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9月になって




夏の暑さは9月に入っても続く。例年に見られないような暑さが続いた。

それに今年は民主党の党首選とも重なって暑さがそれにより倍加するような感じだった。

此れだけ長期間の暑さは異常である。調べてみると気象庁も「今夏(2010年6月〜8月)の日本の平均気温は、

統計を開始した1898年以降の113年間で第1位(これまでの第1位は1994年)の高い記録となった」と

その暑さが尚も続いて9月にもおよんでいる。

だが昔から暑さ寒さも彼岸迄でと言われているとおり,やはりお彼岸の頃になるとやっと暑さも急速に衰えてきた。

でも時に暑い日もあったりし、その為か逆に涼しさが温暖の差で寒く感じる日もあった。

民主党の党首選では例年に見られない 菅首相と小沢一郎氏のガップリ四つに組んでの対決となった。

特に目を見張ったのはあまり表に出ない小沢氏が頻繁にテレビに出演し 討論に加わっての選挙戦には少し驚いた。

小沢氏の此れまで自民党時代からの活動を見て来て初めてのことのように思える。

よほど追い詰められた事情でも有るのかと不思議に感じられた。

今まであまり前面に出ず,ただ裏で工作していた人と言うイメージが強くあったので意外な感じを受けた。

結果は国会議員数では六票の差だったのが,サポ−タや党員票では大差が有り,次に地方議員票でも差があって

結局大差でもって小沢氏が菅首相に負けている。

この頃に中国の漁船が尖閣諸島付近で日本の巡視船と衝突した事故が起こった。

巡視船が中国の漁船員を逮捕 中国との関係が悪化しだし さらには急速な円高が進み日本の経済事情が悪くする事態も発生してきた。

選挙後に内閣改造がされて,なんとか今の所中国との関係は改善方向にあるが,円高に対して日銀・政府が介入してドル買いしたが,

依然として円高は続いている状態にある。

明るいニュ−スとして,今年のノ−ベル化学賞に二人の日本人が受賞することになった。

ノ−ベル化学賞に輝いた鈴木章北海道大名誉教授(80)が8日取材に応じて、

「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」と強調された。

ノ−ベル化学賞の対象になった触媒でのクロスカップリング技術」には日本人が大勢研究にたずさわっている。

 受賞理由となったパラジウム触媒でのクロスカップリング技術」は現在も医薬や液晶など幅広い分野で実用化されている。

それだけ鈴木さんは「日本が生き残るためには付加価値の高いものを作り、世界に使ってもらうしかない」と、

科学技術の重要性を指摘されていた。

それにもう一人東京大学工学部卒、ペンシルバニア大学博士課程修了(Ph.D.)、パデュー大学特別教授根岸栄一氏が

同じく触媒でのクロスカップリング技術で受賞されている。

叉鈴木、根岸両氏を指導した恩師でもあるハーバート・ブラウン博士(故人)もノーベル賞を受賞されていた。

最近の研究として触媒にパラジゥムを使わず、価格の安いフッ素を使用して成功した記事が新聞に報道されている。

世界情勢としてアメリカの中間選挙でオバマ大統領の苦戦が報じられており,パキスタンは気の毒な内戦状態依然として続いている。

パキスタン国内の官僚達の腐敗も著しく尚もパキスタン国民はさらに辛抱する生活をばしいられているようだ。

戦争はただ悲惨だけを人類に残すだけである


大和帰還せず(動画)









民主党の代表選をめぐる土壇場
菅首相、小沢前幹事長とも不安があるのだろう。







平成22年9月1日の天声人語よりの引用

英語ならば「ファイアワーク(火の作品)」と正当に表現される花火も、仏語では「フー・ダルティフィス(策をろうした火)」と身もふたもない。

民主党の代表選をめぐる土壇場の調整劇に、異形の川柳を一つ思い出した。

〈花火 これ以上の嘘(うそ)はありません〉福田文音

▼首相の座を目ざし、二手から派手に上がった尺玉である。

ところがそれは、鳩(はと)の羽ばたきで消えかける程度の火だったのか。

永田町に生まれた「民主の森」まで焼いてなるものかと、最後までいじましい談合を見せられた

▼菅首相、小沢前幹事長とも不安があるのだろう。

一方は相手の組織力におびえ、一方は世論の不人気、それを見た新人議員の動揺が気にかかる。

だが、ポストの裏取引は恥の上塗りでしかない

▼代表選はこうして、カブトムシとオオクワガタの、森を二分した戦いと決まった。

ツノかアゴ、どちらかが必ず折れるガチンコ勝負である。


周りを群れ飛ぶカナブンの羽音は、ブンブン分裂と聞こえなくもない

▼自著によると、菅氏はかつて、民主党に合流する小沢氏に釘(くぎ)を刺したそうだ。

「相談して合意したことを一緒にやるのであって、俺(おれ)の言う通りにしたら床の間に座らせてやる、任せておけというのはダメです」。

あれから7年、主客交代の感が強い

▼民主党に息づく同好会的な文化と、小沢氏が旧田中派から持ち込んだ戦闘集団の手法。

両者の激突に遺恨も絡み、水膨れの党に一つの区切りがつく。

国民の思い、厳しい経済とかけ離れた政争。

その熱さと寒さは、冬の花火を思わせる。





二人のガチンコ勝負もあっけなく済んで大勢の国民の考えるとおりの菅首相の圧勝で終わった。

選挙が終わった開票日に検察審査会ての起訴でもって小沢氏が法廷に立たされることになることが決まっていた。

もし小沢氏が勝利していればどのようになったかとの新聞での解説は見ることが無かった。

日本の総理大臣が起訴され法廷に立たされることにもなるのだろうか。

小沢氏のテレビ出演などの熱意の原因はこのような所から出ていたのだろうかと想像する。









処方する医師への信頼があれば、
患者の苦痛は和らぎ、時には軽快する
安心感が心身を強くするらしい
プラセボ(偽薬)効果というそうだ








平成22年9月2日の天声人語よりの引用


字面こそ怪しいが、ニセ薬は侮りがたい。

処方する医師への信頼があれば、患者の苦痛は和らぎ、時には軽快する。

薬に守られている安心感が心身を強くするらしい。

プラセボ(偽薬)効果というそうだ

▼『心の潜在力・プラシーボ効果』(広瀬弘忠著、朝日選書)は、偽薬を〈プラス思考を心の奥底に届ける配達人〉と例える。

病は気からだ。

治るという「約束」が期待を生み、期待を実現すべく心理と生理のメカニズムが動きだす。

無論、本物あっての偽薬で、治療の主役にはなり得ない

▼民間療法のホメオパシーについて、日本学術会議が「荒唐無稽(こうとうむけい)で効果なし」と断じた。

信奉するあまり、通常の治療を拒む「主客転倒」の例があるためだ。

医師会や薬剤師会も同調した


▼ホメオパシーは、病気と似た症状を起こす毒草などの成分を限りなく薄め、砂糖玉に染ませて与える。

普及団体は、成分が消えても水に「記憶」が残り、自然治癒力を引き出すと説く。

がんや心の病まで治ると聞き、自然志向の女性らが利用している

▼体の神秘には現代医学が及ばない領域もあろう。

だが妄信は怖い。

山口では、新生児に必要なビタミンの代わりに砂糖玉を与え、死なせたとして、信奉者の助産師が賠償を求められている

▼プラセボの語源は、喜ばせるというラテン語だ。

どう転んでも毒にはならない。

砂糖玉に偽薬以上を期待するのはいいが、治療の場で演じるのは名脇役までと心得たい。

主役を気取り、一人芝居で手遅れを招く。

そんな「副作用」が潜むのでは、毒と呼ぶほかない。






ホメオスタシスは知っていたがホメオパシー知らなかった。

プラセボ効果は医学の世界では広く知られていて常識化されている,

だがこの類の事が本格的治療として扱われるようだったらインチキもはなはだしい。










82歳で逝った名横綱、初代若乃花の花田勝治さんは、
両親が出直した室蘭で長男として大家族を支えた









平成22年9月3日の天声人語よりの引用


1934(昭和9)年の秋、関西で3千人の命を奪った室戸台風は東北に再上陸し、青森のリンゴ農家を打ちのめした。

土地に見切りをつけ、その一家が北海道に渡らなければ、戦後の大相撲は何人かの看板力士を欠いたはずだ

▼82歳で逝った名横綱、初代若乃花の花田勝治さんは、両親が出直した室蘭で長男として大家族を支えた。

200キロの鉱石を天秤棒(てんびんぼう)で担ぎ、岸壁と船を結ぶ板の上を運ぶ毎日。


荷役で鍛えた体は近辺の村相撲を席巻し、東京に聞こえるまでになる

▼入門は18歳と遅かった。

北の大地では、稼ぎ手を送り出した親と弟妹たちが出世を待っている。

戦後の食糧難の中、空腹に耐えて滝の汗を流したのは、関取になるまで帰らないと決めていたためだ

▼美しい土俵だった。

軽量ながら、全身これ筋肉。

上体の動きに連動して、太ももからふくらはぎに彫刻のような陰影が走った。

「栃若時代」はテレビの普及期に重なり、スピード感あふれる技の出し合いが相撲ファンのすそ野を広げた

▼断髪式前の土俵入りは、太刀持ちが大鵬、露払いが柏戸という豪華版。よき時代だった。

22歳下の弟は名大関貴ノ花、その息子の若貴兄弟はそろって綱を張った。

青森から北海道を経て、花田家は両国に太い根を下ろす

▼数々の逆境を乗り越えた「鬼」にも、「胸でうずき続ける痛切な傷痕(きずあと)」があった。

綱とりの場所、煮えるちゃんこ鍋に落ち、4歳で亡くなった長男勝雄ちゃんのことだ。

角界の現状を栃錦と嘆く前に、時を忘れて抱きしめているだろう。

間もなく命日である。






若乃花時代の相撲界は良いが最近の不祥事をみるにつけてただ情けない。

双葉山時代から柏鵬時代 そして栃若時代へと移り変わり,その若乃花の花田勝治さんが亡くなった。

82歳で相撲界としては長命にぞくするのではないか。何か気迫が感じたじだいである。

その後の相撲界は八百長とか外国人の国技への参入で,なんとなく面白みが薄れてきている。

それに賭博事件では相撲界も此処まで堕したのかと情けない気持ちでいる










気象庁によると、
6〜8月は19世紀末に始まる観測史で
最も暑かった









平成22年9月4日の天声人語よりの引用

先の小欄で、宿題に触れつつ「暑すぎる晩夏」を嘆いたところ、東京の靖子さん(66)から珍しい物が届いた。

1954(昭和29)年、小学4年の夏につけた絵日記である。

娘さんの結婚を前に、納戸を整理していて見つけたそうだ

▼栃木県小山(おやま)市での古き良き夏休みが、色鮮やかに、楽しく描かれている。

「驚いたのは几帳面(きちょうめん)に毎日書いていることと、気温です」と靖子さん。

小山といえば、今や夏の高温で知られる「北関東亜熱帯」の一角だが、日記の記録は高い日でも33度だった

▼うらやましい「涼しさ」だ。

その後の高成長で底上げされたのだろう。

教員も経験した日記の主は、残暑の中で迎えた新学期を「勉強に打ち込めるかしら」と気遣う

▼気象庁によると、6〜8月は19世紀末に始まる観測史で最も暑かった。

都市化の影響が少ない地点の平均でこれだから、列島ごと熱の中だったらしい。

9月も「夏」が続き、都心では熱帯夜の連続記録が止まらない

▼さて半世紀前の靖子さん。

感心したのは早寝早起きだ。

起床は6時前後、就寝は8時過ぎが多い。

テレビの不在にもよろう。

ちなみにベネッセの「小学生の夏休み調査」(09年)では、4年生の起床は平均7時11分、就寝は10時。

高学年ほど寝坊で夜更かしになる

▼絵日記の初日に、〈白連車〉でお祭りに行きましたとあった。

自転車の書き損じが愛らしい。

わずかにその夜や花火大会の日だけ、寝るのが11時を過ぎた。

めったにないことだから思い出になる。

このゆだる夏も、あまねく心の絵日記に刻まれただろう。







こんな暑い夏は初めてであった。観測史上で始めとか。本当に暑い夏が9月に入り始めて衰えてきている。

ク-ラ-が無ければ到底過ごすことの出来ない夏を体験した。

ても寒いよりもましかと思っている。ク-ラ-が効きが悪く買い換えた。










その「母なる海」の名に、日本の海は恥じないようだ
10年がかりの国際調査で約3万4千種の生き物が認められたと、
先ごろ報じられた。








平成22年9月5日の天声人語よりの引用


「チリメンモンスター」なるものが評判だと聞いて、海産物店から取り寄せてみた。

チリメンジャコにするイワシの稚魚と一緒に混獲される、他の魚介の稚魚のことだ。

タコやアナゴなど異形の面々が「怪物」よろしくジャコの中から顔を見せている

▼普通は取り除かれるのだが、混ざったまま売ると人気になった。

届いた袋にはタツノオトシゴもいて、二十数種を数えた。

ご飯にのせて食べながら命のゆりかごを思う。

〈海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる〉。

三好達治の詩の一節が頭に浮かんだ

▼その「母なる海」の名に、日本の海は恥じないようだ。

10年がかりの国際調査で約3万4千種の生き物が認められたと、先ごろ報じられた。

哺乳類(ほにゅうるい)からバクテリアまで、確認された海の生物の14.6%にあたる。


世界の25海域で最も多かった

▼調査した日本の排他的経済水域の容積は海全体の0.9%だから、そこで14%強とは多彩な生物相だ。

変化に富む海底地形や気候が命を育むのだという。

かけがえのない授かりものであろう

▼とはいえ無尽蔵ではない。

別の調査では、日本周辺の水産資源はマサバなど84種の4割強が「低位」にあるという。

秋の味サンマの不漁も伝えられる。


海水温が原因とされ、資源の減少ではないそうだが、海に甘え続ければ痛い目にも遭いかねない

▼〈秋刀魚(さんま)喰(く)ふ男のくらし隙(すき)だらけ〉阿部完市。

ここは隙のない環境保護と資源管理で日本の海を守りたい。

食べる魚ばかりでなく、ヘンな生き物もいてこその豊饒(ほうじょう)なのだと肝に銘じながら。





天然の魚類よりも養殖の魚類が多くなってきている。そのうちに大変洋の真ん中で大規模な

魚類生産工場でも出来るのではないかと考える。

牧畜が盛んだから当然牧魚の時代がきても不思議ではない・









江戸の天才絵師、葛飾北斎の「富嶽三十六景」は眺めていて飽きない
江戸の昔にも富士登山は大流行した







平成22年9月6日の天声人語よりの引用


江戸の天才絵師、葛飾北斎の「富嶽三十六景」は眺めていて飽きない。

その世界的な名品とともに、北斎は富士山を川柳に詠んでもいる。

〈八の字のふんばり強し夏の富士〉。

誉れ高い絵と違って、これなら下手の横好きもお近づきになれそうだ

▼その富士の「ふんばり」も、この夏はひとしおだったことだろう。

なにせ大勢が登った。

7月の山開きから8月末までに、山梨側からは約26万人を数え、空前のブームでにぎわった。

静岡側からも14万人を超えた。

さすがの「八の字」も、ずいぶん重たい思いをしたに違いない

▼「いやはや大変だった」は、行ってきた知人の開口一番である。

えんえん人の背中とお尻を見て登ったそうだ。

お正月の初詣で、といった感じらしい。山の静寂より、祝祭的な雰囲気を、登る人も求めているようだったという

▼江戸の昔にも富士登山は大流行した。

「富士講」と呼ばれた大衆の信仰登山だ。

背景には時の幕府への不満があったというから、歴史はやはり繰り返すのかもしれない

▼ところで、あの「八の字」の形を、裾野(すその)の広さの割に低いと腐(くさ)したのは太宰治だった。

もう1.5倍は高くなくてはいけないと、こちらは「富嶽百景」に書いている。

この名短編で太宰は、富士山をけなしたり、ほめたりと忙しい

▼世界に名峰は多いが、幼児が描いてもすぐそれと分かる山はざらにはない。

高低はともかく、単純さと、それゆえの聖と俗が人を様々に引きつける。

登ってもよし。

眺めてもよし。

あってよかったとつくづく思う、不二の山である。



葛飾北斎


富嶽三十六景


富士山



富士山は神秘的な山で特別に高くて美しい。昔は日本の山として強調されていた。









この「首相選び」は政治史に残るだろう
小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった
他紙も似た傾向のようだ。








平成22年9月7日の天声人語よりの引用


 選挙のことを「デモクラシーの祭り」と言ったのは英国のH・G・ウェルズだという。

SF作家として知られるが、すぐれた文明批評家でもあった。

その「祭り」が残暑の日本で佳境に入ってきた。

しかし一般の国民は踊りの輪には入れない

この「首相選び」は政治史に残るだろう。

だが、祭りばやしが高鳴るほど隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いは募る。

〈いつの日か直に決めたい国の顔〉と先の川柳欄にあった。

「直に決めた」といえる去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方もおられよう

▼さて、どちらが首相にふさわしいか。

小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。

他紙も似た傾向のようだ。

民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう

▼民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。

バッジ組は、新人議員とて利害損得の渦中にあろう。

民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す

▼もとより政治は対立を前提とする。

そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。

だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。


権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない

▼去年の祭りでの熱を帯びた参加は、たった1年で村祭りの傍観に変わってしまった。

頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ、選ばれるのは村の顔役ではなく、国の顔である。




国民は小沢氏をよく観察していると思う。自民党的体質は就いて廻っている感じだ。








抗生物質の効かない「多剤耐性菌」をめぐるニュースが続いている
帝京大病院で大人数の院内感染が起きたと思ったら、
独協医大病院では患者から新型の大腸菌が検出された







平成22年9月8日の天声人語よりの引用



気の毒にも「腸チフスのメアリー」と呼ばれた女性が、20世紀初めのニューヨークにいたそうだ。

7年間に6軒で家政婦をするうち、7回も腸チフス流行の感染源になったというから驚く。

吉川昌之介さんの『細菌の逆襲』という本に書かれている

▼この病気は無症状の保菌者や、病後保菌者が多いといわれる。

彼女は計51人に直接感染させ、二次感染は千数百人にのぼったそうだ。

とうとう離れ島へ送られたと聞けば、古ぼけた昔話に思えるが、細菌の脅威は今も消えてはいない

▼抗生物質の効かない「多剤耐性菌」をめぐるニュースが続いている。

帝京大病院で大人数の院内感染が起きたと思ったら、独協医大病院では患者から新型の大腸菌が検出された。

後者は近年インドで見つかった菌の初上陸だという

▼ペニシリンに始まる抗生物質は「20世紀の奇跡の薬」といわれる。


多くの命を救ってきた。しかし細菌も、たまたま耐性を得たものは生き残り増殖する。

その進化と新薬開発のいたちごっこが延々と続いている

▼切り札といわれる薬さえ効かない「スーパー耐性菌」も見つかっている。

つまりは人と細菌の、生物間の生存競争なのだという。

あなどれぬ敵との果てしない競争である

▼要は予防だが、医療従事者は手洗いが大切だそうだ。

これは暮らしの中でも、もっと広まらないだろうか。

素朴ながら効果は大きい。

暑さで忘れているが、遠からずインフルエンザウイルスの季節も来る。

お互いに、知らず知らず「メアリー」にならない用心を、まず心がけたいものだ。




人類と菌との戦いで耐性菌が生じてきている。共存で平和的生存はありえないのか。

菌を殺すのでなく弱毒 無害化する方法が無いものなのか。

予防にもつながるが果てしない最近との戦いを終わらせるためにも菌の絶滅か,弱毒 無害化が必要ではないのか。









米国国境に近いメキシコの観光地で、
土産物屋のおじさんに「カカリチョー」と声をかけられた
最終目標とする役職は部長級が一番多く、
次いで役員、社長、課長と続いた








平成22年9月9日の天声人語よりの引用


もうずいぶん前、米国国境に近いメキシコの観光地で、土産物屋のおじさんに「カカリチョー」と声をかけられた。

何のことか分からず行き過ぎると、今度は「シャチョー」ときた。

それでわかった。初めは「係長」と呼んだのだ

▼言葉は日本の団体客に教えられたそうだ。

以来、日本人と見れば「カカリチョー」とやる。「シャチョー」よりもウケが良いという。

「ブチョー」も「センム」も知っていて、偉い順に正しく並べて得意そうに笑った

▼遠い旅の一コマを、産業能率大学の今年の「新入社員調査」を読んで思い出した。

管理職志向が過去10年で最高になったそうだ。

最終目標とする役職は部長級が一番多く、次いで役員、社長、課長と続いた

▼係長は最少で1.4%だった。

部長のイスは出世欲と現実感の接点なのだろう。

課長では軽く、社長は遠い。

読みながらふと、詩人中桐雅夫の「会社の人事」の一節が頭に浮かんだ

▼〈「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/顔色をうかがいながらおべっかを使う/いわれた方は相好をくずして/「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす〉

▼〈「あの課長、人の使い方を知らんな」/「部長昇進はむりだという話だよ」……〉。

調査が示すのは、ほろ苦くもいとおしい日本的光景への、新人諸氏の心情的回帰だろうか

▼厳しい就職活動をくぐったゆえか、転職を挫折と思う割合も増えていた。

勤め上げる、という言葉は美しい。

だが新天地をめざす気概は頼もしい。

どの道もどこかへ通じている。

そう構えるぐらいが荷は軽い。




誰もが○長にはなれないが観光地では○長と読んでくれる。出征街道は進むに厳しい

責任もともない指導力も問われる。

責任もなく・指導力もなくて世渡り上手は自分勝手だけでもつて出征街道を進んでゆくのが一般の社会。








米社会のイスラム教への偏見はかねて根深い







平成22年9月10日の天声人語よりの引用

ハリウッド映画にテロリスト役で出た中東出身の俳優を、同僚記者がかつて取材した。

この俳優は撮影中、ある場面の削除を製作側に申し入れたことがあった。

旅客機の乗っ取りに成功して朗々とコーランを読み上げるシーンだった。

9・11のテロが起きる前の話である

▼人権団体の助力もあって台本は変更され、完成した映画にそのシーンはない。

「なぜ悪人とイスラム教をすぐに結びつけるのか」と、俳優は憤っていたそうだ。

米社会のイスラム教への偏見はかねて根深い。

テロの後、憎悪ともいえる感情となって渦巻いたのはご承知の通りである


▼それでも聖典のコーランを集めて燃やす話は、聞いたことがない。

フロリダ州のキリスト教会が、テロから9年になる11日に計画し、波紋が世界を駆けている。

イスラム世界には激しい抗議が広がりだした


▼信者は50家族ほどの小教会だが、世界に向けて「コーランを燃やせ」と呼びかけてもいる。

「書物が焼かれる所では、ついには人間も焼き払われる」。

ドイツの詩人ハイネの言葉を引くなどして欧州からも非難が上がっている

▼テロのあと、米国でイスラム系住民は不穏な空気にさらされた。

ニューヨーク大の教授は、「社会が自由や寛容を失ったら、それこそテロリストを勝利させることになる」と案じていた。

憎悪が憎悪をあおる愚挙は、まさに思うつぼだろう

▼『悪魔の辞典』のビアスによれば、宗教とは希望と恐怖を両親とする娘だそうだ。

不寛容という乳母の手で醜く育った娘は、いずれであれ世界を不幸にする





宗教は自分が信ずる宗教が一番正しいから始末が悪い。世界戦争には伴いがちだが

寛容の精神も必要である。

どの宗教にも教えとしてあるはずだが人さまざまで伝わりがたいのか。









検察捜査のゆがんだ姿が、大阪地裁の判決に映し出された







平成22年9月11日の天声人語よりの引用


19世紀ロシアの文豪、ゴーゴリの「検察官」は腹ゆすられる喜劇だ。

印刷の際、植字工や校正係が笑い転げて仕事にならなかったとの逸話を残す。

不朽の名作は、冒頭に辛辣(しんらつ)な俚諺(りげん)を置いて始まる。

岩波文庫から引くと、「自分のつらが曲がっているに、鏡を責めて何になろ」

▼つまり、自分の醜態を省みず相手を責める愚をいさめる。

要はそんな手合いがのさばっていたのだろう。

さて、この「鏡」を「判決」に置きかえれば、大阪地検に当てはまろう。

検察捜査のゆがんだ姿が、大阪地裁の判決に映し出された

▼郵便割引制度をめぐって偽りの証明書発行を指示した、というのが厚労省の元局長、村木厚子さんの罪状だった。

判決はそれを明快に退け、無罪を告げた。

検察は、事件が「創作」だったと言われたに等しい

▼村木さんの部下だった被告らから供述をしぼり出し、自作の筋書きに都合よく添い寝させる。

あきれたプロの技である。

その果ての、まれにみる完敗は、検察史の大きな汚点として刻印されよう

▼密室で虚構を繰り返す検事に、「魔術にかけられそうな怖さがあった」と、否認を貫いた村木さんは振り返る。

力関係は絶対だ。

並の人だったら検事の描くストーリーに身を沈めていたかも知れない

▼文字どおりのキャリアウーマンで、逮捕された去年6月、舛添厚労相は「働く女性にとって希望の星だった」と語っていた。

ひとりの人間が人生をかけて得た輝きを、理不尽に射落としたのである。

鏡の中の曲がったつらを深く恥じて、検察はもう手を引くべきだ。





改めて検察官とは 警察官とは 裁判官とは 弁護士とはと問いかけると判らなくなる。正義と正義との争いで

本当の正義が何処にあるのかを争いあう人たちの集団かと考えていたが,そうでもなさそうだ。

悪いと思いながら自分の都合だけでもって悪事を働いている人達もいるようだ。だから冤罪が発生する。









きのう公開された映画「悪人」を見て
人を善悪で二分する愚かしさを思った
私たちは善にもなれば悪にもなる









平成22年9月12日の天声人語よりの引用


原作は吉田修一さんが本紙に連載した小説なので、手前みそをお許しいただく。

きのう公開された映画「悪人」を見て、人を善悪で二分する愚かしさを思った。

私たちは善にもなれば悪にもなる

▼主人公の土木作業員祐一は女性を殺(あや)めてしまう。

情状はさておき悪であり、被害者にすれば鬼畜にも等しい。

ところが、出会い系サイトで祐一と知り合った店員光代は、悪を承知で一緒に逃げる道を選ぶ

▼ひとまず光代に寄り添ったこちらの「悪人観」だが、結末でまた揺らいだ。

李相日(リ・サンイル)監督は、観客も光代と一緒に迷えばいいと思ったそうだ。

妻夫木聡さんは好青年のカラーを一新する熱演、平凡な女性を非凡に演じた深津絵里さんは、モントリオールの映画祭で賞に輝いた

▼作中、娘を殺された父親が絞り出す。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる」。

大切な人。

父親によれば、その幸せを思うだけでうれしくなるような人である。


一人でもいれば、身勝手に悪を通せるものではない

▼見終わって、短い詩が浮かんだ。

〈ルームライトを消す/スタンドランプを 消す/そうして/悲しみに灯を入れる〉。

杉山平一さんの「闇」だ。

人は時に、孤独の闇に灯をかざし、打ち砕かれた己と向かい合う。

大切な人の出番である

▼見境のない殺傷が絶えない。

ふとした出会いが止めたであろう悲劇の数々。

「なんでもっと早う光代に会えんかったとやろ」。

主人公の悔いは、多くの「悪人」に通じる思いだろう。

人の本性を一字にすれば、善でも悪でもなく、悲か哀となろうか。










戦争時には大勢の人を人を殺せば英雄となり,普通時では極悪人となる。犯罪者が英雄となり

英雄が極悪人となる。そのようなややこしい事態を生じさせるのが戦争である。

正義のための戦争なんかありえない。昔から正義のための戦いが行われ続けてきたのが人間の歴史である。

ノ-ベル平和賞を受賞した劉暁波(中国)が中国にとって犯罪者扱いにされている。

場所と時代によってコロコロと変わるものだが超越者(神)から見るならば真は一つだと信じたいのだが。

チリでの鉱山の落盤で閉じ込められた事件が全世界で報道され33名の人達が助かり全世界の人たちは感動した。

だが一方現在パキスタンや以前のイラクなどでは爆弾一つで何十人もの人が死んでニュ-スにもならない事が発生している。








78歳で亡くなった谷啓さんは、
おかしさを売る人たちからも面白さで一目置かれた







平成22年9月14日の天声人語よりの引用


懐かしい「ガチョーン」のセリフは、もとは麻雀(マージャン)の席の口癖だったという。

なるほど、いい牌(パイ)を引いたときも、相手を上がらせてしまったときも口をつきそうだ。

それを、追いつめられて尻まくっちゃうギャグに使おうよ、と電波にのせると大流行した

▼とにかく人を楽しませたがる人だった。

自宅が焼けたとき、愛想なしでは火事見舞いの仲間に申し訳ないと、庭にテントを張って麻雀卓を用意した。

友人を絶句させ、しかも自身は大勝ちしてご満悦だったというから、コメディーを地でいく

▼78歳で亡くなった谷啓さんは、おかしさを売る人たちからも面白さで一目置かれた。

テレビの草創期を風靡(ふうび)したクレージーキャッツの人気者は、人なつこい丸顔と、

ほのぼのとした持ち味が、晩年まで変わることはなかった

▼近年はNHKの教養番組「美の壺(つぼ)」の案内役で、落ち着いた味を醸していた。

和服が似合い、書画を愛(め)でても、焼き物をなでても、軽妙洒脱(しゃだつ)で味わい深かった。

音楽と笑いから出発した芸能人生の、見事な成熟でもあったろう

▼谷さんは昭和7年の生まれ。

他のクレージーキャッツのメンバーも全員昭和ヒトケタだ。

戦争から解き放たれ、自由なジャズに入れ込み、進駐軍を巡って芸を磨き、テレビを席巻した。

その死去で7人中5人が彼岸に渡り、戦後という時代がまた遠ざかる

▼「すでにあの世へ逝ったメンバーたちに『谷を迎えてやってくれ』と祈った」という盟友犬塚弘さんの話が切ない。

晩年のご隠居然とした味わいを、もうしばし画面で眺めたかった。






谷啓クレ-ジ-キャッツの一員である。最近は「美の壷」というNHKの教養番組を楽しみして見ていた。

若い頃には蓮中がテレビでよく出演してい,笑わせ楽しさをあたえてくれた。ネットでみる記事では出演は膨大な数である。

これも時代の流れであろう。









民主党の代表選で、小沢前幹事長への支持の裏には、
似たような待望論があったとされる
閉塞(へいそく)感を突き破る腕っ節への期待である





平成22年9月15日の天声人語よりの引用

 

「ゴルディアスの結び目」の故事は一種の英雄待望論でもあろう。

古代、だれにも解けぬ複雑な結び目があって、「これを解く者はアジアの王となる」と言い伝えられていた。

その伝説を東方遠征中のアレキサンダー大王が知る

▼若い王はその結び目を見るや、解きほぐすのではなく、剣を抜いて一刀両断に断ち切った。

とりまく兵隊は歓声をあげたそうだ。

民主党の代表選で、小沢前幹事長への支持の裏には、似たような待望論があったとされる。

閉塞(へいそく)感を突き破る腕っ節への期待である

▼「小沢先生が導いてくださる」といった若手議員の声も聞こえてきたが、結果は、剛腕を押し立てるには至らなかった。

菅首相の勝利は、カリスマを頼むより、民意をふまえた、良識的な選択だろう。

国会議員の票でも菅さんが競り勝った


▼党員・サポーター票の差は歴然だった。

ものごとの道理を筋目と言い、文目(あやめ)とも言う。

わずか3カ月前に選んだ首相を、党の事情だけで代える理非への、しがらみのない判断が示されたといえる

▼戦い終えて、首相は「ノーサイド」を宣言した。

だが英国の文人ブレイクに「敵を許す方が、友を許すより簡単である」の箴言(しんげん)がある。

内輪のガチンコ勝負、しこりは消えにくかろう。

小沢さんの「壊し屋」の横顔が気になるところだ

▼当面の注目は人事となろうか。

ひとつの時代が終わり、新しい時代を作りあぐねる日本である。

問題の結び目は固く、複雑だ。

一人の剛腕ではなく、首相の言う全議員による「412人内閣」に、希望をつなぎとめてみる。






妥当な民主党の党首選の結果だった。小沢一郎氏についてはいつも裏面がつきまとい一番自民党的な悪い部分を持ち合わせた人のようだ。

何か他と違うネットの記事に思えた。

小沢一郎氏(動画)








身を潜めていた秋が急に姿を見せたような空気になった








平成22年9月16日の天声人語よりの引用

駅への途中にあるお宅の、道路にまでしだれている萩に、紫の花がつき始めた。

きのうの朝は、その葉が雨滴をのせて光っていた。

夜の雨は、猛暑でほてりにほてったものみなを、静かに冷ますように降った

▼「けさの秋」という季語がある。

もう夏のものとは思われない気配に、ふと気づく朝をいう。

例年ならお盆過ぎだろうが、今年は遅かった。

東京だと、それはきのうだったようだ。

身を潜めていた秋が急に姿を見せたような空気になった

▼青春から朱夏をすぎて、秋は白秋。

〈秋野(しゅうや)明らかにして秋風(しゅうふう)白し〉の一節が中国唐代の詩人、李賀にある。その秋風を、日本では「色なき風」と表した。

夏の湿気が払われて、透き通って寂(さ)びていく景色。

もともと風に色はないが、そこに「色なき」を見るセンスに頭が下がる

▼白雲愁色の季節でもある。

〈明月帰らず碧海(へきかい)に沈み 白雲愁色蒼梧(そうご)に満つ〉は、遣唐使だった阿倍仲麻呂の「死」を李白が悼んだ一節だ。

仲麻呂は帰国の船が難破して沈んだと思われたが、今のベトナムに漂着し、唐に戻って異土で没した

▼〈天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出し月かも〉はその帰路につく前の望郷の歌として知られる。

だが作家の竹西寛子さんは、「唐土(もろこし)に心を残している人の歌」でもあると見る。

今ふうに言えば「二つの祖国」だろうか。

仲麻呂は唐にあること実に54年におよんだ

▼時は流れ、眺める月は昨夜が上弦だった。

この半欠けが満ちていって、中秋の名月になる。


待ちあぐねていた秋へ、ようやく季節が傾斜していく。





暑い暑い夏がやっとすぎて秋がやってきた感じている。








いくつかの大学が「友達づくり」の手助けを始めたそうだ
学生たちは、友達がいない寂しさより、
いない恥ずかしさに耐えられないのだという
友情とは成長の遅い植物のようなもの
造花を飾って安らぐ心の内が老婆心ながら気にかかる










平成22年9月17日の天声人語よりの引用


友人とはなんぞや、の答えは色々だろうが、臨床心理学者の故・河合隼雄さんの著作中にこんなのがある。

「夜中の十二時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」(『大人の友情』)。

なかなか刺激的だ

▼ある大学で、入学後1週間もしないうちに「友達ができない」と学生が相談にきたそうだ。

「努力したがうまくいかない」と言う。その話に河合さんは驚いた。

1週間努力すれば友達ができる、と思っていることにである

▼河合さんが健在なら何を思うだろう。

せっかく入った大学を、友達ができないからと中退する学生が増えているという。

このため、いくつかの大学が「友達づくり」の手助けを始めたそうだ

▼学生たちは、友達がいない寂しさより、いない恥ずかしさに耐えられないのだという。

「暗いやつ」と見られたくない。

周囲の目が気になって学食で一人で食べられない。

あげくにトイレで食べる者もいるというから驚かされる

▼昨今、「友達がいなさそう」というのが、人への最も手厳しい罵倒(ばとう)ではないかと、

作家の津村記久子さんが日本経済新聞に書いていた。

人格の根本部分を、あらゆる否定をほのめかして突くからだという。

やさしげでいて残酷なご時世、学生ならずとも孤高には耐えにくいようだ

▼携帯電話に何百人も「友達」を登録して、精神安定剤にする学生もいると聞く。

だが、友情とは成長の遅い植物のようなもの。

造花を飾って安らぐ心の内が、老婆心ながら気にかかる。






子供の頃近所の子供達と一緒によく遊んだ見のだ。でも最近子供たちが外で遊ぶ姿を余り見ない。

一方シルバ-の人達がグループで活動する姿はよく見かける。

子供達は塾通いに忙しいのか。競争の波に子供の頃からさらされて友達が出来ないのかもしれない









このところ、日本の先行きを「ジリ貧からドカ貧へ」と案じる声によく出会う








平成22年9月18日の天声人語よりの引用


このところ、日本の先行きを「ジリ貧からドカ貧へ」と案じる声によく出会う。

昨日の小紙コラム「経済気象台」にもあった。

この言い回しは日米開戦を懸念した海軍出身の元首相、米内光政の言がよく知られている

▼「いわゆるジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう、ご注意願いたい」。

開戦前の日本は「ジリ貧論」が台頭していた。

いまの閉塞(へいそく)感は当時と似ているのかもしれない。

そして、ドカ貧に沈むか、浮くかの舵(かじ)取りが、菅新内閣と民主党の新執行部にゆだねられる

▼挙党態勢を掲げたものの、「脱小沢」の色は濃い。

カギを握るのは首相より、むしろ岡田幹事長かもしれない。

似顔絵を描くのに定規がほしい、とかつて小欄で書いた。

「融通が利かない」という評を退け、党内をまとめあげる任は重い

▼「脱小沢」と「挙党態勢」を両立させる困難は、シェークスピアの「ベニスの商人」の名高い判決を思わせる。

「(借金のカタに)胸の肉を切り取るのはよいが、血は一滴も流してはならぬ」。

実行するのは神わざの域、と言えば大げさになろうか

▼米内が抱いたドカ貧の心配は、国の破滅となって的中した。

いま閉塞感の下、若い世代に「焼け野原願望」なるものがあるそうだ。

世の中すべてをリセットしたい願望だという。

希望喪失のさまに暗然となる

▼小沢氏側の面々も、意趣返しにかまけている暇などあるまい。

ケンカはおいて仕事をしてくれ、が国民の声だ。

失われた歳月をこのうえ積み重ねる愚は、それこそ日本をドカ貧に落とす。


ご注意願いたい




菅内閣が発足してからは仙石官房長官の活躍が目立つ。前回の鳩山首相の時の官房長官がおそまつだったから

余計にそのように感ずるのかもしれない。

岡田幹事長は外務大臣の時同様に何をされているのか一向にわからない。動向がマスコミにあまり報道されないからか。








破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。
早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる







平成22年9月19日の天声人語よりの引用


ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。

逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。

早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる

▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺(はなし)がまとまらない。

ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。

大御所たちの渋面をよそに、寄席での人気はテレビの登場で全国区となる

▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。

途中で入る客には「若だんな、いらっしゃいまし。

そろそろ来る頃だってうわさしてたんです」と脱線した。

奔放な芸に比べ、笑わせるための準備は念入りで、時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ

▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。

はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。

指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう

▼54歳で亡くなる何年か前、有楽町の歩道をスーツ姿で走る初代を見た。

生放送の掛け持ちだったのか、急ぎながらも、通行人に愛敬を振りまく芸人魂に感心したものだ。

芸風とは逆に、きちんとした人とお見受けした

▼型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。

初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。


爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧(あこが)れらしい。

懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。




林家サンペイ(動画)






人生の折々に見せる違った顔は成長の証しにほかならない。







平成22年9月20日の天声人語よりの引用


絵本作家の永田萠(もえ)さんに「ウソ泣き」という詩がある。

〈ウソ泣きしてたら/きみがトコトコやってきて/「ぼくがいるからだいじょうぶ」って言うものだから/かあさん/ウソ泣きが本泣きになっちゃった〉

▼不覚の涙に、おかしくて切ない血のつながりを思う。

わが子を虐待する親が絶えぬ中、東京の声欄で「母子の愛」がひとしきり話題になった。

きっかけは「子どもはみな母親が大好き」という投書だ。

病に倒れた女性が、反目していた母に看取(みと)られたいと願う話だった

▼ある母親は小1の次男のことを寄せた。

投稿者は「何か得意なものはないの?」と息子を問い詰めたそうだ。

「お兄ちゃんみたいに色々できないよ」と泣き出した子、やっと書いたのが〈ままがすきなこと〉。

ママは反省しきりである

▼円満な親子ばかりではない。

子への愛を自負する親ほど、縁が切れたかのような反抗期にうろたえる。

そんな時、どの子も親が好きなはずと念じれば救われよう。

やはり永田さんの「たまごの時代」を引きたい

▼その詩は〈おとなになるちょっと前に/おとこの子も/おんなの子も/固いカラのたまごの中に閉じこもる〉と始まる。

どんな姿で出て来るのやら、周りは気長に待つほかない。

〈ここらで親もひとやすみ〉の結びが、子育て世代に優しい

▼母のうそ泣きに駆け寄るのも、殻に閉じこもるのも同じ子である。

人生の折々に見せる違った顔は成長の証しにほかならない。


この祝日、親がご健在の方は、手紙なり花束なりでありがとうの顔を見せることができる。





母子の関係は子供の頃だけで,大人になると親は粗大ゴミ扱いにされる風潮を嘆きたくなることもある。








つまり「生態系を踏みつける足跡」と言われる指標の大きい国だ
この足跡は、生活をまかなうのに必要な耕作地や海、森林などの面積を言う
日本のそれはかなり大きい








平成22年9月21日の天声人語よりの引用


秘境好きの憧(あこが)れる南米パタゴニアの地名は、マゼランのつけた「足の大きい人々」に由来するそうだ。

かの地を訪ねた作家の椎名誠さんにも『でか足国探検記』なる一冊がある。

だが実際に足が大きかったわけではなく、毛皮のブーツが大きく見えた、というのが真相らしい

▼「でか足国」は現代にこそある。

エコロジカル・フットプリント、つまり「生態系を踏みつける足跡」と言われる指標の大きい国だ。

この足跡は、生活をまかなうのに必要な耕作地や海、森林などの面積を言う。

日本のそれはかなり大きい


▼だから世界中が日本人と同じ生活をしたら、地球が2.3個分必要になるという。

世界自然保護基金ジャパンが先ごろ算出して発表した。

日本人はいま、国土が本来供給できる何倍も贅沢(ぜいたく)な生活をしている

▼肩身が狭いが、それでも29番目にとどまる。

1番のアラブ首長国連邦なら地球5.7個分が、2番の米国だと5個分が要る。

世界全体でならせば1.44個分といい、もはや計算上は地球を食いつぶしつつある

▼先週、16日の小紙「しつもん!ドラえもん」の答えに驚いた方は多かっただろう。

人間の営みの結果、いま1日に約100種の生き物が絶滅しているという。

恐竜時代の絶滅は千年に1種ほどだったというから、人類恐るべしである


▼たまさか人間と生まれ、わがもの顔に振る舞ってばかりでは他の生き物に申し訳ない。

贅沢な国と貧しい国の格差も著しい。

肥大したブーツを脱ぎ、幸不幸の凸凹を埋める取り組みが、「でか足諸国」には待ったなしだ。






日本は耕作する土地が少なくて森林と住宅地ばかりが目立つ。

農業も機械化され大農家でないと生計が保つことが出来ずに兼業農家をする人が多くなる。

多くの森林は林野庁の所有で国家がしょゆうしているのか,でも外材を輸入してのハウスメ-か-が多くなっている。
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「粛々」という表現を使ってよく知られているのは、
江戸時代の儒学者、頼山陽の漢詩だろう。
だが、近年は政治家や役人に軽く乱用されてきた







平成22年9月22日の天声人語よりの引用


「粛々」という表現を使ってよく知られているのは、江戸時代の儒学者、頼山陽の漢詩だろう。

「鞭声(べんせい)粛々 夜河を過(わた)る……」。

武田軍とまみえる上杉軍が、馬に鞭打(むちう)つ音もひそやかに川を渡る。

静かでおごそかな様を表す言葉である

▼だが、近年は政治家や役人に軽く乱用されてきた。

本来の重みを失ったと嘆く声も聞くが、さて、前原外相はどうか。

尖閣諸島沖での海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突をめぐって、「国内法に基づいて粛々と処理をする」と述べた

▼軽い形容ではなく、この粛々は「毅然(きぜん)」と読みたい。

法治国家の重みをのせた一言だろう。

そして、その「粛々と処理」に中国側の反応が激しい。

官民が入り乱れての対抗措置は居丈高だ。

これでは理性的な日本人にも反感のガスがたまりかねない

▼中国側は閣僚級の政府間交流の停止を決めた。
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東シナ海ガス田開発の条約交渉の延期や、上海万博への青年訪問団の受け入れ延期などを一方的に通告してきた。

あれやこれや、「互恵」をうたう衣の下から大国主義が見え隠れする

▼かつて小泉政権下で日中関係は凍りついた。

その後、温家宝首相の「氷を溶かす旅」と、胡錦濤主席の「暖かい春の旅」の訪日で関係は改善した。

とはいえ日中は、歯車が狂えばたちまち厳冬に戻る不安定を抱えている

▼たしか老子だったと記憶する。

相手に負けを意識させない勝ち方というのを説いていた。

固有の領土に毅然はむろんだが、そうした収め方を探れるか否かで、菅内閣の器も問われよう。

試金石にして、正念場である。






粛々は政治家の用語になって来た感がある。粛々とやってしまい,その後が波乱万丈ではたまらない。

お隣の中国とは波乱続きがおきている。

相手の立場をも考え,「粛々」ではなくて「熟慮」してから何事も進めてほしいものである。









大泥棒も人間なら、検察官も人間だった。
あらかじめ描いた事件の構図に沿って自白を迫る
ときには調書も作文する







平成22年9月23日の天声人語よりの引用


名探偵「ブラウン神父」のシリーズは味わいが深い。

宗教者らしく、神父は謎解きの合間に含蓄のある言葉を吐く。

「人間というものは、善良さの水準を保つことはできるが、悪の水準を一定に保つことはできない。

悪の道はただ下る一方だ」。そう言って大泥棒をさとす

▼大泥棒も人間なら、検察官も人間だった。

あらかじめ描いた事件の構図に沿って自白を迫る。

ときには調書も作文する。

かねて指摘されてきた特捜検察の「悪」、でなければ「暗部」の水準が落ちるべくして落ちた。


それが今回の押収資料改ざん事件だろう

▼前代未聞の不祥事を生んだのは、厚労省の元局長、村木厚子さんが被告になった郵便不正事件である。

明快な無罪判決のあと、〈特捜が特高になる恐ろしさ〉と川柳欄に載った。

だが、さすがの作者も、ここまでの怖さは想定外だったろう

▼たとえば、否認している容疑者の毛髪を1本拾って犯行現場に置いてくる。

やや極端なたとえだが、今回の件はそんな荒っぽさにも通じる。

権力は私たちに、どんな濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)も着せることができる

▼改ざんで逮捕された主任検事は特捜の敏腕だった。

所属する大阪地検の幹部らは不正の疑いを把握していたようだ。

禍々(まがまが)しい花は、組織に深く根を張って咲いたと見るのが自然だろう

▼ブラウン神父に戻れば、その説教に感じた大泥棒は、盗んだダイヤを神父の足元に返して改心を誓う。

検察も「秋霜烈日」のバッジを返上したつもりで背水の出直しを図るしかない

大泥棒は立派に更生するのだが、検察はどうなる。





ひどいものだとの一言に尽きる。







継父に暴力を振るわれ、家の外で倒れていた小学6年の女児が保護された
その子は継父に日記をつけるよう命じられ、
毎日「お父さん大好きです」などと書いていたそうだ






平成22年9月24日の天声人語よりの引用


戦争の末期、妹を学童疎開に出した思い出を向田邦子さんが書いている

まだ字のおぼつかない妹に、父親は自分の宛名(あてな)を書いたはがきをたくさん持たせた。

「元気な時は大きいマルを書いて毎日出すように」と言いつけたそうだ

▼初めは大きなマルが届いた。

だが寂しさからか、マルは次第に小さくなって、いつしかバツに変わった。

いたいけな印を、父親は黙りこくって見つめていたそうだ。

そんな切なくも身にしみる話を、栃木県で発覚した虐待の記事に思い出した

▼こちらは救いがない。

継父に暴力を振るわれ、家の外で倒れていた小学6年の女児が保護された。

その子は継父に日記をつけるよう命じられ、毎日「お父さん大好きです」などと書いていたそうだ

▼だが、殴られたりした日には、気づかれぬよう日記に印をつけていた。

それが傷害容疑を裏付ける証拠にもなったそうだ。

ひそかな印は誰に、どんな思いを伝えたくてのことだったろう。

低栄養の状態で、体重は22キロしかなかったという

▼痛ましい虐待の減らぬ中、しばらく前の東京の声欄で、児童福祉施設の職員のご苦労を読んだ。

心をずたずたにされた子らを、体と心を張って受け止め、包み込む。

相手の心を癒やす代償に自分は傷ついていく。

「厳しく切なく、気の遠くなるようなかかわりです」の訴えに心の中で頭(こうべ)を垂れた

▼向田さんの話に戻れば、妹は疎開先で病気になった。

やっと帰ってきたとき、父親は裸足で玄関を飛び出し、抱きしめて泣いたそうだ。

幸せな子とそうでない子の落差に胸が痛む。





継父とは言えひどい父親があったものである。忠孝の教育が戦前徹底的になされていたが

最近それが疎かになってきている。忠はいらないが,考はやはり大切な道徳観念である。

忠孝セットでないと世の中通じないのかと、育てた親を粗末にすることは嘆かわしい世の中になって来た。








イチロー選手が10年連続の200本安打という高みに登った






平成22年9月25日の天声人語よりの引用


漫画家の長谷川町子さんは25年にわたって、小紙に「サザエさん」を描き続けた。

その数は6477回。むろん平らな道ではない。

スランプ峠、マンネリ坂、いきぎれ岬……。

ご本人によれば、そんな「難所」を数々越えての長い旅路だったそうだ

▼相通じるものがあろう。

イチロー選手が10年連続の200本安打という高みに登った。

大リーグ記録は去年抜き、今や孤高の一人旅をゆく。

凡人には分からぬ「スランプ峠」を幾度も越えての、前人未到の快挙だろう

▼打者の仕事をシンプルに言えば、投げられたボールがストライクゾーンを通過するのを許さないことだ。

その技を、古今を通じて最高に磨いた仕事師に違いない。

区切りのヒットも狙い澄ましたようにセンターへ抜けた

▼日頃から、階段とスロープのある所なら必ずスロープを歩くと聞いた。

万が一にせよ階段は足をひねる恐れがある。

ひざや腰に負担もかかる。

一事が万事のプロ意識が、36歳の体を20代に引き締める

▼スポーツ選手の円熟は、衰退を内に秘めてもいる。

だが2632試合連続出場の大リーグ記録を持つリプケン氏は「永遠にプレーできるのでは、と思える」と感嘆したそうだ。

鉄人は鉄人を知る、というべきか

▼〈シアトルのイチローの秋如何(いか)ならむ箴言(しんげん)のごときそのうつしみよ〉水原紫苑。

イチロー語録は名高いが、その姿自体がもはや箴言のようだと歌人は詠んだ。

そうかも知れない。

「驚かれているうちはまだまだ。

驚かれないようになりたい」。

かつて自ら語った域に、努力の天才は立つ。





イチロ-は天才だが大変な努力家でもある。プロ意識が旺盛だ゜。力まずに上手くヒットを打っている。

テレビで討論をしているのを見て知ったことだがオバマ大統領の給料とイチロ-の給料の額には驚いた。

オバマ大統領の方が重大な仕事をしていて,イチローは努力はしてはいるがでもオバマ大統領よりは軽い仕事をしている

それなのに同じアメリカで働いていて,こんなに差のつくのはアメリカからしいというのか

政治が悪いと言うのか 政治家には裏金でもあるものかどうか驚くばかりである。








尖閣諸島沖の衝突事件で、中国人船長が処分保留のまま釈放された







平成22年9月26日の天声人語よりの引用


政治経済ばかりか、この国は司法までが外圧で動く。

尖閣諸島沖の衝突事件で、中国人船長が処分保留のまま釈放された。

「日中関係を考えれば身柄を拘束しての捜査は続けにくい」。

気の毒にというか、政府の代弁をさせられたのは那覇地検だ

▼レアアース(希土類)の禁輸は露骨だった。

微量でも欠かせぬ素材は「産業のビタミン」に例えられ、ハイブリッド車やデジカメなど、それなしには画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く品が多い。

世界のほぼ全量を産する中国は、日本のハイテク産業を締め上げようとしたらしい

▼日本に行くな、日本製品は買うなとの呼びかけもあった。

河北省では邦人4人が軍事施設を撮影したとして連行され、両国のいさかいは経済や生身の人間を巻き込み始めていた

▼とはいえ、中国人が秋葉原で炊飯器を買い、富士山で記念写真に納まるのは強いられてではない。

おいしいご飯や絶景の価値を認めてのことである。

合理で動く経済を、資源や「13億人市場」を頼んでねじ曲げ、恫喝(どうかつ)に用いる発想は怖い

▼法治ならぬ人治の国、しかも一党独裁で思うがままだから始末が悪い。

下手に譲れば増長する。

国際社会の常識が通じにくい「見習い大国」に経済の多くを頼り、国の生命線を握られる危うさを思う

▼中国は早速、謝罪と賠償を求めてきた。


困ったものだが、一緒に熱くなってもいいことはない。

領海の平穏に体を張る海保職員の苦渋を分かち合い、外交の甘さを検証したい。

船長のVサインをこらえ、度し難い画竜、いや巨竜とのつき合い方を皆で考える時だ。



過去に苦い体験をした国として冷静に対応することである。日中で話し合いお互いでもって尖閣諸島の資源も開発すればよいことである。

要は熱くならず,にお隣同志は仲良くやっていくことである。

誰が見ても検察も政治に左右され,判断している。これは良くも悪くも政治によってて世の中変化してゆくことを示している。






4場所続けて全勝優勝した白鵬も、比べるに値する一人である
連勝記録は62まできた。
69代横綱は、いよいよ昭和の角聖、双葉山の69に挑む







平成22年9月27日の天声人語よりの引用


歴代の強者(つわもの)を殿堂の個室から呼び出し、自分だけの夢のスタジアムで戦わせる。

スポーツ好きの密(ひそ)かな楽しみだ。

時を越えるのにチケットは要らない。

そこそこの知識と想像力、あとは先人と比べうる現役がいればよい

▼危機の大相撲で孤高を保ち、4場所続けて全勝優勝した白鵬も、比べるに値する一人である。

殿堂のお歴々こそ、手合わせしたくて身もだえしていよう。

連勝記録は62まできた。

69代横綱は、いよいよ昭和の角聖、双葉山の69に挑む

▼白鵬は近著『相撲よ!』(角川書店)で、どんな形にも対応できる理想の取り口に触れた。

「流れに従って、体が自然に動くに任せる……体勢十分なら寄り切る、だめなら投げる。

自然に動いてとった相撲はあとで観(み)ても美しい」

▼意識するのは、本や映像で研究した双葉山の姿だ。

偉大な先輩は、勝ちに行く気負いを感じさせないという。

ふわっと立ち、攻めさせた上で自分が十分になる。

きのうの日馬富士戦には、一瞬そんな味があった

▼双葉山は「一日に10分だけ精神を集中させることは誰にでもできる」と語っている。

今の白鵬には、双葉山の集中力に加え、大鵬の安定感、北の湖の厳しさ、千代の富士の切れ、貴乃花の正々堂々がある。

大横綱の持ち味を「ちゃんこ」にしたような強さである


▼白鵬は昨秋の巡業中、全盛期の双葉山と一番とる夢を見たそうだ。

「結果はしばらく、私の中の宝物として封印しておきたい。

本当に夢のような勝負をさせてもらった」という。

並ぶか、抜くか。

夢の続きを一緒に楽しみたい。




何かモンゴルの力士に日本の名横綱の双葉山の記録が破られるのが悔しい気持ちもある。

相撲開催の場所数も違うので記録が破られるのは当然かと思う。

そんなに白鳳が強くなくて他の力士が弱いのではないかと思ったりしている。







今年も新米の季節だが、米価の下落が著しい






平成22年9月28日の天声人語よりの引用


さすがは奇想の食通というべきか、作家の嵐山光三郎さんが「でこぼこ道の効用」について書いている。

出前でとる丼もののうまさの秘訣(ひけつ)は、運んでくる道のでこぼこにあるのだそうだ

▼バイクの振動で丼が揺れて汁が飯によくしみるからだという。

天丼の場合は小刻みな振動が具合よく、カツ丼は大揺れするのがいいらしい(『カツ丼の道・素人庖丁(ほうちょう)記2』)。

ユニークな名文に胃袋は鳴るが、それもこれも、ふっくら炊けたご飯があっての話であろう

▼丼物を食するたびにご飯の偉大さを思う。

どんな味も自在に体にしみわたらせる。

国民食のカレーもしかりだ。

〈南風(みなみ)吹くカレーライスに海と陸〉櫂(かい)未知子。

海の部分のカレーが絶品でも、陸にあたるご飯がなければ食事は成り立たない

▼瑞穂(みずほ)の国と言うけれど、日本人は米食民族というより「米食悲願民族」だったと見る人もいる。

前にも書いたが、多くはずっと混ぜご飯を食べてきたからだ。

ようやく戦後に悲願を果たすや、皮肉なことに米は余り始めた

▼今年も新米の季節だが、米価の下落が著しい。

消費者は歓迎だろうが生産者はつらいだろう。


「粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)」とは、一粒一粒が農家の苦労の結晶という意味だ。

経済の原則に感傷は禁物とはいえ、米作りに明日はあるのかと心配になる

▼秋田の「ゆめおばこ」、山形の「つや姫」、島根の「きぬむすめ」……。

近年の新品種は女性になぞらえた命名が目立っている。

稲作の伝統と文化を背負う乙女たちである。

前途がでこぼこな難路とならず、幸多きことを願うばかりだ。




減反政策を続けてもお米を食べる人口が減ってきて,それに外米の味もよくなり値段の安くなるのも当然かと思える。








そんな独裁国家の北朝鮮で
3代目の世襲に向けた動きがいよいよ表に現れ始めた








平成22年9月29日の天声人語よりの引用


かつての小欄で、日本の政権交代について「君は舟なり、庶人は水なり。

水は舟を載せ、水は舟を覆す」という中国の古文を引いた。

庶民は君主を支えるが不満ならひっくり返す。

そう書いたところ、中国文学の一海知義さんから、より辛辣(しんらつ)な格言があると教示を頂いた

▼それは君主を魚に、民衆を水にたとえる。

「魚、水を失わば死す。

水、魚を失うも猶(なお)水たり」。

なるほど、民主主義以前の独裁には、こちらの凄(すご)みがぴったりくる。

民衆とは支配されつつ支配者の生死を握る、恐ろしい存在かもしれない


▼そんな独裁国家の北朝鮮で、3代目の世襲に向けた動きがいよいよ表に現れ始めた。

金正日総書記の三男ジョンウン氏の名が、北朝鮮メディアに初めて公式に登場した。

大将の称号を与えられたそうだ

▼素顔は謎に包まれている。

本人と確認された写真はこれまでにない。

年齢さえ20代後半とされるだけだ。

世襲といい極端な秘密主義といい、その奇っ怪は21世紀の国家とも思えない

▼他方の一党独裁国家、中国も、国際協調にそむく奇っ怪ぶりが止まらない。

共産党内には権力闘争があり、貧富の格差による民衆の不満は募る。

そんな中で、対日外交はナショナリズムも相まって「地雷原」にたとえられる。

尖閣問題での弱腰は、失脚につながりかねないのだと、理由の一端を聞く

▼世襲の王朝も、膨張主義の大国も、わが隣国だ。

遠い戦略を欠いては憂いばかりが連続しよう。

尖閣をめぐる与野党の蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争いよりも、東アジアの時空に大きな図を描く政治がほしい。





三代続いての王朝となる。でも続くかどうかは全く不明である。日本のように100代以上続けばたいしたもので,

日本で言えば飛鳥時代の始まりの頃にあたるのかもしれない。豪族の力が強く藤原氏のような

強力な後ろ盾がない時代のようだが,でも核兵器を持っているようならば大変に恐ろしい存在である。








国内外とも眺めはいまひとつだった9月の言葉か






平成22年9月30日の天声人語よりの引用


昔の風流人たちは長雨を「ながめ」と読んで「眺め」に掛けた。

あの猛暑から一転して秋の長雨の季節。

国内外とも眺めはいまひとつだった9月の言葉から

▼行く当てのない人を誰でも受け入れる寺がある。

宮城県の行持院(ぎょうじいん)の僧、眞壁太隆(まかべ・たいりゅう)さん(61)は、来る人に何も聞かない。

「みんな赤っ恥をかきながらここに来たね。

ふつうに暮らしていたときは、まさかそういう身にはならないと思っていたわけです。

その方の胸の中にね、土足で踏み込むようなことはしません」

▼大阪の元校長、松下睦子さん(65)は教え子たちが書いた詩を一冊にまとめた。

その一編に「わたしは 赤色が好き/夕日が 好きやねん/夕日って/

めちゃんこ きれいねんで/なくなった お母さんが/夕日の中にうつるかも知れんで」。

母親が自死した女児の思いの丈だ

▼同じ大阪で平均年齢77.6歳のジャズバンドが敬老の日にライブを開いた。

最年長は84歳。

最年少のベース奏者宮本直介さん(73)は「いつ死ぬかわからない世代だから、僕たちは一回一回が真剣勝負になる」

▼「寅さん」シリーズの監督山田洋次さんが人と人のつながりを、

「昔の都市生活者は狭い長屋で暮らすためにたくさんの人間関係のノウハウを持っていたんじゃないでしょうか」。

その難しい技術を今の都市生活では学べない、と

▼コーラン焼却で宗教間の緊張が高まる中、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が「自分と異なる人を悪くいう人に立ち向かおう。

本を燃やした炎で未来は照らせない」。

多様性の内にこそ、私たちの明日は宿る。




桓武天皇の柏原陵と明治天皇の桃山御陵




桓武天皇は都を奈良の平城京から約一年間の長岡京を経て,京都の平安京に都を移した天皇である。

明治天皇は東京に遷都され京都の平安京での最後の天皇となる。

その最初の桓武天皇御陵と明治天皇の御陵が偶然にも殆んど同じ京都伏見の地にある。

だが明治天皇の御陵は桃山御陵であって,誰もが疑わず,広大な御陵として豊臣秀吉が建てた桃山城の後地に建設されている。

一帯の地域は宮内庁管轄で勝手に御陵域内には入ることはできない。

最近歴史関係学会の人たちに踏査での調査が許可された記事が新聞に報道されていた。

まだまだ天皇関係への御陵を含めてその参考地,皇族関係の諸施設はべ−ルの奥に包まれたままで,国民とは一線を画しているように思える。

一方天皇家の家族関連の報道は氾濫し皇室にプライバシーか無いのかと思えるほどに色々な情報が我々に広く行き渡って知られている。

此れでは皇室の方々は精神的なストレスを感じられ,病められるのも当然の事かも知れないと思う。

一方御陵についての一切の立ち入り調査は拒んできている。

天皇家の方々が誰も拒んでいるとは思われない。

ただ宮内庁の職員達が拒んでいるのではないかと思っている。どうして何故なのだろうかと不思議でいる。

明治天皇の桃山御陵は桃山城の跡地で立派な御陵である。高校生時代に体育の時間長い階段を駆け上りへとへとに疲れたことがある。

一方の桓武天皇の御陵について現在まで色々と言われて来ていて,未だにはっきりとせず納得された結論にいたっていない。

現実に現在桓武天皇の御陵は存在しているが,大変疑わしいとされている。

それは南北朝時代から皇室が衰退して御陵が省みられなくなって放置されたままになり永い間に御陵の場所が忘れ去られ,

一旦御陵の所在が不明になってしまつたからである。

江戸時代中頃から勤皇の思想が芽生え高まり,御陵を探し出そうとする気運が生じてきたようである。

豊臣時代から徳川の始め頃には桃山城の周囲に多くの武家屋敷がを構えられ伏見全体が伏見桃山時代といわれるよう日本の政権の中心地になった。

現在の桓武天皇御陵がある場所は現在永井久太郎町で,武家屋敷があったところである。

永井右近大夫直勝 堀久太郎秀治をあわせ名ずけられ その他島津大隈 松平伊豆守 牧助左衛門山本新左衛門

大塚兵左衛門 山内土佐守の屋敷があった場所で,それらの場所が一緒にされ桃山町永井久太郎になっいる。(豊公伏見城の図よりの調べ)

その屋敷が廃墟になってからその後長い期間を経てから,桓武天皇御陵が造成されるようになった。

多分屋敷が有った時代には,其処の各屋敷に居間や床の間があり台所 便所なども有ったものと想像される。

だがその場所が一旦桓武天皇御陵と特定され,整備されてしまうと,神聖な場所となり,戦前まで国民もそして今でもそうだが

参拝し最敬礼し,遥拝しているのである。戦前戦中は大勢が人達が参拝に訪れている。

玉砂利の道踏みしめ進んでゆき,鳥居をくぐるとすがすがしく神々しい気持ちになり,自然に頭をたれ御陵に参拝したくなるものだ。

だが桓武天皇陵の本当の場所は何処かと,調べだすと判らないのが現在の歴史学会の状態のようである。

徳川幕府によって:元禄時代に定められた桓武天皇御陵は極めて簡素で庶民的であったようだが,それは一応今も伏見谷口町にある

谷口古墳とされていた。このことについては以前随想で書いているので,以下それを引用し利用して書いてみる

仁明天皇の東限が大王陵となっている。その大王陵の古墳内に桓武天皇が合葬され,その周囲に広い兆域だけを取ったのではないかと想像する。

伏見への柏原陵の作業だけが目立ってくる。そして宮内庁が現在皇室の先祖に対しての御霊の「安寧と静謐のために

日本考古学会協会・歴史学会などの16学会からの御陵に対する学術調査が宮内庁が認めていなかったのが,

今回始めで神功皇后陵と桃山御陵への外周への立ち入り調査を認めている。

しかし我々の先祖の墓は,道路建設の為とか,ダム建設のためなど゛でもって強制的に立ち退きをば

否応なしにさせられているのが普通である。

我々の先祖と皇室のご先祖との間にどれだけの差があるのかどうか。

一番個人にとって大切なのは,やはり誰でも自分に関係した先祖ではないのかと思う。

そのことはどの人にとっても変わりないはずだ。戦時中の臣民の命は羽毛よりも軽く天皇の為に命を捧げてきた時代ではなくなっている。

戦後は各人の命は地球よりも重い時代になっている。

それほど皇室を,少なくとも過去の御陵をばそのままにして,国民の大切な高い税金をかけ何もせずに投じ維持してゆく必然性性が

皇室・国民にとってあるのかどうか考えて欲しいことです。

一度,考古・歴史の16学会が御陵の調査をば 自身の先祖として一番関係ある現在の天皇家に対してと,

並びに政治の最高責任者である総理大臣の両者に対し,御陵調査の許可申請してみられればいかがものだろうか。?

少なくとも平安時代までの陵墓は開放し,学問的に調査対象にできるようにすべきだと考古・歴史の学会が強く申し入れているとかである。

それによって素晴らしい学問的な発見や発展・進歩のあることは間違いない。

医学の世界も同様に,神聖な身体を傷をつける解剖は昔からダブ-だったのが,解剖が出来るようになってから,飛躍的に医学が進歩するようになった。

現在では医師になるには必ず解剖学を修めることが必須中の必須になっている。

解剖学を学ばずして医師にはなれないぐらい大切なことである。

御陵問題もそれと同じことである。

やはり一番確実に良好に保存れている天皇関係の古墳群は考古学では宝の山である筈だ。

それか゛調査できないことは歴史学にとって大変な損失で学問の進展に是非必要とされるものである。

庶民の目から見ていて,現在宮内庁の対応は皇室関係者の方に大変御負担を強いているように思える。

真に国民に開かれた皇室を実現することによって,国民と皇室とが一緒になり,より幸せな未来を築き上げたいものです。

宮内庁を存続させるためか,皇室を国民から遠ざけて神々しく扱っているようにしか思えない。

天皇家も我々と同じ人間同士であるはずだ。特別扱いする必要性は何もないはずである。

現在では大納言伴善男が藤原良房の謀略によって応天門の火事の犯人に仕立て上げられ失脚させられた説が定説になっている。

その後藤原良房によって,平安時代の藤原氏による摂関政治の基礎が築かれ藤原氏の娘達を皇室に嫁がせ皇室と密着し,権力をばほしいままに

握ったといわれている。

昔も皇室を利用し権力を乱用していた時代があった。それが維新後も,戦前もそうだった。

今も宮内庁に,そして一部の政治家 さらには戦後のアメリカも叉同じように皇室を利用しているように思えてくる。

前月の随想内でそのことは書いている。

我々の子供時代の教育は徹底していた。忠君愛国天皇は神だと信じて育っての教育をうけてきた。

大きくなり学童集団疎開で苦労し,戦後の食料難時代を体験,し戦争だけはもうご免だという気持ちは骨の髄までしみ込んでいる。

今も人間は何があっても決して戦争だけはしてはいけないとの気持ちが強い。

これは間違いのない普遍的な永遠の真理だと断言できるのではないだろうか。

人間の本能として便利さ快適な生活を促す工夫すると同時に,叉苦しさ悲惨さを回避しようとする事もこれも本来の人間の智慧でもある筈なのだが。

第二次大戦がもっと早く終わっていれば何百万 何千万の尊い命や傷ついた人たち,悲しい思いをした人達が少なくて.助かっていたのにと大変悔やまれる。

人間とは同じようなことを大昔から何度も何度も繰り返している,情けない,弱い存在である。戦争して碌なことは無かった。

喜ぶのは兵器産業に携わる人々位である。言語の違いはあっても現在ではインターネットが世界中に瞬時に誰にも情報が通じ合う時代である。

地球は一つだと言える時代と言ってもよい。

深草の浄蓮華院はは文政4年(1821)比叡山の僧尭覺(ぎょうかく)が有栖川宮韻仁(つなひと)親王の命により、桓武天皇菩提のために建立され。

寺に祀られている桓武天皇の肖像画は比叡山より下賜されたものであるそうである。

浄蓮華院の現在の住職にお会いすると,今も谷口古墳を桓武天皇の御陵としてお祀りし続けてているといわれていた。

谷口古墳を訪ねて来られたのは貴方が20年ぶりのことで
,同志社の学生さんと先生が古墳を測定に調べに来られたことがあったとかである。

報恩寺が京都市指定の「がんせんどう廃寺」と想定されているが正確には判っていない。発掘に立ち会われた星野さんにお会いして聞いて見たが

礎石らしきものはそこから発掘されなかったとのことであった。

桓武天皇陵は未だに謎のままにある。

伏見叢書には桓武天皇御陵のことか大変詳しく書かれているが,稲荷山の南野だけが,次第に伏見山の松原にあると書かれている。

一番古い文献となる延喜式には御陵の域地には一つの谷があり,そして北東(丑虎)には二つの峰がある場所とはどこになるなのだろうか。?



柏原陵 かしわばらのみささぎ桓武天皇の陵。(平安時代史事典より)

京都市伏見区桃山町永井久太郎に所在。初め山城国葛野郡宇多野の地に葬地を定めたが、

大同元年(八〇六)四月七日、改めて紀伊郡柏原山陵に葬られた。

但し、『紀略』同年十月十一日条にも、天皇を「柏原陵」に改葬するという記事があり、

この両者を重複とみるか、再び改葬されたものとするかで説が分かれている。

『延喜諸陵寮式』には遠陵として挙げられ、兆域は東八町西三町、南五町北六町の広大なものであった。

また『仁部記』文永十二年(一二七五)二月十七日条は、前年に受けた盗掘を実検して「登ること十丈、壇の囲八十余丈」と記している。

平安時代にわたって度々奉幣を受ける重要な陵であったが、室町時代にはその場所もわからなくなり、

比定地も諸説あったが、幕末の国学者谷森善臣が慶応元年(一八六五)に『柏原山陵考』を著して現在地が求められ、

明治になって正式に比定され、現在に至っている。

史料『類史』三六、帝王部一六、『江家次第』一一、『拾芥抄』中、『中右記』保安元年十二月二十五日条、

『兵範記』仁安三年四月三十日条、『山槐記』治承四年七月二十一日条。

研究『地名大系』京都市、上野竹次郎編『山陵』(東京、平1新訂版)。[五島邦治]


桓武]天皇陵


第50代桓武天皇陵


柏原陵研究

桓武天皇




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