時計がのろい」といった陰口は消え、反日感情が尾を引くロサンゼルスの空気は一変した。
当人は「フェアな一面に接し、私たちも彼らに対する認識を大いに改めた」と回顧している
▼同じ年、日本は湯川秀樹博士のノーベル賞にもわいた。
スポーツで科学で、再び世界と競える喜び、分かり合う幸せ。
国際社会復帰への自信は、経済大国へと引き継がれる。
裸一貫での再出発にふさわしい、時代が欲したヒーローだった。
自由泳ぎの古橋選手の活躍に熱狂した時代があった。ライバルとしての橋爪選手が思い出される。
皇国を信じ、裏切られた
海軍体験に根ざした城山さんの反戦思想は筋金入りで、
とりわけ非道の極み、自爆攻撃の特攻を憎んだ
平成21年8月5日の天声人語よりの引用
この時期に曇天が続くと、どうにも落ち着かない。
五感に染み込んだ日本の8月といえば、青空、蝉(せみ)しぐれ、かき氷。
そこにはいつも、追憶の香煙が薄くたなびく
▼「八月の空がまぶしく、かつ青ければ青いほど、なぜか戦争への思いが深まります。
八月の空と海。
父の愛した空と海が、ともに青く澄みつづけるように、二度と惨劇の舞台にならないように、と願うばかりです」
▼『城山三郎が娘に語った戦争』(朝日文庫)で、亡き作家の次女井上紀子さんはそう記す。
皇国を信じ、裏切られた。
海軍体験に根ざした城山さんの反戦思想は筋金入りで、とりわけ非道の極み、自爆攻撃の特攻を憎んだ
▼沖縄の海に散った22歳の慶大生が、出撃前夜にしたためた一文から引く。
「権力主義の国家は一時的に隆盛であらうとも必ずや最後には破れることは明白な事実です……
明日は自由主義者が一人この世から去つていきます。
彼の後ろ姿は寂しいですが、心中満足でいつぱいです」
▼死を前にこれほどを書き残せる若い知性が、何千何万と理不尽な最期を強いられた。
この遺書を著作で紹介した保阪正康さんは、「日本の戦時指導者への最大の告発のように思えてならない」と断じている
▼忘れてならない魂の叫びは、世界に散らばる。
『アンネの日記』が先日、人類が残すべき史料としてユネスコの記録遺産「世界の記憶」に登録された。
そのユダヤ人少女が、隠れ家から強制収容所へと連行されたのは65年前のきのうだった。
国を問わず、有名無名の生を記憶に刻み直す夏である。
戦争という時代に遭遇した人々が少なくなり,同じ過ちを犯すことを危惧する。
戦争を絶対に美化してはならない。平和の為の戦いは決して存在しない。
戦争は悲惨である。現在も世界のいたるところで戦争は続いている。平和はただ戦争を止めることに有る。
使ってしまった国の大統領が廃絶を口にし、
日本の隣国の独裁者が実験を重ねる核兵器。
かすかな希望と、空恐ろしい現実のはざまで、
広島原爆の日を迎えた。
平成21年8月6日の天声人語よりの引用
使ってしまった国の大統領が廃絶を口にし、隣国の独裁者が実験を重ねる核兵器。
かすかな希望と、空恐ろしい現実のはざまで、広島原爆の日を迎えた。
あの時生まれた命は64歳になるのに、人類の歩みの、なんと遅いことか
▼原爆の夜に交錯した生と死。
詩人、栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」は、地下室での出産劇を描いた。
4年前に没した詩人宅から、未発表の86編が見つかったという。
「こえ」はこう始まる
▼〈その日、生きのこった人々は/いろとりどりの夏の花と/線香をその前に供え/
あの日の悲しみをつみ重ねるように/花と線香の山をつくった。
/焙(あぶ)るような光のなかで/香煙は碑をつつみ/人らは目をとじてぬかずいた……〉
▼モノクロの風景として、1955(昭和30)年の原爆忌が残る。
平和公園は立ち退き前の民家で雑然とし、まさに焙る光の中、ひしめく参列者の頭上を煙が流れる。
地元の写真家明田弘司(あけだ・こうし)さん(86)による一枚だ
▼近刊の写真集『百二十八枚の広島』(南々社)で、悲憤だけではない被爆地を知った。
50年代を中心に、他の焦土と同じか、それ以上の力強さで復興していく街がそこにある。
原爆ドーム前に現れたお好み焼き屋、被爆瓦を観光客に売る露店。
まずは生きなければならない
▼街は戻り、新たな命が平和の時を生きる。
だが、戻らぬ時と帰らざるものを語り継ぐ人たちは老いていく。
一瞬で、あるいは長い苦しみの果てに消えた命たちに、そろそろ報いたい。
利いたふうな現実論は、核廃絶への歩みを鈍らせるだけだ。
新政権と共に現在の世界の人たちによって北朝鮮問題を解決して欲しい。
それは北朝鮮と国交回復して仲良くすることである。そうすれば北の脅威はなくなる。
韓国も最近北朝鮮との仲直りの気配が見られてきている。原爆の被害は広島・長崎以外にあってはならない。
東京地裁で開かれた初の裁判員裁判。
平成21年8月7日の天声人語よりの引用
裁判所の中は自由に撮影できないため、法廷スケッチという芸術が生まれた。
法廷画家たちは大衆の興味に応え、裁かれる者をアップで描くのが常だ。
彼らが、匿名の一般人にこれほど筆を走らせたことはない
▼東京地裁で開かれた初の裁判員裁判。
小紙にも連日、いけだまなぶ氏の達者なイラストが載った。
番号で呼ばれ、絵で歴史に刻まれた裁判員たちは、懸命に大役を果たしたように見える
▼初日のくじ引きには、呼び出された49人のうち47人が集まった。
法廷で初めて口を開いたのは白ブラウスの4番。
歴史的な質問は「えーと」で始まり、証言と調書の違いを問う真っ当な内容だった。
被告には6人全員が質問し、判決後の会見にも応じた
▼近隣トラブルの殺人は事実関係に大きな争いがなく、殺意のほどが問われた。
検察官や弁護士は、ちんぷんかんぷんの「裁判語」を封印し、主張の売り込みに努めた
▼途中、3番の女性が風邪で欠け、男性が7番で補充された。
さほど複雑でない事件、きちんと協力する市民、さらにはハプニングまで、裁判所が教科書に載せたくなるような首尾である
▼とはいえ、重い罪を軽く裁けるものではない。
素人だからこそ、裁判員はあいまいな証言に困惑し、遺族や被告の肉声に揺れた。
「仕事とは違う疲れ方でした」と吐露したのは6番の男性だ。
ぼかした法廷スケッチとは裏腹に、言い渡す刑が重いほど、自ら裁いた記憶は深く残ろう
▼裁判に市民感覚を採り入れる試みが始動した。
整然と、しかし「X番さん」の苦悶(くもん)を予感させて。
裁判員裁判は犯罪に対して国民の視線を向けるのに効果がある。
だけがどのような犯罪が裁かれるのか,そのお膳起てはどのようなプロセスで決めるのかが不明。
日本は三権分立が確立されていない状態で未だに闇の中にある。新しい政変に期待する。
きょう高校野球が始まる甲子園だ
平成21年8月8日の天声人語よりの引用
どんなに天候不順の夏でも、立秋あたりから必ず熱くなる地がある。
きょう高校野球が始まる甲子園だ。
地方大会に参加した約4千校のほとんどが姿を消し、わずかに49校が夢の途上にある
▼夢を追う少年がいて、少年に夢を託す大人がいる。
球児の3年間を預かる監督たちである。
毎夏、名将の采配や談話を楽しみにしているファンも多いだろう。
今大会の名物監督といえば、常総学院(茨城)を率いる木内幸男さんの笑顔がまず浮かぶ
▼大舞台で選手の力を縦横に引き出す「木内マジック」。
使い手も78歳になった。
「甲子園で校歌を1回聴かせてやると、2回、3回と聴くチャンスが出てくるものです」とテレビで語っていた。
手品師、なお現役である
▼木内さんの常総は03年、ダルビッシュ有投手(現日本ハム)を擁する東北(宮城)を倒して優勝した。
東北の監督だった若生(わこう)正広さんはこの夏、強打の九州国際大付(福岡)を連れてきた。
甲子園の神様は何を考えたか、開幕戦で両監督が再び相まみえる
▼「ひとつは夢を持てること、もうひとつはきちんと挫折を経験できること」。
高校野球の素晴らしさをこう説いたのは野球解説者の江川卓さんだ。
怪物と騒がれながら、自らの押し出し四球で最後の夏が終わった。
敗れたことで、大学野球で頂点に立つ意欲がわいてきたという
▼最強の1校を除き、白球の夢はもれなく負けで終わる。
それはしかし、新たな夢の始まりでもある。
巡り合わせの妙、勝ち抜き戦ゆえの非情が球趣を盛り上げ、甲子園の温度計は裏切らない。
高校野球に熱中した時代が有ったが,今年の夏は政界の自公民対民主の試合の方が面白くて
野球にはあまり関心は向かなかった。
八月八日に高校野球が始まっている。京都の平安が早々に負けて見なくなってきている。
原爆忌が過ぎると潮が引いたようになる報道への自省もこめた
「あの日から苦しみは一日も止(や)んだことはない」
長崎で広島で「黙されたこと」のいかばかりかに思いを致したい
平成21年8月9日の天声人語よりの引用
車いすに座った小幡悦子さん(80)の足は「くの字」に曲がり、えぐれた太ももは引きつっている。
64年前のきょう、爆心から1キロで被爆した。
辛うじて生き延びたが、原爆は容赦のない爪跡(つめあと)を体に残した
▼昨年、朝日新聞長崎総局の取材を受けた。
ためらいながら「足の写真を撮らせてほしい」と頼む記者に、小幡さんはうなずいた。
「この足が原爆だから……。
私が伝えられるのは足だけだからね」。
つらく、重い言葉である
▼小紙の長崎県版で、若い記者たちが去年の夏から、毎日欠かさず被爆者の聞き書きを載せている。
それをまとめた『ナガサキノート』(朝日文庫)を読んだ。
語られる事実に圧倒され、そして鍛えられる記者の姿が、記事の向こうに透けて見える
▼自分たちは何も知らないのではないか、が出発点だった。
原爆忌が過ぎると潮が引いたようになる報道への自省もこめた。
「あの日から苦しみは一日も止(や)んだことはない」。
それが取材を通して得た実感の一つだという
▼広島で被爆した政治学者の丸山真男が、かつて語っていた。
「今日に至っても原爆症患者が生まれつつある、長期患者が死んでいる……いわば毎日原爆が落ちているんじゃないか」と。
その現実は今も変わっていない
▼丸山はまた、これまでに語られたことは実際に起きたことの何十万分の一ではないか、とも言っていた。
語られたことを胸に刻みつつ、長崎で広島で「黙されたこと」のいかばかりかに思いを致したい。
核兵器の残虐が、膨大な沈黙への想像からも浮かび上がってくる。
原爆の悲惨さは本当に体験した人たちだけにしか判らない。
子供の時だった原爆 終戦の情報は何日間は知らされずに過ごしている。
当時の大人たちにとっても大変なショックな出来事だったと推察する。
初めて見たアメリカ兵は赤鬼に見えた。何故か白人だが赤く感じたものである。
ジープに建てられていたアンテナな不思議な存在で,それまで日本では見られなかった存在である。
タレントの酒井法子容疑者(38)が覚せい剤所持の疑いで逮捕された
平成21年8月10日の天声人語よりの引用
好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物〉と言った物理学の寺田寅彦が、病気でコーヒーを1年以上飲めなかったことがある。
久しぶりに味わうと、カフェインのためだろう、まわりの様子が違って見えた
▼なぜか愉快で仕方なく、世の中が祝福と希望に輝いて見えた。
気がつくと手にじっとり脂汗を握っていたそうだ。
「人間というものはわずかな薬物によって支配されるあわれな存在である」と、科学者らしい随想を残している(「コーヒー哲学序説」)
▼嗜好品でそれだから、覚せい剤の支配力は計り知れない。
この人も「あわれな存在」だったのか、タレントの酒井法子容疑者(38)が覚せい剤所持の疑いで逮捕された。
清楚な花が、くたりと散った印象である
▼〈失跡を逃亡にする逮捕状〉と昨日の朝日川柳にあった。
さらに潜伏だの出頭だのという言葉にまみれて、偶像(アイドル)は堕ちた。
裁判員制度の広報映画で主役を演じてもいた。
だが事件がこのまま進めば、彼女が座るのは被告人席ということになる
▼近年、覚せい剤を「スピード」や「S」などと軽く呼ぶそうだ。
背徳的な注射ではなく、あぶって煙をストローで吸う。
罪悪感を弱める錯覚の魔手に、からめ取られる人が少なくない
▼10年ほど前、ある芸能人が覚せい剤で逮捕された。
裁判で、「捕まってよかった。
これでやり直しがきく」と述べていたのが記憶に残る。
何度もやめようとしたが出来なかったのだという。
この薬物の恐ろしさである。
酒井容疑者の胸にいま、何が去来しているのだろうか。
覚醒使用事件が大きく長期間に報道続けることはいかがなものか。
時間の無駄を日本人に強要しているようにしか感じられない。
酒井法子今まで知らない人にもゆきわたっている。情けない現象だ。
そこへ台風の接近である。
兵庫や岡山県では10人以上が亡くなり、
行方の分からない人もいる
平成21年8月11日の天声人語よりの引用
山登りをしていた昔、よくラジオの気象情報を聞いて天気図をつくった。
多くの観測地点から届くデータを図に落とし、等圧線を書き込んでいく。
長い夏山登山では、デンと構えて好天をもたらす太平洋高気圧が頼もしく見えたものだ
▼その夏の主役が、今年は調子を上げてこない。
東京は夏らしく晴れる日がない。
東北は梅雨明けの発表もなく立秋となった。
日照が足りず農作物にも影響が出ている。
低迷する4番打者を見るような、もどかしさが募る
▼そこへ台風の接近である。
きのう、通勤途上に仰いだ空は墨を流したように暗く、大粒の雨が銀の矢となって降りしぶいた。
兵庫や岡山県では10人以上が亡くなり、行方の分からない人もいる。
被害は東日本にも広がっている
▼お天気博士の倉嶋厚さんが、「人間は大気の海の底に住む海底動物」だと書いていた(『暮らしの気象学』)。
言い得て妙である。
大気中の自然の営みが、炎暑や寒波、豪雨や竜巻などとなって、人の住む「海底」におりてくる
▼たとえば、しとしと降る雨は、毎秒数センチというゆるい上昇気流がつくる雲から落ちてくる。
だが集中豪雨は、毎秒数メートルもの激しい上昇気流が水蒸気を運びあげて、叩(たた)くように降る。
「4番打者の低迷」にしても、大気の営みを変える力は人間にはない
▼「60年住んでいて初めて」と驚く被災地の声をテレビが報じていた。
乱調の夏に、きのうまでの無事が今日の安全を保証してくれないことを肝に銘じたい。
自然のサイクルもまた、人間の時間をはるかに超えて長大である。
人間は自然の中で生きていくら科学が発達しても自然の驚異は克服できない。
台風という天変を心配して床に就いたら、
朝早くに地異で跳び起きた。
「すわ東海地震か」と肝をつぶした人も
多かったのではないか
平成21年8月12日の天声人語よりの引用
この世界のことを「天地」と書いて「あめつち」と読む。
そこからの連想だろうか、古くには「天地の袋」という縁起物があって、女子が新春を祝って作ったそうだ。
幸福を中に入れて逃がさぬようにと、上も下も縫い合わせたという
▼天地のはざまに人は住み、世界には多彩な幸がある。
一方で、あれやこれやの災いも多い。「天変地異」はその最たるものだ。
台風という天変を心配して床に就いたら、朝早くに地異で跳び起きた。
「すわ東海地震か」と肝をつぶした人も多かったのではないか
▼駿河湾を震源とする地震は、静岡県を中心に広い地域を襲った。
台風が来ているからと遠慮することなく、雨にゆるむ国土を最大震度6弱で揺さぶった。
東名高速道の路肩がざっくりとえぐられた
▼きのうの小欄は天変について書いた。
空の変調もときに急激で、たとえば「三杯雷」という言葉がある。
雷鳴を聞くと飯を三杯食べる間に土砂降りになる。
そんな戒めだという。
だが地震にはその間もない。
常に背後からの辻斬(つじぎ)りさながらだ
▼おとといの小欄に引いた寺田寅彦は、防災の大切さを説く警世家でもあった。
日本の自然には「慈母の愛」と「厳父の厳しさ」があると述べ、愛に甘えて厳を忘れると痛い目に遭うと警告を残している
▼天変も地異も、はるか太古からの地球の営みだ。
きのうの揺れは東海地震の前兆ではないようだが油断はならない。
天地のはざまに間借りするわれわれ次第で、被害は増えも減りもする。
怠ってはいないかという、厳父からの忠告かもしれない。
天災は忘れた頃に来る。自然災害を出来るだけ防ぐ以外にない。自然には人類は勝てない。
日本の農業はその後、高度経済成長と行き交うように衰退していく
そして今や、食料の自給率は4割前後を低迷する
平成21年8月13日の天声人語よりの引用
きのうは「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子が生まれた日だったと気づき、その叔父の淡谷悠蔵の逸話をふと思い出した。
農民運動に携わり、青森県から選出されて社会党の衆院議員をつとめた人である
▼昭和30年代の半ばのこと、池田勇人首相が、かの所得倍増計画を打ち上げた。
国会で説く池田に、淡谷は「所得倍増の中には農民も入っているのか」と迫った。
短い質問は池田を絶句させ、淡谷は大いに名を上げたそうだ
▼「淡谷の農民算数が池田の高等数学に勝った」などと新聞が書き立てたと、作家の吉武輝子さんが『ブルースの女王・淡谷のり子』に書いている。
日本の農業はその後、高度経済成長と行き交うように衰退していく。
そして今や、食料の自給率は4割前後を低迷する
▼その農業をめぐる政策が、きたる総選挙の大きな争点になっている。
民主党は農家への戸別所得補償を打ち出した。
自民党も所得の増加を第一にうたい、盛りだくさんの支援策を掲げている。
淡谷が聞いたら喜ぶだろうか、それともバラマキだと叱(しか)るだろうか
▼農業、とりわけ米はもともと政治的利害に左右されやすい「政治作物」だったという。
だが最近は、その場の政局に振り回される「政局作物」になったと、東大名誉教授の佐伯尚美さんが小紙で語っていた。
定見と展望を欠く政治への叱咤(しった)だとお見受けした
▼青い稲が美しくそよぐ季節である。
各党の公約はよもや、青田を「票田」としか見ない甘言ではあるまい。
世界連邦が形成されるまでは日本の自給率は有る程度保つ努力が必要である。
少しの空き地をも利用しての敗戦後の家庭栽培の時代が思い出されてくる。
雑炊と芋粥 黒パンに豆粕の代用食が盛んだった。でも苦しい中でも生きてきた。
夾(きょう)竹桃(ちくとう)、向日葵(ひまわり)、
さらに百日紅(さるすべり)といったところか。
それら夏の花々をアゲハ蝶(ちょう)がまつわり飛ぶ図には、
どこか艶(なま)めかしい趣がある
平成21年8月14日の天声人語よりの引用
じりじりと地を灼(や)く、炎暑に似合う花を思い描いてみる。
夾(きょう)竹桃(ちくとう)、向日葵(ひまわり)、さらに百日紅(さるすべり)といったところか。
それら夏の花々をアゲハ蝶(ちょう)がまつわり飛ぶ図には、どこか艶(なま)めかしい趣がある
▼そのアゲハの幼虫、柚子坊(ゆずぼう)のことを先日書いたら、思いのほか多くの便りをいただいた。
「緑濃き下蔭(したかげ)を舞ひ黒揚羽(あげは)〈危険な関係〉を愉(たの)しむごとし」と、東京の篠塚純子さんはかつて詠んだ歌を送ってくださった。
庭では毎年、アゲハが生まれるそうだ
▼仙台の池沢祐子さんからは、羽化した黒アゲハの美しい写真が届いた。
庭木の柚子坊が次々に鳥に食べられるのを見かね、5匹を網の中へかくまってユズの葉を与えたそうだ。
育った蝶は外へ放したという。
嫌われがちな柚子坊も、やさしさに感謝だろう
▼便りは女性からが大半だった。
昆虫といえば少年の専売のようだが、王朝文学の「虫めづる姫君」のDNAが連綿と流れているのだろうか。
とはいっても、客観写生を説いた俳人の虚子に〈命かけて芋虫憎む女かな〉の一句もあるから、世の柚子坊よ、油断は禁物かもしれぬ
▼わが家の鉢植えミカンの柚子坊は、鳥の目をかいくぐってサナギになり、地震で揺れた朝に羽化した。
黒地に黄色のナミアゲハだった。
ナミは「並」。
ありふれたゆえのやや失敬な名だが、蝶のあずかり知らぬことである
▼柚子坊を育て上げた木は葉がだいぶやられた。
ピンポン球ほどの青い実を涼しげにぶら下げて、ひと仕事を終えた風情で日を浴びている。
寒くなれば色づいて、かくて季節はめぐっていく。
じっくりと吟味して「日本の食」の将来を託すことにする。
季節のめぐりあわせは早くなってきた。朝顔は思ったほど以上に沢山な花が見られた。
自然に目を注ぐ気持ちが少なくなった。
おびただしい犠牲を出したシベリア抑留から生還した
詩人の石原吉郎は、
「死においてただ員数であるとき、
それは絶望そのものだ」と書き残した
平成21年8月15日の天声人語よりの引用
人はだれも名前を持ち、どの死者にもその名で営まれた人生がある。
おびただしい犠牲を出したシベリア抑留から生還した詩人の石原吉郎は、
「死においてただ員数であるとき、それは絶望そのものだ」と書き残した
▼「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなくてはならない」と述べ、
大量殺戮(さつりく)を「数の恐怖」としてのみとらえることは許されない、と記した。
酷寒と重労働のソ連の強制収容所で、名もない無残な死を見た者の、怒りと鎮魂の筆だったに違いない
▼同じ思いを、新潟県に住む元抑留者の村山常雄さん(83)は行動に移した。
死亡した日本人のうち4万6300人分の名前を、11年かけて調べ、まとめた。
すべてを載せて一昨年に自費出版した『シベリアに逝きし人々を刻す』は重さが2キロにおよぶ。
まさに「紙の碑(いしぶみ)」である
▼様々な資料を突き合わせて、ロシア側資料の奇妙な名も丹念に特定していった。
たとえば「コチ・カショニチ」は「幸地亀吉」と分かった。
名前とともに生年や死亡日、埋葬地も明らかになっていった
▼どれだけ意味のあることか、と思ったりもしたという。
だが、やめられなかった。
「無名にされることは存在の否定です。
その恥辱で人間をおとしめたのが戦争であり、抑留でした」と村山さんは振り返る
▼8月15日がまためぐってきた。
幾多の命が「員数」として果てた戦争の罪深さをあらためて思う。
遠ざかる過去だが、今日ぐらいは引き戻したい。
生者にせよ死者にせよ、昭和を終わらせられない人が、まだ少なくはない。
何故に終戦後に大勢の兵隊がソ連に連行され抑留されたのか。
読んでみると鳩山一郎さんが抑留者の帰国に尽力されているのは意外なことで
鳩山由紀夫さんも沖縄問題で頑張ってほしい。
2度あった土用の丑(うし)の日に、スーパーのかば焼きを食した
平成21年8月16日の天声人語よりの引用
東京で土日が続けて晴れたら3カ月ぶりという。
全国の予報でも晴れマークが「安定多数」を占め、ようやくの夏である。
月遅れの商機を逃すまいと、うなぎ屋の換気扇が盛んに白煙を噴き出していた
▼2度あった土用の丑(うし)の日に、スーパーのかば焼きを食した。
まず一匹490円の台湾産、「二の丑」は3倍の値の愛知産。
国内の養殖ブランドがおいしいのは当然として、輸入の品もいけた
▼食通が舌で書いたうなぎを味読すると、丑の日が何度あっても足りなくなる。
作家の吉田健一は白焼きの茶漬けを推した。
上等な吸い物のように、魚の味が海苔(のり)と山葵(わさび)に溶け合い、「海とも山とも付かない境地」と記す。
天然物だろう
▼養殖と天然、実は兄弟姉妹の関係にある。
南海で生まれた幼生はふらふらと潮に乗って北上する。
ようじほどの稚魚は、沿岸で捕まれば養殖池に送られ、川を上ればやがて天然物と貴ばれる。
何年かを生き延びた成魚は産卵のため再び海へ。
「海とも山とも付かない」一生である
▼うなぎの養殖史は130年になるそうだ。
沿岸にやって来る稚魚の量は70年代の1割ほどに減り、卵から育てる「完全養殖」が待たれる。
ところが、産卵前後の様子がわからない。
産卵場らしいマリアナ諸島沖で親を捕獲したものの、幼生の餌など謎は多い
▼かば焼きは養殖を頼り、養殖はその起点を自然界に頼る。
子が育つ海、将来の親がすむ川、両者が行き交う河口付近が健やかでないと幻の魚になりかねない。
夏の味覚は案外もろい皿の上にあると、心して味わいたい。
ウナギは体力の落ちる夏の季節の食品として珍重され美味しいが
コレステロールなどが多く含まれていて,節度が大切。
土用の丑のウナギは昔から良いと言われているが諸説あるらしい。
ベルリンの世界陸上で出した9秒58は、途方もない世界新記録だという
北京五輪の男子100メートルを疾走したジャマイカのボルト選手である
平成21年8月18日の天声人語よりの引用
「21歳。極致の数字をまだまだ縮めそうな、おそるべき雷光である」と、奇(く)しくも去年のきょう、小欄に書いた。
雷光とは、北京五輪の男子100メートルを疾走したジャマイカのボルト選手である
▼その稲妻が、1年ののちに再び駆け抜けた。
ベルリンの世界陸上で出した9秒58は、途方もない世界新記録だという。
2位になったライバル、ゲイ選手(米国)の談話がいい。
「人間がこんなに速く走れることがわかった。
残念ながら私じゃなかったが」。
脱帽、ということだろう
▼北京では快挙の半面、世界を残念がらせた。
勝ちを確信したのか両手を広げて減速してしまったからだ。
今度はゴールまで真剣だった。
敗れた選手は、わずかな差が、千里を隔てたように遠く思われたに違いない
▼国際陸上競技連盟ができた1912年、世界記録は10秒6だった。
以来、人類は1世紀をかけて1秒余を縮めてきた。
「たった」と思うか、「よくぞ」と見るか。
ならせば年に約0.01秒。
ともあれ、水滴が石をうがつような努力の賜(たまもの)だろう
▼人類最速への興味は、車がどれだけ速くても薄れない。
一編の詩が思い浮かぶ。
〈ふくらはぎ 優しいなまえ 円柱のようにふくらみ静かだ その下のくるぶし
硬い果実のように丸い対偶 夢が仕掛けてあるのだ……〉(「走る人」沢口信治)。
最速とは、人体の能力への、最も素朴な憧(あこが)れかもしれない
▼次なる目標は9秒台の前半ということか。専門家によれば可能性はあるそうだ。
人類未体験の領域に突き進む、「夢の仕掛けられた足」である。
陸上競技の黒人選手はよくみかけるが,どうして水泳選手には黒人選手はすくないのか
不思議である。ボルト選手の競争力は驚異的で他の選手を圧倒している。
元韓国大統領の金大中氏は、
まぎれもなくそうした人だった
「波瀾(はらん)万丈」という言葉さえ
軽く響く85年の生涯を、きのう静かに閉じた
平成21年8月19日の天声人語よりの引用
国や民族の苦難の歴史が、ひとりの政治家の人生に深々と刻まれることがある。
元韓国大統領の金大中氏は、まぎれもなくそうした人だった。
「波瀾(はらん)万丈」という言葉さえ軽く響く85年の生涯を、きのう静かに閉じた
▼日本の統治時代に朝鮮半島南部の島で生まれた。
以来、死刑判決などで5度にわたって殺されかけたという。
6年を獄中で過ごし、40年もの間、軟禁と亡命と監視の中で生きてきた。
その来し方は、平和と民主主義に守られて暮らす者の想像を超える
▼3度目に死に直面したのが、1973年に東京で起きた「金大中事件」だった。
白昼のホテルから韓国の情報機関に拉致され、5日後にソウルの路上に放り出された。
軍政下の不気味な事件として、その名を日本人の記憶に刻むことになった
▼大きな功績は、独裁体制を終わらせ、民主主義の定着に尽くしたことだろう。
98年には勝ち得た民主主義の下で大統領になる。
やはり政治犯から大統領に就いた南アフリカのマンデラ氏と並び称され、ノーベル賞にも輝いた
▼筋金の入ったその生き方に、「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」という欧州の古い言葉が重なり合う。
圧政の中で人生に刻まれた幾多の傷は、闘いを挑んだ向こう傷として、今では誇らしい勲章に違いない
▼愛妻家でも知られ、「私は生涯を通じて異性を本当に愛したことがない人には魅力を感じない」と述べていた。
巨星は墜(お)ちたが、生まれたばかりの雲になって、分断された民族の行方を見守っていることだろう。
金大中が政権を取った時は大いに世間は期待したものだ
北朝鮮との関係改善にも努力された。
だが汚職で失脚し自殺とはあっけない結末であった。
選挙に向けた各党のマニフェストを眺めていて思い出した
平成21年8月20日の天声人語よりの引用
さすがはエスプリの国と言うべきか、フランスに『楽天家用小辞典』なる書物があると仏文学の河盛好蔵が書いている。
かつて小欄でふれたが、様々な事柄を皮肉たっぷりに定義していて、たとえば「約束」は「選挙のときに使われる小銭」となる
▼さらに、「漠然とした約束は拒絶の最も丁寧な形式である」「約束を守らない人間にもあまり厳しくしてはならない。
彼らは希望の種をまく人だから」とワサビをきかす。
選挙に向けた各党のマニフェストを眺めていて思い出した
▼民主党は「高校授業料の無償化」や「子ども手当」「高速道路の無料化」などを打ち上げた。待ち望む人はいるだろうが、実を結ばせる財源は大丈夫か。
辞典のように寛容にならず、ここはひとつ厳しい吟味が必要だ
▼片や自民党は、「10年で家庭の所得を100万円増やす」を売りの一つにする。
おいしそうだが漠然としてはいないか。
かつて「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と言った某元首相の声が、どこからか聞こえてくる人もいるだろう
▼英国が発祥のマニフェストが日本に紹介されたのは、実は古い。
119年前の第1回衆院選の際に「選挙檄文(げきぶん)」と翻訳されたそうだ。
「檄」には主張を広く知らせ、決起を促す意味がある
▼「投票用紙で武装して、蜂起する日が近づいてきた」と豪州在住の作家、森巣博さんが小紙に寄せていた。
歴史的とされる選挙。
蜂起までに公約の虚と実、真と偽をとくと見定めるとしよう。
かつがれました、では子孫(こまご)の将来にも申し訳がない。
選挙に向けた各党のマニフェストが揃った時点では民主党の圧勝は想像できなかった。
原因は色んな要素が加味されていてあのような結果になったと考える。
本番はこれからのことである。責任力という言葉は何処へふきとんだのか。
民主党にとってはこれからであり 野党自民党としてにもある。
新型のインフルエンザが、
「本格的な流行が始まったと考えていい」
(舛添厚労相)勢いで広がりだした
平成21年8月21日の天声人語よりの引用
歳時記をめくると、病気にも季節がある。
夏ならコレラ、暑気あたり、赤痢……。
「鬼の霍乱(かくらん)」の霍乱は、今なら食中毒や日射病のことらしい。
夏風邪もあるが影は薄い。
風邪や流感のたぐいは、やはり木枯らしの季節でないと実感がわかないようだ
▼そんな日本人の油断を、邪悪なウイルスが虎視眈々(こしたんたん)と突いてきたようにも見える。
新型のインフルエンザが、「本格的な流行が始まったと考えていい」(舛添厚労相)勢いで広がりだした。
死亡例も報告され、甲子園球児やプロ野球選手、力士にも感染がおよんでいる
▼まず列島を巻き込んだのは5月だった。
マスクは売り切れ、催事は取りやめになり、修学旅行の中止が生徒を泣かせた。
保育所休業でお母さんは途方に暮れた。
過剰反応とも言われたが6月になると潮が引くように関心はうせた
▼インフルのウイルスに高温多湿は住みにくい。
だが、片隅でしっかり生きながらえていたようだ。
再び鎌首を持ち上げて患者は増えた。
〈騒いでた頃より多い感染者〉と、ひと月前の朝日川柳は世の無警戒を諷(ふう)している
▼〈冬来たりなば春遠からじ〉は名高い詩の一節だが、ウイルスには、苦手の夏が来たら「秋遠からじ」だろう。
専門家によれば今はまだくすぶっている程度。
秋から冬に、燎原(りょうげん)の火となって暴れる恐れがある
▼大正中期のスペイン風邪も、秋からの第2波でぐっと凶暴性を増した。
せんだっての第1波の際に、「マスクは冬の風物詩ではなくなった」と言われた。
正しく恐れて身構えて、長い闘いに向き合うとする。
驚異的な新インフルエンザの広がりをみせている。
誰もがあまり指摘されていないことは沖縄での日本よりの一桁多い
罹患率である。何故にその原因は そしてO157の感染が増えてきている。
そのビール類飲料が、今年の夏は苦戦している。
平成21年8月22日の天声人語よりの引用
人それぞれではあろうが、上品な小ぶりのグラスでビールを飲むのはどうも味気ない。
佳境に入ることなく底をついて、欲求不満ばかり残る。
ちまちまと注(つ)ぎ合うのも興をそぐ。
大ぶりの器で、ぐぐっと喉(のど)へ流す爽快(そうかい)が、あの酒の醍醐味(だいごみ)だろう
▼中国の清代の政治家だった康有為に、本場ドイツのビアホールを詠んだ漢詩がある。
〈三千の人 酔いて 飲むこと鯨の如し〉。
壮観なさまをうたう詩句を、中国文学の一海知義さんの著作に教わった。
飲むときはかくあるべし、のご同輩も多いのではないだろうか
▼そのビール類飲料が、今年の夏は苦戦している。
いまの統計を取り始めた92年以降、7月としては出荷が過去最低に落ち込んだという。
大手5社のまとめだが、長雨あり低温ありの天候不順が響いたらしい
▼「空腹」が料理の最高の調味料なら、ビールにとって最高の引き立て役は「暑さ」に尽きよう。
技をきわめた日本産のキレとコクだが、お天道様の気まぐれには色あせるようだ。
消費量世界7位の日本の鯨たちも、いまひとつ元気がない
▼茨木のり子さんにこんな詩がある。
〈どこかに美しい村はないか 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(ビール)
鍬(くわ)を立てかけ 籠(かご)を置き 男も女も大きなジョッキをかたむける……〉。
暑さばかりではない。
「ひと汗」かいた充実もビールによく合うようである
▼思えば庶民的ながら、ジョッキをかざせば祝祭的な飲み物でもある。
天候が不順なら、ここはひとつ充実感か。
自分の手で引き立てるなら、その味はまた格別かもしれない。
ビールをば暑い夏にグ-と飲むのはたまらず美味しい。
天候の理由もあるが経済的理由もあるのではなかろうか。
色んなビールが売りだされていて,大型ビール会社の合併もあるようだ。
「赤トンボ」という種はいない。
日本に20種ほどいるトンボ科アカネ属の総称という
平成21年8月23日の天声人語よりの引用
秋を出迎えに、栃木県北部の那須高原を訪ねた。
小さな人造湖を涼風が渡り、リンドウの青い花を揺らしていた。
水面に張り出した桜の枝先には、ちらほらと赤トンボ。
羽の両端が黒い
▼帰路、鬼怒(きぬ)川に寄った。
つり橋のワイヤに、別の種類の赤トンボが列をなしている。
欄干の一匹にそっと指を近づけると、何のつもりか飛び移ってきた。
逃げもせず頭をひねる姿が愛らしく、左手でカメラに収めた
▼「赤トンボ」という種はいない。
日本に20種ほどいるトンボ科アカネ属の総称という。
写真を調べてみたら、鬼怒川の愛敬者はアキアカネだった。
代表的な赤トンボで、真夏は高地にいて、涼しくなると里に下りてくる。
稲穂の上を群れ飛ぶ、秋の使者である
▼田んぼで繁殖し、害虫を食べるアキアカネは、長らく人間と共栄の関係にあった。
人なつこい習性もそれゆえだろう。
ところが農業の衰勢を映してか、各地で減少が伝えられる
▼全国で生態調査を続けるNPO法人「むさしの里山研究会」代表の新井裕(あらい・ゆたか)さんは、
著書『赤とんぼの謎』(どうぶつ社)で「やがて、赤とんぼを見ても何の思い出も持たない人々でこの国は覆われてしまうのか」と案じた。
アキアカネが舞う田園風景は日本人の心のふるさとなのに、と
▼農薬は実りをもたらした半面、赤トンボから餌と「仕事」を奪った。
湿地が消え、休耕田が増え、温暖化が進み、トンボには生きにくい環境である。
きょうは暑さがやむとされる節目、処暑。秋の使いが山を下りる候、小さな生き物との共存を考えてみたい。
秋を迎える頃になると多くの赤とんぼが飛び交う。最近はトンボが飛ぶのが少なくなり
蝶々の飛び交うのもあまり見かけなくなってきている。
メダカも見ない。全てが農薬による影響なのだろうか。牛が耕作していた時代にはよくみかけたものだ。
各紙の情勢調査は「民主党圧勝」である。
平成21年8月24日の天声人語よりの引用
30日は仕事なので、一足先に選挙権を使ってきた。
区役所の出張所にできたばかりの投票所には絶え間なく人が訪れ、暦が1週繰り上がったかのようだ。
昨日の朝日川柳の一句が浮かんだ。
〈待ちきれず期日前投票に行く私〉
▼各紙の情勢調査は「民主党圧勝」である。
議席の予測は、小紙「300うかがう勢い」、読売「300超す勢い」、毎日「320超す勢い」。
掲載が後になるほど「勢い」が増している。
片や自民党には「半減」の悪夢が忍び寄る
▼郵政選挙で「純ちゃんブーム」に乗った無党派層が、大挙して「政権交代ムード」に身を任せたかに見える。
大盤振る舞いの公約に不安を覚えつつも、いっぺん民主にやらせてみると思い定めた人が結構いるらしい
▼風の変化が増幅される小選挙区制の、自民には災い、民主には恵みである。
それが4首相でつないだ4年間への審判、我慢の爆発ならば、今さら「ムードに流れる大衆」とくさしても始まらない。
前回「ブームで300議席」の自民に、そもそも嘆く資格はなかろう
▼あと6日、この風は変わらないのか。
新聞の予想に対し、麻生首相はきのうのテレビで「1日2日で全然違います」と巻き返しを誓った。
油断を恐れる民主党の鳩山代表も、同じ番組で「メディアが乗りすぎている」と、両者が一致した
▼報じたことの虚実は時が検証しよう。
報道に身を置く者にも、この戦後史の山場は勝負時である。
久しぶりに、いや初めて「歴史」に関与している感慨を覚える。
コラム書きではなく、一人の有権者として。
新聞 雑誌の予想はよくあたるものだ。何万人もの人を対象として調査されるのでは当たる。
それに報道されると人間の心理として勝ち馬に乗ろうとする気持ちが働くものだ。
我慢の爆発もある。与党民主党 野党自民党もそれぞれ責任をはたしてほしい。
最貧の国で26年にわたって支援を続けてきたNGOの報告である
医師の中村哲さんを中心に、もとは医療活動にかかわっていた
平成21年8月25日の天声人語よりの引用
豊かな水が大地を潤す。日本では普通に見る景色のありがたさを、
ペシャワール会(本部・福岡)のDVD「アフガンに命の水を」を見て思った。
最貧の国で26年にわたって支援を続けてきたNGOの報告である
▼医師の中村哲さんを中心に、もとは医療活動にかかわっていた。
やがて井戸を掘り、農業指導へと幅を広げていく。
「飢えや渇きは薬では治せない」と痛感したからだ。
今月3日には、乾ききった大地に全長24キロの用水路を作りあげた
▼6年がかりの工事の様子を、映像は伝える。
人海戦術で掘り進み、伝統の石積み法で岸を固めていった。
2年前に約半分が完成して通水した。
潤った土地にいま、青々と麦がそよぐ。
「日本人」に感謝する村の古老の笑顔がいい
▼戦乱と干ばつの続くアフガニスタンは、さしずめ「人災と天災の荒野」だという。
祖国の荒廃は人の心も荒(すさ)ませる。
最悪の治安の中で、村人に守られて指導を続ける中村さんの姿に胸を打たれる
▼この国を舞台に映画を撮ったイラン人監督、モフセン・マフマルバフ氏の著書にこうあった。
「もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、
数百万のアフガン人が死と難民への道を辿(たど)らずにすんだでしょう」。
同じ思いが、会の人にも流れていることだろう
▼スタッフのひとり伊藤和也さんが殺害されて明日で1年になる。
しかし夜明けはまだ遠く、米国は増派を進めている。
腕力頼みの荒療治だけではない、「アフガン復興」に向ける志を、
かの国の政治家にも聞いてみたい。
弱いもの困っているものに対する援助するのが医師としての勤めである。
人間を人間らしくいきられることを助けるのが医師の役目である。
中村哲さんは実際にアフガンで実行されている。
だが戦争は人類にとって無用だが古代から繰り返されている。
その原因の要素はどこにあるのだろうか。貧困それとも差別 名誉心?
その道風も驚くような「空飛ぶ蛙」が
ヒマラヤ山系で見つかったと、
先ごろの小紙が伝えていた
平成21年8月26日の天声人語よりの引用
48枚ある花札に、なぜか平安朝の書家、小野道風(おのの・とうふう)が描かれている。
柳に跳びつく蛙(かえる)を眺める図である。
失敗を続けてやっと跳び移った姿に打たれ、ますます励んで名をなしたという逸話は、
真偽はさておき日本人の好みに合うようだ
▼その道風も驚くような「空飛ぶ蛙」がヒマラヤ山系で見つかったと、先ごろの小紙が伝えていた。
鳥のように飛ぶのではない。
発達した後ろ脚の膜を使ってムササビのように滑空するというから、いわばグライダーである
▼ヒマラヤの地形は険しく、人跡はまれだ。
調査をした世界自然保護基金によると、この蛙をはじめ350以上の新種の動植物が見つかったという。
薄目を開けて哲学者ふうな蛙の写真は、とうとう人間に発見された不幸を嘆いているように、見えなくもない
▼やかましく騒ぐことを「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」という。
だが世界的に「蛙鳴」は細る一方らしい。
開発に追われ、農薬に脅かされ、感染症の追い打ちも受けて蛙族の受難は進む。
水陸双方で生きられるというより、水陸両方がないと生きられない弱い生き物なのだという
▼蛙の詩で知られる草野心平は、その姿に生命の賛歌を見た。
だが死の悲しみも書き残している。
〈しづかにすすむ一列の。
ながい無言の一列の。
蛙の列がすすんでゆく。
ひたひに青い蛍をともし。
万の蛙等すすんでゆく……〉。
蛙の葬送を空想した一節である
▼なじみ深い水辺の隣人を、我々は相当に追いつめていると専門家は憂えている。
悲しい葬送への加担を続けていては、道風先生にも合わせる顔がない。
小野道風は何回も何回も繰り返して柳に飛びついていく蛙から
繰り返す事の大切さを教えた。
最近は蛙もあまり見なくなってきている。
人心の離れた秋の扇さながらに、
自民党の苦戦は甚だしい
平成21年8月27日の天声人語よりの引用
「秋」という言葉は、実り豊かなイメージの奥に凋落(ちょうらく)の響きを宿す。
「秋扇(しゅうせん)」といえば、夏には重宝された扇が、秋風とともに打ち捨てられて顧みられなくなる悲哀を言う。
その、人心の離れた秋の扇さながらに、自民党の苦戦は甚だしい
▼小紙が行った選挙中盤の情勢調査では、100議席に届くかどうかという厳しさである。
「民主大勝」の下馬評への揺り戻しがあるかと思われたが、民意は非自民で高止まりしたままらしい
▼4年前の郵政選挙を裏返したような情勢に、軍書『甲陽軍鑑』の一節が浮かぶ。
「九分十分(くぶじゅうぶ)の勝ちは、味方大負けの下作(したつくり)なり」。
大勝というのはくせ者で、驕(おご)りや慢心が後に大敗を招く。
だから勝ちは六、七分でいいという、武田信玄の言である
▼圧勝の遺産にしがみついて食いつなぐ与党に、嫌気のさした人は少なくなかった。
うわずった末に「小泉劇場の正体見たり」の4年でもあっただろう。
名将の言うとおり、巨大議席を得た大勝ちの中に、すでに凋落の芽は潜んでいたようである
▼だが、その合わせ鏡は民主党を映してもいる。
優勢ぶりに比べて政策への評価は低く、仮に大勝してもすぐ秋風が吹きかねない。
しかし考えてみれば、いずれの与党も「秋の扇」となって下野する緊張感の中でこそ、政治は営まれるべきだろう
▼そうした「国政のかたち」に道をつけるかもしれない選挙である。
今回の民意は「風」というより、もっと質量のある「水の流れ」のように思われる。
政治を鍛える力をしっかりつけた、それぞれの一票でありたい。
立派な野党自民党が育つことが立派な与党民主党になる原動力である。
ただの要領だけでは腰砕けになる。
実行力が大切な要素である。
多田さんによれば科学的根拠に基づく医療が
行きすぎたゆえの問題らしい
平成21年8月28日の天声人語よりの引用
気象予報官にもタイプがあって、その昔は「屋上派」と「地下室派」がいたそうだ。
気象予報士の森田正光さんが、鹿児島気象台長だった倉嶋厚さんから聞いたという話を小紙に寄せていた
▼屋上派は屋上で空を眺め、風を確かめる。
実況に照らしてデータを修正して予報を出す。
片や地下室派は、部屋にこもって資料とにらめっこをする。
解析技術は高いが、降っているのに「晴れ」と予報するぐらい実況には無頓着な人たちなのだそうだ
▼相通じる話を、免疫学者の多田富雄さんが書いていた(読売新聞)。
医者がパソコンばかり眺めて、患者の顔を見て診察しない。
数値に頼って患者の訴えを聞かない。
多田さんによれば科学的根拠に基づく医療が行きすぎたゆえの問題らしい
▼その反省から「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱されているそうだ。
訳せば「物語に基づく医療」となる。
聞き慣れないが、つまりは話をよく聞き、「ひとりの人間としての患者」を忘れない医療である
▼結構な話だが、医師のコミュニケーション能力は大丈夫かと心配になる。
最近、ある医学部を見学した人が驚いていた。
「患者ロボット」を相手に問診の訓練をするのだという。
なぜロボットなのかと聞くと、人との対話が得意でない学生もいますから、などと説明があったそうだ
▼その大学が「最先端」なのかもしれないが、ひょっとしてそんな流れなのだろうか。
病という難事において人生という物語を共有してくれる、「屋上派の医師」がもっと育てばいいのだけれど。
良く相手の話を理解してよく聞くことは何事にも通ずることだが
特に医師に求められることは良くわかる。
効率だけを求めれば出来ない話である。
小泉改革の効率だけを求めることは間違っていることが判りだしてきている。
その責任には背を向け代議士の職業だけは子供に渡している。
その名門を率いて、
「最後の大物」と呼ばれていた
エドワード・ケネディ上院議員が亡くなった
平成21年8月29日の天声人語よりの引用
アメリカ東部の州で少女が殺された古い事件を、在米中に小さな記事にしたことがある。
発生から27年たって有罪評決を受けたのは、ケネディ家に連なる男だった
▼ケネディ元大統領の弟であるロバート(元司法長官)の義理の甥(おい)という「末席」だったが、メディアは連日大きく報じた。
王室のない米国で、一族はそれに代わる存在とも言われる。
良きにつけ悪(あ)しきにつけ、かの国における注目ぶりを、あらためて感じたものだ
▼その名門を率いて、「最後の大物」と呼ばれていたエドワード・ケネディ上院議員が亡くなった。
暗殺された元大統領の末弟でリベラル派を代表する長老だった。
オバマ大統領の誕生に大きな役割を果たした人でもある
▼一度だけ間近に見たことがある。
優しげな目が、意志と信念を宿すように光っていた。
上の兄も、やはり暗殺された下の兄も、伝説の世界の住人である。
重い遺影を担いでの人生は、一族の家長として険しかったに違いない
▼94年、元大統領の夫人だったジャクリーンが亡くなったときの弔辞が印象深い。
「世間は、ジャッキーにも伝説上の存在になるよう迫りました。
でも、彼女は世間に注目されたくなかったのです」。
それは、自らの胸の内だったようにも思われる
▼エドワード氏亡きあとの一族に、力強い後継者は見あたらない。
「ケネディ王朝」も終焉(しゅうえん)へ向かうと見る向きが多いようだ。
だが、氏の政治信条はオバマ大統領に引き継がれたはずである。
病を得ながらも最後の大仕事を成し終えて、兄たちのもとへ旅立った。
ケネディ家はリベラルな人たちが輩出した立派な家系である。
アメリカの政界にあって画期的なことを残している
8月の言葉から「天下分け目の選挙に投票できる」
平成21年8月30日の天声人語よりの引用
独裁国家でもないのに、ほぼ一貫して一党が政権の座にある日本は特別だ。
それでうまくいった面もあれば、行き詰まった点もある。
一切合切に審判が下る。
一票にかける8月の言葉から
▼7月の失業率は過去最悪に。
さいたま市で職業訓練を受ける石川均さん(39)は今春、自動車業界で「派遣切り」に遭った。
訓練が終わる年末の状況を案じつつ、期日前投票に期待を込めた。
「停滞していた空気が動き出すかもしれない」
▼住民の過半が高齢者の都営団地に暮らす宮嵜(みやざき)安代さん(68)。
「戦後ずっとたまってきた澱(おり)のようなものをなくしてみたい。
ご破算で願いましては、もいいのかな」
▼今回から小選挙区にも広がった在外投票。
8カ国の仲間と裁判で国を動かした在ロサンゼルスの高瀬隼彦さん(79)は「天下分け目の選挙に投票できる」。
上海の能多まり子さん(55)は「政権交代がかかった選挙で期待がある。
働きながら子育てできる社会に」と一票
▼「国民は真に何を望んでいるのか。
それは、働く意思を持つ者と家族が一定の水準で平穏に暮らせることに他ならない」。
奈良県五條市の主婦三木栄子さん(61)は声欄で訴えた。
「大金は得られずとも仕事に誇りを持ち、やり抜くことで安定した生活が営める国であってほしい」
▼「最大の夏政(まつ)りで日本という神輿(みこし)を担ごう」。
大阪の繁華街で若者に投票を呼びかけた関西学院大生の市橋拓さん(21)。
「年金も介護も実はヤバいんじゃないか。
僕らが選挙に行って責任を持とうと思った」
▼きょうを、顧みて誇れる日にしたい。
自民党は傍目(はため)にも耐用年数が尽き、
最後は民意のあずかり知らぬ面々が
1年交代で首相の座をとことん軽くした。
平成21年8月31日の天声人語よりの引用
国会は歴史的な掃除のただ中にある。
いや議事堂のことだ。
建設から73年、高圧水流による初の汚れ落としで、黒ずんだ御影石に桜色が戻ってきた。
議席の布地も張り替わるが、まずはお尻の方がごっそり入れ替わった
▼負けに不思議の負けなし。
自民党は傍目(はため)にも耐用年数が尽き、最後は民意のあずかり知らぬ面々が1年交代で首相の座をとことん軽くした。
政治の非力に一部の官僚がつけこみ、血税や年金が消えていく。
やりきれない閉塞(へいそく)を、投票箱に注がれた高圧水が襲った
▼だが、うっぷんを晴らして喜んでいる時ではない。
積年のよどみは黒々とまだそこにあり、日本を桜色に蘇生する持ち時間は限られる。
しがらみのなさや、新たな発想が暮らしや外交に生きなければ代えた意味がない
▼55年前にも「戦後最大」と評された政変があった。
首相鳩山一郎の大衆人気は、前任吉田茂の近づきがたさの反動でもある。
小欄の先輩、荒垣秀雄は「気分の上では世の中がいくらか明るくなった」と歓迎した。
孫の圧勝も前政権の「お陰」と割り引くのがいい
▼「希望だけ膨らますと期待外れの時の揺り戻しが強い」。
万感こもる宮崎県知事の戒めだ。
有権者は、小選挙区という洗浄機の使い勝手、破壊力を知った。
約束した「日本の大掃除」の手を緩めたら、自民の二の舞いだろう
▼時の権力に目を光らせるのがジャーナリズムの本懐。
なれば小欄も今朝をもって照準を改め、筆鋒(ひっぽう)を研ぎ直すとする。
明るくなったか否かを後世に問われるのは、政変後の気分ではなく現実である。
安土桃山時代の安土城と伏見城
火天の城という映画が安土城の城が建築される迄のことを映画にしたものだというので観にいった。
城が出来るまでの経過を描いているとのことで大変興味を持ちみに行く。
安土山は信長が安土城を建てるまではもともと目賀田山と称されていて目賀田氏が城を建て住んでいたいた所と
言われている。近くの観音寺山があってそこには守護佐々木氏が観音寺城を築いて地続きの目賀田山に
その家臣だった目賀田氏が出城として構えていたのが現在の安土山の腰越峠付近にある館だった。
鎌倉から室町時代の武将屋敷のあととして現在は国特別史跡になっている。
そのようなことも有って映画を見に行った。
以下はインターネットより引用
火天の城のストーリは天正四年(1576年)熱田の宮番匠、岡部又右衛門は、織田信長から、安土に五重の城の建設を命ぜられる。
又右衛門は即座に引き受けたが、城造りを指揮する総棟梁は、名だたる番匠たちとの指図(図面)争いで決めると言う。
さらに広く世界に目を向けていた信長は、当時日本にはなかったキリシタンの大聖堂のように、天井まで吹き抜けの城を望んだ。
城造りを前に、苦悩し、寝食を惜しんで指図作りに没頭する又衛右門 それを支える妻、田鶴がいた。
それに一人娘の凛も、又右衛門の勝利をただひたすらに願った。
奈良の大仏殿を建築した中井家 京都の金閣寺を手がけた池上家の三人での競い合いだったが,
指図争いの席、競争相手の番匠たちとは考えを異にして、又右衛門は吹き抜けにしなかった。
意向に逆らった又右衛門に、激昂する信長だが又右衛門の番匠としての譲れぬ信念と誇りが信長を揺り動かした。
やがて、大和六十六州の職人たちが安土に集結し、前代未聞の巨大な城造りが動きだす。
実際の安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭である。
ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。
そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団、いわゆる「穴太衆」はその後全国的に城の石垣普請に携わり
、石垣を使った城は全国に広がっていった。
それまでの城は館で周囲を掘りに囲われただけのもので一階の屋敷のような構えだった。
建造当時は郭が琵琶湖に接していたが、昭和に入って干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。
安土山の全体に城郭遺構が分布しており、当時の建築としては城山の中腹に所在するハ見寺の境内に仁王門と三重塔が残っている。
また二の丸には信長の霊廟が置かれている。
滋賀県は1989年(平成元年)から20年計画で安土城の発掘調査を行っており、南山麓から本丸へ続く大手道、
通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏の清涼殿を模った本丸御殿などの
当時の状況が明らかとなりつつあり、併せて石段・石垣が修復工事されている。
城の目的は岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、
越前・加賀の一向一揆に備えるためで、叉上杉謙信への警戒のためでもあった。
その規模、容姿は太田牛一のあらわした信長記や宣教師の記述にあるように信長の天下統一事業を象徴する城郭であった。
山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされている。
伏見城は豊臣秀吉によって、自身の隠居後の居所として造られたものが初めである。
歴代3度にわたって築城され、初めに指月山に造られたものを指月山伏見城、震災後に木幡山に移されたものを木幡山伏見城などと区別される。
さらに、木幡山伏見城は創建時である豊臣期と、関ヶ原の戦災後に再建された徳川期のものに分けられる。
秀吉の死後、その遺言によって豊臣秀頼は大坂城に移り、五大老筆頭の徳川家康が代わってこの城に入り政務をとった。
関ヶ原の戦いの際、家康の家臣鳥居元忠らが守っていたが、石田方に攻められ建物の大半を焼失している(伏見城の戦い)。
なお、立てこもっていた徳川家の家臣達が自刀した建物の血痕の残る床板は、京都市の養源院など複数の寺に供養も兼ねて天井板に再利用されており、
血天井として現在でも生々しい血痕を見る事が出来る。
後に、家康によって再建され、廃城後はその建造物及び部材が各地に転用・移築されている。
この安土時代と桃山時代は丁度天正年間に一致することが多いので天正時代とも言われている。
安土城は築城に3年かかり,その3年後に織田信長がほ本能寺で明智光秀により殺害されて城は燃失している。
安土城は3年間しか存続しなかった。
一方の伏見城は33年間で三回の城作りが行われている。
大坂の役の後、伏見城の役割は大坂城へ移り、江戸幕府にとってこの城の重要性は薄れたため、徳川秀忠の隠居後の1625年に廃城となった。
宇治川を挟んで伏見城の対岸の巨椋池のなかの向島には向島城があって徳川氏の居城となっていた。
始めは豊臣秀吉の居城として作られている