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十二月になって





寒い毎日が続いて,ついつい外出するのも億劫となる。晴れ間を見てウオ−キングするも風が冷たく

心地よい散歩とならない。新型インフルエンザの話題も次第に下火となり,季節性インフルエンザが流行りだすが

まだ流行してないような気配である。むしろ新型によるものが多くて検査では両方ともA型に属していて

簡易検査では区別できない。

両型とも重症化する度合いが同じようなので対策としては同様で良いようである。

新型のワクチンの接種が次第に広く打たれることにより流行も沈静化してくると考える。

新聞報道によると

○1回

・新型インフル患者の診療にあたる医療従事者

○2回

・1歳〜12歳の子ども

○当面1回の判断)

・妊婦

・基礎疾患(持病)のある人

・1歳未満の乳児らの保護者

・中高生

・65歳以上

以上の順番だが  以下はインタ-ネットよりの引用

「世界では新型インフルエンザの流行に備えて大量のワクチンを確保した欧州主要国で、ワクチンがだぶついている。

接種率が極めて低いためだ。

ワクチンの有効期限は1年のため、最悪の場合、廃棄せざるを得ない。

先ごろまでのワクチン争奪戦から一転して、売却先を探す動きが加速している。

 英国では今月10日までに1320万回分のワクチンを病院に配布。

10月21日に医療従事者や妊婦など優先対象者から接種を開始したが、まだ230万人(12月10日現在)しか接種していない。

 フランスでは、優先対象者2500万人のうち、接種済みは16日段階で365万人にとどまっていた。

このため接種対象を一般の成人4千万人にまで拡大し、18日現在では約400万人となった。

 他の主要国でも状況は同じだ。

イタリアでは各自治体に計743万回分が配布されたが、15日現在で接種したのは約69万人だけだ。

ドイツでも接種済みは約670万人と、人口の8%にすぎない。

 ほとんどの国で接種は無料。

にもかかわらず接種率が低い理由の一つが、ワクチンの副作用に対する不安だ。

接種の際の頭痛や熱、めまい、吐き気といった症状が繰り返し報道されたうえ、

カナダ国内で想定より高率の副作用が報告されたことで警戒感が強まった。

季節性インフルエンザと比べて死亡率が低いと解釈し、感染に対する危機感が薄いこともある。

仏の世論調査では、4割が「全く心配していない」と答えている。」

ワクチン接種による副作用が完全に解明されていない段階での接種は誰でも躊躇する気持ちは判る。

だが流行の拡大をば早く防がねばならない。

季節性インフルエンザと大して変わりないことが判って来た段階での接種に対する反応は当然である。

感染者との接触が少ない場合は充分考えてもよいのではないか。

日本では接種は原則有料のようである。

これからの時代にはどのような新しい疾患が流行るかは未知数である。過去にはO157感染事件の大騒ぎもあった。 

戦争と病は人類を苦しめてきた元凶であるが,撲滅するにいたってはいない。

今までの長い歴史の中で国民は戦争と病に苦しめられ続けてきた。

その他に地震、台風や洪水の自然災害もあるが,一番被害をもたらしてきているのは戦争である

戦争は人間同士の戦いで一番撲滅し易い災害にもかかわらずに歴史は戦争の歴史と言ってよいほどに人類を苦しめて来ている。

特効薬は日本の憲法九条ののような戦争放棄の憲法をば各国が持つことにある。

だが日本では拡大解釈がされ,次第に守ろうとする気配が薄れてきているように思える。

改憲論まで出た゛して日本の貴重な戦争体験が無為になろうとしている。

戦争は人間同士の戦いで,人間の叡智でもって防ぐことが出来ることだが,なんとか各国が率先して止める気持ちになれば

明日からでも戦争のない平和な世界がやってくる。

戦争する費用でもって戦争の原因と言われている貧困問題などに資金を投入すれは解決できることである。

現在,世界中がアメリカの影響下にあることは間違いない。

何故アメリカは戦争するのか(動画)  アメリカ合衆国の戦争犯罪 

何故アメリカは戦争するのか(動画)   軍産複合体


一本の映画が12部に分けられ動画としてあるようだが,全部をまとめ見ることができると良いのにと考える。

動画の中で「軍産複合体」が戦争の大きな要因であることを強調している。

現在まで全世界中がアメリカの行動によって左右されている所が多いにある。

これからも日本は今までと同様にアメリカに従い続けないといけないのだろうか。?

確かに今までの自民党時代は日米友好関係は極めて良好だったが,民主党政権になってからはどうなるのか。

現在のアメリカが政権が変わり,施政方針が変わっていても前政権との約束を要求しているように強く見えてくる。

総選挙でもって日本国民は前政権のやり方に対しノ−をつきつけ投票したのだから,

新しい政府の施政方針を支持し,それによって 現政権の方針が現在の日本国民の意思を示していると考えてよい。

アメリカにとり都合の良い前政権の方針を強要することは,民主主義国家の先進国家と自認している国として

大変奇妙な行動ではないのだろうか。

相手の,他の人たちの立場よく理解するのが民主主義の基本だと戦後の民主教育で我々は教わってきた。

戦後の教育では叉天皇が君臨するような国家は悪く,民衆が主体となり,その意見が集約され政治が行われるものと習ってきた。

そのアメリカが自国の有利だけをもをって,前政権の約束を強要する事はいかがなものだろうか。

此れまでの日本政府は敗戦後ず-とアメリカの言うままになってきた。 

そしてアメリカの機嫌をとるのに腐心してきたとしか思えない部分が見られる。

自民党の政権では政権が変わる毎に首相のアメリカ詣があり,半植民地国家の状態である。

沖縄にいたっては植民地そのもののような状態である。

それをなんとか日本国民の意思を伝え,真の独立国家になるとの姿勢でもって現政権が基地問題に取り組んでくれているものと考える。

アメリカが撤退したイラクで゜は自爆テロが多発し大勢の国民が苦しみ死んでいっている。

同じことがアフガンでもさらに行われようとしている。でも戦争は人々の意志でもって無くすことが出来るものだ。

アメリカが「新型ウィルス」のように世界中に「戦争」をばら撒いているのかと思いたくなる。

ワクチンは「憲法九条」で,全世界がその国の憲法の中に「戦争放棄の状項」を取り込めば世界中に「戦争」は起きない。

だから戦争でもっての死ぬ人も発生しない。新型インフルエンザよりも,戦争は大量の死者や障害者を発生させているのに

何故「戦争」だけを放置しておくのか。?新型インフルエンザののように「戦争」除去に全世界が取り組んで欲しい。

表面的な理由は別として,世界各国が自国の損得だけでもって行動しているように見受けられて仕方がない。

だから「戦争」は絶えることが出来ないものとなっているのか。

さらに想像をたくまくして「医産複合体」ができることにより医療崩壊が世界的な流れとして

加速度的に悪化・進行しできているのではないかと思つたりしている。












自分を励ますことのできる灯を
人の心身にともしたとき
初めて政策に血が通うことになろう








平成21年12月1日の天声人語よりの引


古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、何が一番難しいかと問われて「自分を知ること」と言ったそうだ。

では容易なことは?と聞かれ、「他人に忠告すること」と答えたという

▼そんな話を、しばらく前の声欄を読んで思い出した。

投書した人は、職探しに通うハローワークの相談窓口で、小型の色紙を目にしたそうだ。

そこには「人間関係うまくいかないのが当たり前」「転ばない生き方より転んでも起きあがる人生がいい」と書いてあった

▼仕事を失った人を励ますつもりだったのだろう。

しかし投書者は、落ち込んでいる気持ちを逆なでする、と立腹していた。

紋切り型の人生訓である。

古人の言うように、示すのは簡単でも、意図した通りに人を勇気づけるのは難しいようだ

▼きのう、17都道府県のハローワークで「ワンストップ・サービス」の試行があった。

求職だけでなく、縦割りだった様々な支援を一つの窓口にまとめて応じる失業者対策の目玉である。

昨冬のような「年越し派遣村」を再現させまいと、政府が取り組んでいる

▼タレスに相通じる、詩人の吉野弘さんの一節を思い浮かべる。

〈他人を励ますのは、気楽です/自分を励ますのが、大変なんです〉。

自分を励ますことのできる灯を、人の心身にともしたとき、初めて政策に血が通うことになろう

▼きょうから暦は師走。

12月の異名は、聞くだけで風の寒さをつのらせ、せわしなさを倍にする。

デフレに円高、株安が追い打ちをかける年の瀬、貧乏神を長逗留(ながとうりゅう)させない政府の力量が試されるときでもある。





個人の問題も結局は政冶に左右されることが多い。政治の嵐の中でもって各人が如何に器用に生きるかにあるようだ。

苦労知らずの政治指導者が続くようでは国民もたまらない。政治を利用して金儲けしている人たちが目につく。

不器用者にはできない世界のことである。









文科省の調査によれば、
昨年度に確認された児童生徒の暴力行為は
約6万件にのぼった。








平成21年12月2日の天声人語よりの引


 「癇癪(かんしゃく)を起こす」とか「癇癪玉を破裂させる」とか、

以前は言ったものだ。

いつしか「キレる」という、寒々とした言葉がとって代わり、世の中も殺伐となってきた。

大きい癇癪玉の破裂は「ブチキレる」などと言う。

荒い言葉である

▼殺伐感は学びの場にも募っているようだ。

文科省の調査によれば、昨年度に確認された児童生徒の暴力行為は約6万件にのぼった。

この3年で7割増え、過去最多だという。

数字がすべてではないだろうが、ゆゆしき事態には違いない

▼彫刻刀を振り回す。

床に倒した友だちの顔を踏む。

そんな行為も起きている。

給食のときに「自分だけ少ない」と文句を言われた配膳(はいぜん)係は、怒って容器をまるごとひっくり返した。

この程度のことは珍しくないという

▼「怒りをうまく言葉にできないようだ」と、あるベテラン教諭は印象を語る。

人材育成コンサルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さんも同じ指摘をしていた。

「怒る」とは言葉で感情を表すことをいう。

しかし表現する言葉を失ったときに、人はキレる(『怒りの方法』岩波新書)

▼キレやすい人は往々にして表現の力が乏しいそうだ。

自らの感情を受け止めて、相手に伝える。

そうした言語力の「堤防」が低いと、感情はたちまちあふれて洪水を起こしてしまう

▼携帯やゲーム、会話の減少など、他にも様々な要因が背景にあるようだ。

「良い怒り」は人間関係をつなぐ。

だが「キレる」とそれを絶ってしまう、と辛さんは言う。

大人も含めて、「怒り方」のゆがんだ社会は笑い方を忘れた世界のように虚(むな)しい。








現在の社会ではキレぱなしの人も多かろう。衣食たって礼節を知るで゜お母さんから何億円ももらえる

身分の人ばかりではない。普通の生活は保障して住みやすい社会にしてほしい。ゆとりある生活が達成すれば

キレル人たちも少なくなるだろう。政治でもって財をなした人たちの話が昔から美談となっているが。これも大変におかしな話である。








時は流れて、流行語の今年の大賞に「政権交代」が選ばれた







平成21年12月3日の天声人語よりの引

1956(昭和31)年に生まれたので、この年の歴史的な流行語と道連れで育った。

「もはや戦後ではない」である。

政府の経済白書にうたわれたが、もともとは文学者の中野好夫が書いた評論の題名だった。

その趣旨は、復興を宣言する白書とはやや違う

▼「『戦後』という言葉は便利重宝なものであった」と中野は言っている。

つまり、「戦後」を持ち出しさえすれば、責任を免れるとまではいかなくても、何ごとにも便利な言い訳になった。

そろそろ日本人は「戦後」に甘える気分を捨てるべきだ――。

そんな意味が込められていた

▼時は流れて、流行語の今年の大賞に「政権交代」が選ばれた。

予想どおりだった方もおられよう。はかない流行(はやり)言葉(ことば)があふれる中、歴史に刻まれそうな重みを、単刀直入な四文字は宿す


▼しかし鳩山首相は表彰式を遠慮した。

心中、「もはや政権交代ではない」の思いがあるのかもしれない。

政権の発足からきょうで79日になる。

「七難」を隠す便利重宝な語も、そろそろ賞味期限が見える

▼なのに、ここに来て国会軽視がますます著しい。

自民も自民だが、民主党の責任はいっそう重い。

国会は採決だけの場ではない。


民主的な討議とは、多数派が少数派の批判に耐えられるかどうかが試される過程にこそ、意味がある

▼拙速議決も審議の拒否も、互いに以前の「敵」をまねているようでは、民主党もお里が知れる。せっかくの流行語大賞である。

あれは「政権交代」ではなく単なる「攻守交代」でしたと後世に注釈がつくようでは情けない。






今までに政権交代がなかったことが不思議で「癒着」と「清廉潔白」とは反語のように思う。

政権交代は癒着とか悪弊を断つ一つの手段である。

天下りは根絶されたのだろうか。天皇の政治利用は絶てたのだろうか。?まだまだ不十分である。










亡くなった平山郁夫さんの回想である









平成21年12月4日の天声人語よりの引


戦後すぐ、意気揚々と東京美術学校(現東京芸大)に入学した150人に、校長は訓示を垂れた。

「諸君らのうち宝石はたった一粒です。

その一粒を見つけるために君らを集めた。

他は石にすぎません」。

亡くなった平山郁夫さんの回想である

▼自分は「石」だと思っていたそうだ。

3年生のとき、ついに見切りをつける。

だが新任の先生に「君の絵はこれ以上、下手にならない。

おおらかにやりなさい」と言われ、続けることにした。

この一言がなかったら、膨大な画業の一切を、私たちは目にできなかったかもしれない

▼大河を思わせる画業の原点には、広島での被爆があった。

だが15歳で見た地獄は、画家の筆を凍りつかせもした。


描きたいのは「平和」だったが、原爆の絵は心の傷口を広げるのが怖くて描けない。

悩み抜いてたどり着いたのが仏教だった

▼「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」と、のちに語っている。

以来、出世作の「仏教伝来」からシルクロードをめぐる作品まで、その活躍に詳しい説明はいるまい

▼20年ばかり前、中国西域の砂漠の街カシュガルの民家で、平山さんの絵を見た。

小さな複製をウイグル人一家が粗末な額に飾っていた。

娘さんの言葉が良かった。

「この絵のような砂漠が好きです」

▼厳しい光景も、平山さんの内面を通るうちに浄化され、静謐(せいひつ)な叙情となって画布に現れる。

それが砂漠の民も魅了したのだろう。

娘さんは自分も描きたいと盛んに言っていた。

一粒の宝石に、今ごろなっているだろうか






個性は絵画にも出てくる。シルクロードは神秘の眼差しが有ったが,今では血に汚された戦の場と化している。

絵画の題材は別として心を暖めてくれる所がある。独特のタッチのおおらかな画風は多くの人たちに親しまれ,学んだ学生達も多いと思う。

広島の苦しみを耐えての作品は「怒りではなく『平和への祈り』こそが私のテーマだとやっと気づいた」とは人柄が偲ばれる。



平山郁夫画像






師走の今ごろは、喪中のはがきが日々届く







平成21年12月5日の天声人語よりの引


師走の今ごろは、喪中のはがきが日々届く。

冬の空から降りてきたように、ひそやかに郵便受けにある。

紋切り型のあいさつ文は、事務的な素っ気なさゆえに、亡き人をきっぱりと生者から遠ざける

▼賀状だけのつきあいが長く、もう面影だけの人も、現実に幽明を隔てれば感慨は深い。

子を亡くしたと知れば、友の悲嘆を思って切ない。

会いたかった恩師は夏に旅立っていた。

何枚かを手に、歳々年々人同じからず、の思いがつのる

▼〈船のやうに年逝く人をこぼしつつ〉。

小紙長野県版の俳壇選者、矢島渚男(なぎさお)さんの句である。

過ぎていく年を大きな船の航海にたとえた。

そこから一人、二人とこぼれていく。

つまり亡くなっていく。

「逝く」のは時であり、人でもある

▼「人生の時間は豪華客船に乗っているような華やかなものです」と、句のイメージを矢島さんは話す。

その船から今年も多くの人が下りていった。

ゆく年を偲(しの)ぶのは、亡き人を偲ぶことに、どこか通じていく

▼先ごろの声欄で、亡くなった後輩から喪中はがきが届いたという女性の話を読んだ。

「10月16日、45歳で、未知の世界を旅することになりました……」。

病床でしたためたはがきに親族が日付を入れて出したそうだ。

それこそ天から舞い降りた、心に染みる一枚(ひとひら)だろう

▼とはいえ偲ぶより、来る年を喜び合う方がどれほど幸せか。

当方、これまでの仕事でお近づきになったご高齢は多い。

〈まだ生きているぞ賀状の面構え〉蔵巨水。

年の瀬に恙(つつが)なきを祈りつつ、よき「面構え」との再会を心待ちにする。







誕生があって喪がある。極めて自然なことだが生命が誕生するのには家族だけで祝い

死ぬときも同様に家族だけに送らればそれでよいことだ。

大々的な葬儀には違和感を感ずる。葬儀を政党が利用したり,葬儀屋が儲けたりすることに対し嫌悪感を感ずる。









サッカーファンを一喜一憂させて、32チームが8組に分かれた
来年のワールドカップ南アフリカ大会の組み合わせ抽選
日本はオランダ、カメルーン、デンマークと同じ組だ









平成21年12月6日の天声人語よりの引


子ども時代、一番のドキドキは運動会の駆けっこ、とりわけ号砲を待つ数分間だった。

一緒に走る顔ぶれを横目で確かめ、「よくて3位」などと気を回すからさらに硬くなる

▼新学期の席替えにも淡い緊張が伴った。

あこがれの君、苦手な子。

班の顔ぶれによって、しばらくは登校の意気込みから違う。

知らない名も多いクラス替えは運まかせだが、学級内の「当たり外れ」は鮮明だった

▼サッカーファンを一喜一憂させて、32チームが8組に分かれた。

来年のワールドカップ南アフリカ大会の組み合わせ抽選。

日本はオランダ、カメルーン、デンマークと同じ組だ。

いずれも格上ながら「十分対応できる範囲」(岡田武史監督)という。

当たりではないが大外れでもないらしい

▼くじは気まぐれだ。

74年の西ドイツ大会で、地元西独はなんの因果か初出場の東独と同組になった。

親善試合さえなかった両国の、最初で最後の公式戦は東が西を1対0で破る。

大観衆は番狂わせに打ちひしがれ、スタジアムから地下鉄の駅まで沈黙の列が続いたという

しかし、この負けが西独に幸いする。

2位で勝ち上がった結果、手ごわいブラジルやオランダと当たらずに決勝まで進み、優勝候補のオランダを下して頂点に立った。

くじはドラマの始まりでしかない


▼サッカー好きなら、組み合わせ表を見ながら延々と話し込めるだろう。

日本の布陣や作戦を論じるもよし、他の組や先の展開を読むのも楽しい。

半年も前にくじを引く理由が分かる気がする。

長くて熱い「前夜祭」の幕開けである。






スポーツは健康のためであって参加することに意義がある。優勝すれば嬉しいし 二位になるならば次回は頑張って一位になろうで良い。

戦意高揚 民族意識発揚の手段になることだけは避けて欲しい。

愛国心がないといわれても,敗戦後はそんなことには誤魔化されない。スポーツは平和のため祭典である筈だ。









初もうでの人出で知られる神宮は
1920(大正9)年の創建で
境内の緑の大半は、
全国からの献木10万本を青年団が植えた人工林だ







平成21年12月7日の天声人語よりの引


冬日を透かして、クヌギの葉が黄金に染まっていた。

光合成の役割を終えた葉は土に還(かえ)り、今度は底から木を支える。

緑から黒へ。

その間に放つ一瞬の輝きは、任を果たした喜色に見える

▼樹木医の石井誠治さんと、明治神宮の森を歩いた。

クスノキなどの常緑樹が覆う参道に、森厳の語を思う。

森は人跡から守られ、路上に散った葉も中に戻される。

結果、その土は都心一の豊かさと聞いた

▼初もうでの人出で知られる神宮は1920(大正9)年の創建。

境内の緑の大半は、全国からの献木10万本を青年団が植えた人工林だ。


大隈重信ら時の重鎮は荘厳な杉林にこだわったが、原生林を描く学者たちが説得したという。

正しい判断だった

▼早くも20年後、詩人の高橋新吉が〈身は都会の塵域(じんいき)を遠く離れたる心地す〉と詠んだ。

いま、先人が夢見た「永遠の杜(もり)」の情趣はさらに深い。

植生は多彩で、石井さんによればキウイの木まである。

どこかで実を食べた鳥が種を運んだらしい。刻々と相を変え、森は進化する

▼神宮の技師は「本当の天然林になるにはあと200年はかかる」と記している。

樹木の命をつなぐ落葉は、終わりであると同時に始まりでもある。

〈冬めくや幹のうしろに幹の見え〉倉田紘文

▼きょうは大雪(たいせつ)にあたる。

週末の雨に急(せ)かされ、何億もの葉が枝に別れを告げたことだろう。

落ちて大地に抱かれ、腐葉土への長い旅を始めたはずだ。

その足元で続く小さな営みを思えば、丸裸になった冬ざれの木々も清々(すがすが)しい。

寒いゆえに温かい、そんな季節が巡ってきた。





明治神宮が明治天皇が祀られているとは知らなかった。

近くの鎮守の森の神社には天皇家の祖先が祭られている。

城下町都市に行けばお城が仰ぎ見られる。封建的支配システムは全国に上手に仕組まれている。

昔の人たちの支配階級の人たちの智慧に大変に感心する。

現在の民主主義国家である日本であるにも拘わらずに生きづいている。

鎮守の森は国民の憩いの場所として提供され,お城は観光地として国民に親しまれ大勢訪れる。

歴史上,天皇の利用は古代から何度も何度も繰り返えされ,実質的に貴族藤原氏,武士達や軍部か゛天皇のもとに支配し君臨していた。

これからも歴史的遺産だけは大切にされることを願う。

1943年(昭和18年)10月21日明治神宮外苑競技場にて出陣学徒壮行会が開催され、雨のなか、約7万の入隊学徒が行進した。



きけわだつみの声

きけわだつみの声(動画)

学徒出陣(動画)









日米開戦の日に思う
「戦争と平和をめぐる言葉の空疎化」について書いた
便利なだけに手垢(てあか)にまみれ、
もはや中身はからっぽの感が強い〉と









平成21年12月8日の天声人語よりの引


今年の3月10日、東京大空襲の日の小欄で「戦争と平和をめぐる言葉の空疎化」について書いた。

〈たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。

便利なだけに手垢(てあか)にまみれ、もはや中身はからっぽの感が強い〉と。

少し言い過ぎかと思ったが、賛同の手紙を何通か頂戴(ちょうだい)した

▼「平和の大切さ」も同じだろう。

この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気にさせる。

一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。

往々にして、そこから先の問題意識と想像力を封じてしまう

▼新聞も偉そうなことは言えない。

「命の大切さを訴えた」「戦争の悲惨さを胸に」式の表現はけっこう目立つ。

これで記事は一丁あがり、では書き手の考えも深まっていかない

▼批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。

〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。

名高いくだりを借りて大胆に言うなら、「『大切な命』がある。

『命の大切さ』という様なものはない」となろうか

▼抽象的な「命の大切さ」でおしまいにせず、ひとりの「大切な命」についてこそが、もっと語られるべきだろう。

「戦争の悲惨さ」は遠くても、「悲惨な戦争」の体験を聞けば、平和への思いは質量を増していくに違いない

▼今日が何の日かを知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。

わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。

伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。






十二月八日は釈尊がお悟りになった日だと考える人が少なく第二次大戦が勃発した日と感ずる人が少ないだろう。

敗戦の日の八月十五日はお盆の日でもある。仏教の知識のある人が戦争の開始 終末日を決めている。

戦争となれば仏の教えも関係なく敵を殺すことに邁進しなければならない。戦争だけはなんとしても止めておこう。



アメリカから見た第二次大戦(動画)

動画に出てくる天皇相談相手(内大臣
木戸幸一

三種の神器









きのう閣議決定した総額7.2兆円の経済対策でも
亀井大臣の国民新党に揺さぶられた









平成21年12月9日の天声人語よりの引


このところの政府を見ていると童謡「小ぎつね」(勝承夫=かつ・よしお=作詞)が口をつく。

3番の歌詞が鳩山首相に重なる。

――小ぎつねコンコン穴の中 穴の中 大きな尻尾(しっぽ)はじゃまにはなるし 小首をかしげて考える――

▼尻尾は連立を組む社民党と国民新党である。

天下の公党を尻尾呼ばわりは失礼だが、尻尾が胴体を振り回すたとえは言い得て妙だ。

小さいけれど大きな「尻尾」をもてあまし気味に、首相は小首かしげて何を考えているのか。

そのあたりがよく見えてこない

きのう閣議決定した総額7.2兆円の経済対策でも亀井大臣の国民新党に揺さぶられた。

結局、地方の公共事業を上積みしたが、首相がリーダーシップを発揮したふしは見あたらない。

亀井さんにかき回されっぱなしの印象だ


▼普天間飛行場問題では、県外移設を言う社民党の理念が重い。

さらに、地元沖縄にも米国にもそれぞれ立場がある。


首相の「三方美人」ぶりは、一人の女が男3人に愛を誓う落語の「三枚起請(きしょう)」を思わせる。

寄席なら笑えるが、ことは国の安全保障にかかわる大事である

▼鳩山さんはたぶん優しい人なのだろう。

優しくあるべきときに優しい人は素晴らしい。

だが、いつも優しい人は、優柔不断が裏返っているだけの場合がある。

厳しく処した後の気まずさを考えて、ことを先送りしてしまう

▼政権発足前の小欄で、中曽根元首相がかつて、

鳩山氏に「政治は形容詞ではなく動詞でやるものだ」と注文をつけた逸話を書いた。

そろそろ得意の形容詞ではなく、ゆるぎない動詞の出番である。






現政権には統率力がない。逆に言うと権力の分散か。でも小沢氏の鋼腕が目立つ。

私物化している傾向が見られる。

まだ支持率は維持されているが。野党の将来は過去を見れば判るので希望が少ない。








いわゆる琉球処分で沖縄県になってから、
今年で130年になる
明治政府が琉球にこだわった
大きな理由は「国防」だった。










平成21年12月10日の天声人語よりの引


まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている〉の書き出しで、司馬遼太郎作「坂の上の雲」は始まる。

その小さな国の開化に、琉球王国は呑(の)み込まれていった。

いわゆる琉球処分で沖縄県になってから、今年で130年になる

▼明治政府が琉球にこだわった大きな理由は「国防」だった。


唱歌の「蛍の光」はかつて4番まであり、千島の奥も沖縄も、八洲(やしま)の内の守りなり……と歌われたそうだ。

先の戦争では本土を守る「捨て石」にされ、戦争が終わると「太平洋の要石(かなめいし)」になった。

基地の島である


▼戦後、本土は憲法9条に守られる。

しかし沖縄には異なる時間が流れてきた。

朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、さらにはイラク戦争

基地を通じて戦争にかかわってきた。

三つの世紀をまたぐ歴史の先に、いまの普天間飛行場問題がある

▼米側との「返還」の合意からすでに13年がたつ。

県内移設を突きつけられた当時の大田知事は、「この狭い沖縄の、どこにそんな場所があるのか」と憤った。

島の多くの人々の思いでもあっただろう


▼ラテン語の諺(ことわざ)に「平和を望むなら戦争を準備せよ」とあるそうだ。

顧みれば本土は、自らの平和のために、戦後もずっと沖縄に「戦争の準備」の場であることを強いてきたのではなかったか

▼「平和を望むなら平和を準備したほうがいい」。

これは評論家の故・加藤周一さんが切り返した言葉である。

沖縄の歴史と現実を沖縄だけのものとせず、考えを巡らせたい。

考えの一つ一つが、ひいては「平和の準備」につながっていく。





沖縄の歴史は苦難の歴史ともとれる。第二次大戦中での沖縄米軍上陸は悲惨である。

米軍に占領下に置かれてさらに苦難が続き米軍基地問題がある。

日本国土と異なった道をたどり現在に至っているようだ



沖縄琉球(動画)









住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に
一年を振り返る名作迷作が多く寄せられた








平成21年12月11日の天声人語よりの引


有権者の抜きはなった刃が日本の政治を袈裟懸(けさが)けにした。

これぞ「一票両断」

住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、一年を振り返る名作迷作が多く寄せられた

▼寒空の炊き出しで今年は明けた。

派遣切りや雇い止めで仕事を失った人々が「断雇(だんこ)反対」を叫んだ。

夏の選挙で永田町はひっくり返る。

「政権好待(こうたい)」が実現したが、新政権の「鳩世済民(きゅうせいさいみん)」の手腕はいかに

▼新型インフルエンザが上陸すると、店頭からマスクが消えた。

日本中が「顔面総白」となって、来訪の外国人も驚いた。

うつされてはたまらないと、通勤電車も人ごみも「一咳(いっせき)触発」でピリピリする。

予防したくてもワクチンは足りず、切歯扼腕(せっしやくわん)ならぬ「接種待腕(まつわん)」がなお続く

▼高速道路の「千円」は功罪が半ばした。

喜々として「遠奔千走(とおほんせんそう)」する人もあれば、「千車万列」の大渋滞にプロの運転手は泣かされ、客をとられた鉄道も船も泣いた。

暦の魔術で初の「秋休五日」(シルバーウイーク)となったものの、どこもかしこもやはり渋滞

「司民参加」の裁判員制度が始まり、「判官判民」の裁きに市民感覚がにじみ出た。

白昼の天体ショーは「皆祈日食」で晴天を待ったが、悪石島は無情の雨。米国では旅客機が川に奇跡の不時着。

「一機冬川(いっきとうせん)」の機長の離れ業が喝采を浴びた

▼この人を忘れてはいけない。

石川遼君めあての「一目遼戦(りょうせん)」のギャラリーでゴルフ界はわいた。

国宝の阿修羅像展も長蛇の盛況となり、多くの人が「阿美共感(あびきょうかん)」した。

ゆく年に、忘れ得ぬあのまなざしが、ふと胸をよぎる。




阿修羅像(動画)

阿修羅像








オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも知れない。
先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。










平成21年12月12日の天声人語よりの引


詩人の三好達治の思い出を井伏鱒二が書いている。

一緒に講演に出かけた先々で、三好は校歌の作詞を頼まれたが、そこでは固辞した。

理由がまじめだった。

「僕が校歌を作って、このさき心中でもしたら、その学校の生徒は散々だ」

▼校歌とノーベル賞が同じにはならないが、オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも知れない。

先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。

このさき、何が起きるかわからない

▼栄誉というより重い十字架だろう。

アフガンやイラクで毎日人が死んでいる。

核兵器廃絶でも、実績を上げたのではなく、いわば希望の先買いだ。

受賞のスピーチで、「戦時の大統領」は理念と現実のはざまで慎重に言葉をつないだ

▼「暴力は平和をもたらさない」というキング牧師の言葉を援用した。

その一方で、平和のための「正しい戦争」があると説いた。

ヒトラーとの戦いをたとえにしたが、取り扱いの難しい言葉である

▼「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」と言ったのは、アメリカ独立の父のひとりフランクリンだった。

だからというべきか、戦争の歴史は、戦争を正当化する歴史でもあった。

古今東西、百の国に百の「正しい戦争」があったことを、そのスピーチに思い出す

▼三好の逸話ではないが、今後のオバマ氏いかんでは平和賞も深い傷を負う。

それを承知でノーベル賞委員会は火中の栗を拾い、大統領も応えたのだろう。

氏のうたう「核兵器のない世界」ははるかに遠いが、冷笑という風で灯を吹き消したくはない。






「日本版ノーベル賞」と呼ばれ注目を集めている賞もある。

稲盛財団の「京都賞」で、今年25年を迎え、

厳密な審査が行われることで世界から注目を集めつつある。

基金は京セラ名誉会長の稲盛和夫氏の私費約600億円を投じたもので、

ノーベル賞の500億円よりも多い(賞金は5000万円)。

意外と日本で知られてはいないが、海外でも評価は高い









走の街にあふれる赤と緑の組み合わせも、華があっていい
二つの色がクリスマスを彩るのには理屈があって、
一説によれば赤はキリストの血、緑は永遠の命を表すという。








平成21年12月13日の天声人語よりの引


甘党でなくても、栗ぜんざいが恋しい時がある。

小豆あんのまったり、栗のほっこりが湯気に溶け合い、冷え込んだ日などうれしいものだ。

色の取り合わせも鮮やかで、味わいに一役買っている

▼補色とか反対色とか難しいことは知らないけれど、引き立て合う色というのが確かにある。

甘味どころに映える黄と赤紫はその一対だろう。

師走の街にあふれる赤と緑の組み合わせも、華があっていい

▼二つの色がクリスマスを彩るのには理屈があって、一説によれば赤はキリストの血、緑は永遠の命を表すという。

この由来を語る植物といえば、赤い実と艶(つや)やかな葉のセイヨウヒイラギがまず浮かぶ。

昨今は見栄えのするポインセチアが好まれるようだ

▼月初め、埼玉県本庄市でポインセチアの出荷を見学した。

広いハウスは18度に保たれ、水やりの管を差した鉢がすき間なく並ぶ。

換気扇の風に、包葉の波が赤く揺れていた。メキシコあたりの原産だけに、冬の戸外は苦手らしい

▼鉢の多くは今ごろ、寒気に耐えて店頭やテーマパークを飾っているはずだ。

生産者の須長賢一さん(62)によると、不況でホテルなどの注文が伸びず、市場価格は前年の8〜9割。

くすんだご時世に、派手やかな色は浮きがちだ

▼赤より居心地が悪いのは、年末年始に欠かせぬ金色かもしれない。

しかし、金ぴかには程遠い世の中だからこそ、ささやかな輝きや色づかいが心にしみる。


幾らかのぬくもり、なにがしかの元気をもらいに、宵の街に出てみようか。

きょうは、光に縁の深い聖(サンタ)ルチアの日である。




12月13日が聖ルチアの日とは始めて知った。クリスマスの日は知っているが。









夫婦げんかが原因ともされた事故の後、
タイガー・ウッズ選手は噴き出す醜聞にまみれた









平成21年12月15日の天声人語よりの引


ものの本によれば、結婚しなければ出来ないことが二つあって、一つは夫婦げんか、もう一つは離婚なのだそうだ。

片や犬も食わないと言われ、もう一方も真砂(まさご)の数ほどあるが、著名人の場合はメディアに「ドル箱」を提供する

▼ありふれた交通事故が大ニュースに発展するとは、出動した救急隊も驚いたろう。

夫婦げんかが原因ともされた事故の後、タイガー・ウッズ選手は噴き出す醜聞にまみれた。

水に落ちた犬ならぬ虎さながらに、ついに無期限にクラブを置くと自ら宣言した。


人気に頼ってきたゴルフ界には衝撃である

▼様々な意味で英雄だった。

強いうえに品行方正、慈善活動には進んで加わった。

保守色の濃いゴルフ界に残る人種差別の空気を破ってもきた。

それが今や、名前のあがった「愛人」は2けたを数える

▼背信行為による汚名には、それまでの善行がすべて跳ね返る。

米国の集中豪雨的な報道は、わがワイドショーも色を失うほどらしい。

クリントン元大統領の不倫以来だと、在米の知人が知らせてくれた

▼墜(お)ちたる偶像に夢を砕かれたファンは少なくあるまい。

その昔、大リーグで球史に残る八百長があった。

名手シューレス・ジョーらが追放された。

裁判所で無実を願う少年が叫んだ「嘘(うそ)だと言ってよ、ジョー」の言葉を、ウッズに投げたい人もいることだろう

▼「妻や子どもたちを失望させ傷つけた」と本人は深く懺悔(ざんげ)している。

立ち直ってほしい人である。


しばらく「犬も食わぬ」ふうにそっとしておく度量が米社会とメディアにあればいいのだが。




タイガ-ウッズも人間であって聖人君主でもあるまい。イメ−ジが壊れたがゴルフの成績には影響ないはずだが。

残念なことである。









その東京大空襲の被災者や遺族が、
国に謝罪と賠償を求めた裁判の判決がおとといあった
東京地裁は訴えを棄却した









平成21年12月16日の天声人語よりの引


自由主義者で知られた清沢洌(きよし)は戦時中に「暗黒日記」をつづった。

終戦の年の1月2日、戦争をあおる徳富蘇峰の書いた新聞記事を引いている。

なんと敵の爆弾が東京に落とされるのを期待する記事である

帝都の真ん中に落ちる敵弾だけが国民を覚醒(かくせい)させ、「一億皇民の心構え」を固くする――という書きぶりは時代の狂気そのものだ。

清沢は蘇峰の無責任を批判するが、ほどなく東京は激しい空襲に遭う。

一夜にして約10万人が命を奪われた


▼その東京大空襲の被災者や遺族が、国に謝罪と賠償を求めた裁判の判決がおとといあった。

東京地裁は訴えを棄却した。

「心情は理解できる」としつつも、立法によって解決すべき問題だと退けた

▼軍人には年金や恩給がある。

だが一般の戦災は多く放置されてきた。

その理不尽を原告は問うた。

当時の国土は戦場さながらだった。

国はことあるごとに「一億」という表現で軍民一体の総力戦を鼓舞した。

歴史を思えば訴えには理がある。

ちなみに蘇峰の記事の題も「一億英雄たれ」だった


▼〈あなた方は逝ってしまった 口紅やおしろいに触れることもなく……木陰に子を眠らせる母となることもなく〉。

これは大阪の空襲で落命した動員女学生を悼んだ詩人、島田陽子さんの一節だ。

東京ばかりでない。

全国で60余の都市が空襲の炎に巻かれて燃えた

▼原告の平均年齢は77歳という。なお控訴する姿に、「戦争のせい」「時代が悪かった」という諦(あきら)めをはねのける怒りを見る。

怒りの中に、次世代がくむべき重い戦争体験は限りない。






戦争とは非戦闘員が巻き込まれることは確実である。

「戦争は嫌だ。平和が良い」。誰もが願い知っている。

誰もが思っているのだが歴史上戦争が繰り返されて普通の市民が巻き込まれている。それは為政者の都合で行われている。

天皇陛下の為に死んでいった人たちは数知れない。でも天皇制は維持し続けられている。

天皇とはどういう方なんだろうか。











善良な市民がいつの間にか事件の犯人にされていく
42年前に茨城で男性が殺された「布川(ふかわ)事件」で、
有罪になった両人の再審が決まった









平成21年12月17日の天声人語よりの引


サスペンス映画の巨匠ヒチコックには「巻き込まれ型」の筋立てが多い。

善良な市民がいつの間にか事件の犯人にされていく。

実話をもとにヘンリー・フォンダが主演した「間違えられた男」をご記憶の方もおられよう

▼桜井昌司さんと杉山卓男さんの2人が「間違えられた男」だったのは、ほぼ確実なことらしい。

42年前に茨城で男性が殺された「布川(ふかわ)事件」で、有罪になった両人の再審が決まった。

ともに29年拘束され仮釈放されている。

失われたものはあまりに大きい


▼はなから犯人扱いされ、朝から晩まで「自白しろ」と言われ続けたそうだ。

自白に転じる一押(ひとお)しはうそ発見器だったと桜井さんは言う。

公平な機械にすがる思いだったが、取調官に「すべてうそと出た」と言われ、耐えていた心が折れた

▼「最初の『やりました』という一言が、取り調べの山である」と、冤罪事件に連座した経験のある評論家の青地晨(しん)が書いている。

「あとは際限ない自己崩壊が続き、完全に係官のロボットになる」と。

密室の恐ろしさである

▼菅家利和さんの「足利事件」も自白の強要と偏重が根っこにあった。

さらに今回、検察は2人に有利な目撃証言などを伏せてもいた。

正義と公正を欠いた司法権力は野に放たれた虎にも等しい

▼ヒチコックの映画にはハッピーエンドが多いが、冒頭のはそうでもない。

主人公の嫌疑は晴れるが、ショックで心を病んだ妻は元に戻らない。

失われたものの象徴だろう。

当時20歳だった桜井さんと21歳だった杉山さんは、いま62歳と63歳になっている。







冤罪事件は沢山有るはずだ。拷問に近いような取調べで白状させられている。

死刑が執行されればその人が犯人でなければ検察官と裁判官が殺人罪を起したことになる。

でも裁判で裁判官が殺人罪で死刑になったことはない。ただの泣き寝入りで過ぎているだけのことである。

だから死刑制度は廃止すべきである。

死んだ人は元には戻すことが出来ない。死刑制度のある国はどの程度あるのだろうか。ヨ−ロッパでは少ない。











約束を違えぬ誠実をほめるか、
融通のきかない愚直を笑うか、
評価は人によりけりだろう。
マニフェストをめぐる民主党政権の逡巡(しゅんじゅん)に、
この故事が胸中で重なっていた









平成21年12月18日の天声人語よりの引


 古代の中国に尾生高(びせいこう)という男がいて、橋の下で女と会う約束をした。

待ちに待ったが女は来ない。

折からの雨に川は増水してきたが、かたくなに約束を守ってその場を離れなかったそうだ

▼水が引いたあと、人々は橋脚にしがみついて死んでいるその姿を見つける――。

「尾生の信」として伝わる故事である。

約束を違えぬ誠実をほめるか、融通のきかない愚直を笑うか、評価は人によりけりだろう。

マニフェストをめぐる民主党政権の逡巡(しゅんじゅん)に、この故事が胸中で重なっていた

▼そんな政府の背中を押すように、小沢幹事長が鳩山首相に「マニフェスト改変」を突きつけた。

政府はありがたく拝聴したそうだ。


ガソリン減税はやめよと言い、そうなれば公約の重要な変更になる。

子ども手当にも所得制限を設けよという

▼予想を超えて財源は窮乏し、マニフェストを貫けば他のもろもろが軋(きし)みをあげる。

だが公約への期待も大きい。

尾生高ではないが、約束をとっても現実に即しても評価は割れよう。

約束破りの役回りを小沢氏が引き受けたとの観測もある

▼ところで、かの「論語」にも尾生高とおぼしき人物が登場するそうだ。

酢を借りに来た人に、無いと断らずに、隣から借りてきて体面をつくろったという。

孔子さまは「彼は正直者ではない」と難じたと、手元の故事集に教わった

▼改変の求めは、優しい首相に代わって幹事長が「酢は無い」と国民に断った図だろうか。

孔子さまは小沢さんをほめるかもしれない。

だが国民の目には、笑えぬ二人羽織があらためて焼き付いた。







自民党が政権をとっている時代公約を守らないのが常識化していた。

マニフェストとは公約のことである。大変な約束していることは誰もが承知で

政権交代が行われている。守れないマニフェストは作らない時代になってほしい。

消費税は上げませんと公約していて政権をとった途端に上げた総理大臣もいた。

守らないのがマニフェストにならないようにして欲しい。政治は生き物であることは国民は承知している。









湯上がりのような大根を、
ふうふう吹きながら口に運べば、
師走の寒波もしのげそうだ








平成21年12月19日の天声人語よりの引


ご時世だから年中出回ってはいるが、大根はやはり吐く息が白くなる頃からがうまい。

ブリ大根も、おでん種もいい。

スポンジさながらに、どんな味も体に染みわたらせる得意技で、冬の食卓をにぎわせる

▼風呂吹きは大根が堂々の主役になる。

裏に十文字の隠し包丁を入れ、昆布を敷いた鍋で煮る。

急(せ)かずに弱火でゆっくり時間をかける。

〈風呂吹や忙は心を亡(ほろ)ぼすと〉森澄雄。

湯上がりのような大根を、ふうふう吹きながら口に運べば、師走の寒波もしのげそうだ

▼借りて耕しているわが菜園で、今年も大根が穫(と)れ盛りになった。

冬野菜というのは、暑い季節にはすぐに育ってしまい、風味が薄く水っぽいのだという。

冬の畑でじりじり育ち、土の滋養をたっぷり取り込んでこそおいしくなると、以前に紙面で読んだことがある

▼青首をつかんで引っ張ると、意外なほどに簡単に抜ける。

水をかけてタワシで洗えば、まぶしいばかりに白く輝く。

そういえば〈大根を洗ふ門(かど)には冬来(きた)る〉と、「笑う門には福来る」をもじって詠んだ江戸川柳もあった

▼同じ江戸の〈五月女(さおとめ)のしまわぬうちは土大根〉は、田植えをする女性の足を泥つき大根に見立てた。

〈白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる〉と

俵万智さんにうたわれた白菜とともに、艶(つや)っぽい冬野菜の双璧(そうへき)でもあろう

▼寒波は週末がピークらしい。

夜ふけに音もなく降りだした雪で、けさ起きたら銀世界という方もおられよう。

こんな日は、食卓にたつ湯気そのものがごちそうになる。さて、大根の出番となるか。





寒波はどうして起きるのか。四季はどうしてあるのかと疑問は尽きない

インタ−ネットは有りがたいものである。疑問が出てくれば検索すれば直ぐに教えてくれる。

辞書を引くような面倒もない。充実すれば益々に助かる。










09年生まれの名を調べたところ、女の子は凛(りん)、さくら、陽菜(ひな)。
男の子は大翔(ひろと)、翔太、蓮(れん)の順だった。
男児は元気、女児は優しさを願っての命名が多いという









平成21年12月20日の天声人語よりの引


昭和も半ばまで、女の子は大抵「○子」だった。

この習いを破ったのが明美である。

明治安田生命によると、1957(昭和32)年生まれで10傑に入り、65年に首位となった。

真由美、由美、直美が続き、「○美」がひと時代を築く

▼名は世に連れ、世は名に連れ。

73年に千昌夫さんが歌った「アケミという名で十八で」(西沢爽作詞、遠藤実作曲)の女性も、明美が広まる頃の生まれとなる。

以後、愛や美咲の天下を経て、ここ10年ほどは百花繚乱(りょうらん)だ

▼ベネッセコーポレーションが09年生まれの名を調べたところ、女の子は凛(りん)、さくら、陽菜(ひな)。

男の子は大翔(ひろと)、翔太、蓮(れん)の順だった。

男児は元気、女児は優しさを願っての命名が多いという


▼目新しい名前も、秀作であれば盛んに使われて普通になる。

わが子を同世代に埋没させまいというのか、七音(どれみ)、一二三(わるつ)、騎士(ないと)など、謎かけのような工夫が話題を呼んだこともあった。

思いがこもり、個性的かつ簡明な一つを選ぶのは楽ではない

▼東京で見た声欄に、埼玉県の森まりもさん(17)の投書があった。

逆から読んでも「もりまりも」で、小学生時代は面白がられたそうだ。

母親に尋ねたら「回文を狙っていた」とのこと。

今は愛着がわき、自己紹介でも触れるが、名づけは背負う子のことも考えてと訴える

▼まりもさんの言う通り、姓は変わっても名は一生だ。

後々、持ち主に笑顔で説明できる作でありたい。

それを笑顔で聞ければ、すなわち良い名前ということだろう。

親心が並ぶランキングを眺めながら、どの子にも幸あれと願う。





名前を名ずけるにはそれぞれの苦労と由緒があることだろう。








COP15と呼ばれる温暖化防止の国際会議である。
京都議定書に続く約束はまとまらず、次善の合意文書も、
採択ではなく「留意する」にとどまった







平成21年12月21日の天声人語よりの引


要するに、肝心なことは先送りらしい。

COP15と呼ばれる温暖化防止の国際会議である。

京都議定書に続く約束はまとまらず、次善の合意文書も、採択ではなく「留意する」にとどまった。

首脳が集まっての足踏みだけに痛い


▼二酸化炭素を出し続けてきた国々にとやかく言われる筋合いはない。

これが途上国の本音だろう。

さあ発展という時に、環境という名の枷(かせ)をはめられては困ると。

こうした主張を代弁する中国は、今や温室効果ガスの最大の排出国である

▼片や先進国代表として範を垂れるべき米国は、産業界に押されて京都議定書を袖にし、

次なる削減目標も日欧に見劣りする水準だ。

両排出大国の「偏り」が、温暖化と闘う気勢をそぐ

▼来年のCOP16に向けて仕切り直すという。

しかし、15でだめなら16や17がある、という考えは危うい。

〈十五、十六、十七と、私の人生暗かった……〉。

藤圭子さんのかれた歌声を思い出す。

〈過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらく〉と続くのだが、人類に夢を見ている暇(いとま)はない

▼交渉の間にも極地の氷は解け、海水の酸性化が進む。

多発する洪水や干ばつは新たな貧困と紛争を生み、つまりは世界が荒れる。

破局への歯止めと緊張を欠いた先送りは後退にも等しい

▼命にかかわる会議に出られない点で、将来の世代は動植物と変わらない。

閉じた地球。

空や海の包容力にいつまで甘えられるのか。

そういえば藤さんの娘、宇多田ヒカルさんが〈時間がたてばわかる〉と歌っていた。

この言葉、いつも前向きな意味とは限らない。






この科学の時代に地球温暖化を防止する効率のよい機械は作れないものだろうか。

空気中のCo2(炭酸ガス)を少なくすれば,それで良いだけだ。

だが簡単そうで大変に複雑そうだ。










冬の星座がきらめく空へ、
宇宙飛行士の野口聡一さんが飛びたっていった。









平成21年12月22日の天声人語よりの引


 冬の星座がきらめく空へ、宇宙飛行士の野口聡一さんが飛びたっていった。

カザフスタンのバイコヌール基地は、ソ連時代にガガーリンが人類初の宇宙飛行をした記念の地でもある。

帰還しての「地球は青かった」はあまりに名高い

▼だが、それと対(つい)のように語られた言葉は忘れられた。

成功の翌日、小紙はこう伝えている。

「空はとても暗かったが、地球は青みがかっていた」。

つまり「宇宙は暗黒だったが、地球は青かった」と。


二つの対比があってこそ、感動への理解はいっそう深まるように思われる

▼その表現は、のちに月から見た地球の姿の先触れでもあった。

前にも書いたが、茨木のり子さんの詩の一節にこうある。

〈生まれてこのかた なにに一番驚いたかと言えば 水一滴もこぼさずに廻(まわ)る地球を

外からパチリと写した一枚の写真 こういうところに棲(す)んでいましたか……〉

▼鏡に映る己(おの)が姿を見ると、人は自分の存在をより意識し、自己愛も強まるという。

それに照らせば、宇宙開発とは、人類が地球を愛(いと)おしむのと表裏一体の営みでもあろう


「地球上の争いの何というケチくささ、と世界中のたれもが人工衛星一号の時言った。

あれから四年」と、ガガーリンの飛行のとき小紙夕刊の「素粒子」は書いている。

その後も争いの止(や)まぬ世界への皮肉だった

▼それからさらに48年。

争いにこりず、加えて温暖化で自然を痛めつける人類の姿が地上にある。

天上の野口さんからのメッセージで、漆黒の空間に浮かぶ奇跡への思いが、広く深く養われればいいのだが。





「空はとても暗かったが、地球は青みがかっていた」。

つまり「宇宙は暗黒だったが、地球は青かった」とのことで
真っ暗闇の世界が省略され

喧伝され地球の青さが強調されてきた。チッポヶに映る地球にはあきもせずに「戦争」がつづいている。

なんとかならないものかと腐心しているが,それでも人間は平和を維持することができていない

動物なのだろうかと。情けなくなる気持ちである。











酒の功は限りないが、罪もまた多い







平成21年12月23日の天声人語よりの引

 不況風がつめたい師走の街で「せんべろ酒場」が人を集めているという。

千円でべろべろに酔える、を略したらしい。

定義はないが、安くて、チェーン店でないのが条件のようだ。

らしき店の暖簾をくぐると、モツの煮込みが250円など、手頃な値段に頬がゆるむ

▼手元の辞書を引くと、「べろべろ」は酔ってろれつが回らない状態をさす。

酔態の表現にも使い分けがあって、「ぐでんぐでん」は正体を無くした様子を言うそうだ。

財布にやさしい「せんべろ」でも、酔い加減はやはり「ほろり」程度が賢明である

▼酒の功は限りないが、罪もまた多い。

「百薬の長とはいへど、万(よろず)の病は酒よりこそ起これ」と古くに戒めたのは「徒然草」の兼好法師だった。

近年は、アルコール依存症患者の増加が深刻になっている

▼「予備軍」を含めると440万人にのぼるという。


自殺の背景になることも多く、もはや「飲んべえ」などと、のどかに呼べない人も少なくないようだ。

克服するには、しっかりした治療と支援が欠かせない

▼とはいえ厳しい年の瀬に、語らい、労をねぎらい合う一杯はうれしい。

腹に下りて、胃の形が分かるほどにじわっと広がる熱燗など、何ものにも代え難い。

〈おでん酒酌むや肝胆相照らし〉誓子。冬の巷の幸いである

▼漢詩にちなんで酒のことを「忘憂」とも言う。しかし兼好法師は「酔っぱらいは昔の憂さを思い出して泣く」と手厳しかった。

冬至も過ぎて、忘年会はそろそろ最終盤だろうか。

憂さに負けない笑顔の杯を、ほどほどを旨に楽しまれたい。







お酒は少量だと百薬の長だが,大量に飲料すると「気違い水」で身体に毒である。

飲む量が問題である。長寿の方に少量のアルコ−ルを嗜む人を見かける。

昔から言い伝えられてきたことには案外に真実が含まれている。











日本人は「次の株主総会」といった目先の対策は得意だが、
長期戦略を立てるのは下手だという指摘だった。
民族性だろうか、それは今の民主党政権にもそのまま当てはまる









平成21年12月24日の天声人語よりの引


 エズラ・ボーゲル氏といえば『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者で知られる米国の学者である。

知日派で中国通の氏がかつて、次のように言っていたと、職場の先輩の松山幸雄さんの近著『鳩山から鳩山へ』(朝日新聞出版)に教わった

▼「中国には方策があって対策がない。

日本には対策があって方策がない」と。

日本人は「次の株主総会」といった目先の対策は得意だが、長期戦略を立てるのは下手だという指摘だった。

民族性だろうか、それは今の民主党政権にもそのまま当てはまる


▼賛否はあっても、それぞれの政策には存在感がある。

ジグソーパズルでいえば一枚ずつの小片である。

だが全体の絵が見えてこない。

めざす「国のかたち」が曖昧(あいまい)では霧の中に置かれた羊のように国民は不安になる

▼鳴り物入りの「国家戦略室」は鳴かず飛ばず。

代わって霧の中からぬっと現れたのは、「次の参院選」という目先の対策に熱心な小沢幹事長の剛腕だった。

そしていま、支持率の砂時計がさらさら落ちゆく100日目の鳩山内閣である

▼恋愛のことを、作家の亀井勝一郎が「美しい誤解」と言っている。

そして結婚生活を「恋愛が美しき誤解であったということへの、惨憺(さんたん)たる理解」だと辛辣(しんらつ)に定義した。

首相との蜜月もそろそろ過ぎて、国民の胸の内はそう傾きつつあるのだろうか

▼俗に、3カ月の蜜月に続くのは3年の喧嘩(けんか)、30年の我慢、などと言う。

実のある喧嘩なら悪くはない。

だがそれも、ときに憎まれ役たることを、首相が毅然(きぜん)と引き受けた上での話になる。





発足したばかりの民主党政権に色んな注文つけても大変だ。数年経過しても長期のビジョンががでなければ

大変心配だ。アメリカに遠慮うせずに近辺のアジア諸国と仲良くできれば本物である。

まずアメリカ一辺倒からの脱却が必要である。










佐藤栄作元首相も同じ思いだったろうか
沖縄返還交渉をめぐって
当時のニクソン米大統領と交わした
「密約」の文書がその遺品の中から見つかった









平成21年12月25日の天声人語よりの引


日清戦争のあと、露、独、仏による「三国干渉」で日本は遼東半島を清に返還する。

ときの陸奥宗光外相に、国民からごうごうと非難がわいた。

陸奥はその回想記『蹇蹇録(けんけんろく)』に、次のように書き残した

▼「当時何人(なんぴと)を以(もっ)て此(この)局に当たらしむるも亦(また)決して他策なかりしを信ぜむと欲す」。

後世に訴え、歴史に呼びかけるような一文である。

佐藤栄作元首相も同じ思いだったろうか。

沖縄返還交渉をめぐって、当時のニクソン米大統領と交わした「密約」の文書がその遺品の中から見つかった

▼密約は、「核抜き本土並み」をうたった返還の裏で、有事の際の核再持ち込みを認めている。

国是の「非核三原則」と矛盾する。

ホワイトハウスの小部屋で、2人きりで署名をしたそうだ。

表に出たら内閣はつぶれていただろう

▼密約のいきさつは、首相の密使として米側と交渉した故・若泉敬氏の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)に詳しい。

『蹇蹇録』を座右に置いたという氏は、言葉を書名に借用した。

やむにやまれぬ後世への呼びかけであろう

▼権謀の渦巻く外交を、ビアスの『悪魔の辞典』は「祖国のために嘘(うそ)を言う愛国的行為」だと言う。

自国民を欺くことも、国益にかなえば可とされようか

▼悲願の沖縄返還のための、ぎりぎりの判断との見方もある。

だが、のちに「非核三原則」などが評価されて、佐藤氏がノーベル平和賞を受けたのは、やはり皮肉である。


とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。

歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこに見る思いもする。





佐藤栄作元首相氏もアメリカとの密約でノ−ベル平和賞の受賞ではノ−ベル平和賞も泣く。

非核三原則の裏で核の再持込を許すようでは,即刻に平和賞を返すべきだ。

家族が返しても良いことである。密約は他にもあるのではないかと長期政権の自民党に疑いの目が注がれる。

勝手に当時の首相が他国の首相と密約できる制度自体を改善すべきである。

この際相手国となるたろう世界に対してに日本では国是として密約は絶対できない国であることを法律で規制すべきである。

判ればその人は死刑にでもしても良い位に怒りをば感ずる。

勝手な独断的な政治家は排除する方向に動いて欲しい。










JR東海が、計画中のリニア新幹線は東京と大阪を
最短1時間7分で結ぶと試算した弾丸列車ぶりに
「時は金なり」の格言も脱帽だろう









平成21年12月26日の天声人語よりの引


幕末から明治の初め、欧米から「お雇い外国人」がやってきて先進技術を伝えた。

彼らを悩ませたのは、時間にかまわぬ日本の習慣だったという。

「日本人の悠長さといったら呆(あき)れるぐらいだ」とあるオランダ人は書き残している

▼ゆるい時間意識はしかし、すぐに厳格になる。

眼鏡、ランプとともにまず普及した洋品は時計だった。

そして鉄道の発達が時間管理の徹底に一役も二役も買ったと、『遅刻の誕生』(三元社)という本に教えられた

▼鉄路の八達(はったつ)につれて明治から続くスピード化も、そろそろここが終着駅だろうか。

やや旧聞に属するが、JR東海が、計画中のリニア新幹線は東京と大阪を最短1時間7分で結ぶと試算した。

弾丸列車ぶりに「時は金なり」の格言も脱帽だろう

▼乗り継ぎを入れても東京から広島まで3時間かからない。


とはいえ、かつて新幹線を「夢の超特急」と呼んだ高揚感はいま一つだ。

追われるように先を急ぐ人生に、さらにムチが入るだけではないか――。

重ねた齢(よわい)のせいか、技術への期待は昔ほど素朴ではない

▼その昔、「急行」が初めて走ったときに怒った人がいたそうだ。

「乗る時間を短くして運賃が高いとはけしからん」という理屈だったらしい。


苦笑しつつも、忘れていた牧歌を聞くような懐かしみがわく

▼時計にせよ暦にせよ、見えないはずの「時間」を見えるようにしたのも科学であり技術だった。

そして年の瀬、時の流れはいっそう忙(せわ)しない。


外国人を呆れさせたご先祖の悠長に思いをはせて、新しいカレンダーを壁に掛ける。





列車に乗っていて窓から土地土地の風景を見るのも楽しみである。そのような早い列車が必要なのか。

速さを選ぶなら航空機を利用すればよいことである。時間は年齢を重ねるほどにゆったりと時間を

楽しみたい。時間は正確できっちりと時を刻んでゆく。










初めての「鳩山予算」も、どこか危なげな仮の姿に思える
道路やダムを削り、子ども手当などで社会保障費が膨らんだ。
コンクリから人へ、命を守る予算という








平成21年12月27日の天声人語よりの引


イモムシがチョウになる前、サナギという段階がある。

じっとしているうちに、幼虫の体は成虫のそれへと化ける。

一変の予感と、先が見えない不安。

初めての「鳩山予算」も、どこか危なげな仮の姿に思える

▼道路やダムを削り、子ども手当などで社会保障費が膨らんだ。

コンクリから人へ、命を守る予算という。


歳出が最大となる一方、税収は25年前の水準に落ち込み、国債発行や「埋蔵金」で帳尻を合わせた

▼一般会計は92兆2992億円。

9と2の連なりに「苦肉」の文字が浮かぶ。

ガソリンの減税を見送るなど、金科玉条に見えたマニフェストも傷めた。

子どもなし、車ありの喫煙者あたりは、鳩山首相に裏切られた思いだろう

▼だが、これは急場しのぎの「サナギ予算」である。

生後100日の政権に満点を求めるのは、イモムシに飛んでみせろと迫るにも等しい。

重ねた無理と迷走は、欲張りな公約だけが理由ではない。

旧政権のお荷物を背負い、景気に足を取られながらも年内に形にしたのだから、まあまあだ

▼それにしても、国と地方の借金が来年度末で862兆円とは恐ろしい。

このうえ国債を乱発すれば金利が上がり、住宅ローンや企業の資金繰りを圧迫しかねない。

埋蔵金は掘り出せばなくなる

▼むこう1年は、新政権の、というより日本の行く末を占う正念場である。

財政再建と成長の方途を、タブーや聖域なしに固める時だ。


その一歩となる次の予算で、美しく、力強いチョウの姿を待ちたい。

サナギから、太ったイモムシが出てくる悪夢は許されない。






人の為にコンクリ−トが必要とするものである。セメントを使うためにコンクリ−とを必要としているのか。?

前政権の常識はその程度だったのかもしれない。

人が主体でコンクリ−とはその次に有ることを言わないといけないぐらいに政権が堕落していたと言うことである。










昨今、お国が発した情報だからといって、
ありがたく受け取る風潮は薄れた








平成21年12月28日の天声人語よりの引


明治政府が雇ったドイツ人技師クニッピング。

彼が英語で記した5語が、本邦初の天気予報となる。

全国的に風向き天候とも定まらず、雨が降るかもしれませんと、実に大雑把なものだった

▼とはいえ、画伯と呼ばれた絵師による天気図とともに、気象庁の前身の東京気象台から恭しく発表された。

初期の予報は交番に張り出されたというから、「官報」の権威がしのばれる。

昨今、お国が発した情報だからといって、ありがたく受け取る風潮は薄れた

▼気象庁が、1955(昭和30)年から続けてきた桜の開花予想をやめるそうだ。

気象情報会社や日本気象協会が独自の予想を発表しており、国の機関が手がける意味がなくなったという。

いわば自発的な「事業仕分け」である


▼民間も力をつけ、開花を見通す腕を上げている。

ここ3年の予想と開花日のズレを全国11地点で集計したところ、気象庁の精度が最も低かったらしい。

今年は全地点で外す「完敗」だった

▼スポーツ紙や専門紙の競馬予想を持ち出すまでもなく、売れる情報には民間が飛びつき、競争が始まるのが常だ。

天気でも時間帯や地域を限ったピンポイント予報が、小売店やイベント業者に重宝されている。

より高く、より広く売るための努力は商品を磨き上げる

▼余計な仕事を作りたがる役所が多い中、気象庁は潔い。

「国民が一定の情報を得られる環境が整った」という担当者の弁もまともである。

どうか、民の生命と財産を守る本務に励んでほしい。

多少の早い遅いはあろうが、税金を使わずとも桜は咲く。




テレビで゜映し出される天気予報は案外に当たることが多い。桜の開花時期とか紅葉の見ごろの予測は異なってよい。

天気予報は気象庁の施設が一番で,それを元に予想する民間企業があってよいとは思うが

国民に混乱をもたらす源となるように思う。競馬の予想でもあるまいのに。










株価は今年、バブル崩壊後の最安値をまた更新した
そして20年前のきょう、大納会の終値は
空前の3万8915円87銭をつける
これが日経平均の最高値として残るとは








平成21年12月29日の天声人語よりの引


銀座に店を構える美容師の佐藤心泉(しんせん)さんが、東京の社会面で「バブル景気」を語っていた。

1980年代後半、独立を夢見て、大阪・北新地の美容室で朝から晩まで働いた頃の話だ

▼客の多くは歓楽街の女性だった。

高級クラブが次々にオープンし、一つ30万円する祝いの胡蝶蘭(こちょうらん)が街を行き交う。

「海外旅行している間に株が上がって、数千万円もうかったわ」。

そんな会話を聞きながら、出勤する彼女たちの髪をセットした

▼好況下の金あまりに支えられ、東京証券取引所の平均株価は89年だけで3割も上がった。

まさに寝ている間に資産が太った。

そして20年前のきょう、大納会の終値は空前の3万8915円87銭をつける。

いまに至るまで、これが日経平均の最高値として残るとは誰も考えなかった

▼冷戦が終わった効果も期待し、証券業界は「1年後は4万5千円」と強気だった。

だが、国の引き締めで土地神話は揺らぎ、現実は4割減の2万3千円台。

破局の始まりである。

編集者の都築響一さんは、あの時代を、神様が働きバチに贈った3年限りの〈発情無礼講タイム〉と記す

▼株価は今年、バブル崩壊後の最安値をまた更新した。

心の平穏を保つには宴(うたげ)を懐かしんではいけない。

無礼講のツケを「失われた10年」で払い、人は地道の貴さを知ったはずだ

▼地道とは元々、馬を普通の速さで進ませることで、反対語は早道だという。

寝ていてもうけ、楽して稼ぐ「にせ早道」は、いずれ行き詰まる。

教えを刻んだ記念碑として、振り返ればあの数字がギラリと立っている。



株式に縁がないの興味が薄い。







師走の言葉から






平成21年12月30日の天声人語よりの引


中央競馬を締めくくる有馬記念は、2番人気のドリームジャーニーが制した。

「夢」を追い「旅」を続けるのは人も同じ。

苦闘の末にたどりついた師走の言葉から

▼昨秋に前立腺がんと分かった写真家の荒木経惟(のぶよし)さん(69)。

このほど出した作品集は「遺作 空2」。

「タイトルと自分の写真が一番の薬になるね。

撮り続けることが生きること。

まだまだ、あたしはこんなもんじゃないと『生欲』がわいてきた。

まわりが応援してくれるんだな。人間も空も」

▼沖縄返還時に日米の密約はあった。

元外務省アメリカ局長の吉野文六さん(91)が、東京地裁でそう証言した。


会見では「大きな歴史には貢献できてはいないだろうが、真相を語ったつもりです」

▼「どんな堅い仕事にも、漫才のボケとツッコミのような複眼の手法が役に立つ」。

吉本興業から法政大学大学院客員教授に転じた木村政雄さんの助言だ。

「本音を言ってみる、笑われるかもしれない提案をしてみる。

空気の流れが変わり、思わぬ花が咲くこともある」

▼大型店の攻勢を受ける町の電器屋さん。

団結を訴える大阪のアトム電器社長、井坂泰博さんは、近隣の高齢者などにニーズはあると見る。

「大きな魚は腹がつかえて入り込めない磯辺に、小さな魚のエサ場がある」

▼バハマでのフリーダイビング(素潜り)世界選手権で107メートルの日本記録を作った篠宮龍三さん(33)。

「地上の約12倍の水圧なのに、海に生かされている感覚があり、穏やかな気持ちになれた」。

いらつく世の中、いっぺん丸ごと潜らせてみたい。




このところ不景気な時期であることは実感する。年を越せない野宿者も出てきている。

借金に追われ夜逃げする大晦日は昔の話で,借金できずに野宿を強いられる人たちが

多くなってきている。







時は公平だ





平成21年12月31日の天声人語よりの引


だれの1日にも24時間が与えられ、8760時間を使い切って1年が尽きる。

この日を笑顔で迎えた人ばかりではなかろうが、絶好調でも、どん底でも、ほどなく心機一転の節目が訪れる

▼10年前、フィンランド北部の、ロシアとノルウェーに接するあたりを訪れた。

それぞれ時差のある3国が隣り合う、珍しい場所である。

冷戦の残り香はすでになく、年越しの晩には各国の国境警備兵が集まり、2000年入りを1時間おきに3回祝うと聞かされた

▼しかし、その後の世界は祝賀から遠いものとなった。

90年代がナインティーズなら、00〜09年の、つまり本日で終わる00年代をどう呼び習わすかが、米国で話題になっているという。

ゼロズ、ダブルオーズ、何にせよ、恐怖と混迷の10年に変わりはない

▼激動は日本にも達した。

政権交代の波を起こした有権者は、波が引いた後の景色に失望していよう。

頼りなげな首相と、こわもての幹事長、そして両人の献金問題。

政策の迷走はしばし堪(こら)えるにせよ、政権の構えに不安が募る

▼与えられた時間はそうない。

10年先までの成長戦略は発表されたが、危機は足元にある。

景気の二番底が黒い口を開ける中、「公設」の派遣村が各地にでき、生活費のどこを削るかという「家計の事業仕分け」が進んでいる

▼そうした時代だからこそ、引き続きのご愛読はありがたい。

投じたお金、時間に見合う満足をお届けできただろうか。

末永く何分かを割いてもらえるよう、さらなる精進を期して00年代の筆をおく。

よい10年代を。





自民党政権では知りえなかったことが判っただけでも政権交代の意義があった。

万年与党 万年野党では緊張感は薄れる。政権交代は適時あってよい事柄である。

常に国民向けの政治であってほしい。







吉備と岡山



古代国家として吉備がある。大和のことは大体に理解できるが,一度吉備について知ろうとして岡山へ行った。

京都から新幹線で一時間少しで行くことが出来る。

吉備ダンゴは有名だが食べてみたが観光用の餅類と特に変わりはなかった。

桃太郎伝説はどうして出てきたのか。? 備中国分寺五重塔にも行ったが東寺の塔や醍醐寺の塔に比べても遜色しない印象をもった。

瓦が落ちているか探したが綺麗に整備されていて小さなカケラを一つ見つけただけである。東寺では布目瓦を採取できるが

整備されるにつれて少なくなっている。

備中国分寺五重塔(画像)へ行って壮社からのバスが一日六便で大変不便で巡回バスに帰りだけ偶然に乗れて行きはタクシ−を使った。

五重塔は細身で小高い岡の上に立っているので高く感じた。瓦が巴瓦で少しがっかりした。

広い田園地帯の中に建っているので目立つ。東寺とか法隆寺 醍醐寺の五重塔は境内とか町の中なので余り目立たない。

備前焼き の伊部をも見学した

以下インタネットより引用

桃太郎は紀元前3世紀頃に活躍した、第7代天皇・孝霊天皇〔こうれいてんのう〕の息子、吉備津彦命〔きびつひこのみこと〕がそのモデルであると言われている。

吉備津彦命は神武天皇〔じんむてんのう〕の頃に、吉備(今の岡山県)を支配し人々を苦しめていた温羅〔おんら/うら〕を討ち、

吉備の支配者になったという伝説があります。

温羅は元々は百済〔くだら〕(朝鮮半島)の王子でしたが、日本に渡り吉備の人々を苦しめていました。

この温羅が拠点とし様々な悪事を働いた城を、人々は恐怖の意味を込めて「鬼の城〔きのじょう〕」と呼んでいました。

現在でも岡山県では鬼の城跡を見ることができます。

昔の人々は、鬼のように人々を苦しめていた温羅を討った吉備津彦命を讃え、この出来事を忘れないように「桃太郎」の話を作ったとか。

桃太郎伝説の原型が出来たのは室町時代以前と考えられています。

桃太郎伝説は岡山県(吉備)が有名ですが、実は北海道から沖縄まで似た話が点在しているようです。

吉備国(きびのくに)は、現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがる

古代有数の地方国家のひとつ(他には筑紫出雲ヤマトコシ毛野などがある)。

別名は、吉備道(きびのみち、きびどう)、備州(びしゅう)。

後の令制国では備前国備中国備後国美作国にあたる。

現代では備前・備中・美作(つまり岡山県の別称)を指すか、備前・備中・美作・備後(岡山県と広島県東部)を指して使用されることが多い。

吉備は古代、畿内出雲国と並んで勢力を持っていたといわれ、巨大古墳文化を有していた。

また、優れた製鉄技術があり、それが強国となる原動力であったとされる。

『古事記』中巻、孝霊天皇の段などに兵庫県の加古川以西が吉備であると捉えられる説話があり、加古川を国境としていた時期があると考えられている。

吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗。

以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視された。

河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、

後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されていった。

古墳時代、吉備地方の現在の岡山平野南部は内海となっていた(吉備穴海、もしくは吉備内海と呼ばれる)。

4世紀からこの内海の近くに多数の前方後円墳が造られた。

この地方独特の特殊器台・特殊壺は、綾杉紋や鋸歯紋で飾られ、赤く朱で塗った大きな筒形の土器で、

弥生時代後期の後半(2世紀初めから3世紀中頃まで)につくられ、部族ごとの首長埋葬の祭祀に使われるようになり、

弥生墳丘墓(楯築弥生墳丘墓)や最古級の前方後円墳(箸墓古墳西殿塚古墳)から出土しており、

後に埴輪として古墳時代に日本列島各地に広まった。

5世紀にヤマト政権内で権力を掌握した大泊瀬幼武大王(諱名:雄略天皇)は地域国家連合体であった国家をヤマト王権に臣従させて中央集権を進めるために、

最大の地域政権の一つ吉備に対して「反乱鎮圧」の名目で屈服を迫った。

吉備下道臣前津屋の乱(463年)と吉備上道臣田狭の乱(463年)の「反乱鎮圧」を成功させてヤマト王権の優位を決定づけ、

さらに雄略の死の直後の吉備稚媛(雄略妃)と星川稚宮皇子(雄略の息子)の乱(479年)でまたしても吉備の勢力を削減させている。

6世紀半ばからは巨大な石で構成した横穴式石室を持つ円墳が造られた。

吉備は弥生時代からの塩の生産地であり、さらに6世紀後半には鉄生産が開始された。

造山古墳作山古墳は築造当時の日本列島で最大級、現存する日本の古墳のうちでも第4位及び9位の規模をもち、

吉備地方の繁栄とこの地の豪族の力を示すものである。

これら古墳の前にあたる前方後円墳時代の吉備と、後にあたる7世紀の吉備地方には、複数の豪族が並び立っていたと考えられている。

造山古墳・作山古墳を統一的な吉備政権の存在の証とする説と、この時代にも複数の有力豪族の連合政権であったとする説がある。

国造本紀』によれば、吉備地方には吉備氏のもとに大伯氏、上道氏、三野氏、下道氏、加夜氏、笠臣氏、小田氏があった。

この中の下道氏と笠氏は、後に朝臣の姓(かばね)を名乗る(吉備朝臣)。

奈良時代に日本をリードした学者・政治家の吉備真備は下道氏である。

ヤマト政権は吉備国の強大さを警戒し、7世紀後半に備前国、備中国、備後国に分割、8世紀にさらに美作国を分立させた。

吉備大宰吉備総領は、日本書紀、風土記に散見される官職で、吉備国分割の前後に設置されたらしい。

職掌、管轄範囲、存続期間は伝わらない。

大宰府
の前身とおぼしき筑紫大宰とともに、中央から派遣され、管下の複数の国の外交と軍事を統括する任務を負ったものと推測される。

史料に見える最後は、文武天皇4年(700年)の吉備総領任命記事である。遅くとも大宝律令制定までに廃止された。




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