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6月について






6月は雨の多い月で次第に暑さも本格的になってくる。電力業界の異変でもって節電が叫ばれ出し,ク−ラの変わりに扇風機が良く使われるようになった。

一時的には電気店では扇風機が売り切れの所も出てきている。今も続いているようだ。

扇風機でも結構に涼しいものである。祇園祭りに出て見ると街路で団扇が無料で配られていた。

使ってみると結構風がきて涼しい。腕を常に動かし続けているので軽い運動にもなる。

便利さに慣れてしまい昔には普通だったことが,現代人は足りないとして不平を言っていることが多く有るのではなかろうか。

これまで電気を空気のように気楽に使っていたのが,東日本大地震でもって原子力による発電が如何に恐ろしいものであることが次第に判って来て

全国的に節電の気運が急速に広まってきている。

でもいまだに場所によってまだまだ寒いぐらいにク−ラ-がよく効いている場所も見かける。

政府は原子力発電所が「ストレステスト」に耐えられるかテストして見てから稼動するかどうか決めるとの事が突如決まった。

一方で九州電力で「原発に対するやらせの世論」でもって九電の社長が辞職するにに至っている。

老人が節電の為に熱中症になって死亡者が出たとかの報道で,原発でもってナントかして,危険だが儲けがよい原発の発電の再開を進めさせようとする気運を感じる。

今回の東日本大地震による福島の原子炉からの放射線漏洩事件が,いまだに先行き全く不透明の状態にあるのに,原発の再開はとんでもない話である。

:原子力による放射能はi人間にとって恐ろしい存在である。

放射線をキュリー夫人がエックス線を発見した時は人類にとって貢献する偉大な業績だったが

第二次大戦中で核開発の競争が有り原子爆弾が発明され,世界で始めて,日本の広島 長崎に:原爆が落とされてからは

それ以後世界中に原爆が使用されていない。

原爆よりも威力ある水爆がビキニ環礁で実験され,近くにいた第五福竜丸の船員だった久保山さんが被爆され亡くなっている。

冷戦時代は狂人のようになって,米ソの間で核爆弾保有数を競うようになって世界中で何万発も作られている。

核保有する国も次第に増え続け,北朝鮮 イラクなどでも核を保有しようとして国際的に問題化されてきた。

一方,核の平和的利用として原子力発電が世界中に広がる中,ソ連でのチェルノブイリや米国のスリ-マイル島での原子力事故が

起きて,さらに今回の日本での東日本大地震からそれに続く津波によって福島の原子力発電所で事故が起きて

原発の恐ろしさを世界中にまざまざと見せつけることになった。

エックス線時代の放射能は人類に貢献していたが,原発の放射能は人類に破滅をもたらすことが判ってきた。

エックス線時代のキュ−リ夫人も放射線障害と考えられる再生不良性貧血症でもって亡くなっている。

放射線に従事していた研究者や医師達が多くその為,被害を被り亡くなっている可能性は多くあると思われる。

放射能は人類にとり全て益ばかりだったとは考えがたい。

原発はさらに強力で人類にとっては手に負えない存在だと思える。

一度でも核戦争でも起これば人類破滅につながることは確実だ。核の拡散を防止するため国際的にIAEAが活動している。

国際的にIAEAが活動してまで,何故核が地球上に必要なのかどうかも大変疑問を感ずる。



:原発の放射能障害について(衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦東大教授の証言)(動画)

(you tubeの内規違犯で動画が削除されていますが,他の動画にリンクしました)


原発なしでも電力足りてる 小出裕章(動画)


原子力安全研究グループ(記事)



核は人類が発見した中で全く遙かに人間の能力を超えた破壊力を秘めているので,世界中から核は排除すべきである。

核の平和的利用は台風 地震 火山爆発  などの自然災害を人類が防ぐことが出来ないならば,諦めるべきである。

今回の福島での原発事故を見ているとつくづくそのように思うようになってきた。

京都の夏の風物詩の祇園祭は人間の能力以外の現象を神の祟りとして,それへの祈りから始まってきている。

全てが便利になって来た現在,昔の人々の素朴さを取り戻し自然に謙虚になって奢ることのない人間性を取り戻しても

良いことだと思える。

自然の脅威にはかなわないことが沢山あることだ。

テレビを見ていて感ずることはヨ−ロッパでは建造物が昔のまま残っているが, 日本 韓国 中国などでは高層ビルが立ち並んで

アメリカと間違えるくらいの風景になってきている。

しかしヨ−ロッパを見ていると,伝統的な生活様式を残しながらも近代化が進んでいる。

同様に日本も独自の道を選んで良いことだと思う。










釣るにせよ食すにせよ、アユ好きが待ちわびた季節である
なのに福島県では、漁の解禁がお預けになるかもしれない







平成23年6月1日の天声人語よりの引用


大大大好きなことを前に、人は子どもに返る。

「いよいよ解禁。

じゃあ今年はどこの川へ行こうかなあと思いを巡らせているうちに、もう釣りは始まっている」。

10年前に亡くなったプロ釣り師、西山徹(とおる)さんも例外ではなかった

▼食道がんを切った西山さんは、再びさおを握ろうとリハビリに励んだ。

体力づくりで多摩川沿いを歩くと、アユが跳ね、岩の藻に食(は)み跡がある。

「私の心の中ではアユ釣り虫がムックとばかりに起き上がり、行こうよ、行くぞ、と騒ぎはじめた」。

52歳の早世を前にした、最後の初夏だった

▼釣るにせよ食すにせよ、アユ好きが待ちわびた季節である。

なのに福島県では、漁の解禁がお預けになるかもしれない。

県と国の調査で、基準を超すセシウムが出たためだ


▼地に降りた放射性物質は、雨水に紛れて川や湖沼に流れ込む。

潮が散らす海と違い、内水では放射能がなかなか薄まらない上、淡水魚は海水魚よりため込みやすいという。

哀れ、かつ厄介でもある

▼「鮎(あゆ)は土地土地で自慢するが、それは獲(と)りたてを口に入れるからで、結局地元が一番うまい」(北大路魯山人)。

福島の舌には福島の香魚が至上であり、夏を呼ぶ滋味を欠いては精が出ない。

釣りどころではない被災者も同じだろう

▼県内では、旬を迎えるサクランボなどの観光農園も客離れにあえいでいる。

暮らしを壊し、安心を乱し、季節感まで奪う原発事故。

失われたものの大きさを思う水の月、この災いを乗り切る気構えを新たにしたい。






放射能は痛くもかゆくも無く目に見えなくて人に害を与える。地震 津波は天災で仕方ないことだが放射能による障害は人災で

福島から60Kmも離れた場所での藁を食べた牛が放射線被害を受け,全国に出荷され大騒動となっている。

鮎も大丈夫かなと疑いたくなる。暮らしを壊し、安心を乱し、季節感まで奪う原発事故はもうごめんである。









津波で多くの命と財産を失い、10万人が避難所で暮らす東北の被災地
内外に放射能と不安を広げる事故原発






平成23年6月2日の天声人語よりの引用


ざっと見て、いまの日本には「戦場」が三つある。

津波で多くの命と財産を失い、10万人が避難所で暮らす東北の被災地。

内外に放射能と不安を広げる事故原発。

そして、これらに一丸であたるべき者たちが争う国会だ

▼谷垣自民党総裁は、菅首相との討論で「だからお辞めなさい」と迫り、内閣不信任案のカードを切った。

震災という共通の敵が暴れている時に、陣内で斬り合ってどうする

▼菅おろしの勢力は「震災で政権延命を図るな」と批判するけれど、国難の政治利用ならお互い様だ。

「被災者のため」と言い張る野党に、民主党の「党内野党」が呼応する。

これが政策にかこつけた政局でなくて何だろう

▼領土問題などでの「甘さ」に我慢ならない保守論壇も、震災対応の不手際をここぞと攻め立てる。

曰(いわ)く、この首相では国が滅ぶ。

では空前の大災害を、誰がいかに収めるというのか

▼経済学者の浜矩子さんが、「絶句につぐ絶句……仕事しろ」と政治状況を嘆いておられた。

情けないのは右往左往する与党議員だ。

とうに政党の体をなさぬ民主党ながら、党に残ったまま不信任に賛成するのはずるい。

造反といえば格好いいが、信念より打算が見え見えである

▼ベトナム戦争の最前線を命がけで取材した開高健は、戦場を「ウソのないたった一つの場所」と書いた。

作家の定義に従えば、永田町は戦場の名に値しない。

しかもこのB級コメディー、制作費の大半が血税だから泣くしかない。せめて短編で終わりますように。







政治家の常識を疑いたくなる。二世 三世議員ならば現状では地盤 看板 カバンかしっかり保障されているので

現在の制度ならばストレートに議員になれる。だったら常識テストを立候補者全員に課すればどうだろう。

常識テストに合格しなければ立候補資格は無いものとすればよい。

受かってからテストをしても良いのだが支持した人たちからの不満もあることだからまずテストすることだ。

常識を疑うような議員を多く見かけるので考えた。








自民党などの内閣不信任案が賛成152、反対293で阻まれ、
永田町のドタバタ劇はひとまず短編で収まった。






平成23年6月3日の天声人語よりの引用


男が得意げに言う。

「来週会社を辞めてやると伝えたら、社長の奴(やつ)、がっかりしていた」。

すると同僚が「今週じゃないからな」。

クリント西森編著『ジョーク世界一』から引いた。

同じ辞めるにも、重職ほどタイミングが肝心だ

▼自民党などの内閣不信任案が賛成152、反対293で阻まれ、永田町のドタバタ劇はひとまず短編で収まった。

震災対応にメドがついたら若い世代に引き継ぐ、という菅首相の「退陣予告」が効いたようだ


▼ジョークとは逆に、辞めてくれるなら後日でもと、賛成予定の民主党議員が思いとどまったらしい。

処分覚悟の欠席や賛成は、小沢元代表ら20人足らず。

80人造反の票読みもあった中、政界、一寸先は闇である

▼小沢氏は民主党の原点にこだわり、菅憎しに燃える。

名うての壊し屋、今度も分裂辞さずの勢いだったが、腰砕けに終わった。

造反者を追い出せば、首相は怪我(けが)の功名、衆院の安定多数を保ちつつ「脱小沢」が成就する

▼与野党は、きちんと危機にあたれる人物を本気で吟味すべきだし、政党再編も一つの道だ。

だがそれを国難の下でやるのは、土砂降りに打たれながら高級傘を探すに等しい。


今はビニール傘でもというのが大方の声だろう

▼国会で多数派工作が続く間にも、原発の汚染水はかさを増し、被災地では不便な一日が暮れた。

議員は仕事に戻ろう。

野党も政府の震災対応に協力するなり対案を出すなりし、一日も早くビニ……いや菅さんにメドなるものをつけさせたらいい。





このようなドタバタ喜劇がどうして起きたのか。?

後の検証はあまりなされていない。政治よりも権力奪取に議員達が勢力ついやしているならばよい政治は出来ない。

東北の困難な人たちのことを考えればこんなことをやっている閑はない筈だ。

政治家の常識を疑う。政治家の足の引っ張り合いしている時ではない。










内閣不信任案の否決で収まるかに見えた政局が
菅首相の退陣時期で荒れている









平成23年6月4日の天声人語よりの引用


メガロポリスの排気に白く煙って、巨柱の群れが天を突く。

約30棟の超高層ビルが林立する東京・西新宿の威容だ。

その第一号、京王プラザホテルの開業から明日で40年になる

▼山手線の外側には都市型ホテルが珍しい時代。

170メートルは当時の日本一、それも出入り自由の客商売とあって、副都心の構想はぐっと身近になった。

創るべき街があるのは、まだ成長できる証しだ。

造りに造り、60メートル以上の高層ビルは全国に千棟を超す

▼先の地震で、超高層の林はゆっくり、しなるように揺れた。

大地が突き上げる衝撃を総身で吸収し、十数分かけて逃した。

耐えたビル群はきょうも、残照の中に変わらぬ輪郭を連ね、赤い障害灯を明滅させている

▼震災以来、どっしりと、いつもそこにある不動産の安定感がいとおしい。

建設、開発の言葉にも久々の出番が回ってきた。

「動かざるもの」への憧れは、移ろう現実の裏返しでもあろう。世の中、「ふらふら」が多すぎる

▼内閣不信任案の否決で収まるかに見えた政局が、菅首相の退陣時期で荒れている。

「震災対応に一定のメドがついた段階」とはいつか。

月内にもという空気に逆らい、首相はふらふらと年内はやるつもりらしい

▼これでは被災者支援どころではない。

私利や党略をしばし離れ、それこそ建設的に、難局に向かう才知と気概を求めたい

〈足りない所はあるが、全身の誠意でぶつかれ〉。

40年前、不慣れでコチコチの従業員に向けた京王プラザ社長の言葉を、与野党に贈る。






東北の復興は末端の仕事をしている人たちがガラリと変わらない限り誰がトップになろうとも変わらないと思う。

現地の被災者のことを考えれば一刻でも早く全力投球して救ってあげたい気持ちはだれにもあるはずだ。

菅首相が全くの無能力者とは思えない。復興事業への権力の争奪戦のような気がしてくる。

これでは人の不幸を自己の利益に結び付けている人たちのようにも見えてくる。









古代ギリシャ人は地球が丸いことを知っていたそうだ
先日は国連が、今年10月には70億人に達するという予測を公表した







平成23年6月5日の天声人語よりの引用


古代ギリシャ人は地球が丸いことを知っていたそうだ。

エラトステネスという人は地球の大きさを計算した。


二つの都市で観測された夏至の太陽の高度の差から、周囲は4万6千キロとはじいたという

▼実際は4万キロだからかなり近い。

満足な計測器もなかった時代の知恵に驚く。

地球の大きさは、むろん当時と変わらない。

だが世界の人口は増え続けてきた。

先日は国連が、今年10月には70億人に達するという予測を公表した

▼2050年までに93億人、2100年までには101億人を超すという。


どこか恐ろしくなる数字だ。

地球は誰ひとり振り落とさずに回る。

自分もその一員ながら、さぞ重かろうと案ぜずにいられない

▼1億年を1メートルとして、地球の歴史を46メートルに表したとしよう。

原人の登場は最後の2センチにすぎない。

そして「ミリ」にも満たない近代以降、私たちは爆発的に繁栄した。

この星の恵みを満身に受けながら、わずかな「身ぶるい」で壊れるもろさを、痛感させられたばかりだ

▼かつて読み、書きとめた一首がある。

〈幾万年地下にありしを汲(く)み上げて消費して来しこの一世紀〉水野昌雄。

石油に限らない。

長い地球史からみれば、ほぼ瞬時に万物を消尽(しょうじん)して華やぐ時代へのおののきが、背後に透ける

▼どの資源も無限ではない。

農地は疲弊し、海は枯渇が心配される。

「飽(ほう)」を捨て「贅(ぜい)」を削り、貧富と幸不幸を均(なら)した百億共存をつかみとる知恵が、続く時代には欲しい。

周囲4万キロの、この限りある球体の上で。






地球は何時まで現状を維持してくれるかは判らない。核が全世界に充満しているならば偶発事故で地球が破滅することも

考えられる。大切な地球を維持してゆくには地球からの核の廃絶は不可避である。

このまま続けば2100年まで地球が存続するかが心配だ。









パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある
そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った








平成23年6月6日の天声人語よりの引用


声欄に載る投書に、思わず背筋の伸びることがある。

それでは足りず頭(こうべ)まで垂れたくなる一文を、先月の大阪本社版で読んだ。

2年前に他界された奥さんが、10年以上にわたって小欄を書き写してくださっていた、という内容だった

▼京都の大石治さん(77)のお宅には、丁寧な字で埋まったノートが27冊も残る。

毎晩、就寝前の30分を充てておられたという。

筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になっていくのにご主人は驚いたそうだ。

宝物にしたいようなありがたい話である

▼パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある。

そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った。


専用の書き写しノートを発売したところ、面映(おもは)ゆくも好評らしい。

筆者としては、日々の出来不出来がいっそう気にかかる

▼自由律の俳人尾崎放哉(ほうさい)の一句、〈心をまとめる鉛筆とがらす〉が胸に浮かぶ。

何も小欄に限らない。

文を書き写す時間には、ゆたかな静謐(せいひつ)があるように思う。

キーボードでは得られない「手と心」の一体感だろうか

▼写真のなかった昔、人をしのぶよすがは肉筆だった。

「平家物語」にも「はかなき筆の跡こそ後の世までの形見」とある。

なのに昨今は、職場でも互いの手跡を知らない同僚が増えている

▼日ごろの「パソコン頼み」を反省し、この原稿は鉛筆をとがらせ、マス目の書き写しノートに書いてみた。

恥ずかしながら5枚も反古(ほご)にした。さて出来不出来は。

採点はどうか、お手柔らかに願います。






天声人語は代々に家庭で朝日新聞を取っていることにある。子供の頃より朝日新聞に親しんでいる。

戦後間もなくの半分の紙面が一枚しかなかった時代も知っている。

ずーと読み続けたことによるものか。執筆する人たちは何年間で変わっている。









あすが就任1年の記念日なのに、周辺に続投をいさめられ、菅さんも夏に辞める覚悟らしい。







平成23年6月7日の天声人語よりの引用


和歌山の「梅娘」がきのう、菅首相に大粒の梅干しを差し入れた。

紀州のお嬢さんたちは毎年のように官邸を訪れていて、去年は鳩山さんが辞任を表明した翌日だった。

梅娘には気の毒だが、何やら首相交代を告げる初夏の風物詩を思う

▼あすが就任1年の記念日なのに、周辺に続投をいさめられ、菅さんも夏に辞める覚悟らしい。

これで首相は5人続けて「1年交代」。

まるで生徒会長だ。


お元気な「元首相」は実に12人に増える

▼存命の元大統領や元首相は数人というのが主要国の相場だろう。

日本の首相は賞味期限が短く、地位は軽い。

吹けば飛ぶから権力争いが絶えない。

次もつなぎのようだし、しばらくは連立、分裂、新党、再編といった政局用語が幅を利かせそうだ


▼総選挙をやるたびに、約800億円の公費が消える。

政治家の使い捨てはもったいないのだが、昨今、国会議員の多くはアタマ数として政局に参じるばかりで、血税に見合う仕事をしていない。

大連立にしても、被災地より自党を思ってのことではないか

▼ただ、メディアも世論もせっかちは禁物だ。

もう誰がやっても同じ、という政治的ニヒリズムが怖い。

無力感を突いて妙なリーダーや息苦しい社会が生まれ来ぬよう、憂さ晴らしの暴力を許さぬよう、こんな時こそ目を光らせたい

▼梅娘は5年前、小泉首相の最後の年から上京している。

梅干しを渡す相手が毎年違うのは、宣伝的には悪くないかもしれない。

日本の政治が抱える、酸っぱい現実である。






日本の首相は賞味期限が短く、地位は軽いようでは国際的な信用力が薄れる。

このところの首相の中で一番の大きな違いは歴代続いた世襲首相でないところである。

庶民の気持ちが一番わかっているようだが松本龍復興相を起用するようでは駄目だ。

自民党からの引き抜き人事は自民党らしい人事手法で汚い方法に思えてくる。









文豪の故国ドイツが、原発を2022年までに全廃すると決めた
主要国初の「脱原発」は、もともと環境志向の強い世論が
福島の事故で雪崩を打った結果という。








平成23年6月8日の天声人語よりの引用


〈行き先を知らずして、遠くまで行けるものではない〉。

ゲーテの言葉である。

目的地が定まらないと足取りが重くなる。

そんな意味だろう。

逆に、確かな目標があれば急坂や回り道をしのぎ、転んでも起き上がり、大きな事を成せる

▼文豪の故国ドイツが、原発を2022年までに全廃すると決めた。

主要国初の「脱原発」は、もともと環境志向の強い世論が、福島の事故で雪崩を打った結果という。

電力の23%を賄う原子力の穴は、風力や太陽光の活用で埋める算段だ

▼すでに割高な電気料金に響きそうだが、産業界も競争力を案じつつ従った。

先々、国民にとっての吉凶は予断を許さない。

ただ、この踏ん切りとスピード感、合意づくりの知恵や努力は学んでもいい

▼敗戦の闇から、技術力と勤勉ではい上がった日独。

先方は異国の失敗で国策を転じ、火元の当方は浜岡を止めたにとどまる。

隣国の電力を買えるドイツとは事情が違うけれど、日本が「遠くまで行く」には、国民的な熟議と強いリーダーシップが足りない

▼脱原発がエネルギー戦略の根幹にかかわる決定なら、将来図を欠いた節電は枝葉の対応だ。

それでも、国が抱える宿題を我がものとし、それぞれが「行き先」を決めて頑張るところが日本人らしい

▼企業や自治体には「勝手にサマータイム」の試みが広がっている。

東京都は25%の節電を目ざして今週から都庁職員の出退勤を早めた。

こうした「枝葉」を官民で積み重ねながら、こぞって「根幹」を論じたい。







ドイツの脱原発は手堅いドイツらしい気質が現れている。敗戦の闇から立ち上がった日独それにイタリア スイスに見習うべきだ。

末代までに関係する遺伝子まで障害を残す原発からの脱却は当然のことである。

個人的な菅首相の脱原発に対して反対する人たちは少ないと思う。











アサリ以上の健気(けなげ)は、岩手県の名勝、
高田松原で一本だけ残ったアカマツだろう







平成23年6月9日の天声人語よりの引用


砂を吐かせて鍋に放り、日本酒を浴びせる。

口が開く音で火を止め、青みを散らせば至福の時だ。

おいしいアサリの酒蒸しである。だが今は、手荒な扱いをわびたい。

こんなに繊細な生き物とは知らなかった

▼福島県で捕れたアサリの殻に、津波によるストレスの痕跡が確認されたという。

日々成長する殻の模様は、遺伝と生息環境を刻んだ履歴書に似る。

乱暴に転がされ、見知らぬ深みに運ばれた恐怖を示す異変が、9割もの「貝柄」に認められたそうだ。

逃げられぬ身の哀れよ

▼アサリ以上の健気(けなげ)は、岩手県の名勝、高田松原で一本だけ残ったアカマツだろう。

樹齢は約260年。復興の希望を託されながら、海水で根が腐り、葉が茶色に枯れ始めた。

接ぎ木でクローン苗を育てる試みが続く


▼白砂青松を共に彩った7万本の仲間は、倒れて散乱した。

それを薪(まき)にして売り、地元の復興資金に充てる活動もある。

美観に貢献し、防潮林として力尽きた木々は、燃えてその生を終える

▼歌人の胸にも、故郷岩手の松原があったのかもしれない。

〈いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ〉。

啄木の名歌は、止めようのない時を語って悲しい。

戻らぬ時間は、砂時計の下半分に降り積もる。

過去という名で

▼津波は、居合わせた人々の「今」を、砂もろとも押し流した。

生き永らえても、心が負った傷は時の流れだけでは癒やし難い。


何より子どもたちの、小さく、まだ柔らかい殻に刻まれた深手を忘れまい。




高田松原(動画)


高田松原(画像)








縄文時代の晩期、2500〜2800年前のノコギリクワガタが、
ほぼ完全な姿で奈良県の遺跡から見つかった











平成23年6月10日の天声人語よりの引用


虫好きの少年を通して命の尊さを描いた『クワガタクワジ物語』(中島みち著)に、主人公の太郎が縄文時代の子を思う場面がある。

「シカかなんかの皮のふんどしをして、これとおんなじクワガタと、遊んでいたのかなあ」

▼数億年前に現れた昆虫は、生き物の種の過半を占める。

『虫の文化誌』(小西正泰著)の表現を借りれば、人類はずっとあとから「昆虫王国」のただ中に生まれてきた

▼縄文時代の晩期、2500〜2800年前のノコギリクワガタが、ほぼ完全な姿で奈良県の遺跡から見つかった。

「王国」の片鱗(へんりん)である。

大型昆虫がきれいに残ったのは、泥中に密封されたためらしい。


雄々しく曲がった大あごは現生種と変わらない

▼太郎がクワジと名づけたコクワガタは冬を二つ越したが、ノコギリの成虫はひと夏限りとされる。

その命が一閃(いっせん)したのはどの年なのかと、黒光りの個体に問うてみたい

▼虫を愛(め)でる文化は古く、平安貴族もスズムシやホタルを楽しんだ。

だが、あらゆる生き物と共生した縄文人ならば、クワガタとて「挟まれると痛いやつ」以上のものではなかっただろう。

子に遊ばれはしても、店先に並ぶことはない。

〈鍬形(くわがた)の値札引きずり売られけり〉渋谷雄峯

▼人であれ虫であれ、生まれ合わせには運不運がつき物だが、損得を超えて確かなことがある。

支配者を気取る一つの種の都合で、動植物が振り回される時代はそれほど続くまい。

この夏、虫たちは放射能も知らずに飛び回る。

合わす顔がない。





縄文時代のノコギリクワガタの発見(記事)は珍しい










1年交代ゆえの全力、昨今の首相とは責任感が違うというわけだ
福島県で民生委員をするこの方は、
「国難と言いつつ相手のあら探しに熱心な政治に、
被災者はあきらめ顔です」と厳しい










平成23年6月11日の天声人語よりの引用


年替わりの首相を「まるで生徒会長」と嘆いたところ、生徒会の顧問を長く務めたという元高校教師(67)から一筆いただいた。

「生徒会長は大きな改革を左右する学校運営の要、軽い存在ではない」とのご指摘である

▼任期末には、膨大な議事録が反省や提言を添えて引き継がれる。

1年交代ゆえの全力、昨今の首相とは責任感が違うというわけだ。

福島県で民生委員をするこの方は、「国難と言いつつ相手のあら探しに熱心な政治に、被災者はあきらめ顔です」と厳しい

▼なお8千人の行方が知れない。


粉々にされた生活の再建は難渋し、原発事故にも確たる展望はない。

フル回転すべき政治は迷走の末、あろうことか端境期らしい。

死者に報わず、被災者を泣かせる震災3カ月の惨状だ

▼阪神大震災の同時期に不明は2人、神戸の街はすでに復興の途にあった。

被災の広さ深さが異なるとはいえ、今回はなんとも遅い。

東京の不手際と不作為を思う

▼長崎できょう、核廃絶の署名を国連に届ける「高校生平和大使」の結団式がある。

津波に襲われた岩手県立高田高校からも2人が加わる。

生徒会長の菊地将大さんは「支援への感謝を世界に伝えたい」と意気込むが、ご両親は不明のままだ

▼永田町が首相の辞め時でもめている間にも、できること、すべきことを黙々とこなす人々がいる。

店や工場の再開、久々の出漁といった朗報も伝わる。


一つ、また一つ、闇夜の灯は心に染みるけれど、夜明けを引き寄せるのは政治の責任である。





現在の菅首相の状態は政府の閣僚までが言いたい放題のことを言っている。

次期首相になり世の中ガラリとかわるものなのか,もう少し国民の為に熱心に働いてもらいたい気持ちだ。

世襲首相ではない一年だけの首相にはなってもらいたくない気持ちだが。それもこんな時期なのだから

マニフェスト}実行よりも大切な事はこの緊急時に国民に負担をかけず早く復興に全力を注いで欲しい。

マニフェスト実行出来なくともこの非常時を国民全員が痛みわけすることでもって,国民はマニフェストにこだわっていない筈だ。

子供手当てに支給する財源をば復興の足しにすれば良いことで,実行できなくとも国民に何も謝ることはない。

それだけ増税を少なくする方が国民の納得は大いに得られると思う。










今年で54回目の世界報道写真展がきのうから東京で始まった(8月7日まで)
10万8千点から選ばれた今年の大賞は、正視するのがつらい







平成23年6月12日の天声人語よりの引用


 目が心のありようを映す小さな湖面なら、鼻は自尊心を象徴する山脈だろうか。

人はときに鼻高々になり、いい気になって鼻を明かされたりする。

その鼻を奪われた女性の肖像に、見る人だれもが声を失う

▼今年で54回目の世界報道写真展がきのうから東京で始まった(8月7日まで)。

10万8千点から選ばれた今年の大賞は、正視するのがつらい。

鼻を切り落とされたアフガニスタンの若い女性が、おびえと悲しみを湛(たた)えた目を、しかし決然と、レンズに向けている

▼暴力をふるう夫から実家へ逃げ帰ったが、反政府武装勢力タリバーンに「逃亡の罪」を宣告され、夫に鼻と耳をそぎ落とされた――と説明がある。

きびしい姿は、貶(おとし)められた尊厳を訴えてやまない

▼構図と表情の似た一枚の写真が脳裏で重なる。

長崎で被爆した片岡津代さんを東松照明(とうまつ・しょうめい)さんが写した50年前の作だ。

顔の右半分に傷痕が残る。

自分をさらすのはつらかった。でも東松さんを信じたと片岡さんは語っている

▼その一枚は世界に知られ、大勢のカメラマンが彼女を撮りに来た。

幾多のレンズがケロイドに向けられた。

だが、「東松先生だけは、傷のない左側からも撮ってくれた」。

人を撮ったか傷を撮ったか。

違いが見る者に伝わらぬはずはない


▼写真展を見ると世界を覆う悲痛の多さに胸が痛む。

報道の使命と、人の受難を「消費財」となす錯誤は、ほとんど一歩のきわどい距離にあろう。

その一歩の逸脱なきや。

自戒しつつの、日々のコラム執筆となる






世界報道写真展大賞(画像ホームページ)











核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。
それを無理に使おうとするから嘘(うそ)で固めなければならなくなる」







平成23年6月14日の天声人語よりの引用


先日の小紙連載「終わりと始まり」で作家の池澤夏樹さんが述べている。

「核エネルギーはどこか原理的なところで人間の手に負えないのだ。

それを無理に使おうとするから嘘(うそ)で固めなければならなくなる」

▼「嘘」は核を巡るキーワードの一つだろう。


東京の岩波ホールで緊急上映中の記録映像「原発切抜帖(きりぬきちょう)」と「いま原子力発電は…」を見ると、産官学のゴマカシがよく分かる。

ともに30年ほど前の作ながら、今の惨状を予言するようだ

▼新聞記事だけで構成した「切抜帖」は、広島への原爆投下から始まる。

何が起きたか軍や学者は分かっていた。

だが第一報は「若干の損害を蒙(こうむ)った模様」。

時代も事情も異なるが、目下の原発事故の情報開示に通じるものがある

▼菅内閣の常套句(じょうとうく)の「ただちに影響はない」も欺瞞(ぎまん)がにおう。


「切抜帖」を撮った故・土本典昭監督は当時語っている。

「恐ろしくなったのは(放射能を浴びた人たちが)20年、30年の後に病み死んでいっている、その時差でした」。

長く体内に潜む「時限爆弾」の怖さである


▼嘘は魔物で、ばれぬように上塗りが要る。

西洋の古言では、一つの嘘をつき通すには別の嘘を二十発明しなくてはならないそうだ。

安全神話の正体はそれだったろう。

何がウソで何がホントか、もう当事者にも分からなかったのではないか

▼原発の是非は、54基が存在する現実からではなく、原爆の非人間性まで立ち返って考えたい。

未来に何を渡すか。この分かれ道、いささかも侮れない。






脱原発は菅首相の個人的見解でなくて国民の総意として邁進し工夫して欲しいものである。

コストは安いと言われるが将来のことを考えれば大変高価でかけがいのない禍根を残すことにななる。

世界から核は追放すべき性質のものである。







気象情報会社ウェザーニューズの調査では、この時期の悩み事で、
男性のトップ、女性の2位が「通勤」だった
地方から東京に転居してきた人が電車内の不機嫌な空気に驚いていた






平成23年6月15日の天声人語よりの引用


軽やかな叙情とユーモアを漂わす詩人、辻征夫(ゆきお)さんの一節を紹介しよう。

〈鼻と鼻が/こんなに近くにあって(こうなるともう/しあわせなんてものじゃないんだなあ)〉

▼〈きみの吐く息をわたしが吸い/わたしの吐く息をきみが/吸っていたら/

わたしたち/とおからず/死んでしまうのじゃないだろうか……〉。

詩の題は「婚約」。

2人のぴったり感がいい。

だが辻さん、許されよ。

無粋なわが頭には、満員電車にもまれるたびにこの一節が浮かぶ。

そう、幸せなんてものじゃない

▼とりわけ、湿っぽい体を押しつけ合う梅雨時は気が滅入(めい)る。

気象情報会社ウェザーニューズの調査では、この時期の悩み事で、男性のトップ、女性の2位が「通勤」だった。

うなずく向きは多いだろう

▼いつかの声欄で、地方から東京に転居してきた人が電車内の不機嫌な空気に驚いていた。

むっつり、罵声、にらみ合い――殺伐としたさまは他の投書でも散見する。

そして多湿と高温は、往々にして険しい感情を増幅させる

▼先日も、朝の電車で男同士がもめていた。

子細は不明だが「次で降りろ」とすごんでいる。

この手の人は罪深い。

ざらついた不快を、周囲に長く引きずらせる

▼梅雨が明ければ節電の夏が待つ。

同じ釜の飯ならぬ同じ車両(ハコ)の空気を吸う同士、殺伐という酸欠状態は避けたいものだ。

それにこの危機、案外と社会全体で仕事と生活のスタイルを変える好機かも知れない。

汗だけでなく、禍(わざわい)転じて福となす知恵を、さあ絞ろうか。




昔のことを考えれば通勤電車も改善されていると思う。

クーラーが無く暖房も無くて勢いのよい座席争奪戦の毎日だった。

駅の便所も大変に汚れていて紙も置いてなく異臭を放っていた。贅沢を言うなと言いたい。









イタリアの人々が原発に「ノー」を選択した




平成23年6月16日の天声人語よりの引用



イタリアの人々が原発に「ノー」を選択した。

その報に、かの国の天才ダビンチの手記の一節が胸に浮かんだ。

〈君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして、来たるべき水の最初のものである〉(杉浦明平訳)。

美しい言葉だと思う

▼人々の触れる水は、いまや脱原発という新しい流れである。

「イタリアは原発にさよならを言わなければならない」と、放言王のベルルスコーニ首相もさすがにしおらしい。

だが代弁者らしき人が日本に現れた。

自民党の石原幹事長である

▼伊の選択を「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と語った。

他国の民意をヒステリー呼ばわりは失礼だが、言葉の先に日本の世論もあるなら、少し国民を侮っておられよう

▼たしかに、嵐の日の決意は晴天の日には忘れられると言う。

しかし福島第一原発事故で、私たちは原発の「真実」をつぶさに知った。

それ以前とは違う。

その意味で事故は、時代を分かつ最後の水にして最初の水であろう

▼知ったことの一つに、放射能について確かなことが乏しい実態がある。

行政は混乱し、住民は何を信じるかで、安心と恐怖の間(はざま)を振り子のように揺れる。

「原爆・原発一字の違い」と言う。

やはり人間とは容易には相容(い)れない


▼〈木は自分の破滅をもって木を伐(き)るものに復讐(ふくしゅう)する〉もダビンチの手記にある。

木を伐る者は人間しかいない。

どこか「神の火」をあやつる後世への警告めいて、天才の言葉は響く。




 自民党は、菅直人首相への問責決議案を参院に提出するかどうかの判断を8月末まで延長した今国会の終盤まで先送りする方針を固めた。

首相が執着する再生可能エネルギー特別措置法案(再生エネ法案)の審議にも応じる考えだ。

首相がエネルギー政策を争点にした衆院解散・総選挙をちらつかせたことを受け、「脱原発」の争点化を避ける思惑がある。

 首相退陣を求めつつ、震災関連法案には協力する――。自民党はもともと延長国会で難しい立場に置かれていた。

そこへ首相が第2次補正予算、特例公債法、再生エネ法の成立を「退陣3条件」に掲げた。

党内は審議の「容認派」と「交戦派」に分かれたが、28日の民主党両院議員総会での首相発言を踏まえ、最終的には「3条件」は信用できないと判断した。

 とはいえ、震災復興のさなかに内閣不信任案を提出して世論に批判された反省から、

2次補正や震災関連法案の審議を阻むことはできないとの声が大勢だ。

以上は6月30日よりのアサヒ コムよりの引用

自民党では河野太郎議員だけが脱原発に賛成しているようで今回の原発事故ももともとははアメリカに見習い強力に原子力発電をすすめてきた

結果によるもので民主党を一概に責める資格には疑問がある。








批判にさらされて、文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた
今春からは小学5、6年で英語が必修になった








平成23年6月17日の天声人語よりの引用

 北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」には、古き良き旧制高校のユニークな先生が色々と登場する。

ある英語教授は発音に厳しく、「イー、エー、アー」という母音の発音を、丸一学期間、生徒にやらせたそうだ

▼さような先生に向かって、「dangerous(デンジャラス=危険な)」をダンゴラスと読む生徒がいるのがまた旧制高校なのだと、北さんは回想している。

書けるが話せない、読めるが聞けない。

日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう

▼批判にさらされて、文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた。

今春からは小学5、6年で英語が必修になった。


コミュニケーション重視の一環という。

訳読と文法中心で育った世代には、どこか羨(うらや)ましい

▼英語なしにはグローバル経済の果実をもぎ取れないという声も聞こえる。

様々な人が一家言を持ちつつの教育の舵(かじ)切りだ。

その侃々諤々(かんかんがくがく)に口をはさませてもらえば、英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい

▼第2、第3言語は道具だろう。

しかし「母語は道具ではなく、精神そのものである」と、これは井上ひさしさんが言っていた。

英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい

▼振り返れば、日本人は自信喪失期に日本語を冷遇してきた。

敗戦後には表記のローマ字化さえ浮上した。

そして今、英語を公用語にする日本企業が登場している。

ダンゴラスで笑っていられた時代が羨ましい人も、多々おられようか。






国際化の時代早期からの英語学習には賛成だがアメリカナイスされないで日本の固有の文化をもしっかり学んでほしい。

大阪での「君が代」斉唱しない教師は退校させる処置には反対だ。

愛国心は強制するものでなく自然に心の底から湧いてくるものでないといけない。

我々の世代が受けた盲信した教育になることを二度と繰り返さないで欲しい。


君が代(動画)









日本は四季の国ではない
梅雨という雨期のある五季の国だと








平成23年6月18日の天声人語よりの引用


日本は四季の国ではない。

梅雨という雨期のある五季の国だと、俳人の宇多喜代子さんがかつて小紙に寄せていた。

たしかに、入梅から明けるまで東京の平均は43日にわたる。


嫌われがちな季節だけに存在感がある

▼九州では大雨が続く。首都圏も随分降りこめられた気がするが、まだこれからが長い。

住宅街を歩いていたら、湿気にのって梔子(くちなし)が匂ってきた。

この花はいつも、甘く強い香で存在を告げる。

見ると清楚(せいそ)な白が雨の中へ開いている

▼気がつけば、梅雨時に見る花には不思議と白が多い。

山法師(やまぼうし)、卯(う)の花、夏椿(なつつばき)、七変化の紫陽花(あじさい)にも白は多い。

そして地面に目をやれば、ドクダミが暗がりに白十字の星を散らしている


▼先日は山形県のご高齢の読者から泰山木(たいさんぼく)の花が咲き始めましたと便りをいただいた。

大きく開くこの花も神々しく白い。

〈蕾(つぼみ)は白蝋(はくろう)/半開が白磁碗(わん)/満開時 紛(まご)うかたなき白牡丹(ぼたん)〉は

泰山木を愛(め)でた堀口大学の詩の一節だ。

震災から百日となる東北の被災地で、霊を慰める大輪もあろうと思う

▼梅雨という五つ目の季節は、煙る雨の中に盛んな命の営みを感じる季節でもある。

だが、生きものや草木の旺盛も今年はどこか色あせる。

梅雨が明けても、なお原発禍の暗雲は晴れやるまい

▼〈かぶとむし地球を損なわずに歩く〉と宇多さんに頂戴(ちょうだい)した新句集にあった。

思えば人間以外のどの生きものも、身ひとつの潔さで一生を終えるのだ。

文明の功と罪を問う剣先は今、ひときわ鋭い。

雨に流せる話ではなく。






梅雨はうっとしくて毎日が雨でじめじめしている。今年は比較的に梅雨が早くあがっている。

暑さと雨で閉口する毎日である。

東北の被災者にはさらに気の毒なことである。










1945(昭和20)年1月、レイモンド・ハロラン氏らが乗るB29は東京上空で撃墜された
落下傘を待っていたのは捕虜という三つ目の運命だった







平成23年6月19日の天声人語よりの引用


スカイダイビングで空に飛び出す高さは約4千メートルという。

慣れれば至福の時だろうが、倍の高度から降りた米兵の眼下には二つの絶望が口を開けていた。

海でおぼれ死ぬか、陸でなぶり殺しにされるか

▼1945(昭和20)年1月、レイモンド・ハロラン氏らが乗るB29は東京上空で撃墜された。

脱出時、氏は「最後の晩餐(ばんさん)」とばかり、七面鳥のサンドイッチにかぶりつく。

ところが、落下傘を待っていたのは捕虜という三つ目の運命だった

▼戦後、実業界で成功しても悪夢にうなされたという。

取り囲んだ群衆の殺気、独房につながれたまま東京大空襲で死にかけ、動物園でさらし者にされた日々。

そのままでは終われなかった

▼先ごろ89歳で亡くなるまで、数奇な青春の「再訪」に努めた。


苦悩を絶つべく何度も来日しては、空襲体験者や史家と交わり、記憶を癒やす。

自決用の短銃を機内に忘れて、つながった22歳の命である。

任務を思い出したかのように、晩年のハロラン氏は語り続けた

▼「戦争には勝者も敗者もない」。

故人の言葉は米映画「父親たちの星条旗」に通じる。

厭戦(えんせん)気分が漂い始めた米国で、硫黄島から生還した「英雄たち」は戦費調達の広告塔にされた。

彼らは戸惑い、友をのみ込んだ戦場の非道を家族にも語らなかった

▼つらくて黙す人生があれば、語って再生する人がいる。

時代体験といった大それた話でなくても、語れば誰かが学ぼう。

親から子へと半生の苦楽を語り継ぐ、そんな父の日があってもいい。






アメリカ軍の被災の情報に日本軍の加害の情報しかあまり聞かない。

アメリカ軍も加害して日本軍も同様に被災している。

古い記憶だが戦時中アメリカ軍が病院船を空爆した話を雑誌で読んだ記憶がある

日本は戦争放棄を国是としてきているがアメリカから自衛隊の世界での参戦を勧めてきている。

戦争放棄の憲法に違反することで永久に戦争に縁のない国であって欲しい









取り込む家から足が遠のくように、震災後、日本を訪れる外国人は半減した中
米国メトロポリタン・オペラは5年ぶりの来日、総勢380人が14ステージを務めた









平成23年6月20日の天声人語よりの引用


取り込む家から足が遠のくように、震災後、日本を訪れる外国人は半減した。

音楽界でも来日の中止や延期が相次ぐ中、きのう2組が公演日程を終えた。

喝采は、「約束」を果たしたことへの感謝で増幅された

▼米国メトロポリタン・オペラは5年ぶりの来日、総勢380人が14ステージを務めた。

「芸術の力を示す歴史的な公演にしてみせる。

日本の現状を世界に正しく伝える一助になれば」。

ピーター・ゲルブ総裁の意気込み通り、熱い出来ばえだった

▼楽団員は事前に専門家の話を聴き、東京の放射線は大丈夫と納得したという。

乳飲み子を同伴したソプラノもいた。

不安から看板歌手3人が直前に降りたが、代役がまた一流。

「メト」の底力である

▼シャンソンの大御所、ジュリエット・グレコは7年前、東京の舞台で中越地震を経験している。

ざわめく客席を制して歌を切らなかった度胸は、ファンの語りぐさだ。

初来日から半世紀となる今回も、84歳は「やれるなら喜んで」と応じた

▼母国フランスは原子力大国だ。

在日大使館は、革命記念日(7月14日)の祝宴をいつもの大使公邸ではなく、福島県郡山市で開く。

被災地からも数百人を招くという。

国策ゆえの気配りだろうが、「困難な時期に連帯感を示したい」と神妙だ

▼興行主は収支をはじき、大使館は国益を図るのが常ながら、世の中、損得だけでは回らない。

慶弔とも遠来の客人が厚遇され、雨天の友の例え通り、逆境での好意は胸に染む。

震災が紡ぐ絆もある。






何故に京都までが観光客が減ってきていることが不思議だ。

話し変わるが祇園祭で白人が浴衣姿が大変に綺麗だった。違和感無く誰もが振り向いていない。

日本に溶け込んでいる外人の姿をよく見かける。








モンローが映画「七年目の浮気」の名場面で着たドレスが競売にかけられ、
3億7千万円で落札された








平成23年6月21日の天声人語よりの引用

アメリカから届いたニュースに、版画家で詩人でもあった川上澄生の「初夏(はつなつ)の風」がふと浮かんだ。

〈かぜとなりたや/はつなつのかぜとなりたや/かのひとのまへにはだかり/かのひとのうしろよりふく/はつなつの はつなつの/かぜとなりたや〉

▼ドレス姿の女性に緑の風が吹く、大正末の名高い版画に彫られた詩である。

もうお察しの方もおられよう。

マリリン・モンローが映画「七年目の浮気」の名場面で着たドレスが競売にかけられ、3億7千万円で落札された

▼地下鉄の通風口で派手に舞い上がる、あのドレスだ。

1億円前後かと踏まれていたが、予想を超えて跳ね上がった。

こちらは「初夏の風」とは趣が違い、映画の筋も後日談も、いっそう人間くさい

▼映画史に残るシーンはニューヨーク中心街で撮られた。

2千人の人だかりができた。

だが、脚も露(あら)わな姿に元ヤンキースの強打者だった夫ディマジオは激怒する。

2人は間もなく離婚した。

かくて名場面は、格好の語りぐさになっていく

▼作家ノーマン・メイラーがかつて述べたそうだ。

「ヘミングウェイとモンロー。

彼らの名前はそっとしておけ。

彼らは私たちにとって、いちばん美しいアメリカ人の二人だった」と。

米文学者の亀井俊介さんの著書に教わった

▼ヘミングウェイが自死して今年で50年、モンローの謎の死からは来年で50年になる。

ドレスを彩る驚きの値は、古き良きアメリカへの郷愁ゆえだろうか。

虚実混沌(こんとん)という海に眠る、永遠の伝説である。



お金があるところにはあるものかと驚く。








雷が電気だと証明したのは米国のフランクリンだった
名高い「嵐の中の凧(たこ)揚げ」は、
一説では1752年の今日だったとされる








平成23年6月22日の天声人語よりの引用


古い笑話をひとつ。

雷を天のたたりだと怖がる祖母に、孫が「心配しなくてもいいよ。

雷は電気だから」。

すると祖母いわく。

「うそを言うでない。

村に電気が来るより昔から雷は鳴っていた」

▼雷が電気だと証明したのは米国のフランクリンだった。

名高い「嵐の中の凧(たこ)揚げ」は、一説では1752年の今日だったとされる。

19世紀になるとアーク灯、さらにエジソンの白熱灯が発明された。

電気照明の夜明けである


▼日本では1882(明治15)年、東京・銀座の街頭にアーク灯が1本ともった。

「目もくらむ明るさ」に見物人でごったがえした。

当時の雑誌は、擬人化された電灯が意気軒高に「全国中を隈(くま)なく輝かせる」と意気込む戯画を載せている。

仰せの通りになったのは私たちの知るところだ

▼時は流れて、夏至でもある今日、夜に電気を消してろうそくの明かりで過ごす試みが各地である。

数年来、エコ意識の高まる中で輪を広げてきたが、今年は特別の意味があろう。

電気はもはや無尽蔵ではない


▼思えばほんの少し前だ。

テレビのチャンネルをカチャカチャ回していた頃、家族は一つのこたつに足を入れていた。

この30年で一世帯あたりの電力消費は5割以上も跳ね上がった。

原発は23基から54基に増えている

▼増設は国策だが、電気を使うから増えたのか、増えたから使うのか。

卵とニワトリの関係のように分かりづらい。

山で迷ったときは立ち止まり、引き返すのが原則だ。

戻ることで見いだす新たな道もある。






火力発電はco2を排出して悪い。温暖化の原因で原子力発電の方が安全だとされてきたのが

東日本地震で福島発電での被災事故からその考え方が一転した。

電力会社は原子力発電を推進したくてやらせ世論を作るぐらいである・

今回脱原発は是非やらなければならないといけなと考えるようになった。

火山国の日本 周囲が海で囲まれている地形を大いに利用すべきである。









日本の近代化に呑(の)み込まれ、ついには太平洋戦争末期の沖縄戦に至った
きょう、66回目の「慰霊の日」を迎える
かつて「武器のない島」だった沖縄が、あのナポレオンを驚かせたという話がある









平成23年6月23日の天声人語よりの引用


かつて「武器のない島」だった沖縄が、あのナポレオンを驚かせたという話がある。

19世紀の初めに英軍艦が琉球諸島の周辺を航海した。

帰途、セントヘレナ島へ寄港し、流刑の身の元皇帝に艦長が会ったという

沖縄には武器がないという話を、ナポレオンは理解できなかったそうだ。

「武器がなくてどうやって戦争をするのだ」「いえ、戦争というものを知らないのです」「太陽の下、そんな民族があろうはずがない」

――岩波書店刊の『一月一話』という本に紹介されている

▼だが、その島は明治以降に変貌(へんぼう)する。

日本の近代化に呑(の)み込まれ、ついには太平洋戦争末期の沖縄戦に至った。

「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)という戦いに20万人を超す命が消えた。

きょう、66回目の「慰霊の日」を迎える


▼激戦地だった本島南端に「平和の礎(いしじ)」がある。

民と軍の犠牲者の名を、国籍にかかわらずすべて刻む地は一日祈りに包まれる。

菅首相も参列するが、そのスピーチを沖縄の人々は何と聞こう。

普天間飛行場の移設問題は、もはや頓挫である

▼意志も能力も、歴史認識も、民主党政権は欠いていた。

鳩山前首相の胸にあったのは甘い「思い」だった。

菅首相にはそれさえあったかどうか。

「世界一危険な基地」はおそらく密集の街に居座り続けよう

▼沖縄の苦難に寄りかかる日米安保に、過疎地に原発を任せた繁栄が重なり合う。

〈断崖も海も語(かた)り部(べ)沖縄忌〉中村富子。

耳を澄ますべき声が、あちこちから湧き出(いだ)す。





武器の無かった沖縄が何故に一番に武器を持つ島となったのか。アメリカ軍の基地が至る所にある。

武器持たない琉球が何故にアメリカ軍の基地にいたったのか。矛盾を感ずる。

アメリカ軍の基地は世界中でそんなに必要なのか。?



世界のアメリカ軍基地(記事)








国会議員のボーナスが来週支給される。
一般は262万円で、閣僚350万円。西岡さんら両院議長には440万円。
菅さんは480万円だが、一般より多い額は返納するそうだ








平成23年6月24日の天声人語よりの引用


この夏のボーナスは何に使いたいか。

電通総研がアンケートしたら、「国内旅行」が他を断然引き離したそうだ。

気分を解き放ちたい。

知らない風景に出会いたい。

晴れやらぬ時節だけに、ささやかな非日常への憧れがふくらみを増す

▼さて、この人たちの使い道は何だろう。

国会議員のボーナスが来週支給される。

一般は262万円で、閣僚350万円。西岡さんら両院議長には440万円。

菅さんは480万円だが、一般より多い額は返納するそうだ。

とやかく言いたくはないが、釈然としない人は多かろう


▼内閣不信任案の提出、そして否決。

与党内の造反と腰砕け。

前首相は現首相を「ぺてん師」と呼び、日ごろは何をしているのやら、こんな時だけ顔を見せる騒動好きもいる。

総じて政治に信頼がなさすぎる

▼先日、小紙の公募「大震災を詠む」の入選歌に〈大津波逃れし人の避難所に百余の靴の整然と並ぶ〉とあった。

被災地のモラルは世界から称賛された。

しかるに永田町のありさまは、踏みつけ合って破れた泥靴が、乱雑に脱ぎ捨ててあるような図だ

▼国民は程度に応じた政府しか持てない、と古来言う。


だが日本国民の程度からすれば、もう少しましな政治はもてないものか。

プロの劇場で、プロの木戸銭を取って草芝居を演じられてはつらい

▼退陣表明もどこへやら、首相は居座る。

腹を切った後も延々と長ぜりふを続ける、田舎芝居の殿様のようだ。

退陣時期を示して不信の霧を払うのも、給与賞与のうちである。




国家財政状態が如何でも,政治家達にはキチンとボーナスが入るようだ。








スペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ後に爆発し、
4月にはチェルノブイリ原発事故が起きた
しかし「神話」は事故調査で覆る
日本の原発は、事故は「50億分の1、隕石(いんせき)に当たるような確率」などと言われた
神話と言うより法螺(ほら)に類しよう










平成23年6月25日の天声人語よりの引用


近代の科学技術にとって1986年は最悪だった。

1月にスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ後に爆発し、4月にはチェルノブイリ原発事故が起きた。

あの当時、シャトルが失敗する確率は10万分の1とされていた

▼毎日打ち上げても300年に1度しか起きない、と。

しかし「神話」は事故調査で覆る。


実際にはロシアンルーレットのようなものだったと、調査の中心になったノーベル賞学者ファインマン博士は評した。

不都合な事実に目をつぶった「危険な賭け」という意味だ

▼日本の原発は、事故は「50億分の1、隕石(いんせき)に当たるような確率」などと言われた。

神話と言うより法螺(ほら)に類しよう。


そして事故は起き、収束もままならない中で、海江田経産相は他の原発の運転再開を促す「安全宣言」をした。

信じる人はいるだろうか

▼経産省は事故の当事者でもある。

いわば破産者が借金の保証人を買って出たようなものだ。

これまでの安全策が瓦解(がかい)したいま、「安全」の一語は軽々しく使える言葉ではあるまい

▼佐賀県では明日、玄海原発の運転再開をめぐり県民向け説明会が開かれる。

だが説明を受けるのは国が選んだ代表数人という。

お上のやり方がよく分かって勉強になるが、納得からは遠い

▼ファインマンさんに戻れば、博士はがんと闘いながら渾身(こんしん)の調査をなし遂げた。

「技術が成功するためには体面より現実が優先されなくてはならない。

自然はごまかせない」。

科学者の良心の遺(のこ)した言葉が胸に浮かぶ。




「原発神話」は福島事故以前にも使われていたのだろうか?

事故が起きてから神話だと判ってきたのか。

調べてみたいことだ。









敏腕刑事を温かく演じたピーター・フォーク氏が83歳で亡くなった
晩年は認知症だったが、ファンはその姿を忘れまい







平成23年6月26日の天声人語よりの引用

 「刑事コロンボ」に犯人が捕まらない話がある。

往年の大女優が再起をかけて夫を殺すが、脳の病で犯行を覚えていない。

しかも余命は数カ月。

これを知った親友の演出家が自ら身代わりになる。

コロンボはうその自白を戒めつつ、「数カ月は持ちこたえてみせる」の言葉にうなずいた

▼そんな泣かせる結末や鮮やかなアリバイ崩しが、浮かんでは消える。

敏腕刑事を温かく演じたピーター・フォーク氏が83歳で亡くなった。

晩年は認知症だったが、ファンはその姿を忘れまい

▼30を前に公務員から転身、40過ぎに生涯のはまり役を得た。

無精ひげ、ボサボサの髪はメーク不要。


「車にレインコートにわたしのこのツラ、これだけそろってりゃ十分だ」と自伝(田中雅子訳、東邦出版)にある

▼渥美清さん以外の寅さんがいないように、コロンボは氏と、日本では小池朝雄さんの声を併せて完成した。

対する犯人役には男女とも大物が使われ、よんどころない事情で殺人に走る成功者たちを、時に切なく演じた

▼犯人との知恵比べとは別に、ひそかな楽しみがあった。

よれよれのコートの陰から、米国の上流社会をのぞき見る愉悦だ。

コロンボが「名ガイド」たりえたのは、俳優の憎めない個性ゆえだろう

▼「シャーロック・ホームズのB面」という能書きがお気に入りだったという。

以後、「コロンボのB面」とでも呼ぶべき刑事ドラマが各国に生まれた。


恐らくは満足の口笛を吹きながら、ボートをこいで霧の海に去る名優が見える。





コロンボ刑事はよく見たものだ。俳優ピ−タ -フォーク氏はすっかりおなじみの顔である。










岩手県平泉町の中尊寺や毛越(もうつう)寺が、
小笠原諸島に続いてユネスコの世界遺産に登録された







平成23年6月27日の天声人語よりの引用


いつもの散歩道を狭く感じたのは、左右からせり出す草垣のせいだった。

ひと雨ごとに緑が深まり、ガサゴソと葉を広げ、つるを伸ばす。

この時期、植物にみなぎる生命力は怖いほどだ

▼〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉の句も、新暦なら今ごろだという。

芭蕉は草いきれの高台に立ち、ここ平泉で非業の死を遂げた源義経ら、500年前の武人たちに涙する。

「おくのほそ道」の佳境である

▼岩手県平泉町の中尊寺や毛越(もうつう)寺が、小笠原諸島に続いてユネスコの世界遺産に登録された。

平安末期、奥州藤原氏3代が砂金の財力で築いた地方政権。

辺境差別に抗し、戦乱に散った万物の霊を慰める「この世の極楽浄土」を志すも、本州統一に燃える源頼朝に滅ぼされる。


義経との縁が仇(あだ)となった

▼「夏草や」を芭蕉の随一とする研究者は多い。

その一人、ドナルド・キーン氏(89)はかつて、平泉について「浄土の印象が強い。

あの世が要らない」と、盛岡でのシンポで語っている

▼氏によれば、アンコールワットや敦煌など、名だたる仏教遺跡には辺境に佇(たたず)むものが少なくない。

平泉の違いは、忘れ去られた期間がない、一度も死んでいないことだという。

俳聖が〈五月雨の降り残してや光堂(ひかりどう)〉と詠んだ金色堂は、時の風雪に耐えて輝く

▼東北が未曽有の災害に遭い、惨状を見たキーン氏が日本国籍の取得と永住を決めたその年、北の浄土は世界の宝になった。

仏縁という言葉がふとよぎる。

悠久を生きる平泉にいま一度、鎮魂と再生が託された。





東北の人たちにとって中尊寺の世界遺産登録は明るいニュ−スになることであろう。

まだ訪れようとする人たちは少ないことだろう。

一度は訪れてみたいことだ。








だが意外と言うべきか、かつて栄えた恐竜は「人肌」の体温があったと、
東京で読んだ紙面が伝えていた







平成23年6月28日の天声人語よりの引用


爬虫類(はちゅうるい)のイメージを擬態語で表せば、ヌルリ、ゾクリ、ヒヤリ、だろうか。

蛇にせよ蜥蜴(とかげ)にせよ、てらてら光って冷たそうだ。

だが意外と言うべきか、かつて栄えた恐竜は「人肌」の体温があったと、東京で読んだ紙面が伝えていた

▼米独の研究チームが、草食恐竜ブラキオサウルスとカマラサウルスの体温は36〜38度だったと発表した。


もっとも、これまでは40度前後と推定されていたから、下方修正らしい。

近年は鳥類の起源ともされる恐竜だが、素人には人肌との取り合わせが面白い

▼ブラキオは推定で体長23メートル、体重が40トンあった。

巨体の維持には大量の食物がいる。

体温を人肌なみに抑えることでエネルギー消費を少なくしていた可能性もあるという。

しかし、そんな「努力」も小惑星の衝突で無に帰したとされる

▼約6500万年前に小惑星が地球にぶつかった。

飛散した粉じんが太陽光を遮り、寒さと食料の欠乏で多くの生き物が絶滅した。

巨体ほどもろかったというから、恐竜には受難だった


▼時は巡り、いま1日に100種の生物が絶滅しているという。

災いをもたらす「現代の小惑星」に人類は例えられる。

なのに、去年は随分見聞きした「生物多様性」の一語は遠のいた印象だ。

気がつけば小欄も、今年は一度も書いていない

▼反省しつつ、生き物のにぎわう星を案じる。

人為による生物の大量絶滅期に入ったとの警鐘は声高だ。

環境の死は文明の死を招く。

ジワリと迫る私たち自身の危機を、忘れてはいけない。




恐竜が恒温性の動物だったことは以外である。確定した説でもないが如何にして恒温保持していたか興味がある。

地球上の生物も入れ替わり現在では人類が支配している格好になっているがどのような事変が起きて

絶滅することも考えられる。思いは永遠だがいずれどんなことで滅びる存在であることには間違いない。








「長い戦争に責任ある形の終わりが来るだろう」と、オバマ米大統領は言う
先週、アフガンからの撤兵計画を発表した








平成23年6月29日の天声人語よりの引用


菜の花畑の明るさには希望と未来がある。

アフガニスタンの荒涼とした山を背景に、黄色が咲き乱れ、花を摘む少女の笑顔がはじけている。

この国で3年前、農業指導の活動中に武装集団に殺された伊藤和也さん(当時31)が撮った写真だ

▼荒廃した国で、汚れのない瞳に望みを見たのだろう。

伊藤さんは現地の子らの写真を多く残した。その表情の幾つかが、昨日の国際面のいたたまれない記事に重なり合った。

アフガンで8歳の女の子が爆弾入りの小包を持たされて爆死したという

▼女児は何者かに頼まれて警察施設に小包を運んだ。

遠隔操作装置が組み込まれていて、近づいたところで爆発した。


不憫(ふびん)でならず、人間の所業とも思えない

▼「長い戦争に責任ある形の終わりが来るだろう」と、オバマ米大統領は言う。

先週、アフガンからの撤兵計画を発表した。


だが今後、その「平和」からこぼれ落ちて消える住民の命はどれほどになろう。

治安改善の実感は現地にはない

▼この国を舞台に映画を撮ったイラン人監督のマフマルバフ氏が言っていた。

「米軍が爆弾でなく、本を落としていたら」。

識字率は男性で50%、女性は18%しかない。無知と貧困こそ、暴力とテロの温床になる

▼志半ばで倒れた伊藤さんのご両親は、遺志を継いで「菜の花基金」を作った。

集まった寄付金で先月、現地に学校の寄宿舎を贈った。

孤児や遠隔の子らが学ぶための施設だという。

先は遠いだろうが信じたい。

硝煙の地に穏やかな日常が戻るときを。




アメリカは何時のころから好戦的になってきたのだろうか。高い代価を払っても進駐していることの方が利益があるだろう。

正義のため平和の為に戦争するための常套句のようなものだ。

ネットの時代世界は狭くなってきている。







6月の言葉から






平成23年6月30日の天声人語よりの引用


悲しみの中にめぐる月日。

震災から百カ日の「卒哭忌(そっこくき)」を過ぎて、暦はきょうで今年を折り返す。

雨の向こうに明日を見たい6月の言葉から


▼北限の茶摘みとされる岩手県陸前高田市の気仙茶(けせんちゃ)。

被災で収穫が危ぶまれたが、地元の高校生の協力で一番茶を摘んだ。

自宅を流されて諦めていたお茶農家の紺野隆治(りゅうじ)さん(96)は「茶摘みが出来てうれしい。

必ず戻って、体が動く限り茶栽培を続けたい」

▼仙台市の小中学校の約8万人が「仙台七夕まつり」の飾り作りを始めた。

震災で自宅に住めなくなった山内優希さん(14)は「前向きに歩いていけるよう、きれいな吹き流しを作りたい。

仙台はこんなに元気なんだぞって知ってもらいたい」。

みちのくの夏を祭りが彩る

▼将棋名人戦で、羽生善治名人を森内俊之九段(40)が下した。

歴史に残る名勝負を制して「羽生さんは自分を一番引き上げてくれた人。

羽生さんがいたから今の自分がある」。

同い年の好敵手の言や良し

▼「私はもう一度写真を見た/みんな笑っている/幸せそうに笑っている/愛する家族がいたはずだ/たくさんの夢があったはずだ」。

沖縄の中2嘉味田朝香(かみだともか)さん(13)が、慰霊の日の戦没者追悼式で自作詩を朗読した。

「奪った戦争を/私は許さない」と声は続いた

▼11日に全国各地で脱原発のデモがあった。

広島市の石井千穂さん(33)は3歳の長男を連れて参加した。

「将来、あのとき何もせんかった、と悔やみたくないから」。

誰もが真剣に、未来を考え始めている。






貞観時代と祇園祭


貞観時代に以前から関心があり,何度かここの随想で取り上げている。

貞観の年号は丁度清和天皇の時代に相当して摂関政治藤原氏の政治が始まった時代にも相当する。

清和天皇は若くして天皇となり,実質的な政治は祖父に当たる藤原良房が権限を持ち・応天門の変で

旧来の勢力大伴氏の流れをくむ伴氏を追いやっている

最近話題の貞観11年(869年)の貞観地震が起きていて,祇園祭もこの年から本格的に始まってきている。

だから今回の東日本地震と祇園祭とは大いに関係があるといえる。

清和天皇は晩年といっても20歳後半のことで禅林寺,後の永観堂の二代目座主宗叡のもとで出家し間もなく病没している。

御陵はゆずの里水尾に葬られている。

貞観時代に京都深草の地現在の京都国立医療センタ−の北側に大寺である貞観寺が建造され最初は嘉祥寺の中の「西院」として建てられたのが

独立して貞観寺となって繁栄した。

深草中学校が昔の深草寺とされていた地域も含まれたものと考える。

深草筋違橋五丁目にあった常安寺の丁度東側にあった小さな小川が「ジョウガンジ川」と呼ばれ深草筋違橋4丁目と3丁目の間に至って

疎水に注いでいた。庄屋の古記録にも「ジョウガンジ川」が記されている。

常安寺も古く,深草誌によると「常安寺筋違橋五丁目にあり浄土宗金戒光明寺末寺である。

往昔延暦寺末長巌寺
と号したが後に荒廃し慶長十五年源譽詮盈上人が再建したところから開山」となり

境外には長巌寺川の地名が残っている

現在 長巌山 常安寺は東方の瓦町に移転されている。

長巌寺の直違橋五丁目の敷地も江戸時代に「内垣外」の地名で,貞観寺の境界域地内にあったと推測する。

元三大師像があることより大師の生存されていた西暦912〜985年の頃以後で

天台宗内には承元元年(1207年)熊野三山検校に補せられ,

建保六年(1218年)に法務大僧正になつた長巌がおり,その人物と関係のある寺院と推測する。

天台宗末寺としの長巌寺の開基は西暦13世紀から14世紀頃と推定されるが

あくまで推測であって決して正確なものではない。禅林寺内の展示の歴史年表でも長厳の名前を見つけたことがある。

延暦寺に文庫に訪れ長巌寺の資料を探したが見つからなかった。


-以下インターネットよりの引用-

貞観元年(859年)、河内・和泉両国の陶窯用の薪山争い起こる。饒益神宝を鋳造する。

貞観3年(861年)4月7日、直方隕石が落下。落下の目撃がある世界最古の隕石。

貞観6年(864年)、富士山噴火貞観大噴火

貞観8年(866年)閏3月10日、内裏朝堂院の正門・応天門が放火によって炎上、これを巧みに利用して伴氏源氏の追い落としに成功した藤原良房は、

同年8月19日、天皇の外祖父であることを理由に人臣初の摂政に任命された。応天門の変

貞観11年(869年)、12巻が完成。貞観地震とそれに伴う貞観津波が発生。貞観の韓寇

貞観12年(870年)、貞観永宝が鋳造される。

貞観13年(871年)、20巻が完成。貞観格式の完成。

祇園祭が生まれた直接の背景には、平安京がもともとが内陸の湿地であったために高温多湿の地域であったこと、

建都による人口の集中、上下水道の不備(汚水と飲料水の混合)などにより、瘧(わらわやみ=マラリア)、裳瘡(天然痘)、

咳病(インフルエンザ)、赤痢、麻疹などが大流行したこと疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。

しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。

869年(貞観11年)、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛にに諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、

神輿3基を送り薬師如来の化身・牛頭天王を祀り御霊会を執り行ったのがその起源であるという。

その原因が、先に大水害により挫折した長岡京遷都工事中に起きた藤原種継暗殺事件で

無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との陰陽師らによる権威ある卜占があったこと、などである。

さらに、1世紀後の970年(安和3年)からは毎年行うようになったとされる。

これらの祭式は神仏混淆の儀式として成り立っていた。

中世の一時期、八坂神社は北野天満宮と共に比叡山の支配下に置かれた時期があった。

この時期、八坂神社は日吉神社の末社とされ、日吉神社の山王祭が行われない時に祇園祭が中止になったり延期になる原因となった。

さらに室町時代に至り、四条室町を中心とする(旧)下京地区に商工業者(町衆)の自治組織両側町が成立すると

、町ごとに風情を凝らした山鉾を作って巡行させるようになった。

その後、応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、

現在でも続いており、1000年を超える歴史がある。

なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっている。

室町時代以来、園祭のクライマックスは山鉾巡行であったが、

現在ではいわば「巡行の前夜祭」である宵山に毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、園祭といえば宵山を先に思い描く人も多い。

ちなみに諺で時機を逃して用を成さないことを「後の祭り」というものがあるが、

これは園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、この後の園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになったとされる。

また、園祭は1966年(昭和41年)まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、

「前祭」では山に加え豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、「後祭」では鉾の巡行が無く山のみの巡行で、小規模であることからこの諺が言われるようになったという説もある。


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