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十月になって






十月は秋たけなわとなり暑くもなく寒くもない絶好の秋日和の季節である。

だが書いているのが十一月に入っての事なので,十月の季節感はあまり感じることが少なくなり,印象が薄らいできている。

書く内容としてはどうしても十一月の頃と混じるのは仕方がない。今年は台風も例年に比べ少なかった。

近畿はそれたが中部地方に上陸して被害をもたらしている。

この一ヶ月で,強烈な印象にあるのは自民党から民主党に変わっての日本の政治が劇的に変化したことである。

官僚の方にとっては大変気の毒なことともいえることだが,国民にとって政治が身近に感じ,

国民が投票するだけが政治行動だと考えていたのが,その結果によっての政治内容がどのような変化し,やや透明になったことが,

「仕分け」行事で今までよりも大変よく判るようになってきている。このことは非常に良いことだと思う。

民主党政権になっても議員に対しての国民からの陳情はあるようだ。

議員との癒着は自民党時代と同様に続くのだろうか。

内閣官房官の官房長官費が機密で発表されないのが大変気になる。何故に機密にしなければならないのか不思議だ。

インタネットで検索してみると,多勢の人たちが大変疑問に思っていることがわかった。

沢山な記事があるようだが全部読みきれない。内容は大同小異なものばかりのようだ。

以下インタ−ネットよりの引用

領収書のいらない政治資金とも言われる内閣官房報償費(機密費)の一端が明らかになった。

平野博文官房長官が2004年4月から今年10月までの5年半の月別支出を公表した。

小泉純一郎氏から麻生太郎氏まで4代の自公政権と、鳩山由紀夫政権の2カ月分だ。毎年平均12億円が使われ、総額は70億円を超える。

 機密費は官房長官が国政運営に必要と判断しさえすれば、自由に使える経費だ。

自民党政権下では長年、非公開とされてきた。

鳩山政権が公開に踏み出した意義はある。だが肝心の使途は明らかにされなかった。

 自民党が大敗した衆院選からわずか2日後の9月1日、麻生政権は2億5千万円を引き出していた。

 政権交代を目前に控え、これほどの巨費を一体、何に使ったのか。?

これらは国民の税金の一部である。支払った国民に知らされないのは,横領か詐欺に匹敵すると考える。

そうした疑問を解消するにも、使途を含めた原則公開のルールが必要だ。

 平野官房長官は公表に当たり「出せるものは出す」と、情報公開法に基づく範囲で明らかにする意向を示した。

だが経緯を振り返れば、とても積極的な開示とは言えない。

 平野氏は就任直後の記者会見で機密費について問われ「そんなの、あるんですか」と、

存在そのものを否定するかの発言をしていた。

 その後、再び質問されると、今度は「報償費は知っているが、機密費は知らないから答えなかった」と釈明してみせた。

 政治の透明化を掲げる政権のスポークスマンとして誠実な対応ではない。

今回の公表も民主党政権になって以降の支出実態に関する報道が先行し、やむなく後追いで行ったというのが本音ではないか。

 使途の公開については「支出する先方との関係もある。

慎重にしたい」と依然後ろ向きだ。


すべての情報開示が難しいのは理解もできる。

 だが機密費は過去に国会議員の餞別(せんべつ)や与野党幹部のパーティー券の購入などに充てられ、筋違いの国会対策費として使われてきた。

 すぐに使い道を明らかにするのは無理でも一定期間を経たものは公開するのを原則とする。

そうした原則を確立すれば不透明な支出に歯止めをかけられる。

 民主党は01年に国会に提出した「機密費公表法案」で、機密性の高いものは25年後、それ以外は10年後に公表する−と求めていた。

 平野氏は来年4月から1年間かけて支出を検証し、公表の是非を判断するという。

もっと早く公開の基準や方法を検討すべきではないか。

 かつて国会の代表質問で「機密費の使途を国民に説明する義務がある」と迫ったのは、ほかならぬ野党時代の鳩山首相だ。

公開に向けて指導力を発揮してもらいたい。


野党の時と政権党の時とでは,政治家とはこんなにも変わるものなのかとあきれるばかりである。

特に平野氏についてはひどい話である。

民主党は現在の所,以前とは違った政治を目指していていることは理解できる,これ以上堕落せず国民を裏切らないでいて欲しい。


歴代の内閣官房長官

敗戦後日本の自民党の長期政権が大変異常で゜あることが判る



事業仕分け人1(動画)

   蓮舫議員

事業仕分け人2(動画)



アフガニスタンでの戦闘(動画)


アフガニスタンにアメリカ軍が増派することはまちがっている。あくまでも対話で解決すべきで

アフガニスタンのことはアフガン人に任すべきである。カルザイ大統領も総戦挙で選ばれてはいるが

疑問が大いに残る選挙だったようとも報道されている。汚職がはびこりそのような政府に援助するのは

何のためか疑問符がつくことである。

アフガンに駐留している外国軍は速やかに撤退すべきで民政援助が出来ればよいが無理にしなくとも良いと思われる。

今の状態では第二のベトナムで戦争のための戦争が行われているように感ずる。

為政者はどんな人物であろうとも,住民達の立場になれば切実に平和を願っていると思う。

抵抗するのに自爆テロでは悲しい。

第二次大戦中の日本軍の特攻隊員を連想する。国民は常に平和な生活を切実に望んでいる。









愛国華僑は対中投資の懸け橋となる
中国は本日、建国60周年を迎えた










平成21年10月1日の天声人語よりの引


中国では里帰りを探親(タンチン)というそうだ。

字面は親族を頼って帰る風だが、財をなした華僑は頼られる側だった。

東京出身の作家・譚●美(たん・ろみ、「ろ」は「王へんに路」)さんが、

北京生まれの早大教授劉傑(りゅう・けつ)さんとの共著『新華僑 老華僑』(文春新書)で昔話を紹介している

▼70年代後半に里帰りした在日華僑氏。

三日三晩の宴会で歓待されたはいいが、費用のほか電気や下水道の工事までせがまれ、400万円が消えた。

それでも母国を支える喜びがあったという。

愛国華僑は対中投資の懸け橋となる

▼中国は本日、建国60周年を迎えた。

歩みを色分けすれば、解放と混乱、続いて開放と成長となろうか。

譚さんの知人が故郷で散財した頃から、一人当たりの国内総生産は約15倍に増えた

▼あの日、毛沢東は整髪して天安門の楼閣に現れ、広場の数十万人を前に中華人民共和国の成立を宣言した。

アヘン戦争以来の屈辱を越え、新中国の実験が始まった瞬間だ。

毛は続けた。

「我々は自らの文明と幸福を創造し、世界の平和と自由を促進するために働くだろう」

▼豊かになった13億の民の間を今、格差と反目の溝が幾重にも走る。

都市と農村、漢族と少数民族。一党独裁の下、人権や表現の自由にも光明は見えない。

長い苦闘の末に建国を勝ち取った者たちは、明暗のまだら模様を天からどう見ていよう

▼共産党の古里でもある農村から貧しい出稼ぎがあふれ、

市場経済を巧(うま)く泳いだ富裕層、特権階級が海外旅行に興じる現実は本意ではあるまい。

意あって技なしか、どちらも足りないのか。

国造りの夢、道半ばである。






中国建国60周年といわれても中国の人たちは本当に幸せになっているかは疑問を感ずる。

格差社会があり共産党だけの一党支配では多彩な国民の意見はくみとれない。

早く民主主義的国家に変貌して欲しい。でも現在では中国の存在は国際社会においては大きな役割占めている。








広島県福山市の景勝地、鞆の浦の一部を埋め立て
長さ180メートルの橋をかける計画に、広島地裁が待ったをかけた










平成21年10月2日の天声人語よりの引


盲目の箏曲家、宮城道雄の名を世界に広めた名曲「春の海」は、

瀬戸内の景色だという。本人は「島々に桃の花が美しく咲いていると船で聞き、ヒントをだいたい得たわけです」と語っている

▼8歳で失明した宮城。

幼い記憶と人の話に、自らとらえた風や潮騒を重ね、変化に富んだ琴と尺八の二重奏に仕上げた。

昭和の初め、35歳だった。

何度も聞かされたであろう親の故郷、鞆(とも)の浦の風景も、音符のいくつかになったと思われる

▼広島県福山市の景勝地、鞆の浦の一部を埋め立て、長さ180メートルの橋をかける計画に、広島地裁が待ったをかけた。

判決はその景観について、住民の利益にとどまらず「国民の財産」と踏み込む。


景色を守るために公共事業が止められるのは初めてという

▼鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央にある。

満潮時には東西からの潮が沖で出合い、東西へと引いていく。

潮待ちの港として古代から栄えたゆえんだ。

大伴旅人らの吟詠が万葉集に残る

▼映画監督の宮崎駿(はやお)さんは4年前、ここに2カ月滞在し、入り江を眺めて「崖(がけ)の上のポニョ」の想を練った。

「開発でけりがつく時代ではない。

公共工事で何かが劇的に変わるという幻想は捨てたほうがいい」と判決を喜ぶ

▼優しくたゆたう海は古今の才能を刺激し、言葉、音、映像となって私たちを感動させてきた。

「国民の財産」の再生産である。

一方に「これでは救急車も入れない」という生活の叫び。

行政には、かけがえのない景色と、足元の暮らしの両方を守る知恵が求められよう。

納得の司法判断である。





歴史的景観は全日本国民の財産である。土地の人たちの便利の為にだけで景観は損なわないでほしい。

自然は一度壊せば再び戻ることはない。

景観をば大いに宣伝し,住民に利益をもたらすような施策をしてほしい。






与野党の立場が逆転し、
霞が関でコペルニクス的転回が多発している
最たるものは概算要求のやり直しだろう









平成21年10月3日の天声人語よりの引

 コペルニクスが地動説の公表を決意したのは最晩年だった。

科学史に輝く一冊「天体の回転について」の初版本は死の床に届いたとされる。

元になる論文を友人に配ってから30余年が過ぎていた

▼当時の宇宙観は、あらゆる天体は地球を中心に回っているという天動説。

異を唱えれば教会に迫害されかねない。

中世に固まった頑迷な秩序を覆すのは、勇気と労力が要る作業だった

▼与野党の立場が逆転し、霞が関でコペルニクス的転回が多発している。

最たるものは概算要求のやり直しだろう。

予算を目いっぱい求める役どころだった各大臣は、自分の省庁の要求を削り倒せと命じられた。

政権公約を実現するには7兆円をひねり出さねばならない

▼節度は自ら保てとばかり、半世紀近い習わしだったシーリング(要求上限)も消えた。

旧政権下のメニューをどれほど削るかで、官僚たちの忠誠ぶりや大臣の手腕が試される。

大食い競争からダイエット合戦へ、天と地ほどの差である

▼予算見直しの試金石は、「アニメの殿堂」でみそをつけた補正予算の執行取りやめだ。

各省の返上分はなかなか目標の計3兆円に届かない。

こうした政治主導をつかさどる体制はまだ作りかけで、走りながら考えている様子がうかがえる

▼古い秩序を壊して築くべきは、すべてが国民を中心に回る世の中であろう。

わけても税金の使い道は国家の根幹であり、本気で白紙から改めるなら「ミニ革命」どころか「プチ建国」に近い。

つち音、ホコリ、日々高し。

しばらくは突貫工事の首尾を見守りたい。



政権交代に大変な意義があったことが判る。

これで隠された政治がず-と続いていたことが判った。

長期になるとなんでも堕落することが多い。




デンマークでの国際オリンピック委員会総会で、
東京は2016年の開催地に落選した
ほほえみを得たリオデジャネイロは南米初の開催になる










平成21年10月4日の天声人語よりの引


 昔あった大学入試の合否電報ふうに言えば、「人魚姫ほほえまず」といったところか。

デンマークでの国際オリンピック委員会総会で、東京は2016年の開催地に落選した。

ほほえみを得たリオデジャネイロは南米初の開催になる


▼残念な人も多いだろうが、祝福したい結果である。

「五輪の歴史に新しい大陸を仲間入りさせてほしい」とブラジルのルラ大統領は語っていた。

ちょうど50年前、「アジア初」を訴えて開催を勝ち得た日本の姿に、その言葉は重なっていく

▼あのとき日本は、「五輪という花を初めて東洋にも咲かせて、五つの輪を完璧(かんぺき)なものに近づけてほしい」と支持を広げた。

五輪の理念と響き合う訴えには、やはり力がある。

決選の投票ではリオが圧勝し、さらに一歩「完璧」に近づいたといえる

▼ブラジルは2014年にサッカーのW杯も開く。

すぐあとの五輪開催は、盆と正月が立て続けに来るようなものだ。

胃もたれしないか心配になるが、そこはお祭り好きの国。

大いに張り切り、楽しむだろうと知人のブラジル通は見る

▼かつてリオを旅した三島由紀夫は名高いカーニバルに圧倒された。

「ホテルの窓を閉めたって、眠れるどころではない」「日本人は、腰を抜かす他はない」と、リオっ子の気質と熱気に脱帽している。

人々が「祭り疲れ」する心配はないようである

▼日本からの移民が多く縁浅からぬ国である。

もろもろの課題を克服して、五輪の新天地でどんな大会を見せてくれるのか。

サンバのリズムなど思い出しながら、はや興味は尽きない




都民から支持されていないオリンピック招致したこと自体が間違っている。








最古の人類と先ごろ報じられたラミダス猿人のものが、
月末まで一般に公開されている








平成21年10月5日の天声人語よりの引


詩人の谷川俊太郎さんは、若いころに「博物館」という詩をつくった。

〈石斧など/ガラスのむこうにひっそりして〉と書き出して、人類の上に流れた長大な時間に思いをはせる。

〈星座は何度も廻(まわ)り/たくさんのわれわれは消滅し/たくさんのわれわれは発生し……〉と言葉は続く

▼その石斧の時代より遥(はる)かに遠い、約440万年前の人類の頭骨の復元模型を、東大の総合研究博物館で見た。

「最古の人類」と先ごろ報じられたラミダス猿人のものが、月末まで一般に公開されている

▼猿人は背丈120センチほどの女性と見られ、「アルディ」の愛称がつけられた。エチオピアの森で暮らし、

二足で歩いて、果実や昆虫などを雑食していたらしい。


「されこうべ」は両手に載るほど小さくて華奢(きゃしゃ)だ

▼だが隣に置かれたチンパンジーのものと比べると、人間に近いことが、素人目にもよく分かる。

骨の主が、人類という大河の源流の一滴だったと思えば、どこか慕わしい。

茫々(ぼうぼう)、累々たる過去。

その凝縮として存在する我が身に気づき、ふと頬(ほお)をつねってみる

▼人間とは何か、という問いに「サルとロボットの間」と言ったのはたしか評論家の立花隆さんだった。

なるほど、サルを「われわれ」とは言わないが、アルディなら言えそうだ。

報道の多くも彼女を「メス」ではなく「女性」と表記していた

だが彼女の時代も、1億年を1メートルとして地球史を46メートルの巻物にすると、たった数センチの過去にすぎない。

黙して語らぬ、されど様々な想像を紡がせてくれる、華奢で小さな頭の骨である。





僅かな時しか人類は生きることが出来ないことを知れば,自ずから毎日が大切であることが理解できるはずだが。








亀井静香金融相の、いわゆる
「借金の返済猶予」をめぐる発言が
様々に波紋を広げている







平成21年10月6日の天声人語よりの引


俳句には遊び心や想像力が生んだ季語があって、たとえば実際は鳴かないものまで鳴かしてしまう。

いまの季節なら「蓑虫(みのむし)鳴く」がある。秋風にゆれる蓑虫が親を慕って細く鳴く。

そんな虚構で寂寥(せきりょう)をかもし出す

▼春なら「亀鳴く」だろう。〈亀鳴くや一升瓶に手が伸びる〉成田千空。

くぐもった、のどかな声の空想は、春愁を呼びさますようである。

ところで、政界の「亀さん」も声は負けていない。

亀井静香金融相の、いわゆる「借金の返済猶予」をめぐる発言が様々に波紋を広げている

▼中小企業の借金や、個人の住宅ローンの返済を、3年ほど猶予する法案を、国会に出すのだという。

期待する人もおられようが、おおむね四面楚歌(しめんそか)である。

私的な契約への国家権力の介入は、自由経済では禁じ手とされているからだ


▼あおりで株価を下げた銀行を、「脆弱(ぜいじゃく)な銀行は、営んでいる資格がない」と一喝した。

だが、意気軒高だった声が、ここ数日はくぐもり気味だ。とはいえ意気消沈ではない。

政権の内外で現実的な落とし所を探っているらしい

▼もともとがパフォーマンス、という見方もある。

強きをくじき、弱きを助ける。

「徳政」で耳目を集めれば国民新党の株は上がる。


立ち消えでは収まるまいが、そこは何らかの政策で手当てをする――そんな憶測だが、どうも真意は読みにくい

▼〈亀鳴くや男は無口なるべしと〉田中裕明。

人情家で聞こえる亀井さんのことだ。

情と理がうまく溶け合って摩擦を起こさぬ善政を、誰しもが望んでいよう。

口よりも実行を第一にして。





民主党政権でも自民党とあまり変わらない人物の象徴のような人が亀井静香さんか。

良い自民党の体質をば発揮してほしいものである。

箱物から人間へのキャッチフレ−ズは共感する。土木工事のための土木工事であってはならない。








鳩山政権が吟味にてこずるのは、当然ともいえる
民主党は、目玉公約の主な財源は
無駄を見直して捻出(ねんしゅつ)すると訴えてきた








平成21年10月7日の天声人語よりの引


ネクタイをとりどりお持ちの向きも、そのすべてを使う人は少ないのではないか。

わが箪笥(たんす)を開けると13本あるが、たまにでも結ぶのは7本しかない。

あとはいわばお蔵入りである

▼それらの購入費は無駄遣いだったことになるが、違う考え方もできる。

13本買ったから使えるものが7本ある、という解釈だ。

いくら吟味しても、気に入るものだけを百発百中で買うのは難しい。

ならば6本分のお金は、無駄ではなく「無用の用」だったと言えなくもない

▼中国古典の「荘子」に次のくだりがある。

人が足で踏む地面はわずかだが、だからといってそれ以外を削ってしまえば、もはや地面としての用をなさない、と。

こうなると「無駄」もなかなか奥が深い。


鳩山政権が吟味にてこずるのは、当然ともいえる

▼民主党は、目玉公約の主な財源は無駄を見直して捻出(ねんしゅつ)すると訴えてきた。


手始めに補正予算から3兆円を浮かせるという。

だが、出費を削れば景気が再び底に落ちる心配もある。

右に二番底、左に公約違反の奈落を覗(のぞ)きながらの、難しい細道が続く

▼人は見かけによらぬというが、予算も同じかも知れない。

実は理のある出費が穀潰(ごくつぶ)しに映ったり、反対に本当の無駄が、すまして化粧していることもあろう。

見誤れば、ついてくるのは失政という結果である

▼〈ハンドルの遊び無駄だと締め付ける〉と朝日川柳にあった。

政権を見る目ももう「あばたもえくぼ」は卒業だろう。

「あの失政も無駄ではなかった」と後で他山の石にされる余裕は、政権にも、むろん国民にもない。






官僚の天下り箱物の工事中止には誰もが共感する。

強引な自民党政治の為に反対していた人たちが三世に回って叉国の反対では住民も

大変な犠牲を払わされている。国民に政府が知らせず国民が知らなかったことがあまりにも長期政権で多すぎた。








台風18号は四国から東海のどこかに
上陸している可能性が強い









平成21年10月8日の天声人語よりの引


 地図の上下を逆にすると、もろもろのイメージが変わる。

たとえば台風は、日本をめがけて攻め上がってくる印象だが、さかさに見れば、振り下ろされる刀のようだ。

太平洋に向けて無防備に腹を出した列島を、袈裟懸(けさが)けにせんとばかりに狙ってくる

▼手ごわそうな一太刀(ひとたち)が、本土に迫っている。

この新聞がお手元に届くころ、台風18号は四国から東海のどこかに上陸している可能性が強い。

神出鬼没で暴れるゲリラ豪雨ではなく、いわば強大な「正規軍」の襲来である

▼秋の台風は、東の海上へそれることが多い。

しかし今年は、盛夏には昼行灯(ひるあんどん)だった太平洋高気圧が、いまになって踏ん張っていて、コースを列島寄りに押しているそうだ。

過去10年で最大級というから、進路にあたる所はくれぐれも注意をしていただきたい

▼作家の山口瞳が豪雨の体験を書き残している。

東京郊外の自宅近くには山も川もなく、水害の心配はないと思っていた。

だが、あるとき水浸しになる。

家のあたりの土地が周囲の地域より、50センチほど低かったからだという

▼高きから低きへ水は流れる。

ふだんは気にもしないわずかな高低が、大量の水を集中させたのだった。

安全だという思い込みは、かくもはかない。

専門家によれば、自分のいる場所を「知る」ことが身を守る鉄則である

▼殴り雨、ごず降り、ざぶり、滝落とし……。

地方々々に様々な、激しい雨の呼び名がある。

加えて今日は猛烈な風も吹くだろう。

自然の一太刀はかわせない。

だが被害をかわす備えと行動は、われわれ次第である。






台風は自然なもので人工的に排除できないが進路を予知する技術は発達しているので

出来るだけ自然災害を防ぐ心構えが出来る。

台風の進路を変えることは出来ないのだろうか。








音をめぐるトラブルが、近年増えている







平成21年10月9日の天声人語よりの引


あす10月10日の「目の愛護デー」は、一〇と一〇を左右の眉と目に見立てて定められた。

3月3日は「耳の日」で、こちらは語呂合わせである。

一緒にして「耳目(じもく)」などと呼ぶが、言われて気がつく違いがある

▼〈眼は、いつでも思ったときにすぐ閉じることができるようにできている。

しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。

なぜだろう〉。寺田寅彦の断想だが、なかなか示唆に富んでいる

▼音をめぐるトラブルが、近年増えている。

飛行機や工場といった従来の騒音ではなく、暮らしの中の音で摩擦が相次ぐ。

先日はNHKテレビが、うるさいという苦情で子どもたちが公園で遊べない実態を紹介していた

▼東京の国分寺市は今月、生活音による隣人トラブルを防ぐための条例を作った。

これは全国でも珍しい。


部屋の足音、楽器、エアコンその他、いまや「お互い様」では収まらなくなっているのだという

▼「煩音(はんおん)」という造語を、八戸工業大学大学院の橋本典久教授が使っている。

騒音と違い、心理状態や人間関係によって煩わしく聞こえる音を言う。

今のトラブルの多くは騒音ならぬ煩音問題らしい。

人々のかかわりが希薄になり、社会が尖(とが)れば、この手の音は増殖する

▼「音に限らず、煩わしさを受ける力が減退しているのでは」と橋本さんは見る。

誰しも、耳を自在に閉じられぬ同士である。

ここはいま一歩の気配りと、いま一歩の寛容で歩み寄るのが知恵だろう。

それを教えようと、神は耳を、かく作り給(たも)うたのかも知れない。




沖縄基地住民の騒音被害を考えてあげることも必要だ。

基地の騒音は止めることが出来るのだがアメリカ軍の圧力によりとめることができない。

アメリカとの対等な外交関係を是非構築してほしいものだ。







罪深い兵器を廃絶して、「核なき世界」をめざそうと唱える
アメリカのオバマ大統領が、
今年のノーベル平和賞に決まった







平成21年10月10日の天声人語よりの引


一読したとたんに胸に突き刺さり、ノートに書き取っておいた一首がある。

〈おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ〉。

岩井謙一さんという戦後生まれの歌人が詠んだ。

二つの光とは広島と長崎に投下された原子爆弾のことだという

▼「水ヲ下サイ」はあの日、地の底からわくようにして空へのぼっていった、瀕死(ひんし)の声、声、声だろう。

光も声も、消えてはいない。

いまも暗黒の空間を飛び続けている。

歌人の想像力は、原爆の「原罪性」を、読む者に突きつけてくる

▼罪深い兵器を廃絶して、「核なき世界」をめざそうと唱えるアメリカのオバマ大統領が、今年のノーベル平和賞に決まった。

現職の国家首脳の受賞は、9年前に韓国大統領だった故金大中氏が、南北和解への貢献を理由に受賞して以来になる

▼オバマ氏は、何かをなしての受賞ではない。

だが歴史的とされるプラハ演説を源に、核軍縮の川は流れ出した。


国連安保理も巻き込んで川幅は広がっている。

それを涸(か)らしてはならないという、ノーベル賞委員会の意思表明でもあろう

▼長崎で被爆した作家の林京子さんが、この夏、小紙に語っていた。

「人間らしい形を残さない姿で死ぬ人たちを見ました。

人間がこんなにおとしめられていいのか、という思いが私の原点です」。

同じ思いを、オバマ氏の原点にもしてほしいと願う

▼〈燃え残り原爆ドームと呼ばれるもの残らなかった数多(あまた)を見せる〉谷村はるか。

聡明(そうめい)な大統領のこと、被爆地訪問がかなうなら、必ずさまざまな真実を「見る」はずである。






平和賞は世界の平和の為に貢献した人たちに送られるものだが

是非オバマ氏に世界の平和を構築して欲しいとの願望がこめられているようだ。

アメリカでの支持率が低下していることに対して危惧する。







鳩山首相が外遊先で、これを独り唱えたかどうかは知らない。
政治資金収支報告書に、故人からを含むウソの献金が並んでいた










平成21年10月11日の天声人語よりの引


古今の名言に勇気をもらうことがある。

例えば〈小事にこだわるには人生は短すぎる〉などは、落ち込んだ時によく効く。

取るに足らない失敗や不評を引きずっていては、前に進めない

▼鳩山首相が外遊先で、これを独り唱えたかどうかは知らない。

本紙の報道で発覚した「故人献金」のお粗末について、東京地検特捜部が動き始め、自民党は臨時国会で攻め立てようと手ぐすねを引く

▼政治資金収支報告書に、故人からを含むウソの献金が並んでいた。

浄財をたくさん集めたように装うため、金庫番の秘書が勝手に……との釈明は弱い。

名が載らない小口献金はさらに怪しく見える。

政治の大掃除をしようというのに、ほうきにゴミが絡んでいては興ざめだ

▼虚偽献金の出どころは首相個人の金という。

2千万円超を秘書に引き出されて気づかぬ金銭感覚を、ご本人は「大まかな人間だった」と反省された。

あり余る鳩山家の資産と政治資金がごっちゃになっている心配はないのだろうか


▼企業買収の激烈を描いた映画「ハゲタカ」に、印象的な言葉があった。

〈人生の悲劇は二つ。

一つは金のない悲劇、もう一つは金のある悲劇だ〉。


鳩山氏の不幸はもちろん後者である。

大店(おおだな)のぼんぼんなら金に無頓着なのもご愛敬だが、大まかが「小事」で済まない地位もある

▼政権交代を受けての国会。論ずべき大事は山ほどあるのに、攻守ところを変えた「政治とカネ」が争点とは寂しい。

首相は捜査を理由に口をつぐむが、ここは民主党の金銭感覚が問われている。

大いにこだわりたい。



何故に政治家に与野党関係なしに何故かお金が付きまとうのは不思議である。







東京・王子の紙の博物館で、企画展「手漉(す)き和紙の今」を見た








平成21年10月12日の天声人語よりの引


読者からいただく封書に、筆でしたためたものがある。

広げつつ墨跡を追えば、ご用件にかかわらず背筋が伸びる。

いわば正装の来客。

寝ころんで接するわけにはいかない。

和紙には、触れる者の居ずまいを正す力が宿るらしい

▼東京・王子の紙の博物館で、企画展「手漉(す)き和紙の今」を見た(11月29日まで)。

人間国宝3氏の作も端正ながら、いろんな原料と技法で伝わる郷土紙がいい。

和紙とひとくくりにするのがためらわれる彩りだ

▼展示の紙々は、近く発刊される「和紙總鑑(そうかん)」12巻の一部という。

京都などの有志が、10年がかりで各地の1070点を集め、和英の解説を付した見本帳である。

来春にも800部が市販される

一説によると来年は、紙すきの技が大陸から伝わって1400年にあたる。

以来、和紙は書画の世界ばかりか、住まいにもなじんだ。

戸外の光や音、寒暑を、通すでもなく遮るでもない。

障子が持つあいまいさ、しなやかさこそ、自然との「和の間合い」だろう

▼古川柳に〈薄墨の竹を障子に月がかき〉がある。

おそらくは美濃紙(みのがみ)の、薄いカンバスに揺れる竹林の淡影。

素材として、また媒体として日本文化を担ってきた和紙の見せどころである。

洋紙の世にあって、なお千種を超す紙が全国に息づくのもうなずける

▼博物館で、はがきの手作りを体験した。

もみじを3枚すき込み、透かしを入れ、郵便番号の赤枠をスタンプで押したら、素人の戯れとは思えぬ一葉に仕上がった。

この見ばえも和紙のマジックであろう。

いつか礼状に使わせてもらう。





和紙に書かれた流れるような字体を見ていると奥ゆかしい日本の伝統を感ずる。

雅で心が和む感じを受ける。






その広島と長崎の両市が、2020年五輪に名乗りを上げると表明した









平成21年10月14日の天声人語よりの引


リアリズムの鬼と呼ばれた土門拳の写真集『ヒロシマ』は1958(昭和33)年に刊行された。

被爆者の傷痕や、原爆症の苦悩を見すえた一枚一枚が、核の非人間性を、えぐるように告発している

▼初めて広島入りした日を土門が回想している。

戦後も10年余りが流れ、「忘れられた原爆を撮る」ぐらいの気分だった。

だが広島に着いて驚き、狼狽(ろう・ばい)する。

「僕などヒロシマを忘れていたというより、初めから何も知ってはいなかったのだ」と。

そして憑(つ)かれたように広島に通い、写真集を世に出した

▼その広島と長崎の両市が、2020年五輪に名乗りを上げると表明した。

人々は歓迎ばかりではない。

驚きあり、困惑ありと反応はまちまちなようだ。

だが先行きの困難は承知で、試みるに値する招致ではないだろうか

▼土門ではないが、「何も知ってはいない」人は世界に多い。

核の唯一の使用国とて例外ではない。

ヒロシマとナガサキが人々の胸に刻まれれば刻まれるほど、核廃絶の潮流は強まっていくと信じたい

▼とはいえ世界の思いは単純ではないだろう。

被爆した詩人、栗原貞子さんの一節を思い出す。

「〈ヒロシマ〉というとき 〈ああヒロシマ〉と やさしくこたえてくれるだろうか 〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉 〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉……」

▼このあたりをこえていくのは、実際的な段取りにも増して難しいことかもしれない。

惨禍から75年の後。

めざすのが名にたがわぬ「平和の祭典」なら、挫折しても値打ちはあろうというものだ。






東京よりも何処よりも是非原爆が投下された広島で開催することは世界の人たちが集まる平和の祭典として

全く適した会場である。長崎との共催は無理である。

あまりにも遠すぎて是非広島で開催に努力してもらいたいものです。









いまや1年の利用者は6500万人にのぼる。
世界でも4位というにぎわいだが、国際線はごく少ない。
「国内は羽田、国際は成田」と棲(す)み分けてきたからだ








平成21年10月15日の天声人語よりの引


羽田から飛びたった定期航空の第一便には、中国・大連のカフェーに届けられるスズムシとマツムシ計6千匹がおさまっていた。

人間のお客は一人もいない。

出来たばかりの航空会社がやっと探した大事な「客」だった。

1931(昭和6)年のことである

▼時は流れて、いまや1年の利用者は6500万人にのぼる。

世界でも4位というにぎわいだが、国際線はごく少ない。

「国内は羽田、国際は成田」と棲(す)み分けてきたからだ。

その原則をやめる、という前原国土交通相の発言が波紋を広げた

▼発言は日本の表玄関をうたう成田には「格下げ通告」に聞こえる。

流血の反対闘争の末に開いた空港である。

苦渋の思いで受け入れてきた地元が、はしごを外される思いになるのは無理からぬことだ

▼成田は66年に閣議で建設が決まった。

民主主義にもとる寝耳に水の決定が、こじれにこじれる原因になった。

いわゆる「ボタンのかけ違い」である。

今回の大臣発言にも、またぞろ「寝耳に水」という憤りが聞こえていた

▼きのうは千葉県の森田知事にねじこまれた。

アジアの空を眺めれば「羽田を国際拠点に」という方針は理がある。

だが「歴史認識」は甘かったのかもしれない。

八ツ場(やんば)ダムといい、どうも就任以来の前原さん、連綿たるアナログである人の営みに、デジタル的に対処したがる傾きはないか

▼秀才は2点間の最短距離を探すのがうまい。

それが正しいとも限るまい。

老婆心ながら、ときに定規を手放した方が、政治という「可能性の芸術」を描きやすいこともあろう。





関西国際空港はどうなるのか? 関西の人間としても 始め建設が始まった時は国際的なハブ空港を目指していたように

記憶している。騒音などで内陸ではなく海上に埋め立てて作られた経緯がある。

首都圏だけでなく関西国際空港も大いに育てて欲しい。







時は流れ、いまや季節感は薄らいだが、それでも秋は彩り豊かだ
横綱格は秋は秋刀魚(さんま)だろう










平成21年10月16日の天声人語よりの引


作家の佐藤愛子さんが、子どものころの食卓の思い出を書いている。

小説家だった父親の佐藤紅緑(こうろく)は、季節季節に初ものが出てくると「わっはっは」と笑ったそうだ。

「やあ、マツタケが出たね、わっはっは」という具合である

▼子どもにも笑うよう命じるので、一家で笑った。

ばかばかしいと言えばそれまでだが、自然の恵みへの素朴な感謝と喜びがあふれていた、と佐藤さんは懐かしむ。

時は流れ、いまや季節感は薄らいだが、それでも秋は彩り豊かだ

▼横綱格は秋刀魚(さんま)だろう。

小紙別刷り「be」が「今年も食べたい秋の味覚」を読者に聞いたら、他を断然引き離していた。

2位に新米が入り、3位梨、4位松茸(まつたけ)、5位は栗。

6位の柿までは団子レースになった。

海育ちは12位の戻り鰹(かつお)まで姿が見えず、秋刀魚の独壇場である

▼食べておいしいだけでなく、秋によく似合う。

秋刀魚を焼く光景は一幅の絵画である、と言ったのは魚博士で知られた末広恭雄だった。

したたる脂(あぶら)が炭火にはぜる。

煙は流れて、夕靄(ゆうもや)にとけこんでいく。

そこはかとない郷愁が呼びさまされる

▼〈あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ/――男ありて/今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり/さんまを食(くら)ひて/思ひにふける と〉。

佐藤春夫の名詩もあって、この大衆魚のイメージは不動である。


こればかりはタイもヒラメも代役はつとまらない

▼資源の量は豊かな魚だという。

売られながらも青々と海の色を残す姿は美しい。

さて、秋もたけなわ。

海の恵みに感謝しつつ、一幅の絵となって焼くもよし、食らうもよし。




秋刀魚を今年は食べる機会がなかった。

秋刀魚は健康にも良いと考える。メタボ(肥満)の原因は主に戦後の食の欧米化によるものといわれている

肉類よりも魚類の方が健康に良いことは立証されている。

)




その林さんが持っていた、
囲碁名人戦の最年少タイトルの記録が、
44年ぶりに破られた
平成に生まれた20歳の井山裕太八段が、
張栩(ちょう・う)名人を下して手中にした









平成21年10月17日の天声人語よりの引用


それぞれの道に歩み出すきっかけは人によって様々だ。

囲碁の林海峰(りん・かいほう)さんの場合は父親の手ほどきだったと、ご本人が回想している。

台湾で銀行関係の仕事をしていた父親は碁が好きだった。

だが「ざる碁」だったらしく、客に負かされてばかりいた

▼そこで、自分より強くなった息子を同行して相手をさせ、「親のかたき」を討たせることを思いついたそうだ。

林さんはあちこち家を回り、たいていは勝ったという。

のちに来日しての活躍は、囲碁好きの方には言わずもがなだろう

▼その林さんが持っていた、囲碁名人戦の最年少タイトルの記録が、44年ぶりに破られた。

平成に生まれた20歳の井山裕太八段が、張栩(ちょう・う)名人を下して手中にした。

最強の呼び声が高かった名人を、「完敗でした」と脱帽させての栄誉である


▼道をつけたのは、こちらも父親だったそうだ。

5歳のころ、テレビゲームの囲碁を見て興味を持ち始めた。

お父さんいわく、「数カ月で歯がたたなくなりました」。

だが容赦のない才能の世界である。

プロへの道は勇気も覚悟も要ったことだろう

▼「名人」という小説を残した川端康成はかつて、最高峰の碁を「虚空に白刃の風を聞くよう」に感じると言っていた。

方寸の盤上で切り結ぶ棋士に、剣士の孤影を重ねていたのかもしれない


▼国外を眺めれば、いつしか韓国と中国に後れをとる日本の囲碁である。

新しい風を巻き起こす期待が若い名人にかかる。

風下に甘んじるつもりは本人もない。

「世界で戦えることを証明したい」という、その言や良しである。






囲碁は御隠居の遊びごとから若者が競うゲ-ムになってきている。

年配者による最高齢の名人が輩出しても現在の老齢化時代話題として

大いに喧伝されることにもなるであろう。







「新聞配達の日」のきょうは、
日本新聞協会が募ったエッセーから紹介したい








平成21年10月18日の天声人語よりの引用

 ご近所を歩くと、回収待ちの古新聞を戸口で見かける。

弊紙であればもちろん、他紙でもお宅に一礼する癖がついた。

無料の情報があふれる時代、新聞代を払ってくださる読者は社を超えて大切にしたい

▼感謝の念はおのずと新聞を配る人にも向かう。

日本の新聞の95%は戸別配達されている。

新聞配達の日」のきょうは、日本新聞協会が募ったエッセーから紹介したい

▼北海道苫小牧市の亀尾優希さん(9)は、母の新聞配りを手伝う。

貧血気味のお母さんは団地の3階まで、娘は4階と5階。

「家に帰ったら、お父さんのおべんとうにいれるたまごやきを作ります。

こうして、わたしの一日ははじまります」。

小さな働き者を真ん中に、固く結ばれた家族が浮かんでくる

▼「インターネットでは得られない情報が、伝える人と届ける人の誠意の集大成として新聞になる」。

そう書いてくれたのは、東京都文京区の岩間優(ゆう)さん(14)だ。

足の悪いお年寄りが新聞を心待ちにしていると知り、単なる「記事の集まり」を超えたぬくもりを感じたという

▼人の手で運ぶ新聞が温かいのは自然なことかもしれない。

今年の新聞配達の代表標語も〈宅配で届くぬくもり活字の重み〉である。

凍える朝でも嵐の夕でもいい。

情報の重い束を運ぶ42万人に思いをはせたい

▼新聞社はネットでも発信しているが、そこで再会するわが文は心なしか「誠意」を割り引かれている。

特にコラムの場合、体裁の違いはそれほど大きい。

どうか小欄は、ぬくもりを添えてお届けする「縦書き」でお読み下さい。





インタ-ネット携帯電話時代でもやはり新聞に目を通さないと気がすまない。

充分インタ−ネットでニュ−スは取得できるし テレビを観ていても判るが

新聞を見ないとなんとなく物足りないのは長い習慣によるものなのか。







京都墨田区に建設中の東京スカイツリーが、
634メートルにかさ上げされるそうだ







平成21年10月19日の天声人語よりの引用

 初代の通天閣が浪速の空を突いたのは明治末。

パリの凱旋(がいせん)門にエッフェル塔を乗せたような珍妙な姿ながら、高さは東洋一を誇った。

東洋一のうたい文句は、名古屋テレビ塔や霞が関ビルなど戦後の建物にも残る。

大国への歩みを「一」でかみしめた時代である

▼東京都墨田区に建設中の東京スカイツリーが、634メートルにかさ上げされるそうだ。

中国・広州のテレビ塔が610メートル前後になると知って、てっぺんのアンテナを予定より24メートルほど伸ばす。

開業時に「世界一の電波塔」とうたうための変更という


▼背伸びしたのが中国なら「やっぱり」と笑うところだろう。

経済大国の先達として、すましている手もあった。

高さ世界一にこだわる根性や元気が日本に残っていたとは、驚き半分、うれしさ半分である

▼東京タワーがエッフェル塔を超えるべく設計されたように、大きさで一番を欲するのは発展途上の発想といえる。

超高層ビルの新築は東南アジアや中国に目立ち、中東諸国もオイルマネーの記念塔のごとき計画を競っている

スカイツリーの634メートルは、東京近辺の旧国名、武蔵の語呂合わせという。

電波の送信基地だから「より高く」を目ざす道理があるのに、世界一にあれこれ理屈をつけるあたり、ほのかな恥じらいを感じぬでもない

▼奇跡の成長に続き、はや衰退期に入ったかに見える日本。

ここで妙に達観し、隠居を決め込んではいよいよ先細りではないか。

異国の名所を重ね餅(もち)にした浪速のエネルギーは昔話にしても、成熟国なりに「一」への執着があっていい。





京都に住んでいるものとしては東京スカイツリ−は関心が殆んどない。

ただ高くしての事故には充分に配慮して工事してください。








JR宝塚線(福知山線)の事故
そうした事故調査のあるべき姿を、
JR西日本の数々の裏工作はゆがめた
警察の聴取に口裏合わせをした疑いもある












平成21年10月20日の天声人語よりの引用

今ごろになって、ある数字の違いに気がついた。

先ごろの小欄でJR宝塚線(福知山線)の事故の犠牲者を107人と書いた。

だが106人としているメディアもあった。

大阪の同僚に聞くと、運転士を含めるか否かで変わるのだという

▼たしかに、「犠牲者」と呼ぶときは1人少なく言うべきかもしれない。

一方で、事故の引き金を引いた者を指弾するだけでは、再発の防止にはつながらない。

背景まで徹底して調べる必要がある。

そうした事故調査のあるべき姿を、JR西日本の数々の裏工作はゆがめた

▼警察の聴取に口裏合わせをした疑いもある。

安全運行に携わる担当者は「ポリちゃん想定問答集」なるものを作っていたそうだ。

個人的なことで、組織的な関与はないと同社は言うが、一事が全体を雄弁に語ることもあろう


▼安全対策とは、何も起こらなくて当たり前の地味な仕事だ。

打って出て社業を伸ばす華々しさはない。

その「縁の下」を経営陣が軽んずるなら、社員も同じ色に染まるだろう。

とかく言われる、安全軽視の社風である

▼犠牲者といえば、忘れがたい記事がある。

事故でパートナーを亡くした女性が1年半後に自殺した。

10年も一緒だったが、結婚していなかったためJRから遺族として接してもらえなかったという。

108人目と言うべきか、痛ましさが胸を突く

▼事故が起きてから安全策をとる愚を「ツームストン・セーフティー(墓碑の安全)」と言う。

せめて悲劇を無駄にはしない――その誓いさえ偽りでは、犠牲者は2度殺されることになる。






真実を歪めることは社会現象にしても自然現象にしても絶対にあってはならないことである。

「改竄」をはいたるところで見聞し,体験して被害をこおむったことは忘れられない。

公的なところで堂々とおこなわれているから驚くほかない。その点では日本はまだまだ゜後進国である。

三権分立が完全になされていない。

裁判員制度導入よりも三権分立の確立の方が公正な裁判への緊急な課題である。







「マニフェスト至上主義」への懸念だろう
来年度予算の概算要求は過去最高に膨らんだ








平成21年10月21日の天声人語よりの引用


手元の辞書には載っていないが、「追われ心」という語があるのを最近知った。

いつも何かに追われるように先を急ぐ気分を言うそうだ。

以来、日々のせかせかに、ふと気づいては頭をたたく

▼さて、発足から1カ月を過ぎた鳩山内閣に「追われ心」はないか。

そんな類(たぐい)の声を、このところよく聞く。

荷車は最初に動かすときに一番力がいる。

止まってしまえば後ずさりもする。

それは承知しながらの、「マニフェスト至上主義」への懸念だろう

▼賛否の割れている公約もある。

高速道路の無料化は代表格だ。

農家への戸別補償も異見は多い。


決めたことへの邁進(まいしん)は、決めたときに視野になかったものは最後まで目に入らない危うさをはらむ。

臨機応変を欠いた至上主義は、毅然(きぜん)として見えて、その実もろい

▼来年度予算の概算要求は過去最高に膨らんだ。


新規の国債は、これまた最高の50兆円に届くとの報道もある。

地方を合わせた借金はすでに800兆円を超える。

数字は国民の前にぶら下がり不安をかき鳴らす

▼かつて漫画家の滝田ゆうが「その暖簾(のれん)をくぐるには、なぜか一応の怯(ひる)みがあった」と書いていた。

質屋の暖簾のことだ。

似たような「怯み」を巨額予算に感じる人もいるのではないか。

まして質草は、子や孫の世代の暮らしである

▼それにしても、こうも注目された概算要求はかつてなかった。

多くの人が予算づくりに一家言持つようになったとすれば民主党政治のお手柄だろう。


だがその批評眼にかなうのが、借金だのみの公約履行かどうかは、疑問なしとしない。






財源の裏づけのないマニフェストでは絵に描いた餅である。財源捻出に苦労があるようだ。

で゜も知らなかったことが知られるようになった功績は認めても良い。

族議員による圧力による配分よりもなんぼかましかと思う。







足利事件では女児が殺された。
取り調べを録音したテープの中身を、
今週の「週刊朝日」が報じている。










平成21年10月22日の天声人語よりの引用


〈わが郷土(さと)の地名冠せる事件あり横浜事件ありし如(ごと)くに(足利事件)〉。

破調の一首が小紙の栃木県版にあった。

横浜事件は戦中の大がかりな言論弾圧事件である。

連座した評論家の青地晨(しん)は、のちにこう書いている

▼「いくら真実を述べても、相手はてんから取りあげず、

まるで四方をとりまく厚い鉄壁をこぶしで叩くような絶望感が、虚偽の自白へ導くのだ」と。

青地は戦後、多くの冤罪事件を調べて歩いた。


著書を繰(く)れば、「無実なら自白はしないだろう」という見方は、素朴に過ぎると気づかされる

▼足利事件では女児が殺された。

取り調べを録音したテープの中身を、今週の「週刊朝日」が報じている。

ごく一部の掲載だが、青地の言う「絶望感」が密室から漏れ伝わってくる。

自白は、DNA型鑑定とともに有罪の大きな証拠になった

▼その事件の再審が始まり、菅家利和さん(63)が無実を訴えた。

法廷で、裁判長は「被告人」ではなく「菅家さん」と呼んだ。

明らかな無実である。

勝ち取るというより、取り返すと言う方がふさわしい

▼犯人に仕立てられた真相を再審で解明してほしい、と菅家さんは求めている。

検察側は逃げ腰だが、17年半の歳月を奪った大罪である。


面子(メンツ)にこだわるかぎり司法の信頼回復は難しい

▼冒頭の青地は、「学問のヨロイに武装された鑑定が大手をふってまかり通る」とも述べている。

今回のDNA型鑑定もしかりだった。

真相解明を通して、悲劇の繰り返しに終止符を打ちたい。

自分を最後に。


それが、菅家さんの切なる願いでもある。




冤罪で死刑で死んだ人のことならば,冤罪事件は話題にもならない。

死刑は是非廃止して,刑事の取調べは録画して後から誰でも見られるようにすれば

冤罪の被害は少なくなることは間違いない。さらに冤罪を故意に作った人には罰則があればよい。






日本郵政の次の社長になる斎藤次郎氏が、
律義でないと言うのではない
だが大蔵省を辞めて15年はたつから、
もう「元官僚という意識はない」と言う








平成21年10月23日の天声人語よりの引用


 藤沢周平を読む楽しみの一つは、文章の端々で、その奥ゆかしい人柄にふれることだ。

作家になる前は食品業界紙の記者をしていた。

名をなしてからのこと、旧知の社長に伝記の執筆を頼まれたそうだ

▼迷った末に引き受けた理由をこう書いている。

「十五年間、その業界から暮らしの糧(かて)をもらったことを、かりそめに思うべきではない、という気持ちがあったからである」。

この人らしい律義さが筆ににじみ出る

▼日本郵政の次の社長になる斎藤次郎氏が、律義でないと言うのではない。

だが大蔵省を辞めて15年はたつから、もう「元官僚という意識はない」と言う。


小説家に比べて実務家は、過去を彼方(かなた)に押しやるのが得意なようである

▼「10年に一人」と言われた大物官僚である。

それこそ、かりそめではない。

井大臣の人選に首相も驚いたというが、ならなぜ退けぬ。

「辞めて長い」とかばう声は弱々しい。

脱官僚、天下り根絶を売る鳩山商店の看板はこれでガタリと傾いた

▼亀井さんの声ばかりが相変わらず元気だ。


先ごろの小欄で、俳句の季語の「亀鳴く」は想像だと書いたら、実際に聞いたという便りを多数頂戴(ちょうだい)した。

亀に発声器官はないが、呼気などが声のように聞こえることがあるらしい

▼企業でも何でも、人事を見れば「権力」の重心はおぼろに透けてくるものだ。

斎藤氏が小沢幹事長に近いと聞けば、首相のリーダーシップにも疑問符がつく。

蟻(あり)ならぬ亀の一穴から土手が崩れる心配もあろう。

〈亀鳴くや事と違ひし志〉安住敦。鳩山さんの心境だろうか。






これはおかしい人事である。

官僚の天下り撲滅を唱えていた民主党が,官僚出身の人をわざわざ郵政会社社長に任命するのは

国民に対する裏切り行為である。麻生首相が鳩山邦夫郵政大臣を首にしたのと同じようなことだ。

私情がかなり色濃く入っているのを感ずる。

これでは公正な政治は出来ない。国民は確かな目で見ている。









ご飯と日本人は切っても切れない。
だが米食民族というより、
「米食悲願民族」だったという人もいる










平成21年10月24日の天声人語よりの引用

 土は働き者だと、この季節になると思う。

棚田保存の活動に加えてもらって、今年も新米がとれた。

猫の額ほどの一枚ながら60キロも実らせた。

収穫のすんだ田は、ひと仕事を終えて、秋日和に身を養うような風格を漂わせている

▼今年も各地で、その地その地の土と水が稲を実らせた。

近ごろの品種は名前も楽しい。

北海道の「ゆめぴりか」、青森の「まっしぐら」、九州なら「にこまる」、岩手は「どんぴしゃり」……。

炊きたての艶(つや)と湯気を思えば、腹の虫が動き出す

▼ご飯と日本人は切っても切れない。

だが米食民族というより、「米食悲願民族」だったという人もいる。

史上ずっと混ぜ飯を食べてきたからだ。

誰もが白米を腹一杯食べられるようになったのは、昭和も30年代を待ってだった

▼その悲願を果たしたものの、米作りは衰退する。

消費は減り、価格は下がり、農家は高齢化が進んだ。

働き者の土は、全国で埼玉県とほぼ同じ広さが、耕作放棄で失業中だ。


たまの田仕事で百姓気分の呑気(のんき)さが、申し訳なくなる

▼とはいえ、せっかくの新米である。

炊くのは、鍋でも釜でも直火がいい。

料理にくらべて飯炊きは不当に軽んじられている、と言ったのは北大路魯山人だった。

自分の料亭に来る料理人には、「君は飯が炊けるか」と一番に聞いたそうだ

▼お節介(せっかい)ながら、炊きたての新米に豪華な総菜を並べてはいけない。

主役はやはり一人がいい。

ご飯は立派な料理である、と魯山人は言っている。

瑞穂(みずほ)の国の歴史と文化の溶け込んだ一粒一粒は、さて、どんな味がする。





旅行していてパンばかりの食事では物足りない気分になる。

やはり日本人にはお米は欠かすことは出来ない食事である。







継ぐとは、創(つく)ると同じくらい重い仕事である
東京都美術館の「冷泉(れいぜい)家 
王朝の和歌(うた)守(もり)展」を見て思った。











平成21年10月25日の天声人語よりの引用

 継ぐとは、創(つく)ると同じくらい重い仕事である。

東京都美術館の「冷泉(れいぜい)家 王朝の和歌(うた)守(もり)展」を見て思った。

藤原定家(ていか)らを祖とする京都・冷泉家が守り伝えてきた和歌集などが公開されている(12月20日まで)

▼定家らが書写しなければ、名歌の数々は今に残らなかったかもしれない。

和歌守の偉業と併せ、時空を超えて文化を運ぶ紙の力を思う。

金銀の箔(はく)を散らした料紙などは、流れる名筆に負けぬ芸術性だ

▼先ごろの小欄で和紙について書いたところ、多くのお便りをいただいた。

神奈川県藤沢市の女性(96)は、お母さんの里が「岐阜の山奥」で、美濃紙を戦争中まですいていたという。

最後に送ってもらった分をこれまで障子や水墨画に使ってきたというから、紙は長命だ


▼いよいよ残り少なくなりましたと、戦前にすいたという貴重な2枚が同封されていた。

優しく淡い黄色で、1枚には花模様の透かしが入る。

歳月を思わせない張りに、今は作句が楽しみという持ち主の人生が重なった

▼岡山県倉敷市の女性(50)は、灰がかった茶色の備中和紙に手すきの魅力をつづっておられる。

常々、気の利いた絵はがきを寄せられる方である。

追伸に「久しぶりに墨をすり、筆を持って疲れたけれど、気持ちがしゃんとしました」とあった

▼牛乳パックから再生したはがきを送ってくれたのは広島市の女性(71)だ。

一枚一枚、授産所の知的障害者たちが手作りしているという。エコ精神をすき込んだ粗削りな風合いもまたいい。

幸せ者のその紙は、牛乳の次に人の思いを運ぶことになる。



確かに長い期間受け継ぐことは大変なことである。文化遺産はそのような形でのこされてゆくものだ。

同じようなことは老舗にもいえることである。





人は信じるに足る存在である――。
04年の台風23号で、洪水の一
夜を観光バスの屋根で明かした中島明子さん(69)が、
新刊『バス水没事故 幸せをくれた10時間』
(朝日新聞出版)にそう書いている








平成21年10月26日の天声人語よりの引用


 東京の声欄で、投函(とうかん)する前に落とした手紙がちゃんと届いた話を読んだ。

誰かが郵便ポストに入れてくれたらしい。

投稿者は「見知らぬ者のためにひと手間をかけて下さった方がいる事実」に感激したという

▼人は信じるに足る存在である――。

04年の台風23号で、洪水の一夜を観光バスの屋根で明かした中島明子さん(69)が、

新刊『バス水没事故 幸せをくれた10時間』(朝日新聞出版)にそう書いている

▼京都府舞鶴市の国道で立ち往生したバス。

乗り合わせた37人の平均年齢は60代半ばだった。

濁流が車内に満ちる中、割った窓から全員が屋根に。

水は屋根を越え、立ちすくむ人々の腰に迫った。

流されぬよう隣と肩や腕を組み、ひと固まりになった

▼思いやりは思いやりを生む。

暗闇で体を温め合ううち、みんな一緒に助かるぞという連帯感が広がったという。

「上を向いて歩こう」の合唱で睡魔に耐えた話はよく知られる。

音頭を取った中島さんは、即興で2番の歌詞を替えた。

〈幸せはバスの上に/幸せは水の中に……〉

▼看護師を長く勤めた著者は振り返る。

「自らをなげうって、無意識のうちに誰かのために行動できる人たちが、この世界にはごく当たり前に存在する。

あの夜、私は64歳にしてそれを知ることができました」。


極限を生き抜いての感慨である

▼人間は細やかな善意だけで動くものではない。

わが身はかわいく、世にはせこい敵意や鈍感があふれるが、人は助け合う本能を備えていると信じたい。

お互い、最も賢いはずの動物に生まれてきたのだから。






極限状態に陥ればその人の素顔が見えてくると思う。

励みあい助け合う状況もあることで

叉逆の状態もありえるだろう。







きのうの所信表明演説は
鳩山さんらしい、理念にあふれた演説だった
だが演説は、音楽でいえばまだ楽譜だろう






平成21年10月27日の天声人語よりの引用

 フルトベングラーといえば20世紀の大指揮者である。

指揮棒をユラユラと振るので、わかりにくくて楽団員泣かせだったそうだ。

日本の古いファンは「振ると面食らう」などと駄洒落(だじゃれ)を言って面白がったものだと、いつか聞いたことがある

▼鳩山首相は、自らのリーダーシップを楽団の指揮者に例える。

一番大事なことはハーモニーが奏でられることだ、と言う。

しかし発足から40日を過ぎて、郵政の問題など、外れ加減の音色も聞こえ始めている。


棒さばきが問われる中での、きのうの所信表明演説だった

▼広げた風呂敷はかなり大きい。

ありがちだった政策の羅列ではなく、「いのち」「きずな」さらに「人間のための経済」といった深いテーマが響き合って胸に届いた。

鳩山さんらしい、理念にあふれた演説だった

▼だが演説は、音楽でいえばまだ楽譜だろう。

譜面どおりに演奏できなければ拍手はない。

指揮者としての本番はこれからになる。

曲が美(うるわ)しいだけに、フラフラと棒が定まらなければ国民の不信はより募ることになる

▼野に退いた自民党にも初の論戦になる。

〈去る者は日に以(もっ)て疎(うと)く 来る者は日に以て親し〉。

夏の選挙以降、中国の古詩そのままの、国民にとっての与野党交代劇だった。

日曜の参院補選では2敗した。

斜陽の中で存在感を示せるか、土俵際の勝負である

▼郵政のほかにも普天間飛行場あり、首相の政治資金問題ありと突っ込み所は多い。

〈議会の目的は殴り合いを議論に変えること〉。

チャーチル元英首相の卓見さながらの丁々発止に期待する。




鳩山さんに主体的な指導力はないように思える。誠実で正直そうな人柄は伝わってくる。

小沢さん 亀井さんに振り回されないように用心して

真の指導力を発揮されるとよい。菅さんや岡田さんと組んで,上記の百戦錬磨の人たちには要注意である。






きのうから読書週間
老富豪のようなときめきの「一冊」に、
さて巡り合えるだろうか







平成21年10月28日の天声人語よりの引用


どこで聞いたか読んだか忘れたが、印象深かったので覚えている。

アメリカの老富豪があるとき、「全財産をはたいてもかなえたい望みはあるか」と聞かれたそうだ。

その答えがよかった

▼「大好きな『ハックルベリー・フィンの冒険』をまだ読んでいない状態に戻してほしい」、と

。富豪は少年時代に夢中で読んだのだろう。

愛書中の愛書なのだが、読み返しても、まっさらで読んだあの興奮はよみがえらない。

だから、もう一度――。想

像まじりだが、こんな一冊のある人は幸せだと思う

▼活字離れが言われる時代に、「幸せ者」は減りつつあるのかと案じていた。

だが本好きな中高生は近年かなり増えているそうだ。

調査結果を報じる毎日新聞によれば、学校で読書の時間を設けるといった取り組みが功を奏しているらしい

▼読まないのはむしろ大人かもしれない。

4人に1人が「月0冊」だと小紙の記事にあった。

理由は「多忙で時間がない」が3割、「読みたい本がない」が2割。子ども時代の読書体験が、長じての読書量を左右するようである


▼中国に「三余(さんよ)」という言葉がある。

読書に適した三つの余暇で、冬と夜、雨の日をさす。


「三上(さんじょう)」なる言葉もあって、文を練るのにいい場所として馬上、枕上(ちんじょう)、それに厠上(しじょう)を言う

▼枕上は寝床だが、馬上は今なら電車の席になろうか。

本を読むにも悪くはない。

厠上は好きずきとして、時も所もうまく使って本とつき合う時間を探したい。

きのうから読書週間。

老富豪のようなときめきの「一冊」に、さて巡り合えるだろうか。






読書の秋と言われるが,パソコンの前に座ることが多い。世界のこと昔のことあらゆる情報が

調べれば判るので読書する機会は少なくなってきている。

外国語の壁も翻訳機能がなんとか使えるようになりなんとなく外国語の壁も理解できるようになってきそうである。







元横綱大鵬の納谷幸喜さん(69)が文化功労者に選ばれた
芸を磨き抜いたのが、文化勲章を受ける桂米朝さん(83)である










平成21年10月29日の天声人語よりの引用


親方から「たいほう」という名を貰(もら)ったとき、「大砲」かと思ったそうだ。

「大鵬」のいわれを聞いても、ちんぷんかんぷんだったと、ご本人は回想している。

のちに大横綱のしこ名として、戦後昭和史に刻まれる2文字である

▼元横綱大鵬の納谷幸喜さん(69)が文化功労者に選ばれた。

伝統ある角界から初とは意外だったが、一番ふさわしい人だろう。

横綱在位は、わが腕白(わんぱく)時代に重なる。

砂場の相撲遊びでは、誰もがその2文字を名乗りたがったものだ

▼優勝32回の金字塔は、「人の5倍」という稽古(けいこ)の賜(たまもの)だった。

いまの角界には稽古不足がはびこっている、と厳しい。


それが、芸への精進もなく、テレビに出れば「芸能人」ともてはやされる風潮と重なるのだそうだ。

精進不足の拙筆も、少しばかり耳が痛い

▼そんな凡人とは違い、芸を磨き抜いたのが、文化勲章を受ける桂米朝さん(83)である。

こちらも落語界で初というのは、話芸は冷や飯を食わされてきたのか。

ともあれ重鎮として、誰もが納得の栄誉だろう


▼戦後、絶滅寸前とも言われた上方落語を立て直した。

かつて聞かせてもらったとき、端正な芸に誘い出されるように笑いがわいた。

横隔膜の痙攣(けいれん)のようなテレビのお笑いとは、趣が違う

▼「良い雰囲気の中で客席と演者が一つになったような時、真の落語はその中に存在します。

そして終了と同時に消えてしまいます」。


その一瞬のために精進するのが噺家(はなしか)だと米朝さんは述べる。

相撲にも似たものがあろう。

芸と勝負の道に咲いた、鮮やかな大輪ふたつである。





此れまでの文化勲章,文化功労賞は自民党に貢献した人たちが選ばれる傾向にあったが

今年はどうなっていたのだろうか。








その新米の大豊作に賑(にぎ)わうのが民主党だ






平成21年10月30日の天声人語よりの引用


秋の新米について先日書いたら何通か便りを頂いた。

拝読しつつ、ふと嵐山光三郎さんの一文を思い出した。

「世間では新米というのは悪口である」と作家は言うのである(『ごはんの力』)

▼まだ一人前でないのが新米である、と文は続く。

「食べれば至上の価値がある新米を、実社会では半人前として扱うのは、

世間というものが古米、古々米、古々々米、古々々々米で出来ていることを示す一例である」。

ユーモアの中に、なかなかの真理が透けている

▼その新米の大豊作に賑(にぎ)わうのが民主党だ。

議場での振る舞いが気に障ったらしく、自民党の谷垣総裁は「ヒトラー・ユーゲント」になぞらえた。

ナチスの青少年組織のことである。


良識派らしからぬ「古米ぶり」で、あたら評判を下げてしまった

▼小沢幹事長もかなりの古米ぶりとお見受けする。

予算のムダを削る「事業仕分け」から新人を外した。

それより議員のイロハを、には一理あろうが、各分野で活躍してきた人たちだ。

優美な統率を求めすぎれば、角を矯めて牛を殺す心配もあろう

▼衆院の代表質問をやめたのもいただけない。

政府の太鼓たたきのようなものは不要、と小沢さんは言う。

だが与党質問をそんなものと決めつけるのも古米的な発想ではないだろうか

▼「平成維新」をうたうフレッシュ政権である。

だが新しい酒も、古い革袋に入れれば味は鈍る。

袋の中が見えにくければ、なおさらだ。

〈おーさまのお気に召すよう直します〉。

王様然とした人をチクリとやった、きのうの小紙川柳欄の寸鉄である。





誰もが議員になれる制度も悪くないが,一定の議員教育を受けた人たちだけが立候補すべきで

地方議会にいたっては訳のわからんような人たちが議員になっている事実を見ることが多い。

議員になってから議員教育とは如何なものだろうか。








十月尽に今月の人と言葉から






平成21年10月31日の天声人語よりの引用


 公園の雑木林でトチノキの大木がずいぶん葉を落とした。

差し込む光が、散り敷いた枯れ葉の上に日だまりをつくる。

十月尽に今月の人と言葉から

▼東京都心をぐるり回る山手線が命名百周年を迎えた。

品川駅の立ち食いそば店で33年働く園部美子さん(68)は、湯気ごしに時代を見てきた。

「朝は『行ってくるよ』なんてね。

昔のほうがゆっくりしていたかな。

最近は無言のお客が多いね」

▼新潟県中越地震から5年。

旧山古志村では「かあちゃん」たちが腕をふるう郷土料理の店が繁盛している。

「村に足を運んでくださる方に休んでもらえる場になれば。

それも地震のときに助けていただいた恩返しかな」と五十嵐なつ子さん(58)。

コシヒカリのご飯のお代わり自由がうれしい

▼7年後の五輪がリオに決まり、浜松市で柔道を教えるエジソン・シルバ・バルボザさん(48)に笑顔が広がった。

畳の上で日系ブラジル人の子らが稽古(けいこ)に励む。

「日本で育ち、日本の武道を学んだ子たちが祖国の大舞台に立つ日がくる。

わくわくします」

▼横浜の高齢者ソフトボールチームには80歳以上が5人いる。

その名も「バルーンエルダリー(空飛ぶ老人)」と意気軒高だ。

66歳の近藤敬寿さんは「チームでは『若いもん』と呼ばれて、それがいいプレッシャーになる」

▼全身に障害のある佐世保市の松本涼子さん(61)は、わずかに動く右手で四半世紀、俳句を詠んできた。

〈母に似し寮母の手つき栗御飯〉〈海見えて郷(さと)恋しかり落椿(おちつばき)〉。

句集も編み、次は全国レベルでの入賞を目標に、日々励む。





安土桃山時代と医師曲直瀬道三




曲直瀬道三は戦国時代の動乱の時代に活躍した人で以前調べ書いたものより引用した。

安土時代は安土城築年から炎上するまでの三年間が桃山時代で豊臣秀吉が始め伏見城を築城し

徳川家光が城を取り壊すまでの三十三年間の合計三十六年間が安土城並び伏見城で政治がおこなわれていた時代である。

桃山時代と言われるのは後世に伏見城のあった山に桃の樹が多く植えられ

桃山と言われるようになり桃山城といわれた。築城された時代は伏見城を称していた。

伏見城が築かれた時代伏見に城下町が形成され各大名が屋敷を城下に構えてい.る。

現在でも伏見は大名の名前にちなんだ町名が多く存続している。

宇治川を挟んだ巨椋池の中の向島にも城が築城され向島城とし伏見城と並存した形で存在した。

向島も同様に城にちなんだ町名が残っている。曲直瀬道三の両親について調べたことがあるが

富士川游氏の日本医学史には「曲直瀬道三の父は宇多源氏姓佐々木氏より出て堀部を氏とすること数世,

父を堀部左門親真と言い母は目賀田氏の女なり。」と書かれていて興味を抱いて調べたことがあった。

調べたのが大分以前のことで詳細については忘れているが,今も目賀田氏を調べる研究会があって色々と調べつづけられている。

安土桃山時代の目賀田氏のことは判らないことが多い。目賀田氏には藤原氏と源姓佐々木氏の流れとがある。

曲直瀬道三は永正4年9月18日(1507年10月23日) - 文禄3年1月4日(1594年2月23日))は、戦国時代の医師

安土桃山期の医師。名は正盛(或いは正慶),字は一渓,永正4年(1507)9月18日,京都上京柳原に生まれ,

父はは堀部氏(勝部とも),母は目賀田の女で,幼くして両親を失い伯母及び姉に養われる。

八歳で江州守山天光寺に父方の関係で遊学, さらに長じて十三歳の時,永正16年(1519)8月15日に

母方の関係で京都相国寺の蔵集軒に入り、喝食となる。外祖父に当る目賀田氏は相国寺に帰依し,

将軍の奏者をしていた。相国寺で三体詩,東波,山谷等の詩集を読んで悉く暗誦した。

享禄元年(1528年),22歳の時関東に下り,下野足利学校に入校して六世痒主文伯に師事した。

曲直瀬の姓は蘇東坡の詩にちなみ,医学の流れが時代が下るにつれ曲がりくねって不浄となったのを,

往古の直にして清らかな流れに戻そうとする使命感から改姓したといい 


道三の名は師の田代三喜導道から採ったとも,

山東を往来するとき東海・東山・北陸の三道を通り禅門を訪ねた

ので,その三道にちなみ一道に偏しない医学を志したためともいわれる。

翠竹院の号は,もと雖知苦斎(すいちくさい)と称していたのを,正親町天皇

より天下万民を救う医業に苦の字があるのは好ましくないと同音の号を賜ったという。

学僧として足利学校に遊学中,田代三喜の名声をきき三喜に師事して

中国金元医学(とりわけ李朱医学)を学び,1545年(天文14)39歳で京都に帰り翌年還俗して医を専業とし,

李朱医学の日本化をはかり,医学校の啓迪(けいてき)院を開いて全国から医生を集め新しい医学教育を行い,

その学風は全国をおおい当時の医界の天下者となった。

学院終了者には「仁愛」を基本とした医師の守るべき事項を何項目かを書き物にして授与している。

この道三の医学教育はわが国の医学教育の始まりにして画期的なものであった。

1585年(天正13年)8月発のルイス・フロイスの書簡に

道三の入信の経緯の中には道三がキリシタンになったことは一万人の信者を得たより大きな力であり,

時の天下をとっていた羽柴秀吉がキリシタンとなったより影響力が大きかったと述べられている。

又800名の門弟を擁していたとも書かれている。

フロイスの《日本史》や《イエズス会日本年報》に道三のキリスト教入信の記事があり,77歳で洗礼を受けたとされているが,

日本側の記録は知られていない。

将軍足利義輝に重用され,医学面だけでなく茶道,香道の文化面を通じて多くの戦国大名と交友があり厚遇された。

主著に《察証弁治啓迪集》があり,《雲陣夜話》《薬性能毒》ほか多数の著書がある。

甥の玄朔(東井)が養嗣子として2代目道三を名乗り,道三流医学を普及した。

文禄3年正月4日 年88歳で亡くなる。墓は京都十念寺に在る。       

以下はインタネットよりの引用

父は近江佐々木氏庶流の堀部親真。幼少の頃、両親を失う。

永正13年(1516年)、五山文学の中心である京都相国寺に入って喝食となり、詩文や書を学ぶ。

この頃、姓を曲直瀬とする。享禄元年(1528年)、関東へ下って足利学校に学ぶ。

ここで医学に興味を抱いたと言われる。名医として知られた田代三喜斎と出会い、

入門して李朱医学(当時明からもたらされた最新の漢方医学)を修める。

天文15年(1546年)ふたたび京都へ上ると、還俗して医業に専念。

将軍足利義藤(義輝)を診察し、その後京都政界を左右した細川晴元三好長慶松永久秀などの武将にも診療を行い、

名声を得て、京都に啓迪院(けいてきいん)と称する医学校を創建した。

永禄9年(1566年)、出雲月山富田城の尼子義久を攻めていた毛利元就が在陣中に病を得た際に、これを診療し、

『雲陣夜話』を記す。天正2年(1574年)には『啓迪集』を著し、同年に正親町天皇に拝謁を許され、診療を行い、同書を献上した。

正親町天皇は僧策彦周良に命じて序文を作らせている。

この際に翠竹院の号を賜る。織田信長が上洛後は、信長の診察も行い、名香蘭奢待を下賜された。

著書は『啓迪集』以外にも『薬性能毒』『百腹図説』『正心集』『指南鍼灸集』『『弁証配剤医灯』など数多く、数百人の門人に医術を教え、

名医として諸国にその名を知られた。

天正12年(1584年)、豊後府内イエズス会宣教師オルガンティノを診察したことがきっかけでキリスト教に入信し、

洗礼
を受ける(洗礼名はベルショール)。天正20年(1592年)には後陽成天皇から橘姓と今大路の家号を賜る。

文禄3年(1594年)1月4日没した。死後、正二位法印を追贈された。

子の玄朔が後を継ぎ、代々官医として続いた。

曲直瀬 道三(まなせ どうさん、永正4年9月18日(1507年10月23日) - 文禄3年1月4日(1594年2月23日))は、戦国時代の医師。

道三は号。諱は正盛(しょうせい)。字一渓。他に雖知苦斎(すいちくさい)、啓迪庵(けいてきあん)など。

本姓は元は源氏、のち橘氏。また今大路家の祖。

また、日本医学中興の祖として田代三喜永田徳本などと並んで「医聖」と称されることもある。

養子に曲直瀬玄朔(正紹)






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