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一月になって




新しい年に改まっても,あまり嬉しくはないお正月である。たとえ年が改まるも,生活そのものの改善・向上は改まってはいない。

見事に作り上げられた小泉改革で゛もって,日本はアメリカ同様に実用主義的格差社会が定着してきている。

昔のような正月らしさは消え,24時間365日営業する所が増えてきている。

百貨店も2日より開店する所が多くなっているようだ。

羽子板をついたり,凧揚げするようなのんびりとしたお正月風景は見られない。

子供達も塾通いに熱心である。

正月の三日間はゆっくり休んで,お宮さんやお稲荷さんにお参りしたものだが,それも少なくなっている。

殺伐とした無機的なお正月に変わってきているようだ。情緒ある日本的な正月風景は見られなくなっている。

寝正月する風景は変わらないが,これも休養するためでなく,お金がないから,仕方なく寝正月するだけの人たちが多くなってのことである。

反面に正月になると全ての社会の生活活動が止まり不便だったのが改善されたことにもなる。

積年の自民党政権による利権政治が継続され来て,それが民主党政権の一部に受けつがられようとしている。

政治家は天下国家の為に政治をするのではなく ,ただ自己の利益のみをば優先し,

その得た利益の一部を協力者に分け与えるといった政治が進められて来たようだ。

協力しないものには罰則,即ち害を与えて協力するよう仕向け,協力者には利益を与え優遇する。

所謂アメとムチが使いわけられている。

そのような政官民の癒着による政治には納得行かない

でも現在は自由民主主義の時代である。

個人の自由が尊重され,民衆の意見を集約され,政治は行われるものである。

昔のような絶対服従の上位下達であってはならない。

国民の意見が集約されての政治が行われなければならない。

しかし国民側にとり,政権党によって法律が作られ公布されれば,それに従わないと「法律違反」で罰せられることとなる。

政権党が自民党から民主党に変わり,それにより変わった面は多くある。

だが政権が変わることにより支持層も叉自民党から民主党に移り変わりつつある。

民主党が,昔の自民党化するのは時間の問題のように思われてくる。

自民党時代のような政官民の癒着がみられるようになるのかどうか。

ここで政権交代した民主党によって,是非積年の悪弊をなくしてほしい所ですが。

古代より政権にすり寄り,名をあげ財をなした人たちは限りがない,

現代の社会でも表面は変わっていても,その内容は昔も今も依然として同様で変わらない。

「コンクリ−とから人へ」の民主党の政治方針は大変立派なことがいわれているが。

現在の政局は小沢氏 鳩山氏の金銭問題に終始しているように思える。

もともと二人とも自民党で活躍していた人たちである。

それも世襲制の人達であって,代々政治にたずさわり財を成した人たちの子孫でもある。

国会でとりあげられているのは一番二人の金銭問題が話題になている。

自民党はもともとそのような体質の政党であって,戦後ず-とアメリカの庇護のもと現在にいたっている。

今回の政変は敗戦後初めての本格的政権交代が行われたことになる。

攻める側の野党となつた自民党には,国会論戦で二人の金銭問題以外に攻めることがなく,それに終始している感がある。

政策については長年に政権をとってきて,やりつくした観があり,言えることはないのだろう。

これまでの政策に国民がノ−を突きつけ政権が変わった直後だから仕方ないことでもあろうか。

この際全ての寄付・献金を禁止する法案を作れば,議員によるこのような問題は二度と起こらないはずである。

そうすれば世襲する議員も少なくなり,本当に人々為に尽くしたい,尽くそうとする情熱ある人たちが議員になる率も多くなり

利益優先の議員達は辞めて行って,本当の政界の浄化につながってゆくものと考える。

現在の世襲議員はどのくらいいるのだろうか。?親族が議員にあるサイトがあった。

よほど議員になることは,良い事がある職業なのか。世襲の議員には財産家が多くいる。

だが日本の偉大な世襲の財産家は天皇家である。膨大な財産があり,宮内庁でもって国家により財産が管理されている。

これは万民平等の民主主義からすると大変矛盾しているように思える。

宮内庁はただ天皇家のためにある役所のようなものだが,誰も違和感はないのだろうか。

真の象徴天皇になってほしいものである。

その方が天皇家やその家族にとって大変幸せなことだと思う。

環境から引き起こされたと考えられる失語症や適応障害にはなられ.るようなこともないと思う。

普通の家庭生活を営まれることが,天皇家にとって一番大切で幸せな事だと考える。

たまたま,人間として生まれて来たのが天皇家であって,普通の家庭生活が営まれないのは大変不幸なことだと察する。

それに違った環境の家庭で育ち嫁がれたて来た方達にとって,は

新しい生活環境の変化は負担が大きくなって,それにより精神障害を起されているものと考えられる。

天皇を利用する人たちは,古代からの歴史を省みれば,多勢いることは明らかである。制度が続く限り止まないだろう。

天皇陛下の御為に太平洋戦争中に命を落とした兵士や国民の多くの人たちがいる。

現在も靖国神社に参拝する議員達が絶えない。だが空襲に遭ったり,原爆で死んだ人たちの存在は忘れられようとしている。

死んだ人間が神として敬むような神社のある習慣・風習は,他の世界の国にもあるのだろうか。

だが,死んだ人のお墓は何処の国にも見かけ,お参りされている。

戦争と言う惨禍に巻き込まれ,死んでいった大勢の不幸な生涯を過ごされた人たちの,この教訓を我々決して忘れてはならない。

世界情勢に目を転ずるとアメリカ大統領としてオバマ氏になってからアメリカが世界的なニュ−スとなって報道され.る事が少なくなってきている。

イラク問題アフガン問題もあまりニュースとして出る頻度が少なくなってきているようだ。

戦後の世界での戦争を見ると,まず

朝鮮戦争

ベトナム戦争

カンボジァ内戦

アフガン戦争

此処まで書いてきてインタ−ネットで「全ての戦争」のことを見ることが出来た。

人類はよくも戦争を続けられるものかと驚き且つあきれるばかりである。

20世紀の戦争

21世紀の戦争

多くの戦争は先月の随想にも書いた軍産複合体の結果によるものだろうか。

ヨ−ロッパでのEUは平和な世界を作るのに大変寄与していると考える。日本も同様アジアにおいても東アジア共同体

を目指すべきだが,アメリカが日本に圧力をかけ妨害しているようにしか思えないのだが。

日米安保は世界の平和のためには寄与していない。昔アメリカに同盟化しないための反対運動でもあった安保闘争のことも想起・検証し

当時は全くひどいことをする学生もいるものかと考え関心もなかった。

闘争の最中に一人の女性樺美智子さんが死亡したことに対して,若いのに可哀想にとの気持ちは持っていた。

叉子供達までもが「アンポハンタイ」と叫んで遊んでいたような時代だった。











パリ一番の小粋な場所はバンドーム広場だと思う
一角に、フレデリック・ショパンが39年の生を終えた部屋がある
今年は「ピアノの詩人」の生誕200年だ。









平成22年1月1日の天声人語よりの引用


通には異論もあろうが、パリ一番の小粋な場所はバンドーム広場だと思う。

ナポレオン像を頂く円柱を囲み、名高いホテルや宝飾店が並んでいる。

小雨の夕刻など、石畳に灯(ともしび)がにじんで大人の空気が満ちる

▼近作で描いた画家笹倉鉄平さんは、「パリの持つ上品さ、高級感、エスプリ、気位の高さ、その何もかもを凝縮したような」と表現した。

近くのコンコルド広場が太陽なら、ずっと小さく、しっとりしたこちらは月か。

一角に、フレデリック・ショパンが39年の生を終えた部屋がある

▼今年は「ピアノの詩人」の生誕200年だ。


幼少期から、故国ポーランドでは「モーツァルトの再来」と評判だった。

人柄ゆえか控えめな音で、鍵盤をまさぐるように弾いたとされる

▼ショパン研究で知られた佐藤允彦(まさひこ)さんは、曲調の本質の一つは「うつろい」だと書いた。

「確かな表現の意志から始まるというのではなく、何げなく触れた鍵盤のある一音からショパンの心が開き、

そこから音楽が始まり、確かな表現となって形を整えていく」

▼自在に流れる旋律は心地よい。

あるプレリュード(動画)を聴けば、胃薬の宣伝を思い出し、腹も気分も軽くなる。

広く愛されるあのノクターンは、どこか遠慮がちに移ろう調べで心を静めてくれる

▼昼から夜想曲に浸りたいような、ささくれた時代を生きる私たちだ。

ショパンに限らず、おのおの「聴く薬」の二つ三つはそろえておきたい。

大雪と満月で明けた2010年。


太陽に元気をもらうより、月に癒やしを請う年になる予感がする。

予感である。





音楽は心によびかけて癒してくれる。ショパンの曲はどのようなものがあるのか。

モーツァルトショパンは並び称されている。


ショパン(動画)モーツァルト(動画)の比較してください



医学と音楽の世界









今年は「国民読書年」だと伝えていた
読書は受け身に見えて、
実は脳をフル回転させる営みであるらしい







平成22年1月3日の天声人語よりの引用


日本の子どもたちは冬休みのさなかだろうが、古い時代の中国には「冬学(とうがく)」なるものがあったそうだ。

農村の子らを農閑期に学ばせるために、冬にだけ開かれる寺子屋のようなものだったらしい


▼かの国では、読書にふさわしい季節も冬とされていた。

本を読むのに適した「三余(さんよ)」という余暇があって、雨の日と夜、それに冬のことを言った。

それなら冬の夜は、またとない好機ということになろうか。

江戸時代の日本の漢詩人、菅茶山(かんさざん)に「冬夜読書」という作がある

▼「雪は山堂を擁して 樹影深し」に始まり「一穂(いっすい)の青灯 万古の心」で終わる四行の絶句は、

雪の夜に書物をひもとく喜びを伝える。

「一穂の青灯」は燭台(しょくだい)の明かり。

「万古の心」は書物の伝える古人の思い。

歌人の土岐善麿はこのくだりを「ともしびに面影立つや昔びと」と風雅に意訳している

元日の小紙の別刷り特集が、今年は「国民読書年」だと伝えていた。

読むことを通じて豊かな言語力を育むのが目的という。

読書は受け身に見えて、実は脳をフル回転させる営みであるらしい


▼昨今、言葉で感情を表せずに「キレる」子が目立っている。

背景には言語力の低下があるとされる。

一方で頼もしい傾向もある。

図書館を利用する小学生は、07年に1人あたり約36冊の本を借りていた。

これは過去最多という

▼巣ごもり派も多かった年末年始、「読み納め」や「読み初(ぞ)め」を楽しまれた方もおられよう。

人との出会いはすてきだが、書物との邂逅(かいこう)も捨てがたい。

一生ものの一冊に会える読書年であればいい。




あまり読書されなくなった。色々な情報源があるので昔のように読書だけが情報源になっていない。

だが深く調べるには読書はまだまだ必要である。インタ-ネットも読んで欲しい。

読書と医学」に関連する記事が検索で見つかる









南に向いた斜面に一群の水仙が咲いていた
一重(ひとえ)のニホンスイセンに華々しさはないが
新春らしい清らかさを匂(にお)わせている











平成22年1月4日の天声人語よりの引用


近くの公園を歩くと、南に向いた斜面に一群の水仙が咲いていた。

一重(ひとえ)のニホンスイセンに華々しさはないが、新春らしい清らかさを匂(にお)わせている。


〈水仙は八重より一重孤に徹す〉西嶋あさ子。

きりりとした姿の一重びいきに、わが意を得たりの方もおられるだろう

▼この花は、日本家屋の暗がりにも似合う。

水仙で名高い福井の越前海岸を訪ねた開高健は、「正月花としてあちらこちらの家の闇に鮮やかな閃(ひらめ)きをあたえ……」と書いた。

たしかに、ほの暗い玄関などに生けられた水仙を見ると、ぽっと明かりがともった心地にさせられる

▼またの名を「雪中花」と呼ぶのは、寒さに負けずに花を開き、雪の中でも芳香を放つからだろう。

越前岬水仙ランドに聞くと1500万株は今が見ごろという。

きのうは雪が舞い、海には灰色の波が寄せていたそうだ

▼その北陸をはじめ日本海側は、雪の三が日になったところが多かった。

年初に降る雪や雨を「御降」と書いて「おさがり」と呼ぶ。

豊作の兆しとはいえ、故郷からのUターンに難渋された方もおられたことだろう

▼今年の暦は余情を欠き、きょう4日の月曜から、きっぱりと日常が立ち戻る。

年の瀬のざわめきも、初春の華やぎも一族再会も、たちまち思い出となって流れ去る。去年と今年の入れ替わりは、実に素早い

▼水仙に話を戻せば、植物の組み合わせで「双清(そうせい)」といえば梅と水仙をさすそうだ。

寒さに向かって清々(すがすが)しく花開く姿は、ともにどこか人を励ますところがある。

あやかりつつ、この1年に向き合うとする。



水仙と蓮の違いが判らなかった。

蓮は植物園でよくみかけるが,水仙となると見かける頻度が少なくなってくる。

七つの水仙(動画) 水仙(画像)  (画像)










元日、都下深沢にある小沢一郎・民主党幹事長の私邸には
166人の国会議員が訪れたという
衆参の定数の23%が同じ門をくぐったことになる









平成22年1月5日の天声人語よりの引用


初もうでの参拝者数は、神社仏閣の規模と格、周辺の人口で決まるようだ。

大都市の有名どころに人が集まるゆえんだが、その数がまた、社寺の威勢の証しともなる。

政治家も同じらしい

▼1985年の元日、東京・目白台の田中角栄邸には夕刻までに約650人が訪れた。

脳梗塞(こうそく)で倒れる2カ月前、闇将軍として迎えた最後の正月である。

元日には200人分を届けていたと、近所のすし店主が後に語っている。

目白もうでは、派閥で動いた古い政治を象徴する景色だった

▼四半世紀を経て、同じ絵を見た。

元日、都下深沢にある小沢一郎・民主党幹事長の私邸には、166人の国会議員が訪れたという。

衆参の定数の23%が同じ門をくぐったことになる

▼広い座敷で2度に分けて宴を催す盛況だった。


「小沢神社」の威勢と周辺人口は、政界でも別格とみえる。

それほどの人物が、年始参りの出欠で扱いを変えるとは思えないが、顔を出しておくのが無難と考えた議員は多かろう

▼参院選を半年後に控え、小沢氏の剛腕と機略に頼る向きは多い。

新人議員を引き連れた訪中もそうだが、「数は力」の理屈は旧田中派からの遺伝子かもしれない。

数を増やしたうえで、民主党を純化された小沢軍団にする腹だろうか

▼元日の各紙は氏の資金問題を大きく報じた。

ご本人や議員たちが、「小沢もうで」にどんな御利益を念じているのかは知らない。

厄よけにせよ必勝祈願にせよ、大政変後の新春らしからぬ旧態に戸惑いを覚える。

頼みもしない料理が出てきた時の、あの違和感である。




田中角栄(動画)に私淑し薫陶受けていると言う小沢さんらしい新年を迎えている。

議員がたむろすれば碌なことがない。一般人の比ではない害をもたらす。

ボスを作ってはならない。国家的な大損失を招きかねない。








同様の意外性を、人間そっくりのロボットにも感じる。
人肌をまとったような機械には、軟と硬、温と冷が同居している










平成22年1月6日の天声人語よりの引用


先日、群馬県の知人から細長い宅配便が届いた。

「生もの」「割れもの」と注意書きが2枚はってある。

自然薯(じねんじょ)だった。

大人の腕ほどもある見事な姿は、なるほど、どこも欠けてはならない彫刻を思わせた

▼生もので割れものとは、思い込みを裏切る異質の取り合わせだ。

宅配で送るものでは、あとはメロンぐらいだろうか。

同様の意外性を、人間そっくりのロボットにも感じる。

人肌をまとったような機械には、軟と硬、温と冷が同居している

▼ある百貨店グループが、初売りの話題づくりに人型ロボットの注文を取った。

2体限りの特製で、価格は西暦にちなんで2010万円。

それでも全国で数十件の応募があったそうだ

▼抽選のうえ、購入者と同じ顔、体、声を持つロボットを、開発会社のココロ(東京)が半年かけて作る。

あらかじめ用意した言葉を、それなりの表情や身ぶりでしゃべるという。

同じ大金を出すなら別の容姿にしたい気もするが、自分がもう一人いる世界も面白い

▼ロボットの好感度は、外見や動作が人間に近づくほど増す。

ところが、ある時点で強烈な不快感に転じ、人と見分けがつかない水準で好感に戻るという。

中途半端に人っぽい段階を「不気味の谷」と呼ぶそうだ。

『ロボットのいるくらし』(ロボLDK実行委員会編)に教わった

▼人と機械という異質をすり合わせ、「谷」を越えようとする人型ロボ。

重さ100キロというから、輸送時は「割れもの」というより大型機械の扱いだろう。

包装の片隅にでも小さく「生もの」とはってやりたい。





人間と同じような動作のできるロボットならば介護現場に使えることも

可能性となる時代がきそうである。

人間の代わりにはなりえないことは断言できる








年明けとともに、鳩山首相のブログ「鳩cafe」がネット上に店開きした。
同時に「つぶやき」を随時書き込むツイッターも始まる











平成22年1月7日の天声人語よりの引用


人好き、話し好きで、いずれ喫茶店でもやりたいと思っている人はいないだろうか。

現実の客商売は趣味でやれるほど甘くないが、経営がなんとかなるのなら、コーヒーをいれながらの政治談議も悪くない

▼年明けとともに、鳩山首相のブログ「鳩cafe」がネット上に店開きした。

初回には自ら撮った「元日の空」を載せている。

同時に「つぶやき」を随時書き込むツイッターも始まり、


きのうは「天気の良い朝には公邸の庭でウォーキングをすることにしました……観客は鳩一羽でした」とある

▼ネットで発信し、国民との距離を縮めたいそうだ。

だが、マスターの世間話と違って、どんな小声だろうが首相の発信は公の色を帯びる。

これで本心は語れまい。

無愛想な店主のごとく、面白くもない言葉が並ぶだけだろう

▼側近と相談して発するつぶやきに、政治の近さを感じる国民がどれほどいようか。

自民党の加藤紘一氏は「そんな暇があったら普天間をどうするか、じっと悩んで考えてほしい。

日本中でツイッターを一番やっちゃいけないのが総理」と手厳しい

▼首相がつぶやいている間に、体調が思わしくない藤井財務相が辞表を出した。

予算づくりの激務が77歳の体に障ったか。

閣外に別の首相がいるような現状に嫌気がさした、との説もある

▼通常国会が迫る。

いきなり論戦の矢面に立つのは、菅副総理とて楽な仕事ではなかろう。

開かれた官邸もいいが、先にやるべきことが多すぎる。

まずは政権内の主導権を握ることだ。

気楽なカフェは「退職後」がふさわしい。





秘書の代筆かもしれないが直接首相の思いが判るのは大変よいことだ







海のこと、知っているようで何も知らなかったと、
近く公開の記録映画「オーシャンズ」で痛感した










平成22年1月8日の天声人語よりの引用


大型のクジラは、毎日5トンを超すオキアミや小魚を腹に収めるそうだ。

この大食漢だけを保護した時、生態系にどんな影響があるかは想像するしかない。

海のこと、知っているようで何も知らなかったと、近く公開の記録映画「オーシャンズ」(動画)で痛感した

▼圧巻は、水面を跳ねながら泳ぐイルカたちだ。

高速ボートで並走し、ブレない工夫を施したカメラで撮ったという。

イルカが海面に追い込んだイワシの群れに、上空で待ち構えるカツオドリが次々と突っ込んでいく

▼船で引く魚雷型カメラ、無人ヘリも駆使し、大小の生き物たちが活写される。

漁師や船乗りもたぶん見ていない光景を前に、この役者たちと「青い劇場」を守らねばと胸に刻んだ

▼陸からの汚染物は深海にまで届くという。

大気中の二酸化炭素が溶け込み、海水の酸性化が進む。


独自の生態系を育む南米ガラパゴス諸島では、温暖化と乱獲により、24本の腕を持つヒトデやスズメダイの仲間が絶滅したと伝えられた

▼〈海は一枚の大きな紺の布だと歌った詩人もある。

さしずめ波打際(なみうちぎわ)は、それを縁どる白いレースということになる〉。

井上靖の作品「海」の一節に、荒れ狂う波の映像が重なる。

布は鉛色に染まってうねり、白いレースが激しく岸を打つ。

海は巨大な生命体のようだ

▼映画の語りに「人間の英知が海を汚していく」とあった。

陸の主ゆえ、また、それがあまりに力強いから、人は海の衰弱に無頓着すぎた。

調査捕鯨への無法行為などは、本当の危機を見えにくくするだけだ。

英知で報いる時である。





不思議な未知の世界を知ることが出来る。

だが記事を天声人語に載せるのにはいかがなものか。

もっと現在の大事なことを取り上げてもよいように思う






日本の民俗学の原点とされる
柳田国男の名著が出て
今年で100年になる










平成22年1月9日の天声人語よりの引用


「座敷わらし」が出る旅館として知られた岩手県二戸市の緑風荘が、去年の秋に全焼した。

炎の中から赤い着物の子が飛び出し、母屋裏の神社に逃げ込んだと噂(うわさ)になった。

神社は宿の看板と共に焼け残り、再建の動きを見守る

▼東北に伝わる座敷わらしは、旧家に住みつく童子の精霊。

かの『遠野(とおの)物語』は〈この神の宿りたもう家は富貴自在なりということなり〉、つまり吉兆だと紹介した。

日本の民俗学の原点とされる柳田国男の名著が出て、今年で100年になる

▼農商務省の役人だった柳田の転機は33歳、岩手県遠野郷を出た
佐々木喜善(きぜん)との出会いだ。

柳田は、文学青年が訥々(とつとつ)と語る故郷の奇談や妖怪話に引き込まれ、聞き書きをし、現地を歩いた

▼自費出版の初版は350部だった。

河童(かっぱ)や天狗(てんぐ)、神隠しなど、夢と現(うつつ)にまたがる話が文語体で並ぶ。

「文学として読んできた」という三島由紀夫は〈これ以上はないほど簡潔に、真実の刃物が無造作に抜き身で置かれてゐる〉と絶賛した

▼実は京都や江戸から遠い地方に、豊かな文化がいくつも息づいていた。

同様の伝承は各地にあるものの、誰かが書き残さねば、いずれは口と耳の間にこぼれ、消えていく。

その意味で柳田が救ったものは大きい。

文献より実地に重きを置く手法も生き続ける

▼1世紀を経て、日本列島はほぼ均質の金太郎アメになった。

方言までが危ういが、幸い、民話の数々は文字に起こされ、図書という安住の地を得ている。

柳田の足跡も、座敷わらしの幻影も山里深くに抱き、遠野はいま雪の中にある。





民族学者の柳田國男の名は知っているが詳細なことになれば判っていない。

その土地土地のものを大切にして執筆されたようだ。

田舎には色んな伝承がのこっていることだろう。









そうして「ナショナル・フラッグ・キャリア」、
つまり国の顔でもある航空会社が生まれていく
戦後の日本は日本航空がその地位を占めた










平成22年1月10日の天声人語よりの引用


世界初の定期航空は1914年に米国で誕生した。

2人乗りの1人がパイロットで、1人が乗客だった。

片道20分ほどの飛行は人気だったが、客が1人では採算がとれず、4カ月で営業停止になったそうだ(『飛行機は世界を変えた』岩波書店)

▼初期のエアラインはどこも苦しかった。

だが各国の政府は翼に威信をかけ、中小の会社を一社にまとめて強力に援助した。

そうして「ナショナル・フラッグ・キャリア」、つまり国の顔でもある航空会社が生まれていく

▼戦後の日本は日本航空がその地位を占めた。


花形企業の代名詞だったが、80年代半ばから揺らぎだす。

ジャンボ機事故や全日空の国際線進出などで、まず学生の就職人気が逆転した。

とはいえ、いつの間にこれほど凋落(ちょうらく)していたかと、昨夏以来の騒ぎに驚いた人も少なくあるまい

▼その日航をめぐって、会社更生法の適用申請が固まったという。

あけすけに言えば倒産である。

イメージが悪いと反対もあったが、巨額の公金を入れるからには透明性は欠かせない。

やむを得ない流れだろう

週刊朝日の名編集長だった扇谷正造が昔、企業の継続とは「一本の灯を守っていくこと」だと書いていた。

日航はしくじった。

公金投入は、消えかかった灯は国民の財産でもあるという考えに基づいている

▼初の定期飛行から1世紀近く、いまや最大800人が乗る旅客機も飛ぶ。

地球はいよいよ狭く、「強い翼」は国の将来に欠かせない。


新しい酒を新しい革袋に入れての経営再建になろう。

甘えを捨てた辛口でお願いしたい。





日本航空はあくまでも日本を代表する航空会社である。

それがアメリカに買収されることは是非避けるべきである。

企業年金の上載せで沢山な年金をもらっていることが報道されて倒産するもの当然かと感じた。


JAL巨額赤字の背景とは(動画)










宇宙をめぐって、年明けから面白い話題が相次いだ。







平成22年1月11日の天声人語よりの引用


葉をすっかり落とした公園の雑木林は明るい。

日が暮れて通りかかると、照明灯が裸木を浮かび上がらせている。

人工の灯は趣を欠くが、こんな和歌を思い出したりする。

〈風寒み木の葉晴れゆく夜な夜なに残るくまなき庭の月影〉

▼平安の末に生まれた式子(しょくし)内親王が詠んだ。

木の葉が散りゆく夜ごと、月はいよいよ隈(くま)なく庭を照らして冴(さ)えわたる。

これは初冬の歌だが、裸の木々にさす月光は、寒さの極みこそ趣が深い。

そして見上げれば、季節風に磨かれて星々が光る

▼南には、三つの1等星をつなぐ「冬の大三角」がはっきりわかる。

その右にオリオンが構える。

1等星を二つも持つ贅沢(ぜいたく)な星座だ。

首をよじればカシオペア、北斗七星……。

有名な者たちの住む天空である

▼その宇宙をめぐって、年明けから面白い話題が相次いだ。

ガリレオは海王星が太陽を回る惑星だと知っていたのでは?というのもあった。

もしそうなら、海王星の発見は200年以上もさかのぼるそうだ


▼19世紀の半ばに海王星は見つかった。

偶然ではなく計算で存在が予測されていたため、「天体力学の勝利」とも言われた。

その価値が減りはしまい。

だが「地球は動く」と口にするのも命がけだったガリレオに、もう一つ勲章が加わるかもしれない

▼〈あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ〉永井陽子

きのうの紙面はオリオン座にある1等星ベテルギウスの大爆発の予兆を伝えていた。

巨大な星の死である。

星とても歳々年々同じではない。

万物の定まりなきを夜の空に思う。





寒い夜空を見上げて星を見ることはない。

夏にはあったかもしれない。

子供の頃の方が夜空を眺めることが多かった。










雑種を意味するハイブリッド車の勢いに、自然界の法則が重なる








平成22年1月12日の天声人語よりの引用


野菜や家畜の改良で、かけ合わせた品種はしばしば「両親」より丈夫で発育がいい。

これを雑種強勢と呼ぶそうだ。

雑種を意味するハイブリッド車の勢いに、自然界の法則が重なる。

電気とガソリンの混血はもう、好奇の目で見られることもない

▼去年の新車販売の首位は、前年(10位)の3倍売れたトヨタの「プリウス」だった。


モーターとエンジンのかけ合いが生む低燃費、割安感のある3代目の発売、減税が効いたらしい

▼10年前、初代に試乗した。

静かさ、走りに感心しつつも、「エコ自慢」を超えて市場の支持が広がるだろうか、と自問した。

環境ばかりか家計にも優しいとなれば、なるほど売れぬ理由はない。

ホンダのインサイトなども合わせ、ハイブリッドは軽を含む乗用車販売の1割に迫る

自動車史は、石油消費の歴史でもある。

ガソリン車の将来を案じ、トヨタが別の姿を探り始めたのは1993年だった。

プロジェクト名は「G21」。

21世紀の地球に受け入れられ、かつ売れる車になる。

開発コード890T、プリウスの使命である

▼96年の正月、武骨な試作車がテストコースを走った。

誰ともなく出た言葉は「とにかく動いたね」だったというが、翌年には早くも商品化した。


全社の期待を背に、一流の技術陣がアクセルを踏み込んだ時の馬力を思う

▼鳩山首相が野心的な温暖化対策を打ち出すと、産業界は怒声まじりの悲鳴を上げた。

しかし、環境に気遣いながら、企業と消費者が共に満足する道は必ずある。

日本のモノづくりを、いま一度信じてみたい。





新しい自動車の開発には苦難が伴うようだ。

トヨタのプリウスのブレ−キが効かないと自動車のリコ−ルをするにいたっている。

他の自動車には認められないのか,アメリカによるトヨタ叩きにも見えてくる。トヨタの業績は落ちている。








史上最多、幕内808勝を達成した大関魁皇である。







平成22年1月13日の天声人語よりの引用


力士を志す少年に、「一番」という言葉を使って目標を語ってもらうとする。

大方は「一番強くなる」だろうが、「一番でも多く勝つ」も悪くない。

相撲人生を縦に見るか、横に見るかの違いだろう。

横長のそれから、大記録が生まれた

史上最多、幕内808勝を達成した大関魁皇である。

白星数の上位は名横綱ばかり。


幕内最年長の37歳まで星を稼げるのは綱の重圧がないせいもあろう。

だが、ずっと「二番目に強い」のも並大抵のことではない

▼同期のアケボノ(曙の点つき)や若貴兄弟は早々に出世し、最高位を極め、30歳前後で引退している。

対する魁皇関は、優勝した次の場所で何度も苦杯をなめた。ケガにも泣いた。

波乱彩る土俵歴は、いくつもの頂が連なる岩山を思わせる

▼凍(い)てついた蛇口をねじ切り、リンゴを片手でつぶす握力。

右上手さえ引けば寄っても投げても横綱級なのに、まわしに手が届かないと視線が泳ぎ、がぜん心細くなる。

不利な体勢から力任せの小手投げも多い。

素人目にも裏表のない、正直な取り口だ

▼新記録をかけた昨日の相手は、54度目の対戦となる千代大海だった。

同じ古参大関として踏ん張ってきたが、今場所は関脇に落ち、引退の瀬戸際にある。

そんな戦友を、後ろから抱えて豪快に投げた。

立ち上がった背に、そっと手を添えた

▼気は優しくて力持ち。

この人ほど「お相撲さん」と呼びたくなる力士もいない。

その優しさがここ一番でもろさに化けようと、ファンは温かい。

808勝の喜びは、それに続く528敗137休があってこその味わいである。




相撲は一気に勝敗が決まり,それまでの練習 仕切りの動作など勝負への前には

大変な時間と努力 精神的なこともあることだろう。

外国人が上位を占めているのが残念で,儀礼や伝統が守られていない横綱が出ることとなる。










欧州の研究チームが、5万年前の装身具を
スペインの洞窟(どうくつ)で見つけたという。








平成22年1月14日の天声人語よりの引用


 棚に転がる貝殻を耳にあてると、かすかに潮騒が鳴ることがある。

柄にもなく思い出に浸るうち、波の音は記憶を離れ、漠とした古(いにしえ)のざわめきに変わっていく。

貝殻には、時を封じ込めたかのような風情がある

▼欧州の研究チームが、5万年前の装身具をスペインの洞窟(どうくつ)で見つけたという。

小さな穴が開いた貝殻で、ひもを通して首飾りにしたらしい。

中には顔料とおぼしきオレンジ色の鉱物が付着したものがあり、「化粧」の道具にも使っていたようだ

▼今の人類が欧州に広がったのは約4万年前。

ということは、入れ替わるように衰勢となったネアンデルタール人が貝細工を残したことになる。

絶滅の理由は知能の未発達とされてきたが、実はそこそこ知的で、おしゃれだったのではないか

▼狩猟のための石器と違い、生存に関係のない装飾品には遊び心がのぞく。

動物の骨や歯、木の実なども使ったことだろう。

森や浜で、あれこれ見つくろう姿が浮かんでくる

▼さらには顔料である。

高橋雅夫氏の『化粧ものがたり』によると、古代人にとってオレンジ色は特別な意味を持っていた。

それは、恐ろしい闇を追い払ってくれる朝日の輝きであり、暖をとり、獲物の肉を焼くたき火の色だった。

喜びと幸せの色だ

▼水面に映る己の姿を見ながら、貝殻で飾り、顔や体を祝いの彩りに染める。

彼らが生存競争に敗れたのは、足りない知恵のせいではなく、あふれる優しさが災いしたのかもしれない。


驚きの発見に推論を重ねて、あるところからは想像の一人旅。

考古学の愉悦である。







我々人類の祖先とネアンデルタール人とは違うようだ。人類は生まれ滅している。

いずれは全て滅することになるだろう。

だが核戦争だけでは滅したくない。










東洋大学が募った第23回「現代学生百人一首」から









平成22年1月15日の天声人語よりの引用


〈ミャンマーで銃弾に倒れた写真家一人あなたの勇姿で我が夢決まる〉。

千葉県の高専1年中島武忍(たくま)さんの歌だ。

長井健司さん(享年50)は帰らぬが、若者の心に多くを残した。

東洋大学が募った第23回「現代学生百人一首」から

▼〈メール待つ心も体も寒い冬あなたの返信まるでゆたんぽ〉高2渋谷希(のぞみ)。

親指で始まり、手のひらで育つはずの恋なのに……〈流行のインフルエンザ対策は彼とつないだ手も洗わなきゃ〉高3小川舞子

▼恋ならずとも人間関係は楽じゃない。

〈友が降り電車に一人残されてため息深く演技終了〉高1小崎遥佳(はるか)。

〈親友と遊び疲れた帰り道夢の話は少し嘘(うそ)つく〉高3中川知明。

そう、演技も方便も優しさゆえ。

相手を気遣い、大人への階段をまた上がる

▼〈入試の時緊張してた教室が今では一番落ちつく居場所〉高1星君枝。

己と向き合って詠む学校生活。

「チェンジ」こそ成長の証しだ。

〈ブカブカの制服を着てはや二年思い出つまりちょうどよくなる〉高2関根拓馬

▼家族に注ぐ視線はどこまでも温かい。

〈おばあちゃんこれが高校の制服だ勇んで見せる春の墓の前〉高1奈良岡貴大(たかひろ)。

〈寝坊してご飯はいいと言ったのにかばんにひとつ鮭(さけ)のおにぎり〉高2金子聡美

▼〈歴史的政権交代に立ち会えた開いてみたい未来の教科書〉高2小笠原華子。

10代は政治に無関心、と侮るなかれ。

番外の小学生からも〈六時から見たいテレビがあったのにどこまわしても政権交代〉小6吉永健大(たけひろ)。

鳩山さん、小沢さん、この世代がじっと見ていることをお忘れなく。






面白い企画で現代の高校生の心境がよくわかる。

その中の一句

「痛いよう”“熱いよう”と必死な声聞こえてきそうな原爆ドーム」










小沢幹事長の資金問題で、
東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、
元秘書の石川知裕衆院議員らを逮捕した。









平成22年1月16日の天声人語よりの引用


四という数は死につながると嫌われやすいが、二つ並べば幸せ(四合わせ)と読める。

先人の知恵はありがたく、大抵の忌み事には逃げ道があるものだ。

運気がどうであれ、今日を生き延びねばならない

▼ここで、東京本社発行の紙面をお読みの方は右上の欄外をご覧いただきたい。

「44444号」とある。

これは発行号数で、創刊が早かった大阪本社や、それに準じた名古屋、西部本社の新聞は46000台に達している

▼五つ並んだ4。

朝から縁起が悪いとみるか、幸せいっぱいと言い聞かせるかは人それぞれだ。

もちろん、軽く無視するもいい。

さて、通常国会を控えた週末、民主党の面々はこの偶然に何を思うだろう

▼小沢幹事長の資金問題で、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、元秘書の石川知裕衆院議員らを逮捕した。

焦点は小沢氏側が土地購入に充てたという4億円の出どころだ。

不吉な数に0が8個もついている。

「逃げ道」はあるのだろうか

▼参院選に勝って自民党にとどめを刺したい民主党。

失礼ながら鳩山首相の代わりはいても、小沢氏の代役は見当たらない。?

政権を代えた民意があればこそ、いつにも増して氏は強気、片や特捜部も腹をくくったかに見える。

権力対権力の吉凶はいかに。

双方、屈すればかなりの深手となる

▼志(4)が並んだ日だから言っておきたい。

国民のためにという志があるのなら、小沢氏は早々に説明を尽くすしかない。

側近が捕まったのだ。

有権者が与えた圧倒的多数を頼みに黙り通すつもりなら、有権者が与えた圧倒的多数を頼みに黙り通すつもりなら、

これ以上の裏切りはない。






民主党の中に小沢氏の代役はいないのだろうか。?失礼な問いただしにもなるが。

そのような党でないことを信じたい。

いない方が自民党との違いがもっと明らかになるのではないだろうか。










阪神大震災の起きた日から流れた
15年を機に「あしなが育英会」がまとめた冊子
「遺児たちが語る、いまの思い」を読んだ









平成22年1月17の天声人語よりの引用


「15の春」といえば試練の代名詞であり、壁を越えた喜びを表す言葉でもある。

生まれた子が少年少女になり、高校生や社会人として巣立っていく。

それと同じ歳月が、阪神大震災の起きた日から流れた

▼15年を機に「あしなが育英会」がまとめた冊子「遺児たちが語る、いまの思い」を読んだ。

長くて短く、短くて長かったであろう、それぞれの来し方に胸が詰まる。

今は男女2人の子に恵まれた岡田幸代さん(31)は、「この15年、どんだけ涙が出るのだろと思うほど泣いた」と書いていた

▼川口綾香さん(27)も女の子をさずかった。

しかし心の傷ゆえか、出産に臨んだ病院で「失うのが怖い」と口走っていたと、あとで看護師から聞かされた。

「命あるものは死ぬ」という感覚が、今も強くあるという

▼だが、それぞれの内には人への感謝が流れている。

「独りじゃない」「忘れられていない」――そうして支えられてきた遺児は多い。

遺児だけではない。

人を励ますのは人なのだという確信は、あの震災を機に、災害列島の共有財産になっていった

▼地球上で悲劇はやまず、今度はカリブ海の貧国ハイチを大地震が襲った。

首都は壊滅し、死者は数万との情報もある。

がれきの下で細くともる命の灯が、この瞬間にも消えていると思えばつらい

▼神戸などでは、6434人の犠牲を悼みつつ、ハイチの苦難を思う一日となろう。

地球という生き物の上で、誰もが災害と背中合わせに暮らしている。

悲嘆の中に希望の灯を消さぬ英知と仕組みを、人類の共有財産にできないものか。





親のいない子供の気持ちはよくわかる。  以下インタネットよりの引用(一月九日の神戸新聞より)

海外の遺児や日本の遺児、そして今まで出会った多くの人は、すべて父がくれた宝物だと思っています〉

来春は大学生。「自分の知らないところで、多くの人が支えてくれていた。年を重ねるごとに震災のことを知りたい気持ちが強くなった」と振り返った。

〈親を亡くすことはつらいですが、ほかにも仲間がいて「自分1人じゃない」ということを分かってほしい〉

「みんなに支えられてきた分、私にも何かできないかとがんばっている」と、レインボーハウスで学生スタッフの代表を務める思いをつづった。

〈この15年、どんだけ涙が出るのだろうかと思うほど泣いた。思春期や、成人して、就職活動、社会人になって、

結婚を決める時、一番相談したかった人、聞いて欲しかった人がいなかったのは、一番悔しかった〉

〈今年で19歳を迎える。今度は、私たちが震災遺児や病気で親を亡くした子どもたちを支える存在になる〉

作文には、育ててもらった祖父母らへの感謝と、15年後の決意を力強く記した。

1万部を印刷。学校や図書館に送付するほか、希望者には無料配布する。神戸レインボーハウスTEL078・453・2418








おとといの党大会で、首相は「私は小沢幹事長を信じている」と語った
本人には「(検察と)どうぞ戦ってください」と背中を押したそうだ










平成22年1月18日の天声人語よりの引用


民主党の小沢一郎幹事長が鳩山由紀夫首相に「トラスト・ミー」と言ったかどうかは知らない。

おとといの党大会で、首相は「私は小沢幹事長を信じている」と語った。

本人には「(検察と)どうぞ戦ってください」と背中を押したそうだ

▼信頼関係といえば聞こえはいい。

しかし実態は、国民そっちのけで一蓮托生(いちれんたくしょう)を契(ちぎ)りあった運命共同体のようだ。

政権と検察の「全面対決」、「宣戦布告」といった言葉が各紙に躍る。

遺恨試合ともいえる「総力戦」でとばっちりを食うのは、他ならぬ国民ということになる

▼きょうから新年度予算などを審議する通常国会が始まる。

難問は山積みだ。日米関係はこじれ、雇用はままならず、景気が二番底に沈む恐れもある。

そんな差し迫った課題も「政治とカネ」の攻防にかき消されかねない

▼権力者の言葉の重みを「綸言(りんげん)汗の如し」と言う。

口にしたことは、汗が体に戻らないのと同じように取り消せない。

首相の「戦ってください」もその類(たぐい)だろう。

検察を含む行政の長として不適切だった

▼さらに借金の連帯保証のようでもある。

小沢氏の潔白が証明され、疑惑という「借金」が帳消しにならなければ共倒れが待つ。

そうならぬ確信があって言うのか、国民への責任感を欠いた言葉なのかは、いまは想像するしかない

▼〈同じ穴むじな列なし出入りする〉と昨日の朝日川柳にあった。

「政治とカネ」という穴に、これまでも、どれだけの狢(むじな)が絡め取られたことか。


旧態依然の醜聞で新しい政治の生気がしぼんでいく図は、見るに忍びない。





:検察と戦うと言うのはどういうことなのだろうか。

三権分立していないように思える日本の政官民の状態に有るように

思えてくる。特に地方においては三権及び民の癒着は特に甚だしい。










有名人であるほど、ひとたび固まったイメージは崩れにくい






平成22年1月19日の天声人語よりの引用


植木等さんは、映画で演じる無責任男と、きまじめな自分との落差に悩んだという。

「僕の場合、何を演じているかというと、結局、植木等なんです」。

そんな独白が残る。

有名人であるほど、ひとたび固まったイメージは崩れにくい

▼57歳で急死した野球人、小林繁さんは「悲運」の形容で語られることが多かった。

江川卓投手を巡る「空白の一日」騒動の巻き添えで、巨人から阪神に出された。

以後、江川さんには敵役、小林さんには悲運の影がついて回ることになる

▼実力の世界で、妙な虚像は迷惑だったかもしれない。

小林さんは移籍の年に22勝をあげ、中でも巨人戦は8勝負けなし。

シーズン終了後、文芸春秋誌に語っている。

「ぼくを支えたものは、巨人には絶対優勝させないぞという意地でした」

▼地力があっての話だが、逆境をバネにする生き方というものを教えてくれた。


帽子を飛ばし、気迫、執念、反骨が現実の力に転じるさまは、それぞれに闘う多くの人を勇気づけたものだ

▼七つの球種を際どいコースに放り込んだ。

ストライクゾーンを48のマス目に分け、外側のマスを狙って投げたという。

ボール一個分は無理でも、ミット半分のコントロールを自らに課していた

▼自身は「意地っ張りで見えっ張り」、阪神の先輩江本孟紀さんは「投手らしい最高のナルシスト」と評した。

格好はどうでもいいから、球場でもっと見たかった。

何も悲運のイメージを早世で完結させることはない。

どのマスを狙ったのか知らないが、運命の神様のノーコンぶりに涙が出る。





芸人とかスポ-ツ選手などは活躍している情報よりその人のイメ−ジが湧いてきて

本当の姿がわからない場合が多い。

インタ-ネットで検索人物はゆっくり調べれば判ってくるが。









曇り空の下、技術陣の気がかりは離陸や巡航ではなく、着陸だった
ジャンボ機の初飛行である
空の旅を大衆化した立役者は明日、就航40年を迎える。
国家管理という空港に不時着し、会社更生法の格納庫で身軽になる日航







平成22年1月20日の天声人語よりの引用


曇り空の下、技術陣の気がかりは離陸や巡航ではなく、着陸だった。

ジャンボ機の初飛行である。

あの巨体が無事地上に降りるのか、との疑念が航空専門家の間にあったからだ

▼開発リーダーのジョー・サッター氏が自伝(堀千恵子訳)に記す。

〈威風堂々とした外洋航路船ばりに滑走路に降下してきたかと思うと、静かに滑空し、

それはそれは見事な着陸をやってのけた……いまや真の飛行機が手に入り、成功もどうやら夢ではない〉

▼空の旅を大衆化した立役者は明日、就航40年を迎える。

ロングセラーの最大の顧客が、法的整理に入った日本航空だった。


リストラの一環として、効率の悪いジャンボ37機をすべて退役させるという。

一つの時代の終わりを思う

▼評論家の佐高信氏は「役所と民間の悪いところを合わせたような会社」と辛辣(しんらつ)だ。

政治に弱い体質に大企業病が宿っていた。

ジャンボの大量購入も、対米配慮と無縁ではあるまい。

空港を乱造した政治家、天下り官僚の責任は不問で、また税金が投入される

▼日航でジャンボを長く操った田口美貴夫氏は、着陸より離陸が難しいという。

高度も速度もゼロから燃料満載の400トンが突き進む。

整備から操縦まで、すべてが完璧(かんぺき)で初めて機体は舞い上がると、著書『機長の700万マイル』にある

▼国家管理という空港に不時着し、会社更生法の格納庫で身軽になる日航。

初めての着陸に固唾(かたず)をのんだジャンボ開発陣のように、納税者は再びの離陸を厳しく見守りたい。

天候がどうであれ、今度はしっかり飛んでもらう。


以下インタ−ネットよりの引用

自民党の大島理森幹事長は19日の記者会見で、日本航空会社更生法適用を申請することについて、

同党が与党時代に不採算路線の維持を求めてきたことを認めた。

そのうえで「問題点の一つとして謙虚に考えなければいけない」と述べ、

これまでの自民党政権の責任を認めた。

大島氏は一方で、「日航には非常に強い労組がいくつかある。

給料の面から考えても企業内努力の原因のほうが大きい。

再生への根本問題は、労組問題だ」とも述べ、労組の責任も強調した。


京セラ稲森和夫氏が最高経営責任者になっている。









時の政権が党利党略で横やりを入れては、司直の正義は保てない。
西松事件で小沢一郎氏の秘書が捕まった時、
野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した








平成22年1月21日の天声人語よりの引用


 大寒というのに、昨日の東京は春の陽気だった。

勝手なもので、冷えているべき空気が妙にポカポカしているのは落ち着かない。

民主党内に渦巻く「反検察」の熱にも、同じ違和感を覚える

▼検察がマスコミを通じて世論を操っているとの不信からか、捜査情報の漏れを追及するチームをつくるという。

石川衆院議員の逮捕にも「不当」の声がある。

糾明すべきこと、頑張りどころを間違えていないか。

これでは捜査への嫌がらせである

▼時の政権が党利党略で横やりを入れては、司直の正義は保てない。

西松事件で小沢一郎氏の秘書が捕まった時、野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した。

目下の状況は与党の思い通りになっていないのだから、「検察の独立」を誇ればいい。

せめて静かに見守るべきだ

▼名うての捜査機関も、組織としては法務省に属す。

行政の長たる鳩山首相は、己の「部下」をもっと信じてはどうだろう。

無論、どんな権力も暴走すれば危険である。

検察が小沢氏憎しで動いているなら、これはこれで怖い。

怨念(おんねん)めいたものは排し、プロの仕事を見せてほしい

▼今年も、共産党を除く各党が政党交付金を求め、民主党には前年比27%増、約173億円の税金が渡されるという。

この党はどうも、期待と共に授かった308議席を、悪用とは言わないが無駄に使っている気がする

▼この通常国会こそ、新しい政治の春になるはずだった。

またぞろカネ絡みの混迷では政権交代の四字が泣こう。

熱い論戦を待っていたのに、こちらはお寒い限りである。


インタ-ネットよりの引用

日本において、企業労働組合団体などから政党・政治団体への政治献金を制限する代償として1990年代政治改革論議において浮上し

1994年に政党助成法を含む政治改革四法が成立し導入された。

助成金の総額は国民1人あたり年間250円で決められる額で

、直近の国勢調査で判明した人口を元に計算される。

2007年の総額は2005年の国勢調査により約319億4000万円である。

政治献金は「制限」でなくて全部「禁止す」べきである。

お金をバラまけば議院員に当選しないならばそれでもよい筈だ。票の買収である。








実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある
命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」








平成22年1月22日の天声人語よりの引用


 美しすぎる情景は、時に心を乱すものらしい。

〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。

何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか〉。

梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭だ

▼実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある。

やや神秘めくが、故人が使い残した精気のようなものが幹の中をはい上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。

そう考えれば、四季の営みもいとおしい。


夭折(ようせつ)の墓ほど樹勢は強かろう

▼命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」。


10年ほど前に岩手県のお寺で始まり、全国の民間霊園などに広まった。

墓地不足に悩む東京都が、数年内に都の霊園に導入するそうだ

▼民間より安い都立霊園は人気があり、今年度の公募は平均12倍の狭き門だった。

都内では年に2万基の墓が新たに必要なのに、民間を含む供給はその3割にとどまるという。

木の周りに何人かの遺骨を埋葬すれば、土地を有効に使え、緑化も進む

▼都会では後継ぎのない人が増え、地方には世話をする人のいない墓も多い。


「先祖代々」に入りたくない人もいる。

慰霊の役目を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を「守る」気苦労は幾らか軽くなろう

▼石でも木でも、その前で合掌する行為が形ばかりでは、墓参りする意味がない。

大切なのは愛する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である。

墓を持たない選択を含め、弔いの多様化はごく自然な流れといえる。

思い出の温め方は、人それぞれでいい。




100年前の先祖の名前も何処からきたのもわからない、所詮人間は土に返り空に帰するものである。

全ては皆平等で変わりがない。

生前の事が判らないように,死後のこともわからない。生きている人の問題だ。









「足利事件」の再審公判で、ぬれぎぬを着せられた菅家利和さん(63)を取り調べた
元検事、森川大司さん(62)が証人として出廷した







平成22年1月23日の天声人語よりの引用


 パスカルの言に〈時は苦しみや争いを癒やす。

それは人が変わるからである〉がある。

しかし、歳月が苦しみや争いを際立たせることもある。

20年近い時は、2人の男性に苦い再会をもたらした

▼「足利事件」の再審公判で、ぬれぎぬを着せられた菅家利和さん(63)を取り調べた元検事、森川大司さん(62)が証人として出廷した。

謝罪を求める菅家さんに「深刻に受け止めています」を繰り返す。

すげない応答は、検察組織が「取り調べに問題なし」としているためだろう


▼調べの録音テープも流された。

両者の立場は今と逆である。

無実を訴え始めた菅家さん。

検事はDNA鑑定の結果を突きつけ、たたみかける。

「どうなんだい。

ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの、そういうこと」

▼返答を促す検事がたまに発する「うん?」「ん?」が効いている


口調は穏やかでも、力関係に天と地の違いがある。

短いが鋭い矢は菅家さんの心を刺し、口をこじ開けた。

「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」

▼涙ながらに絞り出したのだろう。

身に覚えなき殺人を何度も「自白」させられる悔しさはいかばかりか。

否認から「再自白」に至るやりとりが当時の法廷で明らかにされていたら、と思わずにはいられない

▼調書には、長い沈黙も「ん?」も嗚咽(おえつ)も残らない。

調べの様子がそのまま記録されていれば、「自白の舞台裏」が見えてくる。

菅家さんの冤罪から、教訓や反省以上のものを残したい。

残さないと、鉄格子の中に消えた17年半が本当の無駄になる。





冤罪におとしめた検事になんの罪もないのはおかしい。誤判断にはなんらかの咎めか゛有ってよいと思う。

咎めがあるとなると慎重な緻密な調査・取調べが行われると思う。

現在の状態ではこれからも冤罪は続くことになり,何の改善にもならない。死刑を無くし,時効は無期限にすればよい

冤罪の人が死刑になれば大変なことだ゛。取調べの可視化である録画・録音は是非残すべきである。

時効がなくなれば犯した罪は一生追求される事となり犯罪予防効果もある。








今年もシーズンが到来して、様々な願掛けがにぎわいを見せる。







平成22年1月24日の天声人語よりの引用


 「標札泥棒」という随筆が作家の立原正秋にある。

門柱にかけていたのを受験の季節に盗まれた。

しばらくたった朝、新聞を取りに行くと元の所に戻されていて、「おかげさまで合格しました」と書いた紙がポストに入っていたそうだ

▼昭和40年代の随筆だが、その昔、表(標)札を盗んで合格を願うまじないがあった。

通や透など「とおる」と読む名の表札は要注意だったようだ。

いまなら稚気ではすまされまいが、受験生の切実は昔も今も変わらない

▼今年もシーズンが到来して、様々な願掛けがにぎわいを見せる。

東京の湯島天神を訪ねると祈願の絵馬が鈴なりだ。

その数は約5万。

「今年こそ受かりますよう 母」は浪人生の母堂だろう。

教え子への御利益(ごりやく)を願う先生の絵馬も多い

▼隅田川を渡った回向院(えこういん)には、あの鼠(ねずみ)小僧次郎吉の墓がある。

どんな屋敷へもするりと入った伝にあやかろうと参拝が絶えない。

石粉を持ち帰ってお守りにする習わしで、墓前の「お前立ち」と呼ばれる石はすっかりちびている

▼厳しい景気に締めつけられて、今年の大学受験は「安・近・少」なのだという。

授業料の安い国公立。自宅から通える近場で、出願は少なく。

加えてインフルエンザの心配も抜けきらない

▼木から落ちないコアラのふん、蒸気機関車の滑り止めの砂、「勝どき駅」の合格祈願切符……。

いつもの八百万(やおよろず)ぶりだが今年の願掛けはいっそう切実かもしれない。

〈ポップコーンはじけ合格通知来る〉山崎(崎はやまへんに立つ崎)千枝子。

わが30余年前を懐かしみながら、春遠からじとエールを送る。





受験シーズンである。此処でも時代の流れが押し寄せ変化が見られる。










中米ハイチの大地震の惨状である







平成22年1月25日の天声人語よりの引用


江戸の昔に「投げ込み寺」と呼ばれる寺があった。

たとえば遊女が死んでも手厚く葬られることは少なく、菰(こも)に巻くなどして寺に捨てられた。

遊里に近い寺は遺棄が多い。

だれ言うとなく「投げ込み寺」と呼ばれるようになったそうだ

▼その一つ、東京の下町の浄閑寺には、安政江戸地震のとき、犠牲になった多くの人たちが投げ込まれた。

ご住職によれば、大きな穴を掘って無縁の亡きがらを葬ったそうだ。

境内の供養塔が往時の悲話を今に伝えている

そんな哀史も思い起こさせる、中米ハイチの大地震の惨状である。

現地に入った本紙記者の報告に胸が痛む。

壊滅状態の首都近くでは、おびただしい遺体が溝に投げ込まれ、埋められているという

▼年格好も性別も記録されず、ひたすら「処理」されているそうだ。

やむを得ぬとはいえ「一人一人の死」はかき消されていく。

そして、辛うじて生き残った者は「最悪の人道危機」(国連)のただ中にある。

親を亡くした子らには人身売買の魔手も伸びている

▼自然に厚薄はない、と言う。

恵みも災いも、自然は人を分けへだてしないという意味だ。

だが、自然は公平でも人の側に格差がある。


最貧国を襲った地震は、豊かな国とは異なる残忍さで、生者を、死者をさいなんでいる

▼阪神大震災の直後、被害の大きかった神戸市長田区で小学生の作文集が編まれた。

それは「かみさまのいじわる」と題された。

熱心なカトリック信者の多いハイチの人たちも天を恨んでいようか。

神ならぬ人間同士の、いっそう手厚い支援が必要だ。





アメリカのフロリダの近くでの地震でハイチには大変な被害かもたらされている。

死者は何十万とも言われている。

フロリダの裕福さとハイチの貧困さが目に付く。









コザ市(いまの沖縄市)の元市長で10年ほど前に97歳で亡くなった
沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った
本土による、本土のための民主主義が苦難を島に押しつけている










平成22年1月26日の天声人語よりの引用


記者を続けていると、取材相手のはっとする言葉に出合うことがある。

「民主主義はもうこりごりだ」は忘れがたい。

コザ市(いまの沖縄市)の元市長で10年ほど前に97歳で亡くなった大山朝常(ちょうじょう)さんが、絞り出すような声で言った

▼元教育者だった。

沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った。

戦後は政治家として「基地はいらない」と訴え続けた。

ところが減りもしない。


本土による、本土のための民主主義が苦難を島に押しつけている。

日本政府への深い失望が、「こりごり」の一語には込められていた

▼そんな基地のひとつ普天間飛行場をめぐって、名護市の民意は移設への異議を申し立てた。

市長選で、移設に反対する稲嶺進氏が現職を破った。

結果は重い。

政府が軽んずれば、「本土のための民主主義」が繰り返されることになろう

▼心配なのは鳩山首相の腹のすわり具合だ。

戻る橋を焼かれたとも言われる。

風見鶏を決め込んでいて青くなったかもしれない。

いずれにせよ数カ月で政治家としてのすべてが問われよう。

もう「宇宙人」を言い訳にはできない

▼戦争で壊滅し、戦後は基地の島になった故郷を「不沈母艦」にたとえて悲しんだのは詩人の山之口貘(ばく)だった。

その密集ぶりは、米国防総省の元高官に「小さな籠(かご)に、あまりに多くの卵を入れている」と言わせもした

▼「日本の安全保障じゃない。

本土の安全保障のために基地がある」。


そんな大山さんの声も耳の奥に残る。

普天間という危うい卵をつまんで立ちつくす首相は、どこの籠に入れる心づもりなのか。





以下インタ−ネットよりの引用

社民党の阿部知子政審会長と国民新党の下地幹郎政調会長は10日(日本時間同)、

米自治領北マリアナ諸島のサイパンを訪れ、フィティアル知事と会談した。

同知事は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)などの同諸島への移設について「歓迎する」と述べ、

日米が合意すれば前向きに検討する考えを表明した。

 下地氏が「サイパンとテニアンの両島で沖縄の基地負担を担うことができないか」と尋ねたのに答えた。

ただ、同知事は「受け入れは環境、社会への影響が過重にならないことが条件だ。

外交・安全保障にかかわる問題だから、米政府と話す必要もある」とも語った。

 阿部、下地両氏は普天間飛行場の移設先を選定する政府・与党の沖縄基地問題検討委員会のメンバー。

10日は上空からのテニアン島視察も予定していたが、悪天候のため見送った。

11日は松野頼久官房副長官ら政府側委員と合流し、米領グアムのアンダーセン空軍基地などを訪問する。 



沖縄基地の米自治領サイパン グアムへの移転は日本にとって最善の策である。

日本に基地があること自体 日本や世界の平和安全を脅かしている。

第三次大戦は人類滅亡の戦いとなる。









衆院予算委員会で、自民党の町村元官房長官の質問に
「自分たちのツケをほっといて文句を言うのはやめていただきたい」
と語気を強めた










平成22年1月27日の天声人語よりの引用


自分も道楽ざんまいの親父が放蕩息子に意見するのは、人間喜劇のひとつの型だろう。

上方落語の「親子茶屋」もこの手の話だ。

この親父、親子で遊んでは身上をつぶすと案じ、息子が早く死なないかと思うのだから並ではない

▼おとといの前原国土交通相も「道楽親父」に意見される気分だったか。

衆院予算委員会で、自民党の町村元官房長官の質問に「自分たちのツケをほっといて文句を言うのはやめていただきたい」と語気を強めた

▼混迷の深い八ツ場ダムをめぐる質問だった。


大臣自身、就任早々に「中止」と言明したのを、「凍結」にすべきだったと悔やんでいるようにも聞く。

前日は地元で対話に臨んだ。

もろもろが胸中にあって、小爆発を起こしたのかもしれない

▼鳩山首相を思い出す。

谷垣自民党総裁の代表質問に「あなた方に言われたくない。

こんな財政にしたのは誰だ」とやった。

あとで詫(わ)びたのは見識だったろう。

前の政権党だからと道楽親父の意見のように退けては、論議は深まらない

▼戦前のこと、「国体」をめぐる論議が国会で沸いた。

微妙な問題だけに岡田啓介首相は「憲法第1条に明らかであります」の一辺倒で逃げ通した。


憲法1条の塹壕に入られると始末に負えないと、野党を怒らせたという

▼鳩山内閣は答弁で、「自民政権のせい」という塹壕を使用禁止にすべきだろう。

寅さんではないが、それを言っちゃあおしまいよである。

「親の意見と冷や酒は後になって効いてくる」。

人生の達人だった寅さんはたしか、そんな俗言もよく口にした。




現在の段階では自民党政策の影響が極めて大きいことは歪められない。

だから自民党に国民は見切りをつけて民主党支持者が多かったことである。

現在はアメリカ発の不況の影響は大きい。









デフレの下、百貨店業界を覆う雪景色はきびしい








平成22年1月28日の天声人語よりの引用


お正月の福袋売り場の熱気は記憶に新しい。

どのデパートも押し合いへし合いの盛況になった。

だがコラムニスト天野祐吉さんの筆は辛い。

「福袋が売れるんじゃない、福袋しか売れないのだ」という知人の言を、小紙連載の「CM天気図」に書いていた

▼「福袋を買うのはモノを買うのではない。

福袋を買うというコトを買うのだ」という天野さんの目も鋭い。

福袋の季節にだけ、デパートはかつての祝祭的な空気を取り戻すようだ

▼デフレの下、百貨店業界を覆う雪景色はきびしい。

怒濤(どとう)のような安値の商品に押され、去年の売り上げは24年ぶりの低さに沈んだ。

閉店の動きが各地で相次ぐ。


東京の銀座でも、名所の有楽町マリオンから西武有楽町店が消えることになった

▼フランク永井の低音で「有楽町で逢(あ)いましょう」が流行(はや)ったのは53年前になる。

開店したそごう東京店のイメージソングだった。

時代は変わり、その建物にいまは家電量販店が入る。

歌の碑が一昨年、マリオンの前に設けられた

▼買い物は、ただカネとモノの交換ではあるまい。

期待と満足。

包みを抱えて帰る喜び。

作る人売る人との縁……。

思えば豊かな行為である。

なのに昨今、そのふくらみが細ってしまった寂しさがある

▼〈デパートに百円ショップ出店せりやがてデパートもここで売られむ〉栗木京子。

作った人の生活が立ちゆくのか、心配になるほどの安値でモノが売られている。

買う方とて、その安さの先に希望は見つけにくい。

社会も暮らしもちぢこまっていく体感が冬の列島を締めつける。




東京の銀座でも、名所の有楽町マリオンから西武有楽町店が消えることになった

フランク永井の低音で「有楽町で逢(あ)いましょう」が流行(はや)ったのは53年前になる。

開店したそごう東京店のイメージソングだった。

フランク永井の低音で「有楽町で逢(あ)いましょう」(動画)

が懐かしい時代である。








東京の秋葉原で一昨年6月、
無差別に17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)被告(27)が
初公判の法廷に立った










平成22年1月29日の天声人語よりの引用


「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。

文化人としても知られた紀伊国屋書店の創業者田辺茂一(もいち)が、

かつて語っていたと、先ごろの週刊朝日で読んだ。

「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない

▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。

東京の秋葉原で一昨年6月、無差別に17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)被告(27)が初公判の法廷に立った

▼遺族のいる傍聴席に深々と頭を下げたそうだ。

犯行を認め、「申し訳ございませんでした」とわびた。

償いとして事件を起こしたいきさつを説明するとも述べた。

だが今後の裁判で「時代のせい」「他人のせい」を言い募るなら、むなしいばかりだ

▼どんな事件にも背景はある。

この凶行は時代の閉塞感(へいそくかん)を表す「記号」のようにも語られる。

しかし、悲しみの深い遺族がせめて知りたいのは、一般論と「身内の死」をつなぐ被告の心身の軌跡だろう。

その上でしか謝罪は成り立つまい

警察庁によれば、全国で去年に起きた殺人事件は戦後最少になった。

皮肉なことに、ネット社会で人間関係が希薄化したのが一因という可能性があるそうだ。

特定の相手への動機が生まれにくい。

そうなったで今度は、「誰でもよかった」が目立っている

▼被告は世を恨んでネットへ逃げ、そこでも孤立した。

「一線」を越えた軌跡は、一線を越えさせない知恵につながるだろう。

再び誰かに繰り返させないことが、犠牲者へのせめてもの供養になる。





閉塞感が漂う中での殺人事件は無差別に17人を殺傷したのはなんぼなんでもと言いたい。










が「永遠の青春」もある
その若者像を小説に刻んだ作家、J・D・サリンジャー氏の訃報(ふほう)が米国から届いた。
享年91。1951年の『ライ麦畑』は、世界で最も読まれた青春の一冊に数えられよう









平成22年1月30日の天声人語よりの引用


「十八歳。紺サージの制服を脱ぎ捨てて、ジーンズとバスケットシューズが新たなる制服になったあの頃。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が愛読書だった季節……」。

かつて小紙に寄せた、落合恵子さんのエッセーの一節である。

青春の逃げ足はいつも速い

▼だが「永遠の青春」もある。

その若者像を小説に刻んだ作家、J・D・サリンジャー氏の訃報(ふほう)が米国から届いた。

享年91。1951年の『ライ麦畑』は、世界で最も読まれた青春の一冊に数えられよう。

大人への嫌悪や孤独を描いて、それは狂おしく激しい


▼決定的な一作を残してあとは終生沈黙するという、伝説めいた作家がまれにいる。

たとえば『風と共に去りぬ』のマーガレット・ミッチェルがそうだ。

サリンジャー氏も似たところがあった。

寡作で知られ、名声に包まれる中で筆を折った

▼北辺の田舎に引きこもり、高い塀をめぐらして昼もカーテンを下ろした。

有名を嫌うことでかえって有名になった。ゆえに詮索(せんさく)され、犬を飼っているかどうかでメディアが論争したこともあったという

▼『ライ麦』は内容もさることながら、野崎孝訳の日本語タイトルが光っていた。

題にひかれて手にとった我が昔を思い出す。

近年は原題の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で村上春樹さんの訳本も出た。

売り上げは双方で290万部にのぼっている

▼伝説に殉じるように作者は逝ったが、遺産は世界で読み継がれることだろう。

青春は短い。

だからこそ、稀有(けう)な青春文学の頭上には、「永遠」の枕詞(まくらことば)が色あせない。




「ライ麦畑でつかまえて」 や 「風と共にさりぬ」は長編である。

映画で上映されているが理解が完全ではない。

改めて見直す機械でもあるる。青春はやはり短い。










淡い光が透ける1月の言葉から






平成22年1月31日の天声人語よりの引用


英国の詩人シェリーの「西風に寄せる歌」(上田和夫訳)は〈おう 烈(はげ)しい西風 秋のいぶきよ〉と始まる。

結びは有名な〈冬来たりなば 春は遠からずや〉。

淡い光が透ける1月の言葉から

▼歌手の岡林信康さん(63)が美空ひばりの曲を歌ったCDを出した。

「ひばりさんは結局、富士山や縄文杉みたいな、日本の風土が生んだ自然現象だったんじゃないか。

戦争のがれきの中から生まれ出て、成長のシンボルとして日本人を励まし続けた」

▼日本の空にトキを戻す理由は二つあると、山階鳥類研究所の山岸哲所長。

生物多様性を増やすのと、より重要なのは「トキが生き続けられる環境を取り戻すこと。

トキの再生は地域の再生なのです」


▼動物本来の生き方を見せて、全国から客を呼ぶ北海道の旭山動物園。

昨年園長になった坂東元さんは「どの職員も個性豊か。

でも、旭山の理念という串が全職員を貫いて一本の串団子となれば、旭山カラーは引き継がれていく」

▼破綻(はたん)した夕張市立総合病院を引き継いだ医師村上智彦さん(48)は、病床を大幅に減らし、往診による在宅医療に賭ける。

「各地の医療崩壊は、コンビニが必要なのにデパートを建ててきたようなものだから。

年老いても生活の質を保って、安心して死ねる場所をつくればいい」

▼「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の生活をさらに脅かす。

浪費や美食など、多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きていけません」と語る経済学者、岩井克人さんによれば、「底」とは希望でもある。





清和天皇とその後見人藤原良房






以前から清和天皇に関心があって,何度か触れたこともある。

貞観時代は清和天皇が即位していた時代を指している。

清和天皇が9歳の時に即位し,後見人として外祖父の藤原良房がなって

実質的な政務はまかされていた。どのような事情があったのか27歳で

実子の9歳の貞明親王(陽成天皇)に天皇をゆずり,その2年半後の28歳で出家し29歳で亡くなっている。

一方の良房は69歳まで生きている。

清和天皇の息子も叉9歳の貞明親王(陽成天皇)で天皇となり,良房の養子基経が後見人として

政務につかさどっている。

以下インタ−ネットからの引用。

清和天皇(せいわてんのう、嘉祥3年3月25日(850年5月10日) - 元慶4年12月4日(881年1月7日))は、平安時代前期の第56代天皇。

在位は天安2年11月7日(858年12月15日) - 貞観18年11月29日(876年12月18日)。

後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖で、諱は惟仁(これひと)。外祖父藤原良房の後見の元、

惟喬親王を退けて皇太子となる。文徳天皇の崩御に伴い、わずか9歳で即位したため、良房が外戚として政治の実権を握った。

貞観8年(866年)には伴善男らによるものとされる応天門炎上事件が発生した。

天皇は伴善男を信頼していた為、事件を解決した良房に遠慮する形で既に貞観6年(864年)に元服していたにも関わらず、

正式に摂政に任命した。

貞観18年(876年)第一皇子である9歳の貞明親王(陽成天皇)に譲位。

2年半後の元慶3年(879年)5月に出家、その年の10月より畿内巡幸の旅へ。

翌年3月丹波国水尾の地に入り、絶食をともなう激しい苦行を行った。

水尾を隠棲の地と定め、新たに寺を建立中、左大臣源融の別邸棲霞観にて病を発し、粟田の円覚寺に移されたのち崩御。

文徳天皇の第四皇子。母は太政大臣藤原良房の娘、女御明子(めいし、あきらけいこ)。

惟喬(これたか)親王(844〜897)の異母弟。

この天皇の子孫の多くが臣籍降下して清和源氏となった。

御陵の位置によって水尾(みずのお)帝とも言う。

藤原 良房(ふじわら の よしふさ、延暦23年(804年) - 貞観14年9月2日(872年10月11日))は

、平安時代初期の公卿。藤原北家藤原冬嗣の二男。母は藤原美都子。子に明子、養子に藤原基経

皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた。

また、藤原北家全盛の礎を築いた存在であり、良房の子孫達は相次いで摂関となった。

嵯峨天皇       冬嗣
 ┣━━━━━━┓   ┣━━━┓
淳和天皇  仁明天皇==順子  良房
 ┃                ┃         ┃
恒貞親王 紀静子==文徳天皇==明子
         ┃     ┃
        惟喬親王  清和天皇

嵯峨天皇に深く信任された優秀な廷臣であった藤原冬嗣の二男として生まれた。

選ばれて嵯峨天皇の皇女源潔姫降嫁される。

淳和天皇の天長年間(824年-834年)蔵人に補せられ、従五位下を授けられる。

妹の順子は東宮(皇太子)正良親王(後の仁明天皇)の妃であり、道康親王を生んでいる。

また、良房は父に引き続いて嵯峨上皇と皇太后橘嘉智子に深く信任されていた。

仁明天皇が即位した天長10年(833年)以後、天皇の実父である嵯峨上皇の支援を受けて急激に昇進し、

承和年間(834年-848年)に正三位に叙せられ、蔵人頭に補せられ、参議を経て権中納言に遷り、陸奥出羽按察使、右近衛大将を兼ねる。

仁明天皇の東宮には淳和上皇の皇子恒貞親王が立てられていたが、承和9年(842年)の嵯峨上皇の崩御直後に起きた承和の変で恒貞親王が廃され、

道康親王が立太子される。

事件後に大納言に転じて、民部卿、左近衛大将を兼ねた。

承和11年(844年)に道康親王が即位する(文徳天皇)。良房は潔姫が生んだ明子(あきらけいこ)を女御に入れた。

承和15年(848年)に右大臣を拝す。嘉祥3年(850年)明子は第四皇子惟仁親王を生み、僅か生後8カ月で直ちに立太子させた。

これは先例のないことだった。

嘉祥4年(851年)正二位に昇り、翌年、左近衛大将を兼ね、国史続日本後紀)を監修する。斉衡4年(857年)太政大臣を拝命した。

次いで従一位へ進む。良房には嗣子がいなかったため、兄の藤原長良の三男、藤原基経を養子とした。

また、同じく長良の娘の高子を惟仁親王に嫁がせ、次代への布石も打った。

高子は在原業平との恋愛で有名で、惟仁親王より9歳も年上だった。

文徳天皇は第一皇子惟喬親王(母は紀名虎の娘)を愛し、惟仁親王が幼すぎることを案じて、

まず惟喬親王を立て、惟仁親王の成長の後に譲らせることを考えたが、良房を憚って決しないうちに天安2年(858年)に崩御してしまい、

良房は9歳の惟仁親王を即位させた(清和天皇)。『公卿補任』ではこの時に摂政に就任して貞観6年(864年)清和天皇の元服とともに

、摂政を退いたとするが、正史である『日本三代実録』の清和天皇即位の記事には摂政に関する記述がないことから

、良房は太政大臣として天皇を後見したと考えられている(当時、太政大臣の職掌には摂政と同様に天皇の後見する役目が含まれており、

両者の職掌が明確に分離されたのは基経の時代である。

清和天皇は幼少期に良房の邸宅で育てられたので、良房を終始深く信任していた。

貞観8年(866年)に起きた応天門の変では、大納言伴善男を失脚させ、事件に連座した大伴氏紀氏の勢力を宮中から駆逐する。

この年の8月19日、清和天皇は良房に「摂行天下之政(天下の政(まつりごと=政治)を摂行せしむ)」とする摂政宣下の詔を与えた。

これが人臣最初の摂政である。

法制の整備に力を入れて、「貞観格式」を完成させた(格は貞観11年(869年)、式は貞観13年(871年)に公布)。

貞観13年(871年)、准三宮を宣下されるが、それから数ヵ月後の貞観14年(872年)に死去した。

正一位を追贈され、忠仁公と諡された。


藤原 基経(ふじわら の もとつね、承和3年(836年) - 寛平3年1月13日891年2月24日))は、平安時代前期の公卿。

藤原北家藤原長良の三男。幼名は手古。従一位摂政関白太政大臣正一位堀川大臣と号する。漢風諡号昭宣公、国公は越前公

摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。

陽成天皇を暴虐であるとして廃し、光孝天皇を立てた。次の宇多天皇のとき阿衡事件(阿衡の紛議)を起こして、

その権勢を世に知らしめた。

天皇から大政を委ねられ、日本史上初の関白に就任した。

中納言藤原長良の三男として生まれたが、時の権力者で男子がいなかった叔父の藤原良房に見込まれて、その養嗣子となった。

仁寿元年(852年)東宮で元服した際に、文徳天皇が自ら加冠するほどの厚遇を受け、正六位上に叙される。

斉衡年間(854年 - 857年)から天安年間(857年 - 859年)に左兵衛尉、少納言、左近衛少将を経て蔵人頭に補せられる。

貞観年間(859年 - 877年)に左近衛中将を兼任し、参議に任ぜられて公卿に列する。

貞観8年(866年)、応天門の炎上の際し大納言伴善男が左大臣源信を誣告し、右大臣藤原良相が左近衛中将であった基経に逮捕を命じるも、

基経はこれを怪しみ養父の良房に告げ、良房の尽力によって、源信は無実となった。

その後、密告があり、伴善男が真犯人とされ、流罪となり、連座した大伴氏紀氏が大量に処罰され、

これら上古からの名族へ大打撃を与えた(応天門の変)。同年、従三位に叙し、中納言を拝す。

その後、左近衛中将を兼ね、更に左近衛大将へ進み、陸奥出羽按察使を兼ねる。

貞観12年(870年)大納言に転じる。貞観14年(872年)右大臣を拝する。

同年、摂政だった養父良房が薨去、代わって朝廷において実権を握った。

基経の実妹の高子は清和天皇の女御で、第一皇子貞明親王を生んでいた。

翌年、従二位に叙される。

貞観18年(876年)清和天皇は貞明親王に譲位(陽成天皇)。

まだ9歳と幼少であったため、良房の先例に従い新帝の伯父である基経は摂政に任じられた。

元慶2年(878年)、出羽国で蝦夷の俘囚が反乱を起こしたため、

能吏で知られた藤原保則、武人の小野春風らを起用し、翌年までにこれを鎮撫せしめた(元慶の乱)。

また、元慶3年(879年)以降数年をかけて、約50年ぶりに班田収授を実施している。

元慶3年(879年)、菅原是善らと編纂した日本文徳天皇実録全10巻を完成させた。

元慶4年(880年)太政大臣に任ぜられる(同年、摂政を改めて関白となると『公卿補任』などにあるが、

正史の『日本三代実録』にはなく、江戸時代に編纂された『大日本史』などでは、この時の関白宣下を採っていない。

今日の歴史学者でも「関白」の呼称が成立していない時期に遡及させて関白任命とすることに疑問も出されている翌年、従一位

元慶6年(882年)、陽成天皇が元服するが、この頃から関係が険悪になった。基経は辞職を申し出るが、許されなかった。

これはこの時代の記録によく見られる儀礼的な辞退ではなく、政治的な意味があったと考えられている

その後、基経は辞職が認められないとみるや、朝廷への出仕を停止し、自邸の堀河院に引き籠もってしまった。

ただし、清和天皇の譲位の詔に「少主ノ未親万機之間」摂政に任ずると書かれている以上、

元服を機に親政(天皇が万機を親らす)への準備を進めた後に辞表を提出し、

その後に自宅に退いて天皇の判断を待つのは当然の行為で、

しかも儀礼的な辞退の範囲とされる3度目の辞表提出中に天皇の退位騒動が起きたものであるとして、

これをもって基経と天皇の関係を判断することは出来ないとする反論もある

元慶7年(883年)11月、宮中で天皇の乳母(紀全子)の子・源益が殺される事件が起きた。

それが本当に殺人事件なのか、あるいは過失致死といった類の事故なのかは明らかではなく、また犯人も不明とされたが、

宮中では陽成天皇が殴り殺したのだと噂された。

この事件の直後、馬好きの陽成天皇が厩を禁中につくり、卑位の者に世話をさせ、飼っていた事実が明らかになる。

基経は宮中に入り、天皇の取り巻きと馬を放逐させた。

陽成天皇は後の記録には暴君として描かれており、それによると天皇は蛙を捕え、蛇を捕え、または犬と猿を闘わせて喜び

、人をに登らせて墜落死させたという。

元慶8年(884年)、基経は天皇の廃立を考え、仁明天皇のときに廃太子された恒貞親王に打診したが

、既に出家していた親王から拒否された。そこで仁明天皇の第三皇子の時康親王が謙虚寛大な性格であったので、これを新帝と決めた。

時康親王の母は藤原総継の娘・沢子で、基経の母・乙春とは姉妹であり、基経は時康親王の従兄弟にあたる。

公卿を集めて天皇の廃位と時康親王の推戴を議したところ、左大臣源融嵯峨天皇の第12皇子)は自分もその資格があるはずだと言いだした。

基経は姓を賜った者が帝位についた例はないと退け、次いで参議藤原諸葛が基経に従わぬ者は斬ると恫喝に及び、廷議は決した。

公卿会議の決定を持って、陽成天皇に退位を迫った。

孤立した年少の天皇に、抗する術はなかった。

基経は時康親王を即位させた(光孝天皇)。光孝天皇は擁立に報いるために太政大臣である基経に大政を委任する詔まで発した。

天皇は既に55歳だったが、皇嗣の決定も基経に委ねるつもりで、あえて定めなかった。

仁和3年(887年)、光孝天皇が重篤に陥ると、基経は第7皇子の源定省を皇嗣に推挙した。

定省は天皇の意中の皇子であり、天皇は基経の手を取って喜んだ。

もっとも、定省は光孝天皇即位以前より尚侍を務めた基経の妹淑子に養育されており、藤原氏とも無関係ではなかった。

臣籍降下した者が即位した先例がないため、臨終の天皇は定省を親王に復し、東宮となした日に崩じた。

定省はただちに即位した(宇多天皇)。

宇多天皇は先帝の例に倣い大政を基経に委ねることとし、左大弁橘広相に起草させ「万機はすべて太政大臣に関白

、しかるのにち奏下すべし」との詔をする。関白の号がここで初めて登場する。

基経は儀礼的にいったん辞意を乞うが、天皇は重ねて広相に起草させ「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」との詔をした。

阿衡とは中国の故事によるものだが、これを文章博士藤原佐世が「阿衡には位貴しも、職掌なし」と基経に告げたため、基経はならばと政務を放棄してしまった。

問題が長期化して半年にもおよび政務が渋滞してしまい宇多天皇は困りはて、真意を伝えて慰撫するが、基経は納得しない。

阿衡の職掌について学者に検討させ、広相は言いがかりであることを抗弁するが、学者たちは基経の意を迎えるばかりだった。

結局、広相を罷免し、天皇が自らの誤りを認める詔を発布することで決着がついた(阿衡事件)。

これにより藤原氏の権力が天皇よりも強いことをあらためて世に知らしめることになった。

基経はなおも広相を流罪とすることを求めるが、菅原道真が書を送って諫言しておさめた。

この事件は天皇にとって屈辱だったようで、基経の死後に菅原道真を重用するようになる。

宇多天皇と基経との関係は一応修復され、政務をとりはじめた。

仁和4年(888年)に娘の温子女御に上がっている。

寛平3年(891年)、基経は病床につき薨去。正一位が贈られ、昭宣と諡された。

応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である。

応天門が放火され、大納言伴善男左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣藤原良房の進言で無罪となった。

その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。

これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。

大納言伴善男は左大臣源信と不仲であった。

源信を失脚させて空席になった左大臣に右大臣の藤原良相がなり、自らは右大臣になることを望んでいたともされる。

864年に伴善男は源信に謀反の噂があると言い立てたが、これは取り上げられなかった。

866年4月28日(貞観8年閏3月10日)、応天門が放火炎上する事件が起こる。朝廷は大騒ぎとなり、盛んに加持祈祷を行った。

ほどなく、伴善男は右大臣藤原良相に源信が犯人であると告発する。

応天門は大伴氏(伴氏)が造営したもので、源信が伴氏をのろって火をつけたものだとされた。

藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。

放火の罪を着せられた左大臣源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。

参議藤原基経がこれを父の太政大臣藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護した。

源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。

8月3日、備中権史生の大宅鷹取が応天門の放火の犯人は伴善男とその子伴中庸であると訴え出る。

鷹取は応天門の前から善男と中庸、雑色の豊清の3人が走り去ったのを見て、その直後に門が炎上したと申し出た。

鷹取の子女が善男の従僕生江恒山に殺されたことを恨んでいたと言われる。

(鷹取が子が善男の出納の子供と喧嘩して、その出納が鷹取の子を死ぬほど殴りつけたのを恨んでのことともされる。)

鷹取は左検非違使に引き渡される。

天皇は勅を下して伴善男の取調べを命じた。

伴善男、伴中庸、生江恒山伴清縄らが捕らえられ厳しく尋問されるが(杖で打ち続けられる拷問を受けていた可能性もあり)、

彼らは犯行を認めなかった。

9月22日、朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。

伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に、

またこれに連座した紀夏井は土佐国、伴河男は能登国、伴夏影は越後国、伴冬満は常陸国、紀春道は上総国、

伴高吉は下総国、紀武城は日向国、伴春範は薩摩国に流された。

また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。

この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏紀氏の有力官人を排斥し、

事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。

事件は国宝「伴大納言絵詞」にも描かれている。


藤原家が藤原良房 その養子基経の代になって完全に天皇家の後見人となり摂政 関白となって国の政務を実質的に執り行われていた。



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