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3月について






3月は全く東北地方の地震とそれに続く津波でもって東北地方一帯は壊滅的な破壊が進んでいる。

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源として国内観測史上最大のマクネチュード9の地震が発生した。

それに続いて津波、火災などにより広範囲で甚大な被害がでている。

福島第1原発と第2原発の破壊により周辺住民には、避難指示や屋内退避指示が出されている。

東京電力での十分な電力の供給が難しくなってきていて、東日本では計画停電が実施されている。

地震や津波の被害は天命として,なんとか諦めもつくが,:だが原発の破壊による放射線被害は明らかに人災である。

原発がなければ起こらなかったことである。

放射能被害の終息にはかなりの年月がかかるようだ。懸命な作業は続けらているが詳細な被害の全体像はまだ明らかになっていない。

海中や空中に放射性物質が漏洩しているがその箇所が何処から漏れているのかわからないまま続いている。

原発の安全神話は完全に裏切られた感じである。

死者 行方不明者は多数にのぼり正確な人数がまだ明らかにさけれていない。

何もかも破壊された上に放射能被害では東北の人たちにとっては大変気の毒で,なんとも言葉もないく゛らいである。

地震だけだと,破壊はそれほどでもなかったのだが、続いての津波が大変な被害をもたらしたような感じだ。

世界的に大々的に報道されていて原子力発電の見直しもやむを得ないことだと思える。

ドイツのような国は原発による発電は殆んどなされていないようだ。

戦争になり原子爆弾や水素爆弾が投下されるならば今回の放射能被害を見てぞ−とする話である。

まず地球上には人類は住めなくなると考える。

世界中の核の保有数は三万発近くに及んでいるようだ。

ヒロシマ ナガサキの原爆投下(広島原爆投下長崎原爆投下) 。

それにフクシマの原子発電所事故はソ連のチェルノブイリ事故の破壊と同程度の最高のレベル7と言われている。

この福島でのことでもって原子力政策の見直しが世界的に起これば良いのにと思うが,多分多くの世界の誰もがそのように感じていると思う。

短い一生の間に平安時代の貞観地震以来の千年に一度の事件に巡り会ったこととなる。

なんとか最小限の被害で無事に終息することを願うばかりである。

統一選挙が終わった後に顕著に政府の批判が出てきて,:権力争闘とも取れるような動きが出ていることに対して残念に思う。

亡くなった人たちや,被災している人たちのの事を考えれば今全力で皆が力を合わせ復興に取り組んで欲しい時である。

10万人の自衛隊 全国からの支援者'などは変わらずして,トップが変わるだけでもって目に見え改善するとは思えない。

とりあえず現政府をを支援することが最善の選択だと思う。政争に明け暮れる時ではない。

いけないことに小沢一郎氏には政治生命がかかわるような裁判が待ち構えいるので,彼にとり、なんとかしたい気持ちはよく理解できる。

だが私情を隠しての小沢氏支持議員を通じての政府批判は如何なものかと思う。

選挙地元の岩手県の人達も大変な被害に会われている。

今までに一度でも地元岩手県(岩手県第二区)に足を運び元気つ`けるようなことをされたのだろうか。?

そのことを考えれば私情を捨て郷土の為に,懸命に支援してあげて欲しい。

それも平等に被災者全員に当たり懸命に身を粉にし働いて欲しいものである。

岩手には万里の長城を思わせるような防波堤を築かれていたが,今回の津波はそれをも容易に乗り越えて襲っているようである。

宮古市田老の津波防波堤(画像)(動画)は総延長2433m・高さ10mと日本一」では、地元の人が日本一と自負していた防波堤であっても、

津波は高さ10メートルの防波堤をも突破した。

宮古市田老で1,500棟が全壊、100人を越える死者が現時点で確認されているようだ。

被害が出やすいであろうことから整備された町であっても、防波堤が高さ10メートをも乗り越え津波が襲っている。

総延長2433m・高さ10mでも高さ約38mの津波ではどうすることもできなかった。

外国からも見学者が大勢訪れて来ていたような防波堤だったようである。

被害は現在も進行形のことであるが,やはり将来のことを考えれば高台に町を新しく移して作ることがベストだと思う。

大変な長期にわたる復興計画だが、全国民が応援するのが当然のことと考えている。

まづ緊急に必要なことは急がなければならない。

他人の痛みは幾らでも我慢できるが自分の身になれば誰もは早く直して欲しい気持ちになるのは当然である。

早い復興を願うばかりである。余震は今も毎日のようにつづいている。

なんとか神さま助けてくださいといったきもちでいる。



坊やおおきくならないで死んだ男の残したものは(動画)









京都大学の入試問題の一部が試験中にインターネットに流れた件は
偽計業務妨害にあたる可能性もあるという








平成23年3月1日の天声人語よりの引用

明治から昭和初めの法学者で東大などの教授だった岡田朝太郎は、岡田三面子(さんめんし)の名で川柳を詠んでいた。

いつの時代の学舎(まなびや)にも不心得者はいたようで、こんな一句を残している。

〈良心の唇青しカンニング〉。

説明不要のストレートパンチである

▼京都大学の入試問題の一部が試験中にインターネットに流れた件は、偽計業務妨害にあたる可能性もあるという。

そうなれば犯罪だ。

不心得者は顔を青くしていようか。

刑法学の権威で執行猶予制度を創案したという三面子も、さぞ天上で嘆いているに違いない

▼まじめに勉強してきた者が、「いま一歩」のために道を誤ったとは思いづらい。

愉快犯か、「あわよくば」のバクチ型受験か。

いずれにせよ、やることの卑小と及ぼす影響の大きさのアンバランスが、ネット時代を象徴する

▼同志社や立教、早稲田でも同様の不正が見つかっている。

まんまと合格したのだろうか。

だが他人はだませても、自分をごまかす狡(ずる)さにたけた若者などそうはいまい。

心に負い目を宿しての大学生活が、充実するとも思えない

▼カンニング捜査で思い出すが、かの名探偵シャーロック・ホームズにも、試験問題を盗み見た「犯人」を捜す一話があった。

快刀乱麻を断つ推理で謎を解きつつ、根はまじめな学生の前途を思い人情味あふれる解決をもたらす

▼ホームズは諭す。

「一度は低いところへ君は落ちた。

将来どんな高いところへ君が昇るか、楽しみにしていよう」(阿部知二訳)。

同じ言葉をかけるに値する人物なら、自ら名乗り出るはずである。





素晴らしい才能があるのにも何故に良いほうに真面目に活用しなかったのか残念である。

父がいなくて母親に浪人して迷惑かけなくない気持ちは良くわかる。

若いからこれから是非更生して社会に役立つ人になってほしい。同志社だけ告訴しなかった事情はなんとなく理解できる。








IBMのスーパーコンピューター「ワトソン」が、
クイズの王者2人に圧勝したそうだ








平成23年3月2日の天声人語よりの引用


「なんでも知っている馬鹿もいる」の寸言は作家の内田百ケン(ケンは門がまえに月)だったと記憶する。

モノばかり知っていても仕方ないさ――と空っぽの我が頭をかばうのに重宝してきた。

その百ケン先生に慰めてもらいたくなるニュースが、先ごろ米国から届いた

▼IBMのスーパーコンピューター「ワトソン」が、クイズの王者2人に圧勝したそうだ。

本100万冊分の知識を詰め込み、質問を理解し、人に負けない速さでボタンを押す。


なーんだそれぐらい、と思ってはいけないらしい

▼スパコンは14年前にチェスの世界王者を負かしている。

今回はずっと偉業なのだという。

「計算ずく」で指せるチェスに比べて、あいまいさを含む問いを解し、記憶の海から正答を拾い出すのははるかに難しい。

つまり機械がいっそう人知に近づいたことになる

▼機械の勝利を機に、米メディアは人工知能の話題で大騒ぎらしい。

かつて記事にしたマサチューセッツ工科大の教授を思い出す。

人の「心」を持つ人工知能を研究し、「人間を超えるものを!」をスローガンにしていた

▼ワトソンは毎秒80兆回の計算をする。

目もくらむ能力に「心」が結びつくとき、一体何が起きるのだろう。

百ケンさんの師、夏目漱石が古く「人間の不安は科学の発展から来る」と書いたのは、さすがの洞察と言うべきか

▼「進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許して呉(く)れた事がない」と漱石の筆は続く。

今世紀半ばには人工知能が人に代わって知的労働をこなす予測もある。

面白さの後を、怖さがついてくる。





パソコンソフトの囲碁に挑戦しているが連敗が続いている。

将棋には勝ち目が無かったが囲碁も大変強いソフトが開発してきている。

将棋のようにプロが負けるのも時間の問題のような気がする。








アホウドリの名は地上でたやすく捕まるためにつけられた







平成23年3月3日の天声人語よりの引用


空を舞う姿は優にして美。だが地上に降りればよたよた不細工なアホウドリを、フランスの詩人ボードレールは自らに重ねた。

詩魂は天にはばたくが、俗にまみれた人界では何と生きづらいことか――と

▼その名詩を、明治の文学者上田敏は〈波路遥けき徒然の慰草(なぐさめぐさ)と船人は、

/八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒(いけど)りぬ……〉と訳している。

アホウドリの名は地上でたやすく捕まるためにつけられた。

それを古名の「沖の太夫(オキノタユウ)」に改めようという意見を、東京の声欄で読んだ


▼かつてはバカドリとも呼ばれたという。

古くは海上に蚊柱ならぬ「鳥柱」が立つほど数がいた。

だが明治半ば以降、羽毛を取るために乱獲され激減する。

いったんは絶滅が報告された。

思えばアホウもバカも、人間の愚行にこそあてはまる

▼人間の怖さを、絶海の孤島に生きるこの鳥は知らなかったらしい。


翼を広げれば2メートルを超える。

風を得て何万キロを悠々と飛ぶ。

「海の美女」とでもいった意味のオキノタユウの響きは、雄姿にふさわしく思われる


▼その一方で、由来や当否はともかくアホウドリの名はなじみ深い。

同じにはなるまいが、前に小欄で植物のヘクソカズラ(屁糞蔓)やオオイヌノフグリを「酷な名」と書いたら、

思いのほか反論を頂戴(ちょうだい)した。

だれも一家言をお持ちのようだった

▼この鳥を研究する東邦大の長谷川博教授も改名を呼びかける。

講演会などで由来を知ると、子供たちは悲しい顔になるそうだ。

酷な名は悲史をとどめる名でもあろう。論議の輪が広がればいい。





アホウドリが住みやすいような社会になってほしい。

人を信じ誰にも危害をあたえないような社会こそが

本当に目指すべき社会ではなかろうか。








明日からの全国人民代表大会で
中国は第12次の「5カ年計画」を採択するそうだ
かつて社会主義を象徴したその用語に、
あらためて共産党独裁の政治を思う






平成23年3月4日の天声人語よりの引用

 「上海は雨がいい」の書き出しが印象的だった。

「まず、ほこりが静まる。

何しろ建設ブームである」と続く。

1995年から97年にかけて小紙は「奔流中国」シリーズを掲載した。

その初回、石川真澄記者(故人)の名文である

▼それは取材班に加わったわが実感でもあった。

古い街をぶち壊し、筍(タケノコ)のようにビルが建つ。

粉じんはずっと空を包んでいた。

とはいえ、まだまだ東京に及ばなかった。

今は摩天楼で鳴る浦東(プートン)もテレビ塔がぽつんと工事中だった。

そして16年の後、猛烈な不動産バブルに中国は踊る

▼お金は寂しがり屋だ、と言う。

だから仲間の多い所へ集まっていく。


よって富者はますます栄え、庶民、貧者はいっそうあえぐ。


時代時代に様々な新語を創り出す中国人だが、最近は「房奴(ぼうど)」というのがあるそうだ

▼女房の奴隷ではない。

「房」とは居宅の意味で、住宅ローンで四苦八苦の人を言う。

住宅難の中で「蝸居(かきょ)」に暮らす人も多い。

ウサギ小屋より狭いカタツムリの家も、悲哀漂う流行語なのだという(『中国「新語・流行語」小辞典』明石書店)

▼明日からの全国人民代表大会で、中国は第12次の「5カ年計画」を採択するそうだ。

かつて社会主義を象徴したその用語に、あらためて共産党独裁の政治を思う

欲望全開の資本主義との「二心同体」は、この先どこへ行き着くのか

▼格差に加えて、激しいインフレも庶民を苦しめる。

国を包む不満の粉じんは、慈雨が降らねば静まるまい。

民主化、富の再配分――。降らすべき雨の名前は、はっきりしているが。




共産主義 社会主義を標榜している社会が賃金格差 社会格差が顕著なのが納得できない。

あの中国の内戦はなんだったのか。

革命世代の子孫が特権を持ち継続されている不思議な現象をば目にすると。

革命とか内戦も一種の権力闘争ではなかったのかと

考えさせられることである。








東北新幹線にきょう
時速300キロの新型車両「はやぶさ」が走り出す







平成23年3月5日の天声人語よりの引用


時速270キロを売り物に、東京―新大阪間に「のぞみ」が登場したのは19年前だ。

鉄道紀行の先駆、宮脇俊三さんの試乗記にある。

「乗りなれた新幹線だから、従来の限界を突破したことはわかる。

ギクッと、いままでにない硬質な横揺れもあり……」

▼帰途は「ひかり」だった。

「規定の二一〇キロで走っているのに、『徐行』のように感じられる。

困ったことになった」。

鉄道ファンの高揚と、旅情をそがれる旅作家の未練。

あれこれ混然の「困った」であろう

▼東北新幹線にきょう、時速300キロの新型車両「はやぶさ」が走り出す。

東京―新青森間は3時間10分に縮まり、2年後には速度を20キロ上げてもう5分短縮という。


座席でくつろぐ時間は、こうして前後の旅程に振り向けられる

▼1週間すると、九州新幹線の鹿児島ルートが全線開業の運びだ。

新大阪―鹿児島中央間を結ぶ「みずほ」は3時間45分。

これで、青森から鹿児島まで2千キロ超が新幹線でつながり、乗り通せば10時間台の旅となる

▼宮脇さんは「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」などを引き合いに、「旅の価値の大半は道行きにある」と力説した。

車窓の移ろいや駅弁の味、同行や土地の人との語らい。

目的地という点よりも、そこに至る線こそが旅であると

▼飛行機との競争もあって、日本の鉄道は点から点へと、どんどん速くなった。

正確で濃密な幹線のダイヤは芸術的でさえあるが、車中を楽しむ「線の旅」はますます難しい。

せめて心の片隅に、各駅どまりを愛(め)でるゆとりを残しておきたい。

人生という長旅にも。



ようやくに日本全国に新幹線が開通して便利な社会になってきたと思う。








桃の節句を過ぎて、きょうは二十四節気の啓蟄(けいちつ)







平成23年3月6日の天声人語よりの引用


太陽暦の作者は雪国に親切だった、と新潟県育ちの詩人堀口大学が書いていた。

なぜなら2月が短く終わるから。

待ちかねた3月の声を聞けば北国の寒気もゆるむはず。

と思いきや、余寒どころか真冬を思わせる冴(さ)え返りに数日ふるえた

▼お前さん、それでも3月のつもりかい――とぼやきたくなる寒い風が東京にも吹いた。

優雅に花見月とも呼ぶけれど、弥生の空の気まぐれは手ごわい。

たとえるなら、お付きを翻弄(ほんろう)するわがままな姫様か。

とはいえ春は、周囲にたしかに兆している

▼近くの公園で、毎年一番に芽を吹く柳が、あるかなきかの色ながら青んで見える。

桜の枝々はうっすら赤みを帯びている。灰色だったコブシの花芽も渋い緑に変じてきた。

純白の花が枝いっぱいに群舞する日は遠くない

▼桃の節句を過ぎて、きょうは二十四節気の啓蟄(けいちつ)。

地中に眠っていた多彩な命がうごめき出す。

地虫や蛇、蟻(あり)が「穴を出る」という季語が俳句にある。


〈穴を出る蛇を見て居る鴉(からす)かな〉高浜虚子

▼虚子記念文学館に聞くと、実際にカラスがヘビを捕って食うかどうかはおいて、そんな意味に見ていいでしょうとのこと。

生き物の目覚めはきびしい生存競争への参入でもある。

自然の掟(おきて)を、どこかとぼけた味に写し取って面白い

▼さて弥生の空は、啓蟄と知ってか一転春めき、暖地は花粉が総出撃だ。

虚子のユーモラスな句をもう一つ。

〈つづけさまに嚔(くさめ)して威儀くづれけり〉。

嚔はくしゃみ。

冬の季語だが、いまや春にも違和はない。

あらたまった席での連発には、よくご用心を



季節は正確に巡りくるものである。







えびす様に負けず、その「笑顔」も強烈だ。
奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で見つかっ
た武人の埴輪(はにわ)である







平成23年3月7日の天声人語よりの引用


「金時(きんとき)の火事見舞い」といえば赤ら顔である。

ニコニコ顔にも「えびす様がアンパン食べてるような」という愉快な例えがあるそうだ。

随筆家の戸板康二(やすじ)さんが、幼い頃におばあさんから聞いたと紹介している。

もらい笑いを催す破顔が浮かぶ

▼えびす様に負けず、その「笑顔」も強烈だ。

奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で見つかった武人の埴輪(はにわ)である。

人の形をしたものでは日本最古、4世紀末の作という。

下膨れの顔は口と目が笑っている、いや、笑っているように見える

▼〈喜怒哀楽のほかに/説明されても/もう我々には分からない感情があっただろう〉。

川崎洋さんの詩「埴輪たち」の一節にうなずいた。

武人も、表情を四つに整理する私たちの習いを拒むかのようだ

▼かぶと姿で盾を構え、墓を守る役目らしい。

墳丘から転げ落ちたとみえ、数百のかけらになっていた。

墓守としては笑える状況ではない。


にわかに元の姿に戻され、照れているようでもある。

赤い顔料のせいか

▼『埴輪の微笑』(川島達人〈たつひと〉編著、新人物往来社)によると、その魅力は古拙美、素朴で巧まざる美しさにある。

「媚(こ)びることなく、何の主張をするでもなく、ただ無心に埴輪であり続けている。

埴輪が表情を変えるのは、見る人の心の投影にほかならない」

▼だとすれば、この武人に笑いをもらえる人はそこそこ好調といえようか。

太古の「幸せ測定器」である。

それではと、改めて切り抜きの尊顔を拝してみた。

眺めるほどに攻守は逆転、こちらの胸中を見透かされているようで落ち着かない。




笑いは古代から大切であることを教えてくれているようでもある。








前原氏に献金をしていた焼き肉店の女主人も、
よもや善意が足を引っ張るとは思わなかっただろう







平成23年3月8日の天声人語よりの引用


前原誠司外相の違法献金をめぐる辞任に、米国の作家O・ヘンリーの短編「善女のパン」がどこか重なる。

小さなパン屋でいつも古くて安いパンを買う男がいた。

きっと貧乏なのだと女主人は思う

▼ある日、彼女はこっそりパンにバターをたっぷり塗って渡す。

だが男は建築家で、図を描くときにパンを消しゴム代わりにしていたのだった。

情けが仇(あだ)となり、大事な図面にバターがついて台無しになる――。

前原氏に献金をしていた焼き肉店の女主人も、よもや善意が足を引っ張るとは思わなかっただろう

▼在日韓国人で、苦学する前原氏を少年の頃から励ましてきた人だそうだ。


とはいえ外国人から政治家への献金は法に背く。

批判、反省は当然だ。

それでも外相辞任という結果には、なぜか収まりの悪さが残る

▼将棋でいえば、政権は飛車を失ったような痛手だろう。

前原氏は首相の慰留を断った。


叩(たた)かれる前に辞めたとも言われ、泥船から逃げたとの臆測もある。

いずれにせよ短兵急な辞任劇で、日本外交はまた「格付け」を下げることになる

▼「日本では総理より草履のほうが長持ちする」と、笑えぬ冗談を日本通の米国人が言っていたと聞いた。

外相はもっとはかない。

在任2年余のクリントン国務長官には次が4人目。

これでは「対等」とはまいらない

▼総理をころころ代えるのは良くないという、ありがたい民意に菅さんは支えられてきた。

だが、いよいよくたびれた草履の感が強い。

踏ん張れるかどうか。


歳月の空費で終わっては、情けが仇どころか恩を仇、となる。






近くに子供の頃より知っている人が外国人としてお付き合いしながら善意の献金を受けても

法律違反には違いない。

献金制度自体が法律上禁止するようになればこんなこともおこらないはずである。

全て平等のもとで選挙でき ,明るく投票できる制度を政治家は模索すべきである。

全ての国民が何にも捕らわれずに素直に投票できる制度をつくるべきだ。

現在のような義理 人情 利益誘導 お金をばきの買収で票を集める制度はなくすべきである。

銀行に送金できるようになった社会ならは家庭から電話や ネットを通し゛て投票できるはずだ

やろうとすれば直ぐにも出来る制度である。皆が自由に100%に近い投票率になれば健全な政治家か輩出する筈だ。
,








沖縄総領事だった米国務省のケビン・メア日本部長の発言が
沖縄への侮辱だと怒りを呼んでいる
植民地主義の残滓(ざんし)のような不快な言葉の数々である








平成23年3月9日の天声人語よりの引用


ベトナム戦争で、アメリカは第2次世界大戦の総量の3倍を超す爆弾を相手に浴びせた。

司令官だったウェストモーランド将軍が、記録映画「ハーツ・アンド・マインズ」で語っていたのを思い出す。

「東洋では人の命は安いのです」

▼時をへても、差別意識はあの国から容易に消えないのだろうか。

沖縄総領事だった米国務省のケビン・メア日本部長の発言が、沖縄への侮辱だと怒りを呼んでいる。

植民地主義の残滓(ざんし)のような不快な言葉の数々である


▼米国の大学生を集めた席で語ったそうだ。

「沖縄の人々は東京に対する、ごまかし、ゆすりの名人だ」「沖縄の人々は怠惰でゴーヤーも育てられない」

「沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するが、彼らはそれが真実でないことを知っている」――他にもある

▼1995年に沖縄で、米兵による少女暴行事件が起きた。

米太平洋軍の司令官は記者説明の席上、「犯行に使ったレンタカー代で女を買うこともできたのに」と言って批判を浴びた。

むろん事は違うが、同種のにおいを今回の発言に嗅ぐ

▼人と人、民族と民族、そして人種も、それぞれの差異に優劣の物差しをあてる愚は避けたいものだ。

偏見の温床になる。

思えば西洋(の男)は長く、自らの物差しで失礼にも他を測り続けてきた。

日本の近代もその愚と無縁ではなかった


▼発言で知るかぎりメア氏は伝統をよく受け継いでいるとお見受けする。

ポストは米政府の対日政策の責任者だという。

「レンタカー代」の司令官は直後に辞任しているが、さて。



沖縄の戦後は終わっていないと感じている。







ドイツ軍のゲルニカ空爆に始まり
日本軍による重慶、連合国軍によるドレスデン
惨禍の延長線上に東京大空襲があった
下町を焼き尽くした戦災から今日で66年がたつ








平成23年3月10日の天声人語よりの引用


飛行機による大西洋単独横断のリンドバーグは、米国が第2次大戦に参戦するのに反対して世論の袋だたきにあう。

ナチスと近いなど様々にあげつらわれたが、愛する飛行機が空前の大殺戮(さつりく)をもたらす悪夢を予測したのが大きな理由だった

▼的中は歴史が証明している。

わけても無差別爆撃でおびただしい市民が殺された。

ドイツ軍のゲルニカ空爆に始まり、日本軍による重慶、連合国軍によるドレスデン――。

惨禍の延長線上に東京大空襲があった。

下町を焼き尽くした戦災から今日で66年がたつ


▼こうした空襲を、軍事評論家の前田哲男さんは「眼差(まなざ)しを欠いた戦争」と言う。

殺す側も殺される側も互いを見ることがないからだ。

機上の兵士には「苦痛にゆがむ顔も、助けを求める声も、肉の焦げるにおいも、一切伝わらない」(『戦略爆撃の思想』)のである

▼加害の意識は薄らぎ、殺戮のむごさだけが増幅する。

その究極が広島、長崎だった。

そして今、実際に飛行機にも乗らず、遠い他国に爆弾を落とせる時代になった

▼兵士は家族と食事を済ませて出勤し、基地にある「操縦席」で無人機を遠隔操縦する。

アフガンの戦場で敵を攻撃し、ミサイルや爆弾を撃ち込む。


勤務が終われば子どものサッカー試合を見に出かける。

米国での現実の話である

▼基地から戦場までは約1万2千キロ。

無差別爆撃の非人間性とはまた違う、無機的な、背筋が冷たくなる光景だ。

殺したり殺されたりする用に人をあててきた歴史に、人はいつか決別できようか。

犠牲者を悼みつつ平和を願う。





戦争そのものは人間にとって悪である。戦争になれば勝つことに手段を選ばなくなる。

勝てば官軍で戦後のアメリカ軍がそうだ。

子供の頃鬼畜米英との教育を受けて育ってきた。全く犯罪を起していないことがない筈だ。

過ちは繰り替えませんの 広島 長崎 大都市への無差別空襲は重大な犯罪行為にはちがいない。

アメリカなどの戦勝国側では誰一人戦争犯罪者がいないのは不思議だ。








ニュージーランドは経由地だった
英語を磨いて通訳に、客室乗務員に、
あるいは国境を越える看護師になる
希望に針路を取っていた歩みが
天災に呑(の)まれて17日がたつ







平成23年3月11日の天声人語よりの引用


あまたある漢字の中で「志」の人気はゆるぎない。

人の名に多く、書き初めでは墨痕も鮮やかに新たな年を飾る。

漢字博士の白川静さんによれば、「士」にはもともと「行く」の意味があり、

「志」とは心がある方向を目指して行くことなのだという

▼それぞれが目指していた方向の、ニュージーランドは経由地だった。

英語を磨いて通訳に、客室乗務員に、あるいは国境を越える看護師になる。

希望に針路を取っていた歩みが、天災に呑(の)まれて17日がたつ。

写真に残るにこやかな顔、顔、顔を待ち受けた悲運に、あらためて胸が痛む

▼ご家族の心痛は察するに余りある。

遺体安置所となった軍事施設への訪問では、建物に入れず外で献花した。

多くが声を上げて泣いたそうだ。「心の整理をつける時間だった。

覚悟の上での献花でした」。

一人の父親の言葉が切ない

▼安否不明の日本人28人のうち、これまでに7人の身元がわかり死亡が確認された。

その一人の奈良女子大2年、川端恭子さんの父親の国昭さんは、多くが被災した富山外国語専門学校の教授でもある

▼責任感ゆえだろう、父の顔を封じ、己を消して、現地で生徒の家族のまとめ役を続ける。

娘の死亡を告げられたときも取り乱さず、たった一つ警察に、「いつ対面できるのでしょうか」と聞いたそうだ

▼封印した父の顔を独り解くときは、きっと娘さんに涙を見せ、面影をかき抱(いだ)いておられるのだろう。

だれもが奇跡を祈った日々から時は流れる。

「志半ば」の紋切り型では無念を言い尽くせぬ、悲しみの春である。



ニュ−ジランド−地震に比較できないような地震が今日の3月11日午後2時46分 

津波が日本の東北地方を襲い現在もその余震はつづいている。

この時までは大変な災害が留学生に遭遇したものかと心に有ったが、全く忘れてしまうぐらいの災害が今日起きた。








マグニチュード8.8の猛烈な揺れ。被害はどれほど広がるのか。
震源から遠い東京でも震度5強で揺れた。
三陸地方は津波の常襲地とされる







平成23年3月12日の天声人語よりの引用


 テレビ画面を正視することができなかった。

がれきと海水の混じり合った津波が、

濁流のように家を、畑を、道路を呑(の)みこんでいく。

走っている車に波がのしかかる。

ああ、だれが乗っているのだ。

お父さん?お母さん?兄さん姉さん?――だれかにつながる、かけがえのない命が呑まれていく

▼マグニチュード8.8の猛烈な揺れ。被害はどれほど広がるのか。

震源から遠い東京でも震度5強で揺れた。


黒煙を上げるビルが職場の窓から間近に見える。

この一文を書いている間にも、大地は不気味に揺れ続けている

三陸地方は津波の常襲地とされる。

過去の幾多の犠牲と引き換えにつくられた様々な手だても、自然の猛威に破られた。

天変地異の脅威をあらためて思う。各地の爪痕の少しでも小さいことを、ただただ祈る

▼日本列島はプレートのぶつかり合う上に乗る。

その危うさを物理学者の寺田寅彦は「国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもの」とたとえた。

「つり橋の鋼索が、あすにも断たれるかもしれない」と警鐘を鳴らした。

その鋼索が、切れた

▼気象庁によれば、東北沖から関東沖まで、数百キロにわたって断層が動いたようだ。

点ではなく線である。

予想される東海地震や東南海地震に匹敵する巨大地震が起きた。


明治以来の観測史上国内最大という

▼夜が明ければさらなる被害が確かめられよう。

生命、財産、故郷の町並み。

失われたものの大きさに打ちのめされる人たちとの絆を失うまい。

こんなときにつなぐための手が、私たちの心にはある。




最初のマグニチュード8.8はマグニチュード9に訂正されている。

歴史には関東大地震よりもひどい災害として歴史にとどめられることだろう。

千年に一度の歴史的な大事件である。






岩手県から福島県にかけての太平洋岸は、
水火に攻められ、ほぼ壊滅状態という
福島県下の原発では、
急場に炉心を冷やす装置が使えなくなった







平成23年3月13日の天声人語よりの引用



一時(いっとき)まどろんで、夢であってくれと思った。

でも心身は正直だ。余震とも身震いともつかぬ揺れが抜けない。

東北の被災地まで及ばない想像力に代わり、CMの消えたテレビが翌朝の現実を伝えた

▼岩手県から福島県にかけての太平洋岸は、水火に攻められ、ほぼ壊滅状態という。

凍る街に船が転がり、畑に車が散乱する。潮は引かず、逃れ来た屋上は孤島と化した。

避難所にたどり着いても家族はちりぢり、食料や日用品が足りない。

死者・不明者は1500人を超えて増え続けている


▼福島県下の原発では、急場に炉心を冷やす装置が使えなくなった。

住民が避難する中、放射能が漏れ、建屋が爆発する不穏な事態に。

非常時ほどありがたい電気だが、危うい綱渡りの産物と思い知る

▼東京では数万の帰宅難民が出た。

夜の甲州街道を、新宿方面から郊外へと、早足の人波が車道にはみ出して動いていた。

ベビーカーを押す男女がいる、黄色帽にランドセルの少女がいる。

都心の公共施設で夜を明かした人も多い

▼自民党幹部は「全面協力する。

与党のやりたいようにやって」と、民主党に政治休戦を伝えた。

卒業式や入試、各種の催しも延期や中止となった。

あまたの教訓は後回しでいい。

日常をいったん断ち切り、まずは国を挙げての救援活動だ

▼政治が迷い、経済はまだもろい。

そこに「観測史上最大」である。

テレビを抱えて揺れながら、揺られるしかない無力が悔しかった。

人は弱い、弱いから支え合うほかない。

長い災害の歴史が、日本という国の地力を試している。




被害の全容はこの時点では明確でなかった。東京での帰宅難民の報道が大きく報じられていた。








福島第一原発では、建屋が吹っ飛んだ1号機に続き、
3号機の異変が伝えられた
関係者の禁句、炉心溶融の字が見出しになり、
安全神話は崩れた
地震の規模はマグニチュード9・0に上方修正された






平成23年3月14日の天声人語よりの引用


坂上二郎さんの逝去も石原都知事の出馬宣言も、えらく前の出来事に思える。

わが防災意識や人生観は、「3・11」の前後で一変した。

日本に住む限り、誰もが被災者になり得る、「千年に一度」は明日かもしれないと

▼もう一つ、震災で変わりそうなのは原子力発電へのまなざしだ。

福島第一原発では、建屋が吹っ飛んだ1号機に続き、3号機の異変が伝えられた。

関係者の禁句、炉心溶融の字が見出しになり、安全神話は崩れた。

「想定外」は言い訳になるまい

▼日本の電力は3割近くを原発に頼る。

福島を欠く東京電力は、きょうから地域ごとの「輪番停電」を始めるという。

悲しみの中で避難生活を強いられる数十万の方々を思い、回り持ちの不便ぐらい喜んで引き受けたい

▼あの金曜日の前後には、まさに断層のごとく、異なる日常が横たわる。

震災が分かつのは、吉凶、安否、そして生と死。

所在不明者の数は千の単位で増え、この地異がいかなる数字で歴史に刻まれるのか、見当もつかない

▼いまだ事後ではなく、最中である。

役場や警察、消防などの行政が丸ごと津波にのまれ、不気味に沈黙する町が残る。

自衛隊や外国の救難チームが続々と現地入りしている。

連帯に頼り、善意と使命感にすがる日々がしばらく続く

▼地震の規模はマグニチュード9・0に上方修正された。

現代文明が経験した地殻変動では、五指に入る破壊力である。

来るべき東海や首都直下の大地震では、あえて想定外を想定したい。

眼前の現実に学ばねば、平穏を断たれた人が浮かばれない。




3月11日以降の「天声人語」は全部が震災関係の記事が殆んどで一回だけリビアのカダフィ大佐のことが書かれている。

関心事はやはり震災関係で福島電発の放射能関係の内容は破壊程度が不明瞭なのではっきりとしない。

放射能は目に見えないで癌を後になって発生するようなものなので、実感が伴うのが少ない。

原子力の恐ろしさをまざまざと見せられる。

東電の社長が緊急時に病気になり入院とは非常事態では血圧は誰でも上昇することだろう。









今回は津波による「水」である
だが、自然の猛威を前にした人間の小ささは変わらない
亡くなった人は宮城県だけで「万」にのぼる見通しだという







平成23年3月15日の天声人語よりの引用


国文学者の歌人、窪田空穂(うつぼ)は関東大震災の直後、甥(おい)の安否を尋ねて東京市中を歩いた。

目にした惨状を克明に、一連の歌に残している。

〈妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく〉。

あるいは〈梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後も聞く親〉

▼88年前に被害を甚大にしたのは燃えさかる「火」だった。

今回は津波による「水」である。

時は流れて科学も技術も進歩した。

だが、自然の猛威を前にした人間の小ささは変わらない。


愛(いと)しい人を亡くした人の悲しみにも、変わりのあろうはずがない

▼亡くなった人は宮城県だけで「万」にのぼる見通しだという。

市街地ばかりでなく、各所で小集落が根こそぎ消えた。

「全滅」という言葉を今回の取材で何回聞いたことか、と被災地に入った記者が書いている

▼おののくような数字の一つ一つに、空穂の歌の悲嘆があろう。記事は伝える。

病気の息子を連れ出せなかった老親。

仕事から戻る夫のために、むいたリンゴを残して濁流に消えた妻――。

数字は、ただの数字ではない

▼気象予報によれば、被災地は今日からいっそうの寒さに見舞われるという。

三寒四温の「三寒」がこれほど恨めしい春はない。


日本全体の試練である。

物心の苦難を分かち持つ決意が私たちに要る

▼紙の墓碑を思わせる東京の紙面にきのう、被災地で生まれた赤ちゃんの記事があった。

〈子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ〉。

谷川俊太郎さんの詩の一節を思い浮かべた。

命の微笑を、力に変えたい。



この時期は東北は寒い時期である。色んな苦難が襲い掛かっている感じである。

死者の人数は多くて不明。

不明者も殆んど亡くなっているとしかかんがえられない。








東京電力の福島第一原発が地震で深刻な事態に陥っている








平成23年3月16日の天声人語よりの引用


ダモクレスの剣の故事は、繁栄を脅かす危機のたとえだ。

王の椅子に座ったダモクレスの頭上に、天井から髪の毛1本で剣がつるされる。

いつ切れるやも知れない。

ケネディ元米大統領が演説で核戦争の恐怖になぞらえ、よく知られるようになった

▼同じ核分裂を原理とする原発も、その危うさを「頭上の剣」と見る向きがあった。

細い髪の毛はいま切れかかっているのか。

東京電力の福島第一原発が地震で深刻な事態に陥っている。

コントロールを失う中、桁違いの放射能が観測された

▼これまで「原発の二大事故」は、米国のスリーマイル島とソ連のチェルノブイリだった。

こののち、フクシマを含めて「三大」となるのは現時点の規模でも間違いない。

この一文を書いているいま、最悪を防げるかどうかの瀬戸際が続いている

▼日本の原発は二重の意味で頭上の剣だった。

なにせ地震大国である。


地盤の悪い立地を危ぶんだ「豆腐の上の原発」という表現もあるほどだ。

列島上にゆらゆらと、54本の剣がつり下がっている図を、あらためて思えば背筋が寒い

▼まことしやかに「安全神話」などと言う。

だが神話の数だけ崩壊の悲劇があった。

ジャンボ機の神話崩壊は今も記憶に新しい。

そしてテレビ越しに感じる東電の企業風土は、当時の日航にどこか通じる。

正体見たりの印象が強い

▼〈生活の光熱の遠きみなもとに大き異火(ことひ)の燃えやまなくに〉。

小紙歌壇の選者、高野公彦さんの歌だ。

異火とは原子の火。

畏怖(いふ)に満ちた言葉である。

固唾(かたず)をのんで最悪の回避を祈るほかない。





電力もやはり原発は使うべきでないようだ。

人間が制御できないのが原子力で発明されたことは人類にとって不幸だ。

原子爆弾は世界中に蔓延し簡単に作れるようである。










長野と静岡では震度6強の地震が起きた
そんな中で原発が煙を噴き、被災地は雪に凍える
悲嘆と恐怖が被災地を包み、首都圏は停電の不便を忍









平成23年3月17日の天声人語よりの引用


行く川の流れは絶えずして……の「方丈記」は、達意の筆で無常をつづる。

著者の鴨長明(かもの・ちょうめい)は平安末から鎌倉初期の人物。

若いときに竜巻や飢饉(ききん)、地震といった災害を続けざまに体験した

▼1185年の元暦(げんりゃく)の大地震を克明に記している。

「山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地(くがち)をひたせり」「家の内に居れば、たちまちにひしげなんとす。

走り出づれば、地割れ裂く」。

そして、様々な天災のうちでも「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけり」と書き残した

▼その長明が「なごり、しばしは絶えず」とおびえた余震が、いま、東日本を不気味に揺さぶっている。

テレビ映像はたびたび途切れて、緊急地震速報に変わる。

長野と静岡では震度6強の地震が起きた。

そんな中で原発が煙を噴き、被災地は雪に凍える

▼悲嘆と恐怖が被災地を包み、首都圏は停電の不便を忍ぶ。


西日本とて不安に包まれていよう。

だが勇気づけられる話も多く聞く。大げさな行為でなくとも、たとえば声欄にも、胸に灯のともるような投書が届く

▼帰宅難民であふれた東京で、配られた毛布をお年寄りに譲った若い女性。

タクシー待ちの長蛇の列に、「しているだけで少しは暖かいから」とマスクを配っていた女性2人。

ささやかな、ゆえに尊い、分かち合いである

▼「人とはなんて美しいものだろう、人が人であるときには」。

古代ギリシャにこんな名文句があった。

黙々と耐える被災地。一条の光さえ見えない方も多かろう。

近くからも遠くからも、私たちは「人である」ことで励ましたい





余震が至る所で発生している。破壊された原子炉に追い打ちをかけてはいないだろうか。









福島第一原発で続く必死の作業に、はからずも思い浮かんだ







平成23年3月18日の天声人語よりの引用


震災で大きな被害を受けた岩手県は、宮沢賢治が生まれ暮らした土地でもある。

賢治の思想の結晶の一つとされる名作「グスコーブドリの伝記」は、一人の若者が自らを犠牲にして人々の命の糧を守る話だ

▼きびしい冷害で飢餓が迫る中、火山島を噴火させて気候を暖かくする計画が立てられる。

だが、仕掛けのために島へ渡った者のうち最後の1人は島から逃げられない。

若いブドリがその役を買って出る――。

福島第一原発で続く必死の作業に、はからずも思い浮かんだ

▼科学の創りだしたものが、生みの親の制御を超えて、のたうち、暴れる。

人類の「滅び」の可能性を秘める核の、深刻きわまる暴走である。


人体を脅かす放射能と闘い、恐怖を抑えて踏みとどまる原発従事者の、事なきを祈らずにはいられない

▼米紙ニューヨーク・タイムズは16日付の1面で、苦闘する「無名の50人」を「最後の砦(とりで)」と称賛した。

触発された米テレビは「フクシマ・フィフティ(福島の50人)」と盛んに流している。

だが、彼らは英雄である前に人間なのだ

▼現場の夫を案じる妻が日本のテレビに語っていた。

冷静ながら不安を隠せぬ口調に胸が痛んだ。

しかし、誰かが怪物を封じなくてはならないのも、一方の真実。

身を切られるような背反に私たちは立ちすくむ

▼歳月と文明はさかさまには行かない。

電気を知った我々は、もう灯(ひ)を消しては暮らせない。

今はただ、犠牲によって大勢が幸せになる賢治の物語とは、異なる結末を切に願う。

必ずや家族のもとへ、全員無事に帰ってほしい。




人間が生み出したものに人間が制御できなくなっているのが原子力である。









地震から1週間が過ぎ、犠牲者は阪神を超えた
安否不明者は1万9千を数える
被害の全貌(ぜんぼう)はなお分からない








平成23年3月19日の天声人語よりの引用


エミリー・ディキンソンという米国の女性詩人を知る人は少ないかも知れない。

19世紀にボストンに近い町で静謐(せいひつ)な生涯を送った人で、自然の中で書いた数々の短詩を遺(のこ)した

▼次のような無題の詩がある。

〈失意の胸へは/だれも踏み入ってはならない/自身が悩み苦しんだという/よほどの特権を持たずしては――〉(中島完(たもつ)訳)。

これが全文で、新聞記者という仕事柄、胸に深く畳んできた。

そして今、未曽有の失意と悲痛に満ちる被災地から、小紙の、あるいは他社の報道が続く

▼だれもが苦渋の取材だろう。

先の小紙で、阪神大震災を体験した精神科医の中井久夫さんが、被災者には「『わかってたまるか』という気持ちもある」と言っていた。

伝える使命と、悲痛な胸に踏み入る躊躇(ちゅうちょ)。

きびしい葛藤をくぐって来た文であり、写真、映像である

▼泣きながら書いた者も、泣きながら撮った者もいよう。

NHKのアナウンサーも声を詰まらせては、必死に立ち直ってニュースを読み続ける。

そうした報道の数々が、支え合う決意に寄与していると信じたい

▼地震から1週間が過ぎ、犠牲者は阪神を超えた。

安否不明者は1万9千を数える。

被害の全貌(ぜんぼう)はなお分からない。


いまだ救援の届かぬ集落を昨日の朝刊が伝えていた。

がれきの下から食料を拾って空腹をしのいでいるという

▼「誰かがいてくれる」こと、「忘れられない」ことが被災者を励ますと中井さんは言う。

まだ先は見えないが、失意の胸に長く寄り添う報道でありたい。

メディアもまた試されているのだと思う。





毎日のテレビには戦後の焼け跡を思い起こす風景が映し出されている。戦争と原爆はもう入らないと言った気持ちを強める。







福島の原発では、四つの原子炉が悪さを競うように日替わりで暴れている







平成23年3月20日の天声人語よりの引用


 いつもの週末に比べて、銀座や表参道の外国人は目に見えて少なかった。

観光客ばかりか、出張者や留学生、外交官までが日本脱出を急いでいるらしい。

物心の支援に感謝しつつ、この国は自らの手で立て直すしかないと胸に刻んだ

▼大震災の被害はいまだ全容を見せず、避難所や病院で力尽きるお年寄りが後を絶たない。

福島の原発では、四つの原子炉が悪さを競うように日替わりで暴れている。

津波と原発事故。

二つの怪物を伴うこの災いは、10日目を迎えてなお「発災中」の異様である

▼3月11日をもって、大小の非常が始まった。

関東では輪番停電が常となり、スーパーの空き棚も目につく。

ガソリンや電池の買いだめは関西でもというから、国中がすくんでいるのだろう

▼がれきの街には、愛する人の記憶をまさぐり、泥まみれの面影を抱きしめる姿がある。

「泣きたいけれど、泣けません」。

被災者ながら、現地で体を張る看護師長の言葉である。

戻らぬ時を一緒に恨み、足元の、そして来るべき苦難に立ち向かいたい

▼地震の1週間後、東京スカイツリーが完成時の高さ634メートルに届いた。

この塔が東京タワーを超えた昨春、小欄は「内向き思考を脱し、再び歩き出す日本を、その高みから見てみたい」と書いた

▼再起のスタートラインは、はるか後方に引き直されるだろう。

それでも、神がかりの力は追い込まれてこそ宿る。

危機が深いほど反発力も大きいと信じ、被災者と肩を組もう。

大戦の焼け野原から立ち上げたこの国をおいて、私たちに帰るべき場所はない。





福島の原子発電所には誰もがまだ入っていない。全容ははっきりとわかっていない。ロボットが映した写真が公開されているだけである。









反体制派を追い詰めるリビア政府軍に対し
英仏米などが空海から一斉攻撃に出た








平成23年3月21日の天声人語よりの引用


10日ぶりに二番手のニュースを取り上げる。

曽野綾子さんの『アラブの格言』(新潮新書)にモロッコの警句がある。

「判事の下男が死ねば皆が弔いに行くが、判事の葬式には誰も行かない」。

なるほど、権力者とは悲しいものだ

▼権力者に従う者はもっとつらい。

とりわけ権勢の末期である。リビアでも今ごろ、カダフィ大佐の側近らが右往左往しながら、身の振り方を案じていようか。

反体制派を追い詰めるリビア政府軍に対し、英仏米などが空海から一斉攻撃に出た

▼反政府の動きは東部ベンガジから広がったものの、武力に勝る政府軍がたちまち盛り返し、蜂起の市民がひどい目に遭う矢先だった。

そこに、多国籍軍の「人道的介入」を認める国連決議である


▼「アラブ民主革命」はチュニジアに始まり、エジプトの長期政権を倒し、アラビア半島に飛び火した。

盤石にも見えたリビア独裁体制の行く末は、北アフリカと中東の明日を占う。

欧米も勝負どころと踏んだようだ


▼40年におよぶ己への畏敬(いけい)と服従。

その源泉が人徳なのか強権なのか、葬列の長さを思うまでもなく、カダフィ氏にも見当はつこう。

大佐だからといって、多くの国民を道連れに戦死を選ぶことはない。

白旗の用意をお勧めする

▼先の格言集には「遠い戦いの太鼓は甘い音楽」というのがある。

日本では「対岸の火事」だが、世界経済に遠い戦争はなく、油田で交える砲火に縮こまるだけである。

このうえ油価が上がれば、すでに厳しい日本のエネルギー基盤が揺らぎかねない。


揺れはもうたくさんだ。




リビアの情勢は福島原発の報道にマスコミでの報道に比べて少ない。









暴動も略奪もなく、避難所には列ができる
ケンさんの言う日本の美徳に
海外は驚嘆の声を上げた








平成23年3月22日の天声人語よりの引用


早さが身上の災害救援ボランティアらしく、ケン・ジョセフさん(54)は地震の翌日に仙台に入った。

「阪神大震災では街が残ったけれど、今度は津波が全部さらっていった。

戦場よりひどい」。

電話の声は沈んでいた

▼東京を拠点に、学生らを率いて内外を回っている。

父母は戦後復興のボランティアとして米国から来日、自身も東京で育った。

この震災の少し前、彼が持参した近刊がある。

永六輔さんとの共著『日本に生まれてよかった!』(徳間書店)だ


▼若者よ、上を向いて歩こうと励ます書には、「阪神」後の神戸で、復興の熱気に圧倒された経験がつづられている。

掘っ立て小屋の食堂や郵便局が開かれ、がれきの街をバイクや自転車がバタバタと走り回る光景である

▼〈それは、両親が見たのと同じ日本の原風景を見た思いであり、心が震えるような感動でした〉。

欧米とは違う、アジアの活力を感じたという。

「みんなが大好きな日本、きっと立ち直り、もっといい国に……」。

電話は涙声になった

▼暴動も略奪もなく、避難所には列ができる。

ケンさんの言う日本の美徳に、海外は驚嘆の声を上げた。


他方、がまん強い東北の被災者に寄り添う人も多い。

「今度だけは甘えるだけ甘えて」(残間里江子さん)と

▼逆境に張り詰めた心は、折れも緩みもしよう。

震えるその肩を抱こう、手足になろうと、手弁当で集まる若者に救われる。

この世代を希望に、海辺の廃虚から日本の再建が始まる。


無念の魂たちに、もう一度生まれたい、住みたいと思わせる国を目ざして。





第二次大戦後の廃墟を思わせる東北地域の映像が毎日のようにテレビで報道されている。









今度の大地震で、東京タワー先端部のアンテナが曲がったと知り
1855(安政2)年の安政江戸地震を思い起こした








平成23年3月23日の天声人語よりの引用


今度の大地震で、東京タワー先端部のアンテナが曲がったと知り、1855(安政2)年の安政江戸地震を思い起こした。

浅草寺(せんそうじ)の五重塔の先が同様に傾いたとされる。


都(みやこ)のシンボルの不祥は、当時の沈滞ムードを映していた

▼その前々年、ペリーの黒船が浦賀沖に現れ、前年には東海、南海と大地震が続いた。

世情騒然とした折に、数千人が亡くなる首都直下型である。

街はすさみ、けんかが多発したという

▼それでも、お救い米(まい)が配られ、家の建て直しから経済が動き出す。

大工や左官の手間賃は高騰し、色町が潤った。

「世直り」をはやす瓦版や浮世絵も盛んになった。

一方で、幕府は内憂外患を持て余し、瓦解(がかい)へと向かう

▼昨今の「騒然たる消沈」が幕末に重なる。


節電で薄暗い店、歯抜けの商品棚。

これも有事かと思う。

昭和の終幕にも自粛の機運が広まったが、今回は工場や発電所、物流網がやられ、停電や放射能の風評被害もある。

空気ではなく実を伴う消沈だ

▼日本全土が現場、全国民が当事者であろう。

だが、皆が沈み込んではお金が回らず、再生はおぼつかない。

国費を被災地に集め、懐に余裕のある向きは「救国の散財」をしてほしい。

義援金、外食、買いだめ以外の衝動買い、何でもいい

▼十数兆円もの復興費用は、今の政権がどうなろうと私たちが背負うほかない。

将来に備えた蓄えもあろうが、国難を皆で乗り越えてこその将来、ここは東北のために放出しよう。

世界の終わりではない。

安政の驚天動地の13年先には、明治という別の地平が待っていた。





安政の地震はM6.9だが今回の地震はM9.0である。如何に今回の地震は大地震だったかが判る。









東京23区などを賄う浄水場の水道水から、
基準を超える放射性ヨウ素が検出され、
都は放射線に敏感な乳児に飲ませないよう呼びかけた
福島第一原発の事故の仕業らしい








平成23年3月24日の天声人語よりの引用


ある土地になじめば「水に慣れる」といい、しっくりこなければ「水が合わない」という。

全国から集まる新住民になじんでもらう努力が実り、首都の水がまずいというのは昔話になった。

「東京水(すい)」のペットボトルも売られている

▼努力に冷や水を浴びせる報である。

東京23区などを賄う浄水場の水道水から、基準を超える放射性ヨウ素が検出され、都は放射線に敏感な乳児に飲ませないよう呼びかけた。

福島第一原発の事故の仕業らしい

▼「長く飲んだ時の健康被害を考えたもので、代えがなければ飲んでも構わない」というから、慌てることはない。

しかし、赤ちゃんのいる人は不安だろう。

自分をおいても我が子の健康、というのが親心である

▼すでに、福島県産のホウレンソウやキャベツなどから放射性物質が見つかり、出荷が止まった。

政府は「食べないで」と念を押す。

原発の沖でも放射能が検出され、海産物の具合も気にかかる

▼原発への放水作戦を指揮した東京消防庁の隊長さんが話していた。

「いつもは目の前の人を救う仕事だが、今回は放射能という見えない敵がいるだけ。

後ろの国民を救うという、初めての経験でした」。

見えぬ敵は空を飛び、雨粒に紛れ、飲食料に忍び込んだ

▼水にまつわる凶報に、のどの渇きを覚えてスーパーに走った人はいないだろうか。

えたいが知れないゆえに、放射能はその怖さを百倍にも千倍にも膨らます。


たばこに酒と、過ぎると体に悪いものはほかにいくらもあろう。

取り越し苦労もまたしかり。

どうか、賢く怖がりたい。





放射能は恐ろしい。一旦空中や水中に拡散し広がると人体への影響は大きい。放射能は目に見えなくて自覚症状も出ないからやっかいだ。









職業や地位に関係なく、万の命が奪われた







平成23年3月25日の天声人語よりの引用


本紙の川柳欄に、〈東北の桜それでも春を待ち〉があった。

涙色の列島にも季節は巡り、暖地からはソメイヨシノの開花宣言が届き始めた。

服喪に重なる花は、例年にもまして心を揺らす

▼福島県三春町で住職を務める作家、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんの寺も地震で塀が倒れた。

「残った寺は避難所になり、通常の弔いも難しいと聞く。

何よりご遺体の扱いが心配です。

救援と供養を同時に進める苦渋を思うと、泣けてきます」。

一昨年、玄侑さんが桜について記した一文が忘れがたい

▼「非日常の時間が、束(つか)の間の開花に伴って訪れる。

それは死にも似て、職業も地位も年齢もいっさい関係のない世界である。

日本人は、ときおりそうして非日常の祭りをすることで日常をほぐし、エネルギーを充填(じゅうてん)して日常に戻ってくる」

▼職業や地位に関係なく、万の命が奪われた。

かほどの非日常の下では、束の間の桜さえ、間のびした日常に思える。

観桜で満ちゆくはずの生を、作家は「死をはらんでいっそう充実する」と表現したけれど、花時を前に老若の生が断ち切られた

▼助かると疑わぬまま、黒い波にのまれた人も多い。

ね着し、貴重品や非常食、アルバムなどを携えた亡きがらは、それぞれの生きる意志を無言で訴える。

もう1秒、あと1メートルがそれを拒んだ


▼夏目漱石に、この季節に早世した友に問うた句がある。

〈君帰らず何処(いずこ)の花を見にいたか〉。

みちのく路が桜に染まる4月半ば、海に空に、悲傷の問いかけが万と舞うだろう。

私たち、生かされた者すべてに、忘れられない春になる





地震は誰に対してもその地域に住む人たちに平等に被害を被らせる。









土地の人が慣れ親しんだ景色は、
変わるという手順を飛ばして眼前で消えた








平成23年3月26日の天声人語よりの引用


「これほどの範囲で風景が消え、物理的にも精神的にも全てが一気に奪われるとは」。

建築家、安藤忠雄さんの慨嘆だ。

土地の人が慣れ親しんだ景色は、変わるという手順を飛ばして眼前で消えた

▼森進一さんの「港町ブルース」で、〈……あなたの影をひきずりながら/港 宮古 釜石 気仙沼〉と歌われた良港たち。

リアス式海岸に連なる街は、いく手にも分かれて湾を駆け上った津波にえぐられた

▼寒流と暖流が出合う三陸沖は、世界有数の漁場として知られる。

豊かな魚種と漁法から、地元の漁師は「本物のプロが育つ海」と自負していた。


遠洋、近海、沿岸の漁、養殖に水産加工と、持ち味が違う港町が「おさかな文化」を育んできた

▼最近まで本紙の石巻支局長だった高成田享さん(63)は、同僚たちと三陸の海の幸を取材した『話のさかな』(荒蝦夷〈あらえみし〉)に書いた。

「ひとつひとつの魚には、漁の仕方があり、旬があり、民話や伝承があり、調理法や保存法がある」。

そうした無形の財までが、命と一緒に流されたのではないか

▼陸前高田市の女性がテレビで声を震わせた。

「みんな、もう海辺には住まないって。

海なんかいらないと」。

潮風に背を向けるように、関東の内陸県に身を寄せた被災者も多い

▼命がけの仕事の成果だけをいただく東京の魚好きが、勝手を言える状況ではない。

それでも、海岸線の長さでロシアに迫る海洋国家として、大漁旗が帰る浜をまた見たい。

海と共存共栄するあの三陸、どうか取り戻してほしい。

消費者、漁師仲間、きっと同じ思いだ。





三陸地方を襲った地震と津波は1000年に一回の大地震であった。  貞観地震以来のことである。










水道水から基準値を超す放射性ヨウ素が出た東京で、
店からペットボトルの水が消えた







平成23年3月27日の天声人語よりの引用


どの国や民族にも人々の襟を正させる話がある。

英国では16世紀のフィリップ・シドニー卿の逸話が名高いそうだ。

文武両道に秀でた高貴な人物で、スペインとの戦争に従軍して足に重傷を負った

▼戦場から後方へ送られる途中、あまりの渇きに水を求めた。

手にした水筒を口に当てようとしたとき、瀕死(ひんし)の一兵士がじっと見つめているのに気づく。

シドニー卿は自分は飲まないまま水筒を手渡して言った。

「汝(なんじ)の必要の方が大きい」と。


友人による伝記が伝える話だという

▼水道水から基準値を超す放射性ヨウ素が出た東京で、店からペットボトルの水が消えた。

その後基準を下回ったため、都はいったん乳児の摂取制限を解除した。

だが福島原発の事故は予断を許さない。

幼子のいる親は気が休まるまい

▼「ただちに影響はない」が政府の常套句(じょうとうく)だが、人生は長い。

「のちのちの影響」を誰もが心配する。影響を受けやすいのは乳児である。

品薄は関東の他県でも著しい。

ここは大人は「汝の必要の方が大きい」と譲る度量を見せたいものだ

▼奪い合えば無くなるものも、分け合えば足り、譲り合えば余る。

この夏の関東圏は電力が大きく不足するという。


冷房は熱中症が心配なお年寄りが優先となろう。

それぞれの便利や快適を、少しずつ削って差し出し合う意識が、いよいよ大事になる

▼被災地の辛抱強さ、規律正しさは世界を驚かせている。

異国の故事に求めなくとも、胸を打つ話を日々伝え聞く。

助け励ますべき後方が取り乱していては申し訳がないと、わが肝に銘じる。


放射性ヨウ素は甲状腺に取り込まれて子供の甲状腺癌になる。ソ連のチェルノブイリ-の原発破壊で大勢の子供が癌になっている。









鍬ならぬ原発の放射能に打たれた福島の土だ
一部の土壌から高濃度で検出された







平成23年3月28日の天声人語よりの引用


テレビで連日流れるACジャパンの公共広告で、金子みすゞの詩をそらんじた方もおられよう。

そのみすゞに「土」と題する作がある。

〈こッつん、こッつん、/打(ぶ)たれる土は、/よい畠(はたけ)になって、よい麦生むよ。〉と始まる

▼鍬(くわ)を振るう人間ではなく、打たれる土にまなざしを注いで詩人は優しい。

春まき麦も含め、今は春耕(しゅんこう)の季節。

米や、初夏から夏の野菜を植え付けるための土づくりだ。

だが、よい田畑になれぬ悲しい土がある。

鍬ならぬ原発の放射能に打たれた福島の土だ

▼一部の土壌から高濃度で検出された。

このため福島県は、県内の全農家に作付け延期を要請した。


放射性物質の拡散を防ぐために、耕すこともできない。

農家はいたたまれぬ思いだろう

▼ちょうど今ごろ、福島市から望む吾妻小富士には「種まきウサギ」の雪形が現れる。

昔から農事暦の目安とされてきた。

会津地方には「種子(たね)おろす時節は野辺の花に聞け」などと記した農書が伝わる。

だが今年の種が、母なる土に抱かれることは、ないのかも知れない

▼農薬による環境破壊に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が思い浮かぶ。

「いままでにない新しい力――質の違う暴力で自然が破壊されていく」と恐れた人災の、もう一つの究極が放射能だった。

その自然にはむろん人間自身も含まれる

▼小さな種に詰まっている恵みを土、水、太陽との共同作業で取り出(いだ)すのが農業の神髄だろう。

丹精した作物の出荷停止も含めて農家の落胆を思う。

天地(あめつち)を脅かす、文明の不気味な綻(ほころ)びである。




土壌も放射線で汚染されているようだ。農業も叉出来なくなって大変なことだ。










石巻市の大川小では、全児童108人のうち無事は3割という
それは北上川を5キロ走り、下校前の子と先生方をのんだ








平成23年3月29日の天声人語よりの引用


題は「時計」である。

〈きんやさんの手にかいた時計/一日たっても動かない/赤いいんきでかいてある/いつもおやつの時間です〉。

少女の観察は、わんぱくな級友にも優しい。

62年前の10歳の作を『詩のアルバム』(理論社)から引いた

▼震災は、いくつもの時計を「おやつの時間」で止めた。

教室の壁で、がれきの下で、もの言わぬ人の腕で。

最初の揺れから津波が猛(たけ)るまで、午後3時を挟んで何千何万の時が止まった

▼石巻市の大川小では、全児童108人のうち無事は3割という。

それは北上川を5キロ走り、下校前の子と先生方をのんだ。


泥と油が臭う現場では、わが子の生きた証しを求め、学用品の山に名前をさがす親が今も訪れる。

何日も、声がかれるまで叫んだであろう名を

▼〈俺に似よ俺に似るなと子を思ひ〉。

大正から昭和期の川柳作家麻生路郎(じろう)は、句の通りの子煩悩だった。

それゆえ長男を小学生で亡くした悲嘆は大きく、一周忌に〈湯ざめするまでお前と話そ夢に来(こ)よ〉を捧げている

▼震災で愛児を失ったご両親の思いも同じであろう。

夢に来る顔、湯ざめするまで話し込む声は、永遠(とわ)に7歳や10歳や12歳。

時はあの日のままだ。


どうしてうちの子がの涙に、かける言葉はない。

どうか自分を責めないで、と願うばかりである

▼帰らぬ児童・生徒は、岩手、宮城、福島の3県で計千人を超えた。

未就学の犠牲も多い。

何の慰めにもなるまいが、その子の命日は、この国の誰もが胸に刻んで生きてゆく。

時計たちが、忘れてはならない時刻で針を止めたように。



帰らぬ児童・生徒は、岩手、宮城、福島の3県で計千人で短い人生を終える無残さ。

両親にとっては泣くに泣けないことで,両親も叉亡くなっている可能性もかんがえられる。








福島の原発事故は、ひとたび暴走した巨大システムの怖さを教えている
「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こりえないのではなく、
起こるまでに時間がかかるだけのことである







平成23年3月30日の天声人語よりの引用


放射能を封じ込める作業が放射能を広げ、時と労力を奪う。

福島の原発事故は、ひとたび暴走した巨大システムの怖さを教えている。

現場の死闘に心から声援を送りながらも、「がんばれ東京電力」の声に力が入らない

▼「津波が想定を大きく超えた」という。

早い話が、東電の想定が間違っていた。

地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。

天災が暴いた人災である

▼福島第一の記録映画は、「この地は数百年にわたり、地震や津波で大きな被害を受けていません」と胸を張る。

全電源が長らく使えない事態も見込んでいなかった。

想定の甘さは、「千年に一度」が無残に証明した

▼『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』(J・チャイルズ著、高橋健次訳、草思社)に、興味深い一文がある。

「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こりえないのではなく、起こるまでに時間がかかるだけのことである」

▼多くの学者が国策になびく中、脱原発を貫いた高木仁三郎(じんざぶろう)氏がご健在ならばと思う。

11年前、亡くなる年の講演で「私はそもそも、原子力は電力として使うには無理なエネルギーだと感じていました」と語った。

「それがある種の政治的圧力により、強引に電力供給の主流に乗せられようとした」

▼科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心に希望の火を灯(とも)すものであるべきだと、氏は力説した。

電力業界は論敵の視座から出直すしかない。

「最悪」を免れ、原発という科学が残ればの話だが。




原子力は人間が作り出した悪魔の道具である。地球上に人間が生きてゆく上には脱出原子力以外にない。









3・11を語り継ぐ3月の言葉から






平成23年3月31日の天声人語よりの引用


〈生きていて生きてるだけで燕(つばめ)来る〉飯田操。

本紙が大震災の句を募ると、千数百作が寄せられた。

なおも目前で進行中の惨絶を、声や字にすることで我を取り戻す。

3・11を語り継ぐ3月の言葉から

▼世帯の8割が水没した岩手県陸前高田市。

中学生の佐藤久怜(くれい)さん(13)は「家が流され、教科書で残ったのは理科だけです。

勉強がしたい、書きたいこともいっぱい。

ノートがほしい」

▼同市の戸羽太(とば・ふとし)市長(46)は在職1カ月での試練。

妻を捜す間もない。

「市職員やその家族も亡くなった。

つらいのは私だけではない。

私が頑張らないと市民はついてこない」

▼「津波で家とばあちゃんを流されちゃって、捜しに行けないのが悔しい。

口うるさい人でしたが、もういちど祖母の煮魚を食べたい」。

福島県南相馬市の高田美千代さん(30)だ

▼東京から岩手県宮古市に里帰り中の小林友香さん(28)は、地震の翌日に女児を産んだ。

「この町のみんなは力を合わせて生きていく。

私も頑張ってこの子を守り、育てていきたい」

▼選抜高校野球が開幕。

創志学園(岡山)の野山慎介主将(16)が宣誓した。

阪神大震災の前後に生まれた世代を代表し、「人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えられると信じています。

生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々と……」

▼哲学者の森岡正博さん(52)は遺族に心を寄せる。

「その人たちのいのちは、彼らを大切に思い続けようとする人々によっていつまでもこの世に生き続ける」。

あの呆然(ぼうぜん)から20日。

〈燕待つ陸奥(みちのく)の空なお寒し〉。






桜の季節




今年は珍しく満開の桜を見る機会があつた。一つは京都の八幡の堤の桜並木であり,もう一つは奈良の吉野の千本桜である。

どちらも四月の出来事だが,三月の随想にはふさわしくないかも知れないが,書いているのは四月に入ってのことだから仕方がないことだ。

東北の地震 津波があっても自然は春になると桜は咲く。震災に会われた人たちも東北で桜見物された新聞記事を読む。

自然の回転には狂いはなくて,悲しくても苦しくても必ずに春はやって来て桜は咲きそして散ってゆく。

桜は春を告げる一番の植物で何時観ても美しいものである。

だが被災している方たちの気持ちは理解できていない。戦時中苦しい中では美しいものが目に入らない体験をしていたことがある。

吉野の千本桜は昔から広く知られているが八幡の背割堤の桜はあまり広くは知られていない。



京都府八幡市の背割堤の桜(動画)


吉野山の千本桜(動画)


吉水神社から見た一目千本桜(画像)



清和天皇と貞観寺,貞観時代



今回の東日本大地震で貞観時代にも大地震が発生しているので改めて京都伏見深草にあった貞観寺について再録した。

貞観寺は貞観時代に建てられた寺院である。

清和天皇の時代.貞観寺は山城国紀伊郡深草(:現在の京都市伏見区深草の地)に嘉祥三年(850)に仁明天皇が崩じ

山陵の側に始め嘉祥寺が建てられ,その西院が後に貞観四年(862)に独立して貞観寺と改められた。

人臣として初ての摂政になった藤原良房が娘明子(文徳天皇妃)の産んだ惟仁親王(後の清和天皇)を加護するために空海の弟子真雅と図って

建立させている。現在は,仁明天皇の御陵,それに嘉祥寺・貞観寺跡なども深草の地にあるが,

その正確な場所については,近くにあることだけは判るが正確な場所は判っていない。

:現在,京都深草の土地の人たちでも貞観寺(じょうがんじ)が深草に在った寺院だと知っている人は少ない。

貞観寺は定額寺で格式があり真言宗血脈集には歴代の座主が記載されている。

かなり広い伽藍をば維持していたことは想像できる。

記録によると観音堂 南堂・念誦堂・五大堂・経蔵・鐘楼・南大門等が建立されていたようで広大な伽藍を誇っていたようである。

初代座主には弘法大師の弟の真雅がなっている。

伽藍の規模は少し後に建てられた仁和寺が御室において仁和二年(886)光孝天皇の御願寺として出発し,最初の門跡寺院とされて建てらたが

同三年に光孝天皇が亡くなり,宇多天皇によって仁和三年(887)に仁和寺が完成した。貞観寺  仁和寺ともに年号が寺院名となっている。

仁和寺は貞観寺の約25年後に建てられたことになる。

仁和寺は現存しているので大体の規模や伽藍配置はわかっている。

昌泰二年(899)iに宇多天皇は譲位して寛平法皇といわれ当寺で出家している。

東寺第一長者益信より戒を受けて,仁和寺の第一世(法名空理)となっている。同年に法皇は寺内に室(むろ)を設けて法務の在所とした。

室とは僧坊を意味している。尊称として御室といった。その後この一帯を御室と称している。

仁和寺の二世には三条天皇第四皇子親明親王で寛仁二年(1018)のことである。

貞観寺の伽藍の様子が判る資料として文安二年(1445)頃の伏見近辺を示す古図(田中勘兵衛氏所蔵)をみると貞観寺などが示されている。

僧坊町 それに 筋違橋通りの東の辺に内垣外の地名があり,古図では七瀬川の南側 大和大路の西側 藤森神社の東北に当たる場所に

貞観寺が記載されている。

僧坊町には現在も醍醐寺の創立者である理源大師聖宝を埋葬した履塚が存在している。聖宝は貞観寺の子院である普明寺で亡くなった。

現在の大岩街道は奈良時代以前からの古道であるが,その道筋とは少しはずれている東伊達町,西伊達町町辺りに貞観寺の南大門が在り

立派な伽藍をもった寺院であったことは,古図からも現在の仁和寺からも推察できる。

貞観寺,仁和寺ともに空海と関係した真言宗である。

清和天皇は貞観寺の第一世座主だった真雅には師事せずに空海の孫弟子にあたる禅林寺の第三世宗叡に師事して受戒している。

禅林寺の隣に円覚寺を建て,出家後山林寺院を歴訪して最後は丹波の水尾で,そこの土地が気に入って

終いの住処と考え寺院を建立途中に病に倒れ,粟田口の円覚寺に移り,亡くなった。

今,円覚寺は水尾に移り,貞観寺の仏像があるというが,一度訪問してみたいと考えているが,山奥で遠くて実現するにいたっていない。

清和天皇は天安二年(858)に即位が9歳の時で,藤原良房が摂政となっている。

 元服は貞観6年(864) 17歳時で,基経の妹高子を妃に迎えている。貞観10年19歳の時に貞明親王後の陽成天皇が生まれて

27歳の時の貞観18年(876)に譲位し元慶3年(879)に出家し元慶4年(880)30歳で亡くなる。

師事した禅林寺の宗叡は禅林寺開祖の真紹の弟子で,真紹は実恵の弟子にあたる。

実恵は貞観寺の東に在った檜尾寺に住んでいて,檜尾僧都とも称されていて,空海の一番弟子で,東寺の二代目長者になった人である。

清和天皇の第6皇子の貞純親王が後の清和源氏の祖となる。又同じく宇多天皇の子の敦実親王は宇多源氏の祖となる。

清和天皇の御陵は丹波の水尾の山奥に在る。

近江源氏は宇多源氏からの出である。系図の始めは全て天皇家から始まっているようになってい.る。

昔,武士が仕官する時には必ず系図が必要だった。


京都深草の田谷町辺りに貞観寺が建てられていた -以下インタ−ネットよりの引用-

貞観時代におきた出来事


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