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五月になつて



一年のうち五月は文字どりの皐月晴れの日が多く,一年のうちで暮らしやすい時候でもある。

5月5日は子供のころ住んでいた藤森神社の祭りだ。以前6月5日だったのが子供の日に変わっている。

神社境内の出店が5月1日から出、その1日から毎日のように神社に通いつめた日が懐かしく思い出される。

近所の子供たちと一緒に、同じ年齢の友達の家庭に上り込み一緒に遊んだりしていた。

近所同志の付き合いは比較的あったが、現在は全体的に付き合いが薄れてきている感じをうける。

敗戦後 欧米の個人主義的風潮が昔の儒教の教えにあったような 先生を敬い 兄弟仲良くし兩親や先祖を敬うような風潮は

すたれて来ている感がある。そのように思っているのは自分た゛けかもしれないが。

家庭によって、今も昔のように伝統をしっかり守っている家庭もあるが、全般的に廃れ来ている傾向に思える。

祖父 親 子供と家族三世代が一緒に住む大家族は少なくなってきた。

経済的理由もあるが、親の家庭 子供の家庭と全く別箇に暮らしていることが多い。

戦後の欧米化された個人主義的風潮が良いのか 昔のような家族主義的なものが良いのか

人によってその取り方は異なっいると思う。

藤森神社の祭りは今考えると子供にとり大変楽しかった思い出が多くある。

家庭では毎年必ず鯖寿司が作られ、親戚の家に配り歩いた記憶がある。

世間一般か、我が家だけに伝わっていた習慣だったのかどうかは判らない。

昔の家のたたずまいも、跡取りだった実兄が亡くなってからガラリと様相が変わってしまった。

各家庭の軒先に、氏子の家は軒並み提灯を吊り祭りを祝ったものだが、提灯を出されている家も少なくなって来ている。

2-3年前のことになるが、藤森神社に出店や駆け馬を見に行ったが,昔のように行われており盛大さは変わっていなかった。

神輿 武者行列も行われているが、昔の頃に比べれば淋しく感じた。

武者行列の長さが短くなったなったのかどうか、子供の頃に観た神輿や 武者行列の方が賑やかに感じた。

大人になってから京都市内の盛大な時代祭を見る機会を持つようになってからなのか。

何となく淋しい行列風景のように思えてくる。

藤森神社本殿の右側上部欄干に父や それに叔父の幼いお稚児姿で馬に乗って行列が出発しようとする大きな写真パネルが

掲げてあったのが取り去られている。

神社の社務所で何処へ移されたのか、尋ねたが分らないとのことだった。

深草直違橋五丁目の町内会の人達にとって宝のようなものだが、少なくとも私にとり大切に感じていたものであるが残念なことだ。

時代の移り変わりには勝てないのだろう。

国内の政局では野田首相は消費税増税を言い続け それに対し被告人として高等裁判所で審理される予定の小沢氏が反対している。

そのことにより政局は荒れ模様で 行詰まり感が強い。野党自民党との合意がささやかれ出している。

政治家とお金との問題ならば,まず小沢氏が率先し莫大なお金の納得ゆく説明を話すべきだが、灰色のままである。

そのことに対して国民が一番不信の眼で見ている。

やましいことがなければ国会で小沢氏がまず説明する責任が大切なことである。

官僚とか天下り法人・会社との癒着も問題だか゛、まず自分が国民に対しての説明責任を果たして欲しい。

自民党時代からず-と一貫して金にまつわる暗さはつきまとっている。そのお金で子飼いの議員を増やしている感じで

その議員の数が小沢氏の力の源泉となっている。

トップにたって総理にならず後ろで操ることの上手な人だ。このタイプは世間一般にによく見かけるタイプのように思える。

消費税増税の前に政・官の浄化や整理合理化を要求されるているが、自分の立場も国民に丁寧に説明してほしいものである。

誰もが消費税を上げてもらいたくないことは同じだ。

毎年大赤字を出し続けることはできない事を国民もうすうすにわかりだしてきている。

少なくとも毎日必要とする食料品だけは是非消費税を上げない方法もあるのだが。


しんどい政権担当を政治家たちが希望し続けるのはどうしてなのかと考える。

単純に考えると政治家たちとお金に対する執着が強いからだともお思えてくる。

政治家や官僚達にはまだまだ節約することが多くあることには間違いない。もっともっと政治家 官僚達の合理化はすることが必要だ。

小沢氏の言う消費税あげる前に、沢山やるべきことは多くあるとの言い分は本当に正しいことだ。

大飯原発は国論を二分するほどに議論が湧き上がってきているのに、野田首相が自分の責任で稼働するというのは早すぎる。

まずやるべきことが多くあるにも関わらず゜に結論を急いだことは間違っている。

脱原発は原子爆弾の被害を被った世界唯一の国として最大限の努力すべきことがある。

日本国の首相として甘すぎる。

福島の原発事故の後を如何にするか全く方向もわからず、途方に暮れている際の原子力発電再開はあってはならない。

一応緊急避難的な今夏季だけのことならば判るが。

大半の国民が反対している中で原子力発電は有ってはならない。


そのことに固持されるならば即刻首相を辞め 国民にその是非を問い直すべきである。

世界で唯一の原爆被災国として,ふさわしくない人が日本の首相になっていると思えてくる。

大切な命が奪わられ、今も不自由な生活を強いられている人達に対しどれだけの関心をもたれているのか。

一部の人達のことだけを考えられているならば間違っている。訂正してほしいものである。

国民皆が努力しての節電でもって、この夏を乗り越えれば自信がつく。 それこそ国民全体の絆が一層強くなるのではなかろうか。

ヨーロッパ経済はギリシャに始まりスペインへと経済の破綻しそうな国々が出てき、ユーロ安 円高 それにドル安 円高で世界の経済は

波乱含みである。円高故に輸出が伸び悩み 海外に企業を移す会社が増えてきている。

世界で国境がない位に人的交流が激しい時に 何故に軍備に各国がお金を費やし強化しているのかが理解できない。

現実に世界は一つになりつつあるにも関わらず、何故に軍隊が必要なのか判からない。

そのようなお金があれば国民の為に使えば良いのにと誰もは考える。

地球は一つ 世界も一つ 次回戦争が勃発すれば人類破滅戦争になることは間違いない。

誰が喜ぶことになるのだろうか。??

宗教・イデオロギ-を超え戦争は絶対の悪である。

国連がもっときちんと機能する以外に良い解決方法はないのではなかろうか。国連よしっかりせよと言いたい。

国連がアメリカに存在することと、現在の潘基分事務総長ではどうしようもなく、希望は少ない。





藤森神社神輿(動画)



藤森神社駆馬神事・武者行列(昭和11年)(動画)



防人の詩(動画)



愛する人に人に歌わせないで(動画)



美しき5月のパリ(動画)



京都葵祭り(動画)


葵祭りとは「祇園祭」「時代祭」京都三大祭りの一つ







関越道の惨事は、乗客の大型連休を暗転させた。





平成24年5月1日の天声人語よりの引用


バスにする理由は人それぞれだ。

〈誕生日夫(つま)が忘れしこんな日はバス旅パンフレット一人眺むる〉田中洋子。

憂さ晴らしの一人旅も、家族旅行もある。

深夜便なら、誰もが夢の中、目的地の朝に自分を先回りさせていよう。

夜行バスは、客の数だけ明日を乗せている

▼関越道の惨事は、乗客の大型連休を暗転させた。

未来ごと消えた人も多い。

夜通し走った車は日の出前、時速100キロ近くで防音壁に突っ込んだらしい。

鉄の壁は車体を切り裂き、左側の座席を破壊した

▼金沢から富山、東京を経て東京ディズニーリゾートまで片道3500円。

規制緩和で市場が膨らむ高速ツアーバスである。

ツアーを企画した大阪の旅行業者は、稼ぎ時の増便を千葉のバス会社に頼んでいた

▼価格を競う旅行業者は、安く運んでくれるバス会社を選ぶ。

勢い、交代なしで走れる、無理が利く運転手を重用するバス会社も出てくる。

かくして利用者が求める「格安」には、過労という危険が素知らぬ顔で同乗することがある

▼陸海空とも、旅客業が張り合うのは価格とサービスだ。


安全は譲りようのない聖域だが、その鉄則さえ崩してしまうほどの過当競争。

総務省の調査では、貸し切りバス運転手の9割が睡魔を経験していた

▼居眠りしたドライバーを責めるのはたやすいけれど、運転手の我慢比べで成り立つ競争は危うい。

道中に不安なく、心穏やかに送り届けてこその安さ自慢だ。

夜行の業界が競って眠らせるべきは、乗務員ではなく乗客である。




旅行客での価格競争が生んだ悲劇である。 一人の運転手で夜間バスの運転が如何に危険であるかを教えてくれた。






先の「昭和の日」、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れた





平成24年5月2日の天声人語よりの引用

街宣車がずらりと並ぶ駐車場を抜けると、一転して森厳の領域だった。

参道の杉並木の奥にはイロハモミジの若葉がきらめいている。

先の「昭和の日」、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れた

▼広い緑地に、昭和天皇と香淳皇后、大正天皇と貞明皇后の四つの陵(みささぎ)。

それぞれに鳥居を配し、巨大なお椀(わん)を伏せたような上円下方墳が100メートルほどの間隔で並ぶ。


江戸時代からの伝統にのっとり、いずれも土葬である

▼天皇、皇后両陛下は、大がかりな土葬より、一般と同じ火葬をお望みだという。

お二人の合葬も視野に、陵も葬儀も簡素に、とのお考えだ。

即位時から「象徴」だった初の天皇らしく、お別れの様式も転換点になるかもしれない

▼宮内庁の羽毛田長官が明かしたご意向は、「生前の遺言」といえる。

お墓の用地に限りがあるうえ、国の台所が厳しい折、国民に負担をかけまいとの配慮らしい。

歴代では41人の天皇が火葬され、夫妻の合葬も例がある

▼「テニスコートの恋」に始まり、民間初の皇太子妃、同居での子育てと、新時代の皇室を体現してきたご夫妻だ。

「薄葬」の思いは時宜にかなうし、仲むつまじいお二人には合葬がふさわしい

▼世間一般に近い感覚に、改めて親しみを覚える。

むろん、心臓手術を乗り越え、英国訪問を心待ちにされる陛下に、送りの話は少々早い。

周囲が持ち出せないからこそ、自ら切り出されたのだろう。

諸事万端への気遣いを知るほどに、その日が少しでも遅かれと願わずにはいられない。




武蔵野の紅葉(動画)

天皇の墓は立派である。御陵であるが近くの京都伏見深草には十二帝陵があって、12人の天皇が火葬で一緒に埋葬されている所がある。








朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる






平成24年5月3日の天声人語よりの引用


小欄には多くのご意見をいただく。

不完全な人間が限りある時間と紙幅で書く話だけに、どんなご指摘もありがたい。

匿名の声ほど言葉は荒いが、いかに一方的でも、言論による訴えは歓迎だ

▼朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる。

脅迫文に「われわれは本気である。

すべての朝日社員に死刑を言いわたす」とあった。

いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ

▼同世代の小尻知博記者(享年29)とは家族の年齢もほぼ重なる。

父上は昨夏、83歳で旅立った。

妻裕子さん(52)はピアノ教師を続け、娘の美樹さん(27)はテレビ局で働く。

かたや目出し帽の男は生死も不明、数ある未解決事件の中でも見たい顔の一つだ

▼一連の襲撃で彼らが目の敵にしたのは、本紙の論調だった。

この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、

ともあれ言論へのテロである

▼この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。

65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。

そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。

新聞やテレビはすっかり敵役だ

▼大手だろうが個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。

社会を貧しくする、言葉の浪費である。

誰もが発信できる言論空間を守り育てるためにも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい。




朝日新聞襲撃事件








本日、残る一本の泊(とまり)3号機が定期検査で消える。
「原発ゼロ」は商業運転の初期、1970年以来という




平成24年5月5日の天声人語よりの引用


怪談をとことん味わう趣向に「百物語」がある。

百本のロウソクを灯(とも)した部屋に好き者が集まり、それぞれが怖い話をするたびにロウソクを消す。

最後の一本が消えたその時、本物の怪異が現れる運びだ

▼重苦しく暗転する座敷に、日本の原子力発電が重なる。

御(ぎょ)しがたいロウソクは福島でまとめて倒れ、浜岡では折られ、

ついに本日、残る一本の泊(とまり)3号機が定期検査で消える。

「原発ゼロ」は商業運転の初期、1970年以来という

▼さて、どんな化け物が出るのやら。

政府や業界は電力不足を案じる。

停電という妖怪が怖いなら、大飯(おおい)に再び火を灯しましょうと言う。

折しも立夏。

予報では、そこそこ暑い夏になるらしい

▼だが不気味さ、危うさで放射能をしのぐ怪はない。


憂うべきは夏の不快ではなく、次世代のリスクである。

原発を使い倒した大人の罪滅ぼしは、節電なりで時を稼ぎ、より安全な未来を手渡すこと。

こどもの日に歴史が刻まれる因縁を、偶然で終わらすまい

▼『福島の子どもたちからの手紙』(朝日新聞出版)で、高3女子が「思い続ける三つのこと」を書いている。

「不安、悲しい、腹立たしい。

体への影響の心配、何故(なぜ)こんなことが起きてしまったのか、何故ここなのか」と

▼私たちはすでに、まだ見ぬ子孫にまで大借金をしている。

このうえ不確かな技術を押しつけられようか。

原発ゼロの闇にうごめく変化(へんげ)をしかと見届け、退治の策を練りたい。

未来から投げかけられる、いくつもの「何故」に備えて。





原発ゼロが将来ともに永続的に続いてほしい。原子力の恐ろしさを一番世界で知っている日本で

原発ゼロを世界に率先して示し続けてほしい。原子爆弾は恐ろしい。原子力発電所が攻撃され破壊されれば原爆が落ちたのと

同じような惨状を呈することを考えた人はいるのだろうか。? 地震や津波だけの被害から安全だ゜と言っても仕方がない。

原子爆弾は恐ろしい。原発も又同様に恐ろしい。日本の各家庭でそれぞれ電気を発生させ蓄電する方法がないものか。

風力 水車のようなもの ソーラー発電 自転車をこいだり、歩いたりしての運動でもって発電し蓄電できれば

健康にとってもよいことである。





茨城県つくば市や栃木県真岡(もおか)市で竜巻が発生、
1人が亡くなり、50人超が重軽傷を負った





平成24年5月8日の天声人語よりの引用

雨音の変調に振り向くと、ベランダで雹(ひょう)が踊っていた。

白い粒の吹きだまりをすくい、はるか上空の寒気を想像する。

しかし両手に山盛りの氷は、猛威の端で起きた異変にすぎなかった

▼大型連休の最終日、関東地方を異常気象が見舞った。

茨城県つくば市や栃木県真岡(もおか)市で竜巻が発生、1人が亡くなり、50人超が重軽傷を負った。

建物の損壊は計1500棟を超す。最大級の竜巻被害である

▼関東ではその時、湿気を含んだ南の暖気が低空に流れ込んでいた。


上空との温度差は上昇気流を生み、巨大な積乱雲となる。その底から雹が降り、雷がとどろき、竜巻が起こる。

神出鬼没の巨竜は悪意を宿したように、家財を巻き上げ、駆け抜けた

▼世界的には米国の真ん中あたり、オクラホマ、カンザス、ミズーリ州などが「竜巻銀座」として知られる。

逃げ込むための地下室を備えた住宅も多いそうだ。


だが面積あたりの発生数では、関東平野も大して違わないらしい

▼800年前に書かれた「方丈記」に、春の京を襲った「辻風」の記録が残る。

〈三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも一つとして破れざるはなし〉。

地震や津波と同様、竜巻は昔から人の都合にお構いなく暴れてきた。

文明が巡り合わせ、被害が刻まれる

▼連休中、中高年登山者の悲劇も相次いだ。

季節が移ろうこの時期、天の気まぐれに山も里もない


ひとたび牙をむいた自然の前で、悔しいけれど、人は飛べず泳げずの、弱き生き物に返る。




日本でも竜巻被害が 台風の被害はよくきくことだが、自然には勝てない。






この半世紀フランスの大統領はドゴールから6人でつないできた。
その間、米国大統領は10人、日本の首相は25人を数える。
在任期間がすべてではないが、フランソワ・オランド氏を待つ地位はそれなりに重い





平成24年5月9日の天声人語よりの引用

この半世紀、フランスの大統領はドゴールから6人でつないできた。

その間、米国大統領は10人、日本の首相は25人を数える。

在任期間がすべてではないが、フランソワ・オランド氏を待つ地位はそれなりに重い

▼6年前、仏社会党の夏季研修をのぞいた。

女性党員の求めでサインに応じるオランド氏。

勢いよく隣に座った彼女の尻の下で、氏が党首演説に用いた書類が悲鳴を上げている。

それをさりげなく抜き取るしぐさがまた、好人物なのだ

▼最大野党を長く率いた実力者だが、「いずれは」と思わせるオーラは薄かった。

彼で勝てたのだから、華のある候補なら圧勝したかもしれない。

サルコジ大統領の緊縮路線は、かくも不評だった

▼欧州の主要政党は、いずれも欧州連合(EU)の味方である。

野党の時は大衆迎合的でも、政権につくと「欧州の与党」として財政を絞り、国民の支持が離れる


オランド氏も、ドイツを筆頭にEU各国、市場、世論の顔色をうかがいながら、綱渡りを強いられよう

▼フランスで、ギリシャで、EUの統治やユーロに背を向ける左右の両極が伸びた。

失業に福祉後退と、グローバル化による国内の矛盾が深まり、民意の動揺を大政党が受け止めきれなくなっている

▼財政難、限られた政策メニュー、大政党の不人気、懲らしめの投票、ポピュリズム台頭……。

欧州の混迷に学ぶべきは多い、というより、彼我のなんと似ていることか。

ただし、オランド氏には最短5年、絶大な権力が与えられる




サルコジ大統領もオランド氏も両者ともに軽い感じ゜はゆがめない。ドイツのメルケル首相の方が存在感がある感じだ。

ドイツ人気質とフランス人の気質のの違いによるものか。






国立天文台によると、太陽の活動に異変が生じ、
地球が「低温期」に入るかもしれない
万物のエネルギー源だけに気がかりだ




平成24年5月10日の天声人語よりの引用

ベトナム戦争の取材体験に基づく開高健の小説「輝ける闇」は、表題から意表を突く。

ドイツの哲学者、ハイデガーの評言を引いたそうだが、読まずして鮮烈な緊張感に包まれる。

常識の裏をかいた「逆さまの形容」は、多用は禁物ながら便利な修辞である

▼〈マイナス100度の太陽みたいに/身体(からだ)を湿らす恋をして……〉。

桑田佳祐さんの佳曲「真夏の果実」の詞が胸に残るのも、灼熱(しゃくねつ)カラリであるべき日輪を

、しっぽり冷涼に描いた技の冴(さ)えだろう

▼「太陽まもなく冬眠?」の本紙記事に、ひんやりと不安を覚えた。

国立天文台によると、太陽の活動に異変が生じ、地球が「低温期」に入るかもしれない。

万物のエネルギー源だけに気がかりだ


▼太陽には南北に磁場の極があり、ほぼ11年の周期で正負が同時に入れ替わる。

ところが、北極の反転が1年ほど先行し、活動低下の兆しがあるそうだ。

磁場に連動する黒点の現れ方も、17世紀後半に始まった低温期に似ているらしい

▼往時の異変を、各国の古文書がとどめている

。ロンドンのテムズ川が凍り、京都では桜の開花が遅れた。

凶作や飢饉(ききん)の多発は、政治や経済を揺るがした。

低温期は約70年続いたという

▼過日の小欄で触れた氷河期に比べ、太陽活動の盛衰はずっと短い周期で繰り返す


前者を潮の満ち干とすれば、寄せては返す波だろうか。

温暖化のさなか、「冷たい太陽」は「良い衰弱」かもしれない。

だからといって、省エネの手を緩める「悪い安心」には浸れない。





地球が低温期になると異変が起きるようだ。太陽によって生かされている地球上の生命の有り難さがよいのではないか。







北米大陸の太平洋側に、日本発の財物が流れ着いている




平成24年5月11日の天声人語よりの引用


神奈川県相模原市で、ペットのセキセイインコが逃げた。

警察に保護された「ピーコ」はしゃべり始める。

「サガミハラシミドリク……」と番地まで。

万が一に備えて、飼い主の女性が住所その他を教え込んでいた

▼何にせよ「再会」のストーリーには心が躍る。

その感動は、募る思いと、両者を隔てた時空の掛け算。

諦めていたなら歓喜はひとしおだろう、たとえモノでも

▼北米大陸の太平洋側に、日本発の財物が流れ着いている。

津波がさらい、偏西風が運んだあれこれは、粉々にされた「日常のかけら」である。

まずは漁船、ボール、コンテナ入りの米国製高級オートバイ。


秋には家屋の木材が加わり、来年2月までに4万トンに及ぶとの予測もある

▼インコのように語れぬモノたちに代わって、発見者が手を尽くし、持ち主が次々と判明している。

オートバイの主は家と身内3人を失っていた。

さびた愛車は、抱きしめたい記憶と一体に違いない

▼例のインコは2年前の母の日、息子さんから贈られた鳥だという。

「漂着ごみ」と総称される品々にも、所有者との密(ひそ)やかな過去があろう。

実際、ボールの手がかりは寄せ書きだった。

波間で四季を越え、再び人前に現れたこと自体が、何かのメッセージに思えてくる

▼不明者なお3千人。

再会はかなわぬにしても、愛する人が愛したもの、生きた証しを求める関係者は多い。


あの午後、ふるさとの海岸線から流れ出た記憶を取り戻すべく、しばらくは対岸からの報に耳を澄ましたい。




地球は一つである。大切なその地球を人間が作った原子力でもって汚してはならない。

大切に使おう。人類全体のもの 否生物にとって唯一の大切な地球を放射能で汚してはいけない。







インターネットの掲示板「2ちゃんねる」が去年、警察などに指摘された違法情報の大半、
約5千件を放っていたそうだ
多くが禁止薬物の勧誘である






平成24年5月12日の天声人語よりの引用


師弟の会話。「してもいない行為で罰せられることは……」「ないよ」「よかった、宿題やってません」。

さるジョーク集から拝借した。

やるべきことをしないのは不作為の罪。

失火の放置などをいう

▼インターネットの掲示板「2ちゃんねる」が去年、警察などに指摘された違法情報の大半、約5千件を放っていたそうだ。

多くが禁止薬物の勧誘である


覚醒剤がアイス、大麻には野菜の隠語があると聞けば、商いの盛況がうかがえる

▼掲示板にはよからぬ書き込みを消す係がいるが、警察側の要請にも反応は鈍い。

他サイトがほとんどの削除に応じたのに、「2ちゃん」の削除率は3%。

この緩さが重宝され、ますます売人が群がるらしい


▼薬物の売買は口コミと手渡しが常道とされた。

匿名掲示板と宅配便の悪用で、それがネット通販なみの手軽さになる。

今や暴力団の金づるにして薬物中毒の始発駅だ。

取引には、やはり掲示板で売買された口座や携帯電話も使われる

▼ワルにも上があるもので、スーパーで買った調味料を「アイス」と偽り、9万円で売った人物が本紙に語っていた。

「モノがモノだけに、警察に泣きつかれる心配はない」。

百鬼夜行である

▼警視庁は、薬物売買を助けた疑いで「2ちゃん」の関係先を捜索したが、管理の実態は定かでない。

何でもありがネット文化とはいえ、怪情報の野放し、垂れ流しには自ら策を講じるしかない。

「板」を掲げ続けるためにも、「やってません」では済まない宿題である。




2チャンネルとは何ぞや。ものが売れる掲示板のようだ。ネットは益が多いのか害が多いのか

マスコミ ミニコミ以外に個人が勝手に意見を言える場として良いように思う。






もろもろへの感謝や追慕を届ける母の日である。





平成24年5月13日の天声人語よりの引用

母と子をうたった詩歌や物語は多いけれど、機微にふれてほろりとさせ、

思い出させて郷愁を誘うのは、庶民派の川柳だろうか。

〈添乳(そえぢ)したまゝだと気附(きづ)く明(あけ)の鐘〉麻生葭乃(よしの)。

赤子に添い寝して、乳を飲ませながら眠ってしまった母の図である

▼下の子が生まれて母さんを独り占めすると、まだ幼い兄や姉は少し寂しくなる。

〈上の子は足だけ母にふれて寝る〉丸山弓削平(ゆげへい)。

そっと伸ばした足に母の足。

この場面、「父」では代用がきくまい

▼そんな、もろもろへの感謝や追慕を届ける母の日である。

ここ数日、花屋さんの軒先は道までカーネーションがあふれている。


百花の咲き満ちる初夏(はつなつ)だが、きょうの日の、この花の役どころはゆるぎない

▼昨年秋の声欄(名古屋本社版)に、70代の女性が寄せていた。

小1だった娘さんが「おこづかいをつかってしまい、

カーネーション1本しかかえなくてごめんなさい」とたどたどしい字で書いた手紙を宝物にしているそうだ。

一輪のあたたかさが、胸の中に宿り続けたことだろう

▼母の日の起源は100年余り前、米国のある女性が亡き母を偲(しの)んだ追悼会とされる。

亡母の好んだ白いカーネーションを捧げ、参加者にも手渡したという。


共感を呼んで全米に広がり、日本でも戦後、花の名とともに定着した

▼人はいくつになっても親の子ども。

歌壇の重鎮だった窪田空穂に一首ある。

〈八十五の翁となれど母おもへばただになつかし今日は母の日〉。

思い出の国にも、感謝は届くはずである。



誰にも母が在ることにはことには間違いない。キリストも釈迦もムハンマドも母から生まれている。






今年は歌人斎藤茂吉の生誕130年にあたり、きょうが誕生の日になる





平成24年5月14日の天声人語よりの引用

今年は歌人斎藤茂吉の生誕130年にあたり、きょうが誕生の日になる。

茂吉をよく知らなくても、教科書にも載るこの一首は多くがご存じだろう。

〈のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり〉。

その名を一躍高めた絶唱である

▼郷里の山形で生母は5月に死去した。

早苗のそよぐ田をツバメが飛び交うころだ。

昔は当たり前のように家々に巣をかけていた。

しかし今、天上の歌人は心配かもしれない。

都会ばかりでなく田園でも、スマートな燕尾服(えんびふく)姿が減っているらしい

▼最近ツバメを見ましたか――と日本野鳥の会が呼びかけている。

全国から情報を募って実態を調べるのだという。

農地の衰退や巣作りに適した家屋が減るなど、近年の受難は想像がつく。

だが詳しいことはわかっていない

▼ともに小さくて身近で、まとめて「燕雀(えんじゃく)」と呼ばれるスズメも減っている。

こちらは「この20年で6割減」という推計があって深刻だ。

この国の津々浦々で、ありふれた生き物が、ありふれて在る環境が損なわれている

▼野鳥の会は、原発事故による放射性物質の影響も懸念する。

子育て中のツバメはせわしない。

1時間に何十回もエサの虫を運ぶと聞く。

無心な親鳥と、「のど赤き」新しい命を思えば、罪の意識がチクリと痛い

▼ツバメが巣をかける家は繁盛する、と俗説に言う。

ツバメの巣くわぬ年は火災あり、とも言う。


日本列島という大屋根に、末永く飛来してくれようか。

今年まだ見ていないのが、気にかかる。



ツバメやスズメが少なくなり、カラスが目立つようになる。カラスがごみ出しのごみをあさるので大変に迷惑なことである。




沖縄の本土復帰からきょうで40年になる。




平成24年5月15日の天声人語よりの引用

 いわゆる「てにをは」の使い方で意味はがらりと変わる。

沖縄の集会を取材して、あらためて距離を感じたのは13年前だった。

米軍普天間飛行場の県内移設に反対する1万2千人が「沖縄を返せ」を合唱した。

かつて祖国復帰運動の際、沖縄と本土のへだてなく連帯を託して歌われた歌だ

▼歌は末尾で「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返す。

ところが会場では「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と歌われた。

「を」が「に」に変わっただけだが、そこにはもう沖縄と本土の連帯感はない

▼代わりに、島を自分たちに返せという、決然とした抗議があった。

本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い。

そして今、沖縄の不信は消えるどころか尖(とが)り、基地の押しつけを「差別」ととらえる意識が広まっているという

▼本紙などの世論調査に、沖縄の2人に1人がそう答えていた。

「いま沖縄は氷のように冷たい目で本土を見ている」と沖縄に住む作家仲村清司さんは言う。

まなざしは「無関心という加担」への抗議にほかなるまい

▼沖縄の本土復帰からきょうで40年になる。

さる4月28日は、講和条約の発効で沖縄が日本から切り離されて60年の日でもあった。

「屈辱の日」の呼び名が今も残るのを、どれだけの人が知っているだろう

▼「押しつけ憲法とか言ってますがね、沖縄はその憲法、押しつけてももらえなかった」。

旧コザ市の市長だった大山朝常(ちょうじょう)さんの怒りが耳によみがえる。

誰もが無関係ではありえない、島の歴史と今がある。



名目上はアメリカから沖縄は本土復帰だが まだまだ実態はアメリカ占領下の様な状態が続いている。

日本も又アメリカに物言えぬ存在のように思える。

世界にアメリカは基地を張り巡らして危険な存在である。国連がもっと力をつけないといけない。

第二次大戦の戦勝国同志のエゴ゜の戦いは続いているように思える。






時は流れて、新聞やテレビを新たな「ガチャ」がにぎわしている
携帯電話などで遊ぶゲームにある「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」なる仕掛けだ





平成24年5月16日の天声人語よりの引用


 戦後の日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。

繊維などの業界で「ガチャ万」や「ガチャマン景気」と言われたのはそのころだ。

機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかった。


今は昔の糸偏(いとへん)産業の活気が、言葉の響きから伝わってくる

▼時は流れて、新聞やテレビを新たな「ガチャ」がにぎわしている。

携帯電話などで遊ぶゲームにある「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」なる仕掛けだ。


これに景品表示法違反の疑いが生じ、近く消えることになった

▼縁なき人も多いだろうが、つまりは何種類かの絵柄をそろえるために「ガチャ」と呼ばれるくじを引く。

1回数百円だが、運営会社には大収益源で、まさに「ガチャ万」だった。

一方で、子どもが月に数十万円もつぎ込むといった問題も起きていた

▼ネットを使ったゲーム市場は広がり、プロ野球の球団を所有する企業もある。

だが、こういう際(きわ)どさを聞くと、「なんだかなあ」である。

中止は自主規制だが、消費者庁が動き出してからのことだ

▼ややこしいコンプガチャの説明に、各紙は昔懐かしい「野球選手カード」を引き合いにした。

菓子についていて、たとえばある球団の9人がそろうと景品がもらえる。

なかなか出ない選手がいて少年らは小遣いをはたいたものだ

▼やがて景表法で禁じられるが、度を超す子には駄菓子屋のおばちゃんが意見していた。

それとなく見守る地域の目もあった。

時は移って、独りで画面に投資する子を思うと、どこかしら寒い。



可哀そうにゲ−ムで子供たちネットの業者の餌食になつて被害を被っている。






日本人にも親しみ深い英国のエリザベス女王が、
今年、即位60年を迎えた






平成24年5月18日の天声人語よりの引用


「クイーン旋風」が日本に吹いたのは37年前の5月。

初来日した英国のエリザベス女王の一挙一動は行く先々で衆目を集めた。

迎賓館で畳を歩くと、公式の場で靴を脱いだのは初めてと英メディアも報じた。

写真が残るが、美しいおみ足である

▼日本人にも親しみ深い女王が、今年、即位60年を迎えた。

英BBC放送によれば、父君ジョージ6世が亡くなった夜、彼女は旅先のケニアで大きな木の上に造られたキャビンに泊まっていた。

「王女として木に登り、女王となって下りてきた」と伝説的に伝えられる。

以来、英国の顔であり続けてきた

▼しかし楽な時代ではなかった。

戴冠式(たいかんしき)の女王のメッセージにこうある。

「わたくしの戴冠式は過ぎし日の英帝国の権力と壮麗の象徴ではありません」「それは未来に対するわれわれの希望の表明なのです」

▼かつての「日の沈まぬ帝国」は斜陽著しく、のちに経済は「英国病」と言われるほど停滞した。

王室にも様々に波風が立った。

幾山河、の感慨は深いものがおありだろう

▼祝賀行事のために天皇、皇后両陛下が訪英されている。

59年前の戴冠式には、当時皇太子だった陛下が参列した。

英王室と皇室のゆかりは深い。


心臓手術から間もないが、陛下の強い希望によるご訪問である

▼時のチャーチル首相は「皇太子殿下は必ずや英国に友情を寄せられるでしょう」と歓迎会で挨拶(あいさつ)したそうだ。

いま両陛下が寄せる思いは、女王にも英国民にも届くことだろう。

時の流れに褪(あ)せることなく。




立憲君主国の存在意義又は利益はどのような所にあるのだろうか。?

万民平等の考えからずれているようにおもうのだが。







海江田元経産相によれば、発生当時の東電と首相官邸のやりとりは
「伝言ゲーム」さながらの状況だったらしい






平成24年5月19日の天声人語よりの引用


 伝言ゲームと同じ遊びが欧米にもあって、その英語名はまちまちらしい。

米北部のある地域ではrumors(ルーマーズ、うわさ)と言い、南部ではsecrets(シークレッツ、秘密)と言うそうだ。

詩人のアーサー・ビナードさんが本紙に寄せた随筆に書いていた

▼なぜかRussian scandal(ロシアンスキャンダル、ロシアの醜聞)という呼び名もある。

曖昧(あいまい)にして隠微な語感を、原発事故調査の参考人招致で思い出した。

海江田元経産相によれば、発生当時の東電と首相官邸のやりとりは「伝言ゲーム」さながらの状況だったらしい

▼伝言ゲームは正しく伝えようと懸命になる遊びだ。

ひるがえって当時、能力不足に加え、隠蔽(いんぺい)も歪曲(わいきょく)もあったのは想像に難くない。

事故現場からの「撤退」をめぐる言った言わないも、その辺の産物だろう

▼海江田氏は「全員撤退と認識した」と述べ、東電は「言っていない」と言う。


制御を放棄して逃げ、原子炉が爆発すれば被害は途方もない。

不信をあおる水掛け論だが、突きつけるものは深い

▼「十死一生」という言葉がある。

「九死一生」を強め、まず助かる見込みのないことを言う。

さらに「十死零生」と言われたのが特攻だった。

万が一の時、自分は人に決死的行為を命じられるか。

逆に、命じられたらどうか。

原発というものの魔性が、そこにある

▼官邸と東電の伝言ゲームには、なお何かが隠れていよう。

事故全体に潜む不都合な真実は膨大だと




外国から攻められての緊急時には自衛隊が主導してあたるのか 官邸がそれにあたるのかを決めておいてほしい。

国家の緊急時は常におこることである。

その時にだれが責任を持ち当たるかは平時から決めておくべきことである。

会社の利益優先でもって事が進められれば国民はたまったものではない。今も続いている話だ。

緊急時を起こさないことが立派な最善の処置である。







世界最多、30万ともいわれる日本の姓の多くは地名に由来する






平成24年5月20日の天声人語よりの引用


慣れ親しんだ字といえば、まずは自らの氏名、そして住所などの地名である。

人名と地名は縁が深い。

名字の研究で知られた丹羽基二(にわ・もとじ)氏によれば、世界最多、30万ともいわれる日本の姓の多くは地名に由来する

▼プロ野球の楽天が、本拠地仙台でのセ・パ交流戦「がんばろう東北シリーズ」で、東北6県と同じ姓の人を無料にするという。

あさっての中日戦から12試合、当日券に余裕があり、証明するものがあれば家族全員タダになる

▼さて、東北各県と同姓のお客さんがどれほど来るか。

普通にありそうで、筆者も毎日のように聞くのが「福島さん」である。

宮城、秋田、山形さんも知っているが、青森さん、岩手さんとなると珍しい

▼ちなみに各種の推計によると、姓に多い都道府県名は山口、石川、宮崎、千葉の順で、次に福島がくる。

この五つ、どなたも著名人の一人や二人は思い浮かぶのではないか

▼姓が出身県と同じ友人がいる。

小学生の頃、社会科の先生に「わがG県のことはGに聞こう」といじられたそうだが、長じてからは得なことばかり。

人前で話す身となり、筆名と間違われるほどのインパクトに感謝しているという。

誰にも、こよなく愛する地名がある

▼城の名に発するとされる「福島」は、もともと「よい土地」の意味らしい。

今さらながら、それぞれに美しき地名の由来と、起きたことの落差が恨めしい。

大熊、双葉、富岡、浪江(なみえ)、葛尾(かつらお)、飯舘(いいたて)……。

出身者はもちろん、全国の同姓さんの思いも同じだろう。




地名が先とはすべて言い切ることはできない。支配者の姓が地名になることもある。

姓が住職 神主のような有識者によって決められたこともある。かってにつけた姓もある。






列島各地で金環日食が観察された



平成24年5月22日の天声人語よりの引用

「太陽と月とどちらが大切でしょう」と聞く先生に生徒が答えていわく。

「月です。月は闇夜を照らしてくれますが、太陽はもともと明るいところを照らすだけです」。

『世界のジョーク事典』に見つけた笑話だが、この生徒も昨日の天体ショーを見たら感動したことだろう

▼列島各地で金環日食が観察された。

皆既日食のように「天の消灯」ではなく、輪となって神々しく光った。

拙宅では、観葉植物の木漏れ日が、床(ゆか)にいくつもリングの影を落として幻想的に揺れていた

▼古代の人たちは日食を様々に説明しようとした。

天の怪物が太陽を食べているとか、太陽の神と月の神が争っているとか、色々ある。

いまや奇怪な現象ではないが、それでも深遠な思いにとらわれる

▼太陽の直径は月より400倍大きい。

だが400倍の彼方(かなた)にある。


この偶然が双方の大きさをほぼ同じに見せて、皆既や金環日食が起きる。

見えた人は、太陽と月と自分が一直線になったのを実感したことだろう

▼天気に泣かされた人は残念だが、雲が湧き、雨が降る大気の層がなければ人も動物も生きていけない。

先日97歳で亡くなった詩人杉山平一さんが書いている。

〈地球を包む空気の皮のなかに/生きているのに/林檎(りんご)の皮をむいて捨てている〉

▼これが全文の詩は色々に読める。

自然への慎みを欠く時代への警鐘にもとれるだろう。

太陽と月を大切にするのは人知を超えるけれど、地球は人間しだい。

もっと顧みたい。

感動の余韻を、足元にも向けて。



金環食にカメラをもって待ち構えていたがはっきりと捕まえることができなかった。テレビで放送されている写真はきれいに取れている。






工事中に東日本大震災に耐えた東京スカイツリーと、どこか重なり合う
地震の1週間後には高さが634メートルに届いた
きのうの開業初日





平成24年5月23日の天声人語よりの引用

幸田露伴の「五重塔」は、名人気質の頑固な大工が五重塔を独力で建てる物語。

心魂を傾けた塔は落成式を前に大暴風雨に見舞われるが、

嵐が去ると「一寸一分(いちぶ)歪(ゆが)みもせず」に見事に立っていた。

工事中に東日本大震災に耐えた東京スカイツリーと、どこか重なり合う

▼地震の1週間後には高さが634メートルに届いた。

日本中が騒然、暗然となるなかで、ともしびのような話題だった。

聞けば耐震性を高める設計は、伝統建築の五重塔の知恵を生かしているのだという

▼「心柱(しんばしら)」と呼ばれる柱が、五重塔の中心を貫いている。

似た構造をツリーも持つ。

地震だけでなく、瞬間風速が毎秒110メートルという超暴風も想定しているそうだ。

ツリーの地元で長く暮らした露伴翁は、天上でご満悦なことだろう

▼着工から完成へ、淡々かつ黙々と空へ伸びていった。

爪の垢(あか)を煎じて政治家に飲ませたくなるようなプロの仕事師ぶりだ。

基礎工事をはじめ照明や塗装、アンテナなどまで、総身が日本の最新技術の結晶という。

ものづくりの底力を思うと、じんとくる

▼設計に際しては「威圧感を持たせないようにした」そうだ。

巨大建築は往々に国威や権勢を誇り、象徴する。

それをすらりと脱ぎ捨てた「雅(みやび)」と「粋(いき)」は江戸の下町によく似合う

▼きのうの開業初日。

前の日の天体ショーに晴れ間を譲ったのか、東京は雨になった。

だが樹下から仰ぐと、上半分を雲が流れてなかなか幻想的だった。

雨のち晴れの日本の明日を、ツリーとともに歩みたい。




スカイツリーは耐震性が大丈夫だといわれているか本当だろうか。?

大丈夫だといわれていた原発神話は壊れた。

でもスカイツリーは本当に大丈夫なのかと心配だ。万が一簡単に壊れればどんなことになるのだろうか。

喜んでばかりはいられないのでは。必ず老朽化することは間違いない。その時はどなるのか。?

山の頂に、小さな塔ではだめだったのか。? 喜んでばかりはいられないのでは。






時は移って、すっかり「決められない首相」の印象に染まる野田さんである





平成24年5月24日の天声人語よりの引用

政治家はたとえ話がうまい。

田中角栄元首相がこんな人物評を語ったそうだ。

「大平は一刀流、福田は長ドス、三木はくさりがま、宮沢は小太刀」。

(稲垣吉彦著『ことばの四季報』から)。

いずれも自民党の大物だが、往年の政界図を彷彿(ほうふつ)とさせて面白い

▼時は移って、すっかり「決められない首相」の印象に染まる野田さんである。

失礼ながら、思い浮かぶのは「鉛刀(えんとう)」だ。

つまり「なまくら刀」。

といっても悪い意味ばかりではない。

「鉛刀は一割(いっかつ)を貴(たっと)ぶ」と中国の詩句に言うそうだ

▼鉛の刀は一撃すれば折れ曲がってしまう。

だから一度きりの機をねらい、邪念も色気も捨てて無念無想、全力を絞れと説く。

二度目はない。

税と社会保障の改革で「不退転」を繰り返す首相に、さて、その気概はあるのだろうか

▼答弁はよどみないが、紋切り型だ。

身内の融和が何より大事な輿石幹事長をどうにもできない。

そうこうするうちに、小沢元代表が勿体(もったい)顔でまた登場である。

堂々巡りにうんざりとなる

▼今や常套句(じょうとうく)の首相の決意を、〈幾つあるのか政治生命〉と川柳欄が一刺ししていた。

自民党に秋波を送り、元代表にも流し目を使う。

駆け引きをすべて否定はしないが、「保険」を捨ててこそ浮かぶ瀬もある、だろう

▼中曽根内閣時代の後藤田官房長官はかつてカミソリや懐刀(ふところがたな)にたとえられた。

今の藤村官房長官は「こんなに物を決めなくていいんでしょうか」と自民のベテランにこぼしたそうだ。

内閣の要(かなめ)に焼きが回っては困る。




波乱分子を抱えねじれ国会では決められないのは当然のことで、自民党も 民主党も変わりなくなってきたのが

気がかりである。切磋琢磨してほしい所である。体政翼賛会になってほしくないのは誰もの願いだ゜。

大政党の統合はそれに近い。








共和党候補に事実上決まったロムニー氏が、
30年ほど前に愛犬を「虐待」したとメディアにやられた
「民主主義の祭り」はしかし、いつになく中傷合戦が激しいと伝えられる







平成24年5月25日の天声人語よりの引用

人は一生の間にどれぐらい罪を犯すものだろう――と故・井上ひさしさんがユーモラスな随筆を書いていた。

幼いころ、隣家の猫のひげをちょん切ったそうだ。

これは立派な犯罪になるらしい

▼他にもスカートめくりやキセル乗車など、あれやこれやで「総刑期」は50年を超すと、書きながらご本人が驚いている。

そんな一文を、米大統領選をめぐる報道で思い出した。

共和党候補に事実上決まったロムニー氏が、30年ほど前に愛犬を「虐待」したとメディアにやられた

▼カナダまでの約12時間、犬をかごごと車の屋根にのせて走ったという。


愛犬家たちの猛反発を受けて釈明に追われた。

片や現職のオバマ氏も、自伝の中にある「インドネシアで幼少期に犬を食べた」を敵陣営に突かれた。

あばき立てに時効はない


▼ロムニー氏は、高校時代に同性愛者の下級生をいじめたとも報じられた。

これはより深刻で、謝罪して火消しをした。

信条や政策はもとより、配偶者の人柄や過去の言動まで、候補者は公私にわたって徹底した吟味にさらされる

▼長丁場の総力戦は、11月の投票まで半年を切った。

その「民主主義の祭り」はしかし、いつになく中傷合戦が激しいと伝えられる。

醜聞を掘り起こしては煙を立てる工作員のオフィスもあるのが、あの国らしい

▼肉食系のタフな戦いに勝つのはどちらか。

そして、国民の投票で選ばれた正統性に4年の任期は保証される。

あっさり系、すげかえ自在の日本の首相選びとはだいぶ味わいが違う。




アメリカのようなお金にものを言わせ、マスコミでもって相手を中傷合戦するのはどうかと思う。

シリアのように相手を銃で倒すのはさらによくない。

ミヤンマー(ビルマ) のスーチンさんはやっと解放されたが、議会の多数派は不平等なやり方で軍人が支配している。








視力を失った人を民と言い、神への奉仕者とされた
おとなしく権力に従わせる対象を「民」と呼んだのではないか
そんなことを、「原子力ムラ」の伏魔殿ぶりから連想した





平成24年5月26日の天声人語よりの引用



漢字の多くは、一字の成り立ちに濃密な事柄を秘める。

たとえば「民」の字は、目を突き刺している形だという。

漢字学者の故・白川静さんによれば、視力を失った人を民と言い、神への奉仕者とされた。

それがいつしか「たみ、ひと」の意味で使われるようになったそうだ

▼意味の変化には「知らしむべからず」の臭いがする。

おとなしく権力に従わせる対象を「民」と呼んだのではないか――。

そんなことを、「原子力ムラ」の伏魔殿ぶりから連想した。


民に目隠しをし、民を侮る、思い上がった人たちである

▼ムラで重きをなす原子力委員会は国の原子力政策の基本を決める。

そこで内々の「勉強会」を重ね、電力業界とのなれ合いの末、推進派に有利なように報告書案が書き換えられていたという

▼この期に及んでの無反省に驚くほかない。


そういえば専門委員の中には、原発関連企業などから寄付を受けていた人もいる。

この組織、壊して更地にして作り直す必要がある。

古い革袋に新しい酒は入れられない

▼事故のあとも、必要かつ正しい情報が様々に遮断されているようだ。

脱原発を訴えれば、「情緒的」「感傷」といった蔑(さげす)みが産・官・学から返ってくる。

夏場の電力が足りないと迫られる。

これでは今日より良い明日は見えてこない

▼原発を知らなかったこと、知ろうとしなかったことを、多くの人が誠実に悔いている。

欺き隠して知らせなかった罪を、ムラは心底自省するべきなのだ。

欺瞞(ぎまん)の上塗りはごめんである。



政治家にお金に踊らされている民衆と、企業にあやつられている政治家・官僚、それを取り巻く政治屋たちでもって

日本の政治が動いているように思えてくる。

政治家への寄付・献金を禁止して 違反すれば法律で罰するようにすれば多少はよくなるのか。

確か、そのために法律で政治資金が国から交付されるようになっているのではなかったのか。?





「日本人は無臭の時代に生きている」とも説く。
地球上の大多数は、芳香にせよ悪臭にせよ強烈なにおいの中で暮らす





平成24年5月28日の天声人語よりの引用


東京ぐらしで忘れそうなものに、潮の香がある。

生臭さとはまた違う、むせ返るほどの海の息吹だ。

わりと近いのは生きのよい海鮮丼ぐらいと思っていたが、さすがに「においのプロ」は鋭い

▼京都に本店があるお香(こう)の老舗、松栄堂(しょうえいどう)の畑正高(はた・まさたか)社長が、

情報誌「銀座百点」の座談会で、東京に出向いた折のにおいに触れている。

「駅におりると、まず海の風があって、ああうらやましいなあと感じます」。

うかつにも当方、魚市場の隣で書いていながら、海辺にいる意識は乏しかった

▼それではと潮の香を求め、2月に開通した東京ゲートブリッジを目ざした。

空路と海路の邪魔にならないよう、上下に気兼ねして「向かい合う恐竜」のシルエットに落ち着いた新名所だ

▼入り組んだ岸壁をたどり、恐竜の尻尾から橋の中央へ。

そこは埋め立て地の果て、トラックと貨物船が行き交う貿易立国の最前線である。

海面から約50メートルでは無理もないが、かすかに排ガスが臭うのみで潮は香らない。

羽田へと降下する旅客機が大きかった

▼座談会の畑社長は「日本人は無臭の時代に生きている」とも説く。

地球上の大多数は、芳香にせよ悪臭にせよ強烈なにおいの中で暮らす。

だがこの国では、生活臭がまるで除かれていると


▼都会の雑踏は「地球の体臭」までも吸ってしまうのか。

潮の香を含んだ海からの風は、ゲートブリッジを越えたあたりで、鼻が利く人だけが気づく程度に薄まるらしい。

鉄骨の恐竜たちが「無香社会」の門番に見えてくる。




匂いがなくなれば殺風景な世の中になるのではないか。





吉田秀和さんは9年前に妻のバルバラさんを喪(うしな)った





平成24年5月29日の天声人語よりの引用


吉田秀和さんは9年前に妻のバルバラさんを喪(うしな)った。

悲しみは深く、心の空白を埋められないまま本紙連載「音楽展望」も休筆が続いた。

「黄泉(よみ)の国に行って妻を連れ戻せればと、本当に思う」――本紙に語った悲痛に胸を突かれたものだ

▼奥さんは日本文学を研究し、死の床で永井荷風をドイツ語に訳していた。

吉田さんは遺作を本に編み、やがて深い痛手から立ち直る。

「やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ」と、3年後に再開した「音楽展望」に書いている

▼幾多の音楽評論は、それ自体が音楽を聴いているような名文でつづられた。

一編一編を読みながら、勘所(かんどころ)にすっとおりていく刃を見るような快感があった。

しかも森羅万象への知見が深かった

▼音楽という芸術の深淵(しんえん)には、なかなか触れにくい。

だが吉田さんは、音楽の奥庭に咲く花を、そっと剪(き)って素人にも手渡してくれた。

ご本人のめざした「想像力の引き出し役になる批評」に魅せられた人は、わが周囲にも少なくない

▼世界屈指のピアニストだったホロビッツの来日公演を「ひびの入った骨董品(こっとうひん)」と評したのはよく知られる。

一方、奇人扱いされていたピアニスト、グールドの天才を早くから買っていた。

権威に曇らぬ批評眼のゆえだったろう

▼昔のエッセーに、妻の祖国ドイツの詩句を引いていた。

〈眼をとじてみたまえ その時、きみに見えるもの きみのものはそれだ〉。

享年98。

閉じた目の内に何を見て、旅立たれただろう。




芸術に携わる人は長生きとはきいているが 98歳は長生きだ。








112年も前に慧海が「仏」を見たダウラギリに、先週
登山家の竹内洋岳(ひろたか)さん(41)が登頂した






平成24年5月30日の天声人語よりの引用

「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤの山々は、畏怖(いふ)をこめて「神々の座」とも称される。

明治時代に秘境に潜入した日本人僧、河口慧海(えかい)は8千メートル峰のひとつダウラギリを間近に仰いで、そこに仏の姿を見た

▼「あたかも毘盧遮那(びるしゃな)大仏が虚空にわだかまっているような雪峰」と感じ入った。

荘厳な山容に、あの「奈良の大仏」が天を突く姿を思い描いたのだろうか。

実際、8千メートルの峰を仰ぐと、高さというより大きさに圧倒される

▼112年も前に慧海が「仏」を見たダウラギリに、先週、登山家の竹内洋岳(ひろたか)さん(41)が登頂した。

ただの成功ではない。

世界に14ある8千メートル峰すべての登頂を、これで成し遂げた。

17年をかけた日本人初の快挙である


▼近年、ヒマラヤの大衆化は著しい。

エベレストには富士山顔負けの行列ができるほどだ。

だが14座の登頂には、掛け値なしの困難がある。

これまでに日本の登山家3人が、9座まで登ったものの落命している

▼自然が人間を拒絶している超高所へ、意志と体だけで切り込む。

達成まで生き延びることが目標になる、厳しい挑戦である。「冒険とは生きて帰ること」。

植村直己さんの至言を胸に畳んでの長い道だったろう

▼一流の登山家ほど「命知らず」の行動から遠いものだ。

ひるがえって国内を見れば、「14座」ならぬ「百名山」をめざす中高年の登山者が列をなす。

だが、百の頂上を踏むためには毎回無事で帰る必要がある。

快挙から汲(く)みたい、登山の心構えである。

タウラギリ(画像)


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