ホーム | 医療 | 高齢者福祉 | 芸術,哲学 | 京都伏見・宇治 |
随想 | シュワィツァ−・緒方洪庵 | ギャラリ | 検索リンク集 |
随想
平成10年9月分 10月分 11月分 12月分
平成11年1月分 2月分 3月分 4月分
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成12年1月分
2月分 3月分
4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成13年1月 分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分
8月分 9月分10月分11月分 12月分
平成14年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分
6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成15年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成16年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
7月分 8月分 9月分 10月分11月分12月分
平成17年1月分 2月分 3月分 4月分
5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
10月分 11月分 12月分
平成18年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成19年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成20年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成21年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成22年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
平成23年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分 7月分 8月分
7月について
7月は暑い毎日が続く。毎年,梅雨は祇園祭りの7月の中頃迄続くものだが,今年は早く終わっている。
祇園祭の頃が京都で一番暑い時期とも言われている。今年も例年に違わず大変暑つい。:現在尚も続いている。
地下鉄四条駅で降り,宵山の日に鉾町を訪れようとしたか,大変な混雑ようで鉾の近くに行くのに大変だった。
午後6時から四条通が歩行者天国となり.自動車が通らなくなるとの事を.多勢の出動している警備の警察官の一人から聞いた。
だが歩行者天国の時間を待たず混雑から離れた。
最近祇園祭には訪れること少なく,特に驚いたことの一つが浴衣姿の若者達が多いことである。
当然女性の方が遙かに多いが,男性も多勢見られた。
中でも青い目をした外国の方の女性の浴衣姿が特に目についた。
大変な美人で容姿,スタイルとも良く浴衣姿がぴったり似合い,日本の女性より遙かに美しく感じた。
外国の方にも,浴衣が似合うので各国でも夏は,浴衣姿で歩く習慣が広がれば良いのにと思う。
涼しそうで全く違和感はなかった。
だが日本人でも既に祇園祭等行事ある時のみにしか見られないので無理なことだろう。
本当,和服は特に浴衣について見直されても良いのにと思った。
でも自分自身は旅行の時に旅館で出された和服に着替えること以外はなくなっている。
鉾町を歩いて伝統行事を通じ古い日本の良さがさらに見直されれば良いのにと思った。
余り論評したくない皇室での伝統以外,やはり日本の伝統の良さは時代につれ,近代化され廃れがちになって来ているが,存続されることを願う。
皇室の存在は歴史を勉強すれば,時代により.時の権力者達によって天皇の利用度が違って来ていてる。
天皇家は特に第二次大戦時で異常にまで神格化されてしまった。,
戦争遂行の手段となり現実と神話の世界とが混同され,徹底的に国民達への皇国民教育でもって天皇は神だ信じ込まされていた。
戦争になると常に被害者の立場は国民が被ることになってきている。
東日本大地震後の津波による原発事故は原発の安全神話は完全に崩れた以上,いずれ廃止されるべき性質のものであろうと考える。
当分の間は仕方ないものとして,
各家庭が蓄電器を備え,それも現在あるものより性能が良くなったソ−ラー発電機,や家庭内での健康のため運動による自転車こぎ運動器具などで
工夫され作られるようになり,それでもって蓄電できるようになれば,原発はいずれ必要となくなる時期がくることだろう。
性能のより優れた蓄電器が発明されることによって将来各家庭が使う電気はそれぞれの家庭で作り出す社会がいずれ来ると思う。
それほどに日本国民は東日本大地震には懲り懲りしている。
連日のテレビ報道などによって東日本の当事者達の気持ちが伝わってくる。
こんな時期に政争に明け暮れる政治家達の根性は測りしれないでいる。
世界的には通貨基軸のドルの信用が全く失墜し,円が買われ日本の景気が悪いにも拘わらず,益々円高ドル安になってきている。
歴史的な金融政策での円相場を勉強するだけでもかなりの努力が必要のようである。
世界中に展開しているアメリカ軍の出費がアメリカの経済の足を引っ張っていることは間違いない。
アメリカ軍に対する日本も思いやり予算など無くして国民へ建設的な出費に廻せば国民がより幸せになると思う。
近隣の国同士が敵視するのでなく,お互い仲良くなれば世界中軍隊なんか必要としない筈だ。
高価な武器開発も必要としなくなってくる。
アメリカでは多分軍事産業が巨大化しすぎて現在はブッシュの如き戦争好きでないリ−ダーでは
産業が廻らなくなって経済力が落ちて来ているものと想像する。
戦争しないと国家が上手く行かないようでは困る大国が世界をリードしているのでは。
死んだ男の残したものは(動画)
防人の詩 さだまさし(動画)
世界が一つになるまで(動画)
震災の後、各地の原発との直線距離に、同じ寒さを思う人は少なくあるまい
平成23年7月1日の天声人語よりの引用
朝日俳壇でよくお見かけする兵庫県の足立威宏さんに次の入選句がある。
〈原発と直線距離の寒さかな〉。
震災後の作ではない。
4年前に金子兜太氏の選で一席になった。「ズバリ分かる言い方」が選者の評だ
▼足立さんは地図上で、福井県の原発銀座にコンパスを刺して回してみた。
すると自宅の辺りが半径50〜60キロの弧の上にあった。
山河に遮られて道路や鉄道では遠い所も、直線だと近い。
「寒さ」は心胆の寒さでもある。
震災の後、各地の原発との直線距離に、同じ寒さを思う人は少なくあるまい
▼佐賀県の玄海原発の運転再開をめぐって、海江田経産相が地元を訪れた。
説明を受けて、県も玄海町も再稼働を容認する姿勢という。
だが、原発との距離を案じる近隣自治体の人々は、どう聞いただろう。
放射能は県や町の境界で止まってはくれない
▼「安全性には国が責任を持つ」と大臣は言う。
福島の事故による信頼失墜の自覚は、政府にないようだ。
しかし知事は「安全性の確認はクリアできた」と応じた。
少々物わかりが良すぎないか
▼「お墨付き」の由来は、大名らが臣下に与えた領地保証の文書という。
だがいまや、お上の保証は墨がかすれて頼りない。
誰もが信ずべきものを見つけあぐねる中、拙速はさらなる不信を生もう
▼〈原発の同心円に居て仰ぐおぼろの月のまどかなるかな〉。
こちらは5月の歌壇に載った福島市の美原凍子さんの一首。
18カ所の原発がある国に、18の同心円が、目には見えず同居している。
:原発はいらないとするのが大方の国民の声だと思う。
世界の原子力発電所 は世界的にも沢山稼動している。
原爆と原発は兄弟のようで核分裂を兵器として利用したのが原爆でエネルギー源として利用されたものが原発である。
人間が制御できないもので,新聞で読んだ原爆投下の任務に当たる人たちには神からの与えられた任務だとして
戦時中の特攻隊員に教え込んだ神かがり的なマインドコントロール教育がされているのを読み恐ろしく感じた。
広島長崎以降に投下された瞬間にそこでもって世界 人類が滅亡する時であると想像する。原発の放射能での汚染が
無くなるのに何十年 何百年かかりそうである。
この時期としては記録的な猛暑が各地で相次いだ
夏をつかさどる炎帝(えんてい)の顔見せ挨拶(あいさつ)だろうか
平成23年7月2日の天声人語よりの引用
こう暑くては猫といえどもやり切れない、とぼやくのは漱石のあの有名な「吾輩(わがはい)」だ。
皮を脱いで肉を脱いで、骨だけで涼みたい。
せめてこの毛衣(けごろも)を洗い張りにしたい、など色々と並べる。
団扇(うちわ)を使ってみたいが握ることができない――と愚痴るのは、おかしくもお気の毒である
▼明治の猫も暑かったろうが平成の人間も暑い。
この時期としては記録的な猛暑が各地で相次いだ。
夏をつかさどる炎帝(えんてい)の顔見せ挨拶(あいさつ)だろうか。
今年も手ごわそうで、九州南部はこれも記録的な早さで梅雨が明けた。
そして節電の夏が始まった
▼東京、東北電力管内できのう、「電力使用制限令」が発動された。
企業など大口需要家に15%の節電を求める強制措置だ。
語感が「戒厳令」や「灯火管制」に似ているからか、どこか夏を迎え撃つ気分になる
▼家庭の15%は努力目標となる。
早い話、大食いのエアコンを止めれば達成できる。
だが心頭滅却の我慢は長続きしないし、体に良くない。ここは無理せず、こまかい節約を積んで贅肉(ぜいにく)を落としたい
▼「家の作りようは夏をむねとすべし」と書いたのは「徒然草」の兼好法師だった。
耐え難いのは暑さ。
冬の寒さは何とかなる、と。
卓見が身に染むが、その高温多湿はまた様々な消夏法を生み出してもきた
▼エアコンの剛腕に小さくなっていたそれら古いものが、相次ぎ復活の兆しだという。
ぼやきたい暑さにも潤いはあろう。
古きを温(たず)ねて涼を知る。
「温故知涼」の新しい四文字を夏の座右に置くのもいい。
扇風機やクーラーの無かった戦前までは夏は暑いものだと当然視されていた。風鈴などの消夏法も色々と工夫されている。
昔の家は屋根が高くて空間があり風を取り入れる窓もあった。表と裏の戸を開けると涼しい風か通っていた。
井戸に西瓜やマッカを吊るして冷やし食べ.夕方には,門に打ち水して床几を出して涼んて゛いた。
英国の詩人バイロンに、大層な音楽賛歌がある。
詩人の孫娘が愛したバイオリンが、英国のネット競売で空前の約13億円をつけた。
平成23年7月3日の天声人語よりの引用
英国の詩人バイロンに、大層な音楽賛歌がある。
〈「美」の娘らの中にあっても/おまえのように奇(く)しき力をもつものはないであろう〉。
こう始まる「音楽に寄せて」(阿部知二訳)だ
▼詩人の孫娘が愛したバイオリンが、英国のネット競売で空前の約13億円をつけた。
日本音楽財団蔵の1721年製ストラディバリウスで、銘は「レディー・ブラント」。
未使用に近い状態が買われたらしい。
古くも新しい、奇しき力である
▼イタリアの弦楽器職人、アントニオ・ストラディバリ(1644〜1737)の作は約600丁が現存する。
300年の時が熟成した高音は輝き、低音は温かく、豊かな倍音はコーラスにも例えられる。
演奏家の憧れだ
▼千住真理子さんは9年前、億の借金をしてスイスの富豪から名器を手に入れた。
試奏して生き物の存在を感じたと語る。
「小手先の技術は通じない。
狙った音がなかなか出ず、これまで演奏してきた音楽は無いも同じと覚悟しました」。
それほどの転機だった
▼日本音楽財団は約20丁を所有し、奏者に貸与している。
虎の子の売却収入は、東北地方の祭りや伝統芸能の再生に使われるそうだ。
「非常時だからこそ一番いいものを出した」という
▼冒頭の詩からもう一節。
〈その時、音に魅せられた大洋は鳴りをひそめ/浪(なみ)はしずまりきらめきわたり/風は凪(な)ぎ、夢みながらまどろむ〉。
「貴婦人」は海のかなたに去っても、遺産は被災地の文化を支え続ける。
万物を鎮める残響に期待したい。
バイオリンにも大変な価値の有るのを知る。一つのバイオリンが何億円もするとは驚きである。
昨秋の国勢調査の抽出速報によると、
家族構成では一人暮らしが31%に達し、とうとう首位になった
平成23年7月4日の天声人語よりの引用
テレビ相手につぶやく晩酌も悪くはないが、話し相手がいるに越したことはない。
会食の席が心地よく盛り上がるのは4〜6人だろうか。
この人数だと、話題が切れることも、二つに割れることも少ない
▼半世紀の昔、NHK「きょうの料理」の最初のおかずは材料が6人分だった。
ほどなく4人になり、昨今は2人前が多い。
小紙の料理メモなども同様だ。
それだけ小人数の家庭が増えた
▼昨秋の国勢調査の抽出速報によると、家族構成では一人暮らしが31%に達し、とうとう首位になった。
典型だった「夫婦と子ども」は29%、「夫婦のみ」は20%だ。
独居の高齢者や未婚者が増えた結果、世帯数は5千万を超え、家族の人数は平均2.46人と最少を更新した。
「2人前」には道理がある
▼65歳以上の人口比は23%で世界一、15歳未満の割合は13%で主要国の最低だ。
人類未体験の少子高齢化に伴い、社会保障の破綻(はたん)、老老介護、孤独死と、不安の種は尽きない
▼片や、未婚が増える背景には厳しい懐事情がある。
政府の「子ども・子育て白書」によれば、20〜39歳の未婚者のうち男性の83%、
女性は90%が結婚を望みながら、経済的な不安からためらう人が多い。
男性には「年収300万円の壁」があった
▼一人暮らしの気楽は、加齢とともに心細さにすり替わる。
震災に教わるまでもなく、近所での支え合いに救われることもあろう。
独居1600万人の時代、頼りは血縁より地縁かもしれない。
たまにはお隣と囲む食卓もいい。
戦前には考えられないような現象が日本で起きている。敗戦による副産物なのかどうか。
5年前、タイの首相だったタクシン氏は訪米中にクーデターで失脚した
タイで総選挙があり、氏の妹インラック氏を首相候補にした野党が過半数を取った
平成23年7月5日の天声人語よりの引用
権力の座から滑り落ちた政治家はときに、味わい深い言葉を残す。
5年前、タイの首相だったタクシン氏は訪米中にクーデターで失脚した。
「私は首相としてここに来たが、無職の男として去ることになった」は、ニューヨークを去る際のひと言だ
▼現在は放逐された状態で異国暮らしに甘んじている。
そんな兄の無念を、妹が晴らしたことになろう。
タイで総選挙があり、氏の妹インラック氏を首相候補にした野党が過半数を取った。
初の女性首相は「兄の操(あやつ)り人形」の批判を跳ね返すことができようか
▼赤シャツ派と黄シャツ派に割れての騒乱は記憶に新しい。
国際会議の妨害。
空港の占拠。
治安部隊との流血衝突では日本人カメラマンが落命した。
赤の親(しん)タクシンと黄の反タクシンによる国内二分は今も、「ほほえみの国」を揺るがし続ける
▼タクシン氏は汚職で有罪判決を受けている。
だが億万長者ながら貧者に手厚かった。
人気は根強く嫌悪も激しい。
妹は「国民和解」を掲げるが、赤と黄の溝は深い。
オレンジ色に溶けあうのは容易ではない
▼かつての小欄が、タイの僧は地獄と極楽をこう説明するそうだと書いていた。
どちらにもご馳走(ちそう)があって、腕より長い箸(はし)が置いてある。
地獄では自分で食べようとするが、箸が長すぎて口に入らず、争いだけで終わってしまう
▼極楽では、自分の箸で人の口に入れてあげる。
互いにそうするので誰でもたっぷり食べられる、と。
融和への知恵と手腕を、新首相に期待できるかどうか。
タクシン家はタイ国で大層な金持ちのようである。このような人が良い政治が出来るのかわからない。
目玉人事で就任した松本復興担当相が、わずか9日で退場となった
平成23年7月6日の天声人語よりの引用
サッカーのスーパーサブといえば控えの切り札を言う。
ここぞの得点や局面打開を狙って試合途中に投入される。
なのに即座にレッドカードを食らっては指揮官は青ざめ、観衆は興ざめだ。
目玉人事で就任した松本復興担当相が、わずか9日で退場となった
▼今の最重要課題を担う閣僚である。
本人は就任を渋り、首相が三顧の礼で頼み込んだそうだが、関係はない。
「大臣風」を吹かせ、「なってやった」と言わんばかりの居丈高を被災地に向けては人心は離れる
▼帰京後も自覚はなかったようだ。
宮城県知事が不快感を示したと報道陣から聞くと、「うわー、すごい知事だな」。
旗色が悪くなると「九州の人間だから語気が荒い」「B型で短絡的」など、男の甘えと少女趣味をこき混ぜたような弁解をした
▼スピード感は辞任ではなく復興にこそ欲しいのに、発揮場所が違う。
それに、これほど誰もが当然視し、身内でも庇(かば)いようのない放言辞任も少ないだろう。
〈ひょっとして政権つぶしの刺客かな〉。
小紙川柳欄の勘ぐりにも一理ある
▼「信なくば立たず」と孔子は言う。
ずばり突くだけに座右の銘にする政治家は多い。
この騒動で、被災地の「信」はさらに細っていよう。
菅政権にまだ立つ瀬があるかどうかは、心もとない
▼野党の追及がわりと静かだったのは、あまりの体たらくに政敵まで悄気(しょげ)てしまったからか。
鏡に映る政治の姿の不器量に、与党も野党もたらーり脂汗を流す。
このガマの油、何の傷にも効きそうにない。
よくこんな人が議員に当選できたものかが驚きである。
始業と終業を早めるサマータイムを取り入れる企業が、じわり広まっている
平成23年7月7日の天声人語よりの引用
英語で「ファイブ・オクロック・シャドー」と言う。
訳すと「午後5時の影」、と言っても夕日に伸びる影ではない。
会社の引け時になると、朝に剃(そ)ったヒゲが伸びて男の顔にうっすら影を作る。
その、かすかな翳(かげ)りのことだ
▼粋(いき)で渋いか、ただの無精(ぶしょう)に見られるかは、その人次第となろう。
そんなふうに象徴的に「9時から5時まで」と言われる働き方が、この夏、様変わりしつつある。
始業と終業を早めるサマータイムを取り入れる企業が、じわり広まっている
▼「短夜(みじかよ)」「明易(あけやす)し」といった季語さながらに、夏の朝は5時には明るい。
天然の照明と朝の冷気を無駄にするのは、思えばもったいない。
夏時間を当て込んでの「アフター4商戦」も熱を帯びてきた
▼夕刻の余暇利用も利点とされる。
習い事、スポーツジム、家族とのひととき――。
「朝早いのはつらいけど、この1時間は貴重です」という声を記事が伝えていた。
小紙の調査によれば、主要企業の導入機運はかつてなく高いという
▼国の制度としての夏時間は賛否を二分してきた。
反対論の一つに残業があった。
日が高くては帰れない。
長く働かされるだけだ、と。
だがこの夏は電力不足で、いわば早上がりのための措置だ。
横並びで居残る企業文化を変える契機になるだろうか
▼楽観主義者はドーナツを見るが、悲観主義者はドーナツの穴を見るのだそうだ。
不足を嘆かず、ある電気を賢く使いながら暮らしや価値観を変えていきたい。
思えば得難いチャンスである。
電力の使い方を工夫すれば節電が出来て 必要電力がオーバーになることがなくなる工夫は幾らでもある事だ。
玄海原発の運転再開をめぐる県民向け説明会に絡み、
九州電力の幹部が再開賛成の「サクラメール」を送るよう子会社などに
指示していたことが露見した
平成23年7月8日の天声人語よりの引用
「サクラ」の語源ははっきりしないらしい。
春に咲くサクラではない。
客を装って品物をほめたり、高く買ったりして購買心をあおるサクラのことだ。
露天商の隠語から広まったらしいと手元の辞典にはある
▼さて、電力会社にはどんな隠語があるのだろう。
玄海原発の運転再開をめぐる県民向け説明会に絡み、
九州電力の幹部が再開賛成の「サクラメール」を送るよう子会社などに指示していたことが露見した。
会社思いの幹部の「単独犯行」と思う人は、まずいまい
▼企業の「文化」か、あうんの呼吸の上意下達か。
社長の謝罪会見も奇態だった。
「責任は私に」と言いつつ、関与を聞かれるとはぐらかした。
押し問答が続き、途中でメモを渡されて「指示はしていません」。
虚実と損得を天秤(てんびん)に掛けたのが丸見えだ
▼ものごとの倒錯を表すのに、足を削って靴に合わせる愚の例えがある。
原発は事実を曲げ、真実を隠して「神話」という靴をはいてきた。
そのうえ世論をゆがめる企てときては、欺瞞(ぎまん)はいよいよ深い
▼原発の怖さは放射能だけではない。
反原発を貫いた故高木仁三郎氏の一冊から拝借すれば、こういうことだ。
〈ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。
巨大な資本が投入され、地域経済も支配される。
巨大権力集中型のエネルギー社会を否応(いやおう)なしに生み出していく〉
▼聞けば海江田経産相も辞意を固めたそうだ。
地震列島にこの政治、この電力会社。
信ずべきものがいよいよ見つからない。
何もかも今まで続いてきたシステムが出鱈目である事が政権交代でもって明らかに出来たことかもしれない。
ユネスコの世界遺産に、今度は「日本食文化」で手を挙げようと準備が始まった
平成23年7月9日の天声人語よりの引用
湿気と暑さにいささか疲れぎみの日々、寒〜いダジャレをひとつ。
「このウナギは養殖かなあ」「ウナギは和食だ」。
思案する方がおられるかも知れないが、いえ解説するほどの代物ではありません
▼で、きょうは洋食ならぬ和食の話。
ユネスコの世界遺産に、今度は「日本食文化」で手を挙げようと準備が始まった。
めざすのは世界無形文化遺産で、祭礼や伝統芸などのほか食文化も対象になる。
農水省が音頭を取っている
▼農水省といえば4年前、海外の日本料理店に「お墨付き」を与える制度づくりに着手した。
面妖な和食を出す店が多いのを憂えてのことだった。
だが国内では「政府の仕事か」とたたかれ、欧米からは「スシ・ポリス」がやって来ると警戒され、結局ついえた。
世界遺産なら波風も立つまい
▼日本料理という「極東のエスニック」の繊細と洗練は名高い。
「食膳は、このうえなく精妙な一幅の絵に似ている」と評したのはフランスの思想家ロラン・バルトだった。
油脂を控えて素材を生かす。
その「澄んだ濃密」の味わいを世界のグルメは称賛する
▼これまでにフランスの美食術やメキシコの伝統料理、地中海料理が登録されている。
秋には韓国の宮中料理も登録の見通しだという。
仲間入りの実力に不足はないと思われる
▼四季の織りなしも日本料理の魅力となろう。
〈美しき緑走れり夏料理〉星野立子。
氷に載せた白身魚の洗いだろうか。
それとも冷(ひ)や奴(やっこ)?
めざすという2年後の登録成就を楽しみに待つ。
日本料理が健康に良いことが認識されるようになり世界に普及してきている。
過去7人の日本人を乗せた米国のスペースシャトルが、
75万人に見送られて最後の旅に出た
平成23年7月10日の天声人語よりの引用
イチロー選手との対談で、映画監督の北野武さんが礼を言っている。
「大リーグの憧れの選手を目の前に引きずり下ろしてくれたというか、ものすごい高級車があって、
今までは見るだけだったけれど、ある時その車の後ろに乗せてもらえた感じなんだよ」
▼日本人宇宙飛行士の功績も似ている。
共に大気圏を飛び出し、「見るだけだった」世界に浸った人も多かろう。
「天井がすーっと壁になった」(毛利衛(まもる)さん)、「美しい地球をよりよい姿で次世代に」(山崎直子さん)など、日本語で持ち帰った体感は貴い
▼過去7人の日本人を乗せた米国のスペースシャトルが、75万人に見送られて最後の旅に出た。
30年、135回に及ぶ飛行は外国人にも開かれ、宇宙を近づけた。
しかし、翼のある軌道船を使い回すシステムは複雑すぎた
▼コロンビア、チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、エンデバー。
就役順に「高級車」を並べれば、乗員もろとも失われた古い名二つが澱(おり)のように胸に残る
▼冷戦下、青天井の予算で国威を託されたアポロ計画と違い、シャトルは財政の重力にさらされ続けた。
事故で費用は膨らみ、打ち上げ実績は年50回の目標に遠い。
退役は超大国の衰えと無縁ではなかろう
▼地上は難題にあふれ、国を挙げて天空の覇を競う時代でもない。
ただ、国際協力の場としての宇宙開発はつないでおきたい。
選ばれし者の目を借りて、青い惑星と国境線のない大陸を遠望する。
そんな習慣が人類に求められる。
宇宙開発にも大変な費用がかかる。一国だけではなくて世界の人々が協力するチャンスに変えればよい事業である。
「なでしこジャパン」の主将である。
15歳で日本代表になって以来、女子のサッカーを支え続けた功労者が
また一つ誉れを手に入れた
平成23年7月12日の天声人語よりの引用
その名は、豊作を念じて父親が考えたという。
沢穂希(ほまれ)さん、32歳。
「なでしこジャパン」の主将である。
15歳で日本代表になって以来、女子のサッカーを支え続けた功労者が、また一つ誉れを手に入れた
▼女子ワールドカップを戦うなでしこは、地元ドイツを1―0で破り、初の準決勝に進んだ。
3連覇を狙う相手は過去8戦して勝てなかった難敵だ。
それも、大入りの観衆を向こうに回しての快挙である
▼選手は、震災の映像を見直して大一番に臨んだと聞く。
延長戦後半、沢さんが「願いを込めて」相手守備陣の裏に浮き球を放り込む。
丸山桂里奈(かりな)選手が走り込み、ぎりぎりの角度から歴史的な決勝点をあげた。
疲れた相手の足が届かない、ここしかないというパスとシュートだった
▼沢さんは男の子の中で強くなった。
小学生時代、試合中に「女のくせに」とスパイクを蹴られたことがある。
その子は、心でわびているに違いない。
代表での通算得点は今大会で78に増え、あの釜本邦茂さんを抜いて最多となった
▼サッカーは長らく「男のスポーツ」だった。
沢さんにも女子ゆえに出られなかった試合がある。
悔しさは練習とゲームにぶつけるしかなかった。
その背中を見て、女の子が当たり前にボールを追い始めている
▼アトランタ五輪で惨敗、続くシドニーは出場もできず、廃部が相次いだ低迷期がある。
沢さんらはドイツ戦のように耐え忍び、見事に盛り返してみせた。
何本もの青い穂に大粒の「なでしこ人気」を実らせて。
東日本大震災後の「なでしこジャパン」の優勝に対して日本が熱狂した。丁度第二次大戦後のうちひしがれた時代での事
日本の水泳界の飛び魚古橋 の活躍を思い出させる。
「上を向いて歩こう」は、詞が永六輔さん、曲が中村八大さん
すでにアイドル歌手だった坂本九さんとの「六八九トリオ」は
国内ばかりか約70カ国で1千万枚を売り、全米1位にも輝いた
この曲がきょう、CDで再び売り出される。
平成23年7月13日の天声人語よりの引用
阿久悠さんが黄色になって寝込んだのは24歳の時だ。
過労と栄養不良から肝臓をやられた。
1961(昭和36)年、後の大作詞家もまだ、将来を描き切れぬ広告マンである。
独り身の病気ほど心細いものはない
▼阿久さんを慰めたのはラジオの歌声だった。
「ウエホムフヒテ、アールコホホホ」と不思議な歌唱。
「涙がこぼれないようにと言われるのだが、
わけ知らず大量の涙を流したことを覚えている」と、本紙に連載した「愛すべき名歌たち」にある
▼「上を向いて歩こう」は、詞が永六輔さん、曲が中村八大さん。
「黒い花びら」を当てたコンビだ。
すでにアイドル歌手だった坂本九さんとの「六八九トリオ」は、国内ばかりか約70カ国で1千万枚を売り、全米1位にも輝いた
▼世界で愛され、日本人を励まし続けたこの曲がきょう、CDで再び売り出される。
発売50周年を祝す企画だが、震災後、店頭での問い合わせやラジオへのリクエストが急増しているそうだ。
時の求めといえば大仰だろうか
▼九ちゃんは「楽しみを、幸せを売る男になりたい」と語っていた。
ジャンボ機墜落事故がなければ今年70歳。
社会活動にも熱心だったから、芸能界のまとめ役として被災地を奔走していたに違いない
▼「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」。
つらい出番というべきか、ご本人に代わって半世紀前の歌声が街に流れる。
くじけそうなこの国を救うのは経済力や勤勉さだけではない。
数々の応援歌もまた、私たちの財産である。
上を向いて歩こう(動画)
九州電力玄海原発の再稼働をめぐる混乱で、
佐賀県知事と玄海町長の役どころは「国の迷走を嘆く地元首長」である
根深い「やらせ構造」に首長も無縁ではあるまい
平成23年7月14日の天声人語よりの引用
テレビに横行するトリックは身も蓋(ふた)もない。
近例を挙げる。
繁盛するペットビジネスの客は店の人、ある飲料でダイエットに成功した女性はそれを売る会社の経営者で、
15億円のホテルを買うはずのセレブはその宣伝を手がける会社に勤めていた
▼九州電力玄海原発の再稼働をめぐる混乱で、佐賀県知事と玄海町長の役どころは「国の迷走を嘆く地元首長」である。
ごもっともだが、ご両人が「店の人」や「宣伝担当」だったら興ざめ極まりない
▼知事は九電マンの父君を持ち、同社も支援し当選、九電幹部の個人献金を受けてきた。
玄海町長も親族の建設会社が、九電から50億円を超す工事を受注してきた仲という
▼あらら九電ファミリーと知れば、再稼働に前のめりだったのに合点がいく。
住民の安全より自らの選挙や商売を案じているとは思いたくないが、板挟みへの同情はおのずと色あせよう
▼なるほど、経産相の安全宣言が尚早なら、それをストレステスト(耐性評価)で覆す首相も間が悪い。
地元にすれば、担任は合格点をくれたのに、頑固な校長に追試を命じられた思いか。
だが、首長が九電と一体ならば怒りの迫力も知れる
▼運転再開を論じる番組への賛成意見は、大量の「九電発」で底上げされた。
根深い「やらせ構造」に首長も無縁ではあるまい。
それに切り込むべきが、支持率15%の「へたれ政権」とは情けないが、ことは安全に関わるから無関心ではいられない。
国民の胃にも障る、とんだストレス試験である。
何もかもが騙しの世論を作り組織をば゛動員する。組織は簡単に作れないし叉動かすことも出来ない。
そこで威力を発揮するのが地盤看板の次の「かばん」である。
現金であり「おどし」と恫喝,利益誘導でもって上手く組織を自分の思い通りに動かすことが出来る。
そんな人が能力ある立派なリーダーとされているのが現在の世の中ではなかろうか。
りーダ-たちの間には壁が無く,そして右も左もなくて ただ己の利益のみでつながっている。
法的に政治献金は一切に無くし献金を受ければ必ず罰されるようにすべきだ。
人間はお金に弱い人が大方で特に政治の世界では国からの充分な給付以外にお金に縁のない世界に
すべきである。
悪貨が良貨を追いやる世界のようだ。
途上国をみれば腐敗しているのは全てがお金によるものである。
この梅雨は逃げるように明けた。
平年より14日早い沖縄は観測史上「最速」
熱中症の搬送者は猛暑の昨年を上回るペースだという
平成23年7月15日の天声人語よりの引用
セミが鳴き始めた皇居・東御苑を歩いた。
炎天下、秋の七草が気だるく咲いていた。ハギにオミナエシ、薄紫も涼しいキキョウ。
ナデシコのピンクがひときわ可憐(かれん)なのは、女子サッカー快進撃の余韻かもしれない
▼この梅雨は逃げるように明けた。
平年より14日早い沖縄は観測史上「最速」、近畿や東海、関東も12〜13日早く、東北はそれ以上の前倒しだ。
列島おしなべて半月ほど早い夏本番である
▼季候は暦ではなく、人知が及ばぬ摂理で巡る。
熱中症の搬送者は猛暑の昨年を上回るペースだという。
災いの年、天気の神様は節電の覚悟を試すつもりらしい。
見上げれば綿雲が散らばり、夏休みの絵日記から拝借したような青空が広がる
▼近刊の写真集「雲」(ネット武蔵野)を繰りながら、東京の空もなかなかだと思った。
都下に住む瀬戸豊彦さんが撮りだめた空に、当日の天気図が添えてある。
公園の花畑や高層ビル群の上、日替わりのカンバスで、雲たちは千変万化を競う
▼天体が不易の象徴ならば、雲は流転の代名詞だ。
同じ形は二つとない。
「これほどドラマチックなものは自然界にありません。
よい風景には必ず、よい雲がある」と瀬戸さんは語る。
〈夏空へ雲のらくがき奔放に〉富安風生(ふうせい)
▼遠くの親を思う心を望雲(ぼううん)の情という。
津波や放射能に追われ、全国に散った子どもたちを思う。
頭上の雲に探すのは、故郷で頑張る父さんの背中だろうか、風になった母さんの笑顔だろうか。
いくつもの意味で、初めての夏になる。
なかなかに大人になってから子供の頃のようには空を眺めることが少なくなってきている。
福島の農業者はいったい何回泣かされるのか
道化にしか吐けない正論もある
平成23年7月16日の天声人語よりの引用
福島の農業者はいったい何回泣かされるのか。
今度は飼料の稲わらから困ったものが出た。
福島県浅川町の農家が牛に与えた餌に、基準を超す放射性セシウムが潜んでいたという
▼すでに42頭が出荷済みだった。
南相馬市産に続いての汚染牛肉である。
事故原発から遠く離れているだけにつらい。
ほかにも検査対象ではない牛が、餌から内部被曝(ひばく)していたケースはないだろうか
▼ひとたび原発に何かあれば、汚染は広域に、そして後世に及びかねない。
菅首相が言う「もはや律することができない」危険。
とりわけ子育て世代は、食の不安に敏感だ。
ところが、首相の「脱原発」は十字砲火を浴びた
▼「辞める人が言い出す話ではない」「議論も道筋もなく無責任」「ウケ狙いの延命策」と散々だ。
第一生命のサラリーマン川柳に、〈エコとケチ主役で変わるその呼び名〉というのがある。
崇高な理念も、唱える人によっては色あせる
▼もっとも、「親原発」の論理も色々だ。
電気代の値上げや停電が暮らしを脅かすという素朴な心配とは別に、
原発利権と電力独占を守りたいだけの宣伝が紛れる。
首相が「脱」に傾くほど菅おろしに燃えるのは、もっぱら後者だろう
▼首相の四面楚歌(しめんそか)は、哀れをこえて滑稽の域である。
嫌われ者から、怖いものなしの道化へと。
ただ、作家の池澤夏樹氏が「ぎりぎりまで居座り、改革を一歩進めてほしい」と書くように、
「脱」路線そのものは共感を呼んでいる。
そう、道化にしか吐けない正論もある。
長年の一党独裁政権持続による弊害はなかなかに取り除くことは困難なものなのか。
観賞用の捕獲は、以前はウグイスやヒバリなど7種の鳥で認められていたが、
今はメジロだけになっていた
ルナールの名高い「博物誌」に「鳥のいない鳥籠」の話がある
平成23年7月17日の天声人語よりの引用
古くから梅にウグイスと言うが、あれは「梅にメジロ」の場合が多い。
花蜜が好きなので梅の花を求めて枝に来る。
本物のウグイスは警戒心が強く、姿を見せることはめったにないらしい
▼可憐(かれん)な姿をウグイスに間違われ、いささか不遇なメジロだが、「美声」なら数百万円もの値がつくという先日の記事には驚いた。
鳴き声を競う「競鳴会」が各地で開かれているそうだ。
このため密猟が横行し、観賞(愛玩)目的の捕獲が禁止されることになった
▼観賞用の捕獲は、以前はウグイスやヒバリなど7種の鳥で認められていたが、今はメジロだけになっていた。
飼って楽しみたい人は残念だろうが、高値の売買は一部で暴力団の資金源にもなってきたそうだ。
これではメジロも浮かばれまい
▼ルナールの名高い「博物誌」に「鳥のいない鳥籠」の話がある。
ある男が鳥籠を買った。
籠の中には、毛綿で作った巣と、草の実の皿と、新鮮な水を入れたコップが置いてある。
なのに肝心の鳥がいない
▼聞かれると彼はこんなふうに言う。
「この籠に鳥を一羽入れたっていいわけだ……ところが僕のおかげで、その一羽は(籠の鳥にならず)自由の身でいられる」。
鳥を籠に閉じ込めることへの、風変わりな抵抗というわけだ
▼飼う人あり、野外で観察する人あり、人間から鳥への愛情の表し方は様々だ。
とはいえ歪(ゆが)んだ愛情では話にならない。
「野の鳥は野に」。
野鳥研究で知られた文化人、中西悟堂の残した言葉が、ふと胸をよぎっていく。
鳥のことだが昔はツバメ 雀が良く見かける鳥だが余り見かけなくなって来ている
きょうは海の日
海を恨む気持ちはあるが恩恵も受けてきた
平成23年7月18日の天声人語よりの引用
きょうは海の日。
太平洋に臨む紀伊半島の町に生まれ育った佐藤春夫に「海の若者」という詩がある。
〈若者は海で生まれた。
/風を孕(はら)んだ帆の乳房で育った。
/すばらしく巨(おお)きくなった。
/或日(あるひ) 海へ出て/彼は もう 帰らない。〉
▼〈もしかするとあのどっしりした足どりで/海へ大股に歩み込んだのだ。
/とり残された者どもは/泣いて小さな墓をたてた。〉。
これが全文の短い詩だ。
何かの伝説をうたったのか、それとも水難の若人への鎮魂だろうか。
海の豊饒(ほうじょう)と非情への想像を、胸の内にかき立てる
▼終わりの2行が、海の大きさと人間の小ささを際立たせる。
今回の津波の被災地で、墓石に「三月十一日」の日付を繰り返し彫る石材店主の胸中を記事が伝えていた。
2万という命を、海は連れ去って返さない
▼人々の思いは千々に乱れる。
「海を恨んでいる人は一人もいない。
これからも海と共に生きていきたい」と言う人がいる。
片や「返せって海に言わないと気が済まない」と泣く人がいる
▼「海を恨む気持ちはあるが恩恵も受けてきた。
バカヤローと叫んだら、これで終わりにする」「どうなるかわからないけどさ、海さえあれば、何とかできる。
海を相手に食ってきたんだもの。
漁師は、大丈夫なんだよ」。
万の人の心に万の海がある
▼あの日、突然猛(たけ)った水平線。狂った水の雄叫(おたけ)び。
「母なる海」という賛歌は失せ、まだ涙で海と和解できない方も多くおられよう。
潮風に顔を上げる日を、願わずにいられない。
海での津波は恐ろしい。今回の大震災で何度もテレビで津波の恐ろしさを見せつけられている。
海を恨んでいる人は少ない。
此れまでの神話に元ずく原発の安易さに怒りが爆発しているようだ。
サッカーの女子ワールドカップ決勝
なでしこジャパンは米国に2度追いつき、PK戦を制した
平成23年7月19日の天声人語よりの引用
「最後まであきらめない」。
祝日の早朝、そんなメッセージがフランクフルトから届いた。
サッカーの女子ワールドカップ決勝
。なでしこジャパンは米国に2度追いつき、PK戦を制した。
今の日本にすれば、あらゆる政治の言葉より意味がある世界一だ
▼押しに押され、ゴール枠の「好守備」に再三救われた。
しかし残り3分、頼れる沢主将がすべてを元に戻した。
宮間選手のコーナーキックに飛び込み、示し合わせたような右足一発。
居合抜きを思わせる美技だった
▼この同点弾で、なでしこの至宝は大会の得点女王と最優秀選手に。
前言通り「人生最高の試合」にしてみせた。
仲間の粘りを勝利につなげた守護神、海堀選手の神業にもしびれた
▼米国の女子サッカーは国技に近い存在らしい。
女の子の3割が習い事でたしなみ、人気選手はCMにも出る。
「女子は男女同権の国ほど強い」(W杯米国大会プログラム)。
そうした誇りと期待を、代表の面々は担う
▼かたや日本は、代表チームができて30年。
ルールは男女同一に、競技人口は10倍以上になったが、主力選手の多くが働きながら練習している。
凱旋(がいせん)の旅もエコノミークラスと聞いた。
世界一の次は実力にふさわしい環境だろう
▼早起きを3回しただけの素人にも魅力は分かる。
俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議がなく、ボール回しを楽しめた。
なでしこは国を励まし、世界を驚かせ、この団体球技の面白さを教えてくれた。
雑草の根っこを持つ大輪たちに感謝したい。
なでしこジャパンよくやったと言いたい。
台風6号は7月としては横綱級で、
高知県の一部では降り始めからの雨量が千ミリを超えた
平成23年7月20日の天声人語よりの引用
高知県鏡村(現高知市)の小3男児が書いた「きり」という短い詩がある。
『えんぴつでおしゃべり』(あゆみ出版)で見つけた。
〈朝、きりがかかっていました。
山が、おふろに入っているようでした〉。
乳白色に煙る里山が目に浮かぶ
▼この童心に習えば、数日来の西日本は「山が、おふろの中でシャワーを浴びている」とでもなろうか。
台風6号は7月としては横綱級で、高知県の一部では降り始めからの雨量が千ミリを超えた。
しかも横殴りだ
▼台風の予想進路に驚く。
北に直進してきたものが、列島に達したところで東に向かうという。
この「右折」、台風に円弧を描かせる太平洋高気圧が衰えたせいらしい。
交差点の車よろしくブレーキがかかり、雨風の影響もそれだけ長く続く
▼台風の長っ尻にいいことはないが、ともかく猛暑は和らいだ。
大地に巣くう熱が流されたか、東京の最高気温は冷房の節電目標である28度台に下がった。
ひと息ついた人もおられよう
▼気象随筆の倉嶋厚さんによると、日本には「雨乞いの山」が20以上もあるそうだ。
雨乞岳、雨乞山、雨呼山(あまよばりやま)。先人はそれほど、日照りを恐れた。
もちろん、恵みの雨とはほどほどの降りを言う。
田畑が冠水し、家を流されては元も子もない
▼照ればお湿りを乞い、降れば陽(ひ)を求めるのが人の常だが、ほどほどを知らない自然は時に無慈悲になる。
この夏、せめて台風ぐらい被災地を外してくれないか。
北上を思いとどまったような6号の動きに、淡い望みを託す。
台風に伴う洪水はたまらない。
本日は、大量の鰻が煙の中で昇天する土用の丑(うし)
平成23年7月21日の天声人語よりの引用
食通で知られた映画監督の小津安二郎は、四季を通じて鰻(うなぎ)を食した。
大晦日(おおみそか)には、北鎌倉の自邸から東京・南千住の名店に仲間と繰り出し、一匹丸ごとの大串を楽しんだという。
細く長くを願う年越しそばに代えて、太く長く生きようとの理屈らしい
▼本日は、大量の鰻が煙の中で昇天する土用の丑(うし)。
暑い盛り、丑の日には「う」のつくものがよいとする江戸期の宣伝が始まりだ。
豊かな滋養は夏ばてに効くから、「年越しの蒲(かば)焼き」より理にかなう
▼台風一過、暑気払いも太く長くといきたいものだが、国産の鰻は今年もお高い。
東京の店頭では、立派な蒲焼きだと1尾2千円近い。
稚魚の不漁で、主産地の養殖量が減ったためという
▼高値にも促され、卵から育てる研究が熱を帯びている。
東大などのチームは先頃、太平洋マリアナ諸島沖で約150個の卵を集めた。
世界初の採取となった2年前の5倍の量で、研究に弾みがつこう
▼東大総合研究博物館の「鰻博覧会」で、その卵が公開されている。
小さなガラス容器の底、透明な皮膜に包まれた7粒のビーズが輝いていた。
見つめるほどに、大海を漂う鰻の数を蒲焼き「発明前」に戻してやりたいと思った。
展示パネルにもあるように、稚魚を乱獲してきた人間の責任である
▼天然の稚魚を守る決め手が、人工孵化(ふか)の鰻に産卵させる完全養殖だ。
実現は早くて5年先とされるが、繁殖の輪がつながれば、食卓に泳ぎ着く数も増す。
この魚とは、細くてもいいから長く付き合いたい。
昔はウナギを食べる機会が少なかった。養殖ウナギが出回るようになり安易に食べられるようになってきた。
ウナギは美味しいがコレステロールには要注意である。
英語圏の有力紙やテレビ局を抱えるルパート・マードック氏(80)
そのメディア王が窮地にある
傘下の英大衆紙が、事件の被害者ら多数を盗聴した疑いが深まったためだ。
元幹部たちが捕まり、168年の歴史と265万の部数を誇る同紙は廃刊
平成23年7月22日の天声人語よりの引用
英語圏の有力紙やテレビ局を抱えるルパート・マードック氏(80)。
その名が日本で大きく報じられたのは15年前、ソフトバンクの孫正義氏と組んでテレビ朝日株の2割強を握った時だ。
わがメディア界は、黒船襲来と大騒ぎになった
▼くだんの株を買い取った朝日新聞の社長(当時)が、マードック氏の印象を語っている。
「孫氏への説得の仕方を観察するに、大先輩がやんちゃな後輩を温かく見守っている感じだった」。
無論、氏のビジネスは温かさと無縁である
▼そのメディア王が窮地にある。
傘下の英大衆紙が、事件の被害者ら多数を盗聴した疑いが深まったためだ。
元幹部たちが捕まり、168年の歴史と265万の部数を誇る同紙は廃刊。
攻守所を変えて叩(たた)かれている
▼ことは老メディア王の落日にとどまらない。
警察や政界との癒着が露見、ロンドン警視庁トップが辞任した。
逮捕された元編集長を重用し、マードック氏や側近と親密だったキャメロン首相は釈明の日々だ
▼この大衆紙の「盗聴癖」は知られていたが、警察は深追いせず、政治家は仕返しを恐れた。
だが、盗聴先が一般人を含む4千人とされては空気も変わる。
組織的な「のぞき見」取材、ゆがんだ商業主義に、国民と同業者の怒りは大きい
▼強大なメディアほど、自らの不祥事に弱い。
恥ずべきニュースを、ぎこちなく伝えるのみだ。
大衆の興味を糧に築いたメディア帝国が、醜聞の海でもがいている。
希代の「情報使い」が、商品に逆襲される図である。
盗聴による情報取材は法律に反している。面白い興味ある記事を作るだけならば余計に悪いとだ。
茶の間の景色を変えて進んだ地上放送のデジタル化が、大詰めを迎えた
わが国でテレビ放送が始まって58年
平成23年7月23日の天声人語よりの引用
テレビを薄型に買い替えた親類の八十翁が、「電話のメモをとる場所がのうなった」とぼやいていた。
ごろりと鎮座した旧型の上にメモ用紙を置いていたらしい。
茶の間の景色を変えて進んだ地上放送のデジタル化が、大詰めを迎えた
▼わが国でテレビ放送が始まって58年。
森羅万象の映像を送り届けたアナログ放送が明日、被災の東北3県以外で終了する。
地デジの鮮明な画像、多彩な機能と引き換えに、国民は散財を半ば強いられた
▼今も残念がるのは、テレビの音声をFMラジオで聴いてきた視覚障害の人たちだ。
デジタル化で聴けなくなるが、ラジオ代わりに自分用の薄型テレビを買うのも悔しい。
この大転換で消えるのは、「電話のメモ台」だけではない
▼目に頼れぬ人の一番の情報源はテレビ音声という。
ニュースもラジオ版とは臨場感が違うそうだ。
障害者団体は、アナログ番組終了の正午を挟み「FMでテレビ放送の終わりを聞く集い」を東京で開く。
役員曰(いわ)く「私たちからテレビが遠ざかる日です」
▼総務省によると、地デジに未対応の家庭は6月末で約29万。
暗転に慌てても、千秋楽やオールスター最終戦は手遅れだろう。
国策で地デジ難民を生むまいと、高齢世帯への訪問相談も追い込みだ
▼もっとも、テレビに往年の存在感はなく、あさってから「なし」で暮らす人もいる。
インターネットの普及でメディアは激動期を迎え、古参の小紙もデジタルで発信を始めた。
伝え方がどうあれ、中身の充実に精進したい。
デジタル放送は格段に画像が良くなってきている。ハイビジョン撮影ならば余計である。
本を読む機会を少なくしている。
暑を少しでも和らげようと蔓性植物が窓や壁を這(は)う
「緑のカーテン」の一語はすっかり市民権を得た
旧知のご高齢からの暑中見舞いに「再び、困った時のツル頼みです」とあった。
ツルとは蔓(つる)のこと。戦時の食糧難の際、空き地を耕してサツマイモやカボチャが作られた。
少年だったご高齢も校庭の隅で慣れぬ鍬(くわ)を振るったそうだ
▼言われてみれば、イモもカボチャも蔓を伸ばす。
時は流れて節電の夏、猛暑を少しでも和らげようと蔓性植物が窓や壁を這(は)う。
「緑のカーテン」の一語はすっかり市民権を得た。
私事ながら拙宅でも、自治体の抽選で当たったゴーヤが窓を覆って伸びている
▼去年はヒョウタンを植えた。
アサガオやヘチマも人気だが、今年はゴーヤが大ブレークした。
まず育てやすい。
畑作の経験だと、キュウリが病気でへたってもゴーヤはどこ吹く風だ。
葉の茂りも濃く遮光効果は大きい
▼〈なおこやらりこちゃんというゴーヤあり吾子(あこ)は名札を作るのが好き〉。
ほほえましい一首が去年の小紙歌壇に載っていた。
名前をもらってすくすく育つ緑を想像すれば心の中を涼風が吹く
▼むろん実際の効果もある。
葉っぱから水分を蒸散させて周りの熱を奪ってくれる。
横浜市の調査では、緑のカーテンで日なたの壁の温度が約10度下がるそうだ。植物の力はあなどれない
▼〈やっぱりか あっちこちからゴーヤ来る〉はこのあいだの川柳欄。
おすそ分けが隣近所を行き交う図も楽しい。
ビタミンCが豊富で夏バテ予防に良いというから一石二鳥だ。
チャンプル料理に冷えたビールを泡立てる。暑さもまた良し、の舌鼓となる。
緑で囲まれた家を時々みかけるが暑さをしのぐ手段の一つとは知らなかった。
、原発禍で屋外の活動もままならない福島の子らは
つらい1学期だったろうと思う
平成23年7月25日の天声人語よりの引用
どこで聞いたか、微笑を誘う話を思い出す。
ある大人が小学生に「学校では授業の始まりと終わりにベルが鳴るねえ」。
すると小学生、「違うよ。
休み時間の始まりと終わりに鳴るんだよ」
▼勝手な想像だが、子ども時代に遊びより勉強が好きだった人は少数派だろう。
わが脳裏にも、休み時間に寸暇を惜しんで校庭へ飛び出した記憶が残る。
それだけに、原発禍で屋外の活動もままならない福島の子らは、つらい1学期だったろうと思う
▼外遊びに欠かせない「サンマ」というのがあるそうだ。
時間、空間、仲間の三つの「間」を言う。
しかし福島っ子は、遊びの空間ばかりか「日常の空間」さえ不安が消えない。
夏休みを迎え、遠地への「疎開」が相次いでいるという
▼福島市内のある小学校では、700人近い全校児童の3人に1人が県外などへ長期間出かけるそうだ。
「夏休みだけでも思いっきり遊ばせてやりたい」「一回り大きくなって帰って来てくれたら」。
長い不在は親御さんたちにも試練だろう
▼夏のあいだ福島の子らを受け入れる各地のプログラムは、軒並み満員という。
だが様々な事情で行けない子もいよう。
五感全開の夏休みを窮屈に過ごす姿を思えば、この国の大人として申し訳がない
▼〈人間だって/つらい事があっても/根をはり むねをはり/もっともっと強くなろう/麦のように〉。
福島の児童詩誌「青い窓」の最新号に見つけた小4の一節に胸を突かれる。
それぞれの子に、夏の実りの多かれと願う。
校庭が放射能で汚染されているのではたまらない。原発は結局は安いようで高くついている。
そして大変に危険な存在である。
ノルウェーの連続テロ、中国高速鉄道の衝突事故だ。
列車事故も悲惨だが、テロほどの意外性はない
平成23年7月26日の天声人語よりの引用
日本の新聞は「愛国的」で、海外の事件事故をトップ級で伝えることは少ない。
先週末、それが珍しく続いた。
ノルウェーの連続テロ、中国高速鉄道の衝突事故だ。
一報に接した印象は前者は「まさか」、後者は「やっぱり」だった
▼乱射と爆破で約80人を殺害した容疑者の男(32)は、イスラム教に敵意を燃やす極右だという。
ゆがんだ憎悪は、移民に寛容な現政権に向けられた。
平和が薫る国での暴発は不気味だ
▼列車事故も悲惨だが、テロほどの意外性はない。
ざっくり言えば、メンツで急いだ高速化のツケ。
発展の順序を踏まない、国家による「スピード違反」である。
雷神の気まぐれで脱線するような代物に、人民を乗せてはいけない
▼半世紀で新幹線網を整えた日本に対し、中国はその4倍を数年で敷いた。
内外の技術を足し合わせる突貫工事がたたって、自慢の北京―上海間も故障続きという。
「日本の技術を盗んでいないことが証明された」。
自嘲と怒りがネット上にあふれる
▼当局は現場検証もそこそこに、運転を再開させた。
原因究明の鍵とおぼしき先頭車両は、運転席ごと埋めてしまった。
汚職も絡み、強権体制の下で命を惜しむのは河清をまつがごとし。
日本に生まれた幸運を思う
▼無論、弱い政権で助かったという意味ではない。
福島の原発事故が世界に急報された時、技術力を知る親日家の反応は「まさか」、脱原発派は「やはり」だった。
両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。
中国の高速鉄道事故は起きるべくして起きている。事故原因も調べずに大変粗雑な処理をしている。
国民が怒るのも当然のことである。
人命は羽毛よりも軽い国のようである。一言で言うならば大変荒っぽい始末の仕方である。
世界一の余韻の中で、響きも懐かしい「なでしこフィーバー」が続いている
平成23年7月27日の天声人語よりの引用
なでしこが銀で終わっていたらと、記憶を「残り3分」に巻き戻す。
沢さんの一撃が、岩清水さんの捨て身の守備がなければ1点差に泣いたと思う。
PK戦には、佐々木監督の笑顔や海堀さんの冷静さが必要だった。
どれを欠いても、今とは違う日本があった
▼世界一の余韻の中で、響きも懐かしい「なでしこフィーバー」が続いている。
代表選手は飾らぬ笑顔をテレビにさらし、親類や恩師、行きつけの飲食店が「知られざる素顔」を明かす。
時の人である
▼勝者を戒める言葉は多いが、彼女たちは心配なかろう。
女性がサッカーを仕事にできる世の中こそがゴールで、国際試合での活躍はその手段と、皆が考えているらしい。
喜ぶのはまだ早い、と
▼幸い、国内リーグは大入りで再開された。
沢さんら7人を代表に送るINAC(アイナック)(神戸)のホームは、空前の1万8千人で埋まった。
ピッチ上のやりとりが声援にかき消される夢体験も、金(きん)ゆえだ
▼今度は団体初の国民栄誉賞だという。
「社会に明るい希望を与えていただいた」と官房長官。
本来政府がすべきことをしてもらった、と聞こえる。
政治利用の批判もあろうが、幸か不幸か、首相の不人気は賞でどうにかなる水準ではない
▼社会が沸き、政治が追い、経済が動く。
朝から元気をもらったお返しに、女子サッカーに幸あれと願う向きは多いだろう。
その中から、試合に足を運び、娘にボールを蹴らせる人がどれほど出るか。
「フランクフルトの奇跡」は、そこで評価が定まる。
戦時中よく「大和なでしこ」と女性を指して言われていたものだが「,なでしこジャパン」は今を感じる。
和牛離れだという
原発事故の放射性物質が稲わらを汚染し
食べた約3千頭が沖縄県以外に流通したためだ
平成23年7月28日の天声人語よりの引用
一枚3千円のすき焼き肉とはどんな味か。
東海林さだおさんが週刊朝日の人気連載で報告したことがある。
割り下と生卵にまみれた一枚を、読者のお怒り覚悟ですすり込む。
「やわらかいというより、モチモチしている……そしてノド越しがいい」。
一頭2千万円の松阪牛だった
▼和牛は高級肉の代名詞。
産地を冠した「○○牛」ともなれば高級感はいや増す。
食感と値段の何割かは地名の功だろう。
片や牛丼店や家庭では、国名のみで語られる輸入肉が活躍する。
内高外低が牛肉の秩序である
▼ところが和牛離れだという。
原発事故の放射性物質が稲わらを汚染し、食べた約3千頭が沖縄県以外に流通したためだ。
こうなると「匿名」の国産牛には手が伸びにくい
▼問題の肉は業界団体が買い上げるか、冷凍保管されるという。
費用は東電に請求する。だが追跡はままならず、消費者の不安は収まりそうにない。
出荷の自粛は広がるわ、値は下がるわで、畜産農家は泣くばかり。
傷ついたブランドもある
▼放射線の害毒はつかみどころがない。
内閣府の食品安全委は「悪影響が出るのは生涯累積で100ミリシーベルト以上」とするが、以下なら安全という意味でもないらしい。
そもそも日々の被曝(ひばく)量を知るすべがない
▼「直ちに影響せず」と言われても、幼子の将来にわずかでも影が差すのは忍びない。
そんな親心は、政府の説明より漠たる不安に従い、国産から輸入、牛から豚へとさまよう。
この巻き添え被害、風評と括(くく)るには重い。
放射能汚染はむぎわらを通じて それを食べた牛に汚染が移る様で食べた牛の牛肉を食べると健康被害を起す。
汚染しているかどうかは目で見ても判別がつかない。
被曝計器で測定しないとわからない。食べた後も直ぐには症状が現れないから性質が悪い。
見た目ばかりか、多くの夏野菜には体を内側から冷やす力が宿るという
平成23年7月29日の天声人語よりの引用
近所の図書館へと続く道、ブロック塀に据えたプランターに小ぶりのナスが実っていた。
艶(つや)やかな紫紺の肌は、夏空を映して涼しげだ。
見た目ばかりか、多くの夏野菜には体を内側から冷やす力が宿るという
▼変化に富んだ国土はありがたく、津々浦々、夏には夏の郷土料理がある。
山形の「だし」もその一つだ。
キュウリにナス、ミョウガ、大葉、昆布あたりを細かく刻み、しょうゆなどで和(あ)えて飯や豆腐にかける。
料理というより生ふりかけか
▼もともとは農繁期の簡便なおかずで、家庭ごと味が違うらしい。
山形県出身の児童文学者、国分一太郎は「食べると、トントンと刻んでいる祖母や母を思い、故郷にへその緒がつながっている思いになる」と書いている
▼自分で作ろうかとも思ったが、銀座の「おいしい山形プラザ」で出来合いを求め、夕食のご飯にまぶした。
やや濃いめの味つけながら、かむほどに夏の香が弾(はじ)け、食欲がわく。
おなかもひんやりした
▼〈水桶(みずおけ)にうなづきあふや瓜茄子(うりなすび)〉蕪村。
初会での意気投合を、戯れる野菜に例えた句だという。
由来はともかく、涼感あふれる暑中の一景が目に浮かぶ。
井戸水だろうか、放り込まれた冷水の中、ぷかぷかと挨拶(あいさつ)を交わす緑と紫が鮮やかだ
▼節電が季語の格をまとうこの夏、私たちに求められるのは、野菜ひとつに涼しさを覚える感性かもしれない。
何代か前までの日本人に、あまねく備わっていた技である。
網戸、泉、打ち水。
探せば、五十音のそれぞれに涼が潜む。
よく冷やした西瓜は大変うまくて夏の一番の庶民の食べ物である。夏には野菜はよくとれるものである。
50年前のきょう、映画「モスラ」が公開された
核実験で死んだ南海の孤島
平穏を奪われた原住民の恨みを、島の守護神モスラが晴らす
平成23年7月30日天声人語よりの引用
美と醜、そして明と暗。
同じ仲間なのに、蝶(ちょう)と蛾(が)の印象には天地の差がある。
蛾を気の毒がるのも思い上がりだろう。
蝶のように捕獲されず、疎まれるだけの身は幸せかもしれない。
地味な昆虫にも一つ、華々しい過去がある
▼50年前のきょう、映画「モスラ」が公開された。
核実験で死んだ南海の孤島。
平穏を奪われた原住民の恨みを、島の守護神モスラが晴らす。
蛾の姿をした「良い怪獣」が初めてなら、少数民族を絡めた物語も異色だった
▼東宝の依頼で原作を練ったのは、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の文学者3人。
「栄冠は君に輝く」の古関裕而(ゆうじ)が音楽を担当した。
主人公の新聞記者をフランキー堺が演じたほか、香川京子、上原謙、志村喬と俳優も豪華版だ
▼モスラを呼べる双子の小妖精(ザ・ピーナッツ)は島からさらわれ、東京で見せ物になる。
白人興行師は口上で、現代の神秘と幻想を訴えた。
「今は原子力の時代になりました。でも……」
▼怪獣映画の祖「ゴジラ」は、核の恐怖がモチーフだった。
米の水爆実験で日本漁船が被曝(ひばく)した年である。
以来、モスラが銀幕を舞うまでの7年間に、原子力の平和利用が喧伝(けんでん)された。
作中、妖精のテレパシーを遮る覆いも「原子炉に使う合成物質」だ
▼広島と長崎、第五福竜丸の経験ゆえに、平和利用は甘く響いた。
新聞は「原子の火」をはやし、反核運動も安全神話に切り込まない。
かくて半世紀が過ぎた。
福島への原発誘致が決まったのは、まさにモスラの年である。
ゴジラ対モスラ(動画) 意味不明だが音楽は軽快
7月の言葉から
平成23年7月31天声人語よりの引用
夕立の雨脚は白く光り、古来「銀の竹」や「銀の矢」に見立てられてきた。
梅雨明けの炎暑から一転し、雷鳴に驚き、豪雨への警戒が続く7月の言葉から
▼転校などで野球部員が減った福島県の3高校が「相双連合」チームを組んで県大会に出た。
初戦で1―8と敗れたが最後に得点して一矢を報いた。
服部芳裕監督(52)は「この先、苦しいことが待っているかもしれない。
でも、お前らはできる。
最後の1点がそれを証明した」
▼歌舞伎の中村吉右衛門さん(67)が人間国宝に。
歳(とし)を重ね、精神が充実すれば体は衰える。
そんな矛盾に抗(あらが)い、「80歳で本公演の25日間、勧進帳の弁慶を務めるのが夢。
常に上を向き、高みを目指さねば落ちていく」。
その夢は歌舞伎ファンの夢でもある
▼困ったときは玄関に掲げて、と宮城県登米市の佐沼警察署が仮設住宅のお年寄りに手作りの黄色い旗を配った。
「幸せの黄色いハンカチではないが、心の支えになりたい」と三宅直希・地域課長が言う
▼東大を退職した社会学者上野千鶴子さんが特別(最終)講義。
「超高齢化社会が来てよかったと思っている。
かつて強者であった人も、最後には誰かに支えてもらわないと自分の生を全うできない。
強者も、自分が弱者になる可能性を想像しなければならない社会だから」
▼「しょう来、がんになりませんように」。
七夕の短冊に福島の小2女児が書いた願いに胸が痛む。
金銀砂子(すなご)の星々には、明るい願いこそ似合う。
安らぐ日々が早く戻りますよう。
「フエルメールからのラブレータ−」の展覧会を観る
日曜美術館を毎週日曜日午前9時からの放送をいつも楽しみに観ている。NHKの日曜美術館はただ見ていて楽しかったらよいと思いながら
ずーと見続けている。何の理屈も無くただ見ていて楽しい気持ちになればよいとして見る習慣になっている。。
絵画には何の理屈や理論もいらない。楽しければ良いとして観ている。
今回京都市立美術館で「フェルメールからのラブレター」と題しての展覧会で美術館に足を運んだ。
大勢の見物者が訪れ落ち着いて見られない。解説の文章は読まずに作品ばかり見ていて沢山な作品があるものだと
始めは題名から全部がフェルメールだけの作品ばかりだと思い途中からこれは少しおかしいことに気ずいてきた。
全世界にわずか30数点しか残されていないフェルメール作品の中から「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使」の一挙3作品が展示するとしていて
最後の部屋の少し薄暗い中に展示してある3作品だけがフェルメールが描いたものだった。
近ずいて観られないよう,作品の下に70-80cm位の二重になった台の様なものが半円形に置かれている。
3つの作品は確かに手紙にちなんだ作品で気品と優雅 優しさ 落ち着きを与えてくれる作品でこれを見るだけでも満足した。
どの作品もそんなに大きな作品でない。小さい作品でも大きな感動を与えくれるものである。
最近になって大きい作品を見る機会が多く,小さな作品の評価が少ない時代のようだった。
ただ大きければよいものとは言えない。それに一時は抽象画全盛時代だったが,やはり古くからの描き方のものでも良いものは良いということである。
3作品まては沢山な「人々のコミュニケーション」をモチーフとしたオランダ黄金期の画家達の作品が多数展示されていた。
ユ−モアのある作品もあって楽しく見ることができた。
会場の中ごろには,休憩する為にちょつとした広場があり大きなテレビ画面に作品の解説をしていて三回位繰り返し見た。
「手紙を読む青衣の女」は、来日直前にオランダで修復作業が行われたばかりで、蘇った"フェルメール・ブルー"を見ることができた。
今回の京都展が、修復後世界初公開のようである。
17世紀オランダ絵画には手紙を中心に,家族や恋人たちの語らいが数多く見られた。
フェルメール,ピーテル・デ・ホーホ,ヘラルト・テル・ボルヒといったオランダ黄金時代を代表する画家たちの家族の絆や対話を作品したものも見られた。
大文字送り火
大文字焼きは子供の頃には近くの疎水の橋の上から遙か遠くに大文字 左大文字 妙法 鳥居 舟形の全部が見られた。
現在は高層ビルが建っているので多分見ることが出来ないと思う。
数年前に大文字を見るため,夕方頃より白河通りまで出かけて大文字だけを大勢の人たちの頭越しに見た。
近くなので火床の点々が距離があり思ったほどに面白くなかった。
今年はたまたまに京都テレビの中継を見ることができた。加藤登紀子の座談と歌で楽しく見ることが出来た。
さて大文字の五山とは何処になるのか其の云われがどようなものか,殆んど正確な知識を知らないのでインタ−ネットより調べてみた。
-以下インタ−ネットよりの引用-
五山送り火(ござんのおくりび)は、毎年8月16日に京都市にある如意ヶ岳(大文字山)などで行われるかがり火。
宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。
京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事・伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。
毎年8月16日に
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。
山名は鳥居形を除き国土地理院地形図の表記に従うが、他説も併記する。
鳥居形の所在する山については、地形図に山名の記載がないため、京都市観光協会・大文字五山保存会連合会の挙げる呼称を併記する。
もともとは一帯の山塊を「如意ヶ岳」と呼んでいたが、現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、
最高点である主峰(472m)を「如意ヶ岳」と呼ぶ。
特に「左大文字」と区別するときは「右大文字」・「右の大文字」ともいう。
大の字の中央には大師堂と呼ばれる、弘法大師を祀った小さなお堂がある。
地元浄土寺では、大の字は人の形を表し、人間の75の煩悩を燃やし尽くすといった意味があるとの言い伝えがある。
嘉永6年(1853年)に記された文献が残っているが、それ以前のものは浄土寺村での大火で焼失してしまい、詳しい成り立ちは不明であるが、
地元では弘法大師起源説(後述)が支持されていると言う
五山の中では、一般の人間が原則として自由に登れる唯一の山である。登り口は、送り火の時にも使われる銀閣寺の北側からのものが主ルート。
大文字山(如意ヶ岳)の地元地域の人には、他山との違いと尊称の意味も含めて、古くから山そのものを「大文字さん」と呼ぶ人が多い。
火床は、木を組んで土台を造り、松明をその上に突き立てる。
この方法は「鳥居形」を除いた他山でも用いられている。
送り火が中止されていた第二次世界大戦中、代わりに早朝に白いシャツを着た市民(地元の第三錦林小学校の児童ら)が山に登り、
人文字で「大」を描いた。また、日清戦争戦勝時には「祝平和」の文字が灯されたほか、日露戦争にちなんで点火されたこともある。
二山二字であるが、一山一字として扱われる。
涌泉寺の寺伝によると、徳治2年(1307年)、松ヶ崎の村民が日蓮宗に改宗したとき、日像が西山に「妙」の字を書き、
下鴨大妙寺の日良が東山に「法」の字を書いたという
「妙」の字付近は、近くに京都市水道局松ヶ崎浄水場の配水池があるため、一般人は立ち入り禁止になっている
「法」では火床の担当を町ごとに順繰りで交替するが、「妙」では家ごとに担当の火床が決まっている。
うち2基は浄水場の職員が担当する
船の形は、承和14年(847年)、唐からの帰路に暴風雨にあった、西方寺の開祖・慈覚大師円仁が「南無阿弥陀仏」と名号を唱えたところ
無事到着できたという故事にちなむという。
1960年(昭和35年)に、火床の数を10増やした。
松ヤニが入った松を使うため、火の色が他山とは少し違いオレンジに近い色になっている。
火床は、他山と違い、木を組むのではなく、松明をそのまま突き立てる。親火床から松明を持って各火床に走るので「火が走る」とも称される。
山に画かれた字跡に点火する行為の起源については、平安時代とも江戸時代とも言われているが、公式な記録が存在するわけではない。
場所と行為を具体的に特定した史料が登場するのは近世に入ってからである。
『雍州府志』によると、盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、
江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っており、大文字、妙法、舟形、加えて所々の山、原野で火を点けていた。
江戸時代前期以降、京都の文化や地理を記した書籍が好んで発刊されるようになった。これらでは送り火についても取り上げている。
これより前の時期、京都における民間の習俗について触れた史料は乏しく、そのため、送り火については江戸時代以降の史料を中心に見るより他ない。
近い時期に発刊された史料であるにも関わらず、大文字の起源・筆者については史料ごとに差が見受けられる。説の初出順、発刊年順に列記する。
筆者について、史料上の初出は『洛陽名所集』の青蓮院門主説であるが、三藐院説、弘法大師説と続き、横川景三説が登場するまで18年の年差しかなく、
発刊時期の近い史料に多くの説が混在している。
『雍州府志』では、誰々が画いたという俗説が多く存在していることについて、謬伝(誤って広まった噂話)ではないかとしている。
現代では五山で行われているが、近代には他山でも行われていたとされる。
以前は点火していたとされる送り火
このうち、「竹の先に鈴」の点火地については、明治20年代の日出新聞(現在の京都新聞)の記事では、左京区静原、
あるいは、左京区一乗寺としており、候補地が一定でない。
これらの送り火がいつ頃消滅したのかはっきりとしていないが、明治時代から昭和初期頃にかけて徐々に数を減らし、
現在の五山に減少した後に、五山送り火という呼称が定着した。
京都では上記の通り宗教行事からのいわれで「大文字五山送り火」というのが正式である(京都市観光協会などのHPによる)。
一般的に、代々の京都在住者・出身者は「送り火」という表現を使うし、あるいは単に「大文字」「大文字さん」と言うが、
マスコミを含め「大文字焼き」と誤って表現されることがしばしばある。これは、奈良高円山など他所で行われる大文字焼きと混同されたものと思われる。
京都の人々は「大文字焼き」という表現を嫌悪するのが通常である。なお、「昔は大文字焼きと呼ぶ人の方が多かった」と述べている書籍もある。
さらに、「大文字山焼き」と称されることもあるが、「山焼き」は、新芽を出させるために山腹の広い範囲を焼くことであって全く異なる。
京都府は1872年(明治5年)に文明の進歩を妨げるとして「盂蘭盆会ト称シ精霊祭等停止ノ事」を布達した。
「送リ火ト号シテ無用之火ヲ流」行為として、送り火も規制の対象となる習俗に含まれていた。
これにより、送り火をはじめとする盂蘭盆会と関わる行事が一時的に停止された。この処分は1883年(明治16年)に取り消されるまで続いた
戦時中の1943年から1945年まで灯火管制などの理由から送り火が中止された