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7月になって


7月の前半は比較的暑い日もあるが、まだ梅雨時で比較的しのぎやすい日が続く。蒸し暑さを感ずるも、節電のため網戸を通して

外気からの冷房に務める。自然の冷房は新鮮ですがすがしい気持ちになる。昔クーラーがなく扇風機もなく、

停電は頻繁にあった時代を日本人は敗戦後の暫くの時を経験している。打水と床机を持ち出して涼んで、夜は戸は開けたままで

蚊帳をつって団扇であおぎながらや寝に就いたものである。

この季節ひどい雨が降るかと思うとしばらくして止み、再び暑さがぶり返す。

そんなことを繰り返へしながら京都の名物である祇園祭のお囃子が聞こえてくる季節となってくる。

祇園祭の頃には古くから京都で梅雨が丁度上がると言われている。

7月17日に祇園祭が無事に終わり 夜に神輿が八坂神社近辺でもって威勢よく担がれた。

梅雨明けが祇園祭の翌日に宣言されている。

そのあとは本格的な夏の到来となってくる。

暑くとも今年は節電のためにクーラーはできるだけ使わず外気を取り込むようにしている。

クーラーではわからない外気の新鮮な涼しさを実感した。昔味わったあの懐かしい新鮮な涼しさである。

裏山の樹々の枝で鳴く蝉は7月の前半で゛は未だ鳴いていない。雨が降ったりやんだりの時期を過ごしている。

7月20日の朝から蝉が鳴き出している。裏山の樹が綺麗に剪定され茂みが無くなったので

今年は蝉が鳴かないかと思っていたのが20日朝から鳴き出している。長い間夏に蝉が何時鳴きだし何時止めるのかは知っていなかったが

今年初めての発見であった。

雑草は急に背を伸ばし刈るのに大変である。節電の宣伝のお蔭で昔の涼気を体験することができた。

金曜夜の恒例になっている関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に対する抗議行動が毎週続いている。

フル稼働後初となる7月13日も、多くの市民が集まった。

約300人から始まった運動は国会議員や活動家らも巻き込んできている。

原発の「再稼動反対」を叫ぶデモが、全国に広がって来た。

これを「あじさい革命」と呼んでいる。

 チュニジアの「ジャスミン革命」を連想させる名前である。

組織的に動員されたデモではなく、ネットで呼びかけた、非組織的な、いわば自然発生的なデモであることが共通している。

 3月以来、毎週金曜日の夕方に行われているデモだが、先週は首相官邸前のデモの参加者が20万人(以下、主催者発表)になった。

子供づれの若いお母さんが目立っていた。

ちなみに、60年安保のときの国会デモの参加者数は33万人だった。あれ以来の大規模なデモである。

さらに7月16日(月・休日)10万人集会(11時より)に参加しようと呼びかけられている。結果は17万人(主催側) 7万5000人(警察側)

多勢の人たちが反対していることには間違いない。

野田首相が責任を持つからとして国民の意向とは別に財 官 政界の意向を重視して再稼働が行われている。

官邸内の野田首相が反対の声に対し新聞報道では「大きい音がしているね」との感覚に決められない首相の意地によるものなのか。

政府が夏場に電力不足に陥るとの危機感をいくら訴えても、

共同通信の全国世論調査では4〜7月の各月とも一貫して50%以上が再稼働に反対している。

金曜日の原発反対運動に鳩山元首相が参加したとの報道もあるが、消費税増税反対行動には賛成しがたいがこの原発反対には評価したい。

企業向きの野田首相の態度に一人一人が民主党員として原発に対して脱原発に賛成の行動をとってほしい。

原発は大量の放射能を出し続ける物質を作ることでそれの処置が判らずに何万年と出し続けるものである。人間には手におえないものである。

「脱原発日本」を目指したい。このままだと核によって地球が滅ぶのではないか思っている。

日本の政界は小沢一郎氏を代表とする新党「国民の生活が第一」が旗揚げした。

 消費増税に反対し、民主党を離党した衆参49議員が加わった。これほどの規模の新党結成は、

現在の民主の前身が1996年にできて以来となる。各新聞やテレビマスコミの反応は冷ややかな感じで国民の人気取りをして

現実とは合わないので゛はないかとして支持率は15%であるが、台風の目であることには間違いない。

その後も民主党を離れる参議院員 衆議院員は党からこぼれるがごとくに離れている。

23日に山口県岩国市に陸揚げされる米軍の新型輸送機MV22オスプレイについて、

10県の知事が国内配備や低空飛行訓練計画に反対していることが、全国知事アンケートでわかっている。

また約4割にあたる20府県の知事がオスプレイの安全性を不安視しており、

一方、計画に「賛成・容認」とした知事はゼロにも拘らず配備が着々と行われている。

それにも拘わらずにオスプレイの沖縄配備計画に関し野田佳彦首相が受け入れを拒否できないとの認識を示したことについて

「『米国が決めればどうしようもない』という発言しているが。


「一国の首相が言うべきではない」と批判されている。

アメリカには物言えぬ日本政府が自民党時代から続いて民主党時代になっても依然と続いている。

戦後一時期に泣く子もたまるマッカーサーとして恐れられていたような時代があったが、現在も未だに引きずっているようにしか思えない。

沖縄の基地問題は沖縄と日本政府の問題でなく、日本とアメリカとの問題がすり替わっているように思えて仕方ない。

物が言える日本政府になることを望みたい。

戦争放棄した日本がなんとか世界から期待されるような日本に変わっていってほしいものである。

アラブの春のシリアは現政府は追い詰められているような報道がなされている。

ーインターネットよりの引用ー

7月15日、首都ダマスカスで反体制派と政府軍による激しい戦闘が勃発し、17日には反体制派が市民に対して一斉蜂起を呼び掛けた。

7月18日、首都ダマスカスの治安機関本部で反体制派の自爆テロにより、ラジハ国防相、シャウカト副国防相(アサド大統領・義兄)、

トゥルクマニ副大統領補の3人が死亡し、シャアール内相とイフティヤル国家治安局長が負傷した。

これに対してアサド政権側は、直ちに新国防相にファリージを任命するとともに、反体制派への報復を宣言し攻撃を開始した。

7月19日、国連安全保障理事会において、「国連シリア監視団の派遣延長」と「アサド政権への制裁」を合わせた欧米の決議案を採決したが、

またもや中国・ロシア両常任理事国が拒否権を発動し、否決された。

同日、反体制派がトルコ国境検問所とイラク国境検問所を含む3か所の検問所を制圧し支配下に置いた。

7月20日、18日の自爆テロで重傷を負っていたイフティヤル国家治安局長が死亡。

世界では絶えることなき戦争が続いているようにようだ。

アメリカ大統領選挙とオリンピックの年が同じ年になり、今年は両方が行われる年にあたる。

今年のロンドンオリンピックは7月27日から始まり8月12日まで熱戦が繰り広げられることになり、

大変に楽しみにしている。

28日午前4時半朝早く起床しロンドンオリンピックの開会式の中継を見る。入場する各国の中でイギリスから独立した

小国の名前が多く放送されるのに、改めて驚くほどに多く、イギリスの国旗が一部引用した旗をかざして行進する姿に

大帝国イギリスの偉大さ?に改め認識を新たにした気持ちで見た。

毎日これから熱戦がくりかえされることになるだろう。




日本パグウォッシュ会議



世界平和アピール七人委員会



さようなら原発10万人大集会(動画)



原発上空3キロ圏から見た いまだ手つかずの街(12/02/28(動画)




つぶやき(動画)






「真珠の耳飾りの少女」を含む「マウリッツハイス美術館展」が東京都美術館で始まった






平成24年7月1日の天声人語よりの引用


1枚の絵に日本中が大騒ぎしたのは1974(昭和49)年だった。

謎めく微笑を湛(たた)えた「モナリザ」の来日は、田舎の高校生だったわが記憶にも残る。

展覧会場の大行列がニュースになった

▼日仏首脳会談で日本公開を取りつけた際の、田中角栄氏の言が面白い。

端折(はしょ)って書くと、「日本の首相はフランス最高の美女をかどわかしに来たと心配されるかもしれないが、

ふさわしい栄誉をもって迎え、指一本触れさせずに送り返すと約束します」

▼国賓級の来日から時は流れて、いま、この美女の人気も並ではない。

「真珠の耳飾りの少女」を含む「マウリッツハイス美術館展」が東京都美術館で始まった。

17世紀オランダの画家フェルメールの名品も、至宝の名に恥じない

▼モナリザは微笑だが、少女はまなざしで惹(ひ)きつける。

「目で殺す」とでも言おうか、湛えているのは初々しい親密さだ。

まっすぐな視線が、見る者と少女を「一対一」の空間に置く

▼そんな至宝にも、不遇な時期があった。

19世紀に競売にかけられたときは、評価できないほど汚れていて、はした金で落札されたという(『フェルメールへの招待』朝日新聞出版)。

よくぞ損なわれず、失われもしなかったと、冷や汗の出る話である

▼少女が誰なのか分かっていない。

実在しなかったとも言われる。

だが天才の筆の冴(さ)えだろう。

300年を超えて画布に息づく存在感は、永遠の相を帯びてゆるぎない。

美女あり遠方より来る。また嬉(うれ)しからずや。

38年前も、いまも。


前回京都で開催されたフエルメール展を見に行ったが、期待して行った所フエルメールの作品は3点だけで

後は同時代の人たちの作品だけだ゛った「真珠の耳飾りの少女」の作品はなかった。

小品ばかりで気品を感じる。大作が多い流行りの中で、小品でも良いものは良い。

真珠の耳飾りの少女(動画)







蝶(ちょう)を花に、花を蝶に見立てる趣向は国を問わないようだ





平成24年7月2日の天声人語よりの引用


蝶(ちょう)を花に、花を蝶に見立てる趣向は国を問わないようだ。

フランスの詩人ネルヴァルは蝶を「ひらひらとぶ、茎のない花」と表した。

俳諧の始祖とされる室町後期の荒木田守武は〈落花枝にかへると見れば胡蝶(こちょう)かな〉と詠んでいる。

散る桜が枝に帰ると思ったら、おや、蝶でしたと

▼いまの季節なら、蝶を思わせる花はガクアジサイだろうか。

小花が集まって咲く縁(ふち)を、蝶が舞うように装飾花が取り囲む。

見事な咲きぶりの数株が近所の公園にあって、雨下、青や白の「蝶」が群れ飛ぶさまが目に鮮やかだ

▼本物の蝶も負けてはいない。

拙宅の鉢植えミカンには、今年も柚子坊(ゆずぼう)がお出ましだ。

アゲハチョウの幼虫の芋虫をそう呼ぶ。

枝はだいぶ裸にされたが、もう3匹ほどが飛びたった。

アゲハには梅雨の晴れ間がよく似合う

▼東京に住む関洋さん(61)から、『都市蝶』という小さな写真集を送っていただいた。

23区内で撮りだめた蝶は53種を数える。

摩天楼ひしめく都心でも、ひとつかみの緑があれば命をつなぐ。

そんな姿が光って見えるそうだ

▼ビル群を背に黒いジャコウアゲハが飛ぶ1枚など、孤高と崇高さえ感じさせる。

巨大と微小。

されど対峙(たいじ)してゆるがず。

自然の造物の優美にコンクリートは色あせる

▼〈華麗なる翅(はね)もて余し梅雨の蝶〉田辺レイ。

早いもので、暦は今年の折り返しを過ぎた。

とはいえ政治も経済も梅雨空のまま雲は低い。

雨宿りの蝶のように羽をたたむ停滞感。野山を越えゆく夏蝶に、早く姿を変えたいが。



蝶が飛ぶのを見る機会は昔に比べてず-と少なくなってきている。燕も雀も少なくなってきている。

耕作で農薬が使われ出して小さな虫が少なくなってそれにつれ燕も雀も少なくなってきたと言われている。

蝶の少ないのも其の為かと思える


ガクアジサイ(画像)



蝶(画像)







子飼いのひよこたちを引き連れて、民主党の小沢元代表が離党する
衆参50人ほどで新党だという







平成24年7月3日の天声人語よりの引用


子どもの頃、お祭りの露店で「カラーひよこ」を買ったことがある。

面白うてやがて悲しきというか、愛玩用の幼鳥は毒々しい赤や緑に着色され、思い返せば哀れな姿だった。

〈染められてなお売れ残るひよこたち〉古俣麻子

▼チルドレン、ガールズと十把一絡(じっぱひとから)げに呼ばれる国会議員の行く末を思うたび、この川柳が胸をよぎる。

実力者の色に染まってバッジをつけたはいいが、「数こそ力」の駒に使われ、先々の保証はない

▼子飼いのひよこたちを引き連れて、民主党の小沢元代表が離党する。

衆参50人ほどで新党だという。


離党届を小沢氏に預けていた議員は、身の処し方までを、有権者ではなく親分に委ねたことになる

▼離党者に多い当選1回組は、世論が雪崩を打った「政権交代バブル」で永田町に職を得た。

失礼ながら大半は、バブル崩壊の民主党では再選がおぼつかない。

ここは選挙上手に身を任せ、反増税、なんなら脱原発も掲げて生き残る策だろう

▼朝日歌壇に、先の句と対照をなす一首がある。

〈自らの色で濃くなる苺(いちご)ジャム私は私であり続けよう〉大堂洋子。

煮詰まるほどに紅(くれない)を深めるジャムには、他力で飾らぬ無着色の潔さがある。

政治家もかくありたい

▼激動の世で問われるのは「自らの色」だ。

着色に甘んじ、独り立ちしないチルドレンは消えてゆく。

ひよこじゃないとお怒(いか)りの皆様、集団離党の次のステップは自分で決めませんか。

余計な色を落として出直すもよし、国政の経験を生かして転職するもよし。





消費税反対 脱原発 それに脱アメリカ依存が加われば殆どの日本の国民が切に感じ熱望していることである。

実現性があるならば、民主党に残り党首となり総理大臣として剛腕を振るっていただきたかった。

現実は自民党も 政権奪取した民主党もできなかった。そして現実的なアメリカや企業に向いての政策が行われている。

何故民主党に残っての頑張りが出来なかったのかが不思議。社民党と組んでできれば良いのだ゜が。

反対のための反対での配下の議員数が力として今までの政治、金権政治だけはご免である。





飾らない笑顔というのは一つの才能である。
接客などの仕事で覚えることもできようが、
地井武男さんのそれは天然ものとお見受けした。




平成24年7月4日の天声人語よりの引用


飾らない笑顔というのは一つの才能である。

接客などの仕事で覚えることもできようが、地井武男さんのそれは天然ものとお見受けした。

散歩に演技なしと決めつけては、70歳で逝った名優に失礼かもしれないが

▼6年続いたテレビ朝日の「ちい散歩」。

地井さんは電車やブランコに夢中になり、商店街でコロッケや豆腐を買ってスタッフに振る舞う。

収録の思い出を描きとめた、素朴な絵手紙も楽しみだった

▼とみに増えた「ぶらり系」の番組は、歩き手の人間味に負うところが大きい。

お祭りと自然を愛する地井さんは、街の風景にたちまち溶け込んだ。

商店主や職人さんとの語らいも、芸能人とは思えぬ砕けぶりで、視聴者は大いに和んだものだ

▼俳優座養成所の同期は、原田芳雄、前田吟、栗原小巻ら粒ぞろいだった。

1970年、基地問題を正面からえぐった映画「沖縄」で初主演し、注目される。


以来、荒くれ者や刑事の配役が多かったせいか、「散歩中」に沿道から飛ぶ声援には戸惑ったという

▼「おんなじ人間なのに、こんなにも反応が違う。

僕は運がいいだけ。

分かれ道ではいつも、誰かが良い方に導いてくれた。

これからは、いただいた運をお返ししていきたい」。

本紙に語ったのは2年前だ

▼「運返し」の思いも道半ば、今ごろ、いつものハンチングでどこを歩いているのやら。

なぜか、桜吹雪の坂に消えてゆく背中が目に浮かぶ。

たまの早足もいいけれど、地井さん、カメラやファンを振り切っちゃいけません。


地井武雄



ちい散歩テ−マ曲(動画)






きのうの朝、福井県の大飯原発3号機が発電を再開した




平成24年7月6日の天声人語よりの引用


水が貴重な国際宇宙ステーションでは、3年前から尿を飲料水に再生している。

顔をしかめては「地上のぜいたく」と笑われよう。

その水で乾杯した若田光一さんは「結構おいしい」と語ったものだ

▼海水や雨水より抵抗はあろうが、科学的には何から作っても水は水である。

では、何から作っても電気は電気かというと、そんな時代ではない。

原子力は、いよいよの時に仕方なく頼る電源になった

▼きのうの朝、福井県の大飯原発3号機が発電を再開した。


こどもの日の夜に北海道の泊3号機が止まって以来、久々に原子炉がこしらえた電気が送電網を流れている。

原発に頼らぬ日本は60日と8時間で幕を下ろした

▼世の中はその間、とにもかくにも原発なしで回った。

夏の試練に挑まなかったのは、万一の放射能より電力不足を政府が恐れたためだ。

冷房の風、照明の色に違いはない。

ともすればまた、原発頼みが社会の習い性になりかねない

▼官邸を囲んだ怒りを聞くまでもなく、民意は脱原発にあろう。

片や株主総会を見る限り、電力会社の意識は「動かすほどもうかる電源」のままらしい。

地元経済の原発依存も変わらない。

何ごともなかったように再稼働が続いては、福島の教訓が泣く

▼あすは二十四節気の小暑(しょうしょ)、節電の正念場が近い。

宇宙と違い、選択肢がいくつかある地上で暮らす私たちである。

せめて、原発を動かす必要はなかったと、数字で示したい。

誰も顔をしかめない「安らぐ電気」だけで賄える国を目ざして。




原発事故は人災であると国会議員調査団は発表している。電力業者は利益追求だけで動いている。

結局原発は保障のことなど考えると大変高くついている。

後始末は国の援助がなければどうしょうもないようだ。

脱原発に はっきりとドイツのように日本の方針として向かうべきだ。







万物に質量を授けるヒッグス粒子が見つかったと聞いて
ついにやったかと感涙にむせぶ人は珍しい






平成24年7月7日の天声人語よりの引用

ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」は、遊覧飛行で眺めるほかない。

人の目の高さからは浅い溝が走るだけで、何を描いたものか分からないそうだ。

世には大きすぎて見えないものがある

▼万物に質量を授けるヒッグス粒子が見つかったと聞いて、ついにやったかと感涙にむせぶ人は珍しい。

「世紀の大発見」はえてして我らの理解を超え、その大きさを知るのは後世になる

▼英国のヒッグス博士(83)が半世紀前に予言したこの粒子。

宇宙誕生の瞬間、好きに飛び回る他の素粒子に水あめのように絡み、全体を落ち着かせたとされる。


その動きにくさこそが質量だ。

鈍重になった素粒子たちは寄り集まり、水素などの原子、星や生命を生んでいく

▼世界の物理学者は、欧州の巨大加速器でヒッグス粒子を探してきた。

天地創造に迫る旅である。

彼らは「99.9999%以上の確率」でそれらしき粒子を見つけたという。

あると予測された17の素粒子は一通り確認されたことになる

▼ただ、果てしなき時空を究める上で、この発見は始まりにすぎないらしい。

地上絵でいえば、溝の何本かは見つけたが、空から全体像を眺めた者がいない段階か。

宇宙の大方は未知の「暗黒」が占めるとされる。

探究の旅に終わりはない


▼ビッグバンから137億年、まさか「作品」の一つが正体に肉薄してくるとは、「神の粒子」もびっくりだろう。

こよい七夕の銀河を思い浮かべて、人類もやるもんだと杯を重ねるのもいい。

つまみは粒(つぶ)ウニか何かで。



ナスカの地上絵


ヒッグス粒子の発見(動画)








2度目の節電の夏に、省エネでタフなLEDへの移行が進みつつある



平成24年7月8日の天声人語よりの引用


文明開化の明治の初め、「ランプ亡国論」なる珍説が世に流布した。

ランプの輸入は貿易赤字を膨らませる。

さらには在来の産業を滅ぼすと説く舶来品排斥論だった。

むろん開化の奔流は止められず、西洋の利器はもてはやされ、日本の夜を明るくした

▼しかし、ランプの天下は長く続かない。

電灯に取って代わられる様子が、童話作家新美南吉の名作「おじいさんのランプ」に描かれている。

「世の中は、電気の時世になった」と嘆くランプ売りが、一斉にともした売り物に石を投げ、割っていく場面をご記憶の方もおいでだろう

▼以来なじみの深い白熱電球だが、ここにきて「肩たたき」が急だ。

なにせ電気を食う。

政府は製造と販売を控えるよう要請した。

2度目の節電の夏に、省エネでタフなLEDへの移行が進みつつある

▼値段の高さにはひるむが、電力消費は2割以下、寿命が40倍と聞けば、納得感はある。


ボーナス後の節電特需か、きのう寄った売り場は人でいっぱいだった。

脇の白熱電球はどこか肩身が狭く見える

▼「明かり奉行(ぶぎょう)」という新語があるそうだ。

会社や家で、不要な照明を消して回る人を言うらしい。

明かりに限らず、頼もしい「節電奉行」のいるお宅もあろう。

無理せず賢く無駄をなくしたいものだ

▼〈家々や菜の花いろの燈(ひ)をともし〉。

木下夕爾(ゆうじ)の名句は敗戦翌年の春の作という。

平和の戻った窓からこぼれる明かりは、むろん白熱灯だった。

昭和の匂う光に感謝しつつ、新旧交代の流れに乗るとする。



ランプから白熱球 そしてLEDになってきている。省エネとして大変良い電球で次第に普及すれば

原発も必要なくなってくるのてげはないかと思う。

家庭だけで自然エネルギーでまかなえる時代がもうすぐのような気がする。

脱原発を早くしたいものである。




戦乱で荒廃したアフガニスタンを支援する国際会合が東京であった



平成24年7月10日の天声人語よりの引用


生まれてきた新しい命は、それ自体が未来そのものだ。

「どの社会にとっても、赤ん坊にミルクを与えること以上に素晴らしい投資はない」と、

第二次大戦中のラジオ放送で英首相チャーチルは述べたという。

だが、ゆりかごで安らかに眠れぬ子が、世界に多くいる

▼戦乱で荒廃したアフガニスタンを支援する国際会合が東京であった。

かの国では、5歳未満の乳幼児の4人に1人が命を落とす。

その影響もあろう、平均寿命は44.6歳でしかない。

どちらも世界で最悪に属する数字である

▼古くから列強の軍靴に踏まれた歴史を持つ。

9・11までは、しばし世界から忘れられたような国だった。

テロの後はアフガン戦争が起きた。

だが、間もなく世界の目はイラクへ移る。

関心の薄れる中、戦火は国土と人の心を荒(すさ)ませた

▼テロが頻発し、汚職がはびこり、麻薬栽培は広がった。

国づくりの礎(いしずえ)になる教育もおぼつかない。

撤兵を決めたオバマ米大統領の言う「長い戦争の責任ある形での終わり」から、現状はほど遠い

▼「埋められたのが地雷ではなく、小麦の種であったなら」「米軍が爆弾でなく、本を落としていたら」――。

この国で映画を撮ったイラン人監督モフセン・マフマルバフ氏が述べた言葉を、前に引いたことがある

▼貧困と無知がテロと暴力の温床になる。

武器による腕力より、社会を変えるには柔らかい支援こそ大切、と読める。

先は遥(はる)かに遠いけれど、荒野が緑に変わるときを信じたい。

手助けを途切らすことなく。




アフガンは早くアフガン自身の手でもって便利でなくてもよいから安全な国であってほしい。

列強の潜在的植民地主義の犠牲になっているのではないかと思える。






大津市の場合である
中2男子の自殺をめぐり、
教師はいじめを知っていたが「見て見ぬふりをしていた」と、
複数の生徒がアンケートで答えていた



平成24年7月11日の天声人語よりの引用


以前、いじめ問題で取材した小学校の先生は、担任するクラスを「海」にたとえた。

教壇から毎日見ていると何でも分かったような気になってしまう。

でも見えているのは何十分の一にすぎない。

子どもの世界という広くて深い海の中で、何が起きているのか。

把握するのは本当に難しい、と

▼この先生は深刻ないじめに気づかずにいた。

だが気づいたあとが立派だった。

いじめとは何か、なぜいけないかを、時間をかけてクラスに浸透させた。


いじめは許しませんという真っすぐな意思が、子どもの心に響いていった

▼ひるがえって大津市の場合である。

中2男子の自殺をめぐり、教師はいじめを知っていたが「見て見ぬふりをしていた」と、複数の生徒がアンケートで答えていた

▼片や市教委は「担任は、廊下でプロレスの技をかけられたりするのを目撃したが、いじめの認識はなかった」と言う。

「自殺の練習をさせられていた」など聞き捨てにできない情報も複数あったが、早々と調査を打ち切った。

輪郭と真相はぼやけ、「事なかれ主義」といった批判も飛ぶ

▼少し救われるのは、全校生徒へのアンケートのいくつかの答えだ。

「自分も見て見ぬふりをしていて、これも立派ないじめと気づいたときは、本当に申し訳なかった」。

悔いはみんなの糧となろう


▼〈昭和にもイジメはあった同窓会の返信葉書に欠席と記す〉の一首を、何日か前の本紙栃木版で見た。

誰ひとり幸せにしない行為である。

許さぬ意思を分かち持ちたい。



「いじめ」があった事実が隠されようとしていたのが,表面に出てきたのは社会の進歩だが

聞くだけでもたまらないようないじめが行われている事に対して驚く。

昔はいじめがあれば優秀な子供がいさめたものだが、それがなくなってきている。

いじめそのものが発生するようなことはなかったように記憶している。





今も辞書は座右の相棒、いや先生である
無味乾燥に思われる辞書だが、一般向けの個性派もある




平成24年7月12日の天声人語よりの引用


初めて辞書で引いた言葉を今も覚えている。

それは「死にものぐるい」。

小学校の何年生だったか、買ってもらった辞書を広げ、だいぶ時間がかかった記憶がある。

以来どれほどお世話になったか。

今も辞書は座右の相棒、いや先生である

▼小学生向けの国語辞書が売れていると聞いて、遠い昔を思い出した。


引いた言葉に付箋(ふせん)を張っていく「辞書引き学習」がブームなのだという。

付箋に番号をつけ、言葉をコレクションする感覚で意欲が湧くそうだ。

やわらかい頭がぐいぐい語彙(ごい)を増やすさまが、五十路(いそじ)の身にはうらやましい

▼子どもを辞書に親しませるには、本棚にしまわず、箱から出しておくのが肝要という。

なるほど。

開くまでに一(ひと)動作多いだけで、つい面倒くさくなるのは、大人も変わらない

▼無味乾燥に思われる辞書だが、一般向けの個性派もある。

たとえば「政界」という語。

これを手元の新明解国語辞典は「〔不合理と金権とが物を言う〕政治家の社会」と説明する。

お仕着せにとどまらずに、なかなか楽しい

▼いっそう面白いのは、様々な言葉を皮肉とユーモアで定義する私家版の辞典だ。

米国人ビアスの「悪魔の辞典」(岩波文庫)だと「政治」はこうなる。

「主義主張の争いという美名のかげに正体を隠している利害関係の衝突」。


今日もニュースは満載である

▼ともあれ、「死にものぐるい」から言葉の森に入った筆者、今も道に迷ってばかりの日が続く。

分け入っても分け入っても、コラムの懐はなお深く。



子供の頃本が少なかった頃の事で 家にある「広辞苑」をよく読んでいたことがある。

わからないことを辞書で引いてそこで分からないことがあると次にまた引くようなことをしていた。

最近はインタ−ネットをよく引くことがある。便利だが分け入っても分け入っても切がないような気がしてくる。







どうも中高年の男性はキレたり怒鳴ったりしやすいようだ
感情を止める堤防が低くなって、たちまち洪水を起こしてしまう






平成24年7月13日の天声人語よりの引用


 懐かしの昭和30年代は、活気とともに、どこか殺気立っていた時代かもしれない。

作家の幸田文が上野駅の混雑を書いている。

「喧嘩(けんか)をしにでも出掛けるようなトゲトゲした旅行人がいっぱい」だった

▼切符を買っていると背後から「グズっか(ぐずぐす)しやがって」とののしられ、小突かれた。

振り向くとイライラの見本みたいな「男の古いの」がにらんでいたそうだ。

以来半世紀がたつが、どうも中高年の男性はキレたり怒鳴ったりしやすいようだ

▼その手の話が時々声欄に載る。

記憶に残るのは一昨年。

図書館で体験学習の小学生が貸し出し係でいるのに、司書に「急いでるんだ。

早くしろ」と荒く言い、周囲の空気を凍らせた初老がいたそうだ


▼別の投書には、JRの電車内でやはり初老の男に怒鳴られ、震えている母親を見たとあった。

ベビーカーの幼子(おさなご)の足がズボンに当たっていたらしい。

言った側は忘れても言われた人の傷は深い


▼感情を止める堤防が低くなって、たちまち洪水を起こしてしまう。

喜怒哀楽の「怒」は大切な感情だが「キレる」のとは違う。

刹那(せつな)的で貧相な怒気がここ、そこに潜む社会はぎすぎすと寒い

▼週刊朝日の名編集長だった扇谷正造は「一怒一老一笑一少」の言を好んだ。

一度怒れば一つ老い、一度笑えば一つ若返る。

還暦を過ぎて大声で怒る自身への戒めだったそうだ。

きのうの通勤途中、駅員さんを怒鳴るわが同年配を見てこのコラムを書いた。

他山の石に事欠かないのが、やりきれない。



年齢につれ感情を抑える機能が衰えてきてすぐに切れることがあることには気をつけるべきである。

年齢とともに思慮深くなるとは言われているが確かに感情に任せ言う場合が多いようにも見える。







300人で始まった「金曜集会」は回を重ねて膨らみ、万人単位の催しになっている。





平成24年7月15日の天声人語よりの引用


議事堂に人の波と聞けば、血が騒ぐ世代もあろう。

1960年6月、日米安保条約の改定に走る岸首相に対し、国会周辺では抗議の嵐が渦巻いた。

東大女子学生の圧死を受けたデモには主催者発表で33万、警察調べで13万人が参加した


▼おとといの夜、国会や首相官邸の一帯は、脱原発を叫ぶ人波で埋まった。

300人で始まった「金曜集会」は回を重ねて膨らみ、万人単位の催しになっている。

国政の中心地に群衆が何度もあふれるのは「安保」以来のことらしい


▼ただ、学生や労組、左派政党の動員が主だった半世紀前とは趣が違う。

風船を持つ親子、勤め帰りの男女、見物がてらのお年寄り、「麗しき山河を守れ」と日の丸を掲げる一団まで、ありていに言えば社会の縮図である

▼日ごろ政治には縁遠くても、ことが自分や家族の健康にかかわるとなれば人は動く。

危機感が共有されていく勢いは、個々が携えた情報発信の飛び道具により、立て看板とビラの時代の比ではない

▼福島の事故が人災なら、どこで再発してもおかしくはない。

ところが、それを案じる約750万筆の署名に、政府は大飯原発の再稼働で応じた。

声が届かないなら、届く大きさにするしかない

▼東京の代々木公園であす、大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さんが呼びかけた「さようなら原発 10万人集会」がある。

猛暑でも雨でも、原子力に頼らぬ覚悟を試すにはふさわしい舞台だろう。

アジサイの季節に広がった運動が大輪に育つかどうかの山場でもある。




地震が多発する日本国土で原発による電力供給は間違っている。まして福島の原発事故をどのように解決するか皆目見当つかない

時点での原発再稼働は間違っている。放射能被害は世代を超えて健康に被害を及ぼすものである。

産業の停滞も大変だが。それ以上に人の健康 命が大切なことが徹底されていない。人体に被害がない火力・水力さらに

自然エネルギーが本格的に稼働するまでのつなぎとしての原発ならばまだわかる。






原発事故で傷ついた故郷の地を離れて、今も万の人が戻れない。
その苦境を置き去りにするように、政府は再稼働へ舵(かじ)を切った。





平成24年7月17日の天声人語よりの引用


67年前のきのう7月16日、米国ニューメキシコ州では太陽が2度昇った、と言われる。

この日の夜明け前、アラモゴードの荒野で大音響とともに巨大な火の玉が炸裂(さくれつ)した。

人類初の原爆実験である

▼長崎で被爆した作家の林京子さんは1999年にこの爆心地を訪ねた。

後に感慨を本紙に語っている。

「熱く、草のはぜる音さえ聞こえない静かな荒野でした。

それまで私たちが核の最初の被害者だと思っていましたが、大地は傷ついたまま、黙って耐えていた」。

重い言葉が福島を連想させる

▼原発事故で傷ついた故郷の地を離れて、今も万の人が戻れない。

その苦境を置き去りにするように、政府は再稼働へ舵(かじ)を切った。

抗議を込めて、きのう7月16日、東京であった「さようなら原発」の集会は大勢の参加者が広い代々木公園を埋めた

▼炎暑にめげずご高齢の姿が目立ったのは、孫たちの未来を案じてだろうか。

「故郷を壊すな!」「子どもを守ろう」。

プラカードや幟旗(のぼりばた)が、人々が全国から集まったことを教えている

▼呼びかけた一人、音楽家の坂本龍一さんが、壇上から「福島のあと沈黙していることは野蛮だ」と語ると大きな拍手が湧いた。

質、量ともに巨大な、脱原発への「志」の結集となった

▼「実際に生きている人間の直感の方が、科学的知を超えて物事の本質に迫る瞬間がある」という

反原発の科学者、故高木仁三郎さんの言葉を思い出す。

権威は必ずしも賢ならず。

生活者の肌感覚を蔑(さげす)まない政治が、今こそほしい。




大飯原発が万が一大事故を起こせば、琵琶湖が濃厚に汚染され、人類として取り返しのつかない事態が起きることとなる。

放射能に汚染された水は、普通の水と全く変わりない。飲んでも水として飲用できる。又普通の水として飲まれる。

全ての食品も同様である。放射能汚染されれていても自覚的に判らない。

だが放射能に汚染された水は除染ができない。琵琶湖の水は半永久的に使用不可能となる場合も起きる。

汚染された琵琶湖の水が、滋賀は勿論のこと下流にある京都 大阪などの汚染した水を使用されることによって

急性期の障害の他、放射能障害による遺伝子の変異を来し 汚染した水を飲用すれば子々孫々末代まで被害が拡大し、

取り返しのつかない状態となる。首相 個人の私の責任でもって済む問題では:決してない。

直ぐにも脱原発に踏み切るべきである。政治の問題でなく これは人類の未来の健康に及ぼす重大な問題だ。

以前に原発稼働しなければ日本人は集団自殺するようなものだと言った人がいるが、

これは逆で脱原発しなければ日本人は集団自殺するようなものだと言いたい。福島の原発事故の後始末は不明のままで

メルトダウンした原子炉はどのように処理し その方法も処理年月も全く見当がつかない時点で他の原発稼働は無謀である。

原発の原子炉の近くに活断層があるとかの調査を電力会社に指示するだけで良いのだろうかと。疑問である。

日本はまず「脱原発」を前提にエネルギー政策を遂行してほしいものです。






土用の丑(うし)の日にウナギの蒲焼(かばや)きを食べる風習は、江戸の昔に始まった





平成24年7月18日の天声人語よりの引用

だれが詠んだか〈素通りはさせぬと鰻(うなぎ)屋のにおい〉と川柳にある。

うちわでパタパタとあおいで、炎暑の街に香ばしいにおいを流してよこす。

土用の丑(うし)の日にウナギの蒲焼(かばや)きを食べる風習は、江戸の昔に始まった。

▼ルーツは学者の平賀源内とも、戯作者(げさくしゃ)の大田南畝(なんぽ)ともされる。


はやらない鰻屋に客を呼ぶため、今で言うキャッチコピーを考えたというが、「伝説」の域を出ない。

ともあれ国民的行事となり、今年は27日がその日になる

▼梅雨明けとともに、がぜん腹の虫が鳴る向きもあろう。

だが、いかんせん養殖用の稚魚のシラスウナギが捕れていない。

不漁続きの近年でも今年は際だつ。

価格は高騰を超えて暴騰の域といい、蒲焼き店の廃業も出る深刻さという

▼小売りの蒲焼きも値を上げていて「代替品」が人気らしい。

サンマやアナゴのほか、豚バラ肉の蒲焼きもスーパーに並ぶ。

ウナギは昔日の「特別なごちそう」に戻ったような印象だ

▼日本人のウナギ好きは突出し、世界で食べる約7割を胃袋に収めるという。

消費大国への目は厳しく、欧州に続いて米国が、野生生物を保護するワシントン条約で規制する検討を始めた。

食文化ねらい撃ちの感もあるが、ウナギが減って黄色ランプが灯(とも)りそうなのは否めない

▼冒頭の句との掛け合いでもあるまいが、〈うなぎ屋の前でともかく深呼吸〉が笑わせる。

においをしっかり鼻で味わい、さて、暖簾(のれん)をくぐるか立ち去るか。

思案のしどころとなろう丑の日が、今年は少し恨めしい。



ウナギは旨いがコレステロールが気になるが。少しは良いかと稀に食べるが、やはり美味い。




北陸電力志賀(しか)原発(石川県)の直下に活断層があるらし
福井県で再稼働した関電大飯原発にある断層も、活断層の疑いがある



平成24年7月19日の天声人語よりの引用

古(いにしえ)の神話を踏まえて、東日本大震災のあと詠んだそうだ。

短歌界の重鎮、岡野弘彦さんの歌集から拝借する。

〈したたりて青海原につらなれる この列島を守りたまへな〉。

火山があり底知れぬ海溝が沿う列島で、幾度も繰り返されてきた受難を思いつつ、歌に表したという

▼日本の自然は美しさと非情が相混じり、国土は数限りない地異に揺さぶられてきた。

なのに恐れも、畏(おそ)れも無かったのか。

原発をめぐる無責任が、また一つ明るみに出た。

北陸電力志賀(しか)原発(石川県)の直下に活断層があるらしい

▼専門家によれば「典型的な活断層」という。


「よく審査を通ったなとあきれている」と聞けば、地元の人は怒りに震えよう。

ごまかしか見て見ぬふりか、政・官・業のなれ合いの泥沼は、底知れず深い

▼福井県で再稼働した関電大飯原発にある断層も、活断層の疑いがある。


だいぶ前だが、九電の川内(せんだい)原発(鹿児島県)では地質調査のサンプルが差し替えられたと問題になった。

隠されているものの膨大さが想像できる

▼昭和30年代、渡英した原発調査団が、向こうの技術者たちに関東大震災の記録映像を見せた。

「こんなことがあるのか」と誰もが驚いたという。


プレートがぶつかり合い、活断層ひしめくその列島に、いま50基が林立する

▼事があれば制御不能になるシステムを、人知の及ばぬ地異にさらす。

これは一種のギャンブルだろう。

負けて目覚めぬ者は身を滅ぼす。

福島に懲りず国土を賭け金にするのは、愚行である。



このような原発立地地域に活断層があることが判っても政治家が驚かないことに政界 官界 業界の癒着ぶりに驚く。

国民だけ驚き デモでの示威だけしかないのだろうか。変な世論調査が行われている。

:原発0%か 15%か  25%かの世論 の討論が行われている。

地震国日本は脱原発しなければならないことは今回の福島の事件で嫌というほどに知ったのに何処から 0 15 25の数字が

出てきたのは世論誘導ではないだろうか。







消費増税は「財政再建」と「社会保障の充実」のため、と聞かされてきた。
その二枚看板に「公共事業」が割り込みつつある






平成24年7月21日の天声人語よりの引用


看板に偽りあり、の仕打ちにやられた人は古今東西に数え切れまい。

米国のある作家がこんな皮肉を言ったそうだ。

「奇跡の薬とは、効能書きの通りに効く薬のこと」。

うなずく向きもいるのではないか

▼日本の政治も似たり寄ったりだ。

民主党が麗々しく掲げた政権交代の「効能書き」は、軒並み崩れて見る影もない。

公約通りに行われれば奇跡、という政治では、怪しげな薬と変わらない。

そんな呆(あき)れた総崩れに加え、またぞろ新たな「看板に偽り」の芽が萌(も)えだしている

▼消費増税は「財政再建」と「社会保障の充実」のため、と聞かされてきた。

その二枚看板に「公共事業」が割り込みつつある。

増税で3党合意をした自民党など、「10年で200兆円」だと喧伝(けんでん)し、大借金どこ吹く風で景気がいい

▼公明党は少々控えめだが、それでも「10年で100兆円」を使えと言う。

民主党の「コンクリートから人へ」はどこかに消えた。

防災、減災の美名に隠れるような3党そろっての先祖返りに、増税の目的はゆらりと揺れている

▼「庶民増税を打ち出の小槌(こづち)にした新たな無駄づかい」という共産党、市田忠義氏の指摘はもっともだ。

少子高齢化と天文学的財政赤字に向き合い、持続可能な国をつくるという大看板を、ゆるがせにしては困る

▼どこの諺(ことわざ)だったか「財布が重いと心は軽い」と言う。

消費税を10%にすると歳入は13.5兆円増えるそうだ。

国の財布が重くなって、心も軽く大盤振る舞い。

そんな政治では、納税者は泣く。




国の借金を減らすための消費税増税が公共事業との美名のもと無駄使いに使われるとか。

本当に真剣に政治家は国民のため考えて政治をやっているのかと疑念が持たれる。

国民から集めたお金だから、企業にばらまいても、自分のお腹が痛まない。

真剣に国民の為を思っての政治をやっているのかと言いたい。

原発設置の市町村が原発賛成である。でも多大な被害を被るのは設置自治体自身である筈だが。

だが何故に賛成か゛多いかというと、多大なお金が、交付金として得られるからである。それに仕事が増えるため止むをえずに賛成している。

その周りの影響ある各自治体は大反対である。 国民全員が反対している人が多数である。

まず甚大な被害が及ぶであろう自治体が交付金欲しさに賛成している。おかしなシステムを政府が作り上げている。

もし交付金がなければ設置自治体は死に物狂いになり大反対をしている筈だが。

政府はそのようにして交付金でもって設置自治体を釣っている。汚いやり方だ。

人を牛馬並みに、馬鹿にした政治手法がまかりとおっている。








覆という漢字にも「包み隠す」の含意がある
原発事故の後始末で、これらを地でいく「被曝(ひばく)隠し」が発覚した




平成24年7月23日の天声人語よりの引用

英語のカバーは「見せかけ」の意味でも使われる。

覆という漢字にも「包み隠す」の含意がある。

原発事故の後始末で、これらを地でいく「被曝(ひばく)隠し」が発覚した。

収束作業に携わる建設会社の役員が、線量計を鉛のカバーで覆い、被曝線量を低く装うよう作業員に指示していた

▼彼らは、法定の被曝量に達するとしばらく働けない。

現場を仕切る役員は、渋る作業員をこう説得したという。


「自分で自分の線量守んないと、1年間原発で生活していけない」。

5人ほどが手製カバーをつけて働いたらしい

▼福島の作業環境は、命がけという意味で戦場だ。

線量のごまかしは、10発の敵弾を浴びた兵士に、「5発ということにして戦い続けてくれ」と言うに等しい。

流れた血は戻らないのに


▼高線量の現場は「金になる」といわれる。

作業員が線量を使い果たせば人手を欠き、せっかくの仕事が逃げると案じたか。

愚かしい話である。

守るべきは命であり、線量計や会社ではない

▼だが、この役員を責めても始まらない。

あけすけな不正の根底には、下請けの弱い立場があるからだ。

これまでに放射線を浴びた2万数千人の多くは、東京電力の社員ではない。

無理や不都合を下へ、外へと押しやる悪習が変わらぬ限り、安全は守れまい

▼現場の苦闘は、40年かかるという廃炉まで続く。

作業員たちが、いたずらに命を削ることなく暮らせるよう、危険に見合う待遇が必須である。

事故以来、この国は彼らの頑張りに守られているのだから。



命を張っての弱い立場の人たちを企業が使っている。

原発賛成の人たちは安全な所にいる人たちが、利益が得られるからではないだろうか。

健康 命を粗末にしてはいけない。一人ひとりの大切な健康 命に上下がないはずだ。

お金で釣り危険な仕事をさせている。誰も危険な仕事はしたくないのは同じだ。

生活のためにやむを得ずしているだろう。

戦時中 命を投げ出し国のため天皇の為に傷つき死んでいった大勢の人たちを思い起こす。

戦後の一時期には「命は地球より重い」考え方が次第に軽んぜられてきているように思う。

特に弱い立場の人たちが企業の為、命を軽んぜられる政治が再び復活しつつあるのではないかと危惧する。

アメリカに物言えぬ日本政府には悲しい。政府は脱原発の方向を明確にを示すべきである。

特に日本は他の国と違い地震多発国である。




オスプレイ配備をめぐる野田首相には脱力した
「米政府の方針であり、(日本から)どうしろこうしろと言う話ではない」では
言いなりの中間管理職さながらだ





平成24年7月24日の天声人語よりの引用


手元のスクラップ帳をめくると、ちょうど10年前の今日、国連で拷問禁止条約議定書案なるものの採決があった。

これに米国が横やりを入れた。

子細は端折(はしょ)るが、つまり採択の阻止に出た。

9・11テロのあとタリバーン兵らを片っ端から拘束し、深刻な人権侵害が漏れ聞こえていた頃だ

▼採決で米国を支持したのは、中国、リビア、イラン、スーダン、ウガンダ、パキスタン……などだった。

ご存じのとおり、多くは人権の軽い国である。

そしてこの採決では、日本も米国に与(くみ)した


▼取材していて、人権問題の国際組織の人から「日本は今度もアメリカと共闘したね」と皮肉られたものだ。

その後のイラク開戦でも日本はひたすら米に追随した。

顔見知りの他国の記者から「従順すぎないか」などとよく突っ込まれた

▼だから「対等の関係」など建前だと分かっていても、オスプレイ配備をめぐる野田首相には脱力した。

「米政府の方針であり、(日本から)どうしろこうしろと言う話ではない」では、言いなりの中間管理職さながらだ


▼条約上拒めないのと、何もしないのは違う。

トップがこれでは沖縄の民意は米側に届くまい。

「安全が確認されるまでは飛ばない」の説明も原発とウリ二つだ。

その原発はあっさり再稼働した

▼昨日の山口県岩国市への陸揚げを、投票が迫る知事選への損得でしか見ない政治家もいるようだ。

場当たり的ではぐらかしの多い政治の先に、どんな国の姿があるのか。

明るい想像が浮かばないのがつらい



第二次大戦敗戦後、何年経っているのだろう。2012年-1945年=67年 67年経ち政府が政権交代してもアメリカに物言えぬ状態が

続いている。何故に対等になれないのか、多くの基地があり、オスプレインが飛び交う日本国では直ぐに攻撃対象になるから

アメリカには従順でいるしか仕方ないのではではないのだろうか。?



夕顔のあとは、朝顔が開きだした
「乗り切る」という動詞がふさわしい炎暑の季節




平成24年7月26日の天声人語よりの引用


草冠(くさかんむり)に秋と書いて「萩」なのだが、ご近所の塀を越えて伸びているハギが、はや二つ三つ紫の花をつけ始めた。

隣にはまだ白いクチナシの残り花があるのに、気の早いことだ。

今年はどんな天候かな、と偵察に来た、ハギの花の先遣隊かも知れない

▼公園にはキキョウ(画像)がゆれている。

こちらも秋の花のイメージなのに、ずいぶんせっかちだ。調べると早咲きの種類らしい。

梅雨どきに咲くので「五月雨桔梗(さみだれききょう)」と呼ばれたりするそうだ。

薄い紫の花は涼しげで、炎暑をふっと遠ざけてくれる

▼この夏、拙宅で鉢植えの夕顔(画像)を育てている。

ご記憶の方もおいでだろう、昨夏、小欄で夜顔を夕顔と間違えて書き、おわびをした。

ヒルガオ科の夜顔は、広く「夕顔」の通り名で呼ばれるが、夕顔ではない。

罪ほろぼしのつもりで、本物のウリ科の夕顔の種をまいた

▼先月の末、夕闇に白く咲いているのを見つけた。

夜ごとに花を開いたが、もう花期は終わって小さな実をいくつかつけている。

実はごろりと大きく育って、干瓢(かんぴょう)の原料になるそうだ

▼〈心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花〉。

源氏物語のよく知られた歌はヒロインのひとり、夕顔が詠んだ。

光源氏との逢瀬(おうせ)のあと死んでしまうはかなさが、ごろりの実はともかく、花の姿にはよく似合う

▼そして夕顔のあとは、朝顔が開きだした。

「乗り切る」という動詞がふさわしい炎暑の季節。

萩をゆらす秋風が吹くまで、朝露の光る一輪に英気をもらう幸いも、またよしである。


朝顔 昼顔 夕顔 ヨルガオ とよく似ている花だが咲く時間が違うのが主な名前の原因によるものか 多分。






全国平均で737円という最低賃金(時給)である
まじめに働いても生活保護水準を下回ることもある




平成24年7月27日の天声人語よりの引用


没して8年になる詩人の石垣りんさんは、高等小学校を出て銀行に入った。

一家を支えて働きながら詩を書いていた。「月給袋」という詩は、こんな書き出しだ

▼〈縦二十糎(センチ)/横十四糎/茶褐色の封筒は月に一回、給料日に受け取る。

/一月(ひとつき)の労働を秤(はかり)にかけた、その重みに見合う厚味(あつみ)で/ぐっと私の生活に均衡をあたえる

/分銅(ふんどう)のような何枚かの紙幣と硬貨……〉。

報酬とは、注ぎ込んだ時間と労力の価値を表す「分銅」に他ならない

▼ならば、この分銅はあまりに軽い。

全国平均で737円という最低賃金(時給)である。

まじめに働いても生活保護水準を下回ることもある。これでは意欲もなえよう。

人というものを買い叩(たた)きすぎていないか

▼最低賃金は都道府県ごとに定められ、毎年夏に厚労省の審議会で目安を決める。

それが平均でたった7円の引き上げにとどまった。

1日8時間で56円の増では、雀(すずめ)の涙にもならない

▼貧困問題に詳しい湯浅誠さんに聞くと、そもそも最低賃金は家計を助けるパートやアルバイトを想定していた。

しかし時代は変わり、これで生計を立てている人は少なくない。

いわば「小遣いの基準を賃金にあてているようなもの」だという

▼企業が悪い、と叫ぶつもりはない。

だが資源に恵まれない日本の最大の資源は、額に汗する「人」ではなかったか。

千分の1秒の金融・証券取引で巨富を手にする仕組みの一方、大勢が「1時間7円」に泣く図はいびつだ。

格差を縮める政治の意志は、どこにある。





おかしい現象に人々はきずいているが、それを是正する手段はどうすれば良いのだろうか。?

金曜日での脱原発運動はその一つか。ネットで出版以外に簡単に発言できるようにたった。




19世紀半ばから住民参加の「ウェンロック・オリンピアンゲーム」が開かれていた。
その大会をクーベルタン男爵が訪ね見て、
触発されて近代五輪の誕生につながったのだという






平成24年7月28日の天声人語よりの引用


ロンドン五輪の「ウェンロック」と聞いても、はてな?の人が多いかもしれない。

かわいくない、などと不評も聞こえたマスコットの愛称だ。

正直、わが印象も右に同じだが、名前の由来を知って見直した

▼英国の小さな町の名だという。

そこでは19世紀半ばから住民参加の「ウェンロック・オリンピアンゲーム」が開かれていた。

その大会をクーベルタン男爵が訪ね見て、触発されて近代五輪の誕生につながったのだという

▼つまり「近代五輪発祥の地」は英国にあった。


忘れられたような歴史が、マスコットとともに世に知られた。

そういえば「参加することに意義がある」という神髄が語られたのも、104年前のロンドン大会だった。

それから時は流れ、新しい五輪の一巻が、きょうから英国でつづられる

▼開会式を待たず、日本は男女のサッカーで前祝いに酔った。

ことに男子は大金星で、サムライが無敵艦隊を沈めた、などとメディアは興奮気味だ。

幸先よし。とはいえ竜頭蛇尾という語もあるから油断はなさるな

▼今大会は女子ボクシングが加わり、全競技に女子が参加する。

さらに、これまで女子の参加がなかったサウジアラビアなどイスラムの3国が禁を解いた。

すべての国と地域から女子選手が舞台に立てるのは、画期的なことだ

▼第30巻になる五輪物語は、真っ白な表紙とページでドラマを待つ。

もちろん筋書きはない。


17日間地球の中心となるロンドンで、だれが伝説を作るのか。

ねむい目をこすることになる。


近代オリンピックにも前史があったとは全く知らなかった。暑い中熱戦が繰り広げられている。




100年前のきょう、明治天皇の崩御を受けて大正天皇が即位した。
大正は14年ほどだが、社会運動が花開き、本格的な政党内閣ができた時代として意義深い




平成24年7月30日の天声人語よりの引用



 歴史の節目の中で明瞭なのが改元だ。

100年前のきょう、明治天皇の崩御を受けて大正天皇が即位した。

大正は14年ほどだが、社会運動が花開き、本格的な政党内閣ができた時代として意義深い


▼改元の年は、東京市電のストライキで明けた。

死の床の石川啄木が所感を記している。

「国民が団結すれば勝つということ、多数は力なりということを知ってくるのは、

オオルド・ニッポンの眼(め)からは、無論危険極まることと見えるに違いない」

▼軍需工場や鉱山でも労働争議が起き、都市の商工業者は悪税廃止を求めた。

富山から広まった米騒動や、普通選挙の要求。行動する国民に、藩閥政治に代表される「古い日本」は揺らいだ。

ただデモクラシーとは名ばかりで、そのツケは次の昭和に回る


▼昨夕、都心に「原発とめろ」「福島かえせ」が再びこだまし、デモ参加者は国会前に押し寄せた。

日の丸を掲げてデモを批判する一群もいたが、割って入る警視庁の警備は見たところ穏当だった。

喧噪(けんそう)の中で思ったのは、言論と表現の自由を命がけで根づかせた先達のことだ

▼民主主義の成熟ぶりは、街頭行動の「賢さ」と、権力側の「こらえ性」が示す。

中国では、暴徒化した群衆が手荒く鎮圧され、取材していた本紙上海支局長が多数の警官に暴行された。

彼は、強権の闇に切り込む記事をいくつも書いている

▼一党独裁の下で13億人が暮らす異形が、末永く続くとは思えない。

今はただ、歴史の節目が早く、静かに訪れることを祈る。




:言論の自由は民主主義国家としては当然のことである。だが時には自由がない場合もあったし、現在もある。。

為政者の都合の良い言論が幅をきかし、為政者の都合の悪い部分が隠ぺいされていることがある。

福島の原発事故での本社と現場とのやり取りの動画は原則全部公開すべきである。

当事者の東電がどれを発表し どれを発表しないかの判断をして出すべき性質のものではない。

全て発表して世論が判断すれば良いことだと思う。

中国の13億人の市民の意見を一党でもって代弁できるはずがない。







京都水族館(オリックス経営)行の便利な市バスと 
向島団地(京都市が作る)には走らない市バス



、不公平な話だと思われませんか。?

京都市内にも拘わらず向島団地内に市バスは一本も通っていない。

伏見の狭い竹田街道を一時間3-4本の市バスが一日中走っている。

京都水族館行きバスには便利で沢山なバスが集中して走ってい.る様子のようです。

向島地域を超えれば、バス停留場に多くの人が待っていても近鉄バスを利用する人は誰もいなくなる。

竹田街道は狭くて、バス一台が通るのがやっとである。それに比べれ24号線は遥かに広くて二車線道路である。

近鉄バスの乗務員はこのバス路線では大赤字を出していると話されている。でも走らせている。

京都市が私鉄バスを援助し赤字を助け、そのために京都市が財政赤字を出している。

市バスが向島から京都駅への市バスを24号線を使い走れば、黒字にできる可能性が十分にある。

それでも走らせない。

少なくとも路線が赤字になるのかどうかを試みようともしていない。

私鉄を利用されている若いサラーリーマン達や学生達にとっても市バスは大変便利である筈だ゜。

若い人たちが多勢利用するようになると思う。

現在近鉄を利用している人たちで、向島駅から再び近鉄バスに乗り換える必要もなくなってくる。

私鉄バス(企業)に京都市が赤字を補てんするならば、まず市バスを走らすのが常識である。

赤字解消のため敬老パスの値上げも考え出している。

これでは敬老パスの名前が泣く。                  

向島団地は京都市が建設を計画し、造ったニュ-タウンである。健康的で快適な住みやすい町にしてほしいものです。

向島団地には温和な人たちが多く 行政に対しあまり注文をつけようとされない。

市政協力委員の方に聞くと団地建設当初から要望しているが市が赤字だから市バスは走らせてもらえないことのようだ。

だが大きな本当の理由は他にあるように思う。
                                  オリックス     近鉄

京都市バスは市民の為にあるのではなく、私企業の利益を優先しているように思える。、

京都水族館は娯楽のためだが、向島団地は毎日の生活の為
の利便性を上げるためにお願いしている。

向島団地も又高齢化し、住民の外出頻度が少なく、市バスが通れば外出の頻度が増える。:

元気な高齢者になる為の大変良い交通手段だと思う。閉じこもりがちは高齢者の健康にとり全く良くない。

其の為に気軽に外出し利用できる交通手段が最も必要だ。

現在団地内を循環している近鉄バスは団地内をぐるぐる回っているだけである。

京都市内との連絡は京都市長選挙前12月にやっと形だけの地下鉄竹田行きが一時間一本できただけである。

その他に市バスが市内(地下鉄竹田駅,京都駅)との連絡をとるようにすれば外出し易すくなる。

24号線のバス沿線の桃山地域 丹波橋地域の住民達にとっても大変良いことである。

この桃山 丹波橋地域も又近鉄 京阪電車沿線と競合している所でもある。

近鉄バスは向島地域以外敬老パスは扱わず、料金も高く設定して運転本数も少ない。

向島から観月橋を渡れば全く利用者がいない。

市バスを走らせないために、ただ近鉄バスを動かしているようにしか見えてこない。

赤字になっても老人パスの便宜をはかっているとして、京都市から赤字の補填がなされていている。

京都市が市バスを運行すれば近鉄への支払いの必要性は無くなる。

市バスが運行すれば近鉄の全体の収入は必ず減少する。

近鉄は不便な近鉄バスを走らせ、市バスを運行させないようにしておけば、

自然に近鉄電車を利用するようになる営業方法をとっているのではないかと思えてくる。

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