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5月について




5月は新緑の候で,暑くも無く寒くもない日が多く、紺碧の空での晴天の日が続くことが多い。

5月5日の端午の節句の日は 生まれ育った所の氏神である藤森神社のお祭りの日でもある.。

例年,武者行列や神輿 神社境内での駈け馬行事などが催されている。

子供の頃の思い出として,5月1日から毎日のように神社に通い続け,出店を見て廻るのが楽しく,懐かしく思い出される。

お祭り時期には座敷に段通 絨毯か゛敷かれ,武者の具足が飾られていた。昔は街道からも見えるようにして飾っていたようである。

その夜は庭の灯篭にも灯火がつけられていたようだ。これは母からの伝聞である。

現在境内で催されている駈け馬行事も表の街道筋を駆け抜けていたようである。

祖父の生存していた頃は厳格に習慣は守られていて,兄にもそれが受け継がれていた時もあったが,現在ではつがれていない。

祭りには家庭で作った自家製の鯖寿司を親戚中に配り歩いたものである。

今考えてみると食料の乏しかった戦後の時代でも祭りの鯖寿司は途絶えることがなかった。

このような日本的な良さが次第に便利さに追いやられてしまった感じで,寂しい気持ちは拭えない。

今年の特に長い連休には何をしていたのかと,,思い出せないくらいに何もしていない。

なんとなく悲しい5月に終わってしまった感じだ。

日本の政治では政治的茶番劇でもって騒動が起き,一夜にして,線香花火のごとくに消え去っていった。

このことが民主党をゆるがし 震災者がいまだに不自由な生活を強いられているにも拘わらず,震災復旧最中に変なことも起きるものかと

呆れるばかりである。

震災後どうなるかも判らないこの時期,野党自民党をも巻き込んだ政治劇に対して真剣に国民の為を思い,政治家が政治をしているのかと問いただしたい気持ちでいる。

復旧のための事業に対し,巨額な事業に参入するために政党が色めきたってきているとの観をも受ける。

,マスコミを含めて政財界とも,戦国時代に突入しているような気配である。

震災での復旧で現場,末端で働く人達が変わらずして,指揮する人(トップ)が変わったたけでどれだけの変化があるのかは大変に疑問だ。?

トップ交代での混乱による弊害の方がはるかに大きいと考える。

これでは現在国民の為に心を砕く真の立派な政治家はあまり見かけないようにも思えてくる。

マスコミも叉勢いが増し,色んなことが囁かれ出しているが復興に携わる手足になる人たちが一緒でガラリと変わる妙薬があるのだろうか?

トップを変えて,混乱を起すだけであって,次のトップの名前は今もって判らずに,勿論のことそのビジョンも全く不明のままである。何も見えていない。

こんな状態の非常時にはトップは交代せずとりあえず全員が協力する体制で臨むのがベストである。

自分の政治生命をかけた検事事件に対して大きな好影響が出ることはわかっていても,さすがに被災状況までが一度に良くなるとは到底考えられない。

現在,現場に携わっている来ている人たちが大きく変わらない中ではどうしょうもない現実である。

将来的には原発からの離脱を考えるのが人類のため,非常によいことで浜岡の原発中止は大変に評価したい。

世論調査でも8割方の人たちが賛成している。

イタリアでも国民投票で9割の人たちが原発に反対している。

自民党幹事長がイタリアの現象は「ヒステリック」と発言するのには,これまで原発を強力に推進してきた立場上やむを得ない発言なのかもしれない。

効率よりもやはり日本国民は安全性を強く求めていると思う。

イタリアのように日本でも全国民による原発に対して賛否の投票があっても良いのではないかと考えている。

昔の風鈴を軒先に吊るし鳴らし,団扇や扇子であおぎながら夕方には家々で門に打ち水をして,涼をとった。

窓をあけがら蚊帳の中で寝ることは今ではなくなってきている。

現在電力を使うク−ラーのない時代で,昔からの消夏法が忘れ去られている。

昔はず-と戦前以前迄はそれだけで長い暑い夏をばしのいで来たものである。CO2を排出しないので温暖化現象もなかった。

日本人は有史以来,千年何百年と同じ生活をばしてきていた筈である。

当然に原子力や火力発電もなかった。

しかし産業が進んでいる現在必要なエネルギ-は是非生み出さねばならない。

太陽光や風力・地熱それに 川の流れや海の波のエネルギ−,効率よく電力を生み出すための技術など、さらなる開発で

多く利用されても良いことである。

世の中余りにも便利になリ過ぎて,多くの電力が必要とされる結果が,原発を必要とすることになってきた。

蓄電技術や 効率のよいソ−ラ発電などのさらなる研究発達に期待したいものである。

国民の節電への習慣への回帰。電力会社は節電を言いながらも少しでも儲けるために電力は使って欲しい。

危険でも効率のよい電力を作って販売するため原子力などが開発されてきた。

放射能は個人だけでなく子孫に関係する遺伝子に至るまで障害を与えるものである。

人類の将来を考えるならば,ドイツ・スイス・イタリアのように原子力全廃が全世界の声にならないといけない。

医師として人道的な立場からの考えからしても当然の結論であろう。

新聞報道でアメリカでは無人の原子爆弾搭載機が開発されたとの報道には呆れるばかりである。

現在は武力でもって恫喝する時代は過ぎ去ったものと考えたい。

人類が生きながらえるために,人類が滅びないように世界の人々が力を合わせて仲良く暮らせる社会を目指し助け合う世界になってほしいものだ。

世界中のアメリカによる一国支配は早く終わって欲しいものである。

世界に広く平和の為に?正義の為に?軍隊を展開している一環としてのアメリカ軍の沖縄基地駐留も叉必要としなくなるはずである。



原爆は無防備な市民に(動画)


原発事故 10年後の日本2021年(動画)








12カ月が色を取り合えば、緑はすんなり5月のものだろう







平成23年5月1日の天声人語よりの引用


12カ月が色を取り合えば、緑はすんなり5月のものだろう。

桜を追いかけて、若葉や早苗が列島を駆け上がる月である。

すっかり新色に上塗りされた中伊豆を訪ね、天城越えのハイキングコース「踊子(おどりこ)歩道」を歩いた

▼モミジやコナラの緑が染めた山道に、散り残るツバキの紅一点。ザワザワ、ドドドと下る渓流に沿って、ワサビ田が段をなす。

段差を流れ落ちる清水に耳を澄ますと、こちらはコロコロ、キュルルと鳴いていた

▼谷風が渡るたび、ワサビの丸い葉が一斉に揺れる。

沢から水を引いた人工物のたたずまいは、しぶきを飛ばして弾む奔流に比して優しく、か弱い。

猛々(たけだけ)しい自然の傍らに、人知がつつましく間借りする図である

▼この国の美観は、起伏に富んだ地形と四季の合作だ。

前者は地震や噴火などの所産であり、後者は台風や大雪を伴う。


人は泣かされながら、それらと折り合い、どうにか「間借り」を続けてきた。

どうにかという語が今、ひときわ染みる

▼〈風おもく人甘くなりて春くれぬ〉加藤暁台(きょうたい)。

常ならば、去りゆく季節を惜しむ時期である。

だが、この春を惜しむ人がどれほどいよう。

忘れたくて、忘れがたい3月と4月。


続きは少しでも甘くと願うだけだ

▼政府と国会は、きょうからクールビズだという。

節電の範を垂れるべく、期間を前後に延ばし、10月まで軽装が許される。

原発をなだめつつ、がれきの処理に追われての、長い夏になる。

暴れた自然の後始末に、私たち、間借り人の万策が試される。




自然と共有しての日本人の本来の生き方に立ち返って欲しいものである。緑の5月は一番の月でもある。








励ましの形は一つではない
有名無名を問わず、東北を思いながら生業に励む人は多い








平成23年5月2日の天声人語よりの引用


励ましの形は一つではない。

声をかける、手紙を書く、肩を抱く。

芸能人やアスリートなら仕事ぶりを見せることで人を元気づけられる。

ただし、スポーツで「魅する」には結果が必要だ

▼モスクワであったフィギュアスケートの世界選手権で、安藤美姫選手が立派な仕事をした。

五輪女王、金妍児(キム・ヨナ)選手を逆転しての栄冠である。


3月に東京で予定され、震災で会場を移した大会だった

▼胸に「甦(よみがえ)れ日本!!」のワッペンをつけた安藤さんの言葉がいい。

「自分のことより日本のことを考えて滑りました。

震災で困っている人が少しでも笑顔になれるように」。そう話す顔に笑みはなかった

▼野球では、楽天が地元仙台での開幕3連戦を勝ち越した。

初戦で完投した田中投手は「声援がこれほど力になったことはない」「(試合が)終わってしまうのがもったいなくて」と語り、

歴戦の星野監督に「野球人生に残る1勝」と言わせた

▼サッカーのベガルタ仙台もホームでの初戦を飾り、リーグ2位につけている。

「がんばろう東北」だけで白星が続くほどプロは甘くないが、声援とプレーの化学反応は侮れない。

楽天とベガルタは、今季の「想定外」として評論家を困らせてほしい

▼有名無名を問わず、東北を思いながら生業に励む人は多い。

被災者の忍耐、自衛隊や自治体職員、原発作業員らの献身に打たれてのことだろう。

国会も休日返上の論戦ながら、ヤジと言い逃れが耳についた。


政治家ぐらい結果を求められる仕事もないのだが。





日本人の優しさをみる東日本地震の援助の人々の思いを見る感じだ。








24年前のきょう憲法記念日
阪神支局が襲撃されて記者2人が死傷した







平成23年5月3日の天声人語よりの引用


震災一色の紙面で、小さな訃報(ふほう)にはっとしたのは4月上旬のことだ。

78歳で亡くなった群馬県の詩人小山和郎(こやま・かずろう)さんにお会いしたことはなかったが、

その自由律の俳句〈明日(あす)も喋(しゃべ)ろう 弔旗が風に鳴るように〉を長く胸に刻んできた

▼わが胸だけでなく、朝日新聞の同僚だれもの心に、忘れがたく灯(とも)っていよう一句である。

24年前のきょう憲法記念日阪神支局が襲撃されて記者2人が死傷した。

深い悲しみと怒りの支局に、遺影とともに掲げられたのが小山さんの一句だった

▼亡くなった友を悼んで、青年時代に作ったそうだ。

この句を愛誦(あいしょう)していた社会部デスクの提案で拝借することになった。

悲しみを湛(たた)えた作ながら、一読して高らかなものを吹き込まれた記憶が、今も鮮やかに残っている

▼事件では言論に銃口が向けられた。

だが、ひるまないで書き続けよう。

そんな記者たちの意思が句に託された。

喋りあう声が風を呼び、弔旗がはためくイメージは、事件と、落命した小尻知博記者を忘れない決意の象徴であり続ける

▼兵庫県西宮市の阪神支局にはきょう、例年通り拝礼所が設けられる。

毎年、何百人という方が立ち寄ってくださる。

多くの思いが風となり、弔旗を鳴らし、私たちは言論を守る闘いに終わりはないと肝に銘じる

▼この大震災のあと、東日本にはおびただしい弔旗が立つ。

事件と災害は同じではないが、忘れないこと、書き続けることの責務に変わりはあるまい。

明日も喋ろう――を二つの意味で今かみしめる。





再び言論統制のような事態に至らないように世の中の動きに敏感でありたいものだ。








そのテロを首謀したオサマ・ビンラディン容疑者を10年がかりで討ち取った







平成23年5月4日の天声人語よりの引用


思い知らせることを「目に物見せる」と言うが、今の米国は「声を聞かせてやった」だろうか。

思い出すのはブッシュ前大統領が9・11テロのがれきに立って、犠牲者と国民に語った姿だ

▼「君たちの声が私に聞こえる。世界が君たちの声を聞く。

ビルを倒した連中も間もなく我々の声を聞く」。

そのテロを首謀したオサマ・ビンラディン容疑者を10年がかりで討ち取った。

留飲を下げたかのような、人々の高揚が伝えられている


▼ここ10年、米国は良いことが少なかった。

アフガニスタンでの戦争は泥沼化している。

イラク侵攻は「大義なき戦争」の汚名にまみれた。


強欲資本主義は破綻(はたん)し、リベラルと保守は憎み合い、連邦議員が銃で撃たれた――そうした中の勝報である

▼とはいえ、その印象はどこか、「ビンラディン狩り」というゲームに勝っただけのような実体の希薄さがある。

米国民の歓喜は、「ビンラディンを生んだもの」への想像とまなざしを、いつもながらに欠いていないか

▼宮沢賢治に「二十六夜」という物語がある。

仲間を人間にやられた梟(ふくろう)たちが復讐(ふくしゅう)を叫ぶのを、梟の坊さんが諭す。

「仇(あだ)を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。

こなたの胸が霽(は)れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ」

▼歓喜の一方で報復を不安がる図は、梟の坊さんの言うとおりだ。

テロの背景には貧困と差別、憎悪の荒野が広がる。

それをどう沃野(よくや)に変えるか。

火薬で退治できるのは、たぶん大したものではない。






ビンラデイ氏が殺されても後継者の主導者が出てきてテロの根源は絶えない様だ。

何が原因しているかを自覚し改善されない限りにおいて

これからもテロはつづくことになるであろう。








東北地方の「までい」もそんな一つだ
「真手(まて)」という古語が語源といい、
転じて手間ひま惜しまず、丁寧に、
心をこめて、といった意味合いで使われるそうだ








平成23年5月5日の天声人語よりの引用


方言には、標準語には収まりきらない深みと幅を持つ言葉が多い。

東北地方の「までい」もそんな一つだ。

「真手(まて)」という古語が語源といい、転じて手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味合いで使われるそうだ


▼「までいに飯を食わねえどバチあだっと」「子どものしつけはまでいにやれよ」などとお年寄りは言う。

原発禍に揺れる福島県飯舘村役場に頂戴(ちょうだい)した『までいの力』という一冊で知った。

言葉どおり、手塩にかけて築いてきた村の日常がオールカラー本に息づいている

▼スローライフの考え方が広がり出したころ、村長はじめ村人は思ったそうだ。

「それって『までい』ってことじゃないか」。

以来「までい」を合言葉に、地に足をつけて村をつくり上げてきた

▼ところが本の刊行直前に震災が起きた。

「ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯舘村の姿があります」。

中表紙に急きょ刷られた一文に怒りと悲しみがこもる。

計画避難で全村民が村を離れなくてはならない

▼「までい」の教祖のような、19世紀米国のソローを思い出す。

物質文明を問うた名著「森の生活」の末尾に、「われわれの目をくらます光は、われわれにとっては暗闇である」という象徴的なくだりがある。

原発がともす繁栄の光は、私たちにとって何なのだろうか

▼地に足をつけてきた人々が地を追われる無念を思う。

とことん考えることでせめて悲痛に寄り添いたい。

原発の受益者は都会人なのを忘れることなく。





原発がなくなるまでどこでも起きる惨事だと思える。原発は必ず災害をもたらす存在である。

節電と自然エネルギ-に転換すべきである。

原爆同様に大変危険な存在である。









焼き肉チェーン店の集団食中毒だ
警察が捜査に着手し
人気の生食への信頼は揺らいでいる








平成23年5月7日の天声人語よりの引用


漱石の「坊っちゃん」に、坊っちゃんと盟友の山嵐が牛鍋をつつく場面がある。

江戸っ子の坊っちゃんは何かにつけて気が短いらしい。

会津っぽの山嵐は「そこの所はまだ煮えていないぜ。

そんなのを食うと条虫(さなだむし)が湧くぜ」と注意する

▼実際にその心配があったかどうかはおいて、確かな冷蔵技術もない時代である。

生ものへの警戒心は今より強かったのだろう。

もう聞くことも少ないが、「鯖(さば)の生き腐れ」や「夏の鰯(いわし)で足が早い」など、用心を促す言い習わしも色々と流布していた

▼そんな場面や諺(ことわざ)を思い出させる、焼き肉チェーン店の集団食中毒だ。

生肉のユッケを食べた4人が死亡し、20人を超す重症者が出ている。

警察が捜査に着手し、人気の生食への信頼は揺らいでいる


▼生食用の表示がなくても、店で衛生基準どおり調理すれば客に出せる。

だが基準は行政指導にとどまり罰則はなく、店によっては厨房(ちゅうぼう)という密室で形骸化していたようだ。

お上の規制がすべてではないが、これでは「食の安全」も神話のように覚束(おぼつか)ない

▼古来、危ない食べ物の代表といえばフグだが、あの美味を好んだ人は多い。

〈男の子われ河豚(ふぐ)に賭けたる命かな〉日野草城。

しかし現代の、家族や仲間で囲む焼き肉である。

その席が「肝試し」になるようでは客はかなわない

▼冒頭の山嵐の忠告に坊っちゃんは「大抵大丈夫だろう」と答える。

自分で食べるならそれでいい。

しかし業者や政府が「大抵大丈夫」では困る。

「大抵」を取り去る策が急務だ。





生でお肉を食べれば美味しいからで売り出されるとは現代の飽食の結果なのだろうか。









昼中に津波が襲った今回は不明者がなお1万人いる。
両親を失った18歳未満は百数十人、
父母のいずれかとなれば千人を超すとみられる






平成23年5月8日の天声人語よりの引用


女の子は母が通った小学校を訪ね、写真を見せてもらったという。

〈こどものときも、おとなのときも、やさしいかおやったんやね。

お母さんは、わたしのことをどう思っていますか。

わたしのことすきでしたか……もう、きくこともできません〉

▼阪神大震災で親を亡くした小3の記である。

遺児の思いや境遇を1年後に編んだ『黒い虹』(あしなが育英会編、廣済堂出版)にある。

幼い問いかけに、写真は微笑(ほほえ)みを返すだけだ

▼早朝の震災では、枕を並べる親や子が眼前で息絶える悲劇が多発した。

どちらもつらいが、昼中に津波が襲った今回は不明者がなお1万人いる。


両親を失った18歳未満は百数十人、父母のいずれかとなれば千人を超すとみられる

▼暦に気遣いはなく、こどもの日が巡り、母の日が来た。

ゆがんだ洗濯機が、泥まみれのエプロンや弁当箱が、感謝を伝えたい人の不在を告げる。

闘病の末でも未練は尽きないのに、日常から突然消えた母への追慕はいかほどか

▼一方に、去年までの「ありがとう」を聞けぬ親がいる。

何であれ、肉親を失う痛切に違いはない。

阪神の追跡調査では、まとめて震災遺児と呼ばれ続けることに戸惑う人も多かった。

無用な特別視は慎みたい


▼「今」に追われる被災者にも、愛する人を静かに思う時が要る。

傷つきやすい年頃ならばなおさらだろう。

心の手当てを尽くし、学びを支えるレールを敷いたら、遠くから遺児の成長に声援を送ろう。

やさしい顔が空からそっと見守るように





第二次大戦以来の惨事に日本は見舞われている。突然に自然現象としての災難に会い,これからも何処かで起きることは間違いない。

原発事故は原発さえなければおきないことで,発電は火力による大気汚染による温暖化と同様に太陽熱 地熱 風力などによる

自然エネルギ-に由来するものに転換すべきである。








当事者の覚悟が透ける言葉を菅首相から聞いた
浜岡原発を丸ごと止めてくれという要請である







平成23年5月9日の天声人語よりの引用


先ごろ、私鉄の車内放送に感心させられた。

「次は○○」に続いて「降り口は右側です」とでも言うところを、「右側のドアを開けます」と妙に力強い。

「私が」の主語はなくても責任感がにじむ言い回しだった

▼これが頼もしく響くのは、世に「ひとごと調」があふれているからだろう。

原発事故をめぐる言説もしかりだが、珍しいことに、当事者の覚悟が透ける言葉を菅首相から聞いた。

浜岡原発を丸ごと止めてくれという要請である


▼浜岡は来るべき東海地震の震源域にあり、福島第一の教訓から防潮堤を設ける手はずになっている。

列島の大動脈にも近く、放射能が漏れたら大ごとだ。

大地震は明日かもしれず、まずは停止し、備えに万全を期すのが常識である。

首相は正しい


▼ただ、「俺が止めた」という実績を急(せ)いてか、夏の電力不足やエネルギー政策への影響をつぶさに吟味した様子はない。

なにしろ、首相の言動はここまで「思いつき」が多かった

▼浜岡の緊急会見も、案の定、菅おろしへの先手、延命工作だと批判された。

国民の安全が政局絡みで語られてはたまらない。

信望が厚い指導者ならば、要請はもっと支持され、中部電力に即断を促したはずだ

▼危急存亡のメッセージは、内容と同じほど発言者が重い。

機長のアナウンス一つで、機内のパニックは収まりも広がりもしよう。

乱気流のただ中で、彼の技量や人徳を論じても始まらぬ。

せめて命がけで操縦桿(かん)を握り、ぶれない主語で語れと、揺られながら祈る。





浜岡原発の即時停止は日本人の八割から支持されている。








き肉チェーン店の食中毒
この事件の「真実」はどうだろう
卸業者は加熱用だったと述べ、
店側はユッケ用と認識していたと言う








平成23年5月10日の天声人語よりの引用


 映画などの笑いの定番に「とり違え型」とでも呼ぶべきものがある。

たとえば「貧相」が背広を着たような社長と、胴回りたっぷり、貫禄十分なお付きの秘書。

行く先々で相手にとり違えられて笑いを起こす

▼当方、笑われたいと望んだわけでは毛頭ないが、7日の小欄でとり違えをした。

漱石の「坊っちゃん」の牛鍋の場面、「そこの所はまだ煮えていないぜ。

そんなのを食うと条虫(さなだむし)が湧くぜ」「大抵大丈夫だろう」のせりふで、

先が山嵐、後が坊っちゃんとした説明がさかさまだった

▼少年時代に読んで以来、そう思い込んできた。

引用前に確かめたが、つゆ疑わず。

だが、さすがは国民的小説と言うべきか、相次いで指摘を頂戴(ちょうだい)して「真実」を教わった。

感謝とともに粗忽(そこつ)をおわびします

▼その日のテーマは焼き肉チェーン店の食中毒だった。

さて、この事件の「真実」はどうだろう。

卸業者は加熱用だったと述べ、店側はユッケ用と認識していたと言う。

これも「とり違え」だろうか。聞けば聞くほどに、流通のあいまいさが浮かび上がる


▼生食用と明示して出荷された牛肉はここ数年ほぼ皆無という。

なのに全国の店でユッケは食べられる。

基準通り調理すれば提供していいからだ。

こうした事情を、ほとんどの客は知らなかっただろう

▼文明開化の昔、牛肉はその象徴の一つだった。

珍しげに、こわごわ口にしたのだろうが、今や焼き肉は国民的人気食だ。

取り違えのボンヤリ頭を恥じつつ、いま一度安全への万全を訴えたい。





法律で生肉用食材は売らないように法律で禁止すればよいことである。

そうすれば事件は起きないはずである。





浜岡原発を止めてほしいとの菅首相の要請を、中部電力が受諾した







平成23年5月11日の天声人語よりの引用

子どもの頃によく乗ったボンネットバスは、方向指示器がピッと横に出た。

運転席の標語を今も覚えているのは、年少ながらに得心したからだろう。

「ハンドルでかわすな、まず止まれ」とあった

▼レトロなバスと原発を同じには語れまいが、安全の基本動作としては不変の真理ではないか。

浜岡原発を止めてほしいとの菅首相の要請を、中部電力が受諾した。

東海地震の想定震源域の真上にあり、「危険な」の頭に「世界一」の冠さえ載る浜岡である。

ここは政と民の英断を支持したい


▼原発への責任は国内だけで完結しない。

ある科学者はかつて、放射能をまき散らす核実験について「地球の一点から全世界が汚染できるとは誰も考えつかなかった」と語ったそうだ

(武田徹「私たちはこうして『原発大国』を選んだ」より)

▼チェルノブイリの事故のときは、日本の広い範囲で放射性ヨウ素が観測された。

同じ事態を原発の壊滅的事故は招く。


浜岡を「ハマオカ」にしない決意は、損得を超えた世界へのメッセージでもある

▼落語だったかに、亀を買う話がある。

夜店で「万年生きる」と言われて買うと、すぐに死んでしまった。

文句をつけると「今日でちょうど万年目だった」。

30年以内に87%とされる東海地震の「今日かも知れない確率」は、むろん笑話ですむはずもない

▼地震国ゆえ「豆腐の上にある」と言われる他の原発も、必要なら止める胆力がほしい。

人は景気と経済のみで生くるにあらず。福島の苦難が戒めている。




東日本大地震の次に東海地震がささやかれている中での首相 中部電力の浜岡原発停止は英断だった。









「瓦礫(がれき)の撤去」が、心の中で「思い出の消去」と変換される
そうした被災者は大勢おられよう







平成23年5月12日の天声人語よりの引用


池波正太郎さんの時代物は漢字のルビもたのしい。

「熱い酒(の)をくれ」「あずけておいた金(ぶん)をもらうぜ」――ほかにも色々ある。

ふりがなと漢字の合わせ技で、読者は意味をとりつつ会話の陰影を堪能できる

▼しかし切ないルビもある。

〈記者らみな「瓦礫」と書くに「オモイデ」とルビ振りながら読む人もいる〉と先の朝日歌壇にあった。

「おもいで」でも「おもひで」でも、人それぞれ、年齢や来し方に応じたふりがながあろう

▼「瓦礫(がれき)の撤去」が、心の中で「思い出の消去」と変換される。

そうした被災者は大勢おられよう。

背比(せいくら)べのキズのついた柱。

家族が集ったこたつ。

蛍雪の日々を刻んだ机もあろう。


ありとあらゆるものが、今やひとからげに瓦礫と称される

▼震災直後に故郷の石巻市に入った小紙記者が、喪失感の中で知ったと書いていた。

家も町も、そこで暮らす人とともに時を刻んで「生きていた」のだ――と。

家族は無事だが家は壊れていたという。

やはり「おもいで」と、胸の内でルビを振っているだろうか

▼震災からきのうで2カ月がたった。

思い出について書きながら、過去の日々を容易に思い出に出来ない人のつらさを思う。

人も家も町も、片時も忘れられずにいるものは、まだ「思い出」ではないだろう

▼岩手、宮城、福島の瓦礫は計2500万トンになる。

「なりわい」「いきがい」「わがまち」などと、在りし日の姿にルビを振りたい人も多かろう。

失意の総量をあらためて思う。想像力を持ち続けたい。





震災は大切な思いで深い全てのものが瓦礫と化して多くの瓦礫が今も放置したままにある。

そのような状態で政治家達が政争を繰り返して復興が上手くいっていないとか遅いとか議論している場合ではない。

現に困っている人たちに早く暖かい手を差し伸べるのが政治家の役目ではないのか。憤りを感ずる。









場所入り前に「力士携帯預かり所」に差し出す様子は
カンニングに揺れた大学受験を彷彿(ほうふつ)させる







平成23年5月13日の天声人語よりの引用


いかついものと可愛いものの取り合わせは滑稽味を醸す。

たとえば弁慶が手まりをつき、仁王様が千代紙を折っているような図には、絶妙のちぐはぐ感がある。

今の世に探すなら、失礼ながらお相撲さんがケータイをいじる図と相成ろうか

▼そんな姿が支度部屋から消えた。

場所入り前に「力士携帯預かり所」に差し出す様子は、カンニングに揺れた大学受験を彷彿(ほうふつ)させる。

土俵をにらむ監察委員も増員された。


名称も「技量審査場所」とくれば、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)としたおおらかさはどこか縮む

▼年6回の本場所は、季節や土地ごとに味わいがある。

今場所なら隅田川を渡る薫風だろう。

打ち出し太鼓で出て来ると、初夏の空はまだ明るく、上気したほおに川風が心地よい

▼だが、その薫風もほろ苦い「八百長明け」の場所である。

そのうえ看板大関が「遊びの場所」と口走っては、足を運ぶファンの興もさめる。

だが把瑠都関、考えてもみよう

▼騒動の中、賜杯(しはい)もテレビ中継も、懸賞もなしでは心技体を高めるのは難しかろう。

だからこそ「本物」かどうかの試金石になる。

ファンは見ている。

「二級場所」どころか白星は勲章と言っていい

▼亡くなった相撲通の作家宮本徳蔵さんが、強さとは、一口で言うなら「無心」に帰着すると書いていた。

それは中国故事の「木鶏(もっけい)」に通じよう。


木彫りの闘鶏さながらに、動じることなく勝負に臨む。

大横綱双葉山が目指した境地だ。


眼鏡にかないそうなのが白鵬一人では寂しい。

続く者よ、出(い)でよ。






相撲はプロである。国技をはずして興行ものとして税金を徴収すればよい。国技とは何ぞや。

歴代の横綱が外人の方ばかりで尚も国技といえるのたろうか。それに続く不祥事で野球と同じく興行として

扱えば良い様に思うのだが。叉は国技らしき権威を戻して欲しい。










政府は東京、東北電力管内の節電目標を、企業も家庭も一律15%にすると決めた。







平成23年5月14日の天声人語よりの引用


「夏炉冬扇(かろとうせん)」といえば役に立たないものの例えだ。


試験でこれを「我慢くらべ」と書いた女生徒がいたと、旧知の先生に聞いた。

夏に火にあたり、冬にあおぐと類推したのか。

珍答ながら、なかなかの想像力に感心したものだ

▼季節はめぐるから、「冬扇」にも再び我が世の春はくる。

東京は昨日、気温の割に蒸し暑かった。

棚に突っ込んであった団扇(うちわ)に無沙汰をわび、風をもらって仕事をした。

これからは大事な戦友だ

。女生徒の迷答ではないけれど、「我慢」の夏が今年は待っている

▼政府は東京、東北電力管内の節電目標を、企業も家庭も一律15%にすると決めた。

旗振り役の環境省はスーパークールビズと称し、Tシャツ、アロハシャツの着用を認めるそうだ。

そう。お堅く我慢くらべする必要はさらさらない

▼思えばかつては、家を開け放つのが夏だった。

外の音がいろいろ聞こえた。

いまは閉め切って室内を冷やし、代わりに戸外へ熱風を噴き出す。

どこか現代人の心の姿に、通じるものはないだろうか

▼その熱風で、都会の夏は夜もほてり、人はいよいよ閉じこもって牙城(がじょう)を冷やす。


団扇でも扇風機でも、風の開放感が懐かしい。

〈ふるさとの板の間にをり扇風機〉岩城久治

▼人工の冷気ばかりが「涼」ではない。

すててこ、打ち水、青すだれ――レトロなものたちが甦(よみがえ)る夏になろうか。

昨今ほとんど見ない陶枕(とうちん)や抱き籠(かご)はどうだろう。

汗だくの我慢は長続きすまい。

現代と伝統の知恵を取り合わせて涼しい風を吹かそう。




これまで電気が余りにも湯水の如くに使用されていたことの方がおかしいのである。

危険な電力供給源は余り作らないことで深夜までテレビ放送していることが間違っている。

深夜のテレビ放送止めるだけでどれだけの節電になるのだろうか。









東京・芝浦の有名ボウリング場が、震災で休んだまま、40年近い営業を終えた







平成23年5月15日の天声人語よりの引用


東京・芝浦の有名ボウリング場が、震災で休んだまま、40年近い営業を終えた。

その一角、駐車場のくすんだ外壁に目を凝らすと、日焼けの名残のごとく「JULIANAS」の文字跡がどうにか読める

▼20年前、この地にジュリアナ東京が開業した。

社会現象とまで言われながら、店は3年3カ月の泡沫(うたかた)に終わる。

跡地にできたスポーツ品店も今年初めに閉じ、殺風景な扉が残るだけだ

▼商社の日商岩井(現双日)が外資と手がけた大型ディスコは、都築(つづき)響一さんの『バブルの肖像』によれば「一種の仮設祭礼空間」だった。

「ひと晩だけ、いつもより少しだけ大胆に肌をさらし、音楽に乗ることさえできれば、そこではだれもが女王様になれた」

▼倉庫を改装したフロアでは夜ごと、肉感的な装いの女性客が、通称ジュリ扇(せん)を手にお立ち台で身をくねらせた。

バブル経済の象徴のように語られるが、株価や景気はとうに下り坂で、実際はバブルの焼け跡に咲いたあだ花だった

▼続く時代は失われた10年と呼ばれた。

財政と金融の不全に政治の混迷が加わり、今に至る20年が無為に消えたとの見方もある。

貧しくとも静かな生活を望んだところで、前提となる平穏や安全が揺らいでいる

▼あの不夜城の、ひりつくような熱狂の中に本物の幸せは見つからなかった。

かといって自分の殻にも閉じこもれない。

ならば目下の複合災害を、せめて大切なものを取り戻す契機にしたい。

足るを知り、助け合う生き方。

バブル以前の忘れ物である。





ボウリング場よりもタバコの煙に騒音のパチンコ屋の方が健康にはよくない。ボーリング場には運動 ストレス解消には一定の効果がある。









福島の原発で続く激闘で
東京電力の協力企業が雇う
60代の作業員が亡くなった







平成23年5月16日の天声人語よりの引用


再び栗林中将にご登場いただく。

映画「硫黄島からの手紙」の冒頭、指揮官として島に着いた中将(渡辺謙)が、部下をぶつ上官を制する場面だ。

「兵隊には十分な休息を取らせるように。

見たまえ彼ら、まるで月から来たみたいだ」

▼戦中、ガダルカナル島など南方戦線での日本軍の犠牲は、戦闘より飢餓と病気による衰弱が多かったという。

補給や増援が途絶えたためだ。現場を大切にしなければ、どんな作戦も失敗する

まいど戦争に見立てるのは気が引けるが、福島の原発で続く激闘で、東京電力の協力企業が雇う60代の作業員が亡くなった。

現場で働き始めて2日目、事故を収束させる総力戦で初の「戦死」である

▼倒れた時間帯に医師はおらず、遠方の病院に運ばれたそうだ。

死因は持病というが、張り詰めた仕事は心臓に障る。

病を押して働くには、使命感だけで語れぬ事情もあろう。

東電社長の「日当」20万円は無理でも、危険に見合う報酬、救急態勢は必須だ

▼非常時を理由に、被曝(ひばく)などの安全ルールが緩まり、作業員の急募は中高年を軸に九州にも広がる。

大阪の日雇い労働者は、「宮城でダンプ運転」の求人に誘われ、この原発で働いていた

▼新たに大量の汚染水が見つかるなど、戦況は険しい。

かき集められ、雑魚寝の体育館から戦場に赴く人々には、「月から来た」ほどの疲労が積もっていよう。

彼らの双肩が担うものと、処遇の落差に暗然となる。

いま求められるのは戦略と後方支援。

美談や英雄ではない。



危険な仕事は収入も多い。無理しても働こうとして心臓発作で倒れられたようだ。

立場の弱い人たちに負担が加わっているのが現在の日本の社会である。









東京都立川市で警備会社の営業所から奪われた6億円強
国内の現金強奪では最高額という








平成23年5月17日の天声人語よりの引用


釣りの極意は「一場所二えさ三に腕」などと言われる。

道具や腕前がいくらよくても、魚がいない水面に糸を垂れては時間の無駄だ。

悪事もまた、装備や技量より場所とタイミングらしい

▼東京都立川市で警備会社の営業所から奪われた6億円強。

国内の現金強奪では最高額という。


これほどの札束、そうそう一営業所で夜を明かすはずもない。

会社の幹部は「どうして6億もある日に強盗が……」と言うが、6億もある日だから、ではないか

▼2人組は無施錠の窓から侵入、仮眠中の宿直者から金庫室の暗証番号を力ずくで聞き出した。

内部の事情に通じているようだ。

この会社は現金輸送車の大金を何度か盗まれている。

そうした過去を知っての仕業にもみえる

▼事件前の巨額強奪番付では、1968(昭和43)年の3億円事件がまだ5位にある。

より新しい1〜4位は犯人が捕まったか、時効後に別事件の容疑者が関与を認めた。

3億円事件だけがいまだ迷宮を漂う

▼年末宝くじの1等賞金が1千万円になった年だ。

大卒初任給は約3万円だったから、3億の重みは今の20億以上だろうか。

しかも手製の白バイで警官になりきる早業。

犯罪史に残らぬはずがない

▼立川の犯行が「6億円事件」と語り継がれることはあるまい。

強盗に上品も下品もないが、工夫の跡が見えない手口は、狭いイケスに網を打つがごとし。

場所と日時さえ教われば、大抵の悪人がやってのけよう。

反論があればいくらでも聞く。

まずは魚ごと自首すべし。




三億円強奪事件が昔にあって驚いたものだが,今回は六億円の巨額が強奪事件が発生している。









原子炉の燃料棒が自らの熱で溶け落ちる悪夢である








平成23年5月18日の天声人語よりの引用

辞書によれば、〈溶ける〉とは固形物が液状になることだ。

類語の〈とろける〉には、心のしまりがなくなる/うっとりする、の意味が加わる。

「ろ」が入るだけで随分まろやかだが、間違って「炉」を添えると、〈溶ける〉が牙をむく

▼「メルトダウン」は軽々しく使える言葉ではなかった。

なにしろ、原子炉の燃料棒が自らの熱で溶け落ちる悪夢である。

燃料の損傷という軽い響きも、炉心溶融と正直に書けば、ただならぬ気配に腰が浮く


▼福島の事故で、1号機のメルトダウンは津波の数時間後に始まっていたという。

東京電力の当初の読みよりずっと早い。

隠したなら論外、知らずにいたのならなお怖い。

やはり運転中だった2、3号機の燃料も溶けて発熱中らしい

▼競うように暴れた末、毒を吐き、枕を並べて熱に浮かされる1〜4号機。


熱冷ましの注水が汚染水を生み、新たな注水を不要にするための作業には強い放射線が立ちはだかる。

放置すれば破局、策を講じたら次なる試練というイバラの道だ

▼長く稼いでくれた4兄弟に、安らかな最期をどう用意するか。

親にあたる東電が改めた工程表にも、確たる道筋はない。

明日をも知れぬ病状と、「来年早々の安楽」の間がどうにも描きづらい

▼「孝行息子」が最後にしでかした悪さを前に、政府と東電は保護者の責任を押しつけ合うかのようだ。

ここは双方が死力を尽くし、税金と電気料金へのツケ回しを堪(こら)えるのみだろう。

国がとろけようかという時に、官も民もない





福島の原発事故は次第に明るみになってきている。原子棒がメルトダウンしているようで最悪の事態がはっせいしているみとが

わかってきた。放射能はかなり離れた場所でもスポット的に放射能が高い場所のあることが判ってきた。

地震津波だけでなく一番に厄介な放射能被害が広がっている。感じない見えなくて健康に被害が及ぼすから性質が悪い。








77歳で亡くなった俳優の児玉清さんである。実は骨っぽい逸話も多い







平成23年5月19日の天声人語よりの引用


温厚、誠実な好人物にとどまらず、知的でダンディー。

中高年がうらやむ「おじさま」の条件を独り占めしていた。

77歳で亡くなった俳優の児玉清さんである。実は骨っぽい逸話も多い

▼東宝の新人時代、ロケ先で若手スターからお茶に誘われた。

サインをもらいに来た女性が「あなたも」と児玉さんに色紙を差し出すと、スター氏が「こいつは雑魚(ざこ)だよ」。

席をけった雑魚、俳優を貫く決意を固めたそうだ


▼ただ、役者の自己陶酔とは無縁だった。

テレビで使われる理由を「無味無臭なある種の清潔感、要するにアクの無さ」と自ら解説し、

爆弾魔役で取った賞には「やりそうにないやつがやったというのは一度しか効かない」。

覚めていた

▼〈さあ、ここからは慎重かつ大胆にお答え下さい〉。

36年も司会を務めたクイズ番組。

語り口に端正な人間味がにじむ。

柔らかな声、共演女優が言う「人を幸せにする笑顔」が、解答者の緊張をほぐした

▼長身にまとった知は自前だった。

蔵書で自宅の床が傾くほどの読書家で、米英の小説は原書で読んだ。

さらに随筆、切り絵も。

芸能人でも文化人でもなく、一人の親としての痛恨は9年前、36歳の長女を同じ胃がんで失ったことだろう

▼「クイズ番組は人生そのもの」と語った通り、児玉さんも勝ち負けを重ねて領域を広げた。

半世紀を超す芸能生活が視聴者に等しく残した印象は、控えめだが親しみ深い中間色だろうか。

25すべてのマスをベージュで埋めて、まな娘に再会する旅に出た。




テレビで良く見かけた児玉さんが亡くなった。胃癌でなくなっているようだ。

ピロリ菌が胃癌の大きな要因と言われている。除菌するか若い世代ではピロリ菌が少ないから

胃癌は少なくなるはずである。高齢者は半分が何らかの癌で亡くなっている。









震災後、ちょっとした結婚ブームだという。







平成23年5月20日の天声人語よりの引用


人恋しいのは山で迷った時だけではない。

節電に沈む街を漂いながら、ヒトは寂しがり屋の動物だと思った。

多くが掌中の機械を頼り、通じ合える誰かとピンポイントでつながっている

▼震災後、ちょっとした結婚ブームだという。

広告を控えたにもかかわらず、結婚仲介業者への資料請求や入会が増加中と報じられた。

「寿退会」も多い。

一緒にいてくれる誰かを求め、女性の動きが目立つそうだ

▼余震や停電、放射能を案じての独り暮らしは、都市の孤独に慣れた人でも心細いのか。

あの夜、何時間も歩いて帰宅し、明かりをつけても一人。

きずな、だんらん、安らぎといった言葉たちが背中を押すのだろう


▼名高い調律師の著にあった。

「ピアノは振動には結構強いが、温度や湿度の変化に弱い。

たちまち調律が狂う」と。

人はピアノにも似て、大地の揺れに耐えつつ、一変した世の空気に心は乱れる。

そして、自分だけの調律師を探す

▼真偽はさておき、米国では大停電や大災害、テロのたびに小さなベビーブームが伝えられる。

何げない温(ぬく)もりが愛(いと)おしく、独り身は婚活に燃え、交際中は結ばれ、若い夫婦は……。

ささくれた世相に疲れた人は、家庭なるシェルターにこもるらしい

▼2011年春、万の人口が瞬時に失われた。

喪に服す列島がにわかに放つ結婚熱は、欠けた命を補う営みにも見える。

種族の本能といえば大仰だが、少子化に一矢報いるべく、慶弔が攻守ところを変えるなら喜ばしい。

この国はまだ生きている 




震災に罹患した人たちの気持ちは想像出来る。何もかも失い身の危険を感じての結婚しようとされる気持ちも理解できる。










時々刻々、空模様や日の高さで変わる甲子園の表情こそが
夏の熱戦の後景として球史を彩ってきた







平成23年5月21日の天声人語よりの引用


昭和おやじの勝手をいえば、高校野球にドームと人工芝は似合わない。

時々刻々、空模様や日の高さで変わる甲子園の表情こそが、夏の熱戦の後景として球史を彩ってきた。

胸に迫る場面が炎天下とは限らない

▼55回大会の作新学院―銚子商。

8回から降り始めた雨が激しさを増す延長12回、作新の「怪物投手」江川卓の夏は押し出し四球で終わる。

〈わたしは雨を愛した詩人だ/だがわたしは江川投手を愛する故に/この日から雨が/きらいになった〉。

サトウハチローが贈った詩の一節だ

▼カクテル光線も激闘に花を添える。

準々決勝を1日で消化していた頃、第4試合がもつれてナイターになるのが好きだった。

例えば56回大会の鹿児島実―東海大相模。

1年生三塁手、原辰徳が輝いた相模だが、延長15回で力尽きた

▼どちらの試合も、同世代として熱くなったのを覚えている。

前者は下校路の電器屋で、後者は夕食時の家で見た。

甲子園の熱はかように、もっぱら午後の時間帯に発散されたように思う

▼今年の93回大会、決勝のプレーボールが午前9時半と決まった。

例年通り昼過ぎからだと、テレビ観戦がエアコン使用のピークに重なるためだ。

ナイターを避けようと、準決勝までの第1試合も午前8時に早まる

▼選手もファンも勝手が違うが、これも節電のため。

平均的な試合は2時間20分前後なので、史上初の「午前の決勝」は昼時には終わろう。

みんなが元気になりたい夏、とっておきの感動は少し急ぎ足でやってくる。



節電を考えての午前の春の選抜決勝戦があっても良いとである。









、被災地には作付けのできない水田が広がる
辛うじて難を逃れた田で植え付けが始まったと、
東京で読んだ紙面が報じていた







平成23年5月22日の天声人語よりの引用


ひとくちに二十四節気と言っても、知名度にはばらつきがある。

立夏、夏至という主役級にはさまれて、小満(しょうまん)と芒種(ぼうしゅ)は渋い脇役を思わせる存在だ。

きのうはその小満だった。

「陽気盛んにして万物長じ、草木が茂り天地に満ち始める頃」と本にある

▼今の季節、夏のスピードは速い。

初々しかった若葉はたちまち茂りを濃くし、緑となって湧き上がる。

田んぼの稲も負けてはいない。

立夏のころ、借りている棚田で田植えをした。

水面から首を出し、心細げに風に吹かれていた苗が、はや伸び盛りの勢いである

▼だが今年、被災地には作付けのできない水田が広がる。

辛うじて難を逃れた田で植え付けが始まったと、東京で読んだ紙面が報じていた。

周囲には今も無残な瓦礫(がれき)がうずたかい


▼「一粒一粒の米を大切に育て、秋には家を流された親戚たちに食べさせたい」。

農家の言が胸にしみる。

夏の青田は瑞穂(みずほ)の国、日本の原風景だ。

青々と育ち、やがて黄金に波打つ稲は、きっと人々を励ますことだろう

▼〈粒粒皆辛苦(りゅうりゅうかいしんく)すなはち一つぶの一つぶの米のなかのかなしさ〉。

詠んだのは東北出身の斎藤茂吉だった。

粒粒皆辛苦とは米作りのきびしさを言う。

戦前は小作制度や飢饉(ききん)も農家を苦しめた。

いま、空前の災厄に米どころは沈む

▼他の例にもれず農地再生でも国は鈍い。

希望への処方箋(しょほうせん)はいつ書かれるのか。

遅れた正義は無いに等しい、の格言を思い出す。

正義を「策」に換えても通じよう。

季節に負けぬスピード感が今こそほしい。





東北地方では震災による田畑の塩害と放射能の害で田植えが出来なかったり耕作できなかったりする地域もあるようだ。

瓦礫の山は依然としてテレビで見る限りそのままのようである。

高台への住居移転話も適当な土地が見つからなくて困っている所もあるようだ。








二十四節気のほかに「雑節」というのがある
「雑」と聞けばどこか軽い。だが、なかなかの顔ぶれが並ぶ
土用、節分、彼岸、二百十日、半夏生(はんげしょう)――









平成23年5月23日の天声人語よりの引用


きのうに続いて季節の話になるが、二十四節気のほかに「雑節」というのがある。

「雑」と聞けばどこか軽い。だが、なかなかの顔ぶれが並ぶ。土用、節分、彼岸、二百十日、半夏生(はんげしょう)――。

そして忘れてならないのが♯夏も近づく、の八十八夜だ


▼歌に名高い茶摘みの季節である。この時期の茶畑は照るように美しい。

作家の岡本かの子は「晴々しい匂ひがするし、茶といふよりも、若葉の雫(しずく)を啜(すす)るといふ感じ」と新茶を愛(め)でた。

そんな一番茶を「刈り捨て」にする無念は、いかほどかと思う

▼福島第一原発から300キロも離れた神奈川県の茶どころまで被害は及んだ。

茨城、栃木、千葉、福島の各県でも茶葉から基準値を超す放射性物質が検出された。

かくも晴れやらぬ五月が、これまでにあったろうか


▼「これが最悪、と言えるうちはまだ最悪ではない」というシェークスピア劇の名句を、原発禍はなぞる。

後から後から深刻な事態が明るみに出る。組織の欺瞞(ぎまん)の「最悪」の例として東電の姿は記憶されよう

▼国の原子力安全委員会も「暗然委員会」だ。

その委員長と、経産省や官邸が、今度は「言った。

言わない」の内紛という。

産学官の、こうした人たちの手の内で「原子の火」は灯(とも)っていたのだ

▼長崎で被爆した歌人竹山広さんに一首ある。

〈地上にはよき核わるき核ありて螢(ほたる)の尻のひかる夜となる〉。


私たちは原発と国の未来図を、専門家の手から自分たちの手に一度取り戻す必要がある。

高すぎる代償で得た一つの教訓として。





天皇家の神話は聞き流せるが,原子力の安全神話でもって科学者までが騙されるとは神話もも恐ろしい話だ。

神話の根本的解明をしてほしいものである。









国際通貨基金(IMF)の専務理事から転落した
ドミニク・ストロスカーン被告(62)も、
立場と容疑の落差が激しい









平成23年5月24日の天声人語よりの引用


「トップの犯罪」といえば、贈収賄、背任、粉飾決算あたりが思い浮かぶ。

それなりの権限なしにはできない悪事である。

かたや殺人、傷害、万引きなどに肩書は要らない。

地位が伴えば、大ごとになるだけだ

▼国際通貨基金(IMF)の専務理事から転落したドミニク・ストロスカーン被告(62)も、立場と容疑の落差が激しい。

ホテルの女性客室係に襲いかかったとして、ニューヨークで起訴され、華やかな地位を失った。

保釈も監視用の足輪つきというから、これ以上の屈辱はあるまい

▼もともとはフランス社会党の経済通で、来春の大統領選では現職サルコジ氏のライバルと目されていた。

政治家の浮名に寛容なお国柄とはいえ、密室での性犯罪となれば挽回(ばんかい)はきつい

▼彼の持論は「IMFは消防士にして建築士」だった。

通貨不安の火消しと信用再建を掲げ、土地勘のあるユーロ危機などで手腕を示した。

そんなエリートの仮面の下は、朝日川柳にある通り〈通貨ほどコントロールが利かぬ人〉だったのか

▼消防士でも建築士でもなく、弁護士を頼んで法廷で争うらしい。

謀略説もあるが、国内の政敵にせよ、通貨不安に乗じる国際投機筋にせよ、そこまでして失脚させたい標的だったとは思えないのだが

▼地位にそぐわない所業というのがままある。

そもそもの間違いは、行為そのものより、ふさわしからぬ地位に就いたことだろう。

伝えられる愚行が事実とすれば、転落の起点は「病」を抱えたまま重職を受けたことである。




世の中に偉い人にも末路があるものだ。








先の日曜日、日本中央競馬会が4月に導入した新方式の馬券「WIN(ウイン)5」で
100円の元が1億4685万110円に化ける「億馬券」が生まれた







平成23年5月25日の天声人語よりの引用


織田作之助の短編「競馬」にこんな一節がある。

〈走るのは畜生だし、乗るのは他人だし、本命といっても自分の儘(まま)になるものか、

もう競馬はやめたと予想表は尻に敷いて芝生にちょんぼりと坐(すわ)り……〉。

消沈ぶりがおかしい

▼馬を恨んではいけない。

本命に裏切られたら、穴狙いという道がある。

大穴の代名詞は、100円の元手で1万円以上を稼ぐ万馬券だろう。

人はそれを夢見て公営ギャンブルに通い、公に貢いできた

先の日曜日、日本中央競馬会が4月に導入した新方式の馬券「WIN(ウイン)5」で、

100円の元が1億4685万110円に化ける「億馬券」が生まれた。


過去の記録の何倍にもなる空前の高配当である

▼新馬券は、指定された5レースすべての勝ち馬をネットで当てる。

かの日は重賞のオークスで7番人気が勝つなど、対象レースで本命がそろって敗れる波乱。

約1200万票の発売総数に対し、的中はわずか6票だった

▼「人の不幸の上に成り立つ自分の勝ち、ギャンブルの快楽はここにある」。

競馬随筆の谷川直子さんの洞察だ。

ハズレが多いほど配当は膨らみ、アタリの歓喜は極まる。

競輪では昨秋、自分で勝者を予想しなくてもいい宝くじのような車券で、9億円強の配当が出た

▼競馬も運の要素を大きくし、高配当で素人を呼び込む策らしい。

無論、夢追い人の大多数は快楽の人柱になる。

ただし、WIN5の収益からはすでに約8億円が震災支援に回されている。

ちょんぼりと座るのも無駄じゃない。





馬券100円で1億6000万円も当たるならば一生馬券を買い続けても良いものだが。

罰が当たるぐらいが常識のようである。








3万年前の岩塩に閉じ込められていたものを
ニューヨーク州立大の研究チームが培養したら、
元気に増殖したそうだ






平成23年5月26日の天声人語よりの引用

 だいぶ前になるが、米カリフォルニア州の砂漠デスバレーで「3万歳」の微生物が見つかった、という記事があった。

万年前の岩塩に閉じ込められていたものをニューヨーク州立大の研究チームが培養したら、元気に増殖したそうだ

▼塩辛い環境を好む古細菌の仲間で、休眠状態で生き永らえたらしい。

3万年前といえばクロマニョン人の世。

以来、人類も長寿を願いながら、平均寿命は100歳に届かない。

「死の谷」に潜んでいた単細胞に、生命の不思議を思う

▼私たちも古来、塩の「延命力」を頼ってきた。

信濃と二つの海を結ぶ「塩の道」を筆頭に、海から内陸へと開かれた諸街道が塩の大切さを語る。

山海の幸は塩と出会い、郷土色豊かな保存食となった

▼野沢菜漬け、数の子、酒盗……。

古細菌ならぬわが身、過ぎた塩分は命を縮めるのだが、塩蔵品は肴(さかな)として手放せない。

中でもホヤの塩辛は、節酒の妨げになって困る

▼珍味を愛すればこそ、三陸の惨状には胸が痛む。

養殖のカキやワカメではゼロから再出発の生産者も多い。


前にも増して三陸の味が恋しいのは、何も飲み助ばかりではない。

ごはん党、旅好き、通販マニアらが港ごとの名物を案じ、再起を祈っていよう

▼先ごろ岩手県が試験的に網を入れたところ、幸い、漁獲の種類や量は震災前と変わらなかったと聞く。

漁具は流されても、海の幸は尽きない。

砂漠の命のように、「どっこい生きてる」と、食卓への道を敷き直してほしい。

いつまでも終点で待つ。




3万年前の生き物を現在に生き返らせるとは驚き。









コンビニなどの震災募金箱が、全国で盗まれているという







平成23年5月27日の天声人語よりの引用


やると決めた者は来店時から怖い顔で、「蜃気楼(しんきろう)のような強い邪気」を発しているという。

『万引きGメンは見た!』(伊東ゆう著、河出書房新社)にある。

逮捕もある犯罪だ。

にじみ出る緊張と悪意を、プロの保安員は見逃さない

▼そんな最低限の人間味すらうかがえない、軽く乾いた所業である。

コンビニなどの震災募金箱が、全国で盗まれているという。

東京だけで約40件、神戸のマクドナルドでは箱をとめたワイヤが切られた

▼大書された「大震災」にも、感じるところはないらしい。


火事場泥棒の抜け目なさと、さい銭ドロの罰当たりをこね混ぜた卑しさ。

小欄の読者とは思えぬが、一応「恥を知れ」と書いておく

▼震災に乗じた詐欺や悪徳商法も多い。

家屋の補修を装うものや、「支援のカニを買って」「市役所ですが義援金を」と悪知恵は尽きない。

自作の募金箱をレジに置く不届き者も出た。


「会社の義援金を電車に置き忘れちゃって」は、おなじみの振り込め詐欺だ

▼配給に列ができ、暴動もない被災地を、世界は「さすがに民度が高い」とたたえた。

鈍することなき日本。

だが、善意や不幸につけ込む震災犯罪の毒気に、わずかな救いさえ陰りかねない

▼善人ばかりの世でもなし、日本人の倫理観が飛び抜けているとも思わない。

それでも、こうした輩(やから)に警察の時間と公金が費やされるのは悔しい。

どなたも一言あろうが、ちんぴらに大声で説教するのも馬鹿らしい。

この難局、空しい怒りに回すエネルギーはない。




募金 所謂義捐金が被災者にほんの一部しか届いていないようでは募金詐欺も考えられそうである。

人の善意を盗むとはケシカラン話である。詐欺には色んな詐欺が言われている。









明治から昭和を生きた「炭鉱絵師」山本作兵衛は、石炭掘りの仕事と生活を活写した
その作兵衛の炭鉱絵が、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された








平成23年5月28日の天声人語よりの引用


その絵は、照明のカンテラを提げて地底に降りる母子を描いている。

父ちゃんはもう採炭場だ。

母の肩には3人分の弁当、少年の背には赤ん坊。

母がおんぶすると坑道の低い天井で頭を打つので、と説明文にある

▼明治から昭和を生きた「炭鉱絵師」山本作兵衛は、石炭掘りの仕事と生活を活写した。

きつい坑内作業、混浴の共同浴場、夫婦げんか。

お互い命がけという連帯感と、家族労働が育む濃密な社会である。

作兵衛の炭鉱絵が、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された

▼幼少期から両親について福岡県の筑豊炭田で働いた。

もともと絵心があり、現場を離れてから92歳で没するまで、日記と記憶を頼りに千点以上を残した。

素朴にして誠実な作品には、掘り道具が響き、汗が臭う


▼「私の絵には一つだけうそがある。

坑内は真っ暗で、こんなにはっきり見えやしません」。

中小炭鉱の閉鎖が続く中、ヤマの実像と人情を孫の世代に伝えたい一念で、色までつけた

▼記憶遺産には「アンネの日記」「フランス人権宣言」など、人類史に刻むべき文物が名を連ねる。

炭鉱絵は、近代化を底辺で支えた人々を同じ目線で描いた点が評価された。

日本から初めて、そうそうたる史料の仲間入りだ

▼国宝とは無縁の「労働絵巻」が、一足飛びに世界公認のお宝になる痛快。

年に200升を空けた作兵衛のこと、地の底に消えた幾万の命と祝杯を交わしていよう。

早くから絵の価値を認め、とうとう世界に発信した筑豊の人たちにも、乾杯。






無名の人の描いた作品が世界記憶遺産になるとは人類にとっての貴重な記録である。アンネの日記は読んだが有名。









日本列島は関東甲信と東海も梅雨入りし、いわば半身浴の状態になった
どちらも去年より17日も早い。






平成23年5月29日の天声人語よりの引用


雨にぬれる公園を歩くと、紫(あ)陽花(じさい)の花はまだ小さい。

手毬(てまり)のように丸くなり、「七化け」とも呼ばれる花色の妙を見せるのは少し先だろう。

雨期を彩る私なのに――。

化粧がととのわぬままの忙(せわ)しない入梅に、花の精はご機嫌斜めかもしれない

▼日本列島は関東甲信と東海も梅雨入りし、いわば半身浴の状態になった。

どちらも去年より17日も早い。


初夏(はつなつ)の空と風が、今年はもうおしまいかと思えば名残惜しい。

公園の雑木林は、雨が強くなると青く煙って、水の底に沈んだように見える

▼お天気博士の倉嶋厚さんが「人間は大気の海の底に住む海底動物」だと書いていた。

なるほどと思う。

大気の織りなす営みが、ときに五風十雨となり、ときに暴風雨などの禍となって、「底」に暮らす人の頭上に下りてくる

▼人は空を仰ぎ、地球の表面にへばりついて生をつなぐ。

この世界を「天地(あめつち)」とはよく言ったもの。

〈命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中にし息〈いき〉す〉と窪田空穂は詠んだ。

命の器としてのわが身、生かされてあることへの静謐(せいひつ)な思いが伝わる秀歌だ

▼今年、天地の「地」はきびしい試練をもたらした。

いま入梅とともに、強い台風2号が傷む日本をうかがう。

夏の暑さも含め、せめて「天」は慈母であれと願わずにいられない

▼紫陽花の属名のハイドランジアには「水の器」の意味がある。

疎ましい梅雨も「夏の水瓶(みずがめ)」を満たす大事な役を担う。

どうか暴れず騒がず、日照りで泣かさず。

恵みの雨期であってほしい。






今年も梅雨の季節がやってきた。震災後の梅雨時は大きな意味がある。放射能が他地域に雨によってもたらされないかの心配だ。

紫陽花の季節でもある。









1976年にイタリア北東部で地震が起きた
このとき様々な動物が不思議な行動を見せたそうだ
れっきとした科学者だが、目撃談に触発されて古今の動物予知を調べ上げた






平成23年5月30日の天声人語よりの引用


1976年にイタリア北東部で地震が起きた。

このとき様々な動物が不思議な行動を見せたそうだ。

ある村では猫が一斉に姿を消した。

屋根裏で子育て中だった母猫は、揺れる前に子猫をくわえて畑に避難したという

▼『動物は地震を予知する』(朝日選書)という本に詳しい。

著者のトリブッチ氏はその地震で故郷が壊滅した。

れっきとした科学者だが、目撃談に触発されて古今の動物予知を調べ上げた。

科学の裏付けはともかく、妙に説得力がある


▼そのイタリアでのこと、予知を誤った地震学者らが起訴されたと、先の紙面にあった。

中部のラクイラで一昨年、309人が亡くなる地震が起きた。

予兆らしき揺れが続いていたのに大丈夫と判断し、過失致死罪に問われた

▼被災した人たちが告発したそうだ。

「避難勧告があれば被害拡大は防げた」の言い分はもっともだろう。

半面、技術としては未確立で、「見果てぬ夢」と言う人もいる予知である。

異例の裁判として衆目を集めよう

▼ガリレオの国だけに、どこかあの時代の裁判に想像が飛ぶ。

いまや天空のことは遠い先の惑星の位置も、日食や月食の日時もぴたりと予測できる。

なのに足元の予知は覚束(おぼつか)ない。

地震はいつも、背後からの辻斬(つじぎ)りのように人を襲う

▼警報が空騒ぎに終わる「オオカミ少年」と、今度のような刑事責任の板挟みでイタリアの学者は大変だ。

要は情報の精度を上げ、速やかに発信せよ、に尽きようか。

あれやこれや、他国の話に限ったことではなく。




地震の予知よりも地震を防ぐことが出来ないものかと思う。地震の予知にはナマズだがイタリアでは予知を誤った

地震学者がいるようだ。ナマズはどんな行動するのか。

地震とナマズ

日本では、地震の予兆としてナマズが暴れるという俗説が広く知られている。微振動や電流などに反応しているとも言われるが、

科学的な実証は成されていない。また、地面の下は巨大なナマズ(
大鯰)がおり、

これが暴れる
ことによって大地震が発生するという迷信・民俗も古くからある。

ナマズが地震の源であるとする説は江戸時代中期には民衆の間に広まっていたが、そのルーツについてはっきりしたことはわかっていない。

安土桃山時代
の1592年、豊臣秀吉伏見城築城の折に家臣に当てた書状には「ナマズによる地震にも耐える丈夫な城を建てるように」との指示が見え

この時点で既にナマズと地震の関連性が形成されていたことが伺える







今に向き合う5月の言葉から





平成23年5月31日の天声人語よりの引用


自ら切り開こうと思えども、どうにもならぬことに翻弄(ほんろう)されるのが人生である。

砕かれし夢のかけらを拾い集め、人はまた顔を上げる。

今に向き合う5月の言葉から

▼布川事件の元被告2人に無罪判決。

「だんだん体が軽くなり、無罪になるっていいなと思った」と桜井昌司さん(64)。

杉山卓男さん(64)は「海外旅行に行ける。

選挙もできる。

住所も自由に変えられる。

力が抜けちゃったですね」。

奪われた44年を胸に納めての微笑(ほほえ)みだった

▼ビンラディン殺害の報に、「9・11」で夫を亡くした杉山晴美さん(45)が語る。

「テロを武力で解決できるのか疑問に思う


区切りとは思えないし、癒やされるわけでもありません」

▼震災との闘いは始まったばかり。

妻と母を流された宮城県南三陸町の及川道男さん(62)が言う。

「うちだの車だのは、また買えばいい。

でも家族は売ってねえからね。

なめくじの歩みで頑張っていきたい」

▼「家族の絆ってか、大切さが分かったな。


いつもいる人が隣にいるってだけで気持ちが穏やかになる」。

岩手県大船渡市の新沼晃さん(63)は、以来、頭ごなしに怒ることもなくなり、言葉が優しくなった

▼学生ボランティア130人を迎えた南三陸の公民館長、阿部忠義さん(52)は、まずは現場を見てと訴えた。

「ここの人がこれからどんな思いで生きていくのか考えてくれたら十分です。

それで将来、町のためとはいわない、日本のために行動する若者が出たら嬉(うれ)しい」。

人を助けて変わる人生もある。




パソコンと囲碁




以前からパソコンを使い囲碁をしてきた。一年前くらいまではパソコンでの囲碁は弱かったが,最近は強くなってきている。

以前ネットを通じて相手を探し囲碁を打っていたが最近特に強いソフトが出てきている。

ネット上での相手は大体同じくらいの力の人を探して打っていたが,:現在はパソコンにインストールしたソフトを相手として打っている。

始めは対等で打っていたがいつも負けるので一目置いてで勝ったり負けたりである。

講座も一緒にあって我流で打っていたのも打ち方も学べるが,ついつい試合している方がお面白いので勉強よりも打つ方に夢中である。

相手が人だと「待った」することは禁じられているが,パソコンだといくら待ったしても怒らない。

どれだけこちらが相手を待たしても怒らないで根気よく相手してくれる。ありがたいことだ。

将棋のソフトは以前から強かったので負けてばかりで,腹が立ち止めてしまった。将棋ではプロをも負かすソフトも有るようである。

囲碁の場合は最近強くなって勝てることもあるので夢中になっている。

子供の頃にはよく辞書を引いて遊んだことがあるが,パソコンも本当に便利で知らないことを入力し,検索すると何でも教えてくれる。

本当に便利な世の中になったものだと喜んでいる。

そのうちパソコンの囲碁に勝てる日を夢見て相手しているが,面白いので運動不足になるのが一番の心配だ。

ネット上では世界の人たちを相手とするサイトもあるが,これはまだ観覧しているだけている。





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