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4月になって



三月の下旬には満開になるといわれていた桜が遅れ,何時もの四月の始めのこの時期に満開となった。

少し薄寒い冷えた日が続いたので,満開の期間が長引き花見には好都合でもあった。

京都に沢山な桜の名所があるものの訪れることは少ない。近くだから何時でも訪れることが出来るとの気持ちがあってのことである。

現在住んでいる近くに,綺麗な桜並木があり,それを観ていて充分に堪能できる。

毎年同じように見ていると,あまり感動がないが,やっと春が来たとの思いはわく。

普段の風景として,人々も何の気なしに通りすぎていっていようでる。その桜並木は約100メートル位はあるだろうか。

春は桜と共にやってくるが,:しかし景気の方は低迷したままあまり変わりばえはしないようで,これは世界的な傾向である。

だがお隣の中国では景気が良く,多くの観光客が日本に訪れ,その姿を見かける。

外観を見ただけでは日本人と判らない。大きい声で話し合う言葉でもって中国の方だとわかる。

以前は西洋人が良く見かけたものだが,少ないままである。言葉だけを聞いていると英語圏以外の人たちも多く交じっているようだ。

特に最近は中国人が多くなってきているのが特徴である。中国では五月から上海で万博も開かれており,北京オリンピックとあわせ丁度50年前頃の日本のようである。

日本の大阪万博会場に二度訪れたが,大勢の人たちでパヒリオンに入場するのに何時間も待たされた印象が強く残っている。

多分中国の人たちの人口が多いので,日本よりも上海万博はもっと混雑していると想像される。

韓国と北朝鮮の間で,韓国海軍の哨戒艦が魚雷でもって艦船が真っ二つに破壊された事件が起きている。

同じ民族同士がこんなにも憎しみ会うのか不思議である。大戦後無理に二つに分断された同じ民族同志.現在も憎しみあう姿を見るとまらない気がする。

米ソ対立していた時代の犠牲になった民族国家の一つである。東西ドイツは解消されたが,,東西での格差は残っているようである。

日本も沖縄に米軍基地が集中している。これも大戦の結果によるものだろう。

戦争の為に必要な武器を製造している会社にとって「戦争」は常に必要となってくる。戦争がなくなると会社が衰退するからである。

戦争をなくすには,そのような会社をまずなくするのも方法である。

そのような会社がなくならない限り,逆に世界中の戦争が続くのは確実なことである。戦争が先か兵器製造が先なのかは極めて曖昧である。

大戦中の頃は戦争があってから,そのため必要とする兵器を生産し戦争に間に合わせようとしていたことは間違いない。

だが日本は戦後「戦争放棄」で兵器生産もなくなり,財閥が解体されてしまっている。

戦勝国アメリカなどは違っていて,成長した膨大な軍需産業はそのままで現在も続いて盛況である。軍需産業はアメリカが飛びぬけ多くある。

核兵器が世界中で過剰生産され在庫が貯まりすぎ,米ソ間で破棄する話し合いでもって条約が成立している。

世界的にそのような無駄に対しての「見直し作業」が行われば,沢山見つかり,それを是正し,生活を豊かにする方面に生産をまわせば。

世界中の人達の幸福につながると考える。

無駄な所は世界的に洗い直せば.かなりのことが見つかるので゛はなかろうかと思える。

戦争がなくなれば,戦争でもって死んだり負傷したりする人たちは無くなる。

これまでは武器消費のための戦争が戦後延々と続いてきているように思えて仕方がない。

現在,究極的な武器である核爆弾を人類が手に入れてからはそのように思える。

見直しが完全に出来れば,全人類にとって豊かな社会がやってくることを確信する。

地球上に生まれてきた以上誰もが幸せに人生を全うしたいと願うのは当然である。

人類のやっていることは,いずれこの地球が消滅する時期が将来必ずやってくる。地球も叉永遠ではない筈である。

その時になって,大昔人類は馬鹿げたことを繰り返してきたものだと,その歴史とともに,地球が消え去ってしまうのだろうか,

それともこの十年余りの近い将来に,国家間の小さな衝突が発展し,核大戦争に至り,地球が滅び去ってしまうのか,誰も将来は判らないことである。

しかし武器が生産され続ける限り地球上に平和は来ないことは確実である。

約百年前の1929年にアメリカで小説武器よさらば』(A Farewell to Armsが発表されているが,あの時代から色々な兵器が長足に進歩してきており,

「武器よさらば」どころでなく,現在は兵器は行き着くところまできている。

これからの戦争になればその兵器でもって戦争はさらに悲惨さが増すことは確実のようだ。

EU圏内でのギリシャ政府の経済破綻がEUの理想に水を注すような出来事となり,タイ国内での大規模なストで流血状態になるのを見ても

東アジア共同体の難しさをつくづく感じさせられる。世界連邦構想はまだまだ夢の段階であるように思えてくる。

アメリカの基地を沖縄県外 さらに国外へ移転することが出来ない状態では世界でのアメリカ一国独裁体制はまだまだ続きそうである。

「武器よさらば」と目覚めてほしいものた゜が。









哲学者の鶴見俊輔さんが「あなたが誇り」と言いたいと思う人はいたと
数少ない一人が松本サリン事件で容疑者扱いされた
河野義行さんだった
河野さんは妻が事件で昏睡(こんすい)状態になった








平成22年4月1日の天声人語よりの引用


「あなたを誇りに思う」と人に言ったことはない。

だが言いたいと思う人はいたと、

哲学者の鶴見俊輔さんが近刊の『思い出袋』(岩波新書)に書いている。

数少ない一人が松本サリン事件で容疑者扱いされた河野義行さんだった

▼河野さんは妻が事件で昏睡(こんすい)状態になった(一昨年に死去)。

だが、オウム真理教に破壊活動防止法が適用されるのに異を唱えた。

「オウム憎し」で突き進む社会の危うさを、私情を超えてとらえていた。

「こういう人が日本人にいるのを誇りに思った」と87歳の鶴見さんは回想している

▼そんな一文を、警視庁公安部長の記者会見に思い出した。

時効を迎えた警察庁長官銃撃事件を「オウムの組織的テロ」と断定した。

ならなぜ捕まえない、と誰でも思う。

負け惜しみ、腹いせ、面子(メンツ)…。

警察組織の私情を丸出しにした印象が強い


▼事件を裁判の土俵にのせるのが警察の仕事である。

それが出来ずに「やったのは某」とネットで公表するのは、暗い顔の「仕置き人」さながらだ。

公益性を盾にしても、ことの色合いが危うすぎる

▼警察は真相に肉薄していたのかもしれない。

だが100点が必要なときに90点しか取れなくては、プロの仕事として失敗なのだ。

無念を禁じ手の域で晴らそうとする図は、奇異を通り越す

たとえオウムに対しても、法や公正さを軽んじるべきではないと、かつて河野さんは小紙に寄せた。

鶴見さんが「誇りに思う」ゆえんだろう。

逆の粗雑さが当局になかったか。

この人のような揺るがぬ背骨が、法治国家の警察にほしい。





オウム真理教の組織的な事件は異常であった。

実行者は信仰にもとずいてのことか真面目に実行している。

教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)は結局と゜のようになったのか

新聞報道されなくなってきてからは判らなくなってきている

誤った宗教の一面をば見せつけられる思いである。








せっかく集めた民意という「金銀財宝」を、
ただただ蕩尽(とうじん)しつつある







平成22年4月2日の天声人語よりの引用


16から17世紀にかけて栄華を誇ったスペインを、司馬遼太郎は「盗賊が財宝をかかえているような経済だった」と言っている。

世界を巡って大いに財を集めたが、消費するばかりで産業を築く元手にすることがなかったからだ

▼そして「王や貴族、冒険家たちがその財宝をつかいはたしたとき、

故(もと)の木阿弥(もくあみ)になった」と書いた(「街道をゆく・愛蘭土(アイルランド)紀行」)。

そのスペインに民主党が重なり合う。

せっかく集めた民意という「金銀財宝」を、ただただ蕩尽(とうじん)しつつある

▼支持をこぼすこと、穴だらけの桶(おけ)のようだ。

それもつまらぬ穴が多い。

小沢氏批判の副幹事長を解任し、不評を買うや取り消した

続いて国家公安委員長の女性問題。

郵貯をめぐる「言った言わない」や罵(ののし)り合いは「学級崩壊」と失笑を買った

▼神は細部に宿ると言い、幾多の「つまらぬこと」が政権の本質をあぶり出す。

大どころでは「政治とカネ」がくすぶり続け、普天間問題は迷走をきわめる。

郵政改革は先祖返りし、財政赤字への不安は膨らむばかりだ

▼一昨日の党首討論では、一時は秋波を送るかにみえた公明党の山口代表からも「失望内閣」と一太刀を浴びた。

落ち目というのは自分で気づくより早く他人の態度が教えてくれる。

そんなシェークスピア劇の台詞(せりふ)が思い浮かぶ

▼民意の支持は政党の資本金といえる。

使い果たして元の木阿弥では期待した国民はやりきれない。

普天間問題が後のない山場になろう。

党首討論で首相は、「命がけで」という言葉に力を込めた。

宇宙人用語でなければいいが。






民主党への民意は離れつつある。資本金の目減りである。

何が悪いのかをしっかり掴まえ民意を取り戻して欲しい。

3年で三人の首相か交代するようなことではいけない,国民も馬鹿ではない筈だ。









参院の採決で隣の投票ボタンを「代理」、
いや「なりすまし」で押した若林元農水相である
参院の定数242で全国の有権者数を割れば、
一つのボタンは約43万人の民意を乗せている
厳粛な装置である








平成22年4月3日の天声人語よりの引用


ずいぶん前に羽田空港の管制官に話を聞いたことがある。

首都の空は過密だ。

レーダーをにらみつつ「機影の一つ一つが何百人の命を乗せていると思うと怖くなります」と言っていたのが忘れがたい。

プロの緊張感が空の安全を支えていた

▼それに引きかえ、この緊張感のなさには呆(あき)れる。

参院の採決で隣の投票ボタンを「代理」、いや「なりすまし」で押した若林元農水相である。

参院の定数242で全国の有権者数を割れば、一つのボタンは約43万人の民意を乗せている。

厳粛な装置である

▼隣には同じ自民党の青木前参院議員会長の席がある。

青木氏は途中退席したが、高校無償化の法案など10件について、代わりにボタンを押した。

青木氏はあずかり知らぬことで、若林氏いわく「魔がさした」のだそうだ

▼前代未聞を恥じてだろう、きのう議員を辞職した。

すでに今期限りの引退を表明していたが、閣僚まで務めた政治家の、ゆゆしく、もの悲しい晩節の汚(けが)し方である

▼ボタンを押すという採決には、どこか「軽さ」がある。

140年ほど前、発明王エジソンは「電気投票記録機」なるものを作って議会に売り込んだそうだ。

だが議会は買わなかった。

簡単に採決できる機械によって、本来大事な討論が軽んじられるのを案じたからだと聞いたことがある

▼若林氏は回顧録用の「武勇伝」にでもするつもりだったのだろうか。

理由はともあれ、採決を軽んじる人に討論を重んじる精神があるとは思えない。

不届きの背後に政治全体の劣化が横たわっていないか、心配になる。





こんな軽い人が議員になっているのか呆れる話である。

民意はそんな軽いものではない。

真剣にもっと重くとらえて欲しいものである。









明治の昔から鳴らし続けた海上保安庁の霧信号所が、3月末で廃止された







平成22年4月4日の天声人語よりの引用


日活映画「霧笛が俺(おれ)を呼んでいる」の公開から50年になる。

主演の赤木圭一郎は、石原裕次郎、小林旭に続く「第三の男」と期待されながら、ほどなく撮影所内の事故で急逝した。

21歳だった

▼舞台は横浜。刑事役の西村晃が主人公の船乗りに行き先を問うシーンがある。

ボオーという音を挟んで赤木のせりふ。〈そうさな、霧笛にでも聞いてみな。

どうやら霧笛が俺を呼んでるらしいぜ〉。

波止場に響くその音は、海の男の孤独と共鳴した

▼霧笛を発するのは船だけではない。

明治の昔から鳴らし続けた海上保安庁の霧信号所が、3月末で廃止された。

船の位置はレーダーや全地球測位システム(GPS)が取り仕切る時代である。

かつて全国に50を数えた信号所も、北海道の納沙布(のさっぷ)岬など五つを残すのみだった

▼往時の船員や漁民にとって、視界のない海で陸の見当を教えてくれる霧笛は、灯台と並ぶ強い味方だった。

どこからの音かを聞き分けてもらうため、信号所は独自の鳴らし方を通してきたという

▼ただ勝手を言えば、霧笛は「どこからともなく聞こえてくる」のがいい。

むせび泣くような音は、船を守るだけでなく、港町の旅情を駆り立てた。

その役どころは「甘い用心棒」。

少しバタくさい赤木の面影が重なる

秋は霧、春は霞(かすみ)と呼び分けられる風雅な自然現象も、海では魔物に変わる。

そんな不死身の敵役を残し、霧笛はかすむ波間に消えていった。

「赤木が俺を呼んでいる」と言ったかどうかは知らないが、早世の好漢とは違い、悔いなきエンドマークであろう。





時代と共に科学が進歩し,古いものはなくなってゆく。

霧信号所はなくなりレ−ダやGPSに変わっている。

霧の向こうの戦争の原因をつきとめ戦争に変わる手段をさがしてほしい。








1967年秋、来日時の装いは噂(うわさ)のひざ上20センチではなく、
ひざが隠れるキュロット姿だった
以来、スカートの流行は伸びたり縮んだり






平成22年4月5日の天声人語よりの引用


過日の本紙別刷り「be」で懐かしい英国人に会った。

小枝のような体形とミニスカートで一世を風靡(ふうび)したモデル、ツイッギーだ。

1967年秋、来日時の装いは噂(うわさ)のひざ上20センチではなく、ひざが隠れるキュロット姿だった。

だが、翌日の記者会見にはひざ上30センチで現れる


▼カーブの後の豪速球である。

その短さがすっきり映えるのは足が長いからだと、当時の写真を見て思った。

歳月流るるごとしで、英和辞典に名をとどめる彼女も還暦という

▼以来、スカートの流行は伸びたり縮んだり。

60年代の急成長をしのんでか、景気がいい時は縮むとの説がある。

昨今、ひざ上がどうしたと論じることもないが、家庭では別らしい

▼東洋大が募る今年の「学生百人一首」に、選外の傑作があった。

埼玉県の高1が詠んだ〈朝早くスカート丈で押し問答母に短し私に長し〉。

登校前のひともんちゃくが楽しい。

バブル世代のお母さんは、若き日のボディコンを棚に上げて説教する

▼服装史は男女とも、東洋はズボン、西洋はスカート型で始まるそうだ。

欧州の男性が活動的なズボンに移行しても、地位が低かった女性はスカートに取り残されたという。

片や「女らしさ」を求められた日本女性。

農民以外はズボン型を捨て、明治以降も着物に封じられた

▼和洋、男女の垣根が消えた街に「スカート男子」が出没する世。

女子には、母娘の妥協の産物か、レギンスやジーンズの上にミニといういでたちがある。

服に縛られぬ世は幸せだ。

ただしその幸せはいつも、自己責任と「重ね着」になる。




ミニスカ−トや ロングスカ−ト時代と共にスカ−トも変化している。

服に縛られぬ世は幸せでゲ−トルを巻いたり,モンペ姿を強制される時代になることだけは

ご免被りたい。何時までも平和な時代であってほしいものだ。








若い世代は新語を造るのがうまい。
「与謝野(よさの)る」というのがあって、
寝癖などで髪が乱れているのを指すそうだ






平成22年4月6日の天声人語よりの引用


若い世代は新語を造るのがうまい。

「与謝野(よさの)る」というのがあって、寝癖などで髪が乱れているのを指すそうだ。

晶子の歌集「みだれ髪」に由来し、女生徒同士で「すごく与謝野ってるよ」などと言う。

新語を集めた『みんなで国語辞典!』(大修館書店)に収められている

▼その「与謝野る」に、仲間から抜けるという第2の意味が加わるかもしれない。


晶子のお孫さんの与謝野馨元財務相が、自民党に離党届を出した。

近く新党を立ち上げるそうだ。政治の閉塞(へいそく)を破る勢力をめざすという。

その意気や良し▼と言いたいところだが、予想にのぼる顔ぶれが、どうにも古い。

重厚感はなかなかだが、引き換えに清新さは乏しい。

古めかしい自民党臭を消すのは、谷垣さんの率いる自民党本体よりも難しいのではないか

▼存在感を強める「みんなの党」に刺激されたのかもしれない。

だが代表の渡辺氏は、曲がりなりにもまだ政権与党だった自民から飛び出した。

下野して沈みかけた船からボートを下ろすのとでは、有権者の目には違って映ろう

▼「自民党分裂なんてとらえないで。

一人の与謝野馨が去ったと」と谷垣氏に語ったそうだ。

祖母ゆずりか、どこか詩的に響く。

立役者がこれほど哀感を漂わせる新党結成というのも、珍しく思われる

▼自民党はこれを機に「与謝野る」議員が続くのを心配する。

鳩山首相は「自民党さんも大変だな……」と自らの苦境を重ね合わせる。

〈かたみぞと風なつかしむ小扇(こおうぎ)の要(かなめ)あやうくなりにけるかな〉晶子。

いずこも同じに政治の要が危うい。





自民党からの離脱が続いている。

権力を持たない自民党に見切りをつけてのことと思う。

地方で゜は自民党は健在である。国政と連動するのかどうか。








ある日、新しい夫婦茶碗(めおとぢゃわん)を買いに行った
気に入ったのを眺めていてふと気づくと、紺と赤の色は違うが、
二つは同じ大きさである







平成22年4月7日の天声人語よりの引用


女優の故沢村貞子さんに「男女同量」という随筆がある。

ある日、新しい夫婦茶碗(めおとぢゃわん)を買いに行った。

気に入ったのを眺めていてふと気づくと、紺と赤の色は違うが、二つは同じ大きさである

▼男物の傍らに小ぶりな女物がそっと寄り添う。

そうした夫婦茶碗を見慣れた目には新鮮だった。


買って帰り、食卓に並べてみた。

同じ大きさが「嬉(うれ)しかった」と沢村さんはつづっている。

その一文を、宇宙飛行士の山崎直子さんが夫に支えられて飛び立ったニュースに思い出した

▼頭では分かっていても、「男女同量」的な夫婦の実践は難しい。

山崎大地さんの場合も単なる美談ではなかったようだ。

仕事をやめて家事や育児、介護もこなしてきた。

小紙の別刷りに連載した「新宇宙家族」には複雑な胸の内がにじんでいた

▼葛藤(かっとう)の中、夫は心身の調子を崩す。

妻も追い込まれた。

すべて崩壊しかねない危機を、米国の神学者ニーバーの一節に支えられたと、直子さんは自著に書く

▼〈神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ〉(大木英夫訳)。

宇宙飛行も生身の人間の営みなのだと、改めて思う

▼沢村さんに話を戻せば、男女同量の茶碗でつい食べ過ぎたそうだ。

使うに難しいと悟るが「何とか上手に使いこなしたい」と結んでいる。

同量の茶碗に、妻の幸と夫の幸を上手に盛り合う時代と心得たい。

夫婦でいっぱいの地球を眺めて、宇宙船は回っている。





宇宙飛行士も生身の人間,宇宙飛行士の山崎直子さんも女性として大変立派である。

家族の協力があってこそできたことである。

これからも続くのかどうか,ニュ−ス性があるだけで終わってもらいたくない。その成果は。?







人類の武器も初めは素朴だったろう
いまや核兵器である。
オバマ大統領が核戦略の見直しを発表した








平成22年4月8日の天声人語よりの引用


西アフリカに生息するチンパンジーが「武器」を使っているという外電を、何年か前に読んだ。

木の枝をかんで槍(やり)らしきものを作り、狩りに用いていたという。

人間以外による「武器製造」が観察された初の例として話題になった

▼人類の武器も初めは素朴だったろう。いまや核兵器である。

動物学のローレンツによれば、人間は、身体とは無関係に発達した武器を持つ唯一の動物なのだという。

だから「武器相応に強力な抑制は用意されていない」と、この大学者は言う(
『ソロモンの指環』)

▼牙であれ爪(つめ)であれ、自然から与えられた動物の「武器」には、本能的な抑制が備わっているそうだ。

だが人間は、その抑制も自らの手で作り出さねばならない。

核兵器でにらみ合う「恐怖による抑止」が、冷戦のあとも続いてきた

▼その不毛を消していく英断になろう。

オバマ大統領が核戦略の見直しを発表した。

核を持たない国には核を使わない。

新たな核弾頭も開発しない。

「唯一の核使用国」の責任を述べたプラハ演説から1年、米国の大きな変化だ

▼むろん前途は容易でない。

だがオバマ氏の信念には、過去の大統領になかった熱を見る。

20世紀の人類に生えたおぞましい「牙」は、人類自身の手で退化消滅させるほかはない。

その流れを涸(か)らすまいと思う


▼広島と長崎で二重被爆し、この1月に亡くなった山口彊(つとむ)さんに痛切な一首がある。

〈黒き雨また降るなかれにんげんがしあわせ祈るための蒼穹(あおぞら)〉。

「3度目があってはならない」の悲願は核廃絶によってしか完結しない。





よくも沢山な核兵器を作られたものかと呆れる。

税金の無駄遣いも甚だしい。

イラン 北朝鮮ではその核兵器を作ろうとして必死である。

大国はその行為を止めさせようと普通兵器でもつて脅している。

此処に武器の需要が発生している。

「唯一の核使用国」米国「唯一の核を核使用された国」日本の果たす責任は重い。






「両側にソ連とドイツという大男が眠っていて、
彼らが寝返りを打つと潰(つぶ)されてしまう
さなかに起きた「カチンの森事件」の追悼式を、
昨日の国際面が報じていた








平成22年4月9日の天声人語よりの引用


ベートーベンの交響曲第3番「英雄」と5番「運命」。

はざまの4番を「2人の巨人にはさまれたギリシャの乙女」とシューマンはたとえたという。

似た印象がポーランドという国にもある

▼しかし、ロマンからは遠い。

「両側にソ連とドイツという大男が眠っていて、彼らが寝返りを打つと潰(つぶ)されてしまう」と比喩に言う人がいたそうだ。

双方から侵攻された第2次大戦は厳しい国難となった。

さなかに起きた「カチンの森事件」の追悼式を、昨日の国際面が報じていた

▼1940年、ソ連軍の捕虜になったポーランドの将校ら約2万人が銃殺された。

ソ連はナチス・ドイツの仕業と主張した。

真相は長く伏せられたが、ゴルバチョフ時代の90年になってやっと認めた。

今年は事件から70年の節目になる

▼ロシアでの式典には、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ氏(84)の姿もあったそうだ。

事件で父親を失った遺族である。

長く温めて完成させた「カティンの森」は日本でも公開されている。

歴史を次の世代に渡すのが使命、という気迫が映像に満ちている

▼ワイダ氏の思いに、「人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている」というインドの詩人タゴールの言葉が重なり合う。

犠牲者も遺族も、ソ連の「残酷と虚偽」に虐げられた。

「勝利」とは、史実が世代を超えて記憶され続けることだろう

▼映画へのメッセージで、監督は「9月17日」を知らない若者を嘆いていた。

ソ連軍がポーランドに侵攻した日である。


国は違っても、伝え継ぐ難しさは国境がない。




ソ連はナチス・ドイツの仕業と主張していたポーランドの「カチンの森事件」は

「人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐強く待っている」というインドの詩人タゴールの言葉に

表されるように,行動には自省が必要である。









「老木だから10年ともたないかも知れないが、
枯れていくのを見届けるのも、また人生です」
不運な桜は、ほかにも全国に数多(あまた)あることだろう








平成22年4月10日の天声人語よりの引用


東京の調布市に仙川(せんがわ)という私鉄駅があって、2本の古い桜が枝を伸ばしている。

10年前に駅前整備で切られかかったが、住民の熱意で生き残った。

先週久しぶりに訪ねると、春冷えの中に花を咲かせていた

▼伐採には約1万4千人の反対署名が寄せられた。

住民と市の討論会の様子を、当時の小欄が書いている。

最後に市長が決断した。

マイクを握り、「老木だから10年ともたないかも知れないが、枯れていくのを見届けるのも、また人生です」。

そう言う市長も目を潤ませていた

▼幸せな桜もあれば、幸薄い桜もある。

国体の会場整備のために切られて、あわれな切り株をさらす桜の話が、先日の小紙岐阜県版にあった。

不運な桜は、ほかにも全国に数多(あまた)あることだろう

▼花の盛りは愛(め)でてやまないのに邪魔になれば切ってしまう。

京都の桜守で知られる佐野藤右衛門(とうえもん)さんが前に言っていた。

「どうしても切るというなら満開のとき切ったらええ。

満開のときに切る度胸があるか、と聞いてみたい」。

きびしい口調が記憶に残っている

▼大正の末、岡本かの子は「桜」と題する139首を一挙に発表して評判になった。

冒頭にこの一首を置いた。

〈桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり〉。

藤右衛門さんの言葉と遠いところで響きあう

▼冒頭の仙川は、かつてわが最寄りの駅だった。

生き残ったのを機に夜桜コンサートが始まり、この春で10回を迎えた。

満開の下で毎年写真を撮る一家もいる。

幸せな木は人も幸せにするようだ。

何も桜に限ったことではない





生者必滅で生老病死は,桜の樹にも,全ての生物に当てはまることである

盛者必滅も叉同様である。

栄えるものは必ず滅びてゆく運命にあるものである。









森や田畑を荒らす「害獣」も、
捕らえた多くは燃やすか、
埋めるかしているそうだ。
これを食肉として利用する動きが、
国や自治体の音頭で広まっているという記事を読んだ






平成22年4月11日の天声人語よりの引用


生き物の最期は大きく二つに分けられる。

餌になり、いわば死ぬことで生かされるか、食われぬまま衰えていくか。

そしてわずかながら、食べられもせず衰えることもなく、人の手で滅ぶ命がある

▼無益な殺生とは限らない。

森や田畑を荒らす「害獣」も、捕らえた多くは燃やすか、埋めるかしているそうだ。

これを食肉として利用する動きが、国や自治体の音頭で広まっているという記事を読んだ。

野の命を生かす試みである


▼動物による農作物の被害は、全国で年に200億円。

人が育てたようなものだから、シカやイノシシを食べる権利は大いにあろう。

いのしし課を置き、専門の処理施設を設けた佐賀県武雄市では、「とっしんカレー」などの加工品が好評と聞く

▼「ジビエほどフランス人の食欲を強く刺激するものはない……

数多くのクラシックな食材のなかでも本命中の本命である」(宇田川悟『フランス料理は進化する』文春新書)。

狩猟の民の末孫たちは、ジビエ(野生の鳥獣)が出回る秋を待ちこがれ、野趣あふれる煮込みに舌鼓を打つ

▼獣肉が長らくタブー視された日本でも、養生になることはよく知られ、薬食いと称して食べていた。

江戸川柳に〈雪の日の七輪に咲く冬牡丹(ぼたん)〉がある。

イノシシは牡丹、シカは紅葉。

先人の粋な言い換えは、和製ジビエの旨(うま)さの証しかもしれない

▼動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう。

クジラにマグロと、海では押され気味の食文化である。

自然への礼を尽くすためにも、山の恵みを無駄なく味わいたい。





戦時中 戦後の物質不足の時期は何でも食べたものである。

運動場も野菜畑に食料増産し

自給自足の時代があった。飽食の時代メタボで苦しんでいる。








戯曲に小説に評論に、
幅広い仕事を残して井上さんが亡くなった







平成22年4月13日の天声人語よりの引用


 その執筆の遅さはつとに知られ、自ら「遅筆堂」を名乗っていた。

劇作家の井上ひさしさんである。

台本なしには芝居は稽古(けいこ)も始まらない。

演出家の栗山民也さんはあるとき、焦る思いで、カンヅメ状態で執筆中の旅館を訪ねたそうだ

▼ふすまの隙間(すきま)から井上さんが見えた。

裸電球の卓上ランプをともして原稿用紙を積み上げ、机に15センチほどまで顔を近づけて、必死のさまで一字一字を刻んでいた。

言葉が生まれる血のにじむような光景に、「私は涙がこぼれそうになりました」と回想している(『演出家の仕事』岩波新書)

▼戯曲に小説に評論に、幅広い仕事を残して井上さんが亡くなった。

言葉の持つ力をとことん信じた人だった。

戯曲を一つ仕上げると体の肉がげっそり落ちたという。


平易な一語一語に最大の力を宿らせるための、命を削るような闘いだったのだろう

▼4年前にお会いしたのは、庶民の戦争責任を問う「夢の痂(かさぶた)」を上演したあとだった。

戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人の戦後を、滑稽(こっけい)味をまじえて問う劇である

▼脚本を書くうち、日本語を問題にすることになったと話していた。


日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にするのに都合が良い。

その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」と。


日本語を様々な角度から見つめてやまない人だった

▼「むずかしいことをやさしく」と言い、さらに「やさしいことをふかく」と踏み込む。

故人が求めた極意に、われ至らざるの思いばかり募る。

遥(はる)かなその背中を、もうしばし追わせてほしかった




書くことを職業とする人たちは推敲に推敲を重ねて立派なものを書かれるが

こちらは思いが伝わればよいとして適当に思いつくまま書いているので

一向に文章の上達はない。思いが伝わればよいだけである。

美文名文は書けないし,書こうともしてもできない。

戦争のない平和な国・世界になり無駄に死んでゆく人たち 傷つき病む人が少なくなるようにと願うだけである








先日、タイで取材中に亡くなった村本博之さん(43)はベテランだった







平成22年4月14日の天声人語よりの引用


戦場のカメラマンは、命を危険にさらすのと引き換えに、起きたことを世界に伝える。

だから撮影する「位置」はプロ魂の発露でもあるそうだ。

経験豊かな石川文洋さんから、カンボジアで落命した一ノ瀬泰造について聞いたことがある

▼そのころ小社にいた石川さんに、一ノ瀬は現地からフィルムを送ってきた。

コマを見ると、たとえば兵士が伏せている銃撃戦を自分は立って撮っている。

カメラマン魂を買いつつ、若さゆえの気負いを心配したそうだ。

1970年代のことである

▼先日、タイで取材中に亡くなった村本博之さん(43)はベテランだった。

優しい人柄をきのうの紙面が伝えていた。

流血の最前線で撮影を続けたのは、やはり「魂」ゆえだったに違いない。

レンズを通して最後に見たものが所属通信社から公表された

▼激しい騒乱が冷静に撮影されている印象だ。

前方で爆発が起きる。

兵士らは逃げるが、それを追う映像はぶれない。

負傷して引きずられる兵士が生々しく映る。

プロの仕事だろう。

命と引き換えの遺作と思えば胸が痛む

▼タイは今、一番華やぐはずの旧正月を迎えた。

誰彼かまわず水をかけ合う「水かけ祭り」が全土である。

「こんなにやさしい祭はない」と故・立松和平さんが惚(ほ)れ込んでいたのを思い出す。

だが銃声のとどろく緊迫は、いつもの優しさから遠い

▼背後には貧富の格差があるという。

治安部隊とぶつかったのは、水かけ祭りの盛んな、貧しい東北地方の人たちだった。

「ほほえみの国」で、これ以上に憎しみ合いを深めてはならない。






タイの人たちは仏教徒で温厚な人達が多いと考えていたが

激しいデモが起こり守備隊側と銃撃戦が戦われている

国連が仲介に入らないのか不思議である。国連は現在何をしているのか全くの不明。それとも勉強不足か。








今年の4月の「とまどい」は、思春期の少年少女を思わせる
日照時間も各地で短く、春野菜の産地を泣かせる






平成22年4月15日の天声人語よりの引用


「ウインド・イン・マーチ」「レイン・イン・エイプリル」と言うそうだ。

「風の三月、雨降る四月」である。

春の空が定まりにくいのは洋の東西を問わない。

北半球の中緯度帯には共通の現象なのだという

▼暖気と寒気がぶつかり合って、風を呼び雨を誘う。

「四月よ、四月はいったい自分でどうしたらよいのか分からないでいるのだ」。

こんな意味の童謡がドイツにあると、お天気博士の倉嶋厚さんの著書に教わった。

とりわけ今年の4月の「とまどい」は、思春期の少年少女を思わせる

▼行きつ戻りつ、大人の扉ならぬ「季節の扉」をなかなか開けられない。

細めに開けては逡巡(しゅんじゅん)し、後ずさりして過ぎた季節の中へ逃げ込む。

少し小心なのかもしれない。

とはいえ誰も、ためらう背中を押してやることはできない

▼昨日は北の地方に風雪をもたらした。

日照時間も各地で短く、春野菜の産地を泣かせる。

東京ではキャベツやネギが去年の倍近い。


さらにトマトやキュウリ、ナス、ピーマン。

レタスにホウレンソウも高値というから、主役級は軒並みだ

▼東京ガスによれば、この4月のガス使用量は、平年の使用量に基づいた計画値より3.5%多いそうだ。

気温や水温が低いためらしい。

〈雨冷を解いてくれたる春暖炉〉永森とみ子。

かなりの低温が、土曜日ごろまで続きそうだという

▼冒頭の言葉に戻れば、英国では「三月の風と四月の雨が美しい五月をつくる」とも言うそうだ。

季節の扉を開くために、野山をうるおし木々の芽立ちを促す、やわらかい雨がそろそろ欲しい。






この四月はゴルフにも出かけず 運動不足でストレスが貯まる四月となった。

天候不順も災いしているのか。









山も川も、木の葉も雲も、ことごとく曲線である
造物の神は定規を持たなかったようだ
片や人間の造ったものは、ビルにせよ橋にせよ、
直線に満ちている








平成22年4月16日の天声人語よりの引用


言われて気づけば、目に映る自然の造形に直線はない。

山も川も、木の葉も雲も、ことごとく曲線である。

造物の神は定規を持たなかったようだ。

片や人間の造ったものは、ビルにせよ橋にせよ、直線に満ちている


▼直線を発見し、そこに最大の効率を見いだしたのは人類の英知だったかもしれない。

2点を結ぶ最短距離である。

さりとて人の生き方にまで直線を求めすぎれば、社会は潤いも活力も失いかねない。

大学生の就職をめぐる動きに、そうした思いがよぎる

▼1年生のうちから「就業力」をつける教育を、文科省が支援するそうだ。

就職活動はいま、早々と3年の夏ごろに始まる。

それでも遅いのだという。

入学前から「就活」で個別面談をしたり、父母への説明会を開いたりする大学もあるというから驚く

▼入学から就職までを最短距離で駆け抜ける。

その成功者を「勝ち組」などと呼ぶ。

道草の許されない大学生活を、老婆心ながら案じてしまう。

むろん学生のせいではない。

すべてに保水力の衰えた時代が、ゆたかな曲線を封じてしまうのである

▼フランスの哲学者ジャン・ギットンに、次の言葉があるそうだ。

「学校とは一点から一点への最長距離を教えるところであると、私は言いたい」。

小欄の先輩筆者だった白井健策が著書に引用していた

▼直線の定規だけで人生は描けないし、2点を結ぶ線はそれこそ数限りない。

希望はどこにあり、どの線でつながっているのか。

悩みつつ見いだす時間は、大学生の特権でもあったはずだ。

保水力を取り戻せないものか。




景気が悪くて就職難に当たった学生達は気の毒なことである。

逆に言うならば企業側としては優秀な学生を獲得できるチャンスでもある。

就職活動は大変なことである。試練を与えられたとも取れる。








谷川さんの詩を、オバマ大統領に献上したくなった。
2030年代を目標に火星に人を送るという新しい宇宙政策を打ち出した。







平成22年4月17日の天声人語よりの引用


若き日の谷川俊太郎さんは詩集『二十億光年の孤独』で世に出た。

本の題名にもなった名高い詩は、〈人類は小さな球の上で

/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする〉と始まる

▼そして〈火星人は小さな球の上で/何をしてるか 僕は知らない/

(或(あるい)はネリリし キルルし ハララしているか)/しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする〉と続く。

絶妙なカタカナの擬態語が、読む人の脳裏にそれぞれの「火星人」を浮かび上がらせる

▼谷川さんの詩を、オバマ大統領に献上したくなった。

2030年代を目標に火星に人を送るという新しい宇宙政策を打ち出した。

地球上に難題は山積する。

政治的打算もあろう。


だが惑星をめざす挑戦は、素朴に胸を弾ませる

▼往復には2年ほどかかるそうだ。

絵空事と思う人もあろう。

だが「月へ行く」とケネディ元大統領がぶち上げたとき、米国はまだ地球を回る軌道にも人を送ってはいなかった。

それから8年後、人類は月に降り立った

▼想像を刺激されたのだろう、その年に福島県の小学生が書いた「うちゅう人とお話を」という詩がある。

〈わたしは まほうじてんを開いて/うちゅうのことばで 話しかける/「ガガガ ルル ルル ララララ ピル」っていうと/

「ルルル ダダダ テテラ テテラ」てしゃべるかな〉(児童詩誌『青い窓』から)

▼子どもの感性には詩人も脱帽だろう。

この詩もオバマ大統領に献上したくなる。

宇宙人と話すための「まほうじてん」を探し出して、そっと添えながら。






地球には限界があり宇宙に飛び出しその限界を越えようとしているのか









季節はずれの冷え込みに戸惑ってはいたが
まさか東京に雪が降るとは思わなかった
41年前に刻んだ「最も遅い雪」の記録に並んだそうだ







平成22年4月18日の天声人語よりの引用


寝起きの窓から見渡して、花見は済ませたはずだがと目をこする。

季節はずれの冷え込みに戸惑ってはいたが、まさか東京に雪が降るとは思わなかった。

41年前に刻んだ「最も遅い雪」の記録に並んだそうだ

▼自然の気まぐれは侮れない。


朝から驚かすだけならまだしも、青物の値が跳ね、春物は売れず、くらしや経済にいいことは少ない。

天変で地の日常が狂えば、地異は空の秩序をかき乱す

▼アイスランドの火山活動が、ひと噴きで欧州の空を凍らせた。

火山灰が1万メートルの上空に漂い、うかつに飛べばエンジンが止まる。

20カ国以上の空港が閉鎖され、日欧を結ぶ路線も大混乱だ。

1日の欠航が1万6千便と聞いて、どれほどの商機や楽しみが奪われたことかと思う


▼火山灰が長らく空にとどまると、太陽光が遮られ、気温が下がる。

18世紀後半には、同じ島国での大噴火が地球規模の飢饉(ききん)を引き起こし、

フランス革命の一因にもなったと伝えられる。

歴史さえ変える天変地異である

▼SF小説の先駆ジュール・ベルヌの「地底旅行」は、アイスランドの火口から潜っていく。

地底世界をさまよった末、地中海の火山島から噴き出される趣向だった。

欧州を覆う砂の雲に、天も地もひと続きの地球を実感する

▼暦を裏切る雪が降り、季節に構わず灰が舞う春。

「説明しようなんて考えないことですよ。その方がずっと簡単だ!」。

『地底旅行』(岩波文庫、朝比奈弘治訳)にある主人公の言だ。

切ないが、人知を超えた営みに理屈をつけても仕方ない。

いずれ暖は戻り、灰はやむ。




4月17日に東京で41年ぶりの遅い雪が降るなど、東日本の平均気温は3月下旬から4月にかけ、

平年を大きく下回る日が続いた。今年が異常気象であると気象庁も認めている。

そのために野菜の生育に大きな影響が出て来て価格が高騰してきているようだ








鳩山内閣の支持率が、
紙飛行機のように淡々と下がり、
本紙の世論調査でとうとう2割台になった







平成22年4月19日の天声人語よりの引用


紙飛行機を長く飛ばすには、まず真上に高く投げ上げることだと名人に聞いたことがある。

手放す時は鋭く一気に、あとはゆったりと旋回させて滞空時間を稼ぐ。

鋭く、ゆったりの案配が難しい

▼鳩山内閣の支持率が、紙飛行機のように淡々と下がり、本紙の世論調査でとうとう2割台になった。

政権交代で高く舞い上がったピカピカの機体も、身から出たさびで輝きを失い、ほぼ自由落下の体たらく。

悲しき「政権後退」である

▼世論は、首相の存在感の軽さにあきれているのではないか。

その軽さは、民主党を仕切る小沢幹事長の重さの裏返しではあるが、

何より首相自身の物言いにリーダーの自覚を感じない。


政権には船頭が多いのか、いないのか、閣僚たちの発言もまとまりを欠く

▼首相の言葉は綿菓子のように軽くて甘い。

麻生前首相も後先を考えずに軽口をたたいたが、目の前の聴衆を楽しませようという流儀は一貫していた。

そんなアクもなく、鳩山首相はふらふらと語り続ける

▼心細いのは普天間問題だ。

首相は、普天間が国民の関心事になったのは「メディアが動きすぎている」せいだと述べた。

しかし、自ら設けた5月末の期限を前に、新聞やテレビが注目するのは当然である。


沖縄の思いや日米関係をどれほど真剣に考えているのだろう

▼「政治にいい加減な興味を持つくらいなら、むしろ持たないほうがいい」。

これも鳩山氏の言だ。

いい加減とはマスコミに「踊る」民意をさすらしいが、飛行機を投げ上げた大衆を軽く見てはいけない。

数字は無情である。






首相の軽さは小沢氏の重さの裏返しで,問題の多い小沢氏がやはり自民党時代の豪腕が光る。

それにやはり自民党時代から伝統である金銭問題がからんで二回目の検察の不起訴も政治的な手腕で

解決しているようにしか見えてこない。此れでは自民党時代と変わらない。本人は交代する気配もなさそうである。









個人記録とチーム事情は、時に相いれない







平成22年4月20日の天声人語よりの引用


南北アメリカへと海を渡ったコロンブスは、西に進めばアジアだと疑わない一徹者だった。

船員の暴動や座礁、病気などの試練を乗り越え、12年かけて大西洋を4往復した

▼阪神タイガース、金本知憲(ともあき)選手(42)の連続試合フル出場記録が、「新大陸発見」の年と同じ1492で途切れた。

コロンブスに負けぬ頑健、そして粘りである。

国内はもちろん、大リーグの記録もとうに破り、航海というより、どこかお遍路さんを思わせる一人旅だった

▼今季は肩の故障で開幕から不振が続いていた。

11年をかけた前人未到、しかも年齢的に再挑戦は難しい記録である。

周囲が「ご遠慮を」とは言いにくい。

すると、本人が「これ以上出てもチームの迷惑になる。

勝つための手段として外れます」と申し出たそうだ

▼個人記録とチーム事情は、時に相いれない。

担当記者は「ある意味で阪神はタブーから解放された」と万感をこめた。

プロの選手なら、シーズンオフの練習や体調管理も給料の内だろう。

丈夫で長持ちといい、自ら退いた気配りといい、できた仕事師である

▼サラリーマンは、皆勤よりも仕事ぶりや結果を問われる。

しかし金本さんは、そこにいること、出続けることにも意味があると身をもって教えてくれた。

そして、使ってもらえる体を保つしんどさも

▼卑近すぎて並べられた話ではないが、小欄を2週続けて書いたことがある。

14日目の疲労より、翌日のすっきりした気分が今も残る。

鉄人の偉業もさわやかに吹っ切れ、覚えやすく忘れられない数字として歴史になった。





記録にもいろいろあるものだ。








13年前の「そのままの君でいて」が、ほぼそのまま、
なぜか中国の国家事業を盛り上げる運びとなった
岡本さんは「とてもすてきなお話で光栄です」と応じたという







平成22年4月21日の天声人語よりの引用


ホンダ、ソニーと紛らわしい「HONGDA」のオートバイや「SQNY」の乾電池が出回った国である。

中国のコピー癖に今さら驚きはしないが、国の威信をかけたイベントまでとはニセモノ天国も半端じゃない

▼上海万博のPRソングが岡本真夜(まよ)さんのヒット曲にそっくりな件で、

万博実行委が岡本さん側に「あの曲を使わせてほしい」と申し出た。

遅すぎる依頼ながら、岡本さんは「とてもすてきなお話で光栄です」と応じたという

▼13年前の「そのままの君でいて」が、ほぼそのまま、なぜか中国の国家事業を盛り上げる運びとなった。

先方は穏便にさばこうとしたのだろう。

「盗作に抗議」「認めて謝罪」という手順をすっ飛ばした、お手軽にして珍妙な落着だ

▼この荒業、当方も冗談としては話していた。

冗談を地で行く国である。

例えは悪いが、万引きの犯人が「倍払うから許して」とひれ伏した図が浮かぶ。

そして店側は「とてもすてきなお話」と

▼〈もっと自由に/もっと素直に/強がらないで歩いてゆこう〉という岡本さんの詞に導かれたか、

体面を重んじる国にしてはビジネス本位の、素早い対応といえる。

万博まで10日あまり。

さすがに正面から争ったり、曲を作り直したりする余裕はなかったらしい

▼盗作騒ぎは、中国のインターネットで「国の恥だ」と火がついた。

岡本さんはかの国でも知られており、はやりものに疎い当局が笑いものになった。

ネットをあれこれ規制したところで、人の口に戸は立てられない。


「OKANOTO」が通るはずもない。





コピ−の多い中国でのことで上海万博のPRソングがやはりコピ−らしいがその作曲家は光栄としている。

偉い人だと思う。ソニ−やホンダのコピ−もあるらしい。

このネットの引用もコピ−に類するのか,でも話題を見つけるのが困難と少しでも

天声人語を読んでいただき益にほって欲しい気持ちでル−ルに従い引用しているつもりである

長い流れを読んで゜いただけれは理解は得られると思っている。京都新聞の凡語も良いことが書かれてある。

例えば-京都新聞の凡語より引用京都新聞 (2010年05月16日掲載)より-

88年前新生沖縄県スタート

38年前、新生沖縄県は梅雨空の下でスタートした。

1972年5月15日付本紙夕刊によれば、午前0時とともに全島で本土復帰を告げるサイレンが鳴り、

那覇市では政府主催の式典が行われる一方、抗議デモが繰り広げられた

▼雷雨は収まったが、商店街に掲げられた日の丸の旗は、雨に打たれて垂れ下がったとある。

期待と不安の中で「ユーガワイ」(世替わりを意味する沖縄の言葉)を迎えた県民の複雑な胸の内が、当時の紙面から伝わる

▼38年たったきのうも雨雲が沖縄全島を覆った。

同じ雨でも沖縄の季語にある「うりずん」と呼ばれる4月ごろの、しっとりとした慈雨とは異なる。

今もなお解消されない過重な基地負担を象徴するかのようだ

▼基地の整理縮小は掛け声ばかりで進まない。

沖縄経済を支えてきた観光業も伸び悩む。

鳩山由紀夫首相が繰り返した米軍普天間飛行場の「県外移設」発言が、いたずらに県民に期待を抱かせただけで終わるとしたら罪深い

▼本土復帰後、初代知事を務めた屋良朝苗さんは生前、

基地の現状維持を前提とした返還協定を憤り「沖縄県民の気持ちをふみにじるものだ」と、日記に書き残した。

前知事の稲嶺恵一さんも「基地問題は日本全体の問題だ」と訴える


▼この38年間、わたしたちは沖縄県民の怒りや痛みをどれだけ理解し、分かち合おうとしたか。

それを抜きに、沖縄に本当の梅雨明けが訪れる日は遠い。








野生復帰に向けて訓練中のトキ9羽が殺された件で、
容疑のテンが佐渡島のトキ保護センターで捕まった
本能に従う獣たちを、人の都合で善悪に分ける身勝手






平成22年4月22日の天声人語よりの引用


野生動物の幸不幸は、人間にどう見られるかでだいたい決まる。

〈賢い愛敬者〉のイルカには漁をとがめる映画ができ、いっぺんにらまれた種は最悪の天敵を抱えるはめになる。

どうかすると末代まで

▼野生復帰に向けて訓練中のトキ9羽が殺された件で、容疑のテンが佐渡島のトキ保護センターで捕まった。

「犯人」かどうか、毛のDNAを照合中という。

あの惨劇で、テンは天然記念物を食い散らす乱暴者の烙印(らくいん)を押されかけている

▼佐渡のテンは、林業の害になる野ウサギの天敵として本土から持ち込まれたもの。

小欄はこの小動物に思いを寄せつつ、「ウサギを食べたら益獣、トキを殺せば害獣という『人の掟(おきて)』に小首をかしげていることだろう」と書いた

▼本能に従う獣たちを、人の都合で善悪に分ける身勝手。

自然を愛し、トキ復活に汗を流す人たちならとうに承知のことらしい。

憎かろうテンにイモやリンゴを与え、動物園などの引き取り先を探しているという。

温情判決である

▼「害獣」といえば先般、田畑を荒らすイノシシやシカを食用にする動きを喜んだところ、「動物こそ乱開発の被害者」「傲慢(ごうまん)だ」との声が寄せられた。

むろん殺生は必要の限りとすべきで、どうせ駆除するならありがたくいただこう、という趣旨である

▼いっそのこと、人と動物、人と自然といった対立軸を捨ててはどうだろう。


私たちは「ジグソーパズル地球」の遊び手ではなく、大きめの一片とわきまえたい。

おごらない共生の視点から、人がこの星に招いた災いの出口が見えてくる。





人工の自然界の現象に対して人間がどれだけ関与していったら良いのかも問われることだ









飛び出す絵本は楽しい
「飛び出す動画」の魅力はいかに
3Dテレビの商戦が始まった。






平成22年4月23日の天声人語よりの引用


 飛び出す絵本は楽しい。

世界的な名作「はらぺこあおむし」(偕成社)にも昨春、立体版が加わった。

おなじみ、虫食いの穴が開いた菓子や果物も、いっぺんに立ち上がると満腹感が増すものだ。

やがてびろろんと、すっかり太ったあおむしが登場する

▼「飛び出したり音を出したりすることで、おもちゃから絵本への橋渡しができます」。

しかけ絵本を多く手がける大日本絵画社長、小川光二さんの解説である。

ページを繰るごと、子どもたちは物語に溶け込んでいく

▼では、「飛び出す動画」の魅力はいかに。3Dテレビの商戦が始まった。

パナソニックに続いて、ソニーやシャープ、東芝も夏までに売り出し、世界では韓国勢と競うことになる

▼右目用と左目用の映像が交互に流され、それを脳が合成して奥行きや立体感が出るという。


映像酔いを防ぐため、国と業界は「疲れたらひと休みを」と呼びかけた。

一般放送の3D化はまだ先で、当面は有料のスポーツや映画、ゲームが軸になる

▼あれやこれやが画面から出てくると聞けば、当方、ホラー映画の「ポルターガイスト」や「リング」を思い、心がざわつく。

怖さも楽しさも別物と誘われ、新宿の売り場を訪れた。

10分並んで見た石川遼選手によるバンカーショットの映像。

砂が目に入った、とだけ記す

▼それにしても、「地デジ」で薄型大画面への買い替えが進む中である。

値崩れを横目に、早くも「次」で購買欲をくすぐるメーカーと、新しもの好きの消費者。


あおむしの食欲に劣らず、遊び心はいつもはらぺこだ。




立体的な感じで見られるテレビの出現は素晴らしいが高価であり眼鏡をかけ見るのはわずらわしい。

眼鏡をかけずにみられるものも見たがこの方が面白くて

多分こちらが主流になるのではないかと思える。









鳩山政権を批判しながらも、保守系の小党は自民の足を引っ張る
民主党にすれば、骨っぽい社民党や国民新党に代わる
連立メニューが増えるだけだろう







平成22年4月24日の天声人語よりの引用


東京・表参道のケヤキ並木がかわいい葉をつけ、空を仰げばもえぎのモヤがかかっている。

早春の嵐に倒れた鎌倉・鶴岡八幡宮の大イチョウも、残った根元から芽吹いたという。

寒暖の起伏は険しくとも、ひと雨ごとに春が深まる

▼さて、待てども気配すらない政治の春である。

まず自民党という古木。

日の当たる庭から寒風すさぶ野に移され、季節外れの落葉が止まらない。

いち早く庭を飛び出し、そこそこの枝ぶりに育った若木もあるが、野に下ってからの離党は落ち武者の風情だ

▼舛添要一氏の新党も、理念より数と金を合わせたかに見える。

参院選で苦戦しそうな面々を数に頼んだのか、あるいは氏が選挙の顔に取り込まれたか。

ネットに「新党マキゾエ」の命名案があった

▼鳩山政権を批判しながらも、保守系の小党は自民の足を引っ張る。

民主党にすれば、骨っぽい社民党や国民新党に代わる連立メニューが増えるだけだろう。

野党がこのざまでは、普天間や高速道料金で心おきなく迷走できるというものだ

▼事業仕分けの第2弾が始まった。

この政権の少ない「当たり狂言」である。

落ち目の興行主としては、再びの快刀乱麻で大向こうを沸かせたいところだが、楽屋のドタバタ劇が目に入っては興もさめよう

▼ふらつく民主、立ち枯れる自民。

2大政党のダメ比べほど国民に不幸なことはない。

雨後のタケノコのような新党の多くも、さまよう失望票の受け皿にはなれまい。

政権交代から7カ月を経てなお続く政治の冬。

しゃんとするまでの過渡期、ならいいのだが。






自民党を離脱した小党が将来の連立政権の対象になるだけである。

民主党の補強になるのか,;連合しての第三の政党になるかは判らない。

小沢さんの餌食にはなってほしくない。新鮮味がない。










晩年に親交を結んだ白洲さんは12年前に亡くなり
2年半後には多田さんが脳梗塞(こうそく)に倒れた
雅(みやび)やかなその話を、
先日の多田富雄さんの訃報(ふほう)にふと思い出した








平成22年4月25日の天声人語よりの引用


京菓子の「遊び心」を、ある老舗(しにせ)の主人から聞いたことがある。

その店では、たとえば桜餅は3月の初旬から作り出す。

ごく淡い桜色から始めて、春がたけるにつれて日々紅(べに)を濃くしていくそうだ

▼最後は花の散りきった今ごろになる。

真っ白な桜餅を3日間作って「花供養」とし、春を終わらせるのだという。

雅(みやび)やかなその話を、先日の多田富雄さんの訃報(ふほう)にふと思い出した。

世界的な免疫学者で能楽にも通じていた多田さんには、「花供養」という新作能がある

▼この花は桜ではなく白椿(つばき)。

随筆家の故白洲正子さんを偲(しの)び、慕う能である。

晩年に親交を結んだ白洲さんは12年前に亡くなり、2年半後には多田さんが脳梗塞(こうそく)に倒れた。

声を失い半身も不随の中、左手指1本でパソコンを打ち、刻むように書き下ろした

▼白洲さんとは深いところで響きあったそうだ。

対談で、「生きているというのは、体の中に死を育てている」ことだと、科学者としての死生観を語ってもいる。

能作者としての無常観であったかもしれない(『花供養』藤原書店)

▼しかし悲観論者ではなかった。

倒れてのちも、「歩くことをやめると惨めな死が待っている」と詩を作り文を書いた。

だから小泉内閣の「リハビリ日数制限策」には「人間の切り捨て」だと怒りをたぎらせた。

40万を超す反対の署名を集めもした


▼「花は落ちて跡もなし。

幻の花は失(う)せにけり」。

能の「花供養」はこんな地謡(じうたい)で結ばれている。

病から放たれて碩学(せきがく)は去り、いま、自らが幻の花となって幽玄の世界に遊ぶころだろうか。





リハビリにたずさわったことがあるが,lリハビリするよりも遙かに少ない努力で

リハビリする状態にならないようにすることの方が重要である。

リハビリは凄い努力をしても成果はあがらず,r少しの努力でもってリハビリになる状態にならない努力の方が

遙かに効率が良いことである。

なかなかに病気発症する前に予防を話しても聞き入れてもらえないことが多い。









たとえば、「ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、
土をつくっているのだということを発見した」
記録的な天候不順は、増えつつある「野菜工場」への追い風になるそうだ








平成22年4月26日の天声人語よりの引用


チェコの作家カレル・チャペックは「ロボット」という造語を生み出した人物として知られる。

一徹な機械好きかと思いきや、庭いじりをこよなく愛したそうだ。

『園芸家12カ月』という愉快な本も書いていて、思わず膝(ひざ)を打つ記述に満ちている

▼たとえば、「ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっているのだということを発見した」(小松太郎訳)。

我が意を得たりの方もおられよう。

種をまく前にしっかり土を作るのは、いずこを問わず花作りの基本に違いない

▼野菜作りも同じである。

借りて耕している畑を、今年も鍬(くわ)で起こし、石灰をまいて堆肥(たいひ)を鋤(す)き込んだ。

通気性と水はけが良く、かつ保水性に富む、矛盾するような条件を満たすのが良い土だとされている

▼ふかふかの土を割って芽が出る様は、いつも感動的だ。

だが、今季は素人菜園にも心配が多い。

先日は雪の予報を聞いてジャガイモの新芽に土をかぶせた。

幸い耐えてくれたが、農家の苦労がしのばれる乱調の春である

記録的な天候不順は、増えつつある「野菜工場」への追い風になるそうだ。

温度や光、栄養分もコンピューター制御して栽培する施設で、農水省も後押しをする。


人工光の室内で青物が育つ様は、チャペックも驚くSF世界を思わせる

▼「どんなに悪たれ口をきこうと、天候だけはだめだ。

時がみちて法則にかなえば、蕾(つぼみ)はひらき、芽はのびる」と作家は忍耐を説いた。

天の乱心に揺るがぬ技術は頼もしい。

一抹の味気なさを思うのは、「素人農民」の甘い感傷だろうか。





野菜を作るには土を作ることは示唆に富んでいる。他のことにも当てはまることだ。









第11代将軍徳川家斉(いえなり)は
50人を超す子だくさんで知られた
膨らむ養育費、養子や嫁に出す時の持参金
大奥がらみの散財で、もともと苦しい幕府の台所は揺らいだ









平成22年4月27日の天声人語よりの引用

第11代将軍徳川家斉(いえなり)は、50人を超す子だくさんで知られた。

膨らむ養育費、養子や嫁に出す時の持参金、大奥がらみの散財で、もともと苦しい幕府の台所は揺らいだ。

以後、幕藩体制は傾いていく

▼家斉が40人もの側室を愛(め)でた時代から200年。

再び火の車の財政から、子ども手当が絞り出される。

社会全体で子育てを応援する考えに異存はない。

だが、日本に住む外国人の、海外にいる子にまで出すのは気前が良すぎないか

兵庫県尼崎市に住む韓国人の男性が「妻の母国、タイの修道院と孤児院にいる554人と養子縁組している」と、

年間で約8600万円の手当を申請した。

批判派が警告していた「乱用」も、ここまでくるとすがすがしい。

当然、市役所の窓口は拒んだ

▼厚生労働省は「例えば孤児50人の養子を抱える外国人には支給しない」と、前もって自治体に伝えている。

家斉もびっくりの、けた違いの大家族。

慈善に生きる人ならば、554人の顔と名が重なるか問うてみたい

▼離れていても、世話やしつけをし、仕送りしていれば支給されるという。

このあいまいさは、これからも混乱のもとだ。

世は聖人ばかりではなく、子どもを金づると見る親もいよう。

使い道を善意に頼る現金支給より、保育所づくりなど地道な支援を急いでほしい

▼家斉は50という数に縁があって、在職50年は歴代の将軍で最長だった。

任に堪えない為政者がだらだらと居座った時の悲劇は、歴史が示す通りである。

お人よしのリーダー、人のいい政策。

どちらも国と血税を危うくする。





子ども手当そのものの実行が危ぶまれている。その上に悪質な人たちによる養子縁組ともなれば

実行はますます困難となってくる。

公約とかマニフェストは破られるものとなれば国民は何を信用して投票するのか迷う。









犯人の側には時効という味方がいて、
決まった期間を逃げ通せば罪に問われない。
国家がそう保証していた
殺人事件などの時効を廃止する法改正がきのう施行された







平成22年4月28日の天声人語よりの引用



「私は妹の骨壺(こつつぼ)を抱いた。

あれほど忙しかったのに、時に不調を訴えることはあっても、妹はいつも健やかだった。

この健やかな重み。

なんて辛(つら)い重さだろう」。

10年前、東京都世田谷区の一家4人殺害で肉親を失った入江杏(あん)さんの思いだ

▼命を奪われる理不尽は語り尽くせるものではない。

残された者の悲痛もしかり。

しかし、犯人の側には時効という味方がいて、決まった期間を逃げ通せば罪に問われない。

国家がそう保証していた

▼殺人事件などの時効を廃止する法改正がきのう施行された。

「逃げ得」はなくなり、人を殺せば死ぬまで追われることになる。


ちょうど15年前、岡山県倉敷市で老夫婦を殺した犯人は、逃げ切りまで約6時間だった。

どこかで生きているなら己を恨むがいい

▼東京都八王子市のスーパーで女性3人が射殺された事件は時効まで3カ月。

池袋の立教大生突き倒し、葛飾の上智大生刺殺、そしてもちろん、入江さんに「いっそ妹と不仲なら」とまで思わせた惨劇も間に合った

▼一方で、証言や証拠は古くなり、アリバイは立証しにくい、つまり冤罪を生みやすいとの指摘がある。

締め切りがなくなり、捜査の熱が冷めないかという心配もあろう。

どうかこれまで以上に初動に全力を注ぎ、司法の大転換を正義に生かしてほしい

▼時効の廃止が悲しみを癒やしたり、犯人を追い詰めたりするわけではない。

それでも、いつか捕まるかもしれないという希望の灯は燃え続ける。

被害者と、多くの遺族の思いに寄り添って法律が正された。時の必然であろう。





時効とか死刑には反対である。時効を失くすならば死刑も失くす方がよい。

死刑はアジアやアフリカに多いようだ。








さよなら公演を終えた歌舞伎座は
建て替えのため明日の閉場式で幕を下ろす
今の建物は60年前に再建された4代目







平成22年4月29日の天声人語よりの引用


前夜から本降りというのに、当日券を求める列はいよいよ長かった。

ぬれて黒光りする大屋根から〈御禮(おんれい)本日千穐樂(せんしゅうらく)〉の幕が垂れる。

さよなら公演を終えた歌舞伎座は、建て替えのため明日の閉場式で幕を下ろす

▼今の建物は60年前に再建された4代目。


面構えは劇場というより芝居小屋だ。

七変化の戦後東京にあって、東銀座の一角にはこってりと、「定員2千人の江戸」が残っていた

▼間口28メートルの大舞台である。

演劇評論家の渡辺保氏は、役者はこの寸法に合わせて芸の格を高めてきたとみる。

「自分の家にいる自由さがあるからこそ、非日常的な芝居へと飛躍する緊張感をもっていた」。

名女形、六代目中村歌右衛門への評だ

▼演者は「わが家」の解放感と、歴代の名優たちに見守られる心地よさを口にする。

「初役を務める時など、どこかに宿っている先輩方が力を貸してくれるかもしれない。

そんな安心感に包まれる劇場でした」。

語るのは坂東三津五郎さんだ

▼お客の思いも深い。

元NHKアナの山川静夫さんは学生時代にハマり、3階席から声をかけ続けた。

『大向(おおむこ)うの人々』(講談社)に「名優の名演技からいただく感動はなにものにも代えがたい御馳走(ごちそう)でした」とある。

あまたの名演に客が酔い、常連の声が役者を育てもした

▼音羽屋なら「トワヤ!」「ターヤ!」といくのが通らしい。

桟敷や花道、赤い提灯(ちょうちん)の一つ一つに、ジワと呼ばれる客席のざわめきがしみ込む。

積もる時が育んだ場の力、奈落の底をじわりと抜けて、3年の幕間(まくあい)を土中で過ごすことになる。




東京は歌舞伎座 京都は南座である。南座は学生時代アルバイトで楽屋に弁当を配達したときだけである。

昔のことで改築されていることは間違いない。薄暗くて汚い所だったことが記憶にある。








春寒の中にあった4月の言葉か
普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会に9万人が集う







平成22年4月30日の天声人語よりの引用


 宇宙飛行士の山崎直子さんが天から詠んだ一句、〈瑠璃(るり)色の地球も花も宇宙の子〉。

飛んだ者だけに見える世界がある。大気の変が花を遅らせ、政治までが春寒の中にあった4月の言葉から

▼沖縄で「なんくるないさあ」といえば「なんとかなるさ」の意。

「いい言葉。でもそれでは勝てない」と、春の甲子園を制した興南高校の我喜屋(がきや)優監督。

「子どもの可能性は無限大。

選手たちは毎日生まれ変わっている」

▼普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会に9万人が集う。

「危険を危険と感じなくなる怖さ。

この状況が日常になりすぎ、私の感覚は鈍くなった」と普天間高校の岡本かなさん(17)。

「フェンスで囲まれているのは基地? 私たち?」。

首相が「なんくるないさあ」では困る

▼唱歌「春の小川」のモデルは都心の渋谷川支流。

暗渠(あんきょ)となった川を復活させる運動を立ち上げた尾田栄章さん(68)は「川が埋まって50年以上。

街の記憶のフタを開けることから始めないと」と語る

▼「ドバッと」など関西のオノマトペ(擬音、擬態語)を仲間と本にした豊島美雪さん。

「この時代、互いに共通の認識を持ちたいがために厳密さを求めがち。

相手の受け止め方に遊びを残すオノマトペは関西人の優しさの象徴です」

▼帝国ホテルの地下にある靴磨きコーナー。

40年以上働くキンちゃん(77)は、米軍将校に習った腕でスターの足元も光らせてきた。

「心をこめてシューシャインすれば、靴はアンサーしてくれる。

この10分だけは世界の一流たちを独占できる」。グッドな心意気。




戦中 戦後現在にいたるまで沖縄に大きな負担が強いられている。悲しいことだ。





平等院と宇治周辺



現在住んでいる所が京都市の一番南に当たっていて,京都の中心街に行くよりも宇治に行くことが多い。

宇治の主だった観光先としては万福寺 三室戸寺 平等院 興照寺 宇治上神社 宇治神社など がある。

最近に出来た宇治市源氏物語館ミュ−ジアムもある。

特に宇治の中心街にあり修学旅行生や観光客が一番集まるのが平等院である

自動車で約15から20分位の所にあるのでよく訪れる。寺院専用の駐車場が狭いので裏口の方に

大きな民営の駐車場があり,平等院の裏口の方から入る事が多い。

最近と言っても4-5年前に作られた宝物館が裏口の所にあり展示物 映画 パソコンで平等院を知る箇所が作られてある

土産物店もその中にある。屋根を飾っている鳳凰や阿弥陀堂の中の壁面にある天女の本物が宝物館に保管展示されている。

宝物館は現在平等院ミュージアム鳳翔館に変わって存在している。


-以下はインタネットよりの引用-

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え

、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。

宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。

本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。

平等院の創建

浄土式庭園と鳳凰堂

京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。

現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが

宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。

道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。

これが平等院の始まりである。

開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。

創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053年)には

西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。

平安時代後期、日本では「末法思想」が広く信じられていた。

釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れ、天災人災が続き、世の中は乱れるとする思想である。

平等院が創建された永承7年(1052年)は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、

西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営した。

平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいた。

藤原道長は寛仁4年(1020年)、無量寿院(のちの法成寺)を建立、また11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願の法勝寺を筆頭に、

尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺のいわゆる「六勝寺」が今の京都市左京区岡崎あたりに相次いで建立された。

しかし、これらの大伽藍も今は現存せず、平安時代の貴族が建立した寺院が建物、仏像、壁画、庭園まで含めて残存するという点で、

平等院は唯一の史跡である。ただ、平等院も建武3年(1336年)の楠木正成足利氏の軍勢の戦いの兵火をはじめ、

度重なる災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみが奇跡的に災害をまぬがれて存続している。

平等院には、鳳凰堂以外に以下のような堂塔が建ち並んでいた。

現在の平等院

現在の平等院は、天台宗系の最勝院(ともに鳳凰堂の西側にある)浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で管理している。

浄土院は明応年間(1492年-1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、

天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるものである。

1990年代以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータ・グラフィックスによる再現などが行われている。

2001年にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。

建築家栗生明は、鳳翔館(新建築2001年9月号)の設計で、日本芸術院賞を受賞している。

1996年から1997年にかけて、平等院の裏手に15階建てのマンション2棟が建ち、鳳凰堂の背景になってしまっている。

創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが景観法施行前の2002年に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。

当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、

鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている。

境内

鳳凰堂
天喜元年(1053年)の建立。浄土式庭園の阿字池の中島に東向きに建つ。本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)、
左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている。
中堂は入母屋造、裳階(もこし)付き。東側正面中央の扉を開放すると、柱間の格子は本尊の頭部の高さに円窓が開けられており、
建物外からも本尊阿弥陀如来の面相が拝せるようになっている。
阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、
向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されたものである。
中堂の屋根上には1対の鳳凰(想像上の鳥)像が据えられているが、現在屋根上にあるのは複製で、実物(国宝)は取り外して別途保管されている。
本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾され、
周囲の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。
長押(なげし)上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、
本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。
現在、壁画は剥落が激しく、柱や天井の装飾は色あせ、須弥壇の螺鈿は脱落しているが、創建当時の堂内は、
当時の貴族が思い描いた極楽のイメージを再現した、華麗なものであったと思われる。
なお、「鳳凰堂」の呼称は江戸時代からで、当初は「阿弥陀堂」あるいは単に「御堂」と呼ばれていた。
日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、一万円紙幣には鳳凰堂の屋根上に飾られている鳳凰がデザインされている。
観音堂
庭園
中島に鳳凰堂の建つ阿字池を中心とした浄土式庭園。平成2年(1990年)からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、
現在は創建当初の姿に復元整備されている。鳳凰堂への入堂も池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に復されている。
観音堂
境内北側、表門を入って左側に建つ。鎌倉時代初期の建築で本堂跡に建てられた。国の重要文化財に指定されている。
本尊十一面観音立像(平安時代後期)を安置していたが、現在は鳳翔館に移されている。
鳳翔館
境内南側にある博物館で、2001年に開館した。平等院鳳翔館を参照。

文化財

国宝

阿弥陀如来像 像高約284cm
月輪と蓮台
雲中供養菩薩(北1号像)像高約90cm
壁画 中品上生 東扉
鳳凰堂
木造阿弥陀如来坐像
仏師定朝の確証ある唯一の遺作。寄木造漆箔、像高284cm。
定朝は和様彫刻様式の大成者、また寄木造技法の完成者として日本彫刻史上著名な仏師である。
円満な面相、浅く流れる衣文などを特色とする定朝の優美で温和な作風は、「仏の本様」と称されて平安時代の貴族にもてはやされ、
以後の仏像彫刻には定朝様(よう)が流行した。定朝が制作した法成寺藤原道長が建立した寺)などの仏像はことごとく失われ、
晩年の作品である平等院像は、彼の作風を具体的に知ることのできる唯一の遺品として、きわめて貴重なものである。
像内納入品の木板梵字阿弥陀大小呪月輪(もくはんぼんじあみだだいしょうじゅがちりん)と木造蓮台は国宝の附(つけたり)指定となっている。
木造雲中供養菩薩像 52躯
鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像。飛雲に乗り、阿弥陀如来とともに来迎する菩薩像を表わしたもので
、52体(2008年に追加指定された1体を含む)が国宝に指定されている。各像のポーズは変化に富み、
琴、琵琶、縦笛、横笛、笙、太鼓、鼓、鉦鼓などの楽器を奏する像が27体あり、他には合掌するもの、
幡や蓮華などを持つもの、立って舞う姿のものなどがある。菩薩形の像が主だが、僧形の像も5体ある。
本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているもの、
像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数体ある。
現存52体だが、当初全部で何体あったのかは定かでない。52体のうち半数の26体は鳳翔館に移されている。
鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面
中堂の扉10面、壁4面は、国宝建造物の一部であるとともに、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている。
主な主題は『観無量寿経』に基づく九品来迎図である。壁画の構成は以下のようになっている。
  • 正面中央扉(2面)上品上生図
  • 正面北扉(2面)上品中生図
  • 正面南扉(2面)上品下生図
  • 北面扉(2面)中品下生図
  • 北面壁(1面)中品中生図
  • 南面扉(2面)下品上生図
  • 南面壁(1面)下品中生図
  • 本尊後壁正面(1面)図様不明(阿弥陀供養図とする説が有力)
  • 本尊後壁背面(1面)下品下生図・中品下生図
  • 西面(背面)扉(2面)日想観図
以上のうち、北面壁、南面壁、本尊後壁(表裏)は当初は土壁で、壁画が描かれたのは鎌倉時代に下るとされていたが、
本尊後壁については創建時にさかのぼるとの新説もある。扉絵は創建当初のものであるが、正面中央の2面の扉は、もっとも消耗が激しかったためか、
江戸時代の寛文10年(1670年)の修理の際に取りかえた新しい扉になっており、国宝の14面には含まれない「附(つけたり)指定」となっている。
その他の画面も剥落がはげしく、画面には江戸時代末期の落書きも目立つが、平安時代後期 - 鎌倉時代の貴重な絵画遺品である。
なお、正面と南北側面のオリジナルの扉は取り外して宝物館に収められており、代わりに復元模写の扉がはめられている。
木造天蓋
本尊阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造天蓋で、像とは別個に、彫刻部門の国宝に指定されている。
折上小組格天井形の方蓋と、その内側に吊る円蓋からなり、透彫と螺鈿で装飾されている。
鳳凰像(複製)
金銅鳳凰1対
もと鳳凰堂の屋根上にあったもので、鳳翔館に収蔵されている(現在、屋根上にある鳳凰は複製)。
高さ約2.3メートルで、くちばしから尾羽に至るまで精巧に作られている。工芸品部門の国宝に指定されている。
梵鐘
鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。
「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平等院」と謳われ、神護寺園城寺(三井寺)の鐘とともに、「天下の三名鐘」に数えられている。
現在鐘楼にある梵鐘は複製で、実物は鳳翔館に収蔵されている。
この梵鐘は1980年11月25日発行の60円普通切手のデザインにも採用されている(2006年現在も利用可能だが、販売は2002年に停止)。

重要文化財

史跡・名勝



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