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三月になって




3月は寒さが緩む季節でもある。3月の下旬頃より桜も咲き始め3月25日頃から月末にかけ桜が満開になると

予想されていたが,寒さが戻って来て,四月になってから満開となった。

奈良の早春の風物詩である二月堂のお水取り行事が行われ,「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、

8世紀から連綿と継続されている。

新暦の3月1日から14日まで行われている。

法要は練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる、選ばれた11名の僧が執りおこなうこととなっている。

松明をかざし二月堂をを駆け巡るその松明の火の粉をかぶると災厄からまぐられるとして

善男善女達がその火の粉を浴びようとして集まる。

  東大寺二月堂お水取り松明(動画)

お彼岸の頃には寒さもとうざかり,春の兆しを感ずるようになる。

暑さ寒さも彼岸までである。

自民党から政権党民主党への支持は,どの団体も同じで移行しつつある。

政策実現にはやはり政権党を通さないと実現することは困難と考えてのこだろう。

政権党からの松明の粉をかぶり,災難から守り,ご利益を得ようとする行為は二月堂の行事と同じことのようである。

叉その為の寄付・献金が横行するのは自民党時代と全く変わらない。

このことは政治刷新に対し,全く反する行為である。

寄付・献金は政治の腐敗即ち悪の温床となって来た。

これは是非とも断ち切ってほしいものである。民主党政権は寄付献金の禁止をしようとしているが,

民主党内からも反対者が出たりして進もうとしていない。

お金がないと当選できないような人たちが反対しているのか,その利益を享受している人たちには死活問題になるが,

絶対に,政界浄化の為に断行して欲しいことである。

人々のため身を捨て,尽くしても良いと考える位の人たちだけが,議員になってほしいものだ。

お金目的とする議員を無くすことが良い政治を行う為の大前提である。

世界のため 社会のため,全体の人々の為に尽くすのが議員の当然の職務である。

少なくとも民主党政権は衆議院が途中で解散されない限り4年間は必ず続くことは確実である。

沖縄基地問題は遅々として進んて゛いない。

jマスコミも含め国民や議員達が,何故世界中に展開しているアメリカ軍の一部として,沖縄基地問題を認識していないのが不思議だ。

「世界のアメリカ軍」でインタ−ネットで検索してみると

世界をおおうアメリカ軍基地

アメリカ軍

以上が順番に見つかり,その他にも沢山の情報がある。

こういった情報公開の面では,日本は進んでいる。世界の情報が瞬時に世界を駆け巡るインタ−ネットの時代は有り難い。

日本が鎖国的な社会ではないことに,感謝している。

情報のオカゲで価値観も多様化し,政府の隠された情報も今回の政権交代で゛明らかになった。

もっと隠された情報があるのかと,疑いたくなっている。

事業仕分けの第二段が始まろうとしているが,今までの官僚の天下りでの利益取得,税金の無駄使いを徹底的に洗い直し

暴いて国民の前にさらして欲しいものである。

日本国民はそれを強く望んでいるに違いない。

色んな隠された自民党時代の政官癒着の実態を全て明らかにしてほしいものである。

基地問題はアメリカとの交渉になるが自民党時代の友好関係を重んじたような形でもって,アメリカに隷属,屈して欲しくはない。

基地を持つところは大変な負担が伴う。

現在の基地問題は沖縄と政府の関係だけがクローズアップして論じられている。

だが何処も日本の国民が基地は要らないというのならば,それを全面的に公にすれば,国民もよく理解し政府の方針を支持すると思う。

核戦争に至れば世界は滅亡するだけである。

地球上に生物が生きることが出来ないことは広島 長崎原爆投下でもって立証されている。

第二次大戦のあの戦争を見ていれば,,戦争になれば,とことんどんな手段をも選ばずして戦争時の国際条約をは゛無視しでも

戦い続けたことが判っている。

最後は戦勝国の一方的な裁判でもって戦争犯罪者として罰せられたことも明らかである。戦争犯罪はアメリカ側にも多くあった

第三次大戦となれば勝者のない戦争になることは明らかだ。

地球に生物が生存することが出来ないくらい破壊と放射能でもって地球は滅亡する。

現在の世界はアメリカ一国支配であることは,誰が見ても明らかである。日本国民もそのことはよく認識している。

基地問題は「沖縄基地と日本政府との関係」いった問題では解決できないことである。

世界に展開しているアメリカ軍とその世界情勢にある。

自民党時代のような中国と全く没交渉で,対アメリカだけに追従するだけに終始した小泉内閣のようなことでは,

何時まで経っても日本はアメリカの属国であって,戦争になれば日本がアメリカの前線基地になるだけである。

常識的な世論を背にし,基地問題でアメリカと交渉にあたれば,如何にアメリカが無理難題を日本に押し付けているかが

浮き彫りとなる筈だ。

これは日本一国の問題だけではなく,アメリカとの戦いで敗戦国となった国々に背負わされた宿命である。

このように世界全体が理解するようになって,それによりアメリカの良心がその解決に援助してくれるものと信じたい。

あらゆる情報を解析して理解するには,大変な時間と労力が必要と思う。

このことを,よくわきまえて,沖縄基地問題を解決をしていって欲しいものである。

沖縄米軍基地問題


世界中にばら撒かれているアメリカ軍の矛盾は日米同盟の深化といった綺麗ごとだけ決してですまされない。

アメリカの世界侵略の一翼を,沖縄の基地に駐在しているアメリカ軍が担っていることは明らかである。

何故アメリカに対し思いやり予算を提供している意味が判らず,i日本国民を愚弄するようなことが敗戦後ずーと続けられていることである。

自民党政権が続いていた時代にはそのことはあまりいわれなかったことだ。

沖縄基地提供は戦後の天皇とアメリカ軍との間の約束事とも聞くが,本当かどうか全く確証はない。

ありそうなことである。

これからの天皇の有り方も根本的に検討すべきことでもある。

天皇はこれからもず-と真の象徴天皇に徹して欲しいものである。

戦時中は天皇中心に国全体の方針がきまっていたので,天皇との約束事は敗戦直後ではありえた話かも知れない。

終戦の詔勅(動画)


さとうびき畑(動画)


アメリカから見た沖縄戦(動画)


世界最強の天皇陛下(動画)


アメリカ軍が多く世界に展開しているのは主に多いのは第二次大戦で負けた国々であることは

世界をおおうアメリカ軍基地}及び「アメリカ軍 を見ても明らかである。

沖縄基地はアメリカの植民地としての象徴である。日本も半植民地状態にあり,民主党政権になって脱却しようと努力されているが

まだまだ未知数のことであろう。

アメリカ軍が日本を守っているのか監視しているのか全世界のアメリカ軍の状態を見れば明らかだである。

現在のオバマ政権に大いに期待したい所である。オバマ大統領はアメリカの良心の象徴のような存在の人物だと思っている。

だからそれによりノ−ベル平和賞が授与されたのも,その為と考えられる。

戦争のない世界を目指すならばこのような是非アメリカの動きを是正してもらう必要がある。

政府が推進しようとしている東南アジア共同体が,UAのようになれば戦争は東南アジアで起きることがない。

是非平和につながる所のUAに続いて,東南アジアの共同体構想の形成を強力に推進して欲しいことである。

しかし現在は東南アジアに共同体構想は最近あまり新聞では見られなくなってきている。

UAのような共通通貨などを使うようになって隣国同志が仲良くなれば外国基地は日本にも必然的にいらなくなる。

民主党政権で是非東南アジア共同体構想を積極的に推進して欲しい。

民主党の二回目の事業しわけが始まり,それに民主党の新人党員が活躍しているテレビ映像の姿は好ましいことだが,

民主党小沢氏の独断的な手法は以前の自民党の姿を彷彿とさせ,なんとかならないものかと思えてくる。

政治家への献金・寄付は全て法律で禁止すべきことである。このことが政界浄化への第一歩となる。

自民党を沈みゆくドロ舟と見た自民党議員達が次から次へと自民党から離れゆく姿はとても哀れである。

権力とはこんなにも人々をひきつけるものかと感慨深い。

権力が自民党だけに固定化していた時代より, 流動化する方が日本にとって,一歩一歩民主的な世界に近ずいてゆくものと考える。










大切な人を亡くした深い悲嘆と
それを乗り越えていく体験を小社が募集したら
5056編が寄せられた







平成22年3月1日の天声人語よりの引用


ポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカの詩集『終わりと始まり』から一節を引く。

〈またやって来たからといって/春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない〉

▼そして続く。

〈わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑の萌(も)えるのが止まったりはしないと……〉。

訳者の沼野充義さんによれば、夫の死を悼んだ詩だという。

自然は色をかえすのに人は戻らない。

命あふれる春にこそ、悲しみは募るのだろうか

▼大切な人を亡くした深い悲嘆と、それを乗り越えていく体験を小社が募集したら、5056編が寄せられた。

審査の下読みに加わって何編かを拝読した。

ともに生きた日々への感謝がある。

悔やみきれない思いも残る。

上手も下手もこえて、幾度も読み返させられた

▼うち153編を収めた『千の風になったあなたへ贈る手紙』(朝日文庫)が近く発売になる。

「息子よ。私も、お父さんも泣くまいと思ったのです。

悲しんだら、あなたは、親不孝者になってしまうから」と59歳の母は語りかける


▼「葬儀から帰って洗面所を覗(のぞ)くと、今はもう主の居ない化粧水の壜(びん)が空(むな)しく並んでいました。

『さよなら』と言いながら全部を流しました。

コポコポと泣いていました」。

だが79歳の夫は再び前を向いて歩き出す。

亡き妻への手紙は「もう大丈夫」と締めくくられている

▼悲しみの荒野にも緑の芽は吹く。

春を喜べる日がきっと来る。


空を渡る風の励ましが、胸に染みるような一冊である。




大勢の大切な人が死ぬような戦争は絶対にしてはならないし,

世界への平和に貢献する日本でありたい。

大切な健康な人たちを大勢死んでで行くのが戦争である。








再びチリで起きた大地震で、三陸海岸などに大津波警報が出た
その名も恐ろしげな警報は17年ぶりだという







平成22年3月2日の天声人語よりの引用


たび重なるつらい経験から、三陸地方には「地震=津波」の教えが染みついているという。

だが、50年前のチリ津波は勝手が違った。

前触れとなる揺れがなかったこと、むくむくと高潮のように寄せてきたことだ

▼未明に津波を目撃した漁師は「海が膨れ上がって、のっこ、のっことやって来た」と語っている(吉村昭著『海の壁』)。

近海で発生した過去の津波が一気に突進してきたのと違い、引いては寄せる周期が長かった。

干上がった海底で魚を取る子など、間一髪の話が残っている。

「のっこ、のっこ」の怖さだろう

再びチリで起きた大地震で、三陸海岸などに大津波警報が出た。

その名も恐ろしげな警報は17年ぶりだという。

太平洋に沿った鉄道は止まり、全国で150万人が避難を促された

▼NHKは当然としても、東京マラソンの中継、アニメ、CMまでが、警報を伝える列島の地図入りで放送された。

防災大国の入念な態勢は、幾多の犠牲と引き換えに築き上げたものだ。

気象庁は「過大な予測」をわびたが、逆に間違えるより余程いい

▼津波は飛行機の速さで太平洋を渡ってきた。

海を介して、どの国もつながっていると実感する。

天災に国境はない。

人間社会のはるか前からグローバルなのだ。

だからこそ、「対岸の遠き隣国」に急いで救援の手を差し伸べたい

▼防災とは、まだ見ぬ破局に備えることをいう。

地球はいま、天変地異ばかりでなく、ともに挑むべき緩慢な危機に満ちている。

温暖化、海洋の汚染、資源の枯渇。

厄介な「のっこ、のっこ」である。




チリでの津波が日本にも押し寄せてきている

幸い日本には被害がなくて幸いであった。

自然の災害には人類はまだまだ克服されていないし,人災にもまだまだの状態である。









ただ、五輪が国威発揚の場になっては、
最高レベルの肉体の競演に水を差す
オリンピックは国家間ではなく、選手間の競争だ








平成22年3月3日の天声人語よりの引用


雪と氷が舞台ゆえに、札幌も長野も、冬季五輪の記憶は決まって白地によみがえる。

浅田真央、上村愛子、小平奈緒、チーム青森……。

女子ばかりで恐縮だが、

選手団の帰国を節目に、バンクーバーの興奮も白い紙に包んで胸に納めよう

▼金メダルなしの戦績には、それぞれ思いがあろう。

橋本聖子選手団長は「国の支え」を訴えた。

選手たちにも「国家事業として五輪に臨むという姿勢を再確認してほしい」と伝えたそうだ

▼「銅を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。

東京都知事の石原慎太郎さんは、ご本人言うところの惨敗にあきれ、「国家の心意気」を求める。

「国家という重いものを背負わない人間が、いい成績を出せるわけがない」と

▼国を挙げての育成や強化はいい。

ただ、五輪が国威発揚の場になっては、最高レベルの肉体の競演に水を差す。

日の丸に燃えても、背負って押しつぶされては元も子もなかろう。

ほどほどに国を意識する、しなやかな精神がほしい

▼ロシア代表としてフィギュアのペアに出た川口悠子さんは、日本国籍を捨ててまで夢を追った。

「日本のためとか、ロシアのためではなく、自分が好きだから滑っています」と話すのをテレビで見て、爽快(そうかい)だった

▼真央さんは「金妍児(キム・ヨナ)選手には現役を続けてほしい。

やはり一緒に試合に出て、しっかりと勝ちたい」と語る。

私たちが心に刻むのは、個々の選手の笑顔や涙、正直な言葉である。

オリンピックは国家間ではなく、選手間の競争だ。

日の丸は、白い思い出に透けて見えるくらいがいい。





オリンピックでは大いに愛国心を発揮すればよい。

でもオリンピック以外で゜はあまり「君が代」とか国旗に敬意を表すことに対し

法律で規定して縛るようなことはすべきではない。これは戦争への道につながる。










先の衆院選で民主党候補に違法な資金を出していたとして、
札幌地検に逮捕された。
さらされたのは、金も人も労組丸抱えという昔ながらの実態だ
片や小沢幹事長の資金問題は自民党の臭(にお)いが強い







平成22年3月4日の天声人語よりの引用


カクテルは酒や果汁を混ぜて作るが、中には混ぜるべからずの変わり種もある。

リキュールなどを比重の大きい順にそっとグラスに注ぎ、色違いの層を重ねる「プースカフェ」だ。

好みの層をストローで飲む、いわば胃の中で完結する一品である

▼これを、上からしか見えない湯飲みでこしらえたらどうだろう。

今の民主党である。

外見は最近つぎ足された「オザワ」なる強い酒一色。

そこに、そういえば下のほうに「旧社会党」という古酒があったっけ、と思い出させる事件が起きた

▼北海道教職員組合の幹部らが、先の衆院選で民主党候補に違法な資金を出していたとして、札幌地検に逮捕された。

さらされたのは、金も人も労組丸抱えという昔ながらの実態だ

▼片や小沢幹事長の資金問題は自民党の臭(にお)いが強い。

何のことはない。

55年体制は政権党の中で生きていた。

「○○党的なもの」が半端に混ざり、しかも互いの旧弊を競っているかにさえ見える。

有権者は、正体不明の液体を一口で飲めと言われているようなものだろう

▼今週号の週刊朝日で、識者が「民主党バブルの崩壊」を論じている。

東大教授の御厨(みくりや)貴(たかし)さんは「民主党に期待していた票が引きこもり、

参院選の投票率は大きく下がるかもしれない」と、変化を望んだ国民の白けを案じる

▼カクテル専門書によると、作り損ねたプースカフェほどみじめな飲み物はない。

腹に収まれば同じと言われようが、怪しげな酒を前に飲んべえだって引きこもるしかない。

このまま選挙のカウンターに出しては客に失礼である。





政権党のお金のスキャンダルは絶えない。

現在の所は以前の自民党までに至っていないが.

抜本的対策をも新しく打たなければカネまみれになるのは時間の問題だ。









景気の巡り合わせ、
親の収入といった本人の力が及ばぬところで
未来が狭まりかねない








平成22年3月5日の天声人語よりの引用


川崎洋さんの詩に「夏の海」がある。

大自然との会話を子どもたちに説きながら、こう結ばれる。

〈それから/あの星とこっちの星とむこうの星と/勝手に結んで/きみだけの星座をつくるといい〉。

どうにでもなる未来。

それこそ、10代までの特権だろう

▼それがどうも怪しい。

就職という大人への入り口でひとたびつまずくと、起き上がりにくい社会になってきた。

それも、景気の巡り合わせ、親の収入といった本人の力が及ばぬところで、未来が狭まりかねない

▼大卒ばかりか、高校卒業予定者の就職内定率が芳しくない。


昨年末で75%、沖縄や北海道では5割前後だった。

とりわけ、家計の事情で大学や専門学校への進学をあきらめた未内定者は、背水の陣を破られた思いだろう

▼授業料を払えない生徒も増えている。

滞納ゆえに卒業できなければ就職どころではない。

職探しの厳しさとあわせ、卒業クライシス(危機)と呼ぶそうだ。

働く貧困層へと続く道である。

彼らが10年後に「貧乏な親」になれば、貧困が再生産される

▼自分を磨く時間が4年ある大学生と違い、原石にすぎない18歳にまで新卒での一発勝負を強いるのは酷ではないか。

10代で先が見えてしまう国に、輝く未来があろうはずもない。

国や自治体の音頭で敗者復活の仕組みがほしい

▼むろん、一度や二度の失敗でふさぎ込むことはない。

人生の残り時間が長いのは、それだけで大きな財産だ。

くじけそうになったら、若さという星から夢という星に、まっすぐ、太い線を引き直そう。

何度も、何度でも。





親の力でもって子供達の運命が決められてしまうことには納得行かない。

現在は士農工商ののような階級社会ではないはずだ。

親が貧乏でも子供に能力ある人には援助する制度は良いことである。

厳しい経済状態ではいっそうに必要性が生じてきて苦労をしった立派な人達が輩出するように

政治が動かねばならない。良い社会になるにはそのような人たちの力を必要としている。










自然界などで、ささいな変化が重大な結果をもたらすことを
「バタフライ効果」という
チョウの羽ばたきによる空気の震えが、
巡り巡って地球の反対側で気象異変を引き起こす、
との例えらしい








平成22年3月6日の天声人語よりの引用


自然界などで、ささいな変化が重大な結果をもたらすことを「バタフライ効果」という。

チョウの羽ばたきによる空気の震えが、巡り巡って地球の反対側で気象異変を引き起こす、との例えらしい


▼嵐を呼ぶかどうかはさておき、チョウが飛ぶ様はどこか神秘的だ。

昔は霊魂と結びつけて語られた。

風に任せているようで、時に意思のようなものがのぞく。

捕まりそうで、捕まらない。

〈めちやくちやに手をふり蝶(ちょう)にふれんとす〉山口青邨(せいそん)

▼「チョウ小型センサー」と題する記事を読んだ。

東京大学の研究チームが、チョウの羽に検出器をつけて飛翔(ひしょう)の仕組みを調べているそうだ。

センサーは1ミリ四方。

シリコンの薄板のたわみで、羽にかかる空気の圧力を測る

▼クロアゲハで実験したところ、飛び上がる時には通常の飛翔の倍の力がかかっていた。

センサーの重さはチョウの0.15%というから、人ならミカンを持ち歩く感覚だろうか。

トンボでも試し、虫が飛ぶ様子を解明したいという

▼俳句の世界では、出が遅い大型のアゲハは「夏の蝶」とするそうだ。

単に「蝶」といえば、これからの季題である。

モンシロチョウは菜の花やキャベツ畑の上を、ポカポカと弾むように漂う。

〈初蝶の触れゆく先の草青む〉野澤節子

▼チョウの古名は「かわひらこ」とか。

楽しげに舞う姿を目に浮かべれば、その語感にひざを打つ。

この虫が呼ぶべきは、やはり嵐より春である。

きょうは、冬ごもりの生き物がはい出るとされる啓蟄(けいちつ)だ。

行きつ戻りつ、ひと雨ごとに季節のページがめくられる。



「因果の法則」からするならばありえる話である。

自然界だけでなくて社会現象にもいえる話であって,

社会の啓蟄(けいちつは何時になるのだろうか。









子どもを連れた母親が危険に直面したときにとる姿勢は、
日本と米国で異なるらしい
危険からわが子を守るどころか、
自らが鬼畜となって子を死なせる虐待が、
この国で後を絶たない








平成22年3月7日の天声人語よりの引用


子どもを連れた母親が危険に直面したときにとる姿勢は、日本と米国で異なるらしい。

日本のお母さんはたいてい、わが子を抱きしめてうずくまる防御姿勢をとるのだという

▼これに対し、アメリカの母親は、まず子どもを後ろにはねのけ、敵に直面して、両手を広げ仁王立ちになるそうだ。


歴史学者だった会田雄次の著作を引いた『ことばの四季報』(稲垣吉彦)から孫引きさせてもらった。

民族、文化的背景の考察はおいて、どちらの姿も、本能ともいえる親の愛の表れに違いはあるまい

▼危険からわが子を守るどころか、自らが鬼畜となって子を死なせる虐待が、この国で後を絶たない。

「死なせる」と書いたが、実情を聞けば「殺す」にも等しい。


奈良の智樹くんは、食べさせてもらえず、5歳なのに体重は6キロしかなかった

▼4歳で死亡した埼玉の力人くんは、「お水をください」と哀願する声を近所の人が聞いていた。

肉体の苦痛はむろん、恐怖と絶望はいかばかりだったか。

短い命が不憫(ふびん)でならない

▼俳優の加藤剛さんの随筆を読んでいたら、幼いわが子を肩車する場面があった。

父の額をしっかり押さえる小さな手を「若木の枝で編んだ桂冠(けいかん)」にたとえている。

栄誉の冠を戴(いただ)いて、父親たる加藤さんは「凱旋(がいせん)将軍のごとく」歩を進めるのである

▼愛された記憶が、愛するという資質を耕す。

親から子への豊かな申し送りがいま、揺らいでいるようにも思われる。

虐待という危機には、地域と社会が両手を広げて仁王立ちになりたい。

命が奪われてからでは総(すべ)てが遅い。





一部の現象を全体にはめることは危険である。日本のお母さんはたいてい、わが子を抱きしめてうずくまる防御姿勢をとるのだという

これに対し、アメリカの母親は、まず子どもを後ろにはねのけ、敵に直面して、両手を広げ仁王立ちになるそうだ。


これは昔も今も変わってはいないと思う。全てに当てはめることになってはいない。

親はそんなに無情とはおもわない。

逆にかえって年老いた母親をば捨てる現象が戦後の日本で社会の欧米化につれ起き日本の社会問題化してきている。










壁のすき間から煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は
暮鳥の詩とどこか響きあう。
一幅の絵を見るような名品である
「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ








平成22年3月8日の天声人語よりの引用

 四季折々の詩を残したが、山村暮鳥といえば「春の詩人」だろう。

のどかな牧歌を思わせるその詩群に「郊外小景」という一編がある。

遠くに見える山なみは雪で白い。

だが、よく見ると、山かげから一すじの煙が立っている

▼〈おや、あんなところにも/自分達(たち)とおなじような/人間がすんでいるのだろうか/

それなら/あの煙のしたには/鶏もないているだろう/子どももあそんでいるだろう……〉。

煙の立つところ、人の営みがある。

いまは「何軒」と呼ぶ家の数を、昔は「何煙」と数えたこともあったと、民俗学の柳田国男が書いている

▼「くべる」という言葉が死語になりつつあると先ごろ書いたら、多くの便りを頂戴(ちょうだい)した。

かつて火を焚(た)くことは身近だった。

深い郷愁を年配の方々はお持ちのようだ

▼勤めから帰った遅い風呂は、いつも母親が薪をくべてくれたと懐かしむ人もいた。

松飾りを庭でくべて「小さな小さなどんど焼き」を毎年します、という文面もあった。

ガスの青い炎にはないぬくもりを、くべるという行為は包んでいるらしい

▼蕪村の〈春雨や人住みて煙壁を洩(も)る〉を思い出す。

つましい山家で柴(しば)をくべている。

壁のすき間から煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は、暮鳥の詩とどこか響きあう。

一幅の絵を見るような名品である

▼「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ。

人が生きるための技術でもある。

便りには、マッチを擦ったことのない若者がいて驚いたというのもあった。

何かの折に困りはしないだろうか。

老婆心がふと頭をよぎる。





「おくと゛」さんを見たことのない人たちには「くべる」こともないのかもしれない。

煙は地球温暖化の原因として嫌われている。

使い捨てライターの悲劇が数多く報道されている。









大宇宙に思いをはせれば、
心技体も知も及ばぬ偶然に生かされていると感じ入る
恐竜の全盛に終止符を打ったのは、
ただ一つの小惑星だった

6550万年前、直径10キロ以上の小惑星が
今のメキシコ東部に超高速でぶつかったらしい








平成22年3月9日の天声人語よりの引用

冬季五輪のテレビ解説に引き込まれて、カーリングという競技の楽しさを教わった。

ストーンを投じるたびに形勢が動き、打つべき手が変わる。

赤い石の優勢を黄色の一投が覆し、黄の支配を赤の一撃が崩す面白さ

▼ミリ単位の偶然が勝敗を分けもする。

豪快にして繊細、心技体に加えて知が欠かせない。

「一石を投じる」というが、氷上のチェスでは、一石が水面どころか状況を一変させる

▼一つの石が、惑星の未来を変えることもある。

恐竜を絶滅させたとされる小惑星の衝突について、12カ国の共同研究チームが「間違いなし」と結論づけた。

各地の地層を詳しく調べた結果だ。

6550万年前、直径10キロ以上の小惑星が今のメキシコ東部に超高速でぶつかったらしい

▼直径200キロほどの衝突跡が確認されている。

衝突でマグニチュード11の大地震、高さ300メートルの津波が起きたという。

数字はどれも想像を絶する。

大気中に飛び散った粉じんが太陽光を遮り、寒さと食料不足で多くの動植物が絶えた。

巨体ほどもろかった

▼小さな動物はこの試練を生き延び、やがて、進化の枝先から転げ出た人類がこの星の支配者となる。

小惑星が地球をそれ、恐竜が健在だったらと考えてみる。

ヤリと弓矢のご先祖様は天下を取れたろうか

▼大宇宙に思いをはせれば、心技体も知も及ばぬ偶然に生かされていると感じ入る。

恐竜の全盛に終止符を打ったのは、ただ一つの小惑星だった。

つい、おごれる者は久しからずの戒めが胸をよぎる。

二つ目はいつかと気をもんでも仕方ないのだが。





宇宙の神秘はときあかされることはないとおもう。

束の間を生きている地球に戦争が絶えないのが大変不思議なことである。

大宇宙は永遠に未知のままだと信ずる。故に人間の智慧の集積でもある神仏の教えは正しい。









卒園式や卒業式は両親の成長の節目でもあろう
泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち







平成22年3月10日の天声人語よりの引用


14年前の朝日小学生新聞に、1年生の短い詩がある。

〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/そつえんしきで/ママがなく〉秋元健太。

短歌にも足らない30字で、自身の成長と親の愛を余すところがない

▼卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。

〈いつのことだか/おもいだしてごらん……〉。

顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。

NHK「みんなのうた」で全国に広まった80年代には、9割の卒園式で歌われたという

▼東京都調布市の常楽院に歌碑がある。

元住職で、幼稚園を開いていた本多鉄麿が作曲した縁だ。

作詞は、墨田区で保育園長をしていた増子とし。

こちらはクリスチャンだった

▼珠玉の合作が生まれたのは1957年。

おそらくは保育研究会の場で「異教」が出会い、立場を超えて子どもの門出を祝いたいとの思いが結実した。

四季の回想を連ねた詞は冬だけ二つある。

お寺や神社系の園のため、クリスマスに触れないものを用意したと聞く

▼半世紀前の歌づくりには、次代を担う子どもへの愛情がにじむ。

いわば玄人の愛である。

片や、親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じたプロになっていく。

卒園式や卒業式は両親の成長の節目でもあろう

▼泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち。


薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心のアルバムに育ちの跡が刻まれる。

泣いてよし笑ってよしの集いによって、この国の春はほどよく厳かな、晴れの季節になる。





卒業は遙か昔のことだが,:現在も人生を旅たつ人達がいる。

希望を抱いての旅たちの前での就職難は大変気の毒な話である。

希望に満ちた旅立ちにしてあげたいことである。









乱立のトリを飾って、国内98番目の茨城空港がきょう開港する







平成22年3月11日の天声人語よりの引用


若手芸人のネタに、バス停を毎日少しずつ動かし、2年で家の前まで持ってくるというのがあった。

「武勇伝」をまねる気はないが、大雨の日は戸口からバスに乗りたくもなる。

バスから電車に乗り継ぐ人は、バス停が駅ならいいのにと思うだろう

▼現実には、駅が乱立することはない。

停車してばかりの路線では交通が滞るし、そもそも建設費が許さない。

ところが、空に目をやれば採算そっちのけの「我田引港」が続く。

乱立のトリを飾って、国内98番目の茨城空港がきょう開港する

▼定期便はまずソウル、次いで神戸に1日1往復ずつ。


成田や羽田が近すぎ、客足を案じる大手の航空会社は飛びたがらない。

首都圏三つ目と言えば聞こえはいいが、バス停に電車をとめた印象はぬぐいがたい

▼自衛隊の基地に滑走路を足した共用空港だ。

税金の無駄と言われた静岡より安上がりだし、旅客ターミナルも倹約を旨とする。

だが、格安航空会社とチャーター便が頼りでは先の需要が心細い

▼国土交通省によると、08年度の利用実績が過去の予測に届いた空港は、羽田など8港だけだった。

見通しの半分にも満たないところが33ある。

空港欲しさゆえ、あるいは滑走路を増やすため、計画に合わせて予測をこしらえたらしい

▼茨城も、年81万人の当初予測に対し20万人そこそことされている。

空港近くに住み、韓国や神戸にちょいちょい行く人にとっては、戸口からバスが出るような便利さに違いない。

そのバスはしかし、ほとんどの納税者を素通りし、イバラの道を行くことになる。



一時近くの巨椋池を埋め立てた田園に飛行場が誘致される話が持ち上がっていたが,

取止めになっている。京都の判断は正しかったと思っている。

浪費が美徳だという風潮の時代もあったが,やはり質素倹約は真理だと思う。

交通網がこれだけ整備されてきた時代にはやはり日本国内の空港は多すぎる。

多くの人達が自家用機の飛行機を持つ時代になるならば別の話であるが。









30年前、現職首相のまま逝った大平正芳さんは逆だった。
風姿は鈍牛に擬せられ、口を開けば「アーウー」でも、
弁舌に知性が感じられた
きょうが生誕100年にあたる








平成22年3月12日の天声人語よりの引用


政治家の言葉が干からびて久しい。

見ばえと、聞こえのいいトークが重んじられる昨今だ。

30年前、現職首相のまま逝った大平正芳さんは逆だった。

風姿は鈍牛に擬せられ、口を開けば「アーウー」でも、弁舌に知性が感じられた


▼論敵だった共産党の不破哲三氏は「国会での答弁にしろ、討論会での発言にしろ、議事録を起こしてアーウーを抜くと、

きちんと筋の通った文章になっている……なかなか信頼できる協議相手でした」と回顧している

▼経済から文化重視へ、地球社会への貢献など、示した未来図も真っ当だった。

性に合わない壮絶な派閥抗争が命を縮めたが、評価は没してなお高い。

きょうが生誕100年にあたる


▼池田内閣の外相時代、ライシャワー駐日米大使から朝食に誘われ、核持ち込みの解釈が日米で違うと知る。

これをぐっと腹に納めて「暗黙の合意」が成立した。

それでも急死する直前まで、真相の公表を何度か試みたという。

「密約」の存在は終生、心のトゲだったに違いない

▼首相時代に官房副長官で仕え、師と仰ぐ自民党の加藤紘一氏は「思索の人」と評した。

ある時、理想の国土を説いたそうだ。

「地方都市が栄え、町はずれの鎮守の森から祭りばやしが流れる」。

田園都市構想の原風景だろうか

▼経済や社会の不備を家庭が補えればと念じながらも、「望ましい家庭のあり方を政府が示すのはよくない」とクギを刺した。

言葉の数々をたどれば、日本と日本人への抑えの利いた信頼に行きつく。

今や消え入りそうな「良質の保守」をそこに
見る。






大平正芳さんの時代には京都に前尾繁三郎という代議士がいた。大変な読書家と聞いているが

この頃の自民党には立派な人達がいたようだった。

だが現在の野党になった自民党には与党時代が長かったので政党として,野党が努めることが出来ない。

半人前の政党になって,続々と政権にすり寄る人たちが,政権党でない自民党をドロ船と感じ離脱する現象が見られる。

当時,自民党が政権維持し得たのも自民党に立派な人物がいたからではないのか。









佐渡島の保護センターにいたトキ9羽が、テンに襲われ死んだ







平成22年3月13日の天声人語よりの引用


江戸川柳に〈箱入りにすれば内にて虫がつき〉がある。

大店(おおだな)の主人は、娘が悪い男にたぶらかされないかと気が気でない。

なるたけ外に出さずに育てたら使用人と恋仲になった、というお話だ

▼蝶(ちょう)よ花よと大切にされるほど、子は世間に疎くなる。

陰から見守りながら、少しずつ風に当てていく案配が難しい。

虫がつく程度ならいいが、命にかかわる「箱入り」もある

▼佐渡島の保護センターにいたトキ9羽が、テンに襲われ死んだ。

秋の放鳥に備え、えさ取りや飛び方を学んでいた一群だ。

テンは夜陰に紛れて訓練ケージに忍び込んだ。

池や木を配したケージは広いが、暗闇で飛べないトキはパニックに陥ったらしい。

外敵を知らない「愛児」たちの災難に、飼育員らの落胆いかばかりか

▼幸い、これまで野に放たれた30羽の大半は元気で、つがいもできそうだ。

センターには卵から育てたトキがまだ100羽ほどいる。

放鳥計画を練り直し、野生復帰に挑み続けてほしい

▼佐渡のテンは、苗木を食べる野ウサギの天敵として、半世紀前に持ち込まれた二十数匹を祖とする。

箱入りだろうが特別天然記念物だろうが、腹ぺこで獲物に遭えば襲うのが野の掟(おきて)である。

修業中のトキにすれば、野生からのとんだ「出張指導」だった

▼テンの駆除を求める声もあるが、もとよりこの小動物に罪はない。

あの一匹は闇に身を潜め、野ウサギを食べたら益獣、トキを殺せば害獣という「人の掟」に小首をかしげていることだろう。


万物が動き始める早春、生きとし生ける物たちの哀れがしみる。





トキの絶滅が叫ばれてから久しい。佐渡にトキは生きている。日本の国鳥はキジのようである。

キジは動物園でしか見ない。トキは中国から渡ってきて現在も佐渡でみられるのうかどうか。

テンに襲われるも野ウサギの天敵らしい。生物界も生存競争が激しいようだ。










そうした威厳が、鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏(いちょう)にもあった
歴史に彩られた巨木が、春の嵐に突然倒れて人々を驚かせた
樹齢は800年から千年とされる









平成22年3月14日の天声人語よりの引用


名高い『昆虫記』ほど知られてはいないが、ファーブルには『植物記』もある。

老木を愛したらしく、木の年齢について述べた一章は、星霜を経た樹木への畏敬(いけい)にあふれている

▼樹齢900年というカシの木を仰いでは、「人間の賛美を受け、雷に打たれながら、

悠然と歳月の流れを見守っている」(日高敏隆・林瑞枝訳)といった具合だ。

そうした威厳が、鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏(いちょう)にもあった。

歴史に彩られた巨木が、春の嵐に突然倒れて人々を驚かせた

▼樹齢は800年から千年とされる。

鎌倉幕府の悲運の将軍、源実朝を手にかけた暗殺者が隠れていたとの伝説も残る。

根こそぎ倒れ、再生は難しいと見られたが、試みられることになった。

根元から3、4メートルで胴切りにして植え直すそうだ


▼老木といえば、日本三大桜のひとつ岐阜の淡墨桜(うすずみざくら)をかつて取材したことがある。

樹齢1500年ともいう桜は枯死の危機を乗り越えた。

戦後まもなく、「3年はもつまい」と言われた古木に、盆栽の名人だった一人の医師が回生の「手術」を施した

▼根を楔(くさび)形に切り、切り口に卵白を塗り込んだ。

そこへ別の若木の根を接ぎ、縄で固定する。

ひと月かけて約240本の根を接いだ。

老木は新たな命を吸い上げてよみがえり、翌年満開の花を咲かせた

▼銀杏の状態は厳しいが、手厚い看護が奇跡を生むかも知れない。

残った根から出るひこばえ(若芽)も期待できるという。


地中というより、遠い過去の時間へ根を届かせている木だった。

再び歴史を語ってくれる日が、いつか来ればいい。




樹齢800年も生き続け人間の営みを見続けてきた。

最近の新聞報道では根を植え替え生命を続けるような話が出ている。

歴史ある樹でもあり長生きして欲しいものである。









日本もかつては「当たらぬものは天気予報と宝くじ」と揶揄(やゆ)された。








平成22年3月15日の天声人語よりの引用


どうもスターリン的だね、と思った人もいただろうか。

先ごろモスクワから届いた「天気予報を外したら処罰」という記事が面白かった。

ロシア緊急事態省の大臣が、予報が間違ったら責任をとれ、と発言したそうだ

▼気象庁の長官は「罰金や刑務所で予報の不正確さは防げない」と反論した。

大臣が「商品を売って金をもらうなら商品の質には責任を持て」と言えば、長官も「絶対正確など100万年後も無理」と負けていない。

この火花、どう決着がついたのか知りたいところだ

▼日本もかつては「当たらぬものは天気予報と宝くじ」と揶揄(やゆ)された。

「気象庁」を三度唱えて食あたりを防ぐまじないもあった。


予報が「当たらない」ことに引っ掛けた、きつい皮肉である

▼いまは随分正確になった。

それでも「外れて泰然としているのは競馬評論家ぐらいにしてほしい」という苦言が、先ごろの声欄に載った。

天気に左右される仕事に就く人の、偽らざる胸の内だろう

▼とはいえ「降水」の的中率はいま、翌日の予報に限れば8割を超すそうだ。

しかし人は往々にして、当たりより外れたいらだちを記憶する。

いきおい2割弱の誤りは、数字以上に不評を買うはめになりがちだ

▼誰もが天を戴(いただ)いて暮らすから、天気予報は万人にかかわる。

関連で今一番の注目は、民間会社が入り乱れる桜の開花予想だろうか。

ちぢこまった季節が過ぎてイベントも宴(うたげ)も満開になる。

「花に嵐」も気にかかる。

津波警報ほどではないにせよ、外れて泰然とはいかぬ桜前線が、列島北上の途についた。






最近の天気予報はかなり正確で,天気予報を見て

傘をもって出かけることが多くなり,温度の予報も正確に知らせてくれるようになってきている。

科学の成果だと思う。台風予報もかなり正確で地震予報だけはまだ自信がなさそうだ。











日米密約の解明など、
変化の卵も何個か転がり出たが、
ため息はその何倍も出た。
鳩山首相と小沢幹事長が招いた失地は、
もはや醜聞の主が代わるまで戻るまい。








平成22年3月16日の天声人語よりの引用


ハトは生まれて半年もすれば成熟し、年に十数個もの卵を産み始めるそうだ。

強い繁殖力は都市のハト害の背景でもある。

かと思えば、「チェンジ」の多産を期待されながら、なかなかその気配のないハトもいる

▼鳩山政権の半年である。

日米密約の解明など、変化の卵も何個か転がり出たが、ため息はその何倍も出た。

鳩山首相と小沢幹事長が招いた失地は、もはや醜聞の主が代わるまで戻るまい。

民主党内は息苦しさで満ちている


▼財政赤字に切り込む前に、ばらまき政策に突き進むのも気がかりだ。

早晩、消費税の引き上げが浮上しよう。

普天間の先は見えず、景気が劇的に上向く気配もない。

なのに、首相には危機感やリーダーシップが見えない

▼そんなこんなで、発足時に70%あった内閣支持率は半減した。

期待で水ぶくれした支持がはがれ落ちている。

そいつをいただこうと、この間まで大臣だった自民党の面々から新党の誘いが止まらない。

首相の弟さんがそうであるように、こんな時、政治家は妙に生き生きする

▼さて「失望」の受け皿は、再びの自民党か、それを割って出る勢力か、はたまた野党第2党をうかがう「みんなの党」か。

いやいや、大量棄権という「げんなりの党」かもしれない

▼英国の思想家、カーライルの金言に〈経験は最良の教師である。

ただし授業料がめっぽう高い〉がある。

授業料を議席で払う政党はまだしも、国民にはここで勉強している余裕はない。

歴史的な政権交代を痛い経験で終わらせては、この国はまた何年かを失うことになる。





政治家にとってはお金の話は命取りである。田中角栄時代以前からも営々と続いている。

全ての寄付献金は禁止して法律で罰するようにすれば良い。政界腐敗 悪の温床である。

国民として小沢・鳩山氏のお金の問題が出たとしても自民党に変わって欲しいとはおもわない。

嫌というほどに自民党政権時代のお金の問題を見ていたからである。

罰則付きの全面禁止に寄付献金はすべきである。










博多ラーメンの「元祖長浜屋」は、麺(めん)だけのお代わり、
替え玉発祥の店として知られる。
袂(たもと)を分かった元従業員らが昨年末、
向かいに「元祖ラーメン長浜家(け)」を開いた。
4月には、そこの一人が「元祖長浜家」を近所に出すという
三つの「元祖」がトンコツで競うことになる。








平成22年3月17日の天声人語よりの引用


初代林家三平さんに、三軒並んだラーメン屋の小咄(こばなし)がある。

右端が「日本一うまい」と看板を出すと、左端は「世界一」できた。

困った真ん中のおやじ、寝ないで考えたのが「入り口はこちら」。

そんな爆笑王の高座を思い起こす異聞が、福岡から届いた

▼博多ラーメンの「元祖長浜屋」は、麺(めん)だけのお代わり、替え玉発祥の店として知られる。

袂(たもと)を分かった元従業員らが昨年末、向かいに「元祖ラーメン長浜家(け)」を開いた。

4月には、そこの一人が「元祖長浜家」を近所に出すという

▼三つの「元祖」がトンコツで競うことになる。


あつれきを承知でそう名乗るからには、あとの二つも腕に覚えがあるのだろう。

三平師匠ならずとも「もう大変なんすから」である

▼麺とスープ、具だけの作りなのに、ラーメンほど深く研究されている外食はない。

職人たちは独自の味を追い求め、行列のできる店がテレビや雑誌で紹介される。

食べ手にも、一口すするだけでダシを当てる達人がいる

▼行列の元祖といえば、つけ麺を考案し、業界で神様と呼ばれる大勝軒(たいしょうけん)(東京)会長山岸一雄さんだろう。

理想の一杯を素朴に語っている。

「毎日食べても飽きがこなくて体にもいい。

成長期の子どものための栄養満点のスープであったり……」。

鬼の異名をとるラーメン店主、佐野実さんとの対談だ

▼元祖を争う伝統と、目新しさを競う情熱、そして神も鬼もいる話題性が、この国民食の爛熟(らんじゅく)を支えているらしい。

どんぶりの中に広がる、数百円の小宇宙よ。

日本人の舌は、つくづく勤勉だと思う。



消費者側からして大いに元祖争いして切磋琢磨して欲しいものと思う。

不味かったらラーメンは食べに行かず,うまい所に消費者は集まると思う。

元祖だ゜から流行るとは思わない。








大西洋クロマグロをワシントン条約で保護する動きが、
ドーハでの締約国会議で山場を迎えた
絶滅の恐れが認められれば、輸出入が禁じられる








平成22年3月18日の天声人語よりの引用


まず、場所がよろしくない。

中東のカタールといえば、日本サッカー史の語り草「ドーハの悲劇」の舞台である。

同名の痛恨が、今度は水産史に刻まれるかもしれない

▼大西洋クロマグロをワシントン条約で保護する動きが、ドーハでの締約国会議で山場を迎えた。

絶滅の恐れが認められれば、輸出入が禁じられる。

当たり前に市場に出ていた魚が、いきなりパンダやジュゴンの仲間入りだ。


「最後の手段」が出番を間違えた風でもある

▼批判の的は、天然の幼魚を一網打尽にし、いけすで育てる蓄養だ。

脂が乗りやすい蓄養マグロは大半が日本向け。

国内には在庫が十分あり、同種はわが太平洋にもいるが、いずれ品薄と高騰が心配される。

卵からの完全養殖が穴を埋めるのはまだ先だろう

▼ビジネスと天然資源の間合いは難しい。

目先のもうけに皆が突進すれば、枯渇という仕返しに遭う。

トロより赤身が好きなへそ曲がりとしては、高速で回遊する天然物を細く長く楽しみたい

▼すし職人の小野二郎さん(84)が、『すきやばし次郎 旬を握る』(文春文庫)で、

マグロの「甘酸っぱい香り」「押しつけがましくない甘みと渋み」の由来を語っている。

「大海原を泳ぎ回る巨大な赤身魚の血がもたらす香り、そして味なんですね」と

▼口からエラに抜ける海水で呼吸するため、マグロは泳ぎ続けないと死ぬ。

巨体が命がけで蓄えた自然の恵みを、ありがたく、節度を持って味わうのが人の道かと思う。

ワ条約による「別件逮捕」の当否はさておき、漁を控える勇断はあってもいい。




マグロは日本人には寿司のネタとして親しみを持ってきている。

世界にすし店が展開されている時代に捕獲を制限されるのは業者として大変なことだ。

需要が増えたならば完全に卵の時代から養殖で全部出来ないものかと現在の科学の時代には

不可能なことがないと思うのだが。

肉よりも魚の方が健康に好まれる時代だから余計に研究して欲しいと思う











民主党の冒険ドラマは、鬼が島に着いてからが締まらない。
宝の山で寝ているなら、次の桃太郎が取りに行くだけだ
ところが、次になるべき自民党がいけない











平成22年3月19日の天声人語よりの引用

 桃太郎はイヌ、サル、キジを引き連れて鬼退治に向かう。

ある目的のためにチームができ、各自が持ち味を生かして大願を成す筋立ては、活劇の王道であろう。

滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、黒澤明の「七人の侍」など、傑作は数知れない

▼目ざす世の中を胸に、苦難を越えて突き進むのは政党も同じである。

無論、金やポストの「きび団子」に釣られた仲間もいる。

民主党の冒険ドラマは、鬼が島に着いてからが締まらない。

宝の山で寝ているなら、次の桃太郎が取りに行くだけだ

▼ところが、次になるべき自民党がいけない。


きび団子が尽きて支持団体は遠ざかり、離党議員は元大臣を含めて6人を数える。

新党という脱出ボートが出たり引っ込んだり、余計なことで騒がしい

▼かつての社会党を見るようだ。

党勢が衰えると党名を変え、さらに小さくなった。

政権を追われた自民党も、「和魂党」や「自由新党」をまじめに考えたらしい。

賞味期限が切れたのは当事者がよくご存じだ

▼保守合同で汗をかいた三木武吉は、結党後の演説で訴えた。

「旧態依然たる民主党と自由党を解体して、寄せ木細工式に自民党と名づけただけだ……政党を若返らせなければならぬ」。

だが、その党は寄せ木のまま長期政権にあぐらをかき、見放された

▼こんな逆境こそ観衆を熱くする見せ場なのに、新たな物語に踏み出すどころか一人抜け、二人去り。

桃太郎の旅を逆回しで見せられているようだ。

そのうち桃の中に閉じこもり、どんぶらこと川上に消えかねない。

まじめにやってほしい。






自民党にアキたから民主党に4年間は騙されずに政権維持して欲しい。

その間に野党となった時の修練を大いに自民党に学んで欲しい。

政党の万年与党や万年野党時代の体験は国民はウンザリしている。







地下鉄サリン事件から15年になる






平成22年3月20日の天声人語よりの引用

 日本で携帯電話が広まるのは1990年代後半だ。

〈ホームの公衆電話に長い列〉といった手記を読み返し、普及率が10%に満たない「携帯以前」の凶事を実感した。

地下鉄サリン事件から15年になる

▼一報は8時9分、茅場町駅からの119番「お客さんがけいれん」だった。

八丁堀、築地、神谷町と、日比谷線の各駅から救急要請が相次ぎ、東京消防庁は大混乱に陥る。

3路線5本の電車を襲った毒ガスで13人が死亡、約6千人が負傷した

▼「どれほど息苦しかったのか、主人のことを考えるとき、私は呼吸を止めてみることがある。

このまま死んでもいいと思うことさえある」。

霞ケ関駅助役の夫を亡くした高橋シズヱさん(63)の記だ。

被害者の会代表としての日々を顧みた著書『ここにいること』(岩波書店)にある

▼21歳で心身をボロボロにされた女性は、退院後も窓から白煙が忍び込む夢にうなされた。

現場に居合わせた己を責め、自殺を考えた。

でも高橋さんの陳述を聞いて甘えに気づいたという。

「少なくとも私は、大事な人を一人も失っていない」と

▼後遺症に苦しむ人、職場で孤立し、仕事を辞めた人もいる。

そして、なお続く教団、裁判、賠償交渉。

数え切れない人生を狂わせ、オウムによる無差別テロはまだそこにある

▼億万の涙に換えて、犯罪被害者の扱いは改善された。

だが、人の不幸にますます鈍い世である。

1人1台の携帯が車内を「個室」にしたように、つながりより閉じこもりが優勢だ。

あの日に共有した恐怖と怒りだけは、歳月から守りたい。




オウム真理教がまさかサリン事件を起していたとは全く考えなかった。何の罪のない人達が一人の狂信者により

殺害が引き起こされ,正気の沙汰ではない。間違った信仰は大変な事件を起すことが証明されているが,

.類似の宗教法人は放置したままである。宗教は麻薬と同じで,本人は正しいと思い信じ実行しているからたいへんだ。

信仰の自由はあるもののやはり徹底的な調査監督はしておくべきである。

実行犯は自分が正しい事をしていると信じ実行している。事件が起きてからでは遅いことである。










きょう春分の日は彼岸の中日になる








平成22年3月21日の天声人語よりの引用

 きょう春分の日は彼岸の中日になる。

寒から暖へ転じる候だが、きまって思い出すのは正岡子規の〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉である。

母の言葉をそのまま一句に仕立てたそうだ。

さすがの自在さである

▼敬意を表して、彼岸の入りに東京・田端にある墓所を訪ねてみた。

母八重の墓と並んでうららかな日を浴びていた。

隣には、生前に自ら書いた墓碑銘を刻した碑がある。

「……明治三十□年□月□日没ス享年三十□月給四十圓(えん)」。

なるほど、□の部分は生きているうちは分からない。

給金を記した墓というのも随分と珍しい

▼こうした、歴史上の人物の墓めぐりが、いま静かな人気なのだという。

愛好者を指す「墓マイラー」なる言葉も生まれている。


そのための地図を作った所もある。

子規の親友だった漱石が眠る雑司ケ谷(ぞうしがや)霊園もその一つだ

▼地図を頼りに訪ねると、文豪の墓は堂々としていた。

多くの有名人にまじって大塚楠緒子(くすおこ)の墓も見つけた。

詩文にたけた才女で、早世を悼んだ漱石は〈有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中〉の名高い句を詠んでいる

▼一説、漱石が思いを寄せたともされる楠緒子は今年で没後100年になるそうだ。

漱石の「夢十夜」がふと胸に浮かんだ。

「百年待っていて下さい」と言い残して死んだ、作中の有名な「女」が重なり合う。

墓マイラーもなかなか面白い

▼きょうは代々の墓にお参りの方もおられよう。

有名人でもご先祖様でも、墓はいつもどこか懐かしい。

聞こうと心する耳には届く。

そんな言葉で昔を語ってくれているからかもしれない。




有名人の墓めぐりが人気が有るようだが,先祖のことを調べるのもお墓が手っ取りばやい。

江戸時代に建てられた墓は殆んど少ない。古い家でも建て替えられている。

天皇の御陵だけはしっかりと宮内庁で管理されているが,権勢を誇った藤原氏とそのショ流の公家の墓も

歴史に名が残っていても墓が何処にあるのか判らないことが多い。

庶民と同じ土に返っていることは違いない。

天皇家の陵墓も専門家の調査に解放すればどれだけ歴史学が進歩するのか計りしれない。










冬の寒気と春の暖気がぶつかり合って、
思わぬ嵐を各地にもたらす








平成22年3月22日の天声人語よりの引用


弥生や花見月といった温雅な呼び名を持つけれど、ひと皮むけば三月の本性は荒々しい。

冬の寒気と春の暖気がぶつかり合って、思わぬ嵐を各地にもたらす。

「三月は獅子のようにやってくる」。

英国のことわざは、そのまま日本にも当てはまる

▼三月は気分屋でもある。

どっと南風が吹き込んだかと思うと、返す刀で北風が荒(すさ)び、大雪を降らせたりする。

そんな気まぐれを対馬あたりでは「手のひら返し」と呼ぶそうだ。

春突風、春疾風(はやて)、彼岸荒れ……。

春の嵐を表す言葉は多彩だ。

おとといから昨日にかけて、連休の列島を駆け抜けた

▼東京や千葉では30メートルを超す風が吹いた。

明け方にはごうごうと空が鳴った。

鉄道は止まり、飛行機も欠航が相次いだ。


安全優先は当たり前だが、足止めに泣いた人はやりきれない

▼静岡県では野焼きの3人が火に巻かれて亡くなった。

これも「凶風」のせいらしい。

筆者にも経験があるが、ゆっくりと野を焼く火も、風が吹くと突然あらぬ方へ走り出す。

火と風の相性への油断が、どこかにあったのかもしれない

▼気象学者、関口武さんの『風の事典』によれば、日本には2千を超す風の呼び名がある。

多くが死語になりつつあるのは、暮らしが自然から離れたためらしい。

野焼きに限らず、風の名は忘れても、風の恐ろしさを忘れてしまってはなるまい

▼春の嵐のあとは、西風に乗って黄砂が飛来した。

大陸で舞い上がる黄砂は年に2億から3億トンというから風は侮れない。

身も心もざらりと不快にする迷惑千万な客に、何か手はないものか。





一旦暖かくなってからの冷え込みは身体にこたえる。薄着した所為もありそうだ。









「禁煙はわけなく出来ることだ。すでに千回はやってみた」
たばこと煙は一心同体、切り離せないと思っていたら、
火を使わず煙も出ないたばこが登場するという。








平成22年3月23日の天声人語よりの引用


聞いて慰められる人は多いかも知れないが、たばこをめぐるこんな迷言がある。

「禁煙はわけなく出来ることだ。すでに千回はやってみた」。

手元の本によれば米国の作家マーク・トウェインが発言主となっている

▼ほかにも歴史上の人物が似たことを言っているらしく、禁煙の試みと失敗の多いことを物語る。

先ごろの報道によればオバマ大統領も同じ轍(てつ)を踏んでいるらしい。

「必死の努力を続けている」と去年言っていたが、まだ煙と縁が切れないようだ

▼吸うことを喫煙と言い、好きな人を愛煙家と呼ぶ。

たばこと煙は一心同体、切り離せないと思っていたら、火を使わず煙も出ないたばこが登場するという。

日本たばこ産業(JT)が5月に、まずは東京で売り出すそうだ


▼香りを楽しむ「嗅(か)ぎたばこ」の一種だという。

紙巻きたばこに似た形で、ニコチンは軽いたばこの20分の1程度になる。

吸う本人の健康リスクはあるそうだが、煙で他人に迷惑はかけない。

それが売りである


▼〈嫌煙の鬼にもなれずオフイスの窓少しあけ烟(けむり)逃がしむ〉中島央子。

いまや立場は逆転し、職場禁煙は加速している。

とはいえ飲食店は多くが例外だ。

客はいやなら席を立てるが、従業員にはつらい人も多いのではないか

▼仮に政府が薦めても防塵(ぼう・じん)マスクなど使えまい。

窓を開けて煙を逃がすのは客の手前はばかられよう。

「せめて無煙たばこを」が今後、嫌煙派の従業員や客の声になるやも知れない。

無煙がひいては禁煙の成功を呼ぶなら、JTはいざ知らず、ご本人にも悪いことではない。






タバコの害は医療界では常識になっている。残念ながらタバコ業界の犠牲になり大病を患い死んでゆく人達が多い。

タバコ一箱千円にしても良い。タバコを吸う人たちはニコチン依存症になっている。麻薬と同じだ。

吸わないと我慢できない人たちである。アメリカで売れないタバコが日本を含んだ東南アジアに大量に安価に輸出されている。

だからアメリカの肺癌の死亡者は減少傾向にある。発見しにくい癌で,癌と判れば死亡する率が高い。タバコを止める予防が第一。

だが日本では肺癌の死亡者数が一位になっていることは余り知られていない。タバコにはその他に色んな身体に大きな害がある。

日本におけるタバコの歴史    -インタ−ネットよりの引用-

日本では室町時代末期から安土桃山時代にポルトガルの宣教師たちによって持ち込まれた。

煙管(キセル)による喫煙が主であり、江戸時代初期には全国に普及したが、非常に高価な薬品として普及しており、

喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであった。

江戸幕府は火災予防や奢侈禁止の観点からしばしば煙草禁止令を出しているが、幕府や藩の専売とすることで次第に許可されていく。

江戸中期には煙草の値下がりと共に庶民への喫煙習慣も広まって行くことになる。

宝暦年間には、庶民用の煙草10匁(約38グラム)が8文ていどであった記録が残されている。

また、この時期に煙管、煙草盆、煙草入れなどの工芸品が発達した。

明治時代になってから、それまでのキセルによる喫煙に代わり紙巻タバコが庶民の間に普及した。

当初日本には2社のタバコ会社が存在していたが、日清戦争開始後に財政難に陥った国により 葉たばこ専売法が1898年に制定され、

タバコは専売化された。

当時、タバコによる税収は国税において大きな割合を占めており(1945年には、タバコによる税収は国税の20%をも占めていたという)、

日清・日露戦争などの戦費調達のための財源とされた

第二次大戦後も、1985年まで日本専売公社によるタバコの専売が続いた。

1980年時点では、輸入タバコには90%の関税がかけられ、国内市場における輸入タバコのシェアは1.5%未満に過ぎず、

海外タバコ企業が日本国内でテレビ・雑誌・看板などの宣伝活動や市場調査を行ったり販売網を築いたりすることはできなかった。

しかし、1980年の米国 フィリップ・モリス社の5ヵ年計画において、日本に対し市場を開放するよう圧力をかけることが計画され

1982年、米国通商代表部(USTR)は日本政府に対し、関税の90%から20%への引き下げ、

海外企業の宣伝活動や市場調査の許可を求め交渉した(経済制裁の脅しも持ち出されたという。

1985年、日本専売公社は日本たばこ産業に民営化され、1987年には米国タバコへの関税は撤廃された。

結果として、米国からのタバコ輸入本数は1986年に99億本、2002年には780億本へと増加し、

米国のタバコ輸出の
61%を占めるまでになった。

また、日本たばこ産業は民営化されたとはいえ、日本たばこ産業株式会社法により財務省が過半数の株を保有しており、

歴代の国税庁長官が天下るなど財務省の天下り先の一つになっている。



日本国民の健康を害させてまでして,アメリカのタバコ販売に対し ,アメリカの力に屈し政府が協力していることがわかる。

軍事産業とか 基地問題にも通ずるような圧力がアメリカから加わっていることが想像出来る。









国民生活への政府の大きな関与を嫌う伝統が、米国にはある
いわゆる「小さな政府」をうたう共和党の支持者にはその色が濃い。
それが、先進国の中で唯一、国民皆保険制度がない背景の一つともされてきた
その米国で、皆保険をほぼ実現する法案が議会を通った










平成22年3月24日の天声人語よりの引用


米国のレーガン元大統領(共和党)は言葉が巧みだった。

こんな警句を残している。

「皆さんが必要なものを何でも与えられる強力な政府は、皆さんから何でも取り去ってしまう強力な政府ということになります」

▼政治学の故・内田満氏によれば、あれもこれもと政府に求める人たちへの反論だったらしい。

国民生活への政府の大きな関与を嫌う伝統が、米国にはある。

いわゆる「小さな政府」をうたう共和党の支持者にはその色が濃い。

それが、先進国の中で唯一、国民皆保険制度がない背景の一つともされてきた

▼その米国で、皆保険をほぼ実現する法案が議会を通った。

歴代大統領がなしえなかった課題である。

わずか7票差の薄氷を踏むような多数決だったが、オバマ大統領(民主党)の執念が実ったといえる

▼共和党からは「社会主義につながる法案だ」といった批判がわいたそうだ。

当否はおいて、「政治とは情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力をこめて、

じわじわと穴をくりぬいていく作業」だという名高い定義を、太平洋越しに見た思いがする

▼おおざっぱに流行語に例えれば、弱肉強食の共和党に対し、弱者の救済をうたう民主は草食系となろうか

どちらが自分の信じるアメリカなのか。

「国のかたち」を国民に問う、世論二分のテーマでもあったようだ

▼さて、かの地から目を戻せば、日本では新年度予算がきょう成立する。

国の近未来を描く数字が並ぶが、理念の輪郭はおぼろげだ。

閉塞(へいそく)感をくりぬくリーダーシップが、いま何よりも政治にほしい。




国民の健康に対する政策はアメリカに比べて遙かに進んでいる。だが小泉改革でアメリカの模倣することに

医療の世界は混乱をきたしている。あめりかでやっと日本で古くから当たり前の健康保険がやっと議会を通過している。

民営化が過度に進むことは日本では好まれないし,混乱の原因でもある。

東アジア共同体として日本が協力できる所は協力し 協力を受けられる所は受けられるようにするのが良い。










きのう成立した新年度予算の一般会計総額は
過去最高の92兆円にのぼる
だが税収は37兆円
入れる穴は出す穴の半分もない。









平成22年3月25日の天声人語よりの引用


人生には二つの穴があるという。

お金を入れる穴と、出す穴だそうだ。

多くの人は、入れる穴の直径より、出す穴を小さめにして暮らしているのだと、

人間通で知られた文学者の高橋義孝が書いている

▼世間には、入れる穴を広げる金もうけこそ人生だと考える人がいる。

片や、出す穴をできるだけ大きくして、お金を使うのが人生だと考える人もいる。

人生色々だが、入れる穴が小さいのに、出す穴ばかりが大きければ、これは早晩行き詰まる

▼さて、この国の穴はどうだろう。

きのう成立した新年度予算の一般会計総額は過去最高の92兆円にのぼる。

だが税収は37兆円。入れる穴は出す穴の半分もない。

新規の国債は44兆円。借金が税収より多いのは、当初予算では戦後初という。


数字はどれも空恐ろしい

▼今日をしのぐ借金は、子や孫の代を質草にした借り入れだ。

いきおい次世代は、先の難儀を予想して身構える。

ある大学生調査では、退職後に頼れるのは「貯蓄など自助努力の資産」だと3分の2が答えていた。

「公的年金」は2割に満たなかった

▼若者に老後を聞くのも無粋だが、退職後の生活費の準備をいつから始めるかも聞いたそうだ。

8割が学生時代から30代までにと答えたという。


何だか彼らに申し訳なくなる

▼国家財政の話ではないが、あれやこれやと事を後世に押しつける風潮に、明治の毒舌家斎藤緑雨はかみついた。

「なりたくなきは後世なるかな。

後世はまさに、塵芥(じんかい)掃除の請負所の如(ごと)くなるべし」。

ツケを回さぬための議論は、もう待ったなしである。



不景気の原因はサブフ゛ライムローンに端を発してリーマンショツクでもって全世界が影響受けたことによる。

誰が考えてもお金がない人たちに家をロ−ンで貸し,そのロ−ンの資金を世界に株として売りだし

,破綻するのは当然であるにもかかわらず政府が売る事を許可し,その株を買った人達が叉破綻したのが,今回の不景気の原因である。










当局が中国メディアに18分野の報道禁止を命じたという。
官僚の腐敗から大学生の就職難、
食用油の高騰まで多岐にわたる
表現の自由は「自由軍の大親玉」だと








平成22年3月26日の天声人語よりの引用


かつての中国では「亡国の遊戯」とされた麻雀(マージャン)だが、改革開放後は復権した。

15年ほど前に訪ねたときは、まだ後ろめたかったのか、牌(パイ)を積むことを「万里の長城を修理しよう」と隠語で言って卓を囲んでいた

▼その「万里の長城」の例えが、米国のネット検索大手グーグルの、中国本土からの撤退で飛び交った。

当局の厳しい検閲要求を各国メディアがそう表した。

都合の悪い情報は徹底してはじき返す。

このゆゆしき長城は、ポンだのチーだのという長閑(のどか)な話とはわけが違う

▼きのう小紙には別の言論規制も載った。

当局が中国メディアに18分野の報道禁止を命じたという。

官僚の腐敗から大学生の就職難、食用油の高騰まで多岐にわたる。

いま一番の関心事について、人々は耳目を封じられたようなものだ

▼言論や表現の自由はよく「最も大切な自由」と言われる。

他のもろもろの自由が侵されていないかを監視し、侵害があれば、告発や異議は言葉や映像でなされる。


表現の自由は「自由軍の大親玉」だと、作家の井上ひさしさんは言っている

▼その自由を欠いたまま中国は成熟していけるのか。

中国政府は冷静に考えるべきだろう。

いくら金回りが良くなっても、内面の伴わない「子どものような大人」では、真の敬意は払われにくい

▼「民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚(はなは)だし」と3千年の昔、周時代の故事は言う。

批判を封殺し続けた王は、ついには民衆に追放されたそうだ。

検閲という長城をいくら補強しても水は防げまい。

ネット時代の民の口は往時の比ではない。





中国らしいやり方で国民に知らせずに色んな制限を加えている。それで治安の確保をしようとしている

ことはよく理解できる。一党独裁で政治を進めようとするならば仕方ない処置である。

ソ連のように独立したい自治区があれば独立させて共同体として仲良く暮らせばよいのにと思う。










菅家利和さん(63)にも罪などなかった
おそろしいものはないはずだった
だが天地ではなく、「人」が善良な市民に牙をむいた







平成22年3月27日の天声人語よりの引用


若くして死んだ樋口一葉はこまめに日記を書いた。

窮乏にあえいではいたが、暮らしは清らかで、曲がった道は歩いていないという自負をうかがわせている。

「我に罪なければ、天地(あめつち)おそろしからず」。

そんな一言が日記の中にある

▼菅家利和さん(63)にも罪などなかった。

おそろしいものはないはずだった。

だが天地ではなく、「人」が善良な市民に牙をむいた。


女児が殺害された足利事件の犯人に仕立てられ、17年半が鉄格子に消えた。

長い歳月である

▼その再審できのう、無罪が言い渡された。

菅家さんが天地神明に誓い続けた「真っ白な無罪」である。

3人の裁判官は立ち上がって、深々と頭を下げて謝罪した。

「この裁判に込められた菅家さんの思いを深く胸に刻みます」の言葉を、司法の良心と信じたい

▼「潔白だから分かってもらえる」というのが、ごく素朴な市民感覚かもしれない。

しかし菅家さんは踏みにじられた。


再審では冤罪がなぜ起きたかの解明も求めたが、かなわなかった。

これではまだ、奪われた歳月に報いたとはいえない

▼きのうが命日だった室生犀星の詩の一節が胸をよぎる。

〈悔(くい)のない一日をおくることも/容易ならざる光栄である〉。

人間らしい光栄を、無実の罪で獄中に長く封じられた悔しさは、想像に余りある

▼「今後の人生に幸多きことを心よりお祈りします」と法廷で裁判長は述べた。

この日、菅家さんは泣き、そして笑った。

「冤罪は私で終わりに」は涙で声が詰まった。

裁判員になる可能性のある一人として、姿を胸に刻みつける。





冤罪の罪を被った人たちは沢山いると考える。

自分の気にくわないもの達は幾らでも罪人に出来る。しかし時とともに真実が判明してくる。

やはり死刑制度は廃止し,冤罪の菅家さんを死刑にしていれば問題にならなかったが

しかし殺されることとなった菅家さんはたまったものではない。無実の人を司法が殺すことがありえる。

この場合,死刑になっていたならば警察官,刑事並びに裁判官達が殺人罪でもって死刑されるべき性質のものである。











下町で建設中の東京スカイツリーが、
週明けにも東京タワーの333メートルを抜くという
東京という「ひとつ筵」の上ながら、
二つの塔には半世紀の年の差がある










平成22年3月28日の天声人語よりの引用

 ライバル意識というものは、相手が身近なほど、そして年齢が近いほど高まるようだ。

親の背に並んだ喜びより、弟に超された悔しさを思い出す。

この季節、職場の花見などでは第三者がうかがい知れぬ火花も散る。

〈夜桜やひとつ筵(むしろ)に恋仇敵(がたき)〉黛まどか

▼下町で建設中の東京スカイツリーが、週明けにも東京タワーの333メートルを抜くという。

あとで生まれるほど大きくなるのは人も建物も同じらしい。


浅草あたりからは、そろそろ見上げる感じになってきた

▼東京という「ひとつ筵」の上ながら、二つの塔には半世紀の年の差がある。

ライバルではあるまい。

一方が戦後復興のシンボルなら、他方はその到達点をしるす記念碑。

昭和と平成の二つの時代が、それぞれに別のものを背負わせた

▼敗戦13年で世界一を誇った東京タワーは、「ありたい姿」で国民を鼓舞した。

「日本の科学技術の勝利をうたう金字塔」と自賛したのは、創設者の前田久吉だ。

日本製品の飛躍、高度成長、テレビの普及とセットで、タワーは人々の心に刻まれた

▼ツリーに時代的な役割があるとしても、そこまでの熱さはなかろう。

衰退の兆しが国を覆う中、このくらいはできますよと、どこか淡々と空に伸びている風である。

だが、この国に隠居の余裕はない。

せっかくの大事業を、せめて反転の一里塚にできないものか

▼完成は再来年の春という。

政治も経済も、塔が634メートルにまで伸び切る2年間が正念場となる。

衰えの芽を摘み、内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい。





写真で見る限り非常に高い建物である。台風とか地震に対して大丈夫なのかと心配で

飛行機でも衝突しないか心配だ。

技術が進歩しているのか。











中国製冷凍ギョーザで日本の10人が中毒を起こした事件が、
発覚から2年を過ぎて急転した
中国当局が捕まえた製造元の元従業員は、
会社の待遇に不満を募らせ、殺虫剤を注射器で入れたと伝えられる









平成22年3月29日の天声人語よりの引用


災難に遭われたご家族には申し訳ないが、「そういえばギョーザがあった」というのが一報を聞いての思いである。

真っ先に注文していたその前菜が、デザート杏仁(あんにん)豆腐の後で出てきた感じに近い

▼中国製冷凍ギョーザで日本の10人が中毒を起こした事件が、発覚から2年を過ぎて急転した。

中国当局が捕まえた製造元の元従業員は、会社の待遇に不満を募らせ、殺虫剤を注射器で入れたと伝えられる

▼そんなことだろうとは思いつつ、中国側がしっかり調べず、うやむやに終わるのではと案じてもいた。

報奨金で情報提供を呼びかけたそうだ。

日本にわだかまる中国産への不信、国内で高まる食への懸念を意識しての執念だろう

▼事件は個人のうっぷん晴らしで、日本を狙ったものではないという。

あっさりした結末だが、一件落着の爽快(そうかい)には遠い。

低賃金でこき使う体質が変わらない限り、労働者の怒りがいつどんな形で爆発するか分からない。

安いというだけで、そういう企業や産地に食を託す危うさを思う

▼勝見洋一さんの『中国料理の迷宮』(朝日文庫)によると、数ある点心(軽食)の中でも、家庭の味といえばやはりギョーザらしい。

祝い事があれば総出で作る。正月には洗った硬貨を入れて金運や健康を占うという

▼縁起物に忍び込んだ悪意は海を渡り、他国の一家だんらんを暗転させた。

地球上を食材が行き交う時代、せめて食べる前に、五感を駆使して安全を確かめたい。

すなわち動物的な習いに立ち返ること。悲しいかな「飽食の迷宮」で身を守るすべである。






日本と中国との結論の対立に決着がついて中国で作られた食品も安心して食べられることとなる。

中国当局が捕まえた製造元の元従業員は、会社の待遇に不満を募らせ、殺虫剤を注射器で入れたと伝えられるが

食に関することは生命にかかわることだからキチンとした結論が出てよかった。

家電を含めて色んな製品メイドインチャイナーが多い。神社やお寺にも大勢の中国の人たちをみるようになった。

ホテルも中国語が耳に入ることが多い。アジアは一つだとの思いが強い。東アジア共同体を早く政府は強く推進する努力が必要である。











桜の開花宣言を聞いて腰を浮かせたら、
そのあとの東京は冬のような花冷えが続く
桜を愛した平安末の歌人西行の「忌日」である。








平成22年3月30日の天声人語よりの引用


じらされれば恋心は募るという。

今年の春の女神は駆け引きが上手らしい。

桜の開花宣言を聞いて腰を浮かせたら、そのあとの東京は冬のような花冷えが続く。

ほころび出して足踏みしたまま、春爛漫(らんまん)はおあずけを食わされている


▼暦を見ると、きょうは陰暦の2月15日にあたる。

桜を愛した平安末の歌人西行の「忌日」である。

〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉は名高い。

新暦の季節感だと「如月(きさらぎ)に桜?」だが、旧暦は今が「如月の望月(満月)のころ」だった

▼西行は願い通りの死を迎えた。

望月より1日遅い16日に没したが、歌聖を慕う後世は15日を西行忌とした。

〈花あれば西行の日とおもふべし〉。

出版人として知られた角川源義の一句である

▼息子で俳人でもある角川春樹さんに、桜の話を聞いたことがある。

西行ゆかりの奈良・吉野山に魅せられた人だ。

3万本が咲き競う空間を「荘厳と妖艶(ようえん)とすごみが溶けあった魔境のような所」と言っていた。

「桜は宇宙を内包している」、とも


▼桜が咲き、そして散る。

そのさまを表す日本語は実に豊かだ。

待つ花、初花、花の雲。盛りがすぎて花吹雪、水に浮く花筏(いかだ)。

名残の花があって、遅桜に行く春を惜しむ。


まだまだあろう。

かくも多彩に移ろいが表される植物が、他にあるのだろうか

▼この時期らしい暖気は明日あたりから戻ってくるらしい。

だが、その先の予報には無情の雨マークも並ぶ。

〈春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸の騒ぐなりけり〉西行。

千年変わらぬ、花恋いの春である。





今年は桜が満開かとおもう前に寒くなり,長く桜を鑑賞することが出来た。

桜は寒い冬から初めての花で至る所に桜の花は見かける。

桜は本当に美しい。









季節が変わる弥生の言葉から







平成22年3月31日の天声人語よりの引用


1月は9分。2月は28分。3月は42分。

東京で、ひと月のうちに早くなる日の出の時間である。

朝が駆け足になり、別れから出会いへ季節が変わる弥生の言葉から

▼名古屋の藤吉宇代(たかよ)さん(74)が夜間中学を卒業した。

貧しく育ち、中卒の学歴もなく苦労した。

ローマ字が読めるようになったとき、英語の先生と涙を流した。

「この前ね、数学のルート(√)が分かったの。

もっと早く勉強したかったわ。

そしたら高校に行けたかも」

▼神戸土産で知られる「瓦せんべい」の菊水総本店が営業を再開した。

和菓子離れによる経営難で一度は廃業したが、元社員4人がお金を出し合った。

堀木利則さん(56)は「最初は給料がわずかでもいい。

仕事を仲間と続けられるのがうれしい」。

なじみ客にも励まされての再出発だ

▼パラリンピックのあったバンクーバーで車いすの前市長サム・サリバンさん(50)は言う。

「多くの人は市長が障害者だから街のバリアフリーが進んだと思っているが、事実は逆。

街のバリアフリーが発展していたから私が市長を務められた

▼一人娘を亡くした兵庫の安永郁子さん(52)に、付属池田小の事件で娘を失った本郷由美子さん(44)が精神対話士として寄り添う。

安永さんに笑顔が戻り始めた。

「(娘への思いは)冷凍庫に入れ、必要なときに出すんです。

持ち続けたり、捨てたりするのではなく、その真ん中で」

▼朝日俳壇に山岡冬岳さんの作〈妻も子も出来て大学卒業す〉。

直線ばかりが生きる道ではない。

曲線で描かれる人生のしなやかさ、そして深さ。



種々な人生がある






適塾を訪れて




大阪の緒方洪庵の塾である適塾を訪れた。少し雨が降り肌寒い日であったが,京阪丹波橋駅で乗り換え京阪で天満橋で降り長い地下道を歩くと

淀屋橋の出た直ぐ近くに適塾があった。何回か訪れているが,その時々の自分自身の変わりようで同じ建物を観ても違った思いで観ることに気ずく。

適塾は間口が狭く奥行きが深いのは自分が育った家も同様である。税金が間口の広さでもって取られるから

当時の町家の智恵で表の長さが奥行きに比べて狭くなっている。

適塾の周囲には高層ビルが立ち並ぶ中の一角が,周囲が公園化されて昔の面影が残る日本家屋が続いている。

道路拡張で少し引き込んだとされるが立派な建物で,良く手入れされ,保全されているのには少し驚いた。

裏に通ずる土間はそのままで二階の天井まで素通しで,家の梁の様子がよくわかり,しっかりした太い木材が見え黒く光っている。

オクドさんとかk炊事場は昔のままで,変わりない。一階で受付する場所があり,二階に上る階段はかなり急であった。

自分が住んでいた家の階段も急だが,それ以上に急さを感じ,一段ごとの階段の幅が長いようである。

福沢諭吉伝の描いた広い塾生達が寝起きしていた大きい広間が在って,真ん中の柱が刀疵の柱が現在も見られることは

興味深いことである。塾生達は狭い所で熱心に勉強して新しい外来の知識を得て此処から巣立っていった。

適塾の間取り

福翁自伝 の中に適塾の生活の様子がよく描かれている。

適塾と緒方洪庵(三田評論)


洪庵のたいまつ(動画)


公園に在る緒方洪庵銅像

適塾の正面通りの様子

台所から二階への急な階段

適塾の台所   台所のある土間

大部屋からズ−フ部屋を見る

大部屋の柱の刀きず

適塾の様子記事

-以下インタ−ネットより引用-

適塾(てきじゅく)とは、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。

正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。

幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、現在の大阪大学や慶應義塾大学の源流の1つとなった。

適塾

歴代塾頭

代数 氏 名
初代 緒方洪庵
2代 奥山静寂
3代 久坂玄機
4代 大村益次郎
5代 飯田柔平
6代 伊藤慎蔵
7代 渡辺卯三郎
8代 栗原唯一
9代 松下元芳
10代 福澤諭吉
11代 長與專齋
12代 山口良哉
13代 柏原孝章

1869年(明治2年)、後藤象二郎大阪府知事の命により、浪華仮病院(天王寺区上本町に在る大福寺)および仮医学校が設立される。

院長は緒方惟準(洪庵の次男)、主席教授としてオランダ軍医ボードウィンを招き大福寺の施設の提供を受けて、

一般の病気治療と医師に対する新治術伝習のために開かれた。

半年で鈴木町代官所跡(現大阪医療センター付近)に移転した。

緒方惟準緒方郁蔵(義弟)、緒方拙斎らがこれに参加。浪華仮病院および仮医学校は、改組・改称を経て現在の大阪大学医学部となっている。

緒方家と大阪大学医学部とは深い繋がりがある。

適塾の建物等は、現在、大阪大学が管理している。

適塾の開塾二十五年、その間にどのくらいの入門生があったかというと、およそ三千人と伝えられている。

緒方洪庵の門弟三千人の中で訳文、執筆の教訓を身をもって守ったものの第一は福沢諭吉である『福沢全集緒言』。

適塾では、教える者と学ぶ者が互いに切磋琢磨し合うという制度で学問の研究がなされており、明治以降の学校制度とは異なるものであった。

これらは慶應義塾大学の「半学半数」にもよく現れている。

福澤諭吉が在塾中腸チフスに罹った時、投薬に迷った緒方洪庵の苦悩は親の実の子に対するものであったというほど、塾生間の信頼関係は緊密であった。

当時の勉強は蔵書の解読で、「ヅーフ」(ヅーフ編オランダ日本語辞典)と呼ばれていた塾に1冊しかない写本の蘭和辞書が置かれている

「ヅーフ部屋」には時を空けずに塾生がおしかけ、夜中に灯が消えたことがなかったという。

適塾では、月に6回ほど「会読」と呼ばれる翻訳の時間があり、程度に応じて「○」・「●」・「△」の採点制度を導入し、

3カ月以上最上席を占めた者が上級に進む。こういった学習法すなわち成績制度の発案や採点制度などは、

初期の慶應義塾のあり方に、さまざまな影響を与えたといわれている。

塾生の多くは苦学生で、遊びはたまに酒を飲んだり、道頓堀川を散策する程度だった。

「緒方の書生は学問上のことについては、ちょいとも怠ったことはない」(『福翁自伝』)というほど、ひたすら勉学に打ち込んだといわれる。

後に福沢諭吉は適塾時代を振り返り、「目的なしの勉強」を提唱している。

塾生は立身出世を求めたり勉強しながら始終わが身の行く末を案じるのではなく、

純粋に学問修行に努め、物事のすべてに通じる理解力と判断力をもつことを養ったと記した。

門下生

門下生の自筆による姓名録が残っており、1844年から1862年までの636名の姓名・入門年・出身地が記載されている。

現在の都道府県で出身地を分けると、山口県が56名で最も多く、洪庵の出身地の岡山県が46名で2番目。

その他、大阪府は19名、鹿児島県は7名となっている。また、青森県と沖縄県を除いて、北は北海道から南は鹿児島県まで全国から入門している。 

主な門下生


    村田蔵六(花神より) (動画)

   陽だまりの樹(動画)

適塾に関連するマルチメディアがあります。

適塾(大阪大学)



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