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二月になって




二月はやはり寒い時期である。ほんの少し暖かい日もあるが,寒い日が続くのでどうしても外出する日が少なく

パソコンの前に座っている時間が多くなる。

二月三日は豆まきの節分の日である。「鬼は外」「福は内」と豆まきすることも少なくなった。

寒いので,ゴルフ練習する機会も少なくなってしまっている。景気による影響もあるのか。

民主党政権に変わって直ぐに景気が良くなるとは思えないが,財政赤字が膨らみ借金がさらに増えて来ている。

景気を良くするにはある程度のバラマキ財政は仕方ないが,でも明るさが見えてこない。

一方自民党時代に全く見えていなかったことが明るみに出てきている。これは政権交代しての一番の業績だ。

全国で膨大な数のダムが作られていたり,米国との秘密条約が明るみに出たりして,如何に日本の基地がアメリカにとって必要なのかが

アメリカの強硬な態度から判ってきた。

日本はアメリカの半植民地国家であって沖縄にいたっては完全なる植民地であることが浮かび上がってきている。

これは自民党政権だけでは判らないままのことであった。

自民党時代の日本とアメリカとの間は非常に友好的であったが,完全なる隷属関係にあっての友好状態が成立していたことで

如何にアメリカが日本に対し,強力な圧力をかけていたことが国民の目にも見える形でわかってきたことは

政権交代のお陰である。

政権交代は何度もたびたび有ってよいことである。

でないと腐敗した政治が続いて国民に知らせず隠された政治がおこなわれているだけのことで,政治の進歩が全く見られない。

叉支持者も政権の交代に伴い自民党から民主党に変わりつつある。

自民党時代の献金政治はすっぱり廃止する勇気が,政治家にとって必要なことである。

選挙運動のための政治資金は立候補者に平等に全員に税金より支給すれば良いことで

早く金権政治から脱却しなければ,良い政治が行われない。

生活の豊かさには必然的にお金が大切であることはわかっている。

国民は敗戦後の苦しさから辛抱に辛抱を重ねて此処まで這い上がってきたのである。

戦争で多くの国民が天皇陛下の為に,国家の為に戦い,そして結果は敗れ悲惨な生活を強いられてきて

現在に至っている。

そのような体験を持たない人たちが国民の大部分になって来た現在であるからこそ,

再び同じ道をたどることが如何に大変なことになるかを現在の国民は理解しなければならない。

そして戦争に至らない努力をしなければならない。

戦争のない状態が如何に大切で有るか,誰もが知って再び過ちを犯さない努力をしなければならない。

現在のアメリカは軍需産業が巨大化し,それへの歯止めがかからない国家になっている。

敵のない世界には兵器は必要がない筈だ。

でも定期的にアメリカは戦争を世界で起し,悲惨な国を作って自分達の豊かな生活を維持している人たちがいる。

この繰り返しが行われてきた。アメリカのだれもがそうだとは思わないが。人間は同じ過ちを繰り返している。

アメリカには国の組織にでの社会化に対しアレルギ−があるのか

,国家が関与したりしての皆が幸せになることが悪いことのように考える風潮がみられる。

だからこそ貧富の差が拡大し,一旦貧しくなれば中々に立ち上がれないシステムになり,豊かな人たちは益々に豊かになっていっている。

この傾向は現在の大統領に,オバマ氏がなってからは緩和されてきている。

新しい健康保険制度が可決成立している。健康保険が裕福な人たちの個人保険だけだったのが、国民全体が保険に入ることが始めてできた。

戦争は自然災害と違い人間の心でもって防ぐことが出来る。

ブッシュが悠々自適生活の余生を送り,その政治に巻き込まれた若い兵士達 戦場になった世界の国民達は悲惨な運命を強いられて来た。

これが生きた現実での世界の出来事である。世界の人々の手でもって愚かなことは繰り返さないよう努力すべきである。

インタ−ネットの時代で瞬時に世界中に情報が飛び交う時代になってきている。


日本とアメリカとの戦争

太平洋戦争(動画)


沖縄戦(動画)

現在の基地問題は日本を守るとの話ではなく,世界戦略のアメリカの一環として日本がその中に組み込まれてしまっている

問題のように思える。日本の為には全くならない。近隣諸国より疑いの目で見られ,アジア共同体形成への阻害因子で

世界平和への道は遠のく。基地の仮想敵国はどこに備え配備されているのだろうか。









難しい話は先生とネズミにお任せするとして、
この時期、ネギ三昧(ざんまい)というのも悪くない。








平成22年2月1日の天声人語よりの引用

岡本眸(ひとみ)さんの句に〈葱(ねぎ)焼いて世にも人にも飽きずをり〉がある。

ネギは焼いてうまくなる野菜の一番かもしれない。

ぬらりとした薄皮や髄のあたりから甘みがとろけ出し、生きる喜びさえ教えてくれる

▼本来、薬味となる尖(とが)った食材である。

火を通すだけでこれほど化けるものかと思う。

ツンからデレへの変わりようは、どこか仕事も遊びもいける人のようで、できる野菜と呼ぶにふさわしい。

しかも風邪に効くとされている

▼富山大大学院の林利光教授らが、ネギの「薬効」が本当らしいと突き止めた。

A型インフルエンザに感染させたマウスの実験で、ネギの抽出物を与えてきた一群は、そうでない群に比べウイルス量が3分の1に抑えられたという。

抗体の量は逆に3倍近かった

▼林教授は「ネギの成分のどれかに、予防的に免疫力を高める効果があるのでは」と語る。


大衆が頼りにしてきた言い伝え、信じるに足るらしい。

寒さに弱いチンパンジーにネギを食べさせている動物園もある

▼「おいしい良薬」はそうそうない。

どの成分がどう効くのか、難しい話は先生とネズミにお任せするとして、この時期、ネギ三昧(ざんまい)というのも悪くない。

白も青も旬は冬。


群馬の下仁田、京都の九条、いずれも寒さで滋味が増す

▼同じ季語にも、俳人の感性は別のひらめきで応える。

黒田杏子(ももこ)さんは〈白葱のひかりの棒をいま刻む〉と料理した。

月が替わり、寒の谷もあと二つ三つというところか。

名のある産地であろうとなかろうと、店先の「ひかりの棒」たちがこぞって輝く季節である。






ねぎの薬効については判らないが,古くから煮たきものとして親しまれてきている。

すき焼きには必ずと言ってよいほど一緒に煮込んで食べている。

京都では九条ねぎを食べる機会が多く青いところよりも白い部分が珍重されている。







先ごろニューヨークであった競売で、
ダビンチの「婦人の肖像」の模写と鑑定された絵に
約1億4千万円という値がついた








平成22年2月2日の天声人語よりの引用

 30年ほど前のこと。当時のパリのルーブル美術館別館に、

ある画家が自作をこっそり持ち込んで「展示」し、2日後にバレて撤去されたことがある。

この悪戯をめぐり当時の小欄が「美の殿堂で、感に堪えぬ面持ちでこの絵を鑑賞した人もいたわけだ」と少し意地悪く書いている

▼名画あまたのルーブルだが、ダビンチの「モナリザ」は至宝そのものだ。

天才画家の威光は偽物にも及ぶらしい。

先ごろニューヨークであった競売で、ダビンチの「婦人の肖像」の模写と鑑定された絵に約1億4千万円という値がついた

▼モナリザを彷彿(ほうふつ)させる女性の肖像で、流し目が印象深い。

ルーブルには本物がある。

ダビンチが2枚描いていたと言われ、1世紀近く真贋(しんがん)論争が続いていたが、最新の分析で2枚目は偽物と分かった

▼冒頭の悪戯について、当時の小欄の筆者は「ルーブルに展示されて撤去された唯一の絵として値を呼ぶかもしれぬ」と書いた。

今回の偽物の高値には、真贋論争に敗れた話題性も一役買ったようだ

▼模写や贋作はときに、深い物語を秘めている。

井上靖の短編「ある偽作家の生涯」は、親友の天才に呑(の)み込まれて、その贋作づくりに堕していく画家の悲劇を描く。

巨大な才に小才が打ちひしがれるさまは、小説ながら絵の厳しさを語って現実味がある

▼「婦人の肖像」の模写は、18世紀半ば以前にダビンチの信奉者によって描かれたらしい。

どんな物語が作者にあったのだろう。

パンを得るためか修業のためか。

流し目の美女のすまし顔に、こっそりと聞いてみたい。






ダヴィンチの模写に一億四千万円も投ずる人が世の中にあるものだ。景気が悪くともお金を持っている人は

世の中にはいるものかと感心する。

贋作もこうなると本魔物と評価して良いのではなかろうか。芸術品の絶対的な評価は判らない。










相撲協会の理事選では、
立会人に票を見せるよう求める声が出たそうだ








平成22年2月3日の天声人語よりの引用


一門といい破門といい、相撲界の言葉は古めかしい。

伝統を守るための古めかしさならいざ知らず、古いこと自体が伝統になっては時代からこぼれる。

日本相撲協会の理事選挙を見ていて、昔ふうに「入れ札(ふだ)」と呼びたくなる気分にかられた

▼作家の菊池寛に「入れ札」という話がある。

上州から信州へ落ちていく国定忠治の一党の話だ。

誰もが忠治について行きたいが、大勢では目立ってしまう。

やむなく3人に絞る投票をする。

子分の葛藤(かっとう)を巧みに描いた好短編である

▼小説ではあるが、その入れ札とて無記名で行われた。

が相撲協会の理事選では、立会人に票を見せるよう求める声が出たそうだ。

退けられたが、その古さに驚く。

そもそも3期連続で無投票だった。

苔(こけ)むしたイメージが協会を包んでいる

▼劣勢とされた貴乃花親方の当選は「奇跡が起きた」のだという。

「誰の一票」まで勘定できた村社会だが、「一門栄えて相撲廃(すた)る」では本末転倒になってしまう。

危機感から流れた票もあったように聞く

▼古い角界には謀反と映るかもしれない。

だが「謀叛(むほん)人となるを恐れてはならぬ。


新しいものは常に謀叛である」という徳冨蘆花の言葉もある。

新しいものを期待していいのか、親方自身の言葉をもっと聞きたいものだ

▼鯨に呑(の)まれたのに気づかず安穏(あんのん)と泳ぐ小魚のたとえがある。

巨漢ぞろいの角界だが、これまでの危機への鈍感はその小魚を思わせた。


朝青龍の件もあってファンの目はいよいよ厳しい。

新風を呼ぶ志のある謀反人が、本当ならもう2、3人は欲しい。






相撲協会の理事長選挙は何か相撲の話題を通じなんとか相撲の人気を取り返そうとも取られる

貴乃花親方の行動とも取られる。

相撲協会の民主化には役立っている行動だとも思える。










きょうは立春、名ばかりの節目である
強い寒気が流れ込み、日本海側は雪が降りしきる







平成22年2月4日の天声人語よりの引用


唱歌の「早春賦」にいささかの思い出がある。

小学校の音楽の時間、女の先生が「今日から季節が変わって、この歌が歌えるのです」とオルガンを弾いて美しい声を聞かせてくれた。

自分もお好きな曲だったのだろう。

四十数年前の、おそらくは寒かった立春の日である

▼春は名のみの……の歌詞は難しかったが旋律は心に残った。

様々に歌われる曲だが、女声コーラスが一番ふさわしく思われる。

独りのハミング、低唱もいい。

知らず知らず口をついている。

もしこの歌がなかったら、春待つ季節の唇は随分さみしいことだろう

▼きょうは立春。

とはいえ名歌そのままの、名ばかりの節目である。

強い寒気が流れ込み、日本海側は雪が降りしきる。


太平洋側も冷たい風が鼻の先を抜けていく。

それでもきょうを境に、冷え込みも「余寒」と呼ばれるようになる

▼二十四節気をさらに分けた七十二候では、いまごろが「東風(はるかぜ)解凍(こおりをとく)」にあたる。

中国唐代の大詩人、白居易にも一節がある。

〈池に波紋有りて氷尽(ことごと)く開く/今日知らず 誰か計会(けいかい)するを/春風春水一時に来(きた)る〉

▼池の氷が解けてさざなみが立つ。

いったい誰が計らったのか、春風と春水が一緒に来るようにと――そんな意味だという。

冬の中から約束を果たすようにやってくる春。

自然の摂理へのおおらかな畏敬(いけい)を詩人はうたう


▼氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話は、虚実はおいてほほえましい。

早春賦の恩師ならマルをもらえるような気がする。春よ来い。






冬から春への移り変わりは青春を思い出す。

季節の輪廻で寒い冬から暖かい春は待ち遠しい。

自然の摂理で人間の力が及ばない事である。










濃淡の差はあれ、百鼠のどれかの色で
民主党の小沢幹事長を眺める人は少なくないだろう
自らの資金管理団体の土地取引をめぐる事件で不起訴となった










平成22年2月5日の天声人語よりの引用

 京の五色、大坂の三彩に対して江戸の着物の粋(いき)は茶色と黒だった。

「四十八茶百鼠(ねずみ)」と言われ、人々は微妙な色の違いを楽しんだという。

百鼠とは、白と黒の間の濃淡さまざまなグレーのこと。

江戸研究家の杉浦日向子さんの遺著に教えられた

▼濃淡の差はあれ、百鼠のどれかの色で民主党の小沢幹事長を眺める人は、少なくないだろう。

自らの資金管理団体の土地取引をめぐる事件で不起訴となった。

嫌疑は「なし」ではなく「不十分」という判断である

▼元事務担当者の石川知裕衆院議員と秘書ら2人は起訴された。

虚偽記載は知らなかったという小沢氏だが、政治的、道義的な責任はまぬがれない。

起訴か不起訴か、善悪二元論の刑事責任に比べてそれは幅広く、深い。

こちらのグレーは、その色合いがいっそう濃い

▼検察も灰色がかって見える。

捜査は「小沢憎し」だったのではないか


なぜ政権交代後のこの時期に……。

もろもろの疑問がわく。

検察に委ねられた権力は遺恨晴らしの道具ではない。

誤解を避けるには、こちらも十分な説明が必要になる

▼「国民のレベル以上の政治家は生まれない」と小沢氏は著書で言う。

名高い「法則」だが釈然としない。

自らの醜聞も国民のレベルのせいにされてはかなわない。

清新な政治への期待を、民主党への一票に込めた人は多かったはずだ

▼幹事長は続投という。

まずは風見鶏を頭に立てて世論観測といったところか。

逆風が吹いて「参院選に凶」と出れば退くとの見方もある。

灰色決着の黒白(こくびゃく)を、民意が引き取ることになる。







小沢幹事長は能力は認めるが余りにも金のまつわる事が自民党時代からまといつく。

民主党にとりプラスマイナスしてマイナスのイメージが強すぎる。

幹事長を辞任することが日本にとりプラスに働くと考える。本人は変わると話しておられたが自民党時代から全く変わっていない。









暴行問題で土俵を去る横綱朝青龍に、
そんな教訓話を思い出した
たび重なる素行不良を周囲が甘やかしたのか









平成22年2月6日の天声人語よりの引用


イソップの物語に「盗みをする子と母親」の話がある。

母親が叱(しか)らなかったため、子は長じて手に負えない盗人になる。

とうとう捕まって刑場へ引いて行かれるとき、嘆く母親に息子が言った。

「なぜ最初のときに俺(おれ)をぶってくれなかった」

▼暴行問題で土俵を去る横綱朝青龍に、そんな教訓話を思い出した。

たび重なる素行不良を周囲が甘やかしたのか。

本人が聞く耳を持たなかったのか。


たぶん両方だったのだろう。

いまさら誰の責任かを論じても、覆水は盆に返らない

▼記者会見で、この結末を、自分にとっての運命じゃないかと語っていた。

相撲協会も師匠も「運命」を案じていたようだ。

しかし客を呼べる。

その人気は角界の「米びつ」でもあった。

及び腰が慢心をあおり、大看板は屋根から落ちた

▼それにしても、これほどの騒ぎは横綱双葉山の連勝ストップ以来ではないか。

69連勝のあと、ついに敗れたのは71年前。


歌舞伎座でニュースが伝えられると、客席が凍りついたようになったとの逸話も残る。

日本中がこの話題で持ちきりになったそうだ

▼〈やはらかに人分け行くや勝相撲〉。

江戸期の俳人几董(きとう)の句は力士のたたずまいを詠んで秀逸だ。

鬼の形相の土俵から一歩出れば、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の空気を身にまとわせて、ゆうゆうと風を切る。

だが朝青龍はそれが苦手だった

▼土俵外でも心身は荒く、抑制の美も理解しなかった。

とはいえ角界を支えた風雲児には違いなかった。

もろもろの是非はおいて、この人が去った穴を、相撲好きは三月場所でかみしめることになる。




礼を重んずる相撲の世界ではふさわしくない人が横綱になっている。

レスリングのような格闘技の選手としては適しているのではないか。

相撲協会としては英断であった。










埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文
心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています







平成22年2月7日の天声人語よりの引用


本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。

埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた

▼「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。


次女を34歳で亡くしたばかりのご夫婦からだった。

乳がんの告知からわずか1年半。

夫と、告知の直後に生まれた男児が残された

▼遺言めいたメモには、病のため震える字で家族葬の希望と、お墓にはオリーブかローズマリーを植えてほしいとあったそうだ。

若い人ほど木の勢いは強かろうと書いた小欄を、励ましと受け止めていただいた。

偶然に言葉もない。

ご連絡すると、お二人は乳がん撲滅への願いを静かに語られた

▼同じ34歳で逝った女性を悼む歌がある。

小学生の姉妹の親でもあった。〈

遺児ふたり長き髪もつ明日よりは母に代わりて誰が結ばむ〉羽場百合子。

作者は朝日歌壇にも入選を重ねた元教師で、弱き者を思いやる歌風が際立つ

▼どんな死も悲しいけれど、若い母親のそれは切ない。

お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。

他の母親より少し短い、真珠のような思い出を抱きしめながら

▼乳がんに侵された先の女性は、幼子にも走り書きを残していた。

〈男の子はやさしくなければいけません。

まわりの人の言うことをよくきいて。

いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。

本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて……〉。

連なる「いっぱい」に、母性の叫びを聴く。





我が家の墓は樹木のかげにある。

こんなのは樹木葬とはいわないのだろう。

天皇家の墓だけが宮内庁で厳重にかんりしているのは歴史研究に弊害をもたらしている。

我々の祖先は樹木の下で樹木の成長には貢献しているのではないのか。

天皇家は何に貢献しているのだろうか。










人気車種プリウスのブレーキの問題で
、トヨタがとうとう国交省にリコールを届け出るという
全車の無償修理であり、欠陥を認めることでもある








平成22年2月9日の天声人語よりの引用


踏鞴と書いて「たたら」と読む。

昔、足で踏んで溶鉱炉などに空気を送る送風機のことを言った。

転じて「たたらを踏む」は空足(からあし)を踏むこと。

段差のある場所で見当を誤り、よろけた経験は誰にもあるだろう

▼車のブレーキを踏んでも利かない感覚は、「たたらを踏む」のに近いだろうか。

1秒前後の利きの遅れとはいえ、違和感に運転者があわてれば、事故につながりかねない。

あると思って踏んだ地面がなかった。大仰だが、ブレーキが利かないとはそんな印象である

▼人気車種プリウスのブレーキの問題で、トヨタがとうとう国交省にリコールを届け出るという。

全車の無償修理であり、欠陥を認めることでもある。


発覚以来、不具合ではなく「運転感覚の問題」で片付けようとする姿勢に批判が高まっていた

▼ひと月ほど前の小欄で、プリウスの成功を「一流の技術陣がアクセルを踏み込んだ時の馬力を思う」と書いた。

組織にも「心技体」がある。

技は一流でも、心や体が覚束(おぼつか)なければ信頼はついえてしまう

▼「不良品にはならなくても、『こんなものを納品したら会社の恥だ』と妥協しない人と、『まあいいや』と見逃す人とでは、ネジの出来がまるで違う。

ネジが積まれた山をひと目見たら美しさが違うんですわ」。

作家の小関智弘さんの『現場で生まれた100のことば』に見つけた、あるネジ職人の心意気だ

▼見事な「ものづくり魂」に比べ、不良品にあらずと言いつのるトヨタは小さく見える。

守るものは体面ではなく、お家芸の「品質と安全」
であってほしい。





トヨタの自動車に対するアメリカの態度にはなんとなく反感を持つ気持ちになる。

ブレーキがきかないのは重大な欠陥である。

だが日本では余り話題として上らない。

長い間トヨタの自動車に乗っているが何の不都合も起きていない。

アメリカの人たちだけが集中して欠陥車に乗り合わせているのか。








浪速で生まれ、「やってみなはれ」精神のサントリーに対し
旧財閥系のキリンは重厚で手堅い
注目した縁談だったが、破談になった









平成22年2月10日の天声人語よりの引用

 ノーベル賞を受けた英国の劇作家バーナード・ショーは、嘘(うそ)か誠か、こんな逸話を残す。

パーティーの席上、とある女優に「私と結婚しませんこと」とささやかれたそうだ

▼「私の容姿とあなたの頭脳を持った子が生まれたら素晴らしい」と。

だがショーは「やめておきましょう」と断る。

「僕の容姿とあなたの頭脳を持つ子だったらかわいそうだ」。

ブラックジョークめくが、皮肉屋の本領発揮である

▼さて、この結婚がどんな果実を生むか、期待した人は少なくなかっただろう。

キリンとサントリーである。

財界人も飲んべえも、それぞれの立場で注目した縁談だったが、破談になった。

相整えば世界5位の食品企業が誕生するはずだった

▼昨夏に「交際」が発覚した。

だが多難とも噂(うわさ)されていた。

社風も違う。

浪速で生まれ、「やってみなはれ」精神のサントリーに対し、旧財閥系のキリンは重厚で手堅い。

例えるなら草書と楷書(かいしょ)か。


異質が溶けあい、墨痕も鮮やかに大書される旗印が、掲げられる日はもうない

▼双方のファンには、持ち味の減殺を案じる声もあった。

知人の飲み助は、落語の古今亭志ん生と桂文楽を引き合いにした。

融通無碍(ゆうずうむげ)な志ん生。

端正な文楽。

昭和の名人の芸風を双方の社風に例え、「“古今亭文楽”など聞きたくはない」と赤い顔で力んでいた

▼破談発表の夜、紅灯の巷(ちまた)はその話題に花が咲いたそうだ。

経済論、文化論、カイシャ論……結婚論もあったかも知れない。

一夜の酒のサカナとなって左党のサービスにこれ努め、冬の空にはかなく消えた。





キリンとサントリーはビ−ルの世界では大手である。

味も異なり一緒になればどんな味のビ−ルが生産されるのか。

破談でよかったと思う。国民は選べる種類が減らないからである。








出世作の「遠雷」も忘れがたいが
立松和平さんといえばオニオンスライスである
62歳での他界は惜しまれる







平成22年2月11日の天声人語よりの引用


出世作の「遠雷」も忘れがたいが、立松和平さんといえばオニオンスライスである。

早大に合格して上京し、下宿の近くの食堂へ行った。

むろん懐は寒い。品書きをにらみ、一番安いオニオンスライスを注文した

▼「オニオンス・ライス」、つまり玉葱(たまねぎ)ご飯だと解釈したのだった。

薄切りの玉葱が運ばれたが、おかずだと思い、ご飯が来るのをひたすら待ったそうだ。

「玉葱の上にかかった花かつおが、人を小馬鹿にしたように揺れていた」と回想している

▼そんな田舎の青年が、そのまま年を重ねたような風貌(ふうぼう)だった。

故郷の栃木弁が似合っていた。

玉葱の食堂では、訛(なま)りが恥ずかしくてご飯を「催促」できなかったという。

だが後年はそれが持ち味になり、語りは炉辺談話の趣をかもしていた。

62歳での他界は惜しまれる

▼いわゆる書斎派ではない。

世界を旅し、足跡は南極にもおよぶ。

知床に山小屋を構えて通いつめた。

諫早湾の干拓に物申し、鉱山開発で荒廃した足尾の山に木を植えた。

自然が本来持つ「豊饒(ほうじょう)」への、ゆるがぬ信頼が身を貫いていた

▼かつて小紙に、「老後の楽しみは木を植えること」だと寄せていた。

何百年も伐採しない森を作り、その木材で法隆寺など古い寺院を未来に残したい。

夢を温めていたが、人生の時間を天はもぎ取ってしまった


▼冒頭の食堂に話を戻せば、立松さんは玉葱だけ黙って食べたそうだ。

そして「東京暮らしはつらいな」と思う。

切ないのに、どこかおかしくて、あたたかい。

そんな空気を人徳のようにまとい続けた作家だった。





穏かな語り口の立松和平さんの早い死は意外であった。

誰が何時死ぬかわからないものである。

若い死は多くあると思うが有名人になると驚きが先に来る。









ある行為がすたれたために忘れられていく動詞がある
「くべる」もその一つだろう
漢字で書けば「焼べる」となる








平成22年2月12日の天声人語よりの引用


ある行為がすたれたために忘れられていく動詞がある。

「くべる」もその一つだろう。

漢字で書けば「焼べる」となる。

若い人はご存じだろうか。

燃やすために、物を火の中に入れることを言う

▼〈湯ぶねより一(ひ)とくべたのむ時雨かな〉川端茅舎(ぼうしゃ)。

いまなら追い焚(だ)きボタンですむが、「ひとくべ」の言い方を懐かしく思い出す人もおられよう。

とりわけ都会は火を焚く暮らしから遠くなった。

正月の松飾りを燃やす機会がなくなり、生ゴミに出す人もいると先ごろの声欄にあった

▼たしかに、どんど焼きの祭事は減った気がする。


落ち葉焚きは何年も見ない。

もはや「絶滅危惧(きぐ)種」らしい。

童謡は歌えても、生き物のように変化し、飽きずに眺めていられる火を都会っ子は知らないようだ

▼「火を焚きなさい」とわが子に呼びかける詩が、屋久島で暮らした詩人の山尾三省にある。

〈やがて調子が出てくると/ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が/いっしんに燃え立つだろう〉

▼〈人間は/火を焚く動物だった/だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ……〉。

そして火のある所、火を囲む行為が生まれる。

〈一人退(の)き二人よりくる焚火かな〉久保田万太郎。

だが、手をかざし、お尻をあぶりつつのコミュニケーションも今は遠い光景である

▼囲む人々の中には、鍋奉行ならぬ「焚き火奉行」がいたものだ。

生きている火は、燃やすというより「育てる」という言い方がふさわしい。

「くべる」の語とともに、奥深い技術を忘れつつあるのかもしれない。







言葉も時代と共に変わってゆく。明治時代の小説が読みずらくなってきている。

古典といわれる時代のものは翻訳しないとわからない

「くべる」は子供の頃,日常よく使われた常用語で懐かしい言葉である。今も使っている。









ロッキード事件が発覚した当初、
自民党の中曽根康弘幹事長から「もみ消し要請」があったとする
米側の公文書が見つかった








平成22年2月13日の天声人語よりの引用


ッキード事件が発覚した当初、自民党の中曽根康弘幹事長から「もみ消し要請」があったとする米側の公文書が見つかった。

内容もさることながら、表記が興味深い。

言葉をめぐる日米関係の一端を見る思いがする

文書を読むと、もみ消す意味の「HUSH UP」に続けて(MOMIKESU)と日本語のローマ字表記を残している。

この「もみ消す」は政治的陰影に満ちた要請のキーワードだ。


単純に「HUSH UP」に置き換えていいものか。

訳した米側担当者は悩んだのに違いない

▼戦争末期にポツダム宣言を「黙殺」するとした日本の回答を思い出す。

徹底抗戦派を抱えつつ終戦を模索していた政府には、ぎりぎりの表現だったという。

これが相手方には「無視」「拒絶」の意味に英訳されて伝わったとされる

▼広島と長崎の惨事はそれから間もなくだった。

『ベルリッツの世界言葉百科』には「この一語の英訳が違っていたら原爆投下はなかったかもしれない」とあるそうだ。

鳥飼玖美子さんの『歴史をかえた誤訳』に経緯が詳しく書かれている

日米繊維交渉の佐藤・ニクソン会談では、「善処する」が「最善を尽くす」と通訳された。

だが佐藤首相は、「善処する」の日本的な意味どおり何もしなかった。

腹芸的な言葉がまっすぐに訳されて、日米関係はこじれていった

▼そしていま、鳩山首相の「トラスト・ミー」である。

政治的陰影をかなぐり捨てた直球を、もみ消す術(すべ)はないようだ。

一つの言葉がときに背負う重みを、冒頭の文書から思い巡らせてみた。






中曽根さんはアメリカに対してべったりのタカ派的な発言で知られている。

自民党全盛時代を,アメリカの庇護の下作られた人物である。

日本列島がアメリカの前線基地となって戦うと言われていたのが印象的である。

世界同志が仲良くなれば戦争はいらない。

戦争は博物館でしか見ることの出来ない時代になってほしい。










自慢話にならない限り、長老の人生論は聴くに値する








平成22年2月14日の天声人語よりの引用


自慢話にならない限り、長老の人生論は聴くに値する。

どんな人生であれ、一つをほぼやり遂げた事実が言葉に重みを与える。

80近くまで生きた江戸時代の俳人滝瓢水(ひょうすい)も、教訓めいた句を多く残した

▼〈浜までは海女も蓑着る時雨かな〉は、いよいよとなるまでは最善を心がけよ、といった意味らしい。

評論家の外山(とやま)滋比古(しげひこ)さんが、近著『マイナスのプラス』(講談社)でこの句を引いて、「どうせ」の思考にクギを刺している

▼「最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい……浜まで身を大切にする人は、海に入ってからもいい働きをする」。

86歳の外山さんは、「どうせ××だから」との判断は人生を小さくすると戒め、逆境や失敗を糧にする生き方にエールを送る。

マイナス先行の勧めである

▼相通じる発言を本紙で目にした。

「こうでなければ幸せになれない、という思い込みは捨てるべきです」。

『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を書いた作家の加賀乙彦(おとひこ)さんだ

▼日本人は他の目を気にし、世間のいう「幸福行き」のレールを外れまいとする。

勢い、個は育たず、子どもは考える力を奪われるとの見方だ。

精神科医でもある80歳が求めるのは、幸福の形を決めつけないしなやかな精神。

そして、挫折も幸せの要件だと説く。

年長の識者2人が、期せずして同じ助言に達したのが面白い

▼バンクーバーからの映像には、準備を尽くして「浜」に立つ選手たちがいる。

冬季五輪の開会式に目を奪われながら、彼らを待つ栄光と、その何倍もの挫折に思いをはせた。







誰もは幸せになりたい気持ちは同じである。

だが人の不幸を基にして自己の幸せになるのは悪いことは明らかだ。

でも植民地主義 戦争は暴力と言う力でもって,己だけが幸せになることである。

日本人として綺麗ごとだけでアメリカと日本の関係が存続することには

抵抗感がある。東アジア共同体でもってEUと同様のシステムを作り

近隣同士がまず仲良くなり世界の平和へと導いていってほしい。日本の悲願である。










全国老人福祉施設協議会の第6回「60歳からの主張」
川柳部門には約2千句が寄せられた。
賞作と、最終選考に残ったものから紹介する







平成22年2月15日の天声人語よりの引用


73歳が詠むから許される句もある。

〈ときめきが動悸(どうき)にかわる古稀(こき)の恋〉。

全国老人福祉施設協議会の第6回「60歳からの主張」川柳部門には約2千句が寄せられた。

入賞作と、最終選考に残ったものから紹介する

▼〈掛けてきた年金実は賭けていた〉。社会へのまなざしは鋭い。

〈日本発武士道にない派遣斬(ぎ)り〉。

福祉政策は、老より幼に重きを置くかに見える。

そこで〈敗戦国興して老後報われず〉


▼〈カラオケで美声聴かせて入れ歯落ち〉〈置き場所を思い出せない備忘録〉と、老いを笑い飛ばす自虐の句も目立つ。

〈角が取れ丸くなるのは背中だけ〉〈遼君のスイング真似(まね)て腰痛め〉など、綾小路きみまろさんの名調子で聴いてみたい

▼名刺抜きの付き合いに慣れるのもひと苦労で、〈定年前の肩書き言うな居酒屋で〉。

しかし男というもの、いくつになっても妙なライバル意識が抜けない。

〈買った墓地嫌いな奴(やつ)の相向かい〉

▼〈新婚と思って老々介護する〉。

何十年も一緒にいれば、夫婦の仲は様々だ。

〈補聴器が老妻の愚痴ひろってる〉。

かと思えば〈老妻とダジャレの応酬日々楽し〉という関係も。

皆が夢見る共白髪の日々にも、ふと我に返る時がある。

〈婆(ばあ)さんや茶柱立って何がある〉

▼優秀賞は、冷めた視線で〈喜寿祝い寿司(すし)に集まり我(わ)れ孤独〉。

ごちそう目当ての親族を、声ではなく字でチクリとやるのが老境。


同様に〈子や孫が無理はするなとこきつかう〉。

まあ、使う気にさせる体も素晴らしい。

万事、前向きに考えたい。〈物忘れ嘆くな頭のダイエット〉






これからは超高齢化社会がやってくる。老人が増え,社会に貢献できることは

体験を若い世代に伝えることである。

戦争体験者は次第に減少し,天皇制の矛盾を嫌と知っている世代が少なくなろうとして来ている。











碁や将棋にはうといが、方寸の盤をめぐる話は面白い








平成22年2月16日の天声人語よりの引用


碁や将棋にはうといが、方寸の盤をめぐる話は面白い。

平安期の説話集『今昔物語』に、あやしい碁打ち女の話がある。

天皇の碁の師でもある寛蓮という名人が、ある日、通りで少女に呼び止められる

▼案内された家の女主人に対局を望まれ、気楽に打ち進めた。

だが、気がつくと名人の石はみな殺しになっている。

こんなはずはない。

女は何者か、と怖くなった名人は逃げ出してしまう。

京の街はしばらく、この噂(うわさ)で持ちきりになったという

▼東京の小学5年藤沢里菜(りな)さんの快挙を聞いて、つい、そんな話を思い出した。

日本棋院の試験に見事合格し、男も含めて史上最年少の11歳半で囲碁のプロ棋士になると、先ごろ報じられた。


「小学生のうちにプロになりたいと思っていた」と言うから、万年ザル碁の凡人は脱帽である

▼将棋界では17歳の女流名人が誕生した。

島根の高校3年里見香奈さんは「倉敷藤花(くらしき・とうか)」という女流タイトルをすでに持ち、10代での二冠は約27年ぶりになる

▼こちらのプロ入りは12歳だから、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」の諺(ことわざ)を地でいく。

「女流名人にふさわしい人になるよう、立ち居振る舞いに気をつけて棋力向上に努力したい」。

当たり前といえば当たり前の抱負が、当節、頼もしく新鮮に響く

▼ところで冒頭の碁打ち女の話は、朝日歌壇の選者馬場あき子さんの『歌よみの眼』に教わった。

馬場さんによれば、かの紫式部も清少納言もかなりの碁好きだったらしい。

脈々たる歴史というべきか。

囲碁も将棋も、女流の伝統に咲く新たな大輪に期待が膨らむ。








この2人も冬には、氷雪と戯れる子ども時代を過ごしたのかと想像した。
スピードスケート500メートルで銀メダルを手にした長島圭一郎選手と、
銅の加藤条治選手である










平成22年2月17日の天声人語よりの引用

 どこの湖の冬だろう、彫刻家で詩人の高村光太郎に「氷上戯技」という短い詩がある。

〈さあ行こう、あの七里四方の氷の上へ/たたけばきいんと音のする/

あのガラス張りの空気を破って/隼(はやぶさ)よりもほそく研いだこの身を投げて/飛ぼう/すべろう〉

▼昔の少年たちの歓声が聞こえるようだ。

時代は違うが、この2人も冬には、氷雪と戯れる子ども時代を過ごしたのかと想像した。

スピードスケート500メートルで銀メダルを手にした長島圭一郎選手と、銅の加藤条治選手である


▼長島選手は雑草タイプらしい。

前回のトリノ五輪では惨敗して泣いた。

「力もないのに出て、打ちのめされた。

恥ずかしくて死にたくなった」と言う。

タイムより勝ち負けにこだわる哲学は、野天の真剣勝負師を思わせるものがある

▼加藤選手も前回、期待されたが6位に沈んだ。

その後車を買い、ナンバーを「3399」にした。

世界初の33秒台への決意というから、こちらは技を研ぎ澄ます求道の人か。

どちらも恥辱と屈辱をばねに、日本勢初のメダルをもぎとった

▼残念ながらフィギュアでは、ロシアに国籍を変えた川口悠子選手のペアが4位に終わった。

移り住んで8年、「ペアはロシア人の誇りなんです。

それが分かってきた」と言っていた。

だがスロージャンプで転んだ

▼〈獲物追ふ豹(ひょう)にも似たり女子フィギュア氷上リンクの轍(わだち)すさまじ〉。

朝日歌壇に載った渕上範子さんの作だ。

ペアとて同じ、そして銀盤の傷痕は栄光と悔恨の証人でもある。

3位と4位の間の非情な距離をあらためて思う。







冬のオリンピック大会は余り見ることはなかった。だが今回は珍しく見る機会が多い。

オリンピックを隔年ごとに開催すれば,夏冬と交互に開催すれば世界の国々が互いに親睦するようになり

争うことが少なくなるに違いない。その時に大いに愛国心をば高め応援すればよい。










野党転落で檜(ひのき)舞台の減った重鎮たちが、
テレビ中継される国会審議に活路を求め、
「質問させろ」とやる気満々なのだという










平成22年2月18日の天声人語よりの引用


「春秋」とは歳月のことを言い、転じて年齢をさす。

「春秋に富む」とは若くて将来が長い意味だが、昨今はご高齢に向けて使う誤用も多いそうだ。

それは皮肉かと、言われた方は面食らう。

齢(よわい)を重ねた人には「春秋高し」という言い方がある

▼その「高し」と「富む」が、自民党内でせめぎ合っているようだ。

野党転落で檜(ひのき)舞台の減った重鎮たちが、テレビ中継される国会審議に活路を求め、「質問させろ」とやる気満々なのだという。

いきおい若手のチャンスは減って、ぼやきの声が止まらない


▼5日と8日の衆院予算委の中継時には、質問者10人のうち6人が、派閥領袖(りょうしゅう)ら当選8回以上だった。

電波少年ならぬ電波高年というべきか。

「人気回復には世代交代が必要なのに、自分だけは別と思っている」と若手は手厳しい

▼たしか徳川夢声だったと記憶する。

芸について、「自分と同じぐらいのうまさと思ったときは相手の方が数段上」と言っていた。

自分を見る目は誰しも甘い。

年齢もしかり。


自分と同じ年格好に見える人は、実際には何歳か若い場合が多いそうだ

▼自民の重鎮には、「春秋高し」ではなく、まだまだ「春秋に富む」心意気の人が多いのだろう。

一概に悪いことではない。

重鎮という鍋ぶたを吹き飛ばす、若手の噴火力があればいいだけの話である

▼きのうは谷垣総裁が、中継付きの晴れ舞台、党首討論に挑んだ。

飛距離の出ないスキーのジャンプを見るようだった。

若手の目にはどう映っただろう。

野党第1党の生命力が萎(な)えてはいないかと、気にかかる。





野党経験のない自民党は政党として失格である。与党 野党経験して一人前の政党となる。








ありふれた無限連鎖も人の世にはある
「今どきの若い者は……」の嘆きである






平成22年2月19日の天声人語よりの引用


騙(だま)し絵で知られるオランダの画家エッシャーに「滝」という作品がある。

水路から落ちる水が水車を回して流れる。

流れを目で追っていくと、あれ? また同じ落ち口に戻っていく。

錯覚を巧みに使い、現実にはありえない無限連鎖を描いた傑作とされる

▼ありふれた無限連鎖も人の世にはある。

「今どきの若い者は……」の嘆きである。

かのソクラテスも若者に嘆息したそうだ。


言われた者がいつしか言う年齢になり、生きかわり死にかわり、有史以来のバトンリレーが続いてきた

▼かつて「太陽族」があり「みゆき族」があった。

五輪スノーボードの国母和宏選手の服装問題も、逸話の一つになろう。

だいぶ叩(たた)かれ、国会でも取りあげられた。

出場辞退がちらつき、本人は開会式参加を自粛した。

「バンクーバー五輪外伝」として記憶されるに違いない

▼多少の小言はわが胸にもある。

にも増して、ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、世の不寛容が気になった。

若いネット世代からの非難も目立ったと聞く。

どこかとげとげしい時代である

▼皮肉屋だった芥川龍之介に一言がある。

〈最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑(けいべつ)しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである〉。

だが、若い身空でその処世術にたけた人物が魅力的だとも思えない

▼「両親が見えた。

応援してくれるのでうれしかった」と臨んだ決勝ではふるわなかった。

8位は不本意だったろうが、次がある。

4年後に、「今の若い者は」と嘆くほど自身が老け込んでいないよう、願っている。






若さが大切なことがある。老人には革命は出来ないことが多い。

優秀な若者が育つことが大切である。

老人がのさばる社会は衰退するだけである。










春になると真っ先に球根の上の雪がとけ、
丸く小さく地面が見えた。
やがて美しい緑の芽が出る。









平成22年2月20日の天声人語よりの引用


氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話を、先ごろの小欄で書いた。

伝聞だったので「虚実はおいて」と断ったら、子ども時代を札幌で過ごしたという60代の女性から便りをいただいた

▼セピア色をした「りかのてすと」のカラーコピーが入っていた。

「ゆきはとけるとなにになる」の問いに「つちがでてはるになります」と鉛筆で書かれている。

残念ながらバツをもらい、全体の点数は85点。

お母さんが取り置いていたのを、遺品の中から見つけたそうだ

▼電話で話をお聞きした。

子ども時代、クロッカスなどの球根を庭に植えた。

春になると真っ先に球根の上の雪がとけ、丸く小さく地面が見えた。

やがて美しい緑の芽が出る。

その印象が答案になったのでしょう、と話しておられた

▼早春の風はまだ冷たいが、石垣りんの詩「二月のあかり」を思い出す。

〈二月には 土の中にあかりがともる。

……草の芽や 球根たちが出発する その用意をして上げるために 土の中でも お母さんが目をさましている〉

▼植物ばかりではない。

都内の井の頭自然文化園を訪ねたら、越冬中の昆虫を観察できる展示があった。

落ち葉の下や土の中に様々な命が息づいている。

「お母さん」が小さきものたちを起こして回る日も、遠くはない

▼テストで「春になる」と答えた人は他にもおられることだろう。

きのうは二十四節気の雨水だった。

水ぬるみ始めるころ。

もうひと辛抱、ふた辛抱で、幼い答えを正解とすべく、季節がめぐる。





氷が溶ければ水になるよりも春になるの回答する人たちが多い社会を願う。









年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた







平成22年2月21日の天声人語よりの引用


 子どもは宝探しが大好きだ。

繰り返し遊ぶうち、そこが庭なら庭を、森なら森を知ることになる。

小道を抜けたら杉木立、桜並木の裏手には小さな池というように

▼年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた。

1面にあるクイズの答えをその日の紙面から探し、「情報の森」に遊んでもらう試み、幸い好評と聞いた。

丸っこいのが跳んだり転げたりする姿に、横の当方も和んでいる

▼東京の「ひととき」欄で、埼玉県の主婦がドラえもんの効能に触れていた。

教室での態度が乱れ、学校から脳波検査を勧められた小学4年生の息子さんが、新聞を熱心にめくり始めたという。

「その横顔を見るたび、私の心にかすみ草ほどの小さな花が咲く。

大丈夫。この子は大丈夫……」

▼興味の対象を見つけた子を、祈るように見守る親心である。

多くの読者から、親子の会話が増えた、子どもが朝刊を取りに行くようになったと、うれしいお便りが届いている。

新聞が喜ばれ、併せて小さな読者を育むのなら言うことはない。

小欄も見習いたい

▼22世紀からやって来たドラえもんは、腹のポケットから色んな道具を取り出し、のび太を助ける。

ご近所のよしみで質問。

のぞけば文章が浮かんでくる「すぐ書けるーぺ」なんてものは……ないよねえ

▼ドラえもんのせりふに〈未来(みらい)なんて、ちょっとしたはずみでどんどん変(か)わるから〉がある。

作中では楽観を戒める言葉だが、何事もあまり悲観することはないとも取れる。

毎朝の問答で、一つでも多くの未来が輝きますように。







総務省の家計調査によると、
2009年の世帯当たりの消費支出は
2年続けて落ち込んだ








平成22年2月22日の天声人語よりの引用


 かぐや姫のヒット曲「赤ちょうちん」の一節にある。

〈雨がつづくと仕事もせずに/キャベツばかりをかじってた……〉。

喜多條忠(きたじょう・まこと)さんの詞は、若い二人のその日暮らしをうたう。

前作の「神田川」と同様、いわゆる四畳半フォークの香りが強い

▼曲中ではキャベツが貧しさを語るが、昨今、節約のシンボルは別の野菜らしい。

モヤシが家計と食卓を支えていると読める記事に、三十数年前の歌が浮かんだ次第である

▼総務省の家計調査によると、2009年の世帯当たりの消費支出は2年続けて落ち込んだ。

収入が減り、食費が切り詰められる中、モヤシへの出費は07年半ばからずっと前年同期を上回っている。

去年は1割を超す伸びだったという


▼確かにモヤシは、みずみずしい食感、豊かな栄養価とともに、安値安定が売り物だ。

とはいえ三食こればかりとはいかない。

野菜炒(いた)めのように、脇役で使われることが多い。

焼きそばあたりでは、増量の密命を帯びて縁の下にもぐるような役どころである

▼作家の椎名誠さんに、健康診断で痛風の恐れを言われ、モヤシ料理にはまる作品がある。

この野菜を愛(いと)おしむ「私」は考える。

〈野菜炒めだけでなく、モヤシが全体的にその実力のわりには軽んぜられた地位にあるのは「その安さ」ということも関係あるのではないか〉

▼その安さから軽くあしらわれ、その安さゆえに台所のピンチを救う。

脇役が活躍するドラマも悪くはないが、細身の色白がやけに頼もしく見える目下の悲喜劇。

政治という名の主役はどう眺めているのやら。






倹約して安さを求める風潮が続いている。







「長崎で討つ」となるとその意味は消え、
意外な場所や筋違いのことで恨みを晴らす例えとなる








平成22年2月23日の天声人語よりの引用


〈江戸の敵(かたき)を長崎で討つ〉の例えは、本来は「長崎が討つ」だという説がある。

江戸での見せ物興行で大阪の竹細工が大評判を呼び、地元勢は面目をつぶされる。

ところが長崎からのガラス細工がさらなる人気を博し、江戸の職人たちも留飲を下げた、との由来である

▼外国に開かれた長崎は先取の地でもあった。

「長崎で討つ」となるとその意味は消え、意外な場所や筋違いのことで恨みを晴らす例えとなる。

だが、これは筋違いどころか当然の報いではないか。

与党が敵を討たれた長崎知事選だ

▼すべての国会議員を民主党が占める長崎。

自民党系の圧勝は、現政権への不満でなくて何だろう。

ガラス細工の新しさが江戸っ子を驚かせたように、参院選に先がけて風が変わったと、民主党は肝に銘じるべきだ

▼本紙調査の内閣支持率は4割を切った。

「政治とカネ」の当事者が十分な説明を怠ったままなのに、党内から批判が聞こえてこない不思議に、無党派層の離反は加速する。

改革を見守りたい層の我慢も限界に近い。

むろん、審議拒否に出るようでは自民党の支持率も上向くまい

▼冒頭の「長崎が」説を付した小学館の「ことわざ大辞典」に、〈長崎の怖い雑魚〉という古語があった。

遠隔地の不案内と、イワシなどの「小合(こあい)雑魚」をかけた言い回しで、何ともいえぬ恐ろしいことの意味だという

▼自民はイヤ、民主もダメの政治不信

そのうち選挙も納税もばからしくなって、日本社会から活力がますます失われていく。

そんな展開こそ、いま一番の「怖い雑魚」である。






政治とカネが問題で権力者はカネから遠のくから益々に権力にしがみたくなっている。

権力とお金は切っても切れない間柄のようだ。

金儲けのために権力が与えられてはいない筈だ。国民のためになることに権力を使って欲しい。







ビートルズの解散から40年になる
メンバー個々の活動が目立ち始めたのは1968年だった







平成22年2月24日の天声人語よりの引用

 ビートルズの解散から40年になる。

メンバー個々の活動が目立ち始めたのは1968年だった。

別れを意識した4人は69年夏、有終の美を飾るべく最後のアルバム録音に臨む。

「アビーロード」だ

▼広報担当の著作によると、プロデューサーのジョージ・マーティンはこの傑作をこう評した。

「A面はジョン、B面はポールと僕が望むようになった」。

それは、ジョン・レノンに始まりポール・マッカートニーで終わった、とも語られるバンドの歴史に重なる

▼先ごろ、アルバムが制作されたロンドン北部のスタジオが売りに出ると報じられた。

ところが「売らないで」の声がわき起こり、所有者のEMIグループは売却を断念したと伝えられる

▼ビートルズの曲の9割がここで録音された。

4人が横断歩道を渡ってスタジオを去る有名なジャケット写真は、解散を暗示するものと話題になった。

周りにはファンの姿が絶えない観光地である。

資金難の会社は巨万のブランド価値に注目したが、「史跡」とあっては換金しづらい

▼希代の感性が生み出した自在の曲想は、この場で形を整え、人類が永久に楽しめる「音の世界遺産」になった。

4人の活動は実質7年。

彼らの才能、友情、不和のすべてを見届けて、スタジオはなおそこにある

▼ゆかりの地にも染みわたる伝説の重さ。

最後のシングルにどうにか間に合ったビートルズ世代の端くれとしても、感慨深い。

「どれだけ大切な資産なのか痛感した」という関係者の言を信じよう。

願わくはレット・イット・ビー、あるがままに。







ビートルズの人気は絶大だった。何故にあれだけの人気があったのか門外漢にとっては判らない。

エレキーギターをもって歌っている姿が印象的で良さはわからない。

ビートルズ を検索したら大変な量の解説が出てきた。



ビ−トルズ(動画)









バンクーバーの氷上に
冬季五輪の女子フィギュア
ショートプログラムで、
韓国の金妍児(キム・ヨナ)選手が首位、
浅田真央選手が2位につけた









平成22年2月25日の天声人語よりの引用


その結晶の麗姿から、雪には「六花(りっか)」の異称がある。

大気中のちりに水の分子がつき、六方に伸びてゆく。

ゆっくり成長した結晶ほど、大きく美しい形になるという。

バンクーバーの氷上に、4年待たされた二輪の花が並んで咲いた

▼冬季五輪の女子フィギュア。

ショートプログラムで、韓国の金妍児(キム・ヨナ)選手が首位、浅田真央選手が2位につけた。

ともに10代半ばから世界で争いながら、前回トリノは年齢制限などで出場できなかった。

以来、技と美を六方に伸ばし、初舞台でまみえる結晶二つである

▼先に滑った真央さんの曲は「仮面舞踏会」。

ポーズをとって、曲が始まる前に4回まばたいた。

仮面も緊張までは隠せない。

しかし、勝負のトリプルアクセルが成功すると、社交界にデビューする少女の生気が戻った

▼続いて登場した妍児さんは「007」。

少し背伸びをしてボンドガールになりきり、妖(あや)しく、なまめかしく舞い切った。

この競技、スポーツであり芸術であり、何よりショーなのだと得心した

▼二人は、誕生日が20日違うだけの19歳で、国際大会での成績は伯仲している。


両親と姉1人の家族構成も同じ、背格好までそっくりだ。

妍児さんは、真央さんのことを「もう一人の私」と表現してもいる

▼できすぎた背景と展開に彩られて、めったにないライバル物語がいよいよ佳境を迎える。

その結末は期待の真綿にくるまれ、あすのフリー演技へと大切に運ばれた。

フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動が二人を待つだろう。

だから、「4年に1度」はたまらない。






浅田真央選手の方が韓国の選手より上手に見えたのだが

残念ながら銀メダルに終わっている。

思い出すのは伊藤みどりがいた。ー以下はインタ−ネットよりの引用ー

浅田真央が銀メダルを獲得したバンクーバー五輪フィギュアスケート・女子フリーを放送したNHK総合「バンクーバーオリンピック」

(2月26日、後0・10〜2・25)の平均視聴率が、

関東地区で36・3%(関西地区33・9%)を記録したことが1日、ビデオリサーチの調べで分かった。

この数字は、98年の長野大会以降に放送された冬季五輪競技・式典の中で最高の記録。

瞬間最高も46・2%(関西46・3%)に達するなど、日本中が、真央ちゃんVSキム・ヨナの宿命の対決の行方に熱視線を注いだ。








以来半世紀、「TOYOTA」は信頼のブランドに育った
冠を両手で支えるようにして
豊田章男(とよだ・あきお)社長が
米議会の公聴会に出向いた







平成22年2月26日の天声人語よりの引用


日本の自動車史で初の純国産といえるのは、トヨタ自動車が1955(昭和30)年に出したクラウンだろう。

3年後には、左ハンドルにして米国に輸出された。

だが、パワー不足のうえ壊れやすいと不評を買い、退散の憂き目に遭う

▼以来半世紀、「TOYOTA」は信頼のブランドに育った。

その頭上に輝く「品質の王冠(クラウン)」が今、ずり落ちかけている。

冠を両手で支えるようにして、豊田章男(とよだ・あきお)社長が米議会の公聴会に出向いた。

トヨタ車の不具合をただす、自動車の国の「お白州」である


▼「すべてのトヨタ車に私の名がついている。

お客様に安心してほしい気持ちは誰よりも強いのです」。

眼鏡の奥の、少しおびえたようなまなざしは、誠実さゆえと受け止められただろうか

▼この国の自動車は日々の生活に欠かせぬ移動手段だ。

技術陣には言い分もあろうが、自らの「足」に裏切られた米国民の怒りは想像に難くない。

航空にせよ食品にせよ、客の命を預かる企業はつくづく怖いと思う。

品質に失望したユーザーらの言動は、この上ない逆宣伝となる

▼ホンダを興した本田宗一郎は、社名にわが名を冠したことを生涯悔やんだ。

片や豊田喜一郎は同族経営の米フォードに親近感を抱いていたという。

その孫の章男氏は、一つ間違えば世襲をとやかく言われるハンディを負う

▼公聴会は政治ショーのにおいが強いが、トヨタの振る舞いには日本ブランド全体の信用がかかっている。

社長以下、いく重もの緊張感を信頼回復のバネにしていくしかなかろう。

冠を頂く者の宿命である。






トヨタ社長の豊田氏がアメリカの公聴会に呼び出されるのは自民党政権だったら

なかったのではないかと思われるぐらいに政治的な度合いが強く感じた。

何らかの圧力として感ずる。ブレーキの故障と言われていたのも嘘だったことか明らかになって来ている。








冬季五輪の女子フィギュアで、
浅田真央選手が3回転半ジャンプを
すべて成功させて銀メダルに輝いた






平成22年2月27日の天声人語よりの引用


映画インディ・ジョーンズのシリーズに、暗黒の谷に架かる見えない橋を渡る場面がある。

〈勇気を示せ〉という指南に従い、神を信じ、己を信じ、主人公は虚空に大きく左足を踏み出す。

彼女も自分を信じ、左足で踏み切ったに違いない

▼冬季五輪の女子フィギュアで、浅田真央選手が3回転半ジャンプをすべて成功させて銀メダルに輝いた。

期待と注目度からして、勝っても負けても、国内的には「真央の五輪」になるとわかっていたバンクーバー。

重圧の下での健闘である


▼緊張によるこわばりを、ご本人はかつて「試合になると心に橋が現れる」と表現した。

高くて細い、透き通った橋。

そこから落ちるというより、足が宙に浮いて力が入らない感覚だという(宇都宮直子著『浅田真央、16歳』)

▼小学4年で5種の3回転を、中学2年で看板となる3回転半を跳んだ。

小枝のような体つきが少し大人びても、脇を締めて回転半径を抑え、この大技に挑み続ける。

猛練習で見えない橋に打ち勝ち、自己ベストの点数で極限の谷を渡り終えた

▼ただそこには、ひと足先に世界最高得点で渡りきった金妍児(キム・ヨナ)選手がいた。

頂点を目ざしてきた真央さんには悔しさもあろうが、相手が完璧(かんぺき)に演じたのだから仕方がない。

試練から逃げず、ライバル物語に花を添えた二人に拍手を送りたい

▼タラソワコーチは、真央さんのことを「神様からの贈り物」という。

逸材は、日本女性のたおやかさを存分に見せてくれた。

鮮烈、良質なドラマを残し、時差17時間の氷上にも春一番が吹き抜けた。




素晴らしい演技で百聞は一見にしかずである。

浅田真央(動画)








2月の紙上の人と言葉から






平成22年2月28日の天声人語よりの引用


北国のある地方では、立春のあと初めて雪を交えず雨だけが降る日を「雨一番」と呼ぶそうだ。

足踏みして春を待つ、2月の紙上の人と言葉から

▼「遠野物語」発刊から100年の岩手県遠野市。

名所のカッパ淵で、運萬(うんまん)治男さん(61)はカッパの「守り人」を任じる。

遠野の人は実際の出来事にカッパをからませて暮らしを伝えてきた。

「カッパはいるとかいないとかいうもんでなくて、一人ひとりの気持ちの中で会うもんなの」

▼秋田県では、国の重要無形民俗文化財のナマハゲが近年おとなしくなった。

荒々しさが消え草食系の新世代が目立つそうだ。

民俗学が専門の東北芸術工科大学の赤坂憲雄・大学院長(56)は「現代人は祭りのパワーを上手に使いこなす知恵を失いつつある」と案じる

▼「ゲド戦記」の翻訳で知られる児童文学の清水真砂子さん(68)が青山学院女子短大を去る。

最終講義で「すぐれた子どもの文学は、苦しくても生きてごらん、大丈夫と背中を押してくれる。

みなさんもそんな一人に」

▼本紙俳壇の選者金子兜太(とうた)さん(90)が毎日芸術賞の特別賞を受けた。

贈呈式の挨拶(あいさつ)で「講評にある句〈男根は落鮎(おちあゆ)のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります」。

「私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。

そのことを申し添えたい」に会場は大笑いとなった。

九十翁の悠々たる貫禄(かんろく)である

▼その金子さんが先ごろの本紙俳壇で選んだ一席に、足立威宏さんの〈里芋といふ極上の土食らふ〉。

生かされてある実感は尊い。

芋ばかりでなく人も味わいを増す。




京都伏見深草の町と十六師団司令部



深草の町で生まれ,育っている。生まれた時には町内には十六師団司令部があった。家二階の裏からは練兵場がよく見えた。

飛行機が一度降りてくるのをみている。多分不時着した飛行機かもしれない。

師団司令部を中心に騎兵隊 野砲隊 歩兵隊などが点在していた。

京阪電車の停留場は師団前で,街道は師団街道と言われていた。

軍人湯と言う銭湯があり戦後の焚火がない時期は其処の銭湯に入りに通ったものである。

宇治に兵器庫があり現在も唯一自衛隊が駐屯している。

木幡神社を調べるためにその自衛隊に訪問したことがある。

自衛隊の中は見学できないかと思っていたが,守衛の所で名前と住所と目的を書いて入らせてもらった。

中は外から見ていると狭いようだが,かなり広い所なので少し驚いた。

自衛隊の方か゛挨拶の変わりに敬礼されたのには驚いた。

帰りにも敬礼され,敬礼されることは気分が悪くなく,なんとなく偉くなった気持ちが湧いてくる。

こちらはお辞儀して挨拶するだけである。

テレビでよく見る閲兵の時の風景で大勢の兵隊が敬礼しながら行進している風景をよく見るが

敬礼は病み付きになり良い気分になって,変わった気持ちになるものだと初めて思った。

歴史の資料が集められている資料館があって見学させてもらった。

資料館のなかに陳列してある軍隊の資料の中で石原莞爾が師団司令部の長官として在任していたことであった。

子供の頃,各部隊で部隊祭りがありその日は一般人も入れて,内部を見学した事がある。

野砲隊と騎兵隊の部隊祭りに入場している。

その一日が楽しい思い出となった。相撲大会 劇なども催されていたように記憶している。

同じく現在の国立医療センタ−(国立病院)が軍隊の付属病院だった頃のことも覚えている。

それはクラスの先生に引率され兵隊さんの慰問で訪問したときである。病棟の入り口の所と,出口の所に寝たきりの兵士がおられ

その所を素通りして軽症のベットに座っている兵隊さん達に慰問の花束を渡し帰った覚えがある。

戦後のこと,野砲隊の部隊長だった人が自分の家の離れに住まわれていたことがあり,将棋したり色々と戦時中の話を聞いたことがある。

大変に優しい方で,自分が「仏の部隊長」だと新聞報道されて,生きている間から殺されたと笑って話されていたのが記憶に残っている。

戦争で手足を負傷されていて病院にかよっておられた。後に肝臓病で亡くなった話を聞いている。

戦中の血管造影剤が「トロトラスト」という造影剤で,医師になってからトロトラストで肝臓癌になった人を診ているので,

お酒を良く飲んだと言われているが,多分トロトラストによる肝臓癌で亡くなったと推察する。

今から考えると50歳か60歳位ではなかったかと思う。

明治時代に深草に軍隊が出来る際に深草の住民達が反対運動を起していたようだったが,:結局軍隊の町と化している。

以下インターネットよりの引用-

第16師団 (日本軍)
1905年明治38年)7月18日
1945年昭和20年)
大日本帝国
大日本帝国陸軍
師団
歩兵
約25,000名
京都-満州-華北-華中-フィリピン
京都
京都師管区
第35軍
フィリピン レイテ島
日露-日中-太平洋戦争-レイテ島の戦い

1905年(明治38年)7月18日に京都で編成された大日本帝国陸軍師団である。

日露戦争で日本は従来の師団総てを動員した為、本土駐留師団がなくなる事態となった。

そこで第16師団を含む4個師団が創設された。

第16師団の他、1905年(明治38年)4月1日に第13師団第15師団が、同年7月6日に第14師団が創設された。

日露戦争

第16師団は、1905年(明治38年)7月18日に編成され直ちに満州に派遣されたが、

戦闘は概ね終結しており9月5日には講和条約(ポーツマス条約)が締結された為、戦闘には加わっていない。

日露戦争後1919年(大正8年)から師団は満州駐剳を命ぜられた。その後一旦帰国するが、

1929年(昭和4年)と1934年(昭和9年)にも満州駐剳任務に就いた。

日中戦争

1937年(昭和12年)7月に日中戦争が勃発すると、師団は西尾寿造中将司令官第2軍戦闘序列に編入され華北戦線に投入、

同年11月上海派遣軍隷下上海戦線に転じ南京攻略戦に参戦した。

1938年(昭和13年)1月から北支那方面軍隷下徐州会戦に参戦し、同年7月再び第2軍隷下となり武漢攻略戦に参戦、12月には第11軍に編入された。

翌1939年(昭和14年)8月に復員する。

この時豊橋の歩兵第38連隊が新設の第29師団に編入されることになり、第16師団は三単位制師団に改編された。

また、それまでは第16師団は京都衛戍地とする常設師団であったが、

1940年(昭和15年)7月に師団の衛戍地が満州となり、永久駐屯することが決まった。

太平洋戦争

太平洋戦争では1941年(昭和16年)11月6日に第14軍戦闘序列に編入され、緒戦のフィリピン攻略に参戦し、マニラ陥落後フィリピンに駐屯した。

1944年(昭和19年)8月からは第35軍隷下となりレイテ島に移駐した。この年の10月20日に連合国軍がレイテ島に上陸し、

大本営レイテ島での決戦を予定したが第16師団は壊滅した。

当初13,000名で臨んだレイテ決戦も生還者は僅か620名で、3人の連隊長が戦死しており、

牧野四郎師団長も1945年(昭和20年)8月10日自決した。

歴代師団長

最終司令部構成

最終所属部隊

遺構等

師団司令部ならびに一部の隷下部隊・施設は京都市伏見区内に設置されていた。

1908年(明治41年)に完成した第16師団司令部庁舎は後に学校法人聖母女学院が法人本部として利用、師団練兵場龍谷大学が利用する。

騎兵隊は深草中学校 歩兵隊は京都教育大学 練兵上の大部分は宅地化されている。

また京阪電鉄藤森駅は開業当初師団前という名称であった(1941年(昭和16年)に現名称に改称)。

この藤森駅付近の師団街道という道路や、琵琶湖疏水に架かる師団橋という橋梁も第16師団の設置に伴い整備されたものである。


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