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8月について
8月は真夏で毎日が暑い日が続く。例年のように蝉の鳴き声は激しい。何時頃から鳴き始めるのか確かなことは判っていない。
一日のうちで何時から鳴き、何時に鳴き終わっているのかも確かめていない。
気がついたら鳴いており,いつの間にか鳴り止んでいる。真夏の実感は蝉の声にあるようだ
子供達は夏休みだが,あまり子供達の姿は近所に見かけない。少子化のせいだろうか。
全国高校野球の京都の代表が平安高校になったので期待はしていたが全国大会の初戦で敗退している。
平安高校も龍谷大学平安と名前が変わっている。宇治高校も同様,立命館宇治と名前が変わり
平安と宇治が京都予選での決勝戦で対戦した。それを観ていて,今年の平安はバンドが上手いのでかなりの所まで進むかと
期待していたが緒戦で敗退してしまった。此れも判らない勝負の世界の事だから仕方ないことだ。
プロ野球よりも遙かに真剣に戦っている姿は何時見ても清清しい気持ちになれる。
だがプロの相撲に至っては,勝負が売買されていることが判ると興味も半減してしまった。
国技の名称をはずし純粋の興行としての相撲にすれば,誰もがある程度納得して観ることもできるだろう。
真剣勝負での東日本地震の復旧 復興は遅々として進まない。
一旦汚染されたものに除染と言うものの他の何処かに汚染された部分が移動するだけではないかと考えている。
放射能はただ拡散し広がり薄められるだけのことではないか、時間が経たないと放射能は減衰することは無いものと理解している。
何かで中和し放射能を減弱させることができるものでもあるのだろうか。?
平和的に利用したとしても放射能はやはり放射能である。原爆 水爆と同様人類に危害を与えるものではないのか。
原爆・より強力な水爆による戦争が勃発して.第二次大戦のようにトコトンに戦い抜:けば,地球は完全に汚染され人類は住めなくなってしまう。
地球上で人類はもちろんのこと全ての生物は滅亡に至るものだろうと想像している。
是非原発に頼らない世界になってほしいものである。一方原発大国のフランスでも原発の廃棄物事故が報道されている。
大国に対抗する為原子爆弾を北朝鮮 イラン などは持ちたがっている。
原子爆弾の発明は人類にとり最大の罪悪だったと考えている。
アメリカは終戦間際の日本に対して原爆投下によって日米両国で大勢の人間が死ぬであろう所を予防できたと言い,
米ソ対立した時には核は戦争の抑止力があるものだと,正当化していた。,さらに原子力の平和的利用として原発を作り出した。
だが原発も原子爆弾同様に人類にとつて大変恐ろしい存在であることが判ってきた。
地球に一度放射能がばらばら撒かれてしまうと,放射能消失に何十年 何百年もの年数かかるようでは,人はそのようなものを扱わない方が良い。
国民誰もがそのように思っていても,政治家達と一部の企業家だけの思惑でもって利用しようとされている国が世界で多くある。
放射能が漏れれば一国だけの問題で済むものでもなく,世界中に迷惑がかかることである。
放射能は国境で,ストップしてくれる代物ではない,世界中がその事に目覚め全面的な:原子力廃棄の方向に進めるべきである。
地震 津波 台風 ハリケ−ン,土砂災害などの自然の猛威に振り回されている時代なのに
何も好んで人間がわざわざ制御できない災害をもたらすであろうものを扱う必要性は何もない。
日本の政界では政権交代があり菅首相から野田首相に代わっている。
不人気な菅首相が熱心に政治されていても現在の政権交代は当然のことである。
とじょう内閣だと野田首相はいわれているが,心配なのは野田首相自身のメタボ体格てタバコをよく吸うような情報があって,
首相の健康が一番心配だ。
小宮山厚生大臣が徐々にタバコを値上げして,国民の健康を配慮し700円までに値上げすると発言されているが
タバコ吸いの大臣連からクレームがついて 個人的な見解だと修正されるが,その必要性はいらない事であると内科の医師たちは考えていると思う。
タバコと癌の関係 動脈硬化との関係は日本でも古くから40年-50年前から言われ出されており,現在では医師の常識となって来ている。
アメリカでは喫煙人口が減ってきて肺癌などの減少に成功しつつある。一方の日本では未だに増加の一途をたどっている。
だからアメリカでは売れないタバコを東南アジアに輸出し,日本ては関税も撤廃して安く輸入できるようになって来た。
有名人でヘビースモかーの人たちが短命で人生を終わっている人たちが多く見かける
多分タバコの恐ろしさを知らない結果で,知ったとしても重篤なタバコ依存症に罹ってしまえば止められなかったと考える。
一箱1000円でも良いのではないのかと禁煙学会では指摘しているようたが。
さらに一層の事,タバコを発売禁止にしても良いとまでも思っている。百害あって一利なしである。
明らかに身体に害あるものを売るのは原発同様に大変性質の悪い政治が行われている。
今の状態が続くならば野田首相は短命か.少なくとも長寿はむつかしいと考える。
頑張ってもう少し体重を減らし,タバコは一切吸わないよう努力してください。
小宮山厚生大臣の発言されていることが全く正しいことです。(野田内閣)
発足当初で支持率は高いが次第に落ちてゆくのが今までの内閣の例である。
短命にならないよう体重の減量とタバコを是非止める方向に推進するように政府としても努力してください。
穏かな人柄がよく伝わってくる。もう少し景気を良くしてからの増税が本来の常識のように思われる。
師とする細川 護熙氏に師事され、小沢氏からの離脱は懸命な選択肢だと判断しています。
核爆弾が炸裂した瞬間(動画)
:原爆被災記録映画(動画)
平成23年8月15日終戦記念日(動画)
NO MORE HIROSHIMA(動画)
新潟と福島の記録的な豪雨では、40万もの人に避難指示や勧告が出た
平成23年8月1日の天声人語よりの引用
競争相手のことを言う「ライバル」の語源がラテン語の「小川(rivus)」なのはよく知られる。
元は「川の水をめぐって争う者」の意味という。
古来、水がいかに貴重だったかの証しだろう
▼恵みの雨は慈雨とも喜雨とも呼ばれる。
だが天は往々に加減を失する。
〈時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王(はちだいりゅうおう)雨やめたまへ〉。
大雨の被害が相次いだ建暦(けんりゃく)元年(1211年)夏、鎌倉幕府の若き将軍源実朝(さねとも)が仏に祈ってしたためた一首だ。
そして、800年を経た今年も災いは繰り返された
▼新潟と福島の記録的な豪雨では、40万もの人に避難指示や勧告が出た。
川は濁流となって猛(たけ)り、亡くなった人もいる。
予報技術は進んだが、人の意が天に及ばないのは昔と変わらない
▼日本の水はゆたかで、世界平均の倍の雨が降る。
しかし、その多くが梅雨や台風でもたらされるのが泣きどころだ。
夏出水(でみず)、秋出水と季語にも言う。
いわば水害と背中合わせの「ゆたかさ」であり、毎年どこかで痛手をこうむる
▼片や世界に目を向ければ、深刻な干ばつの大地がある。
アフリカのソマリアでは370万人が飢餓状態だと記事にあった。
小さく細る子が痛々しい。
夕立の雲をあげたいものだが、縄で縛って連れても行けない
▼実朝の歌中の八大龍王は水や雨をつかさどる神を言う。
温暖化する地球はいま、強い雨がより狭い地域で降る一方、降らない地域が広がる傾向にあるそうだ。
気候変動にも思いをはせたい、きょうは「水の日」である。
福島というと地震・津波・放射能被爆と何重にも被害に合われている。さらに豪雨による被害があるとすると
大変に気の毒なことである。紀伊半島でも豪雨で大きな被害がもたらされている。
現在も進行中で人工ダムが決壊して下流に大きな被害をもたらすと予想されている。住民の避難以外に対処の仕方がなさそうだ。
世界では旱魃で苦しんでいる所もあるようで,神は自然は無慈悲である。
高速列車が脱線転落して10日、
中国政府は東西の格言に挑むかの性急さで、
事故を終わった話にしたいらしい
平成23年8月2日の天声人語よりの引用
欧州では「ゆっくり行く者が遠くまで行く」と言うそうだ。
わが方は「急(せ)いては事を仕損ずる」である。
高速列車が脱線転落して10日、中国政府は東西の格言に挑むかの性急さで、事故を終わった話にしたいらしい
▼たちまち運転が再開され、原因究明はおぼつかない。
遺族は平均年収の30倍という賠償金を示され、国内メディアは独自の報道や評論を禁じられた。
国家事業の高速鉄道を、長々と滞らせぬ決意とみえる。
国策という巨岩は、民のしかばねを越えて転がり続ける
▼国外にも累が及ぶ原発をこの調子で造られては困るが、原子力については日本でも、国策の暴走がまさに問われている。
なにしろ監視役の原子力安全・保安院が、原発を推し進める黒衣だったというのだから
▼保安院に頼まれ、電力会社はシンポジウムに社員を動員したり、住民に「模範質問」をさせたりした。
公が手を染めた点で、佐賀県知事が九州電力に促した形の「やらせメール」と同じ罪深さだ
▼そもそも、原発推進の経産省に保安院がぶら下がる構造がおかしい。
アクセルの横に、ブレーキの形をした別のアクセルがある。
そんな欠陥車は、名ばかりのガードレールを突き破るしかなかった
▼かの国のように、世界をあんぐりさせて強権を振り回すだけが国家統制ではない。
安全神話を創作したのは、より洗練された隠微な世論誘導だ。
ブレーキ役になれなかった反省を糧にし、メディアの責任を全うしたい。
皆で原発から「遠くまで行く」ために。
監視役が容認するようでは国民は泣く以外仕方がないだろうか。
この超円高、外国と商う企業は一喜一憂の日々だろう
平成23年8月3日の天声人語よりの引用
ユーロ安が進んだ昨秋、近所の宅配ピザ店が「円高還元」のチラシを配った。
「イタリア直輸入」のトマトソースやチーズに差益が生じたという。
値下げを知らせるついでに本場の味を自慢するあたり、なかなかの宣伝上手だ
▼この超円高、外国と商う企業は一喜一憂の日々だろう。
円高1円につき年に数百億円を失う大企業でなくても、輸出業者は頭を抱える。
他方、海外旅行者はショッピングリストを書き足し、ピザ屋は次なる宣伝を考える
▼円相場は一時、震災直後につけた1ドル=76円25銭の最高値に迫った。
米国債はデフォルト、すなわち国家破産の危機をひとまず抜けたものの、格下げの懸念が消えない。
足元の景気も心もとない
▼震災にもかかわらず円が買われるのは、ドルやユーロとの「弱さ比べ」の結果だという。
日本には千兆円を超す個人金融資産があり、消費税率もまだ低い。
とはいえ、国と地方を合わせた借金は900兆円に近づき、いずれ「自己資金」で賄えなくなる
▼米国では茶会(ティーパーティー)と称する共和党の強硬派が、国債の増発に最後まで抵抗した。
小さな政府を求め、増税にも反対する彼らは、来年の大統領選でひと波乱起こす勢いらしい
▼円高は「国家の信用力」を考える良い機会かもしれない。
震災でかすんだが、わが国の財政改革に残された時間もそうない。
少子化で縮む歳入のピザをどう分け合うか。
茶会的な極論が台頭する前に、増税と歳出減でバランスよく痛みを分け合いたい。
円高はまだまだ日本は世界からの信用度が高いとばかりに喜んではいられない。
輸出産業は大変な打撃で,輸入 海外旅行には良いが此れだけの不況では
どうすることも出来ない状態である
TBS系の人気番組「水戸黄門」が今年いっぱいで終わる
1200余回、42年の「善政」は徳川15代の各将軍にも見劣りしない
平成23年8月4日の天声人語よりの引用
TBS系の人気番組「水戸黄門」が今年いっぱいで終わる。
1200余回、42年の「善政」は徳川15代の各将軍にも見劣りしない。
家斉(いえなり)の50年に次ぐ長期安定である
▼堂々のマンネリズムだった。
黄門一行は旅先で、ひたすら大小の悪を懲らしめる。
何度も見たようなお家騒動、箱入り娘と職人の恋路を、豊かな地域色が補った。
「この紋所が目に入らぬか」以下の大団円は微動だにしない
▼人生楽ありゃ苦もあるさ……。
ボレロ風の主題歌は、処世訓を連ねて視聴者の背中を押す。
お供の女忍者が湯につかる場面など、長寿企画らしいお約束もにぎやかだった。
常連を飽きさせないその味は、例えば老舗の串団子だろうか
▼昨今、3世代がゆるりと楽しめる娯楽は少ない。
東京の声欄に、「小学生も残念」と惜しむ母親の便りがあった。
おじいちゃんと見て育った小6小3の姉弟、かの歌から番組を「人生」と呼んでいたそうだ。
悲報を聞かされ、つぶやいた。
「人生」が終わると
▼5代目黄門、里見浩太朗さんも「後ろからズバッと斬られた思い」と悔しがる。
ご老公を襲うとは不埒(ふらち)千万、視聴率なる曲者に違いない。
かつて40%に達した国民的番組も、10%あたりを漫遊している。
「頭(ず)が高い」の一喝も、水戸市長らの直訴もかなうまい
▼これにて、民放の時代劇はレギュラー番組から姿を消し、再放送のみとなる。
明日が見えない世情だからこそ、先の読めるフィクション、揺るぎなき勧善懲悪の世界が一つ二つほしいのだが。
弱気を助け強気をとっちめる水戸黄門には人気はある。現在の世の中ではそんなに上手く行っているかは疑問だ。
強き人が益々に利権を伸ばして弱気人たちが益々苦しんでいるのが現実ではなかろうか。
それ故に水戸黄門は何時の世でも人気があるのではないのか。
あす始まる夏の高校野球で
初日から3日続けて被災県の代表が登場する
平成23年8月5日の天声人語よりの引用
まずは古里、そしていま住む街。
思い入れのあるチームがいくつかあるから、甲子園は長く楽しめる。
転勤族なら暮らした土地が気になるし、出身大学の系列校もあろう。
今年は肩入れしたい学校がまた増えた
▼あす始まる夏の高校野球で、初日から3日続けて被災県の代表が登場する。
5年連続の聖光学院(福島)は県内61連勝中で、東北初の大旗も夢ではないらしい。
一昨年の菊池雄星(ゆうせい)投手(西武)の印象が鮮烈な花巻東(岩手)、初陣の古川工(宮城)にも大声援が待つ
▼内陸部にある3校は津波の被害こそ免れたが、肉親や家を失った部員もいる。
「沿岸校の思いを胸に勝ち進む」と気負うのも無理はない。
でも、被災地を背負うなんて大仰に考えなくていい
▼地元が大災害に遭った年に甲子園に出る。
それだけで大役である。
何年もの努力が実ったのが、たまたまこの夏だった。
「こっちに来てまで震災震災と言うつもりはない。
戦いに集中させてやりたい」。
聖光学院の監督さんが言う通りだ
▼悲壮感もなく国中を元気づけた「なでしこ」のように、心ゆくまで聖地を楽しんでほしい。
その姿に、被災者も、我々にわか応援団も元気をもらう。
勝手にもらうから、「与えたい」などと力むことはない
▼週刊朝日の増刊号で菊池投手が語っている。
「本当の格好良さや美しさって、全力で生きる、その生きざまに表れると思うんです」。
精いっぱいの走攻守は、浜風に乗せて「へこたれない力」を全国に運ぶ。
それだけでいい。
被災者の地域の高校生も元気で活躍しているようだ。被災者も応援に力がはいることだ。
小松さんは核兵器を憎みながら、科学技術の善用を信じ、
原子力の活用を「人類の大きな挑戦」とみていた
それは、ごく一般的な立ち位置でもあった
3・11までは
平成23年8月6日の天声人語よりの引用
80歳で亡くなった小松左京さんは戦時中、子ども向け雑誌で原子爆弾という新語を知った。
夢物語のはずが、数年して日本に落とされる。
「科学技術の発達はいったい人類をどないすんねんと思った。
それもSFに本格的に取り組む一つの動機でした」と、小紙に語っている
▼近刊『3・11の未来』(作品社)に寄せた絶筆で、その人は書いた。
「私は、まだ人間の知性と日本人の情念を信じたい。
この困難をどのように解決していくのか、もう少し生きていて見届けたい」
▼小松さんは核兵器を憎みながら、科学技術の善用を信じ、原子力の活用を「人類の大きな挑戦」とみていた。
それは、ごく一般的な立ち位置でもあった。3・11までは
▼原爆と原発。
似た音を持つ20世紀の発明は、ともに核分裂の熱を使う。
一つは人殺しに、一つは発電に。
しかし放射線は善悪を弁(わきま)えない。
この猛獣を地震国で飼いならすのは難しいというのが、福島の教訓だ
▼広島と長崎での追跡調査は、被曝(ひばく)には「これ以下なら安全」という量はないと教えている。
国会で説明した児玉龍彦・東大教授によれば、福島からは広島原爆20個分(ウラン換算)の放射性物質が飛散した。
残存量もはるかに多く、影響の広さ、長さは知れない
▼〈原発は悪いものだと言ってません怖いものだと言ってるのです〉田口二千陸(ふじろく)。
今、私たちが肌で感じる恐怖や不快を思えば、平和利用の恵みも色あせる。
脱原発の試みは科学の敗北というより、被爆国の理性と考えたい。
原爆も原発も元は同じで人間に猛威を振るい人々に危害を与えることには変わりはない。
変なものを発明したものかと嘆く。
シュバイツァ- アインシュタイン 湯川秀樹達の良心的な科学者は悔い,原爆に反対し平和運動に終生をかけ訴えてこられた。
日本の夏に欠かせない蝉しぐれが、ようやく東京でも佳境に入ってきた
今年は梅雨が明けても音無しだった
平成23年8月7日の天声人語よりの引用
ヨーロッパの北部では蝉(せみ)が珍しく、鳴き声を知らない人も多いそうだ。
だからイソップ物語の「アリとセミ」も、かの地では「アリとキリギリス」に役者が変わる。
かつてドイツから来日した人が、蝉の鳴きしきる木立を見て「あの鳴く木がほしい」と言った。
そんな話も聞いたことがある
▼日本の夏に欠かせない蝉しぐれが、ようやく東京でも佳境に入ってきた。
今年は梅雨が明けても音無しだった。
各地で遅れ気味だったらしく、地震や放射能の影響を案じる声がネットにあふれていた
▼加えて関東や東北は、いっときの猛暑から一転、梅雨寒のような日が続いた。
節電には良かったが、赫々(かっかく)たる太陽も蝉の声もなしではどこか寂しい。
〈蝉鳴いてなにやらホッとする異常〉。
川柳欄の一句に同感の方は多かろう
▼虫ざんまいの夏休みを懐かしむ元少年もおられようか。
虫にも序列があって、東海地方のわが故郷では蝉ならクマゼミが第一だった。
アブラゼミを佃煮(つくだに)にするほど捕っても、クマ一匹の栄光に遠く及ばなかった
▼希少なのは生息の北限に近かったからだろうが、近年は異変が起きている。
北へ北へと勢力を広げて、北海道で見つかった報告もあるそうだ。
温暖化の影響とも、他の要因とも言われる。
クマゼミは何に反応しているのだろう
▼近くの公園を歩くと蝉の穴がぽこぽこと空いている。
幾年も地下にもぐって忍の一字、やっと這(は)い出た短い命の大合唱は、雄が雌を呼ぶ恋の賛歌だ
「いつもの夏」の尊さに気づく。
今年も蝉は喧しく鳴き続けていた。梅雨は短かったが,台風季節の現在,豪雨が猛威を振るっている。
きょうは日本の民俗学の父とされる柳田国男の命日
平成23年8月8日の天声人語よりの引用
きょうは日本の民俗学の父とされる柳田国男の命日。
名高い「遠野物語」に、津波で死んだ妻の霊に、夫が夜の三陸の渚(なぎさ)で出会う話がある。
名を呼ぶと振り返って、にこと笑った。
だが妻は2人連れで、やはり津波で死んだ人と今は夫婦でいると言う
▼「子どもは可愛くはないのか」と問うと、妻は少し顔色を変えて泣いた。
そして足早に立ち去り見えなくなってしまう。
珠玉の短章だが、怪異な伝承に投影された、生身の人間の切なさを思えば胸がつまる
▼柳田は三陸海岸をよく歩きもした。
ある集落では、明治の津波に襲われた夜、助かった人は薪を盛大に焚(た)いたそうだ。
闇に燃える火を目印に、呑(の)まれた海から泳ぎ着いた者が何人もいたなどと、見聞きした話を別の著作に書き留めている
▼時は流れて、平成の大津波の犠牲者にはこの夏が新盆となる。
救援の火ならぬ、霊を迎える火が方々で焚かれよう。
門火(かどび)、精霊流し、茄子(なす)の牛。
帰省しての一族再会。
迎え火から送り火までの数日は、日本人の情念が最も深まるときだ
▼人の生も、人の死も、自然や共同体という、人を包んでくれる世界の中でこそ完結する。
しかし近年はそれを壊し、つながりを断ち切る方向にアクセルを踏んできた。
その功と罪を、震災後の夏はあらためて問いかけてくる
▼「遠野物語」に戻れば、妻の霊を見失って帰った夫はその後久しく煩(わずら)った、と一話は結ばれる。
時代は移っても、人の心は変わらない。
かなしさの中に、汲(く)むべきものが見えている。
時代は移っても、人の心は変わらないは本心だが表面的には欧米化の考えが浸透して
東洋的な考えは薄らいできているように思う。
自然の力に対して人間がかなわないことは今も昔も変わっていない。
中国で、日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、
建立からわずか10日余りで撤去されたという
碑は黒竜江省方正県政府が、
日中友好のために建てた
平成23年8月9日の天声人語よりの引用
きのうに続いて柳田国男の話になるが、著作を読んでいて次の一節に立ち止まり、傍線を引いた。
「歴史にもやはり烏賊(いか)のなま干(び)、又(また)は鰹(かつお)のなまり節のような階段が有るように感じられた」(「雪国の春」)
▼つまりスルメや鰹節のように乾ききっていない。
歳月は経たけれど、まだはっきりと過去のものではない――そうした意味だが、先ごろの国際面の記事にこのくだりが重なり合った。
中国で、日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、建立からわずか10日余りで撤去されたという
▼碑は黒竜江省方正県政府が、日中友好のために建てた。
中国外務省の承認も得ていたが、「なぜ侵略者の慰霊碑を建てるのか」と、ネットなどで批判が起きた。
親日的な土地柄の方正県は、きびしい批判に萎縮気味だという
▼日本軍が中国東北部へ侵攻した満州事変から今年で80年、終戦からは66年がたつ。
しかし歴史は、鰹節にもなまり節にもならず、切れば血が出る姿で今も横たわる。
「過激な反日」で片づけるわけにもいかない実情の一面だろう
▼柳田の一節は、明治の三陸大津波から20余年後に現地を訪ねた感慨だった。
「一人々々の不幸を度外に置けば、疵(きず)は既に全く癒えて居る」とも述べている。
表向きの復興を一皮むけば個々の涙が流れている。
それは天災も戦災も変わるまい
▼まばゆい戦後の繁栄を経てなお、戦争を過去のものにできない人は多い。
無論日本人ばかりではない。
国境を越えてゆく想像力を培いたい、追悼と鎮魂の8月だ。
慰霊碑を壊されたことだが,大変微妙な事件で相手側の立場に立てば侵略者の一部とも感じていた可能性がある。
其の人たちの碑を建てられたとすれば嫌な思いでもあり壊した可能性もあると思う。
全てが被害者で二度と同じ道を通らないことが一番大切なことだ。
だが喜びの収穫を前に、東日本の稲作農家の不安は募る。
平成23年8月10日の天声人語よりの引用
横浜にある「あすか」という俳句結社から以前、稲作にまつわる季語ばかり集めた一冊を頂戴(ちょうだい)した。
ずいぶんと多い。
春の「種選び」に始まり、夏の「田草取り」をへて実りの秋の「稲干す」など、あれやこれやで200におよぶ。
稲作とともにあった日本の歴史を言葉の数が物語る
▼その年の初めての稲刈りを「鎌はじめ」と言う。
だが喜びの収穫を前に、東日本の稲作農家の不安は募る。
もし基準以上の放射性物質が検出されれば、手塩にかけた新米は出荷できなくなってしまう
▼「米」の字を分解したとおり、米作りには八十八回、手がかかるという。
しかし丹精込めてなお、人力、人知の及ばないことは多い。
人事を尽くして、あとは太陽、雨、風など天地の恵みにすがるほかない
▼そこへ放射能という人災である。
5月の小欄で、被災地で辛うじて難をのがれた田んぼの植え付けを書いた。
「青々と育ち、やがて黄金に波打つ稲は、きっと人々を励ますことだろう」と。
負けない努力が落胆に終わっては、心底やりきれない
▼「瑞穂(みずほ)の国」とは稲がゆたかに実る国。
日本人にとって米の重みは別格だ。
肉牛、野菜の痛手はもとより大きい。
そのうえ米となれば農業には大打撃となろう
▼きのうは千葉県が、一部の収穫前の調査結果を発表した。
幸いにシロだったものの、緊張はなお続く。
収穫した新米のことを今年米(ことしまい)とも呼ぶ。
〈炊き上げて死者に生者に今年米〉江崎義人。
祈る思いで刈られる稲。
どうか無事であってほしい
お米が放射能に汚染となると深刻だ。原発は多大な被害をもたらしている。
毎年いまごろになるとペルセウス座流星群が夜空を流れる
今年は全国で、明日から14日未明までが見ごろという
平成23年8月11日の天声人語よりの引用
山の高みで仰ぐ星空は素晴らしい。
冴(さ)えざえと豪勢なのは何と言っても冬だが、いかんせん寒い。
心地よく星を数え、長い間眺めていられるのは、夏山だろう。
どこかで堪能してきた方もおられようか
▼文才を知られた昭和初期の名登山家、大島亮吉の短い文を思い起こす。
〈高い尾根の岩蔭(かげ)で寒い山上の晴夜をすごす時、われらはとぼしい偃松(はいまつ)の焚火(たきび)をもって、星と大地に人間存在の象徴を示そう〉。
短文ばかりを集めた中の一節は、高嶺(たかね)の涼気を呼ぶように美しい
▼天空からもメッセージが届く。
毎年いまごろになるとペルセウス座流星群が夜空を流れる。
今年は全国で、明日から14日未明までが見ごろという。
音もなくきらめき、一条の筋を引いて消える光が肉眼で見える。
今年は月が邪魔だが、晴夜の山は最高の場となる
▼ところで宇宙の平均的な暗さはどれほどなのか。
名大と東大が共同で世界初の計測に成功したそうだ。
真っ暗な東京ディズニーランドの敷地にろうそくを3本ともした程度というから、ほぼ漆黒に近い
▼地球から見上げる夜空は、それより千〜1万倍明るいという。
大気そのものが放つ光や、宇宙のちりで拡散された太陽光、天の川銀河の光のためだ。
加えて照明の氾濫(はんらん)がある。
平均的な暗さなら、星々は私たちの目にどう映るのだろう
▼盆休み。
田舎へ帰省して、都会と違う夜の深さに流れ星を探す子もいよう。
〈真砂(まさご)なす数なき星の其(その)中に吾(われ)に向ひて光る星あり〉子規。
星にかける願い事は、さて何を。
残念なこと空を見上げることが少ない生活をしている。
ペルセウス座流星群(動画)
そのタレスだが、古代の五輪を観戦していて、
今でいう熱中症で死んだという説がある。
平成23年8月12日の天声人語よりの引用
古代ギリシャ七賢人の一人タレスといえば、万物の根源は水だと説いた哲学者だ。
そのタレスだが、古代の五輪を観戦していて、今でいう熱中症で死んだという説がある。
後世の詩人の一節も残っているそうだ
▼〈太陽ゼウスよ、昔おん身は、スタディオンより、競技を見物していたる賢者タレースを天上へ連れ去り給いぬ……〉
(野尻抱影〈ほうえい〉『星三百六十五夜』)。
すべては水から生じて水に還(かえ)る。
そのような自然観を語った人が「脱水」で落命したとすれば皮肉である
▼あちらの太陽も暑そうだが、東洋の炎帝も負けていない。
しばらく前の小欄で「赫々(かっかく)たる太陽も蝉(せみ)の声もなしではどこか寂しい」と書いた。
挑発したわけではなかったが全国で猛暑が続く。
この暴君、手加減というものを知らないらしい
▼慣れは恐ろしく、いつしか猛暑日と聞いても驚かなくなってしまった。
だが頭は慣れても、体は温度を正直に受け止める。
油断せず、定石通りの水分補給で身を守りたい。
ふだんは敵視しがちな塩分も適量が欠かせない
▼東京の声欄に梅干しジュースの思い出があった。
梅干しをつぶして砂糖をかけ、冷たい井戸水を注ぐ。
冷蔵庫も扇風機もない時代、炎天下を自転車で来る郵便屋さんに母親が出していたそうだ。
知恵と思いやりで夏をしのいできた
▼賢人タレスは、何が一番難しいかと聞かれて「自分を知ること」と答えたという。
自分は大丈夫という油断は、熱中症の場合も落とし穴らしい。
臆病なぐらいが、ちょうどいい。
大昔から熱中症という概念があったとは知らない。子供の頃によく熱射病と言っていたように記憶する。
地方からの人口流出は今も続き、総務省によれば、
今年3月末の東京、名古屋、関西の三大都市圏の人口は過去最高となった
1億2623万人の51%が居住している
平成23年8月13日の天声人語よりの引用
むろん笑話のたぐいだが、謹厳なイギリス人は夏至を「昼間が一番長い日」と言い、フランス人なら「夜が一番短い日」と言うそうだ。
同じものを見ても感じ方が違う。
先の小欄で通勤電車の苦痛を書いたら、そんなジョークを思い出す便りを頂いた
▼島根県の林秀子さん(63)が住む地方の鉄道は乗客が少ない。
あるとき乗ったら、1両だけの車内は自分ひとり。
途中で2人乗ってきたが、その後は乗り降りもなく、運転士の「よし」「よし」という確認の声だけが寂しく響いていたそうだ
▼「満員電車の皆様からすれば(がら空〈す〉き列車は)贅沢(ぜいたく)な悩み? こちらからすれば満員電車なんて贅沢な悩み?」――。
手紙は過疎と過密の不均衡を簡潔に突いていて、考えさせられた
▼地方からの人口流出は今も続き、総務省によれば、今年3月末の東京、名古屋、関西の三大都市圏の人口は過去最高となった。
1億2623万人の51%が居住している。
片や、39の道府県では人口は減っている
▼今では信じがたいが、明治半ばの人口最多は新潟県だった。
米どころの地力だろう。
だが、その後の工業化で太平洋側の都市が膨らみ続ける。
戦後の66年を歩んでいま、過疎の地の現状はいっそう厳しい
▼「わたしたちは前へ前へと走りすぎました。
(故郷を)振り返ってみるとすばらしいものがあるのに」と手紙は続いていた。
道路や鉄道は「帰りなんいざ」の帰省ラッシュ。
都市と地方が互いに思う「贅沢」を、うまく中和させる妙手はないか。
過疎地は益々過疎化して都会は過密化してくる。宿場町の時には繁盛していたが交通機関が通じてからは過疎化したとは
よく聞く話である。交通機関により人口の動態が変わってきているよだ。
交通と道路 産業によって町の発展の盛衰は変化しているようだ。
66年前のきょう、日本はポツダム宣言受諾を連合国側に伝えた
深夜に録音された終戦の詔書が、翌15日昼、NHKラジオで流される
平成23年8月14日の天声人語よりの引用
作家の田辺聖子さん(83)は、玉音放送を一家で聴いた。
「降伏したみたいなこと、いうてはる」と父。
「フシが、なさけなさそうですなあ」と母が頷(うなず)く。
大人の脱力ぶりに呆(あき)れ、17歳の軍国少女は一人、無念を日記にぶつけた(回想『欲しがりません勝つまでは』)
▼66年前のきょう、日本はポツダム宣言受諾を連合国側に伝えた。
深夜に録音された終戦の詔書が、翌15日昼、NHKラジオで流される。
大衆が初めて聴く陛下の声だった。
漢語の多用と雑音で、すぐには解せぬ人も多かった
▼野坂昭如さん(80)はそれでも、終わったと感じた。
もう空襲はないと思うだけで、体の芯がとろけるような安堵(あんど)を覚えたという。
終戦の日、どこで何を思ったか、百人に百の話があった
▼各人に語るべきものがある大震災も、時代を画す共通体験に違いない。
すべきことが山とあるのは敗戦時と同じだが、私たちに高揚はない。
虚脱の暇(いとま)もない。
津波、原発にとどまらず、日本は複合的な不全の中にある
▼ひと声で動く世でもなし、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、不全の理由を一つずつ取り除いていくほかない。
より生きやすい国を目ざして、まずは荒れ放題の政治と財政から手をつけたい
▼NHK放送博物館の「玉音盤」は窒素ガスの中で眠る。
今に残る音源は、傷む前のレコード盤から占領軍が複製したものだ。
米国は「多くの命を救った放送」に価値を認めた。
生かされた人々は驚異の復興を成し遂げる。もう一度できないはずがない。
終戦の詔勅(動画)
終戦の日のきのう、靖国神社から千鳥ケ淵戦没者墓苑までを歩いた。
平成23年8月16日の天声人語よりの引用
終戦の日のきのう、靖国神社から千鳥ケ淵戦没者墓苑までを歩いた。
炎天下、結構目立つのは若い世代の姿だ。
逆に、戦場を体験した世代とおぼしきご高齢は随分と減っている。
戦後66年。
時はただ、過ぎに過ぎる
▼腰をかがめ、杖に頼る姿は、かつては戦没兵の父母だった。
この日は、近くの日本武道館であった全国戦没者追悼式に、戦没将校の妻馬場宮子さんが97歳の最高齢で参列した。
その「妻」も、20年前は参列者の4割を占めていたのに今年は1%に満たない
▼やはり時の流れだろうか、おとといの朝日歌壇にも戦争詠(えい)は意外に少なかった。
夏八月には毎年、鎮魂、追想の歌が湧くように詠まれて戦後世代の胸も突いたものだ。
詠み手の多くは父母、妻や恋人、きょうだいたちだった
▼たとえば〈出撃のせまりし君が文面にはじめて吾が名呼びすててありき〉井上真樹子。
昭和40年代の歌で、再び帰らなかった人は恋人か許婚者であっただろうと、選者だった近藤芳美氏は記していた。
痛哭(つうこく)、哀切を当事者として語りうる人は減りつつある
▼「人の世の不条理や真(まこと)は、死と涙を強いられた人の心にこそ秘められている」は戦争の傷痕を撮り続ける写真家江成常夫さんの言だ。
東京で開催中の写真展「昭和史のかたち」を見ると、一枚一枚がこの国の過去と現在を突きつけてくる
▼国のために死んだのか。
国のせいで死んだのか。
思いは様々でも、その死を礎(いしずえ)に「今」はある。
風化にあらがう不忘を、不戦とともに胸に畳みたい。
戦争で大勢の人たちが亡くなった。国のために死んだのか 国のせいで死んだのかが解明されていない。
さらには天皇陛下万歳を唱えて死んんでいった人達が大勢いる。戦死者の家族には年金が入るが
空襲で死んだ人たちには何の補償もされていない。天皇の偉大さは明治維新にさかのぼり形成された。
室町時代頃の天皇家の墓は極めて質素で荒れ果てて何処にあるかも明らかでなかった。
明治維新後に国家がくるってきたのではないかと想像する。人により解釈 理解は色々だと思うが。
国のために死んだのか。国のせいで死んだのか。
菅さんはこの辺が潮時だろう
平成23年8月17日の天声人語よりの引用
ゆうべは各地で送り火が焚(た)かれて、ご先祖様はお帰りになった。
瓜(うり)の馬と茄子(なす)の牛には、来るときは馬に乗って少しでも早く、帰りは牛でゆっくり名残を惜しんで、という心遣いがこもる
▼ひるがえって政界である。
「退陣表明」後も茄子の牛に揺られるごとくだった菅首相が、ようやくのお引き取りとなる。
こんな時は永田町の動きは速い。
思惑は入り乱れ、盆休みが明ければ「ポスト菅」一色となろう。
早ければ今月中にも新首相が選ばれる
▼菅さんはこの辺が潮時だろう。
刀折れ矢尽き、燃え尽きるまで行けば本望でも、一国の首相はそうもいかない。
震災に超円高が重なる難局に、首相の退陣時期が最大関心事の政治では、貧相にもほどがある
▼後任選びで先行するのは野田財務相という。
七福神の衣装が似合いそうな野田さんだが、増税論者らしい。
さらに野党との大連立を唱える。
それにはマニフェストの見直しが避けられない。
そして原発。
このあたりの絡み合いが争点となろう
▼大連立を飾る「オールジャパン」のイメージは力強い。
ある目的のために組むという行為は高揚感を呼ぶ。
企業も合併で意気上がる。
三国同盟の興奮も昔あった。
突破力という魔法の杖を得る気になるが、ここは冷静に、マイナス面への思慮も必要だ
▼動き始めた「剛腕」もいる。
こういう時は水を得た魚のようになる、不思議な人である。
復権をかけて瓜の馬ならぬ「勝ち馬」に乗りたいらしい。
見飽きた映像の再放送なら、もう御免だが。
個人的には菅首相は市民運動家からの人物で東日本大震災の事象には丁度良かったかと考える。
最近の政治を見ていると沢山な献金をし何に使うのかと思う。票の買収に使うようならば,一票格差以上に問題がある。
政治運動にはお金がかかるというが其のお金に集って来る取り巻きの政治屋連中を儲けさせ其処に資金が流動していっていると思える。
そのために世の中が益々おかしくなり世の中を暗くしている。政治以前の問題である。
あらゆる政治献金を全て一切に廃止し,政治に情熱ある人たちが輩出し易い環境を作るべきである。
猛暑の夏、「塩入り」の食べ物、飲み物に人々の手が伸びている
熱中症でこれまでに、全国で約3万5千人が救急搬送された
平成23年8月18日の天声人語よりの引用
私見だが「サラリーマン」という言葉はあまり良い意味では使われない。
我々も時折、「近ごろの記者はサラリーマン化したねぇ」などとチクリと刺される。
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ……という流行歌もあった
▼サラリーの語は、ローマ時代の兵士に与えられた「塩を買うための報酬」に由来する。
貴重だったらしく、中世英国では家に塩の貯蔵庫のあることが貴族の自慢だったという。
人は塩なしに生きられない。
そして猛暑の夏、「塩入り」の食べ物、飲み物に人々の手が伸びている
▼熱中症でこれまでに、全国で約3万5千人が救急搬送された。
予防意識の高まりが「塩人気」を生み、ある飲料メーカーの塩サイダーは発売1カ月で年間目標を超えた。
スーパーの棚には各種の塩(しお)飴(あめ)がずらりと並ぶ
▼〈ことごとく死にゆく輩(やから)と思へども死にさうもなき一人二人(ひとりふたり)ゐる〉。
島田修二さんのユーモラスな一首だが、死にそうもない頑健者が病むのを「鬼の霍乱(かくらん)」と言う。
霍乱とは熱中症や食あたりをさすそうだから、暑気は侮れない
▼その暑さも明日あたりから一段落らしい。
列島の天気予報は久々に傘のマークが連なっている。
雨のあと、高い天に刷(は)いたような雲が浮けば、夏と秋がすれ違う「ゆきあいの空」となる
▼とはいえバテが出る頃だけに、盆明けの電車に揺られるサラリーマンも楽ではない。
生身の体をかばいつつ秋を待ちたい。
もうひと辛抱か、ふた辛抱か。
残暑の酷ならざるを、お天道様に願いながら。
日本人は特に外国に比較し塩分の取りすぎが健康に悪いと叫ばれている。どうして塩分を取る必要があるのか。節度がある。
無理はしないで特に老人になると感覚が鈍くなっているので水分の補給は充分にすべきで特に注意が必要である。
誤った宣伝は要注意である。
福島県の子らが東京で、政府の担当者らに思いを伝えた
素朴で切実な訴えへの答えは、
「最大限努力したい」といった紋切り型が目立ったそうだ
平成23年8月19日の天声人語よりの引用
小学生のころ、作家の山田詠美さんは教師を「良い先生」と「悪い先生」に分けていたそうだ。
子どもは大人と同じように悩み苦しみ、大人以上に羞恥心(しゅうちしん)を持っている。
そのことを知っているのが良い先生だったと随筆に書いている
▼教師ではないけれど、この人たちはどちらだろう。
福島県の子らが東京で、政府の担当者らに思いを伝えた。
素朴で切実な訴えへの答えは、「最大限努力したい」といった紋切り型が目立ったそうだ
▼会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。
「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。
来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた
▼福島では、検査をした子の45%に甲状腺の被曝(ひばく)が確認されたという。
専門家は「問題となる値ではない」と説くが、そうであっても心の重荷はつきまとう。
事故以来、この手の言葉の信頼性は暴落している
▼「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と言う。
古めかしいが、親にもらった体を大事にしなさいとの教えだ。
国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう
▼英詩人ワーズワースに「子供は大人の父なり」という一節があった。
俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。
父から教わる必要が、ありはしないか。
「天を恨まずにただ頑張る」との要旨の震災に有った卒業生の答辞には感動した。
震災には大いに人災の部分が有った。
原発の安全性に疑問を叫んだ人たちの声がかき消され「安全神話」が確立したのも電力会社の議員への献金が
大きな災いのもとであることを反省すべきである。利害のある所に献金するとは叉驚きを通り越しあきれる。
隠れた犯罪ではないだろうか。警察 刑事 裁判官が不正をするようではどうにもならない。
朝顔と夕顔を育てたら、酷暑にめげず花を咲かせている
平成23年8月20日の天声人語よりの引用
ゆく夏、朝な夕なに美しい顔を眺めると心が安らぐ。
いえ艶(つや)っぽい話ではありません。
朝顔と夕顔を育てたら、酷暑にめげず花を咲かせている。
朝の凜(りん)に夜の幽と言うべきか。
一朝一夜のはかなさに、花がまとう空気も引き締まる
▼朝顔は藍色、夕顔はむろん白である。
朝顔は夕べを待たずにしおれ、夕顔は朝の光の中でしぼんでいく。
二交代勤務といえば無粋になる。
絶頂に凋落(ちょうらく)が潜む無常。
そのたたずまいが、なかなかいい
▼双方を詠んだ句が蕪村にある。
〈朝がほや一輪深き淵(ふち)のいろ〉。
この絶品の前では、数多(あまた)の朝顔の句は影が薄いという人もいる。
〈ゆふがほや竹焼く寺のうすけぶり〉は、どこか楚々(そそ)とした野趣が漂ってくる
▼二つの花は名は似ているが違い、朝顔はヒルガオ科に、夕顔はウリ科に属する。
俳句でも、夕顔は夏の季語だが、朝顔は真夏の花のようで秋の季語になる。
昔の朝顔は今の桔梗(ききょう)を言ったらしい。
それが遠因ともいうが、思えば涼しげな咲き姿は、秋の先駆けにふさわしくもある
▼拙宅の花に戻れば、開花の観察をまだ果たせないでいる。
かつて落合恵子さんが小紙で「夕顔の時間」と題して書いていた。
「なんと深い白さ」と愛(め)でながら、どうやってほころぶのか、その「時」に立ち会いたいと。
この夏の朝と夕の、わが宿題でもある
▼きのうは各地で、土砂降りの雨が、猛暑でほてった空気を手荒に冷ましていった。
晩夏から初秋へ。
少しけだるい季節には、朝な夕なの凜と幽に知らず励まされる。
朝顔を植えたことがあるが驚くぐらいに朝に立派な花をさかせていた。毎日である。
秋めく甲子園で日大三(西東京)と光星学院(青森)が球譜に名を刻んだ。
平成23年8月21日の天声人語よりの引用
「甲子園」はタイガースの本拠である阪神甲子園球場とは別物だと、江川卓さん(56)がスポーツ誌「ナンバー」で語っている。
「春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けて下さる」と。
「僕もそう思ってます」と応じたのは、対談相手の桑田真澄さん(43)である
▼神々しさが極まるのが夏の決勝だ。
3年続けてそのマウンドに立った桑田さんは「神様の声を聞いた」と言い、縁がなかった江川さんは「僕には何も言ってくれなかった」と笑う。
神様は気まぐれだ
▼聖地の空は、一戦ごとに盛夏のぎらつきを収め、柔和になる。
秋めく甲子園で日大三(西東京)と光星学院(青森)が球譜に名を刻んだ。
三高の豪打、恐るべし。
疲れを見せぬ吉永投手にもしびれた
▼片や光星。
青森県出身者は少なくても、津波に襲われた八戸の期待を背に、「東北初」の夢をよくつないだ。
親元を離れてでも聖地に足跡を残す。
そんな個々の執念が、被災地の願いと一つになった
▼大会の延長戦は最多記録に並ぶ8試合。
満塁ホームランあり、サヨナラ劇ありの熱戦に奮い立った人も多かろう。
そして決勝の両校には、残るべき理由があった。
気まぐれに見えて、神様もなかなかやる
▼節電による前倒しで、栄冠は昼前に輝いた。
泥んこのユニホームや、揺れるアルプス席の残像を自分の力に転じるのに、週末の長い午後はあつらえ向きだ。
野球の神様はいてもいなくてもいい。
ただ聖地があってよかったと、特別な夏の終わりに思う。
甲子園の野球は早々に京都代表が負けたのでその後は見る気がしなくなってしまったた。
飛行機が苦手な向田邦子さんは、空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた
下手に片付けると「万一のことがあったとき、
『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)
この一文が出て3カ月後、彼女は台湾で万一に遭う
平成23年8月22日の天声人語よりの引用
毎週のように乗っても、離着陸の時は平静でいられない。
飛行機が苦手な向田邦子さんは、空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた。
下手に片付けると「万一のことがあったとき、『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)
▼この一文が出て3カ月後、彼女は台湾で万一に遭う。
51歳の急逝から30年が過ぎた。
妹の和子さんによると、部屋はいつになく整理されていた。
人気脚本家が随筆や小説で輝き始めて5年、直木賞の翌年だった
▼生涯は昭和で完結した。
戦争から平和、経済大国へ。
激動下の日常を素材に、女と男、家族の機微をすっきりした筆致で描いた。
己を笑う強さと優しさは時代を超えて愛される
▼小さな幸せを書かせたら独壇場だ。
「私の場合、七色とんがらしを振ったおみおつけなどを頂いていて、
プツンと麻の実を噛(か)み当てると、何かいいことでもありそうで機嫌がよくなるのである」(七色とんがらし)。
ささやかな起伏を捉え、味わう感性は「昭和限り」だろうか
▼多磨霊園を訪ねた。
本をかたどった墓碑に〈花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る〉。
森繁久弥さんによる慟哭(どうこく)の筆だ。
あでやかな花の前で香煙がゆれる。
ツクツクボウシが鳴いていた
▼いま、こぼれた花の大きさが恨めしい。
向田流の変哲もない泣き笑いが、どうにも恋しい震災後である。
何から逃げるというのではなく、日々ちょっとしたことを抱きしめ、明日の糧にする。
そんな生き方もある。
向田邦子の作品は人間の日常の機微をとらえていて面白い作品が多くドラマ化されている。
この夜顔はヒルガオ科で、俗称で広く「夕顔」とも呼ばれている。
平成23年8月23日の天声人語よりの引用
天下太平の江戸時代は園芸がブームになった。
あちこちに草花を売る露店が立ったのだろうか、古川柳に〈縁日で草の名を知る大都会〉の一句がある。
大都会という言葉に驚くし、どこか現代社会の一コマを見るようでもある
▼だが今なら、縁日に頼らなくても図鑑類は整っている。
なのに先週土曜日の小欄で、この一句を痛く思い出す取り違えをした。
育てている花を夕顔と書いたのは、正しくは夜顔でした。
不明を恥じつつ、おわびします
▼この夜顔はヒルガオ科で、俗称で広く「夕顔」とも呼ばれている。
種子も「夕顔」として売られることが多いが、江戸期の蕪村が〈ゆふがほや竹焼く寺のうすけぶり〉と詠んだ、古くからあるウリ科の夕顔とは別のものになる
▼夜顔(画像)は明治になって渡来したそうだ。
思えば「ヨルガオ」より「ユウガオ」の方が音にしやすく、楚々(そそ)とした感がある。
清少納言も「枕草子」で夕顔という名を「をかし」とほめていた。
夜顔の人気が高まり育てる人が増え、通り名が広まったのだろう
▼とは言っても、双方の違いはよく知られているという。
ふわふわと柔和な夕顔(画像)は平安朝美人の、きりりと高貴な夜顔は文明開化の麗人の面影を宿す。
読者からのご指摘をいくつか頂戴(ちょうだい)して教えられた。
感謝をいたします
▼はかなげな花の姿に似ず、夕顔にはごろりと大きな実ができて干瓢(かんぴょう)の原料になる。
清少納言は実を無粋と見たが、どこかユーモラスだ。
来夏はあやまたずに育てて、平安美人に相まみえたい。
朝顔(画像) 昼顔(画像) 夕顔 夜顔があるのだろうか。どう見ても良く似ている。強いて言えば朝顔が一番に綺麗か
前原前外相が代表選への出馬を決めた
外国人献金問題や次の本格政権狙いなど、
火種や思惑含みでここまで不出馬の意向だった
平成23年8月24日の天声人語よりの引用
「ドングリ」と聞くと冒険家の植村直己さんを思い出す。
大学山岳部時代についたあだ名は体格や風貌(ふうぼう)に似合っていた。
しかし情熱と行動力は並外れていた。
のちに五大陸の最高峰をきわめ、極地を駆け、没後に国民栄誉賞を受けた
▼そんな、ただ者でないドングリがいるのかどうか。
きのうの東京本社版「かたえくぼ」が、〈『大豊作』/どんぐり/――民主代表選〉と寸鉄で刺していた。
その背比(せいくら)べに、大粒のクリが割って入った図といえよう。
前原前外相が代表選への出馬を決めた
▼外国人献金問題や次の本格政権狙いなど、火種や思惑含みでここまで不出馬の意向だった。
だが「B級グルメ」は失礼にしても、他の顔ぶれはやはり「二列目」の感がある。
クリへの好悪はおいて、エース級の参戦で緊張感は高まろう
▼これまで菅首相の後任は、次への中継ぎと目されていた。
だが国民の誰が、民主党にそんな余裕があると見ていよう。
崖っぷちだし、来年秋への打算や思惑が、今日に懸命な被災地に希望をもたらすはずもない
▼それにつけてもだが、首相レースは内向き過ぎないか。
まず口に出るのは小沢氏の処分への対応だ。
すり寄り、詣(もう)で、変節の話にうんざりする。だが、原発はどうする?増税は?――大事なことはよく聞こえてこない
▼ドングリにせよクリにせよ、首相は国民のための首相であって、小沢さんのために選ぶのではない。
〈言うだろう菅さんの方がよかったと〉。
川柳欄の予感が当たらないよう願いたい。
今の政治家は主義主張でなくてどのような思いで政党に所属しているのか訳がわからんようだ。
一概に保守 革新だけでは区別できないくらいに混乱しているようだ。
あの、「手のひらを太陽に」の歌が誕生して今年で50年になるという
漫画家やなせたかしさんの詞に、いずみたくさんの曲
平成23年8月25日の天声人語よりの引用
手術をささえてくれた手の温(ぬく)もりに感謝します。
50代の女性のそんな一文が、何年か前の声欄にあった。
目に大けがをしての手術中、病院のスタッフがずっと手を握り続けてくれたそうだ
▼「私が握ったのは血の通った人の手だった……もう片方の手で優しくさすってくれた」――。
「手」を語って印象深かった投書を、かまくら春秋社から頂戴(ちょうだい)した季刊誌『詩とファンタジー』の特集を読んで思い浮かべた。
あの、「手のひらを太陽に」の歌が誕生して今年で50年になるという
▼漫画家やなせたかしさんの詞に、いずみたくさんの曲。
ひらがなコンビがつくり、宮城まり子さんが歌った。
軽快な前奏に続く〈ぼくらはみんな生きている……〉は大勢の耳に宿っていよう。
筆者など、小学校の校内放送を懐かしく思い出す
▼実は自分が一番元気のなかった時に作った歌だと、やなせさんが回想している。
長編コミックに押されて仕事が急減していた。
深夜の仕事場でふと懐中電灯で手を照らすと、血の色が透けて見えた。
そのとき歌詞が浮かんできたと
▼「アンパンマンの作者」で通る前は、「手のひらを太陽に」のやなせさんと紹介されることが多かったそうだ。
絵も歌も子どもたちを陽気にさせ、元気を呼ぶ。
かつて小さかった大人も心が跳ねる
▼歌われて半世紀、日本は戦後で一番元気のないときだろうか。
〈手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくの血潮……〉。
血の通う手と手のつながりが今ほど大事なときもない。
てのひらに太陽に(動画)
無血クーデターで42年前に出来た政権を倒すのに、
リビアでおびただしい血が流れた
42年前、カダフィ氏は英雄だった
平成23年8月26日の天声人語よりの引用
無血クーデターで42年前に出来た政権を倒すのに、リビアでおびただしい血が流れた。
「中東の狂犬」と呼ばれたカダフィ大佐は、弾圧と徹底した抗戦で犠牲を増やし続けた。
いま独裁者は追いつめられ、新たな時代が開かれつつある
▼42年前、カダフィ氏は英雄だった。
しかし、「どんな英雄も最後は鼻につく人物になる」の格言どおりの道をたどる。
鼻につくどころか、拷問あり処刑ありの圧政は民衆から恐れられた。
豊かな石油で得た富も、ほしいままに使ってきた
▼その政治的信条を述べた「緑の書」は、議会制民主主義への批判を繰り広げる。
いわく「51%の得票者が他の49%を押さえ込むことこそ独裁だ」。
あるいは「史上最悪の独裁制でさえ議会を通じて出現した」。
これはナチス政権のことだろうか
▼それを方便に、憲法も議会も選挙もなく、自身には公的な肩書がない異形(いぎょう)の統治を続けてきた。
つまりはノーチェック、御心(みこころ)のままにである。
だが今、「全能」だったその首に1億3千万円の賞金が懸かる
▼「アラブの春」の民主化は、チュニジアに始まりエジプト政権も倒した。
挟まれる形でリビアも続いたが、前途はとりわけ多難視される。
民主政治の基礎となる仕組みや経験、その一切がこの国にはない
▼独裁の重しがとれた後の混乱は史上に多い。
人々の利害や思惑、欲望が詰まるパンドラの箱の扱いは容易ではない。
多くの血で購(あがな)うリビアの春に、打算抜きの国際支援が要ろう。
希望を殺す失敗のないように。
リビアの内戦は現在も続いている。どうしてカダフィ大佐のような人物を42年間放置しておいた国際社会がわからない。
いずれは追放されるだろうが,イラクのフセイン大統領の方がそれなりに理解できる面があったが,
ブッシュが倒して今もイラクは混乱の中にある。あの戦争は間違っていた。2011年のリビア内戦
菅首相がきのう、正式に辞任を表明した
短命だったが、「最後の粘り」もあって、
在任は小泉後の5人のうちでは最も長い
平成23年8月27日の天声人語よりの引用
毎年いまごろ、「夏休み最後の週末」がニュースになる。
じりじり照る太陽、陰影濃い日々は、それだけでどこか非日常のにおいがある。
今年は雨がちだが、晩夏の光は胸に一抹の感傷を引く
▼〈泉の底に一本の匙(さじ)夏了(おわ)る〉飯島晴子。
森のキャンプ場に湧く泉だろうか。
にぎやかな声はもう消え、誰かが忘れていったスプーンが水底にひとつ。
呼びさまされる光景が、烈(はげ)しかった季節の終わりを告げる
▼さて、この人も、烈しかった季節を過ぎて、後ろ姿に秋風が吹く。
菅首相がきのう、正式に辞任を表明した。
短命だったが、「最後の粘り」もあって、在任は小泉後の5人のうちでは最も長い。
良くも悪くも、戦後最悪の非常時の宰相として名を残そう
▼ここに来て、「すっかり脂っ気が抜けた」が周囲の評らしい。
あれは国民新党の亀井さんだったか、夏前に「(菅さんは)秋風の吹くころお遍路に旅立てる」と言っていた。
見通しは、良いところをついていた
▼菅さんが政治の「泉」に残した一本の匙は、「脱原発依存」だろう。
これで四面楚歌(しめんそか)は極まったが、共感する人も多かった。
水底から拾い上げる後継首相はいようか。
水を濁してごまかすなら、離れる支持も多かろう
▼もう一つお手柄を挙げれば、与野党乱戦の「菅おろし」を通じて、政治の貧相を改めて周知させたことか。
何とも皮肉な「功」を残して夏とともに去る。
かくて初秋の風物詩と揶揄(やゆ)された首相交代が、2年ぶりに復活する。
地位の軽さはいよいよ極まる。
せっかちな面は見られるがなんとかしようとする気持ちは解るが何故に此れだけマスコミに叩かれるのかは理解困難。
最大の欠点か良い所かは小沢氏と妥協しようとしなかったことである。
小沢氏の欠点は人を前に立てて自分は後ろで操る手法である。それに金権政治の典型である。
民主党代表選は5氏が争い、
明日には「次の首相」が決まる
小沢氏が推す海江田経産相、
世論受けする前原前外相を軸に、
またぞろ親小沢と脱小沢の数合わせだ
平成23年8月28日の天声人語よりの引用
小沢一郎氏は携帯電話を持たない。
政界で「先生の携帯」と尊ばれるものは随行秘書が身につける。
本人はめったに出ず、必要なら「おい、ピコピコ」と命じるらしい。
秘書が長かった石川知裕氏の著書『悪党―小沢一郎に仕えて』で知った
▼この週末、ピコピコは鳴り続けだろう。
民主党代表選は5氏が争い、明日には「次の首相」が決まる。
小沢氏が推す海江田経産相、世論受けする前原前外相を軸に、またぞろ親小沢と脱小沢の数合わせだ
▼かれこれ20年、小沢氏は政界座標の真ん中にいる。
政治家は氏からの距離と方位で論じられ、政変となればここから始まった。
「原点O(オー)」は今般、処分中ながら師匠ばりの闇将軍を任じている
▼その面前で、「小沢先生のお力を借りなければ日本は救えない。
力を存分にふるって頂けますよう……」とべったり持ち上げた海江田氏である。
念願の地位に就いても、なにかにつけてピコピコにお伺いを立てそうな気配がする
▼代表選の構図を、小沢氏は「民主党の原点回帰か、菅政権の継続か」と語った。
自民党に言わせれば「小沢傀儡(かいらい)か、菅亜流か」(町村信孝氏)となる。
小沢氏の復権という「原点回帰」を争うのでは、危機にある政治の出直しに値しない
▼氏の好きな言葉に、「人事を尽くして天命に遊ぶ」がある。
通常の「天命を待つ」と違って、己に期待しない趣がいいそうだ。
永田町で山あり谷ありを楽しむのはご随意だが、今の日本、与党の遺恨試合に付き合う時間はそうない。
小沢氏は出ていなくとも小沢氏を中心とした選挙になって来ている。
「命をつなぐ」をテーマに、動物たちの生への執念を英BBCが6年かけて収めた
平成23年8月29日の天声人語よりの引用
何千と産み放しにするか、少数の面倒をとことん見るか。
カエルの産卵には両派があるらしい。
中米の熱帯雨林に棲(す)む赤いイチゴヤドクガエルは後者の好例だ。
漢字にすれば苺矢毒蛙と恐ろしげだが、これが泣かせる
▼落葉に産んだ数粒がオタマジャクシになると、雌は一匹ずつ背負って木に登る。
目指すは地上10メートル、葉の間にできた水たまり。
それぞれを安全な個室に運んだ母は、子が巣立つまで隠れ家を回り、餌の無精卵を産み落としていく
▼そんな子煩悩の一部始終を、近日公開の映画「ライフ」で観(み)た。
「命をつなぐ」をテーマに、動物たちの生への執念を英BBCが6年かけて収めた。
とりわけ打たれたのは子への愛だ
▼産卵したミズダコは何も食べずに半年間、ひたすら卵に新鮮な水を送る。
泳ぎ出る子を見届けての最期、幸せそうだ。
天敵のいない氷原で出産したアザラシ。
ブリザードの中、母は風上で子の盾になり、氷雪にまみれる。
本能という乾いた言葉では足りない、美しき献身である
▼「いかなる場所でも、子どもを育てる上で大切なのは親の知恵と情熱でしょう」。
案内役、松本幸四郎さんの語りが胸に残った。
わが同類には知恵と情熱に欠ける親もいて、虐待事件が後を絶たない
▼〈リボンつけしままに眠れる幼子を目守(まも)りつつをり泪(なみだ)ぐむまで〉大野誠夫(のぶお)。
目元にあふれたのは、この子を命がけで守るという気負いだろう。
どんな親にも本来、悲しいくらい純な愛が宿る。
カエルやタコに教わることではない。
公開中の「ライフ いのちをつなぐ物語」は、生き物たちの生態を驚異的な映像でとらえて話題を呼んだ「ディープ・ブルー」(2003年)、
「アース」(07年)を製作した英国BBCが手がけるドキュメンタリー。
今回も貴重で見応えたっぷりの映像が満載だ。
共同監督のマーサ・ホームズ(54)とマイケル・ガントン(50)に聞いた。
3匹共同で獲物に襲いかかる異色のチーターのチームや、自分の毒が獲物に浸透するまで辛抱強く待つコモドオオトカゲの不気味な狩りの様子など、
動物たちの珍しい生態が次々と映し出される。
製作チームは6年間、35億円を費やして、この作品を完成させた。
ガントン監督は「被写体は1年くらいかけて決める。その動物の行動は新しいか、映像的に面白いのか、毎日見られる行動か、それとも月1回か。
撮影は可能なのか…。いろいろな専門家にリサーチをかけた」と話す。
今回、一番撮影が困難だったのは、ザトウクジラのメスの歓心を得るためにオスたちが繰り広げる雄大なダンス「ヒートラン」だ。
「1990年代に3週間追ったけど、失敗だった。クジラは左右だけじゃなく、水面にジャンプするから動きが複雑。浮上する直前に、
彼らの前にダイバーを潜らせないと撮影できないの」とホームズ監督。
このほかにも、超高速カメラでとらえたトカゲ「バシリスク」が水上を走る様子や、
ハネジネズミの疾走、高精細マクロカメラによる食虫植物「ハエジゴク」の捕食の瞬間などが、息をのむほどに美しい。
世界で初めて撮影された15のシーンを含む、厳選されたぜいたくな映像が堪能できる。(以上はインタ−ネットより引用)
民主党代表選を眺めながらモジリの駄文を試作
{手勢となりし人々は、次の選挙をにらみつつ、
損得利害はかりつつ、神輿(みこし)担ぎに参じゆく}
平成23年8月30日の天声人語よりの引用
700年ほど前に政治や世情を痛烈に風刺した「二条河原落(らく)書(しょ)」は、「コノゴロ都ニハヤル物」の書き出しで始まる。
「夜討、強盗、謀綸旨(にせりんじ)……」と続くが、混乱や退廃を七五調で突いて名高い。
民主党代表選を眺めながらモジリの駄文を試作してみた
▼「このごろ民主に見ゆる物、居座り、号泣、内輪もめ。
詣(もう)で、すり寄り、宗旨替(しゅうしが)え。
操(あやつ)り人形、虚言葉(そらことば)、勝ち馬探しの品定め。
雨後のタケノコ候補らは、我ぞ我ぞと立ちぬれど、彼ぞと思う人はなし。
巧みなりけるはぐらかし、事(こと)新しき風情なく、挙党一致や分裂や
▼処分中なる剛腕は、私利怨念(おんねん)の闇支配。
手勢となりし人々は、次の選挙をにらみつつ、損得利害はかりつつ、神輿(みこし)担ぎに参じゆく。
黄昏時(たそがれどき)になりぬれば、某所各所に顔合わせ、毎度なじみの数合わせ
▼今は昔の宇宙人、引退表明覆(くつがえ)し、おのが所業は棚に上げ、同志をペテンとこき下ろす。
反省の色さらになく、キングメークに手を貸して」――などと、ここまで書いたところで、決選で野田財務相が選ばれた。
「二人羽織」を避ける常識を、何とか示したことになろう
▼政権交代を果たした総選挙から、今日で2年たつ。
高揚は失せ、失望は怒りへ。
誠実そうな野田さんだが、昨秋の菅さんも真っ先に言った「ノーサイド」への、国民の信用は失墜している
▼モジリの落書ではないが、この代表選は多くの人にげんなりと映ったろう。
次の矢はない最後の機会、とにかく仕事をしてほしい。
親(しん)とか反のケンカではなく。
主役が陰にいる全く悪い典型的な自民党的手法の選挙が行われて野田首相が選ばれた。
鎮魂と祈りの8月の言葉から
平成23年8月31日の天声人語よりの引用
新しい首相の誕生とともに震災後の「特別な夏」がゆく。
政治の停滞の中、それでも花火は上がり、祭りの輪は広がり、人は前を向く。
鎮魂と祈りの8月の言葉から
▼戦後66年、なお多くの戦死者の遺骨が戻っていない。
父親が硫黄島で没した広島県の井上忠二さん(77)は島への訪問が30回を超す。
「国が戦場に出したなら、帰さにゃいけん。
全員連れて帰るまで、わしの戦争は終わらない」。
各所の戦地に残された遺骨は113万体にのぼるという
▼岩手県大槌町の岩崎範子さん(35)は家業のタクシー会社が津波で流され、父親が震災後に他界した。
だが再出発し、自らも2種免許を取って運転手に。
「町の人たちと車で再会できることが一番うれしい。
いつまでも廃虚の街ではなく、建物の間を走りたい」
▼さいたま市の節句人形の職人さんらが、震災で亡くなった人を偲(しの)ぶ「おもかげ雛(びな)」を作っている。
井藤仁さん(70)は「表情には職人の心の内が出る。
まさに職人の魂を込めた世界に一つだけの贈り物」。
職人の感性で、人形に故人の面影を残す
▼ドキュメンタリー映画監督の海南友子(かな・ともこ)さん(40)。
原発禍の取材を進めるさなかに自らの妊娠が分かった。
「水を飲み、大きく息を吸うたびに赤ちゃんへの影響が心配になる。
取材した母親たちの気持ちはこういうものだったのかと実感した」
▼朝日歌壇に福田万里子さんの〈気温ならすぐに実感できるのに体感できぬミリシーベルト〉。
野田政権の原発政策は、どちらの方向を向く。
檜尾寺と仁海 隋心院
実恵は空海の一番弟子で東寺の初代長者が実恵である。弘治元年(810)に空海から灌頂を受ける。当時実恵は檜尾寺に住持していたと考える。
檜尾寺は行基年譜」に書かれている 「法禅院 檜尾 山城国紀伊郡深草郷」735年に相当する寺院で 実恵は檜尾僧都とも称されもしていた。
法禅院が当時檜尾寺に改称されていたものと考えられる。
檜尾寺の近くに観修寺があり,其処に宇治大領の家筋 宮道氏が住していた。
その縁でもって仁海は父の宮道惟平の縁戚でもって和泉国から観修寺の近くの檜尾寺の上座として勤務していたが
そこを辞し新しく991年(正暦2年)山科小野に曼荼羅寺(後の随心院)を建立したものと推察する。
仁海が檜尾寺の上座であったことは真言宗全集に記されている所である。
それ以前には高野山の雅真(がしん)に師事して得度し、その後石山寺 元杲(がんごう)に灌頂を受けた
真雅は檜尾寺の近くの西側に貞観寺の創立(始め嘉祥寺の西院として仁寿2年(852)に建てている。
天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称されている。
貞観寺で亡くなっている。
仁海は1018年(寛仁2年)祈雨法を修して霊験を現したことにより権律師に任じられた。
以後祈雨法を修すること9回、その名声は中国の宋まで伝わった。
小野僧正・雨僧正・雨海僧正とも称される。真言宗小野流の祖である。
この間、東大寺別当・東寺長者法務を歴任し僧正に至った。晩年には輦車の宣旨を賜っている。-以下インタ−ネットよりの引用-
隨心院(ずいしんいん・ずいしんにん)は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院で小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。
本尊は如意輪観音。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、隨心院は小野小町ゆかりの寺としても知られる。
隨心院は、仁海(954 - 1046)が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。
仁海(954 - 1046)は真言宗小野流の祖である。神泉苑にて雨乞の祈祷をたびたび行い、そのたびに雨を降らせたとされ、「雨僧正」の通称があった。
曼荼羅寺は仁海が一条天皇から寺地を下賜され、正暦2年(991年)に建立した寺である。
伝承によれば、仁海は夢で亡き母親が牛に生まれ変わっていることを知りその牛を飼育したが程なく死んだ。
それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き本尊としたことに因んで、「牛皮山曼荼羅寺」と名付けたという。
なお、これと似た説話は『古事談』にもあるが、そこでは牛になったのは仁海の母ではなく父とされている。
第5世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして隨心院が建てられた。
続く6世顕厳の時には順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。
東寺長者や東大寺別当を務めた7世親厳(1151 - 1236)の時、寛喜元年(1229年)に後堀河天皇の宣旨(せんじ)により
門跡寺院(皇族や摂家出身者が住持として入寺する寺院)となった。
その後一条家、二条家、九条家などの出身者が多く入寺している。
その後多くの伽藍が建造され、山城、播磨、紀伊などに多くの寺領を有したが応仁の乱によりほとんど焼失した。
『隨心院史略』によれば、応仁の乱後は寺地九条唐橋や相国寺近辺などへたびたび移転している。
その後慶長4年(1599年)、24世増孝(九条家出身)の時、曼陀羅寺の故地に本堂が再興されている。
江戸時代中期の門跡であった堯厳(1717 - 1787)は、関白九条輔実の子で、大僧正に至ったが、
九条稙基が夭折したことを受けて寛保3年(1743年)還俗し、九条尚実と名乗って関白、太政大臣の位に至っている。
真言宗各派は明治以降、対立と分派・合同を繰り返した。御室派、醍醐派、大覚寺派等が分立した後も隨心院は「真言宗」にとどまっていたが、
明治40年(1907年)には当時の「真言宗」が解消されて山階派、小野派、東寺派、泉涌寺派として独立。
隨心院は小野派本山となった。
その後昭和6年(1931年)には真言宗小野派を真言宗善通寺派と改称。昭和16年(1941年)には善通寺が総本山に昇格した。
現在は宗祖空海の生誕地に建つ善通寺が善通寺派総本山、隨心院は同派大本山と位置づけられている。
また近年、昭和48年には「はねず踊り」を創めたり、平成15年には「ミス小町コンテスト」、平成20年にライトアップ、
平成21年には若手アーティストによる「極彩色梅匂小町絵図」という障壁画を取り入れたりと、新しい仏閣像を作り出している。